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福祉国家
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タイ語でコミュニティに相当するのが「チュムチョン」 す な わ ち「人 び と (チ ョ ン) 」 の「集 ま り (チ ュ ム) 」 で あ り、 こ れ は 主 に 一 九 七 〇 年 代 に 入 っ て 用 い ら れ る よ う に な っ た 用 語 で あ る。 そ れ 以 前 の 伝 統 社 会 に お い て は「村 (ムーバーン) 」すなわち「家 (バーン) 」の「集団 (ムー) 」 が存在するのみであった。こうした統治空間にかかわる概 念 転 回 の な か で 起 こ っ た の が、 「人」 の 重 視 で あ る。 こ の 点について保健医療史に引き付けて考えると、保健官僚に よる政策対象の認識が「家集団」から、保健医療サービス を提供すべき「人」へと変化したことと照応している。た とえば「低所得者医療扶助制度」は、もともと月当たりの 世帯収入が一〇〇〇バーツ以下の家庭に対して無償で医療 サービスを提供するものであったが、一九七五年以降、医 師 が 直 接 個 々 の 患 者 に 面 接 し て ミ ー ン ズ・ テ ス ト (資 力 調 査) を 行 う よ う に な っ た。 こ う し た「人」 の 発 見 は、 個 々 の住民の生活や健康状態を把握する目的で一九八二年から 内 務 省 と 共 同 で 実 施 さ れ る よ う に な っ た ベ ー シ ッ ク・ ヒ ュ ー マ ン・ ニ ー ズ 調 査 (B H N な い し Cho.Po.Tho. ) の 普 及にも見いだすことができる。内務省が関与していること からもわかるように、その背景には共産主義運動対策とい う要素が存在していたことは確かである。ただし、こうし た「人」の重視は、親族集団やパトロン ・ クライアント関第Ⅱ部
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河森正人
係をはじめとする伝統的な人間関係の重要性がなくなった ということを意味していない。近年においては、むしろ、 政府のサービスが行き届かない福祉や介護の部分で依然と して重要性を維持している。 先に述べたような個々人の健康状態を把握するのが保健 ボランティアであった。一九七八年のWHOのアルマアタ 宣言以降、草の根レベルで最低限の保健医療サービスを保 障 し よ う と す る「プ ラ イ マ リ・ ヘ ル ス ケ ア ( satharanasuk munthan ) 」 の 考 え 方 が 一 般 化 し、 保 健 省 は 内 務 省 と 連 携 を と り な が ら、 保 健 ボ ラ ン テ ィ ア 制 度 を 足 が か り に、 コ ミュニティ・レベルでの保健医療行政を整備した。さらに この保健ボランティアの仕組みは内務省による都市部にお けるチュムチョン育成の際の足場とさえなった * 1 。 さらに、七〇年代から八〇年代におけるプライマリ・ヘ ルスケアの経験を土台にしながら、政府は二〇〇二年に三 〇 バ ー ツ 医 療 制 度 を 成 立 さ せ、 福 祉 国 家 的 な 体 裁 を 整 え た。少子高齢化問題、あるいは一九九七年憲法以降におけ る人権意識の高まりを背景とする身体障害者福祉といった 新 し い 課 題 を 受 け 止 め る た め に ど の よ う な 仕 組 み を 策 定 し、 こ れ を い か に 福 祉 国 家 の 基 盤 と し て の「コ ミ ュ ニ ティ」のなかに埋め込もうとしているのかについて、まず は現在までの到達点を領域ごとに「集める」ことが重要な 課題となってきている。中央集権的タテ割り行政のもとで バ ラ バ ラ に 展 開 さ れ て い る 生 活 保 障、 す な わ ち 医 療・ 福 祉・ 所 得 保 障 の 仕 組 み を 整 理 し、 こ れ ら が「コ ミ ュ ニ ティ」を足場にいかなる包括的な制度として機能している かについて理解を深める必要がある。これが本稿の主たる 目的である。2
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範域
コミュニティはその範域において可変的で、政策領域ご とにそれに適する範域が確定される。この範域について、 日本とタイを比較しながら考えてみよう。 広井良典が二〇〇七年に実施した「地域コミュニティ政 策に関するアンケート調査」でコミュニティの単位として 重 要 な も の を 聞 い た と こ ろ、 「自 治 会・ 町 内 会」 と い う 回 答 が 最 も 多 く、 次 い で「小 学 校 区」 と い う 結 果 と な っ た (広 井 二 〇 〇 九: 七 五) 。 明 治 初 期 に 神 社 は 一 八 万 余 り あ り、これが自然村の数とほぼ同じであったが、政府は神社 合 祀 を 進 め る 一 方 で、 自 然 村 を 大 字・ 小 字 に 格 下 げ し つ つ、市町村というより大きな行政単位を重視していった。 神社合祀によってできたあらたな「氏子区」は学区制と重 ね て 理 解 さ れ た (広 井 二 〇 〇 九: 七 六 ― 七 八) 。 他 方、 一 九 七 一 年 に 自 治 省 が「コ ミ ュ ニ テ ィ (近 隣 社 会) に 関 す る 対策要綱」を都道府県知事に送り、そのなかで新しい連帯意識に基づく、おおむね小学校区の広がりを持つモデル・ コミュニティの設置を進めるとした (菊池 二〇〇七:一四 二) 。 ち な み に、 日 本 に は 現 在、 小 学 校 区 は 二 万 三 〇 〇 〇 ある。一方、厚生労働省が最近提唱している、高齢者に対 する地域包括ケアシステムは、ニーズに応じた住宅が提供 されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康 を確保するために、医療や介護のみならず、福祉サービス を 含 め た さ ま ざ ま な 生 活 支 援 サ ー ビ ス が 日 常 生 活 の 場 (日 常 生 活 圏 域) で 適 切 に 提 供 で き る よ う な 地 域 で の 体 制 を 整 備し、その際、地域包括ケア圏域については、おおむね三 〇分以内に駆けつけられる圏域を理想的な圏域として定義 し、具体的には、中学校区を基本とすることを提案してい る (地域包括ケア研究会 二〇〇八:六) 。 一 方、 タ イ の 保 健 医 療 の 世 界 で は 一 九 八 〇 年 代 初 頭 以 降、郡レベルを一つの自立的でシステマティックな領域性 を 持 っ た「コ ミ ュ ニ テ ィ (チ ュ ム チ ョ ン) 」 と し て 想 定 し てきた。このことは、郡レベルの病院の名称が、一九八二 年 頃 を 境 に「郡 病 院 ( rongphayaban amphoe ) 」 か ら「コ ミ ュ ニ テ ィ 病 院 ( rongphayaban chumchon ) 」 へ と 変 更 さ れたことに如実に表れている。アルマアタ宣言が出されて から一〇年経過した時点でWHOが郡レベルの「地域保健 医 療 シ ス テ ム (D H S) 」 を 提 唱 し は じ め た の は、 プ ラ イ マリ・ヘルスケアのアプローチの対象が、郡の下に位置づ けられるタムボン・レベルの一次医療に特化していたため 限界が露呈しはじめ、上位の二次医療とのあいだのサービ ス供給にかかわるプランニングやマネジメントといった組 織的フレームワークの認識がなければ一次医療レベルの活 動 が 困 難 で あ る こ と が 次 第 に 判 明 し た か ら で あ る (河 森 二 〇 〇 九: 五 七 ― 五 八) 。 さ ら に、 二 〇 〇 二 年 に お け る 三 〇バーツ医療制度においては、郡単位で医療費を管理させ る仕組みが導入された。すなわち、コミュニティ病院に登 録人口分の人頭割予算が配分されることにより、この総枠 予算のなかで医療サービスを行う必要が生じ、かりに不健 康な者が増えて医療費が増加すれば病院側の持ち出しにな るという事態が発生することになったのである。このよう に、現行の医療制度の下では、郡レベルで医療費の管理が 行われている。 そ れ で は タ ム ボ ン ・ レ ベ ル の 位 置 づ け は ど う か 。 二 〇 〇 四 年 頃 に 、 政 府 と N G O や 住 民 組 織 と の 間 で 、「 一 日 一 バ ー ツ 基 金 ( kong thun wan la bat ) 」 な ど 各 地 で 自 生 的 に 存 在 し て い る フ ァ ン ド に 政 府 と 自 治 体 の 財 政 援 助 を 加 え 、 こ れ を タ ム ボ ン ・ レ ベ ル の 「 コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 基 金 ( kongthun sawatdikan chumchon ) 」 へ と 順 次 改 組 し て い く 考 え 方 が 生 ま れ た 。 ま た 二 〇 〇 六 年 以 降 、 や は り 自 生 的 な 「 一 日 一 バ ー ツ 基 金 」 を 足 が か り に し な が ら 、 政 府 ・ 自 治 体 ・ 住 民 の 出 資 に よ っ て 疾 病 予 防 や リ ハ ビ リ を 行 う こ と を 目 的 と す る「 タ ムボン健康基金 ( kongthun sukkhaphap radap tambon ) 」の 設 置 が 各 地 で 開 始 さ れ た 。 こ の よ う に 、 保 健 ・ 福 祉 ・ 所 得 保 障 の 分 野 に お け る 三 者 ( 政 府 ・ 自 治 体 ・ 住 民 ) 出 資 に よ る マ ッ チ ン グ ・ フ ァ ン ド は 、 一 九 九 四 年 か ら 法 人 格 が 付 与 さ れ る よ う に な っ た タ ム ボ ン ・ レ ベ ル の コ ミ ュ ニ テ ィ で 設 置 さ れ る 。 こ の タ ム ボ ン の 人 口 は 概 ね 数 千 人 で あ る か ら 、 日 本 の 小 学 校 区 に 相 当 す る こ と に な る 。 他 方 、 村 落 内 に 設 置 さ れ た 保 健 ボ ラ ン テ ィ ア の 詰 め 所 を コ ミ ュ ニ テ ィ ・ プ ラ イ マ リ ・ ヘ ル ス ケ ア ・ セ ン タ ー ( sun satharanasuk munthan chumchon ) と 呼 ん で い る が 、 こ の よ う に 、 村 落 レ ベ ル を コ ミ ュ ニ テ ィ と 理 解する場合もある。
Ⅱ
三〇
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医療制度
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福祉国家、新自由主義的
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タイ社会保障の歴史・構造的把握を念頭におけば、あら たに国民の七割に医療を保障することになった三〇バーツ 医療制度の導入は、タイの社会保障制度における大きな転 換点となったといえよう。すなわち、一九五〇年代以降、 職域をベースに構築されてきた健康保険制度 * 2 が、地域ない しコミュニティを足場に再編成され、三〇バーツ医療制度 の な か に 地 域 医 療 の 要 素 と 福 祉 的 要 素 (後 述) が 同 時 に 埋 め 込 ま れ る と い っ た 特 殊 性 を も 伴 っ た の で あ る。 こ れ を 「コミュニティの主流化」と呼んでもよいかもしれない。 ここで三〇バーツ医療制度の仕組みの概略を述べると、 この制度の下では、郡レベルのコミュニティ病院の下にタ ム ボ ン・ レ ベ ル の 単 数 ・ 複 数 の 保 健 所 (P C U) が ぶ ら 下 が り、 登 録 人 口 分 の 人 頭 割 予 算 ( capitation ) の コ ミ ュ ニ ティ病院から保健所への一括配分を梃子にしながらコミュ ニ テ ィ 病 院 と 保 健 所 の 関 係 性 を 固 定 化 す る と と も に、 コ ミュニティ病院常駐の家庭医・総合医による持続的かつき め の 細 か い 診 療 を 確 保 す る こ と が 目 指 さ れ る。 な お、 コ ミ ュ ニ テ ィ 病 院 や 保 健 所 は 国 立 の 医 療 機 関 で あ る。 三 〇 バーツ医療制度の意義を純粋な医療の側面からみると以上 のようであるが、他方、一九八〇年代後半からの国民医療 費の急増という現実に対する制度的対処であった、という も う 一 つ の 側 面 を 見 逃 し て は な ら な い。 す な わ ち、 三 〇 バーツ医療制度の採用する総枠予算制は国民医療費を全体 として抑制する機能があるが、制度導入当初、毎年の人頭 割予算の伸びは首相府予算局の財政規律によって厳しく抑 制されていた。さらに三〇バーツ医療制度は、全体として の総枠予算制を通じた短期的な医療費抑制策とともに、疾 病 予 防 と い う 長 期 的 な 医 療 費 抑 制 策 を も 制 度 化 し て い た(河 森 二 〇 〇 九: 一 三 九) 。 す な わ ち、 本 稿 の I の 部 分 で 述 べたように、コミュニティ内における疾病予防の徹底を通 じ た 上 位 階 梯 へ の 患 者 送 致 の 管 理、 つ ま り「ゲ ー ト キ ー パー」の役割をコミュニティ病院に負わせることとなった のである。三〇バーツ医療制度では、コミュニティ病院の 病 院 長 (C E O) に 一 定 の 制 限 の も と で 経 営 が 任 せ ら れ る が、経営資源の使用についての裁量権を広げるかわりに、 成 果 に よ る 統 制 ( Management by Results: MbR ) を 行 う という、いわば新自由主義的なマネジメント手法がそこに 埋 め 込 ま れ て い る の で あ る。 他 方、 保 健 所 に 対 し て は、 ファミリー・フォルダーの作成や保健師による家庭訪問な どの実績をスコア化し、その評価が予算配分に反映される のである。 言い換えれば、三〇バーツ医療制度の人頭割予算の仕組 み は、 医 療 を 受 け る「個 人 の 権 利」 と、 健 康 を 増 進 す る 「コ ミ ュ ニ テ ィ の 責 務」 と い う 二 つ の 論 理 を そ の な か に 埋 め 込 ん で い た と い え る。 一 方、 タ イ 人 に は 耳 慣 れ な い 「サ ー ン ス ー ム ・ ス ッ カ パ ー プ ( health promotion ) 」 と、 予算局による人頭割予算の伸びの抑制は、コインの表裏と し て 導 入 当 初 の 三 〇 バ ー ツ 医 療 制 度 を 特 徴 付 け た が、 「個 人 の 権 利」 の 行 使 の 増 加 に は 抗 し き る こ と が で き な か っ た。結局、制度導入当初とうってかわって、二〇〇六年九 月のクーデタ ー 後、国家は、人頭割予算の大幅引き上げと い う か た ち で 増 え 続 け る「個 人 の 権 利」 の 行 使 を 追 認 し た。 権 利 行 使 の 増 加 の ツ ケ (つ ま り い わ ゆ る「持 ち 出 し」 ) は政府ではなく医療機関に回っていたようであるが、この ツケがどのくらいの規模になるのかは公表されていない。 結局、長期的にみて、ツケはヘルス・プロモーションの強 化、 さ ら に は 自 治 体 の co-payment で 解 消 し て い く、 つ ま りコミュニティの負担ないし責務の強調という方向にふた た び 行 き 着 か ざ る を 得 な い も の と 考 え ら れ る (河 森 二 〇 〇九:一五一) 。
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健康基金
いま述べたヘルス・プロモーションのための一つの梃子 として構想されたのが「タムボン健康基金」であった。す なわち、三〇バーツ医療制度導入の約四年後の二〇〇六年 二月に、住民が設立した非制度的ファンドをベースとし、 こ れ に 同 制 度 を 運 営 す る 国 民 健 康 保 障 事 務 局 (N H S O) の財政支援と地方自治体の分担金を加えてタムボン・レベ ルにおける疾病予防 ・ 健康増進やリハビリ ・ 介護を支援す る マ ッ チ ン グ・ フ ァ ン ド を 構 築 す る と い う 規 定 が 設 け ら れ、いわゆる「タムボン健康基金」の設置が可能となった のである。このことについては図1を参照されたい。この コ ミ ュ ニ テ ィ 内 の「タ ム ボ ン 健 康 基 金」 を 財 源 と し な が ら、保健ボランティアおよび高齢者在宅福祉ボランティア が、家族とともに疾病予防 ・ 健康増進やリハビリ・介護を 行 う こ と に な る。 な お、 N H S O 支 出 分 の 原 資 は、 三 〇 バーツ医療制度の予算細目のうちの「コミュニティ内予防 的 サ ー ビ ス ( PP Community ) 」 予 算 で あ る。 そ の 人 頭 割 予算は国民一人当たり三七・五バーツであり、総予算規模 は二三億七〇〇〇万バーツに及ぶ。タムボン自治体の負担 金については、自治体を三ランクに分けたうえで、NHS O 負 担 分 す な わ ち「コ ミ ュ ニ テ ィ 内 予 防 的 サ ー ビ ス ( PP Community ) 」 予 算 の 配 分 総 額 の 五 〇 %、 二 〇 % な い し 一 〇%相当額を負担する。 健 康 増 進・ 疾 病 予 防 や コ ミ ュ ニ テ ィ・ ケ ア に お い て コ ミュニティ・レベルのボランタリーなファンドを活用する 試みは、三〇バーツ医療制度導入以前の一九七〇年代から すでに各地で行われていた。こうした自生的な仕組みを、 国民健康保障事務局がマッチング・ファンド方式の形態で 制度化しようとしているとみたほうが正確かもしれない。 その一つである「一日一バーツ基金」と呼ばれる非制度的 基金は、ソンクラー県チャナ郡のバーンナムカーオ小学校 長であったチョップ・ヨートゲーオが一九七八年に小学生 を対象に始めた貯蓄基金を起源とする。チョップは、勤務 先の小学生に一日一バーツを節約させ、これをファンドに 給食や校内菜園の維持と産品の販売を行おうと考えたので 健康増進・疾病予防 治療 医学的 コントロール リハビリ 介護 見守り 30 バーツ 医療制度 家族・コミュニティ の役割 図1 医療・福祉における役割分担あった。さらにチョップは、農業・協同組合省、保健省、 内務省、教育省を巻き込みながら、一九八二年にこの仕組 みを貯蓄組合としてコミュニティ全体に応用することとし たのである。基金は、規則のもとで生業・教育向け融資や 医療・福祉に活用された (河森 二〇〇九:一五四) 。 NHSOはこの「タムボン健康基金」設置に関する指針 と し て、 ① コ ミ ュ ニ テ ィ ・ レ ベ ル で の 健 康 増 進、 疾 病 予 防、運動機能回復といった活動を支援すること、あるいは ②とくに母子、高齢者、身体障害者、危険作業従事者、慢 性疾患患者が、健康増進、疾病予防、運動機能回復といっ たサービスに浴することを支援すること、③住民参加を支 援すること、などを挙げている。これだけでは抽象的なの で、より具体的なサービス項目を手掛かりに整理すると、 第一に新生児、六歳から二五歳までの青少年、二五歳以上 の成年の健康習慣の評価 ・ 改善と疾病予防、第二に障害者 ないしは要介護者への家庭訪問、リハビリ、および介護講 習を含む家族への介護支援の二つに大別できる。まとめる と、 「タ ム ボ ン 健 康 基 金」 は、 ① 疾 病 予 防 ・ 健 康 増 進、 す なわち疾病にならないことを目指すいわゆる第一次予防、 ②治療後における能力回復やリハビリといった、身体機能 がそれ以上失われないことを目指すいわゆる第三次予防、 という二つの要素で構成されていると理解でき、これらは いずれも在宅ないしコミュニティで行われるサービスであ る。これは、①純粋な意味での医療の範疇からは外れる、 一般的な意味でのプライマリ ・ ヘルスケアや疾病予防・健 康増進と、②いわゆる「コミュニティ ・ ケア」という二つ の 要 素 で 構 成 さ れ て い る と 読 み 替 え る こ と も 可 能 で あ る (河森 二〇〇九:一五九) 。 そこで次に、サービス供給における保健ボランティアの 位置付けについてである。まず、一九七〇年代末以降のプ ライマリ・ヘルスケアの時代にまで遡る保健ボランティア の制度は二〇〇七年に創設三〇周年を迎えたが、現在九八 万 七 〇 一 九 人 (二 〇 〇 九 年 一 月 現 在) の 規 模 に ま で 成 長 し ている。保健省や三〇バーツ医療制度の実施機関であるN HSOは、コミュニティにおける主要なアクターとして保 健ボランティア、保健所、自治体の「三つのオー * 3 」を掲げ ているが、地域保健医療に関する人的 ・ 組織的資源の状況 はというと、予算的制約から、保健所は健康診断や軽微な 初期的治療といった二次予防、および母子保健 ・ 学校保健 等の従来的かつ限定的範囲での一次予防で手一杯で、とり わけ成人 ・ 高齢者といった新たなリスク人口における一次 予 防・ 三 次 予 防 に ま で は 手 が 回 ら ず、 そ こ で 保 健 ボ ラ ン ティアが注目されるのである。 保健ボランティアによるサービス提供はまだまだボラン ティア的要素が強いが、将来的に本格的なサービス供給者 と し て 成 長 す る 可 能 性 も あ る。 「タ ム ボ ン 健 康 基 金」 に よ るサービスないし事業は、委託契約を介して医療機関また はコミュニティ内住民組織やその他に外部化することが可 能である。つまり、ボランティアの有償化によってサービ スの充実を図ろうというわけである。したがって、たとえ ば保健ボランティアが、生活習慣病のリスク人口に対する 保 健 指 導 (一 次 予 防) や、 介 護 者 が い な い 身 体 障 害 者 や 要 介 護 高 齢 者 向 け の リ ハ ビ リ や 介 護 事 業 (三 次 予 防) を 請 け 負うことも制度上は可能なわけである。これまで官僚制の 末端を担ってきた保健ボランティアだが、契約行為を通じ たサービス提供者に転化することになれば、コミュニティ 内における一般住民との関係はサービス提供者対顧客の関 係になるわけであり、いずれにせよ三〇バーツ医療制度の 導入はコミュニティ内の人間関係を変化させるきっかけに なることも予想される。 このボランティアの有償化であるが、政府は、生活習慣 病 患 者 や 身 体 麻 痺 の 要 介 護 者 一 人 に つ い て、 月 額 三 〇 〇 バーツの報酬で保健ボランティアに生活指導や介護を委託 す る 計 画 (総 額 七 億 バ ー ツ) を 二 〇 〇 八 年 初 頭 に 発 表 し て お り、 こ う し た 方 向 に 対 す る 態 勢 は 整 い つ つ あ る と い え る。保健省は現在、保健ボランティアに対して糖尿病、高 血圧、心臓病、脳卒中、がんなどの疾病予防、すなわち一 次予防に関する知識とともに、高齢者や身体障害者に対す るリハビリ、すなわち三次予防の知識・技術を普及させる ことを目的とした再教育プログラムを実施中であり、これ を修めた保健ボランティアを順次「専門的保健ボランティ ア ( asasamak satharanasuk munthan phu chiaochan ) 」 に 転 換 し て い る (河 森 二 〇 〇 九: 一 六 四) 。 な お、 こ の 保 健 ボランティアであるが、後述する新設の高齢者在宅福祉ボ ランティアを掛け持ちするケースが多く、研修プログラム の策定にあたっては管轄の社会開発・人間の安全保障省と 保健省とのあいだで緊密な連携と調整が必要になってこよ う。
Ⅲ
高齢者福祉
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1
家族
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役割分担
首相を座長とする国家高齢者支援調整委員会は、二〇〇 二年に「第二次国家高齢者計画」を策定した。これは二〇 年間にわたる長期計画であるが、三つの基本理念で構成さ れている。第一に、高齢者支援の主体は第一義的には家族 とコミュニティであり、国家による福祉については、その 基 本 的 保 障 ( lak prakan * 4 ) を 行 う と い う 意 味 に お い て 残 余 的 位 置 に と ど ま る こ と、 第 二 に、 健 康、 所 得 の 安 定、 教 育、 福 祉 等 に 関 わ る 施 策 を 統 合 的 に 推 進 す る こ と、 第 三に、達成目標とその測定指標の設定を通じて評価のシステ ム を 整 備 す る こ と の 三 つ で あ る (国 家 高 齢 者 支 援 調 整 委 員 会 二 〇 〇 二 : 一) 。 こ の よ う に、 高 齢 者 支 援 の 実 施 に お い て家族とコミュニティを重視すると同委員会はいうのであ るが、そこには優先順位が付けられている。それは①自助 努力、②家族による支援、③コミュニティによる支援、④ 社 会 な い し 国 家 に よ る 支 援 で あ る (国 家 高 齢 者 支 援 調 整 委 員 会 二 〇 〇 二 : 二 八) 。 以 下 で は、 家 族 と コ ミ ュ ニ テ ィ の 役割分担についてみておくことにしたい。 ま ず、 N S O (二 〇 〇 八) に よ れ ば、 家 族 (子 供、 配 偶 者、 兄 弟 姉 妹) か ら の 資 金 を 主 た る 所 得 の 源 泉 と し て い る 高齢者は全体の六一%である。介護についてみると、要介 護でかつ介護者がある高齢者は全体の一〇・九%であり、 主 た る 介 助 者 の 八 割 が 子 供 (と り わ け 娘) な い し 配 偶 者 で ある。このように所得保障、介護の面で家族の果たす役割 が依然として大きいが、第二次国家高齢者計画は、二〇年 間の期間中を通して高齢者の家族との同居率を九〇%以上 に 維 持 す る こ と を 目 標 と し て い る (国 家 高 齢 者 支 援 調 整 委 員 会 二 〇 〇 二 : 五 〇 ) 。 別 居 で も 生 活 費 を 送 金 す る こ と が 可能であるから、同居率を維持することの意味は、介護の 面でより大きい。 その実効性は別として、こうした家族の扶養機能を政策 的 に 維 持 し て い こ う と す る 志 向 性 は 確 実 に 存 在 す る。 現 在、 政 府 は「コ ミ ュ ニ テ ィ 内 家 族 開 発 セ ン タ ー ( Sun phatthana khropkhrua nai chumchon ) 」 を 設 置 し て、 住 民 に よ る「問 題 家 族」 (家 族 成 員 の 扶 養 を 怠 る な ど) の 析 出 と 管理を担当させようとしている。これは二〇〇二年の国家 家族開発委員会で導入が決まったものであるが、第二次国 家高齢者計画の理念と共通するものである。二〇〇四年か ら 二 〇 〇 六 年 に か け て 二 六 七 七 ヶ 所、 二 〇 〇 七 年 に 四 五 三 ヶ 所 の タ ム ボ ン で 設 置 済 み で あ る。 「コ ミ ュ ニ テ ィ 内 家 族開発センター」は委員会組織となっており、住民が互選 で 委 員 を 決 め る。 各 タ ム ボ ン が 持 つ セ ン タ ー の 規 定 ( kho bangkhap ) に よ れ ば、 「少 年・ 未 婚 青 年」 、「正 常 家 族 ( klum khropkhrua pakati ) 」、 「問 題 家 族」 と い う 三 つ の 目 標集団を設定し、家族の開発、家族問題の予防と解決を目 指すとされる (河森 二〇〇九:一七九) 。 あらためて確認しておきたいのだが、このような予防措 置を政府は講じているものの、先のNSOのデータで示し たように、タイ社会の基調としては家族が依然機能してい るといえる。社会学者の富永健一は日本における家族の扶 養機能の衰退、すなわち「家族の失敗」を指摘し、産業化 段階にあっても伝統的家族の安定性を疑うことのなかった 「日 本 型 福 祉 社 会 論」 は 誤 り で あ っ た と し て い る が (富 永 二 〇 〇 一 : 七 〇 ) 、 タ イ は こ の「家 族 の 失 敗」 ま で は 今 の ところ到っていないとみるべきである。一方、若干タイか らそれてしまうが、この富永の「家族の失敗」という表現 は 事 実 誤 認 を 招 く 恐 れ が あ る。 な ぜ な ら、 『平 成 二 二 年 国 民生活基礎調査』によって二〇一〇年の日本における主な 介 護 者 と 要 介 護 者 等 の 続 柄 を み る と、 「同 居 家 族」 が 六 四・ 一 % で 最 も 多 く、 次 い で「介 護 事 業 者」 が 一 三・ 三 %、 「別 居 の 家 族 等」 が 九・ 八 % と な っ て い る か ら で あ る。 「同居」の主な介護者の続柄をみると、 「配偶者」が二 五・ 七 % で 最 も 多 く、 次 い で「子」 が 二 〇・ 九 %、 「子 の 配偶者」が一五・二%となっている。いずれにせよ、重要 な の は、 「同 居 家 族」 と「別 居 の 家 族 等」 あ わ せ た 七 四 % が介護をしているという事実である。よって日本やタイを 含む東アジアにおいては、家族介護が産業化後も続いてい るとみるべきであるし、そうだとすればこれは世界的にみ ても新たな経験であるといえるかもしれない * 5 。
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の
補完的機能
よって第二次国家高齢者計画がいうように、家族による 介護を補完するうえでコミュニティないしは「介護の社会 化」が重視されねばならない。すなわち、先進国的な「福 祉の社会化」論に引きずられて、はじめにコミュニティあ りきとするのではなく、タイ的文脈に照らせば、まずは家 族が先にあって、それを補完するのがコミュニティである という位置付けで政策立案する必要があろう。その際、両 者をバラバラに扱うのではなく、その関係性、もっといえ ば機能分担のタイ的あり方を明確にしていく姿勢が政策担 当者に必要となってこよう。言い換えれば、家族の扶養機 能が極めて弱体化しているとの見解がマスコミで流布して いるが、これは西洋の介護の担い手に関する見方を鵜呑み にした、実態に基づかない「言説」でしかない可能性も多 分にあり、先進国の「福祉の社会化」政策を直輸入するこ とは問題である。実際、先進国の援助政策とも絡んで、こ うした直輸入現象が現れ始めている。伝統的な家族制度の 態様とその変化の実態に基づいた政策形成と実施が必要で ある。 そこで、家族介護を補完するものとして近年新設された 「高 齢 者 在 宅 福 祉 ボ ラ ン テ ィ ア ( asasamak dulae phu sung ayu ) 」 に つ い て 触 れ て お こ う。 も と も と こ れ は、 社 会 開 発・人間の安全保障省の青少年・障害者・高齢者福祉支援 保護事務局が推進する事業であるが、二〇〇三年から二〇 〇四年にかけて八県で高齢者在宅福祉ボランティア事業を 試験的に開始した。二〇〇五年一一月には国家高齢者支援 調整委員会がこれを全国に普及させる旨の決定をし、二〇 〇五年にさらに一五県、二〇〇六年にさらに四八県の自治 体 (各 県 一 モ デ ル 自 治 体) で 試 験 的 に 実 施 さ れ た。 一 自 治 体あたり四〇人のボランティアを育成し、一人最低五人の高齢者の健康増進や回復期におけるリハビリ、すなわち二 次予防と三次予防の連携、あるいは介護を担当することが 目 標 と さ れ た。 さ ら に 国 家 高 齢 者 委 員 会 は 二 〇 〇 七 年 一 月、同事業を地方自治体の管轄とし、政府、民間、住民と 調整しながら運営させる旨の方針を閣議に提案する旨決め た。 二 〇 〇 七 年 四 月 の 閣 議 は こ の 方 針 を 承 認 す る と と も に、二〇一三年までに全国七七七八の自治体すべてに高齢 者在宅福祉ボランティアを配置させる計画を決定した。事 業立ち上げの二年間は中央政府が財政支援を行うが、その 後 は 自 治 体 の 負 担 と す る こ と と な っ た (二 〇 〇 七 年 四 月 一 〇 日 閣 議 資 料、 首 相 府) 。 自 治 体 に 移 管 さ れ つ つ あ る 高 齢 者在宅福祉ボランティアは、財政的に潤沢なNHSOの枠 組みに組み込まれようとしているとみられる。二〇〇八年 段階で、高齢者在宅福祉ボランティアは五〇〇〇人おり、 全 国 九 五 の 自 治 体 で 三 万 三 四 〇 人 の 高 齢 者 を 支 援 し て い る。なお、高齢者在宅福祉ボランティアについては、三次 予防の担い手としてNHSOも着目しており、NHSOの 「予 防 的 サ ー ビ ス (P P) 」 予 算 を 用 い て 講 習 を 実 施 す る ケースもある。すでに述べたように、高齢者在宅福祉ボラ ン テ ィ ア は 保 健 ボ ラ ン テ ィ ア が 兼 任 し て い る ケ ー ス が 多 い。 次に家族介護を補完するための施設面での整備について みておこう。保健省は、二〇〇九年から二〇一二年までの 四 年 間 に お け る 長 期 投 資 計 画 (給 与 等 経 常 経 費 以 外 の 投 資 的 経 費) の な か で、 既 存 の 保 健 所 (P C U) に デ イ サ ー ビ ス セ ン タ ー を 敷 設 し た「拡 張 型 P C U ( enhanced PCU ) 」 の整備を急ぐとしている。第二次国家高齢者計画の工程表 は、デイサービスセンターの具体的な設置目標を定めてい る が、 そ れ に よ れ ば 設 置 率 を 二 〇 〇 六 年 ま で に す べ て の ム ー バ ー ン (村) の 二 五 %、 二 〇 一 一 年 ま で に 同 五 〇 %、 二〇一六年までに同七五%、二〇二一年までに同一〇〇% に設定している。しかし、現段階ではまだデイサービスセ ンターが設置されたケースがほとんどないので、計画は遅 れていることになる。デイサービスセンターでの介護につ い て は、 保 健 ボ ラ ン テ ィ ア、 高 齢 者 在 宅 福 祉 ボ ラ ン テ ィ ア、 ヘ ル パ ー が 動 員 さ れ る こ と に な る。 他 方、 こ の デ イ サービス事業については、実際には三〇バーツ医療制度を 管 轄 し て い る N H S O が 運 営 す る こ と に な る と 思 わ れ る が、事業運営の予算を三〇バーツ医療制度の人頭割予算に 組み込むことが想定されている。なお、こうしたハコモノ を作るのはよいが、たとえば高齢者がどうやってそこまで 行くのかというアクセスの問題等が残っている。デイサー ビスセンターについては、すでに保健省管轄の保健所内に 設 置 す る 計 画 が 進 ん で い る が、 こ れ を 計 画 ど お り 各 ム ー バーン・レベルに拡大する場合は、莫大な予算が必要とな ることもあるし、また上述のようなアクセスの問題も起き てくるので、より身近にある既存の施設、たとえば保健ボ ランティアの拠点として各ムーバーンにすでに存在するコ ミュニティ・プライマリ・へルスケア・センターや、ある いは村落の精神的紐帯であり、数にして保健所の三倍以上 ある寺院の敷地をデイサービスセンターとして活用するこ とが検討されてよいだろう。
Ⅳ
所得保障
と
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
こ こ ま で 医 療 と 福 祉 (と り わ け 高 齢 者 福 祉) に つ い て 述 べ て き た が、 次 に 所 得 面 の 保 障 (年 金) に つ い て、 コ ミ ュ ニティのレベルでどのような試みが実践されているのかを みておこう。これについては本稿のIの部分で言及したよ うに、二〇〇四年頃に社会開発・人間の安全保障省が、財 務 省 と 協 議 し な が ら、 「一 日 一 バ ー ツ 基 金」 な ど の 自 生 的 なファンドに年金の機能を持たせようと考え、これが「コ ミュニティ福祉基金」として具体化したことを挙げるべき だろう。 もともとの経緯だが、タイ現代仏教の「社会参画型仏教 グ ル ー プ ( klum phuttha satsana phuea sangkhom ) 」 の な かの実践派の代表的僧侶で、タイ東部トラート県ターソー ム 地 区 に あ る パ イ ロ ー ム 寺 の 現 住 職 で あ る ス ビ ン パ ニ ー ト ー 師 が、 一 九 九 〇 年 代 初 頭 に 先 述 の 小 学 校 教 師 チ ョ ッ プ・ヨートゲーオと出会ったことにさかのぼる。農民の負 債 拡 大 に 心 を 痛 め て い た 同 師 は、 「一 日 一 バ ー ツ 基 金」 が そ れ を 解 決 す る た め の 契 機 と な る と 考 え た の で あ る ( Lakkhana 2005: 349-350 ) 。 こ こ に ス ビ ン パ ニ ー ト ー 師 の もとで「一日一バーツ基金」が宗教性を帯びることになっ た。 ス ビ ン パ ニ ー ト ー 師 は、 こ れ を「真 理 の 貯 蓄 組 合 ( klum satcha sasomsap ) 」 と 名 付 け た。 真 理 は、 仏 教 用 語 では「真諦」であるが、住民が貯蓄した金額と同じ量の真 理 (真 諦) が そ こ に 蓄 積 さ れ る と と も に、 緊 急 時 に は 自 分 自 身 も そ の 便 益 に 預 か る こ と を 強 調 し た の で あ る。 こ れ は、 同 じ く 社 会 参 画 型 仏 教 グ ル ー プ に 属 す る パ イ サ ー ン ウ ィ サ ロ ー 師 の 言 葉 を 借 り れ ば、 「互 酬 的 積 善 ( reciprocal merit-making ) 」 とみなすことができる。 そして、タクシン政権下の二〇〇四年頃に、政府とNG O や 住 民 組 織 の 間 に、 「真 理 の 貯 蓄 組 合」 を は じ め、 各 地 に自生的に存在しているファンドに政府の財政援助を加え てタムボン・レベルの「コミュニティ福祉基金」に順次改 組していくという考え方が生まれたのである。二〇〇六年 九月のクーデタ ー 後に成立したスラユット政権下で社会開 発・人間の安全保障省の大臣となったパイブーン・ワッタ ナシリタムは、コミュニティ福祉支援委員会を設置すると と も に、 「コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 基 金」 へ の 支 援 を 予 算 化 した。その結果、全国で七七〇〇余りのうちの三一三六のタ ムボンで「コミュニティ福祉基金」が設置され、会員数は 八九万五五九七人となった。それまでの自生的なファンド は、 カ バ ー さ れ る 項 目 が バ ラ バ ラ で あ っ た が、 「コ ミ ュ ニ ティ福祉基金」への移行に伴って、出産、教育、傷病、生 業維持、職業訓練、年金といった項目を包括的にカバーす ることになった。基金の認可や指導は、社会開発・人間の 安 全 保 障 省 傘 下 の「コ ミ ュ ニ テ ィ 組 織 開 発 研 究 所 (C O D I) 」 が 行 う こ と と な っ た。 ま た、 政 府 か ら の 補 助 金 の 実 際の出所は内務省地方行政局の予算である。その後のアピ シ ッ ト 政 権 で は、 「コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 基 金」 を 住 民、 自 治 体、中央政府の三者からなるマッチング・ファンドとする ことが確認され、三者の出資比率は一:一:一とすること が確認された。また、国家コミュニティ強化支援委員会の も と に コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 支 援 小 委 員 会 が 設 置 さ れ た。 「一 日一バーツ基金」の影響力は大きく、農業・農業協同組合 銀 行 (B A A C) は、 先 の チ ョ ッ プ・ ヨ ー ト ゲ ー オ と ス ビ ンパニートー師の活動にヒントを得て、二〇〇七年に「タ ウ ィ ー ス ッ ク 基 金 ( Kongthun thaweesuk ) 」 計 画 を 発 足 さ せた。 このように、自生的なファンドが国家主導の「コミュニ ティ福祉基金」へと移行することで制度化の度合いを強め て い る が、 「コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 基 金」 の 仕 組 み の 事 例 と し て 、 東 北 タ イ の ス リ ン 県 プ ラ ー サ ー ト 郡 ト ゥ ン モ ン 地 区 の サ ダ オ ラ ッ タ ナ ー ラ ー ム 寺 を 拠 点 に 設 置 さ れ た 「 ト ゥ ン モ ン 地 区 コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 善 徳 自 助 基 金 ( kongthun khunnatham sawatdikan chumchon phueng ton-eng tambon thungmon ) 」 を以下においてみておこう。スリン県は、福祉行政におい て行政と宗教が最も融合している県の一つである。ちなみ に、スリン県のマハーニカーイ派僧団長であるプラマハー モ ー リ ー 師 と タ ン マ ユ ッ ト 派 僧 団 長 で あ る プ ラ ラ ー チ ャ ウォラクン師が、県レベルの委員会組織である「スリン県 コミュニティ福祉善徳基金委員会」の顧問に名を連ねてい る。 すでに述べたように、基金収入は住民からの拠出、中央 政府からの補助金、自治体からの補助金からなっており、 三者の比率は一:一:一である。これに寄付金、功徳行事 の 際 の 布 施 や 利 子 収 入 (資 金 は 銀 行 に 預 金 さ れ る) が 加 わ る。住民の拠出についてであるが、一日一バーツを積み立 て る も の と し、 年 間 で 三 六 五 バ ー ツ の 拠 出 と な る。 し た がって中央政府および自治体からの補助金もそれぞれ一人 あたり三六五バーツということになる。加入時の拠出につ いては、二〇バーツの加入費とともに六ヶ月前に遡って拠 出 金 を 払 わ な け れ ば な ら な い。 六 ヶ 月 分 す な わ ち 一 八 〇 バーツを支払うことによって加入時に直ちにサービスを受 ける権利を得ることになる。そして資金の運用であるが、 中 央 基 金 と し て 全 体 の 二 〇 % が 留 め 置 か れ、 五 〇 % が 年 金、療養費などの保障部分に、三〇%が貸し付け用に使用 さ れ る (ト ゥ ン モ ン 地 区 コ ミ ュ ニ テ ィ 福 祉 善 徳 自 助 基 金 資 料) 。保障内容は九項目にわたる。 これまでみたように、トラート県でスビンパニートー師 が始めた試みが徐々に各県に浸透しつつあるが、これを政 策的に振興しようという動きがある。スビンパニートー師 らを中心とする「コミュニティ福祉財務学校」の設立であ る。具体的には、スビンパニートー師らと社会開発・人間 の安全保障省が「コミュニティ福祉財務学校」を設立し、 各県ごとに五人の代表者と一人の僧侶を選出して同師のノ ウハウを伝授するというものである。二〇〇九年一〇月に 第 一 期 目 が ス ビ ン パ ニ ー ト ー 師 の パ イ ロ ー ム 寺 で 開 講 し た。修了後、受講者は各県に帰って、各郡から選出された 五 〇 ~ 一 〇 〇 人 に こ れ を 伝 達 す る こ と に な る。 こ の プ ロ ジェクトは、社会開発・人間の安全保障省傘下のコミュニ ティ組織開発研究所や、国家コミュニティ強化支援委員会 のもとに設置されたコミュニティ福祉支援小委員会が全面 的 に 支 援 し て い る (コ ミ ュ ニ テ ィ 組 織 開 発 研 究 所 資 料) 。 タ イ が す で に 二 〇 〇 一 年 に 高 齢 化 社 会 (六 五 歳 以 上 人 口 が 全 人 口 の 七 % を 超 え る 社 会) に 入 っ て い る こ と に 鑑 み、 社 会 保障制度の持続性という観点から、コミュニティに賦存す る資源をいかに活用するかが一つの論点となる。その一環 と し て、 全 国 に 三 万 六 三 八 四 あ る 仏 教 寺 院 (二 〇 〇 九 年 末 時 点 で マ ハ ー ニ カ ー イ 派 三 万 三 九 一 二、 タ ン マ ユ ッ ト 派 二 四 七 二) を 核 と す る 伝 統 的 な コ ミ ュ ニ テ ィ 内 ネ ッ ト ワ ー ク を、社会保障システム構築のためのソーシャル・キャピタ ル と し て 再 発 見・ 活 用 す る こ と が 目 指 さ れ て い る の で あ る。
む
す
び
政治の論理が、ハコモノを中心とする地元へのアドホッ クな利益誘導から、それまで政治主体として認知されてこ なかった「排除された多数者」に対する生活保障と能力強 化へと変化したのは二〇〇〇年代に入ってからである。こ れ は、 「開 発 (パ ッ タ ナ ー) 」 の 質 が 転 換 し た こ と を も 意 味 し て お り、 近 年 の「人 間 開 発」 や「人 間 の 安 全 保 障」 と いった国際的な動きと軌を一にするものでもある。こうし た「排除された多数者」への配慮は、タクシン政権、スラ ユット政権、アピシット政権、インラック政権へと移行す るなかで、むしろ強化され、政治的正当性の中心的位置を 占めるにいたっている。スラユット政権は「排除しない社 会」を提唱したし、アピシット政権は、高齢者および身体 障害者の生活補助金受給に際しての資力調査と所得制限を撤廃するなど、福祉の「普遍主義」化が着実に進行してい るようにみえる。 しかし、こうした「普遍主義」化を持続的なものにする ためには、順調な経済成長に伴う税の増収とともに、資産 税の導入や税の捕捉の強化などによるタックス・ベースの 拡大が前提となるが、その前途は多難である。政府は人口 の 高 齢 化 に 伴 う 財 政 負 担 増 と い う 足 枷 を か け ら れ、 「普 遍 主義」をいつまで掲げ続けられるかわからない。結果的に 政府は、補完性の原則にしたがって、人々を包摂するロー カルなコミュニティを背後から支えるという役回りに徹す る こ と に な る 可 能 性 が 高 い。 こ う し た 状 況 を 補 完 す る の が、本稿で述べた「タムボン健康基金」や「コミュニティ 福 祉 基 金」 と い っ た、 政 府、 自 治 体、 住 民 の 三 者 に よ る マッチング ・ ファンドであり、今後、これに高齢者在宅福 祉ボランティア等のサービス供給者を組み合わせた形態が 一般化してくるであろう。つまり、最低医療保障としての 三〇バーツ医療制度に、この種のマッチング・ファンドを 組み合わせるという構造である。しかしこの点についても 課題は多い。分権化が進行するなかで、自治体や住民の財 政能力に応じて福祉サービスの質に差が出てくる可能性が あるのである。つまり、農村部の内部でサービスの格差が 出てくる可能性があるのである。 ◉注 * 1 八 〇 年 代 後 半 に 入 っ て、 都 市 部 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ 自 治組織( khanakammakan chumchon yoi )の設置を急いだ内 務 省 は、 プ ラ イ マ リ・ ヘ ル ス ケ ア 政 策 の も と で 設 置 さ れ た チ ュ ム チ ョ ン と い う 単 位 を そ の ま ま 活 用 す る と と も に、 コ ミ ュ ニ テ ィ 自 治 組 織 の 形 成 に お い て 保 健 ボ ラ ン テ ィ ア の 役 割 を 重 視 し た(一 九 八 七 年 一 二 月 二 九 日 付 け 内 務 省 内 達 Mo. Tho.0413/Wo.1553 )。 「テ ー サ バ ー ン お よ び ス カ ー ピ バ ー ン に お け る チ ュ ム チ ョ ン 設 置 に 関 す る 内 務 省 内 達」 (一 九 八 八 年 三 月 一 八 日 付 け Mo.Tho.0143 /Wo.398 ) は、 保 健 ボ ラ ン テ ィ ア が コ ミ ュ ニ テ ィ 自 治 委 員 会 メ ン バ ー の 選 挙 を 管 理 す る こ と、 自 治 委 員 会 保 健 小 委 員 会 の 委 員 長 と な る こ と、 さ ら に 自 治委員会委員長になることも可能である旨確認している。 * 2 三 〇 バ ー ツ 医 療 制 度 導 入 以 前 の 健 康 保 険 に つ い て は、 公 務 員・ 国 営 企 業 労 働 者 医 療 保 障 制 度(C S M B S、 財 務 省 管 轄) 、 社会保障基金 (SSS、 労働省管轄) によるものがあっ た が、 そ れ 以 外 の 農 民 や イ ン フ ォ ー マ ル セ ク タ ー 対 象 の 健 康 保 険 制 度 に つ い て は 未 整 備 で あ っ た。 な お 現 在、 公 務 員 や 民 間 事 業 所 労 働 者 向 け の 疾 病 予 防 や 検 診 な ど の サ ー ビ ス に つ い て は、 三 〇 バ ー ツ 医 療 制 度 が 地 域 レ ベ ル で カ バ ー す る 仕 組 み に な っ て い る。 公 務 員・ 国 営 企 業 労 働 者 医 療 保 障 制 度 や 社 会 保障基金では、予防の部分がカバーされていない。 * 3 三者のタイ語の頭文字をとってこう呼ばれている。 * 4 こ こ で の「基 本 的 保 障」 と は、 家 族 や コ ミ ュ ニ テ ィ に よ る 支 援 か ら 抜 け 落 ち た 高 齢 者 に 対 す る 最 終 的 な セ ー フ テ ィ ー ネ ッ ト と 理 解 さ れ る。 こ う し た 意 味 で の「基 本 的 保 障」 (と りわけ所得保障)は憲法でも規定されている。 * 5 こ の 点 に 関 連 し て、 広 井(二 〇 〇 七) は、 ア ジ ア で は 「ヨ ー ロ ッ パ 等 の 発 展 形 態 と は 異 な る ル ー ト を 経 由 し て(大 き な 福 祉 国 家 を 経 る こ と な く) 、『福 祉 社 会』 に い た る」 可 能 性 が あ り、 「伝 統 的 な 家 族・ 共 同 体 あ る い は コ モ ン ズ の あ り 方(さ ら に そ こ で の 相 互 扶 助 関 係 や 世 代 間 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン、 自 然 と の 関 わ り な ど) を 一 定 程 度 残 し な が ら 都 市 化・ 産 業 化 が 進 展 し、 そ れ が ポ ス ト 産 業 化 に も 何 ら か の 形 で 引 き 継 が れ る と い っ た パ タ ー ン を 排 除 す る こ と は で き な い だ ろ う し、 場 合 に よ っ て は そ う し た 発 展 パ タ ー ン の ほ う が 望 ま し い 場 合 も あ り う る か も し れ な い」 と 述 べ て い る(広 井 二 〇 〇 七: 二三―二五) 。 ◉参考文献 河 森 正 人(二 〇 〇 九) 『タ イ の 医 療 福 祉 制 度 改 革』 御 茶 の 水 書 房。 菊池理夫(二〇〇七) 『日本を甦らせる政治思想――現代コミュ ニタリアニズム入門』講談社現代新書。 地 域 包 括 ケ ア 研 究 会(二 〇 〇 八) 『地 域 包 括 ケ ア 研 究 会 報 告 書 ―― 今 後 の 検 討 の た め の 論 点 整 理』 三 菱 U F J リ サ ー チ & コ ンサルティング株式会社。 富 永 健 一(二 〇 〇 一) 『社 会 変 動 の 中 の 福 祉 国 家 ―― 家 族 の 失 敗と国家の新しい機能』中公新書。 広井良典(二〇〇七) 「アジアにおける『持続可能な福祉社会』 の 構 築 ―― 中 国 ・ 日 本 ・ ア ジ ア と 社 会 保 障」 広 井 良 典 ・ 沈 潔 編 著『中 国 の 社 会 保 障 改 革 と 日 本 ―― ア ジ ア 福 祉 ネ ッ ト ワ ー クの構築に向けて』ミネルヴァ書房、三―三〇頁。 広 井 良 典(二 〇 〇 九) 『コ ミ ュ ニ テ ィ を 問 い な お す』 ち く ま 新 書。 K ha na k am ma ka n son gs oe m la e pr asa n ng an p hu su ng ay u haeng chat (国家高齢者支援調整委員会) ( 2002 ) Phaen phu sung ayu haeng chat chabap thi song (第 二 次 国 家 高 齢 者 計 画) Bangkok: Khana kammakan songsoem lae prasan ngan
phu sung ayu haeng chat
(国家高齢者支援調整委員会) 。 Lakkhana Toemsirikunchai ( 2005 ) Khabuankan klum satcha omsap changwat trat kap kan phueng ton eng phuea sang sukphawa ( ト ラ ー ト 県 の 貯 蓄 組 合 運 動 と 福 祉 構 築 の た め の 自 助 努 力 ) Sathaban wichai lae phatthana rabop sukkhaphap chumchon and Munnithi satharanasuk haeng chat ( コ ミ ュ ニ テ ィ 健 康 シ ス テ ム 研 究 所 、 国 家 健 康 財 団 ) Yon roi rian ru kan phatthana phi si yu lae sukkhaphap chumchon ( P C U の 開 発 と コ ミ ュ ニ テ ィ の 健 康 を 再 考 す る )
Bangkok: Sathaban wichai lae
phatthana rabop sukkhaphap chumchon and Munnithi
satharanasuk haeng chat.
NSO ( 2008 ) Rai-ngan kan samruat prachakon phu sung ayu nai
prathet thai pho. So. 2550
(二〇〇七年タイ高齢者人口調査)
◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 河森正人 (かわもり・まさと) ② 所 属・ 職 名 …… 大 阪 大 学 大 学 院 人 間 科 学 研 究 科 グ ロ ー バ ル 人 間学専攻・教授 ③生年・出身地…… 一九五九年、富山県生まれ ④専門分野・地域…… 東アジアの高齢者福祉、タイ地域研究 ⑤ 学 歴 … … 大 阪 市 立 大 学 大 学 院 創 造 都 市 研 究 科 博 士 後 期 課 程 修 了、博士 (創造都市) ⑥ 職 歴 …… ア ジ ア 経 済 研 究 所 研 究 員、 タ マ サ ー ト 大 学 タ イ 研 究 所 客 員 研 究 員、 在 タ イ 日 本 国 大 使 館 専 門 調 査 員、 チ ュ ラ ー ロ ン コ ー ン 大 学 経 済 学 部 客 員 研 究 員、 大 阪 外 国 語 大 学 外 国 語 学 部助教授、同教授を経て現職 ⑦現地滞在経験…… 職 歴 の 項 を 参 照 。 ⑧研究手法…… フ ィ ー ル ド で は 主 に 聞 き 取 り 調 査 を 行 う 。 ⑨ 所 属 学 会 … … 日 本 タ イ 学 会 、 ア ジ ア 政 経 学 会 会 員 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… タ イ 保 健 省 に お け る 農 村 医 師 官 僚 た ち の 活 動に接したこと。 『タイの医療福祉制度改革』 (御茶の水書房、 二〇〇九年) により、 第三一回発展途上国研究奨励賞を受賞。 ⑪ 推 薦 図 書 …… 最 近、 高 齢 者 福 祉 等 の 研 究 を 進 め る う え で、 田 辺 繁治 『「生」 の人類学』 (岩波書店、 二〇一〇年) の、 とくに第七章 「苦 しみと生の可能態」 以降の部分を参照させていただいている。