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正当防衛の正当化根拠と要件の関連性

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正当防衛の正当化根拠と要件の関連性

山本 浩輔

目次

Ⅰ.はじめに

Ⅱ.正当防衛の正当化根拠 1.法の確証説

2.実質的違法性阻却事由説

(1)

優越的利益説

(2)社会的相当性説

3.小括

Ⅲ.正当防衛の必要性・相当性 1.旧刑法における相当性の議論

2.改正草案から今日までの相当性に関する議論 3.現在の学説

(1)「『やむを得ずにした行為』とは必要性を意味す

る」とする学説

(2)「『やむを得ずにした行為』とは相当性を意味す

る」とする学説

(3)「『やむを得ずにした行為』とは必要性・相当性

を意味する」とする学説 4.相当性の判断基準 5.判例

6.小括

Ⅳ.防衛意思の要否 1.防衛意思の要否

(1)防衛の意思不要説

(2)防衛の意思必要説

2.防衛の意思の内容 3.判例の動向

4.正当化根拠と防衛の意思 5.積極的加害意思

(1)

判例の概要と要旨

(2)判例に対する評価

(3)積極的加害意思についての学説

①積極的加害意思が急迫性を否定するという見解 ②積極的加害意思が防衛の意思を否定するという

見解

③積極的加害意思は主観面の問題ではなく、客観 面の問題であるとする見解

(4)

積極的加害意思と防衛の意思

Ⅴ.おわりに

【注】

【参考文献】

【参考判例】

Ⅰ.はじめに

正当防衛は、急迫不正な侵害を受けた者が、その侵害 からとっさに反撃を加え、それから免れようとした行為 である。この行為について、学説においては刑法第

35

条の正当行為、第

37

条の緊急避難と並び違法性が阻却 される行為であるとされる。正当防衛が違法性を阻却す る行為であること、つまり違法性阻却事由であることに ついて西原博士は「人は権利に対する不正の侵害を拱手 して甘受する義務はなく、とくにそれが急迫であるため 官憲の救助を求める余裕の存しないとき、防衛の限度内 でこれを排除する行為は、正当利益の保護を目的とする 法律の使命にも適合する」1としておられる。

この正当防衛について、第

36

1

項は、「急迫不正の 侵害から、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを 得ずにした行為は罰しない。」と規定している。この条文 からは、正当防衛には「急迫不正の侵害」に対する行為 であること、また、「自己又は他人の権利を防衛するため、

やむを得ずにした行為」であることが要件であることが わかる。これらの要件を充たして、正当防衛として違法 性が阻却されるのである。

では、なぜ正当防衛行為は違法性が阻却されるのか。

まず、正当防衛という行為が正当化される根拠について 検討しなければならない。学説においては、正当防衛を 違法性阻却事由の特殊なものであると解して緊急行為と しての性質を重視する緊急権説と、正当防衛についても

35

条の正当行為、第

37

条の緊急避難と同様に、一般 的な違法性阻却事由の枠内で考えるべきとする実質的違 法性阻却説に分かれている。また、これら二説において も共通の基盤として考えられている学説があり、それが 自己保存説といわれるものである。

自己保存説とは、人間の自己保存本能によって正当防 衛という行為を正当化する見解であり、「正当防衛の本質 は直接行動ではあるが、違法侵害に対して反撃を加える ことは人間の自衛本能であるからこれを許す。」2とする ことを根拠とされている。そして、緊急権説の論者、実 質的違法性阻却事由説の論者ともに自己保存については 否定的な意見はみられないのである。

一般的には正当防衛の正当化根拠が緊急権説と実質的 違法性阻却事由説との対立とされており、この自己保存 は前面には出てこない。それゆえ、自己保存説について はすでに正当防衛の前提であり、その理解で議論が終結 したような様相を呈している。

しかし、無条件に自己保存が正当化根拠として受け入 れらるとした場合、果たして現条文をそのまま反映させ ることができるのであろうかと私は考える。仮に、自己 保存本能を肯定的に捉えて正当防衛の条文を解釈するの であれば、「自己」の正当防衛と「他人」の正当防衛とに おいて自己保存本能の濃淡が現れると考えることができ

(2)

- 2 -

るからである。つまり、自己のための正当防衛であれば、

自己保存本能は働くであろうと考えることができるが、

果たして他人のための正当防衛において同じ自己保存本 能が働くのであろうか、という疑問が生じるのである。

また、正当化根拠において、自己と他人において差が生 じるのであれば、正当防衛の要件も自己のための正当防 衛と他人のための正当防衛とで差異が生じるはずである。

したがって本稿においては、まず正当化根拠について 再考を試みたい。これは、自己のための正当防衛と他人 のための正当防衛とでは正当化根拠に差異があるのでは ないかという疑問があるからである。この両者で正当化 根拠に差異があるとすれば、正当防衛の要件にも差異が 現れるであろうと考える。そこで、両者に差異が生じ、

検討されなければならない要件を、本稿では防衛行為の 必要性・相当性の問題、防衛の意思の問題と位置づけ、

自己のための正当防衛と他人のための正当防衛との差異 を検討するのである。

Ⅱ.正当防衛の正当化根拠

正当防衛の正当化根拠について、自己保存説に立つ見 解としてまず、大塚博士は「急迫不正の侵害に対しとっ さに反撃にでることは、人間の保存本能である。」3と主 張されている。また内藤教授も「法は緊急状況における 個人の自己保存本能を否定することはできない。」4とさ れ、学説において自己保存本能そのものを否定する見解 はほとんどない。しかし、自己保存説のみを正当防衛の 正当化根拠とすることでは足り得ないとする学説もある。

例えば、団藤博士は「正当防衛は、国家が被害者から 復讐をうばって刑罰をこれに代えた時からは始まるとい われる。正当防衛は『書かれた法ではなく生まれた法で ある』(キケロ)、『正当防衛は歴史をもたない』(ガイプ)、

『法は武器の真中では沈黙する』などいわれるように、

正当防衛はまずキケロからグローティウス、ヴォルフに いたる一連の思想系列によって自然法的に基礎づけられ た。しかし、それは生命の防衛にはあてはまるが、それ 以外の法益の防衛にはかならずしも妥当しない(実際に、

生命・身体以外の法益について正当防衛がみとめられる ようになったのは、あたらしいことである)。」5とされる。

団藤博士は生命・身体以外の権利については比較的新 しいものであり、従来は正当防衛の本来守るべき法益と はされてこなかったが、現条文では生命・身体以外の権 利も正当防衛の守るべき法益とされていることから、一 概に生命・身体の保全ばかりを正当化根拠に据える見解 を批判されているのである。

団藤博士が正当防衛の生命・身体以外の権利について、

あたらしい権利とされていることについては、旧刑法に おける正当防衛から説明することができる。旧刑法は、

正当防衛を第

314

条の「身體生命ヲ正當ニ防衛シ已ムヲ

得サルニ出テ暴行人ヲ殺傷シタル者ハ自己ノ爲メニシ他 人ノ爲メニスルヲ分タス其罪ヲ論セス但不正ノ所爲ニ因 リテ自ラ暴行ヲ招キタル者ハ此限ニ在ラス」と規定して いた。また

315

条では「左ノ諸件ニ於テ已ムコトヲ得サ ルニ出テ人ヲ殺傷シタ者ハ其罪ヲ論セス」とし「一 財 産ニ對シ放火其他暴行ヲ爲ス者ヲ防止スルニ出タル時、

ニ 盗犯ヲ防止又ハ盗臟ヲ取還スルニ出タル時、三 夜 間故ナク人ノ住居シタル邸宅ニ入リ若クハ門戸牆壁ヲ踰 越損壊スル者ヲ防止スルニ出タル時」とも規定している。

現条文では「権利」として規定されており、その内実は 法益であるものが旧刑法では二つの条文に分かれている のである。

314

条について宮城博士は「凡そ社会は各人の身体生 命を保護せざるべからず。是れ社会の義務なるのみなら ず亦其権利なり。是故に社会の保護の現在なる時又は充 全なる時は各人身体生命の保護は之を社会に一任させざ るべからず。然れども社会の保護は固より万能なるを得 ず。時に或いは現在ならざる有り、時に或いは充全なら ざる有り。此場合に危害切迫、殺傷を行ひ一方の活路を 求むるに非ざれば自己の身体生命を保全するのみ途なき 時は其殺傷は実に已むべからざる行為なり。」6とされて いる。宮城博士の見解は、生命身体の保護を社会が全て 行うことが出来るのであれば社会が行うべきとしながら、

正当防衛の行為は社会が対応できない状況において、自 己の身体生命を守るうえで必要なときはやむを得ない行 為であると解しておられる。またこの見解では、正当防 衛が已むを得ないとされる根拠について「一歩進めて之 を云えば此場合に於ける防衛は各人の社会に対する義務 なりと謂うを得べし。已にその義務を尽し又は其権利を 行ひたるものなれば社会は之に対して其刑罰権を使用す るを得ざるや明なり。」7とされている。宮城博士は、社 会が身体生命を保護することは当然ではあるが、個人の 緊急状態における正当防衛は社会に対する義務であると まで主張しているのである。この見解では、正当防衛が 違法とされない根拠について、社会が対応できない急迫 不正の侵害を個人が排除することは、一般に個人の生 命・身体を守っている社会に対する義務でもあり、その 行為は社会が罰することはできないだろうとされている のであろう。

一方、現条文においては、「『権利』とは、法の保護す る利益すなわち法益をいう。法令上特に権利として認め られている必要はなく、また、刑法で保護されている利 益であることを要しない」8とされ、生命・身体に限った ものではない。そのため、生命・身体に傾斜した自己保 存という考えは現条文には妥当しないとされる団藤博士 の見解も批判として一理あるかのように思われる。しか し、旧刑法で正当防衛を規定している第

314

条は「殺傷 ニ関スル宥恕及ヒ不論罪」の章に置かれている。これが 生命・身体に関する条文であったことをみると、正当防

(3)

- 3 -

衛という行為については、もともと生命・身体に対する 危険に対して反撃を許すとする趣旨で規定されていたと 理解できる。そのため、正当防衛の、権利としての第一 義的な趣旨としては人間の生命・身体に対する侵害に対 するものであり、このように解するのであれば人間の本 能である自己保存を看過することはできないであろう。

1.法の確証説

緊急権説とは、実質的違法性阻却事由説に比べ、正当 化根拠がより緊急行為としての側面を強く出した見解で ある。前述の自己保存説も緊急権説の一つと考えられて いるが、「法の確証説」という見解もまたこの緊急権説の 一説であるとされている。

ここで、「法の確証」とは、「法秩序の侵害の予防また は回復を国家機関が行ういとまのない場合に、補充的に 私人にこれを許すものである。」9とされている。法秩序 は、元来国家機関による法の手続きによって維持される べきである。しかし、それが不可能な緊急状態のもとで は、その侵害に対する反撃を認めて法秩序の侵害の予防、

または回復という観点から法の自己保存を図り、法秩序 の存在を確証するものでなければ社会秩序は維持できな いという根拠から成り立つものである。自己保存説のよ うに「自己保存」という言葉を使っているが、法の確証 説における自己保存の主体は法秩序そのものであり、人 間の本能において自己保存を図る、という自己保存説に おける自己保存とは保存しようとする対象を異にしてい る。

また、この法の確証と自己保存とを結合させた結合説 も主張されている。大谷博士は「個人の利益ないし法秩 序は、元来国家機関による法定の手続きによって保護さ れるべきところ、それが不可能な緊急状態のもとでは、

その侵害を避ける義務を課さないで、むしろ反撃する権 利を認め、人間の自己保存の本能を保護するとともに、

法秩序の侵害の予防または回復という観点から法の自己 保全を図り、法秩序の存在を確証するために違法性を阻 却すると考えるべきであ」10ると主張しておられる。ま た、川端教授は「『正当防衛権は、基本的には、人間の自 己保存という考えで基礎づけられる』が、この『個人保 護の原則だけでは、現行の刑法の正当防衛権を十分に説 明することはできない』ので、『法秩序の保護の原則』が 援用されることになる。」11と説明される。つまり、現行 の正当防衛の条文が、「自己又は他人の利益を守るため」

としていることから、人間の自己保存という考え方だけ では、「他人」のための正当防衛についての正当化根拠を 説明することが難しいため、自己保存説のみでの正当化 は困難であるとされていると考えることができる。さら に、川端教授は、正当防衛の緊急権という側面と自然権 という側面を強調しておられる。すなわち、「正当防衛権 には『自然権』としての側面と『緊急権』としての側面

があり、その正当化もこれらの二つの面から考察しなけ ればならない。そこで、自然権の側面においては、個人 の自己保全の原理が正当化の働きをし、緊急権の側面に おいては、法の自己保全の原理が正当化の働きをするこ とになり、両者が同時に作用するわけである。」12という 見解を主張され、自己保存本能と法の確証の二つが正当 化根拠であると説明されているのである。

一方、このような「法の確証」という理論への批判と して、内藤教授は「なぜ法が自己保全しえたといえるの か、『法の自己保全』ということの実質的内容・理由は何 かが問題として残るように思われる」13とされる。また、

西田教授は、法規範の根底には国家刑罰権の代理行使と いう考え方があることを認められた上で、このような立 場に立つとすると「論理的な帰結として、規範の意味を 理解し得る者に対してしか法確証の利益はないというこ とになる。その帰結として、動物や自然災害等の人間以 外のものや責任無能力者に対しては、法の確証の利益が 欠如するため正当防衛ができないということになる。す なわち、責任無能力者への正当防衛や対物防衛ができな くなるのである」14とされ妥当ではないとされるのであ る。

しかし、この説が正当防衛の正当化根拠から考えると 妥当である。以下では、この説に対して向けられる批判 に順次答えていきたい。

まず、内藤教授の批判への反論として第一に法秩序の 意味を考える必要があると思われる。法秩序の回復、維 持が行われていないということは、社会生活と法が密着 していない状態である。しかし、実際の社会生活上、法 が存在していない、法というものが社会生活に取り込ま れていないという状態ではないことをみると、法秩序の 維持が行われているということがいえるであろう。その ため、法秩序に何らの変化が認めらないということから、

法秩序の維持、回復が常に行われており、この法秩序の 維持・回復している状態にこそ意味を求めるべきである と考える。ゆえに、法の自己保全については、法秩序が 崩れていない事実から確認すべきことであり、自己保全 の大小を確認しようとすることには無理があると言わざ るを得ない。

また、西田教授の批判に対して反論するのであれば、

正当防衛の趣旨から説明できるであろう。つまり、正当 防衛とは攻撃者が急迫不正な侵害をしている場合に、そ の反撃者の権利保全のために働くものであると考えられ る。この「不正」な侵害から「正」の反撃者を保全した ことで法の秩序は保たれるのである。急迫不正の侵害と はいえない侵害の場合にまで、正当防衛の権利を広げて しまうと、「不正」な侵害に対する「正」の反撃を認める という正当防衛の意義からずれてしまうであろう。した がって、動物や自然災害に対して正当防衛は認められな いのである。また、責任無能力者が法規範の意味を知ら

(4)

- 4 -

ない状態であるからといって、自然災害や動物と同様に

「不正」性がないとは言えないであろう。法規範という ものは、それ自体を知っているか否かというものではな く人間に内在する意識の問題であるから、それが表出し ない状態であるからといって直ちに法規範の意味を知ら ないと判断することは適当ではないのである。

ゆえに、法の自己保全については、法秩序が崩れてい ない事実から確認すべきことであり、自己保全の大小を 確認しようとすることには無理があると言わざるを得な い。そのため、実質的違法性阻却説の優越的利益に法の 確証を取り込もうとする学説は妥当であるとは言えない のである。

2.実質的違法性阻却事由説

(1)優越的利益説

他方、緊急状態という正当防衛の特殊性を重視せず、

正当防衛も違法性阻却事由の一種であると解する見解も ある。そのひとつが優越的利益説である。この見解の根 拠として、平野博士は、「個人が自らその権利の侵害に対 して闘うのは、権利であるだけなく義務でさえある、と いうのが個人主義の基本思想である。その結果、不正な 侵害者の法益は、正当な被害法益の防衛に必要な限度で は、その法益性が否定される。」15とされている。この見 解においては急迫不正の侵害をした行為者の法益が欠け るため、法益を衡量することもないとされる。平野博士 の見解については山中教授が「侵害者の利益が不正であ るがゆえに割り引かれることを前提として、守られた利 益と比較するのであれば、優越するかの判断は、割引額 に依存することになる。しかし、割引額の決定は、『不正』

の『評価』にかかるため法益を離れては計算が困難であ り、不可能であるといってもよい。」16とされ、さらに「こ の見解は、攻撃者を『不正』、防衛者を『正』としたうえ で、正は不正に優越するとしているに等しく、不当前提 のそしりを免れない。さらに、この見解は、優越的利益 の原則に無理やり引き込むことによって正当防衛をもそ の原理によって説明しようとするものであるが、それは 正当防衛の正当化根拠を説明するものではない。」17と批 判されているのである。このような批判も当を得ている と言い得る。

また、平野博士の見解と類似している見解として、内 藤教授の見解がある。内藤教授は「正当防衛は緊急避難 とともに緊急状況における法益衝突の一場面であるが、

ここでは、緊急避難とは異なって、個別的な法益保全の 利益

(

個人保全の利益

)

だけではなく、すでに述べた意味 の法確証の利益をも、保全法益の要保護性についての利 益衡量に加えることによって、保全法益の要保護性が、

侵害した法益の要保護性に優越するから違法性を阻却す ると理解するとき、『優越的利益の原理』の考え方を適用 しうるのである。」18とされている。この見解では、法の

確証という前述の要素を加味した上で、法益の利益衡量 をおこなうのである。緊急権説においては、この法確証 そのものを正当防衛の正当化根拠としているが、内藤教 授は、法の確証は利益衡量の要素であると解し、「法確証 の利益を保全法益の要保護性についての利益衡量の要素 に加えるならば、優越的利益(法益の優越的要保護性)は、

被攻撃者が自己または他人の法益(保全法益)を急迫違法 な侵害からまもるために攻撃者の法益(侵害法益)を侵害 することが必要であるときには、原則として被攻撃者の 保全法益に存在する。そこでは、侵害法益の保持者は急 迫違法な侵害をしているがゆえに侵害法益の要保護性は 減少し、それに対して保全法益の要保護性は個人保全の 利益とし法確証の利益によって優越することになるから、

正当防衛が違法性阻却事由として認められるのである。」

19と主張されるのである。

しかし、内藤教授の見解について、平川教授は「『法の 確証』という超個人的利益を『個人の保全』と並ぶ独立 の利益としてよいかは疑問である。衝突している利益は 攻撃者・被攻撃者の個人的利益のレベルでとらえ、『法の 確証』の要素はそれぞれの個人的利益の要保護性の評価 に影響する要素とみるべきではあるまいか。これを観念 的にとらえるのではなく、正当防衛において考慮すべき 社会的諸利益の総体として、その内容を現代社会に即し て具体的にとらえる必要があろう」20と批判される。ま た、法の確証の見解から法の確証は優越的利益として、

大小つけ難いものであるため、優越的利益説に法の確証 を取り込もうとする内藤教授の見解は妥当ではないので ある。

(2)社会相当性説

福田博士は「たしかに、正当防衛は、人間の保存本能 に根ざす、自然法的なものではあるが、今日、正当防衛 が違法性を阻却するものとされるのは、それが、歴史的 に形成された社会生活の秩序の枠内にある(いわゆる社 会的に相当なもの)とされるからにほかならない。」21 主張される。福田博士は、正当防衛については緊急事態 という側面ではなく、あくまで違法性阻却の一般原理の 枠内の行為であると考えておられるのである。したがっ て、正当防衛の正当化根拠について、社会的に許された 行為である、つまり社会相当性を持つ行為であるとされ ている。

また、大塚博士は法益の衡量について厳密には妥当し えないとされるが、「ただ、正当防衛行為も違法性阻却事 由である以上、社会的見地からは、侵害行為との間にお のずからの均衡・調和が要求されるべきであり、その意 味では、法益衡量ということも無意味ではない。」22とさ れている。つまり、大塚博士も一般的な違法阻却事由と 同様に正当防衛も解するべきとされ、社会的見地では法 益衡量も否定し得ないとされているのである。

(5)

- 5 -

一方、この見解に対しても批判は挙げられている。内 田教授は「およそ『社会的に相当』な行為であれば、そ もそも構成要件該当性を欠くであろうし、構成要件該当 行為が『社会的に相当』であるという理由で違法性阻却 されうるとしたら、それは『優越的利益』の保護・確保 のゆえに『相当』とされるものであることを看過しては ならないのである。」23とされている。

この見解も優越的利益説と同様に、正当防衛の趣旨で ある緊急状態の特殊性を判断する際に欠いているため妥 当であるとはいえないであろう。

これらより、総じて実質的違法性阻却事由については 妥当であるとはいえないであろう。正当防衛とは、急迫 不正な侵害を受けているという緊急状態においてのみ、

個人が侵害に対して反撃出来る違法ではないとされる行 為である。正当防衛がどんな状況においても可能である としたらそれは権利濫用であり、このような事態になる ことがないよう、現条文では正当防衛の要件を規定して いるのである。したがって、現条文は、正当防衛になり えるような特殊な状況下での反撃行為のみを違法性阻却 しうると解することが妥当であり、実質的違法性阻却事 由説のように違法性阻却の一般原理をそのまま正当防衛 に援用するという解釈は正当防衛本来の意図と合致しな いよう思われる。

3.小括

以上より、正当防衛の正当化根拠については、人間の 自己保存と法の確証を結合した学説が妥当であるといえ る。

法の確証説を正当化根拠と解するのは妥当であるが、

正当防衛における自己保存本能を無視することは出来ず、

法の確証説のみを正当化根拠と解するのは困難と言わざ るを得ない。同様に、自己保存説についても、この見解 のみでは他人のための正当防衛について正当化根拠とす ることは難しい。他人のための正当防衛は、急迫不正の 侵害が迫っていない状況において他人のため自ら危険な 状況へ身を置くことになるため、自己保存が働いている とは言えないからである。このように解するのであれば、

自己のための正当防衛は自己保存と法の確証、他人のた めの正当防衛は法の確証のみによって正当化されると考 えることになる。しかし、現条文では「自己又は他人」

と規定されているため、1つの条文であるにも関わらず 正当化根拠で差異が生じることになる。さらに、正当化 根拠における差異が、正当防衛の要件においても違いを もたらす可能性がある。そこで、以下では、正当防衛の 要件のうち正当化根拠に影響を大きく受けると思われる 相当性と防衛の意思について、正当化根拠という観点か ら検討していきたい。

Ⅲ.正当防衛の必要性・相当性

正当防衛の正当化根拠が自己保存説と法の確証が妥当 であるとしたことから、正当防衛の必要性・相当性の問 題についても、この正当化根拠から論ずる必要がある。

この相当性は、特に現条文の「やむを得ずした行為」の 解釈の問題であるとされる。この「やむを得ずにした行 為」内容については、正当防衛の必要性を意味している のか、それとも相当性を意味しているのか、もしくは必 要性と相当性どちらをも含むのかが問題とされている。

ここではまず、問題の検討に入る前に旧刑法からの沿 革においてどのような議論がされてきたのか概観する。

旧刑法から現在までの議論を辿ることで、「やむを得ずに した行為」の解釈がどのように議論されてきたか考察す るためである。

1.旧刑法における相当性の議論24

まず、明治

35

年の第

16

回貴族院会議録で正当防衛の 相当性の問題について触れられている。政府委員の石渡 敏一委員は「四六條ノ『已ムコトヲ得サル』ト云フノハ 着物一枚ヲ保護スル爲テアツテモ、ソレヲ保護スル爲ニ 必要ナ場合ニ先キノ物ヲ傷ケルトモ殺ストモ已ムコトヲ 得ナイト云フコトヲ言ツテ居ル」25と主張されている。

このときすでに必要性について議論されていたことが窺 える。

また、宮城博士は、旧刑法の条文から正当防衛の要件 として「第一、身体生命に攻撃を受くるを要す。第二、

攻撃の現在にして他に避くるの手段なきを要す。第三、

攻撃の不正なるを要す。第四、不正の所為により攻撃を 招きたるに非ざるを要す」26と挙げられる。第二の要件 については、「他に避くる手段あり、而して攻撃者を殺傷 するは是れ決して正当に身体又は生命を防衛したるに非 ず。換言すれば已むこと能はざるの必要よりして殺傷を 行ひたるに非ず。例へば、危害既に去りたるの後に殺傷 を行ふ如き是なり。此等は決して正当防衛とならざるな り。攻撃現在なるも他に之を避くる途ある時、たとえば 攻撃者を監禁することを得る場合に殺傷を行ふ時は正当 防衛とならざるなり。」27と主張される。この見解は現在 の補充性の原則と同様、急迫不正の侵害を受けていても、

攻撃する以外に他に方法があるにもかかわらず攻撃する 行為は正当防衛とはならない、と正当防衛を制限しよう と主張されていることが窺える。

次に刑法改正作業においてこの要件は、新たな広がり をみせることになった。正当防衛が第

36

条に規定され るも度重なる議論が進められていくのである。正当防衛 に関する刑法

36

条の規定は、大正

15

年の臨時議会決議 による「刑法改正の綱領」によって、緊急避難規定とと もに改正の対象として取り上げられた28。その法制審議 会刑法改正綱領第

23

項は「防衛行為、避難行為ニ付テ ハ其ノ要件タル行為ノ必要性ヲ行為ノ相当性トスル規定

(6)

- 6 -

を設クルコト」という方針を示した。「已ムコトヲ得サル ニ出テタル」の要件であった必要性の見解を「行為ノ相 当性」と規定すべきとしたのである29

この規定を評価したのは牧野博士である。牧野博士は、

前述の宮城博士の見解については正当防衛の権利性を強 調されるとしたうえで、実質的に補充の原則を要求する ことを批判されている30。そして、「防衛ヲ爲スニ必要ナ ル程度ヲ超エサルコトヲ要スルナリ。之ヲ又其ノ反面ヨ リ論スルトキハ、必要ナルニ於テハ常ニ正當防衛トシテ 許容セラルモノト解スヘキカ如シ。」31と主張されている。

その上で次のような疑問が生じるとされている。まず「法 益ノ保全ニ付他ノ方法ニ依ルコト、殊ニ逃避スルコトヲ 得ルニ拘ラス、其ノ方法ニ依ラスシテ防衛行爲ヲ爲スコ トハ、已ムヲ得サル行為ト謂フコトヲ妨ケサルカノ疑ア リ。蓋、正當防衛ハ權利ヲ防衛スルモノナルカ故ニ、特 ニ他ノ方法ニ依ルノ義務ヲ認ムヘキ場合ノ外、其ノ權利 ヲ其ノ状態ニ於テ防衛スルコトカ正當防衛ナリト解スヘ シ。然レトモ、容易ニ逃避シ得ルニ拘ラス逃避セスシテ 殺傷ヲ爲スカ如キハ、果シテ共同生活ニ於ケル秩序ヲ全 ウスルモノト謂フコトヲ得ヘキカ。故ニ、已ムヲ得サル 行爲トイフコトモ、公ノ秩序及善良ノ風俗トイフ一般的 原則ニ依リテ制限ヲ受ケサルヘカラサルヘシ。」32と述べ ておられる。ここで、正当防衛の「已ムヲ得サル行爲ナ ルコト」について逃避するだけではなく反撃することが 果たして法秩序が許すのかという批判をされ、「已ムヲ得 サル行為ナルコト」とは侵害に対する反撃が公序良俗に よって制限されるべきと主張されるのである33

次に牧野博士は、「苟モ必要ナルニ於テハ、輕微ナル權 利ヲ防衛スルカ爲、侵害者ノ重大ナル法益ニ對シテ反撃 ヲ加フルモ亦適法ナリト爲スヘキカ。權利ノ防衛上必要 ナル限リハ、特ニ法益輕重ノ權衝ヲ全ウセサルヘカラサ ルノ理ナシ。然レトモ、比較的輕微ニシテ且比較的容易 ニ回復シ得ヘキ法益ヲ保全セムトスル場合ノ如キニ於テ ハ、必要ナルノ故ニ出ツル場合ニ於テモ、侵害者ノ重大 ナル法益ヲ侵害スルハ、又共同生活ノ秩序ヲ全フスル所 以ニ非サルヘシ。故ニ此ノ場合ニ於テモ、已ムヲ得サル 行爲トイフコトハ、又、公の秩序及善良ノ風俗トイフ一 般的原則ニ依リテ調節セラルヘキナリ。」34と主張されて いる。川端教授は、この牧野博士の見解は「『必要』性は

『法益』の権衡を要求しないということが原則であると されているのである。いいかえると、正当防衛の要件と しては法益の権衝はみとめられていないことになる。牧 野説においては、法益の権衡は、正当防衛の外在的な制 約原理である『公ノ秩序善良ノ風俗トイフ一般的原則』

から必要とされているのである。」35と述べられる。防衛 行為の相当性については、旧刑法より議論されていたが、

ここで初めて法益の権衡について問題とされたのである

36

第三の疑問点として牧野博士は「已ムヲ得サル行爲ト

イフコトハ、單純ニ客觀的ニ論スヘカラス。正當防衛ニ 關スル規定ハ防衛行爲トシテ普通人ノ合理的ナル判斷ニ 出ツル行爲ヲ適法視セントスルモノニ外ナラサルヘシ。

故ニ、已ムヲ得サル行爲ナリヤ否ハ、社會的見解ニ従ヒ テ之ヲ論シ、一般人カ防衛行爲トシテ當然視スルモノナ リヤ否ニ依リ之ヲ考フヘキモノナル。」37と述べられる。

そして、これらを考慮して、「惟フニ、正當防衛ノ要件タ

ル必要性

Erfordernis

ハ、行爲ノ違法性ニ關スル原則ニ

依リテ理解スヘキモノナルヘシ。其ノ規定ノ形式ニ於テ 簡明ナルモノアリト雖、其ノ運用ニ至リテハ、社會ノ通 念ニ依リ、自ラ按排セラレサルヘカラサルモノアルナリ。

サ レ ハ 、 觀 念 ト シ テ ハ 、 必 要 性 ニ 代 フ ル ニ 相 當 性

Angemessenheit

ヲ以テスルコトヲ得ヘシ。即チ、正當

防衛ハ事情ニ依リ相當ナル行爲ト認メラルル場合ニ於テ 罪ト爲ラサルモノト解スヘキナリ。故ニ、場合ニ依リテ ハ、一方、必要性ヲ超ユル場合ニ於テモ正當防衛トシテ 許サルルコトアルヘシ。」38と主張されているのである。

ここにおいて、牧野博士が、正当防衛においては、公序 良俗という一般的原則から評価される相当性も要件のひ とつとして考えておられるとわかるのである。また、小 野博士も「法制審議會刑法改正綱領第二十三に『防衛行 為、避難行為に付ては其要件たる行為の必要性を行為の 相当性とする規定を設くること』とある。現行法の解釈 としても同様に考へなければならぬ。」39とされ、改正綱

23

項について評価されているようである。

改正綱領

23

項については、牧野博士のように相当性 だけを設ける見解と違った見解も現れている。泉二博士 は「侵害ヲ受ケタル者ハ逃避シ得ルト官廳ノ保護ヲ求ム ルコトヲ得ルト將タ又侵害ヲ豫見シタルト否トニ關係ナ ク唯防衛ノ爲メニスル加害行為カ現在不正ノ侵害ヲ排斥 スルニ必要ナル程度内ニ於テ行ハルルトキハ之ヲ以テ已 ムヲ得サルニ出テタル行爲ト爲スコトヲ得ルモノ」40 され、これが通説であると主張されている。牧野博士の 主張される相当性だけで防衛行為を判断するのではなく、

泉二博士は必要性も含めて判断すべきであるとされてい る。さらに、「緊急防衛ニ於テハ防衛行爲ヨリ生シルタル 害カ侵害行爲ヨリ生ス可カリシ害ノ程度ヲ超エサルコト ヲ要件ト爲サルルモノトス是レ第三十七條ト趣ヲ異ニス ル点ナリ」とされ、

37

条の緊急避難との対比から述べら れているのである。このように改正綱領

23

項における

「行為の相当性」は、従前の正当防衛では捉えられなか った防衛行為の相当性を全面に押し出すものであり、こ れ以降防衛行為の相当性が刑法改正においてしばしば問 題とされるのである。

2.改正草案から今日までの相当性に関する議論 昭和

2

年の刑法改正予備草案は、改正綱領

23

項にも とづいて正当防衛に関し、「第

18

条 生命・身体、名誉、

財産其ノ他ノ権利ニ対スル急迫不正ノ侵害ヲ排除シテ自

(7)

- 7 -

己又ハ他人ヲ防衛スルノ目的ニ出テタル行為ハ罪ト為ラ ス」「第

21

条 第

18

条、第

19

条第

1

項及前条ノ規定ハ 行為カ其ノ際ニ於ケル情況ニ照シ相当ナリト認メラルル 場合ニ非サレハ、之ヲ適用セス程度ヲ超エタル行為ハ情 況ニ因リ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得」と規定し た。この規定と現行法との差異は「(1)現行法における『已 ムコトヲ得サル出テタル』の要件を削除し、それに代え て、相当性の要件を二一条に規定した。まさしく改正綱 領二三項の指針にしたがったものであり、現行法に対す るもっとも注目すべき差異である。(2)現行法では、主観 の防衛の意思を必要とするかどうかについて解釈の余地 が残されているが、予備草案では、『防衛スルノ目的ニ出 テタル行為』と指定することによって、防衛の目的を必 要とすることが法文に明示された。」41など挙げられてい る。内藤教授は「予備草案における正当防衛規定の特色 の第一は、『相当性』をその要件として明記した点にあっ たが、そのばあい、予備草案は、改正刑法仮案とも異な って、一八条では、『相当性』の要件も、また、現行法に おける『已ムコトヲ得サルニ出テタル』の要件をも規定 することなく、一応ひろく正当防衛の成立をみとめ、二 一条で、『相当性』がみとめられないときは一八条の正当 防衛規定は適用されない立法形式をとった。」42と評価さ れている。

昭和

6

年に総則編を発表した改正刑法仮案は、この第

18

条と第

21

条を統一し、内容にも修正を加えている。

仮案における正当防衛の条文は、「第

18

条①急迫不正ノ 侵害ニ対シ自己又ハ他人ノ利益ヲ防衛スルニ出テタル行 為は其ノ際ニ於ケル情況ニ照シ相当ナルトキハ罪ト為ラ ス②防衛行為カ程度ヲ超エタル場合ニ於テハ情状ニ因リ 其ノ刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得③前項ノ場合ニ於テ 其ノ行為カ恐怖、驚愕、興奮又ハ狼狽ニ出テ宥恕スヘキ トキハ之ヲ罰セス」と規定されている。特に1項に「其 ノ際ニ於ケル情況ニ照シ相当ナルトキ」と明文化したこ とにより、「已ムコトヲ得サルニ出テタル」という文言か ら解釈において相当性の意味を読み取る必要はなくなっ ている。

昭和

47

年から始まった法制審議会の改正刑法草案に おいても相当性・必要性の検討が行われている。そこで は、「審議の過程では、本項の『やむを得ないでした』と いう要件が、防衛行為の必要性を指すのか相当性を指す のか明らかではないとする指摘」43がされているのであ る。その法制審議会では「『やむを得ない』という表現は、

単に防衛行為の必要性だけでなく、それが相当なもので あることを要する趣旨に解することが可能であること、

仮案のように相当性だけを要件とすると、正当防衛の成 立範囲が不当に広がるおそれがあること、現在でも、判 例は正当防衛の要件をかなり厳格に解しており、必要性 と相当性とを別個の要件として規定することによってそ の成立範囲をさらに限定する必要はないことが指摘され、

現行法どおり『やむを得ない』という表現を用いること とされた。」44としている。しかし、平野博士は「改正刑 法草案は、逆に緊急避難について『他に避ける方法がな い』という要件を明文で規定した

(

一五条一項

)

。しかし、

『やむをえない』という語のほかに、この語を加えるの は、あまりに緊急避難を制限することになるおそれはな いだろうか。正当防衛と緊急避難とのちがいを明らかに するのが狙いだというのであれば、むしろ正当防衛の『や むをえない』という語を、いま少し緩かな語にかえる方 法をとるべきであろう。」45と述べられ、「やむを得ずに した行為」という文言について疑問視されている。

このように、正当防衛の相当性については、旧刑法か ら議論が進められている問題である。旧刑法の相当性の 議論と現在での議論において、問題とされている点はほ ぼ相違ないが、現在ではより実質的な問題として相当性 の内容を追求されているようになっている。

3.現在の学説

現在では、まず正当防衛の必要性・相当性を論ずる前 提として、緊急避難との対比がなされている。緊急避難 も正当防衛と同様、「やむを得ずにした行為」という文言 が使われているが、必ずしも厳格に他の方法がない場合 である必要はない46とされる。平野博士は「やむを得ず にした行為」の意義について「防衛行為はとっさの場合 に行われることであるから、事後に冷静に考えれば、も っといい方法があったといえる場合も多い。したがって、

この点を厳格に解すると、正当防衛はほとんど認められ なくなってしまう。」47と主張されている。この考え方を 徹底するのであれば、いわゆる必要性のみが正当防衛に おいて要求されることにはならないであろう。前述の改 正刑法仮案のように「相当性」という文言を含む条文が 規定され、正当防衛の要件として相当性が要求されてい ることが明白である必要があるのである。そこで、正当 防衛だからといって防衛に必要な程度であればどんな行 為も許されるともいえないとなるのであるから、現行法

36

2

項に過剰防衛が規定されていることからみれ ば、正当防衛行為は条文の文言から一定の制限があるは ずである。

しかし、「やむを得ずにした」とは素直に解釈するので あれば、他に方法がなくその行為でしか侵害に対抗でき ない行為をいうものと考えることが出来る。であるから、

「やむを得ずした行為」ということが必要性を指すもの であるとする沿革における見解も妥当であるように思わ れる。そこで、現行法の条文のいう「やむを得ずにした 行為」というのは相当性を含むのか否か検討されなけれ ばならないのである。

(1)「『やむを得ずにした行為』とは必要性を意味する」

とする学説

(8)

- 8 -

正当防衛の「やむを得ずにした行為」について、山中 教授は必要性のみを意味すると解されているが、これに は次のような根拠があるとされる。山中教授は、まず相 当性の内容について「従来、『相当性』要件によって正当 防衛が制限されてきたのは、主として、『保全法益と侵害 法益のゆるやかな均衡』を欠く場合であった。しかし、

それ以外にも、挑発防衛の事例や責任のない攻撃の事例 でも、防衛行為が制限される場合がありうる。これを『相 当性』の要件ですべて説明するには『相当性』の要件は あまりにも無内容であり、不明確である」48としておら れる。さらに、正当化事由の一般的根拠である利益衡量 説の立場から相当性を要求する学説に対し、「目的説や社 会相当説を採らず、利益衡量説に立つ学説が、どのよう な根拠から『相当性』の要件を用いるのか、その根拠が 示されていない」49として批判される。さらに、現行法 が施行される旧刑法の時代には、相当性の観念は存在せ ず補充の原則がそのまま正当防衛にもあてはまる見解が 主流であったことも、その根拠に加えられている50。前 述のように、旧刑法においては「四六條ノ『已ムコトヲ 得サル』ト云フノハ着物一枚ヲ保護スル爲テアツテモ、

ソレヲ保護スル爲ニ必要ナ場合ニ先キノ物ヲ傷ケルトモ 殺ストモ已ムコトヲ得ナイト云フコトヲ言ツテ居ル、」51 という発言からも、必要性のみ意味するものであったこ とが窺える。「刑法改正ノ綱領」において「相當性」が用 いられたことについても牧野博士の「『公序良俗の一般原 理』、すなわち、いわば『超法規的原理』として認められ てきたのであ」52るとされる。

また、山中教授は正当防衛の相当性の根拠を「正当防 衛の内在的制限」に求められるべきであるとされている が、この正当防衛の内在的制限とは、「正当防衛の正当化 根拠に内在する『個人保全』や『法確証』の原理から説 明されるべきである」53と主張されている。つまり、山 中教授は正当防衛の相当性を「やむを得ずにした行為」

の規定から意味を求めるのではなく、正当防衛の「個人 保全」や「法の確証」といった潜在的にある制限根拠か ら求めるべきとされるのであり、「やむを得ずにした行 為」については「必要性」のみを意味すると主張される のである。

同様に、「やむを得ずにした行為」は必要性のみを意味 する、とされる見解は山口教授も主張されている。まず、

山口教授は正当防衛の重要な意義を回避・退避義務がな いということを基礎にしておられる。したがって正当防 衛においては被侵害者は急迫不正の侵害に対して退避せ ず、対抗することにより、その排除を行うことが許され 54、という前提を置かれている。その防衛行為にも「侵 害排除のために必要不可欠な対向行為(すなわち、侵害を 回避・退避することなく、防衛するために必要最小限度 の法益侵害行為)であれば、いかなる法益侵害行為であっ ても許されるというのが基本的な考え方になる。それで

なければ、法益侵害を回避するためには退避することが 要求されることになってしまい、まさに『正は不正に譲 歩する必要がない』という考え方に反する事態を容認す ることになり、妥当ではないからである」55と述べられ るのである。このような考え方から、山口教授は侵害排 除の必要性の判断には、侵害の強度、被侵害者の体力な どの身体的条件や利用可能な侵害排除の手段、その具体 的な使用方法も考慮されるべきとしている56

また、山口教授は「著しい害の均衡の逸脱」の場合、

他説と異なった見解を採られている。これは、りんご一 個を泥棒から防衛するために、その泥棒を射殺すること が唯一の手段であったという事例である。この事例につ いて、「やむを得ずにした行為」に相当性も含むとする見 解から、「相当性」の要件を逸脱しているために、過剰防 衛とすることが通説であるとされる。しかし、山口教授 は「このような結果の重大性の判断を防衛行為の相当性 に取り込むことは、学説におけるその概念、判断基準の 不明瞭性に一段と拍車をかけることにな」57ると批判さ れている。山口教授はこのような事例の場合、「『著しい 害の均衡の逸脱』の場合に、過剰防衛の成立を肯定する ことは、不明確・不明瞭な根拠・基準で正当防衛の限界 を画することを認めることになるため、結局『害の均衡 の逸脱』の場合に広く過剰防衛とすることになりかね」58 ないとされる。この著しい均衡の逸脱の場合には、「軽微 な法益を擁護するために著しく均衡を失する法益侵害行 為を行うことが必要である場合には、正当防衛による対 抗は許されず、事後的な民事上の救済にゆだねられるべ きとする見地から、防衛行為ではないとして正当防衛を 否定するべきだと考える。」59と主張されているのである。

しかし、このように解する見解は妥当ではない。以下、

順次批判を展開していきた。

まず、「著しい害の均衡の逸脱」の場合に、正当防衛は もとより過剰防衛すら認められないとする山口教授の見 解に対して、西田教授は「36

2

項の刑の減免はあくま で任意的なものであるから、裁判官の裁量によって刑を 減免しない対応も可能」60であると主張され、過剰防衛 の余地も認めるべきであると批判される。この批判は妥 当であると思われる。また、山中教授、山口教授も相当 性の内容について無内容・不明確であると批判されるが、

後述するが、相当性の判断基準から無内容・不明確であ るとする批判はあたらないのである。さらに、どちらの 見解にも批判できることであるが、正当防衛の本質は、

国家や社会が守るべき法益に対する急迫不正の侵害から 国家や社会が守る暇がない場合に、例外的に反撃行為を 個人に認められる権利行使である。そのため、相当性の 前提となるべきものは国家や社会の法秩序もしくは自己 保全から導かれるものであって法秩序や自己保全という 考え方が正当防衛の正当化根拠から無くならない限り、

不明瞭であるとはいえないのである。

参照

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 これに対して、共同正犯の場合にも関与者間で違法性が連帯することを

6

19  Hearings before the Committee on Foreign Relations, Unites States Senate, Seventy-Seventh Congress, First Session

し、…激しく挑発する行動に出たことから、これに我慢し切れなくなった被害

(意思決定), Act (行動)の頭文字を取ったもので,これら

382) van Rienen, a. さらに,van

Roxin, a.a.O.(Anm.74), Einschränkungen; ders., a.a.O.(Anm.74), Notwehr und Rechtsbe- währung, S.400.. 88)

撃の現在性」を検討する際に重要となる視点に関連して,ビンディングは,一