ような価値鏡をつくるためには︑裁縫そのものは︑人間労働であるというその抽象的属性のほかにはなにも反映してはならないのである﹂ ︵同上︑七八〜七九ページ︶︒ それは実は労働とはいえないのだが︑それはとにかく と
ここでは明らかに第三者的な抽象的人間労働は異なった具体的有用労働の性格を保持したままの抽象的人間労働について語られている︒これこそが抽象的人間労働の名前に価する唯一の存在であることは明白である︒ 具体的有用労働の抽象的人間労働への還元がこのように価値表現によって行われるならば︑価格形態においてこそはじめてそれが完成することになるであろう︒だがそのばあい︑量的視点を忘れてはならない︒価値の定義が﹁内在的交換価値﹂だというとき︑それは﹁一定量﹂の交換価値をさしているのである︒このことは最初の価値形態﹁単純な︑個別的な︑または偶然的な価値形態﹂というばあいの﹁偶然的﹂という意味が﹁量的偶然﹂をさしていることからも明らかである︒* *﹁第一の形態︑8BマSqY騨︑マー1同藤Sト雌 では︑これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは 偶然的事実でありうる︒これに反して︑第二の形態では︑偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景がすぐに 交換が商品の価値量を規制するのではなく︑逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ︑というこ
現れてくる︒ とが明らかになる﹂︵同上 八六ページ︶︒ 価値表現の前提として﹁価値計算﹂が存在する以上︑﹁価格形態﹂に先立って﹁価格計算﹂が存在しなければならない︒ ﹁価格計算﹂が可能なためにはその商品の生産諸要素が﹁価格単位﹂で生産過程に投入されなければならないであろう︒いいかえれば︑生産手段はもちろんのこと︑﹁労働﹂もまた﹁価格単位﹂で計算され︑生産費の一部を占めなければならない︒なぜならば﹁自己労働﹂はその﹁価格計算﹂がいちじるしく困難だからである︒* 価値論の再建−武井 四五
ージ︶
とみなされていたのであった︒ すなわち固定資本の価値を増大
固定資本に対して働く二つの相反する力 他面ではその価値と生命を減少させる がひきおこす矛盾こそが させ︑ その生命を延長させる生産力の発展が︑資本主義にとってもっとも主要な矛盾であり︑そしてこの矛盾こそが恐慌の主要原因である︒この点は﹃資本論﹄第三巻第三篇第一五章第二節をみればあきらかである︒ 五 資本蓄積と価値法則 価値論の主要問題は資本蓄積中に貫徹する価値法則の作用についてであるから︑最後にこれについて検討しよう︒ マルクスがこれについてふれているのは上記の個所︵第三巻第一五章﹁この法則の内的諸矛盾の展開﹂︶である︒ ﹁直接的搾取の諸条件とこの搾取実現の諸条件とは同じではない︒一方はただ社会の生産力によって制限されているだけであり︑他方はいろいろな生産部門のあいだの均衡関係によって︑また社会の消費力によって制限されている﹂︒しかし社会の消費力は﹁敵対的な分配関係を基礎とする消費力によって規定され﹂︑さらに﹁蓄積への欲求によって﹂制限されている︒﹁これこそは資本主義的生産にとっての法則なのであって︑それは生産方法そのものの不断の革命︑常にこれと結びついている既存資本の減価︑一般的な競争戦︑没落の脅威のもとでただ存続するだけの手段として生産を改良し︑生産規模を拡大することの必要によって︑与えられているのである︒それだから︑市場はたえず拡大されなければならない ﹂︒﹁内的な矛盾が生産の外的な場面の拡
大によって解決を求めるのである︒ところが生産力が発展すればするほど︑ますますそれは消費関係が立脚する 狭い基礎と矛盾してくる﹂︒ここでは﹁剰余価値が生産される諸条件とそれが実現される諸条件とのあいだの矛盾﹂をもたらすものとして資本 価値論の再建−武 井 五一
くても︑減価の可能性の増大は資本家によって痛切に感じられるだろうということは容易に想像がつく︒その時彼はどう対応するか︒彼の念頭にあるのは固定資本の回収であろう︒それをするためには大量生産によって価格を下げ︑販路を拡大するしかない︒こうして好況末期には減価回避のための大量生産が行われるのである︒しかし︑市場の拡大がこれに対応する筈はなく︑ここに流通遅延による回収不能という事態が周期的に生ずることにならざるをえない︒ このように解することによってわれわれは周期的恐慌の原因を解明できるのではなかろうか︒ ﹁手段 社会的