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公立オルターナティヴ・スクールの展開

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Academic year: 2021

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(1)公立オルターナティヴ・スクールの展開 伊. The. Evolution. 博. 東. or Public. Alternative. Schools. ITO*. Hirosbi. Ⅰ. 1960年代におけるアメリカ公立学校の崩壊. 1.公立学校崩壊の告発 (1)ジョナサン・コゾ-ル,ジョン・ホールトらによる告発. ベトナム戦争や人種差別による社会的分裂が進行するとともに,. 1960年ころから,大都. 市の黒人ゲットーや収奪された(deprived)少数民族の住むスラムに入りこみ,その子ど もたちの生活と教育の実態を訴える人びとがあらわれてきた。そしてその実践報告が60年. 代後半に次々と出版された。それはまた白人中流階級中心の公立学校を激しく非難するも のであった。 例えばジョナサン・コゾ-ル(Jonathan. Kozol)は,ボストンの公立学校で黒人詩人. LangtonHugbesの作品を教材に用いたかどで職を追われたのち,黒人のコミュニティに. 入ってその子弟の教育に当たった。飯の"DeathatanEarlyAge” (1968)は,そのサブ・ タイトルの示すごとく,. 「ボストンの公立学校は黒人の子どもの心と精神を破壊している+. ことを世に訴えた。 同じころにニューヨークの黒人ゲットーの子どもたちのために学校を開き,顕著な効果 をあげた人びとが,同じようにその実践報告を次々と出版した.例えばジェームズ・ハー ンドン(JamesHerndon)の"TheWay (Herbert "The. Children”. Kohl)の"36. Lives. of Children”. lt Sposed. To. Be” (1965),ハーバート・コール. (1967),ジョージ・デニスン(George. Dennison)の. (1969)などである。. ジョン・ホールト(JohnHolt)は,コロラド,マサチューセッツ,バークレイにおける 彼自身の教育経験と子どもの観察から,学校や′家庭が子どもの学習,理解,創造の能力を 育成することにまったく失敗していると述べ,その原因は,学校が子どもに「恐怖心を植 えつけ,退くつさせ,混乱させている+からだとし,(1)とくに学校教育のあり方を普通学 校の内部から告発した。 すべての子どもには自分に特有の「学習スタイル+. (styleoflearning)があるけれども,. 学校数青ばこれを育てるのではなく殺しており,どんな子どももそれを逃れることばでき *教育学教室(°ept.. of Education).

(2) 35. 公立オルターナチイヴ・スクールの展開. ないというo(皇)ホールトの自らの実践と鋭い観察にもとづくこうした警告は説得力の強い ものであった。. (アメリ. 「現代の学校は,子どもにとって牢獄にもひとしいものであるが,. カの学校がよりよき明日を迎えるためには)社会のすペての人が,その年齢を問わず,自 分の欲するままに自由に自主的に学習することのできる場に変わらなければならない+(8) という主張は,オルターナチィヴ・スクールの根本原理を述べるものであり,やがて彼は, オルターナティヴ・スクール運動の理論的旗手になっていく。 さらに公立学校の構造とその制度に批判的分析を加えたポール・グッドマン(Paul Mis-education”. Goodman)め"Compulsory (postman, ライマ-. Neil and. (Reimer,. charles)の"Crisis Society”. Weingartner,. (1962),ポストマンとワインガートナー. C.)の"Teaching. Everett)の"School in the Classroom‥. is. (1970). Dead”. as. a. Subversive. Activity”. (1969). ,. (1971),シルバーマン(Silberman,. ,イリッチ(Illich,. Ivan)め"Deschooling. (1970)なども次々と出版され,前記の実践報告とともに,その後のオ}L,ターナテ. ィヴ・スクールの発展に大きな影響を与えたばかりでなく,その理論的根拠をも提供した。. (2)シルバーマンによる告発 シルバーマンは,その著『教室の危機。の日本語巌序文(1973)において次のように述 べている。. 「公立学校ほど変革に対して鈍感に見えた制度はなかった。. 1950年代後半およ. ぴ60年代初期になって,アメリカ史上最も大規模で,そして最も多くの人びとの支援を受 けた(経済的には確かに最高に恵まれていた)教育改革があり,傍観者たちは,私自身も 含めて,この努力は学校を変革して行くだろうと思った。しかし,そのようなことは何も 起こらなかった。いわゆる『教育の10年。の改革は,たしかに1920年代,. 30年代の進歩主. 義運動と同様,数知れぬ変化はもたらした。しかし,学校全体はというと--ほとんど旧 態依然であったo+(4) 1950年代,. 60年代は,後に述べるごとくアメリカ200年の歴史においても最も変動の激. しい時代であった。第2次大戦かゃ引きつづいたベトナム戦争,少数民族間題,ド}t,の世 界的信用の下落など,数多くの問題がこの時期に続々と発生し,アメリカの社会は大きく 揺らいだ。. しかし,制度としての学校は,シルバーマンの指摘するごとく,アメリカ社会のこうし た大変動にもかかわらず,それに対応することができなかったばかりでなく,こうした社 会変動の影響をまともに受け,学校の内部もまた,さんたんたる様相を呈するに至った。 とくにハイスクールでは,学校の中で,暴行,強姦,麻薬などの問題が頻発するように なった。こうした学校の崩壊状態についても,シルバーマンの『教室の危機。は強烈に学 校教育を告発している。. 2.学校崩壊の症状 学校の崩鐘状況を示すもろもろの症状が,とくに1960年代に入るとますますはっきりと あらわれてくる。具体的に表面にあらわれたその症状のいくつかをあげてみる。. (1)ドロップアウト.

(3) 36. 伊. 東. 悼. 1960年以降毎年100万人以上の生徒が高校を卒業する前にドロップアウトしており,そ の傾向は1980年まで継続するであろうと推定されているo(5)そしてそのドロップアウトは,. あらゆる能力水準,あらゆる社会・経済的水準にわたって起こっている。 ドロップアウトの全国平均は,少なくとも25パーセントと推定されているが,なかには, 40パーセントに上るのではないかという推定もある.カT)フォルエア州は,. 1970年以来ド. ロップアウトが50パーセントも上昇していると報告している。ウーマンズ(Umans,S.) ほ「高校生の40パーセントが卒業前にドロップアウトする+と述べている。(6)また,成人 総人口の半数以上が高校を卒業していないといわれる。ドロップアウトの問題は,義務教. 育制を名目的なものにし,教育の機会均等という民主教育の根幹を揺さぶるものである。 (2)欠席と怠学 1972年のある調査によれば,ニューヨーク市の普通高校における毎日の平均出席率は74 パーセントであり,実業高校になると50パーセント以下という学校もある。(7)とくに大都 市における欠席と怠学の率は驚くほど高く, of Secondary. School. 「全国中等学校長会+. (National Association. Principals)の調査結果では,欠席が中等学校における最大の問題で. あり,第二位の非行問題をはるかにリードしている。(8). (Children'sDefense'Fund)の調査の結果は,. また1974年に発表された「児童防衛資金+. 通学していない児童生徒数200万人という国勢調査の報告が氷山の一角にすぎないことを 示している。(9) (3)学力の低下 学力,とくに読み(reading)と理数の力が低下しつづけているといわれる。白人中流家 庭の子どもの33パーセント,黒人貧困家庭の子どもの45パーセントが, れない,すなわち合格点をとれないと, ference. on. Educational. 読みについては,. C以上の成績をと. 1975年の全米教育協会のある会議-NEACon・. Neglect-は報告しているo(10). 12歳から17歳までの青少年の100万人以上が,小学校4年の初期程度. の教材を読むことができないといわれるo. of Education)め. 1975年の連邦教育局(OBice. 研究では,アメリカの成人の半数以上が,現代社会に生きるための最低限の基礎学力をも っていないと報告している。(ll) 「全国数育成果測定会議+ また理数に関しては, Progress)が1975年に報告したところによれば,. (National Assessment. of Educational. 17歳および若年成人の過半数が,消費者. としての日常の計算能力を欠いており,理数テストの得点は1972年以来下降をつづけてい る.(1皇). (4)非行・暴力・犯罪・麻薬の増加 高校卒業者の75パーセントが麻薬経験者であるといわれる.中毒になると1日30ド}t, (約7千円)の金が必要になり,それが他の非行や犯罪の原因となる。 学校の中で暴行,強姦,麻薬などの問題が頻発していることについては前にも述べたが, 「中等教育改革委員会+ 報告は,. (Commission. on. the Reform. of Secondary. Education)の1973年の. 「暴力犯罪を含んで,学校の校舎の中で行なわれた犯罪のうち,摘発されたもの.

(4) 37. 公立オルターナティヴ・スクールの展開. 1974年に学. は10パーセント以下にすぎないことを信ずベき根拠がある+と述べている。(18). 校内の犯罪と暴力に費された金額は5億9千4百万ドル(約1,350億円)にのほり,同じ 年に無償教科書に支出された金額を上まわるものであったo これらの問題は主として,黒人などが中心部に入った大都市の学校に起こったのだが, 学校側は,自分たちは都市腐敗の原因を作ったのではなく,むしろその犠牲者なのだと主 張する。それも理由のないことではないが,ジョン・ホールトは「犠牲者であると同じく らいに原因も作っている+と手きびしく批判しているo(14). 3.学校崩壊の原因 (1)学校をとりまく社会的・政治的状況 前述のようなアメリカの公教育におけるさんたんたる状況は,アメリカ民主主義教育の 根底をなす教育の機会均等の原理を根本から揺るがすとともに,アメリカ社会の将来に対 しても暗い影を落すものであった。しかしこうした重症の症状も,学校教育の内部におけ る失敗にその全責任を負わせることばできない。. 1950-60年代は,アメリカの歴史におけ. る,またその社会における矛盾が一気に噴出してきた時代であり,その200年の歴史にお ける最盛の時代であったといえるかもしれないo 1961年に43歳の若きケネディが大統領に就任したとき,世界中はなにがしかの期待を後 に託した。しかしわずか2年後の1963年11月22日,彼は突如暗殺された。世界中の株式相 場が暴落した。いわゆる「ケネディ・ショック+といわれるものであるo. この事件は,. 60年代というアメリカ暗黒時代の幕明けを予告するかのごとくであったoケネディの後を 襲ったジョンソンは,. 1965年2月,アメリカにとって致命的といわれる北爆を命じ,かく. してベトナム戦争はアメリカを泥沼の中に引きずりこむ。. 1969年末までに,ベトナム戦争. におけるアメリカ人戦死者は4万人を越え,毎週5億ドルの金(毎月約6千億円)がこの 泥沼の中に注ぎこまれた。 ようやくアメリカ人は,この戦争の愚を悟りはじめ,にわかに反戦・反政府運動の機運 が高まるとともに,それと複雑にからみ合いながら,少数民族の反乱や学園紛争が蛾烈の 度を加えてきた。こうしたアメリカ社会の大混乱やその最大の原因をなすベトナム戦争の 収拾は1970年代に持ち越される。 領がその地位を追われ,. 1974年にはウォーターゲート事件によってニクソン大統. 1973年の暮に突如起こったオイルショックは,世界の経済を揺る. がした。こうしたアメリカの国内外における軍事的・政治的・経済的威信の失墜は,アメ リカの教育の上にもその深い爪あとを残した。 (2). 60年代カリキュラム改革の失敗. 1957年8月26日,ソ連は大陸間弾道弾(ICBM)の実験に成功したことを発表し,さらに 10月4日には人工衛星スプートニク第1号が撃々しく打ち上げられたoそれは,宇宙開発 競争におけるアメリカの敗北を告げるものであったばかりでなく,そのロケットは,アメ リカの大都市や国内外の重要軍事施設を正確に壊滅することができるものであったoアメ 7)カ中が「スプートニク・ショック+といわれる恐慌状態に陥ったことはいうまでもない。.

(5) 38. 伊. 東. 博. ちょうどその同じころに,アーカンソー州りいレロック市では,白人ばかりの公立学校 に入学を許可された9人の黒人生徒が,白人群衆によって登校を妨害され暴行を受けた。. 州兵250名も白人群衆に加担したoこうした暴行がくり速されたので,?いにアイゼンハ ワー大統領は,憲法の精神を守るために連邦軍を派遣して鎮圧した。リトルロック事件は, ソ連の明るい希望にみちた状況に対して,アメリカの暗い将来を暗示する対照的な事件で あったoそしてスプートニクは,その後のアメ7)カの学校教育に深いかかわりをもってく るのである。 スプートニク打ち上げから半年もたたない1958年1月27日,アイゼンハワー大統領は,. 「教育に関する特別教書+を議会に送り,科学の研究と科学教育の予算を5倍に増額する ことを勧告した。さらに同じ年の9月2日,. 「国防教育法+. (National Defense. Education. Act:NDEA)が成立した。それは,学生生徒の知的能力を最大限に伸ばすために,奨学金 を増額し,初等教育から理科,数学,外国語の教育を強化し,国防のための人材確保をね らったものである。 こうした背景の中で1959年9月に全米科学アカデミーは,初等中等学校における科学教 育の改善について協議するために,一流の科学者,教育学者,心理学者など34名を,東部 海岸の高級保養地として名高いケープコッドのウッズホールに招集した。ウッズホール会 議は, 1960年代のアメリカの学校のカリキュラム改革に大きな影響を与えることになった。 議長をつとめたブルーナー(Bruner,. (Process. of Education,. J.S.)はこの会議の結果をまとめて『教育の過程。. 1961)を発表した。. 1960年代のカリキュラム改革は,以上に述べ. たように,スプートニク・ショック-国防教育法一ウッズホール会議という一連の系譜か ら生まれたものである。 こうして改革された学校のカリキュラムは,学問水準の非常に高いものとなり,多くの 落ちこぼれを生み出す一因となり,また一方欠食児童をかかえ,基礎学力の欠ける児童生 徒に昔慮していた学校現場の実情を無視するものであった。シルバーマンが指摘するよう に,ウッズホール会議にもとづくカ7)キュラム改革運動には「学問的倣慢+があり,. 「現. 場教師を無視するにとどまらず,事莱上,教師を全面的に回避してしまった+ので,. 「こ. れらの努力は失敗に帰する運命にあった+(15)のであるoウッズホール会議には,現場の教 師はひとりも入っていない。その会議の出席者34名は,ほとんどすべて大学数授および高 等研究所見であった。(18) シルバーマンはさらに,. 「カリキュラム改革者たちは,カリキュラム全体に本格的に取. り組むということをしなかった+(17)し,. 「彼らはどういうわけか,生徒たちは,教師の教. えたものを学習するものだと思っていた+(18)と,皮肉な批判を加えている。. 「カリキュラ. ムだけを変えたからといって効果のあるものではない+(19)という批判に関連してブルー. ナ-は後に(1971年),カT)キュラムの改革だけで十分なのではなく,社会の諸必要に 「全学校を総体として再適応させる+こと,つまり「制度としての学校そのものを変革+ することが必要である,と反省を加えているo(州 この「制度としての学校そのものを変革+するという考え方は,まさにオルターナチィ.

(6) 39. 公立オルターナチイヴ・スクールの展開. 「ウッズ. ヴ.スクールの必要性を指摘するものである。またブルーナーは,令(1971年). ホール会議+をやると仮定すれば,その会場はウッズホールのような高級保養地ではなく (科学教育のカリ て,大都市の中心部に集まることになるだろうし・またそのテーマも・ キュラム改革などではなくて). 「貧民階層の子どもの収奪(deprivation)の問題と中流階. 級の子どもの疎外(alienation)の問題を中心にすえる+`21'ことになるだろうと述べてい る。アメリカの学校教育の核心的な問題は,この10年間にまったく変わってしまったので ある。. (3)制度としての学校 ・画一化の方向に急速 ⑧大きく立派な学校校. 最近20年間のアメリカの学校数青ば,標準化(standardization). ①学区(schooldistrict)の合併統合, ④新カリキュラムの全国的な普及,などによっ ④連邦政府・州政府の介入,. に動いていった。それは, 舎の建設,. て促進された.'乞3'1850年すぎまでは,公立学校よりも私立学校の生徒の方が多かったo 1970年までには,公立学校以外の生徒は10パーセント以下まで下がったoだからアメ7)カ の学齢期の青少年の90パーセント以上が公立学校に通っており,前述の標準化・画一化は そのままアメT)カの学校教育の標準化・画一化を意味するo かくして1960年代におけるアメリカの学校は=monolitbicりであったといわれるoすな ゎちどこの学校も,同じ形態,同じカリキュラム,同じ運営がなされているということで あり,換言すれぱ学校制度は,児童生徒や父兄の違ったニーズに対応することができず・ ・選択+の余地がないということであるo公立オルターナチィヴ・スクール(public native. alter. school)が生まれたのは,ある意味ではこうした公立学校の標準化・画一化に対す. る反動であった.'28'ォルターナティヴ・スクールの存在理由は,学校やカ')キュラムや学 習方法に「選択+. (choice, option)があるということであるoこのような学校の標準化・. 画一化は,連邦政府・州政府による中央集権化を意味するとともに,教育行政や学校運営 が「官僚化+. (beaurocratize)されたということでもあるo. そしてまた,学区統合による大規模学校の建設は,設備の立線な学校-温水プール や移動式観覧席のついた体育館などをもつ-を生み出したが,その生徒数もまた一校 「学校規模が大きくなるほど,それは官僚的 2,000人-3,000人という学校も多くなったo になり,それだけ統制が必要になり+. 「学校が小さいほど,それはより人間的(humane). なところになる+ということが,ほとんど定説になっているo(24'なかには「学校規模が大 きいというだけで暴力・非行の原因になる+との貌もある。`乏5'. ⅠⅠ.オルターナティヴ・スクールの発生とその発展 l.学校改革への捷寮 1960年代の教育改革は,. GNPの成長率を上まわる教育費の支出にもかかわらず,その. 結果ほ,前述のようにさんたんたる失政であった。こうした60年代教育改革の失政は・.

(7) 70年代に人るとようやく国民の注目を集めるようになり,多くの全国的および地域的な委. 員会や会議が組織され,制度としての学校を捻体としてどう改革するかという具体的な提 案が続出するに至った。ここでは次の五つの全国的な会議・委員会の学校改革に関する提 案を検討してみたい。 ①. フォール・レポート(1972) 委員会:. International. 委員長:. Edgar. *%%. Commission. the Development. on. of Education. Faure To. :Learning. Be: The. World. of Education. onthe. Reform. Today. and. Tomorrow. ⑧. ブラウン・レポート(1973) 委点会: National Commission. Brown 委員長:且Frank (IDEA) : The *%S Reform of Secondary. ⑨. ④. of Secondary. Education. Education. コールマン・レポート(1974) 委員会: 委員長:. Panel. 報告書:. Youth:. on. James. Youth. of the President's. science. Advisory. Comittee. S. Coleman Transition. to Adultbood. マーチン・レポート(1974). 委員会:. National. Panel. on. High. Schools. and Adolescent. Education. (appointed. by U. S. 0鮎e. Education) 委兵長: John Henry Martin of. Report. 報告書:. ⑨. of the National. ギボンズ・レポニト(1976) 委員会: Phi Delta Kappa's Maurice. 委旦長: *%%. :. The. New. これらのレポートは,. Panel. Task. Force. High. on. on. Schools. Compulsory. and. Adolescent. Education. and. Education. Transit. for Youth. Gibbons Secondary. Education. 60年代以降のアメリカの公立学校の実態を検討し`,一様にそれが. 完全に失敗していることを認め,その改革の方策について具体的な提案をあげている。こ こではこれらの提案の共通点を五つの項目にまとめて述べることにする。. (1)コンプレへンシヴ・ハイスクールの失政 ひとつの例としてマーチン・レポートの分析を紹介しておく。. ①. 生徒集団の巾広いニーズに応ずるコースを提供していないo. ㊥. 階級差別と人種差別を拡大した。. ⑧. 生徒はアカデミック・コース,一般コース,職業コースの三つに分かれるが, ーセントの生徒は一般コ ̄-スに属している。しかしそれは,将来の職業や大学進学に 対してなんらの準備教育も与えていない。. @. 学校は非人間的で官僚的で,人間的ニーズに応ずるのに適切な場所ではない.. ㊨. 生徒を,同年代の青少年からも社会からも疎外しているo. ㊨. 欠席,非行,暴力などの問題を増加させた。. (2 )教育の目的・目標の転換. ①. 教育の中心的な目標は自己教育(self・education)である。何を,いつ,どこで,ど. 50パ.

(8) 41. 公立オルターナチィヴ・スターノレの展開. のように学ぷかを自分で決定することを学ばなければならない。 ④. 職業教育(career. or. vocational. education)を充実させることoまた家族としての. 役割についても準備教育を与えること。. ㊥. 責任感のある社会の一員としての発達をはかることo. ④. 個人差にきめこまかに対応できる教育を提供することo. (3)教育・学校の本質について 教育は「真の大衆運動+. ①. (truemassmovement)になり,生涯教育のパターン(life-. long. pattern)をとらなければならないo 青少年の成長については学校がそれを独占してはならない。学校と社会あるいは学. ⑧. 校と労働の間に協力国係を確立し,学校はリカーレント型(recurrent. pattern)に改. 造する。 義務教育は14歳または15歳までとする.ブラウン・レポートでは義務教育を8年と. ⑨. コ-ルマン●レ. し,希望するものはいつでもさらに6年の学校教育を受けられるo ポートでは16歳のときにヴァウチャー(voucher)を与え,それはいつ,どこででも. 使えるようにするという提案をしている。さらに義務教育の短縮に伴って年少労働に 関する法律の改正も提案されている。 (4)学校の組織・運営について ①. 教育活動を地域社会へ拡大する。地域社会の資源(community は教育的資源(educational. resources)あるい. resources)-官庁,公的機関・施設,私企業,専門家,. 地域社会の人ぴとなど-の協力を求め,講師や助手として学校にきてもらったり, そうした場所での学習を可能にする。 卒業するためのさまぎまな道(alternativepatbs)を設けるo種類の違う学校,種類. ④. の違うカリキュラム,いろいろな出席のしかた,いろいろな単位のとり方を巾広く工 夫する。 inclusive)吃. 学校規模を小さくし,変化に富み,広く包括的(diverse,smallerand. ④. 教育内容を準備する。学校規模は一校500人以下が,管理,学習,生活指導,教師生 徒関係など多くの点から望ましい。. ④. 学校規恥卒業その他に要求される条件などについて,少なくとも生徒には,なぜ そうするのかを知る権利がある。しかし多くの提案には,管理やカリキュラムや学習 のしかたについての学校決定に,生徒と父兄と教師が参加するてとがすすめられてい る。その意思決定への参加(participationよりもinvolvementを用いることが多い) を,教育の一部として考えるものがきわめて多いo. ⑥. 個々の生徒がオルターナチイヴ教育を古皇じめようとするとき,その資金は地方教育 委員会が,生徒数を算定基準とする現行の支出方法に従って負担するo. (5)教育内容・教育方法について. ①. すべての生徒のニーズと興味関心に応じられるよう多彩なコースを準備するo. ⑧. 現場経験(on・site. experiences) ,校外経験(out-of-school. experiences). ,実際活動.

(9) 42. 伊. による学習(action. 東. 博. learning),自主学習(independent. study)をカ7)キュラムの中. に含め,それらにも単位を認める。 教育内容は知的(cognitive)なものだけでなく,感情的(aHective)な局面をも含. ④. める。アカデミックでないもの(コ-ルマン・レポート),美的体験(aestheticexpe・ riences). ④. (マーチン・レポート)をも,アカデミックなものと同じく大事にするo. テレビによる学習は記録や録音テープを用いた方が効果的であるので,関連する著 作権法を改める。最低3チャンネルをフランチャイズする。 自分より若い人を個人的に教えるという経験(tutoring,tutorial)をさせ,それに単. ⑨. 位を与える。 2.オルターナチィヴ・スクールとは何か (1)オルターナチィヴ・スクールの特色 ジョン・フ1)ッツ(John. Frit乞)はカナダの教育者であるが,アメ7)カおよびカナダの. いくつかのオルターナチイヴ・スク-ルを観察して,次の四つの機能あるいは目標をあげ ている。(26). ①. 普通高校ではドロップアウトするもの,あるいはダメになってしまう生徒に,教育 を継続する機会を提供する。とくにオルターナティヴ・スクールは,こうした生徒た ちが高校教育をつづけ,卒業するための「最後の機会+となっている。. ④. さまぎまな理由から普通高校が自分のニーズに適していないことがわかり,オルタ ーナチィヴ・スク-ルでいろいろの機会に挑戦してみたいと思っている生徒には非常 に役に立っている。ある学区ではこの機能を「古タイヤの更生+ (retreading)と呼ん でいるが,こうした生徒は結局は普通高校にもどっていくのである。. ㊥. こうした学校は,地区の他の学校に巾広く応用できるような新しい学校運営や新し い学校計画を展開させる機会を探究している。この点オルターナチイヴ・スクールは 「実験室+であり,時にはその地区のペースメーカーの役書幅果たす。. ④. こうした学校は,さまぎまに違っているニーズや,両親が自分の子どものためにな ると思う学校教育の考え方に歩調を合わせてオルターナティヴ・プログラムを展開し ている。多様性と複数性(diversityand plurality)のある学校形態が地域社会の中で 利用できるようにという要求が高まっているが,前述のような機能はその要求を反映 するものである。現在の学区にある学校教育の形態は概してかなり画一的なものであ る。. さらにオルタ-ナティヴ・スク-ルの性格を明らかにするために,それが普通学校(regular. schools)あるいは伝統的な学校(conventional. ス,バー,バークの共著"Alternatives Dolores)とミラー(Miller, ternative. in. schools)と違っている特色を,スミ Education” (1976)(27)と,パスカル(Pascal,. W.)の論文"Managing. Controversy. about. Optional. Programs”(告8),および筆者の編集した「これが学校だ+(29)その他に依拠しなが. らあげてみたい。. and. Al-.

(10) 43. 公立オルターナチイヴ・スタ-ルの展開. 生徒,父兄,教師に選択の機会(option)があるo理想的には,すべての人が自発. ①. 的に参加できるようにその機会はすべての人に開放されるo ④. その地域社会にある教育的ニーズに対して,標準的な学校よりももっと敏感に対応 するということが,オルターナチィヴ・スクールの存在理由である。従ってそれはそ の地域の中で独白に展開されたものであるとともに,標準的な学校とは,学習へのア プローチ,カリキュラム,教育的資源の利用のしかたなどにおいて,はっきりと違っ たものをもっていなければならないo 学校人口(scbool'spopulation)は,全地域社会の人種的,社会・経済的構成を反映. ㊥. していること(representative enrollment)。ただしドロップアウトのための学校とい ④. った特別な標的グループ(targetgroup)のためのものはそうではないo 学校の教育計画および学校内の個人的役割に関する意思決定に,生徒と教師が参加 できる機会を提供する。その結果として,各個人はもっと巾広い選択ができるととも に,もっと大きな責任を負わされるo 通常,包括的な目的・目標が明確に規定されているoオルターナティヴ.スク ̄ル. ⑨. は基礎学力に力を入れ,大学進学または職業およびその両者の準備をするとともに,. 自己概念(self-concepts)の改善,才能・創造性・独自性の発達,文化の複数性・多 様性についての理解とその奨励,社会的役割(消費者,投票者,批判者,両親,夫婦) への準備なども強調する。 ⑥ 学校は弾力的であるが故に,計画された進歩や変化に対して敏感に対応するoオル タ-ナチイヴ・スクールは,アカウンタビリテイ(accountability)の時代に生まれた ものであるから,フィードバックと形成的評価(formativeevaluation)によってカ') キュラムと教育計画の展開と改造をはかる。. ①. コンプレ-ンシヴ・スクールよりも規模が小さいのが普通であるo生徒数の中間数 は200人以下である。教師一人当り生徒数は普通学校においては,教師雇傭のさいに. 教育委員会と教師の間で30人以下という契約をするが,オルターナチイヴ.スクール では10-20人が普通である。ときには10人以下のこともある。このことによって教師 と生徒はたがいに「人間として+接触することができるo. ⑨. 学校規模が小さいから,生徒や教師に対す草規則や官僚的な拘束は少ないo. ⑨. 教育は学校と教師が独占してはならない。地域社会の組織,機関,施設,私企業の. すべてが学校であり,地域社会の住民全体が教師であると考えるo. (フィラデルフィ. アのParkwaySchoolでは,学校に寄附された土地・建物が市内に39箇所あり,コー スが開かれている場所が54箇所ある.またニューヨークのシティ・アズ●スクール (city-asISchool)では,全市に217箇所の')ソースがあり,そこで274コースが行な われている-1977年後期-。多くのオルタ-ナチイヴ・スクールでは,地域住民,学 部学生,大学院学生,父兄などが,ボランティア教師または助手として,あるいは高 (uncerti丘ed teachers) 「免許をもたない教師+ 校上級生がstudent-teacberとして, が多数学校に協力している。).

(11) 44. 伊. ⑲. 東. 現在の画一的学校制度(monolithic. 博. school. 念から,オルターナティヴ・スクールは「親学校+. system)を改革する必要があるという信 (parent school)-オルターナ. チィヴは親学校の中に新設されたscbool-within-scboolであることがある。例えば Murray. Road. Schoolは,. Newton. North. HighSchool,. Newton,. Mass.の「子学校+. である-や学区と密接な協力関係を保ち,その教育資源を利用し,考え方を交換し 合い,成功と失敗について知らせ合い,普通学校の教師,生徒,父兄を巻きこもうと する。. ⑪. 選択を中心とする教育計画(optionalprograms)は,生徒個々の興味関心,ニーズ, その学習のしかたに焦点を合わせる。「学習の個別化+は,オルターナティヴ・スクー ルの教育方法の最大の特色である。個人指導(tutorial)は,個々の生徒の学習のしか たとそのペースに適合するためのものであるが,それによってドロップアウトまたは 落ちこぼれを防止する。チュートリアルの存在それ自体がプッシュトアウト(pushed-out)していないことを物語るものである。. ⑩. 選択によって生徒の基本的な学習計画ができるのであるが,そのためには州または 地方教育委員会の単位認定,出席,卒業などの条件に適合するように,ある程度の調 整をすることが必要になる。最近では州や地方のこうした条件についての法律(例え ばattendance. laws)や条件の廃止や改定を要望する声が高い。. (2)オルターナチィヴ・スクールの定義づけ・規準 オルターナティヴ・スクールの標準的な定義づ桝まない.(30)ある地域社会におけるオル ターナティヴ・スクールは,他の学区では標準的な学校であるかもしれない。例えば,地 域のすペての子どもがあるオープン・スクールに強制的に割当てられるならば,それはオ ルターナティヴ・スクールではない。 筆者の目にふれた2つの定義づけをあげておく。. ①. 全米教育協会(NEA)の定義(31) 「公立オルターナチィヴ・スクールは,伝統的な学校ではできない学習経験を提供 し,またその地域社会のすペての家庭が選択により,また特別の経費を要しないで利 用できる教育計画である。+. ⑧. フィT)ップ・デターク(PhilipH.DeTurk)の定義(8乏) 「オルターナチイヴ・スクールは,自分の教育的欲求(educationaldesires)を満た すための違った手段を選択した学習者たちのコミュニティである0+. 前掲の定義づけは,オルターナチィヴ・スクールのあまり明確な記述にはならないであ ろう。どんな規準を満たせば,それはオルターナティヴ・スクールと呼ぷことができるで あろうか。この点では,スミス,バーおよびバークがもっとも単純明快である。彼らはそ の規準(criteria)として, (difference)があること, tive. ①選択(choice)があること,. ⑧伝統的な学校との間に相違 ⑧学校人口が地域の人口構成を代表していること(representa-. enrollment) ,の三つをあげている.(&8).

(12) 45. 公立オルターナチィヴ・スクールの展開. 3.公立オルターナチィヴ・スクールの発生とその展開 (1)学校教育の標準化・義務化の歴史 時代と地域によって差があるとはいえ,一般的にいえばアメリカの教育には常にオル ターナチイヴが存在していた。(84)独立戦争(1775-83)以前のアメ7)カでは,さまぎまな タイプの学校教育があり,教育のあり方ややり方も変化に富み,家庭は学校を自由に選択 することができた,とクレミン(Cremin,L・A・)は述べている。(85)しかも登校日数は通常 は数週間にすぎなかった。学校選択に巾があったばかりでなく,学校教育それ自休がオル ターナティヴであった.. 1789年に批准されたアメ')カ憲法にも,教育・学校については何. も述べられていなかった。 1852年,マサチューセッツ州は義務教育制(compulsory. attendancelaw)をしいた最初. の州となった。そして1860年までには初等普通教育の考え方が一般に受け入れられるよう になった。しかしこの時代には,学校に入るかどうかば,まだ家庭の選択に委ねられてい た。. 1893-94年の登校日数は,辛. 1900年までに半分の州が義務教育制をとるに至ったが,. 均86日であった。アメリカで普通中等義務教育が確立されたのは1940年前後のことであるo 70パーセントが卒業するo. 今日では,学齢期青少年の約90パーセントが在籍し,. アメリカの200年の歴史における教育の推移をたどって,スミス,バーおよびバークは 次の二つの結論が得られるとしている.(86) もともと教育における選択(educational. ①. options)には多彩な道が開かれていたが. それはモノリシックな画一的な公立学枚体制になり下がり,個々の家庭に選択の余地 が残されなくなった。. ⑧. この間の主要な関心は,教育の「質+よりも「量+であったo急激に増大する入学 者に無償の初等・中等教育を提供することに驚くほどの努力と金額を傾けたので,そ の他の関心は抹殺された。. その後のアメリカの学校数育がどのような問題を生み出したかは,すでに見てきたとこ ろであるが,ブラウン・レポートは,とくに「高校は,アメリカの青少年に平等で適切な 普通教育を与えるという使創こ完全に失敗し,大都市においては『完全な崩壊に瀕して (on the. verge. of complete. conapse)。いる+と述べている.(a7). (2)公立オルターナティヴ・スクールの急増 グローバード(Graubard,. Allen)によれば,. ターナティヴ・スクールが開校され,. 1967-68年には20ないし30の新しいオ)レ. 1969年はこうしたフリー・スクールの成長の大波が. 襲い始めた年であり,その年に60校から80校が,さらに1970年には150校以上が開校され,. 1971-72年度にはその総数は200嘩を越えた.そして数々の地域的なニューズレターが発 行され,また地域的・全国的な会議が開かれるようになり, ティヴァル+. 期のフ・). -. 「オルターナチイヴ.フェス. (festivals of alternatives)といわれるような盛況を呈するに至ったoこの時. ・スクールの平均生徒数は33人であり,その三分の二の学校は40人以下の「ミ Schools Exchange”を創設した--ヴェイ・へニスクール+であった。(88)また"New.

(13) 5 4 3 2. ,000 ,000 ,000 ,OOO. I. ,500 I ,400 I ,300 I. ,200 ‖OO I. ,000 900 800 ア00 600 500 400 300 200. T=859L. !l. I ]970. 1971. 一oo. I 974. T975. 1976. 公立オルターナティヴ・スクールの成長(1968-76) (Changing. 1975, 3: 4, p. 3より). Schools,. バー(HarveyHaber)は「一日に2-3校のオルターナチィヴ・スクールが誕生している が,その平均寿命は18カ月+と推定した。(89) 上の図は,. 1968年から1976年(推定)までの公立オルターナチィヴ・スクールの成長を. あらわしたものである。(40)1970年以降その増加率は急上昇を示しているのであるが,さら に最新の信ずべき情報によれば,. 1977年9月にはその数は10,000校にのぼり,前年の二倍. になった。そして,全国で約15,000の学区のうち5,000学区で,生徒と父兄と教師はオル ターナチイヴ・スクールを選択することができるようになった。(41) 「公立オルターナチイヴ・スクールの発展は,今日のアメリカ教育における唯一の主要 な運動である+(42)とマリオ・ファンティこ(Mario. Fantini)は述べているが,オルター. ナチイヴ・スクールの急増はアメリカの公立学校教育を大きく変えつつあるように思われ る。 注. (1) (2) (3) (4). Holt, Holt, Holt,. John. John. John.. How. Children. Fail.. How. Children. Learn.. The. Underachieving. Pitman,. 1964.. Pitman, School.. 1967. Pitman,. 1970. 1973,. シルバーマン・山本正訳「教室の危機・上+サイマノ}出版会,. (5). Smith,. Ⅴ., Barr, R. &. Burke,. D.. Alternatives. (6). ibid,p.9.. (7). 椙山正弘「アメリカ教育の現実+宙村出版,. in Education.. 1975,. p.21.. p.1.. Pbi Delta. Kappa,. 1976, p. 9..

(14) 47. 公立オルターナチイヴ・スクールの展開. (8). Smith,. (9). children's. V., Barr, R., &. dren's. Defense. Fund,. (10) (ll). Smith,. Ⅴ., Barr, R. &. (12) (13). ibid,p.ll.. D., ibid, p. 9.. Burke,. Fund.. Defense. Children. of School. out. Cambridge,. inAmerica.. Mass.:. Chil一. 1974. Burke,. D., ibid, p. 10.. ibid,p.10.. National. Commission. the Reform. on. York:. Underachieving. of Secondary 1973.. Education.. New. McGraw-Hill,. (14). 泣olt, John.. The. (15) (16) (17) (18). シルバーマン・山本正訳「教室の危機・上+. School,. Education.. Reform. The. of Secondary. p. 119・. p.203. iv-vi・. 1963,pp・. ブ}t'-ナ-. ・鈴木,佐藤訳「教育の過程+岩波書店, シルバーマン・山本正訳「教室の危機・上。 p.205. 同上書, p.202.. (19). 同上書,. (20) (21). ブ}t'-ナ-・平光沢「軒数育の過程。を再考する+現代教育科学,明治図書,昭49,. p.202.. 1月号.. 同上誌. (22). Smith,. (23). ibid,p.21.. Ⅴ., Barr, R. &. (24). ibid, p. 120.. (25). Burger,. (26). Fritz,. M・. Violence. John.. My. Burke,. D.,. ibid, p. 21.. Causes. in the Schools:. Encounter. with. Phi aLnd Remedies・ Canadian Toronto:. Alternatives.. Delta. Kappa・. 1974・. EducationAssociation,. 1975.. (27). Smith,. Ⅴ.,Barr, R. &. (28). pascal, Dolores. (30) (31). Smith,. (32). DeTurk,. optional. and. alternative. D., ibid, p. 28.. BriefingMemo,. EducationAssociation. Philip. H・. P・ S・ 2001:. Kappa,. 1974, p. 15・. Smith,. Ⅴ., Barr, R. &. ibid,p.1.. (35). cremin,. Lawrence. Burke,. A.. NationalCommission Education.. New. Gratlbard,. Allen.. York:. Robinson,. Education:. D., ibid, pp.. McGraw-Hill,. Freethe. No.. 12, September,. 1977. School・. of the PasadenaAlternative. Story. Phi. Delta. D., ibid, p. 28.. the Reform. on. 1972, pp.. The. American. and- Row, 1970. Smith, Ⅴ.,Barr, 良. & Burke,. Vintage,. (39). about. 1977.. V., Barr, R. & Burke,. National. (33) (34). (38). 28-30.. 伊東博監修・人間中心の教育を現実化する会「これが学校だ-アメリカの人間中心の教育 に学ぷ+大阪心理出版,. (36) (37). D., ibid, pp.. Making controversy and Miller, William. Educational Leade和hip, 1975, 33, 1, 14-16・. programs.. (29). Burke,. The. Colonial. New. York:. Harper. 7-8.. of Secondary 1973.. Children:. Experience・. Education・. RadicalReform. and. The. the. of Secondary. Reform. Free. School. Movement・. 40-41・. 0. W.Alternative. schools:. Challenge. to traditionaleducation. ・?. Phi. Delta. Kap-. pan, 1970, 51, 374-375・ (40). (No. (41). (42). for Options. Center. in Public. Education,. indiana. University・. Changing. Schooh,. 1975, 3, 4. 12), p. 3.. National Fantini,. Education Mario.. Association.. Public. School. Brief2'ngMemo, of Choice.. New. No・. 12, September,. York・・ Simon. &. Schuster,. 1977, p・ 1・ 1973・.

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参照

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