コ ミックの物語論構築
―『 ポール・ オースターのガラスの街』 に関す る考察 ―
「 いいですか、私 は 目下、新 しい言語 を発 明 して い る最 中なのです。」1 (ポール・ オースター『 ガ ラスの街』 よ り
)
大 河 内 朋 子
要 旨 :コ ミックという芸術形式 においては、視覚的次元でのディスコースが文字テキス トを補 強す る形で加わることによ り、語 りの重層 (重奏)性が生み出され る。『 ポール・ オースターの ガラスの街』(1994年)においては、視覚的モティーフと視覚的メタファーが巧みに利用 されて、
独特な視覚的空間的ディスコースが生 まれ、文字テキス トの直線的な語 りには隠 された もう一つ の意味構造を付け加えている。
例えば、格子のモティーフや「叫び」のモティーフは、作品中で繰 り返 し使用 されることによっ て、それが出現す る (離れた場所にある)コマとコマの間に、意味上の指示参照関係を成立 させ る。読者 はそれ らのコマを相互 に想起することで、登場人物たちの心理状態や運命など、文字テ キス トには明示 されていない意味内容を読み解 くことができる。
迷路 (指紋)のメタファー も同様に、主人公が迷い込んだ事件の迷路や意識の迷宮を象徴的に 表 し、物語 に豊かな意味の合みをもた らしている。
文字テキス トは線状的に連続 していて統語論的な論理に従 うが、視覚的テキス トは、異なるペー ジ上のコマとコマの間にも意味論的な関係を作 り上げることができる。 こうした超線状性 こそが、
言葉 という手段 には到達不可能な新たな語 りの次元であ り、 コ ミックという複合 メディアの読者 に要求 される読みの リテラシーで もある。
1
コ ミックとい う芸術形式 においては、文字 テキス トと図像 の関係が「語 り」 の構造上重要な 意味を持つ。文字 テキス トと図像 は二つの異 なる「 ことば」 として、多様 な仕方 で絡 み合 って、
一つ の物語 を織 り上 げる。
文字 テキス トと図像 の協働関係 の複雑 さは、研究史上 におけるコ ミックの評価 が極 めて多様 な ことによ って も傍証 され る。従来 それ はコ ミックとい う複合的 メデ ィアの もつ潜在的な可能 性 と してではな く、 む しろ欠 陥 と して捉え られて きた。 その原 因の一つ は、 コ ミックをよ り良 く理解す るのが大人 ではな く、子 どもや青少年 であるとい う点 にあ るのか もしれない。青少年 がある種 の複雑性 の理解 において大人 よ りも優れているか もしれない ことを仮定す る代わ りに、
大人 に理解 しがたい複雑 な メデ ィアの方 に問題点を嗅 ぎつ けよ うと した。
文学 や絵画 の よ うな「真正 な」芸術 ジャンル との対比 において、 コ ミックの雑種性 や低俗性 が指摘 され ることもあ った。単一 メデ ィアによる芸術 ジャンルのみを真 の芸術 と して認 める立 場 は、
ドイ ツにおいて は レッシ ング Gotth01d Ephraim Lcssing(1729‑1781)の 芸術論 にまで 人文論叢 (二重大学)第28号
20H
に向 けて
(そ
の2)
‑21‑
さかのぼ ることがで きる。
周知 の とお り、 レッシングは『 ラオ コー ンあるいは絵画 と文学の境界 につ いて』Lαοたθθπ οルγ クレγノj̀Gγ
̀η
z̀η
ルγ Mαル%づ πηごPo J̀(1766)に お いて、造形芸術 と文学 の間 に明確 な境界線 を 引いて い る。両 ジャンルの原理 的区別 に関す る レッシングの論点 は次 のようにな る。「 絵画 は、 ただ空 間 においてのみ結 びつ ける ことので きる記号、 ない しは模倣 の手段 を用 い るので あ るか ら、 時間を描 くことは全 く断念 しな けれ ばな らない。(略
)し
たが って絵画 は、並存す る行為、 あるいは、 その配置やポーズによ って行為 を推測 させ るような単 な る物 の姿 を 描 くことで満足 しな けれ ばな らない。 これ に反 して文学 は」2時間 にお ける分節音 を用 い るの であ るか ら、継起す る対象 しか表現できず、 したが って行為 こそが文学本来 の表現対象である。
絵画 と文学が用 いる表現手段 の根本的相違、 と りわけ時間的性質の有無 を論拠 と して、両 ジャ ンル の表現対象が演繹 的 に導 き出されている。裁然 と区別 された空間的記号 と時間的記号 か ら は、 それぞれ に対応す る純粋 な芸術 ジャンルが発生 し、二つの芸術 ジャンルの間 にはま った く 接点 がないかのよ うにみえ る。
しか し、 レッシングは両 ジャンルの相互 に浸透 しあ う境界領域 を認 めていて、次 のよ うに述 べて いる。
「 しか しあ らゆ る物体 は、単 に空 間の中にのみ存在す るのではな くて、 また時間の中に も存 在す る。物体 は持続す る。 そ して、 その持続 の あ らゆ る瞬間 において ちが った姿 をあ らわ した り、 ちが った結 びつ きを見せた りす ることがで きる。 こうした瞬間的な姿や結 びつ きの一 つ一 つ は、先行す る行為 の結果であ り、後続す る行為 の原因 となることができる。 したが って、 い わばあ る一つ の行為 の中心 とな ることがで きる。(略)絵画 は、 その共存的な構 図 において は、
行為 のただ一つの瞬間 しか利用す ることがで きな い。 したが って、先行す る もの と後続 す る も の とが最 も明白 とな るところの、最 も合蓄 あ る瞬間を選 ばな くてはな らない。」
3
絵画 は、物体 を とお して間接的 にではあ るが、 時間的 に継起す る行為 の一 瞬間を描 くことが で きる。 したが って レッシングは、一連 の行為 の異 な る瞬間を複数枚 の絵画 に託 して、絵画 を 並 べ ることで物語 ることの可能性、言 い換 えれば、一連 の行為が複数枚 の絵画 によ って描写 さ れ る可能性 を想定 していたのではないか と思 われ る。
4
レ ッシ ング よ リー 世 代 若 く、 近 代 的 な コ ミックの祖 と され る こ との あ るテ プ フ ェー ル Rudolphe Tёpffer(1779‑1846)も『 観相学試論』Essαづル タ妙
s,ogη
θπθπj̀(1845)の 中で、絵 による物語 の可能性 につ いて述べている。
「 章 や行、 ことばで物語 を書 くことは可能 であ り、 それは本来 の意味での文学 と呼ばれ る。絵 画 的 に描写 された一連 の場面で物語 を書 くことは可能であ り、それは絵画 的な文学である。」5
テ プフ ェールが言葉 と絵画 の原理 的相違 に、 レッシングのようにどこまで意識 的であ ったか はは っき りしないが、 レッシング同様 にテ プフェール も、複数枚 の絵画 を並べ ることでス トー
リーが生 まれ る可能性 を指摘 している。
コ ミックは、 レッシングやテプフェールの想定 した絵物語 とは異な り、文字 テキス トと絵 と い う異 な る手段 を相互協力 的 に用 いて物語 る「 ハ イ ブ リッ ドで不純 なメデ ィア」6でぁ る。 複
合 的な表現媒体 を利用す ることで、 コ ミックで は言語 的な レベルで表現す ることがで き るだ け で はな く、絵画的な レベルで図示 し具象化す ることもで きる。絵 と文字 テキス トは相互補完 的 な関係 に入 り、その最良のケースにおいて「 テキス トは図像が示す ことのできない ことを述べ、
またその逆 もしか り」7とな る。 コ ミックにおいて は、読者 の眼前 に思 い浮 かべ させ るべ き こ
‑22‑一
大河内朋子 コミックの物語論構築に向けて(その2)一『ポール・オースターのガラスの街』に関する考察 ― とが らをかな らず しも言語 的 に表 出す る必要がない。言語的な表現 を断念 して、代 わ りに絵画 的 に提示す ることもできる。両者 は物語 の相異 な る局面 を協働 して明 らか にで きることを強調 してお きたい。 したが って コ ミックの物語論 を構築す るためには、文字 テキス トと絵 とい う二 つの表現手段が コ ミックにおいて どのように協働 しつつ統一的な物語構造 を織 り上 げているの か、両者 が どの よ うに統合 されてい るのか、 を分析す ることになる。
文字 テキス トと絵 の物語論 的な関係 はさまざまな単位 において分析す ることが可能 である。
その最小 の単位 は一 コマであ り、最大 の単位 は作品全体である。例 えば、 マ ックラウ ドは一 コ マの中での文字 テキス トと絵 の関係 を取 り上 げて、次 の7種類 に区分 け してい る。
8
1
文字 テキス ト偏重2
絵偏重3
バ イ リンガル4
加算的5
並列 的6
モ ンター ジュ7
協 同的この7種類 の うち、「並列 的」 と呼 ばれ る関係 においては文字 テキス トに物語 のス トー リー 展開が委ね られているので、絵画面 には比較 的大 きな 自由裁量 の余地が与え られていて、 コ ミッ ク作家 はさまざまな視覚的な工夫 を行 うことができる。読者が理解 できる形式 で効果的に物語 るとい うだけの段階を越 えて、 自らが創意工夫 した視覚的な仕組みに対 して読者 の注意 を引き つ けることが可能 にな る。作品の中に潜 む こうした図像的な工夫 を突破 口にすれば、複合的な 情報伝達経路 を持つ ことのメ リッ トが明 らかになるであろうし、 コ ミックの語 り方 (ディス コー ス
)の
特性 に少 しで も近づ くことがで きるだろ う。以下 において は、視覚的な工夫 が随所 に見 られ る作品の一つ、 カラジクとマツチ ェ リによる
『 ポール・ オ ースターのガ ラスの街』 λzJ Иπ
sι
ιγむα夕o/GJαSS(1994)9の分析 を とお して、視 覚的次元 でのデ ィスコースが加 わ ることで生 まれ る語 りの重層 (重奏)性
につ いて考察 したい。コ ミックとい うジャンルは、文学 とは別 の「新 しい言語」 を操 る物語 ジャンルである。『 ポー ル・ オ ースターのガラスの街』 は、視覚的な語 りの可能性 を追求す ることで、 コ ミック史 を更 新す る意欲 に満 ちている。
2
『 ポール・ オ ースターのガ ラスの街』 は、 オースター Paul Auster(1947… )『 ガ ラスの街』
αり0/GJαSS(1985)の 翻案 である。
原作『 ガ ラスの街』 は、オースターによるニ ュー ヨー クニ部作 の一つであ り、人 間のアイデ ンテ ィテ ィの不安定 さをテーマに したポス トモダ ンな作品である。 それ と同時 に人間の言語や 言語 的象徴 につ いて も考察 していて、 シニ フィエ とシニ フィア ンの不一致 とい う言語論 的な問 題 も取 り込 んでいる。言語 の問題 は、人 間のアイデ ンテ ィテ ィの不安定 さとい う問題 を補強す るため に用 い られている。物語技法上 の特徴 と しては、外枠 の物語 と枠 内の物語 とい う二つの 物語 レベル を持つ枠小説 と して構成 されていることを挙 げることができる。
作 品の梗概 は次 の とお りであ る。 ミステ リー作家 ダニエル・ クイ ンは、 ポール・ オースター とい う名 の私立探偵 に助 けを求 め る奇妙 な電話 に悩 まされ る。 クイ ンは電話 の主 ピーター・ ス テ ィルマ ンのためにオースターの仮面 をかぶ って働 くことにす る。 ステ ィルマ ンは幼少年期 に 同名 の父親 によ って虐待 されて、言語 的 に も肉体 的 に も後遺障害が残 っていた。す なわ ち、父 ピー ター 0ス テ ィルマ ンは、息子が人類 の堕落以前 の「原初の、無垢の言語」Ю(エデ ンの園の 言語
)を
再発見す るか どうかを知 るために、息子 を9年間 自宅 アパ ー トの一室 に幽閉 し、息子一‑23‑一
と一言 も言葉 を交 わ さなか ったのである。 自宅火災 をきっか けに事態 は暴露 され、父 は逮捕 さ れて、精神異常 と判断 され、病院 に収容 された。 その間、息子 は言語療法 を受 けたが、完全 に 回復す ることはで きなか った。
息子 とその妻 は、退院 した父が息子 に危害 を加 え に来 ることを恐れていた。息子 を守 るため に、 クイ ンは父 ステ ィルマ ンを尾行 したが、 その行動 は謎 めいていた。父親 はニ ュー ヨー クの 街路 をゆ ら くり歩 きなが ら、「 バベル の塔」TOWER OF BABELと い う文字 をなぞ って い る ことがわか った。「 バベルの塔」 とは、父 ステ ィルマ ンの言語 に関す る博士論文 の中で、人類 が原初 の無垢 な言語 を完全 に失 う契機 であ ると主張 されていた。 クイ ンは、父 ステ ィルマ ンの 行方 を予期せず見失 った後、息子 の住 むアパ ー トを見張 り始 め るが、次第 に妄執 に絡 め取 られ て、現実 との関わ りを失 ってゆ く。
小説 の最後 で、 この物語 は クイ ンによ って ノー トブ ックに記録 された メモに基づ いて再構成 された ことが、編纂者 であ る「私」 によ うて明 らか にされ る。息子 ピーター・ ステ ィルマ ンと その妻、 な らびに作家 クイ ンのその後 につ いては謎 のまま、小説 は終わ る。
原作 は13章か ら構成 されている。 コ ミック翻案 の『 ポール・ オニスタニのガラスの街』 は 章分 けされて いないが、原作 の基本 的構成 を忠実 になぞ り、各章 ごとのペー ジ数 が原作 での各 章 の割合 におお よそ基づ いて配分 されて い る。
H原
作 のテキス トは翻案 において、省 略 され る か、 それ とも絵画 的に置 き換 え られ るか、 あるいは原文か らそのまま取 り上 げ られ るか、 その いずれか にな って いる。『 ポール・ オースターのガラスの街』 の場合、取 り上 げ られた原文 テ キス トの多 くは修正 を加 え られていない。 それ らは長方形枠 の中でナ レー シ ョンと してそのま ま使用 されているか、 あるいは、 吹 き出 しの中で登場人物 のせ り遮ゝ(対話 のせ り遮ゝ、独 自、 ま た は内的な独 自)と してその まま再録 されて いる。"そこに文字 テキス トを補強す る形 で、絵 画 的な独 自なデ ィ・ス コースによるテキス トが加 え られ る。
『 ポール・ オースターのガ ラスの街』 において視覚的な面 で特徴 的な語 り方 と して、視覚 的 モテ ィー フと視覚的 メタフ ァーの利用 を指摘 したい。B
視覚的モテ ィーフ
『 ポール・ オー スターのガ ラスの街』 で は、1ペー ジに9コマ (横3コマ ×縦3コマ
)を
配 置す るとい う基本的なペー ジ レイアウ トが採用 されている。 ところで この格子状 のデザ イ ンは、ライ トモテ ィー フのよ うに作品中で何度か繰 り返 し現 れて くる。И
た とえば、息子 のステ ィルマ ンと会 った 日の夜、 クイ ンは赤 いノー トブ ックに 日記 をつ ける ために自室で机 に向か って座 っている。机 は格子状 の窓枠 のある窓 に向か って置かれて い るこ とが示 されて いる。次ペニ ジである見 開 き右 ペー ジで読者 はその窓の外側か ら、 日記 を書 いて い るクイ ンの姿 を眺 め ることにな る。(図 1)窓枠 はペー ジ全体 を覆 って いて、 あたか もクイ ンが独房の扉 の向 こう側 にいるかの よ うな趣 を呈 している。 なぜ クイ ンが独房 に入 って い るか の よ うだ と解釈 で きるのか と言 うと、 それ は この格子状 のデザイ ンが15ペー ジ前 の見 開 き左 ペー ジで独房の扉 として使われていたか らであ り、そのペー ジと左右相対 して呼応す ることで、
クイ ンの部屋 の窓枠 も独房 を連想 させ るか らであ る。
15ペー ジ遡 ってみ る。 クイ ンは息子 ステ ィルマ ンを訪 問 し、息子 は上方的に語 り始 める。
彼 のモ ノロー グには9ペー ジが割 り当て られているが、最後の1ペー ジを除 いて他 の8ペー ジ はすべて規則正 しい9コマ割 (格子 のモテ ィー フ
)で
デザイ ンされたペー ジにな って いる。独一‑24‑一
大河内朋子
コミックの物語論構築に向けて(その2)―『ポール・オースターのガラスの街』に関する考察 ―
図1 動zJ∠
z∫
ιι宵'αタグααSS,S.37◆ 図2
λzJ Иzsι
ιポ α夕o/ααSS,S・ 22.房 の扉 はその8ペー ジロに描 かれてい る。 しか もここではコマ とコマの間にある空 自の溝の空 間が反転 して、突如 として三次元 的な立体性 を持 って立 ち現 れ、ペー ジ全体 が独房 の扉へ と劇 的な変化 を遂 げてい る。(図2)
この独房 の扉 は、 かつて息子 ステ ィルマ ンが父 によ り監禁 されていた部屋 を連想 させ る。D 父 の残酷 な仕打 ちによる トラウマを抱 え る息子 に とって、独房の扉 は過去 の遺物 で はな く、今
も息子 を苦 しめている。他方 クイ ンの方 もステ ィルマ ン父子の事件 に直面 して、混乱 しなが ら も心理 的 に事件 に絡 め取 られてい く。 クイ ンもステ ィルマ ン 0ジ ュニア も共 に心理 的 に囚われ の身 にあ ることを、幾何学的な格子状 モテ ィー フの反復 (押韻
)は
象徴 的 に示 してい るのであ る。 オースターの原文 に、 この二つ の箇所 の対応 関係 を明示す る記述 はない。ところで規則正 しい9コマ割 りのペー ジ レイアウ トは、作品の終末 に近づ くと崩 れ始 める。
ペー ジあた りの コマ数 は減少 し、 コマ とコマの間の溝 の幅は不均等 にな り、つ いにコマはば ら ば らにな った ノー トのペー ジのよ うに重 な り合 い、真 っ黒 なペー ジの虚空 の中を舞 い落 ちてい く。 格子状 モテ ィー フの変種 と言 え るこのペー ジ レイアウ トが持つ象徴 的な意 味合 いは、 ク イ ンが メ トロノームのように正確 な リズム も、厳格 で規則正 しい秩序 も見失 い、 肉体 的 に も心 理的 に も崩壊 した とい うことであろ う。
幾何学 的な格子 のモテ ィー フは反復 され ることで、造形的な韻 を踏 み、押韻 された箇所 を相 互 に結 びつ ける。口 こうして成 り立つ照応関係 は、原作 にもコ ミックの文字 テキス トに も示 さ れて いない。 図像 による語 りが独 自に追加 した ものである。
次 に、 もう一つ の視覚的モテ ィー フと して「 叫 び」 を例示す る。 クイ ンは駅 の ホームで父 ス テ ィルマ ンの到着 を待 っている。列車 が入 って きた とき、窓 ガラスに次 々と映 し出され るクイ
‑25‑
図 3 λ γJ∠ γsι
̀富
'αり げ α α
SS,S・
50(Pane1 4).図 4動 γJ
Иasι
̀宵
'αり o/GJαSS,S.33(Pane1 7‑9).
ンの顔 は、最後 にム ンクの「 叫 び」 に似 た表情 に変 わ る。(図3)一体 なぜ ここで、 クイ ンの 顔 は「 叫び」 の表情 に変 わ るのだ ろ うか。
「 叫 び」 のモテ ィー フは、 この場面以前 にすで に2度用 い られていて、 と くに33ペー ジで は クイ ンの亡 くな った息子 と「 叫 び」 の線描 の関連性 が示唆 されてい る。(図 4)コマ上部 の 長方形枠 には、「 クイ ン自身 の息子 の名 もピーターだ った ことも、何 ら慰 めにはな らなか った。」
とい うテキス トが書 き込 まれ、読者 は「 叫び」 の顔 を クイ ンの幼 い息子 が描 いた線画 と して解 釈す るように導かれ る。ペー ジ構成 を見 ると、 クイ ンの息子 を挟んで ピーター・ ステ ィルマ ン・
ジュニアの顔 が対置 されていることや、虐待 に苦 しんだ子 どもたちの顔 が幾何学的 に配置 され て い ることか ら、「 叫 び」 のモテ ィー フを クイ ンの息子 ピーターだ けで はな く、 ピー ター・ ス テ ィルマ ン・ ジュニア と関連づ けることが可能 になる。原作 の該 当す る箇所 も、 クイ ンが 自分 の息子 とステ ィルマ ン・ ジュニアを重ね合わせていることを述べているが、「 叫び」 のモテ ィー フ もコマ割 とい う空 間的配置 の対応 関係 を とお して二人 のペーター (の運命
)を
つ なぎ、文字 テキス トの内容 を補強 している。先 に挙げた列車の場面では、「 叫び」 のモティーフ以外の手段 によっても、 スティルマン0ジ ュニ アが呼び出されている。列車の騒音を表すオノマ トペ
CLACKBEDRACKFLACKLEYAYAYA"
は、探偵 として 自宅を訪 問 してきたクインに向かってスティルマン・ ジュニアが話 した言葉の一部で あり、 コミック翻案の該 当箇所 (訪間の場面)でも吹き出 しの中にオースターの原作そのままに引用 されていた。
C)lack clack bedracko Numb noisc,■ acklemuch,chewrrlanna. Ya,ya,ya。 "18
ステ ィルマ ン・ ジュニアによ って「 これ らの言葉 は僕 に しかわか りません」 と認識 されてい るこの言葉 (それ は父 ステ ィルマ ンが探 していた神 の言葉か もしれないЮ
)を
、父 ステ ィルマ ンが乗 っている列車 の走行音 と して利用す るとは、なん と卓抜 な (奇抜 な)アイデアだろ うか。この (神の ものか もしれない)言葉 が列車音 と して反復 され ることで、訪 間 の場面 と列車 の場 面 とい う二 つ の隔 た った コマの間 に意 味上 の相互参照 関係 が成立す る。「 叫 び」 の モテ ィー フ には、 クイ ン、 クイ ンの息子、 ピータT・ ステ ィルマ ン・ ジュニア (の運命
)の
みな らず、 さらに父 ピーター・ ステ ィルマ ン (の運命)も重ね合わ されていると考 え られ、読者 に作 品全体 の解釈 の方 向性 を指 し示 している。
「 叫 び」 モテ ィー フに父 ステ ィルマ ン (の運命)も編 み込 まれていることは、作 品の終末部 で もう一度暗示 されている。 クイ ンは生活資金が底 をつ いた とき、オースター名義 の小切手で 前払 いされたはずの報酬 を受 け取 ろ うと、作家のオースターに電話 を掛 ける。 そ してオースター か ら、 ステ ィルマ ン 0シ ニアがすで に自殺 しているとい う事実 を聞か され る。該 当す るコマに
H̀ι
D H:̀̀ONち30DY
図
3
λγJ∠γsὶ富
'αりげαα
St S・
50(Pane1 4).‑26‑一
大河内朋子 コミックの物語論構築に向けて(その2)一『ポール・オースターのガラスの街』に関する考察 ― は、「 ステ ィルマ ンは二月半前 にブル ック リン橋 か ら飛 び降 りた」20とぃ ぅォースターのせ リスゝ の吹 き出 しと「 叫び」のモテ ィーフだけが入 っている。r「叫び」 の表情 は、思 いが けないニ ュー スに驚 いた クイ ンの心 の叫びであると同時 に、 自殺 したステ ィルマ ン 0シ ニアの最後 の叫び声 で もあ るだろ う。
ところで、「 叫 び」 のモティーフに重ね合 わされた四人 の登場人物 の運命 とは、 いかなる運命 だ ったのだろうか。それを解 く鍵 もまた、「 叫び」のモティーフが出現するコマにある。長方形枠 内の文字 テキス トが クイ ンの ミステ リー小説観 について述べているページがあるが、 クイ ンの寝 顔 を クローズア ップ した コマに挟 まれて、「 すべてが本質 になる。書物 の中心 も移動す る。 中心 はあ らゆる場 に偏在するのであ り…」劉 というテキス トと「叫び」の線描だけからなるコマが唐突 に現れ る。 これは「 叫び」 の最初の使用例であ り、読者 はこの時点ではこの線描画 の意味をまっ た く理解 できない。唐突な出現 という意 味では最後か ら2番目の箇所 も同様である。 スティルマ ン 0シ ニアを見失 った後、 クイ ンは散歩 の間に見 聞 き した浮浪者や落伍者たちのことをノー トに 書 き留 める。 その文章 はボー ドレールの引用 で終わる。「 あるいはもっと露骨 に言えば ―― 私が いまいないところが どこであれ、 そ ここそが私がいまいる場 なのだ。」塑 この文章 に「 叫び」 のモ テ ィーフが添え られている。浮浪者 たちを描 いた表現主義的な木版画風画面 に代わ って、突如 と
して木炭 で引いたような「 叫び」 の表情が挿入 される。
テキス トの内容分析 は本稿 の 目的ではないので割愛す るが、 この二つのテキス トは、 四人 が それぞれの意味 において (た とえば死者 と して、 あ るいは主体 的 自我 の否定 と して)「 どこで もない場所」 に身 を置 いていることを示 唆 している。 クイ ンの亡 くな った息子が描 いた とおぼ しい「 叫 び」 の線描画 は、在 と非在 の間 にい る他 の二人 の人物 を相互 に結 びつ け、互 いが互 い の分身 とな って、作品中の「 あ らゆる場 に偏在す る」 のではあるまいか。
以上 の よ うに視覚的モテ ィー フを とお して、離れた場所 にあるコマ とコマの間 に意 味上 の指 示参照 関係 が成立 す る。 それによって独特 な視覚的空 間的デ ィスコースが生 まれ、文字 テキス
トの直線 的な語 りには隠 されていた意 味構造 が浮 き出て くる。
視覚的 メタフ ァー
原作 の『 ガ ラスの街』 は主人公 ピーター・ クイ ンの導入 で始 まる。
「 ニ ュー ヨー クは尽 きることのない空 間、無 限の歩 みか ら成 る一個 の迷路 だ った。 どれだけ 遠 くまで歩 いて も、 どれだけ街並みや通 りを詳 しく知 るようにな って も、彼 はつねに迷子 にな っ たよ うな思 いに囚われた。街 のなかで迷子 にな った とい うだけでな く、 自分 のなかで も迷子 に な った よ うな思 いが したのであ る。散歩 に行 くたび、 あたか も自分 自身 を置 いてい くよ うな気 分 にな った。街路 の動 きに身 を委 ね、 自分 を一個 の眼 に還元す ることで、考 え ることの義務 か ら解放 された。 それが彼 にある種 の平安 を もた らし、好 ま しい空虚 を内面 に作 り上 げた。世界 は彼 の外 に、周 りに、前 にあ り、世界が変化 しつづ けるその速度 は、 ひとつの ことに長 く心 を とどま らせ るのを不可能 に した。動 くこと、 それが何 よ り肝要 だ った。片足 を もう一方 の足 の 前 に出す ことによ って、 自分 の体 の流 れ につ いて行 くことができる。 あて もな くさまよ うこと によ って、すべての場所 は等価 にな り、 自分 が どこにいるかは もはや問題 でな くな った。散歩 が うま く行 った ときには、 自分が どこに もいない と感 じることができた。 そ して結局 の ところ、
彼 が物事 か ら望 んだのはそれだけだ った ―― どこに もいない こと。 ニ ュー ヨー クは彼 が 自分 の周 りに築 き上 げた どこで もない場所 であ り、 自分 が もう三度 とそ こを去 る気がない ことを彼
一‑27‑
は実感 した。」
ここでは語 り手 が クイ ンの内面世界 に分 け入 り (内的焦点化
)、
クイ ンのニ ュー ヨー クに対 す る心理 的な関係 を、迷路 と迷子 の メタフ ァーを用 いて説 明 してい る。対応す るコ ミックの画面 で も迷路 の メタファーが用 い られてい るが、 さ らに原作 にはなか っ た メタファー (迷路 に類似 した メタフ ァー)も加 え られてい る。上 に挙 げた原文 テキス トを一 部省略 しつつ もそのまま引用 したペー ジ (格子状 の9コマ
)で
は、 クイ ンの住 むアパー トの部 屋 か ら見え る建物群、次第 に迷路へ と変形 してい く建物群 の輪郭線、一個 の指紋 の痕跡へ と凝 縮 して い く迷路 め線 が、 コマを追 ってつ ぎつ ぎ と描 かれ る。(図5)最
後 の 8/9コ マ ロの カメ ラ視点 はクローズア ップされた指紋 の痕跡か ら後方 に引かれて、 もう一度 クイ ンの部屋か ら見 え るニ ュー ヨー クの建築物 を見せている。建物群、迷路、指紋、 そ してあ、たたび建物群 とい う 視覚 的映像 の変化 の中には、 ニ ュー ヨー クに住 む孤独 (他か らの隔絶)か
ら始 ま って、ニ ュー ヨー クとい う街 の迷路 とステ ィルマ ン事件 の迷路24を経 て、最後 は クイ ン自身 の意識 の迷路 か らどうに も抜 け出す ことので きない状態で終わ ることにな るクイ ンとい う存在 のあ りようを読 み取 ることがで きる。同 じ視覚的比喩 は、 クイ ンが父 ステ ィルマ ンの行方 を見失 った ときに、少 し変更 を加 え られ て もう一度利用 されている。 そのぺTジは窓ガラスに残 った指紋 の跡か ら始 ま って、 それが迷 路 へ と拡大 され、 最後 に廊下 の奥 にあ る鍵 のかか った部屋 に行 き着 いて終 わ る。(図6)その 部屋 は息子 ピーター・ ステ ィルマ ンが閉 じ込 め られて いた部屋 で あ り、 ステ ィルマ ン事件 が入 り込んだ解決不能 な袋小路であ り、 クイ ンの意識が行 き着 いた最後の行 き止 ま り状態で もある。
図
5
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ι宵'α夕o/ααSS,S・4。
‑28‑一
図
6
λzJ∠asι
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'α夕o/GJα∬,S.85。
大河内朋子 コミックの物語論構築に向けて(その2)一『ポール・オースターのガラスの街』に関する考察 ― 迷路 のイメー ジは ここではニ ュー ヨー クの建物群へ と解放 されていない。 クイ ンは、 自分 の部 屋 か らニ ュー ヨー クの高層建築 を見渡せ る元 の生活 に もはや戻 ることがで きないのである。
コ ミック翻案 の最後の コマには、重要 な視覚的 メタファーがまとめ られている。 クイ ンが迷 い込 ん だ迷宮 を象徴す る「 指紋」、 クイ ンのアル ター・ エ ゴである「 マ ックス 0ワ ー ク」、「未 来 にお ける人 間の希望」25を
指 し示す「 ハ ンプテ ィ・ ダ ンプテ ィ」、「 墜 ちた存在」26を象徴す る
「 割 れ た卵」、 間違 った言語使用 の一例 と しての「傘」、 ピー ター 0ス テ ィルマ ン・ ジュニ アを 象徴 す る「 あやつ り人形」 な ど。「 ハ ンプテ ィ・ ダ ンプテ ィ」 な どい くつかの メタフ ァーは原 作 に由来す るが、 そ うしたメタファー もコ ミック翻案 において、原作 で言及 されていない箇所 で も利用 されていて、 コマ とコマの間 に原作 にはない新 たな意味連関を生 み出 してい る。
3
文字 テキス トは線状的 に連続 していて統語論 的な論理 に従 うが、 コマ とコマは単 に左右 につ なが るだ けではな く、上下 に も、対角線 に も、 あ るいは異 な るペー ジ上 の コマ との間で も、意 味論 的 な関係 を持つ ことがで きる。 つ ま り視覚 的 テキス トで は、「物理 的 に も文脈 的 に も独立 して いたイメー ジ同士が (略)突然密接 な交信 を しは じめ る」"ことがあ る。 あ る視覚 的 メタ フ ァーや モテ ィー フが別 なペー ジで再登場す る と、「 そのなかに以前 の表現か らの呼びか け、
こだまを見 いだす ことにな り、そち らを再 び想起す ることになる。」28こ ぅ した「超線状性」 こ そ、視覚的デ ィス コースの真骨頂であ り、 コ ミックとい う複合 メデ ィアの読者 に要求 され る読 みの リテ ラシーで もあろ う。言語 的線状性 を越 えて、複数 の方 向付 けがな された道筋 をた どる ことが、 コ ミックを読 む とい う行為 の醍醐味 にな る。視覚的モテ ィー フやメタファーの導入、
コマ とコマの間の指示参照 (押韻
)関
係 な どによ る不連続 なイメー ジの連 な りは、 な るほ どグ ル ンステ ンの言 うよ うに、「 つ け足 しのよ うな もので、(略)物
語 を理解す るために必要不可欠 で はない」29と して も、それは言葉 とい う手段のみでは到達不可能な新 たな次元や、象徴的で 意味的 に豊 かな合 みを物語 に もた らしてい る。文字 テキス トと絵 で語 る『 ポール・ オースターのガ ラスの街』 は、決 して単 な る「 イ ラス ト 化 され た小説」 で はな く、言葉 だ けを言表手段 と した ジ ャンルで あ る小説 には到達不可能 な
(言語 的 には実現 で きない
)地
平 に立 ってい るので あ る。註
l Auster,Paul:αり0/GJαSS.―Los Angels:Sun&Moon Press 1985,S.120‑121.引用 は、 ポール・ オ ー スター『 ガ ラスの街』柴 田元幸訳、新潮社 2009年、124頁による。
Lessing,Gotthold Ephrairrl:Lαολοοη οルγクみθγごj̀Gπη
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ηルγ MaJ′πj zπ
ごPoωj̀.〈
http:〃gutenbergospiegel.de/Pid=5&xid=1617&kapitel=18&cHash=fldedc 427毘 〉31用は、 レッシ ング『 ラオ コオ ン
絵画 と文学 との限界 につ いて』斎藤栄治訳、岩波文庫 1970年、 196‑197頁 による。
同上『 ラオ コオ ン』199頁
同上『 ラオ コオ ン』210頁参照。「 船 の航海0出航 。着岸 とな ると、彼 (註
ホメ ロスの こと)はこと こまか に描 いて、画家 がそれをす っか り画布 に写 そ うと思 うな ら、五、六枚 に分 けて描 かなけれ ばな らない ぐらいで あ る。」
Tёpffer,Rudolphe:Essα Jルタ妙s,ogηοποπj̀(1845).ヨ ミは、CuccOlini,Giulio C.:EJπ
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,in:一‑29‑―
Hein,Michael u.a。 (Hg。 ):ノbιλ
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ルs Oπ づε.―
Berlin:Erich Schmidt 2001,S.65での ドイツ語訳 引用 に基づ く私訳。 ロ ドル フ0テプフェール「観相学試論」森 田直子訳、森 田直子編集代表『 ナラテ ィヴ・メデ ィア研究会活動報告書2008年度』2009年、91‑120頁 を参照 した。
6 A.a.O。,Cuccolini aη
Bα
s′α″ αげPapj′
γ,s.67.7 Ebd.
8 Vgl.McClaud,Scott:勧 ル
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g働扇 。―New York:Harper Perennia1 1993.本 稿 で は ドイ ツ語 訳 ders.:(%πj
γjεんιな ルsθ
η・Dj̀ πs,ε
んιらα″ κ脇∫ι.―
Hamburg:Carlsen 2001,S.161‑lo9を 不J用 した 。9 本 稿 で は ル οη Ljι′Pa2J Иγsι
̀宵
'αり o/GJαSS・ И Grapλjε,りSιり 。Adaptation by Paul Karasik and David Mazzucchelli.… New York:AvOn Books 1994を用 い 、 ドイ ツ語 訳Karasik,Paul;David Mazzucchelli:
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αごι αγs GJα
s.―Berlin:ReprOdukt 2006を 参 照 した 。コ ミック化 された経緯 は次の とお り。 1992年 にコ ミック画家スピーゲルマ ンArt Spicgelmanと 文 学作家 カラハ ンBob Callahanは 、現代の推理小説をコ ミックに翻案す るプロジェク トを開始 した。
Neon Lit:Where,in urban shadows,art and literature meet"と 名付 け られた シリーズ名か ら推測 さ れるように、 このプロジェク トは純文学の読者をコ ミックの新たな読者 として取 り込むことを目的に
していた。 1994年 に出版 された『新文学:ポール・ オースターのガラスの街』ルοη Ljι:Pa J/2sι
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0/GJαSSはその第一作である。小説か らコ ミックヘの翻案作業 には、 テキス トおよびページレイ アウ ト担当のカラジタ、画担当のマツチェリ以外に、編集担当のスピーゲルマ ンとカラハ ン、 さらに 原作者のオースター も協力 した。Vglo Schikowski,Klaus:3π′π̀γ
̀シzεレ̀ジπルπ。あιγ
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網 ′γ知ごψιjοη ηご′j′シπθλ̀J′
S Coπづらin:軍′α″′ιjοη,Au,g.49/50,S.89.10 オースター『 ガラスの街』77頁
H
原作 とコ ミック翻案 において各章 に割 り当て られたページ数 は以下の とお りである。それぞれの数字 は、章番号 (原作ページ数:コ ミックページ数)を表す。l (14: 11)、 2 (17: 12)、 3 (17 :8)、 4 (4: 2)、 5 (8:4)、 6 (13 :8)、 プ (12 : 10)、 8 (21 : 10)、 9 (26:20)、 10 (18: 11)、 11 (14: 10)、 12 (19: 16)、 13 (11 : 16)
総ページ数は原作 203ペ ージ (原作では各章が奇数ベージか ら始 まるように組 まれているので、空 白ページが生 じる。それを除 くと 198ペ ージになる)であるのに対 して、 コ ミック 138ペ ージなので、
約2/3の分量 になっている。各章のページ数 も、12章 と 13章 を除き、翻案では原作の1/2から2/3の 分量 になっていて、全体の圧縮率 にあわせて、各章 も圧縮 されたことがわかる。
カラジクの発言「原作の各章のページ数 と、 コミック版で同 じ情報を伝えるのに利用できるページ 数の間に比率を作 った。 コ ミック翻案の多 くはこういうことを していない。それ らは、作家が創造 し た構造 に注意 しないで、単 にス トー リーを語 るだけだ。」(Kuhlman,Martha:動̀Pò′
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λ′Pag̀:Cコン0/αα
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ιλ̀grapんJε που′みin:LのMttα
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′,2004 注14〈http://wwwoindyworldocOm/indy/spring̲2004/kuhlman̲poetics/index.html#10〉 )も、原作 と翻案の量的な対応関係を証言 している。
なお、 コ ミック翻案 において、2章 か ら 10章 までは偶数ページか ら始 まっているので、見開きペー ジの左ページ開始が各章の始まりに、見開きページ右ページの終わ りが各章の終わ りに対応 している。
読者がベージをめ くると、新 しい章が始まることにな り、視覚的・ 心理的な効果が意図されている。
12 原作の枠内物語 は二人称小説であるが、主人公に「焦点化」(ジュネ ッ トの用語)がなされているの で、 コ ミックの長方形枠の中にはナ レーションだけではな く、内的独 自が挿入 されることもある。
13 「視覚的モティーフ」 と「視覚的メタファー」 という用語 に関 して、a.ao O。,Kuhlman:動θ PaFιjεs o/
ιレ Pag̀か ら示唆を受けた。
14 カラジクはベー ジレイアウ トについて次のように述べている。「 それは独房の ドアのように見える。
それだ、それだ!クイ ンが閉 じこもったこの硬直 した構造を補強す るために、本の前半であ らゆるや り方でこの碁盤 目を使 うつ もりだ。」(A.ao O。,Kuhlman:動̀Pò′
jω
o/′λ′Pag̀。
)15 Pa2J Иγsι′が αりo/G′α∬,S.45で 、息子の部屋は格子のモティーフによって象徴 されている。
16 Vgl.Paγ
J
Иasι
′宵'αりo/GJαSS,S.133‑141.17 格子状モティーフは、上述の箇所以外 に動γJ∠
as′
̀だαりo/αα
SS,S。
60‑61で も用い られている。 こ‑30‑
大河内朋子
コミックの物語論構築に向けて(その 2)一 『ポール・オースターのガラスの街』に関する考察 ―
こで もクイ ンの囚われ状態 を示 している。
18 PaγJ∠
2sι
郷'αり o/α αSS,S.17.原作の翻訳 は次のとお り。「 クラック0クラック・ ビドラック。 ナム・ ノ イズ、 フラックルマ ッチ、 チューマナ。ヤーヤーヤー。」(オースター『 ガラスの街』27頁)19 コ ミック翻案 において、 このテキス トは僧 の 日か ら出ている吹 き出 しの中に入れ られていて、宗教性 が暗示 されてい る。
20 Pa2J Иπsι
̀富
'αりo/GJαSS,S.H9。
21 Pa
J
Иπsὶポαり0/ααSS,S。 7.オースター『 ガラスの街』H頁による。
22 Pa2J
Иγ
sὶが
α り
o/θJα
SS,S。104。 オ ー ス タ ー 『 ガ ラ ス の 街 』
181頁に よ る 。
23 オ ースター『 ガ ラスの街』4‑5頁
24
「 迷路」 や「 指紋」 の比 喩 は、 クイ ンが ピー ター 0ス テ ィルマ ンか らかか って きた電話 に出 るために 部屋 を横切 って いる場面 に、挿入 されてい る。25 オ ー スター『 ガ ラスの街』133頁
26 同上
27 GrOensteen,Thierry:シsιυ観′ル
Jα
ιαηル ルssjη
と。―Paris:Presses Universitaires de France 1999.ァ ィエ リ0グル ンステ ン『 マ ンガの システムコマはなぜ物語 になるのか』野 田謙介訳、青土社 2009年、 297頁による。
28 グル ンステ ン『 マ ンガの システム』278‑279頁
29 同上 278頁
‑31‑