• 検索結果がありません。

小学校音楽科における創造的表現活動に関する一考察 : 「つくって表現する」音楽活動を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "小学校音楽科における創造的表現活動に関する一考察 : 「つくって表現する」音楽活動を中心に"

Copied!
217
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)小学校音楽科における. 創造的表現活動に関する一考察 「つくって表現する」音楽活動を中心に. 教科・領域教育専攻 芸術系コース(音楽). 平林 真喜子 1. 研究の動機と目的 り」. 第5章 「音楽づくり」を中心にした音楽科. 教職について以来、創作領域に興味を持ち、 ささやかながらも「音楽づくり」教育を実践し てきた。演奏教育はもちろん、鑑賞教育を通し ても、子どもたちの個性や創造性を育てること はおおいに可能である。しかし、集団教育とい う条件の中で、子どもたち一人ひとりを音や音 楽と直接関わらせ、個性や創造性を育てるため には、「創造的な音楽づくり」が適切だと漠然と 考え実践してきた。しかし、整理を充分理解し ないままの実践であったので、効果をあげるこ. 第1章では、現代社会のもたらしたゆがみが 学校教育にも暗い影を落とし、子どもたちが画 一的な思考や表現しかできなくなっている現状 を見いだした。そこで、音楽科教育では感性や 想像性をもとに、一人ひとりの創造性を伸ばす 必要を説き、自己表現の手段のひとつとして、. とができなかった。. 「音楽づくり」が適切であることを述べた。. そこで以下の4点について、その解決の糸口. 第2章では、イギリスの音楽教育研究家、キ ース・スワンウィックの音楽的発達の理論を取 り上げた。これはピアジェの「遊び」の発達の 理論をもとに、3∼11才の子どもたちの音楽的 所産(広義の創作作品)を解釈することによっ. をみつけることにした。 ①ジョン・ペインターやマリー・シェィファー. 等の「創造的な音楽つくり」を支える原理を 知る。また、彼らの考えの原点になったと思 われるカール・オルフの音楽教育原理につい ても知る。. ②本質的に、音楽することは遊ぶことと同質の ように考えるが、本当はどうであるのか? ③思いつきで実践することが多かったが、「創 造的な音楽づくり」の学習の発展軸はどうあ ればよいのか考える。 ④「伝統的な音楽づくり」と「創造的な音楽づ くり」の接点は無いのだろうか?. 2 論文の構成と概要. 授業の展開 おわりに. て、「マスタリー」 「模倣」「想像的な遊び」. という順序で、おおまかな発達のみちすじをた どることを明らかにしたものである。また、こ の3つの遊びの要素は、 「音素材の制御」 「表. 現上の諸関係」の音楽的要素と結びつけもので あり、あらゆる年齢層の音楽教育に生かすこと ができるものである。. 第3章では、 「遊び」の本質を探り、 「音遊. び」「音楽遊び」の実践例がペインターやシェ イファー等の「音楽づくり」のプロジェクトや 「環境音の聴取」の課題につながることを確認 した。. はじめに. 第4章では、オルフ・ペインター・アストン. 第1章 学校音楽教育の基本的課題 第2章 「キース・スワンウィック」の音楽. ・シェイファーの音楽教育論について述べた。. 的発達の理論. 第3章 「音遊び」と「音楽遊び」 第4章 子ども中心の音楽教育の「音楽つく. とくに、ペインターとシェイファーの共著r音 楽の語るもの』は、 「創造的な音楽づくり」に. 非常な影響を与えたと考えたので、各プロジェ クトを実践事例とともに考察した。また、オル.

(2) 4今後の課題と展望 フの創造性開発のプログラムは、「伝統的な音 楽づくり」と「創造的な音楽づくり」の接点を 提供するものだと理解した。. 第5章では、「音楽づくり」を核として「歌 唱」 「器楽」「鑑賞(聴取)」領域の音楽学習. を進める方法について、「統合の理論」に裏付 けられたオーストリアの指導要領をもとに検討 した。各分野や領域が別のものとして存在する のではなく、相互に融合してはじめて、統一体 としての音楽科になると考えたからである。. 3 まとめ 「はじめに」でとりあげた4つの疑問の、解決の 糸口は次のようなものである。 ①ペインターやアストンの原理を知る手段は『音. 楽の語るもの』のプロジェクトを1つ1つ検討 する初歩的な方法をとったが、筆者が内容を理 解するにはよかったと思う。 ②ホイジンガーやカイヨワの理論と「音遊び」. 「音楽遊び(音楽ゲーム)」の実践例にあたり 音楽することは本質的に「遊ぶ」ことであると 筆者なりに納得した。しかし、今の段階では客 観的に「音楽することは、遊ぶことである。」 と定義づけることはできないであろう。 ③「創造的な音楽づくり」の学習の発展軸につい ては、オルフの提唱した創作原理、すなわち、 「模倣一問四一即興」をもとにリズム・メロデ ィーモティーフを発展させ、ドローン・オステ ィナートによる伴奏づけや、反復・カノン・ロ ンドなどの形式によって音楽を構成する方法が 一番のヒントとなった。この原理は、どんな種 類の音楽づくりにも応用可能だと考える。また スワンウィックの音楽発達の螺旋回過程も、音 手づくりの発達のみちすじをイメージするのに 役立った。. ④「伝統的な音楽づくり」と「創造的な音楽づく り」との接点については、アストンのプロジェ クトが参考になった。伝統的な機能和声音楽を 取り扱っても、現代的な音楽づくりは可能であ. る。また、この場合についても、オルフの原理 が両者をつなぐ「懸け橋」の機能を果たすと考 える。. ・「音」と「動き」の関係を中心にした「音 楽遊び」や「音楽づくり」を考えたい。 ・即興から作曲への深化は大きな課題である が、小学校では即興を中心に実践したい。 ・わが国の伝統音楽とともに、近隣諸国をは. じめとする民族音楽やポピュラー音楽の取 り扱いも無視できない。ただし、時間的制 約があるので、音楽科授業での体験をもと に、生活の中で子どもたち自ら音楽に出会 い、関われるようアドヴァイスをしたい。 ・他の芸術や教科との統合は、 「総合的な学. 習」の時間に可能ではないかと思う。音楽 に関しては、劇・ミュージカル・オペレッ タのようなものが思い浮かぶが、はじめか ら全て子どもたちの手づくりにすることな どはねらわず、既成の作品を演じることに よってまず再創造し、可能な範囲で工夫や 手づくりの部分を取り入れていくのがよい であろう。. 子どもたち中心の「音楽づくり」について述 べてきたが、結局、教師である自分自身の創 造性を問われていると感じた。 『音楽とは、自分自身を語ること、音楽教育 とは、語るべき自分らしさを育てること、、. 一音楽とは、「人それぞれ撃ちがう」と いうことを知るためにあるのです。一 この地球上で、自分が生きていて、そして 自分以外の人間が生きているということを知 ること、知らせること、それが音楽というも のではないだろうか、と今日も私は思ってい ます。』. これは、ひとりのピアノレスナーであり、 音楽教育家でもある北村 智恵の『心を紡ぐ 』の中の文章である。筆者は人間と音楽と教 育に対する{こんなに明快で深い内容の思想 をもって音楽教育に携わってくることができ なかった。この思想を心から理解し、今後、. 筆者なりの実践を展開していきたいと思って いる. 主任指導教官 松本ミサヲ.

(3) 平成11年度. 学位論文. 小学校音楽科における 創造的表現活動に関する一考察 「つくって表現する」音楽活動を中心に. 兵庫教育大学大学院. 学校教育研究科. 教科・領域教育専攻 芸術系コース(音楽). M98662D 平 林 真 喜 子.

(4) 例. 凡 :L. 本論は、5章より成る。. 2. 注は、5章のあとにまとめてつける。. 3. 【】は、項を示す。. 4. 『 』は、文献名を示す。. 5.. 「」は、強調したい文・語句を示す。. a 7. 《 》は、楽曲名を示す。. ()は、語句の説明・補足事項を示す。.

(5) 目. 次. はじめに. 一…・……・一・・一……・…一巳…・・……………曜………・……一・………・……. @1. 第1章 学校音楽教育の基本的課題. 第1節 子どもをとりまく教育的な環境 上 2.. 3. 画一的な価値観からの脱出. 2. ・・…一…一一・一一一一一. 「感性の教育」が、今こそ必要. 3. …一一一・一・一……一……. 4. 想像力と創造力をのばす場をつくり出す一…………一・一…………・…. 第2節 音楽科の基礎的問題 1.. 2. 5. 「音楽科」の教育的意義について考える一……一……・一・一一一…. 7. 開かれた音楽科教育の創造をめざして ・…・一一一…・……一一……. 第2章 「キース・スワンウィック」の音楽的発達の理論. 第1節 「遊び心」に満ちた芸術 第2節 音楽カリキュラムの哲学 第3節 3つの遊びの要素と音楽的発達. 第3章. …・…・…………・一……………・. @10. 11. 工. ピアジェの児童観と教育観. 14. 2 3 4 5 a. 3つの遊びの要素(マスタリー・模倣・想像的遊び). 15. 3つの遊びの要素と音楽的発達 音楽的発達のみちすじ. 17. 音楽づくりの発達の8つのモード 音楽的発達と音楽教育. 21. 17. 22. 「音遊び」と「音楽遊び」. …一一・一・…・一一一…・一 第1節 「遊び」の定義をめぐって 第2節 ピアジェの遊びの理論 第3節 子どもたちの生活の中の「音」と「音楽」 第4節 「音遊び」と「音楽遊び」. 第4章. 25. 27 28 30. 子ども中心の音楽教育の「音楽づくり」. 第1節カール・オルフの音楽教育 :L 基本理念. …・……・…………………………・…. @65.

(6) a 3. 4. 2.. …………一一・…一一一・一・…65. オルフの音楽指導の特徴 即興の重視. 一…一……・……一……一・……66 一…一・一一・…・…一一・一・…67. 5 a. オルフの本質的でひろがりのある考え方 ……一…・……・一一一…67. 7. オルフ研究所の活動から. 第2節 上. オルフの音楽教育の3要素. 『子どものための音楽』. ・一一・一一・一一一一一・一67 一…一一・一・一・…・……・一・…70. ジョン・ペインターの音楽教育 創造的音楽学習との出会い. r音楽を語るもの』の序論より. ・一一一…一・一一……・・一・…78. 一…一……………一一…一・…78. 3.. ジョン・ペインターのプロジェクト検討. 4.. ピーター・アストンのプロジェクト検討. 一一…………・………・…・・79. ……一一……・一…一 167. 第3節 マリー・シェイファーの音楽教育 1.. 2. 『教室の犀』が語るシェイファーの理念 『音さがしの本』の課題から. 179. ………一一・・一…一・…一・・180. 第4節オルフ・ペインター・アストン・シェイファーの 音楽教育論について …・…一・一一・…・…184. 第5章 「音楽づくり」を中心にした音楽科のあり方. 第1節オーストリアの音楽科学習指導要領 L 統合の理論 2. 「音楽づくり」の各領域に対する関わり方. 騨………………・………・・. @186. 190. 第2節 「音楽づくり」を中心にした音楽科授業の展開 ・・………………・一196. 注. 202. 引用・主要参考文献. 206. おわりに. 208. 謝辞.

(7) によじめ‘こ 音楽とは、自分自身を語ること、音楽教育とは、語るべき自分らしさを育 てること、. 音楽とは、「入それぞれ皆ちがう」ということを知るためにあるの です。. この地球上で、自分が生きていて、そして自分以外の人間が生きているとい うことを知ること、知らせること、 それが音楽というものではないだろうかと、今日も私は思っています。. これは、ひとりのピアノレスナーであり、音楽教育家でもある北村智恵の『心を紡 ぐ』の中の文章である。※ 筆者は人間と音楽と教育に対する、こんなに明快で深い内容の思想をもって、音楽 教育に携わってくることができなかった。この思想を心から理解し、北村智恵の何十 分の一かでも、今後の音楽教育に生かしていければと思っている。 教職について以来、創作領域に興味を持ち、ささやかながらも「音楽づくり」教育 を実践してきた。演奏教育はもちろん鑑賞教育を通じても、子どもたちの個性や創造 性を育てることはおおいに可能である。しかし、集団教育という条件の中で、子ども たち一人ひとりを音や音楽と直接関わらせ、個性や創造性を育てるには「音楽づくり」 中でも「創造的な音楽づくり」が適切だと、漠然と考え実践してきた。 しかしそこでは、イギリスのジョン・ペインターやカナダのマリー・シェイファー 等が主張した「創造的な音楽づくり」の原理を理解しないままの実践であったので、 十分な効果をあげることができなかった。疑問点も数多くあった。 そこで、この研究を通して、. ①ジョン・ペインターや、マリー・シェイファー等の「創造的な音楽づくり」を支 える原理を知る。また、彼らの考えの原点になったと思われるカール・オルフの 音楽教育原理についても知る。 ②本質的に、音楽することは遊ぶことと同質のように考えるが、ほんとうはどうで あるのか?「音楽」と「遊び」の関係を探る。 ③思いつきで実践することが多かったが、「創造的な音楽づくり」の学習の発展軸 は、どうあればよいのかを考える。 ④「伝統的な音楽づくり」と「創造的な音楽づくり」との接点は無いのだろうか? 以上4点について、筆者なりの解決の糸口をみつけたい。 ※北村智恵. 1996. 『心を紡ぐ』. 一1一. p.178.

(8) 第■章学校音楽教育の基本的課題 本章では「つくって表現する」音楽活動について考察する前に、21世紀を目前にし た今の学校教育と学校音楽教育の基本的課題について考察したい。. 第1節 子どもたちをとりまく教育的な環境 【1】画一的な価値観からの脱出. 高度経済成長の波にのって物質的に豊かな国となった日本であるが、バブル崩壊に よる経済的ないきづまりや環境問題、高齢化問題、少子化問題、教育問題、国際化・ 高度情報化社会の到来がもたらす様々な問題など、多くの難問を抱えて21世紀をむか えようとしている。. 我々は高度な情報化社会の中で、価値観の多様化に揺れている。しかし、子どもた ちは経済至上主義がもたらした偏差値主義教育により、かってない画一的な価値観の 中で育っている。学校では「学力」、社会では「お金ともの」というように数字で表 せるものに価値が置かれる。それらが、人間を幸福にするものと一般に考えられてい るのである。果たして、そうであろうか?最近の子どもたちのいじめ・殺傷・殺人事 件など心の荒廃問題は、偏差値主義教育のもたらした一つの負の解答ではないかと考 える。. 学力(実は受験技術力)を他人との比較において科学的に数値化する偏差値{11主義 教育は、受験との関わりが少ない音楽科・美術科・技術家庭科などを周辺教科として 扱う。しかし、これらの周辺教科といわれる教科こそ、子どもたちの自立を育て、コ ミュニケーション能力を伸ばし、子どもたちが求めている自己表現の場を提供できる のではないだろうか。. それでは、なぜ、日本では画一的な偏差値主義教育から抜け出すことが困難なので あろうか?河合 隼雄は、父性原理と母性原理を用いて、日本で「個」の確立が困難 な原因の一つを述べている㈹。まず、2つの原理の特徴を見てみよう。 父 性 原 理. 機 目 人 序. 能 標 間 列. 人 間. 切る. 観. 関 係. コミュニケーション 変 化 責 任 長. 時. 間. 母 性 原 理. 個人の確立 個人の成長 個人差(能力差)の肯定 機能的序列 契約関係 言語的 進歩による変化 個人の責任 指導者 直線的. 表r. 包む 場への所属(おまかせ). 場の平衡状態の維持 絶対的平等感 一様序列 一体感(共生感). 非言語的 再生による変化 場の責任 調整二 円環的. −2一 @ 河合 隼雄. 『子どもと学校』1992.

(9) 父性原理は、西洋で発達した。 「切る」ことによる分割の最小単位のひとつとして 人間の「個」を重視し、個の確立、成長を目標としている。一方、日本は欧米に比し て母性原理が強く、すべてが包まれたひとつの「場」の平衡状態を維持することを大 切にする。場の方が個よりも先行するのである。父性原理は、個人差(能力差)から 来る競争原理を認める。この競争原理と母性原理にある一様序列の考えが結合し、成 績による順番をつける偏差値主義教育が、固定化していると考えられるβ}。. それゆえ、この母性原理の強い我国で、個を確立し、個性を伸ばすこと(自分の考 えを持ちそれを表明したり、ユニークな作品を発表したり、他人とちがった活動をし ていくこと)は、非常に困難なことではあるが、ますます拡がる国際化時代の流れの 中で是非必要となる。個が尊重され、個性を伸ばすことのできる社会や学校こそ、互 いを認め合い、共に生きていくことができる。また、認め合い共に生きていく社会や 学校でこそ、個を確立し、個性を思う存分伸ばすことができると言える。 21世紀には、一人ひとりかけがえのない命と、一人ひとりちがった個性をもつ人間 として尊重されるべきである。それは、どんなに幼い子どもたちの場合も同様である。 一人ひとりのちがいを認めることによって、おたがいの人権(人間としての尊厳)を 尊重することができる。そして、同じ人間であることのよしみを強く感じることによ って真の意味の共生が生まれてくるであろう。 音楽教育をはじめ芸術教育は、子どもたちが「自己表現」を通して個性を伸ばすこ とや、他者の「自己表現」に関わることによって、お互いの違いやよさを知り、お互 いの存在を認め合うことを可能にする。 【2】今こそ「感性の教育」が必要 我国は、科学技術の急速の進歩によって、自然や人と人との直接のつながりが弱く なった。このことが、五感や感情や感性の発達の未熟な、うまく人間関係を結べない 子どもたちや、「個の確立」ができていない幼稚な大人をつくり出している。かって は、学校外にあふれていた自然との「ふれあい」や、家庭や社会を通しての人との直 接の「ふれあい」を、学校教育が支援する必要に迫られているのである。しかし、今 の学校は、偏差値主義教育による競争の激化で、子どもたちが自然や人との直接のつ ながりを強化するよう援助し、五感(視覚・聴覚・触角・味覚・嗅覚の5つの感覚) ・感情(快・不快的反応の狭義の意味だけでなく情動・気分・激情をふくめた広義の 情緒)㈲・感性(外界の事象や現象を五感を使って体験する際に、主体が価値あるも のに気づく感覚)・情操(多様な感情の中の一種。比較的静かで持続的な、価値ある ものに向かう感情または態度)などの発達を促す機能を十分に果たしえていない。. ところでR・シュタイナー(Rudolf Steiner)は、子どもたちの成長を3つの段階 に分けて考えている。. ・0∼7才 (永久歯に生え替わるまで)は、行動力や意志力の基礎をつくる時 代 ・7∼14才 (永久歯に生え代る頃から思春期の入り口にかけて)は、感情を豊 かに云てる ’(下線筆者) 一3一一一.

(10) ・14∼20才(思春期以降)は、思考力を育てる時代だ㈲。. これは、子どもたちが20才前後に達したときに、シュタイナーが言う「自我の確 立(自立)」を獲得するための成長段階である。もちろん、年令区分については個人 差があると思うが、それぞれの発達段階で、教師や親がどんな能力を中心に育てるべ きかについてはおおいに参考になる。 また、片岡徳雄は次のよう・に述べている。日本の社会全体が、家庭・近隣…・学校に. おいて、「ふれあい」を取り戻すとともに「感性」や「情操」を育むことに意をつく さねばならぬ。この点、学校の責任は重い㈲。学校では、偏差値で測定できる記憶や 技術だけを偏重し、感性や情操や人間全体を見失ってきた切。 自然や近隣社会や人との直接のふれあいを通した様々な体験や表現をさせることが 五感・感情・感性・情操などを育てる土壌となる。逆説的にいえば、小・中学校教育 においては可能なかぎり、五感・感情などを動員し、感性や情操を通しての学びをつ くりだしていくべきである。普通、感性や情操教育を考える場合、芸術教育に限定し がちであるが、知的情操、倫理的情操なども考えられるから、あらゆる場で積極的に 考えていくべきであろう。もちろん、美的情操育成のために、音楽科や美術科が子ど もたちの人間的成長に果たす役割は大きい。 【3】想像力と創造力をのばす場をつくりだす 我国の効率主義教育や偏差値主義教育は、知識や技術を教え込むことに関しては、 一定の効果をあげたと言える。しかし、子どもたちが、主体的な性格をもつ感性や情 操を総動員して、自ら学びとった知識・技術ではないので、断片的表層的で、生きて 働く力にはなりにくい。ここで生きて働く力に質的転換する想像力と創造力について 考えてみたい。この「想像力」「創造力」も、これまで学校教育では2次的なものと してしか扱われなかったことは、容易に想像がつく。 まず「想像」を定義してみよう。 「想像とは、自由な自発的な心的活動によって作 りあげられたもので、多くの先行経験を解体分離し、心像を新しく再構成すること」 と考えられる。想像の過程が目的意識なしにそのときの気分に従って進行した場合を 「空想」、特定の目的をもつ場合を「創造的想像」と呼ぶ。これらは科学的な推理、 芸術や学術上の創作や創造活動に、重要な役割を果たす㈲。. 「想像力」について内田伸子は次のように述べている。「見えるものからその向こ う側の見えないものを推測し、物事の含蓄を探りあて、また全体の様相から個々の部 分を判断できる力」と定義づけ、想像力はごく普通の人間の日々の営みや活動の過程 で、活発に働いているものだと考える。常に人は「もの」や「こと」に働きかけ、そ れらを変形し新しい形を創りだしているが、想像力は人々の営みに深く関わり、修正 や変容をもたらし、新しいものを創りだす触発材として働いている、と言う(9)。 これらの創造につながる想像力は、自然や身近な社会や人との積極的な関わりを通 して培われ発展する。そして、想像の重要な機能である未来の事態を予見し、未来を 想定した状態で現在の活動ができるのである(10)。. 一4一.

(11) 未来を語ることができるのは、前頭葉の発達した人間だけである。もっと想像力を 重視した教育について考える必要があろう。 次に「想像力」と強い関連性のある「創造性・創造力」についても考えよう。 マスローは天才型の特別な才能とは別の、この世に生まれた人間なら誰でも普遍的 に備えているもので、心理的健康とかかわっているところの広義の創造性について述 べているα1)。. 「創造性」の定義としては、 恩田 彰や横島 章の「その人にとって新しく、また価値あるものやアイディアを つくりだす力(創造力)及び、性質(創造的人格)」を採用する。ハントやマレーが 言うように「つくり出されたもの(行為)の結果よりも、行為の動機や過程に重点を 置く。」(12)という考えも子どもたちの教育を考える上で忘れてはならない。. この「想像性」と「創造性」は、音楽がもつ大きな特徴である。子どもたちの「自 己実現」の観点からも「想像力」と「創造力」は、音楽科で大切に育てたい力である。. 第2節 音楽科の基礎的課題 現代の学校教育では、画一的な価値観をもたらす偏差値主義教育からの脱却や、感 性や情操を生かした教育、想像力や創造力を育てる教育が求められている。音楽科で は、どう関わっていけばよいのかを考えたい。 【1】「音楽科」の教育的意義について考える (1)人間と音楽. 「音楽」は、理屈抜きで人間の生命そのものと共存している。音楽科教育は人間の 魂を直接揺さぶる教育という意味で、「音楽」を越えた教育全体に関わるべきことが 求められている。言い換えれば、 「音楽」のもつ豊かで力強い生命力が、教育全体に 関わり合いをもっことになるq3)。 つまり、音楽科教育で育まれた「感動体験とその共有」が、教育全体に波及するこ とが期待される。. ②音楽が本来的にもつ教育的価値 「感動体験の共有(喜びを分かち合う)」 「知性と感性の融合(よく考え、鋭く感じ取って判断する)」 「精神の集中と意志の持続(気持ちを引き締めて、たくましく前に進む)」 「人間感情の純化(より高いものを求める)」 「感性による現実認識(思いや願いを汲み取る)」などの教育的価値をもつ音楽は 教科として明確に位置付けられる(14)。. しかし、音楽科は美術科とともに時間削減を強いられているという厳しい条件の中 にある。上記の教育的価値の着実な実現化によって、教科としての存在をアピールす る必要がある。. 一5一.

(12) (3)学校の「音楽科」でしかできない音楽教育. 今の子どもたちは、音と音楽との洪水の中で暮らしていると言っても過言ではない。 街には様々な音楽と騒音があふれている。また、自分から苦労して求めなくても、あ る種の音楽は容易に手に入る。テレビやラジオ、CD、 MDなどリモコン操作ひとつ で、アニメ・ソング、コマーシャル・ソング、ポップ・ミュージックなどを聞くこと ができる。カラオケ店もあちこちに見られ、家族そろって、あるいは友だち同士で歌 って楽しんでいる。幼児のための音楽教室や、ピアノやバイオリンの個人教授や、民 謡教室、子どものためのタレント養成所、児童合唱団、中学校の部活動としてのブラ スバンド、気の合う仲間とのバンド活動など演奏活動に参加する場も、授業以外に数 多くある。. これらの音楽環境の中で、音楽科教育がなおかつ学校の中で存在する意義は何かを 考えたい。. まず、第1は「自己表現」の場としてである。学校以外に音楽を主体的に体験でき る機会と場が全員に保障されているわけではない。とくに、「つくって表現する」活 動を、学校の音楽科以外で体験することは困難であると思われる。 「つくって表現する」には、その前に様々な音楽体験が必要である。再現・再創造活 動に力点を置こうとする考えが出てくるのも当然であり、私も重要であると考える。 しかし、「つくって表現する」過程を体験することは、演奏など再創造活動にも音や 音楽の聴取(鑑賞よりも広い意味の)にも、能動的な態度をもたらす。これは、これ までの実践から得た実感である。. 第2は、「種々な音楽にふれる場」としての意義があげられる。子どもたちを学校 外でとりまく音楽は、種々のジャンルや時代・地域の音楽に彩られているようにみえ るが、実際はかなり画一的なものである。情報産業の発達は、音楽も商品として扱う ようになった。「売れる音楽」があふれているわけである。学校の音楽・学校外の音 楽という2元状況が生まれ、子どもたちは、学校の音楽科で学習するよりもはるかに 多くの、商品としての音楽を耳にして生活している。一方、音楽科の中で扱われる音 楽は、機能和声を基礎にした18・19世紀の西洋中心の狭い範囲のものが大半である。 日本の伝統音楽・民謡・世界の民族音楽・現代の前衛的な音楽などにふれる機会は少 ない。もっと広い音楽の世界にふれさせることが必要であろう。 第3は、 「芸術としての音楽・文化としての音楽をとりあげる場」である。音楽そ のものがもつ美的価値の追求とともに、文化としての音楽のありようについて学ぶ場 としてである。. 以上が(2)であげた「音楽が本来的にもつ教育的意義」の実現に向けての3つの「場」. である。本稿では、第1の「自己実現の場」としての音楽科、特に「音楽をつくって 表現する」活動を中心に考察していく。 (4)新指導要領との関わり. 一6一.

(13) (3)であげた、学校の「音楽科」でしか教育できない音楽教育の内容は、新指導要領 の改訂のねらいや音楽科の目標につながるものと考える。. 「生きる力」の育成を前面に掲げた新しい小・中学校の学習指導要領、幼稚園教育. 要領が平成10年12月14日、官報告示された。 この改訂の基本的ねらいは、 ①豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること。 ②自ら学び、自ら考える力を育成すること。 ③ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性 を生かす教育を充実すること。 ④各学校が、創意工夫を生かし、特色ある学校づくりを進めること。 の4点である。 これらのねらいの中に、感性と情操による教育、想像力と創造力を伸ばす教育が、 含まれている。音楽科においても具現化する道を探る必要がある。. 音楽科の教科目標は、小学校・中学校・高等学校の一貫性が図られているが、次の とおりである。「表現及び鑑賞の活動を通して、音楽を愛好する心情と立’に・する. 感性髄とともに、音楽活動の基礎的な能力を培い、 かな を う 」と定 め、心情・感性・能力の育成について明記している(15)。 (下線筆者). ①表現や鑑賞の活動そのものを楽しんだり、音楽に感動したりするするような体験 を積み重ねる。. ②音楽に対する感性を育てることにより、真理を求める心や自然を愛し、美しいも のや崇高なものに感動する心を育て、知性との調和のとれた人間の育成を目指す。 ③子どもたちが共に音楽を楽しみ、音楽の喜びを分かち合う学習の場を大事にし生 涯にわたって音楽を愛好するための素地となる諸能力を着実に身に付ける。 ④音楽によって、美的情操を中心に豊かな情操を養うことは、入間の感情を直接的 に対象とする側面が強く、幼児期・児童期における音楽活動は、一人ひとりの 豊かな心を育てる。 と指導要領の解説編にある(16)。. 【2】開かれた音楽科教育の創造をめざして これまで検討してきた音楽科教育理念の実現の方向性を、佐野靖は次のようにまと めている。. 子どもたちの意識や音楽行動の現実をふまえ、「子どもらしい発想やイメージを解 放し、創造的な経験を培い、美的な感性をはぐくむ場として『開かれた音楽科』の創 造が期待される。」(17)そして、特徴的な視点を4つあげているが、筆者が述べた 学校の「音楽科」でしかできない音楽教育の視点と重なり、 「つくって表現する」音 楽活動研究の具体的な課題に直接つながるので以下にまとめる。 ①「音・音楽との創造的なかカ・わり」. 一7一.

(14) 「創造的な音楽づくり」に重点を置いた活動は言うまでもなく、歌唱や器楽な どの表現活動や鑑賞活動を通して、子どもたちが、音・音楽との間に、自由に問 いかけ、問い直される関係を成立させることによって、創造的な音楽経験を獲得 する。また、思いやイメージを創造的に音に託すには、技術が必要となる。この 際、教師はどのような技術的レヴェルにおいても、創造的な活動が可能であるこ とを自覚しなければならない。そして、子ども一人一人が、自分に合った練習方 法や活動の仕方を発見するプロセスを見守り、豊かな発想や感受性を認め、尊重 するようなかかわりを工夫し、子どもたちと共に未知なるものと出会う楽しさや 喜びを味わえる授業実践を心がける。 ②「諸感覚に開かれたアプローチ」. カール・オルフ(Carl Orff)は、言語的・ダンス的な要素の結びついた原初 的な音楽(Elementare Kus ik)を提唱しているが、このような音楽そのものが身 体性を伴っているため、諸感覚に開かれる可能性を内包している。つまり、子ど もたちの文化的・芸術的行動を総合的にとらえながら、音楽的に進化・発展させ ていくアプローチである。「音楽」の側から横断的・総合的な活動への取り組み を働きかけ、音楽のもつ重要性や価値をアピールする必要がある。ただし、それ ぞれの芸術活動が手段のひとつに陥ってしまい、活動そのものに深まりがなくな る危険性が多分にあるので充分留意したい。 ③「文化の理解ならびに創造」. 多様な価値観を形成するために、音楽からアプローチする文化理解の視点が不 可欠となる。教師はそれぞれの音楽様式に固有なコミュニケーションの基本(本 質的な特徴)を見極める。また、子どもたちが主体的・創造的につくる音楽科の 授業は、たとえどんなにつたない表現であってもまさに「文化」と呼ぶにふさわ しい。文化創造の起点としての学校音楽は、学校やコミュニティーを結ぶ「かけ 橋」となる。. ④「音楽体験の共有の場」. 教える者と学ぶ者、表現する者と享受する者が、相手の立場を理解しながら自 由な雰囲気の中で音楽体験を共有する喜びを分かち合い、互いに高め合いながら 共存できるような場をつくり出す。教師自らが柔軟な発想をもって、子どもたち と共に音楽に取り組もうとする姿勢が、学習の場のコミュニケーションを活性化 させる。. そして、佐野は以上のような「学びの環境づくり」には、「教師の自立性を基軸に 学校全体、家庭や地域、そして教育行政が一体となって、子ども中心の柔軟で緩やか なカリキュラムづくりを支援していくような、具体的協力が不可欠である」と述べて いる(18)。. .. 教師である筆者の立場としては、まわりからの支援を待つ姿勢ではなく、自ら「子 ども中心の柔軟で緩やかなカリキュラムづくり」を考え、学校全体や家庭や地域に働. 一8一.

(15) きかけていくべきだと考える。. 一9一.

(16) 第2章「キースースワンウィック」の 音楽的発達の理論 前章では「音楽科教育」が、第一に子どもたちの感性や情操を育み、想像力や創造 力を伸ばす教育の一旦を担っていること、第2に子どもたちを音や音楽と創造的に関 わらせ諸感覚に開かれた総合的な文化・芸術として音楽をとらえさせ、文化理解と文 化創造の起点となり、子どもたちと教師の音楽体験の共有の場となること、の必要を 確認した。’. 本章では、イギリスのキース・スワンウィック(Keith Swanwic)の著書『音楽と 心と教育』 (1992 野波健彦・石井信生・吉富功修・竹井成美・長島真人 共訳 音 楽二心社 “皿usuc,皿ind, and Educat ion”)を中心に展開したい。. その理由は、前章 第2節【1】の(3)『学校の「音楽科」でしかできない音楽教育』 で筆者が述べた3点の場について、スワンウィックが論じているからである。. ①「自己表現の場」(特に「音楽をつくって表現する」内容を中心に、音楽的発達 過程について論じている。) ②「種々の音楽にふれる場」 ③「芸術としての音楽・文化としての音楽をとりあげる場」. 本論では論題にそって、①を中心に考察する。. また、ここでは筆者が長年、疑問に感じていたことの解決への糸口が述べられてい る。. (A)「音楽する」ことは本質的に「遊ぶ」ことだと思われるが、果たしてそうか。. (B)創造的な「音の発見・音づくり・音楽づくり」の学習の発展軸は、どのような ものか? (C)「伝統的な音楽づくり」とペインターらが提唱した「創造的な音楽づくり」の 接i点はどのようなものか? 第1節. 「遊び心」に満ちた芸術. スワンウィックは、芸術が心の発達を促すところに本質的な人間活動の価値を認め ている。なぜなら、芸術は他の活動と共通する特徴を持つからである。それは、生き ることを強化・拡張・解明・変容し「生きることを生きる価値あるもの」に、すなわ ち生活を 「実生活」以上のものにする機能である。 また、芸術の主たる内容は、慎重に拡大され探求された人間の意識であるので、芸 術には「超世俗的なもの」の昧わいがみなぎっている。しかし、この領域だけではな く、「現実的なもの」の領域でも創造的な行為のまわりには、「遊び心」に満ちた雰 囲気がある。芸術は、この遊び心に満ちた特質に強く適応している。 加えて、芸術は高度に感覚的な魅力や模倣的な力や創造的な力や想像的な可能性を もっているので、有意味に価値づけられた人間の活動となり、あらゆる文化の中にお. 一10一.

(17) いて称賛される、と述べている⊂’}。. 芸術にはもちろん「音楽」が含まれる。筆者は、上述のスワンウィックの言う芸術 の価値に同意する。そして、疑問の(A)「音楽することが本質的に遊ぶことかどう か」については、即座に肯定できないとしても、我々が音楽に創造的に関わるとき“ 脆び心」が強く働いていることが理解できた。「遊び」と「音楽」の関係については、 さらに第3章で考察したい。. 第2節 音楽カリキュラムの哲学 スワンウィックは、「芸術固有の象徴的な使命は、生きていること自体を意識的に 賛美することにある。そして、芸術は強力に多面的に我々の思想や感情の世界を広げ まとまりのある共同体を成立させる。」とも述べている。すなわち、芸術のひとつで ある音楽を教育に取り上げる、大きな価値について語っている㈹。. 音楽カリキュラムの哲学は、教育実践から生じ、教育実践に還元される理論的な体 系である。. その哲学は、音楽教育の3本柱 ①音楽の伝統今の関心 ②生徒たちを敏感にとらえる感覚 ③社会的状況と共同体への意識. を示している㈲。. 筆者は日頃、音楽科授業を構想し実践するとき、裏付けとなる哲学(理論)が無い まま方法論だけで実践していることに不安を感じていた。この3本柱は、第1章で佐 野が述べていた考えと重なるし、自分自身の音楽カリキュラム哲学を考える上で良い ヒントを得た。本論では①から③の柱の内、②を中心に考察していく。第3章・第4 章で考察する、子どもたち中心の「音遊び」「音楽遊び」 「音楽づくり」に、直接関 わるからである。. 【1】音楽の伝統を重視する音楽教育の理論 ・中心者…教師であり、子どもたちは「文化としての音楽の継承者」 ・内容 …適切な技能の習熟と情報の熟知 ・評価 …高度に細分化された有力な評価のシステム などを特徴としている。. この理論にもとづいた実践によって、若者たちが楽器を演奏することと、歌を歌 うことを学習し、音楽を理解し愛好する心を培ってきた。しかし、この理論が義務 教育の学校の教室によく溶けこんでいないという問題点もある。たとえば、教師が ある限られた音楽や音楽家に関する情報しか与えなかったり、楽器演奏を強いられ ている生徒が、記譜法や楽器操作の困難さにすべてを放棄したり、勝手気ままに演 奏したりするなどの点である㈱。. ここにあげたものはイギリスの例であるが、ほぼ日本の実情にも当てはまる。様 々な問題点を持つが伝統文化を継承することと、新しい文化を創造する際、伝統文 化が素材になるという点で無視できない理論だと考える。. 一11一.

(18) 【2】子どもたちを重視する音楽教育の理論 ・中心…子どもたちである。「文化としての音楽を継承する人」から「音楽を楽し む人・探求する人・発見する人」への転換・子どもの個性重視 ・内容…創造性の重視 ・評価…教師が、子どもたちが現実に行なっていることを注意深く観察し評価する。 必要であれば、学習者に対して「援助者」となり、励まし・助言・補助を 与える。 1950年代、音楽の分野で初めて国際的に認められた「進歩的な」教育家は、作曲 家でも あるカール・オルフであった。彼は、音楽との「かかわり合い」は直接的 であって、全ての人たちのためのものであるべきだと強調した。 1960年代になると子どもたちの創造性が重視され、1960年代末期から1970年代初 頭にかけてのこの理論の有力支持者は、イギリスのジョン・ペインターであり、カ ナダのマリー・シェイファーであった。アメリカではロナルド・トーマスによって マンハッタンヴィル音楽カリキュラム計画(1970)の中で明確になった。 この理論は、子どもたちの「自己表現・(自己実現)」を助長するために、彼らを 「音楽の創作者・即興者・構成者」とみなす。言い換えれば、子どもたちは表現媒 体としての音を取り扱い、意志決定する活動を通して、実際、音楽がどのような作 用をするのか理解できるようになる。. 一方、この理論による教育の問題点は「無目標」、つまり「発展性の無い試み」 に陥る危険性があることである。 このような方法がうまくいくかどうかは、教師が子どもたちの音楽的所産に敏感 であるかどうかにかかっている。教師は音楽的所産(作品)のように、知覚できる 事象が無い限り、子どもたちの内面的な心理的作用を知ることができない。ただし 所産は必ず完結された確固たるものである必要は無く、暫定的で、批評・変化・発 展・再解釈が自由にできるものである。所産は、観念が形を持ったものに他ならな い。つまり、形と内容を持つ過程である。我々がこのことを認識すれば、他人の所 産の重要さを認めることができる㈲。. 筆者が1980年代半ばに出会った「子ども中心」・「創造性を伸ばす」を中心にし たこのカリキュラムは、当時、非常に新鮮であり、かっ魅力的なものに映った。な ぜなら学部時代までに体験した音楽教育は、ほとんど西洋の伝統的な、いわゆるク ラシック音楽(18・19世紀の機能和声を中心にした音楽)のみであり、教師になっ てからも約12・3年間は、そうであった。それまでの音楽教育に比べ、「子ども中心」 の教育は音楽のおもしろさを子どもたちが直接つかめるように感じた。筆者の子ど も時代、西洋音楽は憧れの音楽であり、演奏し鑑賞するだけでも充分満足感を感じ るものであった。しかし「うまく」演奏することが主な目標であり、演奏の中で自 己表現することや音・音楽づくりなど夢にもよらないことであった。演奏すること は練習し学習することであり「音」で遊ぶ・「音楽」を遊ぶという世界から遠く離 れていた。. 一12一.

(19) 1986年頃から「創造的な音楽学習」を表面的に模倣し、授業に取り入れるように なったが、設定した課題の実践は、かなり子どもたちの興味をひきつけ、創造性や 創作力を伸ばしたと思う。しかし、ここでも問題点として取り上げられ、筆者自身 も疑問点②であげているように「発展性」が見えにくいカリキュラムとも言える。 理由として、子どもたちに委ねる範囲(活動・評価など)が広いこと、次への発展 ステップが子どもたちの活動の過程や結果によること、メソードとして成立しにく い性格のカリキュラムであることなどが考えられる。(メソードとして確立したも のは固定化・形骸化しやすいので、音楽をつくることによって創造性を伸ばすこと を第一一義にした教育内容にふさわしくないとも言えるからである。). 学校の音楽科という限定された授業実践の中では、教師は支援者であっても、や はり指導者としての役割を果たす必要があるし、スワン・ウィックが提唱するように 発達段階を考慮した「音楽づくりプログラム」を考えていくことが重要であると考 える。. 【3】新しい時代の潮流を重視する音楽教育の理論 ・アフロアメリカ音楽の新しい伝統の中で、子どもたちに文化的起源を発見させ定 着させる。. ・マスメディアによって共有される音楽を重視する。 ・楽器演奏・即興演奏の技術の発達を促す。 ・ジャズ・ロック・ポピュラーミュージックに対する鋭敏な様式感の獲得から出発 し、アジアやその他の地域の音楽に対する様式感を獲得する機会をつくり出す⑱1。. スワンウィックは、文化的に幅広く基礎づけられた、このカリキュラムの支持者 である。音楽を社会的な視点、すなわち文化面からとらえようとしている。イギリ スは、アメリカとともに世界のポピュラー音楽界をリードしている。ロンドンをは じめ都会には、ニューヨーク・パリ・ベルリンなどと同様、種々の人種が暮らす。 イギリス人のスワンウィックがこのカリキュラムを支持するには、現実的な必然性 があったと思われる。子どもたちを取り囲む社会的・文化的環境を、学校音楽教育 も無視できなくなっているのである。第1章・第2節で述べたように、筆者もこれ からの音楽科に多元的な音楽文化を取り入れていく必要を痛感する。日本において も、マスメディアを通して提供される音楽は、主としてポップス・歌謡曲、アニメ 音楽などである。子どもたちが毎日のように浴びているこれらの音楽を無視しては 音楽科も成立が困難であるとも言える。ただ、どのように取り入れるていくかは、 細心の研究が必要である。一方、日本では、イギリスとは違った解決すべき問題が ある。それは本来ならば、①の教育理論で取り上げるべき問題の口本古来の伝統音 楽についてである。明治の洋楽輸入と学校教育への取り入れ方の問題が、100年以 上たっても尾をひいているわけである。日本の伝統音楽がまるで外国の民族音楽の ように感じる子どもや若者が多いと思うが、わが国の伝統音楽に強い影響を与えた アジアの音楽と共に当然取り入れていくべきだと思う。第一の理由は音楽の世界を 拡大するためであり、第二は、伝統音楽の背景となった自然や文化が残るこの日本 に生きているからである。世界のどの国の人々より理解し、受け継ぎ発展させやす い場に生きていることを大切にしたい。. ここで、第2章・第2節までの筆者の考えをまとめてみよう。スワンウィックは、. 一13一.

(20) ①や②の教育理論を③の教育理論に収敏しようと試みている。世界的な傾向としてそ うなるだろうと予測するが、筆者は②の教育のカリキュラム原理をはっきりっかめて いない状態なので本論ではオルフ、ペインター、シェイファーの考えを中心に、「音 楽づくり」について取り上げる。その他の理由として、まず、ポピュラー音楽は除く としても、原始的な音楽や民族音楽に注目した最初の理論であること。第2に音素材 とその表現上の可能性の探求は、幼児や小学生にふさわしい内容と考えるからである。. 第3節『3つの遊びの要素と音楽的発達 スワンウィックは、ジャン・ピァジェ(Jean piaget)の子どもの発達原理を中心 に置き、ジューン・ティルマン(June Tillman)と共に子どもたちがつくった音楽を 分析することにより音楽的発達の螺旋状過程を図式化した。 (1986) 【1】ピアジェの児童観と教育墨書. 『教育の使命は、子どもから発明家、創造者をつくることにあるので、世の中に適 合して、よろしくやっていく人間をつくることにあるのではない。』 ピアジェは第1に、子どもが創造的であることを強調する。赤ん坊の創造生活・発 見生活が人間の生涯で一番大きい。生まれたすぐは何も知らず、いくつかの反射機能 があるだけだが、生後2年にもなると走り回り、言葉を話し、他人とのコミュニケー ションが可能になり、おもちゃを扱うことができるようになる。それに続く子どもの 時期も、赤ん坊の時期ほどではないが創造的である。赤ん坊のときにつくり出した行 動パターン(シェマ)を、映像や概念に変えて行動を「心内」の活動に変形する。 青年期を除き成人は、創造性を消失させて行く。子どもに何でも教えこむから創造 力が減るので教えこまないで、子どもが自分で考え、つくっていくように助けるべき である、と考える。. 第2に、ピアジェは「模倣」と「創造」の問に、基本的な違いをおかない。両極端 においては正反対のものであるが、子どもにおいては、模倣は創造の一種である。 例として「自己模倣」の発展をあげている。赤ん坊や子どもたちは、同じ作業の反 復を好む。しばらく続けてそれに習熟すると、様々な変化を試みるようになる。はじ めは模倣の部分が多いが、次第に創造の部分が拡がっていく。模倣のうちに創造の芽 があり、創造は模倣の自発の展開の結果として生まれてくるのである。 また、他人模倣はモデルが外にあるが、本人にとって「モデルと同じ」であれば満 足なのである。その内もっと上手に模倣しようと、努力するようになる。そして「真 似ることを学ぶ」段階から、 「学ぶことを学ぶ」段階へ移行していく。. 教師は子どもが真似るところで止まらぬように、1歩進んで創造するところへ導く ことを常に考えなければならない。. 第3に、発達は量的増大によって成就するのではなく、それぞれの段階の構造の質 的変化として実現する。ピアジェの発達理論は、「構造主義」と呼ばれるもので、人 間の心を「質的」な意味体系としてみるものである。 もう一つピアジェの発達原理で重要なことは、「失敗」という現象が発達のために. 一14一.

(21) 不可欠の要因になることである。失敗から学び発達していくのである。失敗しても、 くじけぬ心を養うことも発達には必要である。 ピアジェの児童発達の原理から ①創造性の重視 ②模倣の中の創造の芽 ③構造主義 ④失敗の重視. の4点が読み取れたが、③については筆者は充分理解できていない。しかし、あとの 3点は【2】で取り上げるスワンウイックの「音楽的発達観」の基になり、また筆者 が「音楽づくり」について考えていく上での支えとなりそうである。 乳児や幼児にとって、生活=遊びと言っても過言ではない。遊びの中で創造力まで 獲得していく。第3章で改めて検討するが、「遊び」のもつエネルギーや模倣のもつ 意味に注目したい。. 【2】3つの遊びの要素(マスタリー・模倣・想像的遊び) スワンウィックは、生き生きとした人間の特質である遊びが、本質的にすべての芸 術活動と密接に関係するという考え方に注目した。幼児期初期の遊び心に満ちた活動 が、絵を描いたり、音楽を演奏したり、劇をつくって演じたり、小説を読むような活 動へと昇華されるというピアジェの考え方である。3つの遊びの要素と芸術との3通 りの関わり方を結合して論を展開する。. 〈3つの遊びの要素〉 ①マスタリー …乳幼児期の遊びに見られる。ピアジェの言う「名人になれて何で もできるという感じ」という特徴がある。 (例)乳母車から何度もおもちゃを外に投げ出して得る喜び 階段をやっと昇って得た達成感 ②模倣 …「何かになったふりをする」 調節という過程で、想像的な遊びと対立するもの ③想像的な遊び…自分の基準に合わせて、周りの世界を変形する。. 〈芸術との3通りの関わり方〉 (a)芸術をつくる(作曲する・即興する・絵を描く・振り付けをする・詩をつくる). 自己の内面的な特定のことがらを満足させるために何かを創造する。すなわち 「自分固有のことをする」ことで③の想像的な遊びに近い。 (b)芸術を味わう(美術鑑賞・音楽鑑賞・読書). 事物や事象にみずからを調節することが要求される。共感を覚えているときは ある程度、事物や事象のゼスチュア(感情または情動についてのメッセージを、 非言語的に外界に伝達するもの)を内面的に模倣し、そのゼスチュアに感情移入 をしている。音楽に合わせて踊ったり、身体を動かしたりするとき、その模倣は 一一一. P5一.

(22) 明らかになる。味わう人の役割としては、ある程度作晶をあるがままに感じなけ ればならない。②の模倣の要素が強い。 (c>芸術を演じる(演:奏する・劇を演じる・踊る・詩を朗読する). 作品に模倣的に共感する傾向とともに、①のマスタリーという遊びの要素、す なわち「名人芸」を楽しむという傾向がある。. ここでは、芸術教育が3つの遊びの要素のどれかに偏りがちであることが問題とな っている。たとえば、音楽の授業において、最近まで想像的な遊び(形づくる構成す る・即興する)の要素を考慮しない傾向があった。つまり、演奏スキルのマスタリー と「鑑賞」のマスタリーに焦点が絞られてきた。これは本質的に模倣を強調するもの であった。また、舞踊では演じることにおいて(バレエ公演など)マスタリーの要素 へ強い傾向があり、演劇教育では役割演技と見せ掛けて模倣が支配的である。 次に、3つの遊びの要素と芸術(音楽を中心に考える)の結びつきをさらに詳しく 解説している。このことが、音楽的発達の原理の基礎となるので、要約引用する。 ①マスタリー …・ y器操作や楽譜を使う技能 ・作曲過程における一連の音素材の規定 (例)調性のある音組織 12音技法 5音音階 インドのラーガ バルトークの5度和音 ブルースの音組織 など ・知覚上の判断と弁別(鑑賞する場合など) これらは、技術を伸ばし、弁別力を研ぎすまし、特定の関係を 強調するので教育的に計り知れない価値がある。 ②模倣. … 芸術活動が描写的になるほど、生活上のできごとに関連して くる。つまり模倣的になり「表現上の特質」をもつようになる。 模倣上の判断は音楽をつくる過程に明確にみられるが、演奏な ど再創造する際にも、表現上の特質の決定の余地がある。 模倣は、単なるコピーではなく、共感・感情移入・同化・関心 自分を他のものに見立てることも含む。 模倣は行為と思考の幅を拡大し、素材のマスタリーによる喜び と同様必然的なもので、創造的な想像と矛盾しない。. ③想像的な遊び. … 芸術上の「構造」に注目させる。この構造についての学習は 最も困難で洗練された課題である。簡単なレベルでは、この構 造は認めやすい「反復と対比」に依存する。たとえば、このメ ロディーとあのメロディーは、どう違うのか。「この」から 「あの」へは、どのように変化しているのか。我々は模倣、す なわち「表現上の特質」を呼び起こさなければ、このような変 化を克服できない。また、素材のマスタリーに関して興味をも つようになる。その変化による効果のために何が操作され、制 御されているのカ、。. 一16一.

(23) 3っの遊びの要素の全てをあらゆる年齢層の芸術教育に生かすことができる。 芸術の経験は、想像的遊び(同化)と模倣(調節)のダイナミックな平衡状態の中 で、この想豫と模倣の2つの要素を統合する團。 筆者にとって、幼い頃「音楽する(歌う・楽器を奏する・音楽を聴く)ことは、遊 ぶこと」であった。母や近所の友だちといっしょに歌い、家には楽器が何も無かった ので、学校のオルガンを休み時間に弾いた。探り弾きしたり、友だちが弾くのを真似 て弾いたりした。音楽を聴くのはラジオからの童謡ぐらいであったが、これらは、何 より楽しい遊びのひとつであった。身近に楽器も無かったので、意識して音楽をつく った経験は無いが、絵を描くとき、その内容について即興で歌いながら描いていた。 3年生のとき、友だちが家庭教師にオルガンを習っているのに出会い、是非やって みたいということで4年生からピアノを習うことになった。スワンウィックの3つの 遊びの要素のマスタリーと模倣と想像的な遊びを通過したことになる。 現在の小学校の子どもたちは、入学前、音楽体験を心がわくわくする遊びと感じて いたかどうか、現場にもどったら調査したい。その結果を、小学校の低学年の音楽科 の授業を構想するとき考慮したい。. 【3】3つの遊びの要素と音楽的発達 音楽行動にはみちすじがあり、それが順番どおりに現われてくること、すなわち子 どもたちの音楽的行動を確認できる累積的な諸段階があることを提案する。 下図は、マスタリー・模倣・想像的な遊びという心理学的概念と、それらに対応す る音素材の制御・表現上の特質・構造上の諸関係という音楽的要素との関係を示す。 マスタリー一. (音素材の制御). グ. 想像的な遊び (構造上の諸関係). 同. 化. 模倣 (表現上の特質). 調 節. 第1急く遊びと音楽の3要素〉 (スワンウィック 『音楽と心と教育』 1992p.84). 子どもたちは学校へ行くまでに(イギリスは幼児学校入学が5才であるに1。)、遊 び心に満ちた3角形の角頂点を何度もたどりながら、全体としてはマスタリー→模倣 →想像的な遊びという順序で、発達のおおまかなみちすじをたどる。 【4】音楽的発達のみちすじ. 一17一.

(24) スワンウィックは、ティルマンとともに3∼11才の子どもたちの音楽作品(4年 間・48人・745作品)を分析し、音楽的発達の道筋を螺旋状過程に表現した。モ ータやマルコム・ロスやロバート・バンディングの観察・分析を基礎において、音楽 家であり経験豊かな教師2人に子どもの作晶を聴取の上、年令判定してもらうことに よって、客観的裏付けを得ている。. 図2 <音楽的発達の螺旋状過程. スワンウイツクとテイルマン 1986>. 圏 メタ認知. @. (i5歳以上). 体系的. ロ徴的 @. 回. 音楽の. (10∼著5歳). 慣用的語法 思索的. 想像的な 遊び. @. 模. ,[i動. 音楽の. 日常的語法. (4∼9歳). 倣. @個人的表現性 (0∼4歳). @. 団. 操作的. マスタリー. @. @. 感覚的. 社会的共有へ. スワンウィック. 『音楽と心の教育』 1992 P.109. 一18一.

(25) 螺旋形で表現した理由は、 ①過程が「循環的」である。年令が何才であっても、音楽的にどのような経験をし ていても、我々は音素材に反応しようとする要求を決して失わないし、この音楽的螺 旋状過程に何度も入りなおすからである。 ②過程が「累積的」である。音楽づくりをするとき、初めに音素材に対する感覚的 な鋭敏さと操作的な制御が相互に作用し合い、その後で音楽の個人的な表現性と慣例 的な表現性とが交互に作用し合うからである。 ③音楽的発達が、個人的で特異な側面と社会的に刺激され反応する側面の間を、振 り子のように往来するからである。. 音楽経験のもっとも初期のモード、つまり音楽的発達における最初の推進力は、音 を純粋に感覚的に楽しむことから、音のマスタリーという衝動への変容においてみら れる。音のマスタリーは音楽の素材の探求と制御を重視する。 第2の変容は、音楽の個人的表現性のモードから、一般的・日常的な慣例に従った 語法のモードへの変容である。 音素材のレヴェルでは、感覚的なモードは非常に個人主義的であり探求的であるが 操作的なモードは社会的共有によって促進され、またこれを必要とする。我々は、自 分ひとりで極めて容易に音の特質を探求することができるが、他の人と演奏するとき は、反復する・制御する・合わせる・装飾する・バランスをとるなどの操作的能力が 極めて重要になる。同様に表現のレベルでは、お互いに持っている慣例の体系を通し て、音楽の表現性を他の人と共有せざるをえないuo)。. 上の記述を読んで思い出したことがある。それは、1995年の4年生の「音楽づくり (A−B−Aの形の音楽をつくろう)」の研究授業後の反省会で、「音楽づくりは、 やはり個人でやるべきものではないか?」という意見が出たのである。それは筆者が 2人組でこの課題に取り組ませたので、疑問として出された意見である。筆者は、こ の研究授業までに、子どもたちに「音づくり」を個人でさせてきた。次はグループ (例 4人組)による「音楽づくり」を想定していたので、間に2人組を設定した。 音づくりなら独力で可能であっても、AとBの対比的な音楽をつくるのが困難に感じ られる子どももいたので、2人組なら何とか形にまとめられると思ったからである。 この意見に対し筆者も答えられなかったし、助言者から明快な解答も返ってこなかっ た。1 Xワンウイックの上記の記述が解答である。もちろん、「音づくり」「音楽づく り」は本来、個人の感性や思考による表現である。しかし、複数で表現することによ り、音楽の表現性を他人と共有せざるをえなくなる。ここで、お互いに調節し操作す ることによって、1つの音楽にまとめていくという大きな学習をすることになる。教 師の課題設定の目標により、個人表現かグループ表現がいいか決まってくるだろうし 「音楽づくり」の経験が豊富な子どもたちなら、選択させればよいと思う。 第3の発達モードでは、想像的な遊びの衝動は、音楽的構造への思索的な取り組み を動機づけ、様式的理解すなわち音楽の慣用的語法の理解に変容する。 子どもたちが10∼11才頃になると、作品の中に、音楽の日常的語法の平凡さの中か ら思索が現われてくる。つまり、子どもたちは一般的・日常的な慣例に従った語法の. 一19一.

(26) 中に、新しい試みを取り入れようとする。そして、音楽の形式を把握することは、表 現上の特質の新しい関係を確認する、この思索の能力に基づいている。 音楽的に思索的であろうとする子どもたちの最初の試みは、操作上のぎこちなさと なって現われることが多い。たとえば自分のつくったフレーズの上行・下行を反対に して、つまり音を運行させる試み、無調性を取り入れるという大胆な取り組みなどに おいて、ぎこちなさがみられる。しかし、終止形は「紋切型」の作品が多く、日常語 法がある程度しっかり把握されているといえる。 思索モードは、音楽の形式への新しい関心、すなわち表現上の特質だけでなく一貫 性もある音楽づくりへの新しい関心を、初めて子どもたちにもたらす。 この思索の強い衝動は、ときには模倣性の強い慣用的語法による作品(次のモード) にも作用することがある。自分の崇拝する音楽家の様式、あるいはある特定の楽曲に 厳密に基づいてつくられることがある。例として、11∼12才の子どもたちが、ポップ グループの歌を基にしながらも、「無人島」に関連した言葉、つまり「開放的な島」 という言葉の意味に着目して、新奇な思索的な鋭さを与えている事例をあげている。 10代の初めに選択される音楽の慣用的語法は、ロックやポップミュージックの範囲以 内にとどまっていることが多いが、10∼15才の若者たちの間には、それら以外の様式 もみられる。14∼15才の女児のグループの、「嵐」という曲は、スウィングの慣用的な モチーフに基づいてつくられているが、中央部にはクラスター音にもとつく「嵐」の パッセージが現われる。その部分は最近、コンサートで聴いた現代曲の改作である。 全く異なる2つの音楽の慣用的語法を交えるという、音楽的な思索を取り入れている (11)。. 上述の説明は、ちょうど日本の小学校高学年から中学生にあたる子どもたちの、作 品の分析の報告である。我国では授業の中で音楽づくりを実施する場合、子どもたち に任せた全く自由な音楽づくりはあまり見られない。過去の実践力・ら自由に音楽をつ くることの困難さが、教師に理解できているからだと思う。カリキュラムの限定され た中での音楽づくりの場合、教師が設定するかなり強い枠組み(12)の中でつくるので、 どうしても同じような作品になり様々な音楽様式の作品も出てこないと思う。しかも、 音楽づくりが幼児から系統的に積み上げられている幼稚園や、小・中学校などほとん ど無いので、14∼15才になっても、種々の音楽様式を組み合わせて音楽づくりをする ことは困難かと思う。中学校では音楽づくりに取り組む余裕は、ほとんど無いと聞く。. 第4の発達のレヴェルはほぼ15才以後に生じ、それ以前のマスタリー・模倣・想像 的な遊びの要素を含む。このレヴェルの新しい特徴は、「メタ認知(対象について知 るだけでなく、その知るという活動について知る活動)」に基づく。スワンウィック は心理学で用いられる意味より狭義に用い、「音楽に対して価値反応するときの思考 の過程と感情の過程を、自己意識すること。」としている。そして、音楽的な価値づ けの最初の開花期をみることができる。音楽的な価値づけは、自己実現という強力な 要素によって引き起こされた、前段階の全てのレヴェルの反応の累積的な相互作用に よって可能になる。また、この時期は人々が感情の強烈さにどうしょうもなくなる時 期で、自己の領分を確実に説明する鋭敏な意識に目ざめる時期である(13)。. 上記の例はあくまで、イギリスでの音楽づくりの作品例を分析した結果から導かれ. 一20一.

参照

関連したドキュメント

「旅と音楽の融を J をテーマに、音旅演出家として THE ROYAL EXPRESS の旅の魅力をプ□デュース 。THE ROYAL

「1.地域の音楽家・音楽団体ネットワークの運用」については、公式 LINE 等 SNS

・ぴっとんへべへべ音楽会 2 回 ・どこどこどこどんどこ音楽会 1 回 ステップ 5.「ママカフェ」のソフトづくり ステップ 6.「ママカフェ」の具体的内容の検討

英国のギルドホール音楽学校を卒業。1972

図書 音楽 多目的 視聴覚 第一 第一美術 第二 第二美術 調理 便所 調理室 準備室 図書室 準備室 音楽室 準備室 美術室 準備室 美術室 準備室

The psychological functions of and individual differences in music listening in Japanese people Shimpei Ikegami (Showa Womenʼs University) , Noriko Sato (Musashino

7月 10 日〜7月 17 日 教育学部芸術棟音楽演習室・.

音節の外側に解放されることがない】)。ところがこ