――目次――
1,
神の転移と重複,宇野円空,Enkū UNO,pp.1-14.
2,
基本的宗教について,赤松秀景,Shōkei AKAMATSU,pp.15-30.
3,
称名,増谷文雄,Humio MASUTANI,pp.31-44.
4,
朝鮮墳墓の斎宮と天地八陽経,高橋亨,Tōru TAKAHASHI,pp.45-73.
5,
朝鮮の巫称について,秋葉隆,Takashi AKIBA,pp.74-93.
6,
曇曠の唯識思想と唐代の唯識諸派との関係,敦煌出土『大乗百法明門論開宗義記』
に現はれたる,結城令聞,Reimon YŪKI,pp.94-116.
7,
大元国師霊厳寺蔵漢対照碑文について,寺本婉雅,Enga TERAMOTO,pp.117-125.
8,
『大唐西城記』の和訳本,禿氏祐祥,Yūshō TOKUSHI,pp.126-136.
9,
ロマ書第7章の『霊肉の争闘』の記事について,山谷省吾,Shōgo YAMATANI,pp.137-146.
10,Poisons d’Epreuve
について,松岡静雄,Shizuo MATSUOKA,pp.147-148.
11,
石田茂作著『写経より見たる奈良朝仏教の研究』を読みて,長井真琴,Makoto NAGAI,pp.149-152.
12,
西蔵大蔵経 甘殊爾勘同目録を見て,池田澄達,Chōtatsu IKEDA,pp.153-155.
13,
進化観念を中心として文化と宗教の考察,Dawson,Progress and Religion 1929,稲垣了俊,Ryōshun
INAGAKI,pp.156-166.
14,
新刊紹介,pp,167-187.
紳といふ言糞の近代的な意味が、単に人間形壊的な紳やその他の超戚魔的な人格的存在にかぎ
らず、ひろく戚螢的な呪物や牽物から、宇宙的な室健や普遍的原理などをふくめて、すべて人
の宗教的態度の封象となる存在のこと∼解せられるやうになつたのは、特に宗教史や宗致哲畢の研究の態度がもたらした結果である。もちろんこんな意味や用法は、すでにギグジャ以凍の哲畢
者や紳学者にも屡々見いだされるが、それをさらに一般化したのは、近代の、研究ド於ける客観重
義、ことに既成の侍兢をはなれて諸宗教を比較し、またこれを普遍的に考察する立場であつて、
それはまた近代思想の人間中心軌に支持せられたのであつた。そしてこんな見方が益々敢骨に普
及すると∼もに、今では大ていの人が醐の観念をきはめて廣い意娩に理解し、すべて宗教的な有産といふことに紳の語を用ひて異まないやうになつてゐる。そこには宗教思想としても文化史的
にも一つの大きな鍵勒がみとめられると同時に、いはゆる紳の意味内容がすこぶる贋汎複雑なも
のになつたことは寧はれない。
嵐毎革警主毒紳 仇ソ 轄 移 と 重 硬
宇 野 固 空
謝¢蠣移ミ重複
二
すなはち紳の語があらはす宗教的剖象の観念は、なほ一方ではつねに一つの個髄的な存在とし
ての﹁物﹂かまたは﹁者﹄であるやうに考へられ、いはゆる人格的な紳婁にかぎらないまでも、動植
物をの他の染物をふくめたものを、宗教意識の対象として論じられてゐる場合が多い。そして宗
教意識が僚緒的な経験である上からも、人格的な存在を対象として意識することが容易であγり、
またその軽食を集中するために、屡々個髄的な存在を要求する傾向のあることも寄算でぁる。し
かしこれを種々なる宗教的経臆について見た時に、その態度がいつもこんな個髄的なものに向つ
て集中されてゐるには限らないので、時としては一そう廣汎な環境や複雑な状態が、全壊として
宗教的情操の基礎観念となつてゐることを見のがしてはならない。宗教的経験が純膵に感情的な
庵のであつて、明瞭な対象の観念をもたないといふ説明は、心理畢的によほど無理であるが、い
はゆる無対象の情緒なるもの∼事例は、賓は難多な環境の表象の複合したものを基礎として、その中のいづれの部分も特に中心的な憲政をもたす、その情渚的反應の鯨着鮎の明絡でないもので
あることが多い。たとへぼ或る儀藤の宗教的意味が、その中心的対象としての御室に陳聯してよ
hノも、それの組織や過程にこ於て神聖であつたり、また人生金軽の運命が綴粛な宗教的感度の対象であつて、特にそれが紳命とか霊魂とかの観念に集中されてゐない場合は、宗教的生活の多様な
襲化をかへり見る時に、屡々あらはれてゐる事賓である。すなはちこんな場合の宗教的経験の軌
β念的基礎は、質ほ対象といふよ♭もむしろ射場賢口邑Onの観念でめり、しかもそれは神童な﹁者﹂ や﹁物﹂ではなくても、同棲に紳重なF事﹂として、侍統的な意味ぉはなれての廣義の軸といふ中
に、昏然に包括せらるべき観念でなくてはならない。
かくして紳すなほち宗教的対象の観念の限界は、曹尊者の宗教的意識に於ても、きほめて廣汎
なそして不確定のものである場合が多いのであるが、それはまたいはゆる前垂の侍捧もしくは侍
染の現象によつて、益々その限界を曖昧にするのであつて、賞際宗教的意識特にその観念の内容
を検して、どこまでが宗教的対象といふペきであるかを決定することは困難である。加重の停染
とか轄移といふのは、たとへば神霊に接近する人々ことに祭司などが、本務宗教的なカや性質を
もたなかったのに、それが焉に自ら紳宣に類する前垂な存在とみとめられた♭、また紳璽の奉仕
に用ひた祭具や供物が、それだけでその凡俗な欺騒から聖化されて、前審のカや性質をどれ程か
分輿されるといふ類であつて、すべて調整な存在が何らかの意簸でこれと関係せしめられた存在
に、その前垂な性唐音樽移せしめる傾向をもつといふ想定である。こんな傾向は宗教的な存在に
隣する普遍的な原理として、必ずしも概念的にみとめられてゐるのではないが、具憶的に紳重な
事物についてつね圭どれ程かみとめられ、その行動や儀虐の機制の根本ともなつてゐて、その高
下を問はず、すべての宗教に於ける観念の一特徴をなしてゐる。それで宗教的情操の封象となる
′ 紳¢欝移ミ葺覆 き四 耕の特番ミ重複 やうな事物のもつ紳重な性質が 念についでは、すでにその性質と根源とが種々の方面から説明㌢れてゐる。 フレーザーはいはゆる侍染呪術に於いて、二つの物健の間に呪力または光特約効果の侍染が行 はれるといふ観念が、それらの物髄が類似もしくは接近による聯想によつて結びつけられろこと から教生したと説き、リューバは虞義の共成呪術を可能ならしめる輯移の原理prin倉leO﹃す呂畏− i乳On とは、類似と接簡及び因果的関係によつて、一つの物、の紳私的性能が直接に他の物に移る といふ信念に外ならないといふ。もしこれらの呪術に呪力観念があらはれてゐるならば、上の呪 力計鰹がつねに特移牲をみとめられてゐるのでぁるが、カ〝−ツは一般に呪術の原理を、近代の 物理単に於ける放射作用に顛する性能樽移の観念であるとして、それ畝放射搬出m邑sm宏と名 けたのであつた。それで呪術に於けを樽移や侍染の童憶は、をの物憶の呪術的な性能または効果 であつて、もし、これが普通にいはれるやうに一種のカであるなら、それの樽移ほ必ずしも呪術 に於てばか♭でなく、一般にカの観念に共通な性質であつて、それが非個健的な存在でぁる粘か らも、またおそらくは本務それが効果の輯移を説明するための一種の賓憶化的ざpOS訂島名eな観 念であることからも、その樽移はむしろ曹然の機能でなくてはならない。たゞそれが科畢の世界 では種々の法則や量的関係に制限されるのに対して、呪術ではほとんど無制限にきはめて自由な ヰ
輯移がみとめられるのであつで、その特異性は呪術的思想が物を区別しないで、多くこれを融合
して見る呪縮約合流m品官許舞On旨軋昌にもとづくといほれる。しかし呪術に於けるこの呪力の特移や、その他の性能の樽染は、一般的にはその沖私的な効果
や慣偲の直接の波及または樽播を意味するだけであるが、宗教的な性質としての前垂の侍染ほ、
少くともその上に成蕨欄輯移をふくんでゐる。それは禁忌の封象となる性質としてのタブの侍染
に於ても見られるやうに、もはや単なるカや効果の特移ではなくて、前垂として概括されるすべ
ての性質が、客間的接近ばかhソでなく雇々なる関係をもつ事物の問に樽染するといふ観念であるそれでジュダンスほタブの輯移し得る二つの事物の関係ほ、それらの観念が聯想によつて結合さ
れたのをそのま∼客観に投射したものであるとし、それがタブに於いてのみ可能であるのは、この観念が経験の産物でなくて先験的なものであるだけ﹂何ら別の理由や根披をもたない直接の想
定であるかち、これを物質的な博学邑鼠。11、iさ詳江毒の観念で説明してはならないと、いふ。≠ユルケムは物の前垂な性質は原始的には一般に賓髄化した神秘カの観念となつてゐて、しか成それ慮
呪力観念や近代的なカの観念の原型であるから、それが本質的に侍染牲をもつのが常然である。
そして前垂な性贋は物に固有な屈性ではなくて、情緒的に人がこれに付興する性質であるから、
情滴が種々の封象や観念に侍播する性質ほ、やがて一つの紳重野物と関係する多くの事物に紳翌
紳の轄移ミ電鍵 五 き六
紳の特番ミ重複 な性質をみとさせるので、ことに原始的心性に於ける敵即の法則−Cidep邑i倉註。nや醐都的論 理が、この情緒の樽播したがってまたそれを客観親しての紳垂の侍染の観念を容易にすると考へ た。それで呪術的な性能や効果でも醐聖な性質でも、それが多少の関係をもつた事物の問に自由 + に樽移するといぷ執念がJレギブタユールが説いた㌣ブに融帥の諭理や事物の差掛を隙かに意識 しない原始的心性にもとづくことは疑はれない。しかし一そう精密にいへばこれはその原始的心 性のま艶的表象を直ちに客観成する傾向、すなはち観念の聯合の投射によるのでぁつて、しかも その聯合は内容の類似接近等の論理的関係によるよりも、情鯖の侍括による結合であり、本家醐 重な存在の観念と屡々同時に経臆される観念は、その間に明確な直別が意識されないかぎゎ、そ れにも同じ情操が経験され、いほゆる威僑の論理による融合が行はれて、客観的にも醐垂と見な されるのである。 こんな思惟や論理が原始的心性の特徴であるにしても、それほかならゃしもいはゆる原始人や 未開民族にかぎられたものではなく、近代的な生活に於ても感情的興奮をともなふ賓生活や、遊 戯またほ轟術的線度には屡々あらはれるので、したがつで主観的な情港の樽播から、これらの感 度の対象となる事物の性能が、客観的にも侍染樽移するやうに考へられることほ、宗教以外の世 界にも往々みとめられる観念である。しかしこんな思惟や論理・はそれ自慢多少非合理的醐秘的で βあ古から、その対象となる観念は、それを客観化して他の思惟による搬念及びその存在と対照し
た時に、それだけでも神勅牲をもつて凍るので、もしこれに賓制約膝度をもつてのぞんだら、効
果債僅を意識して対するならば、そこに宗教的生活及びそれ以外の呪術的行動があらはれる。そ
れでこれらの生活行動の対象に於ける性能の特典や轄移は、その事物の別の意暁での神秘性に付
加された作用であることもあるが、また屡々その樽染や樽移それ自身が、それの神秘的であるこ
とのまな理由となってゐる場合もあるのであつて、いづれにしてもそれが非合理的な観念でめ
り、威情的な論理の産物であることがその根源である。それ政宗数的対象の観念にほ、つねに多
少ともその紳垂亮性質の特移侍染の傾向もしくは可能が濠想され、一方では軸重な存在を凡俗と
分離することに努力しながら、他方では/何らかの方法でこれを空化し、人名的にそれに紳重な性 質を特移せしめようとすることも多いので、その行動儀殖の可なりP部分がこの日約をもつで組 織されでゐる。Lかしこの輯移が人膚約に行ほれる場合は、かへってその御重な世界の限界が明瞭であるが、それが自然の博染に放任されてゐる時には、宗教的対象としての調整な存在は際限
なくひろがるので、無意識的な表象の有無出没の問題は別としてもー、意識に於ける注意の点数と
限界との不定なことからも、対象の軌念の限界ほつねに勒喀して、これを一定七て見ることの困
難な場合が非常に多い。
醐¢瞳移皇室衰 7紳の轄移ミ重覆
八
かくして前垂の培藤や侍染の想定が、感情的に種々の観念を結合する融郎の論理と、豊艶的経
験を直ちに客観的に投射して賓在とみとめる傾向から凍たとすれば、それは宗教的生活や呪術に
於て、原始的心性適いはれる戚情的思惟が強くはたらいてゐるからである。しかるにこの威僚的
思惟ほ、それが原始的なものであるかどうかは別問題として、他の一方で抽象的分析や概念的な
辟惟の欠陥を意昧し、つねに物を具健的に考へ抽象的な性質や機能を賓倍化して見る傾向をもつ
てゐるので、こんな思惟をまとする種々の生活には、たとへば萄術や遊戯などにも屡々見るやう
空冷静な科挙的観念とはちがった多くの具髄的貰健的な観念が輿へられる。そしでこの傾向は
また宗教や呪術に特にいちじるLくあらはれ、その沖私的な効果は種々の呪力観念として具倍化され、紳重な性質は気息、血液などの物質に鯨せられるほか、聴殊な呪力や整威として屡々限に
見えない物質と考へられ、その輯移や侍染をもこれらの観念に鯨して詮明される。もつともこれ
を神都カとか紳重な質感とかいつ七も、そのカといふ観念には種々の意療があり、そ
程度も区々であ?て、それも研究者や報告者が概癌的に命名tた場合が多いのであるから、すべての呪術や宗敦にこんな観念が必然的であるといふ見解をそのまゝ肯定すろことはできない。しか
tメラl、ネシアに於けるマナやボブネシアのタブの観念をもつて代表せしめられた呪力や呪賓の観念が、多く物の超自然牲や醐秘的効果を意味すると同時に、また屡々生命のカとも解挿されてゐ
βるやうに、まとして人間や動物の行男や性能、及び一般に生命現象のはたらきは、宴質や垂威及
び寮魂の観念として、また何ほどか賓橙化されてゐて、往々それ自健に紳整成されることもある
ので、こ∼にまた宗教的封象として特殊な非貴意的な存在の観念が輿へられるのである。ことに靂魂観念はそれが内債を離れて禰宜に存在し得る自由登の観念となつて、人や物に関係のない種
種の特電観念を馨展させ、をれがまた何ほどかの肢抵となって塞鬼や紳舐の観念も費鐘するので、
いはゆる登的な宗教的存在の世界は、他の生活とは甚しく臭った方向に展開し、宗教的生活はそ
の対象の性質からも全く狗聴なものであるかのやうな粗を呈するのである。
もちろん呪力や宴魂などの観念は、本務宗教的生活のみに限定された存在ではなく、本務七ゞ
感情的な思惟の産物として、非宗数的もしくは科挙的な観念がこれと分化するまでは、可ならひ
ろい範囲の生活の基礎観念としてはたらいてゐる。ことに紳舐や優鬼は一種の常畢または轟術と
しての押詰の封象にすぎないこともあ♭、呪力観念も本務多くは呪術的効果の原理として想定さ
れたので、そのすべてが前垂な宗数的憩度の封像ではない。しかしまたこれらのカや存在の観念
は、感情胡思惟によつて賞憶化されたものであるだけ、経験的合理的な観念に此しで非合理的で
あアり、本贋的に超戚螢的なものであるばかりでなく、本家異常な性質や効果の根源として想定さ
れたものであるから、つねに紳秘戚をともなうて特に呪術宗教的生活の封象となる。・それにこん
前の轄移ぜ重複 九 9紳の樽移ミ重複
一〇
な展性や機能への注意と思惟は、日常生活の些細な事物に対してよ♭は、誰もが細管重大な関心
をもつ人や物に関して布はれ、その社食的に重要な意義をもつ観念だけが侍東として集積される
のであるから、かくして成立した呪力や聾魂の観念は、その内容の上からも形式的意味からも、
威蕨めるもの政令的権威をもつものとして前垂成される傾向がぁる。したがつてこれらの観念は
原理的にではないけれども、事賓上大多数は単なる賓制約な呪術の対象ではなくて、宗教的な畏
敬の対象となら、ほとんど宗教的生活に固有な存在のやうに見られる。この意味でマナなどの紳
秘カの観念が必然に紳重なものであり、本質的に宗教的な観念であるといふことも、全能を理論
的に見ては無理であるけれども、これが垂魂執念と∼もに寮生的には特に紳重な人や物に関してまづみとめられ、後にそれが概念化されるまでの具倦的なものは、それ自身また多く前垂であつ
たことは疑はれないので、同様に婁鬼や神政についてその非宗教的機能をみとめても、その大部
分が寮生的に特に宗教的であつたことは否定されない。
かくして宗教的対象の観念ほ、多くの戚塵的存在のほかに、それの類比または延長である種々
の超成鼻的存在に及ぶのみならす、さ一らにそれらの本質、属性、能力、効果等をどれだけが質億
化したものをふくみ\、これがまた屡々褐立した個債の観念にまで尊厳せしめられるので、それらが衝畢な一つの存在にまとめられる場合でも、その本琴形憩、属性等が各々賓燈的に重複して、
/ Jり見られることが多い。たとへば或る動物とその血及び宴魂とが、別々に紳重な存在として宗教的 に見られた♭、呪物である石に呪力がみとめられると同時に、他の精塞がその中に潜んでゐて、 夫々れの取扱ひかたを区別する必要があつた♭、さらに祖先の廟所に奉安した人格と、その電線 の樺化した人や象徴としての偶像と、いづれがその前垂な存在としての重健であるか決定されな いやうな場合もある。 これらは屡々時と場虞とを異にして舜勃するので、その間には本務別な存在の形態や本質との 交錯もあらはれるのであるが、同一の存在に関してもその超戚費的な種々の賓健は、時によつて 結合したら分離したりして、二元的三元的若くはそれ以上の観念となる。たとへば神武の人格的 本懐と、一方では感度的な人や物に於けるその様化任所及び象徴と、他方ではこれらに依存した う覇立に分離したりするその塵魂や塞威、その他特殊な蓋すの頼までが、 超戚魔的に重複されて、何れもが同一の神威の観念を形つくるやうなことは、宗教的な軌念とし てはきはめて普通である。そしてこの中でも呪力観念ほ多くその効果や能力を代表するけれど も、たま度々その紳重な性質そのもの∼抽象であることもあり、婁魂は性質上種々な存在の本質 または本鰹であるから、それが超戚畳的であり神秘的であること∼和せって、、宗教的観念は特に 有在のこれらの要素に集中されることが多く、またこれらに対する勝度や行動こそ異に宗教的で 耕¢轄移号室複 JJ
前の培移竜雲痙
一二
あるとまで考へられる。しかし宗教的意識ほ沖聖な存在のこんな超戚魔的要素に注意しないこと
もあり、またこれらを抽象し賓憶化しないで、存在を金健として二光的に紳塑とみとめることも
あつて、宗教的対象の観念の中心がその何れにあるかは、時によつて非常な差異があ㌔その宗
教的意映すなほち沖重な性質の成立は、その本質や属性の観念の分合と注意の焦鮎の移動によつ
て、同︼の存在についても賓に区々多様である。
宗教的認識や思惟がその対象の神秘的効果や醐聖な本質を抽象して、その存在の合憶や形憩と
ともにこれを幾つかの要素や率元に分析して見るのは、一面にその合理化の傾向の進展であるが、
しかもそれが同時に威情的思惟である結果は、さらにこれを賓倍化して考へ、一つの存在に超威
塵的な要素の重複をみとめるのである。すなはちこ∼にも宗教的生活に於ける純粋な合理的思惟の要求とそれに情意の要素の干渉する非合理的傾向との交鈷が現はれてゐる。間接な原図から凍
る抽象化と具健化との一種の矛盾は、宗教以外の賓生活に於ても屡々見られるのではぁるが、そ
の環境に対して情緒的反應を基調としつ∼、しかもその慣偲の重大さから慎重な思惟を要求される宗教的生活に於ては、その認識や観念がこの相反する二つの方向に牽制され、つねにその間に
多少動揺して、種々のパラドックス的現象がそこに根ざしてゐることが多い。そして宗教的生活に
関係する種々の観念の中でも、直接に畏敬の感度の対象となるものにほ、特につよくこの反対の
Jβ、/
要求がほたらき他の生活には見られない複雑難解な内容を生じるので、そこに戚情の論理による 乃
矛盾の許容があるといふ以外に、さらにそれの知的な論理との不調和による種々の矛盾をふくん
で凍る。宗教的経駿の表現や告白が嘗事者にも非常に困難であると同時に、それを一義的にたや
すく信じてならないのもこれが虐めであつて、それほ一方で精細な知的思索的な解説を要求され
つゝ他方ではまたつねに象徴的もしくは車解約な表現をはなれることができないのである。こと
一
に宗教的対象はその情緒的要求に訴へるほか、さらに身髄的行動の対象としても適切でなくては
ならないので、一度超成魔的にみとめられたものも何らかの方法で戚螢的なものに締着せしめら
れ抽象した性能は賓健化された上にさらに人間や呪物に具現され、精細約な本憶はまたまとして
物質的な権化や象徴にみとめられることになる。前に説いた宗教的旗度による無生物の生物化
呂im註邑iOロ非人格的な存在の人格化の傾向もこの要求にもとづくのであつて、それはまたつねにこれを機械化し概念化して見る合理的思惟の傾向と争ってゐるのである。
桑数的対象の観念に於けるこんな矛盾と動揺とは、個人の宗教的生活に於てみとめられるばか
りでなく、集合的観念としての侍承の慶化の上にことに顕著であつて、宗教史に於ける対象観念の
螢達は、その知的合理的傾向と情意的及び行動ま義的要求との交錯問等のうちにあらはれてゐる
すなはち自然柴草呪物崇拝に於ける一元的な物騰貴輝から、それの性能や本質を抽象した呪力
耕の轄移ミ重複耕の轄移ミ重複 一回 や宴魂の観念があらはれても、それはまた自ら賓髄化するかもしくは物健と結合しての二元的三 元的な聖化と打てり、超戚魔的な室鬼や神武の観念にも、その婁威や神性の概念が派生すると同時 に、それはまた具億的な形愚ことに人間形憩軌一ぎともなつたら、戚魔的な物健への憑絡もしくは 権化をみとめられ、超越的な一諦観や汎神軌に於てすら、それは現賓の人間に代表者をもとめる か、物質的な象徽に表現されざるを待ないのである。そしてこれらの存在の人格性についてほ、 戚魔的存在に関する宗教的軌念の鼻動も相普に大きかったが、ことに泡盛費的な存在としてほ、 生命観や呪力軌と宴魂軌精塞軌との消長があ∵り、埋諦観的dei乳訂F傾向と有紳軌的t訂i乳胃F傾 向との対立から、汎醐軌と一諦観との南極への分化にいたるまで、宗教的生活一般の特質から大 燈その対象を人格化する傾向の優勢を示しっ∼、つねに一方で知的思惟への反動が加はって、粛 る程度までそれらの不調和な結合のうちに、宗教的観念の費蓮の歴史が進行してゐる。これほ特 にインドに於ける苧旨m呂梵の観念とその宗教的意味の鍵化にあらはれてゐるが、非人格的な 前審カの観念の宗教的地位を過大親しないまでも、有諦観的な傾向のみにとらはれた宗教の見方 を固執しなければ、これと同棲な宗教的観念の動揺や象他の事例は到るところに見出される。 J4
ノ
或問題について宗教畢の立場から考察ぉ読みるとすれば、暇命、之が特殊な問題であつても、
或形式で、論理的に宗教の意味を捉へる事が、僚件の一となつて、普然食まれて凍る。然し必ず
しも、宗教の概管明掛に表示してゐるといふのではない。而して、乏が宗教の畢的研究である
限りに於ては、宗教畢の費連、其の結果と密接な関係にある革も拒まれないと思ふ。こゝで畢史
を詳しく辿るまでもなく、古く、呪物崇拝、自然崇藤等其他の諸詭が、今日まで多くの単著に依
って唱へられ、之等は宗教畢的研究の出立鮎に於て、其の一般理論の様にも取扱はれ、宗教の意
療もそこから、或は心理的に或ほ社食的に、色々の見方を生じて居ると共に、其の研究範囲、其
の方法も同一でない事を知るのである。然し、仮りに研究の方向といふ様な粘で之を概括して、
宗敦の起源に節する問題が殊に著しいと云ひ得れば、此の問題は、如何なる領域の事貰に於で、
如何なる傾向の研究を開展して凍たか﹂之に関して一二を指摘して見やう。
初めに云った藩論は、之を其の研究の資沸から、歴史的民族に於ける歴史的材料に基いたもの
基本的宗教に就いて基本的宗教に就 い て
赤 松 秀 景
Jさ〓ハ 基本的宗教に就いて ︵l︶ と、未開民族に於け名人類畢的土俗誌的材料に依ったものとにならう。已に之は宗教が歴史的革 質としで、この見地の考察を普然或意簸で含むものであつて、宗教は、社食の生活様式中の一部 或は要義として見出されるのであるが、又、之は畢位として取られた赴骨の様式に鷹じた特異性 から見た場合、馨連の差のある事を認めるものである。かくてこゝでいふ起源の問題は、漸く歴 史的民族の過去から、未開民族に於て原史先史の事情を探求しやうとする傾向に導かれて居るの ではなからうか。か∼る研究の結果ほ、起源に関して考へられた宗教が、如何なる形で現ほれ、 如何なる意味を有するか、之等を指示する事になる。然し之が未開人の宗教を研究する限らでほ 原始的宗教の研究でもある。然るに、宗教の意味をいふ場合には、こうした研究から、指示を得 るのであるから、三此の種の研究について基本的宗教の研究と呼ぶ事として考察を進めるが、之を 我が国の畢界に於ける例で見れぼ、デュルケム一派の政令拳傾向空不すものと、シュミット及びグ レブナ一等の民族畢傾向を説くもの.と、此の両者が、現時、基本的宗教の研究に於て考へられる。 前者でほ、F枚近宗教単記の研究﹂で赤絵智城教授が論及せられ、後者では、ヨポ敦民族辱﹄で宇野固 容助教授が詭越せられて居る。共に昨年の出版である。然し此の両署に就いて述べてゆく事は、 今の場合無理でもあり、困難で宣牒るから、之とは別であるが、此の中に取扱はれてゐる二億何 此の両棲向を取って、基本的宗教の研究といふ鮎か に関する問題を擢んだ結果になる。綴りに、 ■ Jβ
ら見るとしても、之等に対する批列的考察ではなく、寧ろ民族畢のま張恕とされてゐるこ三を、
政令畢の重鎮の問に比べて、如何に考へられるか、之を問題としたい。
社食単に就いて、デュルケムの結論した基本的宗教は、云ふまでもなくトチミズムの学説であ
るが、直接間接此の問題に螢されて凍た論議は、頗る多く、ブングネブが、宗教及び敢骨組織の
起源に関する諸説の批判暇研究として纏めたのも、已に十年を経てゐるが、トニアミズムの名と共
に直ちに聯想されるフレーザーも、その大著の結論を略述したものとして、F家族及び氏族の起 ︵三︶ 源﹂を彿辞したのが、前書の後間もない頃である。こ∼に取った民族畢の方面でも、之が可打アり取扱ほれてゐる楼である。之等の問で考へ得る鮎に、トニアミズムが、来開民族に認められる事は、
極めて虞く、歴史的民族にも之を立記した例がある。然し例外の民族もあり、等しくトニアミズム
と云うても、其の瀾には分別の事賓を示して居る等は、之を以て一般的理論とする事が出来ない
のであらうとし、或は、宗教としても、赴骨組織Lしても、之を起源とするのを疑ふものもある。其の結果、デュルケムは、所謂進化論を根接として、哲畢的促設を試みたといふ事も、一牙
的には考へられてゐる。そこで、デュルケムに立還って見ると、Fトアミズム一を重要ょするのは、 ︵円︶ それが普遍的であつたか否やを知る問題とは、全然別なのであるjから、フレーザーの着で、文 基本拘束敢に就いて ノア基本的宗教にこ就いて
一八
化の性質と程度とに、大なる差のある赦骨に於て、トテミズムの跡を螢見したといつても、比較
の範囲を接げるだけでは、社食学的研究の方法でなく、F赴骨畢者に取っては、歴史家に於けるが如く、社食的革質は其の事賓を抱擁す阜社食的僚系の機能である事で、之から切離しては、了解
する事は出魂ない。即ち、臭った二敢骨に属する二事賓は、之を互に似て居ると見られるのみで
︵五︶ ほ、結果のあ名比揆が出水ない所以である﹂。従って・、事賓の廉い探求よりも限定せられ花範囲で考察すべきで通らうが、之には最も知られた事賓を揮ばねばならない。而して之をオーストラリ
アの一部に求めたのであつたが、何故にトラミズムとするならば、先づアメリカ印度人を揮ばな
かったか。それは、例へば後者の技術に於ても、前者より進んでゐる焉であつて、其の敢骨的組
織は或程度で共通であつても、思想を表はすのに技巧の中に於てする初歩を示す程に技術が進ん
で凍れば、其の観察は一骨困難であるからである。かくて、オースふ三ノリアに於て、トテミズム
を研究したのではあるが、この事賞が始めて螢見せられた赴曾、即ち、北米印度人の種族から、
︵六︶ 抽象するのを以て有利と信じない所以はこ∼にある。これから観ても、政令畢で宗教を考察するのに、未開民族を求めた理由を推知するばか♭でなく、敢食草としての鮭度方法、或は其の意義
を見る一例とするに足ると倍するもので、研究の対象を決定するに曹っては、廉い意簸で歴史的
方法をま張し、其の研究に於ても、同棲にして政令的健系の機能たる方面を捉へやうとするにあ
Jβる。若し言ひ待ペくぼ、前者は、後れが﹁赴骨畢的方法論﹄で説いてゐる政令事繋が集囲的である 丹
有様、即ち形膿の方南が研究上にも必要な事を物語るのであう、後者は、同じく其の革質たらし
める有様、即ち機能の方面として分たれるものである。之に依って研究する宗教一曾定義しては、
宗教的現象が多少共組織せられ系統立てられた金健であるとして、この現象を義務的信仰の中に
︵八︶於て輿へられた封象に関係する一定の行事と連繋のある信仰に存するとしたが、信仰と行事との
組織といふ事に、宗教の形態を絶宿し、之等が組織をなす焉にほ、之を然らしむる方面を食むの
であるから、之は機能に属するとすべきである。然るに、後年の薯に於て、殊に、道徳的共存固
健に結合する意を明かに示してゐるのは、一層この滑息を知る事が出水るが、前者ほ宗教たる焉
の働き方であ㍗り、後者は宗教としての働きではあるまいか。F赴骨寧年報﹂新輯第二幕に、モース ︵一〇︶氏が敢曾寧の部門を述べた斯から、この見方を試みる革も出凍やう。即ち、政令的革質の一とし
て、宗教を考察する場合にも、次いで、宗教的革質に入って考察するにも、この両者を濃度の中
に見なければならないのである。
社食畢では以上の鮎だけに止めて、次に民族畢の方では、其の知識に於て遺憾を威する者に取
っては、唯疑問を提起する程度を出でないのであらうと思ふが、こ∼では、民族畢、又は政令畢を直接の問題とするとは別でふγク、宗教を研究する上で逢着する範囲に関する事柄であつて、之
基本的宗教に就いて′
を其の方法論と見ても、此の解決を試みるものでもない。
若しも、赴骨畢的研究に於ては、社食的佳活の様式に文化を考へて、其の機能からの観察であ
るとし、民族畢的研究に於ては、文化が複合と見られる場合、其の成分に文化暦を考へ、其の陶
質的類型から之が文化圏を形る之等の歴史的決定にあると言ひ得れば、同じく未開民族の研究で
あると一般的に見倣される両者の謝係は如何であらうか。
文化といひ、之を敵食生活の模式といつても、之には曹然色々の文化檜といひ得るものがある。
而して或は時の前後、或は併の相違が其の問にあるとしなければならぬ。従って民族畢のま張に
は、曹然その理由を充分認めるものであるのみならす、研究上此の鮎の考慮を忘れる事は出水な
い。されば、前に例示した様に、トニアミズムの研究を何故オーストラリアに限ったのであるか。
之が焉に如何なる憩度で之を揮ぶに至ったか。研究する革質の決定は、之を時庭に関係せしめて
であつた。然しながら、それほ歴史的寄算を資料にする場合の様に之々研究の前程に敦想した事
は許されても、其の研究の中心ではないと考へられるのであるから、民族畢の研究は、この鮎で
極めて有意義な根本的な文化の研究であγり、一般的な進化論に基いた文化の歴史を、時代と地理
とに依って確定する奥の文化史となすものであると見られる。然し、其の結論は、科挙の現状に
見て、何虜まで賓澄駒に可能なのであらうか。
基本的宗労に就いて β∂又その結果は文化の形壊的立論に著しい黙が存する楼であるが、若しも、文化屏に於て考へら
れる事賓を時庭の関係に置き、叉之を他の革質の問に於て見るには、それが如何に働いてゐるも
のであるかゞ必然の問題になる。こゝに突入ってゆくのが特に敢骨畢の研究ではあるまいか。果
して之を許せば、民族革も亦、政令畢の研究といふ論理も可能であり、洗骨畢ほ民族畢の努力の
基礎を集いてゐるものでもあらう。換言すれば、未開民族の研究が、異った方南から、夫々の出
立鮎を見出したのであゎ、従って、この両者が輿へてゐる結果には、宗教研究上に同様の効果を
斎してゐないのである。
赴魯畢が研究の資料に於て、一應厳密な批判的邁澤に依って、其の範囲を局限したのに反して、
民族畢では、之を贋く探求して、絶果を把挺し、之を系統的に登へてゐるとすれば、問題は此の
速から起る。今、基本的宗教を、貰静的研究の意痍に於ける起源にこついて研究するものとして、
1デュルケムは極めて放密に起源の意をこ∼に考へてゐるが、更に進んで解せられるのも多い 楼である。− 理想的には、完全或は之に近い正確な資料を得るに越した事はないが、之が現在で不可能であるに於ては、敢骨畢に見た様に、其の目的に射して、最も完全とすべき資料を有す
る敢食に局限して、其の職質を究め得たならば、他の敢骨に於ける同様の革質を、類型、舜化、
基本的宗教に就いて g∫基本的宗教に就いて 二こ 尊慮等の関係で明かにする焉に、特質上の根底となるが、民族挙が、慣命、グレブナーの如く、 其の資料を極めて有利に蒐集し得るものでも、其の綜合的な結果を導くには、已に可なりの敵情 を預想せざるを待ない。何となれば、この方面の資料は、其の贋と量と共に、解決の前途が多い とせられるからであつて、其の綜合には、未知の鮎を已知に示す危険がある。従って、之を注意 して接るべきに接る其の造の聾者には有利であつても、然らざるものには、この方面の関心を惹 く上で、新たなる意味を有するが、之を準用する鰯の困難に直面する事を思はねばなるまい。勿 論両者の何れにした所で、之を研究に邁用する上に其の解辟に伴ふ困難は同棲であらうけれども、 後者に対しては、こ∼に至るまでの事として一層その度を加へると思ふのである。 上水述べた所は、頗る抽象的に失した嫌は自ら認める。夫はまとして、﹁社食畢年報﹂中に於け るモース氏の評論に剥戟されて、之を月己に依って考へ直したのもー困であらう。恰も同氏は、 ︵︼一︶ 十鎗年の間隔を措いたグレブナーの二者をその都度﹃年報﹂に許して居るが、グレブナーの試みの 必要は、之ぉ先分に認めても、其の賓現を今日にせる結果、償設に基いて慣誼をなしたに等しい といふ非難を加へて居るものと見られる。而して前著がその方法論でゐ♭、後者が結果の線番で
′
あるだけに、民族単に対する社食拳の鰻度を大使に示す事にならう。然るに、他方、殊に知られ て凍たシュミットに射するものに観れなかったから、次には稀内容に亘つセ叙述を進1めやう。之を ββ別に七たのも理由がないではない。グレブナーがアオイに徒って、ケルン博物館を中心とする一
派としでケルン派といへば、シュミッーは雷然ヰーソ況と見られる。之はピナル・ド・ラ・ブーレの
︵一二︶ 書に嬢ったのである。而して、こ∼には、之を分つだけの差異も認めるので、前端﹁年報﹂の諸所 ︵〓ニ︶に評論を載せてあるもので、ケルン派には前掲の他、狗ほ特殊研究に対しては、一般論的な駁論
︵一四︶ を見ないが、ヰーソ況では、重に特殊研究の批評であ♭、其の筆鋒は可なり鎗いもので、概していはゞ、シュミッーの護教諭的論語に終始するかの如きを発する場合の多い事も、其の一である。
こゝで、便宜上、文化圏を簡単に分類表示したものに就いて述べておきたい。之は已に本誌前
前境に掲げられたが、前出のビナル・ド・ラ・ブーレの書中にも出してゐる。両者を比較すれば殆
んど一致するが、この書で見れば、シュミットの表中で、第五の母系と、第六の母樺との間に父権
を挙げてゐるから之では八類となるが、之に封應するグレブナーの文化圏は記されてゐない等の
︵︼六︶少異はある。之に次いで、更にシュミットの詳しい表があるが、謬出するのは省いておいて、唯注
意すべきは、所々に前表補正の跡があγり、第三は撃一の舜形の如く取扱って、新しく第三を種族
組織として加へ、之をグレブナーの第二に封應せしめ、更に第九、第十一曾新加し、望ハ八分族制、
部族制にあるものと、屡神化せられる尊王制、階級制にあるものとし、之に威する民族は、民族
畢と歴史とを連結する様な傾向を以て示される外、一々指摘しないが、斯くて次第に詳密に亙る
基本的宗教lこ就いて β3文化圏が考へられる事は、この内容が順次充質せられるものとのみ見るべきか。或は、この研究 が仮設を含む事の多い食なのであらうか。之等は専門畢者の批判を待って、宗教研究上に正確な 資料を得たいものである。この表中、曹南の問題に関しては、原始文化の第一であり、それが宗 教に於ける限りでは、﹃敢骨単年報﹂でも何等かこの粘に観れてゐるであらうとの漁想の下に之を 求め得たのである。それはシュミットの﹃人類螢達史上に於けるピグミ族の地位旨画する評論であ ︵一七︶ る。之では、第一に、ピグミ族は、果して、原始文化の首位に置かれるかといふ鮎で、第二に、 其の宗教と見倣せる併ほ正しいかといふ事である。評者が之に反射であることば、自ら想像出水 るのであるけれども、そこには、滑滅に近い民族として観察の困難が、結論を容易ならしめない 串を含めてゐる。然し第一の卦で、ピグミ族と総称せられ、各地に散在するが、之を一種裁と見 催すには反射も少くないのにも拘らず、自説を支持し得る詭によつて之を定め、所謂石器以前に 属せしめるが、急に弓箭を武器とするに至ってゐる。之は表中でフォイの分類に見受けられる頗 る後期の文化圏になつて居ら、シュミットも之を認めてゐる事は、表の訣明でも推知し得る。而も シュミットはその螢明をピグミに蹄するなどは、甚しい錯誤として之を難じ、其の宗教に至って大 神の存在を説くに曹っては、ルロア等の設の如きに基き、ブラタン等の説を排してゐるなどこ∼ にも首肯し得られない鮎を奉げて駁してゐる。要するに、反射認にほ偽まで疑を懐き、自説に有 朋 √ 基本的素数に放いて\
利なものは無健件に抹揮する傾向にあるとするが、之では単なる駁論とも見られるので、其の以■ が ︳ 彼の研究事情を考慮せすしては、何れとも断じ待ないけれども、彼の表中に参照して、グレブナ −が、之に特殊の文化圏をなすものとしてゐない鮎は、同じく民族畢老中にも一致を得ない未確 ︵一入︶ 定的なものとしなければならぬ。然し、彼も亦自認の第一文化圏中に之を数へる事にしてゐるが ︵一九︶ ビ〆ミ族が、最古の文化圏たる民族畢的地位は最近まで容認しないのであつて見れば、この内外 の非難が、更に分明となるまで、少くとも暫く、シュミットの説を基本的宗教の研究上、直ちに供 用するの至難なる事を思ふものである。然るにシーミットが大柳或は一紳軌の宗教起源をオースト
ラリアの如き他の民族にも試みてゐる其詭を是認するものには、轟々有意義であるが、之
を疑問とするものには、却って其の護教諭的饅度たる戚を深くする様にも考へる。汲んや、ビナ ル・ド・ラ・ブーレの如く同じく、重職の地位にあるものに於て、同様の傾向を見出す場合は伺吏 ︵ニー︶ である。 斯の如き飯盛は、或は一方的考察であるかも知れない。又宗教畢の灘虜上でも、特殊の問題が、 特殊の鮭度の必要を認めるのは曹然あう得やう。それにしても、之を宗教全健と全く切隠しての 考察は、不可能でなくとも通常とは思はれない。従って基本的宗教など∼いふ革も考へられて凍 る¢それを考へる手鶉として宗教畢の傾向を知る必要もあり、之を観る要求も起る串であらう。 基本的宗教に就いて基本的宗教に洗いて
■二大
之に臭った傾向があれば、その吟醸ともなる。斯の様な見方から試みたのが、本務なのである。
こゝに於て、一應総括して見れば次の楼である。先づ宗致を研究する時に、宗教を如何見るか、
如何なる方儀を取るかなどが、或程度まで明確でなければならない。その中には、現時の研究傾
向を知るのもーつに相違ない。そこで、赦曾撃と民族畢とについて之を簡単に捉へやうとして、
疑問の一二を示したのである。
然るに、之まで故べた所では、民族畢の結果について、疑鮎を求める事のみに偏した傾があγり、
従って、基本的宗教の研究は、敢曾畢的のものでふγり、現在では、之を宗教畢的研究の唯一の方
法として揮ぶペきである意味にな畠のであらうか。嘗て本誌で、票数研究の方法といふ様な事を
略言した革もある様に、こ∼で直ちにこの断定に達するものとは考へてゐない。綴りに、敢曾畢 ︵二二︺ に操るとしても、デュルケムが心理撃との間に敢然たる分野を、一應明確にしてゐるのは、果し て如何なる意味なのであるか。之が已に問題である。毛−ス氏の所説ほ、政令単に於ける心理畢 ︵二三︺ の地位を明かに示してゐるのを見れば、両者の間に畢詭の一致を快く様にも思ほれるが、之は寧ろ其の意義の蓉展であると解せられるのであ♭、扉言、最近来朝したデュマ氏の如きは、心理畢
︵二田︶ に於けるデュルケ払渡の赴骨畢的方法に関してま張ぜるなど、之等を併せ考ふれば、赴食草を似 て宗教畢の方法として、其のま∼退かに決する事は、衰に考察すべき鮎もあるので、之を如何に 2β取扱ふかの如きに至っては、正接こ∼の問題ではなかったのである。 民族単にしても、赴食草にしても、或ほ文化の形成、或は政令生活の様式の研究であア,、其の
頻化と螢建とに於ては歴史的の鰻度方法を要求する事と見なければならない。而して何れも、自
然民族或は原始民族といはる∼ものの研究があり、それについて基本的宗教といふ事を考へたのであるが、其の一般の傾向に於て、原始民族の文化といつても、文化の地域的な、諸事賞の同質
なものを比較し、其の移動侍播で、舜化螢達の関係を認める事が出水る。かうして原始民族の文
化を歴史的に見直して、その形憩を求め、それが民族畢の文化圏詭にまとめられてゐる事が窺れ
る。然るに、之等の諸事賓は、軌禽的生活に於ける奉賛であり、その社食の活動に於て考へられ
る。かくて政令の働き方から文化の形式を見る所に赴骨畢の立場があると思ふ。従って、その原
始民族の研究は、先史考古畢等の如きに依って、原始赴骨を限定し、そこから出立してゐるので
あらう。即ち、こ∼に敢骨を単位とする憩度を見るのではあるまいか。而してこの中にその特質を捉へ、更に他に於ける同様の研究と相待って、終には一般的な教生を考へ得るとするのであら
うと思ふ。若し之を許せば、両者の研究が別な結果を示すのも、曹然であらう。
かくて、民族撃と赦食草とから基本的宗教を見れば、原始民族を歴史的見地から究めて、文化
費生の科畢的起源に達して得た革質といふ単になるが′、之を政令生活の事賓とすれば、其の敢骨
基本的宗教に就いて ガ二八 基本的宗教lこ就いて の痕勒と如何なる関係に於て働いてゐるか。之は如何なる機構をなしてゐるか。之に依って宗教 たる革質を規定する事にな♭、宗敦は敢骨の文化に封鷹する必然的な様式をなせものと見る串が 出水る。然るに民族畢が、文化費生の一般的階程に達した結果は、前に述べた様な資料の不均衡 による疑鮎を含むものであつて、この概括を試みたのは、寧ろ、軋骨導から得た所が多いが、要 するに、宗教畢の一般的な問題が、原始民族の研究に於て進められ、殊に、之を民族撃と軋骨撃 とで取扱ってゐる鮎について、多少考察したに過ぎないにしても、亦、科挙的に宗敦といふ事を 捉へや,㌢とする場合の蒋梗の一とはならう。︵暗、五、二、三︶ 、 江 ︵一︶ Et訂Ogr眉已eに射すろ詩語でぁろ。宇野助教授は、其の著書の初めlこ、之ミ▲乳訂呂︼Og訂ミに、聾者の問lニ分つ ものミ同一親寸ろものミぁるを述べて、前者を民族史、後者を民族撃ミ辞出され㌣が︵宗教民族撃、七真︶、﹁史﹂ の字l‡原語ミ封比Lて如何かミ息ふので、普通の用語lこ従って土俗裔写しt。之に野して民族撃の謬静は土俗撃 ミ考へて居るが、=ゝでは敢て改めてlミゐない。誕lこ邑牢−Ore に封寸る民俗撃の用例克ビ、用語め事ほ其の方 面の専門撃者の説に待つ事写しておかう。. ︵ニ︶ A●召nG昌n巾p︰巳舎監g−莞︼d仁prOb︼かmのtO忘mi宅e−謬訃こ琵P ︵蕊︶ SirJ●G●宇野岩r︰訂払0コ.乳n袋de︼p許岳i−訂=鼠d一1dan︸P→ダー箆柏・ ︵囲︶ 崗●Hぎユ旨eim︰Pe∽才rm現崇me邑巳r象de︼pさ竺邑igieee−ぎ乱♂−¢−1。−p﹂芝nOtの● ︵蕊︶ idempL芦 ︵六︶ 巳巾mpこ夢 ガ
ハ七︶ 声じを訂ぎ︰訂盈訂ニュpm斧Ode乳0−Og官e−吋乳三党声−p﹂可・ ︵〇巳Ann紆警iO︼&官e−汐Anロ倉︵−彗⊥00¢00︶・p・眉e;夢 ︵九︶ 声2昇Feim︰どⅥ誉m認hまmentpir軍p・芦 ︵一〇︶≡nn訂SOeiOl各u2−旨邑0賢e−つトワ︵−琵⊥琵︶・p・−寧引照の論文学監昌etprOpO邑OnSd象d7. 計0ロmdニ昌eiO亙e︵p●¢00⊥諾︶lミ、嘗て紹介ぜられ王様でもぁろが、毛−ス氏が、﹃年報bの再刊−こ際Lて、 社食撃の部門を明かに∵1部門の順序次第から、次には過去に於ける撃況の研究に就いて、各部門其他に於て従
来の研究が均衡ね待て屠なかつ主事な準へ、宗教洗骨拳の如き原始的のものに偏・し上ろな認めてゐるが、之等も
デュルケムが其門弟等が各寺門を分つて、眞に社食撃ねねさんざL㌣に依ろもので、而も其の事ほ大戦の鏡−こ多 くの有烙の士ね失つ㌣等も寄ろ囚であろヾ1いひ、次に放食草の部門の内容に開、し、叉頗用社食撃をも附琴して ゐろ。殊にこ祉曾撃亨しての形態論なカ琴してゐるのほ望号べきでわら、つ。=ゝに整是琴しtのほ、モース氏 の赦骨単に封†る抱負が、十分lこ蕗lェれてゐるからでぁる。 ︵二︶増●G蔓ne⋮冨Odの旨冒nO長ニ⋮・︵Anそ等d昌昌Ann監&○音字声宰︵−冨⊥罠︶p・㌣⊥︶・ 声昏賢e=出夢nO亙eこ琵・ハAn首ed呂告ぎnmeSOeiO・雷雲−買命㌔・−・︵−琵⊥窪Up・甲01㌍00・︶ ︵三︶冒∴誓己已de︼p=ぎ1官e︰冨已e⋮mpPaαd認]詳説giO昆−冒訂−∽e詮−琵−邑−・p・塁 ︵三︶句●G容ne三宅A邑邑i賢n空曹n鷲e註夏色Ob奉︼冨︶︵An首二芝≡nn野声琴−p・塞⊥暮︶ ︵一票 W.警midt︰冒r宣ロede−套edわーヒeg︵Antど。葛こ箋よ︶ モ︰G三d︼ini蛋einerづ磨訂i旨ngdelReligiOn2n誓d苫t邑鼠en d2嶋P邑rつn2賢才n雲−kき ≡〇.︵Aコそ袴dヨ巳A昌計●T・叫声p・宏⊥暮etp・鰻岩丁⊥誓詣︶ モ︰ロ⋮e若註nleJugend乱訂ei壷A邑邑賢en与訝mmぶー器・︵An与se計ns≡邑e・字ヂ 監乱乎声︼●p●無芸−J 基本的宗教lこ就いて 汐︵一五︶ 小山桑三 度族拳の方法論ミ文他圏の構宍宗教研究、新七ノ五、︶六七貫、 ︵宗︶ ヨn弓d︰Op●きゃ笥匝−笥P ︵完︶W・賢mi賢崇芸1旨n‡e昌遥邑昌雲−打已nd2r En−wic買口篭e邑egd¢rぎ岸訂n、−⋮●︵An号籍 d巳1S卜ざ1n針◆↓●珂1.p.莞T⊥ぢ︶ ︵一入︶ ヨ巨rd︰Op●eit●p.た声 ︵︼九︶ idem●p■雲丹 ︵一一〇︶ 前註一四参照。 ︵一二︶ ヨn弓d︰○ワeit●p■空か−P ︵⋮ 声Dur粁訂im︰謬pr訂nt邑CnSindi註邑℡el諾pr釘nl註Onm邑1邑轟︵汐軋○︸Ogi⋮tphl︼0眉−ieこ¢芦p・− 念︶は、其の心理盆石見るに必要光もりでぁろが、被れの社食撃的方法論の第二版序文、叉其の本文の始ゆむ参 照Lても知れる。 ︵書 芦ぎ転︰評p琶訂肯−払etp邑官emdニ言望邑。gi:tdニasOCiO富山?︵JOurn已dO雰y旨︼○乳e竜宮nhや 屠0・−○−藁ごこ藍−悪声︶ ︵ニ四︶¢・冒臼竺ぎu扁呂1railhdeps首0亙e㌔﹂∴冨・巳∃=−C首ニ・ニ↓・1ぎⅠの邑○IOg官Oeこ中世喝・ 。邑Ogi♪p・宗7琵・は最近の例亨して零したが、同氏来朝中の詩境で、殊に病瑠畢から、表情の機構に就いて 述べられ上中で、それが、表情ミLての働きの方面で、洗骨拳的見解が示されてゐ圭ゅであっ㌔ 基本的宗教lこ就いて 詔
これは、紳またほ彿の御名をよぴもとめる宗数的行焉のうちに存すると考へられて凍たところ
の紳私なるカについて、一つ臥新たなる考察をこ∼ろみんとする企固である。 \ 従って、耕名といふ語ほ元凍彿敦の術語であるけれども、必ずしも沸教に於ける、殊に浄土教系に於ける稀名念彿に考察を限ってをるわけではなく、その他の諸宗教に於ける碑名をも包含し
ての考察であるが、たゞ私の興味の中心は依然として浄土教系の稀名に存する。けだし浄土教系
の碑名は私達の生活へ環境の密接なる関係を有するのみではなく、またその組織と説明の詳密な
ることに於いて此すべきものをもたないからである。
∴
念彿といふことは、その語の示すとほ♭、元凍は彿陀を憶念することであつた。もつと詳しく
言へば、師傭としての滞迦一俳を、翌道の先登者として、理想の賓現老として、その相好と妙徳
を心に念じて、偽造修行の倫理的訓練に於ける︼方法となしたものである。しかるにこの憶念と
名檜 谷 文 雄
β∫しての念彿が、三昧の思想との接俄によつて観念としての念彿となト、それが更にまた口碑の念 沸すなはち碑名念備に特進して凍ると∼もに、宗改革的見地よりすれば、最初の念彿とほ重たく 別個の意味を有する念彿が生れて凍たのである。 口群の念彿に於てほ、憶念の念傭と異って、彿の和好妙徳を心に念ひうかべて自己の宗教的倫 理的訓煉の一助とするといふことはなくなつて、信者の閑心は重たく名戟そのもの∼上に傾注さ れることゝなる。名淡の外に機法なく、名戟の外に徒生なし。一切萬法はみな名故健内の徳なb ︵︼︶ といふことゝなる。 殊に興味ふかく威せられるのは﹁念琴是ごの思想であつて、念彿とは口に出して群ふる稀名 のことなりとするのが浄土教系の洪格となつてをる。撰揮集上に日く﹁問日。経云十念。繹云十 考。念孝之鶉如何。答臼。念螢是一。何以得知。観笹下品下生云。命馨不総見足十念。稀南無阿 爾陀彿。稀偽名故於愈々中除八十億劫生死之罪。今依此文。考郎是念。念則是萄。其意明夷。加 之。大集月戎経云。大念見大傲。小念見小傍。戚師群云。大念老犬饗念傭。小念者小孝念彿。故 知念郎是唱也。Lと。そして末燈妙は﹁信心めりとも、名故を耕へざらんは詮なく候﹂と敦へる。 何の故に、口碑の念彿のみがかく強調されたか。何のために耕名の行のみが卓絶せる宗教的僧 償を輿へられたか。その疑問を宗教畢的に新しく見なほすことが本論の目的であるが、それに先 / 名 3β
立って、かくのごとき、締または彿の御名ぉよびもとめるところの宗教的行焉のうちに存する神 秘なるカヘの信仰が、決して浄土教系の信仰にのみ特有なものではなく、程度の葺こそめれ、殆 んどすペての宗教に普遍的に存したものであることを蒋端しておきたい。 ﹁ ︼逼上人静銀。 〓 千草長の許しを乞ひ、階段のうへに立ちて、ヱルナレムの民に封ひ、おのれの同心の滑息を語 りしバクpの言葉の中に、 ヽヽヽヽヽヽヽ ﹁今なんぞた凍らうか。起て、その御名を呼び、バブチスマを受けて汝の罪を洗ひ去れ。﹂︵使 徒行博 サニ章十六︶ と。これは彼.♪クワが同心め狂奔のうちに問いたナずレのイ言の言葉で牒った。また:書 第十牽、紳への斬りを語りLバクーの文に、 − ﹁ユダヤ人とギタシヤ人との区別なし、同一の重は萬虜の主にましまして、凡て呼び求むるも 切に対して豊丘了り。↓すべてまの御名を呼び求むる者は救はるペし﹂とあればなり。﹂︵:書 †ノ十二﹂十三︶ と。なほ同書同輩には次のやうな旬を螢見することもできる。 名 33
三内 名 欝 ﹁なんぢ掃にセガヱス・暫立と言びめら略七∵心たて細の之を死人の中より楚へらせ給ひしこと せ信ゃば、救掘るべし。それ人は心に信じて撃とせられ、冒に言ひあらはして救はる、な㌔L ︵p†菩 十ノ九、十︶ こうし寵思想の耽れ偲1翻って膚約のヰにさ宣半壊パ澄め沌▼うが出水鳶 ∴耳べ昔ヱホバの御名をよぶ者は救はるべし。L︵ヨヱル書 二ノ些一︶ ・1 ヽ・L 妄 ▼品は、葡濁の:琶溺サ濠寸正に於て;′アの引欄Jてぉる句。々や他、 ﹁心れらの紳ヱホバは我等がこれに呼びもとむるに常に我らに近く在すなり、いづれの国人か 斯くのごとく大にして紳これに近く在すぞ。L︵申命記四ノ七︶ ﹁たゞ我らになんぢの名をとぢふることを許して、われらの恥をとりのぞけ。L︵イザヤ書四ノ 憲︰ ﹁校庭に壇を集遷し、ヱホ㍉の名をよぴ、天幕を披露に張り⋮⋮;L︵創世記甘六ノ甘五︶ . と。殊に づ二戸の国文字を呼び唱へること︵家屋ram琶賢m︶東∵骨ってはシナゴブ〆に於ける普通の慣習 ︵︼︶ であつたのであつて、垂書にもその形跡をとゞめて亨Qが、殊に口倖律法寄の中睾は明瞭にしる されてをる。 3j
一J試i夢息テm空夢∴註−P なほぎtr董r2−1n・已Onに就てほH邑i遥屯田1童C訂pedipO”H訂li乳On呂d聾監房、召︼ぎp・ −−q P参照。 イモフム故に於ても同様の信仰を蓉見することほ容易である。弟子達の訓練修行のために用ひ られる様々の稗締約修行法の中で、最もカぁゎまた最も普通に用ひられたのが、この紳の御名の 唱議といふことであつで、教典に於ても、また聖者の生活に於ても、書々が幾度となく遭遇する のほ、精細訓練の最強最善の方法としての赫の御名の唱葡といふことである。 ﹁彼をして念ひを集めFアラー、アラー﹄を涌せしめよ。つひに彼は、音のうごき停わ、言の白 から洗れ出づるかに思はるヽ妖憩に達すべし。更にこれを特薦せしむるに、看は一切のぅごきの あとを失ひ、胸はそのおもひを固守すべし。更にこれを符繚すれば、言の形ほその文字をも形を ︵一︶ も胸より壊わ、其虜には只だ観念のみ残るべし。﹄ 一、P声試p&On已dこ芭igiO宏Attit已e呂d巳詳i−1H㌢m、ワ誓夕l ︵已宰Eg乳︶ イモフム敦の別派であるところのスーフィー敦に於ても、同じょうに紳の名の反唱が大いに用 ひられてぉる。即ち、紳の名辞または尊解から成ってをるところの一種の新躊文︵dFikr︶がめつ て、それを一人にて、または仲間上ゝもに、断へす反唱をつゞけることによつ†、締まセはその 魔性王注意を集中する方放としてをる。 名 ∂方
三大 名 帝 或ほま元、ゲル・ナーナカ/によつて作られ光るシーク教の儀式に於ても前の名稀の紳私的なカ 能をま求する経典が多数にある。立た中世のⅤマン∴ヵソリックの信者蓮に於ても、垂者を新念 ︵一︶ するこlは垂者の積んだ功徳の分輿にあづかることが出家るものと信せられてゐた。殊に興味あ ︵二︶ ることは、最も新しい宗教であるところのパパイ数の中にこの信仰が偉人してゐ ︼、Jill盲邑∵晋髭t乱〓訝毎払虜ニッ霊・ 二、ibid−ワ相野 三 他方に於ては、限トニはく紳の御名を口耕する行法に対して、紳の御名を挿することを一つの郡 義として、みだかにH辞することを禁する傾向が存在する。 例へば、ユダヤ教に於ては、イでフヱルの紳の本務の御名﹁ヱホバLを用ひないと云ふ事賓が あゎ、その代りに辞義的な名辞が種々に用ひられてゐた。天なるま、いと高きもの、全能なる者、 ︵一︶ 重なる者、慈み深きもの、能あるもの、夢e亨簿nきthe当pme︼t訂二3害eなど。 ま元∴欝tr品rp日日辞すnに就ても、その四字のとなへ方はみだりに侍へられす、秘将に属するも ︵二︶ ので、資格ある修行者にのみ侍へることを許されてゐた。そして、資格なくして稀へることは最 ︵三︶ 重に禁魂されてゐた。 3β
よた尊命記紀次のごとく数へてをる。
諒の紳ヱホバの名を妾うに口にあぐべからす、ヱホバは己の名を蒙らに口にあぐる者を罪せ
ではおかざるペし。L︵五ノ十二︶ 一、p声試00記︰︸i訂Or叫。鴫詳−igiOn♂㌣p・声 二、↓.声Qidd訝已n㌔−P 三、試訂ぎSa註乱㌻︶軋こ・併しこれらの頼向も、却って紳の名稀の紳秘カへの深き信仰を澄明するものでみら、更には紳
の名解そのものが、紳格の代理物の地位にあげられ、一種の人格牲を典へられてをるのである。
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﹁ヱホバよ、汝はわれらの父な㌔上古よトニはんぢの名をわれらの購まといへゎ。L︵イザヤ書 六十三ノ十六︶ 1汝零その前に経みをり、その言にしたがへ。之を怒らするなかれ。彼なんぢらの智を赦さゞ るべし。わが名かれの中にあれぼなり。L︵出挨及記 廿三ノ廿こ そして、その紳の御名を疇すものに射しては恐るペき罰がくだhl 1ヱホダの名を漕す者はかならや課されん。鼻骨衆かならサ石をもて之を撃つペし。外国の人 にても自己の観の人にても、エホバの名をけがすに於ては課さるべし。︵レ、ビ記 廿四ノ十五、 名 β7十六︶
また、・この紳の御名のあるとこみにはつねに紳の志があり、軋
﹁かくして彼等わが名をイそフヱルの子孫に蒙らすべし。然らば我かれらを恵まん。L︵民教記 六ノ甘七︶立た紳はその御名のだめに、多くの書き業、大いなる業を示されるのであつた。
﹁我わが名のために事をなして、彼らをヱジブトの地より導きいだせり。L︵ヱゼキヱル書 二 〇ノ九︶﹁我わが名のために事をなせ♭。是わが彼等を導きいだして見せしところの異邦人らの日のま
へにわが名を汚されぎらしめんためなりき。L︵ヱゼキヱル啓 二〇ノ十四︶﹁童エホバかく言ひ花まふ、イそフエルの家よ、我なんぢらのために之をなすにあらず、汝ら
がその到れる団々にて汚せしわが空き名のためな♭。﹂︵ヱゼキヱル書 升六ノ廿二︶ 四 而Lて、此等の紳の御名の神秘カはつねに音撃との結合によつて存する。ユダヤ教では祁侍に よつてこれを辞する。イスラム致では限トニはく復唱によつて紳秘カが生れる。をして浄土教系の.沸教に於ては、念聾是一であつて、大念老犬聾稀健也、小念者小念解健也とされてをる。かくて お
名憶念とは別個のものとしての碑名が、、覇自の宗教畢的問題々提起して凍るのでぁる。 昏初の憶念としての念傍Ⅵ場合に懸けるように、念傍の月的がたゞ倫理的修行め一助としで止 書Qならば、これが詞名念偽として重大なる宗教的僧侶を輿へちれる理由はな車。﹁信心あらと もノ名嘗儀へざら≠には詮なく候﹂と数へられ逐理由は出ない一倍心なべて極楽に行けぬとい ふ理由は明かであるが、名観を唱へ▼克くてほ詮なしといふ理由は阿藤に牒とめろれ・るか。葡海、 観察、漁膵、蒋囁供養等切宗教的行焉を働選の地位におとし、常に碑名念悌を譲って正業となす に至ったのはどういふ理由であるか。 稀名念傍が、壷本位で布く串本位であること、即ち論理的説明のみを濁っては理解し侍す、必 ︵一︶ すや深き心理的基底の存在するでめらうことは、容易に想像しうることである。そこで﹁念彿は ︵こ︶ またく風情もなし。たゞ申よゎ外のことなしLと敦へられ、﹁たゞ一向に念彿だに申せば。彿の ︵三︶ 凍迎は法爾の道理にてうたがひなし﹂と説かれてをる。而Lて、この法爾の道理たる理由は、た だ彿の廟主僻するが故なゎ′との説明だけでほ充分ではない。﹁阿滴陀傭の本願は。名競をもて罪 ︵四︶ 患の衆生をみちぴかんと誓ひ給ひたれば。Lだけでは、車はヾ一・種の勧請的解渾に止まるもので、 この名故の不思議を論理的立場から見るならば﹁吾人は囁劫以寮、名故のことわ♭は知ら田老な ︵玉︶ ♭。﹂でなければならぬ。この間の蒋息は、浄土教系の念俳が、念彿の行者臥軽水つ陀宗教的嘘療 ● 名 ∂汐