著者 生田 香緒里
雑誌名 新島研究
号 100
ページ 17‑21
発行年 2009‑02‑28
権利 同志社大学同志社社史資料センター
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012963
同志社女子中学校・高等学校の場合
生 田 香緒里
現在、女子中高は生徒、約 1,500 名(中学 240 名× 3 学年、高校 260 名
× 3 学年)が在籍している。生徒たちは、毎日礼拝を守り、週に 1 時間の 聖書の時間を持ち、キリスト教に触れながら、日々の学校生活を送ってい る。女子だけということもあるのか、みんな真面目で、比較的、礼拝や授 業も素直に落ち着いて参加しているように思われる。
新島襄については、中学 1 年の聖書の時間に、キリスト教入門と並行し て学んでいる。高校からの新入生(約 20 名)には、中学 1 年の授業で使 用しているテキストを配布している。新入生に対して、高校入学前の春休 みの課題として、そのテキストを読んでの感想を出した年もあったが、こ れという作品はなかなか出ない。書籍は、入学記念で『新島襄 その時代 と生涯』をいただいている。ほかに、『現代語で読む新島襄』と『新島襄 への扉 真誠の自由を求めて』を購入している。主に、『新島襄への扉』
を授業時に使用し、あとの書籍は参考に見ている。
中学 1 年の聖書は 1 単位(週に 1 回)で、昨年度のシラバスでは、キリ スト教入門を 1 年の前半で、新島襄を後半で取り組んだ。今年度は担当者 が代わり、シラバスも若干変わっている。5 月に中学 1 年生全体で行う修 養会があるので、まず入学して 1 ヶ月ほどキリスト教入門に取り組む。新 島襄については 1,2 学期を通して取り組み、3 学期はまたキリスト教入門 に取り組むというものになっている。高校生が中学時代の聖書の時間のこ とを振り返ると、キリスト教入門より、新島襄のほうが印象に残っている という者が結構いたりする。
新島論文については、夏休みの宿題として取り組んでいる。論文の書き 方は事前に指導する。テキスト(『新島襄への扉』)の調べ方、引用の仕方、
て指導している。原稿用紙の使い方、文章の書き方に関しては、毎年、国 語科と図書館共同で夏の読書感想文の課題が出ているので、取り組みやす いかと思われる。私が担当していた時は、基礎知識がない、まっさらな状 態で新島論文を書かせていたので、その中には不十分なものもあったが、
新鮮な視点で書かれたものもあり、興味深い作品もあったのではないかと 思う。
授業は、基本的にテキスト『新島襄への扉』に沿って進めている。授業 を始める前に、新島襄について聞くと、ほとんどの生徒が「同志社を建て た人」という認識で終わっている。「しめた」という名前の由来や、こめ かみの傷の話などをさまざまなエピソードを交えて話すと、生徒たちは興 味深そうに聞いている。新島襄の肖像画が栄光館にあるので、実際にその 描かれている新島襄のこめかみの傷を見て、いろいろと思うことができる ようである。新島の少年時代の習い事について触れ、生徒自身に習い事を しているかという問いかけをすると、習字を習っているとか、絵画を習っ ていたとか、武術を習っていたなどの共通点を見つけたり、蘭学や漢学な どの勉強に関しては、とてもまねできない、などというコメントがよく聞 かれ、異なる感覚も感じるようである。新島の絵画や蘭学の写本など、自 分と同じ年くらいの時にかかれたものだけれどこんなに上手にかけない、
というコメントもある。聖書を読んでキリスト教の神と出会い、その神を 信じているアメリカに行きたいという新島の思いは、生徒たちには理解し がたいようである。歴史上、有名な人物(中浜万次郎など)と出会ってい るということは驚きであり、新島襄はすごいという思いを持つ生徒も多く いる。
禁止されていた脱国をし、つらい航海のあと、ボストンの港で、知り合 いもなく 2 ヶ月以上も船で待ち続ける事など、とても耐えられないという ことも生徒たちは口にする。船主のハーディーには、脱国の理由書を英文 で書き、その思いを認められて援助してもらう事になるし、下宿させてく れたヒドゥンも、最初は東洋の見知らぬ青年を下宿させる事を躊躇してい
同志社女子中学校・高等学校の場合
たが、この脱国の理由書を読んで、「この青年なら!」と新島を受け入れ ていくという話をする。その話をして、テキストに載っている脱国の理由 書の英文を見ると、生徒たちはあまり読めないながらも、読んでみようと 試みたりする。ハーディーやヒドゥンをはじめとする多くの人たちの支援 を受けて、アメリカでの生活が守られ、さまざまなことを学ぶ機会を与え られた新島はラッキーだというだけでなく、彼自身も努力したであろうし、
それを周りの人々が受け入れ、認めてくれたということなんだろうと、生 徒たちは考え、新島への評価も単なる運がいいだけの人物ではなく、何か があるのだと思い始める。
アメリカの大学を最初に卒業した日本人であるとか、岩倉使節団に参加 したということも生徒たちにとってはかなりの好印象のようである。
女子中高では現在、コース制をとっており、LAコースと
WR
コースに 分かれている。LA
コースは今までと同様の学びをするコースで、WR
コー スは医歯薬理工系の大学を目指して学びを深めるコースである。「LAはアー モスト大学のリベラル・アーツから、WR
は上海からボストンまで乗った 船のワイルド・ローヴァー号からつけられたものである。」と言う事を話 すと、生徒はなるほどと思ってくれるようである。新島がアメリカの大学 で学び、教育で必要と思ったこととして、図書館の充実などの施設の充実 があげられるが、実際に、私たちの学校では図書館は蔵書数も多く充実し ているし、天文教室などもあり、理科では実験と考察をして実験ノートを 充実させている。新島の思いはこのような校舎や授業、人とのかかわりの 中で伝えられているのではないかということも伝えている。ラットランドのグレイス教会でのアピールやその時の 2 ドルの献金の話 に関しては、これらの一人一人の気持ちがあって同志社が建てられる事に なったのだと感動し、日本帰国後の同志社設立にいたる事柄に関しても、
そんないろんなことがなければ同志社はなかったかもしれないとしみじみ と感じている生徒も見受けられる。テキストの資料にある「同志社大学設 立の旨意」を見ながら、新島の同志社に対する思いを受けとめたりもして いる。
はじめのうちは、キリスト教に関してもあまり知識がなかったせいか、
国後のデイヴィスや山本覚馬との出会いがあり、実際に同志社が建てられ るに至ったことや、その出会いから新島八重が妻になったりという事も興 味深いようである。熊本バンドに関しては、数年前、高校の修学旅行で熊 本の水前寺公園の裏にあるジェーンズ邸に生徒と共に行った。その当時は あまりぴんときていなかったかもしれないが、将来、何かの折に思い出し ていろいろと思ってくれるのではないだろうか。女学校に関しては必ず触 れる。寄宿学校で生活も共にしていたということや、校舎はこのあたりに、
こんな建物があったなどということも話すと、いろいろと想像力も働かせ て聞いていた。デントンも新島の熱意を聞いて同志社の女子教育に携わっ て、同志社女子を愛して生涯を捧げてくれたということに、そんな人もい たのかと改めて自分のいる女子中高について考えるようである。
中高の 6 年のうち、必ず墓参にいくので、新島襄の埋葬の時の話をすると、
よく理解し、「あの坂を棺を担いでいくなんて大変」などとコメントする 生徒もいる。
さまざまな学びから生徒たちは、新島襄が、神との出会い、人との出会 いを通してどのように生き、人々と関わり、志を実現させていったかを知 る。それと同時に、新島の思いをどう自分が受けとめこれから生きていく か、そして、同志社で学ぶ自分自身がどう生きていくか、自分に与えられ ている使命を問いかけていくことが出来ればと思う。キリスト教学校とし ての同志社で学ぶということが、一人一人を作り上げているという事を、
生徒たちが実感し、将来への力強い歩みへとつながるものとなるように、
生徒と共に学びを続けていきたいと思う。
質疑について
シラバスで 1 学期、2 学期、学年末に聖書のテストを行うことになって いる。そのことに関して「以前は試験はなかったと思うが」との卒業生の 方の質問があり、「今の指導要領では残念ながらそうせざるを得ない状況 である」ことをお答えした。
同志社女子中学校・高等学校の場合
下宿先のヒドゥンの受け入れ態勢についての授業展開でのコメントに関 して、「〈東洋の見知らぬ青年を下宿させる事に躊躇した〉という言い方は 差別的なものではないか?そのような差別的な印象を与えるような言い方 は避けられたほうが良いと思う」との意見をいただき、「これから注意し ていきたい」ということをお答えした。当時のアメリカでの白人、黒人、
ネイティブ・アメリカンの差別についての話をしながら、当時の状況と現 代の事とをリンクさせて考えられるようにしていければと思っている。