第 2 章 日米 ODA の役割
-クミッラ県ダウドゥカンディ郡にみる-
第1節 はじめに 第2節 外国援助の特徴
第3節 日米ODAの検証- クミッラ県での事例 第4節 章括
第1節 はじめに
本章では、バングラデシュ独立以降、日米ODAによって クミッラ県で実施されてきた農村開発に 焦点をあてる。バングラデシュは、年次開発予算において外国援助の占める割合が高く、農村開発へ の公共支出は、事実上外国援助によって支出されている。独立以降 2003年までの外国援助総額を見 ると、二国間援助では日本とアメリカが最大の供与国である。多国間援助においても、アメリカ主導 の国際開発協会(IDA : International Development Association)と日本主導のアジア開発銀行(ADB : Asia Development Bank)が最大の供与機関である。そこで、日米ODAの供与額推移を見ると、日本 ODAは、「モデル農村開発計画」の要請があった1986年以降急増しているのに対して、アメリカODA はそれ以降減少傾向にある。これらの背景及び日米ODAの特徴について、現地資料及び先行研究よ り分析する。そのうえで、 クミッラ県ダウドゥカンディ郡で実施されている「Food for Works Programme」(アメリカ ODA)と「モデル農村開発計画」(日本 ODA)を取り上げ、現地での調査 を通して、具体的な実施状況を明らかにする。
アメリカ援助の過半は、食糧援助で占められている。この援助を規定しているのは、PL480である。
この PL480 に基づく余剰農作物は、コミラモデルの一環として 1961 年 10 月に開始された Rural Works Programme を通して東パキスタンクミッラ県に持ち込まれ、バングラデシュ独立以降の 1975年にFood for Works Programme へと継承されている。このプログラムでは、政府の公共事業 に雇用された日傭労働者に対して、賃金の代わりにおおむね小麦が支給され、労働者の選定等はユニ オン評議会議長に一任されている。しかし、それらの実施状況は現地関係者のあいだでも機密事項と されており、具体的な状況は明らかにされてこなかった。ここでは、それぞれのプログラムの実施状 況及びRural Works Programme からFood for Works Programmeへと継承された経緯について、
基本統計と先行研究より明らかにする。そして、クミッラ県ダウドゥカンディの5つのユニオン評議 会(2000年8月、2002年8月、2004年12月~2005年1月)及び政府関係機関(2004年12月~
2005年1月)での調査を通して、Food for Works Programmの実施状況と当該地域の社会開発に及 ぼしている影響を明らかにする。
アメリカに代わって増大してきた日本ODAの特徴は、借款の占める割合が高く、バングラデシュ の対日債務を増大させている一方で、無償資金協力により債務救済が行われているということである。
また、無償資金協力による「モデル農村開発計画」であるが、このプログラムの主たる対象地域とな ったダウドゥカンディ郡は、日本 ODAによって供与された「メグナ・グムティ橋」と隣接して東側 に位置しており、クミッラ県の中でも援助・開発による影響を強く受けている。モデル農村開発計画 では、灌漑設備の普及・拡大とともに近代農法が促進され、なおかつTCCAが保護されるといったコ ミラモデル同様の手法が採られている。だが、そうした援助・開発の具体的な実施状況は、これまで 必ずしも明らかにされてはこなかった。ここでは、関係機関での資料収集及びダウドゥカンディ郡の 実態調査(1999年8月、2000年8月、2002年8月、2004年12月~2005年1月、2006年3月)
を通して、モデル農村開発計画の実施状況を明らかにする。そのうえで、日米主導による援助・開発 が当該地域の社会開発にどのような影響を及ぼしているのかを分析し、日米ODAの役割を論じたい。
第2節 外国援助の特徴
2.1 援助供与額の推移
ここでは、バングラデシュへの援助供与額の推移について概観する。1971年のバングラデシュ独立 以降2003年6月までの総援助供与額(経費実績ベース)は、407億4800万ドルにものぼる。そのう ち、上位20 ドナーそれぞれの総援助供与額を見たものが、図2-1である。そのトップ・ドナーは国 際開発協会(IDA : International Development Association)で、総額は79億6158万3000ドルにも 達している。次いで、日本の65億8058万7000ドル、アジア開発銀行(ADB : Asia Development Bank) の50億4462万4000ドル、アメリカの34億5016万4000ドルの順となっている。これら4ドナー の総供与額は230億3844万ドルにものぼり、上位20ドナーの総供与額に占める割合は56.5%と過 半を超えている。また、二国間援助においては日本が最大のドナー国であり、アメリカがそれに続い ている。
次に、上位20ドナーの援助供与額の推移を見ると(表2-1参照)、独立直後の1971-72年に供与した のは8ドナーとなっており、二国間援助ではインド、カナダ、イギリス、スウェーデン、デンマーク、
オーストラリア、国際機関では国連システム、ユニセフとなっている。中でもインドの供与額は1億 8146万ドルであり、これに続く国連システムの2199万7000ドル、ユニセフの1675万ドル、イギ リスの 1220万ドルと比較して、桁違いの金額であることが分かる。これは、序章でも見たように、
東パキスタンの独立・解放戦争においてインドが表明した姿勢を象徴しているものと言えよう。そし て、後述するように、ここでの援助が、独立直後の混乱状態におかれていた人々にとって重要な意義 を有していた。一方、同年のアメリカは、交換公文ベースではインドの2億2271万2000ドルに続 く9251万5000ドルを提示している。しかし、実際には援助供与を行っていなかった。
そもそもアメリカ政府は、東パキスタンがバングラデシュとして独立する以前、西パキスタンに対 して多額の援助金を供与していた。そして、東パキスタン独立に対しては難色を示しており、アユブ・
カーン率いる西パキスタン軍による東パキスタンへの弾圧、無差別発砲を容認していたとさえ言われ ている(ヒッチンス、2002年:pp.70-84.)。ところが、東パキスタンがバングラデシュとして独立を 果たした翌 1972-73 年以降、掌を返したようにバングラデシュに援助を開始するのである。この年、
国連システムが1億6005万3000ドルを供与しているが、これに続いてアメリカが4582万ドル、ソ 連が4280万9000ドルの援助金を供与している。こうした援助供与額には、当時の援助における冷戦 対抗、つまり米ソによる援助合戦が色濃く反映されている。そして、バングラデシュ独立後3年目と なる1973-74年には、早くもアメリカの援助供与額がドナーの中で最大値を示している。そして、こ れ以降 1978-79年までの各年において(1976-77 年を除く)、当該国における最大のドナーがアメリ カとなっている。特に、1975-76年の援助供与額は2億8184万8000ドルにも達している。これは、
同年第2位の援助供与機関である国際開発協会(1億2571万6000ドル)の約2.2倍の金額である。
さて、国際開発協会が援助供与額を急増させたのは1974-75年で、前年比で2.3倍に増額されてい る(1億1257万2000ドル)。同年、ダッカのコンソーシアム(国際借款団体)は世界銀行の管理下で援 助コンソーシアムを構成するよう要求しており(Chossudovsky, 1997)、ムジブル・ラーマン暗殺後 には、世界銀行の顧問団が政府の各部署に配置された。そして、1978-79年以降今日に至るまで、国 際開発協会の援助供与額は上下しながらも増加し続けており、2002-03年には、56億879万ドルに達 している。それは、1980年以降本格的に導入されたIMFの構造調整とあいまって、当該国で強い影 響力を維持している。しかしながら、構造調整によって断行された通貨切下げと価格自由化は、貧困 層の生活状態をますます困窮化させている(Chossudovsky, 1997)。また、日本が主導するアジア開 発銀行は、1984-85年以降援助供与額を増加させており、世界銀行同様、バングラデシュのマクロ経 済政策に介入している。さらに、ムジブル・ラーマン暗殺以降 1991年の政権交代まで軍事政権が続 いていたバングラデシュに対して、アメリカはなお多額の援助金を供与してきたが、その融資条件は、
IMFの処方箋を遵守することであった。つまり、外国援助による総供与額の過半を占めるこれら4ド ナーは相互に関連しあっており、貧富格差の拡大をまねくような「援助」を当該国に持ち込んでいる
表2-1 : 上位20ドナーの援助供与額推移(1971-72~2002-03年)
単位 : 千ドル
年 ドナー
71-72 72-73 73-74 74-75 75-76 76-77 77-78 78-79 79-80 80-81 81-82
IDA 0
0
4,415 167,444
49,623 74,100
112,572 150,000
125,716 184,300
87,132 50,000
85,934 211,000
152,235 271,000
152,066 267,000
172,994 295,857
161,759 351,700 日本 0
10,600
14,824 31,324
23,539 31,901
30,291 55,981
44,526 46,966
39,094 81,988
113,063 127,628
128,642 210,752
229,611 136,766
153,822 227,836
192,857 185,540
ADB 0
0
4 9,454
486 12,638
1,764 79,700
17,364 21,630
5,755 68,500
15,548 69,750
49,590 124,3
42,716 81,1
45,380 212,814
43,379 180,200 アメリカ 0
92,515
45,820 99,841
100,934 48,188
259,833 337,350
281,848 185,510
57,165 84,587
135,728 142,271
171,085 242,642
177,607 88,467
132,866 161,910
116,406 170,775 国連
システム
21,997 57,272
160,053 134,778
3,100 4,915
54,036 67,473
54,240 44,770
27,865 40,613
42,156 34,175
51,805 46,950
53,600 53,013
39,766 47,769
87,507 68,473 カナダ 7,412
44,217
36,294 38,315
56,097 36,323
73,946 75,032
18,402 27,204
39,670 37,000
71,399 79,900
72,291 122,496
65,000 94,800
69,782 48,827
67,862 86,259 ドイツ 0
0
723 42,912
28,755 37,020
56,699 50,468
42,165 60,000
31,059 54,860
52,975 85,050
55,153 72,000
53,988 36,500
72,623 57,862
74,276 59,400 イギリ
ス
12,200 37,000
16,000 8,000
9,200 6,600
15,506 25,653
18,994 165,347
33,248 79,200
48,033 69,435
100,481 141,800
65,389 4,000
51,026 6,000
40,294 55,400 欧 州
連合
0 0
0 30,000
30,000 0
40,435 40,435
20,710 35,500
14,790 15,125
16,300 25,500
20,600 62,500
57,704 24,704
31,963 34,900
39,484 54,600 オ ラ ン
ダ
0 7,200
8,000 6,400
0,828 14,000
11,230 15,724
22,985 41,000
5,000 26,567
32,933 39,591
24,524 29,320
26,611 27,940
61,694 71,892
80,989 69,700 サウジ
アラビ
0 0
0 0
0 0
10,000 10,000
0 0
57,930 80,500
28,510 60,000
33,910 205,000
96,512 0
67,610 0
38,810 196,339 スウェー
デン
11,000 21,200
8,000 13,166
10,312 24,222
32,360 14,000
17,944 19,835
26,008 22,188
18,302 24,663
31,574 29,877
22,464 23,636
27,008 25,989
16,367 18,150 デンマ
ーク
364 6,671
445 0
4,927 8,870
7,787 2,325
6,060 10,416
3,495 4,443
4,535 8,814
11,728 6,975
14,613 18,120
19,449 16,200
18,868 21,622 ノルウエ
ー
0 0
0 4,100
10,488 8,000
2,317 8,600
5,539 15,700
4,460 12,000
29,791 18,100
7,277 22,000
24,601 22,160
27,228 22,440
24,176 35,200 フランス 0
0
1,000 7,529
3,474 19,400
6,789 10,742
7,059 16,473
18,648 15,767
16,303 16,146
14,538 1,065
7,829 26,681
24,964 57,034
46,599 57,500 ユニセフ 16,750
18,750
37,438 35,954
5,501 7,801
10,650 15,000
9,800 5,000
3,600 10,000
13,880 8,000
8,760 12,000
14,220 12,910
15,064 9,135
5,440 5,000 ソ連 0
48,025
42,809 54,945
40,752 36,040
25,210 67,870
10,543 0
4,892 0
24,256 6,530
6,608 0
8,447 0
3,015 71,560
2,322 73,000 オースト
ラリア
7,150 7,178
6,828 12,8
45,383 55,944
35,054 18,521
11,626 11,626
8,059 11,063
12,871 12,871
16,676 16,676
27,702 27,702
20,728 20,04
22,700 24,966 インド 181,463
222,712
34,395 15,576
9,994 47,810
19,609 17,500
29,721 7,397
21,045 0
5,170 0
0,993 15,000
4,562 0
2,770 0
9,141 0
IDB 0
0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
15,638 12,320
8,596 6,000
0,850 10,000
23,016 54,480
年 ドナー
82-83 83-84 84-85 85-86 86-87 87-88 88-89 89-90 90-91 91-92 92-93
IDA 194,628 256,200
265,427 339,920
255,052 377,000
348,061 489,136
250,841 296,401
330,309 209,133
296,934 396,070
462,725 667,027
333,557 442,783
240,393 177,229
329,639 252,007 日本 150,795
136,558
114,588 210,389
126,250 186,073
139,547 62,872
332,854 333,534
314,595 245,217
340,143 463,141
335,297 313,564
345,113 325,625
153,002 241,826
264,003 242,899 ADB 50,021
190,700
46,191 256,263
118,655 346,952
258,755 177,298
164,926 146,87
179,379 247,777
299,505 307,438
274,422 271,827
290,096 210,096
421,295 438,895
274,241 260,674 アメリカ 147,623
141,835
160.898 125,400
194,587 190,339
104,539 231,879
125,414 95,900
142,736 150,118
94,929 69,178
100,113 135,538
102,503 28,451
139,249 160,942
68,704 88,517 国連
システム
22,165 37,000
66,679 101,505
91,794 139,255
66,065 148,055
50,701 24,866
122,503 139,314
66,158 31,044
57,970 50,112
99,176 149,533
107,868 19,150
71,170 150,197 カナダ 85,685
108,108
137,779 195,637
81,384 143,863
98,299 100,923
98,859 185,567
68,336 130,726
118,847 45,641
103,648 47,280
112,224 14,791
61,766 112,308
93,475 0 ドイツ 23,808
90,123
61,020 47,400
35,227 13,571
50,151 38,748
63,371 54,631
42,176 21,405
57,356 132,924
49,913 99,099
55,253 19,798
85,023 96,804
60,492 13,268 イギリ
ス
41,004 40,550
44,691 63,263
41,615 86,468
41,615 84,468
45,890 93,170
36,921 46,613
43,955 51,664
52,227 55,842
55,032 14,412
58,818 42,658
52,149 34,725 欧 州
連合
55,837 58,950
38,876 36,000
45,847 54,685
19,163 34,900
15,709 32,481
68,322 62,896
66,496 62,993
46,726 57,198
52,698 50,091
28,279 186,273
47,347 0 オ ラ ン
ダ
37,057 66,400
45,961 52,400
67,006 39,167
43,071 69,545
37,599 64,187
62,464 55,032
51,971 63,741
43,331 76,435
27,726 0
25,475 54,035
49,591 79,073 サウジ
アラビ
71,310 68,661
87,861 55,000
19,041 56,770
23,567 0
62,201 2,000
24,809 3,000
15,080 20,262
7,993 13,330
27,351 0
46,229 126,381
59,594 0 スウェー
デン
27,400 49,200
17,357 5,728
2,541 10,343
11,391 36,663
19,923 81,985
50,460 16,719
30,681 1,526
36,523 36,701
21,850 36,515
25,481 10,420
43,548 20,650 デンマ
ーク
17,948 35,550
17,668 48,968
23,466 64,589
22,394 0
34,831 45,185
50,740 11,836
17,505 8,066
51,217 96,938
33,217 5,266
40,466 7,824
9,575 19,435 ノルウエ
ー
24,931 20,000
5,038 23,701
9,987 44,118
14,557 28,620
43,290 40,489
33,618 12,779
24,653 12,125
35,008 37,321
20,204 24,298
26,540 44,090
34,538 28,988 フランス 40,143
18,749
17,102 2,443
25,491 53,527
14,563 28,010
41,987 28,454
20,009 3,530
4,701 77,536
36,781 66,845
22,871 10,558
28,297 35,561
17,032 29,210 ユニセフ 6,300
30,000
2,752 25,000
0,247 33,000
12,184 0
9,000 0
8,093 135,540
24,921 0
24,326 0
7,610 0
32,568 0
15,169 0 ソ連 8,981
2,600
50,947 0
16,935 75,750
22,359 0
47,300 0
13,188 0
54,097 0
6,054 0
4,437 0
0,786 0
0 0 オースト
ラリア
13,344 16,612
12,700 13,2
15,334 10,078
2,836 4,664
10,366 5,702
8,182 8,182
8,478 8,478
8,426 8,426
9,270 7,784
9,239 16,921
7,300 7,055 インド 2,456
20,000
2,690 37,000
4,362 0
5,753 0
22,344 0
7,596 0
0,348 0
3,089 0
0,233 0
0.027 11,629
0 0 IDB 28,000
30,300
7,000 0
18,000 31,500
39,545 25,000
24,682 5,000
10,753 7,286
6,952 12,000
12,709 25,000
13,353 8,725
3,158 9,964
9,320 0
年 ドナー
93-94 94-95 95-96 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 総額
IDA 378,455 598,434
285,951 194,214
225,635 231,919
313,813 319,578
331,599 640,991
476,965 1038,070
354,060 178,426
298,821 281,586
323,393 125,033
560,879 781,084
7961,583 10314,642 日本 293,712
560,824
356,533 590,662
331,114 170,125
368,195 311,917
171,910 204,321
235,033 155,661
390,680 335,433
316,151 339,815
287,434 151,732
243,362 207,546
6580,587 6937,006 ADB 308,447
529,398
336,808 166,378
279,032 158,508
254,887 264,751
240,426 419,401
217,505 254,277
283,227 271,086
235,684 231,266
182,007 302,328
207,119 313,719
5044,624 6625,988 アメリカ 107,473
220,638
114,616 34,554
51,269 32,526
35,311 233,930
26,273 36,998
69,388 80,551
91,782 35,202
39,278 86,100
19,486 78,264
34,701 23,079
3450,164 3933,995 国連
システム
52,733 2,555
64,381 42,198
37,467 29,495
27,111 152,868
73,981 48,315
118,084 157,388
81,494 58,649
23,014 190,377
51,879 13,845
37,588 35,344
1986,106 2321,266 カナダ 31,834
0
47,094 43,651
24,847 7,560
30,443 12,352
14,478 29,551
26,844 54,716
27,839 12,814
18,784 15,768
17,567 19,986
23,204 13,146
1901,391 1984,761 ドイツ 32,517
114,321
111,727 5,067
64,077 113,014
33,847 34,151
48,581 42,231
36,680 0
21,448 42,006
43,006 28,230
20,780 22,990
6,265 0
1471,134 1647,082 イギリ
ス
39,167 17,413
53,453 85,505
33,257 10,176
20,607 10,044
34,805 66,844
52,138 154,948
60,519 121,573
53,292 11,097
17,574 15,776
40,455 60,818
1332,105 1712,567 欧 州
連合
54,087 56,140
64,295 45,175
90,904 114,492
61,954 40,865
56,824 21,803
39,198 148,036
5,250 76,188
32,297 49,010
80,182 21,793
19,284 535,199
1261,557 2068,432 オ ラ ン
ダ
40,423 15,94
17,866 10,206
32,879 59,783
71,884 37,513
20,527 10,116
43,131 18,996
27,955 18,397
45,930 19,146
1,240 36,944
9,349 13,490
1077,320 1209,880 サウジ
アビア
25,304 0
18,662 0
30,764 0
10,077 0
13,727 0
4,229 0
6,577 10,665
0,365 0
7,243 0
0 0
895,266 907,908 スウェー
デン
19,170 16,606
12,651 3,296
5,158 11,246
22,077 39,242
26,507 34,077
22,195 48,143
20,265 16,538
15,591 0,461
7,230 1,941
15,161 6,796
674,499 721,722 デンマ
ーク
22,290 19.234
30,849 56,029
13,627 5,676
22,723 41,725
18,589 30,733
32,621 31,526
29,221 43,979
4,765 84,953
29,355 10,802
46,468 15,664
661,806 787,824 ノルウエ
ー
33,522 22,774
34,065 20,057
29,818 21,826
16,724 7,686
18,677 40,168
9,547 38,394
18,685 2,448
16,907 7,730
9,171 13,449
49,715 12,960
645,072 672,321 フランス 20,306
12,836
30,330 25,932
9,730 29,534
27,048 11,629
31,150 13,945
10,733 4,403
0,907 17,890
5,741 4,750
20,236 0
1,119 0
573,480 719,275 ユニセフ 11,771
0
50,372 119,300
20,875 250,000
60,180 0
21,941 0
19,207 0
27,314 0
49,222 202,600
46,383 0
38,688 0
630,226 934,990
ソ連 0
0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
0 0
393,938 436,320 オースト
ラリア
11,834 8,29
9,989 7,784
11,064 9,286
15,698 11,931
9,565 9,235
6,868 6,868
7,601 7,486
7,338 7,253
0 1,830
8,512 8,512
408,721 405,079 インド 1,203
0
0 0
0,443 0
0,465 0
0,298 0
6,598 46,328
3,986 0
20.432 0
7,024 0
2,809 0
411,019 440,952 IDB 8,493
28,517
5,949 9,631
11,026 10,228
19,356 13,439
14,339 23,569
12,282 9,858
16,784 37,454
14,924 24,791
22,766 18,177
11,858 14,022
359,349 434,171 注 : 上段は経費実績ベース、下段は交換公文ベースの額を記載している。
出所 : Economic Relations Division in Ministry of Finance, Government of the People’s Republic of Bangladesh , Dhaka , Flow of External Resources into Bangladesh (As of 30 June 2003), pp.64-104.より作成。
のである。
2.2 アメリカの思惑
アメリカは、自国の友好国パキスタンと戦い独立を果たしたバングラデシュに対して、あくまでも 好意的ではなかった。特に、社会主義的国家建設をめざした初代大統領のムジブル・ラーマンに対す る敵対心を露わにしていた。では、何故多額の援助金を供与し始めたのか。そこには、バングラデシ ュの共産主義化を警戒し、画策するアメリカの戦略が見て取れるのである。そのような思惑を根底に 持ち込まれた援助は、独立間もないバングラデシュの発展を支持するどころか、ムジブル政権率いる バングラデシュを窮地に追い込むものであった。1974年のアメリカによる食糧援助の差し止めは、そ れを端的に示していると言えよう。また、前述したように、独立直後のバングラデシュに対して、ア メリカは何ら援助を行っていない。これら2つの点について、ショバーンの見解を基に分析したい。
ショバーンは「バングラデシュを支配する構造上の諸制約の中で、開発過程それ自体が対外依存を 増大させていく」(Sobhan 1993:pp.i-xi.)という注目すべき開発の問題点を、外国援助によるイン パクトを検討することにより明らかにしている。彼は「援助依存による開発といった特定のパターンで は、貧困を根絶することはほとんどできない。むしろ、それは、経済内部において、富の所有の集中 と所得分配の不平等を強化しただけで、生産諸力の大きな拡大をもたらさなかった。それは、長年に わたって、国内資源の活用や生産能力の効率的利用を阻害してきた単一のシステムを補強することに 役立っただけだ」と指摘している。また、「食料部門ほど援助依存のインパクトが危機的に感じられる ことはない」(Sobhan 1993:pp.i-xi.)とも述べている。しかしながら、ショバーンは独立・解放戦 争によって困窮状態を余儀なくされていた人々にとって食糧援助が重要な意味を有していたとして、
以下のような事実を挙げている。「1971-72年度の米生産量は、平年以下であった。特に、アウス稲・
アマン稲は過去10年間で最も収穫量が少ないうえ、ボロ稲生産量も例年より減少していた。それは、
バングラデシュ独立前の最終年と比較して、200万トンの減少であった。これは、独立・解放戦争時 の作付けと、収穫や投入財供給の破壊といった問題による。投入財供給の破壊による影響は1972年 に入ってからも続き、アウス稲・アマン稲に影響を与えた。こうした国内食料生産の膨大な量の短期 的減少は、食糧援助によって賄われた。独立直後の1972年の前半6ヵ月間には、85万8000トンの 食料が援助として持ち込まれ、バングラデシュ全土に分配された。このうち62万4000トンはインド からの食糧援助によるもので、鉄道によって輸送された。そのため、この6ヶ月間は飢餓による死者 を出すことはなかった」(Sobhan 1993:pp.42-43.)。つまり、独立・解放戦争直後に困窮状態を余儀 なくされたバングラデシュの人々にとって、インドの業績は大きかったと言えよう。だが、インドと て、バングラデシュの復興支援を長期に及んで継続するような経済力を持ち合わせていなかった。
折しも、アメリカが援助供与額を急増させて当該国でのトップ・ドナーとなった 1974年、バング ラデシュに飢餓が蔓延し、貧困層を襲った。アメリカは、第1次オイル・ショックの影響に対応して、
OPEC(Organization of the Petroleum Exporting Countries;石油輸出国機構)と途上国世界の双 方に食糧政策上の権力を発動した。それは、アメリカが食糧援助の承認を一方的に差し止める政策を 採ったということである。すなわち、バングラデシュからキューバへと少量のジュート財が輸出され ていることを逆手にとり、これらの貿易を全面的に停止するまでアメリカはいっさいの援助を行わな いとする決定が、同年5月に下された。バングラデシュはキューバへの輸出を強制的に停止させられ たため、それを契機として通貨危機が発生し、食料輸入の水準を下げるという悪影響を及ぼした。バ ングラデシュ国内では食料等の輸入品価格の上昇によって外貨準備が減少し、その結果、穀物を公開 市場で手に入れることが出来なくなったのである1。しかも、食糧の船積みの遅れと輸入の落ち込みが
1 Sobhan 1993:pp.42-43. また、アマルティア・センは、対キューバ貿易によってアメリカからの食糧援 助が停止の危機にあったことに加えて「この危機が生じたのは、バングラデシュ政府がドル通貨の深刻な 不足ゆえにアメリカの穀物商社への秋季引渡し購入注文2件をキャンセルせざるを得なくなった直後のこ とであった」と述べている(セン、2000年:200頁)。
重なったことから食料の備蓄と分配は減少し、1974年の夏の間、危機的な水準にまで達したのである
2。さらにこの夏大洪水が襲い、食料不足をさらに深刻化させた。1974年2月から9月までの間に食 料価格は 3 倍に押し上げられた。これにより、最貧困層を中心とする人々は致命的な打撃を被った。
その結果、バングラデシュでは、2万7000人もの人々(非公式的には10万人とも言われている)が 死亡している。
アメリカは多額の援助供与を楯に、バングラデシュの政策に関与し始めたが、その外圧的な性格は、
被援助国で生活する人々のwell-beingに配慮した内容から乖離したものであった。このことについて、
ショバーンは「シェイク・ムジブル・ラーマン政権を不安定化させようとする政策が、どれほどアメリ カを動機づけたことか」(Sen, 1998:p.135.)と述べている。では、何故アメリカは、ムジブル・ラ ーマン政権にそれほどの脅威を与えていたのであろうか。その背景には、ムジブル・ラーマンが「バ ングラデシュの自由と民主主義」を標榜し、そこに結集した人々と共にアメリカの友好国、西パキス タンから独立を勝ち取ったということがある。そのうえ、彼自身による外交・国内政策がアメリカの 思惑とは合致していなかった。彼の外交政策の基軸は親インド・非同盟であり、キッシンジャーが嫌 悪するインディラ・ガンジーとの親交もあった。また、独立直後「私は民主主義を信じている。私の 信念では、民主主義的経験は、唯一搾取のない社会でのみ可能であり、これは、私が民主主義を伴っ た社会主義の実現を望む理由である」(Khan R, 1996:p.169.)と述べているように、彼は、多数の 貧困層が存在する社会に市場原理を導入することは不適切であると考えていた。そして、社会主義実 現のため、また、バングラデシュの再建に向けて、銀行や大企業の国有化政策を打ち出していたので ある(Khan R., 1996:p.170.)。そのうえ、正規軍の養成やそのための予算配分には重きをおかず、そ れらは、国家予算の15%程度に抑えていた(Lawrence 1992:p.135.)。彼は、インドと友好関係に ある以上、対外的脅威は存在しないと考えていた。その一方で、「ロッキ・バヒニ(Rakhi Bahini)」 と称されるprivate militaryの存在があったこと、それによって正規軍隊員がムジブル・ラーマンへ の不満を高めていったことも否めない事実である(Khan R, 1996:p.170.)。
そうした情勢の中、彼とその家族 40 数名の暗殺は、アメリカの思惑と彼に反感を抱いていた右派 勢力が結託することによって決行された。次期大統領に擁立されたコンダカル・ムスタク・アーメド は、キッシンジャー自らが接近した人物である3。しかしながら、アメリカの戦略はさらに巧妙であっ た。「ムジブル・ラーマン暗殺の背景にアメリカが関与していた」4ということは、現地でもさほど知 られていない。1974年に貧困や飢餓が深刻化し、大洪水が追討ちをかけたということは、アメリカに とっては好都合であった。つまり、この年に大多数の人々が困窮状態に陥ったのは、独立後の政策が 不適切だったからであり、そのことに不満を募らせた国民によって彼らは暗殺された、という世論を 作り上げることが容易となるからである。まして、1974年以降多額の援助金を供与し始めたアメリカ が、バングラデシュ-キューバ間の貿易を逆手にとって一時的であれ食糧援助を差し止めたことなど、
大多数の国民は知る由もなかった。
2.3 アメリカの圧力-日本ODA増額の背景
アメリカは、アジア諸国が共産主義化することを防ぐため、1965 年2月に北ベトナムの爆撃を開 始した。その後、ベトナムでのアメリカの軍事活動が急速に拡大され、ベトナム戦争の激化とともに アメリカの経済力は疲弊していった。そのため、第三世界に対して、多額の援助金を供与しながら影 響力を維持することが困難になっていった。そこで、特にアジア諸国への援助について、その肩代わ
2 Ibid., p.44. 一方、アマルティア・センは、1974年の9、10月の重要な時期に食料穀物輸入量が減少し(9 月は前年比で約1/9、10月は前年比で約1/4)、政府による救済活動に影響を与えたという点において、食 料備蓄の不足がマイナスの影響を及ぼしたと述べている(Sen, 1998:p.135.)。
3 1971年、キッシンジャーは選挙勝利に沸くアワミ連盟の分断を謀り、独立運動をそぎとるという難事に 挑んだ。このとき、少数派リーダーで日和見主義者であったマスタークにキッシンジャーは接触していた
(ヒッチンス、2002年:82-83頁)。
4 Lawrence 1979.ローレンスは、バングラデシュで刊行されている英字新聞The Daily Star, August, 15-21, 2000.でも、ムジブル・ラーマン暗殺とCIAの関与について報告している。
りを日本に要求するようになる。バングラデシュへの日本ODA増額の背景にも、アメリカの対外政 策による影響・圧力が反映されている。
先ず、バングラデシュへの日本ODAの援助供与額の推移を概観してみよう(表2-1参照)。独立直 後の1971-72年には、アメリカ同様交換公文ベースのみを提示しており、その額は1060万ドルに止 まっている。日本は翌1972-73年から援助を開始するが、その額は1482万4000ドル、1976-77年 までの各年の援助供与額を見ても、最大で1975-76年の4452万6000ドルとなっており、上位20ド ナーの中でも顕著な供与額を示しているわけではなかった。ところが、特筆すべきは、1977-78年と 1986-87年を画期とするその後の動向である。先の1977-78年には、前年比で約3倍以上の1億1306 万3000ドルを供与し、それ以降、援助供与額は1億ドル台で上下している。1986-87年の援助供与 額もまた急激に増加し、前年比で2.4倍の3億3285万4,000ドルにも達している。
こうした援助額急増の背景を探るために、1960年後半以降の「外国援助」をめぐる日米の関係を概 観してみよう。1960年代後半の日本の経済援助は、鮫島によると「当時ますます激化しつつあったベ トナム戦争を反映して、アジアの共産化の防止という西側陣営の戦略的要請と一致して」(鮫島、1982 年:p.13.) 行われている。その後1975年4月にベトナム戦争が終結し、経済的打撃を被ったアメリ カは、外国援助の肩代わりを強く日本に要求するようになる。これを受け、1976年12月に福田内閣 が成立するや否や、福田は、1977年度予算編成にあたってODAの拡大を指示している。その結果、
1977年度のODA予算は、概算要求段階での対GNP比0.24%(大蔵省方針)から0.28%へと増額され た(稲田、1985年:300-302頁)。そして、1977年5月末にパリで開催された国際経済協力会議にお いて「5年間倍増計画」を発表している。しかし、アメリカの要求はこれだけに止まらなかった。当 時の日本の対米貿易黒字の順調な伸びを理由に、さらなるODA拡大を求めてきた。そのため、1978 年5月の日米首脳会談において、「5年間倍増計画」を修正して期間を短縮した「3年間倍増計画」に 変更することを表明している。これが、日本の第一次中期目標となり、1980年度のODA額を1977 年度のODA実績(14.2億ドル)の2倍にする必要性が生じた。こうしたアメリカの期待に忠実に応 えた日本は、1980年度には、中期目標を上回る33億ドルのODA実績を残している。バングラデシ ュへの日本の供与額を見ても、1979-80年には2億2961万1000ドルにも達し、この年、アメリカを 凌いで当該国のトップ・ドナーへとのし上がったのである。その後、日本ODAの援助供与額は上下 しながらも増加しているが、特筆すべきことは、前述した1985-86年以降の急増傾向である。
この年、バングラデシュ政府は「モデル農村開発計画」の実施に向けた調査を日本政府に要請して いる。折しも日本では、1985 年9月の「プラザ合意」による円高・ドル安誘導への協調介入等、国 際協調政策実施の要求に応じる形で、1986年 4月に臨調行革路線に沿って「国際協調のための経済 構造調整研究会報告」いわゆる前川レポートが提出された。それは、日本の経済構造を外需依存型か ら内需主導型へと大転換を図るとともに、国際貢献として途上国への経済協力を積極的に推進してい くことを強調するものであった。
1987年 4月に出された「経済構造調整特別部会報告」いわゆる新前川レポートでは、より具体的 な行動指針が提起され、1970年代と同様、ODAの対GNP比倍増を2年繰り上げて実施することを目 標とした他、贈与比率の引き上げ、円借款の融資条件改善(グラントエレメントの改善、アンタイド 化の推進)を訴えている5。すなわち、1986年時点で、バングラデシュを含む「後発開発途上国(LDC : Least Development Countries)向け日本ODAの対GNP比は0.08%にすぎず、国際目標の0.15%の約 半分しか達成していなかった。それを、7年から5年間に短縮して国際目標をクリアしようというの である。また、「アメリカは、1988年4月から5月を境にして、安全保障面での日本への要求の重点 を、防衛費増大から経済面での米軍事戦略への補完に転換したのである」6。その後日本政府は、1988 年の6月に開催されたトロント・サミットで、1988年から1992年までの5年間に、ODAとして途 上国に対して総額500億ドルを供与するという中間目標まで公約させられている。そして、1989 年 と1991年から2000年にかけて、日本はODA供与額でアメリカを抜き、DAC加盟国の中で第1位を
5 「経済構造調整特別部会報告」の全文は、『経済』1987年6月(No.278)、253-262.頁に掲載されている。
6 詳細は、山本、1989年10月:44-57頁を参照されたい。
維持してきた。
バングラデシュへの日米の援助供与額を見ると、こうした日米間の経緯が如実に反映されている。
先ず、1986-87年から1990-91年にかけて、日本の援助供与額は各年において3億ドルを上回ってい る。この間、アメリカの援助供与額は、日本の2分の1、もしくは3分の1に止まり、1988-89年以 降、上下しながらも徐々に援助供与額を減少させている。特に1995-96年の日本の援助供与額は3億 3111万4000ドルにも達しているのに対して、アメリカのそれは、その6分の1以下の5126万9000 ドルに止まっており、それ以降上下しながらもなお下降傾向が続いている。また、独立以降の日米の 総供与額を算出すると、1988-89年以降日本がアメリカよりも上位に位置している。かくして、バン グラデシュへの援助供与において、日本はアメリカに代わり二国間援助の最大供与国となったのであ る。
2.4 日米ODAの特徴
(1)アメリカ
ここでは、日米ODAの特徴について、社会開発との関連性から概観したい。先ず、1971-72年か ら2002-03年までのアメリカ援助を項目別に見ると、総供与額34億5016万4000ドルのうち、食糧 援助の総額は18億392万3000ドルにも達している(表2-2参照)。つまり、総供与額の2分の1以 上(52.3%)が食糧援助で占められていることが分かる。
この食糧援助の性格を規定しているのは、1954年に制定されたアメリカのPL480である7。この法 律の第2条では「アメリカと友好国との外国貿易を拡大し、通貨の交換性回復を促進し、アメリカの 外交政策を促進するために余剰農作物を最大限に有効活用する」8と明記されている。一方「援助受け 入れ国は、援助とひきかえに一定量の農作物の商業ベースでの輸入を要求され、しかもその輸入先は 1958年までには、アメリカが一定割合でなければならなかった」9。こうした政策を反映して、「1966 年の段階で既に、『PL480 の運用によって、アメリカが国際収支の面で利益を得てきたこと』は明ら かになっていた」10。とりわけ1972年以降は、PL480の運用がアメリカの国際収支に大きく貢献す るようになっていた。1973年のアメリカ農作物輸出は177億ドルに達し、非農作物の貿易赤字88ド ルを補っている(持田、1975:73頁)。しかも、この法律が制定された当初、農作物は各国の通貨で 売却されており、その売却代金は、相手国の中央銀行へアメリカの預金として預けられ、それぞれの 国でアメリカが認めた政策目的のために使用されていた(スーザン・ジョージ、1984年:243頁)。 しかし、1966年以降、相手国通貨建ての売却が、徐々にドル建てへと切り替えられ、1971年にはこ の切り替えが完了した11。そのうえ、アメリカは食糧援助や食料の輸出を通して、アメリカにとって 有利な契約・条件等を相手国に課している。これだけをとって見ても、食糧援助自体がいかにアメリ カの思惑によって展開されてきたかが理解できる。
スーザン・ジョージは、食糧援助に関する具体的な問題点を整理したうえで「食糧援助を受ける国
7 PL480 可決に際して、アメリカ議会は「この法律は外国におけるアメリカ農作物消費の拡大、アメリカ との外交関係の改善、その他の目的を持つ」「アメリカ製品市場の開発と拡大が同法制定のねらいのひとつ である」と言明している(スーザン・ジョージ、1984年:243頁)。また、高嶋は「PL480の運用は、『共 産圏の封じ込め』という大目的の枠の下にあった」と述べている(高嶋、1979年、51頁)。
8 PL480の全文は、大蔵省大臣官房調査課『調査月報』43巻8号、1954年8月、96-100頁に掲載されて いる。
9 持田、1975年:57頁。その他、PL480の成立過程、内容、問題点については、関下、1987年:189-263 頁を参照されたい。また、アメリカの農作物輸出政策には、カーギル、コンチネンタル・グレインを始め とする穀物メジューが深く関与している。詳細については、モーガン、1980年 , 石川、1981年を参照さ れたい。
10 スーザン・ジョージ、1984年:246頁。なお、スーザン・ジョージは「1966年から1974年の間に大統 領から議会に提出されたPL480年次報告」より引用している。
11 南ベトナムについては、例外措置がとられた(スーザン・ジョージ、1984年:244頁)。
は、その政治的決定権と経済的自主性を大幅に犠牲にしてもなお、それと引き換えに、必要なときに 必要な量の食糧を得られるかどうかも分からない」(スーザン・ジョージ、1984年:265頁)と述べ ている。アメリカによるバングラデシュへの食糧援助が開始されたのは 1974 年であり、同年、アメ リカが対キューバ貿易等バングラデシュの政策に介入し、援助を差し止めたことは前項で見たとおり であるが、スーザン・ジョージ(Susan George)によるこの指摘は、当時のバングラデシュの状況を 表2-2 : アメリカの援助供与額・形態別実績の推移(1971-72 ~ 2002-03年)
単位 : 千ドル 食糧援助 商品援助 プロジェクト援助
形態
年 無償 有償 無償 有償 無償 有償
総額
1971-72 0 0 0 0 0 0 0
1972-73 0 0 37,829 0 7991 0 45,820
1973-74 29,860 18,901 13,672 0 38,501 0 100,934 1974-75 0 149,674 37,508 32,610 40,041 0 259,833 1975-76 9,150 201,697 269 53,440 7,168 10,124 281,848 1976-77 2,100 42,503 0 4,900 5,804 1,858 57,165 1977-78 16,430 59,125 27,209 19,300 7,193 6,471 135,728 1978-79 43,500 12,340 50,291 26,100 9,331 29,523 171,085 1979-80 126,875 0 13,810 0 14,883 22,039 177,607 1980-81 50,900 0 29,565 6,400 29,120 16,881 132,866 1981-82 70,700 0 17,625 0 18,831 9,250 116,406 1982-83 68,700 0 35,900 0 32,938 10,085 147,623 1983-84 63,100 0 13,500 0 63,271 21,027 160,898 1984-85 75,000 0 62,000 0 55,072 2,515 194,587 1985-86 45,596 0 7,370 0 50,244 1,329 104,539 1986-87 63,342 0 20,479 0 41,309 284 125,414
1987-88 79,546 0 20,394 0 42,796 0 142,736
1988-89 48,479 0 20,060 3,484 21,262 1,644 94,929
1989-90 65,021 0 19,820 0 15,272 0 100,113
1990-91 72,070 0 12,300 0 18,133 0 102,503
1991-92 104,882 0 0 0 34,367 0 139,249
1992-93 39,832 0 2,800 0 26,072 0 68,704
1993-94 45,684 0 0 0 61,789 0 107,473
1994-95 46,092 0 0 0 68,524 0 114,616
1995-96 36,784 0 0 0 14,485 0 51,269
1996-97 6,293 0 0 0 29,018 0 35,311
1997-98 0 0 0 0 26,273 0 26,273
1998-99 39,585 0 0 0 29,803 0 69,388
1999-20 52,500 0 0 0 39,282 0 91,782
2000-01 17,662 0 0 0 21,616 0 39,728
2001-02 0 12,881 12,881 0 6,605 0 19,486
2002-03 0 13,887 13,887 0 20,814 0 34,701
合計 1,319,683 484,240 469,169 126,234 897,808 133,030 3,450,164 出所 : Ibid., p.99.より作成。