奈良教育大学学術リポジトリNEAR
関係論的把握に基づく「子ども−保育者」関係の一 考察
著者 小林 浩之, 上野 ひろ美
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 57
号 1
ページ 73‑79
発行年 2008‑10‑31
その他のタイトル A Study on the Relationship between Children and Care‑givers from the Viewpoint of
Relational Analysis
URL http://hdl.handle.net/10105/727
1.はじめに
近年、子どもの人間関係をめぐる様々な社会現象が複 雑化・深刻化している。学校教育という枠組み、また、
地域社会や家庭における養育など広い意味での教育にお いて、「人とのかかわり」の重要性が求められている。
保育の実践や研究においても、幼少期における子どもの 人とのかかわりを育むことの意義が、保育現場の内外か
ら問われてきている。例えば、小・中学校の学校教育の 現場やその周辺において、いじめや不登校、学級集団の 問題がさかんに議論される中で、「異世代間のかばいあ い、社会ルールの学びの機会が減り、集団になじめない、
人の気持ちが分からないなど、社会性の発達において深 刻な問題をもつ子どもが増えているという危機感が保育 研究者周辺で高ま」 り、保育における子ども同士のか かわりの育ちに注目が向けられている。また、子どもを
関係論的把握に基づく「子ども−保育者」関係の一考察
小 林 浩 之
*
・ 上 野 ひろ美奈良教育大学学校教育講座
(平成
20
年5月7日受理)A Study on the Relationship between Children and Care-givers from the Viewpoint of Relational Analysis
Hiroyuki KOBAYASHI * and Hiromi UENO
(Department of School Education, Nara University of Education, Nara 630-8528, Japan)
(Received May 7, 2008)
Abstract
In this essay, we examined how the relations between children and their care-givers had affected the children s development from the viewpoint of relational analysis. First of all, we dis- cussed Takashi Kujiraoka s theory on children s development, which he has been eagerly devel- oping in the light of their reciprocal relations with their care-givers. This essay is indebted to Kujiraoka s standpoint of practical researches in early childhood education. We also discussed the potential which the child-care methodology based on the mutual relations between children and their care-givers may bring forth in terms of their existence and development. The per- spective which we presented here includes not only how children developed in the relation but also how care-givers advanced their skills in applying adequate care to their pupils. Our discus- sion is two-folded in its logical structure. First, we considered how the group-based teaching methodology which we adopted in our research might be effective in terms of its contribution to fostering a sound group-organization among the children and enhancing their personal develop- ment. Second, we offered the curriculum of child-care which we hope would conduce to the healthy child-care and help us to grasp children s development in a concrete manner.
*
幼保GP
特任助手(平成19年度文部科学省専門職大学院等教育推進プログラム「幼保統合の『保育実践知』教育プログラム」)
Key Words: Relational Development, Relation,
Practice in Early Childhood Education
キ−ワ−ド: 関係発達、かかわり、保育実践
(1)
取り巻く環境が変化して保育にかかる役割や責任が深 化・拡大する中で、幼稚園教育要領、保育所保育指針の 改定においても、子どもの発達に関連して子ども同士の かかわりが焦点とされている。新しい保育所保育指針で は、乳幼児期の発達の特性として、保育における子ども 同士のかかわりが子どもの身体的及び知的な発達ととも に情緒的・社会的・道徳的な発達を促すものとして示さ れている。
ところで、保育において、子どもと保育者のかかわり の観点を抜きにしては、子ども同士のかかわりを捉える ことはできない。保育における子どもの姿は、保育者と のかかわりの中でこそ理解される。
子どもと直接かかわる保育者の体験について、津守真 氏は「子どもとかかわるときに、外から見ていたのとは まったく違う世界、子どもと自分との内的な世界が展開 する」 と述べる。保育者が子どもの活動に寄り添うと き、子どもと保育者はともに関与している。保育におい て子どもの活動は保育者との共同の活動である。子ども と保育者のかかわりが、外から眺めただけでは言葉の交 換としか把握されなくても、共有される「内的な世界」
において保育者と子どもの間で思いが錯綜し、保育者は いまここでの子どもの姿を受け止めつつ、新たな一面を 子どもから引き出そうと刻々と思考している。
子どもの発達の姿を「眺めて知る」のではなく「向か い合って理解する」ということ(3)が、保育における子 ども理解として重要である。抽象化された一般的把握で はなく、関係論的把握によって、実践の中で子どもの姿 がリアルなものとして捉えられる。保育における「子ど も‐保育者」のかかわりは、行動科学的な枠組みで捉え られる「伝達」としてのコミュニケーションよりも、子 どもの発達の実現をめざすという点で深い意味を持つ。
本論では、保育実践研究において関係発達の観点から 精力的に論を展開している鯨岡峻氏の「両義性・関係発 達論」の所論に学びつつ、子どもの存在及び発達を関係 論的に把握し、保育における関係発達の視点について述 べる。そして、その提示を踏まえて、保育実践における
「子ども‐保育者」のかかわりと子どもの発達について 検討する。
2.鯨岡峻氏の関係発達論の視点から
2.1.「子どもの存在両義性」
保育において子どもという存在はどのように捉えられ るだろうか。発達心理学研究におけるこれまでの個体能 力発達論を批判的に議論し、関係発達の視点から子ども を捉えようとした鯨岡峻氏が論じる子どもの存在から考 えていく。
鯨岡は子どもの存在を「子どもは子どもであって未来
の大人である」(4)とし、子どもが子どもとして「ある」
と同時に、未来の大人に向かって「なる」という二重の 規定を「子どもの存在両義性」と呼ぶ。この両義的な概 念は、自然科学的な二項間の相互作用モデルの場合に 各々の項が単独に成立することを前提にしていることに 対して、項同士の関係性を前提とし、「能動‐受動」関 係の反転、相互依存性を示す力動的な関係(交叉)の概 念である(5)。
子どもが未来の大人に向かって「なる」という存在だ と捉えたとき、子どもは「自己止揚的契機」を内在させ ている。「子どもは、身体の成長と諸機能の成熟に突き 動かされ、『子ども‐養育者』関係の中で肯定的、否定 的諸経験を重ねることを通して、子どもであることを内 側から止揚し、大人に近づこうと」(6)する。また、子 どもは子どもとして「ある」存在でもある。子どもは
「自己保存的契機」を抱え、大人によって与えられる養 育のなかで子どもであることを受け止められ、基本的な 自己信頼感を持つことができる。子どもという存在はこ の二つの契機が交叉する。
では、子どもが「これから」大人になる存在であるこ とと、「いま、ここ」で子どもは子どもとして受け止め られる存在であることは、どのようにして交叉するのか。
鯨岡は「私」の存在を捉える視点から次のように述べる。
「『いま、ここ』で『私は〜である』と私の自己のイメー ジをかたちづくる端から、私は『これから』のあるべき 主体のかたちに向けてそのイメージを塗り替え、『なる』
に向かって変容していかねばなりません。つまり、『い ま、ここ』での『である』という自分についての規定が 時間軸上のこれからの『なる』の動きに常に包摂されて しまわざるをえないのです。その意味で私はどの時点で も常に人生の途上にあり、その時点で『である』という 自己規定は常に暫定的な意味合いしかもちえず、『なる』
の動きによって常に揺さぶりをかけ続けられてきたとい わねばなりません」(7)。そしてこのとき、子どもの存在 は、養育者が「子どもを『である』の位相でしっかり受 け止めていると、いつしか子どもの側が養育者のありよ うを取り込むようになり、それによって『なる』の芽が おのずから芽吹いてくる」(8)。ただし、子どもの「芽吹 き」は養育者(大人)が見守ればいいというものではな い。「大人は働きかけつつも、あたかも子ども自身がそ れを望んでそれをするかのようにことを運ぶことが求め られ」るのであり、「誘いかけ、働きかけているのは他 ならない大人なのだけれども、それが大人からの働きか けだと分からないほど、子どもの内側から『なる』の芽 が伸びていく」ように働きかける(9)。二つの契機が交 叉する子どもの存在は、養育者(大人)の存在に支えら れている。
保育において、子どもの自己止揚的契機と自己保存的 小 林 浩 之 ・ 上 野 ひろ美
74
(2)
契機の交叉の示す様相は、次のように考えることができ る。すなわち、子どもの自己止揚的契機とは、子どもが 内なるものとして抱える発達及び保育(教育)の要求で ある。また、自己保存的契機とは、子どもが保育におけ る人とのかかわりの中で養おうとする基本的な自己信頼 感である。よって、管理する保育が子どもの発達を促進 し、見守る保育が子どもの心を育む、というように保育 の活動を二分するような捉え方はなされない。子どもは 受け止められることによって、自らの発達・教育の要求 を実現していく。そして同時に、発達・教育の実現が子 どもの自己信頼感をもたらす。
また、「育てる」という行為が大人からの一方的な働 きかけであり、「育てられる」という行為は子どもにと ってただ受動的である、ということではない。「養育者 の能動的な働きかけは子どもの出方に制約されるという 受動性を孕み、他方、働きかけられる子どもはもっぱら 受動性の内にあるのではなく、大人の働きかけを制約す るという能動性を内に孕んでいる」(10)。つまり、「子ど も‐保育者」という関係における保育者の「育てる」とい う働きかけは、「受動性を内に秘めた能動的働きかけ」(11)
である。「子ども‐保育者」の関係は、「お互いの能動‐
受動が交叉する一つの関係態」(12)と理解することがで きる。
2.2.「個体能力発達論の批判」と「関係発達論」
個体能力発達に定位する発達心理学研究は、一般的普 遍的な発達の法則を明らかにすることを目的とする。発 達を個体の機能的完成過程と見る場合、それは「時間が 経過すればよりよい状態がもたらされるという肯定的イ メージ」(13)という素朴な発達観である。この素朴な発 達観に基づく保育は、実践において子どもの主体的な育 ちを子どもの自己成長論の立場でしか捉えきれない。相 互作用としての「主体‐客体」関係のモデルを描くこと ができても、前述した交叉の概念で捉えられる「子ど も‐保育者」の関係を把握することはできない。
鯨岡は、発達心理学研究における個体能力発達論につ いて、「保育や養育の実践的な問題に真正面から立ち向 かってこなかった」とし、「子どもという個体をその周 辺の人たちとの関係から切り離し、しかも個体の能力的 変化のみに焦点化して研究を進めてきた」として批判す る(14)。そして、個体能力発達論では捨象されていたと する二つの観点を踏まえ、自らの関係発達論を展開した。
一つは、自己性(「人となり=世界に対する構え方とで もいうべきもの」(15))の発達である。もう一つは、「育 てられるものから育てるものへ」という世代間も含めた 生涯過程を見通した発達である。つまり、一人の子ども の発達が周囲との関係の中で繰り広げられるものとし て、また、子どもの発達を「子ども‐養育者」という世
代間の関係性がお互いに影響を及ぼし合いながら生涯発 達の過程を同時進行させていくものとして、関係発達の 概念を提示する。
鯨岡の関係発達論の概念は、マクロな視点から見れば、
無限に続く人間の種の再生産及び文化の世代間リサイク ルの過程である。そこから、「子ども‐養育者」関係と いう二世代間の関係に焦点化される。そして、一人の人 間の生涯過程という視点で捉える場合、三つの次元に沿 って議論が展開される。三つの次元とは、個体能力の発 生的展開の次元、周囲他者との関係の拡大・深化・変容 の次元、文化の影響力の浸透の次元であり、「関係発達 を貫く本質的次元」であるという(16)。
例えば、保育における子どもの発達の姿は、他者との 関係の中で互いの自己性が変容していく過程として捉え られる。保育という営みは、子どもたちを預かり「身体 的ケアを『する‐される』という行動的関係を越えた、
『愛する‐愛される』『信頼する‐される』というような 主観的ないし間主観的な関係を含むもの」(17)である。
子どもには子どもの願いや主観性の次元があり、保育者 には保育者の願い、主観性の次元がある。行動的関係を 越えた主観的関係において、自己性の変容という発達が 捉えられる。
また、保育の場は、家庭の生活から切り離されたもの ではない、文化や社会との繋がりを持った具体的な生活 の場である。「文化に浸透している共同主観的枠組みが、
養育者の価値観や欲望など、養育者の主観性を枠づけて いるのであり、養育者はそのようにして抱かされた願望 や欲望を子どもに振り向け、子どもを文化化し、いつの まにか子どもを社会の一員にし」(18)てゆく。文化や社 会の共同主観性(社会通念や常識)に枠組み付けられた 養育を子どもは家庭(「子ども‐養育者」のかかわり)
で受けてくるのであり、さらに保育の場(「子ども‐保 育者」のかかわり)においても、保育者の主観性が共同 主観性に枠づけられているために、文化や社会が内面化 された保育を子どもは受けている。保育における子ども の発達の過程は、養育者や保育者のすでに共同主観性に 被われた生涯過程と絡み合い、社会や文化、歴史のあり 方に本質的な影響を受ける。
このようにして、他者や文化との関係の場で発達を実 現する子どもの姿が捉えられる。そして、鯨岡は次のよ うに主張する。「最初から『個』の発達に視点を置いて、
多元的な『関係』がその個にどのように影響するかとい うように問いを立てるべきではない。まずは関係が変容 してゆく様を大掴みに捉えながら、そのときの関係の中 で個はどのような様相のもとに立ち現れてくるかと問い を立てるべきだ」(19)。また、「個々具体の子どもや大人 の主観性のなかに貫入し、それを枠づけ、それに基づく 行動に影響を及ぼして、結果的に発達を大きく規定する、
その社会的文化的なものに踏み込むべきだと考え」(20)、 社会的文化的な枠組みを発達に本質的に影響するものと して捉える。発達は「個体能力の発達」にだけ還元され るのではなく、「関係性の拡大・深化・変容」、「文化の 影響力」という面から本質的な影響を受ける自己性の再 体制化過程として位置づけられる。
2.3.関係発達の視点から捉えなおされる保育
保育において子どもの存在は保育者との関係の中にあ り、子どもの発達は、「子ども‐保育者」が相互に影響 を及ぼし合う関係発達として捉えられる。子どもが発達 や教育を求める自己止揚的契機と基本的信頼感を求める 自己保存的契機を孕むという「子どもの存在両義性」が、
保育における「子ども‐保育者」の関係の中で立ち現れ てくるからである。例えば、子どもの発達や教育の要求 は、保育者の「受動性を内に秘めた能動的な働きかけ」
によって実現する。また、子どもは保育者に受け止めら れつつ働きかけられ、その中で主体として育つ。「子ど も‐保育者」のかかわりは相互主体的である。「育て る‐育てられる」という関係は一方的な「能動(主 体)‐受動(客体)」の関係ではなく、「交叉する一つの 関係態」である。すなわち、「子ども‐保育者」の「能 動‐受動」の関係が絶え間なく反転しつつ、その関係の 相互性の中で、子どもの発達する姿が捉えられる。
さらに、「子ども‐保育者」関係の相互性の中で、保 育者自身も発達を成し遂げる。発達を関係の中で捉えら れる自己性の変容であるとしたとき、子どもだけでなく 保育者も発達の過程にある。「子ども‐保育者」の関係 は、世代間の関係性がお互いに影響を及ぼし合いながら 生涯発達の過程が重なり合うからである。このとき、
「子ども‐保育者」の関係の中での保育者としての自己 性の変容は、保育者としての力量形成の過程であると考 えられる。保育者の力量の変化は、保育実践の活動の質 を変化させる。実践における活動の質が変化すれば、活 動の「子ども‐保育者」の関係の中で実現される子ども の発達の内実も変化する。
保育における関係発達の視点は、子どもの発達を「子 ども‐保育者」のかかわりの中で理解する。子どもは保 育者とのかかわりの中で発達を実現する。そして、関係 の相互性の中で「子ども‐保育者」の関係は変容し、そ れとともに保育実践の質も変容していく。
3.保育実践における子どものかかわり
3.1.集団づくりの保育実践論と関係論
保育において事実として子どもが相手と影響を及ぼし 合う関係は、「子ども‐保育者」の関係だけでなく、「子 ども‐子ども」という関係もある。集団生活である保育
の場において、「子ども‐保育者」のかかわりが、クラ ス全体の子どもの相互関係に影響を与える。また逆に、
クラスにおける子ども相互のかかわりが、保育者の子ど もに対するかかわりに影響を与える。保育者は、このか かわりの様相に意図的に働きかけ、子どもの発達を実現 していく。
保育研究において、子ども相互のかかわりのあり方に 注目して研究、実践されてきたものに「集団づくり」が ある。集団づくりの研究は、集団が子どもに及ぼす発達 的作用、人格形成作用に着目し、保育において自立した 集団の指導と形成を目指すものである。保育者が集団
(子ども相互のかかわり)に意図的に働きかけてかかわ りを育てるということと、子どもが集団の中で発達する ということの統一が追究されてきた。その保育実践論に ついて、以下に検討していく。
まず、集団づくりを保育の指導論的観点から捉えた石 川正和氏の理論は、集団づくりにおける形式主義を批判 しつつ、保育において集団づくりの実践が持つ意味につ いて次の
3
つの原則を提起する(21)。第
1
に、「指導と自己活動(自立)の統一」である。集団づくりは、子どもが自己活動の主体となるように、
人格主体の形成を目的とする。管理は子どもの生活にお いて不可欠な生活規律でもあることを踏まえ、保育が管 理主義にならないためには、保育者が保育の中で「子ど もたち自身の自主的、集団的行為を組織する以外に方法 がない」とする。保育者の指導と子どもの自己活動は集 団という方法を媒介にして統一される。
第
2
に、「個と集団の統一」である。保育実践におけ るクラスは、集団と個の相互媒介的発達をつくりだし、そこに「子どもの発達をつくる」という独自の意味があ るという。第
1
原則で述べたように、集団は指導と自己 活動を媒介する指導理論であるから、個の発達は集団に 媒介された指導に規定されるとする。つまり、「個の自 立の見通しをもち、系統的に指導する、指導理論として の『集団』」という認識によって、保育における個と集 団の概念が統一される。第3に、「陶冶と訓育の統一」である。集団の内実は
「そこにおいて組織される活動が自主的、共同的な活動」
にあり、乳児クラスには乳児クラスなりの発達要求と結 合した活動の集団的達成(自治)がありうるという。保 育における遊びや課業は子どもの発達要求と結びついた 活動(自治的活動)であり、乳幼児期の集団づくりは、
その活動を通して、知的、技術的陶冶と人格的訓育が統 一的される。
これらの原則から、「子ども‐保育者」の関係と集団 づくりの観点として次の示唆を得る。まず、保育者の子 ども集団に対するかかわりが、必ずしも個々の子どもの 主体的活動の芽を潰すものではない。保育者は子どもの 小 林 浩 之 ・ 上 野 ひろ美
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集団に対するかかわりの中で、子ども同士の主体的な自 己活動が展開するよう指導することができる。また、保 育における集団としての子ども相互のかかわりが個の発 達を抑制するのではなく、「相互媒介的」に子どもの発 達をつくるものであり、それを保育実践の独自性とみる。
保育者は子ども相互のかかわりに働きかけることによっ て、集団の中でこそ発揮される子どもたちの個の発達を 実現することができる。そして、保育者が保育を通じて 子ども相互のかかわりを育てるということは、かかわり を訓練するのではなく、共同的な活動を組織して子ども の発達や教育の要求を達成する。
このように、石川の提起する集団づくり理論では、保 育者が集団を指導することによって、個の発達が保障さ れる。ただ、子どもの発達の筋道との関連を問う方向性 がないと批判される。そのため、保育における保育者の 指導と集団と個の関係が理論的に展開されているが、乳 幼児期から幼児期における子どもの発達の観点を抜きに しては、保育の場で成立する指導の具体を引き出すこと はできない。
そこで、指導論としての集団づくりで提起された保育 者の指導性の観点を引き取りつつ、保育における関係と 子どもの具体的な発達とを捉えようとしたものに、久田 敏彦氏の集団づくりの理論がある。久田は集団づくりを、
「関係性を子どもたち自身が主体的につくり、育て、く みかえ、民主的なものに発展させることを意図的・計画 的に指導することを通して、居場所を保障し自立と自治 を促す保育・教育活動である」(22)とする。そして、保 育における子ども相互の関係性を「相互主体的関係・行 為としての共同」と捉え、保育者が意図的にかかわりに 働きかけ、相互主体的関係の中で子どもの発達を実現さ せるという関係論の視点から、集団づくりの実践を捉え なおすことを提起する。
ところで、久田は子ども相互のかかわりを育てる集団 づくりの保育において、「共同(性)」を重要な概念とし て示す。子ども相互のかかわりを、「互いに主体として 相手と向かい合い、応答・共応し合って生活の共同を促 すという視点」(23)で捉える。そして、保育においてど のような共同的関係が形成されるかということ――共同 の中で達成される保育の事実が子どもにとってどのよう な意味を形成するのかということ――が、保育の実践的 課題として、子どもの現実の発達的事実との関連で位置 づけられる。このとき、保育者は保育活動の内容から共 同を導き出す、もしくは、保育においてふさわしい共同 活動が実現されるように保育内容を吟味する。保育活動 における共同=「相互主体的関係・行為」の実現が、保 育者の具体的な指導と子ども相互のかかわりづくりを媒 介する。
また、保育活動における共同は子どもの居場所と自立
を保障する。居場所とは「自分を自由に表現でき、安心 でき、自己存在=肯定感をもてる自己確証の場」(24)で あり、他者の存在する関係が礎となってつくられる。子 どもの他者との関係において、保育活動の中で相互に主 体となりうる共同的関係が形成され、子どもの居場所と なる。また、「今ある自分を越えゆく過程」としての子 どもの自立も、他者との関係、つまりは居場所を拠りど ころにして実現する。集団の中で子ども同士が関係性を つくり、くみかえ、発展させていくことは、子どもたち 自身の能動的な活動によって達成される。ただしこのと き、子どもの発達の姿に基づきながら集団に働きかけ、
子どもの意欲を引き出し、自主的努力・達成を方向づけ る保育者の指導性が不可欠である。
保育者は、展開する保育活動において、子ども相互の かかわりの中で達成される共同の事実を意味づけ、子ど もの共同的関係とそれと同時に子どもの自立を実現させ ることに責任を持って保育に臨む。保育活動における共 同の中で現れる事実が子どもの具体的な姿であり、共同 的関係は子どもの居場所となり、子どもの主体的な発達 を実現させるからである。
3.2.保育の実際にみる関係発達
〜保育カリキュラムにおける「人とのかかわり」〜
保育では遊び(活動)を通じて子どもの心身を育てる。
そして、遊びが子どもにとってより充実したものになる ように、保育者は保育内容や保育方法という形でそこに 介在する。このとき、保育において実現させたい子ども の発達は、保育者のかかわりの力量にかかっている。保 育者は、何をどのように実践するのかという保育の内容 と方法、子どもの年齢における発達の特徴を踏まえた保 育の系統性・連続性について追求する必要がある。
それは、子どもを外から眺めることによって幼児期の 発達と保育活動をモデル化するという作業ではない。保 育は固有名詞を持った「子ども‐保育者」の関係、それ をとりまく社会的文化的枠組みの中で営まれる活動であ る。「子どもの発達の事実は等質の空間で生じるのでは なく、時間と空間を限定された教師・保育者が立ち会う 教育空間で生起する」(25)。時間と空間を共有する関係 の中で捉えられる具体的な子どもの姿に基づいて、保育 の実践をつくることが重要である。
子どもの発達の事実に基づいて、実践研究との往還の 中で作成された保育実践の手引き書に『福山市保育カリ キュラム』(26)がある。『福山市保育カリキュラム』の特 筆すべき点はいくつかあるが、ここでは「子どもの姿・
内容」に着目する。『福山市保育カリキュラム』では、
各年齢において内容領域によって区分された保育計画が 立てられている。内容領域ごとに「子どもの姿・内容」
と「保育者の援助と配慮」の項目を設け、「子どもの
姿・内容」は、子どもにつけたい力とその力を発揮した 保育場面での子どもの姿を記述している。その記述は、
保育所保育に見られる具体的な子どもの姿に基づき、保 育活動の中で子どもを把握する保育者の実践的な子ども 理解の視点から作成されている。つまり、子どもの姿を 保育の関係の中で捉え、年齢における子どもの特徴を把 握しつつ、保育の中で子どもにつけたい力とその成果が 提示された。
「子どもの姿・内容」を踏まえ、保育カリキュラムに おける「人とのかかわり」の内容領域を0歳児から5歳 児まで縦断的に検討すると、子どもの発達を次のように 捉えることができる。
子どもの人とかかわる力の獲得は、いわゆるコミュニ ケーション技術の習得や対人関係能力の形成という部分 的な能力の向上ではない。全身の運動能力や、感情、言 語、思考形態の発達が相互に影響を及ぼし合いながら、
全体的な構造の中で子どもの「かかわり」が変容する。
例えば、生後まもない子どもは、全身運動やことばが未 熟であるため、他者とのかかわりは「笑う」「泣く」「視 線を向ける」という表現(例:【機嫌のよい時、微笑む】、
【不快なとき、泣く】、【抱かれると安心して泣きやみ、
視線を合わせる】(27))で理解される。それらの子ども の表現に保育者が応えていくことによって、子どもはま た新しい表現(例:【あやされると微笑み、「ウグウグ」
と声を出す】)を見せる。また、それは保育者が子ども の新しい要求(表情)を引き出していくことでもある
(例:【起きているときベッドの中にいることを嫌がり、
人の顔が見えるところに行くと機嫌がよくなる】)。この ような大人とのかかわりの中で、生後5ヵ月頃になると 子どもは、感情を発達させ、表現の力や声を出す力を育 み、また、目と手の協応も可能になってくる(例:【表 情が豊かになり、声を出して笑うようになる】)。
以上で見られるように、活動の中での諸能力の発達が、
新しいかかわりを要求し、新しいかかわりの欲求が、さ らにまた諸能力の発達も要求する。そのような相互規定 的な連関の中で、子どものかかわる力の発達のプロセス が把握できる。かかわりの変容と子どもの諸能力の発達 の実現は、相互に影響を及ぼし合う。
また、子どもの人とのかかわりの相手は、乳児期(
3
歳未満)ではもっぱら保育者であり、幼児期(3
歳以 上)には子ども相互のかかわりが多く見られる。子ども が人とのかかわりの中で自分の思いを充実させることが できるのは、乳児期では基本的に保育者との関係の中で あり、幼児期では子ども同士の関係の中であると捉えら れる。ただし、0歳児で子ども同士のかかわりに意味が ないわけではなく、5歳児だから保育者とのかかわりの 意味がないわけでもない。例えば、
0
歳児において、【子ども同士が向き合うと喜ぶ】ということがある。子どもは他児と「まなざしを 通わせること」で喜び、自己を充実させている。まなざ しを通わせることで子どもは他者に気づき、喜ぶのであ る。このとき、そのまなざしを通わせる機会は、保育者 の手立て(例:【放射状に子ども同士を並べる】)に依 存している。また、2歳児における【友だちのしている 遊びに興味を持ち、同じ遊びをして喜ぶ】という子ども の姿も、保育者が子どもたちの中に「一緒、同じ」を見 つけ出し、気付きを与える。2歳児の子どもにとってあ こがれ、モデルとしての存在である保育者が、遊びや生 活の中で「一緒であること」を嬉しそう、楽しそうに表 現することで、子どもは友だちとの基本的な共感する気 持ちを育んでいく。4歳児になると【遊びや行事を通し て、友だちを応援したり、力を合わせることの大切さを 知る】という姿が見られ、子ども相互のかかわりの活動 の中で、自分の思いを声に出して表現できるようになる。
また、人の思いを聞く力、受け入れる力を育み、子ども 相互のかかわりの中で「みんな」を意識して遊びや生活 ができるようになる。このときも保育者は、ひとりの子 どもの経験や発見を子どもたちみんなのものとして共有 できるように働きかけ(例:【一人ひとりの姿をおおい に認め、周りの友達にも知らせる】)、子ども同士のかか わり合う関係を築いていく。
幼児期になると子ども相互のかかわりが保育の活動の 中心となるが、その子ども相互のかかわりは保育者の指 導性に支えられる。また、乳児期の子どもには、他児と 共に生活することで(保育者がそのような生活をさせる ことで)子ども同士の関係の中でしか生起させることの できない感情や運動能力がある。つまり、保育において
「子ども‐保育者」のかかわりと「子ども‐子ども」の かかわりは、個々の要素として分かち合うものではなく 相互性を持っている。保育者は、いまここでの子どもの 姿と向き合いながら、保育者とのかかわりでこそ実現す る子どもの発達、子ども同士のかかわりでこそ実現する 子どもの発達、また、それら相互の関係を捉えて保育を 展開していく。
3.3.「子ども‐保育者」のかかわりと子どもの発達 保育における集団づくりと保育カリキュラムの観点か ら、「子ども‐保育者」の関係が保育実践の構造の中で どのように位置づけられるのかを見てきた。保育者は子 どもの集団に働きかけることによって、集団と相互媒介 的な個の発達をつくりだす。また、子ども相互の共同的 な関係を意味づけることによって、子どもの発達に必要 な居場所をつくりだす。そして、子どもの発達において、
保育者と子どものかかわりが子どもの諸能力の発達を引 き出しつつ、そのかかわり自体も変容する。
このように、保育実践において、子どもの発達は「子 小 林 浩 之 ・ 上 野 ひろ美
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ども‐保育者」の関係の中で保育者の指導性や保育内容 の具体と影響し合いながら実現する。「子ども‐保育者」
の関係の相互性は、具体的な子ども理解に基づく保育者 のかかわりを引き出す。この保育者の指導性が、子ども の発達の姿を受け止めると同時に、新しく方向づけてい る。保育者のかかわりが、保育実践における子どもの主 体的な発達の姿をつくりだす。そのため、子どもの発達 の姿は、保育者の保育実践の力量によって変化する。
「子ども‐保育者」の関係における保育者としての力量 形成が、実践の中での子どもの発達をより豊かに保障し ていくものとなる。
また、実践研究に基づいて作成された保育カリキュラ ムから子どもの姿を縦断的に検討したときに、子どもの 人とかかわる力の発達は、他の諸能力の発達と影響を及 ぼし合うことが示された。「子ども‐保育者」のかかわ りが子どもの能力を引き出し、引き出された能力が新し いかかわりを要求するというように、保育における子ど もの発達と保育者のかかわりの変容のプロセスがひとつ の保育の具体として示された。
4.おわりに
子どもの姿は保育者とのかかわりの中で理解される。
両義性を孕んだ子どもという存在が、保育者との関係の 中で立ち現れるからである。子どもという存在は、他者 である保育者の存在に本質的な影響を受ける関係的存在 である。そして、子どもの発達は、保育者との「能動‐
受動」が交叉するかかわりの中で関係発達の様相を示す。
つまり、「子ども‐保育者」の関係は、相互に影響を及 ぼし合いながら変容していく。
保育者は、このように作用する関係発達の様相の中で、
指導性を持って子どもに働きかける必要がある。保育者 の意図的・計画的な指導によって、保育において子ども の主体的な発達の場となる関係がつくり出される。そし て、かかわりを育てることを保育のねらいとした保育者 の意図的な働きかけが、子どもの具体的な発達を実現す る「子ども‐保育者」の関係を形成する。集団作りの保 育実践論は、この観点を示している。
さらに、保育者は、保育活動の具体の中で子どもの発 達の場となる「子ども‐保育者」の関係の質を変容させ る。保育者のかかわりが子どもの諸能力を引き出し、引 き出された子どもの能力が新たに保育者のかかわりに影 響する。「子ども‐保育者」の関係は、相互に影響を及 ぼし合いながら保育者のかかわりの質を変容させ、子ど もの発達を実現していく。そして、「子ども‐保育者」
の関係の質の変容とともに保育活動も発展していく。こ のように、子どもの発達と保育活動の内容は、相互に影 響し合いながら変容していく。各年齢の具体的な子ども
の発達の姿とそれに対する保育者の援助を記述した保育 カリキュラムは、そのような保育の実相に迫ることがで きる。
保育実践の中での「子ども‐保育者」の関係論的把握 は、事実として作用する両義的な関係性を明らかにする だけではなく、「子ども‐保育者」の関係において、か かわりの中での子どもの主体的な発達の場の形成や、保 育の具体的な活動内容の展開が捉えられることを示す。
注及び参考文献
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ス ペース新社保育研究室 1998,p.47.(2)
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,p.38.
(3)
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4)
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(5)
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(6)
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7)
鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ ―間主観性と相 互主体性―』ミネルヴァ書房 2006,p.80.
(8)
鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ』,p.76.(
9)
鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ』,p.86.
(10)
鯨岡峻『関係発達論の構築 ―間主観的アプローチによる―』ミネルヴァ書房 1999,p.208.