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紀伊半島調査メモ
実施日:10/18~10/22
文責:梯滋郎
調査メンバー
大熊孝:新潟大学名誉教授
佐藤裕和:島根大学助教
梯滋郎:東京大学修士1年
肱岡勝成:島根大学学部3年
(敬称略)
2 ■はじめに 2011 年 9 月初旬に日本を襲った台風 12 号は日本全土、特に紀伊半島に甚大な被害をも たらした。ニュースでも頻繁に取り上げられたように、土砂崩れにより多くの土砂ダムが 形成され、台風が過ぎ去った後も長期にわたり警戒態勢が継続された。そのため台風の後 しばらくは調査に行くことができる状況ではなかった。しかし台風から 1 カ月強の時間が 経過して土砂ダム内の水位が下がったこと、道路が復旧し始めたことなどから、10 月 18 日から22 日の 5 日間にわたって、新潟大学名誉教授の大熊孝先生、島根大学助教の佐藤裕 和先生、島根大学学部3 年生の肱岡勝成君とご一緒させてもらい紀伊半島で調査を行った。 以下の文章は、その調査で得た知見と自分自身が現場に赴いて見て聞いて感じたことに ついて備忘録としてまとめたものである。そして少しでも社会に貢献できればと思い、そ れを再編集して公開することとした。なお掲載されている写真は全て自ら撮影したもので ある。 ■調査目的 本調査は地形、地質、降雨量などの基礎的なデータと共に過去の災害履歴を考慮しつつ、 現場を直接見て、五感で感じることで、2011 年台風 12 号による災害の本質を主に水害と いう観点から、今後の復旧、復興の助けになるよう認識することを目的とした。 ■調査対象 今回の水害で深刻な被害を受けた紀伊半島は、過去にも幾度となく大きな水害に見舞わ れている。その中でも特に1889 年の十津川大水害、1953 年の紀州大水害の 2 つの水害は 紀伊半島に深刻な被害を与えた災害とされている。両水害の大きな特徴として、土砂災害 の頻発、土砂ダムの形成とそれによる被害の拡大、が挙げられるのだが、これは今回の水 害の特徴と非常によく似ている。よって過去の災害履歴についての確認や土砂災害による 河川、河川流域への影響を把握するために前半2 日間では、1889 年の十津川大水害、1953 年の紀州大水害によって土砂災害を中心に深刻な被害を受けた紀の川、有田川、日高川流 域を対象として調査を行った。そして前半2 日間の調査を踏まえて後半 2 日間では今回の 水害で特に甚大な被害を受けた熊野川、那智川流域を対象として調査を行った。なお 5 日 目は当時の道路状況の不安定さから予備日として設定した。 ■調査行程
3 行程については以下のとおりである。 • 10/18:紀の川を中心に調査 – 紀の川:大滝ダム、下渕頭首工 • 10/19:有田川、日高川を中心に調査 – 紀の川:紀の川大堰 – 有田川:被害状況、過去の土砂ダム跡 – 日高川:同上 • 10/20:相野谷川、那智川を中心に調査 – 相野谷川:輪中地域の被災状況 – 那智川:被害状況 • 10/21:熊野川を中心に調査 – 熊野川:土砂災害状況、土砂ダム、各種ダム ■2011 年・台風 12 号の概要 本調査で調査した河川の流路図(本川のみ) Google map より作成 有田川 熊野川 日高川 相野谷川 那智川 紀の川
4 2011 年台風 12 号は、8 月 25 日 9 時にマリアナ諸島西方の海上で発生。日本の南海上を ゆっくり北上して9 月 3 日 10 時前に高知県東部に上陸、四国、中国地方を縦断して 4 日未 明に日本海へ抜けた。 この台風は日本に上陸した後も勢力が落ちず、進む速度も非常に遅かったことが特徴と して挙げられる。そのため台風の進行方向に対して右側に当たる紀伊半島では、台風によ る海からの湿った南風が紀伊半島の山々にぶつかり長時間にわたって大雨を降らせた。そ の結果、河川氾濫、土砂災害が広範囲にわたって発生し、94 名の死者・行方不明者を出す という近年まれに見る台風災害となった。 さて前述の通り、今回の災害とよく似た災害として 1889 年に発生した十津川大水害と 1953 年に発生した紀州大水害と言う災害がある。紀州大水害が梅雨前線による災害である ことや、被害が深刻であった地域の類似性で言えば、この 2 つの水害のうちでも特に十津 川大水害が今回の水害とよく似ている。十津川大水害もまた台風によって引き起こされた 災害である。そしてそれに加えて平野らの「1889 年 8 月豪雨による十津川災害の再検討- とくに大規模崩壊の地質構造規制について-」(1984)によると災害の形態のみならず、四国、 中国地方をゆっくりとしたスピードで縦断するなど、台風の特徴も非常に似通っていたこ とがうかがえる。このことからも今回の台風12 号は紀伊半島に広範かつ大規模な災害をも たらす台風の一つの典型例であると言えるだろう。 台風12 号はもたらした被害の甚大さゆえ、多くの情報が国土交通省、気象庁などにより すでにまとめられている。したがってここでは詳細な情報を述べないが、参考のために進 路図と降雨状況、特徴について以下に記す。 台風12 号の進路 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report /new/jyun_sokuji20110830-0906.pdf より
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降雨状況
奈良県上北山村上北山において
72時間降水量1808.5mmと観測史上 1 位を更新
→ 1976年からの統計開始以来の観測記録は
1322mm であり、記録を500mm近く更新
(アメダス:8 月 30 日~9 月 6 日)
総雨量は紀伊半島の広い範囲で1000mmを超え、
解析雨量では2000mmを超えた地域も一部存在
(アメダス:8 月 30 日~9 月 6 日)
長期間、広範囲にわたる大雨
データ・図は気象庁・9月7日発表 「台風第 12 号による大雨(速報)」 より引用
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/new/jyun_sokuji20110830-0906.pdf
※奈良県・十津川村・風屋の降水量時系列図: 一部欠測期間があるにもかかわらずそれまでの最大72時間降水量550mmを大きく更新6 ■調査メモ この「調査メモ」では、多少の感覚的な話を挟みつつも、基本的に事前に調べた内容や 調査で得た客観的な知見を記すことにしたい。調査によって得た主観的な意見や個人の考 察に関しては後の「総括」において述べることとする。 ・1 日目(10/18) 初日は紀の川を中心に調査を行った。国土交通省による被害報告においては今水害での 被害は報告されておらず、調査においてもさしたる被害は見受けられなかった。他に建設 に際し激しい反対運動がおこった大滝ダムや、奈良盆地の長年の悲願であった紀の川(吉野 川)分水を実現した土木構造物群の一つである下渕頭首工などを視察した。 大滝ダム 下渕頭首工 奈良盆地の悲願を叶える水利構造物の一つ
7 ・2 日目(10/19) 1 日目に時間の都合上、紀の川大堰を視察することができなかったため、早朝に視察した。 また大堰の1km ほど上流の砂州に輪中集落らしき集落が存在したため、立ち寄った。この 集落は今回の洪水による被害は出ていないようであった。しかし輪中の最上流部に神社が あり、その部分のみ少し堤防が厚くなっていること、植樹されていることなどが見受けら れ、その集落の形成史、構造などには独特の特徴があるのではないかと推測される。 その後、1889 年の十津川大水害、1953 年の紀州大水害によって土砂災害や、河川氾濫が 多発した有田川、日高川に向かった。有田川では特に1953 年の水害によって多数の土砂ダ ムが形成、破堤したことによって甚大な被害が生じた。またその時に生じた土砂によって 河床は平均5~10m、所によっては 30m 上昇したと言われ、90km に及ぶ有田川沿岸の土 地の荒廃は甚だしかったと言われている。今回の調査でも上流部などでは他の河川に比べ て河床が高い印象を受けたが、1953 年の水害の影響かは定かではない。また、有田川流域 において1953 年の水害で大規模な山崩れが生じた金剛寺にも訪れたが、公園のように整備 されており、当時の被害状況をうかがい知ることは出来なかった。有田川においては、小 規模な土砂崩れや、小河川からの多少の砂礫の流出は見受けられたものの、今回の台風に よる被害はそれほどない模様であった。 その後、日高川に向かった。途中、日高川右岸沿いに氾濫、浸水被害を受けたと思しき 家屋を見つけたので、その家の女性に話を聞かせていただいた。その女性は嫁いできて30 年ほどだと言うが、一度も水害にあったことはないらしく、今回の水害には驚いたと語っ ていた。浸水深は床上15cm ほど、付近の田んぼも被害を受けているとのことであった。そ の後も下流に向かいながら、川沿いの田んぼも視察したが、被害はかなりのものであった。 またその様子から氾濫原における流速も大きかったのではないかとも推測される。さらに 下流右岸側に破堤被害を受けた地点があったのでそこに向かい、コンクリート護岸の堤防 が破堤していたのを確認した。不幸中の幸いと言うべきか、その地点の堤内地は林であり 人が住んでいなかったために大きな被害は出なかったと推測される。
8 紀の川大堰 紀の川大堰上流部、砂州に形成されている輪中集落 東側が上流だが最上流部に神社があるのが分かる。 地形図は国土地理院の地図閲覧サービスより
9 正面に見える林が輪中最上流端であり、神社を囲んでいる。
水勢を削ぐために植樹されたとも考えられる。
有田川上流部
10 1953 年の紀州大水害で大規模な地滑りが発生した金剛寺付近 土砂ダムの跡は、整備され公園化されている。 有田川下流の安諦橋 1953 年の水害において流されながらも屋根や流木にしがみついていた 多くの人々がこの橋につきあたり、亡くなったと聞く。
11 浸水した日高川右岸沿いの家屋 図中の赤線が浸水位である。 日高川左岸沿いの氾濫原 掘り込み河道にもかかわらず、氾濫原上はかなり荒廃していた。 このことから流速がかなり出ていたと推測できる。 浸水位
12 日高川左岸沿い、水害を受けた田んぼ
倒れた稲から新たな芽が出ているのが分かる。
日高川右岸の破堤箇所を対岸から見る
13 ・3 日目(10/20) この日から大熊先生が合流し、まず熊野川支流の相野谷川(おのだにがわ)、そして那智川 の被害状況を調査した。 相野谷川は熊野川最下流部において合流する小さい支流であり、小規模な谷底低地を形 成しながら山あいをぬうようにして流れている。また熊野川との合流部には鮒田水門とい う水門が設けられ、洪水時には熊野川の洪水流が逆流してこないようになっている。さて 相野谷川の著しい特徴として挙げられるのが、輪中堤によって囲まれた極めて特殊な構造 を持つ鮒田、高岡、大里という 3 つの集落が下流部の谷底低地に存在することである。か つて紀南工事事務所に勤めていた持田亮氏の「新宮川水系相野谷川の改修計画の経緯につ いて」 (http://www.kkr.mlit.go.jp/river/kataritugu/pdf/01motida.pdf )によれば、これら 3 つの集落は昭和後期の河川改修以後に新しく形成されたものである。そしてその 3 集落が 平成に入ってから度々水害を受けたために2001 年より輪中堤による治水が計画され築造さ れた。事実、大熊先生が持参していた昭和50 年代の古い地形図にはこれらの集落の存在は 確認できなかった。そして今回の台風12 号による洪水は輪中堤を超え、この 3 つの集落は 大きな被害を受けた。輪中堤を超えただけあってその浸水深は大きく、2 階建ての一戸建て の屋根まで浸水痕が見受けられた。またどの集落も調査時点では住民は避難中であったよ うでほとんど人の気配は感じられなかった。 相野谷川の後に那智川に向かったが、その様子もまた痛々しいものであった。那智川で は流路長7km、流域面積 24.47 ㎢の小さな川の流域で 10 名を超える人々が亡くなった。沿 川の様子であるが、土石流が谷底いっぱいを流れたと推測され、未だ川筋は土砂、巨礫に 覆われていた。山の斜面も紀伊半島山岳地帯のそれと比べれば一つ一つの規模は小さいな がらも、密度でいえば本調査の中で最も濃く土砂崩れが起こっていた。 また午前中、相野谷川に向かう途中で偶然にも和歌山県の二級河川太田川が破堤してい るのを発見した。破堤箇所付近の堤防を見たが、整備もそれほど行き届いていないと考え られ、破堤しても不思議ではないと見受けられた。しかしそれ以上に道中で偶然破堤箇所 を見つけることができる程に台風12 号による被害は広範囲にわたっていることをうかがい 知ることができる。
14 相野谷川下流左岸の高岡地区の輪中堤破堤部 パラペット式の堤防が堤内地の水圧によって川側に向かって倒れたと考えられる。 近所で偶然荷物整理のために家に戻っていた女性に話を伺ったが もうここでは住めそうにないという言葉が聞かれた。 明和小学校裏の土砂崩れの様子 蛇崩という地名も残っており、200 年に一度ほど 大規模な土砂崩れが起こる地域のようである。
15 相野谷川左岸側、山沿いに張り付く石垣上の建物 写真中の一番左の家の男性に話を伺った。 今回の水害により浸水したもののそのまま住むと語っていた。 その男性は1889 年の水害では今水害よりも高い位置まで水が来たと伝え聞いていた。 新宮へ行く途中で見つけた太田川左岸の破堤箇所 写真中の堤内地には家と耕作地がある。
16 4 日目(10/21) 4 日目は熊野川本川の土砂ダム、及び河川氾濫に主眼をおいて調査を行った。 まず熊野川最下流部、新宮市街地であるが、壊滅的な被害は受けていない模様である。 しかし熊野大橋によって堤防が低くなっている箇所から洪水流が堤内地にあふれ出し、川 沿いの地域には浸水被害が出ていた。 その後、熊野川上流に向かったが、途中でも密度は濃くないものの大規模な土砂崩れを いくつか見かけた。中にはもう少しで河道閉塞を生じさせていたのではないか、と考えら れるものもあった。また、河川氾濫も大規模なものであったようで、沿川の家屋もかなり 被害を受けていた。 土砂ダムに関しては、交通規制もあり近くまで行けず、詳しく調査することは出来なか った。しかし途中訪れた十津川村役場には緊張感が満ちており、洪水後も注視し続けなけ ればいけない土砂ダムの厄介さと、被災した人々の疲労が窺い知れる。 その後、土砂バイパスなどを新設した関西電力の揚水発電用のダム、旭ダムなどを視察 した。一概に比較はできないものの熊野川本川の水はダムの放流の影響のためか、洪水後1 カ月以上経過しているにもかかわらずかなり濁っていたが、旭ダム下流はそれほど濁って いないように見受けられた。 熊野大橋右岸側を下流より撮影 手前が熊野大橋、奥が新熊野大橋であるが、手前の熊野大橋の方が 若干低く堤防も橋によって若干低くなっているのが見て取れる。 今水害ではその低い部分から洪水流が堤内地にあふれ出した。 本来の堤防の高さ
17 熊野川沿い、土砂崩れの様子 もう少し土砂の量が多ければ河道閉塞を生じさせていた恐れもある。 熊野川沿い、左岸の水害受けた集落 図中、石垣上の比較的高い位置にある家屋も浸水している。 つまり広い谷底を一杯にして洪水流が流れていた、ということである。
18 今回、唯一確認できた奈良県五條市大塔町宇井の土砂ダム 緊急調査対象の土砂ダムではないが大規模な斜面崩壊が確認できる。 旭ダム 排砂バイパスの効果か本調査で見た新宮川水系のダムの中では、 洪水後にしてはダム湖内の水はそれほど濁っていないような印象を受けた
19 ■総括1、相野谷川における水害について 今回の調査の中でも相野谷川における水害の形態はこれからの治水にとって非常に示唆 に富むものと言えよう。目に見えやすいものだけを汲み取ってしまえば、高岡地区の輪中 堤が堤内地に残った水の水圧によって転倒したことに代表される施工の問題や、輪中堤と いう治水対策の是非に目が行きがちになってしまうだろう。確かにこれらは検証すべき問 題である。しかし今回の水害の本質はそれではないと考えられる。 前述したように相野谷川の谷底低地に位置する鮒田、高岡、大里の 3 つの集落は昭和後 期の改修以降に形成された集落である。その後、無秩序に開発された集落は大雨のたびに 浸水し、それに対応するために2001 年から輪中堤が計画、築造された。そして今回の台風 では洪水流は輪中堤を超えて集落を襲ったのである。 まず水害の経過を見てみたい。p.21 のグラフは水文・水質データベースより作成した台 風12 号による災害での相野谷川の水位、降水量を表したものである。グラフを見ると 9 月 3 日 17 時前後に相野谷川の水位が輪中堤天端を超えたことが見てとれるが、実際に大里地 区では16 時 20 分に高岡地区では 16 時 45 分に、鮒田地区では 17 時に越水したという報 告があり、鮒田地区で 3 日夕方に浸水が開始したという証言も得られている。その後も水 位は上昇し続け、9 月 4 日 21 時前に水位観測所が水没したため水位データは欠測となった。 しかし水門が開かれたとはいえ、9 月 4 日未明に再度相野谷川流域で時間 50mm を超える 豪雨が降ったことからしばらく水位は欠測時の10.43m から上昇し続けたと考えられる。(降 雨量についても9 月 4 日 3 時以降は欠測となりデータはない)その後、鮒田地区の女性の 6 日夕方に帰宅したという証言から少なくとも 6 日夕方に鮒田地区では水を堤外に排水でき たとみられる。 水害の経過は以上のようになるが、今回の水害は規模だけで言えば、石垣上の家の浸水、 高岡地区の明和小学校の裏での200 年ぶりの大きな土砂崩れの発生など、1889 年十津川大 水害以来の 100 年に一度に近い規模の水害であっただろう。しかし鮒田、高岡、大里の 3 つの集落よりも以前から存在したであろう山沿いにはりつく石垣上の家屋は、浸水はした ものの居住できなくなるほどの被害は受けていない。それを鑑みるとやはり、洪水が頻発 する谷底低地に集落を形成してしまったことこそが相野谷川における今水害の本質的な問 題と言える。p.22 の図も参照してもらいたいが、つまり今回の相野谷川における水害は 100 年に一度の水害という側面と共に、無計画な開発によって被害が拡大したという側面を持 ち、住民が河川改修を過信して危険性を把握しないまま移り住んでしまったこと、開発者 が危険性を十分に説明せず住居を売ってしまったこと、そして行政側が無秩序な開発を許 してしまったこと、全てが要因となって発生してしまったと言えるのである。 この事例のように、開発によって治水上の弱点が生み出され、水害が起こってしまうこ とは決して珍しくはない。水害の危険性を考慮した開発抑制が出来ず、本来開発すべきで ない場所で開発が行われてしまうこと。すなわち治水が開発に後れを取ってしまっている
20 集落、町は全国各地にあるだろう。また治水が開発の後追いとなり、治水が困難になると いう表現は多くの文献に散見することができる。これは考えてみれば当たり前のことかも しれない。しかし個々の地域の事例に対しても、全体的な傾向に対しても、なぜ、どのよ うにして治水が開発に後れを取ってしまうのかが正確に検証されているとは言い難い。研 究者や技術者は相野谷川で今回のような水害が起こった理由を反省と共に検証し、なぜ治 水は開発に先行されがちになってしまうのかを丁寧に解明した上で今後に生かしていくべ きではないだろう。これは洪水が河道からあふれ出した場合でも水害の被害を軽減する、 超過洪水対策をどのように行うかにも応用できると思われる。 東日本大震災の影響で、災害は完全には防ぎきれず、ある程度受け入れて生きていくし かないことは社会の共通認識となったと言える。不幸なことではあるが超過洪水対策を正 面から議論できるような素地はできてきたと考えられる。しかしどのような土地利用の規 制で、どのような法律を用いれば超過洪水対策を効果的に行えるかという議論はまだ十分 には行われていない。超過洪水対策にとって重要な土地利用規制などの方策をこれから議 論していく上でも、なぜ、どのようにして治水は開発に後れを取るのかを把握することは 重要ではないだろうか。
21 0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100 0 2 4 6 8 10 12 14 9 月 2 日 1 3 5 7 9 11 13 15 17 19 21 23 9 月 3 日 1 3 5 7 9 11 13 15 17 19 21 23 9 月 4 日 1 3 5 7 9 11 13 15 17 19 21 23
水位
(m
)
相野谷川雨量(平尾井) 相野谷川雨量(桐原) 熊野川水位(成川) 相野谷川水位(高岡) 熊野川H.W.L.(成川) 相野谷川輪中堤天端雨量
(㎜
)
13:32鮒田水門 閉鎖 20:35鮒田水門 全開22
相野谷川での水害が持つ2つの側面
・新興住宅地の開発と被災
開発方法や治水計画によって
防ぎうる水害、という側面
浸水痕
・石垣上の家も浸水
・200年ぶりの土砂崩れ
規模が大きく、超過洪水・災害として
対応していくしかない水害、という側面
1
2
23 ■総括2、全体として 2011 年台風 12 号によって引き起こされた災害は規模が大きく 100 年に一度の災害と言 っても差し支えのないレベルものであった。しかしその裏には相野谷川に見られたような、 むしろ人の手によって被害が拡大してしまったと思われる例も本調査によって見つけるこ とが出来た。100 年に 1 度という言葉に惑わされることなく、丁寧に一つ一つの地域の事例 を検証し、対策を検討、実施する必要があるだろう。 先にも述べたとおり、台風12 号は紀伊半島に大規模な被害をもたらす典型的な台風の一 つであると考えられる。確かに同じような経路を通る台風が全て今回の台風12 号のような 甚大な被害をもたらすとは限らない。しかし今回の台風12 号による災害は 1889 年の台風 との比較なども含めて、今後十分に対応、検討されるべきである。 また先に挙げた過去に紀伊半島を襲った 2 つの大水害、十津川大水害と紀州大水害はそ れの発端となった豪雨の 1 カ月ほど後に再度大雨が降った。そしてそれに起因する土砂ダ ムの決壊などによって被害が拡大したという。そして今回も台風12 号の後、9 月 21 日に 非常に強い台風15 号が再度日本に上陸したのだが、それによる被害の拡大はそれほどなか った。今回、被害の拡大がなかった要因も土砂ダムに対する対応も含めて丁寧に検証する 必要があるだろう。 最後になるが、今回の台風12 号による災害は広範囲にわたって被害を与えた。しかしそ の救援、調査などは十分に行われているとは言い難いように感じる。無論それは3 月 11 日 の震災の影響があるだろう。確かに東日本大震災は歴史上まれに見る災害である。地震、 津波によって家族、友人など大切な人々のみならず、生活の基盤までをも根こそぎ奪われ た悲しみ、苦しみは想像しがたいものがある。しかし紀伊半島においても、被災して解散 してしまった集落があるように、台風12 号により生じた河川氾濫、土砂崩れ、土石流など は人々の命と共に町、集落の活力をも奪っていっている。震災と今回の水害のどちらの被 災者も個々のつらさは変わるものではないはずなのである。それにもかかわらず現状では 規模の大きい東日本大震災にばかり注視、注力され、台風12 号による被災地が多少おろそ かにされている傾向があるのではないだろうか。今後、震災の被災者に加えて台風12 号の 被災者にも、経済、学術などの様々な方面から手厚い支援が行われていってほしい。
24 ■参考文献・資料 ・小出博(1954):日本の水害、東洋経済新聞社 ・小出博(1973):日本の国土~自然と開発~・上、東京大学出版会 ・小出博(1973):日本の国土~自然と開発~・下、東京大学出版会 ・岩屋隆夫(2004):日本の放水路、東京大学出版会 ・平野 昌繁・諏訪 浩・石井 孝行・藤田 崇・後町 幸雄 (1984): 1889 年 8 月豪雨による十 津川災害の再検討−とくに大規模崩壊の地質構造規制について−,京都大学防災研究所 ・気象庁:台風第12 号に関する気象速報(本庁) http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/new/jyun_sokuji20110830-0906.p df ・国土交通省:平成23 年台風第 12 号及び第 15 号による被害状況等について http://www.mlit.go.jp/saigai/saigai_110901.html ・持田亮(2009):新宮川水系相野谷川の改修計画の経緯について http://www.kkr.mlit.go.jp/river/kataritugu/pdf/01motida.pdf ・国土交通省:水文水質データベース http://www1.river.go.jp/ ・新宮川水系河川整備基本方針 ・紀ノ川水系河川整備基本方針 ・有田川水系河川整備基本方針 ・日高川水系河川整備基本方針 ・那智川水系河川整備基本方針 ・日置川水系河川整備基本方針(原案) ・左会津川水系河川整備基本方針 ・太田川水系河川整備基本方針 ・整備計画の策定に向けて 河川整備計画 http://www.kumanogawa.org/PDF/k10/kaigi_shiryou1.pdf ・新宮川水系熊野川出水状況について http://www.kkr.mlit.go.jp/scripts/cms/kinan/infoset1/data/pdf/info_1/20110904_08.pdf ・相野谷川沿川における災害復旧のあり方検討に関する協議会(平成24 年 1 月 28 日開催) ~まちづくりをふまえた相野谷川周辺災害復旧のあり方(骨子)~ http://www.kkr.mlit.go.jp/scripts/cms/kinan/infoset1/data/pdf/info_1/20120202_01.pdf