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万葉歌における歌詞の流用

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Academic year: 2021

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(1)万葉歌 にお け る歌詞 の流用. 真下. 厚. はじめに 『万葉集』には類歌関係にある歌の多いことはあらためていうまでもないことであるが、こ れを歌を生み出すことにおいていうなら意識的または無意識的な歌詞の流用ということになろ う。 たとえば、 かにか くに人 は言 ふ とも若狭道 の後瀬 の山の後 も逢 はむ君. (四. ・七三七 ). 後瀬 山後 も逢 はむ と思へ こそ死 ぬべ きものを今 日まで も生 けれ (四 ・七三九). は前歌が大伴坂上大嬢の歌、 後の歌が大伴家持 の歌 とい う贈答歌である。 家持 は大嬢 の歌の四・ 五句 目をほとんど踏まえ、それを一 ・二句 目に据えている。これは意識的な歌詞の流用 とい う べ きものである。 これに対 して、 人言 を繁 み言痛み逢 はざ りき心ある ごとな思 ひ我が背子 (四 ・五三八 ) 人言 を繁 み言痛み我妹子 に去 に し月 よ りい まだ逢 はぬか も (十 二 ・二八九五 ) 人言 を繁 み言痛み我が背子 を目には見れ ども逢 ふ よしもな し (十 二 ・二 九三八 ). のような例は直接的に関連するものとはみられないから、 しばしば耳にした り、かつて記憶 し た りしていた歌の表現が歌を生み出す際にふ と意識に浮かび上が り、それが選び取 られたもの であろう。 こうしたものは先 のような意識的・意図的な歌詞 の流用 とい うものとは異なって、 無意識的な流用 とい うべ きものである。 こうした古代の歌における歌詞の流用について、奄美 ・沖縄 のオーラルな歌における諸相 を 把握 し、本シンポジウムのテーマである歌の比喩表現についての問題に繋げたい。. 歌を生み出す際の歌詞の流用は奄美 ・沖縄に伝承 されてきた歌の世界 にも見出す ことができ る。 万葉歌 における歌詞 の流用 123.

(2) ここでは、宮古 ・八重山地方に広がる次のような表現に注 目したい。 なお、以下 の引用本文 は外間守善氏 ・新里幸昭氏編 『南島歌謡大成 宮古篇』 (角 川書店、 一九七八年)、 外間守善氏 ・宮良安彦氏編 『南島歌謡大成 八重山篇』 (角 川書店、一九七九年) による。 オ きて ぃ よ― (早 朝 に. シ と ぅむ て ぃん. あ き しゃ 口 ん. み ジ と うりゃ り. さ しと う りゃ り み ドモ よ― (水 を持 って きな さい. さい. 明 け方 に. 起 きて ) 柄杓 を取 つて きな. 女 よ). み ジオ なオ. さ しオ い きゃ. さまで ぃが (水 を何 に. 柄杓 を如何 に. な され ます か ). てぃシみ うでぃ いなで ぃうでい みどうむよ. (手. を洗おう 腕を洗おう 女 よ). てぃシみ うでぃ いなで ぃうでい が らやよ―. (手. を洗って 腕を洗 って からは). ならみゃイば. とうぬみゃイば ん きゃぎよ. んきゃぎオで い あぎシギでぃ が らやよ. (自. (召. 分の御飯を 殿 の御飯を 召 し上がれ). し上がって 上が り過 ぎて からは)(1). これは宮古島北端の狩俣集落で行 われる祖神祭 において女性神役 たちによって詠誦される神 歌 フサの一節 である。フサは、この祭 りで祖神 と化 した女性神役たちの籠 もる神山や里のム トゥ (祖 神 たちが住 んだとされる聖なる建物)な. どで神役 のなかのフサヌヌシニ名が主に先導 して. 他の神役 たちが繰 り返 して詠誦する、祖神 たちに関す る叙事的詞章で、上記の歌詞 は「磯殿 の フサ」の一節である。 このフサは祖神祭第二 回イダス ウプナの三 日日夜に行 われる行事ユ ナー ンのときにウプグフム トゥ. (大 城元)の 庭 で詠誦 された り、第五回 トウリャーギの四日目深夜. から五 日日早朝 まで続 く行事 アサーンのときにウプグフム トゥのなかで詠誦された りす るもの である②。 その内容 は、狩俣の磯殿が妾を求めて伊良部島佐良浜 に赴 き、そ こから連れ帰 った妾が男 の 子を産んで本妻が追放される とい うものである。そのなかで上記の一節 は、磯殿が早朝 に起 き て下女に命 じて水 を持 ってこさせ、手洗い をして食事 をするとい う一連の叙述 として用い られ 「みジとうりゃり さしとうりゃり」 (水 を持 って きなさい 柄杓 を取 って きなさい) てい る。 の「さし」 (ひ しゃく)は 水 を汲むための ものであるか ら、 この五音 の二句 は同 じ内容の事柄 を繰 り返 していることになる。下女に呼 びかけるかたちをとり、また この部分 の前 には「ゆか イむぬ いんす むぬ や りばよ. (吉 かる者. 富貴な者 であるから)」 とあることから、 この、. 朝早 く起 きて水 を持 って くるように命 じるとい う叙述 は磯殿の富貴者ぶ りを表す表現 と考え ら れよう。下女 との問答のかたちを取 る一連の叙述 は「ならみゃイば. 分の御飯 を 殿 の御飯 を 召 し上がれ)/ん きゃぎオでぃ あぎシギでい が らやよ し上がって 上が りす ぎて からは)」 まで続 く。なお、 この一節 にみられるように、 この. ぎよ (召. とうぬみゃイば んきゃ. (自. フサは五 ・五 ・四音 とい う音数律 を基調 とす る。 さて、 この一節 に類似するものが狩俣 の他 のフサ「兼久大按司成 り按司のフサ」「兼久大按 司のフサ」 にも見出される。 これらのフサは第五回 トウリヤーギのアサーンに「磯殿 のフサ」 124.

(3) 「兼久大按司のフサ」 は兼久大按司 とい う女按司が早朝 などとともに詠誦 される。この うち、 に起 きて手を洗い、自分の食事を取 ってから朝御飯 を準備 し、神酒をた くさん仕込 んで家の繁 栄を祈 り、夜 の七 日間お酒を飲んで柱 にぶつか り中座か ら落ちた、 とい う内容 の ものである。 兼久大按司が早朝に起 きて童に命 じて水 を持って こさせて手洗 い をするとい う叙述のなかで、 シ トモてぃん うきてぃ あぎさろん オきてぃ. (早 朝 に. 起 きて). (明 け方に. 起 きて). みジとうりゃり や らび さしむちく あてぃな. (水. を汲んで来い 童 よ). (柄 杓 を持って来い. 幼子 よ). とあ り、 、やは りこの部分の前に「ゆかイむぬ や りば いんシむぬ や りば. (吉 かる者. であ. るから 富貴な者 であるから)」 とあるように、兼久大按司の富貴者ぶ りを表 している。 ところで、このフサは「磯殿のフサ」 と異なり、五 ・三音. (ま. たは五 ・四音)と い う音数律. のものであることが注意せ られる。 したがって、 こうした音数律 のフサが生み出された際、 こ の一節 は五 ・五 ・四. (ま. たは三)音 の ものが五 ・三. (ま. たは四)、 五 ・三. うに二つの二句ずつ に分けられて流用 されて作 られたか、または五 ・三 たは四)音 の ものが五 ・五 ・四音. (ま. (ま. (ま. たは四)音 のよ. たは四)、 五 ・三. (ま. たは三)音 のものとしてまとめられて作 られたか、ある. いはまった く別の音数律 の詞章から五 ・五 ・四. (ま. たは三)音 の もの、 五 ・三. (ま. たは四)、 五 ・. たは四)音 の ものそれぞれとして作 られたかのいずれかであろう。また、ここで取 り上 げた「磯殿 のフサ」 と「兼久大按司のフサ」 は互いにメロデイが異なっている③。すると、 こ. 三. (ま. うした詞章が他の歌の歌詞の一部を流用 して作 り出される際には、歌 の作 り手の意識のなかで はもとの歌の音数律やメロディは一旦無化 されることになるとい うことであろう。作 り手の心 の うちには核 となることばを中心に、メロディの響 きのないことばだけが漂 つているのであろ う。 これはオーラルな歌の うち、歌詞創作 の時間をある程度確保で きる場合における歌詞流用 の問題 として押 さえるべ き重要なポイ ン トの一つである。 さて、狩俣ではこうしたフサ以外にも、踊 り歌クイチャーに多 くこうした叙述がみられ、 こ れらにもやはり五 ・四音基調 の ものと五 ・五 ・四音基調のものとの両方の音数律形式の ものが みられる。 たとえば、崎原真玉 とい う富貴者を歌 う「崎原真玉」では、その富貴ぶ りを表す叙述 として、 シ トもてぃん ぴゃ― しオき あぎさ口ん ぴゃ― しオき みジとぅりゃり や らび さしむち く あて ぃな. (早 朝に. とび起 き). (明 け方に. とび起 き). (水. を取 りなさい 童). (柄 杓 を持って来い. 幼子). のように五 ・四音基調で歌われ、食事を取ることへ と続 いている。 一方、ユナウンとい う家 の娘のことを歌 った「ユ ナウンの姉がま」では、 シとぅむて ぃん あぎさ口ん ぴゃ― しオき. (早 朝に. 明け方に 飛 び起 き) 万葉歌における歌詞の流用 125.

(4) みず とうりゃり さしむちく あて ぃな. (水. を取 りなさい 柄杓 を取 って来なさい. 幼子) のように五 ・五 ・四音基調で歌われている。 ところで、この一節 は良家の娘の暮 らしぶ りを表 しているのであるが、 この後に続 く部分 は 「みジ う―なオ さしう―い きゃ さまで ぃが. (水. を何 柄杓をいかが. なされますか)/て ぃ. シみシでぃ い きゃらシでぃ あて ぃな (手 を洗 い ます 腕 を洗 い ます 幼子)/て いシみ でゃ―ん い きゃらでゃ―ん あてぃな ら「ばがて ぃイば い して ぃイば. (手 洗 い さえ. とういむち. 腕洗い さえ. (わ た しの竹籠 を. (し. てからは)幼 子)」 か. 磯籠を 取 り持 って)」 に. 直接続 き、友だち とともに潮干狩 りに出かけることへ と展開してゆ く。 この続 き方 は先のフサ やクイチャー「崎原真玉」 にみられる、食事を取ることへ と続 くかたちとは異なっている。 こ れは食事部分を除いたかたちで流用 して歌詞を作 り出した可能性がなくはないが、それでは何 のための手洗 いかが明確でないこととなる。 この歌の長 きにわたる伝承過程 のなかで食事 を取 る部分が脱落 したとい うことなのであろうか。 狩俣集落 と海を隔てる池間島のクイチヤー「姉がま家」では、 ヨナクミャとい う家の娘 の豊 かな暮 らしぶ りを表す叙述 として、 しぃとぅむとぅん あきちあるん はしうき ならみやい. うんさぐや みゃらまい. (自. (早 朝 に. 明け方に 早 く起 き). 分のご飯 御神酒 を召 し上が られて). んみゃいでいしてぃ んきゃぎして い あ とうんな. (も. う召 し上が られて 召 し上が られ. て 後 には) み じぃむてぃ く― さしとうらり やらび. (水. を持 って来い 柄杓 を取 りなさい 童 よ). とあって、水 を持 って くることを命 じて手洗いす るとい う部分 の前にご飯を食べ、御神酒を飲 むとい う句が入 り込み、不 自然なものになっている。これは他の歌の歌詞を流用 して新たな歌 を作 り出す とい う創作段階での問題ではな く、 この歌の伝承過程 において前後の詞章の入れ替 わ りが生 じたのであろう。 「狩俣 の伊佐 メガ」冒頭 の、 また、池間島のクイチヤーには、 かイまたぬ い しゃみが いシはらぬ みやるび い しゃみがが みやらびぬ. (磯 倶1の. んまりや なさいや. シとぅむてぃん あぎちゃ口ん. (狩 俣 の. うきてい. 乙女). (伊 佐 メガの. (乙 女の. うき―. 伊佐 メガ). 生まれは). 生されは). (早 朝 に. 起 きて). (明 け方 に. 起 きて). さ トノかジ あい き―. (里. ごとを 歩 き). むらぬかジ あい き―. (村. ごとを 歩 き). のように、下女や童に水 を持 って くるように命 じて手洗い し、食事 をするとい う部分 を欠いて 126.

(5) 朝早 く起 きて行動するとい う叙述を取 るものがある。狩俣 のクイチャーにも「伊佐 メガ」 とい う同内容の歌があ り、それには、伊佐 メガが富貴な人であるから水 を持って くるよう童 に命 じ、 手洗 い して食事をする、 とい う部分が存 している。また、この池間島の歌でも「い しゃみがが んま りや. (伊 佐 メガの. 生 まれは)み や らびぬ なさいや. (乙 女の. 生 されは)」 とあるので、. それに続 く詞章 として富貴な娘 のふるまいを表す叙述が存 していたことが考えられる。こうし た点から、 このような部分が伝承 の過程 で脱落 した可能性が高い。 しか し、八重山の歌におい てはこうした、朝早 く起 きて行動するとい う叙述 を取 る多様な例 を見出す ことができる。この 歌にあ っては伝承における詞章の忘却に関わるものだったと思われるが、その一方で歌が伝 「シとぅむてぃん 承 ・生成 されるなか、 (明 け方 に. うき―. (早 朝 に. 起 きて)あ ぎちゃ口ん. うきてぃ. 起 きて)」 のみで新 たなイメージが喚起 されるようになり、歌詞が新たに作 り出さ. れる際に好まれて積極的にこの一節が流用されてゆ くこととなったのであろう。 さらに、同じ池間島のクイチ ャー「 自分の亀 のアーグ」には、亀が西表島古見の前泊浜に産 卵 のため上陸すると、 くんぬ しゅ―が いん ぐな― まない しゅ―が. (古 見 の主の. さうとぅりゃが. いんまま りゃ― いばよ. (海. あきちゃるん. うきて ぃよ― うきてぃよ―. ない主の 竿取 る者. (砂 州を回って. (朝 早 くに. (明 け方に. とぅいむてぃ. (自. かにとうぎゃや. とぅいむてぃ. (鉄 の錯 を. 起 きて). 分 の錯を 取 り持 って). (海 回 りを. さシうばまりゃ やいばよ. みれば). 起 きて). ならとぅぎゃや. いんまま りゃ やいばよ. (漁 夫〉が). を回って みれば). さ―すうぐわま― りゃ いばよ― す とぅむてぃん. (ま. 海の係 りが). 取 り持 って). すれば). (砂 州回 りを. すれば). とい うように、朝早 く起 きて行動するとい う叙述が、歌の冒頭部分でな く、歌の新たな展開が なされる部分においてみられる。 この歌では亀が主人公 として歌い出されるのであるが、この 部分では漁夫の行動を叙述することに転 じている。そのなかで「 、いんまま りゃ― いばよ を回つて みれば)/さ ―す うぐわま― りゃ いばよ―. (海. (砂 州を回って みれば)」 と「いん. ままりゃ やいばよ (海 回 りを すれば)/さ シうばま りゃ やいばよ (砂 州回 りを すれば)」 とい うように、漁夫の行動について同様 の叙述が三度繰 り返されてお り、不 自然な叙述のよう にみえる。 しか し、 これは漁夫が海に行 くことをまず歌 ってこの部分での主体 の交代を印象づ け、次いでその人物が朝早 く起 きて鈷を取 り持 ってとい うように重ねているのである。朝早 く 起 きて とい う叙述 は歌の新たな展開を印象づ ける一節になっているのである。 八重山諸島の石垣島との間にある多良間島ではクイチ ャー「かんなたな殿」に、 す とむてん 起 き. (朝 早 く. 起 きて) 万葉歌 における歌詞 の流用 127.

(6) あきしゃるん. しゃしとらで めが 水 とらで. (明 け方に. 目ざめ). (柄 杓 をくれ. メガよ). じゅり. しゅめ. (水. をくれ 女). とあるが、 これに先立つ部分 は「かんなたなどぬ んたど― まいふが. (か んな田の. んたど―. 田の働 き者)」 とあるのみで、 この部分が宮古島狩俣 のフサのような富貴者ぶ りを表す叙述 で あるのかどうか判然 としない。また、この部分の後 は「しゃしゆ ぬ―すでか 水ゆ け―す でか (柄 杓 を どうす るのですか 水 を 何 に使われるのか)/手 をすみで めが いなで しゅ しゅめ (手 を洗 うのだ. で. で し―ぬ そ でゃ. メガ 腕 を洗 うのだ 染 め (女 〉)/手 をすみぬ. あ とや (手 を洗 った. ぬ― し. (自. あ とや. 後 には)/な ら着物や. 後 には 腕 を洗 つた. いな. び しゆきぬ. 分 の着物 をとり出 し 袖 を貫 き)」 の よ うに続 き、先 のクイチ ヤー「ユ ナ. ウ ンの姉が ま」 と同様、食事 を取 ることへ は展開 しない。着物 の袖 に手 を通 して身支度 をす る とい う展開 は後 に取 り上げる八重 山の歌 に もみ られるものであるが、手洗 い と着物 を着 け る こ ととは直接 的な繋が りを持 たない。狩俣 の クイチ ヤー「宇堅 の按司 は」 には、「シ トモて ぃん ぴゃ― しオ き (早 朝 に 飛 び起 き)あ ぎさ口ん ジ と うりゃ り や らび (水 を取 りなさい さい. 幼子 )/み ジオなオ. さまで ぃが (水 を何. あて ぃな (腕 を洗 い ます. なされ ま した ら)い きゃらで ゃ― ん イば. ん きゃぎ. 童 )さ しむち く―. とび起 き)/み. あ ていな (柄 杓 を持 って来な. なされ ますか)さ しオい きや. なされ ますか)/て いシみシで ぃ や らび (手 を洗 い ます. が (柄 杓 をいかが らシで ぃ. ぴゃ― しうき (明 け方 に. (自. 幼子 )/て いシみで ゃ― ん さまで ぃが (腕 洗 い. さまで ぃ. 童 )い きゃ. さまで ぃが (手 洗 い さえ. なされ ま した ら)/な らみ ゃ―. 分 の朝飯 を 召 し上が って ください)オ んさごば. み ゃ― イで い (御 神酒. を 召 し上が って ください)/ん きゃぎ わ― しが らや (召 し上が られてか らは)み ゃ― イで い わ― しが らや オい しゃオば. (召. し上が られてか らは)/な らキんば. と うりか き. (自. 分 の着物 を. と りかけ). かたか き (お 衣装 を 肩 にかけ)」 とあ り、 この よ うに手洗 いの後 の食事 か ら. 着物 を着 ることへ と展開す る歌のある ことを考 えると、 この多良間島のクイチ ヤー はこ う した 叙述 の食事部分 を除いたかたちで流用 して歌詞 の作 り出された可能性がな くはないが、やは り 伝承過程 におい て脱落 した可能性が高 い ように思われるのであ る。. 次に、八重 山諸島におけ る様相 をみる こととしよう。 当該 の叙述 は八重 山の古謡 ジラバ やユ ンタに もみ られる。 石垣 島白保 のジラバ 「や くじや ま じらば」 には、 朝花 に す りんちよ り (早 朝 の 朝 まだ きに 起 き生気 づ きなさ り) 水 むち く― さちむち く― わるべ ま (水 を持 って来 い 柄杓 を持 って来 い 童 よ) とあって、ほぼ同内容 の叙述 を見出す ことがで きる。 これに先立つ部分 は「大石垣 きたむれ 朝 むでぬ. 128.

(7) ぬ や くんじやま. (大 石垣島. とあるので、宮古島狩俣 慶田盛家の ヤクンジャマ 〈 女名〉 )」. のフサやクイチャーなどと同様、富貴な家 の娘 であることを表 してい るのであろう。 しか し、 その後 の展開は手を洗 って食事 をするとい うものではな く、 「水 むちき さちむちき なゆ し ゆでよ―. (水. るべ よま―. を持って来て 柄杓 を持って来て 何 をす る)/う むて しめ 手 しめるんて わ. (顔. (身 撫でをして (内 の床 に. を洗い 手を洗おうと 童 よ)/身 なで して 手 しめてから なゆしゆでよ― 手を洗 ってか ら 何 をしなさる)/う ちぬゆか. うらざゆか ぺ りお りよ―. 裏座 の床に 入 ってい らっしゃ り)/さ ばちば く あんだ じよば いだ しより (櫛. 箱 を 油壺を 出しなさり)/な らからじ ゆむからじ ゆいびせ よ. (自. 分の髪を その髪を. 結 い置 き)」 とい うように、身撫 でをし手を洗 って裏座 の床に入 り、身支度をするとい うもの であって、多良間島のクイチャーなどと通 じるものである。なお、八重山諸島の歌には、手を 洗 って食事を取るとい う宮古諸島の歌 のような展開は現在 のところ見出せない。 黒島のユ ンタ「いんしが ―ぬ ゅんた」は多良間島で横死 した宮古島の英雄金志川金盛 0の 与那国島平定を歌 った歌であるが、その冒頭部分に、 朝に うきてぃ. (早 朝に. 起 きて). あさばなに す りてぃ. (朝 早 く. ふ しぃむちく ゃらび. (櫛. 水 むち く いびさ. (水. 生気づ き). を持 って来い 童). を持って来い 幼い子). とい うように、当該の一節 と類似する内容の叙述がみられる。 もっとも、ここでは「水 むち く」 (水. を持って来い)と 同じ内容の「さちむち く」 (柄 杓 を持って来い)を 繰 り返 し的に連ねるの. でな く、別内容の「ふ しぃむち く」 (櫛 を持 って来い)と い う語句 を連ねている。これは金盛 の豪族 としての暮 らしぶ りを表 している。そ うして身撫でをし手洗い をして島を統治 しようと することへ と展開してゆ く。 これは五 ・四 (ま たは三)音 基調の音数律 をもつ ものであるが、 石垣島新川 ・石垣 ・登野城 ・ 大浜集落や竹富島に伝承 されている五 0五 ・四音基調の「慶田盛ぬ くんちぇ―まゆんた」でも、 しぃとぅむでぃに 朝 ばなに 起 きす り 水 むち く 櫛取 りく やらベー ま. (水. (早 朝に. 朝まだきに 起 き生気づ き). を持って来い 櫛 を取 って来い 童 よ). とい うように、水 と櫛 とを求めるとい う同内容の叙述がみられる。八重山諸島では、当該の叙 述が流用を重ねられるなかで、 このような一節が生み出されてきたもののようである。 さらに、宮古諸島の歌にもみられた、朝早 く起 きて行動するとい うのみの叙述 とい うかたち の ものについてみてお くこととしたい。 小浜島のジラバ「作方 じらま」では、 うるじぃ. (ん )ぬ. 若夏ぬ 立つだら. (初 夏が. しぃとぅむでぃに あさぱなに うきやぶ り 東かい ひんが しかい. うがみば. (東 に. 若夏が 立ったら). (早 朝に. 朝 まだきに 起 きてお り). 東方に 拝む 〈 望む〉 と) 万葉歌 における歌詞 の流用. 129.

(8) ず りぬ花. あかるかい しゃ さきゆ りば. 明るく美 しく 咲いてお り). (梯 梧 の花. とい うように歌われる。 ここでは当該部分 の朝早 く起 きて とい う個所 のみが朝 の美 しい光景 を 見出す文脈 に流用 されている。 この、朝早 く起 きてとい う内容の句 は八重山諸島では好まれたものとみえ、各地のさまざま な歌 の詞章のなかに流用されている。 黒島のユ ンタ「ぱなりちいちいや―みゆんた」では、下地島の乙女が、 しぃとぅむでぃに 起 きて ぃ 朝 ぱなに す りてい. (朝. (早 朝 に. 起 きて). まだきに 生気づ き). いびらぐば びじいなぎ. (穴. を 肱にぬ き). うなて ぃ りぃば 取 りゃ持ち. (自. 分の穴 を 取 り持ち). として、その穴を持 つて前の嶺 に登 り、赤土を掘 り出して土鍋 を作 って船で各地を売 り歩 くこ とが歌われている。 竹富島のユ ンタ「はとうままり」では、鳩間島生まれのブナシ トウが誕生 して、 ひとぅむて ぃに 起 きす り (早 朝 に 起 き生気づ き) 朝 ぱなに ににす り. (朝 はや く. 眠 りからさめ). 七つ鐘. ざらんが し. (七 つ鐘を. ザランと鳴らし). 鳴 る鐘. どうみんが し. (鳴 る鐘を. 打ち鳴 らして). とし、浜に出てみる と漂木が寄 って き、儒艮 0亀 の夫婦が寄るので料理 しようと歌 われる。 石垣島平得集落のユ ンタ「い らふねゆんた」では、平得村の若者が、 す とぅむで ぃぬ あ― さぱなに うけす うり (早 朝 の 朝まだきに 起 き生気づ き) つかいば―ば てぬ まさり とうりむち (使 い刃 (農 具)を 手勝 り (農 具)を 取 り持 ち) しぐとうふつ い. しかまふつ いでたち. 仕事 口へ. (仕 事 ロヘ. 出で立ち). とい うように歌われる。 これらの歌には、宮古諸島・八重山諸島の多 くの歌 と同様、歌の冒頭部分 において朝早 く起 きて とい う内容 の句が歌われているが、次の例では宮古諸島池間島のクイチヤー「 自分 の亀 の アーグ」 と同様、歌 のなかで新 たな展開をする部分 において歌われる。 みや殿 の「ゆ 「 じるく武士」と呼ばれる、 黒島のユ ンタ「んざとうらじるくぶ しゆんた」では、 らり子」 (私 生児)は 親 に逆 らう生まれをして筆 も取 らず箆 も持 たず、弓の手を練習 し、 しぃとぅむで ぃに あ しばなに うきす り うぷゆかん さしいゆかん. とうん入 り. はいぬふた はくぬふた あきていよ. (早 朝 に. (大 床 に. (櫃 の蓋を. 朝まだきに 起 き生気づ き) さしい床 (未 詳〉 に 飛 び入 り). 箱 の蓋を 開けて). とあ り、その底 にあつた着物 を着て弓を射、集 まった乙女 たちのなかから一人の娘 を見初めて 求婚す ることへ と展開 している。 この一節 は、主人公がある日身支度 をして弓を射、観衆の乙 130.

(9) 女 の一人 を見初める ことになるとい う、その「 ある日」 に相 当す る。特別なで きごとが生起す る晴 れが ましい発端 をこの一節 は表 してい ると考 えられる。 また、同 じ黒島のユ ンタ「新村 ゆんた」 では、新村 の港 に ミジ ュンやパ ダラの群れが寄 って きたので役人が家の妻 ・乙女 に苧麻 を紡がせて大 目網 を作 り、 しぃと ぅむでぃに 起 きて ぃよ (早 朝 に 起 きて) あ さばなに す りていよ (朝 まだ きに 生気 づ き) 大 目網や 腕 にか け (大 目網 を 腕 に掛 け) 八爪網や. ぴ じぃにぬ き (八 つ 目網 を 肘 にぬ き). 前泊 に 走 りや行 き (前 泊 に 走 り行 き) うな泊 に 飛 びや行 き. (自. 分泊 に 飛 んで行 き). 浦 ば廻 り 行 きば ど ぅ (浦 を廻 って 行 くと) 崎 に巡 り 行 きば ど う (崎 を巡 って 行 くと) とあ り、網 を巻 い た ら小魚 は捕れず、乙女が巻かれて きて、とい うように展開す る。 ここでは、 港 に小魚の群れが寄 って きた ことが特別 なで きごとの発端 になるのであるが、海で網 を巻 くと い う直接的 な行為の発端 を表す もの として、 この一節 は歌 われるのであろ う。 最後 に、とりわけ注 目される もの として、黒島のジラバ 「 まべ らち じらば」 を取 り上げよ う。 このジラバ では、 しとむてに ヨ 朝花 に. うきす リヨ (早 朝 に 朝 まだ きに 起 き生気 づ き). 鍋 しきリヨ 釜 しきり まべ らち ヨ (鍋 を据 えよ 釜 を据 えよ マベ ラチ よ) み じふみ く―. ちるあや く まべ らち ヨ (水 を汲 んで来 い 釣瓶 を揚 げて来 い. マベ ラチ. よ) とあ って、水 や柄杓 または櫛 を持 って こい と命 じる部分が 「鍋 しきリヨ 釜 しき り」 (鍋 を据 えよ 釜 を据 えよ)「 み じふみ く―. ちるあや く」 (水 を汲 んで来 い 釣瓶 を揚 げて来 い)と 重. ね られる。 しか し、大 きく異 なる点 として注 目されるのは、 これがその富貴者 ぶ りや支配者 と しての暮 らしぶ りを表 してい るのではな く、 乙女 マベ ラチの苦難 の様子 を表す もの となってい る ことで ある。 これに先立 つ 部分 として「 な ら叔母 の ヨ 従叔母 の. 言葉 ヨ. (自. 分 の叔母 の. 従叔母 の 言葉が)と あ り、 この部分が従叔母 のマベ ラチに命 じる言葉 だ とい うことが知 られ よう。 これまで取 り上 げて きた事例 とは性格 を異 にす る文脈 に こ う した歌詞が流用 されてい る ので あ り、歌詞流用 の諸相 の一 つ として注 目され特筆 されるべ きことで ある⑤。 この よ うに、八重 山諸島におい て も、宮古島狩俣 の フサにみ られるよ うな、富貴 な人物が朝 早 く起 きて童 に水 を持 って くるよ うに命 じるとい う一節が流用 されて、 さまざまな様相 をみせ るのである。 以上、綾 々述べ て きた ことを整理 してお きたい。 まず、宮古 ・八重 山の歌 は長年 にわたって伝 承 されて きた ものであるか ら、 これ までみて き 万葉歌における歌詞の流用 131.

(10) たように、そ こには伝承的側面 と生成的側面 との両方の要素があって複雑な様相 を呈 してい る が、 ここでは新 たな詞章 を作る上での歌詞の流用の問題 を論 じてゆ くのであるから、その生成 的側面において知 られるところを引 き取 ることとしたい。 まず、 ここに取 り上げたように、五 ・五 ・四音基調の歌 と五 ・四音基調の歌 の双方 に同内容 の叙述の句が存することから、一方の形式の歌から他方の形式の歌に、あるいはまった く別の 形式の歌からそれぞれの形式の歌に歌詞が流用 されて新たな詞章が生み出される際、作 り手の 意識 のなかではもとの歌のメロデイは響 くことなく、新たな歌の音数律やメロデイに合わせて 作 られたと考えられる。 したが つて、音数律やメロデイを超えて歌詞を流用す ることができる のである。 こうした歌 は、歌 いなが ら即座 に、即興的に歌詞を生み出すのではなく、必要な時 間を費や しなが ら頭 のなかで詞章が作 られるからであろ う。 次 に、朝早 く起 きて とい うような、叙述の一部のみが新 たなイメージをもって異なる文脈 の なかに流用 され、新 たな詞章を生み出してゆ くことがある。また、その場合、伝承過程におい て人 々の意識が働 き、次第に一部分の詞章のみが好まれて他の部分 を脱落させるようなことも 起 こったであろう。八重山の歌における豊かな展開はこうした ことを思わせるものである。 なお、 このようなこととは別 に、八重山を含む奄美 ・沖縄地域 の歌には、本土地域の田遊 び 「北風が吹 詞章 との関連が深 い稲 の成長過程 を叙述する呪詞やさまざまな形式の歌があって、 くと南 のアブシ (畦 )を 枕 にし、南 の風が吹 くと北のアブシを枕 にする」 とい う内容の、稲 の 豊かな稔 りを表す叙述の一部 をもとにした「あぶ し枕」 とい うことばが単独で短詩型の歌に用 い られてい る。 これは新 たなイメージをもって異なる文脈のなかに流用 されたものではな く、 こうした叙述の流用が繰 り返されて凝縮 され、豊かな稔 りを象徴す る鍵語 として生み出されも のなのである。 こう した現象 も注 目されるところである“. )。. さらに、黒島の「まべ らちじらば」にみ られるように、朝早 く起 きて水 を汲むよう命 じて手 洗い をして食事を取 るとい う主人公の富貴者ぶ りを表す叙述を流用 しなが ら、その主客を逆 に して命 じられる立場 の主人公の苦難ぶ りを表現す るような作 り方 もみられる。歌詞流用 の優れ た方法 とい うべ きものであろ う。. こうしたところを踏まえて、古代 の歌における歌詞流用の問題 に向かうこととしよう。 まず、歌詞流用 とメロデイの問題である。 ところで、『万葉集』 の類歌関係 にある歌では同一表現 のものばか りでな く、 二人行け ど行 き過 ぎ難 き秋山をいかにか君が ひとり越ゆらむ (二 ・一〇六) 朝霧 に濡れにし衣干さず してひ とりか君が山道越ゆ らむ 玉かつ ま島熊山の夕暮れにひ とりか君が山道越ゆらむ. (九 ・一六六六). (十 二 ・三一九三). の一首 目と二 ・三首 目のように類似句であるものも多い。その創作 において記憶 の海 に沈 んだ 132.

(11) 歌詞が喚 び起こされて流用 されるのではあるが、い うまでもなく表現 に無自覚であるわけでは 決 してない。一首 目の歌は二 ・三首 目の「ひとり」のところを「いかに」とす るが、これは「二 人行けど行 き過 ぎ難 き秋山」を「いかに」「ひと り越」えるのか とい うのであって、的確 なこ とばが選 ばれた歌 となっている。二 ・三首 目の歌 も一 ・二 ・三句 目で条件や状況を詠 じ、 「ひ と り」で「山道」を「越」えるのかとす る。「いかに」 と「ひと り」 と、それぞれの歌におい て重 きをなしている。 み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜 も我が ひとり寝 む 霰降 り板敢風吹 き寒 き夜や旗野に今夜我がひとり寝 む. (一 ・七四). (十 ・二三三八). は五句 目が同一の表現 となっている。また、四句 目の「はたや」 と「旗野」 は、おそらく偶然 かと思われるが、類似の音 の語句になってお り、 「今夜 も」「今夜」の語句 も含め、四句 目全体 として類似句 といえよう。 しか し、前歌は「はたや」 と「 も」 とが緊密 に呼応 して旅宿 りの辛 さを強調するものとなってお り、また後の歌 は旗野 とい う土地での思いに焦点が当てられてお り、それぞれに深い表現 となっている。旅宿 りについてのこうした句 はこの時代、多 く詠 じら れた ことであろうが、 これらの歌はその歌詞 の無自覚で安易な流用 とい うようなものではあ り 得ない。そのような句を意識の下にいったん沈め、歌が生み出される際に緊密なことばの連な りとなってそ こから汲み上げられてきたものであろ う。 さて、万葉歌の表現 はこのような レベルにあるものであるが、類歌関係にある同一 または類 似 の語句の位置関係について着 目すると、 これらのものは同一順 の句同士である。万葉歌には こうした例は多いが、このような同じ句順 であれば、そのメロディもおおむね同 じと考え られ る。 それでは、 これ も万葉歌 に多 く見出せ るが、 梓弓引 きみ緩へ み思 ひ見 てす でに心 は寄 りに しものを (十 二 ・二 九八六) 今更 に何 をか思はむ梓 弓引 きみ緩へ み寄 りに しものを (十 二 ・二九八九) や 、. 菅 の根 のね もころ君が結 びたる我が紐 の緒 を解 く人 はあ らじ (十 一 ・二 四七三) 浅葉野に立 ち神 さぶ る菅 の根 のね もころ誰が故我が恋 ひな くに (十 二 ・二八六三). のような、一 ・二句 日と三 ・四句 目またはその一部が共通するような場合 はどうであろうか。 万葉歌が語句の繰 り返 しやメロディにおいてどのように音声化 されたか定かではない0が 、 多 くは詠誦 されるものであ り、一部に楽器などを伴 って歌唱されるものであ ったと思われる。 この うち、詠誦される場合には各句のメロディにおける違いはさほど大 きな問題にならないで あろうが、歌唱される場合にはその点が問題 となろ う。やや後代 の短歌形式の歌唱についての 資料 の一つ として、歌い まわしの符号が付 された平安時代初期 の 『琴歌譜』がある。その三番 歌「片降」の「ゆふ しでの かみがさきなる いなのほの. もろほにしでよ これちふ もなし」. とい う短歌形式の歌は「ゆふ しでの かみがさきなる いなのほ めや いなのほの. もろほ. 万葉歌における歌詞の流用 133.

(12) に しで よ これちふ もな し」 と三句 目を繰 り返 し、「めや」 とい う囃子詞 を加 えて歌 うかたち である③。神野富 一氏他 「琴歌譜注釈稿 (一 )」 はこの歌 の歌詞 に付 されてい る手 の数 とその 位置 は前段 「ゆふ しでの∼」 と後段 「い なのほの∼」 で完全 に一致 ・対応 し、歌 い まわ しの符 ⑨ 号 もほぼ一致 してい ることを指摘 してい る 。万葉歌が これ と同 じように歌唱 された とす るな らば、一 ・三句 目と三 ・四句 目は同 じ歌 い まわ しとな り、メロデ イな どは一致す ることになる。 しか し、次 の よ うな歌 の場合 はこ うした もの と異 なる ことになろう。 菅 の根 のね もころ君が結 びたる我が紐 の緒 を解 く人 はあ らじ (十 一 ・二 四七三) 菅 の根 のね もころごろに照 る日にも乾めや我が袖妹 に逢 はず して (十 二 ・二八五七 ) 高山の巌 に生 ふ る菅 の根 のね もころごろに降 り置 く白雪 (二 十 ・四四五四) あ しひ きの山菅 の根 のね もころに吾 はそ恋ふ る君が姿 は (十 二 ・三〇五 一) 二首 目の一 ・二句 目と三首 目の三 ・四句 目とが 同一句 であっ 二首 目と三首 日とは、 この うち、 て、先の場合 と同様 である。 しか し、『琴歌譜』「片降」 の歌 い方 によるな らば、四首 目の二句 目・三句 目の一部 「 (山 )菅 の根 のね もころ. (に. )」. と一首 目の一句 目・二句 目の一部 「菅 の根. のね もころ (君 が)」 とはメ ロデ イが異 なる ことになる。 四首 目の「山菅 の根 のね もころに」 とい う語句 は、一首 目の「菅 の根 のね もころ」、二首 目・ 三首 目の「菅 の根 のね もころごろに」 とい う、歌 の作者 たちが枕詞 として耳慣 れていた語句 を 流用 して生み出 した ものか と思われるが、そ の場合、異 なるメロデ イの詞章か ら流用 された こ とになる。歌の詞章が必要 な時間を費や して生み出され るとき、宮古 ・八重 山の歌 にみた よう に、 もとの歌 のメロデイは響 くことな く、新 たな歌の音数律やメ ロデ イに合 わせて作 られる こ とになると考 えられる。 したが つて、い まの場合 も、音数律や メ ロデ イを超 えて歌詞 を流用す る ことがで きたのであろう。 次 の ものは短歌形式 の歌 の二句 目・三句 目と旋頭歌形式 の歌 の二句 目. 0三 句 目が類似句 にあ. る場合である。 味酒 を三輪 の祝が斎 ふ杉手触れ し罪か君 に逢 ひ難 き. (四. ・七一二). み幣取 り三輪 の祝が斎 ふ杉原薪伐 りほ とほとしくに手斧取 らえぬ (七 ・一 四〇三) この例 では、短歌形式 の歌 の二句 目 0三 句 目「三輪 の祝が斎 ふ杉」 と旋頭歌形式 の歌 の二句 目・三句 目「三輪 の祝が斎 ふ杉原」 とは類似す る。先 に取 り上げた 『琴歌譜』 には旋頭歌形式 の歌 として八番歌の「継根扶 理」が載せ られ、そ こでは三句 目と六句 目とがそれぞれ繰 り返 さ れてお り、全体 は八 句 である。その二句 目と三句 目の手 の数 はそれぞれ二つで ある。 これに対 して、先 の「片降」 は全体が六句か ら成 り、 また二句 目の手 の数 は四つ、三句句 目の「 い なの ほ めや」 は四つ である。 こ う した詞章や音楽的な形式 の違 いか ら、短歌形式の歌 の二句 目・ 三句 日と旋頭歌形式 の歌 の二句 目・三句 日とが 同 じメ ロデ イであった とは考 え られないであろ う。 しか し、 こ う した場合 に も歌詞が類似 してい るのはその流用が行 われた結果 と思われる。 いず れか らいず れへ の流用かについ ては定 めがたいが、 134.

(13) 神奈備 の三諸 の 山に斎ふ杉思 ひ過 ぎめや苔生す までに (十 三 ・三二二八 ). のように、三句 目が同じ歌が他にもあることからす ると、短歌形式の歌の「三輪の祝が斎ふ杉」 のほ うがより広 く知 られていた可能性が高い ように思われる。そ うだとす ると、この語句を含 む短歌が流布す るなかで耳 に馴染 んでいた作者が もとの歌の二句 目・三句 目の語句 のことばの みを想起 し、旋頭歌の音数律 とメロディに合わせて作 り出したとい うことになろう。 このように、万葉歌においても歌を作 り出す際に歌詞の流用がなされる場合、歌唱された歌 を含 めて、もとの歌 のメロディは響 くことなく、その音数律 と各句のメロディに合わせなが ら 創作 されたであろうことを改めて確認 した次第である。. 四 次に、比喩表現に関わる歌詞流用について考えてみたい。 奥 山の菅の葉 しの ぎ降る雪の消 なば′ 1昔 しけむ雨 な降 りそね (三 ・二 九九) 奥 山の真木の葉 しの ぎ降る雪のふ りは増す とも地に落ちめや も (六 ・一 〇一〇) 高山の菅 の葉 しの ぎ降る雪の消 ぬ とか言 は も恋の繁け く (八 ・一六五五 ). これらはいずれも三句 目までが類似句からなるが、相互の直接的・意識的な流用関係がある わけではないであろう。耳慣れた語句が浮かんで、それが踏まえられたものかと思われる。 一首 目は奥山に降った雪が雨に消えないで くれ と願 うもので、上三句は眼前または想像 され た景である。「降る雪 の」について「降る雪 は」 とあるべ きところと指摘 されるが、 この歌 の 下三句 も類似句の歌がある(1° ので、ここは流用された歌表現が強 く現れたものであろうか(H)。 二首 目は奥山の真木の葉に覆いかぶさって降る雪が どれほど降 りしきろうとも橘が地に落ち るような ことはない と詠 じる。この歌 の上三句 は歌 のなかでの実際の景である(1つ 。 この歌 は 葛城王が臣籍に降下 し、母の県犬養宿祢三千代が賜 わった橘宿祢 の氏姓を受け継 ぐことを願っ て賜わった際の卑宴において子の奈良麻呂が詔に応えたもので、 「地に落ちめや も」はその家 が没落 しないことを寓 して天皇への誓約 と謝意をこめている。上三句 は耳慣れた表現が流用さ れてはいるが、吉井巌氏 『萬葉集全注 巻六』などの指摘するようにこの歌 は天皇の勅が踏ま えられている。安易な流用 とい うような レベルではないことはい うまで もない。 三首 目は上三句を序詞 とし、それを比喩 として「降る雪」のように命が「消ぬ」 (7肖 えて し まう)と 言おうか(19、 とする。阿蘇瑞枝氏 『萬葉集全歌講義』 はこの序詞 について「消えや すい印象 もさほどでな く、適切な比喩 とも思えない」 と指摘する。 この「降る雪の」の類似句「降 り来る雪の」を詠み込んだものとして、 一 日見 し人 に恋 ふ ら く天霧 ら し降 り来 る雪 の消 ぬ べ く思 ほゆ (十 ・二 三 四〇 ). 夢 の ごと君 を相 見て天霧 らし降 り来 る雪 の消 ぬべ く思 ほゆ (十 ・二三四二) があ り、や は り「天霧 らし降 り来る雪 の」が「消」 に比喩的に繋 ぐ序詞 となっている。空一面 を暗 くしてにわかに降 って くる雪 の消 えやす いこ とは万葉時代の大和 の人 々が経験 していたこ 万葉歌における歌詞の流用 135.

(14) とと思われ(И. )、. この序詞 はこうしたところを踏まえてい るのであろ う。それに比 して、先 の. 三首 目の序詞「高山の菅の葉 しの ぎ降る雪の」 は 『萬葉集全歌講義』 の指摘す るように消えや すい とも思えない。 この表現 は経験的な知覚 によるものでな く、『万葉集』 に採録 された歌以 外 にも当時生み出されていた数多 くの歌に含まれていた、こうした類似の語句が記憶の底か ら 浮かび上が り、それを踏まえて生み出されたのではあるまいか。 このように、現実 には雪にはさまざまな降 り方があ り、またそれを叙述す る表現があつたが、 そうした違い を超えて、 道に逢 ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹. (四. ・六二四). では「降る雪の」が「消」の枕詞 となっている。 沫雪の消ぬべ きものを今 までに流 らへぬるは妹 に逢はむとそ (八 ・一六六二) 「降 る雪の」が「消」の枕詞 の「沫雪 の」の「沫雪」であれば消えやすい ものといえようが、 化す るのはこうした表現の流用が重ね られ、共通の認識が醸成されていった結果ではなかろ う か。 「消」 に繋 ぐ序詞 の景物 としては他に「露」「霜」「雨霧」な どがあ り、 ここでは「露」を取 り上げてお こう。 秋付 けば尾花が上 に置 く露 の消 ぬべ くも我 は思ほゆるか も (八 ・一五 六四) 咲 き出照 る梅 の下枝 に置 く露 の消 ぬべ く妹 に恋ふ るこの ころ (十 ・二三三五 ) 朝 日さす春 日の小野 に置 く露 の消 ぬべ き我が身惜 しけ くもな し (十 二 ・三〇四二) これ らの歌 は「∼ に置 く露 の消 ぬべ く. (き. )」. が共通 してお り、 こ うした語句 の流用が繰 り. 返 されて きたことが思われる。一首 目の尾花 の上 に結ぶ露、二 首 目の照 り輝 くばか りに咲 い た 梅 の下枝 の露、朝 日さす野 に置 いた露、いず れ もはかな く消 える もの として比喩的 に「消」 に 繋 ぐ序詞 としてふ さわ しい ものである。 「露」 は、 夕置 きて朝 は消 ぬる白露 の消 ぬべ き恋 も我 はす るか も (十 二 ・三〇三九). と詠 じられるように、夕方 に結び、次の朝 には消えて しまうはかない ものとされてきた。この 歌ではその ことが叙述 されているが、 このような叙述 をあたかも凝縮 したかのような語が「朝 露」である。 このことばは早 くからこうしたイメージを喚起す るものだったと思われ、柿本人 麻呂の吉備津采女挽歌には「……・時な らず 過 ぎにし子 らが 朝露のごと 夕霧のごと」(二 ・ 二一七)の ようにみえている。そ して、 このことが、 父母が 成 しのまにまに 箸向かふ 弟の命 は 朝露の 消易 き命 神 のむた 争 ひかね て 葦原の 瑞穂 の国に 家なみや また帰 り来ぬ…… (九 ・一八〇四) のような「消易 し」「7肖 ゆ」にかかる枕詞「朝露の」 を生み出 し、さらには こうした語句が繰 り返 し用い られる、換言すれば流用されることによつて、 後つひに妹 は逢はむと朝露の命 は生け り恋は繁け ど 136. (十 二・三〇四〇).

(15) かにか くに物 は思は じ朝露 の我が身一つは君が まにまに (十 一 ・二六九一). のような、消えやすさというイメージを内に含んだ「朝露の」を生むに至ったのではなかろう か. 。. なお、 我がや どの草 の上 自 く置 く露 の身 も惜 しか らず妹 に逢 はざれば (四 ・七八五 ) の上三句 は序詞 となっているが、この「露 」は二六九一番歌 の「朝露」 と同様 にこ うしたイメー ジを内に含んで「身」 に繋 ぐもの となっている。 この ように、比喩的な序詞 ・枕詞 は歌詞 の流用が繰 り返 されるなかで人 々にそのイメー ジが 共有 され、安 定 してい った よ うに思われる。. おわ りに 最後 に、先 の宮古 ・八重 山の歌 にお け る歌詞流用 との比較 について触れてお きたい。 本稿 で取 り上 げた事例 は叙事的な歌 にお け る流用 の問題 である。その叙述が さまざまな歌 に 流用 されてゆ くなかで、その流用 部分 の最初 の語句が新たな文脈のなかで用 い られ、新 たな詞 章 を生み出す とい うもので ある。 一方、万葉歌 にお ける序詞 の場合、核 となる景物 にその叙述が凝縮 されて豊かなイメー ジを もつ もの となった。 これは、本稿 で言及 した、奄美 ・沖縄 の歌 にみ られる「あぶ し枕」 の成立 と近 い ように思われるが 、 これについ ては稿 を改めることとしたい。. 注 (1)『. 南島歌謡大成 宮古篇』 によるが、 筆者調査 の録音 テー プによって一部 を改めてい る。 ② 拙著 『声 の神話 奄美 ・沖縄 の 島 じまか ら』 (瑞 木書房、二 〇〇三年)参 照。 ③ 日本放送協会編 『 日本民謡 大観 宮古諸島編』 (日 本放送協会、一 九九〇年 )の 譜面 にお い て も、筆者調査の録音 テー プによって も確認 で きる。 ④ 拙稿 「南島の伝説」 (『 国文学. 解釈 と鑑賞』第七十巻 第十号、二 〇〇五年十月)に お い てそ. の伝説 の問題 を論 じてい る。 °. なお、そ うした点 で、 これは歌 詞 の「転用」 と呼 ぶのが適当か と思われる。. ⑤小野重朗「畔枕 考」 (『 田唄研究』第十六号、一九七九年七月)は 近世、本土地域の歌の「 あ ぜ ま くら」 とい う表現が伝播 し、 「あぶ しま くら」が生 まれた とす る。筆者 もこ うした見解 を踏 まえて論 じたことが ある. (『. 声 の神話. 奄美 ・沖縄 の 島 じまか ら』参照 )が 、 ここで は. 稲 の生 育過程 を叙述す る歌 の表現 とそれをあたか も凝縮 したかの よ うな、豊かな稔 りを象徴 す る歌のことば との関係 につい て考 えたい。. 0短 歌体 の歌 の詠誦 ・歌唱法 として、 い. くつ かのかたちが想定 される。. いで我が駒早 く行 きこそ真土山待 つ らむ妹 を行 きて早見む (十 二 ・三一五四) 万葉歌 における歌詞 の流用 137.

(16) とい う万葉歌 が、催馬楽 「我 が駒」では いで我が駒. 早 く行 きこせ. 行 きて はや. あ はれ 行 きて はや見 む. 真土 山. あはれ. 真土 山. はれ. 真 土 山 待 つ らむ人 を. の よ うに記 される。 これによれ ば、三句 目・五句 目が繰 り返 され、そ こに囃子 ことばが加 わ るかたち となる。 また、催馬楽 「河 口」は、 河回の. 関の荒垣. 出でて我寝 ぬ. や. や. 関の荒垣. や. 守 れ ども はれ. 守 れ ども 出でて我寝 ぬ. や. 関の荒垣. とあ るが、 これは 河日の関の荒垣守 れ ども出でて我寝 ぬ 関の荒垣 とい う短歌体 の歌が歌唱 された と想定す る ことがで きる (廣 岡義隆『行幸宴歌論』和 泉書院、 二 〇一〇年 )。 そ うだ とす る と、 これは二句 目・四句 目が繰 り返 され、そ こに囃子 ことばが 加 わつたかたちになる。 また、神楽歌 「宮人」 は 宮人 の 疎衣. 膝 とほ し 膝 とほ し 着 の宜 しもよ 疎衣. とあ って、 これ も繰 り返 しの句 を除 くと、 宮人 の疎衣膝 とほ し着 の宜 しもよ疎衣 とい う短歌体 の歌 になる。そ うだ とす ると、 これは三句 目が繰 り返 されるかたちにな る。 また、神楽歌 の「杖」末 は、 逢坂 を 今朝越 え来れば. 山人の 我 に くれ たる. 山杖ぞ これ. 山杖ぞ これ. であって、万葉歌 の あ しひ きの山行 きしか ば山人の朕 に得 じめ し山づ とそこれ (二 十 ・四二九三) と類歌関係 にある。 これは短歌体 の五句 目が繰 り返 されるか たちであ り、仏足石歌体 のかた ちで あ る。 ③ 十六番歌 「長植安扶 理」 も三句 目を繰 り返 し、「ゑや」 とい う囃子詞 を加 えて歌 うかたちで ある。 なお、 こ う した歌唱法 と短歌体 との関係 につい て、 どの ように考 えれば よいか。 筆者 が調査 を進めてい る中国湖南省鳳凰県苗族 の歌 の創作方法 が手がか りをもた らす ように 思われ る。苗族 の歌 は一句七音節 か らなるが、それが歌 われるときには「 わた し」「あなた」 や強調語 な どが適宜挿入 されて音節数が増す ことになる。 しか し、歌 の作 り手 たちは歌 われ るメロデ イに合 わせ なが ら、一句七音節 の歌詞 を創作す るのである。 万葉歌 が句 を繰 り返 した り、囃子 ことばを挿入 した りす る ことな く、その まま詠誦 された こ とも考 えられるが、句 の繰 り返 しや囃子 ことばの付加 があ った として も、苗族 の こ う した歌 の創作 の よ うなか たちで作歌す ることは可能 であったのだろう。 138.

(17) ⑨『 甲南國文』第四十三号、一九九六年三月。執筆担当は福原佐知子氏。 (l°. l見. 渡せば向かひの野辺のなで しこが散 らま く惜 しも雨な降 りそね (十 ・一九七〇) ・二一一六 白露に争 ひかねて咲ける萩散 らば′ 階しけむ雨な降 りそね (十. ). (H)こ の の 歌 作者「大納言大伴卿」について、沢潟久孝氏 『萬葉集の作品 と時代』 (岩 波書店、. 一九四六年)は 大伴宿祢安麻呂であることを論 じている。この説 は広 く認められてお り、 こ の類句表現 として早い時期 の用例 とい うことになるが、『万葉集』 に採録 されなかった多 く の歌が存在 したであろ うことを想定 して、 この例 をこの表現 の始発 とはみない。 (②. 『萬葉集略解』や 日本古典全書 『萬葉集』、 日本古典文学全集 『萬葉集』、新編 日本古典文学 全集 『萬葉集』、『萬葉集釈注』な どは三句 目の「降る」に「古 り」を掛けて本旨部分に繋げ た序詞 とみる。. (13)こ. の歌の第四句の訓には諸説あって、 ・井手至氏 『萬 「消ぬ と言ふべ しも」 (『 萬葉集全注釈』. ・『萬葉集全歌講義』など)、「消ぬと言ふべ くも」(日 本古典文学大系『萬葉集』 ・ 葉集全注巻三』 『萬葉集注釈』・新潮 日本古典集成 『萬葉集』・『萬葉集釈注』など)が あるが、『萬葉代匠記』 が唱えて日本古典文学全集 『萬葉集』、『萬葉集全訳注』、新編 日本古典文学全集 『萬葉集』、 『萬葉集全解』などが支持する「消ぬ とか言 はも」説に従 う。 (И )「. 天霧 らし降 り来る雪の」に類似する、 天霧 らひ降 り来る雪の消 なめ ども君 に逢 はむ と流 らへ 渡 る (十. 二三 四五 ). の「天霧らひ降り来る雪の」も「消」に繋 ぐ比喩的な序詞である。 こうした表現は大和盆地に北からの寒冷な雲がもたらされ、雪がにわかに降って くることに 出会った人々の共通する経験にもとづ くものであろう。. 万葉歌 における歌詞 の流用 139.

(18)

参照

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