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中世都市リューベックの法史料について

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Academic year: 2021

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(1)め. 4. -1-. 中世 都市 リ ュー ベ ッ ク の 法 史 料 に つ い て. じ. 、 はじめに 一 二、リューベックの成文法史料 日 現在までの成文法史料の出版状況 口 十六世紀末までの史料間の系統関係 国 一 五 八六年の「 校訂リューベック都市法典」 四 小括 三、リューベックの判決史料 日 市裁判制度と市参事会裁判 口 市参事会裁判の判決史料 四、結びにかえて. ヽま. 一. ー. 稲. 冗. 格. 番 最初に突き当る、 しカヽ ある―つのドイツ中世都市法について本格的な研究 を試みようとする者にとって、 一. に. もきわめて困難 でかつ重要な問題は、自分が設定した研究 テー マ に沿って自ら検索 し、収集しえた法史料が当該都市. 中世都市リュ ー ベックの法史料について.

(2) が有している膨大な関連法史料の中の一体どれだけを包含しているのか、そして現在手元にあるそれらの法史料がそ. の全体の法史料群の中で自分の研究 テー マ にとって基 本的に必要不可欠の史料を含んでいるのかどうか、も しそう で. ないとすれば‘そのような必須の史料は存在するのか、もし存在するのであればそれは現在どこに所蔵されているの. か、さらにもしそのような史料がもはや入手不可能であるならば、それを補完しうるような史料は存在するのか、も. し存在するのであればそれは現在どこに所蔵されているのか、ということである。勿論どのような法史料であれ、. もうとする一般の研究 者にとっても、それが大 きな壁となって立ちはだかることが多い。また、既に我が国でも、. い場合、初学 者にとっては勿論のこと、従来研究 対象 としてきた都市とは別に新たに前述の様な都市の法研究 に取組. この問題が解 決されていない場合 、即ち当該都市の法史料に関して、既に詳細な、文献学的な整理がなされていな. 量ともに正鵠 を射た法史料がそれらの史料群の中から発見 されなければならないのである。. 値 を有していることは言うまでもないが、研究 者が当 面している研究 においてより適切 な結論を引出 すためには、 質. れが歴史的事実 を多かれ少なかれ内包している限り、研究 者の問題意識の如何 にかかわらず、それが一定の史料的価. そ. あるので、ここでは、これに関する成文. ( II. 制定)法や法慣習が主たる対象 になる。周知 の如く 、中世 都市において. 要な限りではあるが、概観 したいと思う。筆 者の目 下の関心は民事法の中の特に不動産 法の中世都市における態 様に. そこで、 本稿では、筆 者が専ら研究 対象 としているドイツ中世都市の法史料の状況を、筆 者自身の当面の研究 に必. 覚えることも皆無 とは言えないであろう。. り、当人の発表 した論稿の論評において他の都市史研究 者がその史料収集の程度について評価を下すことに戸惑 いを. なり研究 の進展 している個々の都市法史の研究 においても、 史料処理の問題は各個人の研究 者の裁畠 に委ね られてお. か. -2-. 第35巻第3·4号 近大法学.

(3) も公法と私法との分離は未だ完全ではなかったのであるから、本稿においても、民事法的規定のみならず、関連する. 等 の規則等は本稿では基. 限り、公法的規定も視野に収めつつ論述するつもりである。但し、市参 事会が発した命令的規定や個々の団体ー � 例. えば、商人や手工業者ー のそれ、公的な諸制度1 例えば、裁判 所、市参事会役識等ー 本的に対象 とはしないつもりである。. 筆 者が専ら研究 対象 としているハ ンザ 都市リュー ベック の中世都市法、即ちリュー ベック 法については、幸 いなこ ー. -3-. ,1 980 ) が前述の問題に適切 な解 答を既に与えてくれている。 とに、 ヴィル ヘル ム・ エー ベル ( Wi l hel m Ebel 90 81. まず同史料が有している内容 についてであるが、同史料は、第一に、リュー ベック が建 設された十二世紀半ば. な史料、即ちリュー ベック 法を直接的には言及していない史料—ー' 例えば、 日記、商業 帳簿類 、新聞等が考えられる. 同法史料は、第二に、その中にリュー ベック 法に関する史料を間接的に含んではいるが、それが断片 的であるよう. 味 する。但し、一五八 六年以降の法史料であっても、それが前述の史料と関連する場合、それも同様に呼ばれうる。. された一五八 六年までの間に市参事会において制定された成文の法(律)、 並びに当時の 法実 務にかかわる史料を意. から中世のリュー ベック 法の集大成とも言うべき「校訂 リュー ベック 都市法典D a sRev i di ert eSt a dt rec ht 」が公布. (1). 工. リュー ベック 法は、ドイツ中世都市法の中でも極めて重要な都市法家族 の 一 っ を形 成したことによって我が国におい. ても良 く知られているが、その内容 や全体像 はそれとは逆に我が国ではほとんど知られていない。以下において、. ー ベル の諸研究 に主に依拠 しながら、リュー ベック 法の中の特に重要な基本的史料を概観 してみた いと思う。. 本稿で使用する 「 リュー ベック 法史料」 という用語について 言 及しておきたい。 筆 者はこの用語を内容 、対. に. 象 、 原本との遠近 度という区分に従って以下のように定義する。. 中世都市リュ ー ベックの法史料について.

(4) |はここに言うリ ュー ベック の法史料には原則として含まれない。 がー'. いわゆる「リュー ベック 普通法」ー. として妥当したので、たとえその法史料がリュー ベック. 第 三に、リ ュー ベック 法の大部分は、リ ュー ベック のみならず、同法が授与された諸都市、即ちリ ュー ベック 娘法. 都市においても法ー. 以外の同娘法都市において編簗あるいは作成されたものであっても、内容 的にそれがリ ュー ベック 法と緊密な関連に. ある場合、それらの法史料もリ ュー ベック 法史料に含まれる。さらに作成された場所が非リ ュー ベック 娘法都市であ. っても、その史料が前述の条件を満たしている場合には、これも同様に扱いたいと思う。. 次に同法史料は、その中に採録された記録対象 に従って、以下の如く区分されうる。. 最後に、リ ュー ベック 法史料は、原本との遠近 度、即ち加工の度合に応じて以下の如く 区分される。. くは、同市と 、それが送付 された娘都市の、それぞれの都市帳簿に記載されていた。. 法令集ではない記録、例え ば都市帳簿が法源を記載していることもある。 後述する如く 、リュー ベック の法教示 の多. 以上の、 記録対象 に従った両史料の区別は原則的なものであり、 両方が部分的、内容 的に重複していたり、また、. ることが多いのが特徴である。. においてはしばしば法原則がその史料の行間に隠れており、これは史料の読みこなしによって初めて明らかにされう. する裁判 所が下した判 決の記録、即ち判 決録である。その他には各種の都市帳簿類 がこれに含まれる。これらの史料. 第 二に、法律行為に関するリ ュー ベック 法の記録である。この史料群の中で最も重要なものは、市参事会を頂点と. して、条文形 式で記載された法史料である。. 第 一に、法源としてのリ ュー ベック 法の記録である。より具体的に述べるならば、制定法、即ち法律(S t a t ut e)と. (2) (3). -4-. 第35巻第3.4 号 近大法学.

(5) 第一に、第一次史料としての原本( Ori c hr i f t ) gi na l )である。第 二に 、原本の写 本としての手 書き本 ( Hands. ot ある。これらの多くのものはもはや紛失しており、現在も存在しているものは稀 であるが、写真版 ( F o ko pi e). よって残されている史料もある。なお、注意すべきことは、原本と手 書き本との区別がもはや必ずしも明確でない場 合もあることである。. 第三に、印刷本、即ち市当局あるいは私人によって、公的あるいは私的に、刊行された法史料である。前述の原本. ないし手 書き本ー � その多くは法典であり、その法文ー— が後に編集され、時には、論理的整合 、現行法へのつじつ ま合わせといった学問的処理が加え られて、活字出 版 されている場合もある。. 国 リ ュー ベック 法史料を 以上のように定義し、 以下において具体的に 同法史料を 概観 するが、論述の方法とし. て 、口③ の個所で述べた区分に従い、 二においてリュー ベック 成文法史料について、 三においてリュー ベック の判 決. ( 1. ). 関心に従って要約 され再構 成される。. 現在まで の成文法史料 の出 版状 況. H. -5-. で. に. 本章は主にW・ エーベル 「リュー ベック 法I」(一九七 一年) に依拠 して論述するが、 その内容 は筆 者自身の問題. 二、 リュー ペ ック の成 文法 史 料. 史料について述べ、 四において概括 する。. 中世都市リュ ー ベックの法史料について.

(6) Ko pi es t en) が存在していたので、彼らによって多. (. 一般 的なリュー ベック 法史料状況について エー ベル は次のように述べている。第一に、原本はほとんど存在してい. ないことである。第二に、 各リ ュー ベック 娘法都市には写 本係. Rev a l ) に手 書き本の一部が残 されていたことである。. (. くの手 書き本が残 されたが、これらの写 本も早くから売 買の対象 とされ、さらに火災、戦災、窃盗等により紛失して. しま ったこと、 わずかに エル ビンク ( El bi ng) やレファル. し かも 、さらに第二 次世界大戦の惨禍 とその後の政治 状況の変化によって、これらの史料の存在についての確認作業. すら現在では困難 になっていることである。従って彼が述べる史料の現状というのは、基本的に第二次世界大戦直前. までのそれを指している。もはや現在では多くの法史料は、しかも重要なものは、公刊された文献の中で印刷本とし. て、活字出 版 されているのみである。それ故、個々の制定法史料に解 説を加える前に、これらの法史料の現在の出 典. 個所とも言 うべきこれらの公 刊された文献を概観 しておきたい。このような文献の歴史を明らかにすることは同時に またリ ュー ベック 法研究 史をひもとくことにもなるであろう。. 中世のリ ュー ベック 法史料は、十 六世紀末の市当局による法典編簗作業 が完了した後は、個々のリュー ベック 娘法. ( 2. ). 都市当局によって保管 されるか、あるいは個人的に私蔵 され、言わば、放慨されていたに等しい。それらの印刷はリ. ュー ベック 法研究とともに開始した。. ). 相違 、矛盾 が存在している場合、どちらを妥当根拠 として優先すべきかという、当時の法実 務上の問題にあったと言. る。 彼らの当初の問題関心は、一五八 六年の校訂 リュー ベック 都市法典の条文と、それ以前の法写本の条文との間に. ( 3. . Wes .v .J en)を始めとして続々と研究 者が登場 す l pha ) やヴェス トフ ァー レン( E rne t この時期にカ ロック ( G.Ca. 同法に関する研究 書は既に十 七世紀にも存在したが、 同法研究 が本格化するのは十 八世紀に入ってからである。. (1). -6-. 第35巻第3·4号 近大法学.

(7) 中世都市リュ ー ベックの法史料について. われ る。. (4. ). し か し 次 第 に 彼 ら の 関 心 は こ の よ う な 問 題 意 識 か ら 離 れ 、 十八 世 紀 の 半 ば 頃 か ら 、 純 粋 に 学 問 的 、 歴 史 的 問 題 意 識. に移 行 し て い っ た 。 そし て こ れ ら の 研 究 の 成 果 と し て 法 手 書 き 本 が 史 料 集 と し て 公 刊 さ れ る よ う に な っ た の で あ る 。. これ ら の 史 料 集 の 学問 的価 値 は 今日 でも 少 し も 減少 し て は いな い。 年代 順に 紹 介 する。. .v.W estphal E. J en, 「 ゲ ル マ ン と り わ け ギ ン ベ ル 史 の 未 発 表 記 録 集 」( M onum enta i cum nedi ta rerum Germ ani (5. ). ,Leipzig,1743, und IV.,1745.) III. pue Ci preci m bricarum 、tom .. 「 ラ ン ト ・ホ ル シ ュ タ イ ン 法 集 成 」( Corpus statutorum provi F•D.C.v. Cronhel ona, sati ae,Alt m, nci al i um H ol. の 法 典 の 手 書 き 本 を 集 め 、 それ ら の. -7-. 1750.). 」 ( Sel x, Lubeck und Altona, ectae observati ones forenses, Appendi. schte Abhandl ungen zur Erlauterung der deutschen Rechte,Bd.1, Rostock, 1754. J.C•H •Dreyer,Verm i. i. H . Brokes`「 裁 判 法 規 選 ー ー 追 録 1765). ,Geschichte der H erzogtti ensburg,1776. l 2, Fl stei n,Tei W .Chri eswi g und H ol sti ani m er Schl E.. schow i n,Bd. 4, 1824. H rsg.v•N. Falck,Dr.Gut m Staatsbti rgerl i chen M agazi. 一八 三 九 年 、リ ュ ー ベ ッ ク 法 研 究 史 上 、今 日 な お 同 法 研 究 に と っ て 必 要 不 可 欠 の 史 料 集 が 出 版 さ れ る に 至 っ た 。. し う る 限 り の ラ テ ン 語 と 中 世 低 地 ド イ ツ 語 ー ー' 以 下単に ド イ ツ語 と 標 記 するー. 書 の 重 要 性 は 、 史 料 の 単 な る 収 集 に と ど ま ら ず 、 それ ら の 史 料 の 詳 細 な 年 代 画 定 を 試 み た こ と に あ る 。 彼 は 当 時 収 集. sche Recht,Lubeck, 1839.) で あ る 。 同 te Lubi ハッ ハ の 「 古 リ ュ ー ベ ッ ク 法 」( J ohann Fri edrich Hach,Das al. (2).

(8) 条 文 を 注 意 深く 対 照さ せ、 こ れ に基づ い て それ ら の 法 手 書 き 本 を グ ル ープ 化 し 、 その グ ル ー プ の 中 の 代 表 的 な 法 典 を. 印 刷出 版し た。 個 々の 条 文 には 簡 単 な 註 解と 他 の 手 書き 本 に存 在 す る異 文 ( V ari ant e) が 付 さ れ た。 さ ら に同 史 料集. の 最 後 には 各 法 典 の 手 書 き 本 の 各 条 文 間 で の 詳細 な符 合表 が 収め られ た。 それ は 、 今 日で は 、 印 刷さ れ な かっ た 他 の. 手 書 き 本 の 内 容 を 知 る上 で 貴 重 な 手 掛 りと な っ て い る。 な ぜ な ら そ れ ら の 多 く は 当 時 存 在 し て い た の で は あ るが 、 今. 日も は や 所 在 不 明と な っ て い る からで あ る。. ) ラテ ン語 で 書 かれ た 法 典 ( K odex I。. 同 書 に収め ら れ た主 要法 典 は 以 下 の 三 法 典 で あ る。 ①. そ の 手 書 き 本 は ゲ ッ テ ィ ンゲ ン大 学 図 書 館 に今 日も 所 蔵さ れ て い る。 その 法 文 の 冒 頭 に― 二 六 三 年 の ダ ン ツ ィ ヒ 市. i gerK odex) 」と 呼び 、 そ の 授 与を 宛 ての 授 与文 言 が 添 え ら れ てい たの で 、 ハ ッ ハ は こ れ を 「ダ ンツ ィ ヒ 法 典 ( D anz. (6 ). ―― 八 八 年 直後 と 想 定し た。 し かし エ ーベ ル は 、後 述 す る如 く 、 こ の 想 定を 誤 まりで あ ると し たが 、成立 年 につ い て. ― 二 六 三 年 に同 法 典 は 成立 し たと 考え る。 こ の 手 書 き 本 は エ ーベ ル によ りG oの 略 号が つ け られ る。. ) リ ュー ベ ッ ク 法 の み の 法 典 ( K odexII. III ). ―二 九 四 年 に作 成さ れ た「 バル デヴ ィ ク 法 典 ( K odexB ardew i k) 」 と 同一 で あ. リ ュー ベ ッ ク 法 と ハ ンブ ル ク 法 の 法 典 ( K odex. ). 市 宛 ての ハ ンブ ル ク 法 で あ る。 ハ ッ ハ は こ こ で も 作 成時 期 を 誤 まっ てし まっ た。 彼 は― 二 五 四 年 の メ メ ル ( M emel). (7. 収録 さ れ た法 文 の 、 前 半 二 四 〇 条 まで は リ ュー ベ ッ ク 法 で あ り、後 半 二 四 一 ー 四 0 六 条 は ― 二 七 0 年 に制 定さ れ た. ③. る。 エ ーベ ル によ りB aの 略 号が つ け ら れ る。. こ れ は 、 今 日も は や 所 在 不 明の. ②. は. -8-. 第35巻第3.4号 近大法学.

(9) 授 与文言 が 同 法 典と 関 連す ると し て 、 同 法 典の 冒 頭 にこ の 文言 を 置 い た。し かしこ れ は 今 日誤 まりで あ るこ と が 判 明. III. の ど ち ら にも 属 さ. し て お り、 同 法 典は 一五 世 紀 の 初め ー� あ るい は ど ん な に早 く て も 一三 七 0 年 ーー l頃 に 作 成さ れ たと 考 え ら れ てい る。. Ab t lu ng ei ert )と し て、 K odexIIと e ハッ ハの 同 書 は 、こ れ ら 三 法 典の 後 に、 第四 部 ( V i な い 、 他 の 手 書 き 本 に散 在 し て い る関 連法 文を 集め て い る。. )の 「その 最古 の 形 態 によ る リ ュ ハ ッ ハの 誤 まっ た、 史 料の 年 代 画 定を 正 し たの は フレ ン ス ド ル フ( F.F rensdorf. .J ,1 ーベッ ク 法 ( D as l ii bi sch eR ech tnach sei nen alt est enFo rme nL ei pz i g ` 8 72 )で あ っ た。 彼 は 、 同 書 の 中 で 、. 以 下 にお い て 、 第二 次 世 界大 戦 前 の 史 料研 究 書 につ い て 列挙 し て お く 。. る。 さ ら に ―二 八 二 年 の レ ファ ル 法 典 (ド イツ 語 )も 同 書 に収め ら れ て い る。. と 、一 三 四 七 年 頃 作 成さ れ た同 法 典の ド イツ 語 訳 法 典の 、 そ れ ぞれ の 条 文が 対 比さ れ る形 で 収録 さ れ てい るこ と で あ. , , 」 が 公刊 さ れ て い た 。 同 書 の 特徴 は 、 ― 44. ) t1 8 二 五 七 年 の ラテ ン語 で 書 かれ たレ ファ ル 市 宛 て 法 典 sD orpa rech t. (3). -9-. さ ら に ラテ ン語 手 書 き 本 の 中 で 最 も 古 い の は 、 い わゆ る「 リュー ベッ ク 断片 ( Li.i bi sch eF ragment)J で あ り、 ド イ. ツ 語 手 書 き 本 の そ れ は エ ル ビ ン ク 法 典で あ ると 主 張し 、 そ れ ぞれ の 作 成時 期 を 前 者は ―ニ ニ七 年 頃 、 後 者は ―二 六 O. 既 に一八 四 四 年 には、 プ ンゲ ( F. G .v. B unge)の 「 レ ファ ル 都 市 法 史 料集( D i R eval er St ' adt e Qu ell endes. ぎ な か っ た、 そ の 他 の 法 史 料 にも 研 究 の 光 が 当 て ら れ るこ と にな っ た。. ツ 語 の み な ら ず ラテ ン語 の 法 手 書 き 本 の 印 刷出 版が 行 な わ れ る よう にな り、さ ら にも は や 断片 的 に残 さ れ てい る にす. I七 六 年 頃 と 推 定し た。 彼の こ れ ら の 仮 説 は 今 日で も 通 説 と し て承 認さ れ てい る。 ハ ッ ハ の 研 究 を 契 機 にし て 、 ドイ. 中世都市リュ ー ベックの法史料について.

(10) (8. ). ). ftのラ. .M .Lappenberg`Di J e al t est en St adt -Schi ff-und Landrecht e, Ham burg,1845.彼は、 そ の中で、ハ ンプルク. に存在する ハンプルク ーリュー ベック 手 書き本を解説している。. ( 9. ( 10 ). コル ベルク の市参事会文 書館で発見された ―二九七 年 のド. エル ビ ンク 文書館に所蔵されていたリュー ベック 法手 書き. lt schen Recht G.Hom eyer,Di e deut sbti cher des M i tt el a ers, Berl i n,1855 und 1861. 1 �n! したなご の以. テン語 手 書き本が紹介されている。 8 en, Danzi tat qui M .Toeppen,El g, 1 71. nger Anti bi. 本が解説されている。 l em ann,Geschi cht e der St adt Co berg, 1873. H.Ri. イツ語法典(今 日所在不明であり、そ の写真版がリュー ベック 市文書館に所蔵)に解 説が施されている。. 8 ,Lei sche Recht E. Steff enhagen,Deut squell en i ahrhundert n PreuBen vom X III.bi pzi g,1 75. s zum X VI. J. ダンツィ ヒと ケー ニヒス ベルク と の法手 書き本が紹介 されている。. 躊. !@ �. l l . `10, 1933, s.262ff i.i bi sche Recht i n M em e,i A. M et hner,Das l preuBi schen Forschungen, Jg· nA t. 文 はケー ニヒス ベルク の国立文書館に所蔵されていた(+五世紀 頃 の)写 本によりながら、 ―二五 四年 メメル. 市宛て のラテン語リュー ベック 法典を活字化している。. schen Ge, ft des W estpreuBi schri t s, i enn,Di schen Recht e El n Zei bi nger Handschri en des Lti ft bi E.Carst. . エル ビ ンク で発見 された 前 述 の法 手書 き 本の分類と解説が行なわれ 、 ns, 72` 1935, s. 141ff sverei schi cht. そ の分類 は今 日でも標準とされる。. n El bi nger Jahrbuch,14, bi ng,i s fur El schen Recht ft des hibi est e deutsche H andschri e alt hner,Di A. M et. - 10 -. 第 35巻第 3 · 4号 近大法学.

(11) ー. 「北 ドイ ツ都市 法. .フレ ンス ドル フ の個 所で 前述 した 、 ―二七 0 年 直 後作成さ れ た と考え ら れ るエ ル ビ ン ク法 典 1 9 37, S.59 110 (ドイ ツ語 ) の手 書 き 本 が印 刷さ れ てい る。. リ ューベ ッ ク法 典 の最 後 の出 版は 第 二 次世 界 大 戦 後 に出 版さ れ た コル レ ン(G.K ren) al. ,D asmi 最 古 の形 態 にお け るリ ューベ ッ ク の中 世 低地 ドイ ツ語 都 市法 ー (No rddeutsch e II , S ad trechte t t l e t. コル レ ン の出 版年 には 既 に所在 不明 とな っ てい たー ー リ. さ ら に不完 全な 形、 即ち 断片 で 残 さ れ た法 手 書 き 本 も 活 字化 さ れ てき てい る 。 い ず れ も雑 誌 に発表 さ れ た も の. 以 上 が原形 を と どめ てい た 法 典 の手 書 き 本 の印 刷本 な い し解 説 文献 で あ る。. ―四0 0 年 頃 作成さ れ た 「オル デ ンプ ル ク法 典( derOldenbu rgerK dex)」 が収録 さ れ てい る 。 o. ( 11 ). し、こ れ に基 づい て、 印 刷さ れ た各 条 文 には 他 の法 典 の、 こ れ に対 応す る 条 文 番 号 が添 え られ てい る 。 ま た 補 遺 には. 同 書 の中 で コル レ ンは 言 語 学的 分 析 によ り 同 法 典 と前 述 のエル ビ ン ク法 典を 始め とす る 他 のドイ ツ語 法 典 とを 校 合. れ に単 に K の標 識 記号を 与 え てい る 。. ューベ ッ ク の市 参 事 会 法 典 の手 書 き 本で あ る。 コルレ ンは こ の手 書 き 本 に K i の標 識 記号を 付 け た が、 エーベ ル は こ. 一八 四 五 年 まで キー ル の市 参 事 会 文書 館 に置 かれ てい た 1. .W )と名 付 け ら れ 、 た のは 、 ウ ェス トフ ァー レ ン によ っ て既 に印 刷さ れ てい た ので 、 ハ ッ ハ によ っ て法 典 w( Ko d. , Lun d ,1951)J で 七3スf in trechtv nLi.i b eck nach se nederdeutsch eSt ad enal testenF rmen o 彼 が印 刷 に付 し i o o. n|. の. .9 で 、 ケ ー ニヒ ス ベ ル ク に在 っ た 既 に一 八 七 二 年、 シ ュテフ ェンハ ー ゲ ンは A lt preuB i sch eM o natssch rif tB d. i he 推 定エ ル ビ ン ク手 書 き 本 の断片 を 公刊 し、一 八 七 九年 にフレ ンス ドル フは H ans G e hc i htsbla t ter で リ ューベ c s c s. - 11 -. (4) (5). で あ り、 単 行 本 は 存 在 しな い 。 以下 、 簡 単 に紹介 す る。. 中世都 市 リ ュ ー ベックの法史料について.

(12) ック 市文 書館所蔵の推定ロ シュトック 手 書き本と 、Tri s t esRel i quaeと呼ばれる ラテン 語手書き本そしてドイ ツ語法 ( 12 ). 文のそれぞれの断片 を公刊していた。一八 八 一年にはハッ セ(P.Has tderGes f hri c s t i h' c e) が Ze tfurS s hef s c ell. " ". ,11 Bd. ,に おいて キール 図書館に 所蔵されていた、リュー ベック e ht c he Gesc hi c s gi g Ho n11Laue wi ei t nbur es s l l ( 13 ) の二種類の断片 を活字化した。今世 紀になってからは、 一九 三三年に ライン ケ (H.Rei i t ne s c hri f t des ke) が Ze. ,3 Ver ei ns fur Hamburgi s c he Ges chi cht e 3に おいて ヴ ェル ニゲロー デ( Werni gero de ) の シュ トル ベル ク 公領. (FurstSt o l be r g) 図 書館に保管 されていた法典の一部を、 ハン ブルク 州立文 書館にあったハンブルク ーリュー ベッ , ク 法典とともに紹介してい攻 。このような法典の断片 はす べて活字印刷されている訳ではない 糾‘差当り我々にとっ. 十六世紀末 まで の史料 間で の系統関係. てそれらを考慮する必要はない。. 口. 前述した諸研究 によって明らかにされてきた各法手 書き本間の相互 •依存 関係、即ち 系統関係が エー ベル によって. 解明されている 。彼によれば、これらの史料は、本来的には、リュー ベック 市参事会に由来するのであるが、個々の. 史料間の時代 的 ・空間 的な 隔りが大 きいこと、しかもその作成時期と名宛て人たる都市 を画定する上で不可 欠の、法. 文 の冒頭に置かれる序 言(Vo rr e de ) に不備があったりすること、あるいはその序文が 後に誤まって別の法典の前に. 付 せられてしまっている史料があることによって、法手書き本の多くはその作成時期を画定することが 困難 ではある. が、これらの史料に共通に存在 する標準条項(Lei t Art i ke l ) によって、それらの 作成 順位を解 明することができる. のである。. - 12 -. 第35巻第3 . 4号 近大法学.

(13) 中世都市リュ ー ベ ッ クの法史料について. 以下に おいて具体的に個 々の法史料について検討 されるが、 エー ベル はこれらの史料をいく つかのグル ー プに分類. している。 このグルー プ分 けについて言及しておきたい。 これらの法史料は、大きく 分けて、 一五八 六年の校訂 リュ. ー ベック 都市法典とそれ以前の諸法史料に分けられ、 後者は さら に 三つに区分される。. 第一に、リュー ベック 市参事会が同市のために、あるいは、リューベック 娘法都市のために編簗し授与した ラテン. 語あるいはドイツ語法典群 である。これらの作成時期は十 三世紀から十四世 紀前半にま で及 ぶ。 この作成作業 は市参. 事会と関連し公的性格が 顕著 であり、これらの法典には内容 的に十 三世紀末頃から体系化 への朋芽が 看取 される。 筆. 者はこれを第 一グル ー プ法史料群と呼 ぶ。. ( 16 ). 第二に、 リューベック 娘法都市において、 授与 され た リュー ベック 法法典を基礎にしながら 他の法素材を加えつ. つ、その都市に独自の法が十四世紀頃から展 開しはじめる。 これらを第 ニグルー プ法史料群と呼びたい。. 第 三に、十四世 紀半ば頃からリューベック 娘法都市 では、第 一グル ー プの法典に対して、私的に編 簗され た、ある. 真 正なリュー ベック 法 いは条文が 恣 意的に 取捨 選択 され た法書 ( Rec ht s bti c her ) が現われる。 これらの法書は 「 d. U 一七ク ‘十五舟i 紀頃からは、実 際の法実 務に応ずべく 、他の法源からの条文I 最 ht ) 」 尤 ムO bi s c hesRec ( ec ht eshi. ( 17 ). 初は、ザク セン 法に類 似していたハン ブルク 法、後にはローマ 法ーー' をも含むようになる。 これらを第 三グルー プ法 史料群と呼 ぶ。. まず第 一グルー プ法史料群から概観していくが、これらは さらに ラテン 語とドイツ語の法史料に細 分され 、前者が. 最古に 位置する ラテン語法手 書き本は、 一八 二 四年 に 発見された、いわゆる 「 リュー ベック 断 片 」 である。 こ. 明らかに後者よりも時期的には古い。. 田. - 13 -.

(14) ll roll e) に よっ て 、 フレ ンス ド ルフ が主 張す る ご とく ― ニニ 七 年 に編梨さ れは 、その 一 部 を 成 してい る 関 税 目録 (z o. ) の 第 一 巻、 史 料 番 号 三 二 番 ( 三 七ー. れた とも 考 え ら れる が、 そ の 内 容 ( 五 〇 条 )を 検 討 す る と、 ―二 三O I四 0 年 頃 に作 成 さ れた と推 定さ れる 。 同 史 料 ー以下 LUB と省略 ー L巳) hーー buc U rku nde n は リ ュー ベッ ク 史料 集 ( ecke r. リ ューベッ ク 断片 の 直後 に作 成 さ れた と考 え ら れる の が 「 プレ ス ラ ウーク ラ カ ウ B re slauーK rak au )手 書 き (. そ の正 誤 表 は 同七 六 六 頁 )。 四 三 頁) に印 刷さ れて い る ( ③. 本 」( 八 六条 )で あ る 。 同 書 に つい て は ホー マイ ヤー ( G.H om eye r) の 前 掲 書 (第 三 版 ) に解 説 があ るの み で 印 刷さ. れては い ない 。 そ の 写真 版 は リ ュ ーベッ ク 市 文 書 館 にあ る。 同 時 期 の 作成 と考 え ら れる も の には い わゆ る Fra gm e nt. ( 18 ). . に印 刷さ れて い る。 尚 こ の ラテン 語 法 典 には 十六 世 紀 に , s.215ff K ope n h age` n1951. - 14 -. vonS tupce と呼 ば れる 断片 もあ る。. St adt sch rei be r)で あ る Hei によっ て 作 g ei hw ―二 四 三 年 に、リ ューベッ ク 市 の 市 書 記 ( nr ich voB n rau nsc. , I. ( 19 ). 手 書 き 本 M」 で あ る。 こ れは 八 八条 から 成 る 。 同 原本 は 既 に失 わ れ、 十 ―二五 四 年 の メ メ ル市 宛 て の 法 典 、 「. 五 世 紀 の コビ ーの み が ケ ー ニヒス ベ ルク 国立 文 書 館 に所 蔵さ れて い た と言 わ れる 。 同 法 典 は前述 の如 く メッ ト ナー の. (4). ,38 ch te 11H olsini he Ge hi heft de rGe sellsc fur S hl e sw ig sch r ドイ ツ語の 翻 訳 が つけ ら れ、 同 訳 は Neit c s f it e t c s c . .で 公刊 さ れて い る。 B d,1908 S.371ff. K色b st ad lovgi vni n, gB . d. が 、十五 世 紀の 写 し によっ て そ の 不 備は 補わ れうる 。同 法 典 は 今 日 E•K roma 編 D anmark s gam ` nP.Jcprge nse n l e. To 」と表 示さ れ、 そ の 内 容 は 関 税 目録 と 九0 条 から 成 る 。 現在 で は 原本 は 七 七 条を 数え るの み で あ る 書き本 ( H. s). T ondern )に送付 さ れた こ と が確 認さ れて い る 法典 が現わ れる。 こ れは 「 成 さ れ、 シ ュレ ス ヴィ ヒ の トン デ ルン ( 手. (3). 第35巻第3 ·4号 近大法学.

(15) 前 掲書 ( 一九 三 三年 ) に印 刷さ れ てい る 。. その コビー は 十 五世 紀 に由 来す る I. 10 三条 から 成 る ―二 五七 年 の レ ファ ル 市 宛 て法 典 ||'「 手 書 き 本 R el at. 」1. 不 完 全で あ るが 、一 三四七 年 頃 の 同 ドイツ 語 訳 I. の 手 書 き 本 は 、 前述 の 如 く 、. によ っ て補 わ れ うる 。 こ れ. ら の 法 典 は プ ンゲ の 前 掲 書 ( 一八 四 四 年 ) にお い て印 刷さ れ てい る。さ ら にレ ファ ル 市 宛 ての 授 与文 言 は ハ ッ ハ の 前 掲書 、一 六 六 頁 以 下 にあ る。. ― 二 六 三年 ダ ンツ ィヒ 市 宛 ての 法 典 、「 手 書 き 本 G o」 で あ る。 前述 の 如 く 、 同法 典 が 一 ― 八 八 年 直後 に作成. さ れ たと するハ ッ ハ 説 は 誤 りで あ り、こ れ がダ ンツ ィヒ 市 に実際 に送付さ れ た かど う かも 不 明で あ る。 なぜ な ら 同市. ( マグ デ ブ ル ク M agdebu rg) 法 が 妥 当 し 、 し かも 同 市 は 自ら 立 法 権を 行 で は リ ューベ ッ ク法 で は な く クル ム Kulm. 使 し た からで あ る。 同手 書 き 本 によ れ ば条 文 数は 一 O O 条 で あ るが 、最後 の 五条 は後 に書 き 加え ら れ たと 考え ら れ 、. てい る 。. ラテ ン語 法 手書 き 本 の 中 には 、 紛 失 し てし まっ ては い るが 、 間 接 的 に内容 の 一 部 が 確 証さ れ る史 料と 、 そ の 作 成時. 期 の 不 明 な 史 料が 存 在 す る。 こ こ で は二 つ の 史 料が あ げら れ る 。. ―二 四 0 年 エ ル ビ ンク市宛 ての 法 典 、 「 手 書 き 本 EL」 は も は や 存 在 しない が 、 その 条 文 の 一 部 は 、 同時 期 に. 九 三七 年 )と ハ ッ ハの 前 掲 書 ( -六九 頁 以 下 ) に印 刷さ れ ている。. 六 五番 ( -五 一ー一 五 三頁 )と し て収録 さ れ てい る 。さ ら に同 法 典 の 序言 ( V orrede)は メ ッ ト ナ ーの 前 掲 論 文 (. 同 市 から リ ューベ ッ ク に対 し て行 な わ れ た 問合 わ せ (A n frage)の 内 容 から 判 明 す る 。後 者 は LUB.I.に史 料 番号 一. (7). - 15 -. (5) (6). 従 っ て本 来の 条 文 数は九 五条 で あ る。 同 法典 は ハ ッ ハ の 前 掲書 にお い て「 K odex」 I (一 八 三頁 以 下 ) と し て印 刷さ れ. 中世都市 リ ュ ーベ ックの法史料について.

(16) e)」と呼ば れる断片 がある。 こ れは qua i el st i r esr 最後に、た だ 四条文 が残 されているために「悲惨な断片 (t. 中 世低地 ドイツ語で作成 された法典として今 日でも残されている最古の法典は、「手 書き本 E」 と呼ば れる 史. 者は全く互いに異質の、 あるい は関連性の薄い史料 とみなすことはできないように思われる。. 手書き本間には、条文構 成が異なってはいるものの、同 じ内容 の条文 が共通に多数見 出 されるからである。 従って両. 存在しているからである。 但し筆 者は エーベ ル説に全面的に賛成ではない。 なぜ な らば、筆 者の管見する限り、両法. に比 べて間もなく 二倍以上の条文を持つ ようになったからであり、 さらになお前者と異なる内容 のドイツ語法 史料が. れな い。な ぜな らば、 ラテン 語法史料の間ではその法文構 成 がほ ぼ共通 しているのに比べて、 ドイツ語法史料は前者. 格的に 登場する。 エーベ ルに よれば、 これらの最初の ドイツ語法史料は前述した ラテン 語法 史料の翻訳本とは考えら. 十三世紀の三分の二後半期以降、第 一グ ループ史料群の中に、 ラテン語手 書き本に代わっ て ドイツ語手書き本 が本. 以上がラテン 語で作成 された法典の手 書き本ないしその断片 である。. ド ルフの前 掲論文 (-八 七九年 )に収められている。. 十三世紀中に ロシュトック 市宛てに作成 された法典の 一部であったと考え られる。同条文は、前述の如く、フレンス. (8). 典 ( Go )が作成 された ―二六三年から、 UlJ の 個所で述 ぺるレフ ァ ルに送付 された 法 典 が作成 された ―二八 二年までの. この法典の作成時期について コルレンは―二七 五年頃と 推定す るが、 エーベ ルは、 ⑥で述 べた、最後の ラテン語法. し、 さらに 後者と前者の法典の間にも う ―つの中間原型 が存在したと考え られる が、 いずれも 現存していない。. コルレン の研究 に よれば、 歴 史的に最古の ドイ ツ語法典ではない。同法典の作成前に、その原型 ( Vo r l a g e) が存在. 料である。この史料は現在グダ ニスク の Wo j ewo ds c haf t s ar c hi くに保管 されている。 同 法典は一六 一条から成る が、. (9). - 16 -. 第35 巻第3 · 4号 近大法学.

(17) 間 で、 しかも ―二八二年 に近 い時期 に エルビ ンクから の問合 わせを契機と し て同法典 が作成 されたと考 える。 同法典 の印 刷 は メットナー の前掲論文 (-九 三七年) の 一頁 以下 にある。. tが十 八世紀 に入 る i f hr c hands ei l 十 三世紀中 の諸法典 の中 でも重 要 であり、 その公的な手書き本、即ち Kanz. 手書き本 k」と ま でリ ューベ ックに在 り、後 にキー ルに移 され、現在 では紛失 し てしま った法典 がある。 この写本 は 「. 彼 によれば Kiー—' であ る。 その条文 は全部 で 呼ば れ、 これは既 に コルレンの文献紹介 の際 に触 れ てお いた法 典ーー'. 二七五条 から成 るが、 彼 の詳 細 な言語学 的研究 により、前半 の 一―二条 は ―二七0年頃 に作成 され、 その後次 第 に書. き加 えられ、 一三五0年頃 には二五七条ま でに増加 し ていた こと が判明し ている。 同法典 には このよう に詳細 な分析. 模 範手書 き本 ( Mus t er han, が加 えられること によ って、 それは他 の法典 の作成時期画定 に 役立 つ模範条項 を含む 「. Re」 と呼ばれ、 一六 八条 から成 「. ds chr i f t )」 とな った。 これはリ ューベッ ク法典研究史上 にお いても極 め て 重要な法典 であ る。 同法典 は コルレンの. ―二八二年 に レ フ ァル市 は リ ューベ ックから 一法典を取得 し た。 同法 典は. る。内容的 にはこれは前述 の手書 き本 Kと 一致し ている。 この法典 はプ ンゲ の前 掲書 ( 四 一頁 以下) に印刷 され てお. り、 その写真版 はリ ューベ ック市文書館 にある。. dewi c h)によ って Al br ec htv anBar 法典 の序 言 から、 それ が ―二九四年官房長 ( Kanz l er ) のバ ルデヴ ィク (. 模 範 とし て利 用した にも かかわらず、 その条文数 はさら に二五六条 に増大してお り、 その条文構 成 にお いても 既 に体. の特徴 は、当時既 に追加的 に書き加 えられること によ ってニ ー四条 に条文数 が上 っていた、前 述 の手 書き本 kを その. 作成 された ことが判明する のは、 いわゆる 「バ ルデ ヴ ィク法典 ( derBar dewi ks c heKodex:Ba)」 である。 同法 典. U2l. - 17 -. UO). Ull. 前 掲書 に印刷 され ており、 その写真 版はリ ューベ ック市文書館 にあ る。. 中世都市 リ ュ ー ベックの法史料について.

(18) ( 20 ). 系 化 の試み が な され て いた ことで あ る。 従 っ てそれ は ⑨ l 皿 まで の法 典 とは かな り異 っ た構 成 を示 し ている 。 同 法 典. ) にあ る 。 の印刷 は 前 述 の如 く ハッ ハの前 掲書 (二 四六 頁 以 下 の K ode xII. ( 21 ). そ の手 書 き 本 が 以 前 は キー ル にあ っ たが 今 日 コペン ハー ゲ ン 王立 図 書 館 に 所 蔵 され て いる ので 、「 手 書 き 本. 」 と呼ばれ る法 典 が あ る。 これ は 前述 の バル デ ヴィ ク 法 典 の作成 直後 に作成 され た。 そ の条文 構成 は バル デ ヴィ Kp. ( 22 ) ク 法典 のそれ とは異 な り 、 さら に古 い手 書 き 本 K のそれ と同 じで 、 そ の条文 数 は ニ ― 六 に上る 。 そ の写真 版 は リュー. U3). ベッ ク 市 文 書 館 にも あ る。. ―二 九七 年 に、 そ の序言 から 、 官 房 長 バル デ ヴィ ク が コルベ ル ク 市 のため に作成 させ た ことが 知られ る法 典 が. m モ ( Helm ic h Thy m. us ' ー—「 手 書 き 本 を し て作成 させ た二 つの法 典 の手 書 き 本 が あ る 。 ― つは Li be rp rim. と呼 ばれ る。 前 者 は バル デ ヴィ ク 法 典 の写 しで あ be rs 、 もう ―つは Li e cu ndus ー—ー「 手 書 き 本 T」ーー'. 第 一グ ル ー プ 法 史 料 群 の解 題 の最後 に、 手 書 き 本 Kp と T の間 の時 期 に、 従 っ て―二 九 四/ 九 五年頃 から一. され ていたが 、 そ の後 は 所 在 不 明で あ る。. き 本 K とも 異 な る条 文 構 成 を有 し、 そ の条文 数は 二 五 六条 で あ る。 同 手 書 き 本 は一 九 四五年 ま で リューベッ ク に保 管. り 、二 五五条 から 成 る 。同 手 書 き 本 は 今 日 コペン ハー ゲ ン王立 図 書 館 にあ る 。一 方 、後 者 は バル デ ヴィ ク 法 典 、 手 書. TI」 |. ) o. k ar) の ティ 一三 四 八年 に リュー ベッ ク 市 長ギ ュ スト ウ( Tide manG i.isto w ) が 司 教 座 聖堂 助 任 司 祭 ( D omvi. で あ るが 、 そ の写 真 版 は リューベッ ク 市 文 書 館 にあ る 。. 手 書 き 本 K ol. 現われ 、 それ は 「 」 と呼 ばれ る 。 こ の法 典 の作成 作 業 に バル デヴィ ク が 関 与し て いたが 、 そ の内 容 は p. 手 書 き 本 K と 同 様 に手 書 き 本 kを模 範 とし ている 。 そ の条文 数 は 一 九二 条で あ る。 こ の手 書 き 本 は 今 日所 在 不 明. (14) (15). U6l. - 18 -. 第35巻第3 · 4 号 近大法学.

(19) I). を通し てのみ、初. 三四八 年の間に、作成されたと推定されるが、よ り正確に作成年を 画定できない法典の手書き本があげられる。. ( 24 ). その ―つは、既に手書き本自体が失われ、今 日プロッ ケ ス( H.Bro kes dex )の前掲 書(Ko I. め て目にしうる法典である。 これは 「 Br 」と呼ばれ、 ニ ―〇条(後に三条が追加)から成る。. も う ―つは、 リガ(Ri g a )、 ダンツ ィ ヒ、 トル ン (Tho rn) に存在した手書き本である。それらは内容的には ほ ぼ. Br ,Iに 匹敵した。それらのいずれも未だ印刷 され てはいない。 以上が第一グルー プに属する法史料群である。. 次に第 ニグルー プの、個 々の リューベック 娘法都市におい て内容 的に発展 させられた、法史料群であるが、ここで. エル ビンク における 「 手書き本 E」 の一三00年 以 後の 展 開である。 ―二九 五年に同市市参事会 員の ボル テ. ( 25 ). は ニ ―九 条に 増加せしめられた。 この新たな手書き本は 「 El bBar d」 と呼ばれる。同法典には 十四世紀から十六世紀. に かけ て校訂 (Re ens i o n) が加えられ、さらに 十四世紀以来リュー ベック からの法教示も これに加わ り、同法典の z. 手 書き本数並びに条文数も増 加し ていった。これらの法素材は十七 世紀に一 冊に 編 簗され 、その法史料は 「 手 書き本. F」と呼ばれる。 以上の手書き本は未印刷であり、グ ダ ニスク に保管 され ている。. その作成年が 一 四00年頃か、あるいは十四世紀半ば頃か曖昧なのは一 四四条から成る 「オル デンプルク 法典. ているが、この法典は、古い形 式の法典ではなく、古い校訂 本からの抜粋と考えられる。同法典が ホル シュ タイン の. (Oldenbur 手書き本 0」 と呼ばれる。 その条文構 成は手 書き本 Kに類 似し dex) 」 である。同法典の写本は 「 gerKo. (2). - 19 -. は エー ベル は二都市を言及するにとどめる。 (1). (Jo hann Bo lt e) の提案によ り バル デヴィク 法典の写本が同市にもたらされ 、それによっ て前述の手 書き本の条文数. 中世都市リ ュ ー ベックの法史料 について.

(20) 同 市 に お い て市 参 事 会 法 典 と し て利 用 さ れ た こと は 明 ら か で あ る が 、 こ れ が リ ュー ベ ック か ら 授 与 さ れ た 公 的 な 法 典. であ る の か 、 あ る い は オ ルデ ンプ ルク市 で自 ら 選 び だ さ れ た 抜 粋 で あ る か も 不 明 であ る 。 同 手 書 き 本 は今 日 シ ュレ ス. ( 26 ). ヴ ィヒ ( 約 hl eswi Landesarchi v) に あ り 、 そ れ は ま た 、 前 述 の如 く 、 コ ル レ ン の前 掲 書 に印 刷 さ れ g) の州 文 書 館 ( て い る。. 以 上 が 第 ニグ ルー プ 法 史 料 群 であ る。 最 後 に第 三グ ルー プ 法 史 料 群 を と り あ げ る。. ―四00 年 頃 ウ フ ェン バ ッ ハ文 庫 (Uff enbachsche Bi bl i ot hek) の 一部 図 書 と と も に ハンプ ルク に 届 い た の. enbachsche)」 と 名 付 け ら れ た 、 一七 九 条 か ら 成 る法 典 が あ る。 で、 ハッ ハに よ り 「ウ フ ェン バ ッ ハ法 典 ( der Uff. u 」 と 呼 ば れ る。 同 法 典 は 手 書 き 本 K に わ ず か な が ら依 拠 し て は い る が 、 そ れ は 独 特 の条 文 構 成 と. こ れ は 「手 書 き 本. 注 釈 に よ って他 の法 典 と は 異 な って い る。 恐 ら く こ の法 典 は リ ュー ベ ック に お い て法 に 通暁 し た 、 市 参 事 会 に属 さ ぬ. 市 民 に よ って編 簗 さ れ た と 考 え ら れ 、 従 って こ れ は 法 書 で あ った と 推 測 さ れ る。 同 法 書 は今 日 ハンプ ルク 州 立 ・大 学. 十 四 世 紀 に作 成 さ れ た と 推 定 さ れ る の は 一三 四 八年 の手 書 き 本 T の 三 つ の校 訂 本 であ る。 ハ ッ ハは これ ら を 原. hek Hamburg) に 所 蔵 さ れ て い る。 ot bli sbi at t versi e St di s- und Uni aat 医書 館 (. る。. et 述 す る 一五0 九 年 に出 版 さ れ た 法 書 の Kod. Di z と 一定 の親 縁 関 係 を 示 す 。 前 者 の手 書 き 本 は 今 日所 在 不 明 であ. 」と 表 示 さ れ る。 同 手 書 き 本 は 内 容 的 に は 後 ー デ マン ( Thi edemannus fal sus)」 と 呼 ん だ 。 これ ら は 「手 書 き 本 Tf. 本 の真 正 な 、 即 ち 公 的 な手 書 き 本 と 考 え て い た が 、 後 に真 正 な 手 書 き 本 を 別 に発 見 し た の で、 彼 は これ ら を 「偽 テ ィ. (2). - 20 -. (1). 第 35 巻第3 . 4号 近大法学.

(21) III ー. 前述 の如く十 五世紀 の前半に作成 された と推定される ハッ ハ の Ko dex. 「Hill 」と表示 されるーー. と. 関連 して 、一連 の法手書き本が 登場する。「 HIII 」は 、 前述 の如く 、 リュー ベック 法に加えて、 ―二七 0年頃編 纂さ. れたハンプルク 法をーー リュー ベック 法とは明白に区分して であるがーー さらには両市間 の商業 に関連する諸条文ま. でも含 ん でいた。こ の法典に最も類似し た内容を持つ のは 、中世 リ ュー ベック において声望 のあった家族 の ―つ であ. 「. Hm 」. に類似 していた法典は 一五三二年頃 の、 二0一条 のリ ュー ベック 法から成る 「ゼゲベルク 法典(Seg e-. .St る シュテ ィテン(v an St i t en) 家に所蔵されてい た「 シュティテン 法典(v dex) 」 である。もう一 i t ens c her Ko. つの. dex) 」 である。同 法典はホル シュタイン のゼゲベル ク 市 の市参事会法典 であったが、そ れは 後に 州文 書館 ber g erKo. (シュレ スヴィ ヒ? )に 移された 。. こ れ らのリュー ベック 、ハン ブル ク を始めとする北 ドイツ の諸都市法、並びに地方法、海商法が ―つ の法典にまと. 右記③ の法史料とは異なり、リュー ベック 法、 ハン プルク 法、 船舶 (航海)法 、 海法、 ハンザ 会議議 決 の条. の前掲 書( -八四五年)において解 説が加えられている のみ である。 ④. 項、ザク セン ・シュピー ゲル のそれ、それ どころか ローマ 法ま でをも、区分することなく、条文中に混在 させている. 法史料群が 登場する。これらは公的性格をもつ のではなく、個 人的な学問的関心から、 リュー ベック 法を体系化す る. 上 で同法 の素材だ けでは不十 分な欠陥を右記 の法源から補充しようと試みた結果 の産物、即ち法書あるいは法学文献. であったと考え られる。こ れら の法史料はすべて十六世 紀に書かれ、それらは後に一 五八六年に校訂 リ ューベック 法. 典 の組纂 の際に役 立て られたと言われる。. - 21 -. (3). められた のは、明らかに商業実務にこれを役 立て る た め であったろう。 こ れ らの法史料については、 ラッ ペンベルク. 中世都市リュ ー ベックの法史料について.

(22) プ ロッ ケ スは、 一七 六五年に 、恐らく 聖職に 就 いて いたと考えられる編者によって作成 されて いた、こ のような様. 々の法 の混在 した 二つの法手書本を印刷し出 版 した。これがプ ロッ ケ スの前掲書 の二法典である。二つ の法手 書本の. 内 の―つ は 全 三五四条中―二O条 の ハン プ ルク 法を含み、 も う ―つは全 四OO条中一五O条 のそれを含む。 前者は. III」 と表示され 、それぞれ の作成年は、前者が一五五六年以後、後者が 一五八 六年以前の. 」と、後者は 「 Br 「 BrII. 同時期と推定され る。両史料は両都市法 の他にハンザ 会議議決、ヴィ スビー 海法典、皇帝法 、即ちローマ 法 のそれぞ. Reー. の法手 書き本とみなされた法史料が存在した。 ハッハによれば、 それは、 十六世紀中に聖識 者によって. e y e r ) によって誤まって ―二八 二年 のドイツ語レフ ァ ル法典 他に、既に紛失してしまっ て いるが、ド ライ ヤー(Dr. れ の 一部を含んで いる。. ー. 編 纂され 、内容 的には BrIIに類 似し、 そ の三二0条中七 五条をハンプ ルク 法が占めて いた。 そ の欄 外に書き込ま. れた註によって、同害を校訂 リュー ベック 都市法典 の編簗者が直接利 用した ことが知られて いる。. 法典 一五 四一年 の 三六〇条からなる 「. こ の 法史料群 の中で、 公刊 された のは プ ロッ ケ スの 二史料 のみであり、 そ の他 は印刷 されておらず、 大抵 の法. 史料はi プ ロッ ケ スの 二史料も 含めてー| 今 日所在 不明である。 但し. d) に 所蔵 され wal s f u Grei hek z t o bli bi s at t i ers v e Uni )」は現在でもグ ライフ スヴァ ルト大 学図書館(di x (Kode. ( 27 ). 他に 二つの法史料が (東 ?) ベ ルリン の国 立図書館に ある。 キー ル大 学図書館にあった 史料 の一部をハッ セ(P.E. e)は一八八 一年 の前掲論文で公刊し て いる。 s Has. 「 o K d•Di e t z」 と表示 され. 様 々の諸法 の混 合物で はな いが、複 数 の、様 々のリュー ベック 法から成る のがロ シュトック の印刷業 者ディー. gDie ) によ って 一五0九年に出 版 され た リュー ベック 法書である。これは z t ツ(Ludwi. (5). -22 -. 近大法学 第35巻第3 . 4号.

(23) る 。 条 文 数は 二 四 七 で あ り、 そ の 条 文 構 成 は 、公 的 な 法 典の そ れ と異 な り 、 古い ラテ ン語 の 法 文 が 基礎 とな って ロシ. ュ トッ ク で 形 成さ れ た「 後 期 形 式 S pat form)」に基づ い て い た。 この ラテ ン語 法 文 は 前 述 の フ レ ンス ド ルフ によ って. rJo ach i 同 様なも の に一五 八六 年 ク レ ン ペ( K rempe) 市 長 コーレ ( D . m K olle)が ハ ンブ ルク で 公刊 さ せ た 、. 公刊 さ れ た「 悲惨 な 断片 ( triste rel i qu ae)」 と 関連 す る 。 s ⑥. リ ュー ベ ック 法 につ い て のニ ―六 条 の 法 書 が あ る。 これ は「 K olle」 と表 示さ れ る。 そ の 根 拠 とな った 法 文 は 今 日で 、 盲. は 不 明で あ る。 コーレ ま 、一五 七 三 年 に公布さ れ た シ ュレ スヴ ィヒ ・ホ ルシ ュ タイ ン ・ラン ト裁 判 令が リ ューベ ッ ク r. 法 に欠 陥 が あ る場 合 には ザ ク セン法 を 、さ ら に補 充 的 に ロー マ (カ ノン )法 を援 用す べし と規 定 して い たの に応 じて 、. - 23 -. 収録 した リ ューベ ッ ク 法ニ ―六 条 を以 下の よ う に編別 し 、 ロー マ法 、 ザ ク セン ・シ ュピ ーゲ ルさ ら には 聖書 に従 って. 契 約、m相 続 、IV 不 法 行 為 で あ り、 従 って 筆 者 には 彼 が 特 にロー マ法 の Inst it u, 注 釈 を付 した。 そ の 編成 は I人 、 II. 以 上が 一 五 八六 年 の 校 訂リ ューベ ッ ク 都 市 法 典の 公布 以 前 の 法 史料 、 即ち 第三 グ ルー 。 フ法 史 料群で あ る 。. れ て し まう とい う 結 果 を 招い て し ま った。. す る 唯一 の 権 威あ る 法 源 とみ な さ れ て い た。 そのため 、 そ の 間 に真 正なリ ュー ベ ッ ク 法 の 手 書 き 本 が 看 過さ れ 、 失 わ. の ク ロン ヘル ムの 前 掲 史 料集 の 公刊 まで 、一 五 八六 年 の 校 訂リ ューベ ッ ク 都 市 法 典の 編簗 以 前 の リ ュー ベ ッ ク 法 に関. の ため に書 かれ た と思わ れ る が 、 同書 は 、一七 三 九 ー 四 五 年 の ヴ ェス トフ ァ ーレ ンの 前 掲史 料集 の出 版 と一七 五 0 年. この 法 書 は 、 当時 リ ュー ベ ッ ク法 を領 邦 から 排 除 しよ う と して い た シ ュレ スヴ ィヒ ・ホ ルシ ュ タイ ン公 領の 法 実 務. nesの 影響 を受 け てい たよ う に思われ る 。 tio. 中世都市 リ ュ ー ペ ッ ク の法史料につい て.

(24) 一五八六年 の 「 校 訂 リ ュー ペ ック都市法典」. 十六世紀後半の成文のリュー ベック 法の状況は、 前 項に お いて見たごとく、古くなった十三、十四世紀の法典. 一五八 六年校訂 リュー ベック 都市法典の法的、歴 史的意義について本項で概観する。. 国. このような状況の中でリ ュー ベック 娘法都市はリ ュー ベック 市参事会に同法の明確 化を要求し始めた。既に 一四九. て同市役 人のリュー ベック 法の無 知 を批難 したと言われる。. 訴訟に関して、寡 婦の造言についてのリ ュー ベック 法知 識を求めた。また 一五八 三年には彼はロ シュトック 市に対し. g) はリュー ベック 市参事会に直接、同公 の下で係属して いた n Me nbur e kl gvo c zo 五八 一年 メク レン ブルク 公 (Her. )と、各手書き本の条文間の内容 的な矛盾 と不 一致性であった。例えば、 t hei her ic ュー ベック 法の不確 かさ (Uns. 邦 君主の裁判権に 服せしめようとしたのである。その際 領邦 君主がこれら諸都市に対して主張したことは、当時のリ. 集 中化政策を進めて いた からである。彼らはこれらの都市が有しているリュー ベック ヘの上訴権を奪い、それらを領. ) の 留保 を容 認しつつも、領邦君主がその領邦内での 最終、最 上級審を独占しよ うとする裁判 権の 一元 ・ ht ger c i hs c. 市にとって 一層深刻 であった。なぜならそれらの都市が存する領邦では、十五世紀頃から次第に、帝 国 裁判権 (Rei -. ) としての役割を期待して いたリ ュー ベック 娘法都 hof このような事情はリ ュー ベック 市参事会の上級法廷 (Ober. した状態に陥っていた。. の多くの手書き本、私的に編簗された法書、さらには非リュー ベック 法をその中に 混在させた法典の併存という錯綜. (1). s mar )、エル ビ ンク 七 年に、そしてさらに 一五三八 年と四二年に 繰り返しキー ル 、ロ シュ トック 、 ヴ ィス マール (Wi. - 24 -. 第35巻第3 · 4号 近大法学.

(25) . の各都市が 共 同 で こ の要求を 行った。 これに 応 じて リュー ベ ック 市参事会は 漸く そ の 法 律 顧問 リュー デル ( Dr. )にそ の作業 を委任したが、 彼が各地 へ使節として旅行中 であったため、 そ の作業は実際には放置さ hann Rudel o J. れてしまった。. 一五七 九年 三月三一 日に メク レンプルク のギ ュ スト ロウ (Gii s t ro w) でヴィ ス マール 、 ロシュト ック 、 スト ラー ル. ズン ト の三都市代表 が会合し、 彼 らは一致して リュー ベ ック 市参事会にリュー ベ ック 法 の精 査あるいは校訂 (Rev i ,. s i o n) を要求することにした。同 年 六月三都市 の代表 使節が リュー ベ ック に来訪し、彼 らは三 人 のリュー ベ ック 市 長. , Herma ,Jo .Ca Hei nri c h Plo hann Bra nni e s kes c hei n) と rne と並びに法律顧問 シ ャイン ( Dr nn vo nD o li xt us S. そ の作業 の継続 を促した。 な ぜな らそ の間にヴィ ス マー ル 市参事会は. - 25 -. 会合し、彼 らはリ ュー ベ ック 市参 事会による同法 の校訂 とそ の公刊、 ロシュト ック と スト ラール ズント両都市に よる. 六ヴ ェン デ都市共通 の海法典 の編簗、並びに箸察令(Po li z ei o rdnung) の発布を決定した。海法典 の編簗作業は実際. をリュー ベ ック 市参事会に派遣 し. Erbv ert ra g で二年以内に都市法を公布することを義 務づけられていたか ら である。. 固 有 の 都市法を 編簗 することを 既に 約束して いたから であり、 また ロシュト ック も 一五八 四年 の 領邦 君主 と の. 五八 三年 の市民契約 (Bti r ger v er t r a g ) において同 市 民に 、こ の出 版 作業が一定期間 内に完了しない場合には、同 市. 1 bel. 一方リュー ベック 法 の出 版 作業は 遅遅として進まず 、 一五八 五年三都市は一 人 の使者—ーヴィ ス マール 市長 S c ha b,. 六篇 (Buc h)に収めた。しかし共通 の警察 令は成立しなかった。. リュー ベ ック 市 は こ の作業とは別に同 様 の作業を進め、市はそ の法文を一五八 六年 の校訂 リュー ベ ック 都市法典 の第. には ハンザ 諸都市全体によって行なわれ、それ は一五九一年 と一六 ―四年 の協定 (Reze B) において法典化 された。. 中世都市 リ ュ ー ベ ックの法史料について.

(26) リ ュー ベック 市参事会は結局市長 Joha nn vo n Lii di ngha us en、 市参 事会員 Go t i t en、 法律顧 問 シ t nS s c hal k vo. ャイン に校訂 作業の完遂を 依頼し、同作業 の終了後ただちにそれは 一五八 六年六月に印刷 され出 版 された。これが通. 常「校訂 リ ュー ベック 都市法典」と呼ばれる書物であり、同 書の 正式書名は 以下の通りである。. 「 皇帝による自由な、そして神聖(ロー マ)帝国の都市 リュー ベック の法令と都市法。新たに見直され、修正され. ( 28 ). そして古いザク セン 語 から高 地ド イツ語 に翻訳された。リ ュー ベック において ヨ ハン ・ バル ホー ン (印刷業 者ー訳 者)によ り西暦一五八 六年に印刷された」. この法典は様々な手書き本の錯綜する中世リ ュー ベック 法状態 に終りを告げ させ、同法典はそれ以後十九世紀. ことが明ら かである。それにも かかわらず法典編築者らは、市参事会がその裁判 においてそれを斥けたのと同様に、. の裁判 記録を管 見すると、既にリ ュー ベック においても訴訟当事者や代弁人に よ ってロー マ法概念が援用されていた. れとい った外形 的なロー マ法の利用を除いて、同法典にロー マ法が継続された痕跡 は全くない。し かしながら、当 時. 目的を持 っていた訳ではないことである。ド イツ法上の概念のロー マ法による表現、即ち個々の法律用語や標題のそ. く 、同娘法都市の 圧力の下に開始されたことである。第二に、編簗者らは皇帝法 、即ちロー マ法の継受への道を拓 く. れとは異質の要素を有していた。第 一に、この編簗作業が、リ ュー ベック 市の固有のイ ニシ ァティブによ ってではな. 同法典は通常 「 改革都市法典(Rev i di er t esSt a dt r ec ht)」の 一っと されるが、これは同時期の他のドイツ都市のそ. ことによ っても明らかである。. に 入る まで同法の基 礎とな った。このことは同法典がその後も繰返し、そして最終的には 一八 二九年まで版 を重ね た. (2). そ の作業 においてもそれを採用しなか ったのである。. -26 -. 近大法学 第35巻第3 · 4号.

(27) 次に同法典 の条文構 成であるが、編纂者たちはそ の法素材を、前項までに述べた、当時 伝え られ ていた、主にリ ュ. ( 29 ). ー ベ ック 法と ハン ブルク 法 の混在した法手書き本にもとめた。 そ の結果全 条文 四 一八 条 の半 分 以 上の二二五条は十三. 世紀末 の手 書き本Kないしは手書き本 Baに存するも のであり、他 の九 五条は ―二七 0年 の ハン ブルク 法に由来し、. 他 の約 四五条は、 ハッ ハの前掲書 の第 四部に収録された法写本に、そ し てそ の他 の条文は市参事会 の法判 告と―つ の. 裁判 所令に基 づい ていた。従 っ て編簗者 らは、いかなる新たな立法も行なわず、 四00年 に及 ぶ、リューベ ック 法 の. 法原則を固定化するか、あるいはそれに部分的な修正を加えることによっ て、それを当時 の時代状況に適合 させたに. すぎない。当時リュー ベ ック におい ても知 られ ていた 一五 三二年 のカール 五世 の刑 事裁判 令ですら、法 典 の中でそれ. ( 30 ). あろう。しかし何 故に同 法典が十九世紀に入るまでリ ューベ ック におい て妥当し続 けた のか、こ のこと自体がさらに. 法史学検討に値 いすることは無 論 のことである。. 中世都市法史、とりわけリ ュー ベ ック 法史研究 の観点 に視点 を移し て同法典を眺めると、そ の重要性がきわめ て顕. 著で あることは明らかである。第一に、そ の正式な 書名が示すごとく、同法典はリュー ベ ック におい て初め て、中世. 低 地ドイツ語ではなく、高 ドイツ語で書かれた作品であり、そ の言語学的意義は大きいことである。 第二に、同法典. の全条 文 の内かなり のも のが十 三世紀末 の古典的諸法典から採録され、それら の条文には、前述 の如く 、十六世 紀末. - 27 -. は 言 及され てはいるが、採用され てはいないのである。. 一五八 六年校訂 リュー ベ ック 都市法典 のドイツ 法 史上の意義につい て、 エーベル は、前述 の如く、同法典が、. ロー マ法 の継受を 経験しなかったにもかかわらず、十九世紀に入 るまで妥当し続 けたことを強調した。 彼 の、いささ. (3). か、擁 護論 的 主張にもかかわらず、 一般 的にはF ・ヴィー アッ カー が下したような消極的評 価がより妥当性を持つで. 中世都市 リ ュ ー ベ ッ ク の法史料に つ い て.

(28) の時代状 況に適合しうるように多少の修正を加えられているものの、それらは中世低地 ドイ ツ語で書かれた オリジナ. ルな法文を、 ほ ぽ原形 を残 しつつ、 高 ドイ ツ語で表 現しているにすぎないことである。従って研究 者が中世のリ ュー. ベック 諸法典を読み 進めて ゆく場合に、同法典は何 物にもかえ難い手 引書となりうるのである。. 以上が十六世紀末までの、法 典類 を中心とした、中世リ ュー ベック の主要な、その存在が現在までに確認された成. 文法、 即ち法源である。但し、 これらの法史料は筆 者の問題関心と基本的に関連すること を前 提と しており、 そうで. はない史料、例 え ば十三世紀末のリ ュー ベック 海法、については本稿では全く言及しな かった 。従って、 前述の法史. ( 31 ). 料が、中世リ ュー ベック 法の、 並びに同法都市にも妥当するリ ュー ベック 普通法の全体の法源の中ではほんのわずか の部 分を占めるにすぎな いこと を屡述する必要はないであろう。. 四 小. at. 」 ー� である。同法典は、同法典の 一三四七年の中世低地 ドイ ツ語 訳と 対比されて、 「 手 書き本 Rel. 第 一グ ルー プ法史料群の ラテン 語法典の中で、 第 一に挙げね ばならないのは ―二五七年の レ ファ ル市宛て 法. を整理 し、内容 的に確 認しておくことがまず第 一に必要である。以下においてそれを試みる。. はなく、 活字印刷 されたリ ュー ベック 成文法のー— その断片 ではなく、 ほ ぼその法文全体が残存しているI 法典類. 我 々、今後リ ュー ベック 法研究に本格的に取組も うとする者にとって、容 易に 入手可 能 であり、 しかも手書き本で. 括. ’’. 把握することができる。同 書のすぐれている点は、 十 三世紀半 ばの ラテ ン語によって表 現された法律用語が十四世紀. 四四年プ ンゲによって出 版 された。同書は同法典の 一0三条のす べてを含んではいないが、 その法典のほ ぼ全体像 を. 典i. 八. (1). - 28 -. 近大法学 第35巻第3 • 4号.

(29) 半ば頃 の中世 低地 ドイ ツ語にお いてど のよ うに翻 訳された のか、ある いは逆にまた、当時未だ文法が定まっ ていな か. った中世低地 ドイ ツ語に よ って表 現され、今 日既に そ の語 義が不明となった単語や文章は普遍 的言語とも言 う べき ラ. I. とし て印刷 された、 ―二六三年 のいわゆるダン ツィ ヒ市宛 て法典I. テン語によっ てど のように表現 された のか、を同書に よ って容 易に確認することができることである。 第二には、 八 三九 年 の ハッ ハの前掲書にお いて Ko dex 「手 書き本 Go 」ーー をあげ ねばな らな い。. ③ 中世低地ドイ ツ語法典では、第 一に、 ―二七 0年 から、最終的には 一三五0年 頃に かけ て作成された法典ー—. 「 手 書き本 k」ー— があげ られる。 こ れは 一九 五 一年 コルレン の前掲書によっ て印刷 され ている。 ほ ぼ同じ内容 の法. 「 Re」ー—' であり、 そ れはプン ゲ の 前 掲書に収録さ れ ている。. 従っ て以上 の法典が収録され ている文献は、プン ゲ、. I |ー をあげ ねばな らな い。こ れは プ ロ ッケ 「 Br 」. コルレン 、プ ロッ ケ スの著 作 である。こ れら の. - 29 -. i 典は、 ―二八 二年 のレ ファ ル市が取得 した法典. dex II とし て印 であり、こ れは ハッ ハの前掲書にお いて Ko 「Ba」||'. 手 書き本 Kと内容 的にはほとんど相違 はな いが、そ の条 文順序が 一度 バラバラにされ、よ り体系的に再配列 され てい る のは ―二九 四年 のバ ルデ ヴ ィク 法典i. ③. プン ゲ のそれに は 、 ―二五七 年 の手書き本 Rel at. 、 ―二六三年 の手書き本 Go、 ―二八 二年 の Re、 ―二九 四年 の. 文献にはそれぞ れ関連する諸法典間で の条文 の符合 表 が掲げられ ている。. ノ‘ ッ ノ‘. スによ っ て印刷 され ている。 以上が第 一グ ルー プ の、現在でも入手可能な、活字印刷 され ている法典である。. 四/九五年 l 一三 四八 年 の間 に作成されたと 推定される法典ー. 条文が 「B」と いう頭文字 を伴 う算用数字によっ て示 され ており、これによ っ て容 易に判 明する。第二には、 ―二九. 刷 され ている。こ の法典と手 書き本 Kと の対応関係は 、 コルレン の前掲書にお いて各条文に、それと対応する Baの. 中世都市 リ ュ ー ベ ッ ク の法史料について.

(30) の 対 応関 係が 、さ ら にそ の 他 の 関 連す る諸法 典 も 加え ら れ 、最 終 的 に一五 八六 年 の 校 訂 リ ュー ベ ッ ク 都 市法 典I Ba. 致 し てお り 、 両者 は 同. 一. 内 容 の 法 典 に由. 一. 、 即ち「 H m」 間の 条 文 の 対 応関 係が そ れ ぞれ の 各 条 文 に 付 せ られ た略 符 番号 によ っ て 判 明 す る 。さ ら に同 書 の. III. 末 尾 に掲載さ れ た 詳 細 な符 合表 は B a と プ ロッ ケ スの 三法 典 と Rev.S tR.と の 対 応関 係 を 示 し ている 。. プ ロッ ケ スの 前 述 の 私撰 法 典 は た だ収録 さ れ た三 法典 間の 符 合関 係を 示 し ているの み で あ る。. で あ るこ と で. 一. 以上 の三 文 献 の 各 条 文 間の符 合関 係 から 判 明 す るこ と は 、 第 一 に、 ドイ ツ語 法 典 類で は 、― 二 七 O | ―三五 0 年 の. 手 書 き 本 K、― 二 八二 年 の Re、 ―二 九 四 年 の B aは 、 条 文 構 成の 異 同 は あ るも の の 、 内 容 的 には同. 三四 八年 の B r Iは 、そ の 条 文 構 成 から 見る 限 り 、B aよ り も 手 書 き 本 K に近く 、 そ の 一. 一. で あ る。 従っ てこ の 法 典 類で は 手 書 き 本 K、 即ち コ ルレン によ っ て印 刷さ れ た条 文 がと り わ け. 一. あ る 。 ― 二 九 四 /九 五 l 六 0 条 まで は 全く 同. 重 要な 位 置を 占め ているこ と が 再確認さ れ る。 第二 に、 こ の 法 典 類と 前 述 の ラテン語 法 典 類と の 対 応関 係で あ るが 、. こ こ で は 以 下のこ と が 注意 さ れ なけ れ ば な ら な い。 たと え ドイ ツ語 法 典 間で は あ っ ても、 それ ら の 条 文 を 精 査 に比較. す れ ば、それ ら の 間 に多 少の 差異 (例え ば語 義 の 追加 あ る いは 省略 、言 い換え 、 新たな 単 語 ・文 章 の 挿 入等 )が 存 在. す るこ と が 判 明 す るが 、 ま し てや ラテン語 法 典と ドイ ツ語 法 典と の 間 には、直 訳関 係 にあ る条 文 を 除 い て、 前 述の よ. う な 差 異 を 伴う の み な ら ず 、 外 形 的 には かな り 相 違し 合 っ て いる条 文 が 存 在 す るこ と で あ る。こ の よ う な 場 合、 両 者. - 30 -. ハ ッ ハ の 文 献で は 、 収録 さ れ た K ode x、 I 即ち 手 書 き 本 G o と 、 K odexII 即ち B a、 十五 世 紀 前 半 頃 の K o de x 、. 来す る と 考え るこ と が で き るこ と で あ る。. 手 書 き 本G o と は 、 条 文 構 成 にお いて も 、 前 者 の 第 八五 条 まで 、 ほと ん ど. 「Rev.S tR. 」ーー' まで の 法 典 の 符 合関 係が 示さ れ ている 。 その 符 合表 によ っ て明 ら かなこ と は 、 手 書 き 本 R e l at.と. 近大法学 第35巻第3 · 4号.

(31) に内容 的 な 対 応関 係が 認め ら れ れ ば 、い ず れ か の、 即 ち ラテ ン 語 な い し ドイツ 語 の条 文 から 他 方 のそれ へと 翻 訳さ れ. たも のと 考え ら れ る。 以 上 の前 提 に立 っ て 両者 を 比較 す る と 、G oのほと ん ど の条 文は 、 そ の条 文 配列を す っ かり バ. ( 33 ). を 媒介 に ラ バ ラ にさ れ て は い るが 、B aと 符 合関 係 にあ るこ と を 確認す るこ と が で き る。 従 っ て ラテ ン語 法 典もB a. 次 に第 ニグ ルー 。 フ法 史 料 群 に つい てで あ るが 、 コ ルレン の前 掲書 に収め ら れ て い る、 一三 五Ol一 四00年 頃. し て 、 コ ルレン の前 掲 書 に収め ら れ た手書 き 本 Kと も 内 容 的 に関 連 して い る ので あ る。. ④. の オ ルデ ンプ ルク法 典 は 、 そ の条 文構 成 は 異 な っ て い るも の の、 内 容 的 には 手 書 き 本 Kと 類 似 して い る から 、 そ の細. かい 差異 を 研 究 対 象 と し な い 限り 、 それ ほど重 要 視 す る 必 要 は ない 。 従っ て 第ニ グ ループ 群 は こ こ で は 余 り 問頗と は. B aと の符 合関 係を 示す 番号を 通 して 、 そ の条 文構 成 は異 な る も の の、B aと 親 縁関 係 にあ るこ と は 明 ら かで あ る 。. 同法 典 が 登場 した一五 世 紀 前 半 以後 約 百年 間 には まと まっ た 法 典は 存 在 しな い 様で あ り、 十六 世紀 半 ば にな っ て 、. 再 び 我 々が 今 日で も 容 易 に 入手 しう る法 典 に出会う 。 前 述 のプ ロッ ケ スによ り 印 刷 出 版さ れ た 、一五 五 六 年 頃 の B r. IIIで あ る。. と 、 同時 期 のB r. II. 一 目瞭 然で あ る。さ ら にそ の親 縁関 係は ハッ ハの前 掲書 の符. こ の両私 撰 法 典と 前 述 のB r Iと の間 の条 文 の対 応関 係は 、 プ ロッ ケ スによ っ て そ れ ぞれ の各条 文 に付 せ ら れ た符. ( 34 ). 合 番 号 からーー' 但 し、幾 つか 印 刷 上 の誤り が あ る が ー. 合 表 に よっ て も 再 確 認 す るこ と が で き る し、こ の符 合表 を 通 して 両法 典と B a、 従 っ て 手 書 き 本 Kと の 対 応関 係を 検. - 31 -. ならない 。. 第三 グ ルー プ 法 史 料 群で 、 第 一 に挙 げ なけ れ ば な ら ない のは ハッ ハのH III で あ る。 前 述 の如 く、 同法 典 の後 半. (5). 部 分 は ―二 七0年 の ハン プ ルク 法 で あ る。 前半 の リュー ベ ッ ク 法 条 文は 、 個 々 の条 文 に付 け ら れ た K dx II 、 即ち oe. 中世都市リ ュ ー ベ ッ ク の法史料について.

参照

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