特集・戦争と私たちとアジア
.原発は核兵器になる/
ー レーガンの核戦略とアジアー.どこまで進む日本の経済侵略
一 環 太 平 洋 構 想 と は 何 か一.
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靖国
Jを拒む
.アジアからの報告
座談会・ アジアを旅して 通信・貧困と抑圧の最大の犠牲者は女性と子ともたち タイ,フィリピンi
主群 d 判 前陣 J V 9・
非核憲法支持を呼びカ、けるべラウの民衆 (提供・反公害輸出通報センター)雇盃冨・
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-巻頭言・
2年 前 の1980年
5月 、 光 州 の 民 衆 は 自 由 と 民 主 化 を 求 め て 立 ち斗 喚 に よ る 血 の 弾 圧 の な か で 、 武 器 を 手 に と っ て 決 起 し た 民 衆 の
燥 政 権 の み な ら ず 、 日 本 、 ア メ リ カ の 支 配 者 た ち を も 震 憾 さ せ た 。
横 須 賀 を 基 地 と す る 空 母 「 ミ ッ ド ウ ェ ー 」 、 駆 逐 艦
r/¥,ースンス
.J、フリゲ
を 釜 山 沖 に 出 動 さ せ て 警 戒 態 勢 を と っ た こ と も 私 た ち の 記 憶 に 新 し い 。
ー ﹂ク
60億 ド ル に の ほ ‘ る 対 韓 「 援 助 」 の 論 議 の な か で 、 私 た ち は
1982年
5月 を 迎 え
ア メ リ カ の 軍 事 援 助 の 肩 が わ り と も い わ れ る こ の 「 援 助 」 は 、 日 本 が 今 ど
こ に 向 か つ て 歩 み 始 め よ う と し て い る の か を 物 語 っ て い る 。
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武 器 輸 出 三 原 則 」
に 拘 束 さ れ て い る 日 本 は 、 公 け の 武 器 輸 出 は で き な い 。 対 韓 「 援 助 」 は 、
が 韓 国 を 経 由 し た ア セ ア ン
5ヵ 国 へ の 武 器 輸 出 を 含 も 、 軍 事 一 体 化 を 目 指 す も の
と し て の 性 格 を も っ て い る の で は な い の か 。
81年 春 の 全 斗 燥 の ア セ ア ン
5ヵ国
ア メ リ カ を 盟 主 に し た 日 本 、 韓 国 、
日 本
原子力発
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こ。 一九八一年、人類が新たな核時代 に入ったと思わせるような事件が相 次いで起った。まず一月には、フラ ンスのラ・ア1
グ再処理工場の火災 事故。四月には、日本の敦賀原発で 放射能漏れ事故。その直後の六月に は、イスラエルがイラクの原子炉を 爆撃。そして、八月以降のヨーロッ パでの反核運動の盛り上がり。まさ に 、 八C
年代は人類と核文明が新た な時点に達し、私たちが核というも のをどうt
・ b ・ え る か と い う 、 ﹂ と を つ きつけられた時代である。 再処理工場をめぐる状況 そのような状況のなかで、日本、て は、八二年に入ってすぐ、青森県の 潤根浜に第二再処理工場建設計画が 報道された。現在、日本には東海村 に再処理工場があるが、それでは膨 大な核のゴ兵は処理できないので、 その約七'倍規模の工場を作ろうとレ うのである叫この計画は、日本を代 表する大企業一C
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社が﹁日本原燃 ,.十句、一 ‘言方聞は、その士也ならし的役:害リを十旦っていた。
台 湾 、 ア セ ア ン
5
ヵ 国 の 軍 事 一 体 化 は 、 今 、 着 実 に 進 行 し て い る 。
貿 易 、 投 資 立 国 日 本 に と っ て 、 投 資 先 、 販 売 先 、 資 源 供 給 地 の 政 情 安 定 は 、
は
イ ラ ン の
IJPC(イ ラ ン 日 本 石 油 化 学 ) の 失
敗 を
2度 と 繰 返 さ な い た め に 、 「 カ ン ト リ ー リ ス ク
J( 政 権 の 安 定 度 を 測 定 し 、 投
下 資 本 の 回 収 ・ 企 業 進 出 の 目 安 と す る た め の 調 査 、 国 家 の 「 危 険 性 」 の 意 ) が 研 究
さ れ 、 「 地 域 研 究 」 に 金 が 流 れ 、 第 三 世 界 の 国 々 の 政 権 の 安 定 度 が 数 量 的 に 測 定
される。「文化交流」や「学術交流」カ、積極的に推進される。「援助」、「国際協力」
の 名 の も と に 巨 額 の カ ネ
そ の 資 金 は 私 た ち の 税 金 で あ り 、 郵 便 貯 金 で あ る
が流れ、アジアの「貧し
L、 」 村 に 、 突 如 と し て 高 速 道 路 が つ く ら れ 、 ダ ム や 港 が で
き る 。 近 代 的 ビ ル が 貧 困 の 真 只 中 に 出 現 す る 。 民 衆 の 生 活 と 無 縁 な こ れ ら の 「 援
の 最 大 の 受 益 者 は 、 進 出 す る 日 本 の 企 業 で あ る 。 民 衆 の 頭 の 上 を 素 通 り し
ていくこれらの「援助」は、実は、日本の当該援助国の独裁政権にとっての「援助」
何 よ り も 重 大 な 関 心 事 と な っ て い る 。
助」
ア ジ ア の 国 々 へ の 「 経 済
ア メ リ カ の 傘 の 下 で の ア ジ
フ ィ リ ピ ン 民 衆 の 闘 い は 、
日 本 政 府 は 、 軍 事 独 裁 政 権 へ の テ コ 入 れ と い う か た ち で 、 間 接 的 に 第 三 世 界 の
日 々 、 肌 身 に 感 ず る 日 本 国 内 の 右 傾 化 の 流 れ は 、
こ う し た ア ジ ア 支 配 に 対 応 し た 圏 内 の 体 制 づ く り に ほ か な ら な い 。
々 と 真 の 連 帯 を 築 く た め に 、 私 た ち は 、 圏 内 の 右 傾 化 の 流 れ に 抗 し て 闘 う と 共
に 、 「 援 助 」 の 名 に か く れ て ア ジ ア の 民 衆 を 抑 圧 、 搾 取 し て い る 日 本 資 本 の 動 き
に注キ見しなければならないと思う。
「大東
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共 栄 圏 」 形 成 の 意 図 は 、 新 た な 装 い を こ ら し て 今 、 私 た ち の 目 の 前
なのである。
日 本 は 、 資 源 ・ 市 場 を 獲 得 、 確 保 す る た め に 、
援 助 」 に 力 を 注 ぐ と 共 に 、 「 ア ジ ア の 盟 主 」
ア の 軍 事 一 体 化 の 道 を 歩 み 始 め た 。 光 州 市 民 の 蜂 起 、
こ の 日 本 帝 国 主 義 の ア ジ ア 支 配 の 意 図 と 真 っ 向 か ら 対 立 す る も の と し て あ る 。
日 本 帝 国 主 義 の
ア ジ ア の 人
として、
バ~ "7、民衆の闘し、の圧殺に加担している。
手ムたちが、
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核兵器
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に
な
る
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レーガンの核戦略とアジア│
近
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サービス﹂という会社を作り、日本 政府のバックアップのもとに進めて おり、八C
年代最大のナショナルプ ロジェクトとレわれてレる。 この世界最大規模の再処理工場は、 一0
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万キロワット級の巨大な原発 問。基分の一年間に出る核のゴミを 処理できる位大きなものである。そ の危険性は大きく、大型の再処理工 場が一日稼動するだけで、一CC
万 キロワット級の原発が一年間稼動し た分の死の灰が出る。これは広島型 原 爆 の 一CCC
発分の死の灰に相当 し、そこから出てくるプルトニウム は、耳かき↑杯て一C
む万人がガシ に な るt
一 七 一 口 わ れ る ほ ど 危 険 な 物 質 で あ る 。 ベクテル社とレーガン政権 ベクテル社は、世界中に一一二O
位 の大プロジェクトを持つ世界最大の エンジニアリング会初である。また、 世界、て唯一の核燃料サイクル産業会 社といわれる原子力メーカーであり、 ウランの製練から、原発本体の建設、 使用済燃料の処理、再処理、貯蔵廃 棄物の処分、高速増殖炉まで手掛け ている。アメリカで最初の商業用原 発を作ったのはこのベクテル社であ り、全世界て八C
基の原発を連設し て い る 。 そのベクテル社はレーガン政権の 陰の立て役者とレわれる程、レーガ ン政権の閣僚の中には、ベクテル相 の人材が少なくない。例えば、ワイ ンパ!ガl
国防長官はベクテル社の 副社長。社長は、シユルツというニ クソン時代の財務長官て、大統領の 経済諸問委員会の委員長を務めてい た人である。ヘルムズというイラン の大使で、元CIA
長官も参与。ま た、元副社長のケネス・デイピスは 原子力部門の責任者であり、レーガ ンが大統領に当選した八O
年一一月 四日の翌日に来日している。その時 に、日本の原子力メーカーや電力会 社の社長、副校長と会談し、レーガ ン政権はカl
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政権時代のような和
子
原子力政策は取らない、といってい る。ヵl
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政権の原子力政策とは 核不拡散を基調とするもので、その ため、日本の東海村・再処理工場は 軍事転用を防ぐという目的で長い間 ストップされており、日米の原子力 関係はこの核不拡散をめ?って非常 にギクシヤクしていた。しかし、レ ーガン政権はその政策はもう取らな い、日本とアメリカは一緒になって 原子力開発の為に協力しましょう、 と呼びかけてきたのである。 レーガンの極東戦略 レーガン政権が発足して、最初に やった対外政策は米穂首脳会談であ る。八一年二月にレl
ガν
は韓国の 全斗換と会談し、安保協力・軍事援 助は惜しまないことと、核エネルギ ー技術の供与を約束した。さらに、 五月には日米首脳会談が聞かれ、日 米共同声明において、原子力の共同 開発を訴えている。その中でレーガ ンは、日本の核再処理が日本の原子 9 8 2年
7月にある。
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力開発にとって大変重要であること を強調している。つまり、レーガン の核戦略・極東戦略はアメリカ守中 心として、韓国・日本を結ぶ核同盟 をめざす戦略である。 昨年の日米共同声盟で、初めて、 日米は同盟関係、であるということを 表明した。これは政治的な常識で言 えば、軍事同盟であることはもちろ んのことであり、世界の軍事情勢か ら言えば、日米の核同盟を意味する。 共同声明以来、相次ぐ日米共同演習、 防衛力強化・防衛費の増強など、日 米関係の変化を見ればよくわかる。
⑨日本の原子力施設
地図
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1.11...1111言 . " 乃 内 候 } 「反原発新聞』より からは、リムパック位・環太平洋合 同演習が米軍を中心とした五ヵ国(日 本・オーストラリア・ニュージーラ ンド・カナ、ダ・アメリカ)で行なわ れ、これと同時放行して、米韓の定 例演督、チーム・スピリット出が閑 かれた。アメリカのアジア・太平洋 戦略は、このような形て展開してい る。日本の自衛隊は、もはや、国軍t
言ってもいい規模でそれに参加し て い る 。 レーガンの核戦略 このような世界戦略の中で、一九 八一年七月一六日、レーガンは対外 的な原子力政策を打ち出した。その 基調は、日本t
か西ドイツなE
の 核 不拡散に忠実な固に対しては、軍事 転用につながる再処理やウラン濃縮 なE
を認めるというものであり、さ らに、アメリカは原子炉の輸出にお いても世界のリーダーシップをとる というものである。また、一九八一 年七月末のニュースによれば、核戦 力を強化するためのプルトニウム不 足を商業用原発から出る核のゴミの 中のプルトニウムで補おうという計 画が暴露された。 つまり、原子力の平和利用と呼ば れるものから、軍事利用に転嫁しよ うという話が進んでいるのである。 日本の原子力推進者たちは、原子力 アメリカにすれば、日本は核戦略の パートナーである。だから、そろそ、 ろ核持ち込みということを認めても いいだろうというのが、日米共同声 明の一つの意味ではなかったかと思 わ れ る 。 な状態に、日本がなりつつあるとい うことは明らかである。 日本に核があるとかないとかいう 問題は、このような状況のなかでは、 もはや、ある種の虚構に過ぎない。 確かに、日本に核はある。そして、 朝鮮半島にも核はある。朝鮮半島に は、現在、七二O
発の核弾頭の貯蔵 庫がある。一九七五年、アメリカは ベトナム戦争に敗れると、ポスト・ ベトナム戦略ということで、核弾頭 を朝鮮半島に配備した。あの光州蜂 起で私たちの記憶に新しい光州市の 近郊に、ミニニュ1
クスと呼ばれる アメリカは、その後のハワイ協議 。て、朝鮮有事に関する共同研究につ いて持ち出し、朝鮮有事の場合には 日本の一般の空港や港湾をアメリカ 軍の自由に使わせて欲しい、という ことを要求している。この協議の結 果は秘密にされているが、ちょうど 一 九 五O
年の朝鮮戦争のときのよう ••• I.tl暗計画@ . . 刻 現 恩 健・
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1 民間再処理工場候補地点 (これまでに名前向島が勺たところ) ・北海通ー礼文島.西南部(奥尻島・江差町) ・青轟ーむつ市岡纏展.東海村 ・世田 ・ 山形 ・福島班草地方 ・1Ii揖東海村 ・石川一能畳半島 ・福井一若狭地方 ・三 重一熊野灘倒 ・和歌山一熊野誠倒 ・山口 上関町 ・高掴畳後水道側 ・佐賀ー玄 海援倒 ・畳崎ー西揖岸町半島、天草諸島、 五島列島 ・鹿鬼島東ンナ海側(}I!内市}、 大隅半島{内之浦町) 大隅諸島(種子島、 屋丸島). トカラ列島.奄藁大島‘直之島、 ・沖縄ー西豊島、与部国島.沖大東島=ラサ 島 ".圏一済州島川
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I 1・~lI liφ の平和利用と軍事利用とは全く別の も の で あ る 。 と 一 = 一 日 っ て い る が 、 レ ー ガンは、ものの見事にそれを破った。 これからは、原発の平和利別が軍事 利用へと転嫁される時代になる。 現在、アメリカには、七C
トン位 の使用済核燃料が処理できなくて、 溜っている。レーガンは、それを原 爆製造に利用しようとい'フのである。 さらに、強いアメリカをめざすレー ガ ン は 、M
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ミサイル計画を発表し た。それは日本の而積の三分の一く らいあるアメリカの砂漠地待、ネパ ダとユタに地下トン、不ルを堀って、 そこをトレl
ラに核弾頭ミサイルを 積んて常に走って、ソ連の眼をごま かし、ソ連が来たらミサイルを撃つt
いうものである。しかし、﹁競馬場 方式﹂と呼ばれるこの計画は、モル モン教の人たちの反対運動により、 現在、中断している。 さらに、レーガンは、広島型原爆 の二四C
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発分の核弾頭を積める巨 大な原子力潜水艦l
トライデントを 就航させるとか、レーダーでは絶対 に捉えられないステルスという爆撃 機を次期戦略爆撃機として開発しよ う、という計画を一O
月に発表して の軍事費がかかる。大体、アメリカ 人が五年間で、一人につき六l七万 円負担しなくてはならない。それに 対してアメリカ人が文句を言うのは 当然である。アメリカの失業者は、 約-C
O
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万人。福祉を削られて、 核抑頭を作られてはたまらないと ついに、レーガンの強いアメリカを めざす軍事優先政策に対して、アメ リカの国民がたち上ったのは、八一 年の九月一九日。か連帯デ1
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と名 付けられたポーランドのか連帯々に 連帯するアメリカの労働者の集会が、 ワシントンで聞かれた。そのとき集 まったのが、約五O
万人。ベトナム 反戦運動を越えるような人が集まっ て、レーガンの労働政策に反対した。 これがレーガンの凋落の第一歩であ るが、国外に対し強い姿勢を崩さず、 中性子爆弾の製造を決定し、限定核 戦争の可能性があるということをく り 返 し 言 う 。 このようなレーガン政権の強硬姿 勢に恐れを抱いたヨーロッパの人々 は、次々とたち上がった。まず、一O
月 一O
目、西ドイツのポンてコ一O
万人の反絞デモが行なわれた。その 後 、 一O
月二四・二五日に、ロンド ンで二五万人、ベルギーのブリユツ セルで二O
万人、ロ!?で三O
万 人 、 パリでも二0 .
万人と、ヨーロッパ中 で、およそ一00
万人近い人々が、 い e 令 。 レーガン政権の危機 このような計画には 問。兆円位 小型の核蝉頭が z u -。
今 、 て も 置 か れ て い レーガンが中性子爆弾の製造開始 を決定したのは、八一年八月六日、 三六年前にヒロシマに原爆が落され た日であり、それを公表したのが、 ナガサキに原爆が古侍された八月九日 のことである。中性子爆弾は、一キ ロトン位しかない小型の水爆で、爆 風制御放射線強化弾頭という。つま り、原爆のときの巨大な爆風をコン トロールして減少させ、人を殺せる 中性子を何倍も強くしたものである。 これを開発したコl
エンというアメ リカの学者は、一九七七年に﹁もと もと、中性子爆弾というのは、朝鮮 有事に備えて朝鮮半島で使うために 開発したものである﹂と一言っている。 アメリカの核は、日本から、朝鮮 半島から、アジア・太平洋の人々に 向って出撃するという状況に、今あ る。アメリカは、八四年から、クル ーズ・ミサイルという巡航ミサイル を極東に配備する。ミッドウェl
の 母港が横須賀にあるので、当然、日 本にも帰港するだろう。現在、日本 ・韓国・環太平洋諸国を巻き込んだ 一種の集団安保体制、つまり、ヨー ロッパで問題になっているNATO
(北大西洋条約機構)と同じようなア ジア版NATO
を作ろうという動き が、非常に進んでいる。三月の中旬核・原発関係参考資料
-﹁ 核 の 栄 光 と 挫 折 L 時 事 通 信 社 p ・ プ リ ン グ ル+
J
・ ス ピ l ゲ ル マ ン 共 著 -﹁ 核 文 明 の 恐 怖 ﹂ コ ル デ イ コ ツ ト 著 岩 波 書 庖 . ﹁ 危 機 の 科 学 ﹂ 高 木 仁 三 郎 著 朝 日 新 聞 社 . ﹁ プ ル ト ニ ウ ム の 恐 怖 ﹂ 高 木 仁 三 郎 著 岩 波 新 書 . ﹁ ス リ 1 マ イ ル 島 原 発 事 故 の 衝 撃 ﹂ 高 木 仁 三 郎 著 社 会 思 想 社 園 ﹁ 原 発 ジ プ シ ー ﹂ 堀 江 邦 夫 著 現 代 書 館 .﹁日本の原発地帯﹂鎌田慧著 潮出版社 . ﹁ 原 発 ・ 最 後 の 賭 け ﹂ 西 尾 漢 著 ア ン , ウ イ エ ル 武谷三男箸岩波新書 R ・ ユ ン ク 著 ア ン . ウ ィ エ ル -﹁ 原 子 力 発 電 L . 叶 原 子 力 帝 国 L -﹁ 死 に す ぎ た 赤 ん 坊 ﹂ E ・ J ・スターングラス時事通信社 . ﹁ 石 油 と 原 子 力 に 未 来 は あ る か ﹂ 槌 田 敦 著 更 紀 書 房 . ﹁ ソ フ ト ・ エ ネ ル ギ ー ・ パ ス ﹂ A -ロ ビ ン ス . ﹁ エ コ ロ ジ ス ト 宣 言 L 時 事 通 信 社 A ・ ゴ ル ツ 著 技 術 と 人 間 ダ ニ エ ル ソ ン 著 ア ン ヴ イ エ ル . ﹁ ミ ク ロ ネ シ ア ﹂ 斉 藤 達 雄 著 す ず さ わ 書 庖 . ﹁ 棄 民 の 群 島 ミ ク ロ ネ シ ア 被 爆 民 の 記 録 ﹂ 前 田 哲 男 著 臨 時 事 通 信 社 . ﹁ 反 原 発 事 典 I ・ H ﹂ 編 集 委 員 会 現 代 書 館 -﹁ モ ル ロ ア ﹂ -﹁ 反 核 1 反 原 発 宣 言 ﹂ ア ジ ア ・ 太 平 洋 反 核 パ ン 7 編 集 委 員 会 . ﹁ 日 緯 関 係 を 撃 つ ﹂ 日 鶴 間 査 舗 社 会 評 諭 社 毎 日 新 聞 社 -﹁ 東 西 軍 事 力 ﹂ 築 地 書 館 -﹁ 核 兵 器 の 包 括 的 研 究 ﹂ 国連事務総長報告 -﹁ 原 子 力 の 経 済 学 ﹂ -﹁ 放 射 線 と 人 間 ﹂ 連合出版 武 著 日 本 評 槍 社 舘 野 之 男 著 場 波 新 書 室 閏 -﹁ 原 発 は な ぜ こ わ い か ﹂ 高 校 生 文 化 研 究 会反核 ・ 核戦争反対・戦波核配備反対 ・ という こ とでたち上った。そして、 オ ランダの五
O
万人デモの直前に、 レ ー ガンは ヨ ー ロッパの戦域絞の制 限 交渉をソ連と始めると発表し、つ い に 、 ヨ ー ロッパの反核運動に屈し たのである。 レ ー ガン政権に支えられた隣国の 全斗検 体制 も、レ ー ガン政権の危機 に より、倒れる こ とは必歪であり、 日 本も何しりかの形で影響を受けざる 合 λ ない。レ ー ガンの絞戦時は、日 本及び韓凶を 中 核とし、ソ速に対処 するt
いうものであるが、必ずしも、 計同 泊 りに進んでいない 。 では、平和利用とレわれる原,r
か
の版光政策がうまくいっているかと レ う と 、 こ れもだめである 。 八 し 年 にはしハ基の原発がキャンセル、今 年も、建設 小 の版発、問汁併が中川さ れるなど、アメリカの以f
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凡 主 は が 夕 、 ガ 夕 、 て 、 つ い に 、 ア メ リ カ 、 て 第 A 一 位 の 阪 , ﹁ 力 メ ー カーであるゼ、不ラ ル u H エ レ ク ト リックれが、以, l ' M却 門 から倣退する。 引丘、原政一法の建設的川は 4 -億 円といわれるが、アメリカては、 兆円もするような川発が山てくるよ うになり、経済的な耐からいっても アメリカの似f
力出来はうまくいっ ていない 。 には同境がないのて、日本にも影響 があるということである 。 う ま り 、 日本と続出とは、原発の安全性にウ レては、述ん叩共同体てあるとい、うこ とである 。 ﹂ ア ジ ア ・ 太 平 洋 の 核 の 状 況 ~~.:.." 4 幹凶には、引丘、一辿転 中 の 卜 H m 仁 川 開 発-基のほか、住設小のものが六基 あるが、そのうち刊基はベクテル社 が建設したものである 。 さらに、韓 同 は 、 -九 九 年 ま で に 一 間 基 、c
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年までに A しC
基 の 川 出 発 を 作 ろうとしている 0 0 ては、日本はどう かt
いうと、計州ては、 -4 しO
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年 までに 一 五O
巷の版発を作ろうとし ている 。 まさに、原発列島である 。 'いh
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ぢ は 一 品年余りの聞に凹O
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も止まっている 。 放射能漏れも、ち ょうどスリ 1 マイルが故と川じ頃あ っ た 。 日 本でも敦川口原発事故があっ 目, , 原 発1
原 爆 核がもっている本質的な問題は、 放射能の作成である 。 人 知 は 人 ー だ か つて、放射能そ封じ込める金属を発 明していなレ 。 核の J r a 和利刑といわ れる原発ても、その本質は変わらな い 。 原f
炉の中で働く 、 卜前け労働 布、いわゆる原発ジプシーと昨ばれ ている人たちは、 L 人誌の放射能を浴 びている 。 つまり 、 原発は、そこで 働く労働ぷの何人かは必ず、ガンにな って死心ということを前提とした労 働の卜に成り立 っ ているのである 。 屯力会社はエネルギー危機キャン ペーンて、原発がなくな っ たら、ト ーストを焼けないとか、テレビ合比 れないとかパ っ ているが、みなさん はトーストぞ焼くために、他人に欣 射能セ浴びせることができるだ ヲη う か 。 そこから山てくるエネルギーぞ 私たちは飢えるたろうか 。 もともと、出f
力はれ然ぞ似収し て人間が作り山したものである 。 そ れまで、人川はれ然t
叫 ん 作 し 、 'H 然 のエ、不ルギーを使ってきた 。 し か し 、 川 町f
力は目的に八 1 ︿ 述う 。 しかも 、 ハ然を破瓜しなが ら 似F
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﹂ の 工 、 不 ル ギーは、たかだか石丸エネルギーに しかならず、七一山 の 作りには絶刈な ら わ れ ゆ い 。 放 射 能 に 国 境 は な い たが、泌をへだてた幹同の人々にと っ て、決して無給な問題てはない 。 原発・核の問題に川崎はない 。 日本 には、引也、逆転中の原発が一一川恭 あるが、そこか jり山る肢のゴミがド ラ ム 缶 約 てJ
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万本近くm
っ ている 。 そして、この絞 の ゴ ミ 合 処 則 ん す る 十 刀 法 が 人 f 然ないので、低レベルの放射 性山内棄物を太平河のまん小に捨てよ うとしている 。 これに対して、太子 洋の人々は怒り、以対日辿軌を起して い ヲ 心 。 フィリピンても、引在、アメリカ 製のウエスチングl
ハウス社の原発 、 か は は 八 )九九日完成しているが、マ ルコス体制に反対する'辿動と同附に、 原発反対迎動が、大きな政治スロー ガンになっている 。 もう 4 つ 注目して欲しい の は、尚 ト A ヂド汁の仏傾・モルロアて、今だに 紋実験が行なわれているとレうボ・実 ク で あ る 。 ミッテラン仏政権は、反対ρ
を押し切って、モルロアて以来験を 言 強 行 し て い る 。 モルロア近辺の人た 円肘ち、下に4
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歳以ドの打い人たちは、一 玉 一
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米 同 年 に 川 人 も . カンにな っ て い 、 る 。 フ の♂ 中 、 ランスは絞実験は安全であると、そ 凡 又 L 話一山のようなどZ
隠していたが、こう 一パ埠した人知に対する犯非行為は、人 t だ ' -4 A l 山 八 日 に い 肌 け ら れ て い る 。 J・
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つ ノ こ の よ う に 、 刊 に 太 子 作 は ア メ リ ヵ、イギリスの紋の実験場にされて 八O
年 A い 泉 点 、 て 第 二 回日韓 原f
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虚業セミナーが聞かれ、日韓 の原f
力世作業の関係有が集まり、日 韓の原子力協力について話し合いが なされた 。 そのときに、隣同側の原 子力維進布は、使用済み燃料の再処 理について、持同にはe l
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州 場 が な レ の で、日本に何処砲を要求してきた 。 そ の 際 、u
本て以 H 川辺引が強くて再 処 刑 刊 仁 川 場 が 往 た な い " の なら、院同に 一 上場を建設してもいいと発-バし、さ らに、地凶を促山山し、日本と緯国が 原発の安全性において述人叩共同体で あるとい M うことを次のよう に い 札川してい M る 。 ﹁特同における川開発の友 人 l 佐保という問題は、特同 の 4 般大衆にとって、特に 平安なばかりでなく、地即 的にパって、山附 の 川本人に と っ ても抗裂な川題 。 てある 。 なせなら、判鮮中 r h r 叫 と 日 本 列 hい 刊 は 近 い 。 ソウルと点以 のル雌は、約 -A 五 キ ロ 、 飛 行 機 で 川 川 も か か ら な い 、 。 梓 川 て は 、 引 丘 、 卜 ハ 川 上 と い う と ' ﹄ ろ で 一 H 乃 機 が 一 地 転 山 中 、t .
通算 八 十 郎 て 川 甘 唱 の 川 出 先 い か そ こ に 建 つ 。 士 円 叩 仁 と 後 山 川 川 以 北 と 日 本 の 山 口 は 、 大変狭い仁川峡舎 は さんでレ るだけのところにある 。 地 月 きた 。 たとえば、ビキ ニ は松の実験 場じされたし、現在は、核のやコミ捨 て場じされる 。 とにかく、核の 一 番 バいところを押しウけられている 。 ベ ラ ウ の 非 核 憲 法 太平洋のこのような状況の 中 、 て 、 アメリカから独立しよう'としてレる 人たちがいる 。 人 ハ わ ず か 、 十 五O
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人 の ベ ラ ウ ( 川 パラオ)とい i う 小さなおの件民たちが、昨年のはじ め、アメリカかしり独立しようと、刊 叩汁で初めての非核窓法を作った 。 ア メリカの九力て今だに独立は達成で き な い u が、似のゴミもダメ、紘基地 もダメ、絞の通過も北川さないという 非級志法をお民がみんなで討論して 作り十けた 。 ベラウは﹁同系村会﹂ てもともと女の力が強いが、この非 舷窓法を作るときも女たちが活躍し た 。 そして、ベラウの人々は、 こ の 非以憲法てアメリカの絞戦時の 小 紋 守幣とうとしてレる 。 わ れ わ れ の め ざ す 反 核 運 動 す で に 、 作の人たちにとって、核の加中山析に な っ ている 。 そのような状況の 小 て 、 け 本人である引似たちがめざす以紘注 品目とはどういうものだろうか 。 非 社 似 宇 一原則を守れ、ヒロシマ ・ ナガサキ 合忘れるなというスロ ー ガ ン で は 、 私 た ち は 、 アジア ・ 太子 凶て距離を測ると、玄海灘の広きは わずか 二00
キロしかない。古里と 大阪の距離は約六00
キロ、古里と 東京の距離は約 一000
キ ロ で あ る 。 また、韓国と日本の地闘を合 州 国に 重ねた地凶(ぷ l ) では、ソウルI
東 京間は、サンフランシスコ1
↓ ア ン バ ー間よりも短レし、さらに、サンフ ランシスコとスリ 1 マイル島原発近 くのペンシルパニア州ハリスパl
グ との距離よりも、 -4 4 し %も短い 。 と いうことは、もし韓国てスリ 1 マ イ ルのような事故が起きたら、放射能 表1 rli.検=u
.
事E
盆主..~I)①こんなに近い韓国と日本
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か
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東 京 約1,150キロ 東 京 約1,000キロ 大 阪 約 600キロ 大 阪 米 力 リ フ 方jレ 」ニア州の中に入る ー一一一一ー-', -¥ J共
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ソウ Jレ 古里原発 t 古里原発 ー ソウ Jレ もはやどうにもならない。 本当の反核運動、つま り 、 非 核 で はなく、核を 倒 す という 運 動 をする ならば、アメリカの核の傘の下 に お ける非核 三 原 則 そのものを疑うと同 時に、日常の核である原発、特 に 、 第 二 再処理の 問 題を考 λ なければな ら な い 。 ヨ1
ロ ァパの反核運動は、あれだ け盛り 卜 がりながら、 モ ル ロ ア で の フランスの絞実験を 止 め る ・ ﹂ とが で きない 。 ヨ ー ロ ッパの反核運動を に なう人たちには、第 三 一 世界に対 する 枕 山 が恐しいはど欠落 し て い る。そ こ に、アシア人であり、第 三 世 界の 民衆と共に歩もうとする私たちの 非 常に大きな使命がある。 品後に、ヨ ー ロッパの反絞運動は アメリカの草の根運動 と 連動し、大 凶 洋反絞同盟を作りつつある。それ に咋応して、私たちも、太平洋反核 同盟を作りた い 、 。 特に私たち女 が中 心となって 。 そのために、アジア ・ 太平洋の人たちと述幣して、 一 緒に 反核の闘いにたち上がろう。 (まとめ・飯田典子)@
八二年三・二一平和のためのヒロ シマ集会で、わたしたち戦争に反対 する広烏女たちの会は、集会に参加 した人々に﹁買春観光反対﹂﹁フィリ ピンの女たちへの支援カンパ﹂を訴 えました。 わたしたちが、三・二一に自分た ちで行動するか
E
うか検討しはじめ たのは、三月に入ってからのことで、 とりくみとしては遅いスタートでし た。それは、わたしたちの聞に集会 そのものに対するシラケムl
ド が あ りに変ってきました。さらに、集会 場所が 5 ケ所に分散され、内容も、 きだ・まきしなど芸能人タレントを 集めての歌と踊りの祭典となるにい たって怒りが爆発/﹁わたしたちの できることで、何か行動しよう/﹂ ということになったのです。 さっそく集まり﹁今の日本とアジ アの関係を象徴する買春観光を告発 したい/・アジアの女たちと連帯する 質をもった反戦の行動を起こしたい /ピラまきだけでもいいからやりた 問題にしていく。買春観光も以上の ような観点からとりくむーーという ような共通認識が次第に出てきたよ うに思います。 そ し て 、 ﹁E
うせやるならビラまき だけではつまらない。もっと具体的 なことをするべきだ。企業を名指し で抗議するとか、抗議のハガキを出 すとか、アジアの女たちへの支援カ ンパを集めるとか:::﹂という積極 的意見が出ました。しかし、その一 方で7
反核。の集会に買春観光反対平和のための
ヒロシマ反核集会報告
広島・アジアの女たちの会
ったからです。 か反核。も言わずか反原発作も言え ない、砂反核兵器ーだけのか反核。集 会。砂反戦。は砂核軍縮。のみのか平 和主集会。砂今の日本の平和宏守ろう 国民運動。的にゆがめられた集会に、 シラケていたわけです。 し か し そ の よ う な 集 会 に 対 し て さえ、警察や市当局は集会場所の許 司をおろさず、右翼の宣伝カーばか りが堂々と市内パレードをしかねな い状況なので、シラケがだんだん怒 た。例えば、原案ては﹃恥を知れy
﹄ と入れであったのですが、ある人は ﹁︽恥︾という言葉に対して抵抗感が ある。﹂又、﹁経済侵略の分け前にあず かっているワタシたちが同じ日本人 に恥を知れとは言えないのではない か﹂という意見。それから﹃アジア の民衆とともに﹄の︽民衆︾という 言葉についてつ民衆。という言葉を か人々々にしてはいけないのか、お定 まりの政治用語みたいで抵抗がある﹂ という意見に﹁スローガンを単に砂人 々。じしたら、たとえばマルコスも 入ってしまうのではないか﹂という 反論が出る等々:::。運動における 表現手段としての︽ことば︾が問題 になりました。むずかしいところで す。言葉は、単なる伝達の手段であ るばかりではなく、認識の子段、でも あり、思想の表現でもあるからです。 スッキリとは解決しなかったのです が一応ピラをつくり、横断幕、ゼッ ケン、立看の製作をしていきました。 広島大落語研究会0
・B
の人が、寄席 文字で﹁買春観光の図﹂、﹁日本の大 罪﹂と書いてくれました。 三 二 二 、 当 日 の と り く み 9時
Bま
A 二 グ き グ つ ル ル の クe フ 。 フ 。 ル 平 広 プ 和 島 に 公 駅 分 園 前 かま
で れ
で ピ 行 立ラ 動
い/・﹂と話し合いました。 全体会議の提起を受けて、買春観 光問題と自分自身の問題意識の重な る部分、重ならない部分、相互の認 識の違いなど卒直に出し合いました。 話し合いの過程て 11l アジアの女た ちの犠牲の上にのつかったわたした ちの自立・解放はあり得ない。か一反戦。 といっても日本から兵器が、戦争が なくなれば、それでよしとするので はなく、間切実のアジアと日本の関係 を直視し、その搾取と収容の構造を 看 を 運 び 、 立 看 設 営 ロ時1A-B
グループ共に、ビラ情 宣、抗議のハガキ、署名、カ ンパあつめ 日時i
名古屋の女たちとJ
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だ・ま さしコンサート H 粉砕行動に 日時却分 1 。反戦・反核・反原発 u集 会 場 (独自集会)から、市民グルー プのデモ行進(六C01
八O
O
名、又は一000
名という 人もレる)が出発、平和公園 内を行進、女性二人で横断幕 を持って最前列へ M 山時加分1
独自集会の市中デモ行進へ参 加(この時も、デモの最前列 で女たちはガンバった) 口時叩分1
行動終了(署名者数三三六人、 カンパ額四九、一七四円、抗議 ハガキ八O
枚 ) 日時加分i
か反戦・反核・反原発。交流集 会へ一名参加 三月一一一日、わたしたちは、午前9
時から広島駅前と平和公園でピラ 配り、又、平和公園内に立看板を設 置して﹁買春観光の図﹂、﹁日本の大 罪﹂を?ンガで解説したもの、﹁フィ リピンの女性グループからのメッセ / ど う か な あ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ﹂ ﹁ 男 の 参 加 者 が 多 い集会で、反応はあまり期待できな いのでは:::﹂﹁説明を求められてう ま く 説 明 が で き る だ ろ う か ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 ﹂ 等 々の消極的意見もかなりあって、全 体として、いまひとつ盛りあがりに かけていました。それは、三・二一 集会の形態が││二O
万人の人々が 集まる、集会場所がそれぞれ離れた 場所に分散するーーという状況で参 加者は固定されるのか、流動的に各 会場をまわるのか。多勢の人々の流 ージ(アジアの女たちの会ニュース レターより抜粋ごなどを掲載しまし た。反響は予想外に大きかったよう に(主観的汐)思います。用意した ピラ、ハガキ、署名用紙はたちまち なくなってしまレ、署名用紙は三回 コピーしに行ったほどです。ピラも なくなってしまい、立看の前に関心 を持って集まった多勢の人々の要請 に、充分応えられなかったのが、た いへん心残りです。 ﹁ピラをください。﹂(男性)、﹁スミ マセン、もうなくなっちゃいました﹂ (ワタシタチ)﹁抗議のハガキ、記念 に欲しいんですけど:::﹂(女性)、 ﹁スミマセン、これっきりしかないの でかんべんしてください﹂(ワタシタ チ)﹁わたし、一ぺんでいいからこれ をしたかったの﹂と積極的にペンを 走らせ、カンパしてくれる印代の女 十 E o -F l ﹁かつて、中国大陸でワシと閉じ年 代の男たちが、現地の女たちにE
ん なむごいことをやってきたか:::﹂ と非惨な現場を目撃したt
話す印1
叩代寸らいの男性もいました。﹁東京 でワタシの妻も戦争を許さない女た ちの集会に参加しています﹂という やはりω
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叩代の男性もいました。 また、九州から来た部落解放同盟の 女 性(
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初代)は、﹁ワタシたちお 金を使って何のために今日、広島に れの中でいったいE
れ寸らいの人々 が、わたしたちの訴えに耳を傾け、 足を止めてくれるだろうか。又、他 団体の紙爆弾が飛びかう中、わたし たち少人数の訴えが、果して人々の 目に触れるだろ'フか││等々、集会 全体のイメージがつかみきれないの で、行動への不安があったせいだろ うと思います。 とにかく、反対のピラ、抗議のハ ガキ、署名カンパなどやることに決 定しました。又、この時点で﹁やっ ぱり戦争と買春観光の関係がよくわ からない。説明を求められても自分 はこたえられないと思う。﹂という人 もいて、積極論者を、大いにあわて させました。一対一の密着討論を泊 りがけで続けた結果、戦争に反対す ることと買春観光に反対することと の繋りが、納得できたそうです。﹁日本 とアジアの関係、買春観光の実態を、 もっとわかりやすく多勢の人々に訴 えるにはどうすればよいだろうか?﹂ 活 字 よ り も 視 覚 で 訴 え る 方 法 写 真パネル展示などはどうだろうか しかし、実態を伝えられる写真が手 近にみつからず、思案の末、立看板 にマンガで解説することにしました。 ビラ、横断幕のスローガン│こと ばをめぐって相互の意識性の違い.、 ことばに対する受けとめ方の違いが 出て、なかなか一致をみませんでし 来たのか、歌と踊りのお祭りでは、 学ぼうにも学んで帰るものがない。 でも、そんな中であなたがたのとり くみをみて、ほんとうに良かった。 頑張りなさい。﹂と、激励してくれま し た 。 中には、﹁何だ、買春のパイの字が 違っているじゃないか﹂と言いなが ら素通りする人もいましたが、殆E
積極的に呼びかけに応えて︿れまし た。男性が多かったのも以外でした。 もっとたくさん用紙を準備してい V た ら、更に多くの抗議の声を集めるこ ことは言うまでもありません。しか し、立看の前に集まった人々、抗議 のハガキや署名に応じた人々の積極 性 ・ 関 心 の 強 き は 、 市 民 の 日 常 生 活 に潜在する買春観光に対する怒りの 存在を、わたしたちに確信させてく れました。 三・二一のとりくみをふまえて、 今后も各地の女たちの活動と連携し、 広島で戦争に反対する行動を起'﹄し て行きたいと思います。@
故大平首相が七八年、政権の座に ついた時、﹁環太平洋構想 L が語ら れ、鈴木首相になってからは﹁経済 安保﹂が強調される。こうした政策 がでてきた背景には、ダイナミック な世界の動きがあった。 ベトナム戦争以降、七一年にはド ルショック、七二年には早魅と洪水 による世界的大飢鑑、七三一・四年に は石油ショックと食糧危機がおこる。 企業が、アジアになだれを打って入 ってきて主要な地下資源を押えてい ったのに比べ、日本は繊維、家電、 食品、雑貨部門を中心に中小規模投 資を、韓国・台湾・東南アジアに集 中させた。日本の進出企業は本国の 親会社の部品を生産する下請工場、 あるいは原料・部品を本国から持ち 込んで原地生産をするというパター ンで、主に現地の安い労働力の搾取
どこまで進む
日本の経済侵略
七四年には国連で﹁新国際経済秩序﹂ の樹立に関する宣言が係択されて、 資源ナショナリズムの高揚、第三社 界の台頭が顕著となった。日本にと っては七四年はASEAN
訪問中の 田中一元首相への反日暴動の年として 記憶されている。 六0
年代日本の高度成長は世界的 注目を浴びたが、それは何より一バ ーレルl
一ドルという安い石油をふ んだんに使いながら、企業の設備投 資 │ 設 備 の 拡 充 ・ 新 工 場 の 建 設 を 進めたことによって成り立っていた。 こうした中、日本の経済進出は L ハ0
年代半ば、ベトナム戦争の最中に本 格的に始まった。アメリカの多国持 ィリピン・中国・韓国・台湾、 ルプはブラジルというように、 の構造ができあがっていった。 同 紙 様ノf ロ環太平洋構想 大平政権が誕生する一カ月前、七 八年十一月、財界のシンクタンクと 称される野村総合研究所の発行する ﹃財界観測﹄に、﹁環太平洋構想﹂に 関する論文が掲載された。これはア メリカが世界のトータルリーダー-日 本 と ド イ ツ は 、 サ ブ リ ー ダ ー と い う 図式に見られるような世界支配構造 をしめしていた。環太平洋地域では 日本営サブリーダーとするというと、 かつての大東亜共栄圏を連想しがち だが、大東亜共栄圏が武力で太平洋 地凶械を勢力圏にいれようとしたもの と遠い、環太平洋構想は資本と商品l
貿易の流れによって形成される経 済圏構想である。しかもこの構想は 野村総合研究所で単独に考えだされ たものではなく、アメリカのブルツ キングス研究所、オーストラリア国 立大学、ニュージーランドの国際問 題研究所などと連動して検討が進め られたものである。先進国の経済不 況t
第三世界の政情不安に対応し、 軍事を含めた世界経済支配体制を確 立していくという帝国主義的な八0
年代世界戦略の一環として、環太平 洋構想は位置づけられる。 を目的としていた。 同じ太平洋圏にあるオl
スト ラリアも、イギリスの圧倒的な支 配を旧制けだし、通貨をポンドからオ ーストラリアドルに切りかえるとと もに、太平洋の方に向きをかえ、日 本とは資源の供給国として密接な関 係をもつようになってきた。このよ うな情況の中て、日本はその安定成 長を維持するために、従米のダl
テ イなイメージ、安い労働力企使い、 製口聞を売りまくり、資源ぞ夕、ダ同然 で も っ て 帰 る を 修 正 す る 必 要 に せ まられた。その具体的な政策が﹁産 業構造の長期ビジョン﹂である。 大平首相は就任するとすぐこの構 想の実現をはかろうとした。研究会 ぞ主催し、文書、が作成された。また 翌七九年五月にマニラで開催されたUNCTAD(
国連貿易開発会議)に 首相として初めて出席し、﹁人づくり 論﹂を展開した。会議の期間中、オ ーストラリア保守党政権のフレイザl
首相、フィリピンのマルコス大統 領と首脳会議をおこなっている。八O
年一月にはオーストラリアを訪問 し、再び大平│フレイ、ザ1
会 談 。 そ の結果、民間レベルてやろうという ことになり、民間主導型の太平洋経 済委員会の子て実質的な活動をはじ め た 。 この過程、て経済進出のあり方も微 妙に違ってきた。不況産業の工場を 水平的に海外に移転するというだけ ではなく、トップに日本の資本と技 術をおき、資源産出国の資源をA
S
EAN
諸国へ運んで一次加工し、日 本で一番もうかる製品加工を、しよ う と い う 垂 直 的 な 経 済 支 配 を 目 ざ す ﹁新国際分業﹂が考え出されてきた の だ 。 経済進出の形態の変化に伴い、規 模も大型化していった。軽工業中心 の中小規模投資の時代から、重化学 工業部門の大規模投資となり、さら に一企業だけでなく大企業がグルー プをつくり、十億ドル単位の投資を ロ産業構造の長期ビジョン をものすごく食う産業で、石油ショ ック以後、安価な石油とボーキサイ ト が 子 に 入 ら な く な っ た た め 、 日 本 の製練工場で生産されるアルミの地 金 は カ ナ ダ の 価 格 の 三 倍 も の 高 値 と なり、たちまち不況産業となってい った。そこで三井化学がブラジルに、 住友化学がヘゲモニーをとり、イン ド、不シアにアルミ製練工場を作った。 インド、不シアのアサハン・プロジェ クトでは、最初は資本参加をして、 インド、亦シアの安いボーキサイトと 水力を使い、生産されたものを全部 ひきとろうという予定だった。とこ ろがインド、不シアのボーキサイトの 採掘権は、欧米のメジャーに握られ@
一九七五年九月、通産省の産業構 造審議会は、七六年から八五年まで 十年間の日本の経済進出のあり方を 決めた長期ビジョンを出した。その 中で七五年の海外直按資投残高二一O
億ドルを八五年には八OO
億ドル にしようという計画がしめされてい る。そのためには、高度成長からの お荷物、ェ、 t r ル ギl
多消費型の産業 を海外に工場ごk
もっていき、﹁産業 構造の高度化をはかる﹂﹁省エ、不ルギ ーをはかる﹂というのが政府の福 い文句であった。具体的には、 四大不況産業である鉄鋼・石ー環太平洋構想とは何か│
北
沢
洋
子
油化学・非鉄金属・紙パルプの工場 を海外にもっていこうというものだ っ わ ん 。 -﹄のうち、非鉄金属の中で一番問 題となっているアルミをとりあげて みよう。アルミは生活レベルでは実 感としてわからないが、サッシとし て建築・自動車材料に使われ、高度 成長時代にはとび必けた勢いで生産 が伸びた。ところが、アルミは石油 てしまっていて、日本が開発できな い条件ができていた。そこで、ボー キサイトをオーストラリアから買っ てきて、インド、不シアで一次加工し て地金にした後、日本に持ってきて もっともうかる製品に加工し、売る という構造をつくりあげた。 アルミだけではなく石油化学は、 サウジアラビア・シンガポール、鉄 鋼はブラジル・オーストラリア・フ するというナショナルプロジェクト へと変わってきている。 ている。ェ、不ルギl
安保の一つの眼 目は、石油の消費量を減らすことで あるが、この間、鉄鋼、アルミの不 況もあって、石油の消費は急激に減 っ て い る 。 さらに注目しなければならないの は食糧安保、である。日本は過去一貫 してそのほとんE
を輸入に頼る食糧 輸入固として知られてきた。日本の 高度成長は、国際分業によって農業 を切り捨てて、工業国として遜進す るところにあった。それが今、食糧 に注目し始めたのは何故かといえば、 それは、か自給。のためではなく、そ の戦略的重要性に他ならない。地球 ロ総合安保 鈴木首相が提唱する﹁総合安保﹂ は、このような考え方がさらに進め られ、。軍備、て守るものを経済力、で守 る。ことが全面的に主張されるよう になる。その柱が、工、不ルギ1
安 保 であり、食糧安保である。 エネグギ1
安保といわれる中では、 か 省 エ ネ ル 、 ギl
化。やエネルギーの 多様化がはかられている。原子力開 発の促進がきかんに叫ばれる一方で、 企業はLNG
きがしにも躍起となっ 「世界からjNo.12よりの 南 の 半 分 が 今 も 飢 え て い る こ と 、 そ し て そ れ が 生 産 量 の 問 題 で は な く 配 分 の 問 題 に あ る こ と が 明 ら か に な っ て い る と き 、 食 糧 の 戦 略 的 重 要 性 は噌大する 。 日 本 は 、 穀 物 を は じ め と し て 、 そ の 多 く を ア メ リ カ か ら 買 っ ている 。 そ う で あ る 限 り 、 ア メ リ カの-言 レなりにならざるを得ない 。 ア メ リ カ に 対 抗 し 、 世 界 的 に 安 い 武 器 に か わ る 支 配 の 道 具 と し て の 食 糧 の 確 保 が 目 ざ さ れ る の で あ る 。 ロ ア ジ ア ボ ー ト 計 画 食料開安保の脈絡できわめて注