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1988 年 に 出 版 さ れ た Columbia Literary History of the United States

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アメリカ小説研究と SF/ファンタジー

渡 邉 真 理 子

1988 年 に 出 版 さ れ た Columbia Literary History of the United States

(1988)は、現代文学の新たな傾向を論じる際に、「ハイブリッドな形態」をも つ「ひとつの重要な文学ジャンル」としての SF の出現を挙げている(Elliott 1162)。出版当時から現在に至るまで、アメリカ文学研究における「正典」的 役割を果たしてきたこの文学史が、長らく「文学」に対する大衆的なサブ・ジャ ンルとみなされてきた SF に文学的価値を与えていることは、注目に値する。

ヨーロッパとは異なり、長い間 SF というジャンルに極めて低い評価しか与え てこなかったアメリカ文学界だが、60 年代のポストモダニズムによるカテゴ リー/ジャンル崩壊の動きを受けた形で、SF は「文学」の領域に受け入れら れるようになった。SF というジャンル自体は既に 50 年代に黄金期を迎えて おり、その影響力は、当時の Kurt Vonnegut(1922-2007)を売り出す際の出 版社のマーケティング戦略にも反映されている。1952 年に発表された彼の小 説 Player Piano(1952)は、数年後に Bantam Books から SF 性を強調した

Utopia-14 というタイトルで再出版されたが、Vonnegut 自身は「真剣な文学

とはみなされない」という理由から、「SF 作家」というレッテルを拒絶して いたという(Marvin 13) 。

* 福岡大学人文学部外国語講師

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また、80 年代末は、アメリカ文学と SF を始めとする大衆文学との境界の 揺らぎに反応した感性が、SF 界からも発信された時期でもある。1984 年に処 女 作 Neuromancer (1984) で 鮮 烈 な デ ビ ュ ー を 飾 っ た William Gibson

(1948- )率いるサイパーパンク(Cyberpunk)運動は、SF のひとつのジャ ンルであるとともに、Larry McCaffery らのアメリカ文学研究者を巻き込ん だ文学現象となった。そして 89 年、SF 作家 Bruce Sterling(1954- )は、ス リップストリーム(Slipstream)という新たな文学の傾向の到来を宣言した。

彼は当時低迷していた SF を冷戦終結期のソヴィエトに擬え、SF、ファンタ ジー、メインストリーム文学等のジャンル的主流をパロディ化した、自己言及 的なスリップストリーム・フィクションの出現に、SF 活性化の夢を託したの である。

100 名以上の作家とその作品を列挙した彼の "Slipstream List" には、

Kathy Acker(1945-97) 、Paul Auster(1947- ) 、William Gaddis(1922-98) 、 Thomas Pynchon (1937- )、 Steve Erickson (1950- )、 Ishmael Reed

(1938- )、William Gibson(1948- )など、現在、アメリカ文学系の多数の ジャーナルにおいてしばしば「ポストモダン作家」として論じられている作家 たちの名前が並ぶ。Sterling が提唱したこのスリップストリーム現象は以後 のアメリカ文学研究に影響を与え、2000 年には Damien Broderic が、その定 義を上書きした Transrealist Fiction(2000)という書を発表し、そこで SF/

ファンタジーと文学を並列的に論じている。

本稿では、主に 90 年以降から現在までに出版された、SF/ファンタジー研 究とアメリカ小説研究との接点を定位する批評文献を考察しながら、両者が互 いに分かちがたく連動している<アメリカ文学の現在>を理解するための見取 り図を呈示したい。

Ⅰ アメリカとファンタジー

「アメリカ文学と SF」との連動関係については、上記で述べた経緯から関

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連資料も比較的豊富ではあるが、視点を「アメリカ文学とファンタジー」に限 定すると、参照できる資料の数は前者に比べて圧倒的に少ない。そもそも、ヨー ロッパ圏と比較すると、アメリカにはファンタジーというジャンルが根付かな い文化的土壌があったのではないか。歴史的に妖精や魔女が登場する民間伝説 を数多く有してきたヨーロッパには、深い森や谷など、ファンタジー文学に見 られる超自然的幻想性を掻き立てる空間がふんだんに存在した。一方、歴史が 浅いアメリカには広大な土地があったものの、建国前史において、そこは先住 民の居住空間あるいは開拓しなければならない未開の荒野であり、西洋的なファ ンタジーの素地となる伝説を育む場ではなかった。また、初期アメリカの思想 形成において主軸をなしていたピューリタニズムが説く厳格な道徳律や、

Benjamin Franklin(1705-1790)を源流とするプラグマティズムの伝統も、

<現実>よりも<幻想>に重きを置くファンタジーという物語ジャンルがアメ リカにおいて生起する妨げとなったのではないかと推測される。

もちろん、マサチューセッツ州セーレムにおいて 1692 年に魔女裁判が行わ れたように、歴史の浅い新世界アメリカにも魔女伝説は存在するが、それは 17 世紀に全盛を極めた旧世界ヨーロッパの異端撲滅運動と連動したものであ る。Walt Whitman(1819-92)や Henry David Thoreau(1817-62)などの 作家たちがアメリカ独自の文学の確立を目指した 19 世紀のアメリカン・ルネ サ ン ス 期 に は 、 Nathaniel Hawthorne (1804-64) が "Young Goodman Brown"(1835)などの魔女物を発表したが、それらは宗教への懐疑や人間精 神の深部を神秘的に描くゴシック・ロマンスであり、冒険や空想世界を売りと するファンタジーとは一線を画す。また、このアメリカン・ルネサンスに先駆 け、19 世紀初期には Washington Irving(1783-1859)が "Rip Van Winkle"

"The Legend of Sleepy Hollow" を含む短編集 The Sketch Book(1819-20)を

著し、アメリカにファンタスティックな伝説文学をもたらした。しかし、これ

らはドイツの物語を土台とし、その舞台をアメリカの実在の土地へと移行させ

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たものであり、その点においてアメリカ文学の独自性を主張することはできな い(Pochmann 364)。

このように、19 世紀アメリカ文学は、旧世界から独立した文学的アイデン ティティの形成期にあり、そこから出発したと考えられるアメリカン・ファン タジーの源流は、ゴシック・ロマンスや旧世界から借用した伝説の焼き直しの なかに見出すことができる。実際、Brian Attebery は、Irving や Hawthorne の作品に認められる上記の要素を、広義に解釈されたファンタジーとみなして い る 。 1980 年 代 に 出 版 さ れ た 四 つ の フ ァ ン タ ジ ー 論 、 Attebery の The Fantasy Tradition in American Literature (1980)、Rosemary Jackson の Fantasy (1981)、Kathryn Hume の Fantasy and Mimesis (1984)、Lance Olsen の Ellipse of Uncertainty (1987) を紐解くと、 Tzvetan Todorov が The Fantastic: A Structural Approach to a Literary Genre (1973)におい て理論化した幻想文学をも含むヨーロッパ型のファンタジーの定義を批評家た ちが再定しつつ、かなり多くのアメリカ文学作品にそれを適用していることが 分かる。これら四つの書が試みる定義に共通する最大公約数的要素は、リアリ ティからの逸脱である。例えば、Olsen はファンタジーを「脱構築する意志」

(Olsen 22)を前提とするモードであると再規定し、「ポストモダン・ファン タジー」 として Pynchon の The Crying of Lot 49 (1966)、 Joseph Heller

(1923-99)のCatch-22(1961)、Donald Barthelme(1931-89)の小説などを 論じている。Todorov はファンタジー(The fantastic)を成立させる要素を

「自然の法しか知らない人物が、一見して超自然的な出来事に直面したときに 体験するためらい」(Todorov 25)とし、このジャンルが "The uncanny"(合 理的に説明可能なゴシック・ロマンスや怪奇小説など)と "The marverous"

(超自然的な魔法物、御伽話など)との境界領域に存在すると規定している。

つまり、 この "The uncanny" と "The marverous" を二項対立的に設定した

Todorov の理論が、リアリティという概念を脱構築して根底から問い正すポ

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ストモダニズムを経た研究者たちによって、80 年代に再定義されたのである。

例えば Jackson はファンタジーを「混乱させ不安定にする技法」と規定し、

「明確な現実や真実を拒絶」し、「静的なものに対する敵意」を持つがゆえにそ れが「過度に自己言及的」な形態であると述べている(Jackson 37) 。

Hawthorne のロマンスや Edgar Allan Poe(1809-49)のゴシック小説といっ た 19 世紀文学から、Pynchon の Gravity's Rainbow (1973)などの SF 的な ポストモダン小説に至るまで、現在、アメリカ文学研究において、ファンタジー という用語は広義に解釈されている。では、アメリカ的なファンタジーの特徴 とは具体的にはどういうものなのか。ヨーロッパの形態を借用することから出 発したアメリカのファンタジーは、自らのアイデンティティをどのように形成 してきたのか。

Ⅱ テクノロジーと文学

Anna Chaudhri によれば、アメリカの御伽話の伝統は、カンザス出身の少 女 を 主 人 公 と す る Lyman Frank Baum (1856-1919) の The Wonderful Wizard of Oz (1900)の後、詩人 Carl Sandburg(1878-1967)による児童文 学 Rootabaga Stories(1922)で成熟期を迎えたということである(Chaudhri 52)。この児童文学集に収められている "The Two Skyscrapers Who Decided to Have a Child" という物語では、二つの摩天楼が結婚して子供をもうける。

建築物として身動きが取れず不自由な思いをしていた彼らは、自由に動き回れ る子供をもちたいと願った結果、鉄道列車を子として授かる。そして物語の結 末では、多数の人々を乗せて町から町へと駆け回っていた列車が、大事故を起 こ し て し ま う の で あ る 。 こ の 物 語 が 出 版 さ れ た 1920 年 代 が 、 F. Scott Fitzgerald (1896-1940) の The Great Gatsby (1925) や John Dos Passos

(1896-1970)の Manhattan Transfer(1925)などニューヨーク都市小説の代

表作が発表された時期であることを考慮すれば、摩天楼と鉄道を題材とした

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Sandburg のファンタジーが、都市化と工業化が進む当時のアメリカの現実と 密接に関わっていることが理解できよう。子供向けの娯楽物語として、人々の 役に立つが腕白すぎる少年という軽妙なイメージで包まれているものの、暴走 列車の破滅的な最期は、Fitzgerald と Dos Passos が予言した<狂騒の 20 年 代>が行き着く暗い未来を思わせる。

この物語と The Wonderful Wizard of Oz との共通項は、ファンタジーの 世界にテクノロジーを導入することで当時のアメリカ文化を反映している点で ある。オズが本物の魔法使いではなく、人間が機械装置を用いたトリックによっ て構築した存在であることを明かすことで、Baum はいわば旧来のファンタジー に備わっていた魔法性を<脱魔法化>している。ここにアメリカ的な合理主義 とプラグマティズムの要素を認めることができよう。なお、鉄道をモチーフと した寓話的作品は、早くも 19 世紀半ばに Hawthorne によって書かれている。

"The Celestial Railroad" (1843) は 、 John Bunyan (1628-88) の The Pilgrim's Progress(1678)が描いた苦しい試練に満ちた巡礼の旅と比較しな がら、"Celestial City" 行きの鉄道を利用する巡礼者たちの列車の旅を描いた 短編小説である。この作品が書かれた 1843 年は、ニューイングランド出身の 宗教家 William Miller(1782-49)が<世界の終末>だと予言した年であり、

この年から翌年にかけて、Miller 派によるキリスト再臨運動が行われた。こ のような時代思潮に反応して宗教色の強い作品を書いた Hawthorne だが、19 世紀という新しい時代における「天路歴程」を描くにあたって、進みゆく近代 化の象徴である「鉄道」と「都市」をモチーフとして使っている点は非常にア メリカ的である。そして、その地獄的な結末は、彼が新しい宗教運動のみなら ず、アメリカの機械化・合理主義に対しても懐疑の念を抱いていたことを表し ている。

このように、ファンタジー的世界に機械文明が導入されるという文学の傾向

のなかに、Leo Marx が The Machine in the Garden (1964)において指摘し

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た、19 世紀アメリカの理想を支えていた<テクノロジーに対するユートピア 的信仰>を認めることができるかもしれない。 Thoman Jefferson (1743- 1826)が謳う農本主義の理想から出発した<第二のエデン>であるアメリカが、

19 世紀からの機械文明の発達に伴い、田園的風景にテクノロジーを組み入れ てきたとする見方である。もちろん "The Celestial Railroad" の場合、結果的 にテクノロジーはディストピアと接合されているが、鉄道の旅の前半における 乗客たちの楽観的ムードは、テクノロジーの発展を賛美する当時の時代思潮を 捉えている。このようなテクノロジーに対するアメリカ的態度は、文学のみな らず SF 研究においても重要な論点となっている。例えば、 The Machine in the Garden を読み直した SF 関連の批評文献としては、Scott Bukatman の Terminal Identity (1993)、 Rob Wilson の "Techno-euphoria and the Discourse of the American Sublime"(1994)、 Sharona Ben-Tov の The Artificial Paradise (1995)、Ernest J. Yanarella の The Cross, the Plow and the Skyline(2001)など枚挙にいとまがない。

Wilson の 論 考 は 、 Marx の "technological sublime" の 定 義 を 踏 ま え 、 Gibson の小説が呈示するサイバースペースの世界を、「ナショナルな空間を認 識せず」「人種的アイデンティティを遺棄」(211)した「テクノロジカル・サ ブライムのサイバネティック版」 (210)である「ネオ・サブライム」 (211)と 規定している。また、Bukatman は、「宇宙時代の神話を描くのにふさわしい ディスコース」(Bukatman 7)である SF を題材に、人間とテクノロジカル なものが互いに相手を規定しあう「ターミナル・アイデンティティ(terminal identity)」という主体転覆的アイデンティティの到来について論じている。

Marx が指摘した 19 世紀的な田園的理想を SF ジャンルと関連づけた Ben- Tov は、アメリカ SF が失われた自然を回復するために "artificial paradise"

を構築する試みを繰り返してきたと主張し、その典型的作品として Vonnegut

の Slaughterhouse-Five (1969)を挙げる。

一方、Yanarella は、「地上の楽

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園と産業テクノロジー」を並置した 19 世紀の理想が「アメリカ文学の矛盾の 中心」(Yanarella 78)であると指摘し、機械化が進む 1988 年から 1900 年に かけて、150 作以上におよぶユートピア小説とディストピア小説が発表された 事実に言及している(Yanarella 97)。

このようなテクノロジーを内包したユートピアという観念は、1960 年代に 書かれた小説にも表れている。例えば、Richard Brautigan(1935-84)の In Watermelon Sugar(1968)では、"iDEATH" と呼ばれる自我滅却の共同体が 描かれる。この舞台設定は、自給自足の自然生活を理想とした 60 年代ヒッピー たちのコミューンを揶揄したものであるが、注目すべきは、パストラルな共同 体 "iDETH" の周縁部に、過ぎ去りし機械文明時代の遺跡である "Forgotten Works" と呼ばれる工場が存在している点である。この共同体は、暴力的な虎 たちが大量殺戮を繰り返した時代を経た、いわばポスト・ホロコーストの近未 来における新たなエデンとして描かれている。この理想郷においてイヴのイメー ジを与えられた主人公の恋人は、"Forgotten Works" に眠る骨董品に魅惑さ れ、結果的には精神に異常をきたし自ら命を絶つ。つまり、この小説は、テク ノロジーを害悪とみなし、それを封印することで楽園建設の夢を実現しようと する行為の限界を見つめている。肥大化したテクノロジーの時代を完全に消滅 させることは不可能である。なぜならその遺物は産業廃棄物のごとく楽園の傍 らに眠り、住民を誘惑するのだから。

また、70 年代初頭に発表された Jerzy Kosinski(1933-91)作 Being There

(1971)では、自我をもたない庭師 Chance が暮らすエデン的な庭が物語の舞

台となるが、彼の人格は、彼自身が四六時中観ているテレビから発信されたイ

メージによって構築される。テレビから学んだ言葉を意味も分からずおうむ返

しに繰り返すことで国民的英雄となり、テレビ画面を通して大衆に消費される

一個のイメージと化した Chance だが、人間らしいアイデンティティが欠如し

ているため、庭の植物のように心穏やかな状態にある。つまり、自意識が希薄

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であるからこそ、テクノロジーによるディストピアを回避できるのである。こ のようにヒロイズムの達成が偶然に支配されるという新たなタイプのアメリカ ン・ヒーローの創造において、パストラルな楽園性とテクノロジーという一見 相反する二つのイメージが付与されている点に、アメリカ文学における<テク ノ・ユートピア>の伝統を垣間見ることができよう。

一方、テクノロジーに支配されたディストピアは、Gibson の Neuromancer

(1984)に代表されるコンピューター上の仮想空間であるサイパースペースを 舞台とするサイバーパンク小説に、 その究極の形を認めることができる。

McCaffery は Storming the Reality Studio (1991)において、80 年代に台頭 した Gibson らのサイパーパンク作家たちを「テクノロジーを異質なものとし てではなく」 、 「日常の "reality matrix" の一部として吸収してきた最初の世代」

と称している(McCaffery 12)。また、Kevin Pask によれば、SF とは「未 来を想像するモダンな試み」であるが、サイバーパンクは「ユートピア的未来 観の放棄」を特徴とするという(Pask 182)。一方、SF の特徴を、「ファンタ ジーとリアリズムとの緊張関係」「科学的リアリズムとファンタスティックな ものとの対立」(Crang 208)と規定する Mike Crang は、Gibson 作品のサ イバースペースにおける人工知能にハイチ・ヴードゥの神のイメージが付与さ れている点に注目し、その空間においては「北米的な合理的秩序とファンタス ティックな不確定性が共存している」と評している(Crang 211-212)。ここ における合理性と神秘性という相反する要素の共存は、パストラルなものとテ クノロジーの結合、ユートピアとディストピアとの表裏一体という、本節にお いて論じてきたアメリカ文学の傾向と合致するものであろう。

アメリカ文学におけるポストモダニズムは 1960 年代に隆盛を極めた後、当

初の実験性は希薄に、リアリズム的手法を内包する形で 80 年代文学へと引き

継がれたが、SF においては、それを 80 年代サイバーパンクに定位する見方

が現在では主流をなしている。McCaffery は、SF とポストモダン実験文学と

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の境界に位置する作家として Acker、 Don DeLillo (1936- )、 カナダ作家 Margaret Atwood(1939- )などを挙げているし、Sabine Heuser の Virtual Geographies: Cyberpunk at the Intersection of the Postmodern and Science Fiction(2003)も、ポストモダニズムと SF の接点をサイバーパンクに定め ている。

なお、既述の Crang の論考が収められた書は Virtual Geographies:

Bodies, Spaces, and Relations (1999)であり、副題は異なるものの Heuser のものと同じタイトルである。サイバーパンク運動が花開いた 80 年代の功績 を検討すべく批評家たちが互いに競い合った 90 年代を経て、2000 年代に入っ た現在もなお、仮想空間の輪郭を描こうとする作業は続いている。

Ⅲ 終末のヴィジョン

本節では、しばしば SF/ファンタジー小説の題材となる<終末>の観念が、

アメリカ文学においても主にポストモダン小説の題材として描かれてきたこと

を論じ、この主題が双方の共通項となっていることを明らかにしたい。登場人

物が<世界の終わり>を意識する、または<終末>の到来を予期させるような

小説としては、冷戦期に浸透していた核戦争の恐怖に苛まれる少年を描いた

Tim O'Brien(1946- )の The Nuclear Age(1985)、機械文明の終末を経た

理想郷を描いた Brautigan の In Watermelon Sugar、第二次世界大戦末期の

連合国側によるドレスデン無差別爆撃の不条理を広島への原爆投下と並列的に

描いた Vonnegut の Slaughterhouse- Five など、主にポストモダン小説を挙

げ る こ と が で き る 。 す で に 論 じ た よ う に 、 Hawthorne の "The Celestial

Railroad" が描いた 19 世紀の終末的世界観は当時のキリスト再臨運動の流行

に反応したものであったし、1920 年代に Dos Passos が Manhattan Transfer

で暗示した都市の破滅的未来と終末到来の予感は、いわば 1929 年の大恐慌を

予言するものであった。60 年代以降のポストモダン小説が示す<終末>の観

念は、概して、第二次世界大戦後の冷戦期、グローバルな緊張状態のなかで高

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まる<核戦争の未来>に対する不確かな恐怖に起因すると考えられる。

近年では、Bobbie Ann Mason(1940- )の An Atomic Romance(2005)

が、現代における核の恐怖について描いている。原子力発電所に勤務する主人 公 Reed は、自身のプルトニウム汚染をきっかけにアメリカの核開発の歴史を、

原爆開発期から冷戦期、そして現在に至るまで振り返る。そして彼は、一般大 衆が核の危険性について深く考えるずっと以前に、SF 小説が核戦争を予言し ていたと考えるのである。Mason が核問題を作品の主題にしたのは、原子力 エネルギーの利用拡大を目指し新規原発の建設を進める当時のブッシュ政権の 動きに反応してのことであろう。プルトニウム汚染による死の恐怖を克服すべ く、SF 映画のヒーローのような "Atomic Man" という自己イメージを構築す る主人公は、大規模な原子力事故や世界全面核戦争という未来の地獄絵図を、

現実とは切り離された SF の世界として空想する。彼はその恐ろしい未来が現 実に起こり得るものであることを認めたくないのである。ここで示されている のは、かつては絵空事とみなされていた核兵器や核戦争といった SF 小説のモ チーフが、原爆開発のマンハッタン計画を機に現実味を帯び、1945 年の原爆 投下によって揺るぎないものとなった現実である。SF が描いてきた未来に、

ついに現実が追いついたのである。

SF 小説が予言した未来が実在の歴史となったことから、冷戦期の言説を SF の傾向と比較した研究も少なくはない。Gary Westfahl の Space and Beyond

(2000)は、 「原子爆弾」という語が最初に使われた出版物が、英国 SF 作家 H.

G. Wells(1866-1946)の小説 The World Set Free(1914)であることを指摘 し、それまで大衆雑誌に限定されていたその言葉が、1945 年、大統領 Harry Truman(1884-1972)による原爆投下に関する声明に表れた事実を重視する。

こ こ か ら "nuclear apocalypse narrative" と SF と の 関 連 性 を 展 開 す る

Westfahl の分析によると、映画やテレビドラマなどのアメリカの大衆文化に

は、「ポスト・アポカリプス的な荒地」に立ち向かう「辺境開拓者的な人物や

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パイオニア的な家族」のイメージが多いとのことである(Westfahl 155)。ま た、 Bruce Franklin は War Stars: The Superweapon and the American Imagination(1988) において、 Wells が小説のなかで描いた "technocratic utopia" が「フィクションと実在の歴史との類似性」(Franklin 132)をもっ ていると解釈し、第一次世界大戦からヒロシマ原爆投下までの期間、「核分裂 の結果」 はアメリカ SF 全般において共通する主題であったと述べている

(Franklin 135)。

なかでも注目すべきは、James Berger の After the End: Representations of Post-Apocalypse (1999)におけるポスト・アポカリプス論であろう。これ は、<新しきエルサレム>として出発したアメリカ国家が、その歴史的起源に アポカリプス(黙示録)を含んでいたとみなし、その預言の後に続く建国以来 の歴史を「ポスト・アポカリプス」と捉える視点である。特に、彼のレーガニ ズム分析は、80 年代のみならず 60 年代の文学風土を理解するうえでも欠かせ ない。先住民をも白人と同様に「アメリカに移住してきた民族」とみなし、60 年代文化の争点であった人種問題やヴェトナム戦争などの「歴史のトラウマ」

から巧みに目をそむけ、80 年代アメリカを「ユートピアの達成」と称した大 統領 Ronald Reagan(1911-2004)の演説におけるレトリックは、「自身のア ポカリプス的瞬間を抑圧している」点において「ポスト・アポカリプス的」で ある、と Berger は述べている(Berger 205)。

世界が<世紀末>を意識した 1999 年に書かれた Berger の書が、その焦点

をアポカリプス/ポスト・アポカリプスという言説に定めていたことは大いに

納得できる。しかし、真に世紀末的な事件がアメリカに起こるのは、その二年

後である。アポカリプスという語は、Jean Aitchison の調査によると、2001

年 9 月 11 日に米国で起きた同時多発テロを報道する際にメディアで広く使わ

れていたというのである(Aitchison 195)。おそらくこの場合は、この語が

もつ宗教的な意味よりも、破壊の凄まじさを伝える劇的な表現として使われた

(13)

のであろう。しかしながら、1920 年代に Manhattan Transfer と The Great

Gatsby に描かれた摩天楼の脆弱性や崩壊のイメージを歴史的視点から見直す

と、まるでそれが 9.11 の大惨事を予言していたかのように思えてくる。9.11 を 題 材 に し た 小 説 は ま だ そ れ ほ ど 多 く は 出 版 さ れ て い な い が 、 Jay McInerney(1955- )の The Good Life(2006)は、将来アメリカ文学研究の 主要なテーマとなるであろう<9.11 文学>の初期作品として注目されるはず である。この小説は、崩壊寸前の二組の家族の物語を 9.11 以後のニューヨー クの再建と重ねて描いているが、その家族再建の鍵となるのが、登場人物たち が青春時代を過ごした 80 年代の欲望充足的価値観の見直しである。いわば、

歴史から目をそむけたレーガン政権下の<ユートピア>の住人であった彼らは、

2001 年の<ディストピア>を経て、新たなコミュニティの再建へと向かう。

その再建の過程において、彼らが自身の出身地である南部ないしはニューイン グランドを見つめ直し、そこに今なお存在する<アメリカの歴史的記憶>を理 解していくことから、処女作 Bright Lights, Big City(1984)と同様、この 作 品 は < 歴 史 > と の 関 わ り に お い て 主 人 公 が 精 神 的 成 長 を 遂 げ る

"Bildungsroman" であるといえる。

McInerney はグラウンド・ゼロで出会った既婚男女の不倫の愛を描きなが らカタストロフィにエロティックなイメージを与える一方で、彼らをアダムと イヴに擬えることでニューヨークを神話化している。事件直後のグラウンド・

ゼロは、壊滅して廃墟化しているにもかかわらず、<終末>を経た後に誕生し た<新しい世界>として描かれ、そこに佇むヒロインは「ヴィーナス誕生」の 絵を思わせる神話性をたたえている。この点において、本作品は SF/ファン タジー的色彩を帯びた一種のアポカリプス・ナラティヴであろう。もちろん、

McInerney 自身は 9.11 を語る際に「アポカリプス」という表現を使ってはい

ない。しかしながらここには、多くのメディアが表現したように、ツイン・タ

ワー崩壊の惨劇を宿命としての<アポカリプス>と名づけ、グラウンド・ゼロ

(14)

から再建されるニューヨークを<新世界>とみなす視点が確かに存在している。

The Good Life と比較して読み直された Bright Lights, Big City は、表紙に 描かれた聳え立つツイン・タワー、そして小説内部において周縁的エピソード として存在するツイン・タワーの間を揺らぎながら綱渡りする曲芸師など、黙 示録的預言に満ちた小説となるであろう。

核戦争やテロリズム以外の社会的恐怖を描いた作品としては、化学物質によ る人体汚染を描いた DeLillo の White Noise(1984)が挙げられる。ここでは、

大量消費を促す 80 年代アメリカ社会の暗部として、まさに産業テクノロジー によってもたらされたディストピアの世界が展開される。人体汚染は主人公に 対して、 瞬間的な<死>ではなく永続する<死への恐怖>を与え続ける。

Mason の An Atomic Romance が描く放射能被曝と同様、<死>は延期され ているのである。

SF 作家 Greg Bear(1951- )の Blood Music (1985)を題材に 20 世紀の伝 染病表象を分析した Elana Gomel の論文 "The Plague of Utopia"(2000)は、

ポスト・アポカリプスを「終末は到来したが黙示録的なテクストは終わらない」

状態であるとし、その特徴が「死の瞬間ではなく、その果てしない持続」にあ ると規定する(Gomel 408)。核戦争を主題とするアポカリプス・ナラティヴ、

特に 60 年代と 70 年代に出版された SF 小説において「コミュニティによる癒 し」が存在することから、「ユートピアはカタストロフィに依存する」という

(Gomel 407) 。この考えは、グラウンド・ゼロという廃墟を一種の新たなエデ ンに見立てた The Good Life にも通ずるものであろう。この、「始まり」と

「終わり」が明確である「アポカリプス・ナラティヴ」と対照的なのが、「理論 上無限に続く」伝染病を題材とした物語である。従って、Gomel は伝染病物 語の特徴を「終末の延期」に定位する(Gomel 412)。

このような視点は、DeLillo や Mason の化学物質による人体汚染の物語を

理解するうえでも有益である。これら二つの小説には、決定的なカタストロフィ

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が欠如している。An Atomic Romance は作品結末部において、Reed の恋人 Julia の体内に宿る胎児に被曝の可能性があることを暗示しているものの、彼 はその現実から目をそむけて生きる決意をする。こうして愛し合う恋人たちは、

冷戦終結以後の<第二のアトミック・エイジ>におけるアダムとイヴとして、

徐々に<終末>へと向かう現代を生きていく。また、White Noise の主人公 Jack も、化学物質の影響で燃えるように赤い太陽の下で、死の恐怖を抱えな がら日常生活を送るしかない。彼らが経験するプルトニウム汚染も化学工場の 事故も、来るべき未来の<終末>のほんの序章にすぎないのである。これらは 基本的にリアリズムの筆致で書かれた小説であるが、作品全体を支配するアポ カリプス的世界観を表現する際に、SF/ファンタジーと通底するモチーフが 採用されている点に注目すべきであろう。

以上のように、アメリカ小説におけるアポカリプスのイメージを、核戦争、

核汚染、9.11、化学汚染を題材とした作品から考察してきたが、最後に SF 映 画や小説にしばしば認められる「エイリアン・アポカリプス・ナラティヴ」に 言及しておきたい。これは空飛ぶ円盤に乗った宇宙人による誘拐劇を描いた Vonnegut 作 Slaughterhouse-Five であるとともに、冷戦期の 50 年代におけ るエイリアン映画の第一波として、アメリカ SF を特徴づける一つの要素であ る。このエイリアン・アポカリプス・ナラティヴは、冷戦期に書かれた SF 作 品を研究する際には「コミュニスト侵略のアレゴリー」として解釈されること が多い(Martens 4) 。しかしながら現在では、Walter Benn Michaels の The Shape of the Signifier(2004)のように、エイリアン表象をアメリカ SF 研究 のみならずアメリカ文学研究においても有意義な問題として考察する研究も行 われている。

Ⅳ マジック・リアリズムと先住民文学

すでに考察した 80 年代に発表された Attebery らのファンタジー論に立ち

(16)

返り、SF/ファンタジーの基本的特徴をリアリズムからの逸脱と考えるなら ば、マジック・リアリズムの手法も本稿の考察対象となるはずである。Theo D'haen によれば、マジック・リアリズムとはリアリズムの慣習を単に拒絶し たものではなく、それをファンタジーおよび口承文学の伝統と対峙させるモー ドであり、「中心的ディスコースからの自発的逸脱」 を特徴とするという

(D'haen 195) 。Wendy B. Faris はこれをポストモダニズムと接合しているが、

この用語は一般的に、西欧文学の「主流」に対するマイノリティとしてのラテ ンアメリカ文学を指す際に使われる、極めて政治性を帯びたものであり、それ を北米の文学に適用することにアメリカのアカデミズムは抵抗を示しているら し い (D'haen 201)。 し か し 、 SF 作 家 Norman Spinrad (1940- ) は 、 Erickson の Rubicon Beach(1986)や Pynchon の The Crying of Lot 49 な どの SF/ファンタジー的幻想性に満ちた小説を「北米型マジック・リアリズ ム」と呼んでいる(Spinrad 54)。この「北米型マジック・リアリズム」にお ける「想像力の源泉」は、南米型のような先住民族の口承による物語ではなく、

SF や推理小説などのアメリカ大衆文化にあるということだ(Spinrad 55)。

もちろん、先住民の血を一部受け継いでいる Erickson の場合、創作が南米型 の民族的政治性と全く無縁であるとはいえないだろう。

このようにマジック・リアリズムの定義には複雑な議論が伴うが、北米型マ ジック・リアリズムの最たる例は、やはり先住民文学に認められるのではない か。 リアリズムと幻想的な語りが交錯する Sherman Alexie (1966- ) の Reservation Blues(1995)や Indian Killer(1996)がその一例である。Indian

Killer は、白人の養子となったネイティヴ・アメリカンの男性が、二つの文化

のどちらにも自らのアイデンティティを見出せず精神に破綻をきたし、民族の

過 去 の 記 憶 で あ る 白 人 殺 害 へ と 駆 り 立 て ら れ る 物 語 で あ る 。 Andrew

McDonald は、この作品に「過去も未来も袋小路」という「SF ジャンルのもっ

とも荒涼たるヴィジョン」が見受けられると評している(McDonald 249)。

(17)

確かに、先住民文学に頻繁に見受けられる<部族の最後の生き残り>という物 語設定を考慮するならば、先住民小説が終末論的 SF 小説と相通ずる世界観を 共有しているといえなくもない。事実、McDonald は先住民文学研究と SF/

ファンタジー研究を接合するユニークな視座を提供している。彼は、アメリカ 先住民の言語に「仮定法」「未来完了」の時制がないものが多い点を指摘し、

これを SF/ファンタジーという物語ジャンルが先住民族に根付かなかった理 由だと推測する(McDonald 246-47)。しかし、先住民文学には、その代わり に「SF に準ずるもの」として「口承による創造物語(creation stories)の伝 統」があったとする見方は実に興味深い(McDonald 247)。宇宙を旅してき たまじない師(shaman)によって語られたといわれる伝説など、SF 的な物 語は先住民文化においても昔から語り継がれてきたのである。

なお、白人作家による SF 小説では、テクノロジーと対峙するものとして先 住民表象が用いられる傾向があるという(McDonald 276)。Aldous Huxley

(1894-1963)の Brave New World(1932)における反ユートピア世界の自然

児、Ursula K. Le Guin(1929- )の Always Coming Home(1985)におけ

るディストピア世界がその例である。つまり、テクノロジーとの親和性を白人

文明のひとつの要素とみなす言説が、SF 小説の世界にも浸透していたのであ

る。このことは、多くのアメリカ白人文学において、<他者性>を具現化する

キャラクターが黒人や先住民族などの有色人種に設定されてきたことと無関係

で は な い だ ろ う 。 先 住 民 と 白 人 と の 混 血 児 に し て 精 神 病 院 の 入 院 患 者

Bromden が、テクノロジーによって管理された病院から脱走してカナダへ向

か う とい う 物 語 を 描 い た Ken Kesey (1935-2001) 作 One Flew Over the

Cuckoo's Nest(1962)においても、テクノロジーは白人文化を、そして自然

はアメリカ先住民文化を表象している。 すでに述べたように、50 年代 SF 映

画におけるエイリアンがコミュニストという<他者>を表象するイメージであっ

たことに立ち返れば、SF 研究におけるエイリアンおよび先住民の問題は、

(18)

<他者性>の表象という点からアメリカ文学研究と親和性をもつものであると いえるだろう。

結語

以上のようにアメリカ文学と SF/ファンタジーとの接点を概観してきたが、

最後に、80 年代以降のサイバースペース文化論を、文学作品の解釈のみなら ず文学それ自体の存在をめぐる議論へと敷衍する研究が現在進んでいることに 触れておきたい。Joseph M. Conte の Design and Debris(2002)は、印刷か らデジタル・コミュニケーションへの文学メディアの変化をカオス理論を用い て考察し、John Barth(1930- )、John Haweks(1925-98) 、Robert Coover

(1932- ) 、Barthelme らのポストモダン作家の関心を小説の内容よりも形式に 向 か わせ た 文 化 的 背 景 を探 っ て い る 。 また 、 Daniel Grassian の Hybrid

Fictions (2003)は、各種の新たな電子メディアの到来を経ても今日まで生き

残ってきた文学の力に注目し、「ハイパーテクスト:インターネットと印刷小 説の未来」という論を展開している。さらに Jeremy Green の Late Postmod-

ernism (2005)は、ハイパーテクストの普及が紙のページとコンピューター画

面を敵対関係とみなす議論を生んだ状況について論じ、「未来のテクノカル チャー」が「文学の地位をめぐる議論」につきまとうネガティヴなイメージを もたらしていると指摘する(Green 7-8)。もっとも、Green は、過去 20 年間 に促進された「文化の商品化」によって、文学が「文化的権威」を喪失した事 実を受けとめつつも、小説は「廃れたものでもなければ死すべき運命でもなく」 、

「変質していくもの」であると主張しているのだが(Green 13)。

本稿で概観してきたとおり、テクノロジーの進化は社会に変化をもたらし、

その社会を描こうとする文学にも影響を及ぼしてきた。かつては高尚な「文学」

の下位に位置する大衆的な「パルプ・フィクション」とみなされていた SF/

ファンタジーが、現在のように文学研究と相関関係を結ぶようになったのも、

(19)

テクノロジーの発展によって SF 的な未来観が現実味を帯びてきたからであろ う。今やそれは文学作品の内容ではなく、印刷メディアか電子メディアかとい う文学の形態自体にも大きく影響を与えている。「文学よさらばか?」と名づ けられた章から始まる Hillis Miller の On Literature(2002)は、一般にはコ ンピューターが生み出す仮想現実を意味する「ヴァーチャル・リアリティ」と いう語を、ひとつの文学作品が読者の心のなかに鮮明に描き出す虚構の世界を 表現する言葉として使用している。おそらく今後確実にやって来るであろう、

さらに高度化されたテクノカルチャーの未来は、文学に<冬の時代>を告げる ディストピアとなるのか、あるいは Green が信じるような「変化」を経て、

新たな形態の文学が生まれるユートピアとなるのか。「文学」をめぐる物語も また SF 的である。

本稿は、日本アメリカ文学会第 45 回全国大会(法政大学、2006 年 10 月 15 日)のワー クショップ「アメリカ文学研究と SF/ファンタジーの接点を探る」において口頭発表 したものに加筆修正を施したものである。

1 Sterling のエッセイ及び "Slipstream List" は、オンラインで読むことができる。以 下のウェブサイトを参照のこと。

http://www.eff.org/Misc/Publications/Bruce_Sterling/Catscan_columns/catscan.05 2

Slaughterhouse-Five

に関しては、 50 年代 SF をより政治的に読み直した M. Keith

Booker,

Monsters, Mushroom Clouds, and the Cold War

(2001)においても「ディ ストピア」の角度から論じられているし、Edward James,

The Cambridge Companion to Science Fiction(2003)の「ポストモダニズムと SF」の項でも考察されている。

3 Brooks Landon の

Science Fiction After 1900(1995)は、サイバーパンクを「SF

のメタナラティヴへの抵抗の場」 と規定する (Landon 159)。 これはまさしく Jean-Fran ois Lyotard が

La Condition Postmoderne(1979)において唱えたポス

トモダニズムの定義と重なる点である。

(20)

参考文献

作品

Alexie, Sherman.

Reservation Blues

(1995);

Indian Killer

(1996) Baum, Lyman Frank.

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(1900) Bear, Greg.

Blood Music

(1985)

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In Watermelon Sugar

(1968) DeLillo, Don.

White Noise

(1984)

Dos Passos, John.

Manhattan Transfer

(1925) Erickson, Steve.

Rubicon Beach

(1986)

Fitzgerald, F. Scott.

The Great Gatsby

(1925) Gibson, William.

Neuromancer

(1984)

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(1819-20) Kesey, Ken.

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Always Coming Home

(1985) Mason, Bobbie Ann.

An Atomic Romance

(2005)

McInerney, Jay.

Bright Lights, Big City

(1984);

The Good Life

(2006) O'Brien, Tim.

The Nuclear Age

(1985)

Pynchon, Thomas.

The Crying of Lot 49

(1966);Gravity's Rainbow(1973) Sandburg, Carl.

Rootabaga Stories

(1922)

Vonnegut, Kurt.

Player Piano

(1952);

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参照

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