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市史だより「がちまやぁ」(年2回 7・12月発行) | 宜野湾市公式ホームページ

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Fax (098)893−4434

[email protected]

Ga

č

i-majaa

第 1 0 号・

年9

月2

日(

金)

発行

年3回 (5・9・1月発行)

Ø

Ø

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編集・宜野湾市教育委員会文化課 市史編集係 〒901‐ 2203 宜野湾市野嵩1‐ 1‐ 2

戦後移民出港の様子(1959 年)

1899(明治 32)年、沖縄県初の海外移民が那覇港から出発し、26 人の県出身者がハワイの地に

降り立ちました。当時の沖縄は経済的にも非常に苦しく、また全県的に飢餓

き が

がおこり、「ソテツ

地獄」と呼ばれる時期でした。そんな中、遠く海外で 一攫千金 い っ か く せ ん き ん

を夢見て多くの人びとが旅立って

いきました。宜野湾出身者の移民は 1904(明治 36)年普天間村の男性がハワイへ渡り、その翌年

1935(昭和 10)年までに 4 万 2, 669 人(宜野湾出身移民は 1, 019 人)の県出身者が海外で働く

ようになり、少ない稼ぎの中からも故郷沖縄に多額の送金が送られ続けました。ハワイの他にも遠

い南米ブラジル・ペルーやフィリピンなどにもウチナーンチュは旅立っていきました。

そんな移民の歴史を持つ沖縄。2006 年の今年は、ペルー移民 100 周年です。10 月 12 日(木)

から 15 日(日)、第 4 回世界のウチナーンチュ大会が開かれます。5 年に 1 度のこの大会は、過去

3 度にわたり多くの日系 2 世・3 世の方々が故郷沖縄に訪れます。宜野湾市でもウチナーンチュ大

会に合わせ 10 月 14 日(土)に、宜野湾市出身の海外参加者を招き、沖縄の郷土郷里や伝統芸能

の余興などで親睦を図ることを目的に、「世界のジノーンチュの夕べ」を開催します。 には 57 人、1906(明治 38)年には 100 人の宜野湾出身者がハワイへ渡航

と こ う

(2)

主 に 宜 野 湾 に あ っ た 馬 場 ウ マ イ ー

で 行 わ れ ま し

た( 写 真 左 )。運 動 会 は 地 域 ぐ る み で 参

加 し 、 各 字 対 抗 の 青 年 競 技 も あ り 、 日

が 暮 れ る ま で 行 っ て い ま し た 。

暑 か っ た 夏 が 過 ぎ 、 1 0 月 を 迎 え ま し た 。 季 節 は 秋 で す ね 。 秋 と 言 え ば 、

読 書 の 秋 、 食 欲 の 秋 、 芸 術 の 秋 … な ど と た く さ ん の 秋 が 思 い 浮 か び ま

す 。 み な さ ん は ど の よ う な 秋 が お 好 き で す か ? ま た 「 今 年 の 秋 は こ う し よ

う ! 」 と い う よ う に 考 え て い る 方 も い ら っ し ゃ る か も し れ ま せ ん ね 。

今 回 は い ろ い ろ な 秋 の 中 か ら 、 ス ポ ー ツ の 秋 に 注 目 し た い と 思 い ま す 。

☆ 運 動 会 の 季 節 ☆

ス ポ ー ツ の 秋 と い え ば 、 誰 も が 経 験

し た こ と の あ る 、運 動 会 の 季 節 で す ね 。

現 在 は 学 校 の 運 動 場 や 市 民 グ ラ ウ ン ド

で 行 わ れ て い ま す が 、 大 正 半 ば ま で は

ジノーンウマイー(宜野湾馬場)

ま た 部 落 間 の 対 抗 意 識 も 強 く 、審 判 に

抗 議 を 申 し 込 む こ と が 多 々 あ っ た そ う

で す 。

1 95 7( 昭 和 3 2) 年 1 2 月 に は 、 普 天 間

総 合 グ ラ ウ ン ド( 現 在 の 普 天 間 高 校 と 普

天 間 小 学 校 の グ ラ ウ ン ド )が 完 成 し ま し

た 。 同 グ ラ ウ ン ド で は 、 中 頭 地 区 陸 上 競

技 大 会 や 、市 民 運 動 会 な ど が 開 催 さ れ ま

し た 。1 96 4( 昭 和 39 )年 に 健 康 都 市 宣 言

を し て い た 宜 野 湾 市 は 、 19 65 ( 昭 和 4 0 )

年 に 開 催 さ れ た 第 一 回 市 民 運 動 会 に お

い て 、「 丈 夫 な 体 を 育 て ま し ょ う 」 な ど

第二回市民運動会の様子

ロボットの仮装

の 幟 のぼり

を グ ラ ウ ン ド 中 に 立 て 、 健 康 都 市

宜 野 湾 を ア ピ ー ル し ま し た 。 ま た 市 民

に よ る 仮 装 行 列 も 行 わ れ 、大 会 を 大 い に

(3)

洞窟内の水のある場所やタイモ畑、川で生物たちを見るこ

とができます(写真はクマイアブ・字宜野湾)。

☆ 東 京 オ リ ン ピ ッ ク ☆

1 96 4( 昭 和 39) 年 、 ア ジ ア で 初 め て と な る オ リ ン ピ ッ ク が 東 京 で 開 催 さ れ ま し た 。 日 本 女 子 バ レ ー ボ ー ル チ ー ム が 「 東 洋 の 魔 女 」 と し て 一 躍 有 名 に な っ た 大 会 で も あ り ま す ね 。

東 京 オ リ ン ピ ッ ク の 聖 火 は 、 ギ リ シ ャ を

出 発 し 、 沖 縄 を 経 由 し て 東 京 に 運 ば れ ま し た 。 そ ん な 聖 火 は 1 96 4 年 9 月 9 日 に 宜 野 湾 市 を 通 過 し ま し た 。聖 火 の コ ー ス に 選 ば れ た 宜 野 湾 市 は 前 の 年 か ら 美 化 運 動 を 始 め 、 準 備 に 取 り 組 ん で い ま し た 。

宜 野 湾 市 に か か る コ ー ス は 、現 在 の 国 道 3 30 号( 当 時 は 軍 用 道 路 5 号 線 ) を 4 区 間 ( 旧 市 役 所 前 ・ 上 原 ・ 宜 野 湾 小 学 校 前 ・ 我 如 古 ) に 分 け 、 走 者 の 伴 走 者 と し て 普 天 間 高 校 生 や 市 内 中 学 生 が 聖 火 と 供 に 宜 野 湾 市 を 駆 け 抜 け ま し た 。沿 道 に は 大 勢 の 市 民 が 集 ま り 、日 の 丸 の 小 旗 を 振 っ て 歓 迎 し ま し た 。

旧市役所前を通過する聖火

☆ 涼 し く な っ た 秋 だ か ら こ そ ! ☆

か つ て は 馬 場 や 普 天 間 総 合 グ ラ ウ ン ド に お い て 、市 民 総 出 で 参 加 す る 運 動 会 が 行 わ れ て い ま し た 。 現 在 で は 1981( 昭 和 56) 年 に 完 成 し た 市 立 グ ラ ウ ン ド で 、子 ど も た ち の 体 力 の 向 上 や 学 校 間 の 友 情 を 深 め る こ と を 目 的 と し た 市 内 小 ・ 中 学 校 陸 上 競 技 大 会 や 、健 康 増 進 を 目 的 と し た 字

あ ざ

対 抗 陸 上 競 技 大 会 が 行 わ れ て い ま す 。

(4)

行政資料にみる戦後の宜野湾

( 9)

∼破壊さ

れた滑走路∼

「防犯犯罪に関する書類」より

前々回『がちまやぁ 第 8 号』の「役所移転の陳情書」では、1949(昭和 24)年の村役所の移転問題 について紹介しました。移転を訴える陳情書からは、現在とは違った普天間飛行場の様子がうかがえま した。さらに今回は、文化課所蔵「防犯犯罪に関する書類」を読みながら、戦後間もない頃の普天間飛 行場と周辺住民との関わりについて紹介してみたいと思います。

困惑する村役所

普天間飛行場は、1945(昭和 20)年、米軍上陸後まもなく、日本本土攻略のための飛行場として建 設されました。しかし、日本政府の降伏後は使われる理由がなくなったのか、飛行場には米軍の戦車の

残 骸 ざんがい

などが捨てられていたようです。このように米軍機が離着陸するどころかフェンスもなく、 補助 飛行場 として放置されていた当時の状況は、周辺に数々の 困 惑

こんわく

を招いていました。宜野湾村役所は、 普天間飛行場が恒久的なものか、あるいは一時的なものかの判断がつきかねていたようです。

破壊された滑走路

さ らにこの 頃、村役 所を悩 ませ てい た問題がもう ひとつあり まし た。周辺住民が飛行場の立入禁止

地域の中へ 頻 繁 ひんぱん

に立ち入っていた ため です。いくら 補助飛行 場 であ るとはいえ、 住民が飛行 場の 中に 立ち入ること は、軍によ って 禁じ られていたの で、役所も ただ ちに対応を迫られました。

「 防犯犯罪に関 する書類」 に綴 られ ている「飛行 場内住民立 入禁 止ニ就イテ」(資料)では、軍の注 意を受け、村役所が飛行場禁止地域

しています。本文中に、「禁止区域

内ニ立入スルバカリデナク居住乃至 な い し

農耕シテヰ い

ル者ガアリ、 或 あるい

ハ滑走路ヤ誘導路ヲ使用シタリ又ハ 一部破壊シテヰル」とあるように、この文書には、飛行場に立ち入るばかりではなく、居住・農耕し、 さらには滑走路をも破壊して生活を営む人びとの姿が記録されています。この記録からは、戦後初期 の宜野湾の、日々の生き残りをかけた人びとの生活の一端を伝えています。これ以降も村には軍から 通知されており、飛行場の中に立ち入る人が後を絶たなかったことがうかがえます。

資料

普天間飛行場は 現在使用シテナカッタ と記録されています。

(5)

市史編集係で所蔵する資料を皆さまに提供し、それが地域の方々に受け止められ、新たな

情報を引き出すきっかけとなりました。パネル展示会をご 鑑 賞 かんしょう

下さいました皆さま、並びに

情報を寄せていただいた伊佐区の皆さま、ご協力していただき感謝しております。本当にあ

りがとうございました。

Í

Í

市史編集係では、去る6月 1 9 日(月)∼3 0 日(金)の2週間、写真パネル展「沖縄戦、

そして伊佐浜の土地闘争

−戦(いくさ)

・基地・闘争−

」を宜野湾市役所ロビーにおいて開 催しました。このコーナーでは、展示会の様子について、振り返ってみます。

市役所ロビーでの展示会の様子。多 くの方々が つめ

かけて下さいました。

来場者のアンケートでは、「伊佐浜の事件

を忘れてはならないと思う」、「戦時中の状

況に関する展示を取り上げてもらいたい」、

「一枚一枚の写真に胸の痛みを覚えます」

などのコメントをいただきました。

また、今回の展示会では、伊佐浜の土地接収の様子を撮影したという方から写真を寄贈し

ていただきました。当時の伊佐浜の様子を知ることが出来る貴重な資料として、市史編集係

で大切に保管し、活用していきたいと思います。貴重な写真の寄贈、心から感謝いたします。

展示会終了後には、伊佐区自治会からの

要望もあり、伊佐区公民館で「伊佐浜の土

地闘争」 と題したミニ展示会を 開催するこ

とになりました!! 自治会長さんが中心と

なって展示物を掲示し、7月末から8月上

旬の約2週間、展示会を開催しました。 展

示物のなかには、接収された伊佐浜の家屋

の写真 2 2 点も展示しました。伊佐区での

展示会開催中には、 区民の方々から、 写真

に写された家屋や人物に関する情報や 、土

地闘争についてご記憶されている方々から

のお話も寄せられたりと、貴重な情報を得

ることが出来ました。

伊 佐 区 公 民 館 での 展 示 会の 様 子 。自 治 会 長 さんが

体育館に資料を丁寧に展示して下さいました。

今回の展示会では、宜野湾における沖縄

戦 や 米 軍 基 地 の 建 設 の 様 子 を 追 い つ つ 、

1 9 5 5(昭和 3 0 )年に伊佐浜で起きた米軍

による土地接収、すなわち伊佐浜の土地闘

争にみる人びとの抵抗や闘争のありようを

辿 たど

(6)

■ 地下を通る生き物

宜野湾市の台地は、大部分が比較的、水を通し

やすい性質の 琉 球 りゅうきゅう

石灰岩 せっかいがん

でできています。地下

にしみ込んだ雨水は、土地の低い場所へと流れ、

途中、カーとして湧き出たり、川や海に流れたり

します。

地下は、しみ込んだ水の流れで少しずつ削られ、

また相当の時間をかけて台地の変化の影響を受け

て、洞窟や水の通り道ができてきます。カニやエ

ビたちは、おもに稚エビ・稚ガニの頃に、この海

に通ずる地下の水道や川の中(淡水)で生活しま

すが、中にはカーにたどり着き、そこで生活する

のもいます。

洞窟内の水のある場所やタイモ畑、川で生物たちを見るこ

とができます(写真はクマイアブ・字宜野湾)。

其ノ四 地下は水と生き物の通り道

これまでカー(湧き水)について、人と行事と儀礼、カーの形、カーにまつわる昔話を紹介して

きました。今回は、カーの中で生活する生き物と、地下を通る水の道について紹介します。

■ カーの中には、どんな生き物はいるの?

カーには場所によってグッピーやコンジンテナガ

エビ(写真下左)、モクズガニ(写真下右)などの小

魚やカニ、エビがいます。また、森の中にあるカー

には、ボウフラがいます(周辺には蚊もいるので、

刺されないように注意!)。

これらコンジンテナガエビやモクズガニは、もと

からこのカーで生活しているのではありません。彼

らには、海(海水)と陸水(淡水)部分を行き来す コンジンテナガエビやモクズガニ、グッピーのいるクシヌ

カー(野嵩)。

カニ、エビたちは人の気配を感じると、すぐに隠れますが、

しばらくすると出てきます(大山のヒャーカーガー)。

シリーズ・歴史のあしあと

る性質があります。成長しながら稚 ち

エビ・稚ガニの

頃に海からカーなどの陸水に戻ってきます。では、

(7)

前 号 ( 第 9 号 ・ 5 月 発 行 ) で お 知 ら せ し ま し た 「 古 地 名 調 査 」 が 始 ま り ま し た 。 古 地 名 と は 、「 そ の 土 地 の 人 々 に 、 古 く か ら 言 い 伝 え ら れ て い る 地 名 」 の こ と を 言 い ま す 。 字 宜 野 湾 を 皮 切 り に ス タ ー ト で す ! !

調 査 で は 、1 9 4 5( 昭 和 2 0 )年 1 ・ 2 月 頃 の 空 中 写 真 を ス ク リ ー ン に 映 し 、 話 者 の 方 々 か ら お 話 を 伺 い ま し た 。 話 者 の 方 々 が 子 ど も の 頃 に 遊 ん で い た 場 所 や 、 道 、 井 戸 や 洞 窟 の 名 前 、 そ の 由 来 な ど を 中 心 に 調 査 を 行 い ま し た 。 右 の 写 真 の よ う に ス ク リ ー ン に 直 接 そ の 場 所 を 教 え て い た だ く こ と も あ り 、 字 宜 野 湾 の 地 名 に つ い て 多 く の 情 報 を 得 る こ と が で き ま し た 。

字宜野湾での調査の様子

字宜野湾のゲートボール場

そ の 後 は 聞 い た こ と を ふ ま え 、昔 か ら 今 も な お 残 る 場 所 に 足 を 運 び 、 現 在 の 様 子 を 確 認 し ま す 。字 宜 野 湾 に あ る ゲ ー ト ボ ー ル 場 は 、戦 前 マ ー タ ク ロ ー ウ シ ナ ー と い う 闘 牛 場 で し た 。 大 雨 が 降 る と 、 ウ シ ナ ー か ら 西 側 に あ る ウ ブ ガ ー (産 泉 ) が 泥 水 で 汚 れ て し ま う た め 、大 正 3 年 に ウ シ ナ ー を 隣 の 神 山 と の 境 界 に 移 動 さ せ た と い う 話 が あ り ま す 。

さ ま ざ ま な 歴 史 を 持 つ マ ー タ ク ロ ー ウ シ ナ ー は 、 整 地 さ れ た 後 、 2 00 5( 平 成 1 7 )年 5 月 7 日 に ゲ ー ト ボ ー ル 場 と し て 生 ま れ 変 わ り ま し た 。現 在 で も「 ま ー た く ろ ー 広 場 」 と し て 区 民 の 方 々 に 親 し ま れ て い る 場 所 に な っ て い ま す 。

(8)

国立博物館ロビーに展示された大山の綱

ました。特にこの綱を使ってどのように引き合 うのか不思議そうに眺め、共に展示された綱引 きの映像を見て なるほど∼ と感心している ようでした。

海を渡り本土で見る大山の綱は、沖縄で見る のと雰囲気も違い、沖縄の民俗文化の奥深さを アピールしていました。

シンポジウムの様子

大山の綱、

福岡へ行く!

去った 8 月 1 1 日(金)、沖縄県地域史協議会第一回研修会が沖縄市民小劇場 あしびなー で行 われました。この沖縄県地域史協議会は 1 9 7 8 (昭和 5 3 )年、地域史編集関係者相互の情報と資料

の交換・ 親 睦

しんぼく

を図るとともに、史資料の発掘・収集を推進し、市町村史(誌)等の地域史づくりの

機関は 3 0 余、個人での会員も 6 0 名余が加入し、お互いに情報交換を行い、地域の特色を活かした 個性ある地域史編さんに取り組んでいます。

今回の研修会では、日本政府による三位一体改革や市 町村合併等、近年の社会状況によって地域史編さんに与 える(与えた)影響をふまえ、地域史を編さんする意 義や、将来にむけて求められていることは何かを考 えるため、「いま、あらためて考える、地域史編さん の意義」と題しシンポジウムが行われました。

各市町村で地域史を編さんする専門員は、身分が 不確定な臨時職員・嘱託職員で多くを占めている状 況にあることや、単に地域史を刊行するだけでなく、 刊行後の活用の仕方について考えさせられました。

4月 2 9 日から6月 2 5 日にわたって、 福岡県太宰府市の九州国立博物館で特別展 「うるまちゅら島琉球」が開かれました。 この特別展では、国宝の琉球国王の尚家関 係資料を中心に、沖縄の歴史・文化・美術 工芸が展示され、多くの見物客が訪れてい ました。この中で沖縄の祭の一つとして綱 引きが紹介され、その代表に宜野湾市大山 の綱引きで使われる綱とカナキ棒(貫棒)、 旗頭が展示されました( もちろん本物です) 。 け合うアギエーの様子が、再現されていま した。

見 物 客 も 本 土 で は ほ と ん ど 見 ら れ な い 沖縄の綱の大きさや、形に関心を寄せてい 展示は、綱を引く前に行う雌雄

し ゆ う

の綱をぶつ

発展と地域文化の 振 興

しんこう

に寄

することを目的に設立されました。現在、地域史の編集に 携 たずさ

わる関係

参照

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