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三 つの戦争 を再考 する 一 湾岸 ・アフガン ・イラク戦争 と日本 一

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三 つの戦争 を再考 する

一 湾岸 ・アフガン ・イラク戦争 と日本 一

右 横 勝

研究論文

目 次 は じめに

序 章 三つの戦争 の 「事の発端」を も う一度振 り返 る

第1章 三つの戦争 を引 き起 こ した挑戦の本質 を考 える‑ク ウェー ト侵攻 と 9.11は全 く違 う

1‑1 ク ウェー ト侵攻‑19世紀 の残洋 の20世紀の秩序‑の挑戦 1‑2 9.ll‑21世紀産物 の20世紀秩序‑の挑戦

第 2章 三つの戦争 を引き起 こ した く挑戦 >に対す る<対応 の本質 >につい て考 える

<9.11テ ロに対 しては米 国 と国連 の亀裂が生まれ る>

<9.11テ ロに対す る対応 >アフガ ン戦争 の場合

<9.11テ ロに対す る対応 >イ ラク戦争 の場合

<国連 と三つの戦争 の関係 >

第3章 日本 の対応

<湾岸戦争 と日本 >

<アフガン ・イ ラク戦争 と日本 >

<三つの戦争 ・・・日本 と国連 >

第 4章 三つの戦争 と 9条 あ とが き

127

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国際経営フォーラムNo.19

は じめに

イ ラク戦争 か ら5年 、ア フガ ン戦争 か ら7年 、いわ ゆる 「テ ロとの戦いは 依 然 と して 困難 を極 めてい る ア フガ ンでの多 国籍 軍死者 数 はす で には500名 を越 え、撤 退 を決 断 した参加 国 もあ る。 イ ラ クで も有志 連合 国側 の死者数 は 4,300名 を越 え、一般 市民 を含 めたイ ラ ク側 の死者 数 はす で に10万人 を突破 し てい る とい う。托 1 ア フガ ン戦争 もイ ラク戦 争 も、い うまで もな くあの9.11世 界 貿易セ ンター ビル‑ の神風特攻攻撃 に よって引 き起 こされ たわ けだが、その無 差別 テ ロでの死者 数 は3,000人弱 であった。 「報復 」 と してのア フガ ン ・イ ラク 戦争 は死者数だけをみて も、す でに完全 にバ ランスを欠いた ものになってい る。

しか しこの 二つ の戦争 にお け るよ り深刻 な問題 は犠牲者 の数以上 に、テ ロ と の戦争 を決行 した側 の、す なわ ちア メ リカの 自ら掲 げた大義名 分 ・正 当性 が確 実 に深 々 と失われつつ あ る とい うことであ る。

なん ら好転 しない戦争の現 実の前 で、開戦以 来盛 ん に論 じられ た、 この <テ ロ との戦争 の意 味 >を問 う言説 も無力感 に覆 われ てい る 残念 なが ら、ア フガ ン ・イ ラク情勢 同様 に、この戦争の意味を問い直す作業 もまた、ブ レー クスルー の見 えない混沌 に吸引 され い るよ うであ る。

こ うした 中でア メ リカ大統領 予備 選挙 が進行 中で あ るが、2008年5月時点で の有力候補3名 の 「テ ロ との戦 い」、特 にイ ラク戦争 に対す るス タンスの違 い は際 立 ってい る 「テ ロ との戦 い」 に対す るス タンスの違 いがそ の まま3名 の 候補者 に具現 され てい る とい う意 味 では、や は りこの9.11が与 えた影響 が か に大 きい ものであ るか を物語 ってい る とい えよ う

共和党の指名 を獲得 した ジ ョン ・マ ケイ ンは終始一貫イ ラク開戦 、兵力増強 に賛成 し、徹底 的 に <ブ ッシュの戦争 >を支持 して きた。 いわ ゆるネオ コン ・ グループの強 い影響力 の もとに開始 され た <ブ ッシュの戦 争 >で、その肝 心か なめのネオ コン ・グループが見る影 もな く影響力を減退 させ 、取 り残 され たブ ッ シュ も孤立の色 を濃 くす るが、 <プ レない >マ ケイ ンは タカ派勢力 の代表者 と して秋 の大統領選挙 でア メ リカ国民の心 を捉 えるか も しれ ない。

民主党では指名候 補者 ヒラ リー ・ク リン トンはイ ラク開戦 に際 して、他 の多 数 の議員 同様 、大統領 の開戦演説 にス タンデ ング ・オベ ー シ ョンを何 回 とな く

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研究論文●三つの戦争を再考する 送 った。現在 は もちろんイ ラク撤退 を主張 してい るが,変節 といわれ て も仕方 がない。 もう一方の民主党候補者オバマは開戦反対の立場 を当初か ら堅持 して いた ことが大 きな政治的資産 として機能 してい る。マケイ ン とは逆 な立場で<

プ レない >オバマである。

イ ラク戦争 に関 しては、マケイ ン (一貫 して賛成) ク リン トン (揺れ 動 き) オバマ 仁一貫 して反対) と締麗 に横 に分かれ て並んでい る とい う わけである。

もちろんオバマ とてイ ラクか らのい きな りの撤退 を主張で きるはず もな く、

ま してや ア フガンについては、必要な らば よ り強硬 な軍事的選択 もあ りうる と 明言 してい るのであるか ら、だれ が選 ばれ よ うと、一気 に戦争が終結す る とい うことではない。 しか し9.11か ら7年 、 さすがに米国民の間では深 く静 かに、

つつ ある。

では 日本では ど うであろ うか ?じつは 日本 の問題 は、継続 中の両戦争 に どの よ うに関わ るか とい うことを越 えて もっ と根本的な問題 、即 ち戦後の 日本 の国 是、 日本 の平和主義 を ど うす るのか とい う問題 である。憲法 に体現 され る平和 主義あるいは戦後民主主義のエ トスに支え られてきた、いわゆる 「戦後 レジュー ム」が遡上 にのせ られ てい る。安倍 首相 の突然の政権放棄 とその後継者 である 福 田首相 の どち らか とい えば<ハ ト派 >的なスタンスによって、 この 「戦後 レ ジュームか らの脱却」問題 は今、影 をひそめてい る。 しか し大 きな底流 として は、 こ うした 「戦後民主主義あるいは 「平和憲法」に対す る挑戦 は、深 く確 実に進行 してい る。 そ うした人 きな流れ は明 らかに ここで扱 う三つの戦争 と密 接 に リンク してい る。

本稿 で扱 うテーマは湾岸 ・ア フガ ン ・イ ラクの三つの戦争 であるが、 ここで 試 み よ うとす ることはそれぞれ の戦争 について単 に歴 史的に振 り返 る とい うこ とではもちろんない。 この三つの戦争の<本質的な>意味はいかなるものであっ たのか ?特 に我 が国の平和主義 あるいは憲法 9条 との関係 で、 この三つの戦争 それぞれ は かな るものであるのか ?さらには突 きつ け られつつ ある戦後 日本 の総決算 とい う問題 とこの 三つの戦争 に対す る我 々の洞察 と対応の関係 である。

重ねて述べ るが、 この <三つの戦争 を ど う考 えるか >とい う問題 は、<我 々の

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国際経 営フォーラムNn.19

戦後 >を ど う総括 し、今後のスタンスを ど う<再構築 >す るか とい う問題 とそ のまま重なってい るのである。

そ うした ことを大 き く傭撤す るために、以下の図1か ら図5は生まれ た。 こ れ らの図に従 って、その要点急所 を説 明、詳述す るこ とで、 この三つの戦争 の

<本質 >と日本 に突 きつ け られ てい る選択 の <意味 >を論 じてみたい。

図 1 三つの戦争を再考する

@ @

2 1 C 産 物帝

州浜20C秩序

上記、図1は三つの戦争について、その 事の発端

2 1 C 産 物

20C国家

2 1 C 産 物

20C秩序

事の発端の匝 司 (本質)、

それ に対す る国際社会 の

につ いて概観 した ものであ る 本稿 の中で提示 す る図2か ら図5は上記 、図1を さらに詳述す るために作 られ てい る。即 ち上 記、図1は後 に続 く図2 ・3 ・4 ・5の基礎 となるものであ り、それぞれの図 は相 互に部分的に重複 してい る。 なお、上記 、図1について以下2点だけ補足

してお く

① 国 で示 されてい る左方向矢印の太 さ (幅) については意 味がある。太い 幅はそれ が中心的 に行 われ た、あるいは行われてい ることを意味 し、細い幅 は付随的に行 なわれてい ることを示 してい る。例 えばイ ラク戦争の 匝

6

]で

は、 19C亡霊 が20C国家 に反撃 してい るが (太幅)、本 来の21C産物‑の対応 が 完全 にお ろそかになってい る(細幅)のである。

(5)

研究論文●三つの戦争を再考する

②21C産物はすべてサー クル線 で囲んである。 い うまで もな く、 これ こそが我 々 が対応 しなけれ ばな らない本丸の ものである とい うことである。

序章 三つの戦争の 「事の発端」をもう一度振 り返る

2

0世紀 は戦争 の世紀 であったが、汀 2 冷戦 の終結 は、戦争 とは無縁 な時代 を経 験す るのではないか との期待 を我 々に抱かせ た。 しか しその期待 はす ぐに裏切 られ ることにな る。冷戦構造の<イデオ ロギーの重 し>が取れ た中で、いわゆ る<代理戦争 >に代 わ る新 たな紛争 ・戦争 が勃発す る 『新 しい 中世』注3 が始 まる とい う田中明彦の議論や 『文明の衝 突』1+4に我 々は突入す ることになる と い うハ ンチ ン トンの予見 も一定の説得力 を持つ現実が展開 され ることになる。

ここで扱お うとす る三つの戦争 はそ うした時代状況の中で生 まれ た。

1991年末、 ソ連が完全 に解体 され る約一年前、1990年8月米 ソ冷戦構造が存 続 しえない こ とが明確 にな りつつ ある中で、戦車350両、兵 士10万に よるイ ラ ク軍の クエ‑ ト侵攻 はかな り唐突 な形 で行 われ た。最大の原 因 ・理 由は石油で あ り国境線 の問題 である。 1938年 にクエ‑ ト領 内で大油 田が発 見 されて以来両 国の間には常に緊張が続 いていた とい うが、 もともとは中東の国境線 は1920年 代 にフランス とイ ギ リスが分割 して作 った ものであ る。遠 因 をた どれ ば、従 っ

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国際経営フォーラムNo.19

て、その英仏 に よる植 民地支配 、そ の後 の 旧宗 主国の都合 に よる人 工的 な国境 線 引 きが あ るわ けで あ る。 しか し領有権 の争 いが あ った とはい え、イ ラ クの侵 攻 はいか に も突然 で あ った汀 r'

侵 攻 か ら約5カ 月をか けたイ ラ クの クエ‑ トか らの撤 退 交渉 、撤 退圧 力 は功 を奏せず 、 クエ‑ トがイ ラクの第19番 目の州 にな る こ とを容認 で きない米 国 を は じめ とす る各国 は国連 決議 の も とに多 国籍 軍 を派遣す る。 そ して91年1月17

日いわ ゆ る湾岸戦 争が開始 され る。 これ が湾岸 戦争 の発端 で あ る。

一 万、2001年9月11日、ニ ュー ヨー ク世 界貿 易セ ンター ビル ‑ の無 差別 テ ロ 攻 撃 、この衝 撃 的 な事件 こそ がア フガ ン ・イ ラク戦 争 の直接 の原 因 で あ る。 湾 岸 戦 争 とは直接 関わ り合 い が ない。 われ われ は 中東地域 で連続 して起 きてい る 戦争 とい う漠 然 と したイ メー ジの 中で この 三つ の戦争 を見 て しま うが、湾岸 戦 争 と、現在進行 中のア フガ ン ・イ ラク戦 争 はは っき りとそ の <事 の発端 >か ら

して、峻別 してお いた ほ うが よい。 そ うしない とア フガ ン戦 争 ・イ ラク戦 争 を 引 き起 こ した く挑 戦 の本質 >を見誤 る こ とにな る。 実際、 ア フガ ンで の、 そ し てイ ラクでの米 国 あ るい は国際社会 の苦戦 は、それ 、す なわ ち 「そ もそ も論

をキ ッチ リや らなか った こ とか ら来 てい るのだ と私 は思 う。 特 に 日本 の対応 を 論 じる際 に この こ とは決 定的 に 重要 で あ る。 従 って本稿 で は まず 、そ の <そ も そ も論 >即 ち <挑 戦 の本 質 >を扱 い (第1章)、 次 にそ の挑 戦 に対 して どの様 な対応 を したの か につ いて考察 し (第 2章)、続 く第 3章 、第 4章 で 日本 の 問 題 を論ず る こ とにす る。 それ で はまず この 三つ の戦争 を引 き起 こ した く挑 戦 の 本 質 >を考 えてみ る。

第 l章 三つの戦争 を引 き起 こ した挑戦 の本質 を考 える ‑クエー ト侵 攻 と9.11は全 く違 う

結論 か らい えば湾岸 戦争 の契機 で あ るイ ラクの クエ‑ ト侵 攻 は<19世紀 的世 界 の残梓 に よる20世紀的 世界秩序 ‑ の殴 り込 み >で あ った。 一 方 ア フガ ン ・イ ラ ク戦争 を引 き起 こ した9.11は<21世 紀 的産物 の20世紀 的世界秩序 ‑ の挑 戦 >

で あ る。 この こ とをは っ き り認識 しない と、つ ま り事 の発端 の性 質 を深 く考 え

(7)

研 究論文●二つの戦争を再考する 抜かない と対処 の仕 方を間違 えることにな る。 実際9.11以降の国際社会 、特 に 米国の この問題 に対す る対応 の失敗 の歴 史は、その ことを示 してい る と私 は思

うし、湾岸戦争以降続 く日本 の右往左往ぶ りもそ こに起因 してい る。

それ ではクエ‑ ト侵攻 とはなんであったのか ?また9.11とはなんであったの か ?以下の図3を説 明す る形 で論 じてみ よ う。

3

事の発端二つの争発端の事の本質

19世紀的残梓 20世紀的秩 序‑の挑 戦

21tt摘己的産物の201咽 己

秩序への挑戦

1‑1 クエー ト侵攻

‑19

世紀残淳の

20

世紀秩序への挑戦

イ ラクのクエ‑ ト侵攻 は不法者サ ダム ・フセイ ンによる20世紀の世界秩序 に 対す る挑戦 であった。 もちろん この20世紀世界秩序 は旧宗主国が多分 に 自分た ちに都合の よい、す なわち 自分たちの既得権益 をで きる限 り長 く温存す ること を念頭 において作 られ た秩序であった。確 かに この20世紀世界秩序 は近代化の 産物 としての植 民地主義 を現代 に温存す るための もので もあった。 しか し同時 に20世紀世界秩序はい くつかの常識 、あるいは約束 ごとを定着 させ るに至 って

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国際経営フォーラムNo.19

い る。托 6 過去の 自らのあか らさまな侵略戦争 の歴 史に 目をつぶ る形 であった と して も欧米先進 国主導の こ うした国際秩序形成 は第二次大戦後飛躍的 に進化発 展 し、や は り、いかな る国 とい え どもあか らさまな領 土獲得 のための侵略戦争 は道義的 に も国際法的 に も到底不可能 になった といえる。 これ が20世紀 中盤以 降の大 きな構 図である。

実際、第二次大戦後 の戦争 あるいは軍事介入 は、周到 にイデオ ロギー的な正 統化 、あるいは相互防衛条約 の鎧 をま と う形で しか成 し遂 げ られ なか った。一 方の 当事者か らそれ がいかに侵略 とみ られた として も、侵略す る側 は様 々な大 義名 分 を国際社会 に向かって提示 し、また実際それ を形成す るための多大 な仕 掛 け作 りに尽力 して きたのである。多 くの場合 は侃偏政権樹立、あるいは一部 の国内当事者 の側 か らの外 国軍の軍事進攻‑の<要請 > とい うプ ロセ スを踏 ん で、それ はな されてきた。朝鮮戦争 しか り、ベ トナム戦争 しか り、その後の様 々 な軍事介入然 りである。

今 回の このケース、 クエ‑ ト侵攻 はその点で20世紀 中盤以降の 世界の <流儀

>を全 く踏 まえない ものであった。説得力 を欠いた ものであった。それ はいわ ば<19世紀的発想 の国家 >がい きな り<20世紀の国際秩序 >に警告 な しで攻 め 入 った といわれて もしょ うがないほ ど稚拙 であ り、強引であ り、あか らさまな ものであった。 中東各国のほ とん どだれ一人 として クエ‑ ト侵攻 の正 当性 を認 めなかったのは、彼 ら中東諸国 もまた<20世紀国際秩序 >を、渋 々なが らであっ て も一応 は認 めてい る証 しで もある。第三世界 も含め、19世紀型帝国主義の時 代 に歴 史 を逆回転 させ ることを望んでい る国家 はほぼ皆無であったのである。

サ ダム ・フセイ ンは この点 を完全 に読み誤 っていた。英仏が勝手に植 民地化 し、の ちに独 立を与 える過程 で勝手 に国境線 を引 た経緯 を踏 まえ、多 くの中 東諸国民 もクエ‑ ト併合 をそ うした欧米秩序‑の挑戦 とみな し、拍手 を送 るの ではないか と、拍手 とまではいかな くとも追認す るのではないか と甘 くみてい たのである。20世紀の世界秩序 は しか しなが らフセイ ンの読み とは違 い、 じつ は もっ と深 く広 く定着 していた とい うべ きであろ う。湾岸戦争翌 日の毎 日新聞 社説 は次の よ うに述べ るが、 こ うした見方は 日本 だけでな く、かな り広 く世界 に共有 され ていたのであろ う。

(9)

研究論文●三つの戦争を再考する

「湾岸戦争 の発端 は言 うまで もな くイ ラクによるクエ‑ ト侵攻 、それ に続 く併合 だ った。 国際的 に認知 されてい る主権国家 を、軍事力で侵略 しイ ラクの19番 目の 州 に しよ うな どとい う行 為は、明 白な国際法違反 であるo歴 史的な経緯 とか、イ ラク ・クエ‑ ト間に領 土に関す る係争問題 があったにせ よ、正 当化 され得 る行為 ではないない 。 ・ (人質作戦や 「人間の盾 」作戦 は)1947年 に結 ばれイ ラク 自身その締約 国で もある<文民保護 に関す るジュネーブ条約 >に違反 したのであ り、その後人質全員 を解放 したか らとい って、 この非人道的行為の責任 を逃れ る 事 はで きない」7‑7

っ ま りフセイ ンに よるクエ‑ ト侵略は中東諸 国民 を も敵 に回す ことになる。

それ は 世界が よ うや く辿 り着いた20世紀の最低 の 了解事項 を土足で踏み に じる 本質 を持 った行為 であったか らである。 いわば<19世紀的帝国主義 の残揮 (サ ダム ・フセイ ン)>が<20世紀国際秩序 >を、い きな り破壊す るものであった のである

1‑2 9.ll‑21

世紀産物 の

20

世紀秩序への挑戦

クエ‑ ト侵攻 とい う挑戦が<19世紀型 の弱 肉強食的発想 >の もとでの、領 土 獲得 を意図 した、<20世紀の世界秩序 >‑の、あか らさまなあの地域 にお ける 帝国主義的挑戦 であった とすれ ば、2001年9月11日の挑戦 は逆 に未 来か らの、

っ ま り<21世紀 >か らの<20世紀世界秩序‑の挑戦 >であった。

ァル カイー ダ一味 に よる と思 われ るその挑戦 は様 々な意味で<21世紀 >を象 徴 してい る。

い うまで もな く、狙 われ たのは20世紀 の国際経済 の最 中心ポイ ン トであ り、

20世紀の栄華 と退廃が凝縮す るニュー ヨー クのそのまた中心の世界貿易セ ンター ビルであった。事件直後か ら繰 り返 し論 じられ たが,直接 のターゲ ッ トが世 界 貿易セ ンター ビルであった ことはそれ 自体が きわめて象徴的に この挑戦の本質 を雄弁 に語 ってい る。資本 主義の総本 山。世俗 主義の中心点。数 々の罪 を犯 し なが らいまだ生 きなが らえる西洋近代の フロン トランナーo挑戦はそ こに向け

られた。

(10)

国際経営フォーラムN().19

挑戦 した側 が‑イテ ク満載 のはず の航 空機 でそれ を行 った こ とや 、容疑者 の 多 くが高学歴 で且つ コスモ ポ リタンの生活 ス タイル を保持 していた こ とも興味 深 い こ とで あ る。彼 らは

2 0

世紀 に <取 り残 され た人 々 > とい うよ りは

2 0

世紀 か らス ピンア ウ トした

<2 0

世紀 の鬼 っ子 >なのであ り、<未 来の子 >なのである。

無知蒙昧で あ るが故 に無謀 な挑戦 を したのではな く、彼 らは世界 を見ていた。

自分 た ちの出 自と世界 の現実のダブルバ イ ン ドの中でアイデ ンティティを探 し求 めていたに違 いない。 オー ムに参加 した若者 た ち となん と多 くの共通項 があ る ことか。 もちろん彼 らは グローバ リゼー シ ョンの 申 し子であ った。彼 らの多 く はア フガ ンやパ キスタンで軍事訓練 を受 け る一 方、やすやす と西欧 の生活 に一 市民 と して適応 し、並 の国際人 ではかなわない国際性 を持 つ若者 で もあったの であ る。

世界貿易セ ンター ビル が攻撃 され た とき筆者 は じつは航 空機 の 中にいた。 と い って も成 田か らロン ドンに向か う航 空機 の 中で あ るが。 ロン ドンのホテル ・ ロビー で宿泊客 、地元英 国人 と一緒 に人 画面のその衝撃的 な映像 を視 なが ら私 は何 を考 えたか。 二つで ある。 まず は第一 に 「つい に来たか」 とい う感慨 であ り、そ して第二 に

「 21

世紀 の新 しい脅威 に対峠 した時の

2 0

世紀最強 の軍事強国 米 国の脆 さ」 で ある。 この事態 に対 して米 国が どの よ うに反撃す るのかについ てす ぐに心配 にな った よ うな記憶 もあ る。 「これ は軍事的報復 では解決 しない 厄介 な問題 にな るのではないか」 とい うよ うな漠然 と した思 い を抱いた よ うな 気 がす る。

「 21

世紀 の新 しい想 像 力が必要 な時が来 た」 とい った よ うな こ とを 考 えたのではないだ ろ うか。 次の 口か ら4日間にわた って ロン ドン大学 で行 わ れ ていた シンポ ジ ウム 「文明間の対話」 それ に出席す るために ロン ドン に来 た の だ が の間 中、 私 は相 当激 しく苛 立 ってい た

。9. 1 1

を受 けて の

「新 しい想像 力」 ではな く

2 0

世紀 のアカデ ミックジャー ゴンで議論 が進 んだか らで ある。

9. 1

1は、 「国家防衛 のた めの

2 0

世紀最強の軍事力」が、

「 21

世紀 か らの挑戦者」

に よって、 い とも簡 単 に突破 され る新 しい時代 の幕 開 けで あ ったの で あ る

「国家 の枠組 み」 を、やすや す と

9. 1

1の実行犯 た ちは越 え、 史上最 強 の国家 は その挑戦 を阻止 で きなか ったのであ る。

ア メ リカでは

9. 1

1の翌 日、す ぐに < リメンバ ー ・パールハーバー >の活字が

(11)

研 究論文●三つの戦争を再考する

新聞紙上に躍 ることにな る。 しか しパール‑‑バー は、 20世紀の ど真 ん中で、

日本 とい う国家が世界最強の国家 、アメ リカ合衆国に挑 んだ<国家 による国家 への挑戦 >であった。 ところが9.11は<国家 に よる国家‑の挑戦 >では全 くな かった。その本質的違 いを十分 に吟味す ることな しに過剰 に情緒的な反応 に終 始す る世界世論 、特 にア メ リカ世論 に大 きな危 うさをす でに ロン ドンで感 じて いたのだが私の この危快 はす ぐに現実の もの となる。いわゆる 「非対称の戦争」

は事の始 ま りか らそ こに準備 されていたのである。

2

章 三つの戦争 を引き起 こした<挑戦 >に対する<対応の本質 >

について考える

さてそれ では この二つの、それぞれその本質が全 く違 う、 20世紀秩序 に対す る挑戦 に対 して、そ0?挑戦 を受 けた側 は どの よ うに対応 したのであろ うか。特 に米 国 と国連 の対応 である。

<クエ‑ ト侵略 に対 しては米国 と国連 は一致 して反撃 した >

フセ イ ンに よるクエ‑ ト侵攻 に対 して国際社会 は‑‑一・致 して10万人のイ ラク軍 を撃退 し、原状回復 に戻す とい う対応 を行 った。 これ は当然であった

tL"

ここでイ ラクに よるクエ‑ ト占領 を既成事実化 させ て しまった場合 、その意 味は極 めて大 きな ものになっていたであろ う。 それ はせ っか く構築 して きた20 世紀 の国際秩序 の破壊 につなが りかねない程 の ものだったに違 いない。 国際法 に代表 され る最低の規範 も雲散霧 消 とい うことにな りかねない ものであった。

この事態 に対 して国連 が フル に機能 したのは決 して偶然 ではない。 なぜ な ら、

後述す るが国連 は20世紀の国際秩序その ものであるか らである。

フセイ ンに よるクエ‑ ト侵攻 に対す る対応 においては国際社会、特 に国連 と 米国 との間に大 きな帝離 はなかった。 国連 と米国の蜜月のケースであった とさ えい って良い。米国は国連 を活用 し、国連 もまた米 国に大 き く依存 した とい う のが大 きな流れであった。

(12)

国際経 営フォーラムNo.19

<9.11テ ロに対 しては米国 と国連 の亀裂が生 まれ る >

これ に対 して

9. 1

1の、つ ま り

<21

世紀か らの挑戦 >に対 しては国際社会、特 に米 国 と国連 は、はるかに複雑 な状況 に置かれ ることにな る。

言 うまで もな く国際政治 にお ける政策決定は利害得失で行 われ る し、 さらに

9. 1 1

の場合 、その攻撃 を受 けた 当事者 であるか否 か とい う、いわば 情念 の部分 も無視 で きない。 しか し同時に この挑戦の本質 を どの よ うに考 えるか、その理 解 の違い、あるいは<理解 の深 さの差 >によって もまたその後の対応 が異なっ て くる

。9. 1 1

に対す る対応 の米国 と国連 の関係 はその ことを表 してい る。 それ は ど うい う意味であったのか。 その意味 を考 えるためには、や は り

9. 1

1を受 け ての 二つの戦争、アフガン とイ ラクを区分 け して考 える必要がある。

<9.11に対する対応 > :アフガン戦争 の場合

9. 1

1を直接受 けた米国は <報復 >ムー ド一色 に染 ま る。 テ ロか ら

3

日後、米 国下院 は大統領 に武力行使 を認 める決議 を賛成

4 2 0

反対 1で可決す る。 大統領 支持率 も86%に急上昇す る。 これ を受 けてブ ッシュ大統領 は着 々 とビンラデ ン のホス ト国 となってい る とされ るアフガニス タン‑の攻撃 を準備す ることにな る

万9. 1 1

か ら

1 0

日後の

21

日、朝 日新 聞ニ ュー ヨー ク特派員 は、国連 の空気 を次の よ うに伝 えてい る。

「アナ ン事務総長が米の軍事行使 に新たな安保理決議 は必要ない との立場 を示 し、

紛争解決か らの一線 か ら身 を引いた姿勢は国家ではな くテ ロ集団 とい う、 これ ま で想定 しなかった対象 を扱 う際の国連の限界 を示 してい る ・・・国連 として も、

イ ラクとい う国家が他国を侵略 した湾岸危機 な らともか く、相手がテ ロ組織 とな ると、国 と国 との関係 を前提 とした国連憲章では、十分に対応 しきれないようだ

」 7 土 9

こ うしてアメ リカは国連 ではな くNATOを引 き入れ戦争 に踏み切 るわけだが、

この時点では少な くとも先進諸国の相 当な部分の コンセ ンサスを得ていた といっ て良い。 しか しNATO諸 国あ るいはNATO以外 の参戦 国 と米国 との間にはア フ ガン戦争 について ももちろん温度差がなかったわけではない。前述 した直接 の 当事者 か否かの問題 と、世 界観 、状況認識 の違いである。その ことはまた各国

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研 究論文● 三つの戦争を再考する のオ ピニオ ン リー ダーたちの言説 について も初 めか ら言 えた ことである。湾岸 戦争 に反対す る声は知識人か らもほ とん ど聞 こえなかったが、ア フガ ンについ ては意見は分かれ ていた。 このア フガン戦争 開始時の温度差は戦闘が長 引 くに つれて戦争参加 国の <亀裂 >として顕在化 して くる

その温度差 は何 に根 ざ していたのか。 それ は この9.11とい う驚惜すべ き挑戦 のその本質 についての見方の違いに根 ざ していた。図 3の中の 「発端 の事の本 質」で示 した よ うに9.11は<21世紀産物 の20世紀世界秩序 >‑の挑戦 であった のだが、そ してその ことは米国人 も含 めた多 くの人 々は一応 は理解 していたは ずであるが、 どこまでその ことの本質 を見据 えるか とい う点において大 きな温 度差があった とい うべ きであろ う

直接攻撃 を受 けた米国あるいは米 国人の頭 には直 ちに<報復 >とい う二文字 が浮かんだはずである‖10 <報復 >す るか らには明確 に<敵 >を確 定 しなけれ ばな らない。 <敵 >はく21世紀的産物 >としての、 ビンラデ ン率い るテ ロ集団 であったはず であるが、その姿は荘洋 として捉 え られ ない。 ここで苛立つ米国 としてはその ビンラデ ンを<客人 >として扱 って きたアフガニス タン とい う国 家 を攻撃す ることで ビンラデ ンを追い詰 め悟 りだす ことができる と考 え、<最 強の20世紀 国家の最強の軍事力 >で<最弱の20世紀 国家 アフガニスタン>に攻 撃 を開始す るのである。

21世紀の挑戦 に対す る20世紀型戦争 とい う自ら抱 えていたであろ う 「違和感」

に完全 に蓋 を閉 じ、その戦争 は遂行 され た。結果的にテ ロの首謀者 たちを捕 ま えることがで きれ ば、すべてが許 され るだ ろ うと多 くの人々は考 えたに違 いな い。

ア フガ ン国家 、あるいはアフガンの人々か らすれ ば 「何が何 だかわ らない」

ことが、あれ よあれ よ とい う間に進行 していた とい うことであろ う。 当時の新 聞記事 を改 めて一読す ると、 じつは タ リバ ン政権 の中枢 もこのギャ ップ‑‑21 世紀の挑戦に対 して20世紀型の戦争 が始 まる‑‑・の中で右往左往 してい る こと が改 めて よく見 えて くる。 アフガ ン中枢 にい る リー ダーたちも結局、最後の最 後 まで、アメ リカがア フガ ン とい う<国家 >を攻撃す る、その理 由が兄いだせ なか ったのではないか。 ア フガンの人々の間には指導層、一般大衆問わず 、<

わけのわか らないまま攻撃 され た > とい う感覚だけが残 ったのではないだろ う

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国際経 営フォーラムNo.19 か。

国連 と大多数の国々の人 々 もまた、はっき りとはわか らない <違和感 >の中 で 自らのポジシ ョンを確認す ることがで きず、ただただ状況追随型 の対応 しか 採れ なかった とい うことである 湾岸戦争 の時の よ うに明快 なポジシ ョンを採 れ なかった とい うことである。湾岸戦争 とは違 い、国連 があるいは国連構成 国 の多 くの国々が、米国主導の報復戦争 に も うひ とつ 同調 で きず 、結局 中途半端 な対応 に終始せ ざるを得 なか ったの もこの <違和感 >が底流 にあっての ことで あった。前 に引用 した朝 日新聞特派員 か らの記事で伝 え られ て きた ことは、そ の後の国連 の対応 において も国連の存在感 の希薄 さとい う形 で繰 り返 し現れて くるのであるO本 来は この9.11の驚異の中身 を正確 に確定 し、その脅威 の除去 にまっす ぐに向かわなけれ ばな らなったのだが、そ うはな らなか った。現在 も 続 くアフガ ンの混乱の源 は ここにある

。 ・ t l l

いずれ にせ よ国連 と米国はアフガン戦争において初 めか ら微妙 な関係 であっ た し、現在 もそ うである。 この微妙 さは実は9.11とい う挑戦 の本質 と、その理 解 の違 いに起凶 してい る。

9.11は21世紀 か らの挑戦ではあったが、その挑戦者 をか くまった とされ る20 世紀の国家、アフガニスタンに対 して米国が攻撃 を始 めた時、国連 は100%ノー

とい う立場 を取 りきれ なか った し、取 り得 なか った。9.11の本質 とのずれ がそ こにあ り、半分 は見当はずれの攻撃である と分か りなが らも、 しか し結果的に 21世紀か らの犯罪者 を戦争 とい う手段 であった として も取 り押 さえることがで きれ ば、それ はそれ で了 としなけれ ばな らない。 そ うい う立場 に国連 はあった のである。 なぜ な らば20世紀国際秩序 の具現である国連 もまた<21世紀 か らの 20世紀秩序破壊者 >は残滅 しなけれ ばな らない原理的理 由があるか らである。

もちろん21世紀か らの挑戦者は国家ではな くテ ロ集 団だったのだか ら、 この犯 罪 に対 しては国家 に対す る (アフガ ンが攻撃 して きたわけではない)戦争では な く、あ くまで も国際警察活動で対処すべ きであった し実際そのほ うが効果的 で さえあ った と今 にな って多 くの人 々は考 えてい るだ ろ うが。 しか し米 国は

<非対称の戦争 >を選 んだ。 国連 も渋 々なが らも容認 した。

国連 自身 がその出 自であ り現在の堅 固な基礎 である20世紀の国際秩序観 を超 えて、集 中的に 自らの想像力 を駆 り立て、<21世紀 のグローバル秩序観 >を部

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研 究論 文●三つの戦争を再考する 分的 にであって も構築 で きていれ ば、ア フガ ン戦争 の今 日の不毛 はあ るいは避 けることができたのか も しれ ない。 しか しアナ ン事務総長 もそ こまでの歴史的 ・ 哲学的洞 察 と行動力 は持 ち合 わせ ていなか った。 国連事務 局生 え抜 きの、近年 では傑 出 した事務総長 であっただ けに残念 ではあ る。

繰 り返 しにな るが、ア フガ ン戦争 については次の よ うに図式化 して理解 して お こ う。

① 9・11は21世紀か らの挑 戦 であ り20世紀型 の対処 では解決 しない

② この21世紀 の産物 に対 して20世紀型 の軍事 力での対処 を行 ってい るが成功 していない。

③ まず い ことに20世紀型対処 は9.11の直接 の首謀者 ではないア フガ ン とい う 20世紀 国家 の方 に圧倒 的 に向け られ てい る。

④ 挑 戦 の本質 と、それ‑ の対処 が ほぼ完壁 にズ レてい る。

⑤ そ のズ レが始 めか ら感 知 され ていたので国連 も腰 が引 けていた。 しか し① につ いての解答 を国連 が持 ち合 わせ てい るか とい えば、それ は国連 にはな い。 なぜ な らば国連 こそが100% 、20世紀 の産物 であ り20世紀 の守護神 で あ るか らだ。

<9. 11

に対す る対応 > :イ ラク戦争 の場合

それ では米国 と国連 の関係 はイ ラク戦争 につ いては ど うだ ったのだ ろ うか。

イ ラク開戦 にお ける米 国 と国連 の関係 は湾岸 戦 争時 とは完

に異 な った もの であったが、アフガニ スタン開戦時 とも決定的 に違 っていた。 イ ラ ク開戦 に際 してはア メ リカは国連 に完全 にそ っぽ を向かれ た とい って よい。安 全保障理事 会 は <米英 >

vs

<仏独 口中 > と真 っ二つ に分 かれ 、 文字通 り国連 のお墨付 き な しの開戦 とな るのであるO"12

なぜ 国連 がア フガ ン開戦 の時 のあい まい さを克服 して開戦反対 に回 る ことに なったのか ?もちろんア フガ ンでの戦 争が予想以上 に困難 を極 めてい る とい う こともあった。21世紀 の挑戦 の内容 、つ ま り具体的 には ビンラデ ン一派 と、イ ラク との関係 が全 く証明 され ていない とい うこともあった。 しか しそれ以上に、

も しここで強 引に開戦 を強行す る と した ら、 この開戦 は20世紀秩序 の守護神 で あ る国連 が 自らその20世紀秩序 を大 き く破壊 す る役 回 りにな るのではな か と

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国際経 営 フォーラムNo.19

危倶 したか らではな か と私 は思 う アフガ ン開戦 も本 当はその根拠が相 当怪 しい ものではあったが、イ ラク開戦はあ らゆる角度 か ら見て、弁解 の余地が生 まれないほ ど20世紀の戦争 開始の流儀 に反 していたのである。塊偏政権 か らの 介入の要請があったわけで もない。相互安全保障条約 の中で同盟 国を守 る とい う、集団的防衛権 の発動 とい う大義名分があったわけで もなか ったのである。

ま してやイ ラクが大量破壊兵器で米国を攻撃す る可能性 な ど、その根拠、その 能力 に関 しては全 く材料 がないままに開戦 に踏み切 ろ うとい うのであるか ら、

国連 としては初 めか らこの戦争 には<乗れ >なか ったのである 冷静 さを取 り 戻 した国連 はかろ うじて20世紀国際秩序 の鏡 あるいは 守護神 としてのポジシ ョ

ンを維持 したのである。

それ では米英の行 った こと、つ ま りイ ラクに対す る強硬攻撃 は どの よ うな本 質 を もった もの として理解すべ きだろ うか ?それ は<21世紀か らの挑戦 >に対

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して20世紀秩序 の牽引者 である米英が 自らその20世紀の流儀 に反 して、 じつは

<19世紀的世界に逆戻 りす るよ うな流儀 >で行 った<蛮行 >とい うはかないの である。我 々がなぜ その ことをはっき りと認識 で きなかったか とい えば、それ

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侵略 とい う形で19世紀的帝国主義の実績 を持 った リー ダーであ り、イ ラクはそ のフセインが依然 として統治 している国家であったか らである。そのことに我々 は 情緒的 に引っ張 られ た。 自分た ち (米英主導の戦争遂行側)が じつは19世紀 の弱 肉強食の世 界に再び足を踏み入れ よ うとしてい るこ とを冷静 に見定めてい なかったのである

フセイ ンの クエ‑ ト侵攻 とい う19世紀的蛮行 に対 して、その ことその ものを 錦の御旗 に して、そのフセイ ン体制 を崩壊 させ るまで フセイ ン 自身が起 こ した く湾岸戦争で >徹底的に戦 うとい うな らば ともか く、今 回の フセイ ンが引き起 こ したわけで もない<21世紀的挑戦 >に対 して<19世紀的蛮行 >で対応す る と い うのは じつは二重の意味で的外れだったのである。つ ま り湾岸戦争 ではその 挑戦 と対応が合致 していた。 アフガン戦争 ではその挑戦 の本質 と対応 の関係 に 部分的に疑問符が付 く。イ ラクに戦争 に至 っては挑戦の本質 か らはるか離れて まった くもって的外れの対応が米英 によって採 られる ことになるのである。

フセイ ンが示 した19世紀的残梓の世界 に 自らが引き込 まれ る形で、20世紀国

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研 究論文●三つの戦争を再考する 家 の最先端 の指導者 で あ るはず の米英 の リー ダー は、時計 の針 を二回転 も逆 回 転 して、(一 回転 めは21世紀 か らの挑 戦 に対 して20世紀型 の戦 争 で対応 す る と い う逆回 り、二回転 目はその対応 を国際法 もなに も無視 した流儀 で、つ ま り19 世紀 的流儀 で行 うとい う逆 回 り)自 らが<19世 紀 の亡霊 の世 界 ><弱 肉強食 の 帝国主義 の世界 >に入 り込 んで しまったのである。米英 が長 く保持 して いた20 世紀世界秩序 の牽 引者 と しての尊厳 は ここで決定的 に失われ る ことにな る。原 理 的 に考 えた場合 、や は り狂気 の沙汰 と しかいい よ うのない ものであ る。

さす がに この狂気 の沙汰 に対 しては国連 は明確 に ノーのサイ ンを提示 したの で ある。 ア フガ ン戦争 でその優 柔不断 さを存分 に示 した国連 が、なぜ イ ラク戦 争 においては明確 な立 ち位 置 を示す こ とがで きたのか ?それ は国連 を20世紀秩 序 の守護神 で あ る とはっき りととらえれ ば よ く見 えて くる。 国連 の立場 か らす れ ば米英 に よる強引なイ ラク戦争突入 は、 じつ はアル カイ ダに よる20世紀秩序

‑の挑戦 と同様 に、国際社会が営 々 と築 き上 げて きた20世紀秩序 ‑の原理 的挑 戦 で もあったのであ る。

上記 ア フガン戦争 同様 にイ ラク戦争 につ いて も再び図式化すれ ば以下の よ う にな るだ ろ う。

① 9.11は フセイ ンのイ ラク とは直接 関係 がないに もかかわ らず20世紀 国家有 志連合(米英等)はイ ラク とい う20世紀 国家 を相手 に戦争 を行 った。

② 9.11とい う21世紀 か らの挑戦 に対 してはア フガン戦争以上 に全 く手つかず であ る。 それ どころかその挑 戦 を中長期的 には増幅 してい る。

③ 20世紀国家 の戦争 の流儀 を無視 して19世紀 的流儀 で戦争 を遂行す る中で、

20世紀 国際秩序‑の信頼 を 自ら大 き く傷っ けた

④ 国連 はイ ラク戦争 に ノー とい う立場 を採 るこ とでか ろ うじて20世紀 国際秩 序 の守護神 として機能 した。 しか し21世紀か らの挑 戦に応 える展望はない。

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アメリカの対応国連の対応 挑戦に対する

反撃の本質 目以

20世 紀 秩 序 からの19 紀 的残揮 ‑の反 撃

l( 」 l L l1

ト 争】

l イラク戦争 】

20世紀秩 序か 20世 紀 国家

‑の反撃 (21 世紀的産物 ‑ の対応 は不十 分)

144

19世紀的亡 霊 か らの20

世紀 国家 ‑ の的外 れ な 反撃 (21 紀 的産物 へ の対応 は 手 付かず) 歴 史 を2 逆 回転

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研 究論文●三つの戦争を再考する

<国連 と三つの戦争 の関係 >

ここで も う一度 、国連 と三つの戦争 との関係 を整理 してお きたい。繰 り返 し になる部分 もあるが重要だ とお も う。 この ことは 日本 の<これか ら>とも密接 に関係 してい るか らである。

前述 の よ うにクエ‑ ト侵攻 にたいす る対応 は米国が音頭 を と り国連構成 国の ほ とん どの賛同を得 て湾岸 戦争 (多国籍軍) とい う形 で遂行 され た。 一方9.ll に対す る答 えはアフガ ン戦争 とイ ラク戦争 であったが、 こち らのほ うは米国 と 国連 は一枚岩 で対応す ることはできなかった。米国 と国連 の微妙 な関係 は、す でにア フガ ン戦争開始時 に相 当程度露呈す ることになるが、米 国主導の<有志 連合 >でのイ ラク開戦 において、その乗離 は決定的な もの となる。

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ここか ら見 えて くることは どの よ うな ことであろ うか ?それ は国連 がま さ し

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く20世紀の産物 であ りそれ以上で もなけれ ばそれ以下で もない とい うことであ る。 この ことは特 に国連 の安保理事会 と国連憲章について言 えることである。

そ もそ も 日本語 では国連 と和訳 してい る

UNI TEDNATI ONS

は中国語 での訳 の よ うに 「連合国」が正確 な訳である。第二次世界大戦の戦勝 国が、す なわち 連合国側 が戦後 の国際秩序構築 を 目指 して発足 させ た組織 である。 国連憲章は 二つの大戦 を踏 まえ、二度 とそ うした大惨事 を繰 り返 さないための様 々な取 り 決 めを憲章の中で謳 い、同時に20世紀半ばまでに到達 した人類 の資産 (た とえ ば人権思想) な どを確認 した。 また国際連合 はその名称の通 り<国家 の連合 >

を前提 に してお り<世界政府 >ではない。つま り個人が直接 国際社会 に繋が る のではな く、常に国家の枠組み を通 じて国際社会 とかかわ ることが前提 され て い るのであ る

21

世紀 グローバル化 の展 開の 中で、多国籍企業や

NGO

とい っ た非国家の国際社会のア クターはます ますその重要性 を増 してい るが、国連設 立の時点ではほ とん ど意識 され ていなかったのである。前文で国際紛争の解決 を非軍事力で成 し遂 げ よ うと纏 う国連 ではあるが、 しか し同時に究極 の紛争解 決手段 としての国家 による、あるいは国家連合 に よる軍事力行使 は厳然 として 予定 され てい るのが国連 である。 これ が憲章前文であ り第七章で規定 を設 ける 安保理事会 下の軍事参謀委員会 の存在 である。

じつは この ことは20世紀政治学の常識 と完全 にシンクロナイズす る。 20世紀 政治学 とは何 か。 それ は一言でいえば<政治 ‑権力 ‑国家 ‑物理的強制力 >と

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国際経 営フォーラムNo.19

い う考 えを前提 とす る とい うことである。 究極 の政治権力 としての国家は先験 的に明確 に認識 され、その国家が最終的な権力行使 の手段 として物理的強制力、

す なわち国内においては警察力 あるいは法の執行権 限を一元的に保持 し、対外 的 には軍事力 を独 占的に行使す ることは当然の もの として政治学的 に も、また 現実の問題 として も認 め られてい るわけである。通常、議論 は、いかにその権 力行使 が正 当性 に基づいた ものであるか とい う点 をめ ぐってな され るが、国家 に よる軍事 力の行使 と保持その ものについては全 く疑いのない もの として了解 されてい る。 この近代政治学のパ ラダイムについては別 な ところで論ず るが、

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とにか く<国連 >は、そ うした本質 をもつ国家の連合体 として成立す るもの と 7解 されてい る。 国連 は もちろん平和 を希求す るが、同時 に近代 国家の性格 を そのまま反映 し、軍事力で しか達成 で きない平和 もある と初 めか ら<正 しい軍 事力の行使 >を予定 してい る組織 なのである しか もその<正 しい軍事力の行 使 >は<正 しくない国家 >に向け られ ることを予定 してい るのである。第 二次 世界大戦で正 しい <連合 国 > (国際連合) は邪悪 なく枢軸 国 >側 を最終的には 軍事力で制圧 したその構 図が名 実 ともに国連 には反映 され てい るのである

。 任 1 3

9.11は19世紀 の残梓 、帝国主義的領 土拡張の活動 ではない。 では<国家 がそ の主体 となって >仕掛 けた く敵対す る国家 >に対 しての挑戦であったか とい え ば、それ も違 う。 20世紀の戦争 とも本質的に違 うので ある。 この挑戦 は少 な く と20世紀 のター ミノロジーでは<戦争 >ではな く<テ ロ>だったのだが、その テ ロも極 めて21世紀型 の新 しい形 と本質 を もった挑戦であったのである。20世 紀世界秩序の守護神 <国連 >に とって全 く新 たなア クターの出現であったので ある。湾岸戦争の時 に採 り得た明快 なポジシ ョンをアフガ ンでは国連が採 りえ なかったのはその ことと関係す る。 この挑戦 の本質が十分 に理解 で きないまま に事態が推移 した こともある。 そ して ビンラデ ンとタ リバ ンは関係 ある といえ ばある し、間接的である とい えばそ うである し、その ことに関 してはっき りと した認識 を形成 しきれぬまま事態 は動いた とい うのが本 当の ところだ ろ う。今 になって外交政策責任者や 国連 ウオ ッチ ャーは、その時点での事態の本質的把 握 力がや は り足 りなか った と反省 してい るか も しれ ない。収 まる気配 の見 えな いア フガンの混乱の前でそ う感 じてい る者 は じつは多いのではないか。

一方イ ラク戦争 では国連 は20世紀国際秩序の守護神 としての立場 を明快 に打

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研 究論 文●三つの戦 争を再考する ち出す。 それ はなぜ か ?国連がイ ラクについて明快 な立場 を とり得 たのは、 こ の米英主導の戦争が

2 0

世紀国際秩序 の流儀 に、つ ま り国連 の流儀 に決定的に反

していたか らである。 この戦争 で盛んに喧伝 され論 じられ たく先制攻撃の正 当 性 ><潜在 的脅威 に対す る一方 的攻撃 ><ジュネー ブ条約違反 の捕 虜虐待 >

<正 当性 の証明な しの攻撃 >な どはいずれ も20世紀国際秩序の守護神 の立場か らは絶対 に とり得 ない ものである。 国連 は じつは21世紀か らの挑戦 については なん ら有効 な手立てを講 じてい るわけではない。 しか し少 な くとも20世紀国際 秩序 を破壊す るよ うなあか らさまな米英の先制攻撃 には明快 に ノー とい う答 え を出 したのである。

国連 は20世紀 リベ ラルの牙城 なのであって、その立場か ら20世紀 リベ ラ リズ ムの破壊行為 には、それがた とえ米英 であって もノー と明言できるのである。

またそ うしなけれ ばその存在意義がそれ こそ根底か ら問われ るよ うに運命付 け

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られているのである。 しか し国連 は リベ ラルであって決 してラジカルではない。

自らが21世紀 を先取 りして21世紀の挑戦 に対 して20世紀 の国家群 を率いて対応 す ることが予定 され てい るわけではないのである。我 々は、 ここに21世紀の新 しい挑戦 に対す る国連 の限界をみ る。少な くとも<現在の >国連の限界をみ る。

更 にい えばその国連 に代表 され る リベ ラル な政治組織 を支 える リベ ラル近代政 治学の限界を見 る。LTll

3

章 日本の対応

それ では 日本 国家は この三つの戦争 とど うかかわったのだ ろ うか。 その点 に ついてまず簡単に振 りか えってお きたい。

<湾岸戦争 と日本 >

湾岸戦争 は20世紀の国際秩序 に対 して19世紀の帝国主義的発想で フセイ ンが 独立国家 クエ‑ トにい きな り攻 め込み、 これ に対 して米国 と国連 は一致 して10 万人のイ ラク軍 をクエ‑ ト領 内か らイ ラクの領 土に押 し返 した とい うのがその 大筋である。 この中で 日本は 1兆円以 ヒの多国籍軍組織‑の財政支援 を行 うが、

憲法9条の制約 の もと軍事的貢献 は行わなか った。結果 として終戦後の クエ‑

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ウ‑広告」の中に< 日本 >とい う国名 は見つ け られ ない ことになる。 これ が湾 岸戦 争 トラ ウマである くら金 を出 して もや は り軍事的 な、 目に見 える貢 献 を しない と国際社会では評価 され ないのか !」とい う大 きな失望であ り傷で ある。

明 らかな正義 の戦争であ り、国連 も全面的 にお墨付 きを与 えた戦争 であ り、

現代 にお ける ヒッ トラーの暴挙に も匹敵す る と一部ではいわれ たフセイ ンの暴 挙に対 して、世界第二の経済大国< 日本 >は全 く 「知 らぬ存ぜぬを」決 め込む。

こ うした 「一国平和主義」 (日本 だけが平和であれ ばそれ で よい)で よいのか、

口木 は 「普通 の国」、 しか も普通 の大国 として、普通 の 「国際貢献」を しなけ れ ばな らないのではないか。そ うした ことができないのは 日本の憲法が 「普通」

でないか らだ。 この際 日本 の平和憲法 といわれ る 「普通でない憲法」を考 え直 さなければな らない。 こ うした声が この湾岸戦争 を通 じて湧 き出ることになる。

この湾岸戦争 トラ ウマは克服 され ることな くその後 の 日本 の対外政策 を形成す る無視できない底流 として確 実に浸透す ることにな るのである。

<アフガン ・イラク戦争 と日本 >

湾岸戦 争時 に形成 され た トラ ウマはその10年後の9.11とそれ‑の国際社会の 対応 、す なわちア フガン ・イ ラク戦争 で大 きな精神的基盤 として機能す ること にな る。 米国 か らのア フガン戦争時 にお ける要請<Show thenag>には、海 上 自衛 隊の派遣で応 えることにな る。イ ン ド洋上にま さしく自衛 隊艦船 が 日本 国の旗 をなびかせ 、<show theJapanesenag>となるのである。戦場 に直接赴 くとい うことではない、いわば間接支援 、後方支援 であるが、 しか し湾岸戦争 での戦費による協力のみ (戦争後の掃海艇派遣はあるが)か ら大 き く踏み出 し、

<軍事貢献のル ビコン川 >を渡 ることになるのである。

続 くイ ラク戦争 においては、他国に先駆 けてブ ッシュの軍事進攻 にい ち早 く 理解 を示 し、 こん どはくbootsontheground>とい う戦場‑の直接 的貢献、軍 事的参加 の要請 に これ また完壁 に応 えるのである。 イ ラク‑の陸 上 ・航空 自衛 隊の派遣 である。

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研究論文●三つの戦争を再考する さすがにイ ラク戦争 にお ける米国‑の全面協力 に関 しては 日本 国内の政治勢 力の中で もスタンスは分かれ る。 ア フガ ン‑の海 上 自衛 隊派遣 に関 しては明確 な反対 の意思表示 を行 わなかった民主党であるが、イ ラク参戦 についてはギ リ ギ リの ところで反対表明 をかろ うじて駆 け込み的に、そ して多分 にア リバイ作 り的に行 ってい る。 この間の民主党のプ レはある意味では 日本 国民のプ レをき わめて忠実に反映 してい る といって よい。湾岸戦争 トラ ウマが強力に作用 し、

とにか く梼曙せず に国際貢献の姿 を世界 に見せ なけれ ばいけない と、ある種 の 脅迫観念 にか られ 、 しか し一方ではいわゆる平和憲法 とそれ を護持すべ きであ る とい う政治文化、政治的重圧 も抱 え、大げ さにい えば、ほ とん ど精神分裂的 な矛盾 の空気 を吸いなが らこの新たな事態 に対応す る、その姿は悩 める現代 日 本 の象徴 で もある。

現在 の民主党党首小沢一郎 は湾岸線戦争時、 自民党幹事長 として海部首相 を 実質的に コン トロール し、 日本 の舵取 りを していたわけだが、その時彼 は 日本 の 「一国平和主義」に決定的な限界 を感 じることになる.彼 こそが もっ とも痛 切 に湾岸戦争 トラ ウマ に 日本 中のだれ よ りも苛 まれ るこ とにな る 「一国平和 主義」 を克服 し日本 は 「普通 の国」 と して本格 的な 「国際貢献」、軍事力 を も 含む国際貢献 をなす ことが必要である と痛感 した第一人者 であった。 そ うでな けれ ば世界第二位 の この経済大国は、世界か ら孤立 し、その孤立は、やがて 日 本国民 に再び塗炭の苦 しみ を与えることにな るであろ う。 そ うした事態 をなん

として も避 けなけれ ばな らない。 その思いを込 めて (恐 らくは)93年 に出版 し た彼 の著書 『日本改造計画』 こそが湾岸戦争以降の 日本の底流 を形成 して きた のである

西側先進諸国の中で も突出 した 日本 のア フガ ン参戦 ・イ ラク参戦‑の積極的 賛意表明、米国支持 は、明 らかにいわゆる<湾岸戦争症候群 ><湾岸 戦争 トラ ウマ >に支 え られ ていた。 そ してその トラ ウマは政治指導者層だけでな く、マ ス コ ミあるいは知識人 に も浸透 し、その結果一般 大衆 に も極 めて強 固な形で定 着 した。 その端緒 を最 も強力に切 り開いた第一人者 こそが現民主党党首小沢一 郎その人であった。 その民主党は現在イ ラク戦争 に対 しては勿論 の こと、ア フ ガ ン戦争に も基本 的に 「ノン」の立場 を採 ってい るのである。 これが民主党の スタンスをわか りに くくしてい る。つ ま り現在の民主党のア フガン ・イ ラク戦

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<三つの戦争 ‑ ・日本 と国連 >

湾岸 ・ア フガン ・イ ラクの各戦争 は、改 めて 日本 と国連 のかかわ り方につい て問題 を提起 した。 そ して国連 とは何 であるのか とい うことについて も深 く考 える契機 を我 々に提供 した。 この中で見 えて きた ものは何 であっただろ うか ?

まず我 々は国連 とは何 か とい う問題 を も う一度考 え抜かなけれ ばな らない。

そ して今後突 きつ け られて くるであろ う挑戦の本質 が どの よ うな ものであるの かを見極 めることが必要である。そのための レッスンをこの三つの戦争 は我 々 に提供 して くれてい る。

まず第‑‑‑に三つの戦 争の契機 となった 二つの挑戦 の本質 を見誤 ってはな らな い。 つ ま りフセイ ンの クエ‑ ト侵攻 と9.11とい う二つの違 った挑戦 を峻別すべ きである とこの文章の中で も私 は繰 り返 し述べて きた。 クエ‑ ト侵攻 は19世紀 的残梓か らの20世紀社会‑の挑戦状であった。 これ に対 して国連が明確 にノー を突 きつ け、実力で10万のイ ラク兵 を追い返 した こと、 これ は20世紀秩序の維●●

持 とい う観 点か ら当然の ことであった とハ ツキ リと理解す ることである。 それ

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以外の選択肢 はなか った と明確 に認 めることである。

日本の護憲勢力 は この ことでまず後手 に回った。 クエ‑ ト侵攻 とい う事態 に 対 して原理的に考 え抜 く作業 を怠 った。護憲勢力の筆頭 を 自認す る当時の社会 党は結局最後 まで 自らの判断 を明確 に下す ことな く、冷戦後の最初の挑戦の中 で <情緒的に平和 をつぶや く>ことで逃 げた といって よい。結局の ところ社会 覚 をは じめ とす る護憲勢力は米 ソ冷戦構造の中で しか機能 しない脆弱 な護憲主 義保持者 であることを露呈 して しまったのではなかろ うか。 国連 も認 定 した正 義の戦争それ 自体 に対 して (その戦争に 日本 が参加す るか どうかは別 に して) 真正面か ら反対す ることも、また逆 に賛成す ることもで きず 、ただただ仔 んで いた とい うのが事の真相 であった。糾 5

ただ単 に戦争反対 とい う<情緒 >を越 え、 クエ‑ ト侵攻 の本質的意味 を見切 り、明確 にその20世紀秩序 の破壊者 に対 して <ノー >と表 明 し、国連 をは じめ とす る20世紀秩序の保持勢 力に賛同 し、そのための経済的貢献 については、 し ぶ しぶではな く、積極的に迷 いな く、それ に全面的に協力す る とい うポジシ ョ 150

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研究論文●三つの戦争を再考する ンを採 ることを選択すべ きであったのであ る。 その上で しか し、 日本 の貢献 は 決 して軍事的貢献 であってはな らず 、 日本 の貢献 はあ くまで違 うものだ と主張 す るこ と、その原則 を<つぶや く>のではな く<叫ぶ > とい う選択肢 が本 当は あ ったので ある。

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その <叫び >を 自信 を持 って堂々 となす ためには、 じつは も う一段深 い 自己

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認識 と原則 の保持 が必要 とな る。 そ してそれ が確 立 され ていないがた めに湾岸 戦争 に続 くア フガ ン ・イ ラクの事態 に対 して湾岸 以上 に必要であ ったはず の、

よ り明確 な メ ッセー ジが発せ られ ない事態 とな ったのであ る。 実際 の ところ二 つの戦争すべてについて,いわゆる護憲勢力か らは平和は<叫ばれ >なかった。

ぶつぶつ と平和 のお経 が唱 え られ た程度 の こ とであった。 叫び にな るほ どの力 こぶが 自然 に入 るよ うな、鍛 え られ た原理原則 ・信念 ではない ことが 白 日の も との さらされ た とい うのが本 当の ところではなか ったのではなか ろ うか。

しつ こい よ うだが も う一度述べ てお きたい。 クエ‑ ト侵攻 は20世紀秩序‑の 挑戦 であ る。 国連 は20世紀秩序 の写 し鏡 であ り、同時 に守護神 で もあ る。 で あ るか ら国連 が20世紀秩序 の破壊者 に対 して断 固 と した行 動 を とる ことは 当然で もあ り必要な ことで もあ る。 日本 は もちろん20世紀秩序 の恩恵 の 中で生 き、そ の主要 な メンバー で もあ る。 特 に この秩序 の 日本 に もた らす経済的恩恵 は計 り 知れ ないか ら、 この破壊者 を阻止す る行動 には人一倍協力 しなけれ ばな らない。

しか し日本 国家 は、20世紀 と21世紀 の両方 に脚 を置 いてい る国家 であ る。 そ してそ こに我 々は21世紀 グ ローバル世界秩序 の先導役 を担 う日本 国家 の可能性 を兄い出す のである。 それ は ど うい う意 味か ?その鍵 は もちろん 日本 国憲法第

9条 にあ る。

4

章 三つの戦争 と

9

まず我 々の持つ9条 の原理 は近代 国家 の原理 とは大 き くずれ てい る こ とを再 確認すべ きであ る と私 は考 える 特 に9条第 二項 は文字通 り 「近代 国家 の原理 的否 定」なのであ る。 この こ とをはっき りも う一度確認 したほ うが よい。神奈 川 大学 で も教鞭 を執 った大熊信行 は著書 『国家悪』 (1947) の 中で次 の よ うに

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国際経 営フォーラムNo.19

述べ る。

「自ら交戦権 を放棄 した国家 は これ までの国家概念 か らい って国家 ではな く我 々 は国家 な らざる国家 に生 きよ うとしてい る」

我 々 と しては この ことを深 く深 く考 え抜 かなけれ ばな らないが、その前 に9 条 を も う一度 見てお こ うO まず9条、第 項 で あ る。

「日本国民は、正義 と秩序 を基調 とす る国際平和 を誠 実に希求 し、国権 の発動 た る戦争 と、武力による威嚇又は武力の行使 は、国際紛争 を解決す る手段 としては、

永久 に これ を放棄す る。」

この条項 は国連憲章 と大 きな親和性 を持 つ 前述 の よ うに国連憲章 もまた国 際紛 争の平和的解決 を纏 う。 じつ は こ うした条項 を持つ のは 日本 国憲法だ けで はない。例 えばイ タ リア憲法 も同 じよ うな条項 を持 つ

「イ タ リアは他 の人民の 自由を侵害す る手段お よび国際紛争 を解決す る方法 とし ての戦争を否認す る。イ タ リアは、他 国 と等 しい条件の下で、各国の間に平和 と 7f̲義 を確保す る制度 に必要 な主権 の制限 に同意す る。 イ タ リアは、 この 目的 をめ ざす 国際組織 を推進 し、助成す る。」 (イ タ リア憲法第11条 ;[戦争 の否認 ・主権 の制限 ])

このイ タ リア憲法 も国連憲章の精神 を踏 まえてい る といわれ るのだが、イ タ リア憲法 の第11条 は ここまでである。 じつ は問題 は この先 にあ る。 日本 国憲法 9条第二項 は次の よ うに述べ る。

「前項 の 目的 を達す るため、陸海空軍その他 の戦力は、 これ を保持 しない。 国の 交戦権 は、 これ を認 めない。」

大熊 がい う交戦権 の否認 は じつ は この第二項 の存在 が あっては じめて徹底 さ

参照

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