翻 訳
キャサリン・サンソム﹃東京暮らし﹄
牧 野 陽 子
第一章
東京湾に入ったのは︑冬のさなかの悪天侯のもと︑カナダから太平洋を渡る憂欝な旅路の後でした︒朝まだ早
く︑しかも一月のことです︒高揚した気分になどなれませんでした︒実際︑唯一興味があったのは︑船上での最
後の朝食jカナダ太平洋航路の船で︵ファーストクラスの旅の場合︶味わえるあの豪華な饗宴のことです︒献立は
まずエキゾチツクな果実類で始まります︒ハワイのパイナップル︑柿︑ざくろ︑ザボン︑マンゴーなど︑名前か
らして食卓が華やぎます︒続いて想像も出来ないくらい様々な種類のシリアルと卵料理の変奏曲が奏でられ︑次
に豚肉類の交響曲をへて最後にワッフルと楓シロップで締め括られます︒
この魅力的な献立に心誘われて︑私は階下のサロンヘと足を向けました︒後でデッキに出て身を切るような風
に当たる前に元気をつけておこうと思ったのです︒
だけど日本の美しい海岸がそこに︑船の丸窓を通して見えていました︒そして突然︑下に行く前に富士山を一
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目見なければという思いにかられたのです︒そこで階段を降りる代わりに上に上がると︑湾のかなたに富士がき
らめく朝日に光り輝いています︒富士山に関しては﹁高く聳える巨人﹂などという表現は決して使う気にはなれ
ません︒この山は不思議なほど霊妙です︒天国から下がっているかのようにみえます︒実際︑驚くほどいとも簡
単にその全容を見逃してしまうのです︒山があるはずの方に目をやっても見つかりません︒その姿を求めて見上
げてゆくと︑思っていたよりもずっとはるかに空高く︑たなびく雲の上に端正な頂きが現れいでます︒富士山に
は︑巨大な氷河層の持つ雄々しい荘厳さは少しもありません︒それは夢であり︑詩であり︑霊感なのです︒久し
く見ないで再びその姿を目にすると︑胸の鼓動が一瞬止まってしまうほど心打たれます︒富士山には何かこの世
ならぬ美しさがあって︑なぜ日本人の想像力と美的感性にかくも強い影響力を及ぼしているのかが︑よくわかり
ます︒
とはいうもののデッキの上は寒すぎて︑朝食で力をつけないことには︑ここで富士山や日本人の気質やらの考
察を続けることはできません︒そして次にデッキに上がって来た時には︑パスポート検査のために港の外で停泊
したところだったのです︒日本到着時のこの手続きは長くかかります︒というのも担当する役人が︑事務的に
さっさと点検をすませるのでは満足せず︑根掘り葉掘り質問を続けるのを好むからです︒なぜ日本を離れたか︑
何という船で出港したのか︑最初に来だのはいつか︑等々︒私たちの場合︑在留外国入用の例の公文書を提出す
ればよかったのですが︑どういうわけか︑そうしませんでした︒そのため︑一瞬ゆゆしき嫌疑を受けるはめにな
りました︒二人とも日本を出たときの船の名を思い出せなかったからです︒私たちはちょうど複雑な旅程の旅を
終えてきたばかりで︑船から船を乗り継いでいくつもの海を渡り︑もちろん鉄道でも一大陸と幾多の国々を横断
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してきたのです︒世界中をまわってきたわけで︑横浜から数カ月前に何という船に乗船したか︑要するにただ単
に思い出せなかったのですが︑それが︑横浜港の外には一度も出たことのない人々には︑まことに不審きわまり
なかったのでしょう︒幸いにして︑私たちの片方が断続的に三十年も日本に滞在していることがついにわかる
と︑高らかな大笑いの渦にその場の空気も一掃されて︑その後はもちろん︑打ち解けた会話を長々と交わして︑
すべては丸く収まりました︒
上陸すると今度は︑通例の税関の検査があって︑日本でもだいたい他と似たようなものです︒日本人というの
は厳しい半面︑寛容な所もあります︒それをよくあらわしているのが︑最近ちょうどクリスマス前で外国人の玩
具類持ち込みはすべて無課税で許可されたことです︒子供に関することなら︑どんなに厳格な日本人の心もとろ
けてしまうのでしょう︒
すると桟橋に家の使用人たちの姿が見えます︒私たちが彼らを見つけると︑顔いっぱいに微笑んで︑深くお辞
儀をし︑小さく丁寧に手を振って私たちを迎えてくれます︒舷門を降りていくと︑彼らはさらに何度もお辞儀を
して︑丁寧に私たちの健康の具合を尋ね︑旅行中に送った手紙や絵はがきの礼を嬉しげに述べます︒料理人は青
いサージの背広を着てとても素敵です︒他の者たちは一張羅の絹の着物を着込んでいます︒五人の使用人たち
は︑数カ月前にも︑私たちを見送ってくれました︒私たちが日本を離れたり戻ったりする時に彼らが桟橋に立た
ないことなど想像もできないのでしょう︒そして時折こうした機会に︑退職した昔の老使用人も一緒に遊山かた
がた同乗してくることがあります︒国を離れる時は︑色紙のテープを投げ合うことで︑お互いにこみあげてくる
別れの悲しみが紛れ︑足元の覚束ない年配の者も︑我先にテープをとろうとするうちに涙が乾いてしまうので
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す︒
日本の船の日本出航光景というのは︑まさに色とりどりのリボンの素晴らしい乱舞そのものです︒船が埠頭に
つながっている間はゆるやかに波打ち︑舷門の渡り板が引き揚げられ船が動き始めると︑その風にあおられて華
やかに狂おしく空に舞い上がります︒テープがちぎれ︑涙がとぼれますが︑待つ間のあの嫌な時間はこのチャー
ミングな遊びで切り抜けられるのです︒
やっと税関の手続きもすべて終わると︑次は私たちと使用人たちとそれぞれ別の車にのりこんで︑東京まで二
十マイルのドライブになります︒ふたつの街は発展して互いに接するほどになり︑道路は近代的なビルに小さな
木造の家や商店︑幾百ものレストランや茶屋︵これは﹁花街﹂として重要な一角です︶︑寺社︑市電の線路と電話ボッ
クスなどの驚くべき寄せ集めの中を通りぬけます︒空には電線が網の目状に交差しており︑巨大な高圧線用電柱
が町の郊外を縁取る田圃や野菜畑を大股に横切っています︒
わが家に戻るのは何とよいものでしょう︒みなさんから花が届いていた上に︑過去数週間の間︑家の者たちが
ただひたすら心掛け︑目指してきたことは家をぴかぴかに磨きあげることだったのです︒そして私たちは︑まる
で世界旅行で家を離れてなどいなかったかのごとく︑すんなりと家に落ち着きました︒
確かに日本の使用人というのは︑この国の魅力の小さからぬ部分をなしています︒たとえ厄介な事や腹の立つ
事があったとしても︑彼らがそこにいていつでも心底から精一杯主人に仕えようとし︑喜んで家中の一員たろう
とするのです︒彼らの存在は常に慰めとなります︒もちろん時には運悪く︑雇ったのが酒飲みで不正直者だった
りすることもあるでしょう︒でもそんな人物で我慢しているのは︑忠実で素晴らしい使用人の国にあっては愚か
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というものです︒
ある年若い英国男性は︑日本人は面倒くさくて御免だから日本でも中国人のμボーイ〃を雇ったと私に言いま
した︒日本人にはいつも仕事をいちいち指図しなくてはならないので︑いらいらさせられるのだそうです︒たし
かに日本人の召使も中国人の召使も世にも驚嘆すべき存在です︒でも私自身は︑日本では日本人を雇う方を選び
ます︒二つの民族の習慣は非常に異なるので︑一つ屋根の下に両方がいるとうまくいかないからです︒それに日
本で暮らしながら︑彼らを通して庶民の生活と習慣と態度をいくばくか観察する機会がないのは残念に思えま
す︒彼らは自分も主人の家族の一員だと見なしていて︑何か特に重大なことでもない限り︑自分の都合を主人の
都合より優先させることなど決してありません︒そして万が二そうしても︑主人が困らないよう︑代わりの者を
よこすか然るべく手筈を整えておきます︒主人の習慣は彼らにとって本人以上に厳守すべきものとなるので︑い
つもの時間にお茶が必ず出され︑風呂が用意され︑スーッにはぴしっとアイロンがかかっており︑煙草人れの煙
草は補充されていて︑毎日の生活の中のこうした規則的な些事が守られるのです︒しかし誤解とそれに伴う時間
の無駄なしに︑こうした働きを引き出すには︑もちろん使用人たちに理解を寄せ︑折りにふれて褒めたり︑一緒
にちょっとした冗談を言い合ったりしなくてはなりません︒自動人形たることは彼らの性に合わないのです︒主
人の関心事は彼らの関心事であるので︑ある程度信頼関係に置かれないことには︑惨めな気持ちになるのでしょ
う︒彼らが好み︑彼らが心得ているのは主人その人と繋がりを持つような個人的な奉仕です︒主人が置き忘れた
物を探すのにどれほど苦労しても︑主人が壊した物を修繕したり︑切手を買いに走りでたり︑昼食会に人を招待
するためにメモをとらされても︑または不意の来客のために突然食事を作らされても︑何ら彼らの負担にも嘆き
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の元にもなりません︒逆に︑番狂わせがあったり要求が増えたりすると奮い立つほどです︒とはいうものの︑毎
日の忙しさの中では時に︑直接使用人に一々指示するより︑顔をあわせずに彼らを仕事場に追いやって置きたい
気持ちにもなり︑すると途端に彼らは不幸せになるきらいがあります︒すっかりいじけて︑主人の目にとまりた
い︑気を引きたいと必死に思うあまり馬鹿なことをしでかすかもしれません︒たしかに︑彼らはかなりの心遣い
を求めます︒でも︑そのかわり何とすばらしく仕えてくれることでしょう︒彼らは滅多に休暇をとりたがりませ
んし︑休み時間さえ気付かないほどです︒誰かが風呂屋に行ったり︑買物に出たりする時は︑他の誰かが残るよ
うにします︒そして稀に家の祭り事や記念日や相撲観戦などでこぞって日本的光景の中に溶け込むことにした時
は︑彼らの不在中も気持ちよく過ごせるように︑万端申し分なく調えてからいきます︒もっと重大な暇をもらっ
た場合は︑戻ってくるなり挨拶に来て深々と頭を下げ︑お暇を下さってまことに有り難うございました︑と礼を
述べます︒そしてこちらもお辞儀を返して︑万事うまく行ったことを願います︒これが正しい挨拶の交わし方で
す︒ もちろん︑どちらにせよ誤解は数々生じます︒何しろこれほど異なる二つの文明を持つ日本人と西洋人は互い
に要求する事も習慣も異なり︑こちらは世界でも最も難解な言語とされる日本語を苦労してつかえつかえ話して
いるのです︒
それでも幸いなことに︑ひとつ完璧な解決法があります︒どこでも冗談はそれなりの効用がありますが︑この
心楽しい国でほど︑やすやすと沢山の勝ち点をあげられる場所もそうはないでしょう︒何か馬鹿げた可笑しいこ
とを言ったとします︒するとその洒落がまるで野火のような勢いで家中に伝わっているのです︒すぐそばでもは
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ばからずに︑みなが嬉しそうに笑いながら同じ冗談を繰り返し口にするのが聞こえてきます︒家の者全員が心浮
きたちます︒小売商の丁稚が裏口の方でぶらぶらしていれば︑この喜ばしい報せを耳にして︑あとで顔を合わせ
た時にはこちらの武勲に微笑みで敬意を表しつつ深々とお辞儀をします︒門番も︑また運よく女主人が姿を現し
た時に品物をお見せする光栄にあずかりたいと台所で待ち構えている骨董商も︑料理人の妻を尋ねてきた田舎の
親戚も︑こぞって心温まる洒落の機知に喜び︑かくして笑い声があたりにこだまするのです︒
夫はある夏の日︑山の別荘で輝かしいヒットを飛ぼしました︒彼はただ単に︑新しい平底舟を湖に進水させる
費用を請求された時︑造船職人の手から引き取ってあげるのだから自分が同額をもらってもいいくらいだ︑と述
べただけです︒ところが村中が喜んでその冗談を伝えてまわったので︑自転車に乗った若者もわざわざ下りて私
たちに嬉しげにお辞儀をするし︑鱒釣りの地元の漁師たちも︑私たちのことを評判の洒落を言った評判のやはり
漁師だろうと思って挨拶するのでした︒
たしかにここは︑いともたやすく愉快に大受けできる点で素敵な国です︒誤解と行き違いに基づく昔ながらの
古い︑古い笑い話が日本ではまさにぴったりくるように思えます︒悲劇的結果のない華々しい間違いほど︑わが
家で喜ばれるものはありません︒ある時︑山の湖のほとりにあるわが家の別荘の隣家に︑指定の時間に客人を迎
えにくるよう︑モーターボートが手配されました︒男は二︑三時間待たされたあげく︑結局そのことをすっかり
忘れた客が何の断りもなしに歩いてホテルに戻ってしまったことがわかったのです︒この話を聞くと︑みな腹を
抱えて大笑いし︑数日間わが家には笑い声が絶えませんでした︒そのため今でも厨房の方で特に嬉しそうに笑っ
ているのが聞こえると︑私たちのどちらかが﹁また別の︒モーターボート〃だ﹂と言うのです︒そして彼らには
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いつでも冗談を受け止める楽しい心があり︑また簡単に大喜びするので︑︒モーターボート〃は実際頻繁に起きる
ことになります︒
たしかに︑時を得た冗談は限り無い困難から人を救ってくれるものです︒秀でた語学の才能があるか︑または
言葉の上達に暮らしがかかっているか︑あるいは外国人とは交わらずに日本人の中で真に日本的な生活を送ると
いうのでもない限り︑言葉の襞の内にまでわけ入れるほど深く真剣に日本語を習得するのは至難のわざです︒
楽々と優雅に日本語を操る外国人は極めて少なく︑また理解力でも同じレベルに達する人はさらに数少ないで
しょう︒辞書で調べ︑使ってみようとする単語が卑金属にすぎず︑何の通用価値もないかもしれないということ
に最初は気付きません︒そしてたいてい︑自分の真の意図とはほとんど反対の意味の語句を使ってしまったり︑
あるいは非常に似た日本語の単語が数多くあるために︑子音を間違えて全く意味をなさなかったりするのです︒
こちらの必死の努力に対して︑相手はわけがわからずにぽかんと口をあけ︑困った顔でクスクス笑いだす始末で
す︒こちらはがっくりきて︑何か他の言い方を調べだしますが︑たとえ意味の通じる言葉をみつけられたとして
も︑もう今やすでに当方があやふやなことは心配で神経過敏な使用人の方に伝わり︑彼を礼儀正しさとさらなる
誤解という楯で身を固めさせてしまうのです︒こちらは精根尽き果て︑疲労と苛立ちで叫びたくなります︒冗談
を言うのだけが望みの綱です︒それだけがその使用人を困惑状態から引き戻してくれるのです︒
後になって体も頭も熱が冷めたような頃でも︑まだどこで間違ったのか見当がつかないかもしれません︒そし
て誰もが持ち合わせている見栄はここでは少しも助けにならないのです︒実際︑日本人および日本語のどちらを
も理解する近道はありません︒ただ徐々に︑言葉遣いの複雑さのいくばくかと国民心理の何がしかに気付き始め
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れば︑快い忍耐心への大道︑それなしでは日本での生活に溶け込めない心構えの大道を歩みだしたことになりま
す︒
私自身の場合︑英語でも︑たどたどしい日本語でも︑いかに私の言うことが理解されていないかに気付くのに
一年ほどかかりました︒そして今︑あの忠実で昔気質の使用人が︑全くのその上恐ろしく腹立たしい勘違いを度
重ねつつ︑ひたすら私の望みを推し量りながら毎日過ごしていたことを思い出すと︑賛嘆と感謝の気持ちで一杯
になるのです︒
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彼女は人間の生態観察に秀でた才能を示し︑その文章は昭和初期の世相を浮き彫りにする︒そして︑文化論や分析は極
力抑えて表層観察に徹し︑人間の面白可笑しい生態をテンポよく次々に示していくため︑どことなく明治日本の庶民を描
いたビゴーの漫画を連想させ︑また当時人気を博していたチャップリンの無声映画のコメディを見るような趣もある︒彼
女のスケッチは言葉を交わし︑相手の心性を理解し︑気持ちを通い合わせるようなラフカデイオ・ハーンの名作﹃心﹄な
どにみられる庶民の姿とは対照的だといえるが︑庶民のエネルギッシュな生活ぶりを見事に活写して︑ハーンとはちがっ
た意味で︑彼女もまた日本の庶民への讃歌を記したのだといえる︒
当時の日本研究の第一人者だった夫ジョージは﹃東京暮らし﹄刊行後︑﹁現代日本に関する最良の書﹂だと評したとい
う︒なお原著では︑友人の西脇順三郎前夫人西脇マジョリーによるロートレック風の洒脱で垢抜けた插絵が数十点添えら
れているのも大きな魅力となっている︒