BOOK REVIEWS ことに努めたものと思われる。 最後に本書の論点として以下3点を挙げる。 第1は,研究対象としての日雇労働の存在につ いて,現代的課題に引き寄せることの意義と本研 究の視角をどのようにつなぎあわせるかである。 原発現場で就労する日雇労働者の雇用・失業保障 は,日雇労働者にも適用できる雇用保険や健康保 険,労災保険等,わが国の社会保障制度として存 在しているにもかかわらず,十分に適用されてい るとは言い難い実態がある。特に2017年から始ま った日雇雇用保険における一般の雇用保険への切 替や失業認定の厳格化にみられる日雇労働者の社 会保障制度の「適正化」の動きは,日雇労働者の 無権利化を一層進行させている。 第2は,調査分析から明らかになった事実を通 して,原発労働といういのちが まれていく労働 では,日雇という働き方をさせないしくみづくり をいかにすすめていくかが課題となる。重層下請 け構造の最末端に位置づく事業所には健康管理に 関する責任や被害が発生した際の賠償責任を負う 力はない。そもそも電力会社と元請が責任を負う べきである。また放射線管理を集中的に管理する 法的根拠を有するシステムを構築することや,東 日本大震災での原発求人にみられる「偽装請負」 を防止する労働法上の労働者保護制度の整備や厳 格化が必要と考える。 第3は,原発林立地域の雇用・失業政策の抜本 的な見直しが必要ではないか。わが国における産 業政策及び労働力流動化政策では,かつての石炭 「合理化」政策や構造不況等で創出された失業者 の受け皿となった公的就労の創出対策や雇用保 険・職業訓練制度の活用などがおこなわれてきた。 原発に頼らないエネルギー政策の転換と原発を林 立させた国と原子力産業が手を取り合った政策ゆ えに,核エネルギー以外の産業基盤が乏しい地域 での新たな雇用・失業対策及びそれを下支えする 社会福祉事業の展開が必要と考える。 参考文献 久保全雄,1998,『生きる条件(増補改訂・五版)』労 働旬報社。 野村拓,1968,『講座医療政策史』医療図書出版社。 被ばく労働を考えるネットワーク編,2018,『原発被 ばく労災』三一書房。 三塚武男,1997,『生活問題と地域福祉―ライフの 視点から』ミネルヴァ書房。 岡田知弘,2015,「『新修彦根市史通史編現代』刊行中 止事件と出版に至る道」『歴史学研究』(933):56― 63。 萬井隆令,2013,「原発被曝労働と労働者保護の法的 構造」『季刊労働法』(240):70―84。 (えび かずお:(公財)西成労働福祉センター)
宮本 悟著
『フランス家族手当の史的研
究:企業内福利から社会保
障へ』
御茶の水書房,2017年
大塩まゆみ
1.課題設定(研究動機) 著者がこのテーマの研究を始めた動機は,1990 年の「1.57ショック」以降に講じられた子育て支 援策が成果を上げていないからである。特に日本 の児童手当の課題を打開するために,先進国フラ ンスの家族手当について歴史的・実証的に研究し た。 研究目的は,①家族手当生成・発展過程での労 使の社会的対抗関係を明らかにする,②財源の雇 用主単独負担方式を採用してきたことの意味を探 る,③今日的問題を見据えて,生成段階からフラ ンスの家族手当全体の通史的研究をすることであ る。 社会政策学会誌『社会政策』第10巻第3号¦
1392.本書の構成 序 課題と構成(7頁) 第Ⅰ章 フランス家族手当制度の歴史的生成過 程(31頁) 第Ⅱ章 1932年「家族手当法」の成立とその後 (31頁) 第Ⅲ章 第四共和政下における家族手当制度の 展開:社会保障の一環としての再編過程(18 頁) 第Ⅳ章 第五共和政ド・ゴール政権下の家族手 当制度:「民主化」「統一化」原則からの乖離 (20頁) 第Ⅴ章 1970年代におけるフランス家族手当制 度の展開:「制度間財政調整」の犠牲者(22 頁) 第Ⅵ章 ミッテラン政権下における家族手当制 度:「一般化社会出資金」導入問題を中心に (33頁) 第Ⅶ章 フランス家族手当制度の選別主義的改 革:1997年改革による所得制限導入の試みと 挫折(35頁) あとがき (9頁) 参考文献 (18頁) 3.各章の概要 第Ⅰ章では,19世紀後半の家族手当の起源から 1929年の家族手当諸法案が作成されるに至るまで が分析されている。 1918年創設のグルノーブルの家族手当補償金庫 については,これまで先行研究でも紹介されてき たが,本書は,同年のより早い時期にロリアンで も労働者側の要求が事業主の譲歩を引き出したこ とを究明した。つまり,事業主のイニシアティブ による企業の恩恵的な福利厚生として家族手当が 始まったのではなく,労働者が要求し,労使の交 渉の中で妥協の産物として創設された,という点 を明らかにした。 20世紀初頭には人口問題が一層深刻化し,1920 年には家族手当を国家制度化する法案が出された。 雇用主側の反対もあったが,家族手当補償金庫の 加入を義務づけ,拠出金負担の公平性を確保した。 1929年には家族手当の支給対象を全賃金労働者 へ拡大することを目指した法案が通り,1932年に 「家族手当法」が成立した。 かくして,家族手当が企業内福利から国の制度 となったが,まだ社会保障制度として位置づけら れたわけではなかった。 第Ⅱ章では,1929年から1939年までの3つの家 族手当法案審議過程,1932年制定の「家族法典」 施行後の状況について分析している。 1929年に他の二つの法案と共に提出・可決され, 1932年3月11日に公布された「家族手当法」の政 府案は,次のような特徴をもっていた。①対象は, 農業労働者以外の賃金労働者に限定。②補償金庫 は,すでに主要な規則をもっていたが,それを全 金庫の最低限として法律で確認し,それ以外につ いては,各金庫の自律と特典を尊重した。 当時は人口問題がさらに深刻化しており,財政 負担から後回しにされてきた農業界への拡大や, 各金庫間格差や給付額の統一化,専業主婦手当金 の創設,就学中または見習い中の子どもに対する 家族手当の年齢制限引き上げ等の諸改革が1938年 に実施された。 1939年には,人口・家族問題に対する国家の責 任を明確に宣言する家族法典が制定され,①家族 手当の対象を,雇用主及び独立勤労者にも拡大し, 全活動人口に適用,②公務員対象の家族手当と民 間労働者対象の家族手当を合併させ,統一化した。 ③多子家族への給付額等を改善し,第1子への支 給を廃止した。また初産手当や専業主婦手当を実 施した。 1940年7月から4年あまり続いたヴィシー政権 では,家族手当の対象を失業者等にも拡大し,対 象児童も義務教育終了1年後まで延長され,支給 額も引き上げられ,多子奨励的方針が貫かれた。 第Ⅲ章は,フランスの社会保障計画であるラロ ック・プラン(社会保障政府原案)の審議におけ る家族手当の論点と第四共和政の時期での家族手 140
¦
社会政策学会誌『社会政策』第10巻第3号BOOK REVIEWS 当の展開についての分析である。 ラロック・プランは「一般化」「統一化」「民主 化」を3原則としており,家族手当の金庫運営方 式について審議された。その結果,1945年10月4 日オルドナンスで,家族手当金庫が社会保障全国 金庫という形で系統立てて整備され,拠出率も全 国的に統一された。また,労働者代表が金庫の管 理運営に参加する道が切り開かれた。 翌1946年には,家族給付に関する補完立法が制 定され,新手当創設等が行われた。また,家族諸 給付の算定基礎とされる基準賃金月額をパリ地区 金属労働者の時間当たり最低賃金の225倍とする という賃金スライド制(「225倍規定」)が規定さ れた。 この時点での残る課題は,①暫定的なものとし て設置されている家族手当金庫の社会保障金庫へ の統合,②単一賃金手当を初めとする諸給付の全 人口への普及であった。 1949年2月1日法により,家族手当金庫の永続 的独立に関する法律が可決成立した。また,家族 手当の「225倍規定」は無視され基準賃金月額を デクレによって恣意的に決定され,作為的に黒字 化され,それを赤字に苦しむ疾病保険部門の補塡 に流用されるという工作が続けられた。 第Ⅳ章では,第五共和政ド・ゴール政権下にお ける家族手当制度の展開について検討している。 特に,社会保障の財政不均衡問題への対処として 計画された「制度間財政調整」策導入過程が家族 手当制度の展開に与えた影響を究明している。 それまでからの家族給付部門の黒字を他の社会 保障財源の赤字の補塡に流用するやり方は,ド・ ゴール政権に継承され,1967年10月1日から雇用 主拠出が,家族給付部門から社会保険部門へ移転 され,傷病手当金や単一賃金手当の受給要件が厳 格化され,給付切り下げによる支出抑制策等が実 施された。 さらに運営機構の改革も行われ,雇用主代表の 理事の数が増やされ資本側に有利になるようにな った。また,理事選任方式も選挙による選出から 指名制へと変更された。こうしてド・ゴールの独 裁的手法により当初のラロック・プランの社会保 障の「統一化」「民主化」原則は後退していった。 しかし,これに対して,労働者側は大規模なゼネ スト等によって反撃した。その結果,ド・ゴール 政権は窮地に立たされ,内部からも批判が噴出し た。しかし,社会保障面における各労働組合の要 求がバラバラで足並みが乱れたことから,結局, 資本側の全面勝利に終わった。 第Ⅴ章では人口構造の不均衡を理由として1974 年の社会保障改革によって導入された「制度間財 政調整」策が,フランスの家族手当の展開に与え た影響が究明されている。 フランスの家族手当は,1946年の「225倍規定」 により賃金スライド制が明文化されていた。しか し実際に具現化されることは一度もなかった。政 府は,恣意的なデクレを発するなどの様々な手段 を使って社会保障の財政不均衡問題に対処してき たからである。 政府の「制度間財政調整」案は国民会議で審議 され,かなりの批判をあびた。そのため,多少の 譲歩が行われたが,結局は,家族手当の給付抑制 によって生み出した財源から他制度の赤字を調整 するという策が引き続き認められてしまった。 第Ⅵ章では,次のような経緯が論述されている。 これまで労使の拠出で支えてきたフランスの社会 保障(一般制度)の財源は,ミッテラン政権下の 1990年改革で国税が投入されるようになった。特 に,従来からフランスの家族手当では,一貫して 雇用主単独負担を堅持してきたが,家族手当にも 国税が投入されることになった。1981年5月にミ ッテラン政権が誕生し,これまでの疾病部門と老 齢年金部門の深刻な赤字問題を改善するために社 会保障改革に乗り出し,1990年12月29日法によっ て,国税が一般制度財政へ,つまり家族給付部門 に投入されることになった。 第Ⅶ章では,フランスで家族手当に所得制限が 設定された期間は,1998年3月から年末までのわ ずか10か月間であるが,第Ⅶ章では,その間の社 社会政策学会誌『社会政策』第10巻第3号
¦
141会・経済的背景を踏まえ,その展開過程が検討さ れている。 黒字を保ってきた家族給付部門であるが,他部 門への巧妙な流用や雇用主負担軽減等により1994 年以降は赤字基調で推移し,1997年には大幅な赤 字が見込まれる状態となった。総選挙で勝利した 社会党のジョスパンは1997年6月19日に,諸団体 の猛反発を受け,国会でも紛糾したが,結局,所 得制限適用を翌年度の改革が実行されるまでに限 定し,その間に,あらためて検討するという条件 付きで所得制限導入が可決された。そして1997年 12月19日法として成立し,1998年3月から所得制 限が実施された。 その後,1998年12月23日法として,家族手当の 所得制限撤廃に関する規定が成立し,1999年1月 1日付けで施行された。 日本では,所得制限が当然視されているが,フ ランスのジョスパン内閣による家族手当の選別主 義改革とそれへの反論は,所得制限の問題点を鋭 く指摘している。 「あとがき」では,次のように論点が整理され ている。 1)フランスの家族手当は労働側の賃上げ要求運 動に対する資本側の譲歩策として生成・展開し, 家族手当の改悪に対しても激しい反対運動を展 開してきた。 2)1932年の家族手当制度は,人口政策=出生奨 励的性格が強かった。 3)家族手当が社会保障制度化されて以降,財源 に国税が投入され,他の部門の赤字補塡に流用 され改悪されたが,それは妥当ではない。労働 力の代替要員たる子供の生計費にあたる賃金の 不払い部分を国家制度によって,雇用主側から 賃金労働者の手に移すという実践的側面がフラ ンスの家族手当の優れた点であり,ここに国税 を混入すると賃金労働者に対する雇用主責任を 不当に軽減させてしまい,理論的に裏付けされ た施策とはいえない。 4)所得制限導入に際しても,労働組合,家族団 体等の反対運動の力によって,普遍主義に回帰 させた。労使の社会的対抗関係が生み出した家 族手当が,労使の対抗関係によって発展してい った。 4.本書の意義・評価点 1)長年,人口問題をかかえるランスの家族手当 を1860年代の創設期から1999年までの長期にわ たり,通史的に明らかにされている。 2)これまでのフランスの家族手当の研究では, 最初に家族手当補償金庫が創設された事例のう ち,グルノーブルについて紹介されることが多 かった。同時期に他地域でも同様の金庫が創設 されていたということは言及されてきたが,そ のなかで詳しく究明されてこなかったロリアン についての実態が明らかにされた。 3)フランスの家族手当は制度化されてからも, 改革に次ぐ改革で,複雑怪奇である。しかし法 案や政策立案や諸改革について,議会での審議 や議員の活躍も明らかにされ,複雑なプロセス が極めて明快に分析されている。 4)家族手当の支給を企業内福利として実施する 行動を雇用主におこさせたのは,労働者達の要 求であり,労働者側の要求があってこそ雇用主 側の譲歩が引き出せたという視点を論証した。 フランスの労働運動や家族諸団体の運動の威力 がいかに大きいかについて改めて認識させられ る著作である。 5.所 感 フランスの家族手当の発達の根底には,長期に わたる人口問題があったことは明らかである。日 本も少子化が深刻になってから児童手当や子育て 支援策の拡大を図ってきたが,フランスほど人口 問題を深刻に受け止めていないのではないか。本 書を読み,そう感じさせられた。 (おおしお まゆみ:龍谷大学) 142