著者
伊藤 正範
雑誌名
SHIRON(試論)
巻
49
ページ
19-39
発行年
2014-07-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/57609
The Invisible Man におけるモダン時代の群衆
伊藤 正範
1.モンスターと科学と群衆
港町Burdock にある酒場 Jolly Cricketers の近く、「ひときわ野蛮なラグ
ビーの試合」(“an exceptionally savage game of Rugby football,” 147)を思わ
せる大混乱の中で、倒れ伏した「透明人間」Griffin は、彼を取り囲む人々
の群れによって容赦なく殴られ、踏みしだかれる。H. G. Wells による The
Invisible Man(1897)の終結部、イギリス全土を恐怖で支配しようと目論
んだGriffin は、そうして悲惨な最期を遂げる。
このThe Invisible Man という 19 世紀末の物語には、いくつかの類似型を
見いだすことができる。例えば、同年に出版されたBram Stoker の Dracula
でも、この物語と同様、イギリス社会に潜伏し人々の安寧を脅かすモン スターの打倒がプロットの中心に据えられる。加えて、怪物退治における
科学者の役割という点においても両者は関心を共有している。Dracula に
おいて中世の吸血鬼にただ脅えるしかなかった主人公たちは、科学者Van
Helsing 教授をアドバイザーに迎えることによってようやく対抗する術を
獲得するのだが、The Invisible Man においてもやはり、物語半ばで科学者
Kemp が登場することによって初めて、社会を混乱に陥れてきた透明人間 の正体が自らを実験台とした天才科学者であることが明かされ、同時にそ の弱点が暴き出されていくのだ。
あるいは物語の冒頭、全身をコートや包帯で覆った怪しげな男が小村 Iping に現れ、その謎の正体について住人たちのさまざまな「推理」を喚
起していく様子は、一世を風靡したConan Doyle の Sherlock Holmes シリー
ズに重ね合わせることもできるだろう。とりわけ、その「推理」において 彼が逃亡中の犯罪者かアナーキストではないかと疑われたり、実際に彼が 透明人間として数々の不可思議な事件を引き起こしたりしている――自
らの住んでいたアパートに放火したり、デパートに侵入し盗みを働いた り、牧師館から金を盗み出したりなど――ことを考えると、両作品は当時
の犯罪への関心を通して結びついているとも言える。そして、1887 年の
A Study in Scarlet において初めて登場した Holmes が、病院の実験室で化
学実験を行う研究者として提示されていたことも忘れてはなるまい。1 「論
理家は一滴の水から大西洋やナイアガラが存在する可能性を推論すること ができる」(“From a drop of water . . . a logician could infer the possibility of an Atlantic or a Niagara,” 18)と言ってのける Holmes とは、いわば当時の最新
科学の実践者であり、Van Helsing と同様の天才科学者なのだ。
だが、これらの物語とThe Invisible Man の間には一つの決定的な違いが
ある。Dracula において命を賭してモンスターを倒すのは、Van Helsing と
恋人Mina を救わんとする主人公の Harker たちであるし、Doyle のシリー
ズにおいて卓抜した頭脳をもって犯罪者を追い詰めていくのは、もちろん
我らが名探偵Holmes である。両者に共通するのは、怪物退治であれ犯罪
者逮捕であれ、勝利するのは必ず〈個〉としてのヒーローであり、その勝 利がそのまま科学の勝利へと、言い換えれば社会的諸問題の解決に際して の科学の有用性の証明へと直結していく点である。
他方、The Invisible Man で透明人間を打ち負かすのは、科学者の Kemp
でも警察のAdye 大佐でもない。Kemp の密告を受けて Griffin を捕らえ
にやってきたAdye は、あっけなく彼の銃弾に倒れてしまうし、怒りの
Griffin に追い回される Kemp は、姿の見えない相手から命からがら逃げま
わるのが精一杯という体たらくだ。だがKemp が Burdock の町中まで逃げ
のび、「鉄道馬車の御者と助手」(“The tram driver and his helper”)、「人夫た
ち」(“navvies”)の前を、さらには通りに立ち並ぶさまざまな店舗や家屋 の前を走り過ぎたとき、形勢は逆転する(145-46)。逃走劇を見た人々が、 群れをなして後を追ってくるのだ。さしもの透明人間も数の力には勝て ず、結局「大柄な人夫」(“a huge navvy”)のスコップによる一撃に倒れ伏 したGriffin は、取り囲む人々から容赦のない暴行を浴びせられ、ついに 息絶える(146-47)。そして、なおも人が集まり「群衆の圧力を大きくする」
(“increase the pressure of the crowd”)中、彼の死体はもとの姿を徐々に現し
ていくのだ(147-48)。このように、The Invisible Man において怪物・犯罪
者打倒の主役になるのは、突如登場した名もなき群衆である。個々の科学 者たちではなく、群衆が最終的解決をもたらすこの物語において、科学は
決ももたらしていないように見えるのである。
なぜこのテクストにおいて群衆はこれほどまでに前景を占めるのだろう か。実際、この場面に限らず、群衆は物語の要所において繰り返し登場す る。というより、そうなるよう意図的に仕組まれているのだ。例えば物語
の前半、Iping にて Griffin が初めて正体を明かし、逗留中の宿屋 Coach and
Horses から逃走する場面において、Wells はわざわざ聖霊降臨祭翌日の月
曜日(“Whit Monday”)の正午近くという日時設定を用意する。2 それによっ
て彼の逃走劇は、単なる小村の住民だけではなく、初夏の陽気のもと祝祭 に集まってきた大勢の人々や、近くで屋台を設営するジプシーたちを巻き
込んだ大騒動となるのだ(34-44)。そしてその同じ群衆は、Griffin が研究
ノートを取り戻しにCoach and Horses へと舞い戻った際、再び登場する。
ノートを奪って逃げるGriffin を追いかける人々の群れで周囲は大混乱に 陥り、透明人間再来の恐怖は鮮明に印象づけられるのである(56-60)。 加えて、Griffin 自身が回想において語る透明人間としての経験談の中に も、群衆は頻繁に登場する。そもそも、実験に成功し透明人間となった Griffin の「見えない」姿は、ロンドンの雑踏において弊害しかもたらさ ない。通りに出るなり「ソーダ水の瓶を入れたバスケットを運ぶ男」(“a
man carrying a basket of soda-water syphons”)に激しくぶつかってこられた Griffin は、腹いせにそのバスケットを奪って放り投げたせいで、人々の
群れに囲まれてしまうのである(103)。「群衆のなかに押し込められ、結
果的に見つかってしまう」(“wedged into a crowd and inevitably discovered”)
ことを恐れたGriffin は、かろうじてその場を逃げ出すものの、続いて向
かったOxford Street にて再び「人々の流れ」(“the stream of people”)に巻
き込まれ、足をさんざん踏みしだかれた挙げ句、辻馬車の軸棒に打ち当 てられてしまう(103-4)。這々の体で歩みを進めた先で彼が出会うのは、 赤シャツを着て旗印を掲げ、賛美歌を歌いながら向かってくる「救世軍」 (“Salvation Army”)の巨大な行進である。3 近くの家の上がり段に駆け込み、 行進が通り過ぎるのをじっと待つものの、結局彼の泥まみれの足跡に気づ いた通行者たちの群れに追い回される羽目になる(105-7)。 このように、透明人間となったGriffin には、その死の瞬間に至るまで 常に群衆がつきまとう。もちろん、テクストにおいて透明人間という存在 を効果的に提示するために、群衆は都合のよい道具立てであったかもしれ ない。Griffin を前にして逃げ惑う群衆や、群衆に圧倒される Griffin の描写 を通して、透明人間の脅威や弱さが効果的に提示されるからだ。だが、テ
クスト全体を支配する群衆の存在感や、終末部における本来の主役たちを も凌駕するほどの群衆の活躍を見ると、それだけでは十分な説明がつかな いのである。
しかしながら、群衆そのものが当時の科学的関心の大きな的であったと
したらどうだろうか。あるいはThe Invisible Man というテクストが、そう
した関心を検証するための一大実験場であったとしたらどうだろうか。透 明人間という存在を19 世紀末の社会に投げ込むことによって見えてくる のは、群衆の脆弱さであると同時に、その強大さである。道具立てとなっ ているのは群衆ではない。むしろ透明人間を道具立てとすることにより、 Wells は、モダン社会における群衆という不安定な、しかし恐るべき力を「科 学的に」解剖しようとしているのではないか。だとすれば、不在のように 見える科学の決定的解決力への関心は、実は群衆の表象を通して、テクス トを終始支配していることになるのである。 本論では、これ以降、テクストにおける群衆表象の背後にGustave Le
Bon による当時の群衆心理学を透かし見ることによって、Wells が The Invisible Man においてどのような「群衆科学」を提示しているかについて 明らかにしていく。同時に、当時の労働運動の発展による群衆の社会的位 置づけの変容が、モダン時代の小説テクストの形成にどのような影響を与 えているのかを探っていく。
2.科学教育は透明人間を良き隣人とするか?
周知のように、Wells と科学の間には深い関係がある。労働者階級の出 自を持ちながらも科学分野において才能を発揮したWells は、政府の奨学金を得てNormal School of Science(後の Imperial College of London)に進み、
当時のダーウィニズムの急先鋒、T. H. Huxley のもとで生物学と動物学を
学ぶ。科目試験不合格により退校の憂き目に遭うものの、後に成績優秀に
てUniversity of London の理学士を取得した Wells は、1895 年の The Time
Machine 出版によって、一躍、空想科学小説の旗手として知られるように
なる(Murray 15-38、Wagner 9-14)。
だが、そういうWells は果たして科学にどれほどの期待を抱いていたで
あろうか。デビューから続けて出版された二編の小説を見る限り、少なく
り着いた科学者が目にするのは、中産階級と労働者階級に分かれ退化した
人間の姿であるし、The Island of Doctor Moreau(1896)の主人公が出会う
のは、孤島で動物改造実験を繰り返す狂気の科学者である。続いて出版さ
れたThe Invisible Man もまた例外ではない。これまでもしばしば認められ
てきたように、透明人間というモンスターと化したGriffin の悲劇は、前
二作と同様の暗い科学観をテクストに持ち込んでいるように見えるのであ る。4
他方で、この小説を通してWells が科学教育の重要性を訴えていると
主張するのはSteven McLean である。例えば、最初の舞台 Iping において
Griffin が奇異なよそ者として孤立してしまうのは、住民に十分な科学的知 識が備わっておらず、それゆえに彼の正体についての正しい「帰納的推論」
(“inductive reasoning”)が行われなかったからだというのだ(70)。Griffin
の〈見えなさ〉とは、時代を追うごとに増しつつある科学の不可視性とイ コールのものであり、彼が社会的アイデンティティを獲得できなかったの
は、共同体が「最も初歩的な科学的思考様式」(“the most elementary modes
of scientific thinking”)さえ理解していなかったからだと McLean は分析す
る(75)。そして、Wells がこのテクストを通して主張しているのが―― 1894 年に出版された彼の論説のタイトル通り――「科学を大衆化する」 (“Popularising Science”)必要性であったというのである(77)。 しかし、仮に村人たちに正確な科学的知識が備わっていたとして、果た して彼らはGriffin の正体を正しく見抜き、理解と共感を寄せ、共同体の 一員として迎え入れることができたであろうか。実際、Griffin が Iping に おいて孤立するのは、彼が科学者として行っている怪しげな実験のせいだ けではない。全身を包帯で覆い、大きなサングラスをまとった、まるで「ロ ブスターのような」(“like a lobster”)異様な出で立ち(12)、日中はほとん ど外出せず、夜な夜な出歩いては出くわした村人を脅えさせるという奇妙 な行動パターン(22)、慢性的に苛立ち、すぐにかっとなっては粗暴な振 る舞いをするという性質(21, 25)――そのどれをとっても、村人に彼を 隣人として好意的に受け入れる気にさせてくれるものはない。 そもそも、Griffin の怪物性とは本質的に社会と相容れないものなのであ る。ここでの「怪物性」とは身体的なものを指しているのではない。「た
だ人を傷つけることの満足」(“the mere satisfaction of hurting”)のために拳
を振るい(60)、父親が他人から預かっていた金を自らの野心のために盗
のない老婆の愛猫をためらいなく生体実験に用い(96-97)、実験の成功と ともに自らのアパートに火を放ち(102)、深夜のデパートで略奪行為に興 じ(108-13)、ついには殺人まで犯す(131-32)――そういう Griffin の内 在的性質そのものが、社会にとって怪物的な要素なのだ。「見えない人間」 というのは単なるメタファーにすぎない。夜霧に包まれるイーストエンド で常軌を逸する殺人を重ねた「切り裂きジャック」や、正体を隠し、夜陰 に紛れて爆弾を仕掛けるフィニアン団やアナーキストたちによって脅かさ れていた19 世紀末のイギリスにおいて、Griffin の「見えなさ」とは、社 会に潜伏し、その安寧を脅かす退行的要素(degeneration)そのものを体現 しているのである。 だから、仮にMcLean の言うように共同体に科学的な思考様式が備わっ ていたとしても、Griffin と共同体が和解できたとは言いがたい。退化論と いう当時の「科学」の旗手、Cesare Lombroso(1836-1909)も、犯罪者の 身体的特徴に潜む退化者としての生来的性向を可視化することによって、 彼らと和解しようとしたわけではない。むしろ社会の安定的存続にとって 脅威となり得る因子を「見分ける」ことによって、あらかじめ排除しよう としたのだ。Griffin とは社会のパラノイアの集約点であって、決して和解 可能な存在ではないのである。
3.Le Bon の群衆心理学
ではやはり、この小説は、Griffin という狂気の科学者像を通して、科学 に対するWells のペシミズムを提示しているというのだろうか。性急に答 えを出す前に、私たちは、このテクストのそこかしこで姿を見かける群衆 が、実は当時の最新科学によって熱いまなざしを向けられる対象であった ことを知る必要がある。 フ ラ ン ス の 社 会 心 理 学 者Gustave Le Bon(1841-1931) が、 著 書 Lapsychologie des foules (1895) に お い て、 来 た る べ き 世 紀 を「 群 衆 の 時
代」(“ERA OF CROWDS”)と呼び、群衆心理の解剖を試みたのは、The
Invisible Man 出版の二年前のことであった(Le Bon x)。フランス革命に続
いて1871 年のパリコミューン蜂起を経験し、群衆に対する不安が高まっ
ていたフランスにおいて、群衆理論はすでに科学としての十分な位置づけ
ストセラーとなり、翌年にはイギリスにおいて英訳The Crowd: A Study of
the Popular Mind が出版されるに至る(McClelland 138, 196-203)。6
J. S. McClelland が指摘するように、この Le Bon の理論は、群衆を野蛮・
原始状態への回帰とみなしたHippolyte A. Taine(1828-93)の理論に大きく
依拠している(134-35, 138)。7 先述の Lombroso もまた、Taine に対して「ダー
ウィンと並ぶ私の唯一の師」(“the only master I have had besides Darwin”)
と明言するほどの敬意を寄せながら、当時一世を風靡することになる自ら の退化論を、Taine の群衆理論を下敷きに構築している(Ginneken 63)。言っ てみれば、Wells が繰り返し――わざわざ祝祭日をぶつけてまで――The Invisible Man に登場させる群衆とは、ダーウィン以後、文明の退化への危 惧を推進剤として目覚ましい発展を遂げてきた社会進化論的科学が、まさ にその関心を向けていた事象だったのである。 さて、法や制度は群衆に対して無力であると主張するLe Bon の最 大の関心は、自らの理論を通して、いかに「現代の立法者」(“modern legislators”)が群衆に対して適切なコントロールを及ぼすかという点にあっ
た。そのために強調したのが「群衆の心理」(“the psychology of crowds”)
を理解することの必要性である(xiv-xv)。Le Bon によると、群衆心理は、
それを構成する個々の人間の心理とはまったく異なる形で作用するとい う。
When studying the fundamental characteristics of a crowd we stated that it is guided almost exclusively by unconscious motives. Its acts are far more under the influence of the spinal cord than of the brain. In this respect a crowd is closely akin to quite primitive beings. . . . A crowd is at the mercy of all external exciting causes, and reflects their incessant variations. It is the slave of the impulses which it receives. (11)
「ほぼ例外なく無意識的な動機によって導かれ」、「脳ではなく脊髄の影 響下で行動し」、「きわめて原始的な存在に近く」、「あらゆる外的な刺激要 因によって左右され」、「それらの絶え間ない変動を反映し」、「衝動の奴隷
である」――このような群衆を、私たちはまさにThe Invisible Man におい
て透明人間と繰り返し対峙する人々の群れに見いだすことができる。
未明の幽霊騒ぎの後、Griffin が立てこもる宿屋 Coach and Horses の前に
は「怖がりながらも好奇心に駆られた人々」(“scared but curious people,”
がパニック状態で駆けだしてくると、群衆はさらにその数を増やしていく。 Forthwith everyone all down the street, the sweetstuff seller, coconut-shy proprietor and his assistant, the swing man, little boys and girls, rustic dandies, smart wenches, smocked elders and aproned gipsies, began running towards the inn; and in a miraculously short space of time a crowd of perhaps forty people, and rapidly increasing, swayed and hooted and inquired and exclaimed and suggested, in front of Mrs Hall’s establishment. Everyone seemed eager to talk at once, and the result was Babel. (37)
さまざまな職業、性別、年齢、民族からなる群衆――Iping では先述のよ うに聖霊降臨祭が開かれている――が一斉に宿屋に向かって駆けだし、急 速にその数を増やしながら、銘々ばらばらのことを話し始めるのである。 「バベル」と形容されているこの群衆は、Le Bon が自らの研究の主対象で あると明言する「異種混交の群衆」(“Heterogeneous Crowds,” 101)そのも のだ。8 人々の集団は、理性というより、自らの眼前にある刺激要因によっ て無意識的に支配され、変動し続ける状況にただ衝動的にしか対応しな い。結果、すべての衣服を脱ぎ捨てたGriffin に翻弄され、パニックに陥 る(Invisible Man 40-41)。 こうした群衆が最大の敗北を喫するのが、Griffin 再来の場面である。そ の日のうちにIping に舞い戻ってきた Griffin は、途中で仲間に引き込んだ
浮浪者Marvel の助けを借りて、Coach and Horses から自らの三冊の研究ノー
トを取り戻して逃走する。再び界隈が騒ぎに巻き込まれる中、Griffin を追
う「非常に多くの急ぎすぎの人々」(“quite a number of over-hasty people,”
58)は、路上に転ばされた者たちを蹴飛ばし、罵りながら行き過ぎる。興
奮状態に置かれた群衆は、Le Bon の言う「あまりに衝動的かつ流動的であ
るがために道徳性を失った」(“too impulsive and too mobile to be moral,” 27)
状態にあり、原始時代から受け継がれてきたと彼が主張する「野蛮で破壊
的な本能」(“savage, destructive instincts,” 27)を示している。にもかかわら
ず、そうした「本能」はGriffin 捕獲の助けになるわけではない。怒り狂っ
た彼の反撃に怯んだ群衆は、大混乱の「敗走」(“rout”)状態に陥り、通り
は「走る人々で一杯に」(“full of running figures”)なるのだ(Invisible Man
4.思索にふける Kemp
しかしながら、この小説における群衆は、後半に至ってまったく異なる 様相を呈し始める。Kemp を味方に引き込んだつもりの Griffin が、彼の裏 切りに気づき、来訪した刑事のAdye と二人の警官を振り切って Kemp 宅 を逃げ出した後のことである。Griffin が身を隠した正午頃から、再び行動 を起こすまでの二時半までの時間を、語りは、彼にとっての「致命的な不 活動」(“a fatal inaction”)であったと表現する(129)。その間に何が起こっ ていたというのか。田園地帯で繰り広げられているのは、「どんどん数を増していく人々の群れ」(“a growing multitude of men”)が、透明人間の捕
獲を目指してあちらこちらに散らばり、「忙しくしている」(“busy”)光景
である(129)。
In the morning he had still been simply a legend, a terror; in the afternoon, by virtue chiefly of Kemp’s drily worded proclamation, he was presented as a tangible antagonist, to be wounded, captured, or overcome, and the countryside began organizing itself with inconceivable rapidity. By two o’clock even he might still have removed himself out of the district by getting aboard a train, but after two that became impossible. Every passenger train along the lines on a great parallelogram between Southampton, Winchester, Brighton, and Horsham, travelled with locked doors, and the goods traffic was almost entirely suspended. And in a great circle of twenty miles round Port Burdock, men armed with guns and bludgeons were presently setting out in groups of three and four, with dogs, to beat the roads and fields. (129-30; emphasis added)
「信じられないほどの素早さで組織化された」人々の集団は、すべての列 車の車両に鍵をかけ、貨車の運行を止めるという手立てに加え、犬を連れ て周囲20 マイルの一円にある道路や草地を一斉に叩いて回るという策を もって、透明人間を追い詰めていく。それによって、「伝説」であり「脅威」 であったはずの透明人間は、たった数時間のうちに、「傷を負わせ、捕らえ、 制圧することのできる見える・ ・ ・敵」へと変じてしまったのである。 そのきっかけとなったKemp の「冷淡に表記された布告」にはいったい 何が書かれていたのだろうか。Griffin が逃げ出した直後の Adye との会話 や、その後の討伐隊の行動から推測するに、透明人間の――犬を苦手とす ること、未消化の食べ物が見えるゆえに食後は隠れていなくてはならない
ことなどといった――さまざまな弱点が含まれていたであろうことは想像 に難くない。王立協会のフェローとなるべく、顕微鏡や培養菌や試薬に囲 まれて日夜研究に勤しみ、それがゆえの「観察眼を備えた」(“observant”) 科学者Kemp ならではの発見である(70, 77)。 だが科学者としての彼の関心は、そうした自然科学的な事象だけに向け られているのではない。港町Burdock で、逃げ出した浮浪者 Marvel を追っ てきた透明人間が最初に騒ぎを起こしたとき、高台に住むKemp は、下の 町から響いてくる銃声――現場に居合わせたアメリカ人による拳銃の発射
音――を耳にしながら、「丘の下に群衆がいるようだ」(“Looks like a crowd
down the hill”)と独りごち、遙か遠景を見やりながら思索にふける。ここ で彼はいったい何を考えているのだろうか。しばしのち、語りがそれを明 かしてくれる。
After five minutes, during which his mind had travelled into a remote speculation of social conditions of the future, and lost itself at last over the time dimension, Doctor Kemp roused himself with a sigh, pulled down the window again, and returned to his writing-desk. (76)
群衆をきっかけとして彼が遠く思いをめぐらせているのは、「未来の社会 的状況」だというのだ。群衆と未来――この二つにいったいどのようなつ
ながりがあるというのだろうか。実際、その答えは作者であるWells 自身
によって、テクスト外で示されている。
実はこの時代、未来を思索することにかけてWells の右に出るものは
いなかった。デビュー作The Time Machine において階級分化が進行し
た80 万年後のディストピアを描いた彼は、短編 “A Story of the Days to
Come”(1897)や When the Sleeper Wakes(1899)においてその前史とも
言えるような200 年後のロンドンを描き、さらには The Shape of Things to
Come (1933)において第二次世界大戦の勃発と、戦後の荒廃した世界を
予示してみせる。9 その Wells が 1901 年に発表した論説 Anticipations of the
Reaction of Mechanical and Scientific Progress upon Human Life and Thought は、群衆と未来について、ひとつの特徴的なヴィジョンを提示している。 Wells が思い描くのは、通信手段の世界的な拡大と高速化に伴い、町や田 園地帯が消失し、地域社会というものが存在しなくなった未来である。そ うした世界においては、従来の階級区分は消え去り、結果として社会は「融
同時にWells は、そうした大衆が、かつてのように個人の扇動政治家によっ て操られるのではなく、また権威のある新聞によって一定の意見形成に導 かれるのでもなく、むしろ安価な大衆紙の扇情的な記事によってただ興奮 を掻き立てられ、感情的要因のみによって不特定の方向に動かされるだけ
の、混沌とした大衆へと変容していくと予言する(172-75)。
The Invisible Man の舞台となっているのは、まさにそうした未来の前駆
となるような世界である。そのことは、Iping への二度目の来訪に際して、
自らの研究ノートを奪い返すことに成功したGriffin が、村の「電信線を切っ
て」(“cut the telegraph wire,” 60)逃げる様子に見て取ることができる。な
ぜ彼はわざわざそんなことをしなければならなかったのだろうか。その理
由は、この直後、研究ノートを持ち逃げしようとしたMarvel を叱責する
彼の台詞から推し量ることができる。
‘It’s bad enough to let these floundering yokels explode my little secret, without your cutting off with my books. It’s lucky for some of them they cut and ran when they did! Here am I—No one knew I was invisible! And now what am I to do?’
‘What am I to do?” asked Marvel, sotto voce.
‘It’s all about. It will be in the papers! Everybody will be looking for me; everyone on their guard—’ The Voice broke off into vivid curses and ceased. (61-62)
Griffin が恐れるのは、Iping の住人が自らの「小さな秘密」を暴露し、結 果的に新聞を介して透明人間の存在が世間に知れ渡ってしまうことであ
る。「見えない人間とは力を持った人間だ」(“An invisible man is a man of
power,” 48)とうそぶく Griffin にとって、それは最大のアドバンテージを 失ってしまうことに他ならない。だからこそ彼は、電信線を切ることによっ て情報の拡散を防ごうと、あるいは少なくともその拡散のスピードを遅ら せようとしたのだ。全土に電信網が張り巡らされ、Iping のような小村で 起こった事件さえ、間を置かずして人々が共有することのできる19 世紀 末のイギリスとは、Wells の予言する、通信手段の拡大によって地域ごと の区分が消失し、「融解した大衆」によって占められるようになった未来 世界に限りなく近づいている。Griffin は、自らが戦いを挑み、支配しよう としているのがそうした大衆であることを、十分に自覚しているのである。 しかし、事態はどんどんGriffin の恐れる方向へと進んでいく。翌朝、再
び逃走を図ったMarvel は、港町 Port Stowe で新聞を手にした老水夫と出
会う。「新聞にはたまげるようなことが載ってたりするもんだ」(“There’s
some extraordinary things in newspapers”)――そう言って、老人が語り始め
るのは、「透明人間」がIping で起こした騒動の顛末である。彼が Coach and Horses に滞在していたこと、口論沙汰となって彼の正体が露見したこ と、人々が彼を捕らえようとしたが取り逃がし、警官が重症を負ったこと ――つい先ほどまで透明人間と行動をともにしていたMarvel ですら知り 得なかったそれらの詳細を、一介の、文字を正確に読むこともできない水 夫が、驚くべき正確さをもって語るのである(64-67)。11 19 世紀末のイギ リスにおいて、すでに通信の拡大・高速化と、それに伴う大衆による情報 共有は、Griffin の想定する域を超えて進行しているのだ。 窓から眼下の群衆を見やるKemp が、具体的にどういう未来について思 いを巡らせていたかはわからない。しかし、その後のGriffin への対応に 際して彼が決定的に重視するのは、まさにこの情報と大衆である。透明人 間となって現れたかつての学友に、驚きながらも自室を貸し与えたKemp は、疲労困憊の彼が深い眠りに落ちる間、むさぼるようにその日の朝刊 と夕刊を読みあさる。そして眠れぬまま朝を迎えた彼は、新しく届いた
朝刊に目を通した後、「ありとあらゆる朝刊紙」(“every one of the morning
papers,” 87)を召使いに買いに行かせるのだ。彼が読んでいるのは、もち
ろんGriffin が Iping と Port Burdock で起こした騒動の記事である。そう
やって透明人間に関するひととおりの情報を手に入れたKemp は、おもむ ろにAdye に手紙をしたためる。Griffin を裏切り、警察の手に引き渡す決 意を固めたのだ。結局Adye の来訪を Griffin に感づかれ、逃走を許すのだ が、Kemp は Griffin を捕らえるための妙案を次々に考え出していく。粉々 にしたガラスを道に撒くなど、透明人間の弱点をことごとく突いた作戦は、 Adye をして「スポーツマンらしくない」(“unsportsmanlike,” 128)と言わ しめるものの、例の「布告」を通じて情報を拡散し、大衆を作戦の要とす ることに成功した彼は、Griffin を確実に追い詰めていく。 このように見てみると、終末部の群衆は、偶然の成り行きで形成された ものなどでは決してないのだ。Frank McConnell は、この群衆を単なる「暴 徒」(“mob”)とは異なる「集団」(“group”)とみなしながら、暴力性を留 めつつも力を結集して社会的脅威に立ち向かうという点において、人間が 種として生存していく上での最大の――望ましいものではないにしろ、少 なくとも透明人間の現実離れした知性や強欲さよりもましな――可能性で
あると分析する(118-19)。しかし McConnell が見落としているのは―― そしてここで最も重要なことは――この群衆が単に自然発生的に生じたも のではなく、Kemp の「布告」を通してあらかじめ入念に準備されたもの だという事実である。それがゆえに、本来であれば、物語前半と同様、烏 合の衆と化すはずの群衆は、その力を社会秩序の保全という一つの目的に 差し向けることができるのだ。言ってみれば、この群衆はKemp の情報戦 略の最大の成果なのである。 確かにGriffin という存在だけに注目すると、この小説を通して提示さ れる科学のイメージは決して明るいものではない。当時最先端の――光の 屈折作用やレントゲン線などといった――科学的知見の延長線上に生み出 された透明人間という怪物は、社会にとっての脅威になりこそすれ、益と なることはない。前二作から引き継がれた暗い科学観は、当時のイギリ ス文壇からとりわけ大きな期待を科学に寄せ続けたWells の伝記的人物像 と、容易に合致しないのである。もちろん先述のMcLean のように、そこ にWells 自身による科学的思考の普及への主張を読み取れば、一見して矛 盾は解消する。しかしそれは到底このテクストの本質を突いたものとは言 いがたい。もしWells の科学的関心がテクストの核をなしているのだとす れば、それはGriffin というキャラクターを通してではないのだ。このマッ ドサイエンティストの暴走が科学の危険な反社会性を浮き彫りにする一方 で、もう一人の科学者Kemp は、時宜を得た群衆管理を通して科学の力を 社会のために役立ててみせる。言い換えれば、この二人目の科学者を通し て、テクストは――McLean の主張とはまったく異なる形において――科 学的思考がモダン社会と取り結ぶべき理想的な関係を提示しているのであ る。
5.労働運動と群衆
では、そのモダン社会、すなわち19 世紀末のイギリス社会とはどのよ うなものであったか。そしてそこにおいて、現実の群衆はどのような変化を経験していたのか。それこそがThe Invisible Man というモダンのテクス
トを読み解く最後の鍵になる。
当時の群衆における最大の変化が訪れたのは、おそらくロンドン東部の
港湾労働者を中心にして起こった、Great Strike と呼称される大規模スト
当としての時給8 ペンス、最大労働時間の設定などを求めたドック作業員
たちのストライキは、Benjamin Tillet、Tom McCarthy、Tom Mann の三人の
リーダたちによって率いられ、他の港湾労働者たちの参加を得ながら、前 例のない規模へと発展していく。デモンストレーションの参加者はピーク
時に10 万人を数え、最終的に 5 週間にわたった闘争の後、ついに労働者
たちは自らの要求のほとんどをドック会社側に認めさせることに成功する
(Coates and Topham 55-67、Pelling 94-96)。いわば彼らの完全勝利と言って
よい結果であった。12
もちろん、イギリスで労働者による大規模なストライキが起こったのは
これが初めてではない。1842 年には、スタフォードシャーとウォリック
シャーで始まった炭鉱夫と鉄工員のストライキが各地に飛び火し、ランカ シャーやマンチェスターの綿工業などを巻き込んだ全国的な運動へと発展
していく(Morton and Tate 92)。13 暴動による逮捕者が 1,500 人を数え、主
導者の海外逃亡で幕を閉じたこの闘争自体はむしろ失敗と言ってよい結果 であったが、労働者たちも常に敗北していたわけではない。1872 年には、 Great Strike と同様、ロンドンの港湾業においてストライキが発生し、賃金 と労働環境の改善を雇用主側に認めさせることに成功している。労働者た ちが勝利の美酒を味わったという点では、Great Strike は特に目新しいもの ではないのだ。 しかしながら、John Lovell が論じるように、1872 年と 1889 年の港湾ス トライキの間には一つの大きな相違がある。それはパブリシティーの差 だ。1872 年のストライキが大衆からの注目をほとんど集めることなく、 従って局部的な運動にとどまったのに対し、1889 年の Great Strike は周囲 の他職種を巻き込んだ上、闘争の規模が拡大するのに比例してイギリス全 土から大きな関心を集め、ついにはオーストラリアから多額の支援金を 受け取るにまで至る(Lovell 92, 110)。当時の新聞や定期刊行物に当たっ てみると、リベラル派はもちろんのこと、保守派の媒体までもが概して労 働者たちに共感的な記事を掲載していることに気づく。14 例えば 8 月 26 日 付Times の社説は、ドック労働者たちが「彼ら自身にとって可能な限り
最良の条件を手にする完全なる資格がある」(“perfectly entitled to make the
best possible terms for themselves”)と述べ――要求に多少の不合理性があ ることを指摘しつつも――「主要な点において世間の共感が彼らと共にあ
る」(“upon the main issues public sympathy is with them”)ことを認めている
た、労働者側の主張に深い理解を示しながら、彼らが適切なリーダーシッ
プのもと整然と行動する様子が「終始見事であった」(“from first to last was
admirable”)と述べ、「これほど徹底して穏やかで秩序だった群衆は、実際
これまで見たことがない」(“A more thoroughly good-tempered, orderly crowd,
in fact, was never seen”)と賞賛している(“Dock Strike” 543)。ドック労働 者の賃上げがドック使用料の増額に直結する――すなわち船主側の負担が 増大する――可能性があったことを考えると、後者の記事は特に注目に値 するだろう。15 このように、群衆が、単なる無秩序な混乱としてではなく、理性的な行 動者として世論を味方に付け、社会全体を動かすほどの影響力を行使でき ることを強く印象づけたのが、1889 年のストライキであった。特にこの 時代のドック労働者とは、港湾関連の職種の中でも最下層に属する人々で あった。16 いつありつけるかわからない仕事を求めて一日ドック周辺にたむ ろし、技術や熟練を要さない単純労働にて最低水準の日銭を稼ぐ彼らは、 蔑みの目で見られることも多かったのである。17 先に言及した 8 月 26 日付 Times の社説では、そうした彼らが示した新しい力に対する意外の念が表 明されている。
Until the other day the casual dock labourer occupied one of the most despised categories of labour. Possessing neither skill nor physique, he was considered incapable of bettering his condition by combination, as so many more favoured workmen have done. . . . The lesson of their success, as far as it goes, is to show that, although unskilled labourers, whose numbers are far in excess of the work, cannot combine effectively by themselves, they may be enabled to obtain what they want by a powerful alliance. The dock labourers have found allies in the stevedores, lightermen, carmen, and the hundred and one kinds of workmen that are necessary to shipping traffic. (Times 26 Aug. 1889: 7) 明らかに社会の上層に属していると思われる書き手が――おそらく渋々な がらではあるが――評価するのは、「熟練」を持たないドック労働者たちが、 他の港湾労働者と結託することによって予想外の「成功」を果たしたとい う事実だ。 そうした集団としての非熟練労働者の新しいあり方こそが、透明人間を
れているものなのである。Henry Mayhew が London Labour and the London Poor において述べているように、当時の人夫(navvy)もまた、ドック労 働者と同様、徒弟としての修養を経ずになれる非熟練労働者であり、とき に浮浪生活を送りながら社会の底辺で生きる人々であった。(20-21, 138)。18 そうした彼らが、鉄道馬車の運転士や車掌、近隣の店主たちからの連携を 得て、民衆を抑圧する暴君を打ち倒すという筋書きは、まさに1889 年の 港湾ストライキと重なり合う。ここに見られる群衆の姿は、従来のヴィク
トリア朝小説に登場する――Charles Dickens, Barnaby Rudge(1841)におけ
る殺人や自死をも厭わない暴動参加者たちや、Elizabeth Gaskell, North and
South(1855)における、怒りのままに暴走し、結果的に女性を傷つけるス トライキ参加者たちのような――単純な狂気や混乱としての群衆とは一線
を画する。言ってみれば、The Invisible Manという〈群衆の物語〉の背後には、
労働運動の発展を経て社会の中で新たな力と位置づけを獲得しつつあった 19 世紀末の労働者の姿があるのである。 そこにおいて、もはや〈個〉の物語は消失すべく運命づけられている。 Griffin が自ら語る過去においてほんのわずかに垣間見える、彼の人間とし ての物語――自らが引き金となった父親の自害や、故郷での幼なじみの女 性との再会といった、本来であれば彼の人間性を掘り下げてくれるはずの エピソード――は、彼の社会との決別によってそれ以上の発展を見ること なく終わり、代わってモンスターとしての彼と群衆との対峙の物語がテク
ストの中心を占めていく。Griffin を打ち倒す Kemp 自身ですらも、Griffin
とともにユニバーシティー・カレッジで学んだという過去と、王立協会 のフェローを目指しているという現在がわずかに語られるのみで、その個 人としての物語にそれ以上の光が当てられることはない。このようにして The Invisible Man というテクストは、来たるべき「群衆の時代」を前に、 小説が脈々と受け継いできた〈個〉への関心を保留し、群衆の新しい可能 性に身を委ねるのだ。
6.モダン時代のダイナミクス
しかし、The Invisible Man は同時に、小説が完全に〈群衆の物語〉には
なりきれないことも示している。倒れたGriffin に群衆がなおも執拗な攻撃
a sound of blows and feet and a heavy breathing,” 147)が響きわたる――様子
には、ある種の戦慄を覚えさせるものがある。彼らは、Griffin 自身の救い
を求める叫びと、それに続くKemp の「下がれ馬鹿者ども!」(“Get back,
you fools!”)という声を耳にしてようやく退くのだが、大柄の人夫はなおも、 「奴はごまかしているだけだ」(“he’s shamming”)と戦意を収めようとしな い(147)。Kemp の統制を離れて暴徒化しかけた群衆は、物語の最終的な 解決役というよりはむしろ、我を失いただ暴力に喜びを覚える、いわゆる Le Bon の定義づける「退化」した群衆へと回帰してしまっているのだ。 さらに、Wells は後にこの終末部に加筆を施すことによって、一旦は彼 自らが群衆の手に委ねた小説を、再び〈個〉の領域へと取り戻そうとして
いる。1897 年の 6 月から 8 月にかけて Pearson’s Weekly に掲載された The
Invisible Man の連載版では、死んで姿を現した Griffin の体に群衆が覆いを
かけ、Jolly Cricketers に運び込むところで物語の幕が下りる。そして、同 年9 月に出版された書籍版においても、そのエンディングは大きく変わっ ていない。しかし同年11 月に出版された第 2 版では、Wells によって新た に書き加えられたエピローグが巻末を占めている(Lake xxix-xxxi)。そこ で語られるのは、浮浪者Marvel が、事件の語り部として得た金で「透明 人間亭」なるパブを開き、客に得意げに透明人間のことを話して聞かせる 一方、夜な夜な鍵のかかった戸棚からGriffin の三冊のノートを取り出し ては、ジンのグラスを片手にためつすがめつ眺めるという後日譚である。 Griffin に隷従を強いられては逃げだし、逃げ出しては捕まり、その豊かな 表情をもって物語のコミック・リリーフを担ってきたMarvel には、そもそ もGriffin や Kemp にはない人間性や生の躍動感が宿っている。19 その彼が、 Kemp たちが血眼になって探すノートをちゃっかりと隠し持ち、暗号で書 かれた内容を理解することもないまま、盃を傾けながら眺めまわすのだ。 Marvel の人間的魅力が輝きを放つこの新しいエンディングには、一旦は群 衆に譲り渡した小説というジャンルを、再び〈個〉のもとに回帰させよう とする力が満ちている。
群衆への不安と〈個〉への揺り戻し――これらがThe Invisible Man と
いう19 世紀末のテクストを完成させる最後のピースとなる。ここで思
い起こさなければならないことが一つある。透明人間になったばかりの Griffin がロンドンの街角で救世軍の行進に遭遇したときのことだ。旗印を 掲げ、賛美歌を歌う人々が押し寄せてくるのを見て、彼は咄嗟に「この
not hope to penetrate,” 105)という思いを抱く。そして The Invisible Man か
ら10 年、Joseph Conrad の The Secret Agent(1907)において、アナーキス
トのProfessor は、ロンドンの無数の人波をかき分けながら歩みを進める。
「侵されることのない数の力」(“The resisting power of numbers”)、「攻撃を
受け付けない夥しい群衆の無感覚さ」(“the unattackable stolidity of a great
multitude”)に恐れと絶望感を抱きながら(77)。20 しかし同時に、小説の終
結部、その身に爆弾を抱え歩くProfessor は、不屈の闘志と強固なる意志
とともに「憎むべき人類の群衆から顔を背け」(“averting his eyes from the
odious multitude of mankind”)、そのただ中を「力」(“a force”)として歩い
て行くのだ(231)。旧世紀から新世紀へと移ろい、群衆にまつわるパラダ イムが大きく転換しようとしているこの時代、彼らはもはや小説にとって 容易に飼い慣らすことのできる存在ではない。群衆の強大さに凌駕される 〈個〉の姿は、そのまま小説というジャンルが直面していた危機へと読み 替えることができるだろう。しかしまた、群衆に完全に身を委ねようとす る瞬間、小説はたゆまず自らを〈個〉の領域へと引き戻していく。これこ
そがThe Invisible Man に端を発し、世紀をまたがって受け継がれていくモ
ダン時代のダイナミクスなのである。
注
1 試験管やバーナーに囲まれたHolmes が行っているのは、血液のヘモグロビンに よって沈澱する試薬の実験である(Doyle 9)。
2 “Whit Monday” は 1960 年代までイギリスの公休日であった(“Whit Monday”)。
3 “Salvation Army” は William Booth によってロンドンのイースト・エンドに設立さ れたキリスト教のチャリティー団体で、貧困、失業、ホームレスといった社会的問 題に積極的に取り組んでいた(Sawyer 158)。
4 The Invisible Man に Wells 自身の科学に対する否定的姿勢を読み込むという試み
は、これまで極めて一般的になされてきた。Bernard Bergonzi は、この小説を通して、 「現代科学の危険な野望」(“the dangerous pretensions of contemporary science”)のみ
のらず、「若きWells 自身による高度にロマン化された科学者的魔法使いとの自己同 一化」(“the young Wells’s own identification with a highly romanticized kind of scientist-magician”)が棄却されていると論じる(120)。また Richard Hauer Costa は、科学が必 ずしも人類の進歩へとつながるわけではないというWells の姿勢をこの小説に読み 取っている(20-21)。Wells の科学に対するペシミズムを読み込んだ初期の書評とし ては、Shorter 59 参照。
5 後 述 す るHippolyte A. Taine は、 パ リ コ ミ ュ ー ン 蜂 起 を 契 機 に Origins of
する関心を広く喚起した(McClelland 8-9, 127-28, 138-39)。Le Bon 以前の群衆理論 家としては、他にScipio Sighele や Gabriel Tarde の名が挙げられる。両者とも同様に パリコミューン蜂起をきっかけとして、犯罪学的観点から群衆理論にアプローチし た(McClelland 155-95)。 6 Le Bon の理論そのものは従来の群衆心理学の「寄せ集め」であったが、科学の名 の下に巧みに大衆の不安を煽り、同時に科学によって群衆をコントロールできる可 能性を示した点にその成功の要因があった。 7 同様の議論についてはGinneken 48 参照。 8 Le Bon は、この「異種混交の群衆」を、「あらゆるタイプ、あらゆる職業、あ らゆる知的度合いの個人」(“individuals of any description, of any profession, and any degree of intelligence”)の集まりであると定義づける(101)。
9 When the Sleeper Wakes は、加筆修正されたものが、1910 年に The Sleeper Awakes
として再出版されている。 10 厳密には、一時的に一つの場所に群がり集まった人々のことを指す「群衆(群集)」 (“crowd”)と、社会を構成する多数の人々を指す「大衆」(“mass”)との間には差 異が存在するが、Le Bon 自身は特に両者の区別をつけることなく、同様の心理状態 を生み出すものとして広く同一に捉えていた(McClelland 202-3)。この点において、 Le Bon は従来の群衆理論家と大きく異なっている。 11 この老水夫は、“Altercation”(口論)を “Alteration”(変更)と読み間違える(66)。 12 この出来事をきっかけに、それまで地域間・職種間のつながりを持たない小規 模なものが各地に点在するにとどまっていた労働組合は、急速に全国化や異職種間 の統合を進め、また組合費を安く抑えることによって加入者を大幅に増やしていっ た。「新組合主義(New Unionism)」と呼ばれるこの新しい組合のあり方において、 主体は旧来の熟練工から非熟練工へとシフトしていった(Pelling 93-102、Coates and Topham 51-73、Morton and Tate 191-93)。
13 機械化や商業の発達などによってギルド制が衰退し、雇い主(親方)と職人の利 害が乖離しつつあった18 世紀にはすでに、増給を求める “turn-out” と呼ばれる運動 が存在していた。“strike”という表現が用いられるようになったのは 19 世紀初め頃 である(Pelling 8-9)。 14 メディアへのアピールに消極的だったドック会社側がその重要性に気づいたと きは時すでに遅く、当時の新聞や雑誌のほとんどが労働者側に共感を寄せる状況と なっていた(Lovell 105、Smith and Nash 67-68)。
15 ただしFairplay は、船主側がドック使用料の値上げを甘受する見込みであると
述べたTimes や Pall Mall Gazzette の記事に反論しながら、船主側は値上げに反対
であること、ドック会社側がすでに十分以上の対価を得ていることを強調している (“Look-out Man” 386)。 16 例えば、熟練を要する船荷の積み込みを請け負っていた沖仲仕(stevedore)と、 さほど熟練を要しない荷下ろしを請け負っていたドック労働者の間には明確な賃金 格差が存在していた(Lovell 44)。 17 当時のドック業において、一日のどの時間に労働者を雇用するかというタイミ ング(“call-on” あるいは “taking-on” と呼ばれた)は、その日ごとに雇用者側によっ て恣意的に決められていた。8 月 26 日付 Daily Telegraph に掲載された投書では、 ドック労働者たちが「日雇いの仕事を求めてドックや埠頭の近辺に群がっている」
(“flooding the neighbourhood of the docks and wharves seeking casual labour”)様子が描 写されている(Banes 5)。1889 年のストライキの主要な目的の一つが、この雇用タ イミングを一日二回、特定の時間に限定することを求めるものであった(Lovell 94, 102; Coates and Topham 55)。
18 Charles Booth によれば、この「人夫」たちはしばしば鉄道の建設などに従事し、 他の建設作業者の「召使い」(“servant”)として働いていたという(Life and Labour, 2nd ed. 7: 336)。Booth はまた、彼らが「放浪者」(“vagrant”)としての性質を持つこ と、しばしば貧困や飲酒などの堕落と結びつくことを述べている(Life and Labour, 2nd ed. 3: 99、Life and Labour, 3rd ed. 3rd series. 1: 101, 198, 205)。
19 初登場の場面において、語りはMarvel が「豊かで自由に変わる顔を持つ人物」(“a person of copious, flexible visage”)であることに言及する(43)。Marvel の表情の豊か さについては、他に50, 61, 65, 67-68 参照。
20 Professor 自身、群衆と化した「弱者」が「我々の不吉な支配者」(“our sinister masters”)であるという感覚に苛まれる(Conrad 226)。
引用参照文献
“The Dock Strike.” Fairplay Sept. 20 1889: 543-44. Print. “The Look-out Man.” Fairplay Aug. 30 1889: 385-88. Print.
“Whit Monday.” Oxford Guide to British and American Culture. 2nd ed. 2005. Print. Banes, G. E. Letter. Daily Telegraph Aug. 26. 1889: 5. Print.
Bergonzi, Bernard. Early H. G. Wells: A Study of the Scientific Romances. Manchester: Manchester University Press, 1961. Print.
Booth, Clarles. Life and Labour of the People in London. 2nd ed. 9 vols. New York: Macmillan, 1896. Print.
−−. Life and Labour of the People in London. 3rd ed. 3rd series. Religious Influences. Vol. 1. New York: Macmillan, 1902. Print.
Coates, Ken, and Tony Topham. The Making of the Transport and General Workers’ Union:
The Emergence of the Labour Movement 1870-1922. Part 1. Oxford: Basil Blackwell,
1991. Print.
Conrad, Joseph. The Secret Agent. Eds. Bruce Harkness and S. W. Reid. Cambridge: Cambridge University Press, 1990. Print.
Costa, Richard Hauer. H. G. Wells: Revised Edition. Boston: Twayne, 1985. Print. Doyle, Conan. A Study in Scarlet. Oxford: Oxford University Press, 1999. Print.
Ginneken, Jaap van. Crowds, Psychology, and Politics, 1871-1899. Cambridge: Cambridge University Press, 1992. Print.
Lake, David. Note on the Text. Wells, Invisible Man. Oxford: Oxford University Press, 1996. xxix-xxxiv. Print.
Le Bon, Gustave. The Crowd: A Study of the Popular Mind. New York: Dover, 2002. Print. Lovell, John. Stevedores and Dockers: A Study of Trade Unionism in the Port of London,
1870-1914. New York: Augustus M. Kelley, 1969. Print.
McClelland, J. S. The Crowd and the Mob: From Plato to Canetti. Abingdon: Routledge, 1989. Print.
McConnell, Frank. The Science Fiction of H. G. Wells. Oxford: Oxford University Press, 1981. Print.
McLean, Steven. The Early Fiction of H. G. Wells: Fantasies of Science. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. Print.
Morton, A. L., and George Tate. The British Labour Movement, 1770-1920. London: Lawrence and Wishart, 1956. Print.
Murray, Brian. H. G. Wells. New York: Continuum, 1990. Print.
Pelling, Henry. A History of British Trade Unionism. 3rd ed. London: Macmillan, 1976. Print.
Sawyer, Andy. Notes. Wells, Invisible Man. 151-61. Print.
Shorter, Clement. “The Invisible Man.” H. G. Wells: The Critical Heritage. 1897. Ed. Patrick Parrinder. London: Routledge and Kegan Paul, 1972. 58-60. Print.
Smith, H. Llewellyn, and Vaughan Nash. The Story of the Dockers’ Strike. 1889. Bath: Cedric Chivers, 1970. Print.
Wagner, W. Warren. H. G. Wells: Traversing Time. Middletown: Wesleyan University Press, 2004. Print.
Wells, H. G. Anticipations of the Reaction of Mechanical and Scientific Progress Upon
Human Life and Thought. 1901. New York: Harper, 1902. Print.