『歴史教育史研究』第 15 号(2017 年度) 、歴史教育史研究会、25~63 頁
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戦時下における中等歴史教科書に関する基礎的考察
茨木 智志 はじめに
本稿の目的は、戦時下の中等学校における歴史教科書について、授業内容や学校・
教科書をめぐる施策、教科書の発行や使用の状況などを考察し、もって歴史教育史研 究上の一助とすることにある。
戦後の歴史教育の解明には、断絶という枠組み、あるいは、継続という枠組みを取 るにせよ、前提としての敗戦以前の戦時下における歴史教育の解明が不可欠となる。
これまでも戦時下の歴史教育については、明治以来の戦前の歴史教育のいわば終着点 として、または、戦後教育改革時の歴史教育の比較対象として、その教科書を主な素 材に研究が取り組まれてきた。しかし、特に中等教育の場合、研究の基盤となるべき 教科書に関わる基礎的な検討はいまだ不十分な状況にある。
そこで、五種選定の始まる 1941 年から、中等教科書の国定化を定めた中等学校令が 施行された 1943 年を経て、敗戦の 1945 年までの戦時下における中等歴史教科書に関 わる各種の情報の収集・整理を行なった。その作業の中で、資料の欠如による空白を 残しながらも、施策上の変遷をたどることで、これまでにあまり指摘されてこなかっ たいくつかの事項の確認と残された課題の明確化を進めることができた。今後、戦時 下の歴史教育を検討する際には本稿の内容を踏まえる必要があると考える。
1.五種選定のもとでの 1941・1942 年度の歴史の授業と教科書
1-1.1937 年教授要目における歴史教育
1941 年度用の教科書から実施された五種選定は、 1937 年 3 月の教授要目に基づいた 検定教科書が対象であった。このときの教授要目改訂は、教学刷新評議会答申(1936 年 10 月)を受けたものであり、1937 年 4 月から実施された。
歴史は、修身・公民科・国語(漢文) ・地理とともに「国体に関連する学科目」とし て、1937 年 3 月 27 日の教授要目中改正により改訂された。 「国体明徴」 「教学刷新」
のための歴史教育が目指された改訂であった。師範学校・中学校・高等女学校が同時 に改訂され、それまで歴史の教授要目のなかった実業学校の場合は新たに制定された
1。
1
1937 年 3 月 27 日に、師範学校は文部省訓令第 8 号として、中学校は文部省訓令第 9 号として、高
等女学校および実科高等女学校は文部省訓令第 10 号として改訂され、実業学校は文部省訓令第 11 号
として制定された(同日、 『官報』第 3068 号付録) 。
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さらに、すべての歴史教科書は各学校の新教授要目に則った修正が求められ、 「新教科 書」を 1938 年度から順次使用させた。
稿末の資料1が 1937 年改訂教授要目による各学校の歴史授業の国史・東洋史・西洋 史の配当である。中学校の場合は、国史(1 学年毎週 2 時)で始まり、東洋史(2 学年 毎週 1 時と 3 学年 1 学期毎週 2 時)と西洋史(3 学年 2・3 学期毎週 2 時と 4 学年 1 学 期毎週 2 時)の学習を経て、国史(4 学年 2・3 学期毎週 2 時と 5 学年毎週 2 時)でま とめる形式になっている。これまでの中学校では、 〈国史→外国史→国史〉と〈外国史
→国史〉という 2 種類の学習の進め方があり、一部の教科書は 2 種類用意されていた のが、ここで前者に統一された。また、1 学期毎週 1 時を 1 とすると、国史 16、外国 史 11(東洋史 5、西洋史 6)の割合となっている。1931 年 2 月の中学校教授要目では 外国史 11 が東洋史 4、西洋史 5 の割合であったのを、満州事変(1931 年 9 月)後の東 洋史重視の主張を背景に東洋史の割合を増やしたものであった。
1-2.五種選定による 1941 年度の歴史教科書
1941 年度用の教科書は文部省で選定した「五種以内」の教科書から学校長が採定す ることとなった。これを五種選定と呼んでいる。 『中教出版十年史』では、この間の経 緯を以下のように述べている。文部省は 1940 年 7 月に検定出願の一時停止と、最新版 のみ残しての旧版の絶版を要望し、8 月末に 1941 年 4 月からの同一学科の教科書は 5 種以内に限定するとした。 「中等教科書協会」に対してその 5 種を自主的に協議選定の 上届け出るよう命令したが、同協会は文部省に選定を請い、1940 年 10 月 22 日にその 結果が発表された
2。
このときの五種選定の教科書は、 以下の教科書目録により確認できる (資料3参照) 。 1940 年 11 月 10 日までの使用教科書の通報が求められている。
『昭和十六年度使用中等学校教科用図書総目録(師範学校の部) 』
『昭和十六年度使用中等学校教科用図書総目録(中学校の部) 』
『昭和十六年度使用中等学校教科用図書総目録(高等女学校の部) 』
『昭和十六年度使用中等学校教科用図書総目録(実業学校の部) 』
3歴史については 1939 年の検定本を基本としている(西洋史に 1938 年の検定のもの
がある) 。師範学校の国史が 2 種(文部省著) 、東洋史が 2 種、西洋史が 3 種であり、
中学校の国史が 5 種、東洋史が 4 種、西洋史が 4 種であり、高等女学校の国史が 5 種、
東洋史が 5 種、西洋史が 5 種であり、実業学校の国史が 5 種、東洋史が 3 種、西洋史 が 3 種、外国史(東洋史と西洋史を 1 冊にしたもの)が 2 種となっている。
2
『中教出版十年史』中教出版、1953 年、5 頁。中教出版は、1942 年 3 月に設立された中等学校教科 書株式会社が 1950 年 2 月に改称された出版社である。
3
1941 年度用の教科書目録は、教科書研究センター所蔵のものを利用した。
27 1-3.五種選定による 1942 年度の歴史教科書
1942 年度の五種選定の教科書は、以下の教科書目録により確認できる(資料3参照) 。 1941 年 7 月 31 日までの使用教科書の通報が求められている。
『昭和十七年度使用中等学校教科用図書目録(師範学校の部) 』 『昭和十七年度使用中等学校教科用図書目録(中学校の部) 』 『昭和十七年度使用中等学校教科用図書目録(高等女学校の部) 』 『昭和十七年度使用中等学校教科用図書目録(実業学校の部) 』
4歴史科については、 基本的に前述の 1941 年度用のものと同じ教科書が掲載されてい る。ただし、高等女学校の西洋史が 5 種から 4 種になっており、また、一部に記載の 違いがある。
師範学校の西洋史 1 種と高等女学校の西洋史 1 種が 1940 年に検定を受けているが、
そのことはこの目録に反映していない。また、すべてが 1941 年度中に検定を受けてい るため(後述) 、供給本としては教科書目録記載の教科書ではなく、1941 年度検定済 教科書が使用されたとも考えられる。
2.1943 年の中等学校令と新しい教授要目(教科教授及修練指導要目)
2-1.1943 年の中等学校令
教学刷新評議会答申を受けて設置された教育審議会により「教育ノ内容及制度ヲ審 議シ其ノ刷新振興ヲ図
5」ることが進められた。1941 年 2 月の国民学校令により小学 校は国民学校となり、1943 年 3 月の師範学校令改正により師範学校本科は専門学校に 昇格した。
1943 年 1 月の中等学校令
6により、中学校・高等女学校・実業学校は、中等学校に 統合され(第 2 条) 、修業年限は、戦時短縮により 4 年を基本とされた(第 7 条) 。中 等教育では初めて国定教科書の使用が定められ(第 12 条) 、以上のことは 1943 年 4 月に施行とされた(附則第 16 条) 。そして、1943 年 3 月 2 日に、中学校規程・高等女 学校規程・実業学校規程がそれぞれ出されている
7。
2-2.新しい教授要目(教科教授及修練指導要目)
新たな中等学校のもとでは教育内容も「刷新」が図られ、 「修練」を含めた、以下の ような新しい教授要目(教科教授及修練指導要目)が定められた。
4
1942 年度用の教科書目録は、教科書研究センター所蔵のものを利用した。
5
「教育審議会官制」 、1937 年 12 月 10 日、勅令第 711 号(同日『官報』号外) 。
6
「中等学校令」 、1943 年 1 月 20 日、勅令第 36 号(同日『官報』第 4805 号) 。
7
「中学校規程」 、1943 年 3 月 2 日、文部省令第 2 号。 「高等女学校規程」 、同日、文部省令第 3 号。 「実
業学校規程」 、同日、文部省令第 4 号。
28
「中学校教科教授及修練指導要目」1943 年 3 月 25 日、文部省訓令第 2 号。
「高等女学校教科教授及修練指導要目」同日、文部省訓令第 3 号。
「実業学校教科教授及修練指導要目(案)
8」同日。
歴史は、修身・国語・地理とともに国民科の一科目とされた。これらの教科教授及 修練指導要目による歴史授業の配当については、資料2を参照されたい。戦時短縮に より 1937 年の教授要目での形式をとることができなくなり、中学校などでは〈外国史
→国史〉の順での歴史授業に戻されることとなった。
3.戦時下の旧制中学生の進級・卒業
ここで、戦時下の歴史教科書を使用した生徒の確認のために、本稿が対象としてい る 1941 年度から 1945 年の敗戦までの中等学校に在籍していた生徒の進級・卒業につ いて確認をしておきたい。ここでは旧制中学校を取り上げた。
表:戦中から戦後の旧制中学校生徒の進級・卒業
年度 1924
年度 生ま れ
1925 年度 生ま れ
1926 年度 生ま れ
1927 年度 生ま れ
1928 年度 生ま れ
1929 年度 生ま れ
1930 年度 生ま れ
1931 年度 生ま れ
1932 年度 生ま 西暦 元号 れ
1937 昭和 12 中1 1938 昭和 13 中2 中1 1939 昭和 14 中3 中2 中1 1940 昭和 15 中4 中3 中2 中1 1941 昭和 16 中5 中4 中3 中2 中1 1942 昭和 17 中5 中4 中3 中2 中1 1943 昭和 18 中5 中4 中3 中2 中1 1944 昭和 19 中5 中4 中3 中2 中1 1945 昭和 20 中4 中3 中2 中1 1946 昭和 21 中5 中4 中3 中2 1947 昭和 22 中5 中4 中3 1948 昭和 23 高3 高2 高1 1949 昭和 24 高3 高2 注:各種の聞き取り等により作成した。二重線は「卒業」を表わす。
中学校にとっては、太平洋戦争開戦(1941 年 12 月) 、中等学校令施行(1943 年 4 月) 、敗戦(1945 年 8 月) 、さらには新制高校への移行(1948 年 4 月)に至る激動の時
8
実業学校の場合は「案」中の標準であったが、谷口琢男氏の指摘のように実業学校規程の規定によ
り一定の拘束性を持つものと判断した(谷口琢男「中等教育課程の変遷」教科書研究センター編『旧
制中等学校教科内容の変遷』ぎょうせい、1984 年、105 頁) 。要目案の文は、文部省国民教育局『中
等学校令 実業学校規程 実業学校教科教授及修練指導要目(案)』(実業教育振興中央会、1943
年 6 月 28 日)を利用した。
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期に当たる。敗戦前後の混乱の時期をはさんでいるため、個人による違いが多く、実 態把握が難しいが、おおむね表のようであった。旧制の中学校では制度的に 4 年修了 での旧制高等学校・大学予科への進学が可能であった。中等学校令による戦時短縮の ため 5 年制であった中学校等は 1943 年度入学生から 4 年制となったが、 戦局の悪化に より前倒しとなり 1944 年度の終わり、すなわち 1945 年 3 月には 1940 年度入学生と 1941 年度入学生の 2 つの学年の生徒を一度に卒業させた。
なお、敗戦後は 5 年制を復活させた。ただし、1942 年度入学生は特例として 1946 年 3 月の中学 4 年での卒業も認められた。1943 年度入学生は 1948 年 3 月に中学 5 年 を終えて卒業したが、1948 年 4 月に発足した新制高校 3 年に編入して翌年に新制高校 1 期生として卒業した生徒もいた。また、1944 年度入学生と 1945 年度入学生は新制高 校発足時にそれぞれ新制高校 2 年生と 1 年生となった。中等学校の他の諸学校につい ては、状況は異なるものと思われる。この点は他日を期したい。
4.1943 年度の中等学校における歴史教科書と歴史授業の指導書
4-1.国定教科書未発行による検定教科書の使用と 1943 年度用教科書
現時点で 1943 年度の教科書目録は確認されていない。 『中教出版十年史』には、 「…
七月六日十八年度〔昭和 18 年度・1943 年度:引用者注〕使用教科書選定の発表あり たるを以て…
9」とあるので、1942 年 7 月 6 日に発表されたことが分かる。
この時点は、中等学校での国定教科書使用を明記した中等学校令(1943 年 1 月)の 前であるので、前年度同様に五種選定による検定教科書が記載されていたのではない かと推測される。検定の状況を見ると、五種選定の歴史の検定教科書はほぼすべてが 1941 年度中に検定を受け直しているので、これらが 1942 年発行の 1943 年度用の教科 書目録に記載されたと思われるが、この点は今後の調査にまちたい。
前述のように、1943 年 1 月の中等学校令や 3 月の各学校の教科教授及修練指導要目 により中等教育を大きく改め、国定教科書での新たな教育内容の授業を規定して同年 4 月から実施することとした。通常であれば、すべてを準備した上での実施となる。
しかし、1943 年 4 月に中等学校に入学する 1 年生が使用すべき国定教科書は基本的に まだなかった。そのため、2 年生以上の生徒と同様に、従来の検定教科書を使用させ ることとした。歴史については、国史初年用と東洋史の教科書がこれに該当した(後 述) 。その一方で、中等段階の学校であったのが専門学校に昇格した師範学校本科の歴 史教科書としては、1943 年度に国定教科書が発行されている
10。
9
前掲『中教出版十年史』 、96 頁。
10
文部省『師範歴史本科用巻一』 (師範学校教科書株式会社、1943 年 6 月 18 日発行、1943 年 7 月 3
日翻刻発行)が発行され、次いで、文部省『師範歴史本科用巻二』 (師範学校教科書株式会社、1945
年 1 月 2 日発行、1945 年 1 月 28 日翻刻発行)が発行されている。
30 4-2.歴史指導書の発行とその内容
1 年生に旧教科書である検定教科書を使用させて、しかも新しい教授要目(教科教 授及修練指導要目)の趣旨に則った授業を実施するために、文部省は教師向けの指導 書を作成した。その編纂の経緯を文部書記官は次のように説明している。
…従前の教科書を以て教授する場合に、関係職員が如何なる注意の下に教授して行 くべきかといふことに就て、文部省は各学校に指示するの必要を痛感したのであり ます。是が即ち今回の「中等学校教科書の指導書」と称してゐるものでありまして、
…
本省は昨年〔1942 年:引用者注〕の十二月初旬此の指導書の作成に着手致しまし た。即ち新教授要目の作成に関係ある諸氏に依頼し国民科、芸能科、外国語科、家 政科、及び実業学校理数科等の各教科並に教科目別に執筆を願ひ、之を一月中に取 纏め、目下中等学校教科書株式会社に於て印刷してゐますから、新学年には十分に 間に合ふと思ふのであります。…
11(下線は引用者)
非常にあわただしく作成された様子がうかがえる。国民科歴史については、1943 年 4 月に『国民科歴史指導書 中等学校第一学年用』として発行された
12。本書は、 「は しがき」2 頁、 「目次」2 頁、本文 72 頁、奥付から成る。書名に「中等学校第一学年用」
とあるが、対象としているのは中学校と高等女学校のみである。 「はしがき」には、 「実 際教授に当つての態度、教科書の取扱ひ等について各権威者に執筆を依頼し、本書を 編纂発行して教授者各位の御参考に資することとした
13」と述べられている。
本書は 2 部構成で、前半の「第一、中等学校国民科歴史教授要目」 (1~18 頁)では、
中学校と高等女学校の教科教授及修練指導要目の中から国民科歴史に関わる部分の抜 粋を掲載している。
後半の「第二、中等学校第一学年国民科歴史指導の実際」 (18~72 頁)は 3 つに分 かれ、まず、 「一、国民科歴史新教授要目制定の趣旨」を述べている。次いで、 「二、
第一学期に於ける国史教科書の取扱」で、1943 年度の 1 年生の 1 学期において、従来 の初級用国史教科書を使用して授業を行なう「明治維新以前の皇国発展の概要」につ いて、 「肇国の宏遠」 「大化改新と東亜の繁栄」 「武士道と元寇の撃攘」 「建武中興と勤 王の精神」 「海外発展と尊皇精神」の説明をしている。そして、最後に、 「三、第二・
三学期に於ける「東亜及世界」 (其ノ一)の指導」で、1943 年度の 1 年生の 2・3 学期 において、従来の東洋史教科書を使用して授業を行なう「 「東亜及世界」 (其ノ一) 」 、 つまり「東亜の部」の「 (イ)教授の方針」 「 (ロ)教授の内容」 「 (ハ)教授上の注意」
について、要目にそっての非常に詳細な説明がなされている。
11
高瀬五郎「中等学校教科書の指導書に就て」 『文部時報』第 785 号、1943 年 3 月 10 日、36 頁。
12
中等学校教科書株式会社著作兼発行『国民科歴史指導書 中等学校第一学年用』 、1943 年 4 月 10 日。
13
同上、 「はしがき」1 頁。
31
要するに、中学校と高等女学校の 1943 年度の 1 年生は、1 学期で国史、2・3 学期で 東洋史の授業をするように指示されている。1943 年 3 月の中学校と高等女学校の教科 教授及修練指導要目の国民科歴史で、1 年生は「東亜及世界」つまり東洋史と西洋史 を内容とすることを規定するとほぼ同時に、それを同年 4 月の「指導書」で修正した こととなる。
4-3.1943 年度前後の歴史授業の実際
当時の中学校に在籍していた各氏は、以下のように回想している。
1943 年度中学 1 年生であった佐藤伸雄氏は、次のように述べている。
…私たちは、1 年で国史と東洋史を半期ずつやりました。2 年で西洋史をやったは ずですが、全く記憶にありません。教科書はよく覚えていませんが、1 年のときは、
中等学校教科書株式会社の検定教科書でした。国史と東洋史は、八巻先生という甲 州出身のカトリック信者の方が担当でした。国史では「建武の中興」を詳しく説明 されたことを記憶しています。また、東洋史は板書を写すという授業でした。…
141943 年度中学 1 年生であった村山和夫氏は、次のように述べている。
…1 年生(1943 年度)のときは、国史よりもアジア史を勉強した覚えがあります。
竹内正三先生の授業でした。…インド史のところはアショーカ王とかですから、ま だ面白かったのですけれども、中国史に入って武帝とか同じような名前がやたらに たくさん出てきて、 「勘弁してくれ」と思ったのをよく覚えています。…
151943 年度中学 2 年生であった鈴木健一氏は、次のように述べている。
…1 年で国史、2 年で東洋史、3 年で西洋史を習った記憶があります。…私は 3 年 の 1 学期〔1944 年度:引用者注〕まで中学校で勉強したけれども、夏休みからは昭 和飛行機で海軍の九九艦爆という飛行機を作っていたんです。動員中はまったく授 業はないです。…1 年の国史は検定教科書で、 「皇国史」という教科書でした。2 年 生のときの東洋史も検定教科書で、有高巌先生の教科書でした。…3 年で西洋史は、
当時の一高の亀井〔高孝:引用者注〕先生の教科書だったと思います。西洋史は 3
14
「インタビュー記録 歴史教育体験を聞く 佐藤伸雄先生」 (2004 年 1 月 6 日聞取り) 『歴史教育史 研究』第 2 号、2004 年 10 月、38 頁。佐藤氏は 1930 年 5 月生まれ、1943 年 4 月に東京の私立暁星中 学校に入学した。
15
「インタビュー記録 歴史教育体験を聞く 村山和夫先生」 (2014 年 9 月 23 日聞取り) 『歴史教育
史研究』第 12 号、2014 年 12 月、68 頁。村山氏は 1929 年 6 月生まれ、1942 年 4 月に新潟県立高田中
学校に入学するも怪我で休学して 1943 年 4 月に 1 年生であった。
32
年のときにちょっと習っただけで学徒動員になっちゃって。…
161943 年度中学 2 年生であった加藤文三氏は、次のように述べている。
…小学校を卒業して、中学校(旧制)は日大二中に進学しました。兄…が日大二 中に進んだ関係で弟たちは皆、日大二中に通いました。日大二中は、わりと自由主 義的な先生がたもいましたね。特にそのときの歴史の先生が面白くて、歴史にかな り引き付けられました。西洋史の先生でした。それから、地理の先生の話が面白く て、それに聞き入っていました。…
17地域や学校の違いがあるため、上記の各氏の回想には幅があり、一致しないのは当 然であるが、1943 年前後の歴史授業の様子の一端を知ることができる。 「1 年で国史と 東洋史を半期ずつやりました」という佐藤伸雄氏の回想や「アジア史を勉強した覚え があります」という村山和夫氏の回想は、上記の『国民科歴史指導書』にそったもの である点において興味深い。戦時下の学校教育の実際を知るためにも、さらに多くの 情報を集める必要があると考える。
5.1944 年度の検定歴史教科書
1943 年度中に発行された 1944 年度用の教科書目録も、現時点で確認されていない。
『中教出版十年史』には、 「…十九年度〔昭和 19 年度・1944 年度:引用者注〕用選定 教科書は既に五月十三日文部当局より発表せられたるを以て…
18」とあるので、1943 年 5 月 13 日に発表されたことが分かる。後述するように、中等学校用の国定歴史教科 書が 1944 年に発行されるため、その記載があったはずであり、また同時に、上級生用 の検定教科書が記載されていたことが推測される。
その検定教科書について、資料3を見ると分かるように 1943 年の 7~9 月に検定を 受け直している。 『中教出版十年史』には、1943 年 6 月 1 日から 1944 年 5 月 31 日ま での「営業の概況」として、昭和「十九年度〔1944 年度:引用者注〕用選定教科書中 文部省の命に依り、一部修正を加へしもの二百十八点に及び、之が修正は夫々旧発行 者の絶大なる援助のもとに速かなる修正をなし得たり
19」と述べられている。この歴 史教科書を含めた大量の検定は「文部省の命」によるものであった。なお、この検定
16
2017 年 11 月 3 日、電話での聞き取り(上記は筆者のメモである) 。鈴木氏は 1929 年 6 月生まれ、
1942 年 4 月に東京府立(都立)第十中学校に入学した。
17
「インタビュー記録 歴史教育体験を聞く 加藤文三先生」 (2015 年 7 月 25 日・9 月 26 日・12 月 1 日聞取り) 『歴史教育史研究』第 13 号、2015 年 12 月、71 頁。加藤氏は 1930 年 3 月生まれ、1942 年 4 月に東京の私立日本大学第二中学校に入学した。
18
前掲『中教出版十年史』 、98 頁。
19
同上。
33
は歴史教科書に関しては戦前における最後の検定となる。
このときに検定を受けた教科書を見ると、いくつかの点に気付く。中学校と高等女 学校の東洋史は検定を受けていない。 国史も初級用は基本的に検定を受けていない (中 学校の 1 種を除く) 。これらは前年度の 1 年生で学習を終えたものと見なされる。加え て、 中学校の国史上級用 1 種と高等女学校の国史上級用 1 種が実業学校用の 「国民科」
教科書として新たに検定を受けている。つまり、1944 年度の検定教科書として、中学 校と高等女学校では西洋史と国史上級用の教科書が、実業学校では東洋史・西洋史・
外国史・国史上級用の教科書が必要とされたことが分かる。
以上の 1943 年 7~9 月における検定教科書は、1943 年 5 月に発表された 1944 年度 用教科書目録には反映されていなかったと思われるが、供給本として 1943 年度の 2・
3 学期もしくは 1944 年度に使用されたと考えられる。一方で、上級生になるほど学徒 勤労動員の対象になっていたことを考慮すると、 特に 1944 年度はどれほど実際の授業 で使用されたのかは別の検討を必要とする。
また、検定通過と教科書目録掲載と供給本発行の 3 つは、連続するものであるべき も、特に混乱期には一致しない事例がままあることも事実である。ただし、1943 年検 定の歴史教科書は実際に発行されたことが現物で確認できている。
6.1944 年度向けの「中等学校教育内容ニ関スル臨時措置要綱」 (1943 年 12 月)に おける歴史教育と教科書
戦局の悪化にともない学校教育に対して非常措置がとられた。1943 年 10 月 12 日に は「教育ニ関スル戦時非常措置方策」が閣議決定され、国民学校の義務教育 8 年制の 実施延期、中等学校 4 年制の 1945 年 3 月での繰り上げ実施などが決められた。これを 受けて、1943 年 10 月 23 日には「教育ニ関スル戦時非常措置ニ関スル件」 (発国 474 号)が文部次官名で出され、さらに歴史教育を含めた中等学校の教育内容に関わって は、1943 年 12 月 20 日に「教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク中等学校教育内容措 置要綱ニ関スル件」 (発国 569 号)が文部次官名で出された
20。これは勤労動員の強化 に関わって臨時措置として中等学校の教育内容を改めるというものであった。
具体的には、 「 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」ニ基ク中等学校教育内容ニ関スル 臨時措置要綱」という「要綱」が示されている
21。ここで、すべての学校種の中等学 校での 1944 年度・1945 年度における上級学年(おおむね 3 年生以上)の「教科及修 練ニ関スル措置」を指示した。
中学校や高等女学校の国民科歴史では、3 年生で「新要目ノ趣旨」により「従来ノ」
検定教科書を利用して西洋史を学習させ、4 年生で「新要目ノ趣旨」により「従来ノ」
20
以上は、近代日本教育制度史料編纂会編『近代日本教育制度史料』第 7 巻(講談社、1956 年)の「第 十編 学校教育の戦時体制」を参照した。
21
日本放送協会編『文部省 中等学校教育ニ関スル臨時措置要綱解説』 (日本放送出版協会、1944 年
5 月)に、文部省担当者たちによる解説に加え、附録として上記の「要綱」が掲載されている。
34
検定教科書を利用して国史を学習させることとしている(資料4参照) 。そのため、特 に中学校では 1943 年度の 3 学期(1944 年 1~3 月)中に、2 年生の東洋史の学習を終 わらせ、同様に 3 年生の西洋史の学習を終わらせるようにと指示がなされている。本 来は 5 年制(修業年限 5 か年)で設定されていた中学校や高等女学校の歴史の授業を 中途でいきなり 4 年間に短縮し、しかも「従来ノ」検定教科書を使って無理に終わら せるための措置であった。ただし、強化された学徒勤労動員により、この「要綱」の 通りにすら授業は実施できなくなっていったのが実際であった。
7.1945 年度の中等学校における歴史教科書
7-1.1945 年度用教科書目録と歴史教科書
1945 年度用の教科書目録は以下のものが確認できている。
『昭和二十年度使用中学校教科用図書目録』 (文部省、1944 年 7 月)
『昭和二十年度使用高等女学校教科用図書』 (文部省、1944 年 7 月)
『昭和二十年度使用実業学校教科用図書目録(実業科教科用図書ヲ除ク) 』 (文部 省、1944 年 7 月)
( 『昭和二十年度使用青年学校教科用図書目録』 〔文部省、1944 年 7 月〕 )
221945 年度用の歴史教科書については、資料5にまとめた。目録には、1945 年度の各 学校の各学年で使用すべき歴史教科書が 1 または 2 種指定されている。ここに掲載さ れている歴史教科書は以下の 4 種(5 種)である。
文部省『中等歴史一』 (教科書番号:41 ノ一)
内容は「東亜及世界」 : 「序説」 、 「前編」 (東洋史) ・ 「後編」 (西洋史)
文部省『中等歴史二』 (教科書番号:41 ノ二および 42 ノ二)
内容は「皇国(維新以前) 」 : 「一 肇国」から「六 京かまくら」
文部省『中等歴史三』 (教科書番号:42 ノ三)
内容は「皇国(維新以前) 」 : 「七 建武の中興」から「十二 幕末の世局」
中等学校教科書株式会社『歴史皇国篇』
内容は「第一章 肇国」から「第二十章 大東亜戦争と皇国の使命」
図書名からは文部省著の国定教科書 3 種と中等学校教科書株式会社著の検定教科書 1 種の合わせて 4 種となるが、教科書番号を見ると『中等歴史二』には 2 種の記載が あるので、厳密には 5 種となる。
戦時下の国定教科書(および敗戦後の暫定教科書)の教科書番号は、基本として奇
22
1945 年度用の教科書目録は、教科書研究センター所蔵のものを利用した。
35
数が中学校用(男子用)で、偶数が高等女学校用(女子用)を指している
23。なお、
検定教科書は書名に中学校用などの記載があるのが通常であるが、一部のものにはそ のような記載のない、男子と女子とで共用されている検定教科書もある。国定教科書 の教科書番号の奇数・偶数の記載そして検定教科書の男子用・女子用の記載に注目し て中学校と高等女学校の 1945 年度用教科書目録の各科目を見ると、当然ながら、おお むね中学校では男子用教科書が、高等女学校では女子用教科書が掲載されている
24。 ただし、文法・漢文・地理の 3 科目は、高等女学校でも男子用の教科書番号(奇数)
の教科書が掲載されている。 これらの科目の教科書は男女共用であったことが分かる。
そして、歴史はと言えば、中学校では男子用の教科書が掲載されている一方で、高等 女学校では男子用と女子用の双方の教科書が掲載されている。このような科目は歴史 のみであった。
7-2.1945 年度用教科書目録中の歴史教科書記載に見る疑問点 以下、教科書目録に掲載された各教科書について、個別に見ていく。
「東亜及世界」を内容とする『中等歴史一』 (教科書番号:41 ノ一)は、当初から 男女共用であったと見なされる。実業学校の男女の各学校そして青年学校も含めて、
すべての学校で男子用の教科書番号が記載された『中等歴史一』が掲載されている。
「皇国(維新以前) 」の前半を内容とする『中等歴史二』の場合は、中学校等の男子 用には教科書番号「41 ノ二」が、高等女学校等の女子用には教科書番号「42 ノ二」が 記載されている。そのため、教科書目録上は『中等歴史二』には男子用と女子用の 2 種類があるように見える。しかし後述するように、 「42 ノ二」の『中等歴史二』は発 行(供給本)が確認されているのに対して、 「41 ノ二」の『中等歴史二』は発行(供 給本)はおろか作成(原本)すらまったく確認されていない。管見では、 「41 ノ二」
の『中等歴史二』は、この 1945 年度用の教科書目録での記載が唯一の存在である。目 録が作成された 1944 年 7 月時点では「41 ノ二」という男子用の『中等歴史二』の発 行が予定されていた可能性はあるが、詳細は不明である。
一方で、 「皇国(維新以前) 」の後半を内容とする『中等歴史三』は女子用の教科書 番号である「42 ノ三」のものしか掲載がない。実際に教科書目録では 4 年制の女子の 学校だけに掲載されている
25。 『中等歴史三』の内容から考えれば、 『中等歴史二』と 同様に、掲載のみでも男子用の「41 ノ三」があってしかるべきと思われる。なぜ『中 等歴史三』の男子用がこの時点(1944 年 7 月)で掲載すらなされていないのかが、逆 に不思議である。これも詳細は不明である。
23
中村紀久二「総論・敗戦と教科書」 (同監修『文部省著作 戦後教科書 解説』大空社、1984 年、
30 頁)参照。戦時下の教科書については、国立教育政策研究所教育図書館の鈴木由美子氏のご教示を 得た。
24
共用の検定教科書のみの科目等(地理附図、独語、支那語、マライ語など)は除く。
25
具体的には、 「高等女学校(修業年限四年ノモノ) 」 ・ 「女子農業学校(修業年限四年ノモノ) 」 ・ 「女
子商業学校(修業年限四年ノモノ) 」である。
36
中等学校教科書株式会社著の『歴史皇国篇』は「皇国」の歴史について、 「肇国」か ら「大東亜戦争と皇国の使命」までを記述した検定教科書である。 『中等歴史一』とと もに、すべての学校において使用教科書として掲載されている。1943 年の教科教授及 修練指導要目で想定されている「 (維新以前) 」と「 (維新以後) 」を分けない、授業時 数の少ない学校での「皇国」の歴史の授業に『歴史皇国篇』を使用するのは理解でき る(資料2参照) 。しかし、 「皇国(維新以後) 」の歴史授業に対して、 「肇国」以来を 内容とする『歴史皇国篇』を使用するのは不自然である。例えば、4 年制の高等女学 校では 1~3 学年で『中等歴史一』 ・ 『中等歴史二』 ・ 『中等歴史三』を使って「東亜及世 界」と「皇国(維新以前) 」を学んで、4 学年で『歴史皇国篇』を使って、再び「肇国」
以来の「皇国」の歴史を学ぶ形になっている。将来的には、 「皇国(維新以後) 」を内 容とする『中等歴史四』 (など)を作成する計画であったとも推測される。これも詳細 は不明である。
このように 1945 年度用教科書目録には、歴史教科書から見ると、疑問の点がいくつ も見出せる。しかも、以上の 1945 年度用教科書目録は作成された 1944 年 7 月の時点 での次年度の予定を記したものに過ぎない。その後、1945 年 3 月になって、1945 年度 は国民学校初等科を除いた学校での授業が原則として停止されることとなる
26。また、
以下で述べる各教科書の状況も勘案すると、どれほどの生徒にこれらの教科書がわた り、使用されたのかは、さらに別な検討が必要となる
27。
8. 『中等歴史一』について
8-1. 『中等歴史一』1944 年 5 月初版
中等学校国民科歴史の「東亜及世界」を内容とする『中等歴史一』が 1944 年 5 月に 発行された。内容の詳細は資料7に掲載した。1945 年 10 月に修正版が発行されるの で、これを仮に「 『中等歴史一』1944 年 5 月初版」と称しておく。
検定教科書制度を基本とした戦前の中等段階の諸学校において、最初の国定外国史 教科書であった。戦前最後の外国史教科書でもあり、この点が研究上注目されてきた
28。
戦前の中等段階の諸学校においては学校種により使用教科書が異なるのが通常であ り、特に 1937 年の教授要目ではこれが徹底されていた。しかし、1945 年度の教科書 目録に見るように、 『中等歴史一』は、青年学校も含めてすべての学校での使用が想定 された教科書であった。
具体的な執筆者や作成の経緯などは、 以下の他の教科書を含めて、 明らかではない。
国定教科書であるので文部省で作成したとは思われるが、 『中教出版十年史』には「…
実質的には、会社〔中等学校教科書株式会社:引用者注〕は文部省の委嘱により、国
26
1945 年 3 月 18 日、 「決戦教育措置要綱」 、閣議決定。
27
加えて、 1945年8月の敗戦以前に1946年度用の教科書目録が作成されていた可能性も指摘できる。
28
満井隆行『外国史の教育―その史的研究―』 (葵書房、1966 年) ( 『中等歴史一』に関しての初出は、
同「昭和期の外国史教育」 『茨城大学教育学部紀要』第 13 号、1964 年 3 月)などがある。
37
定教科書にも著者の選定からはじめて編集の実務に協力し、心構えにおいては自ら編 集するのとかわらなかった
29」ともあり、詳細は今後の課題である
30。
『中等歴史一』1944 年 5 月初版の供給本の書誌情報は以下の通りである。
・文部省(著作兼発行者) 『中等歴史一』中等学校教科書株式会社(翻刻発行者) 、 1944 年 5 月 7 日発行、1944 年 5 月 15 日翻刻発行、教科書番号「41 ノ一」 、定 価 75 銭。表紙には「 (41) 」の記載あり。
・表紙、中表紙、 「目録」 、本文(4~211 頁) 、 「年表」 (1~23 頁) 、 「附図」 (折り 込みの歴史地図、3 枚表裏の 6 地図、2 色刷り) 、奥付。中表紙から年表 23 頁ま で 233 頁。
その発行までの流れは以下の通りである。
1943 年 12 月 16 日に教科用図書調査会総会において原案が決定した。これは翌日の 新聞報道で確認できる。新聞では修身とともに、 「皇国史観の確立へ 修身に山本元帥 や市原(通)博士 中等校の二新教科書
31」 、 「南方民族史も登場 修身に「市原魂」
中等学校の三新教科書成る
32」 、 「尽忠の大国民錬成 中学校一、二年修身、歴史教科 書原案
33」などと報道された(資料6参照) 。
1944 年 5 月 7 日に原本が発行された。この日付は供給本の奥付に記載されている。
原本は、国立教育政策研究所(K220.2/208/1) ・教科書研究センター(Tf24/1/1) ・東 書文庫(T21-S19-1)が所蔵している。
1944 年 5 月 7 日に文部省の検査済となった。この日付は供給本の奥付に記載されて いる。検査のための見本本は、国立教育政策研究所(K220.2/208d/1)が所蔵している。
表紙に 1944 年 5 月 4 日付で「見本検査」 「 (正本) 」との記載があり、 「図書監修官」の 私印( 「中村一良」か)と「第一編修課長」の私印( 「井上」赳か)がある。表紙の裏 には「差支ナシ」とペン書きがあり、私印( 「中村一良」か)が押されている。見本本 に奥付はないが、供給本の奥付の記載によれば、印刷は 1944 年 5 月 3 日である。
1944 年 5 月 15 日に翻刻発行、すなわち供給本が発行されている。この日付は供給 本の奥付に記載されている。
1944 年 6 月 2 日に文部省の告示により『中等歴史一』の定価が 75 銭と決定した
34。
29
前掲『中教出版十年史』 、56 頁。
30
国語では、吉田裕久「 『中等国文』 (1943)の編纂過程―「森下日記」の分析を通して―」 ( 『広島大 学大学院教育学研究科紀要 第二部』第 56 号、2007 年) 、同「 『中等国文』 (1943)の研究―編纂理念 と指導法を中心に―」 ( 『広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部』第 57 号、2008 年)などにより 詳細な研究が進められている。
31
『朝日新聞』 、1943 年 12 月 17 日。
32
『読売報知』 、1943 年 12 月 17 日。
33
『毎日新聞』 、1943 年 12 月 17 日。
34
1944 年 6 月 2 日、文部省告示第 938 号(同日『官報』第 5213 号) 。
38 8-2. 『中等歴史一』1944 年 10 月修正版
『中等歴史一』の修正版が 1944 年 10 月に発行された。 『中等歴史一』の修正版を、
仮に「 『中等歴史一』1944 年 10 月修正版」と称しておく。 『中等歴史一』1944 年 10 月修正版は、これまで特に修正版として研究の対象とされてこなかった。
その供給本の書誌情報は以下の通りである。
・文部省(著作兼発行者) 『中等歴史一』中等学校教科書株式会社(翻刻発行者) 、 1944 年 5 月 7 日発行、1944 年 10 月 25 日修正発行、1944 年 10 月 30 日修正翻 刻発行、教科書番号「41 ノ一」 、定価 75 銭。表紙には「 (41) 」の記載あり。
・中表紙から奥付までのページ数等は初版と同じ。
『中等歴史一』1944 年 10 月修正版の発行までの流れは、以下の通りである。
1944 年 10 月 25 日に修正版の原本が発行された。この日付は供給本の奥付に記載さ れている。原本は、国立教育政策研究所(K220.2/208b/1)が所蔵している。
1944 年 10 月 26 日に文部省の検査済となった。この日付も供給本の奥付に記載され ている。見本本は教科書研究センター(Tf24/1/1(昭 19.10)修)が所蔵している。表 紙に 1944 年 10 月 24 日付で「見本検査」 「 (正本) 」との記載があり、初版と同様に「図 書監修官」の私印と「第一編修課長」の私印がある。表紙には「差支ナシ」とペン書 きがある。見本本に奥付はないが、供給本の奥付によれば修正印刷は 1944 年 10 月 21 日である。
1944 年 10 月 30 日に修正翻刻発行、すなわち供給本が発行されている。これも供給 本の奥付に記載されている。供給本は、国立教育政策研究所(K220.2/208c/1)が所蔵 している。
1945 年 2 月 10 日に「昭和二十年度使用分ヨリ左ノ通改定ス」として『中等歴史一』
の定価が 90 銭に改定されている
35。
8-3. 『中等歴史一』の初版と修正版の異同や使用状況
『中等歴史一』の 1944 年 5 月初版と 1944 年 10 月修正版との記述の異同を資料 11 にまとめた。誤植訂正以外に、写真の差し替えと写真の表題の変更、年表での削除・
追加、地図の記載の修正などがなされている。基本的に軽微な修正であると言える。
国民学校初等科の国定国史教科書である『初等科国史』 (上・下)が 1943 年初版に対 して 100 か所ほどの修正を施して、1944 年修正版で皇国史観の徹底を図っているのと は対照的である
36。関連して、戦後の暫定外国史教科書
37は『中等歴史一』1944 年 10
35
1945 年 2 月 10 日、文部省告示第 25 号(同日『官報』第 5420 号) 。ただし、筆者は現時点において 90 銭の『中等歴史一』を確認しえていない。
36
拙稿「国民学校初等科の国民科国史教科書『初等科国史』に対する基礎的考察」 『歴史教育史研究』
第 1 号、2003 年 10 月。
37
戦後の暫定外国史教科書とは、文部省を著作兼発行者とし、中等学校教科書株式会社を翻刻発行者
39
月修正版をもとに作成されていたことが確認できる。
1944 年 5 月初版と 1944 年 10 月修正版の使用状況については、発行年月から見ると 初版は 1944 年度の初めから、 修正版は 1944 年度の途中もしくは 1945 年度の初めから 使用されたと考えられる。対象としては 1 年生と 2 年生の使用が想定されていた教科 書であった。現在において確認できる供給本には、記名や使用の跡のあるものが散見 される。また、記名を消して別な記名のなされたものもある。使用の組み合わせとし ては、①1944 年度の 1 年生が初版を使用、1945 年度に 2 年生になって引き続き初版を 使用、②1945 年度の 1 年生が修正版を使用、を基本として、③1945 年度の 1 年生が古 書の初版を使用、などが考えられる。岩本努「教科書のどこに墨をぬったか
38」では、
長野県に残されている『中等歴史一』の 5 冊の墨塗り教科書を紹介しているが、ここ には初版と修正版が混在している点が興味深い。使用状況についても今後の調査が必 要であると考える。
9. 『中等歴史二』について
中等学校国民科歴史の「皇国(維新以前) 」の前半に当たる「一 肇国」から「六 京 かまくら」までを内容とする『中等歴史二』が 1944 年 8 月に発行された。内容の詳細 は資料8に掲載した。
その供給本の書誌情報は以下の通りである。
・文部省(著作兼発行者) 『中等歴史二』中等学校教科書株式会社(翻刻発行者) 、 1944 年 8 月 13 日発行、1944 年 8 月 30 日翻刻発行、教科書番号「42 ノ二」 、定 価 41 銭。表紙には「 (42) 」の記載あり。
・表紙、中表紙、 「神勅」 、 「御歴代表」 、 「目録」 、本文(7~100 頁) 、奥付。中表 紙から奥付まで 101 頁。
233 頁の『中等歴史一』と比べると、101 頁という半分以下の薄い教科書となってい る。
現時点で確認できている『中等歴史二』の発行までの流れは、以下の通りである。
1944 年 8 月 13 日に原本が発行された。 この日付は供給本の奥付に記載されている。
原本は国立教育政策研究所(K230.2/160/2 など)が所蔵している。
1944 年 8 月 13 日に文部省の検査済となった。この日付も供給本の奥付に記載され とする、東洋史を内容とする『暫定中等歴史一[前]』 (1946 年 4 月 21 日発行、同日翻刻発行) ・ 『暫定 中等歴史一[後]』 (1946 年 9 月 23 日発行、同日翻刻発行) 、および西洋史を内容とする『暫定中等歴 史二[前]』 (1946 年 5 月 17 日発行、同日翻刻発行) ・ 『暫定中等歴史二[後]』 (1946 年 11 月 30 日発行、
同日翻刻発行)である。
38
岩本努「教科書のどこに墨をぬったか」歴史教育者協議会編『あたらしい歴史教育』第 3 巻、大月
書店、1993 年。
40
ている。検査のための見本本は確認できていない。
1944 年 8 月 29 日に『中等歴史二』の定価が 41 銭と決定したことが文部省により告 示された
39。
1944 年 8 月 30 日に翻刻発行、すなわち供給本が発行された。この日付も供給本の 奥付に記載されている。供給本は、国立教育政策研究所(K230.2/160a/2)などが所蔵 している。
1945 年 2 月 10 日に「昭和二十年度使用分ヨリ左ノ通改定ス」として『中等歴史二』
の定価が 40 銭に改定された
40。
前述したように、1945 年度用の教科書目録に掲載された「41 ノ二」または「 (41) 」 という教科書番号を持った『中等歴史二』は、ここで取り上げた原本や供給本等の教 科書の現物はもちろん、価格の告示等の文書にもまったく現われない。なお、教科書 の記述を見ると、注記のような形での女子に関わる記載が散見される。その意味で女 子用としての特徴を備えた歴史教科書であると言える。明確な使用状況は確認できて いないが、筆者所蔵のもの(古書店で購入)は、裏表紙に記名を消した跡がある。内 容や使用状況について、今後とも調査が必要である。
10. 『中等歴史三』について
中等学校国民科歴史の「皇国(維新以前) 」の後半に当たる「七 建武の中興」から
「十二 幕末の世局」までを内容とする『中等歴史三』が 1945 年 2 月に原本発行され た。内容の詳細は資料9に掲載した。
その原本の書誌情報は以下の通りである。
・文部省(著作兼発行者) 『中等歴史三』 、1945 年 2 月 20 日発行(原本発行) 。奥 付に、教科書番号の記載なし(表紙には「 (42) 」の記載あり) 、定価の記載はな く、 「 (非売品) 」とある。
・表紙、中表紙、 「神勅」 、 「御歴代表」 、 「目録」 、本文(7~94 頁) 、奥付。中表紙 から奥付まで 95 頁。
供給本は発行されたとされている。その根拠は、 『中教出版十年史』の記載と後述す る定価決定の告示などによる。 『中教出版十年史』の記載とは、同書の「中教出版発行 図書目録」の「2.国定教科書」の欄に、 「中等歴史」 「三」が発行年度を昭和「20」年 として掲載されていることを示す
41。また、1945 年 12 月の三教科停止指令に関わる回
39
1944 年 8 月 29 日、文部省告示第 1051 号(同日『官報』第 5288 号) 。
40
1945 年 2 月 10 日、文部省告示第 25 号(同日『官報』第 5420 号) 。ただし、筆者は現時点において 40 銭の『中等歴史二』を確認しえていない。
41
前掲『中教出版十年史』 「中教出版発行図書目録」 、5 頁。
41
収教科書に『中等歴史三』が記載されている
42。ただし、筆者はいまだ供給本を確認 しえていない。
現時点で確認できている『中等歴史三』の発行に関わる情報は、以下の通りである。
1945 年 2 月 20 日に原本が発行された。これは原本の奥付の記載による。原本は国 立教育政策研究所(K230.2/160/3)、教科書研究センター(Tg24/1/3)、一橋大学
(Tsuchiya/VI:3972:3)が所蔵している。
1945 年 4 月 11 日に文部省の告示により「新ニ翻刻発行ヲ許可シタル中等学校教科 用図書ノ定価ヲ左ノ通改ム」として『中等歴史三』の定価が 40 銭と決定した
43。 「改 ム」とあるが、これ以前の定価の告示は確認できていない。
教科書の記述の中には、注記のような形での女子に関わる記載が散見される。 『中等 歴史二』と同様に、女子用としての特徴を備えた歴史教科書であると言える。
価格の決定もなされており、供給本発行の要件を満たしているが、時期的に発行は 厳しかったとも思われる
44。今後の調査がまたれる。
11. 『歴史皇国篇』について
中等学校国民科歴史の「皇国」 ( 「第一章 肇国」~「第二十章 大東亜戦争と皇国 の使命」 )を内容とする『歴史皇国篇』が 1945 年 2 月に作成された。 『歴史皇国篇』は 国定教科書ではなく、中等学校教科書株式会社を著作兼発行者とする検定教科書であ る。内容を資料 10 に掲載した。
国立教育政策研究所(K220.2/209) 、東書文庫( T21-S20-1)に所蔵されているもの の書誌情報は以下の通りである。
・中等学校教科書株式会社(著作兼発行者) 『歴史皇国篇』 、1945 年 2 月 5 日発行。
教科書番号の記載はないが、奥付に「 (略号)歴史皇国」の記載がある。また、
奥付に定価 70 銭の記載がある。
・表紙、中表紙、 「神勅」 、 「御歴代表」 、 「目録」 、本文(8~136 頁) 、年表(1~14 頁) 、奥付。中表紙から奥付まで 150 頁。
実際に発行されたとはされていない。 『中教出版十年史』にも記載はない。ただし、
42
「修身・国史及ビ地理教科用図書ノ回収要項」 (1946 年 2 月 12 日、発教 17 号。 『復刻版 文部行政 資料(終戦教育事務処理提要)第二集』国書刊行会、1997 年、371 頁)には、 「中等歴史二・三」 「歴 史皇国篇(検定本) 」が回収教科書として指示されている。
43
1945 年 4 月 11 日、文部省告示第 60 号(同日『官報』第 5469 号) 。
44
中村紀久二編『復刻版 国定教科書編纂趣意書 解説・文献目録』 (国書刊行会、2008 年、78~80
頁)では、国民学校初等科・高等科の国定教科書について、未刊行の教科書の存在を指摘し、児童用
の 1945 年 3 月 10 日原本発行以後と教師用の 1945 年 1 月 8 日の原本発行以後の刊行は中断されたと
みられることを述べている。中等学校教科書でのこれらの点は、現時点で確認できていない。
42
『中等歴史三』と同様に、1945 年 12 月の三教科停止指令に関わり指示された回収教 科書には記載されている
45。
この教科書の位置づけがはっきりしない。内容を見ると分かるように、国民科歴史 の「東亜及世界」の『中等歴史一』 、 「皇国(維新以前) 」の『中等歴史二』 ・ 『中等歴史 三』に続く、 「皇国(維新以後) 」を対象としたものでなく、 「皇国」史全体を対象とし た内容になっている。本来は、 「維新以前」と「維新以後」に分けずに「皇国」史の授 業をする学校向けのものであった可能性もある。ただし、1945 年度用の教科書目録で は、 『中等歴史一』とともに、青年学校を含めてすべての学校に掲載された教科書であ り、重要な役割が想定されていたと見なすべきである。一方で、同目録の中学校を見 ると、国民科の修身・国文・漢文・歴史・地理、理数科の数学・物象・生物といった 主要な科目の最終学年である 4 年生用の教科書は、すべて中等学校教科書株式会社著 の検定教科書が当てられている。 『歴史皇国篇』もその中の一つであり、他の教科目も 含めた戦時下の検定教科書としての共通の意味もあわせて検討していく必要がある
46。
おわりに
以上、1941 年度からの五種選定による検定歴史教科書、1943 年の教科教授及修練指 導要目での歴史教育、1944 年度からの国定歴史教科書等に関わる情報を整理して、戦 時下の中等学校における歴史教育・歴史教科書をたどってきた。多くの疑問の点を残 しながらも、単純に教授要目と国定教科書だけでは語れない戦時下の歴史教育の一端 を示す結果となった。これらの点を踏まえた研究が必要となる。
ただし、ここで確認したことは、その時々の教育行政による想定に過ぎない側面も ある。制度と実態の乖離が最も甚だしい時期でもあり、戦時下の歴史教育の把握のた め、各種の事例のさらなる収集と精査とともに、他の教科・科目でのさらなる調査を 期待したい。
付記
資料調査にあたりご協力とご教示を賜った国立教育政策研究所教育図書館・教科書 研究センター附属教科書図書館・東書文庫の皆様、当時のご自身の経験をお聞かせ下 さった先生がたに、厚く御礼を申し上げます。
45
注 42 参照。1945 年度用教科書目録にある教科書をそのまま掲載したものとも推測される。
46