著者 佐々木 利和
出版者 法政大学史学会
雑誌名 法政史学
巻 58
ページ 75‑84
発行年 2002‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10114/10753
1アイヌの左任日本中世史の専門家がアイヌ文化について論じたことがある(下村郊氏「アイヌの左妊」「日本歴史」第五六六号、’九九六年七月)。この論文はアイヌの服飾文化における左任・右妊の問題、つまり左前に着物を着るか、右前に着物を着るかということ論じたもので、詳しくは原論考にあたっていただくとして、意図されたであろう結論をごくかいつまんでいうと、アイヌの衣文化における「固有」の着方は本来「左妊」であったが「和風化、帰属の証」により「右妊化」したのであり、「左妊はアイヌ固有の習俗であったに違いな
あるアイヌ絵の解釈(佐々木)
あるアイヌ絵の解釈
あるアイヌ絵のみかた い」というのである。論考それ自体はとくに内容のあるものではないし、下村氏は既に鬼籍に入られている。反論することのできない人の仕事を批判的に用いるのは佃促たるものを禁じ得ないのであるが、この論考にはアイヌ研究者を含めいささかの問題があるのでとくに注目してみた。下村氏はさきに紹介したように、日本中世史の研究者である。いうまでもなく、アイヌの人びとの歴史研究やアイヌ文化研究はけっして聖域ではない。民族の内面に深く関わる問題(例えば、クナシリ・メナシの蜂起におけるイコトイやションコァイヌの立場を「民族を裏切った行為」と断ずるがごとき)を除けば、いろいろな立場からいろいろな見
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解が表明されてしかるべきである。しかし、異民族の歴史研究に関わる以上、その民族に対して最低限の文化理解と歴史認識をもち、その人びととその文化に敬虐な気持ちで接することはきわめてあたりまえのことであろう。たとえば下村氏は前掲論文一七頁に、……ところで、同化政策の中でアイヌが最も嫌ったのは剃頭であり、右細強制は抵抗の限目として現れず、むしろアイヌの積極的な帰属の証として記録には見られる。同じ民俗慣行といっても、身体に直結する頭髪と、衣装そのものの変更ではない襟の合わせとは、抵抗感に差があっただろう。なお、念のため付記すれば、安政の幕府直轄領下の和風化政策は、アイヌのこのような抵抗に合って、緩和されることは「蝦夷人共風俗之儀一一付猶又奉伺候書付」(安政五年一○月二四日、堀織部正「蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類」今新撰北海道史』史料一、前掲『幕末外交関係文書』巻二一、二五八号、参考〉)に見えており、同化策として進めてきた月代剃髪は、寒地を理由に止め、髪を結うことで許している。しかし、和風への帰俗条件に右杷があったこと、また、その例にアイヌ社会の乙名・庄屋など有力者層が率先する例が多いことは、前掲記録 法政史学第五十八号
群や絵画史料に明白に読み取れるから、左妊はアイヌ固有の習俗であったに違いないと述べている。ここまでいいきるのであるから、著者は当然アイヌの人びととその文化に対して造詣が深いはずである、と思う。ところが、前掲部分の「最も嫌ったのは剃頭であり」に註して、「蝦夷古代風俗」(泉靖一『アイヌの世界』鹿島研究所出版会、一九六八)の「アシン・ヲコイこの図には、上着を頭から被り跨るアイヌがいる。解説のいうように剃髪姿を恥じる所作であろう。なお、アイヌの長老には、しばしば禿頭の者が見られるが、中には「東武画像」のように剃髪と見てよい例も珍しくない。これを鍵靱風と見るか、和風月代と見るかは今後に残された大きな問題であろう(前掲書、二十頁註5)。という。
2誤解のもとはだが、せっかくのご高説ではあるが「アシン・ヲコイマの図」からどうして「剃髪姿を恥じる所作であろう」という見解が引き出せるのだろうか。
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ともあれ、その「アシン・ヲコイマ」の図の解説というのをみてみよう。その図は上掲『アイヌの世界」第仙図であり、解説には、Ⅱ.「アシン・ヲコイマ」『蝦夷古代風俗』作者不詳一七○○年代後半~’八○○年代前半頃市立函館図書館蔵絵の右手では,マキリで整髪している。生え際を揃えたり,むだ毛をそぎ落しているものとおもわれる。左の人物は,頭から衣服をかぶっている。おそらく髪をそぎ落したため,はずかしさのあまり,このような姿をしたものと考えられるが,確かなことは分らない。(泉靖一編『アイヌの世界』一九六八、九鹿島研究所出版会)とある。該当する図(図1)は別に掲げたが、なるほど、右手に整髪人物、左手に鱒る人物が描かれている。しかして、その図版には「アシン・ヲコイマ」などの文字はない。この場面の解説者(河野本道氏もしくは大塚和義氏)は、その解説にあたって原本(すなわち図版のもととなった市立函館図書館本)をみていなかったのではないかという疑問が
あるアイヌ絵の解釈(佐々木) 浮かんでくる。原本の市立函館図書館本『蝦夷古代風俗』は画帖仕立てで、しかもその絵の上部には「アシン・ヲコイマ」のように墨書による簡単な画題が附されている(図1上部左側の「□メムヶ」の如き)。原本の当該部分には、右手、すなわち整髪人物の右上に「同」、左手の縛る人物の右上に「アシン」、左上に「ヲコイマ」の詞が記されているのだが、「アイヌの世界』では図版化にあたってこの文字を削除して割り付けしてしまったのである。画帖の撮影だからおそらくは見開きのままだったのであろう。しかし、画岾は必ずしも見開きが同一画題の場面とはならない。では、右手の整髪人物の「同」とはなにか。当然、ひとつ手前の絵(前葉の絵)と同じということである。その手前の絵も幸い『アイヌの世界』に収載されている。別「バケメムケ」がそれで、剃髪は、一般に男性にかぎられ、成人のみか子供にも行なった。予供の場合は、前髪をまるく剃り残す。この絵は、男の頭にマキリをあてて、髪を剃る女が描かれている。この剃髪の風俗は、日本を含む北東アジアの諸民族間に散見でき、またアメリカ・インディアンのモヒカン族にもみられた。
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図 アシンヲコイマの図(下左)
(「アイヌの-世界」より)
との解説である。「同」はこの「バヶメムヶ」のことである。バヶはパヶと同じで「頭」、メムヶは「剃る」の意であるから、剃髪を指している。「アシン・ヲコイマ」の右手の図まではその続きでいい。しかし「アシン・ヲコイマ」は下村氏の一一一一口のように「解説のいうように剃髪姿を恥じる所作であろう」とは絶対にならないのである。というのは、跨る人物はその画題として「アシン・ヲコイごと記されているのだから「上着を頭から被り縛るアイヌ」の姿は「アシン・ヲコイマ」のさまを描いたものであることくらい誰だって考えつくことである。では「アシン・ヲコイマ」とはいかなる所作をいうのか。アシンというのは「外に出る」という動詞、ヲコイマはオクイマのことで「おしっこをする」という動詞である。したがって「外に出ておしっこをする」図というほどの意味となるはずである。高倉新一郎氏は早くに「用便」という訳語を使っていられる。「アシン・ヲコイマ」は現代アイヌ語の用法からは、いささか破格ではあるが、シャモ風アイヌ語(蝦夷通詞などが用いる正則ならざるアイヌ語)ではよくみる用法のひとつであるといえる。
あるアイヌ絵の解釈(佐々木) さて、となると絵のなかで「恥じて」いるのは「剃髪姿」ではない、別の動作と見るほうが無理のない、より自然な解釈であろう。つまりは解説者も引用者も基本的な史料操作ができなかっただけでなく、アイヌ語もアイヌ文化も知らなかったということになる。この解説で「恥じる所作」が必要なのは「アシン・ヲコイマ」の解説者のほうであったのかもしれない。かれらの文章が真面目に問題に取り組もうとした老研究者の眼を狂わせてしまったのであるから。ひとり解説者のみならず、わたくし自身にとっても大きな警鐘ともなった。ことほどさようにというべきか、アイヌ絵を資料として用いる場合は非常に大きな険路があることも理解しておく必要がある。なにしろ、アイヌ絵はアイヌの人びとが自ら絵筆をとって紙を染めた作品ではないのである。近年、肖像権などの問題もあってか、アイヌ文化を紹介する際に、安易にアイヌ絵に頼る傾向がある。その際には「アシン・ヲコイマ」を忘れるなと老婆心ながらご注意申し上げておこう。
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1高名なる研究者のご高説とアイヌ絵二○○○年の秋(一○月一○日)のことである。NHK教育テレビジョンの高校生向け「教育セミナー歴史で見る日本」で「アイヌ民族と松前藩l江戸幕府の北方対策」なる番組が放映された。いささか陳腐なテーマであってたいして食指も動かなかったのだが、この種のテーマだと常連のような人びとがいるから、こんどはどんなことでまとめるのかという気持ちもあってチャンネルをまわした。ところが出演者をみてびっくりした。山本博文というひとである。たいへん高名な研究者であられることは先刻承知している。しかし、このひとがアイヌ研究に手を染めていらしたとは灰聞だにしたことがなかった。だから期待をしたことも事実である。これまでアイヌ史の研究者として自他ともに許している人びととは異なった視点でアイヌを語ってくれるのだろうという意味での期待である。そしてかれはまったくその期待を裏切らなかったのである。番組中、広瀬修子アナのナレーションに加え、キャプションで「アッヶシの総長人イトコイ」としたのは、いささかご愛橋であるとしても(歴史上名高いこのおさの名は 法政史学第五十八号
二別なるアイヌ絵のみかた 八○
「イコトイ」というのが正しいのはいうまでもないのだが)、このひとを含めたアイヌのおさを描いた『夷酋列像」の肖像画数は総数一一一点で決して一三点ではない(広瀬アナがそうナレーションしていた)し、メナシクルを「北海道の東を中心に本拠をおく東の衆」、シュムクルを同様に「北海道の西を中心に本拠をおく西の衆」との説明もいささか適切さを欠いている。のっけからこのような次第であ
る。ところで放送開始後、一七分二○秒ころから山本氏は以下のようにコメントしている(ヴィデオ・テープによる)。①寛政元年、飛騨屋久兵衛が経営する請負場所であるクナシリ島とメナシというところで、松前藩の上乗-1lこれは監督にあたる武士のことですがlかれらをふくむ七一人がアイヌに襲撃されて殺害されるという事件がありました。②直接の原因はアイヌの一首長が和人のふるまった酒によって死去したことです。これは毒殺によるものと考えられたのでした。しかし、このような襲撃の背景には和人の横暴やアイヌへの酷使がありました。③松前藩は二六○人あまりの鎮圧隊を派遣し根室のノッカマフまで出陣しました。直接武力によって討伐する
という方法はとらず、松前藩に味方する有力首長を通
じて蜂起したアイヌを投降させるという方法をとりました。④蜂起したアイヌたちは呼びかけに応じて投降します が、松前軍の前に引き出され、三七人の和人殺害者が
現地で斬罪に処せられました。①は開始後おおむね一七分三○秒くらい、②はおなじく一 八分○○秒くらい、③は一八分○五秒くらい、④は一八分
三○秒くらいの経過時間を示している。山本氏のコメントそれ自体は格別どうということはない。それよりも、かれのそのコメントに重ねられたアイヌ 絵の使い方が問題なのある。①のところで図2が、②のと ころで図2と図3が、そして④のところには図4が重ねら
れている。どうだろうか。あたかもアイヌの戦闘場面であるがごと
き印象を受けませんか。図2は刀を振り上げて攻め入っているかのようなアイヌの一群であり、図3は海上から舟で攻め寄せるアイヌ軍、 図4では家が焼かれてほのほが舞っている。図6は図3と 図2はまたシャクシャインの蜂起でも利用されている。 これをみた、何も知らない高校生や一般の視聴者は当然
あるアイヌ絵の解釈(佐々木) 2意図的に?損じ曲げられたアイヌ絵
ここで使われたアイヌ絵は函館図書館所蔵の『蝦夷島奇 観』からの引用である。『蝦夷島奇観』は周知のように寛 政一二年に秦樟麿が著した、アイヌ民族誌の白眉で、写本 も数多く作られている。函館図書館本の『蝦夷島奇観』は 善本というわけではないが、その所蔵先の性格上、よく利 用されている著名な存在である。だから山本氏なりNHK なりがこの本を利用したことはまあ当然であろう。 そして利用するからには、その絵が、アイヌ文化のなか のいかなる部分を描いたものであるかは当然知っているは ずであろう(と、誰しもが思う)。知っていて、本来と別 の使い方をするのは、「嘘」であり「欺臓」である。歴史 研究者ならば、歴史事実を損じ曲げる行為であり、これを 「狸造」といって学問に対する大きな犯罪となる。
のようにアイヌの戦争の様子を想起するだろう。実際、某大学のわたくしの授業でこのヴィデオテープを学生にみせ たところ、一様にアイヌの戦争場面であるという印象を抱 いたのである。かれらは、わたくしのアイヌ文化に関する 授業を受けていてアイヌ文化に対する理解度がよその学生
よりも高いのにもかかわらず……。八
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ところで、図2,3である。これは「蝦夷島奇観」の「礼部」からとったもので「ニョヱン」もしくは「ケヱホムシウ」の表題がつけられている。東京国立博物館本から、その部分を読んでみよう。是ハ酋長等遠境へいたり、海陸共にかへりたる時行ふ事なり、先、沖に帰舟見ゆれハ其所の者共、老若男女、如図、太刀、棒、鑓の類ひ抜連ノー、女はヘウタギ〈時の声の如く、ホーイノーとあわれに幽に呼る〉をあけ、男夷ハかけ声ホッホッと罵り、渚をあなた此方へ、ちとりかけにあるき、舟の方へ勢ひ盛に進ミける、舟よりも是を見れは、太刀、鑓、抜きはなし、かけ声はけしく舟を進め、又ハ舟を一一三度漕廻せハ、陸のものもくるりノーめくりて、凡、壱弐丁引退て、其間に舟を渚にっなき、ミなノー、太刀ふりかざし進ミ行く、向よりもたんノー来り合て、釦、戈、棒等打合せ、時の声を場て左右へさっと別る、其中に従僕共席を設置、各、坐につきて礼、如式なし、互の安全を語れり、つまり、これは遠くに行っていたおさたちが無事帰還したことを祝う宗教儀礼であり、太刀などは悪霊を打ち払うために用いるのである。ちなみにアイヌの太刀は武器として 法政史学第五十八号
の実用性を持っていない(刀身が真鐡であったり、目釘がなかったり)。表題のニョヱンは已乏のロくいがむ、威嚇する〉のことであり、図のような行進を已三のご呂百の〈強歩〉といい、凶事のときにおこなう儀礼である。また、ケヱホムスウは昊のョ9.日口のロ〈事挙げ〉また〈戦陣諏呪〉というふうに訳されるが、火事や災厄があった時に村人や隣人が集まっておこなう儀式で、手に手に太刀を抜いて(女性は棒など)、祈りことばを高く唱えて悪霊を退散させる行為のことである。これのどこに戦闘行為があろうか。図4は燃えている家である。が、これも戦争とは関係がない。やはり『蝦夷島奇観』「礼部」からの引用である。東京国立博物館本では、葬事終りて皆々家に帰り、諸雑器何くれとなく外に取出し、何れに住へくのあてもなく家に火をつけて焼捨ぬ、家婦又は兄弟の死たる時は、葬祭の式主人の如し、家を焼事なく…:.とある。いわゆる9mの○日四三の〈家送り〉の儀礼である。秦樟麿は家の主人が死んだときに家を焼き捨てるとしているが、これは別に、主婦が死んだときにあの世で家がなければ困るので、あの世に持たせてやるのだという伝えもある。いずれにしても戦闘行為とはまったくかかわりのない
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図'2
ラケェウェホムス
あるアイヌ絵の解釈(佐々木)
図'3
ウケェウェホムス
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図4
チセ オマンテ
にせよ、「日本史」の別行為には違いない。 絵である。ここまで述べて、お判りいただけよう。山本氏は「クナシリ・メナシの蜂起」の説明をなさっていたのである。それにこのような絵をオーヴァーラップさせるとどうなるか。山本氏はその視覚的な効果を知っていたはずである。これは明らかに秦楕麿が意図していたことを大きく柾げる行為である。旧石器の提造と等しい行為である。考古学の世界では裡造者はすでに学問的な生命を絶たれている。日本史の世界ではかかる行為は許容されるのだろうか。しかも「史料」を編纂するという立場にある人である。この人の「史料」をみる目は大丈夫なのだろうかという素朴な疑問すら生じる。それともアイヌにかかわることだから多少の嘘はいってもいいと考えられたか。あるいは日本史の研究者はだれもアイヌの事など知らないのだから何をやっても構わないとでも思われたか。日本史研究者のアイヌ史にかかわる意識なんて所詮こんな程度であって、加えて「和人の横暴やアイヌへの酷使がありました」などとステロタイプ的な発言をしておきさえすれば免罪符にでもなると考えていたのだろうか。いずれにせよ、「日本史」の、アイヌの人びとに対する大きな差 法政史学第五十八号
以上、二例のアイヌ絵の使い方についてみてきた。いずれも日本史研究者がアイヌ絵を用いての発言である。絵の解釈はもちろん自由である。どのように見ようとそれは見るものの勝手ではある。しかし、それは美術作品として鑑賞するときの話であって、絵画を史料とする(あるいは絵画を読む)ときのことではない。後者について、とくに描かれた対象が異文化びとの場合は最低限の文化理解なくしては到底なしえない行為であると考える。山本氏の場合は論文ではない。だからいくらでも理由をつけて保身することは可能だろう。しかし、かかえている問題は大きい。アイヌの人びとの歴史が「日本史」の対象であろうとなかろうとかれらは紛れもない「日本人」なのだということをわすれてはならない。 「お前さんの使ったのはヴィデオテープだから引用するのには史料的確実性に欠ける」ということにはなるまい。今後、音声・映像を「史料」として利用する頻度は確実に増加するはずである。もはや、いいっぱなしは通用しないのである。
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