特集にあたって (特集 途上国・新興国のスポーツ)
著者
安倍 誠
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
237
ページ
2-3
発行年
2015-06
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003177
アジ研ワールド・トレンド No.237(2015. 7)
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● は じ め に スポーツは、観るにせよ、ある いは自ら行うにせよ、娯楽として 人々の生活にはなくてはならない ものである。どのようなスポーツ を楽しんでいるのか、またその楽 しみ方は国や地域によって大きく こ と な る。 国 に よ っ て は プ ロ ス ポ ー ツ の 興 隆 や 人 気 ス ポ ー ツ の マーケティング効果など、ビジネ スの世界でもスポーツは無視し得 ない存在になっている。さらに、 スポーツの国際大会は、人々に与 える高揚感ゆえにしばしばナショ ナリズムと強く結びつき、一国の 政権は自らの維持のためにスポー ツを利用し、政府はスポーツ振興 の名の下にトップアスリートの育 成に大きな力を注いできた。それ ゆえ、ある国・地域のスポーツは 経済や政治のあり方に少なからず 規定されている。他方で、近年は サッカーや野球などプロスポーツ のグローバリゼーションが急速に 進行し、それが各国のスポーツの あ り 方 に も 影 響 を 与 え る よ う に なっている。 ● 対 北 競 争 の 手 段 と し て の 韓 国 ス ポ ー ツ スポーツと政治、そしてナショ ナリズムの関係について、ここで はお隣の韓国を例にみてみよう。 韓 国 の ス ポ ー ツ と い え ば、 サ ッ カーなどで日本に対して対抗心を むき出しにする様を想起する人は 多いだろう。サッカーにおける日 韓 の 因 縁 は 深 く、 最 初 の 激 突 と な っ た 一 九 五 四 年 三 月 の ス イ ス ワールドカップ極東予選での日韓 戦二試合(日本)への出発前に、 当時の李承晩大統領が「負けたら 玄界灘に身を投げろ」といった話 は有名である(結果は韓国の一勝 一分けで本戦進出) 。 しかし、スポーツ全体の歴史を 振り返ってみると、韓国がまず強 い競争心を燃やした相手は北朝鮮 であった。一九五三年に朝鮮戦争 が停戦になった後、南北はいわば 国力をめぐる戦争を繰り広げるこ とになったが、スポーツもそのひ と つ で あ っ た。 北 朝 鮮 は I O C ( 国 際 オ リ ン ピ ッ ク 委 員 会 ) な ど 国際スポーツ界への参加には大き く出遅れたものの、社会主義国家 ならではの「ステートアマチュア 制度」により国家丸抱えでの選手 育成に乗り出していた。その成果 は一九六〇年代には早くも表れた。 北 朝 鮮 の ス ポ ー ツ 国 際 大 会 の デ ビュー戦というべき、翌年に東京 オリンピックを控えた一九六三年 にインドネシアのジャカルタで開 催された新興国のスポーツ大会、 G A N E F O ( The Games of theNew Emerging Forces
) において、 辛金丹が女子陸上短中距離三種目 で優勝し、しかも当時の世界最高 記録をたたき出した。結局、東京 オリンピックへの参加は開会式前 日に取りやめたが、スポーツの国 際舞台での北朝鮮の活躍は続いた。 一九六六年にイングランドで開催 されたサッカーワールドカップに おいて、北朝鮮はイタリアを破っ て ベ ス ト 8 に 進 出 し た。 オ リ ン ピ ッ ク で の 初 の 南 北 同 時 参 加 と なった一九七二年のミュンヘンオ リンピックでは、北朝鮮は射撃で の初の金メダルを始め、銀メダル 一個、銅メダル三個を獲得した。 それに対して、韓国は柔道の銀メ ダル一個に終わった。 この「惨敗」を受けて、韓国も 国家的なスポーツエリート養成を 本格化させることになる。一九七 三年に日本でもよく知られている メダル獲得者(オリンピック銅メ ダル以上、アジア大会金メダル) に対する兵役免除が始まった。さ ら に「 四 強 制 度 」、 す な わ ち 全 国 大会で四位以上になれば、体育特 技者として大学に進学できる制度 も導入された。一九七五年には、 国際大会の順位でよって獲得され るポイントに応じて支給される年 金制度もスタートした。このよう な「アメ」の効果もあってか、一 九七六年のモントリオールオリン