コロナ禍下の﹁新しい歌舞伎﹂を考える
オンライン配信﹁図夢歌舞伎﹃忠臣蔵﹄﹂と﹁須磨浦﹂
はじめに 高本教之
ほとんどすべての人が例外なく影響を受け︑その影響がすべての人の日
常生活のレベルにまで入り込んでいるため︑日々その動静を注視しつづけ
なければならないというのが﹁新型コロナウイルス﹂の特徴だろう︒そして︑
感染対策としてあげられた︑﹁不要不急(の外出を避ける)﹂︑﹁ステイホーム﹂︑
﹁ソーシャルディスタンス﹂︑﹁3密(の回避)﹂等々︑どれも二〇二〇年の
流行語大賞にノミネートされそうな言葉によって︑じっさいに甚大な被害
を受けた職種・業種はあまたある︒文化的活動︑芸術的活動もまた例外では
ない︒それどころか︑決定的な打撃をこうむっている分野が存在する︒演劇
がそのひとつだ︒﹁劇団ジャブジャブサーキット﹂主催のはせひろいちはいう︒﹁他の文化形
態がいろいろ模索可能だとしても︑人と人が出会ってナンボの演劇にとっ
て﹁非接触﹂は余りにも致命的︒無観客な芝居はゲネプロだ﹂(傍点強調は
引用者︑以下も同様)(‑)︒なるほど︑観客がみな﹁ステイホーム﹂にしたが
えば︑芝居は﹁無観客﹂となるわけである︒となると︑芝居は﹁上演﹂では なく﹁稽古﹂にすぎないものとなる︒谷岡健彦は︑﹁大勢の人が同じ時間と
空間を共有することで成り立つ演劇という芸術を︑このウイルスは不可能
にしてしまったのである﹂(2)という︒西堂行人はさらにはっきりとこうい
う︒﹁今回のウイルスは︑密閉された空間に人が集まることを禁じ︑人と人
との濃密な交流を妨げる︒演劇の利点とされてきた要素のことごとくが否
定されている︒つまり演劇の生命線を根元から断ち切るウイルスなのだ︒こ
れほど反演劇的な存在は他にない﹂(3)︒新型コロナウイルスは演劇のありか
たそのものを否定するというわけである︒
じつさいの公演にあたって﹁ソーシャルディスタンス﹂に配慮しなければ
ならないとなれば︑舞台関係者の負担はそれまでとは比較にならないほど
過重なものとなるだろう︒だが︑その労力の以前に︑﹁3密﹂を回避すべき
との要請が演劇の成立を不可能なものにするようなのだ︒まず︑﹁密閉﹂さ
れた空間という劇場が成立するための一般的条件が否定され︑﹁密集﹂とい
う通常の公演ならば興行者側から客席にもっとも期待される状態が否定さ
れ︑そして舞台上の俳優間の演技にあって当然なされるべき﹁密接﹂の状態
も否定される︒つまり︑劇場の成立の前提条件︑芝居の成功時の完成形態︑
そして舞台上の演じ手相互の表現行為そのものが︑すべて否定されるのだ︒
さらに︑﹁ステイホーム﹂の要請にしたがえば︑劇場に足をはこぶ観客は
いなくなる︒それが常態化すると︑そもそも観劇に出かけるのは﹁不要・不
急﹂の行動では︑との見方がでてきそうである︒その見方が一般的なものに
なることを︑演劇関係者はなにより危惧していることと思う︒
歌舞伎もまたコロナ禍に見舞われることとなった︒一年に十ニカ月︑毎月
二五日間の興行を打ち続けている松竹の歌舞伎座は三月から七月まで五力
(‑)はせひろいち︑十七頁︒
(2)谷岡健彦︑二五頁︒ (3)西堂行人︑六八‑六九頁︒
月間にわたって休演することとなった︒東宝や宝塚歌劇や劇団四季ととも
に通年で大劇場の公演をおこなう歌舞伎座の判断︑公演中止か再開かとい
う判断は︑演劇関係者や演劇ファンの注目するものとなった︒また︑八月一
日から再開した現在も今後も︑歌舞伎座の公演の方法はおそらくひとつの
お手本になっていくだろうと思う︒このコロナ禍のもとで歌舞伎はどのよ
うであったか︑見ていきたい︒といっても︑いまだ完全な復旧とはいえない
段階にあるから︑この問題を総括できるわけではない︒むしろ︑現時点での
報告にすぎない︒コロナ禍の渦中において︑歌舞伎役者が何をやろうとした
か︑それはどのようなものであったか︑また︑どのように受け止められたか︑
筆者の見たものを書いていこうと思う︒
﹁三月大歌舞伎﹂のオンライン配信
二〇二〇年五月から七月までの三カ月間は十三代目市川團十郎白猿の襲
名披露公演が予定されていたのが︑四月七日の政府の﹁緊急事態宣言﹂を受
け同日のうちに延期が発表された︒東京オリンピックと同時期の開催が予
定されていた大イベントの中止であり︑その経済的影響が歌舞伎界にあっ
てきわめて甚大なものであったことは容易に察せられる︒雑誌﹃和楽﹄6・
7月号の表紙のグラビアは新團十郎となるはずだった市川海老蔵の助六で
ある︒そして︑表紙におおきく書き出された﹁新しい歌舞伎の時代がやって くる!﹂とは︑しかし︑いま見るとまったく別種別様の意味を帯びるように
感じられて︑なんとも皮肉なものに見えてしようがない(4)︒
團十郎襲名公演に先立つ﹁三月大歌舞伎﹂(二〇二〇年三月二日i二六日)
は︑前売りチケットは通常どおり売り出されていた︒だが︑二月二六日の安
倍首相の﹁要請﹂(5)を受け︑翌二月二七日に三月一〇日まで公演中止と発
表される︒そして︑三月八日に︑十一日から十五日まで公演中止期間の延長︑
十二日にさらに十九目までの中止期間の延長︑そうして十八日にはついに
﹁全公演中止のおしらせ﹂がでる︒最初は政府からの要請を受けて︑そのの
ちは﹁諸般の状況を鑑みて﹂の決定であるが︑中止発表のタイミングが公演
の三日前か四日前︑最後は二日前であるのをみても︑その決断がギリギリま
で状況把握に苦慮したうえでのものであるのがよくわかる︒
その後︑四月六日に﹁3月の歌舞伎関連動画無料配信のお知らせ﹂が発表
され︑明治座﹁三月花形歌舞伎﹂と南座﹁スーパー歌舞伎H﹃真版オグリ﹄﹂
とともに歌舞伎座の公演も︑無観客で収録された舞台がノδ̀ぎoの松竹チ
ャンネルで無料配信されることとなった︒そのうち︑歌舞伎座昼の部の﹁新
薄雪物語﹂は中村吉右衛門と片岡仁左衛門の顔合わせで︑歌舞伎ファン待望
の舞台であったが︑無料配信され︑さらに劇評まで出た︒渡辺保は自身のH
Pに︑﹁2020年3月歌舞伎座の映像当代一の﹁新薄雪﹂﹂というタイト
ルの劇評を載せる︒自身︑﹁前代未聞の映像劇評﹂というが︑その文章自体
が映像の舞台と同様にじつに密度の濃いものである︒渡辺は︑仁左衛門と吉
(︑)﹃和楽﹄6・7月号の発行日は五月一日︒﹁新しい歌舞伎の時代がやってくる!﹂
とは大名跡﹁市川團十郎﹂の復活を寿ぐ特集記事のタイトルである︒55ぺージ
に及ぶ﹁團十郎﹂総力特集は︑文中に﹁感染防止のために5月からの襲名披露は
延期となりましたが﹂との注意書き付きで︑そのまま掲載されることとなった︒(5)﹁イベントの開催に関する国民の皆様へのメッセージ(令和2年2月26
日(安倍総理))﹂というタイトルで発表された要請はつぎのとおりである︒ ﹁政府といたしましては︑このー︑2週間が感染拡大防止に極めて重要である
ことを踏まえ︑多数の方が集まるような全国的なスポーツ︑文化イベント等に
ついては︑大規模な感染リスクがあることを勘案し︑今後2週間は︑中止︑延
期又は規模縮小等の対応を要請することといたします︒﹂(厚生労働省HP︑
暮8し︒"\\ヨ毫﹄三多σqρ﹂b\の篇\︒︒Φ討︒巨巳訂9けΦ\器壱︒αq①lOOOO卜︒・匿巳)(二〇二〇年九月一日閲覧)
でいながら人間の深さで土ハ通する﹂役者ぶり︑両雄の﹁情
︑﹁せりふのうまさ﹂︑﹁芝居運びのうまさ﹂︑﹁芸の面白さ﹂
中村魁春の品位までもが加わって﹁円熟﹂の舞台であると︑
言葉を記している(6)︒その劇評の最後の文は以下の通りで
ても誰もいない客席に役者が出てくる芝居の虚しさ︒いか
たいが早くコロナが沈静して︑もう一度この顔触れで満員
で見たいと切に思う︒(7)
じくこの舞台の出来映えを賞賛する犬丸治は︑﹁観客のい
背景にした﹁花見﹂が︑これほど残酷で︑かつ美しいもの
た﹂(8)という︒それは︑﹁花見﹂の場を演じる役者たちが﹁す
っているから﹂(9)というわけであるが︑筆者も﹁無観客﹂
ても﹁美しい﹂と感じた︒なぜか?まず︑一度は見られな
見ることができたからということはあるだろう︒また︑配
質が期待以上に綺麗であったということもある︒しかし︑
い︒たとえば︑NHKや﹁衛星劇場﹂で放送される従来の舞
異なる︑別次元の美しさを感じたのだ︒さらに︑映画館の
る﹁シネマ歌舞伎﹂以上に美しく感じられたのだ︒
今回配信された﹁新薄雪﹂のちがいは何か?とつおいつ
とに思い至った︒一つ目はまず﹁無観客﹂であるというこ
像は観客が入っている舞台を録画(あるいは中継)したも
20年3月歌舞伎座の映像
客﹂の彼方に﹂︑七二頁︒ 当代一の﹁新薄雪﹂﹂︒ のであるのが︑今回はそうではない︒演じる俳優は客席に観客がいない舞台
で演技をしているのである︒つまり︑芝居を見てくれる観客は︑客席にはな
く︑カメラの向こう側にいるわけである︒そして︑二つ目は︑この舞台は二
五日公演のうちの一日ではないということだ︒録画のためのこの日だけの
舞台なのである︒しかも︑その一日は︑三回にわたる公演の延期と最後には
公演中止の通告を経験したあと︑役者にとっては待ちに待った一日だった
ろうと考えられるのである︒その点で役者の気組みのちがいは明らかなの
だ︒普段とは異なるということを役者がみな意識したうえで︑ある意味あら
たな覚悟で立ち向かった舞台であったと思われるのである︒﹁誰もいない客
席に役者が出てくる芝居の虚しさ﹂︑あるいはその﹁残酷﹂さはたしかに認
めざるをえない︒だが︑同時にそこには︑普段とはちがった﹁美しさ﹂があ
ったこともやはり指摘しておかなければならない︒
犬丸治の劇評は以下の文で締め括られる︒
事態の長期化が予想される中で︑役者たちの技芸ばかりか︑﹁観劇体験﹂
の伝承の断絶すら危惧される︒スマホが普及し︑テレビにネット動画配
信機能が内蔵されている今日︑歌舞伎も既存の舞台録画も含めたスト
リーミング配信に舵を切る時ではないだろうか︒(‑o)
筆者も同感である︒そして︑オンライン配信の有料の公演が六月末からは
じまることを知り︑チケットを購入した︒
﹁図夢歌舞伎﹃忠臣蔵﹄﹂
19 0)
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