◎論説特集◎﹁五四﹂の真実
中 国 現 代 民 主 主 義 の 歴 史 的 ・文 化 的 淵 源
漏
天喩
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ハ 中古の専制主義を批判する民主主義の勃興は︑世界各国
の現代化運動の一大潮流である︒現代中国について言えば︑
民主主義思潮は始めは朧げだったものがはっきりと姿を現
し︑弱々しいものから力強いものへと成長し︑"五四"新文
化運動以降は力強く波打つ社会の主流となった︒その思想
の起源を辿ってみると︑必ずしも外来のものぼかりではな
く︑内外の要素が混交し︑中国と西洋の要素が混在してい
る︒というのも︑中国の現代民主主義は︑横軸の影響を見
るならぼ︑欧米の社会契約論︑主権在民論︑天賦人権論︑
およびフランスとアメリカの民主共和国モデルなどが中国
の現代民主主義の重要な誘発要素であるが︑縦軸の淵源を
見てみると︑中国の現代民主主義は中国の伝統文化の一部︑ぞ 中でも中華元典に述べられている原初的民主と民本思想を 引き継いでいるのである︒
中華元典中の原初的民主が現代民主主義に与える啓示
現代中国の﹁民主﹂の概念には︑﹁多数者の統治﹂﹁人民
の権利﹂﹁人民が権力を行使して共同で国家を治めること﹂
等の意味が含まれている︒これは近代中国の新思想家が英
語"Democracy"を翻訳する際に︑中国語の既存の文字を
組み合わせて創った新語である︒もともと古代中国の典籍
中にも﹁民主﹂の語は見える︒例えば︑﹃尚書﹄﹁多方﹂篇
ここには﹁天惟れ時れ民主を求め︑乃ち大に顕休の命を成湯に
まさ降す﹂とあり︑﹃左傳﹄嚢公三十一年には﹁趙孟将に死せん
13g一 中国現代 民主 主義の歴史的 ・文化 的淵 源
とす︒其の語楡せり︒民主に似ず﹂とある︒しかし︑これ
らの用例中の﹁民主﹂は﹁民の主﹂の略であって︑﹁統治
者﹂を意味しNおり"'Democracy"の意味するところとは
大きな隔たりがある︒つまるところ︑現代中国語における
意味での﹁民主﹂は国家制度を指すにしろ︑政治観念を指
すにしろ︑中国史のいずれの時期においても完全に対応す
るものを見つけることは困難である︒このため︑﹁民主﹂と
いうこの概念は中国人にとっては舶来品である︒しかしな
がら︑だからと言って中国の伝統文化は民主と何の関連も
持たないわけではない︒
民主制度や民主思想は現代社会において大いに成長し︑
日増しに世界的現象となっているのではあるが︑その胚胎
は今を去ること数千年前の部族社会の母体の中にあった︒
世界各地に相前後して現れた部族社会はほとんど例外なく
﹁原初的民主﹂即ち﹁部族民主制﹂﹁軍事民主制﹂の花を咲
かせている︒古代ギリシャのホメロス時代︑コミューンの
最高権力は民衆会議にあり︑参加資格は全ての成年男子に
与えられていた︒戦争︑講和︑移住など︑部族の重大問題
は全て民衆大会で決定された︒中国の漢族の尭︑舜︑禺の
禅譲に関する伝説や﹃禮記﹄﹁禮運﹂篇の﹁天下を公と爲
す﹂大同世界の描写は︑上古に存在した原初的民主政治の
先哲たちによる理想化された記録である︒
中華元典には原初的︑自然発生的民主制度に関する記述 が多くあり︑殆ど原初的民主のあらゆる面に及んでいる︒
例えぼ︑経済生活の面では︑指導者は民衆と共に労働し︑
苦楽を共にする︒
ヨウソン 賢者は民と並び耕して食ひ︑甕喰して治む
ここでの﹁賢者﹂は部族民主期の部族長である︒彼らは
民と共に耕してこそ食べ物にありつけたし︑自分で飯を作っ
た上に更に民のために力を尽くしたのである︒この農家許
行の言は︑まさに原初的民主期の経済生活の活写なのであ
る︒古代の帝王には私有財産や特権はなかった︒神農﹁身
みつかム シシャク自ら耕し︑妻は親ら織る﹂﹁尭に三夫の分無く︑舜に腿尺の
ヨ 地無し﹂等々の叙述は原初的民主期の指導者の生活が完全
に平民化していたことを示すものである︒後世の史書の部
族制段階にある少数民族社会の状況に関する記述︑例えば
る 烏桓人﹁各自ら畜牧螢産し︑相ひ径役せず﹂を見れば︑元
典のこれらの記載は部族制時代の社会の有り様を忠実に反
映したものだと推定することができる︒
政治生活の面では︑戦争︑遷都︑指導者の推挙など重要
なことは全て︑民衆会議で協議の上︑決定しなければなら
なかった︒﹃周禮﹄は成立は遅いものの︑内容は西周期の遺
風を多く伝えており︑部族制民主の痕跡がところどころ見
受けられる︒
︿5>凡そ國の大事には民を致す
もバ 若し國に大故有れば︑則ち万民を王門に致す
原初的民主の政治生活面での突出した現れとしては︑ま
ず指導者を人々の推挙で決める点が挙げられる︒いわゆるバヱ﹁天下を公と爲し︑賢と能とを選ぶ﹂である︒その具体的
運用方法は禅譲であって︑血縁による継承ではない︒則ち﹁賢に傳へ︑子に傳へず﹂である︒舜の禺への禅譲に関する
﹃史記﹄の記述は比較的簡潔である︒﹁舜の子商均も亦た不
あらかじ肖なり︒舜乃ち豫め禺を天に薦む︒十七年にして崩ず︒三をは年の喪畢り︑禺も亦た乃ち舜の子に譲ること︑舜の尭の子
ふに譲れるが如くす︒諸侯之に帰す︒然る後禺天子の位を践
バ む﹂これは︑当時﹁禅譲﹂が人々に受け入れられていたこ
とを示すものである︒舜も禺も辞退したが︑人々はやはり
彼らを指導者に選び︑先帝の子を指導者には選ばなかった︒
次は︑民衆輿論の監督作用を重視した点である︒部族制
民主期には︑まだいかなる強制手段もなく︑いわゆる﹁厚
おのつかム 賞行はれず︑重罰用ひられずして︑民自ら治まる﹂であっ
た︒民衆輿論は指導者にとって最も権威ある監督作用を持っ
ていた︒﹁誹諺﹂は今日では否定的な意味合いを持つように
なってしまっているが︑もともとは民衆が指導者を批判す
ることであって︑積極的な意味合いを持った語であった︒あつ杜預は﹃左傳﹄に注して﹁庶人︑政に与からず︑君の過
い ちを聞けば則ち誹諦す﹂としたが︑これはまさに原初的民
主の名残りである︒古の帝王たちは民衆の﹁誹諦﹂を非常
に重視した︒いわゆる﹁発に欲諫の鼓有り︒舜に誹諦の木 ユ有り﹂である︒尭は進言をしようとする者が打ち鳴らすた
めの鼓をわざわざ設置し︑舜は意見書を掛けるための﹁表
木﹂を立てた(天安門前の﹁華表﹂は他でもなく古の﹁表
木﹂が変化発展したものである)︒類似の事例は周辺諸民族
の歴史にも求めることができる︒例えぼ︑モンゴル人はチ
ンギス・ハーン(11六ニー一二二七)の時代にも﹁クリ
ヨ ルタイ﹂(部族集会)の制度を保持していた︒﹁クリルタイ﹂
は︑一種の軍事民主制組織で︑大汗を選挙し︑重要軍事事
項を決定するという最高権力を有していた︒このように︑
原初的民主は人類社会の歴史段階の初期に共通の現象であ
り︑西欧のみのものではない︒中国を見てみると︑このよ
うな原初的民主は古人によって太古の﹁至徳の世﹂と尊称
され︑﹁尭舜の治﹂として尊ばれ︑より一般的には﹁三代の
治﹂と称されて︑中国伝統文化において理想政治として高
く掲げられて来た︒それは︑社会批判精神を備えた歴代の
仁人志士たちが君主専制を攻撃する際の永遠の武器であっ
ただけでなく︑近代に入ると︑進歩的中国人が欧米の民主
政治を紹介しようとする際︑往々にして彼らの参考体系と
なり︑自文化の中にある対応物として扱われた︒例えば︑
魏源と名声を共にする︑世界に目を向け始めた最初期の人
物である徐継雷は一八四四年にアメリカの政治制度に言及
した際︑ワシントンが建国後に﹁位号を僧せず︑子孫に傳
へず︑而して創りて推挙の法を爲﹂したのを大いに賞賛し︑
中国現代民主主義 の歴 史的 ・文化的淵源
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ほとんどしんしんこワシントンのこの行為を﹁幾於天下を公と爲す︒駐駐乎た
レ り︑三代の遺意﹂と称えた︒アメリカの首都ワシントン市
の独立記念碑には︑徐継雷のワシントンへのこの賛辞の英
訳文が刻まれている︒初期改良派の健将︑鄭観応も一八七
五年に﹁泰西の政事﹂は頗る三代の法度と相通じると述べ︑
なら中国政治の希望は﹁上は三代の遺風に敷ひ︑下は泰西の良
おとな法を訪ふ﹂にあるとした(﹃易言﹄﹁論議政﹂)︒ほぼ同じ頃︑
別の改良派王鱈は︑西洋の﹁君民共に治む﹂立憲君主制を
な熱心に推称し︑それは﹁猶ほ中国三代以上の遺意有るがご
お ときなり﹂とした︒一九世紀末︑康有為は﹃禮運注﹄を著
し︑﹁禮運﹂の大同思想に借りて︑立憲君主と民権思想を鼓
吹した︒近代中国の新思想家たちが西洋の民主制度を尭舜
及び三代の故事になぞらえたのは︑もちろんお定まりの﹁西
学中源説﹂に陥っているのではあるが︑伝説時代の社会生
活に関する中国人の記憶の中には︑西洋の民主政治と相通
じる要素が確かに内包されていることをも如実に示してい
る︒両者の民主は段階を異にしているとはいえ︑これらの
比喩を完全に牽強付会と見なしてしまうべきではない︒
現代の民主主義と元典の民本思想との類似点と両者の朗語
中国の現代思想家たちが民主主義を鼓吹する際︑中国の 伝統文化の中にその助けを求める努力は︑﹁禮運大同﹂や﹁発舜の治﹂にお出ましを願うに留まらず︑より多くは三代
以降に行なわれた民本学説の援用やその現代的解釈となっ
て現れた︒
上述のごとく︑原初的民主は人類史の初期段階での共通
現象である︒その後︑各民族は次々に文明社会の段階に入
り︑部族制度はそれにつれて解体していったが︑内部条件
と外部条件の違いから︑諸民族の政治制度や政治思想の変
遷は千差万別の様相を呈した︒海に面した開放的な環境に
暮らし︑平らな土地を十分に持たなかったギリシャ人は︑
文明社会の段階に入ると︑部族社会の主権在民の直接民主
を保持︑改造し︑国家制度の民主化を過渡的に形成した︒
商品交換の規模が大きく︑人々の移動も頻繁であったため︑
ギリシャ人は徐々に血縁の絆の束縛から脱却し︑地縁と所
有財産の要素によって結ばれたポリス民主制を打ち立てた︒
西洋の近代民主主義には︑ある意味では古代ギリシャの民
主制への回帰という側面がある︒
ギリシャとは反対に︑中国では血縁で結ばれた村落と家
が生き残った︒部族社会が解体した時︑ギリシャのように
血縁の絆の束縛を脱却して︑契約関係によって成り立つ国
家を打ち建てるのではなく︑家を拡大して国家と為し︑血
縁の絆で宗法社会を形成し︑一種の﹁家国同構﹂(家と国が
構造を同じくする)の構図を作り上げた︒このような国家