密 教 文 化 明 治 百 年 記 念 真 言 宗 著 名 人 伝 記
大
僧
正
石
川
照
勤
伝
神
崎
照
恵
( 一 ) 前 書 僧 正 は 真 言 宗 智 山 派 大 本 山 成 田 山 新 勝 寺 中 興 第 十 五 世 貫 首 で 、 大 山 を 率 い て 寺 運 の 隆 昌 を 将 来 す る と 共 ハ に 、 一 派 の 誉 宿 と し て 宗 団 に 重 き を な し 、 遂 に 大 僧 正 衆 議 席 に 昇 っ た 。 僧 正 の 青 壮 年 の 頃 は 、 時 恰 も 明 治 中 期 の 、 明 治 初 期 以 来 の 急 激 な る 西 洋 文 化 の 輸 入 に 対 し て 、 伝 統 文 化 が 漸 く 之 に 立 向 う 姿 勢 を 取 戻 し つ つ あ っ た 時 代 で 、 仏 教 界 も 亦 混 乱 と 模 索 の 時 で あ っ た 。 こ の 潮 流 の 中 で 、 僧 正 は 新 時 代 の 趨 勢 に 即 応 せ る 寺 院 や 僧 侶 の 在 り 方 に つ い て 、 深 く 考 え る と こ ろ が あ り 、 遂 に 二 年 余 に わ た っ て 欧 米 に 遊 学 、 先 進 諸 国 の 宗 教 教 育 事 情 を 学 び 、 帰 朝 後 之 を 成 田 山 新 勝 寺 の 経 営 に 取 入 れ 、 教 育 文 化 五 大 事 業 を 完 成 、 近 代 の 成 田 山 の 基 礎 を 開 い た 。 僧 正 は 当 時 、 大 谷 光 瑞 、 石 川 素 童 両 師 と 共 ハ に 仏 教 進 歩 派 の 三 傑 と 称 せ ら れ 、 極 め て 進 取 的 な 新 思 想 の 持 主 と し て 知 ら れ た 。 号 を 望 洋 学 入 、 亡 羊 直 得 子 、 松 笏 子 等 と 称 し 、 在 京 時 代 に は 加 藤 咄 堂 、 境 野 黄 洋 、 梅 原 薫 山 、 高 島 米 峰 、 岩 堀 痴 堂 等 の 新 進 仏 教 家 と 共 ハ に 、 明 教 新 誌 、 密 厳 教 報 、 伝 灯 、 仏 教 公 論 等 に 於 て 大 い に 時 事 を 論 じ 、 ま た 素 人 の 号 を 以 て 俳 句 を 好 ま れ た 。 ( 二 ) 生 立 僧 正 は 明 治 二 年 ( 一 八 六 九 年 ) 十 月 十 日 、 農 業 、 中 村 又 十 郎 、 妻 ヨ シ の 次 男 と し て 、 千 葉 県 佐 倉 市 坂 戸 に 生 れ 、 幼 名 を 兵 蔵 と い い 、 後 、 川 越 市 の 真 言 宗 智 山 派 本 行 院 の 石 川 一 心 師 の 養 子 と な っ て 石 川 姓 を 称 し た 。 明 治 十 一 年 九 才 の 折 、 成 田 山 新 勝 寺 中 興 第 十 三 世 大 教 正 原 口 照 輪 師 の 室 に 入 り 、 翌 十 二年 三 月 二 十 一 日 得 度 し 、 照 輪 師 の 弟 子 と な っ て 名 を 照 勤 と 改 め た 。 照 輪 師 の 膝 下 に あ っ て 、 漢 学 を 木 下 道 円 翁 に 、 仏 典 を 峰 川 照 識 師 に 学 ん だ が 、 十 二 、 三 才 に し て 十 入 史 略 の 輪 講 な ど 常 に 群 を 抜 い て 人 を 驚 か し た と 伝 え ら れ る 。 同 十 二 年 九 月 二 十 一 目 よ り 翌 十 三 年 三 月 二 十 一 日 ま で 、 印 旙 郡 直 弥 村 宝 金 剛 寺 盛 範 阿 闊 梨 に 従 っ て 加 行 を 勤 修 。 そ の 後 、 新 加 、 交 衆 、 受 戒 、 潅 頂 等 の 行 位 を 履 修 し て 、 同 十 六 年 春 、 京 都 の 真 言 宗 智 山 派 智 積 院 中 学 林 に 進 み 、 同 十 九 年 こ こ を 卒 え て 東 京 に 出 て 、 同 二 十 一 年 同 人 社 普 通 学 科 修 了 。 こ れ よ り 哲 学 館 に 転 じ て 同 二 十 三 年 そ の 全 科 を 卒 業 、 さ ら に 真 言 宗 新 義 派 大 学 林 に 入 学 、 同 二 十 六 年 十 二 月 こ れ を 卒 業 し た 。 な お 僧 正 は 欧 米 の 新 思 想 に 深 い 関 心 を 懐 き 、 さ き に 智 積 院 中 学 林 在 学 時 代 に 京 都 尚 寧 英 学 校 に 学 ん だ が 、 そ の 後 東 京 に あ っ て も 、 中 村 敬 宇 の 同 人 社 や 磯 部 弥 一 郎 の 国 民 英 学 会 に 入 学 し て 、 常 に 洋 学 の 研 究 を 怠 ら な か っ た 。 越 え て 翌 年 一 月 、 権 1中 僧 都 に の ぼ り 、 ま た 同 月 、 船 岡 芳 勝 師 に 従 っ て 報 恩 院 流 の 再 伝 授 を 受 け た 。 僧 正 は 、 学 僧 と し て 知 ら れ た 新 勝 寺 中 興 第 十 三 世 照 輪 師 の 薫 陶 に よ っ て 学 問 を 好 み 、 研 学 の 態 度 も 頗 る 真 面 目 で 倦 む こ と を 知 ら な か っ た 。 青 年 時 代 に 於 け る 、 前 後 十 年 余 に わ た る 、 京 都 と 東 京 に 於 け る 修 学 は 、 僧 正 に 一 山 を 率 ゆ る に 足 る 見 識 を 与 え た 。 ( 三 ) 住 職 明 治 二 十 七 年 一 月 三 十 一 日 、 僧 正 は な お 、 東 京 に あ っ て 勉 学 中 で あ っ た が 、 新 勝 寺 中 興 第 十 四 世 三 池 照 鳳 師 病 の 故 を 以 て 退 隠 、 そ の 後 を 継 い で 、 若 冠 二 十 六 才 を も っ て 、 関 東 の 霊 山 新 勝 寺 の 第 十 五 世 と な っ た 。 世 人 は 皆 そ の 異 数 の 栄 進 に 刮 目 し て 、 宗 教 界 の 飛 将 軍 と 称 し た と い わ れ る 。 こ れ よ り 後 、 在 職 実 に 三 十 年 、 享 年 五 十 五 才 を 以 て 遷 化 せ ら れ る ま で 、 専 ら 一 山 の 興 隆 と 教 育 文 化 五 大 事 業 の 経 営 に 没 頭 、 新 時 代 の 寺 院 活 動 の 範 を 示 さ れ る と 共 に 、 身 を 持 す る こ と 極 め て 謹 厳 、 如 法 の 清 僧 と し て 成 田 山 数 百 万 信 徒 の 崇 敬 の 的 と な っ た 。 ( 四 ) 欧 米 留 学 僧 正 は 予 て 在 京 修 学 時 代 か ら 、 望 洋 、 直 得 子 等 の 号 を 以 て 大 い に 論 陣 を 張 り 、 新 仏 教 を 提 唱 、 特 に 新 時 代 に 即 応 せ る 僧 侶 や 寺 院 の 在 り 方 に つ い て 深 い 関 心 を 示 し た が 、 日 清 戦 争 後 国 内 も 漸 く 落 着 き を 見 せ る と 、 明 治 三 十 一 年 三 月 、 欧 米 留 学 大 僧 正 石 川 照 勤 伝
密 教 文 化 の 途 に 上 っ た 。 帰 朝 後 、 僧 正 が ﹁ 智 嶺 新 報 第 二 号 ﹂ に 発 表 し た ﹁ 望 洋 日 記 ] に 、 ﹁ 英 領 加 奈 陀 、 北 米 合 衆 国 、 英 吉 利 、 仏 蘭 西 、 日 耳 曼 、 丁 扶 、 瑞 典 、 魯 西 亜 、 券 蘭 、 土 耳 古 、 ブ ル ガ リ ヤ 、 セ ル ブ イ ヤ 、 懊 斯 太 利 勾 牙 利 、 伊 多 利 、 瑞 西 、 和 蘭 、 白 耳 義 、 印 度 、 錫 蘭 、 予 は 以 上 の 諸 国 を 如 何 に 観 察 し た る か 是 れ 予 が 之 よ り 号 を 逐 ふ て 述 べ ん と 欲 す る 所 な り ﹂ と あ る よ う に 欧 米 各 国 を 漫 遊 、 宗 教 教 育 事 情 を 中 心 と し て 、 広 く 新 文 化 を 視 察 し た 。 僧 正 は 英 領 加 奈 陀 の ヴ ア ン ク ー バ ー を 経 て 北 ア メ リ カ に 渡 り 、 こ こ に 留 ま る こ と 約 一 年 有 半 、 各 地 の 都 市 は 勿 論 農 村 に い た る ま で 、 学 校 、 図 書 館 、 慈 善 事 業 等 宗 教 教 育 の 各 般 に わ た っ て 具 に 見 学 し 、 次 で 欧 州 に 渡 り 、 英 、 独 、 仏 を は じ め 、 上 述 の ﹁ 望 洋 日 記 ﹂ 記 載 の 如 く 、 殆 ど ヨ ー ロ ッ パ 各 地 を 視 察 し て 新 知 識 を 吸 収 、 更 に イ ン ド に 上 陸 、 親 し く 各 地 の 仏 跡 を 巡 拝 、 満 二 年 余 を 費 し て 、 明 治 三 十 三 年 四 月 の 末 に 帰 朝 し た 。 こ の 欧 米 遊 学 は 、 僧 正 の 進 取 的 思 想 に 、 さ ら に 確 信 を 与 え る こ と に な り 、 そ の 後 に 於 け る 成 田 山 新 勝 寺 の 五 大 事 業 を 中 心 と し て 、 新 ら し い 時 代 相 応 の 経 営 や 、 成 田 町 の 発 展 計 画 を 生 み 出 す に い た っ た 。 ( 五 ) 進 取 的 思 想 成 田 山 の 教 育 文 化 五 大 事 業 の 完 成 は 、 僧 正 の 年 来 の 仏 教 革 新 の 進 取 的 思 想 の 現 れ で あ る こ と は 勿 論 、 欧 米 留 学 も 亦 そ れ に 基 づ く も の で あ っ た 。 僧 正 の 外 遊 は 単 に 一 時 的 興 味 に よ る 物 見 遊 山 や 、 社 会 的 な 宣 伝 を 目 的 と し た 自 己 の 箔 付 で は な く 、 深 く 期 す る と こ ろ が あ っ た 。 そ れ は 僧 正 の 広 く 知 識 を 世 界 に 求 め て 、 仏 教 を 革 新 し よ う と す る 進 取 的 思 想 に よ る も の で 、 然 も そ れ が 、 欧 米 の 留 学 に よ っ て 揺 ぎ な き 確 信 に 成 長 し 、 教 育 文 化 五 大 事 業 の 完 成 に 発 展 し た 。 僧 正 の 進 取 的 思 想 は 東 京 在 住 時 代 、 明 教 新 誌 、 密 厳 教 報 、 伝 灯 、 同 学 等 の 諸 雑 誌 に 論 説 評 論 を 発 表 、 盛 ん に 仏 教 の 革 新 を 唱 え た 頃 か ら の 一 貫 せ る 持 論 で あ っ た 。 当 時 僧 正 は ﹁ 学 問 と 宗 教 に 就 い て ﹂ ( 密 厳 教 報 第 二 十 四 号 ) ﹁ 希 騰 倫 理 思 想 の 一 班 を 論 ず ﹂ ( 同 第 二 十 七 号 ) ﹁ 名 目 初 心 抄 ﹂ ( 同 第 三 十 五 、 三 十 六 、 三 十 七 、 三 十 入 、 三 十 九 号 ) ﹁ 自 由 的 宗 教 と 圧 制 的 宗 教 ﹂ ( 伝 灯 第 三 号 ) 等 の 如 き 学 問 的 研 究 論 文 と 共 に 、 ﹁ 僧 侶 と は 如 何 な る 者 ぞ ﹂ ( 密 厳 教 報 第 一 号 ) ﹁ 布 教 略 論 ﹂ ( 同
第 九 、 十 一 、 十 二 号 ) ﹁ 僧 侶 の 前 途 を 想 ふ ﹂ ( 同 第 二 十 五 号 ) ﹁将 来 の 僧 侶 を 論 ず ﹂ ( 同 第 二 十 九 、 三 十 三 、 三 十 四 号 ) ﹁ 宗 教 家 の 本 分 を 論 ず ﹂ ( 同 第 三 十 五 号 ) ﹁ 新 義 派 学 林 論 ﹂ ( 同 第 入 十 二 、 入 十 三 、 八 十 四 号 ) ﹁ 僧 侶 は 社 会 有 用 の 元 素 な り ﹂ (伝 灯 第 六 号 ) ﹁ 巨 口 を 開 て 我 仏 教 を 呑 ま ん と す ﹂ ( 同 第 十 二 号 ) ﹁ 学 仏 子 弟 教 育 の 方 案 ﹂ ( 同 学 第 六 号 ) 等 に 特 に 仏 教 革 新 の 必 要 を 論 じ 、 僧 侶 の 教 育 の 改 善 、 寺 院 生 活 の 改 良 、 法 要 儀 式 並 に 僧 服 の 改 正 を も 説 き 、 仏 教 界 の 覚 醒 を 訴 え た 。 僧 正 に よ れ ば 当 時 の 仏 教 社 会 に は 、 山 門 深 く 引 籠 っ て 俗 世 間 を 遠 ざ け 、 一 鉢 三 衣 仙 人 的 生 活 を し て 社 会 的 活 動 を 顧 み な い 仙 人 的 僧 侶 、 法 事 葬 式 を 事 と し て 善 男 善 女 の 信 施 に よ っ て 美 衣 飽 食 、 朝 夕 俗 的 愉 楽 に 沈 溺 し て 国 利 民 福 の 念 な き 俗 物 的 僧 侶 、 汗 牛 充 棟 万 巻 の 経 論 を 読 破 し 入 万 四 千 の 法 門 を 極 め る も 済 世 利 民 の 志 な く 、 只 管 学 窓 に あ っ て 社 会 的 活 動 に 関 心 な き 学 者 博 士 的 僧 侶 、 こ れ 等 は 何 れ も 真 正 の 仏 教 僧 侶 と い う べ か ら ず と し て ﹁ 真 正 の 僧 侶 は 社 会 進 化 の 理 法 に 則 り 、 時 世 に 適 応 し た る 連 動 を 為 し 、 世 の 為 人 の 為 に 巧 み に 教 法 を 利 用 す る も の 是 な り ﹂ ( ﹁ 僧 侶 と は 如 何 な る 者 ぞ ﹂ 密 厳 教 報 第 四 、 第 六 、 第 入 号 等 ) と し 、 さ ら に 社 会 の 進 運 を 察 知 し て 、 山 門 を 出 て 社 会 の 中 に 進 出 し 、 時 代 に 適 応 し た る 活 動 を な し う る 僧 侶 、 そ れ は 寧 ろ 俗 人 的 僧 侶 で あ る と 論 じ て い る 。 ま た 俗 の 中 に 入 り 俗 と 共 ハ に あ っ て 、 社 会 の 進 歩 に 応 じ た 教 化 活 動 を な し う る 俗 人 的 僧 侶 の 育 成 が 刻 下 の 緊 要 事 な り と い う 立 場 か ら 僧 侶 教 育 論 を 提 唱 し た 。 即 ち 僧 侶 教 育 の 理 念 は 、 単 な る 学 者 養 成 の 知 育 教 育 に 偏 ら ず 、 信 念 を 育 成 す る 人 物 教 育 を 主 と す べ き こ と 、 ま た 教 授 法 に つ い て も 泰 西 心 理 学 の 知 識 を 大 い に 利 用 し 、 従 来 の 機 械 的 注 入 教 育 法 を 改 め 、 心 理 発 達 の 段 階 に 応 じ て 安 易 な る も の か ら 難 解 な る も の へ と 教 程 を 設 け る と 共 ハ に 、 教 課 内 容 に 於 て も 世 間 学 所 謂 科 学 や 哲 学 を 取 り 入 れ 、 新 ら し い 時 代 の 立 派 な 社 会 人 た る の 知 識 を 与 え た る 上 に て 、 専 門 的 教 義 を 教 授 す べ き で あ る と 主 張 し た 。 ( ﹁ 新 義 派 学 林 論 ﹂ 、 密 厳 教 報 第 八 十 二 、 入 十 三 、 八 十 四 号 、 ﹁ 学 仏 子 弟 教 育 方 案 ﹂ 同 学 第 六 号 ) 僧 正 の 主 張 は 今 目 に 於 て は 別 に 異 と す る に 足 り な い が 、 当 時 に あ っ て は 非 常 に 新 奇 な 論 議 と し て 、 保 守 的 長 老 連 か ら 明 教 新 誌 、 密 厳 教 報 等 の 誌 上 に 駁 論 が 発 表 さ れ て 論 壇 を 賑 わ し た 。 保 守 派 の 論 説 は 経 典 論 疏 を 専 ら 根 拠 と し て 狸 り に 格 式 を 崩 す べ か ら ず と す る に 対 し て 、 僧 正 は 経 典 論 疏 の 本 義 に 反 せ 大 僧 正 石 川 照 勤 伝
密 教 文 化 ざ る 範 囲 に 於 て 、 時 代 の 変 化 に 応 じ 世 界 の 知 識 を 取 り 入 れ 、 大 い に 仏 教 の 改 新 を は か る べ し と し た 。 保 守 派 中 に は 特 に 僧 正 の 俗 人 的 僧 侶 論 を 奇 矯 過 激 の 暴 論 な り と し て 、 ﹁ 大 天 五 事 の 争 よ り も 甚 だ し く 、 六 群 乱 暴 の 非 よ り も 大 な り ﹂ と 強 く 排 撃 す る も の も あ っ た 。 然 し 僧 正 は 、 少 壮 時 代 京 都 智 積 院 の 学 林 に あ っ た 頃 か ら 英 学 を 学 び 、 東 京 時 代 に も ク リ ス チ ヤ ン で あ る 中 村 正 直 の 同 人 社 等 に 入 っ て 、 西 方 文 物 の 学 習 に 努 力 七 つ つ あ っ た よ う に 、 時 代 の 変 化 に 対 す る 深 い 自 覚 か ら の 議 論 で あ っ て 、 普 通 人 の 思 い 及 ぶ 所 で は な か っ た 。 従 っ て 保 守 派 長 老 連 の 排 撃 も 敢 え て 意 と し な か っ た し 、 両 者 の 論 戦 も 到 底 一 致 す べ く も な か っ た 。 た だ 僧 正 の 心 中 に は 、 新 時 代 の 社 会 の 中 に 於 け る 寺 院 活 動 と 僧 侶 の 新 し い 在 り 方 を 求 め て 、 内 外 東 西 の 知 識 を 探 り 、 敢 え て ク リ ス チ ヤ ン 主 義 の 学 校 に ま で 通 っ た も の と 思 わ れ る 。 そ し て 欧 米 留 学 は そ の 延 長 で あ り 、 教 育 五 大 事 業 の 完 成 は そ の 精 華 で あ っ た 。 ( 六 ) 五 大 事 業 僧 正 が 完 成 し た 成 田 山 の 五 大 事 業 と は 、 成 田 中 学 校 、 成 田 高 等 女 学 校 、 成 田 幼 稚 園 、 成 田 感 化 院 、 成 田 図 書 館 で あ る 。 今 日 は 成 田 高 等 学 校 、 成 田 幼 稚 園 、 成 田 学 園 、 成 田 図 書 館 、 成 田 山 霊 光 館 と な り 成 田 山 財 団 の 経 営 と な っ た 。 ○ 成 田 中 学 校 。 新 勝 寺 中 興 第 十 四 世 三 池 照 鳳 師 は 明 治 二 十 年 十 月 三 日 、 成 田 英 漢 義 塾 を 創 立 し た 。 当 時 の 千 葉 県 中 等 教 育 は 、 中 学 校 令 に よ っ て 設 立 さ れ た も の は 千 葉 師 範 学 校 内 の 千 葉 中 学 校 ( 現 千 葉 二 筒 ) だ け で 、 独 立 校 舎 を 持 ち 資 格 あ る 教 師 を 有 し た 私 塾 も 、 英 漢 義 塾 の 外 に は 僅 に 二 校 に す ぎ な い 情 況 で あ っ た 。 そ の 後 、 明 治 二 十 四 年 に ﹁ 尋 常 中 学 校 設 置 規 則 ﹂ が 公 布 さ れ 学 科 設 備 等 が 定 め ら れ て 、 尋 常 中 学 卒 業 の 者 で な け れ ば 高 等 中 学 ( 旧 制 高 等 学 校 ) へ の 進 学 が 出 来 な い の み な ら ず 、 徴 兵 猶 予 の 特 典 も 与 え ら れ な か っ た 。 僧 正 は 米 国 留 学 中 、 中 等 教 育 の 情 況 を 視 察 し た 結 果 、 英 漢 義 塾 を 改 め て 中 学 校 を 設 立 せ ん こ と を 決 心 し た 。 僧 正 は 旅 行 先 か ら 、 新 勝 寺 執 事 服 部 照 和 師 、 英 漢 義 塾 専 任 理 事 三 橋 金 太 郎 氏 等 に 命 じ て 、 明 治 三 十 一 年 十 月 七 日 付 を 以 て 義 塾 を 廃 し て ﹁ 私 立 成 田 尋 常 中 学 校 ﹂ 新 設 の 認 可 を 受 け た 。 こ の ﹁ 私 立 成 田 尋 常 中 学 校 ﹂ の 名 称 は 、 明 治 三 十 二 年 二 月 六 日 改 正 の ﹁ 中 学 校 令 ﹂ に よ っ て 、 ﹁ 尋 常 中 学 校 ﹂ を ﹁ 中 学 校 ﹂ と 改 称 す る こ と に な り 、 ﹁ 私 立 成 田 中 学 校 ﹂ と な っ た 。 当 時 千 葉 県 で は 、 ﹁ 中 学 校 令 ﹂
に よ る 中 学 校 は 千 葉 中 学 校 の 次 に 私 立 成 田 中 学 校 だ け で あ っ た 。 か く し て 成 田 中 学 校 は 僧 正 の 熱 意 に 依 っ て 、 僧 正 の 洋 行 中 に 設 立 さ れ 、 初 代 の 校 長 は 後 の 文 学 博 士 喜 田 貞 吉 氏 で 生 徒 数 は 一 〇 二 名 で あ っ た 。 米 国 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア の 僧 正 か ら 三 橋 理 事 に 宛 て た 書 簡 に は 、 ﹁ 英 漢 義 塾 の 儀 何 卒 大 兄 に 於 て 充 分 の 御 尽 力 に 預 り 度 、 小 生 も 帰 国 の 上 は 更 に 一 奮 発 仕 り 校 風 も 一 変 致 し 度 考 へ に 御 座 候 ﹂ と あ り 、 さ ら に 別 の 書 簡 に は ﹁去 る 十 月 九 日 附 ﹁ 成 田 尋 常 中 学 校 出 願 始 末 書 ﹂ な る 尊 状 去 月 中 着 、 髄 に 拝 見 仕 り 候 巨 細 の 御 報 道 に 依 り 小 生 も 漸 く 安 心 仕 り 候 、 実 は 其 後 新 紙 の 報 道 に て 六 ツ 敷 な る と や ら 承 知 致 し 居 り 候 も の か ら 我 中 学 の 出 願 書 も 果 し て 成 功 す る や 否 や 窃 に 苦 心 罷 り 在 り 候 処 貴 下 の 非 常 な る 御 奮 励 に よ り 首 尾 よ く 成 功 致 し 候 段 深 く 感 侃 仕 り 候 ﹂ と 喜 ん で い る 。 こ れ が 今 日 の 成 田 高 等 学 校 の 前 身 で あ る 。 ○ 成 田 図 書 館 。 明 治 三 十 三 年 四 月 、 外 遊 よ り 帰 国 せ る 僧 正 が 第 一 に 着 手 し た の は 、 図 書 館 の 開 設 で あ っ た 。 僧 正 は 、 そ の 師 中 興 第 十 三 世 照 輪 師 の 感 化 に よ っ て 、 書 を 愛 し 読 書 を 好 む に い た っ た 。 僧 正 は ﹁ 予 は 性 来 書 に 耽 る の 癖 あ り 、 新 刊 に 、 旧 著 に 、 国 書 に 洋 書 に 、 凡 そ 目 に 触 る る も の 、 耳 に 聴 く も の 、 予 の 私 財 の 許 す 限 り は 之 を 購 求 し て 殆 ど 余 す と こ ろ な し 、 菰 に 於 て 昨 年 の 冬 、 予 の 書 庫 よ り は や や 大 な る 一 館 を 新 築 し 、 予 が 所 蔵 せ る 所 の 図 書 と 従 来 新 勝 寺 に 於 て 保 存 せ る も の と を 之 に 蔵 め 、 本 年 よ り 一 般 に 縦 覧 せ し む る こ と と し た り 。 是 れ 本 館 の 由 来 な り 。 ﹂ ( 私 立 成 田 図 書 館 報 第 一 号 ) と い っ て い る が 、 欧 米 留 学 に よ っ て 、 彼 の 地 に 於 て は 、 至 る と こ ろ の 都 市 に 図 書 館 が あ り 、 そ れ が 市 民 の 文 化 の 向 上 に 多 大 な 貢 献 を な し つ つ あ る こ と を 見 聞 し て 、 図 書 館 事 業 の 重 要 な る こ と を 深 く 自 覚 せ ら れ た 。 ﹁ 予 は 図 書 館 事 業 を 以 て 、 予 が 終 世 の 事 業 と な さ ん と 欲 す ﹂ と い い 、 ま た ﹁ 国 民 知 識 の 発 達 と 、 道 徳 の 進 歩 と を 教 ゆ る も の 、 世 の 大 中 小 の 学 校 あ り 、 他 に 専 門 学 校 あ り 、 事 既 に 足 れ る が 如 し 、 然 れ ど も 学 校 に 於 け る 教 育 に は 、 年 令 に 於 て 、 ま た 貧 富 貴 賎 に 応 じ て 、 夫 々 に 制 限 す る を 免 れ ず 。 図 書 館 に 至 り て は 此 の 点 に 於 て 全 く 自 由 な り 、 貧 富 と 貴 賎 と 老 若 と 男 女 と に 些 の 区 別 も な く 、 普 く 一 般 に 通 じ て 極 る 所 な き な り 。 特 に 本 館 は 地 方 教 育 の 普 及 を 計 り 、 一 般 知 識 道 徳 の 進 歩 発 達 を 期 せ ん が た め に 、 当 初 よ り 閲 覧 料 を 徴 せ ず 、 繁 雑 な る 規 則 を 設 け ず 、 各 種 各 階 級 の 人 の 需 要 に 応 じ て 、 無 制 限 に 且 つ 殆 ど 無 規 則 に 其 希 望 を 満 足 せ し め 大 僧 正 石 川 照 勤 伝
密 教 文 化 ん と 企 画 し た り 。 ﹂ ( 同 上 書 ) と も い っ て い る 。 当 時 一 般 に 、 宗 教 家 の 社 会 的 事 業 と し て 経 営 さ れ て い た も の は 、 孤 児 院 、 養 老 院 等 い わ ゆ る 慈 善 事 業 と 呼 ば れ る も の が 多 か っ た が 、 僧 正 が 学 校 や 図 書 館 の 経 営 に 着 目 せ ら れ た の は 、 そ の 思 想 の 進 取 的 で あ っ た こ と を 証 す る も の で あ ろ う 。 か く し て 、 明 治 三 十 四 年 一 月 十 一 日 、 私 立 図 書 館 設 立 の 旨 を 文 部 大 臣 に 開 申 、 翌 三 十 五 年 二 月 二 日 よ り 開 館 、 一 般 に 縦 覧 せ し め る こ と に な っ た 。 わ が 国 で 図 書 館 令 が 初 め て 発 令 さ れ た の が 、 明 治 三 十 二 年 で 、 こ の 頃 、 図 書 館 ら し き も の は 全 国 に わ た っ て も わ ず か に 五 十 余 に 過 ぎ ず 、 東 京 で は 、 帝 国 図 書 館 、 大 橋 図 書 館 、 帝 大 及 早 大 の 附 属 図 書 館 等 に 過 ぎ な か っ た と い わ れ る 。 な お 僧 正 は 、 図 書 館 附 属 の 一 事 業 と し て 講 話 会 な る も の を 設 け 、 そ の 発 令 に 於 て ﹁ 予 は 敢 て 諸 氏 を 指 導 す と 云 は ず 、 教 養 す と 云 は ず 、 唯 だ 諸 氏 と 共 に 一 堂 に 相 会 し 学 理 を 講 究 し 、 世 務 を 談 義 し 而 し て 徐 う に 世 に 処 し 人 に 接 す る の 道 を 極 め ん こ と を 望 む 、 是 れ 予 が 我 図 書 館 内 に 講 話 会 の 設 置 を 企 て た る 所 以 な り ﹂ と い い 、 ﹁ 顧 れ ば 世 界 の 大 勢 は 騒 々 乎 と し て 日 進 月 歩 し ⋮ ⋮ 此 の 問 に 処 し て 世 に 後 れ ず 、 人 に 降 ら ず 、 品 位 を 保 ち 威 厳 を 守 り 、 能 く 人 ら し き 人 と な り て 国 を し て 国 ら し き 国 た ら し め ん と 欲 す る も の 此 の 際 奮 励 一 番 す る 所 な か る べ け ん も と や 、 而 し て 其 本 元 唯 だ 読 書 講 学 に あ り 。 ﹂ ( 私 立 成 田 図 書 館 報 第 五) と い っ て い る 。 講 話 会 が 設 立 さ れ る と 、 成 田 町 を 中 心 に 、 地 方 の 有 志 の 参 加 す る も の あ り 、 白 鳥 庫 吉 博 士 、 井 上 円 了 博 士 、 小 野 藤 太 氏 等 を 招 い て 講 師 と な し 、 屡 々 講 話 会 を 催 し た 。 後 年 の 社 会 教 育 の 部 面 に 於 て 、 成 人 教 育 の 必 要 が 強 調 せ ら れ た が こ れ は そ の 先 駆 で も あ っ た 。 僧 正 は さ ら に 新 聞 に あ ら わ れ る 書 物 の 広 告 か ら 、 新 刊 紹 介 は 勿 論 、 書 店 の 目 録 に も 目 を 通 し て 、 図 書 撰 択 購 入 に ま で 心 を 用 い ら れ た が 、 そ の 後 、 蔵 書 の 数 も 三 万 四 千 部 を 越 え る こ と に な り 、 明 治 四 十 年 、 成 田 幼 稚 園 の 新 築 に 次 で 、 煉 瓦 造 三 階 建 総 坪 数 九 十 坪 十 万 乃 至 十 五 万 冊 の 書 物 を 収 容 し 得 る 書 庫 を 建 設 し て 、 こ こ に 僧 正 の 念 願 が 果 さ れ る に い た っ た 。 ○ 成 田 幼 稚 園 。 僧 正 は 中 学 校 、 図 書 館 に つ づ い て 日 露 戦 争 頃 か ら そ の 以 後 に か け て 、 幼 稚 園 、女 学 校 、 感 化 院 を 設 立 し た 。 僧 正 は か ね て か ら 女 子 教 育 並 に 幼 児 教 育 の 必 要 を 唱 え て い た が 、 成 田 町 有 志 の う ち に は 之 に 賛 同 す る も の が 多 か っ た 。 こ の 両 者 の う ち そ の 何 れ を 先 に す べ き か に つ い て は 、 相 当 論 議 が 交 わ さ れ た が 、 記 録 に よ れ ば ﹁ 唯 幼 稚 園 の 設 備 は 直 下 屋
舎 の 新 築 を 要 せ ず 、 其 他 の 施 設 凡 て 簡 易 な る が 故 に 経 済 上 の 事 由 に 於 て 幼 稚 園 を 先 と し た ﹂ と あ っ て 成 田 町 有 志 の 協 力 の も と に 、 明 治 三 十 入 年 四 月 二 十 日 、 千 葉 県 知 事 よ り 認 可 、 同 六 月 一 日 成 田 尋 常 小 学 校 の 二 部 を 借 用 し て 開 園 し た 。 幼 稚 園 教 育 が ま だ 殆 ど 一 般 化 し て お ら ず 、 特 に 仏 教 系 の こ の 種 の 施 設 は 極 め て 稀 で あ っ た 。 翌 三 十 九 年 六 月 、 服 部 文 部 技 手 設 計 指 導 の 下 に 現 在 の 地 に 敷 地 二 、 八 四 三 坪 、 園 舎 百 九 十 三 坪 、 そ の 他 保 母 住 宅 等 附 属 建 物 合 し て 総 建 坪 二 百 三 十 坪 余 の 、 当 時 東 洋 一 と い わ れ る ほ ど 完 備 し た 施 設 が 落 成 し た 。 こ の 頃 、 成 田 図 書 館 書 庫 の 建 設 や 、 高 等 女 学 校 の 設 立 が 関 係 者 か ら 強 く 要 望 さ れ て い た が 、 以 上 の よ う な 事 情 に よ っ て 、 僧 正 は 幼 稚 園 舎 の 建 設 を 優 先 さ せ た 。 ○ 成 田 高 等 女 学 校 。 女 子 教 育 の こ と に つ い て は 、 既 に 洋 行 中 、 僧 正 が 、 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア よ り 英 漢 義 塾 専 任 理 事 三 橋 金 太 郎 氏 に 宛 て た 手 紙 に 、 ﹁ 小 生 此 地 に 来 た り て 特 に 感 じ た る 一 事 は 女 子 教 育 の 普 及 せ ら れ た る 事 に 御 座 候 。 此 国 と 我 が 国 と は 殆 ど 反 対 に 文 字 の 解 ら ぬ も の は 比 較 的 女 子 よ り は 男 子 に 多 く 有 之 候 男 尊 女 卑 の 我 国 と は 自 然 此 の 如 き 相 違 を 生 じ た る も の と 存 じ 候 ﹂ と あ り 、 早 く か ら 女 子 中 等 教 育 の 必 要 を 強 調 せ ら れ た が 、 当 時 の 一 般 の 傾 向 と し て は 、 男 子 中 等 教 育 に 比 し て 、 女 子 の そ れ は 非 常 に 遅 れ て お り 、 高 等 女 学 校 令 が 公 布 せ ら れ た の も 明 治 三 十 二 年 で あ っ た 。 か く て 僧 正 は 明 治 四 十 一 年 二 月 二 十 一 日 に 、 千 葉 県 知 事 の 認 可 を 得 て 、 成 田 山 女 学 校 を 設 立 し た 。 こ れ は 明 治 三 十 三 年 三 月 、 初 め て 千 葉 町 に 設 立 さ れ た 、 千 葉 高 等 女 学 校 に 次 ぐ も の で あ っ た 。 そ の 後 、 同 四 十 四 年 二 月 二 十 三 日 、 文 部 大 臣 の 認 可 を 得 て 、 私 立 成 田 高 等 女 学 校 に 昇 格 し た 。 さ ら に 昭 和 時 代 に な り 、 終 戦 後 の 学 制 の 改 革 に 伴 い 、 私 立 成 田 中 学 校 を 私 立 成 田 高 等 学 校 男 子 部 に 、 私 立 成 田 高 等 女 学 校 を 成 田 高 等 学 校 女 子 部 に 改 組 し 、 昭 和 二 十 三 年 三 月 三 十 一 日 、 私 立 成 田 高 等 学 校 に 昇 格 し て 今 日 に い た っ た 。 こ れ よ り 先 、 明 治 三 十 四 年 、 智 山 派 は 京 都 智 積 院 に 智 山 中 学 林 を 開 校 し た が 、 僧 正 は そ の 校 長 に 任 ぜ ら れ 屡 々 智 積 院 に 出 張 、 宗 門 の 教 育 事 業 に も 尽 力 し た 。 ○ 成 田 山 感 化 院 。 教 育 文 化 事 業 の 第 五 が 感 化 院 で あ る 。 明 治 四 十 一 年 三 月 二 十 五 日 、 千 葉 町 に あ っ た 成 田 山 新 勝 寺 経 営 の 千 葉 感 化 院 が 、 新 勝 寺 境 内 に 移 転 さ れ 、 こ こ に 名 実 と も に 成 田 山 感 化 院 と し て 、 成 田 山 の 事 業 と な っ た 。 大 僧 正 石 川 照 勤 伝
密 教 文 化 千 葉 感 化 院 は 明 治 十 九 年 、 県 下 各 宗 共 立 に よ っ て 創 立 さ れ 、 同 二 十 一 年 に は 千 葉 県 知 事 船 越 衛 氏 が 総 長 と な り 、 県 下 の 仏 教 寺 院 代 表 者 及 野 田 の 茂 木 七 郎 右 衛 門 氏 等 の 特 志 家 を 評 議 員 と し て 、 千 葉 感 化 院 慈 善 会 を 設 立 、 そ の 陣 容 を 整 備 し た 。 然 る に そ の 後 、各 宗 寺 院 の 予 約 出 金 延 滞 せ る た め 維 持 頗 る 困 難 な る 状 態 と な り 、 同 二 十 一 年 四 月 の 評 議 員 総 会 の 協 議 に よ り 、 成 田 山 新 勝 寺 に 維 持 経 営 を 願 い 出 る こ と に 決 し た 。 そ の 結 果 、 新 勝 寺 が 単 独 で 経 営 を 引 受 け る こ と に な り 、 住 職 三 池 照 鳳 師 が 院 長 と な り 、 次 い で 僧 正 が 之 を 継 ぐ こ と に な っ た 。 そ の 間 院 長 は 屡 々 千 葉 町 に 出 張 し て 院 務 を 見 た が 、 同 四 十 一 年 三 月 、 僧 正 は 、 非 行 青 少 年 の 訓 育 補 導 施 設 の 重 要 性 に 鑑 み 、 感 化 補 導 事 業 の 充 実 を 計 る た め 、 院 舎 を 成 田 に 新 築 移 転 し 、 教 護 施 設 を 整 備 し て 、 名 称 を 成 田 山 感 化 院 と 改 め た 。 そ の 後 、 昭 和 三 年 三 月 二 十 五 日 、 移 転 二 十 年 記 念 に 成 田 学 園 と 改 称 、 さ ら に 同 二 十 二 年 四 月 一 日 、 教 護 事 業 よ り 養 護 事 業 に 改 組 し て 今 目 に い た っ た 。 成 田 山 感 化 院 の 移 転 設 置 に よ っ て 、 教 育 文 化 の 成 田 山 の 五 大 事 業 は 、 一 応 完 成 し た 。 僧 正 の 大 き な 抱 負 に よ っ て 実 現 し た 五 大 事 業 は 、 明 治 末 年 頃 に は 、 社 会 の 広 い 関 心 を あ つ め 、 多 数 人 の 人 士 が 成 田 町 を 訪 れ 、 こ れ を 見 学 す る こ と に よ っ て 、 成 田 山 新 勝 寺 に た い す る 認 識 を 新 た に し た 。 ( 七 ) 寺 門 興 隆 前 貫 首 三 池 照 鳳 師 時 代 以 来 、 成 田 山 の 不 動 信 仰 は 、 東 日 本 の 各 地 に 拡 大 し 、 各 地 に 末 寺 、 分 霊 奉 安 所 が 設 置 さ れ つ つ あ っ た が 、 僧 正 の 董 山 後 、 日 清 、 日 露 、 第 一 次 大 戦 と 続 く 戦 争 の 時 代 を 背 景 に 、 さ ら に 大 き く 発 展 し て 、 成 田 不 動 尊 の 信 仰 は 東 目 本 で 確 固 た る 地 盤 を 築 き あ げ る こ と に 成 功 し た 。 僧 正 の 時 代 に 、 明 治 二 十 九 年 二 月 、 函 館 に 成 田 山 函 館 寺 、 同 三 十 一 年 八 月 、 茨 城 県 太 田 に 成 田 山 真 福 寺 、 同 三 十 六 年 、 北 海 道 小 樽 に 成 田 山 真 福 寺 、 同 三 十 入 年 、 北 海 道 増 毛 町 に 成 田 山 天 真 寺 、 同 年 、 千 葉 県 銚 子 に 成 田 山 真 福 寺 、 大 正 七 年 、 北 海 道 登 別 に 成 田 山 滝 泉 寺 等 が 開 創 さ れ た 。 こ れ 等 は 何 れ も 成 田 山 末 寺 で あ る が 、 特 に 函 館 寺 は 中 興 第 十 四 世 照 鳳 師 時 代 に 創 立 せ ら れ た 札 幌 市 成 田 山 新 栄 寺 と 共 ハ に 成 田 山 別 院 と し て 、 僧 正 が 住 職 を 兼 務 し て 之 を 管 理 し 、 北 海 道 地 方 の 成 田 山 信 仰 の 中 心 と な っ た 。 な お 僧 正 は 、 明 治 三 十 五 年 三 月 二 十 日 よ り 五 十 日 間 、 開 山
寛 朝 大 僧 正 九 百 年 遠 忌 の 記 念 と し て 、 本 山 に 於 て 、 御 本 尊 の 開 帳 を 勤 修 、 さ ら に 大 正 四 年 三 月 二 十 八 日 よ り 六 十 二 日 間 教 育 文 化 五 事 業 完 成 を 感 謝 す る た め に 、 御 本 尊 の 居 開 帳 を 奉 修 し 、 こ の 年 僧 正 は 大 僧 正 に 昇 補 せ ら れ た 。 房 総 半 島 に 初 め て 鉄 道 が 開 通 さ れ た の は 、 明 治 二 十 七 年 で 、 東 京 錦 糸 町 千 葉 県 佐 倉 問 で あ っ た が 、 同 三 十 年 に は 東 京 成 田 間 が 全 通 し 、 同 三 十 一 年 に は 成 田 佐 原 問 、 同 三 十 四 年 に は 上 野 成 田 間 が 、 そ れ ぞ れ 開 通 し た 。 こ の 鉄 道 の 開 発 の た め に は 、 成 田 山 は 先 代 照 鳳 師 が 成 田 鉄 道 会 社 を 創 立 せ る が 如 く 、 長 年 に わ た っ て 率 先 努 力 し て 来 た 。 そ の た め 平 常 の 参 拝 者 が 急 増 せ る の み で は な く 、 開 帳 も 極 め て 盛 況 で あ っ た 。 か く し て 、 僧 正 時 代 に は 、 成 田 不 動 尊 信 仰 は 、 東 京 周 辺 の 地 方 的 信 仰 の 段 階 を 脱 し て 、 東 日 本 に 広 く そ の 地 歩 を 確 立 す る こ と に な っ た 。 ( 八 ) 公 共 奉 仕 ﹁ 浄 財 を 浄 所 に 用 ゆ ﹂ と い う こ と が 、 僧 正 が 常 に 寺 内 の も の に 示 さ れ た 言 葉 で 、 僧 正 の 新 勝 寺 経 営 を 貫 い た 根 本 方 針 で あ っ た 。 教 育 文 化 五 大 事 業 が 、 こ の 方 針 か ら 生 れ た も の で あ る こ と は い う ま で も な い が 、 ま た 国 家 公 共 の 為 め に も 大 い に 貢 献 し た 。 教 育 文 化 五 大 事 業 の 一 応 完 成 し た 時 、 明 治 四 十 二 年 十 一 月 十 四 日 、 成 田 は 全 町 を 挙 げ て 僧 正 の 在 職 十 五 年 祝 賀 式 を 催 し た 。 そ の 時 、 成 田 町 役 揚 は 僧 正 の 公 共 奉 仕 の 活 動 を 当 局 に 報 告 す る た め ﹁ 成 田 山 新 勝 寺 住 職 石 川 照 勤 僧 正 公 益 事 蹟 一 班 ﹂ と 題 す る 調 査 書 を 作 製 し た 。 そ れ に よ る と 、 明 治 四 十 一 年 ま で の 在 職 期 間 に 、 国 家 公 共 の た め に 投 じ た 金 額 は 戦 時 奉 公 四 万 六 千 四 百 四 拾 一 円 五 三 銭 六 厘 、 宗 内 義 務 外 支 出 一 万 一 千 九 百 四 拾 七 円 四 銭 九 厘 、 一 般 義 掲 お よ び 寄 附 、 四 万 三 千 五 百 六 拾 一 円 四 九 銭 五 厘 、 教 育 学 事 、 二 六 万 三 百 九 拾 二 円 一 六 銭 九 厘 等 。 そ の 他 の 功 績 に 関 す る 記 事 も あ る が 、 煩 雑 を 避 け 省 略 す る 。 地 方 都 市 の 一 寺 院 に し て は 、 当 時 ま さ に 巨 額 と い う べ き で あ っ て 、 そ の 公 共 奉 仕 に 対 す る 僧 正 の な み な み な ら ぬ 気 慨 を 見 る こ と が で き る 。 国 家 は 、 特 に 日 清 、 日 露 の 両 戦 争 に 於 け る 奉 公 の 功 労 に 対 し て 、 明 治 三 十 九 年 、 僧 正 に 勲 六 等 瑞 宝 章 を 授 け ら れ た 。 そ の 後 十 年 、 大 正 入 年 五 月 二 十 入 日 、 成 田 町 民 主 催 で 、 僧 正 の 在 職 二 十 五 年 祝 賀 会 が 再 び 行 な わ れ た 。 教 育 文 化 五 事 業 の 完 成 を 見 る と 共 に 、 参 拝 者 の 急 増 、 開 帳 の 盛 況 等 寺 運 も い 大 僧 正 石 川 照 勤 伝
密 教 文 化 よ い よ 隆 昌 に 向 い つ つ あ る 時 に 於 け る 、 こ の 在 職 二 十 五 年 の 祝 賀 会 は 、 多 数 名 士 の 参 会 者 を 迎 え て 、 成 田 町 未 曽 有 の 盛 会 で あ っ た 。 哲 学 館 時 代 の 同 窓 生 高 嶋 米 峰 氏 は 、 そ の 祝 賀 式 に 臨 ま れ た が 、 そ の 事 を ﹁ 中 外 日 報 ﹂ 五 月 三 十 一 日 と 六 月 四 日 の 二 回 に わ た っ て 執 筆 し た が 、 そ の 中 で 次 の 如 く 述 べ て い る 。 ﹁ 然 る に 我 が 石 川 君 、 二 十 六 才 の 青 年 に し て 、 あ の 大 刹 に 住 職 し 、 爾 来 二 十 有 五 年 、 そ の 間 成 田 の 御 前 様 と し て 、 伽 藍 経 営 と か 、 寺 の 経 済 の 安 定 と か 、 信 徒 の 増 加 と か い ふ 、 少 し 気 の 利 い た 坊 さ ん な ら 、 誰 で も や っ て 退 け ら れ る 位 の 、 月 並 の 仕 事 は い ふ ま で も な く 、 微 力 な る 新 義 真 言 宗 智 山 派 を し て 、 兎 も 角 、 一 派 の 体 面 を 保 つ に 足 る だ け の 教 学 の 施 設 を な さ し め る に つ い て も 、 石 川 君 の 力 は 多 大 に 加 は っ て 居 る 。 約 七 千 人 の 人 口 を 有 す る 成 田 町 が 、 当 然 町 費 を 以 て 経 営 せ ざ る べ か ら ざ る 諸 般 の 設 備 も 、 石 川 君 の 力 に よ つ て 大 部 分 は 成 し 遂 げ ら れ て 居 る 。 独 り 智 山 派 や 成 田 町 の た め の み で は な い 、 電 車 に 、 汽 車 に 、 道 路 に 、 千 葉 県 民 の 交 通 機 関 に 寄 与 す る と こ ろ も 亦 頗 る 多 く 、 済 世 会 に 、 赤 十 字 社 に 、 そ の 社 会 公 共 の 事 業 に 多 大 の 寄 附 を 為 し て こ れ を 助 け 、 学 者 に 、 宗 教 家 に 、 実 業 家 に 、 政 治 家 に 、 個 人 と し て 石 川 君 の 援 助 を 受 け て 、 そ の 業 を 大 成 し た る も の 挙 げ て 数 へ 難 い 程 で あ る 。 ﹂ ( 九 ) 為 人 僧 正 は 、 そ の 容 姿 は 端 麗 、 然 も 挙 措 き わ め て 厳 整 で 、 平 常 居 室 に あ っ て も 、 二 六 時 中 端 坐 し て 威 儀 を 崩 す こ と が な か っ た 。 ま た 己 れ を 持 す る こ と 謹 直 、 人 に 対 す る に 公 平 無 私 で 、 山 内 外 は 勿 論 、 広 く 一 般 信 徒 の 敬 仰 欽 慕 す る と ろ で あ っ た 。 そ の 人 柄 は 温 順 に し て 碧 玉 の 如 し と い う 型 で は な く 、 謹 厳 に し て 峻 秀 、 冒 す べ か ら ざ る 高 士 で あ つ た 。 僧 正 の 為 人 に つ い て 語 る と き 、 ま ず 第 一 に 挙 げ ね ば な ら ぬ の は 好 書 家 で あ っ た こ と で あ ろ う 。 ﹁ 予 は 生 来 、 頑 愚 、 娯 楽 と 云 ふ も の を 知 ら ず 。 唯 だ 少 年 時 代 よ り 今 日 に 至 る ま で 読 書 ( 寧 ろ 購 書 ) 講 学 の 一 事 の み 日 夜 忘 る る 克 は ざ る 也 。 而 も 平 生 多 忙 読 書 意 に 任 せ ず 、 況 ん や 講 学 を や 、 常 に 以 て 遺 憾 と な せ り 。 而 も 今 回 計 ら ず も 病 魔 に 干 さ れ 、 公 務 を 廃 し て 少 閑 を 得 、 特 に 臥 床 を 要 せ ざ る 病 気 な る を 以 て 、 予 と し て は 薙 に 読 書 講 学 の 一 念 勃 然 と し て 起 り 、 従 来 読 ま ん と 欲 し て 読 む 克 は ざ り し 書 物 、 究 め ん と 欲 し て 究 む
る 克 は ざ り し 問 題 を 、 日 夜 意 の 儘 に 専 に す る を 得 た り 。 何 等 の 幸 福 そ や ﹂ と 病 中 の 日 記 に 記 し て い る 。 書 籍 購 入 に 当 っ て は 、 同 じ も の を 二 部 ず つ 求 め 、 一 部 は 自 己 の 望 洋 文 庫 に 収 め 、 他 の 二 部 を 成 田 図 書 館 に 寄 贈 し た 。 然 も 購 入 す べ き 図 書 の 選 択 は 、 忙 中 の 寸 暇 を 利 用 し て 、 常 に 自 分 で 行 っ た 。 こ の こ と は 、 僧 正 が 新 し い 文 物 思 潮 を 理 解 し 、 当 時 の 仏 教 界 に 於 て 先 覚 者 と し て の 活 動 を な す に い た っ た 素 地 を つ く っ た も の と 思 わ れ る 。 ま た 僧 正 が 一 山 を 率 ゆ る た め 特 に 心 を 用 い ら れ た こ と は 、 公 平 を 保 つ こ と で あ っ た 。 こ れ に つ い て 僧 正 は そ の 弟 子 、 平 沢 照 尊 師 が 智 山 派 教 学 部 長 に 就 任 し た 時 、 ﹁ 僕 は 住 職 し て か ら 約 三 十 年 に な る が 、 ま だ 一 人 も 親 戚 の 者 を 寺 に 入 れ な い 。 親 戚 の 者 は 僕 を 薄 情 だ と い っ て い る か も し れ な い が 、 も し 親 戚 の 者 を 入 れ る と 、 い か に 公 平 に 取 り 扱 っ て も 、 他 人 は そ う は 思 わ な い 。 自 然 人 を 使 う こ と が で き な く な っ て し ま う 。 だ か ら 僕 は 1情 を 殺 し て い る の だ 。 公 平 を 保 つ と い う こ と は 、 随 分 つ ら い も の だ が 、 そ こ を 堪 え な け れ ば 、 公 職 は 勤 ま ら な い 。 ﹂ と 語 っ て い る 。 ( ﹁ 不 忘 録 ﹂ 中 、 平 沢 照 尊 ﹁ 億 石 川 大 僧 正 ﹂ ) ( 十 ) 遷 化 僧 正 は ﹁ 予 生 れ て 五 十 五 年 、 頑 健 自 ら 誇 り て 曽 て 病 と 云 ふ 者 を 知 ら ざ り し に 、 何 事 ぞ 本 年 三 月 の 中 旬 頃 よ り 、 徐 々 胸 部 に 疹 痛 を 覚 え 、 越 え て 六 月 の 終 頃 に 至 り て 食 物 の 嚥 下 稽 や 困 難 と な り 、 弦 に 始 め て 身 に 病 あ る を 発 見 し た り 。 而 し て 其 の 病 源 の 正 に 食 道 に 在 る べ き を 自 覚 し た り 、 受 診 服 薬 数 週 、 更 に 其 の 甲 斐 な し 、 七 月 十 七 日 、 関 川 博 道 先 生 に 乞 ふ て 同 伴 上 京 し 、 十 九 日 予 て 入 懇 な る 京 橋 采 女 町 鈴 木 胃 腸 病 院 に 於 て レ ン ト ゲ ン の 検 診 を 受 け た り 、 果 然 故 障 は 食 道 の 下 部 に 在 り て 一 点 の 黒 点 は 顕 然 と し て 写 真 の 表 面 に 現 前 し た り 云 々 ﹂ ( 病 気 経 過 報 告 ﹂ ) と あ る よ う に 、 日 頃 非 常 に 健 康 で あ っ た が 、 大 正 十 二 年 春 病 を 得 て .療 養 生 活 に 入 り 病 気 は 食 道 癌 で あ っ た 。 医 師 や 周 囲 の 人 達 か ら 手 術 を 進 め た が 逐 に 聞 入 れ ず ﹁ ド ー セ 死 ヌ ノ ダ カ ラ 不 具 ニ ハ 成 リ タ ク ナ イ ﹂ と 、 主 治 医 に 語 ら れ た そ の 態 度 に は 、 既 に 死 を 自 覚 せ ら れ 、 全 く 執 着 の な い 心 境 が 伺 わ れ た 。 高 徳 の 仏 者 は 正 に か く あ る べ き か と 、 聞 く も の を 深 く 敬 服 せ し め た と い わ れ て い る 。 大 正 十 三 年 一 月 三 十 一 日 遷 化 、 享 年 五 十 五 歳 、 ﹁ 病 気 経 過 .報 告 ﹂ の 冒 頭 の 文 に 、 ﹁ 人 大 僧 正 石 川 照 勤 伝
密 教 文 化 誰 か 死 な か ら ん や 、 死 は 生 の 始 よ り 覚 悟 せ ざ る 可 ら ず 。 而 も 其 の 死 す る 、 時 と 処 と 場 合 と を 選 む を 要 す 、 死 を し て 意 義 あ ら し む る 所 以 也 ﹂ と あ る 。 僧 正 に 次 の よ う な 句 が あ る 。 行 春 や 馬 の 背 に 散 る 夕 桜 寝 返 れ ば 寝 返 る ま ま に 明 易 き 香 焚 い て 籠 る 夏 行 や 阿 弥 陀 堂 蜻 蛉 釣 る 竿 の 先 よ り 秋 立 ち ぬ 小 春 日 や 蝶 の 羽 風 に ゆ ら ぐ 草 ( 年 表 略 )