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(1)

106 茨城大学教育学部紀要 第六号

限界地域にけおる二毛作の停滑と その克服とに関する一考小

L2歌45︒6789

 騒   次 ま え が き

北佐久及その周辺地域における二毛作の変遷と現況 裏作導入の阻害条件

二毛作と自然的条件 その1 同  上      その亘 二毛作と用水

二毛作と技術的条件 新しい二毛作の展開 結  び

 1. ま え が き

 1)問題の所在

 日本農業にとって水田二毛作が如何なる意義をもつものであるかについては,既に戦後 幾多の人々によって論じられた所であるが,それは只食糧増産の中心的課題の一つという        1)

に止まらず,零細な農家経営に一つの活路を与えるという意味で重視されねばならない。

殊にそれは従来の米単作乃至米と繭との結合経営から脱出して経営の中で家畜が合理的な 位置を与えられる為の重要:な前提となりうるという点で大きな期待を担うものである。

 さて比較的最:近迄,関東地方と北陸地方とは我国における水田二毛作の限界地帯と見倣 されて来た。撮田の問題を別とすれば,寒冷と積雪とがその主要な阻害条件として挙げら れるのであるが,本稿で取上げようとする長野県の北信東部地域について言えば,高標高 に基く寒冷が主要な限界条件を形成していると考えられる。しかし,標高の克服が農業発 展の課題であったと言われる地域に於ては,寒冷のみならずその他のさまざまの阻害条件        2)

についてもく限界性〉をつき破る為に充分な検討が加えられねばならない。

 本報告は長野県北佐久郡の御牧ケ原周辺地区を主たる対象としつつ,同時にその隣接地 帯にも触れ乍ら,上述の水田二毛作の限界性について,自然的条件・用水条件・技術的経        3)

営的条件等の観点から試みられた調査の概要である。

(2)

石 原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 107

2・

3

土地利用度の増大と,自家労力の燃焼率の上昇という意味で,経営の内延的拡張という事が 出来る。此の点について

農林省農業改良局:水田二毛作に関する総合的研究;農業改良1の2,1952参照。

「標高の克服は長野県農業開発史の過去・現在・未来に亘っての課題である」

長野県地図研究所:長野県地図大系1954による。

本稿は河西太一郎,松田智雄両教授を中心として行われた文部省科学研究費による「農村社 会構造を決定する諸条件」の研究のうち,土地利用に関する部門の報告の一部をなすもので

ある。

 2)地域の概況

 嘗て三沢勝衛氏は長野県の風土を「信州は山地であり,高地である。そしてその各山地        り

の間に介在している漢谷盆地は乾燥盆地である」と表現したが,しかし地形の複雑さは同 時に気候の多様性をも伴って,本邦に於ける最寡雨地域より南信の多雨地帯と北信の多雪 地帯迄を包含し,気温についても年平均6。Cから12。C以上の地域迄分化している。

 我々が対象とする地域は,甲信国境に源を発した千曲川が南佐久の低地より北佐久にか けて貫流する最:初の平坦部所門門久平の西部に連る二つの台地性の高地即ち御牧ケ原と八 重原及びその周辺の村々  五郎兵衛新田村(現浅科村),三都和村(現立科村),北御牧       2)

村を主要な領域とするが,北佐久郡全般及び隣接の小県郡についても検討を試みた。

』之等の丁々は,何れもその水田の大部分が南方に聾える蓼科山を水源とする古い歴皮を もつ用水群(所謂蓼科北麓用水群)によって開発された地 域であって,標高600〜700mm

米作及び養蚕を中心として見た北佐久郡農業地域及び御牧ケ原周辺地区の概況 二二A無(B/A飼育率).需羅CC/BC/A課DD/A騰畑EiE/Ai

浅麓 地帯  5ラ003

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      三都和,北御牧 2.昭和27年度艮野農林統計表によって作表。

  但し水田面稜及び畑面積はり農林省統計調査部:1950年世界農業センサス市町村統計表   No.20長野県1956による。

3.本表には省いたが,樹園地としては果樹園が略桑園の10%を占めている。大体の比率を示せば   浅麓30%,中閥50%/l晒2(}%である(1950年現在)。

(3)

108      茨城大学教育学部紀要 第六号       3)

 を上下する準高冷地帯に包含される。平均気温IG〜11。C,較差は極めて大きく,降水量  は何れも1000mmを超えない乾燥地域である。郡内では水田作の比重高い地帯に属し,

       4)

 規模及び生産力大きく,殊に五郎兵衛新田は常に最高の反収を示しているが,之等の認可  の属する川西地帯は戦前より有力な産繭地域として知られて居り,養蚕の戦後における回  復率が高い。之等の事情を地帯別,三ケ村別に示せば第1表の如くなる。

−λ2 Qひ骨日

4

三沢勝衛:風土産業, 1941,p.202。

農業地域としての北佐久郡の概況については拙稿:北佐久の自然と農業,北佐久郡志III,

1955参照Q

五郎兵衛新Bヨ村は市川五郎兵衛の開設した五郎兵衛腰,三都和村は六三長三郎の開設した塩 沢腹,北御牧村八重原は黒沢嘉兵衛の開設した八重原腹によって凡300年前に夫々開発され た。各用水は延長22kから54k,論語面積夫々200町歩内外に達する。詳しくは

 大石慎三郎:近世初頭における土豪開発新田,史学雑誌63の6,1955  石橋 豊:用水手段の地域的特性,宇都宮大学農学報3の1,1956

ig48〜52の5ケ年平均反収2.95石,戦前の最豊作年である1933には3.58石を示した。

3.北佐久及その周辺地域における二毛作の変遷と現況 1) 北佐久郡における二毛作の変遷

 戦前統計と戦後続計を比較する事は多少の難点があるが,裏作率の変遷を第2・A表に よって見ると,日露戦後聞もなく3.5%に達して後養蚕の発展と共に減少したものが戦後       1)

再び増勢に転じ5%近く迄伸びている。

 しかし,大正期以後裏作栽培に関しても著しい技術的進歩のあった事を考慮に入れるな らば,北佐久に於ける二毛作の発展の歩みは決して速であるとは云い得ない。

 2)北佐久及小県における二毛作の分布状況

 昭和26年の県農試調査によれば,心綱裏作率は81%から、%に亘り,平均35%となって いるが,北佐久4%,南佐久6%は諏訪,下水内と共に最低グルー…一プに属し,小県の40%

      2)

と著しい開きを見せている。そこで今此の隣接する北佐久及び小県の町村別裏作率を第1 図に示した。

 之によれば,千曲川流域殊にその下流に至るに従って二毛作が増大する傾向が明らかで       3)

あり,等高線によって段階の差異を来している事も略認める事が出来る。しかし乍ら,北 佐久に関して言えば,千曲川の南西側地域即ち川西地区に於ては,二毛作の皆無に近い地 帯が等高線の内側に可なり深く入り込んでいる事に注目しなければならない。そして正し

く此の地帯こそ我々の考察の主要な対象地域である御牧ケ原周辺地区なのである。

註1.54年における著しい二毛作の減少は,前年における水稲冷害の影響に外ならない。しかし徐     々ではあるが回復しつsある。第2。B表を参照。

  2.長野県農業試験場:土地利用の高度化に関する研究1953による。

  3.郡の周辺部の町村では耕地は主として地域内の標高の低い極一部に集中している事を考慮す     る必要がある。

(4)

石 原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 109

第2表A北佐久郡二毛作の変遷 (単位  町)

水田裏作面積(B)

   一「

 5β171  5,903i      

 (5,615)i

 58621

     

 (5,623)i{5,89・i

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 (5,675)i{5,914!

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{(5,6925,925)1

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(B/A)

     

裏作剰

1900 1908 1916 17

18

19

20

47 48 49

6,212 6,784

7.024・

7,076

7,260

7,390

53.9 5g.Jr

54.5

54.5

55.2

55.5

7,413 P 55.5

50 51

52 53

a,i {(1:葦副晒7・8   (5,251)i

 ︷

  5・4431       ∫(5,229)1

 {5・443i

  (5,235)1

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{鈎443陶28∵5ス2

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{(5,2625,443){

 (5,288)1

{珊31

       (5,310)i

      7,78正  5,443

149 208 162 158 137 138

正39

6 6 6

8 7

149 208 168 164

1rk! 3

i46 146

0◎59ん3

2.9

2.8

2.5

2.5

2.5

54 59.3 ?

114 107 119 122 150 180

三93

121

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114 107

玉23

132 180 231 242 i23

2.3

2.0

2.3

2,5

3.3

4.3

4.5

2.3

1

234ム

戦前分は長野県統計書,戦後は主として北佐久統計調査事務所資料による。

但し47,50の両年は夫々の年のセンサスの結果を用いた。(斗印を付す)

水田面積は48年以後には50年の数字しか明らかでないので,之によった。

( )内は水稲の作付面積を示す。

う寺印のあるものは,緑肥は含まれていない。

1900年と1901年との間に面積に大幅の変化が見られる。統計基準が変った為であろう。

第2表B (単位、反)

騙作付1 ・i」(1実作 緑肥及び青刈作

}水晦ヲ1麦「颪たね辮:聲盟大麦睡1璃謡小計1

19蝋52細い画3・・}466

195・{5劉19σ「脚 146 18

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1956雁細司85

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134

刊26・

1,6ss1

1,9331

L 北佐久統調事務所資料による。

(5)

HO

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第1図

8tso

 茨城大学教育学部紀要 第六号

北佐久及小県における水田二毛作率の分散

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3)御牧ケ原周辺地区に於ける二毛作の導入状況

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A欝C 子嚢il工新附愈 虫歯和村 北御三紺

 此の等高線の内側にあり乍ら,二毛作の甚だしく不振な地区の中の三ケ村について,最:

近数ケ年の裏作面積の推移を第3表は示す。52年迄は相当の増加が見られるが,54年に著 減し,麦・なたねに関する限り不振が続いている。此のうち北御牧村では大正中期に麦の みで80町歩に達していた事を老慮すれば,漸く当時の3分の2迄回復し得たに過ぎない。

 第3表 三ケ村の戦後における裏作推移

      E 1 ig4s

北御

       

三都和 c・な一な 麦た⁝麦た ね ね −︐ ω

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五郎兵徳新田

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O.1 OB

4よ321

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L 北佐久統計調査事務所資料による。但し斎村調査による(青刈麦を含まず)。

(6)

石 原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 第4表  地区別裏作導入状況

111

北御牧

臆紳墜1硲鰍・蜥i磁原

水田標高1 680 1640〜680

麦麦麦ねげ  イたん大小うなれ 501︵UO 102101

}600・V640

40300

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21000

6 14 7 3

睡戸数i1・3 86 40

比 %i

    I

5i

6 16 18 6

 1・1953年1月調査アンケートによる。

 2・五郎兵衛新田は調査実施せず

の間の落差,北佐久における川東地区と川西地区との間の落差を指摘したのであるが,此  第2図  北御牧村における都落別二毛作可能田利用率

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 第4表は三都和村及び北御牧村 八重原を対象として行われたアン

ケートの結果であるが,八重原と 塩沢との導入率が最も低く,桐原 と藤沢では略20%近くの農家が裏 作を試みている事,馳んげ作は此 の地区では甚だ困難である事等が 示される。

 4) 北御牧村における二毛作の    導入状況

 以上の考察によってラ水田二毛 作に関しての北佐久郡と小県郡と

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§解以下

数字は部落番号,括弧内は二毛作可能田の割合(%)を示す。円の大さは水田面積を示す。

(7)

112 茨城大学教育学部紀要 第六号

の事を一村の中に求める為に北御牧村を取上げて見よう。北御牧村は千曲川及びその支流 七曲川沿いの低地と御牧ケ原及び八重原の台地とから構成されているが,凡400町歩の水

田のうち90町歩は600m以下,略画面積が700m以上(800m以上15町歩を含む)という 高低差をもつている。第8表について此の事を見られたい。

 第5表  北御牧村における水田二毛作    <1956.11> 村統計(単位  反)

千曲川地区

戸数

い・布 下 12・島川原

1:翫、1闘

壇ノ43Q4ρ0杓! ︶田積砿水面 244 129 193

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2 210

85 167

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25 1 5 1 5 1 171  i

C/B

92 106 102

     計

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02653855654・336 96

164 152 139 147 139 277

1.9 2.6 2.7 3.1

4.5 3.7 4.3

5050550324^564^5 3s 1

12 1 30 i

,6 1

8

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52850501119ん111 538623 1 1617 1

21 33

16 i 17 13

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34911,114rf 3.2 1 3101 281 105 oi 271 li 133i 43

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八重原地区 12.上八重原 13.二八重原 14.下八重原

  f126 i 496   ミ劃究l

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Q4001004^3

g,4 lin,,60s lmgg・6 1=1 rS (一) 1

雌簾聖i細15.南  部 16.北  部

75i 209 i 821 174r

2.7 1 一i 一 2.2 1 一1 一 157 , 383 2.4

璽璽6・1:1馴3・・

全 計.1・184陶13・1 i・772・1211・86.3S 1(・・)[13 1(・87)い76)

二1−!ヨ(一).…ヨ

 第5表は同村における二毛作可能面積と,作物別作付面積を部落別に示したものであ る。従ってB/Aは二毛作可能率を,C/Bは二毛作可能田利用率を意味する。可能田が略 完全に利用されているのは千曲川沿の地区のみであって,鹿部川沿の地区では25〜85%,

平均43%を利用しているに過ぎない。然して,部落番号の示す順序一低地より高地に向 って〜に略利用率が対応している事が見出される。八重原地区と御牧ケ原地区は本調査 では可能田面積を挙げていない。つまり従来の意味での可能田は存在しない純一毛作地帯

(8)

第3図

ρ5

 4.elg

 30

 2,

積lo

石 原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 二毛作地帯における水田経営面積と

二毛作可能田作付率 く北御牧村〉

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       作  付  率

3. 裏作導入の阻害条件

1)佐久における水田裏作不作付の理由 次に此のような限界地域に託て,  第6表 裏作導入の為の障害としてどのよう

な点が現実に問題にされているかを 先ず第6表によって考察しよう。不 作付の最大障害が気候条件にある事

(作付を理由とする分も含めると全 体の60%),労力事情及び慣行とし ての不作付が併せて30%近い事が目 につき,意識的に用水事情を取上げ ている農家は極めて少いが,恐らく 之は作付事情に相当含まれている為

と見てよい。何れにしても労力及び 慣行を理由とする1700町歩(南北佐 久の水田面積の]9%)は,農家経営 の合理化によって二毛作化しうる面        1)

積である事に注目しよう。

註1.北佐久地方事務所の見解によれば,

   之はやや控目な数字であろう。

 2)

113

と見ているわけである。

 作物別に言えば,小麦となたねは殆ん ど千曲川沿のみに限二定されている事,青 刈菱の作付が可なり目立つ事が示されて いる。之等の状況を図示すれば第2図を 得る。術経営面積と可能田利用率との間

にも多少の関連性が存在する傾向を第3 図によって認め得よう。大日向部落がや や例外的であるのは,村の中心地として の特殊性によるものと見られる。

佐久地方(南佐久及北佐久)における 水田裏作不作付の理由

不作付・抽匝

気候 積雪寒冷の為

作付

慣行

地力 水利

一般的労力不足 麦播時  同 麦刈時  同

前後作の為

後作の早い為

2,409田丁i  38.3%

灘}…

13.2

罐}1螂 20.6

嬉し雛騨ll}826 13.2

低位生産地の剥 476 7.6 排水不良(秋及春)

苗代時水不足

16唐QP 167 2.7

      

の 糊 280 4.5

瓢冨口 6,284 1OO

L 昭和28年度冬作綜合作付実態調査  (長野統計調査事務所)1954による。

郡内水田の15%凡800町歩が二毛作可能と推定されるが

御牧ケ原周辺地区における二毛作実施上の問題

(9)

M4 茨城大学教育学部紀要 第六号

 第4表と同じ調査に於て裏作実施上の困難について得た回答を労力(経営的条件)田植 遅延(主に気候的条件)配水の不備(生産手段の低さ)に分けると,第7表の如くなる・

 第7。A表 裏作実施上の困難1[

塩沢顯(船)瞭1藤沢・蜥・塵原i四隣1比

労力の不足

田植のおくれ

配水の不備

◎4ρ05ーハ0 乙二Q480311 3535Qり9偏 94Q4 1 −n64 9ん一 54

正13

37

6682r◎雪甕

1 go 71い61;32 43 204 ioo

   1.1953年1月 アンケートによる。

第7・B表 裏作実施上の困難IIIII

区\

地\ 足れ不遅 の力直 才三田

配水の不便

隆晶晶(麦畠)

三  都  和 八   重   原

        く       

塩沢桐原.鰍症t上八申八下八跨+

O   l   2 3   3   0

00

2■101

3ρ0

6 6}2 4 10 001 2∩∠59臼

     L l952年11月調査(面接)

 全地区を通じて言えば,「田植のおくれ」が60%近く,労力及び配水は比重が小さい。

しかし,第6表に比較すれば,「水」の重さが相当大きい事、桐原では労力が,藤沢では 労力及水が主要な制約である:事を見出しうる。かくて此の地区に於ても,必ずしも気候的 条件の不利が裏作導入の為の最大の制約とは考えられていない事を知るのである。

 しかも,我々が直接地域の内外に於て多数の人々から聞き取り,確め得た範囲では,労 力は単に全般的乃至春・秋二期の不足という点のみでなく,土壌の物理的性質の特異さ

(粘土質の強さ)に結びつくものであり,二毛作作物そのものの収益の低さと共に,跡作 としての水稲作への影響の顧慮も非常に大きく,麦の発芽不良や雑草防止の困難等も水の 問題と関連して取上げられねばならない。そして様々な阻害条件が,限界地域の問題とし て提出されるけれども,多くは二毛作そのものの不可能を意味するものではなくて,比較 的不利な自然的条件を克服する為の技術的(「経営技術」をも含めて)段階を問題にすべき であると結論される。

4.二毛作と自然的条件 その1

1) 標高及び気温

標高は地形が複雑でない揚合には, 比較的よく気温に対応すると考えてよい。標高

(10)

石原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考同 訓4図 限界地帯に於ける年平均気温(。C)

    n   駄  1

      ・e︑︑8 膨骨細  ㌔轟 .でる      \

 長野県気象累年報(1953)による

第8表

11 5・

800m,年平均、○。Cが従来長野県に於け る二毛作の限界とされて来た。第4図の等 温線と第莞図の等高線を比較すれば両者の 関連が高い事を認める事が出来よう。

 今,第9表の算出法に従って500m以下 を100とし800m以上を○として,之等の 高度指数と標高別水田面積の積の合計とし ての「可能二毛作面積」を算出して見ると 北佐久郡の二,三の町村について第8表が     1)

得られる。可能二毛作面積の水田面積に対 する比を限界二毛作率と呼ぶと,北佐久に 点て二毛田率の高い町村では此の値は31%

から48%を示すが郡平均も30%に近い。此 の事は,標高を基とした可能性に対して,

北佐久における二毛作の現実と可能性

圏…國計

      ミ       

北徽. R6刎3剛6・19

/」、 諸: 159.54  16.62} 0.39

川辺16生59}1a6空71

  町4e8.42 唾7655 185.93

(A). ll(7s) #

二毛}

作塾00〜

i勲

ls・gU 一

蹴謙1計 可 能二毛作面 積

240.0 81.7 134.4

ig gggg

   20・OI 20・0

  i 町

428.9i 2e2.8 181.7[i 55.9 174.41 72.2

 潰 A 工作恥毛︵限二世

北難26紳3生23、4嵐76弼2卸・1騨・9・・6

 %i Y・?1 ?9

  3i30.8 44.31 20

     1.一,二毛田別面積は1950年センサス      2.標高別面積は県農試調査(1956)。

二毛作率の高い町村ではその1/3乃至%程度を 利用しているが♪郡平均では僅かに駈。程度し か利用されていない事を意味する。同じ事を 小県郡について算出して見ると第9表が得ら れる。郡平均で言えば限界率の脇内外が利用 されて居り,一部の町村では限界率以上にこ 毛作を実現している事を認める事が出来る。

更に全体として両者の間に可なり明らかな対 応がある事が第5図に於て示されている。

 次に気温そのものに即しての二毛作の可能

蜘136細可59生6國之、

3. 誌は高度指数を示す。

第5図 小県郡における二毛作率と    限界工毛作率との関係 100

 go

毛6⑪

イ乍

 40

 20

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      /る       /〆/

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 /      /

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12tD i#・ts 60 8ts gQ3

 限琢ン毛作率

(11)

116      茨城大学教育学部紀要 第六号    第9表  小県郡における二毛作の現実と可能性

ド辞鐸三跡A/B

小 県 郡 上 田 市 丸 子 町 長久保新町 長久保古町

37.8

71505569009843445512142253432138 67.8 5622647936910335409625472578336270      玉 2287273237尋582646853351563613548      ¶1      1曇 − ヨ川田立石門田副賀里よ△願所鷲︐

.rキ三雲電畜揺腺倖舗濡細挿凍

二工率曝㌔鏑A/B

  県   和 殿   長

野 津 川里城原 当科尻 464喚51玉1718039474326133  664633354 K9

  鴛lgg

  g?

,8g

l 8i

董6嬬02ヨ577i講尋97874538359  666765555

1.二毛作率は1950年センサスによって二毛作田率を算出したもの。

2・限界二毛作率は長野農試:長野県における標高別耕地面積調査報告(1956)によって次式によ   り算出した。

       100S,十75S,十50S,十25S,

     B=

      s  但し S=水田総面積

     S4・・400m・V499m 水田面積      S,==500m,v599m li      S,=600mtv699m 1i      S,==700mtv799m ,i

 第10表  調査地;域を対象とした作物期問気温区分(小沢)

  i)稲作期間気温区

EXEI s月 6月半 7月  8月

1

9月嫡平均幡騨聯欄}蹄期

〜14。 @〜18。 〜22・ 〜23。・》19・1・ 19.2・ 4下

6上 8上〜中

荒黙諜i三:iii=1謎}三:鍔1≒÷囎除詮

ii)麦作期間気温区   1

yl

一.一一 I[III 1 13N14

■[  14〜互5  ア

   10月11月12月二月 2月3月4月 5月6月

tv 130 .v70 N20 .v(一一一)20 .v(pm)lo .v20 Ng o .v 130 .一v 170

7tN・8 2N3 (一)2・vO (一一一一)ltvl 2tv4 9 vlO 13・ v14 17nv18

8・N・9 3・Nt4 On−1 1i−v2 3・ v5 10NII 14tv15 18・v19

      

糊播種期灘毫1

6・7・9上爆珠

7.39下〜1

      6下7上

  誰

      6中6下8.4    〜中

         } L 小沢行雄稿:御牧原地区水田二毛作の難易性の気候的考察による。但し平均気温を補った。

(12)

石原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 斜7 第11表  作物期間気温区の組合せによる裏作の難易区分(小沢)

地区i気駆齢せド陶気温画商1五良嚥綱三都鳥i勝論

A JTif−mt 1230

B 」涯一∬〆

c TE:一狂ノ ILI

D il 一 1.,

i:

A

o o

      E li i−i  1 io.3 1−1 A

     L 小沢行雄:同上による。但し一部を補った。

性を,小沢行雄氏に従って,御牧ケ原周辺地区を対象として,第10表及び第11表によって

       2 .)

検討して見よう。前者は稲作期間及び麦作期聞について気温段階と栽培過程を示し,後者 は此の両者の組合せによって得られる気温区分と,それに基く裏作の難易とを示してい

る。

 之等の表は特に二つの点で意味をもつ。一つは一月の気温一20Cによる区分であり,

他の一つは年平均気温10.3℃,11.1。C,12,3℃の三段階による区分である。冬季低温 の強さによる区分は長野県殊に北佐久の如き避寒の地に意味をもつ。かくして一月一20C 及び以下の地は二毛作甚しく困難であり,殊に年平均10。C及び以下の地では二毛作は不 可能であると結論されている。

 此の類別に従えば,三ケ村のうち比較的容易に二毛作の実施されるのは北御牧村の一部 に過ぎず,従来の実績も此の事を裏付けている。

 かくて上述の観点よりすれは,御牧ケ原地区殊に蓼科北麓用水地帯の水田二毛作は,大 小麦を鼠標とする限り,現段階(技術水準)に於ては,発展の可能性は甚だ乏しいとしな ければならない。

註1。 「可能二毛作面積」は単なる機械的算出法によるものであるから,第5表に示された村当局    の調査による「二毛作可能面積」とは意味を異にする事に注意。

 2.小沢行雄稿:御牧ケ原地区の水田二毛作の難易性に関する気候的考察(未発表)による。

 2)降水:量とその分布

 気温の次に考慮されるべき条件は降水量である。殊に限界地帯にあっては,短期間に裏 作物の為の整地と播種とを実施しなければならないので,その前後の降水量分布は重要な 意味をもつている。論義の点を第12表によって見ると,郡内の望月,岩村田及び隣接の上 田の三地点とも,月別降水量は九,十月共にIOO〜120mm内外で,一般の二毛作地帯に 比較すれば多雨地帯とは認められないが,唯十月上旬が九〜十月の6旬の内では著しく多 雨である事が注目されよう。一般に本邦では西南地方より東北地方に進む程夏の多雨期が

(13)

118      茨城大学教育学部紀要:第六号   第12表  北佐久地域の秋期旬別降水分布

9月 10月

上中.下1上 望 月13171

    岩 率寸 EEI   25   75

上  田  22 53

36 i 93 36 1 75 33 i 77

 i

コ⁝005︶民﹂に㎝9ん9ん9乙 下  上 13 1 18 工7  18

11月中〒「年謡

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11一一一一1rms一1i M

15 15

12 14・

松長

︵比較︶ 本13852605725野139−4・・94326 2g123 17 16 2s122 17 14  1

  I

 t:・.1一 i

陥}η,1

943 i 958 916

1,085 29rm  i

   1・長野県気象便覧による。  2.太字は最多雨の旬を示す。

遅れ,秋雨型となる傾向が認められているが,此の三地点でも年間を通じて十月上旬が旬 別最大雨:量を示している事は,此の時期が麦類播種の適期に当っている事を考えると,重 要な意味をもつ。殊に川西地帯の如く埴土地帯であって排水に困難を覚える似合に於て然

りである。殆んどが十一月以降に播種される西南暖地の主要麦作地域と比較した揚合,対 象地域に於ける抗種期の相対的多雨の状況を第13表によって指摘出来るであろう。即ち西 南暖地では十一一月の降水量は100mmを越える地方は甚だ稀であるのに対して,東山地方 の十月の降水量は長野市附近を除いては何れ も100mm以上に及んで居り,しかも著しく 上旬に集中している事が問題とされるのである。

 第13表  各地の秋期降水分布と二毛作度

県別 (測地) 2−umjrmrmlo ll

九州﹁瀬戸内 颪鳴面幅1「

熊本(熊本月

.墾.町璽.璽.L.

愛媛(松山)

岡 山 (岡 山)

大 阪 (大 阪)

 1291 9ii

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     ,, 1   96 i      i6 1,hg g

1距捌

 7g 1 16s

wwrr umi um

21田遡竺

東海一関東 三重(津)

愛 知 (名古屋)

長泣・浜松)1

群馬(前副

栃木(宇都宮)

茨 城 (水 戸)

62i162

39 1 エ41  ト481157

188{

   1611

180}

1261 1431 1781

90 88 107 46 71 93

東i山梨(甲高   長野儒剰 山福島(回訓

215 131 161 192

14−0

86 114 121

8蔓54ニハ0556

58 56  ] 26 88

,3 1 137 145 127 157 128 103

461152

  ll…}125

・711・2

L 本邦気候表及1947年センサス結果表による。

(14)

石 原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 119

 5. 二毛作と自然的条件 lll

 火山灰質土壌の浅麓地帯に比して,輝石安山岩質洪積層を主とする川西地帯は一般に土 質が重岡であるが,就中新第三紀の千曲層を母材とする五郎兵衛新田では著しく埴土に傾 き,塩沢と八重原も埴壌土地帯となっている。第14表によって此の事を示す。従って,裏 作の為の整地は五郎兵衛新田では甚だし   第14表調査地区水田の土性(高誹D

く労力を要する作業であり,且下層土が 強粘土である事は排水を困難にし,又乾 燥すれば亀裂を生じ易い事も,用水量の 増大を来す為表作には甚だ都合が悪い。

 しかし,もし重粘な土壌という事が決 定的な条件であるとすれば,五郎兵衛新 田と三都和及び八重原地区とでは二毛作 率に開きがあって然るべきであるが,後 の二地区も甚だ不振であるのは何故であるか。

       i三郎兵歯i塩沢慮劇

調鯨数「6旨8.33 

   陣土169}・

表靴陣壌到3刊78

       ミ

   1壌土1 0122

091 79右

下層土

    勧91」;1

壌・目引・・

0一三9 54ム

高井康雄氏調査

      しかも,五郎兵衛新田に於ては秋から初冬       1)

にかけて,甚だしく労力を要する秋耕が殆んどの農家によって行われている事は,7k稲作 の強化の為には,はげしい労働の投下も敢てする事を意味している。従って,土壌の乾燥        2)

してしまわないうちならば,裏作の為の整地乃至は播種作業も実現出来る筈である。

 更に三都和村の桐原地区では,第7表に見られた様に,労力不足が主たる不作付の理由 となっているが,土壌条件の多労的である事も当然影響していると思われる。しかし此 の事も類似した土性をもつ八重原では特に問題にならない事を考慮すれば,一般的に言つ 第15表 北佐久における酸性土の分布(高井)    第16表 北佐久における二毛作率の地域差

融醸iM9蜘一画6・・一  !地帯水並樹計総二毛作劇

iご癌性騨瞬i

浅 麓   26 中 間   30     ミ

川刺  4

Q/Fつリノ5ρ◎乙素 に﹂5G41  婆 lOO lOO IOO

ミ美         1,321.3

       戸二[二1闘1 1,723・4 1川西(A)i2,427.2

1

50.8 89.4 90.2

0◎9漏7353

高井康雄稿 北佐久の土,北佐久郡志1,

     1955.

此の区分では川辺村は浅麓に属さしめてあ

る。

北佐久郡15,471.9 230.4

2

4.2

1重ん

      

蒲割欝劃,ll:1

    ∫

O.7 10.9

面積は長野統調事務所北佐久支所資料によ る(1952)。

地域区分は前に同じ。

但し,川西(B)は,川西(A)より北御牧と 州辺とを除いたもの。

千曲川沿いは,北御牧,小諸,川辺,三岡

「円牽,高瀬の六町村である。

(15)

120 茨城大学教育学部紀要 第六号

て,土壌の強粘である事は二毛作に対する麦障には違いないが,それは二毛作を成立させ ない程強力なものではなく,労働条件殊に労働手段の改善によって充分克服しうる障害で

  3)

ある。

 肯土壌の反応について言えば,第15表に見られる様に,川酉地区は強酸性土壌が多い       4)

が,此の事と第16表に見られる二毛作率の地域差と関係があるか否かは明らかではない。

註i.秋耕の意義は高井:前出報文で追究されている。

   秋耕するには,普通乾いた田面に再び灌水し,代掻程度の滞水状態にしておいて畜力又は人    力にて耕起する。秋耕を制約するのは労力の外,此の灌水の便否であって,此の事が八重原    の秋耕率を低くしている。

   耕転機耕では秋耕は困難なので,春耕する田もあるとの事であったが,之は耕転機の性能の    問題と思う。

︵ソ︼

3

4

不整地乃至半整地播によって耕起困難をある程度避けられるが,その場合にも発芽後の諸作 業に問題は残される。

南佐久の二毛作可能地帯でも粘土地帯(例えば切原村)では二毛作を行っていないと晋う・

しかし,小県郡では強い粘土地帯でも高い二毛作率を示している。

村別の大小麦(畑作)の反収は,五郎兵衛新田,三都和共に郡内では高い地域に入っている。

8. 二毛作と用水

 稲作における水が〈用水〉として一定の過程を経て供給される時,それは既に自然的与 件ではあり得ない。然してその管理は勿論く稲作〉を対象として行われるが,用水施設を 通しての水の供給は,個別経営が夫々水源を所有しない限りは,共同的ならざるを得な い。かくしてく用水〉による所謂共同体的規制は稲作の生産構造を強く制約するのみなら        1)

ず,配水地たる水田の土地利用全般に亘って影響を及ぼす。此の点について例えば古島氏        2.)

は次の諸制約を指摘する。即ち

 ].慣行的取水期聞の制約から来る田植期間その他農作業時期の固定。

 2.裏作品種の熟期の選択を強制し,一定晶種に集中させ,惣町種をも固定させる。

 3.用水路の不備は農耕方法を固定させる働きをもつ。例えば自由な裏作物の選定が出    来なくなる(殊に耕地が分散交錯して存在する揚合に於て然り)。

 以上の傾向は我々の対象とする三ケ村に於ても明らかである。問題を裏作丈に限定して も,例えば第7.A表のアンケートに見られる通り,配水難を挙げるものが全体で18%に達 するのみならず,田植の遅れを理由とする農家の中にも水の便否と結合している揚合が少

くないものと考えられるのである。殊に八重原用水では凡そ絶が配水不便に基き,更に田 植の遅れをも加えるならば,約50%が二毛作の障害として用水の不便を意識している事に    3)

なろう。別な機会に我々の行った調査(1952年10月)によれば,八重原での聴取では用水 不足5,粘土質及田植遅延の為4,労力不足2という結果を得ていて,以上の考察を裏付

(16)

石 原:限界地域における二毛作の停滞とその克服とに関する一考察 121 けているのである。(第7.8表参照)之によれば,八重原でも用水路の末端雪水の障害の 大きい事が示される。

 既に他の報告に於て指摘されている櫟に,三ケ村の用水事情は五郎兵衛新田最もよく,

       4)

塩:沢之に次ぎ,八重原は最も劣っている。その事が此処にも反映されているのである。従 って,五郎兵衛用水,塩沢用水の桐原地区及び八重原用水の如く番水制をとっている所で は,その事自体が;裏作の自由なる導入を阻止する条件となる。

 併し,用水の影響は必ずしもその不足の揚合にのみ現れるのではなくて,たとえ豊富で あっても,全体として強い続制の下に置かれている時には,灌水期,落水三等に規制を受 ける結果,周辺の灌水操作に無関係且無影響に裏作を実施する事が困難な揚合が少くない 事をも考慮に入れる要があろう。

註1.八重原用水では上より下に至るに従って田植の遅れが明らかであり,又浅問用水の一つであ    る御影用水では上流の田植終了前に下流の田植をする事は許されていないが,かSる事例は    各地に少くない。例えば,香川県大窪池用水,滋賀県下の郷用水,岡山県八ケ郷用水におけ    る植付期の番水制に此の傾向を見出す。金沢夏樹:稲作の経済構造,1954P・256以下,小    池基之:水田,1942,p・51を参照。

 2.古島敏雄:水利支配と農業,農村問題講座1,1954による。

 3.八重原での聴取によれば,二毛田では春先の水入れが困難となる為水路から遠いと実施し難    い事,又水引きに強引な農家ででもなければ,自由に二毛作を行う事は出来ないと言ってい    る。

 4.高井康雄:用水と地力,農業技術10:9,1955。 石橋:前出。

7.二毛作と技術的条件

 限界地帯という事は,自然的な意味に於てのみではなく,意識的にもある程度成立す る。即ち,二毛作の実施されている地帯では,それを行わないという事はむしろ特定の条 件の下に起りうるのであるが,此の地帯の如き二毛作にとって従来「不毛」に近かった地 域に於ては,逆に二毛作を成立させる為には特定の条件が伴わねばならないと言えよう。

 従って,農家の意識には最初から困難であるという先入観が形成されて居り,更には問 題にしない或は無関心という態度すら見出されるのである。第6表の慣行を理由とする不 作付面積はそのような事情の反映と見るべきであろう。

 此のような中で,幾人かの勲心家が散発的に小面積の二毛作を実施しても,指導は充分 に与えられず,周囲の理解や協力にも支えられる事がないとするならば,成功する事は甚 だ困難であるし,又v,二度の失敗で以てすっかり断念してしまう專にすらなるのであ1︶

る。我々の八重原地区での調査からも,二,三の農家にそのような経過を認める事が出来

る。

(17)

122 茨城大学教育学部紀要 第六号

 所で,今迄我々が考察して来た諸条件も,それが阻止的因子として働くのはあくまでも 技術的水準にして従来と変化ない限りという前提に於てである。従って,もしも技術的に より勝れた方式が見出されるならば,従来の阻害条件もあまり強い影響力を持たなくなる と考えてよい。それらの点について多少の考察を加えて見よう。

註1.その意味で,長野県が昭和26年以来県下の限界地帯に設置した営農試験地の裏作導入試験に    於て,相当の集団地を対象として実施されつつある事は合理的な行き方と考えられる。

 1)生育期間

 限界作用の最も重要なるものは,既に第6表で見たように,第一次的には気候の制約か ら来る生育期間の遅延と,その結果としての諸作業の競合重複という事である。

 そこで,技術的には,二つの方式が解決への途として考えられる。

 第一 表作物と裏作物の生育期聞を短縮する事  第二競合期における夫々の作業期間を短縮する事

 99 一の点については,より基本的には,7k稲及び裏作物晶種の早熟化を一層促進する事 が必要であり,今後の新下種育成に期待されねばならないが,与えられた晶種を以てして も,保温折衷苗代を中心とする育苗技術の最近の進歩は水稲の生育の過程を従前に比して 凡そ7〜lO日間位早める事が困難でなくなった。

 さて,最:近に於ける対象地域の稲作作業過程の時期を示すと第17表の如くであるが,田

  第 17表   稲  作  標  準  過  程  表  、

陰測桐原隊沢i 八  重  原

播 種 期 灌 水 学 田 植 漸 落 水 期 刈 取 期

月日   月日

くlr.28 i  lr.30

5.26 1 5.20 6.8 1 6.IO

9.19 10.6

9.19 10.12

即日i

6.4 6.13

9.20 10.10

月日

5.2 5.23 6,13

王   甲一. {一下一}ゴ

9.25 9.18 92e IO.12 IO.10 10.14        1.アンケート及び面接調査による。

       2.藤沢における二毛作農家の落水期は9月上旬となっている。

植期は6月15日を下限としている。灌水期と田値期の間は2〜3週聞になるが,藤沢の如       1)

く10日以内の地域も存する。従って,今,二毛作を導入する揚合,灌水より田植迄の余裕 を10日と見れば,6月15日迄に田植出来る為には裏作物の収穫は6月5日動になる事が望

ましい。

 現在漸く裏作しうる大麦会津4号もその成熟期は6月IO日前後になるので,刈取があと       2)

5日短縮出来るならば,比較的余裕を以て二毛作跡の田植を完了出来るであろう。しかし もしも水稲の晩植栽培によって,田植期が6月25日迄くり下げられるならば,早生大麦の

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