日本福祉大学社会福祉論集 追悼号 2012 年 6 月
Ⅰ
はじめに
宮田 (和明) は, 1997 年度から厚生労働科学研究費補助金 (難治性疾患克服研究事業) スモ ン (「亜急性脊髄・視神経・末梢神経障害」 Subacute Myelo-Optico-Neuropathy:SMON) に 関する調査研究班の社会福祉学領域の研究分担者としてスモン研究に尽力をされてきた. 畏れ多いことであるが, 宮田のスモン研究に関わる追悼文を認める.Ⅱ
スモンと スモンに関する調査研究班
1 . スモンとは スモンは, わが国の薬による健康被害の歴史上に記録される代表的な薬害の一つである. スモンは, Subacute Myelo-Optico-Neuropathy の頭文字をとって SMON と呼ばれ, 日本語 病名は 「亜急性脊髄・視神経・末梢神経障害」 である. 1950 年代から 70 年にかけて日本で多発 した神経障害で, 典型例では下肢の痙性麻痺と深部覚障害による失調歩行, 異常な冷痛感やビリ ビリとした異常感覚があり, 2∼3 割に視覚障害が現れ失明例もあった. 当初は原因不明で 「奇 病」 とされ感染症なども疑われたが, 1970 年に整腸剤キノホルムによる薬害であることが疫学 的かつ病理学的に明らかになった. 薬害による健康被害は, 権利侵害である. 2009 年 4 月 1 日現在健康管理手当を受給しているスモン患者数は, 全国で 2,176 名である. 平成 21 年度厚生労働省スモンに関する調査研究班で全国スモン患者 870 名が検診調査を受診し ている. それによると男女比 1:2.61, 年齢は 70 歳代が最も多く, 65 歳以上が 90.7%を占め, 高齢化している. 2 . スモンに関する調査研究班 とは スモンの会全国連絡協議会 (ス全協) の運動などで, スモン患者の恒久補償対策として健康管 理と疾患原因究明を目的とした スモンに関する調査研究班 が設けられた. 各都道府県に一人ダンディで強かな宮田スタイルのスモン研究
患者・家族に寄り添う社会福祉学研究
牧
野
忠
康
以上の班員を配置し, スモン患者の検診を通じて実態調査し, その結果を医療・福祉施策に反映 させてきた. 医療・福祉相談に応じてもきた. 宮田のスモン研究班の研究は, 時期により出入りがあるが秦 (安雄), 大野 (勇夫), 若松 (利 昭), 林 (宏二), 伊藤 (葉子) らが研究協力者というチームで展開された. もっぱら, 「スモン 患者の介護問題」 を研究課題とした生活実態調査を重ねられた. 患者が高齢化し視覚障害などの 神経症状に加えて歩行障害が悪化しており, スモン患者の生活生涯に非幸福感が強いこと, 家族 などの介護負担が重くなっていること, 障害者福祉と高齢化に伴う高齢者福祉としての課題など を社会福祉学の立場から問題提起してきた. スモン調査研究班ではないが本学関係者では, 児島 (美都子) が 「障害者福祉の発展を」 ( 薬 害スモン全史 第一巻 被害実態篇 20−23 ページ) と題する一文を認めている. 3 . なぜ宮田のスモン研究を題材に追悼文なのか−筆者の立場− 1970 年頃に東大医学部保健社会学教室がスモン研究の社会学的な研究の要請を受けてスモン 研究班に参加している. スモン研究班に保健社会学研究グループがおかれた. これは専ら医学的 な研究班に社会学班ができたという意味で当時としては画期的なことだった. しかし, 後に分担 研究者の園田 (恭一) (当時, 社会学者で東大医学部助教授, 後に教授) は, 研究目的・対象・ 方法やその成果の評価を巡って医師を中心とした研究班内で意見が分かれ苦労することになった. 当時の筆者 (牧野) は, 東京の下町にある診療所で保健医療社会学相談員と称して労災職業病 である過労性疾患の頸肩腕障害・腰痛症の患者や労働現場にいてスモン研究には参加をしていな かった. しかし, 筆者もスモン研究には大きな関心を抱き, 研究生として在籍していた東大保健 社会学教室の研究会で園田・飯島 (伸子) や片平 (洌彦) 院生などを通して文献や資料を収集し ていた. スモン訴訟弁護団が 1979 年の 「スモン和解確認書」 を締結した後, 多くが水俣病裁判 弁護団に移行した経過の中で, 筆者は水俣病裁判にかかわった. その後, その延長線で薬害エイ ズをはじめ薬害肝炎, 薬害ヤコブなどの薬害研究に携わることになった. そうした因縁の下で, 筆者が宮田のスモン研究についての追悼文を書いている.
Ⅲ
薬害・「公害」
1 . 薬害とは スモンは薬害である. 薬害とは何であるかについて, 以下に解説する. 高野 (哲夫) は, 著書 戦後薬害の研究 (文理閣, 1981 年) で薬害の概念を次のように述べ ている. 「戦後多発した薬害は, 薬の持つ本質からくるある意味で避けることのできないもので あるというよりは, わが国の医療制度, 薬事行政を背景とする, わが国製薬企業の 「資本主義的 生産様式から発生する医薬品による災害である」 (同書 3 ページ) と, 明快である.2 . 副作用とは 高野は, 薬の害作用の用語として用いられている WHO の副作用の定義や厚生省 (当時) の モニタリングシステム (1967 年) の定義などを検討した結果, 「これらの定義は, 医薬品の主体 にたいする有害作用を示しているわけであるが, いずれもあいまいな点を残している.」 (同書 3 ページ) と批判している. 副作用について, 高野は次のように考察している. 「日常診療にあらわれる副作用とはいえ, けっして薬物と生体とのかかわりだけに解消できないことである. つまり, 大量生産された医薬 品が, 保険医療制度をとおして大量消費された結果起こる問題であって, わが国では 「副作用」 といえど薬害をとおしてあらわれることを意味している. これはわが国の環境問題が公害をとお してあらわれるのとまったく同様である. ここに今日の薬害問題の複雑さと深刻さがある.」 (同 書 12 ページ) と. ただし筆者は, 公害という用語の無批判な使用には異議がある. この高野の指摘は, 2012 年の現在も示唆に富み傾聴に値する. 3 . 現在の医薬品副作用被害の救済制度 現在, 医薬品副作用被害の救済制度は, 以下のように行われている. 医薬品医療機器総合機構 (前身は医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構) は 1979 年に 「医薬品副作用被害救済基金」 が, その翌年 5 月から 「医薬品副作用被害救済業務」 を開始している. また, 国や製薬企業から 委託されたスモン患者に対する 「受託・貸付業務」, 友愛福祉財団から委託された HIV 感染者, 発症者に対する 「受託給付業務」 も行っている. スモン患者に対する 「受託・貸付業務」 とは, 裁判上の和解が成立したスモン患者に対して健康管理手当および介護費用の支払業務のことであ る. この機構の定義する副作用とは, 「医薬品は, 人の健康の保持増進に欠かせないものですが, 有効性と安全性のバランスの上に成り立っているという特殊性から, 使用に当たって万全の注意 を払ってもなお副作用の発生を防止できない場合があります. このため, 医薬品 (病院・診療所 で投薬されたものの他, 薬局で購入したものも含みます.) を適正に使用したにもかかわらず副 作用による一定の健康被害が生じた場合に, 医療費等の給付を行い, これにより被害者の救済を 図ろうというのが, この医薬品副作用被害救済制度です. この医療費等の給付に必要な費用は, 許可医薬品製造販売業者から納付される拠出金が原資となっています.」 としている. この機構の副作用の考え方には, 当然のことながら高野の指摘した 「薬害」 の哲学は入ってい ない. 副作用はやむをえない害作用だとしている. 医薬品情報が製薬企業に独占・操作・支配さ れている中で, やむをえないと受忍すべき害作用かどうかの判断は薬を処方する医師を含む消費 者にはできない. このことが深刻な薬害をチエーンスモーキングのように繰り返している. 厚生労働省は, 2011 年 3 月に全国薬害被害者団体連絡協議会などの要請で 薬害って何だろ う―なぜ起こったのか?どうすれば防げるのか? というパンフレットを作成し, 教材として全 国の小・中学校に配布した.
Ⅳ
加害・被害の構造
1 . 誰が加害者で, 誰が被害者か 薬害には必ず加害者がおり, 被害者がいる. 加害行為は故意・過失をともなうこともあり, 製造物責任を問われる違法性があることもある. 薬 務行政では, 不作為の責任が問われることもある. 無過失であっても賠償責任が問われることもある. 加害者は, 医薬品を製造販売する製薬企業と, 医薬品の製造販売の許認可権と監視義務を負う 国・厚生労働省である. 製薬企業と利益相反関係にある医学・薬学研究者は, 加害者となること もある. 被害者は何らかの病気を治めるために当該医薬品を使用した患者たちとその家族である. 薬害 では, 患者が患者になるという二重構造で患者を産出する. 被害者自らが裁判や認定闘争を闘っ て, 自らの薬害被害を認めさせるために二重, 三重の苦しみと被害を受けることが多い. 処方した医師の立場は微妙である. 国民の立場も微妙である. どちらもある時は被害者であり, ある時は加害者になる. 国民の無関心や無理解は, 加害行為である. 現在のわが国の社会・経済構造の下では, 政 (主に族議員ら), 官 (この場合には主に厚生労 働省), 財 (この場合には主に製薬企業) のトライアングルと医療界や医師−患者関係の構図 (お任せの医療) も加わった力関係の中で, 薬害の加害・被害構造が規定されている. 2 . 患者・家族への寄り添い方 加害・被害構造の解析で本質に迫れば, 学問的な研究であっても研究者の立場性から意見や利 害の対立が生まれる. 筆者の薬害へのアプローチも, 患者・家族に寄り添うことには変わりがな い. だが, 加害・被害関係の下で裁判に関わることが多い. 患者・家族の原告側にたち裁判に勝 つ立証を闘う研究のスタイルをとる. これを筆者は, 闘う保健医療福祉研究と称している. 宮田のスモン研究は, ダンディである. 患者・家族に寄り添いその生活実態を明らかにしつつ, 患者・家族の福祉の実現を目指す手法をとっている. これは賢明な手法で, 一つの選択だったと 思う. 社会福祉学的アプローチは, 医学研究者・臨床医が君臨する官制の スモンに関する調査 研究班 のなかでは, 異質な存在である. その中にあって分担研究者として生き残っていくには, 班会議などで相当な葛藤と軋轢があったものと思われる. 実際に温厚な宮田から 「医者の人たち に囲まれての会議は気を使うが, 社会福祉学の存在意義を示すことも大切だと考えている」 とい う言葉を聞いた. 社会科学的なアプローチとして加害・被害の関係に迫るのを避け, 患者・家族 の福祉に的を絞ることは医学研究者らの専門外だが射程内にある. 現に宮田亡きあとは田中 (千 枝子) が分担研究者を引き継いでいる. 本稿の 「はじめに」 で紹介したスモンに関する調査研究班保健社会学部会は, 1972 年徳島地 区患者調査, 1973 年岡山県井原地区患者調査, 1974 年埼玉県戸田・蕨・川口地区患者・家族調査, 愛知県患者・家族調査を精力的に実施している. その成果は, 「Ⅲスモン被害の実態と恒久 補償」 薬害スモン全史第一巻被害実態編 (スモンの会全国連絡協議会編, 労働旬報社, 1981 年, 311−441 ページ) に詳しい. とくに 「スモンの保健社会学的研究」 (同書 357−367 ページ) に保健社会学部会の成果が紹介されている. 「スモンの保健社会学的研究」 では, 今後の課題の一つとして 「二度とスモンのような疾病を 発生させないためには, スモン多発の社会構造的要因分析をさらに深めてゆくことも重要な課題 である.」 (367 ページ) と結んでいる. これは, 社会科学的アプローチとしては自然な結論であ るが, 官制研究班としては軋轢を生むことも自然な力関係であった. 紆余曲折あって, 保健社会 学部会は 1974 年度を最終年としてその役割を終えている.