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<著書紹介>『琉球与那国方言の研究』

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<著書紹介>『琉球与那国方言の研究』

著者 野原 三義

出版者 法政大学沖縄文化研究所

雑誌名 琉球の方言

巻 18‑19

ページ 57‑59

発行年 1995‑02‑24

URL http://hdl.handle.net/10114/12001

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<著書紹介>

「琉球与那国方言の研究』

野原三義

平山輝男先生との共著である。中本ざんは国語学会の機関誌『國語學』41輯(1960年)に

「沖縄南部の一・二音節語のアクセント」を書いている。しかし、著書はとなると、これが 最初である。1964年、28歳のときであった。共著の平山先生は樺太までも調査きれたという 方で、その方と一緒に62年の9月から12月までの100日余の朝から晩までの調査を行ったの である。当時は交通の便も悪く、与那国に21日間とじこめられたというが、これ幸いと、

いっそう調査したというのである。方言クラブの早創期に松川塾(仲宗根政善先生のお宅)

で朝昼晩ぶつとうしで勉強したという話を聞いたことがあるが、それが100日続いたわけで ある。学問の未知なるところの解明のために、師弟あいたずきえて、方言の沃野を猛然と 突っ走っているというところであろうか。

本書は総論、音韻、アクセント、文法、語彙の5編からなっている。題は与那国とあるが、

著者たちには、この調査以前の長年の蓄積があったから、ほとんど全琉球的な比較がなされ ている。アトランダムに幾つかあげてみる。

琉球方言の母音は、たいてい5母音であるが、与那国方言は、変化してしまってi、a、

uの3母音である。音素iは「東京方言のiやeに近い広苫をもって発音きれる」が示差的 でない。音素uは「東京方言のuやoに近い広さをもって発音きれる」が示差的でないとい う。感情的になると、このi、uは、さらに別の音声まで観察きれるというが、やはり弁別 的でないという。このような現象は、壮年層で顕著であるが、青少年層では、変わってきて いるという。今から30年前に、年齢層による言語を観察して、その差異を認めていたのであ る。1959年の柴田論文の5母音節に対して、明瞭に否定している。

琉球方言で珍しい所謂ガ行鼻濁音があり、アカ゜ルン(上がる)、マーカ。(孫)のように 語中、語尾で用いられる。語頭にたたないという点、昔の東京方言に似ているわけである。

有名なj→dの対応である。。a:(家)、dama(山)、du:(湯)、duru(夜)などと多く の例があがっているが、そうならない例としてuja(親)、maju(眉)、maju(猫)、ujubi

(指)などの例もあがっている。だいたい、語頭のjはdになるが、語中・語尾はjのまま であって、dにならない、即ち、音素の環境の相違によって起こったものだというのである。

そして、この。になることについて、非常に古い日本語の現象を残しているという考えがあ るが、「今一度検討してみる必要がある」と慎重な態度である。与那国もそうであるが、南 琉球で一般的なw→bの現象について、「これまでいわれているように、古形と考える」と

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Hosei University Repository

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している。

文法の活用形のところに(系統とヤ系統の二種類の条件形が設けられている。前者はカキ ワドゥナイル(書かねばならない)という場合のカキワで、ワは(の変化したものという。

カキバなどの縮まったものとした従来の考えを訂正している。後者はカケーマシヤテー ン(書けばよかった)という場合のカケーで、カキにヤが融合してできた形という。与那国 方言の「書く」の終止形カグンは、宮古・八重山・沖縄の類似形の場合も同様、連用形十ヲ リからなっているという。しかし、これは66年に「連用形+居るもの」説に変化していくこ とになる。沖縄方言は融合現象がよく発達しているが、与那国はカテイャン(書いた)のよ うな形くらいで、石垣のカケーン(書いてある)、カキン(書いている)、カコールン(お書 きになる)のようにも発達せず、その点、宮古の方言に似ているという。

カヌダマヤタガン(あの山は高い)のように、(高い)は夕ガンという。サアリ系統 のサの脱落した形に由来している。(高くない)をタガミヌンというが、これは語幹タガに 打ち消しのミヌンが付いた形という。言い切りにあたる形にアガンタイ(赤い)、フルチチ

(黒い)、ヒチタテイ(薄い)、ツダーリ(白い)など、形容詞に付くタイ、チチ、タテイ、

ダーリの形は、琉球方言でも珍しい形という。

打ち消しの助動詞ヌンは、文語の「ぬ」に相当し、ヌン、ヌ、ヌルなどと活用する。竹富 町の黒島、古見などにも、それらしい形があり、琉球方言でも珍しい形だという。沖縄方言 のカカン(書かない)のンも、文語の「ぬ」にそのまま当たるのではなく、連用形の二にヲ リが付いたヌンが変化したものという。いつぽう「ず」系統の打ち消しは、琉球ではあまり 見られないという。宮古の(書かない)はカカジャーンというが、これはカカディ(書こ

う)+アラン(違う)に由来する形といっている。

文法の最終は助詞の項である。筆者は1964年に本書を著者割引きで購入したと思うが、真 面目に利用したのは、4~5年たってからであろう。それでもこの部分は、赤線やら書き込 みやら汚れが目立つところである。冒頭に、助詞研究は、琉球方言研究でもっとも進んでい ないところだと指摘きれている。与那国方言の54の助詞について記述が行われており、6章 の助詞文例は、おもに南琉球の20数カ所の比較がみえるように書かれている。もっとも恩恵 を受けたところである。方向の助詞の狩俣のイは、カイ系統の変化だと既に述べられている。

造詣の深い先生が「へ」に関係があるのではないかと匂わす発言があったり、『おもろさう し』に「ゑ」があったりするものだから、筆者は、いくらか逵巡していたが、分布などから 見てカイ系統だと思ったのである。しかし、よくよく読んだ本書に、明瞭に書いてあったの である。不勉強のせいなのか、年月のせいなのか、なんだかよく分からない。筆者にとって は、そこが出発点だったのだから、下敷きには、ちゃんとある訳です。しかし、同じムン チュー(門中)みたいなものだからイーデスヨネ。

1964年の『琉球与那国方言の研究』は、66年の『琉球方言の総合的研究』、67年の『琉球

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先島方言の総合的研究』と共に、同じ方法で、琉球方言圏を傭脈していくことになる。中本 さんは常にエネルギッシュであったが、この三部作の頃は、歳あたかも三十というあたりで、

若さに満ち満ちていた。将来、方言地理学や言語波及論へと発展していくが、彼の人生で、

もっとも基礎的な部分は、この頃、きずかれたのであろう。なかんづく『琉球与那国方言の 研究』は、出発点といって間違いない。(沖縄国際大学教授)

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