連載
坂田 正三
47
アジ研ワールド・トレンド No.255(2017. 1)
第 12 回
●インターネットと政治研究
筆者の印象では、ベトナム現代政治の研究は
二〇〇〇年代に入り大きく変化した。研究成果
の質・量ともに、一九九〇年代までとは比べも
のにならないほど充実している。
一九九〇年代には経済的な自由化と対外開放
が進んだものの、政治には秘密主義の部分が多
かった。ベトナム政治研究は、外部に漏れる瑣
末な情報の断片(官製新聞の文言の変化や葬儀
名簿の序列など)を元に共産党内の力関係を分
析
す
る、
い
わ
ゆ
る「
ク
レ
ム
リ
ノ
ロ
ジ
ー」
(
旧
ソ
連の政治研究で主流であった手法)と揶揄され
るような研究が中心であった。
また、
「和平演変」
や「ホー・チ・ミン思想」といった特殊な概念
を理解するリテラシーも必要とされた。
近年のベトナム現代政治研究の大きな変化を
象
徴
し
て
い
る
の
が
、
ジ
ョ
ナ
サ
ン
・
ロ
ン
ド
ン編
著
に
よ
る
Po
litic
s in
Contemporary
Vietnam
(
参
考文献①)の構成である。この本で取り上げら
れ
て
い
る
研
究
対
象
は
党
内
の
力
関
係
の
み
な
ら
ず、
中央・地方関係、汚職の手法、党幹部のキャリ
アパス、反体制活動、反体制派への抑圧の体制
と
手
段、
市
民
社
会
の
形
成
過
程
な
ど
多
岐
に
渡
る。
研究手法も、党文献や国会決議、新聞記事の分
析や党・国家機関の組織構成や人事の分析とい
った古典的な手法だけでなく、反体制活動家の
ブログの内容の検討、党幹部や活動家とその家
族への直接のインタビューなど、これまでには
なかった、あるいは困難であったものまで含ま
れている。
同書にも寄稿しているエドムンド・マレスキ
ーによるものをはじめ、定量的なデータを用い
た計量モデル分析も盛んに行われるようになっ
た。政党がひとつしかなく国会代表選挙の投票
率が毎回ほぼ一〇〇%となるベトナムでは、選
挙結果は分析の対象となりにくいが、たとえば
マレスキーの場合は、地方省財政の中央への依
存度や国会における国家幹部の信任投票結果な
どのデータを用いた分析を行っている(参考文
献②など)
。
このようなベトナム現代政治研究の新たな潮
流は、ベトナム政治の特徴を他国との比較から
捉えることを可能にした。一党独裁国家という
共通点を持つ中国との比較研究や、現代のベト
ナムをいわゆる「開発独裁」の国と捉え、高度
経済成長期の東アジア諸国の政治と比較した研
究
な
ど
で
あ
る(
参
考
文
献
③
な
ど
)。
ま
た、
比
較
政治学の理論を用いてベトナム政治の特徴を理
解する研究も行われるようになっている。たと
えば共産党一党独裁国家ベトナムにおける国会
の正当性を、単に民主主義国家を装うためのお
飾
り
で
あ
る
と
決
め
付
け
ず、
「
反
体
制
勢
力
の
取
り
込み」理論や「アカウンタビリティ」理論から
論理的な解釈を加える研究などである(参考文
献④)
。上述のジョナサン・ロンドンも、
「ベト
ナムは比較政治研究のなかではしばしば見落と
さ
れ
て
」
お
り、
「
比
較
政
治
学
の
理
論
研
究
の
な
か
にベトナムを位置付けた説得力のある議論を行
う」ことを同書刊行の目的の一つとしている。
このような変化が可能となった最も大きな要
因として、ベトナム政治に関する入手可能な情
報
量
が
格
段
に
増
加
し
て
い
る
こ
と
が
挙
げ
ら
れ
る。
まず、党や国会、各省庁などの国家機関が積極
的に情報発信している。党大会や国会会期中は、
ホームページに毎日その日の議題がアップロー
ドされ、人事などの重要な決定は即日世に知ら
される。国会では大臣への質疑応答のセッショ
ンがテレビで生中継される。新聞、テレビ、ラ
ベトナム現代政治研究の最前線
14_途上国研究の最前線.indd 47 16/12/06 10:17
アジ研ワールド・トレンド No.255(2017. 1)
48
ジ
オ
と
い
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た
官
製
の
マ
ス
メ
デ
ィ
ア
だ
け
で
な
く、
個人や組織によるソーシャルメディアを通した
情報発信も増えている。
「
ク
レ
ム
リ
ノ
ロ
ジ
ー」
的
な
党
内
政
治
研
究
が
な
くなった訳ではないが、こちらも変化はみられ
る。
現
在、
Dan
Lam
Bao
(
市
民
の
新
聞
)
を
は
じめ、党書記長や首相など党トップの幹部にま
でおよぶゴシップや党内の対立関係などの、出
所不明で信頼度も不確かな記事を掲載するイン
ターネットのサイトが複数存在しているのであ
る。かなりきわどい内容の情報が流されている
にもかかわらず、不思議なことに、これらのサ
イトが当局の手で閉鎖される気配は今のところ
ない。表に出てこない情報をさまざまなルート
から集める能力に加え、玉石混交の情報を選別
する能力も必要とされる時代になってきたとい
える。
●対立の新たな形
一方で、党・国家と市民の対立に関する情報
は、当局の懸命な情報統制にもかかわらず、以
前より格段にみえやすくなってきている。それ
は、土地収用をめぐる住民と当局の対立から民
主化要求や反体制的な活動まで、当事者たちが
積極的にインターネットを利用して情報を発信
するようになったからである。
たとえば、民主化や人権の尊重を求める活動
家たち
(元新聞記者などが多い)
は
「ブロガー」
を名乗り、自らのブログで反体制的なメッセー
ジを発する。彼らは当局に嫌がらせや暴力を受
け、場合によっては拘束され、さらに数年間投
獄されるが(刑期終了前にアメリカに追放され
る
ケ
ー
ス
も
あ
る
)、
そ
の
ブ
ロ
ガ
ー
た
ち
の
動
向
も
他のブロガーがブログで発信するといった具合
で、彼らの存在や発するメッセージが一般大衆
に知られるようになってきている。
また、近年では党や政府への反対意思を表明
するグループが、インターネットを通して賛同
者を募るという新たな反体制運動の手法が定着
しつつある。中部高原ラムドン省で深刻な環境
汚染を引き起こしていたボーキサイト採掘プロ
ジェクトの中止を求める学者や新聞記者ら知識
人たちが、二〇〇九年と二〇一〇年に党政治局
と政府に対し「建議書」を提出し、ブログでそ
の内容を公表するという反対運動を展開し、話
題となった。二〇一三年に憲法改正案が公開さ
れた際には、現役の共産党員や元党幹部も含む
七二人の知識人たちが、ベトナム一党独裁を規
定
し
た
条
項
の
撤
廃
を
含
む
独
自
の
改
正
案
と
し
て、
いわゆる「建議書七二」と呼ばれる文書を憲法
起草委員会に提出し、さらにこれをインターネ
ットに公開し、一万四〇〇〇人もの賛同の署名
を集めた。
反
体
制
的
な
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
発
す
る
ブ
ロ
ガ
ー
や、
「建議書」を作成
・
公開する知識人たちの素性は、
一般に公開されているかあるいはインターネッ
トを通せば容易に検索できる。そのような情報
を追いかけることもベトナム政治研究の重要な
活動のひとつとなっている。また、二〇一三年
の
反
中
デ
モ
が
暴
徒
化
し
た
際
に
み
ら
れ
た
よ
う
に、
デモや住民と公安との小競り合いといった情報
は、ソーシャルメディアを通してあっという間
に国内に広がり、事態が思わぬ方向に発展する
ことがある。そのため、ベトナム政治研究には
ツイッターやフェイスブックのフォローも欠か
せなくなっている。
思いおこせば、一九九〇年代後半からベトナ
ムの経済に関する研究が盛んに行われるように
なった背景には、一九九三年に統計総局がGD
Pの計算方法や産業分類などを旧東側ブロック
諸国が採用していたMPS方式から国連基準に
変更し、他国と共通の情報の基盤ができたとい
う変化があった。現在のベトナム政治研究の最
前線においても、さまざまな情報がオープンに
なることにより、一見特殊にみえるベトナム政
治の制度や慣習も、他国との比較や理論による
裏付けを通して理解することが可能になってき
ているのである。
(
さ
か
た
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ょ
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う
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ア
ジ
ア
経
済
研
究
所
東
南アジアⅡ研究グループ)
《参考文献》
①
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Macmillan, 2014.
②
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③
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South
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2010.
④
石塚二葉「ドイモイ期ベトナムにおける国会
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紀
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体
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議
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正
当
性
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国、
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ベトナム、カンボジア――』アジア経済研究
所、二〇一五年)
。
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