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A Study on Li (礼) of Tso-Chuan (左伝) : On theTheory of "T'ien-Ching Ti-I" (天経地義)

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

A Study on Li (礼) of Tso-Chuan (左伝) : On the Theory of "T'ien-Ching Ti-I" (天経地義)

近藤, 則之

https://doi.org/10.15017/2328600

出版情報:哲學年報. 41, pp.179-203, 1982-03-31. Faculty of Literature, Kyushu University バージョン:

権利関係:

(2)

左伝の礼に関する一考察

||﹁天経地義﹂説をめぐってーーー

ロ 只

五常として類型的に抽象化されている儒教的諸徳目の中で︑﹃左伝﹄において︑とりわけ︑

ていることは︑﹃左伝﹄を一読すれば直ちに承認されるととろである︒歴史説話集的形式をもっ﹃左伝﹄においては︑

処々の場において︑種々の人物によって︑﹁礼﹂の意義や具体的内実が語られ︑強調されているのであるが︑就中昭 公二十五年︑鄭の子産の所論として同国の子大叔によって語られている﹁夫礼︑天之経也︑地之義也︑民之行也︒天

﹁礼

﹂が

最も

重視

され

地之経市民実則之︒云云﹂の礼を起源的に述べた語は︑﹃左伝﹄の一書中︑最も高度な形而上学的思弁に支えられた

礼起源論として注目されている所である︒例えば本国済氏は︑﹃左伝﹄の﹁礼﹂に関する記載を媒介として︑

一般

﹁礼﹂の意義が宗教的規範としての原初的なものから社会的階級維持の為の外的規範へと展開していくこと

を跡づけながら︑その展開に伴い高度な礼の理論化が行なわれていくことを論ぜられているが︑その理論化の最も発

達したものとして乙の一文に注目されていゑがそして︑氏はこの一文に似たものが︑ と

して

﹃礼記﹄にもあるとして︑有子

以後の儒者の手の加わったものと推測しておられる︒また︑津田左右吉氏も︑との一文を﹁儀礼の意義に宇宙論的基

礎を

与え

た﹂

もの

とみ

﹃左伝﹄にかかる形而上学的礼理論が存する乙とは︑その成立が︑人事を天地のはたらきに

一七

(3)

O一 八 関係させて説いたり︑天に生殖の徳のあることが説かれた漢代以後の思想的影響の下にある乙とを示すものとされて

い忍

ω更に板野長八氏の所説に至ると︑乙の一文を﹃左伝﹄全体を貫いた︑天人一致思想に基づく礼の意義のとらえ

方の象徴的文言とみられている︒すなわち︑氏は﹃左伝﹄において︑覇者を初めとして春秋期の成功者がいずれも礼 を履行しているものとして叙述されている点から︑

﹁人間の辿るべき過程及び辿りついた所は天命の然らしめる所 を︑人聞が礼を履行し徳を修めてこれを助成する過程及びその結果である﹂とする天人観が﹃左伝﹄より導かれるこ と︑また︑礼の履行・不履行によって︑当事者の将来の生死を予言する説話が処々にみられる乙と︑及び︑礼を履行 する上での精神として︑﹃左伝﹄全般において特に辞譲・順

1

小が大に︑下が上に︑延いては時に順い︑天に順う1

志向性を有する徳が強調されている乙となどを検討し︑これらの点より︑﹁夫礼︑天之経也︑地之義也︒云云﹂とい う文言に象徴されるような︑礼を天の理法そのものとする天人一致の思想が﹃左伝﹄に貫かれていることを論じ︑そ

﹃孝経﹄における天人一致思想と軌を一に し︑有子の天人の分と内実を異にしながら︑共に老荘の無為による人道否定の阻止という︑その思想史的課題におい

それらと同列の位置に求められた︒

の上で最終的にこの礼理論の思想史的位置︑引いては﹃左伝﹄の成立を︑

ては

同一

なる

もの

とし

て︑

﹃左

伝﹄

にお

いて

︑最

高も

度な

形而上学的思弁性を具有するものであると認められているのであるが︑就中板野氏の所説によれば︑乙の一文は︑

﹃左伝﹄一書の叙述の方向を決定する重要な礼理論として︑その思想史的位置や意義を考える際︑非常に重要な意義 を有するものとみなされてくる︒ところで︑員塚茂樹氏は︑﹃左伝﹄・﹃国語﹄に礼を媒介とする予言説話が処々に見

以上のように︑諸家によって︑昭公二十五年の礼を﹁天経地義﹂とする礼理論は︑

える乙とから︑それらの書において︑礼の履行・不履行を人間界の動行を決定する動因とみなす﹁歴史観﹂が存する と論ぜられているが︑乙の所説は板野氏の︑﹃左伝﹄において礼が天の理法に一致しているという見解と軌を一にす るものである︒このように板野氏の見解は︑貝塚氏の所説によっても裏付けられるのであり︑卑見においても︑

﹃ 左

(4)

伝﹄

を通

読し

た結

果︑

乙の﹁天経地義﹂説にみるような礼を天の理法そのものとする天人一致の思想が﹃左伝﹄に普 遍的なものであるという捉え方に左視されるところであった︒しかし︑かかる﹃左伝﹄の思想の思想史的意義づけと なると︑必ずしも板野氏の所説に賛同しかねる所がある︒例えば︑先に述べたように︑板野氏は﹃左伝﹄の乙の思想 カ ヨ

﹃孝経﹄の天人一致思想と軌を一にするものとされたが︑

これ

は具

体的

には

﹃孝経﹄三才章に﹁夫孝︑天之経

也︑地之義也︑民之行也︒天地之経市民是則之︒云云﹂と︑

ほとんど﹃左伝﹄の上掲の昭公二十五年の文と︑礼会孝

と置き換えただけの一文があり︑

これらの二者が︑人道の両国を﹃左伝﹄が規範の面から︑﹃孝経﹄が内的徳の面か ら説明したもの︑いわば硬貨の両面の関係にあるとされるものであった︒しかし︑それぞれの文言において︑それに 続く部分を見てみると︑﹃孝経﹄には﹁是故其教不粛市成︑其政不厳而治﹂とあって︑﹁夫孝︑天之経也︑地之義也︑

云云﹂の一句が︑孟子の性善説に基づく王道主義的な政治の可能根拠としての先験的徳性が人聞に具有されているこ

とを説くものであった乙とがわかる︒

左伝の礼iζ関する一考察

一方﹃左伝﹄には後に﹁︵民︶生其六気︑用其五行︒気為五味︑発為五色︑章 為五声︒淫則昏乱︑民失其性︑是故為礼以奉之︒云云﹂とあって︑乙こでは﹁礼を為す﹂乙とが︑五色等の生存のた めの物資の過度の受用を防ぎ︑﹁民﹂の﹁性﹂を全うせしめるためであるとされており︑従って﹁夫礼︑天之経也︑

地之義也︑云云﹂という文言が︑礼による生存物資の節制の可能板拠を言うものであったことがわかる︒乙乙での人 間観においては︑人聞は礼の規制がないとき︑その生存物資を過度に受用して︑その﹁性﹂を失する可能性のある存 在であり︑厳密には問題はあるが︑有子の性悪説に基づく礼の意義の強調に近似した考え方を認めるととができ︑人 間の先験的徳性の具有を説く﹃孝経﹄の﹁天経地義﹂説とは異なるものではないかとの疑問が生ずるのである︒

なお︑先述の二氏のうち︑本田氏の有子以降に成立した礼論という所説は︑特に論証のない推測に止まるものであ り︑津田氏の漢代以降とする所説は︑氏の﹃左伝﹄前漢末成立説の立論という目的意識によって︑不当にこの礼論の 思想史的位置がひきさげられた感がある︒要するに︑﹃左伝﹄昭公二十五年の︑礼を

﹁天

経地

義﹂

とす

る礼

論は

 

(5)

J¥  一書中最も高度な形而上学的思弁に支えられたものであり︑また﹃左伝﹄の礼思想を象徴し︑従って

﹃左伝﹄の成立を見る上で甚だ重要なものであるという評価を得ながら︑米だ乙の礼論の的確な思想史的位置付けは なされていないと考えられるのである︒そこで筆者は︑この礼論を再度見直し︑その思想史的位置付けを行ない︑以 て﹃左伝﹄一書の成立への見通しをつけたいと考えるのであるが︑小論ではさしあたり︑問題の一文の内容を精確に

把握するζ

と︑及びその礼論の意義をひとまず有子の礼思想との比較を通じて考察し︑今後の道家等の思潮との交流

関係の検討をもふまえた本格的な﹃左伝﹄の礼の思想史上の位置あるいは役割等の考察の覚書としたい︒ そ

れが

﹃左

伝﹄

こ乙に問題の昭公二十五年の一文を︑全文掲げてお乙う︒なお文中の什|同の数字は︑内容検討の便宜上論旨によ

って

分け

た段

落を

示す

夫礼︑天之経也︑地之義也︑民之行也︒天地之経而民実則之︒則天之明︑困地之性︑生其六気︑用其五行︒気為五 味︑発為五色︑章為五声︒淫則昏乱︑民失其性︑是故為礼以奉之︒為六畜五牲三犠︑以奉五味︒為九文六采五

章︑以奉五色︒為九歌八風七音六律︑以奉五声︒為君臣上下︑以則地義︒為夫婦外内︑以経二物︒為父子兄弟姑 姉甥自男昏燐姻姫︑以象天明︒為政事庸力行務︑以従四時︒為刑罰威獄︑使民畏忌︑以類其震曜殺裁︒為温慈恵 ー 同 和︑以効天之生殖長育︒民有好悪喜怒哀楽︑生子六気︑是故審則宜類︑以制六志︒哀有突泣︑楽有歌舞︑喜有施 舎︑怒有戦闘︒寄生於好︑怒生於悪︑是故審行信令︑禍福賞罰︑以制死生︒生︑好物也︒死︑悪物也︒好物︑楽 也︒悪物︑哀也︒哀楽不失︑乃能協千天地之性︑是以長久︒

乙れは昭公二十五年︑中原の諸国の大夫が黄父の地に会した際︑晋の越川駅︵筒子︶に﹁揖譲周旋之礼﹂を問われた 鄭の子大叔︵梯吉︶が︑かかる礼を﹁是儀也︑非礼也﹂とし︑礼の本義として披漉した自国の大夫子産︵乙の時すで

(6)

に死亡︶の所説である︒以下段落ごとにその内容を検討してみよう︒

夫礼︑天之経也︑地之義也︑民之行也︒天地之経市民実則之︒

これは畢境︑礼が天地人三才を貫く理法︑天地自然の理法そのものであると宣言するものであるが︑今少し仔細に

見て

みよ

う︒

まず

﹁天之経也﹂について︒これは杜預が﹁経者道之常﹂と述べているように︑現象の背後の観念的 本体の恒常不変性を言うものであろうが︑後の論述の中に︑﹁則天之明﹂あるいは﹁以象天明﹂とあり︑これらの﹁天 明﹂とは︑杜預の﹁日月星民︑天之明也﹂という注を待つまでもなく天文現象と考えられ︑

この

よう

に人

間の

﹁則

・﹁象﹂の対象として天文現象を挙げている乙とを考慮に入れると︑﹁天之経﹂とは︑直接には天文現象に顕現してい

る自

然の

恒常

的法

則︑

理法を指すものと考えられる︒

次に﹁地之義也﹂については︑後の記述に﹁為君臣上下以則地義﹂とあり︑

﹁地之義﹂とは︑人間の社会関係に比

擬されるような秩序性と考えられる︒

よっ

てと

の﹁

地之

義也

以地勢言会築が﹁在地則高下剛柔有宜是也︑

之﹂と述べ︑後の﹁困地之性﹂に社預がコ両下剛柔︑地之性也﹂と注しているように︑地形・地理に顕現する自然の

とは

立伝の礼IC関する一考察

法則・理法を言うものであろう︒

乙のような﹁天経地義﹂なる礼が次の句で﹁民之行也﹂︑即ち人間の行為であるというのであるが︑以上を要する に︑礼とは﹁天経地義﹂︑天文・地理に顕現している自然の理法が人間界に具現した形式ということになろう︒

続く﹁天地之経而民実則之﹂とは︑前文の反復強調とみられるが︑この文はまず人聞が自然の理法の下の存在であ

ることを前提とし︵このことは次段の記述によっても明かとなる︶︑人聞は自然の理法の人間界に具現した形式であ る礼を履行するととを通じて︑自然の理法の下に存在していくというのであろう︒

)¥ 

(7)

一八 四

t

則天之明︑園地之性︑生其六気︑用其五行︒

乙の段落は︑会集が︑初めの﹁則天之明﹂の句の前に﹁夫民﹂の二字を︑最後の﹁用其五行﹂の句の後に﹁者也﹂

の二字を添えて読めというように︑との文は人聞を存在論的に論じたものも言える︒﹁則天之明︑困地之性﹂とは︑

第一段の前提にもなっていたように︑人聞が天文・地理に顕現している自然の理法に自然必然的に順う存在であるこ

とをいうもの︑次の﹁生其六気︑用其五行﹂とは︑前句は人閣の形質的要素︑後の句はその生存手段を言うものとみ

ζに言う﹁六気﹂及び﹁五行﹂については︑次の段落とも関連するので︑第三段落を先に検討し

なさ

れる

︒な

お︑

なが

ら︑

乙の

乙と

にも

ふれ

よう

︒ 国

気為五味︑発為五声︑章為五色︒淫則昏乱︑民失其性︑是故為礼以奉之︒為六畜五牲三犠︑以奉五味︑為九文六

采五章︑以奉五色︑為九歌八風七音六律︑以奉五声︒

との段落は︑人間の欲望の放恋による生存の危機を防ぐための手段として︑礼の必要性を述べたものとみられる︒

はじめに﹁気為五味︑発為五色︑章為五声︑淫則昏乱︑民失其性﹂とあるのは︑昭公元年︑秦の医和が普平公の病

を看て語ったととばの中の

天有六気︑降生五味︑発為五色︑徴為五声︑淫生六疾︒六気回陰陽風雨晦明也︒分為四時︑序為五節︒云云

という一節とほとんど趣旨を同じくするものであり︑乙れによって前文を補いながら解釈してさしっかえなかろう︒

ζの両者の説く所によれば︑前段落で人間の原形質とされた天の所有にかかる﹁六気﹂は一定の変化を遂げて︑

(8)

﹁五味﹂﹁五色﹂﹁五声﹂となるというのであるから︑﹁六気﹂は乙れら三者の原形質でもある乙ととなる︒そして︑今

掲げた回公元年の文によれば︑﹁六気﹂の具体物は﹁陰陽風雨時明﹂と称されるそれぞれの気であった︒一方乙の﹁六

﹁五声﹂が︑続いて﹁淫則昏乱︑民失其性﹂と言われているととからすれば︑乙れ気﹂によって構成される﹁五味﹂

らのものは人聞に受用されるものであるとみなされる︒また前段落で﹁︵民︶用其五行﹂と︑人間は﹁五行﹂をその

生存上利用していくものとされていたが︑

乙乙

にい

う﹁

五味

﹂﹁

五色

﹂﹁

五声

﹂も

人聞

に受

用さ

れる

もの

であ

るか

ら︑

ζれら三者は﹁五行﹂と総称されるものの中の一部であるとみなされる︒なお裏公二十七年に﹁天生五材︑民並用

之﹂とあり︑また昭和三十一年には﹁地有五行﹂とあり︑これらの記載からすると︑

主体が﹁天﹂︑その存在の場が﹁地﹂とされているものと考えられ︑乙れをも参考に入れて以上の﹁六気﹂

﹃左

伝﹄

では

﹁五

行﹂

の産

出の

﹁ 五

ι

と人閣の関係をまとめておくと︑天に所在する﹁陰陽風雨晦明﹂の気が︑天のはたらきによって一定の変化を経て地

上 に 降 り

︑ 人 間 及 び

﹁ 五 行

﹂ の 原 形 質 と な っ て そ れ ら を 構 成 す る

﹁ 五 声

﹂ は こ の

﹁ 五 行

﹂ の 一 部

﹁五

味﹂

﹁五

色﹂

であるが︑人聞はその生存上乙の﹁五行﹂を受用している︑という乙とになろう︒

さて続いて第三段落の内容の検討を進めると︑以上のように﹁五行﹂の一部とみなされる﹁五味﹂﹁五色﹂﹁五声﹂

左伝の礼l乙関する一考察

が﹁

淫﹂

する

とき

とで

あり

︑人

閣の

側か

ら言

えば

と乙にいう﹁淫﹂とは︑量的混乱という乙

それらの受用が度を過ごすということであろう︒その時︑人聞は混乱して﹁失其

﹁民

﹂は

その

﹁性

﹂を

﹁失

﹂う

とさ

れる

ので

ある

が︑

性﹂するのであるが︑乙の﹁性﹂はどのような意義に解すべきであろうか︒

前掲の昭公元年の文を今一度みると︑﹁天有六気︑降生五味:::淫生六疾﹂とあって︑との﹁失其性﹂が﹁生六疾﹂

と言い換えられている︒乙の乙とからすると︑乙の﹁性﹂は︑﹃孟子﹄﹃有子﹄等で用いられているもちまえとしての

﹁性﹂ではなく︑むしろ﹁生﹂という概念に一致するかのようである︒また第二段落の︑人聞は﹁用其五行﹂いて生

存するという記載との関連からみてもそのように考えられる︒

一八

(9)

一八 六 ところで停斯年氏は﹃左伝﹄の﹁性﹂はすべて﹁生﹂の字に置き換えられると指摘し︑

とれに従えば︑そもそも

﹃左伝﹄にはもちまえとしての﹃性﹄の概念はないことになるが︑しかし︑この所説はすでに森三樹三郎氏の批判す る所であ&︒事実︑森氏も述べておられるように︑今問題にしている一文の中の﹁園地之性﹂あるいは﹁乃能協千天 地之性﹂の﹁性﹂は︑もちまえの義とみるべきであろうから︑

乙乙での﹁民失其性﹂の﹁性﹂も︑いずれかにもちま

えとしての意義が看取されなければならない︒

そこで今一度乙の記載の前後をみると︑﹁五味﹂﹁五色﹂﹁五声﹂が量的に混乱すると︑即ち人間の側の受用が度を

越え

ると

その結果として人聞が﹁失其性﹂うという時︑乙の場合の﹁五味﹂﹁五色﹂﹁五声﹂は︑それぞれ人間のロ

・目・耳の感官に対応するものである︒よって乙れら三者は︑人間の口・目・耳の感官の本能的欲求を刺激する実体 である乙とになる︒してみると︑これらの実体が量的に混乱すること︑それは同時に人間の側のそれらの受用に節度

がないということであるから︑

その時には感官の本能的欲求が放怒な状態になっているという乙とになる︒従って︑

﹁失其性﹂とは︑具体的には乙のような人間の心的状態であるという乙とができる︒ととろでまた人間の口・目・耳 の感官は天与のものであり︑その欲望はもちまえのものということができるが︑﹁五行﹂受用に関する人閣の生存の 危機は︑乙のもちまえのものの混乱という状態を伴い︑その結果として生ずることになる︒

一方では﹁生六疾﹂とされるように︑﹁失其生﹂としてもさしっかえない表現が︑﹁失其性﹂となった乙とを︑以上 のような﹃左伝﹄の﹁性﹂概念の捉え方によるものとみなすと︑乙乙にいう﹁性﹂とは︑その具体的内実は︑天与 の口・目・耳の感官及びその機能であり︑従ってそれはやはりもちまえの意義を有しているのであり︑

﹁園

地之

性﹂

﹁乃能協干天地之性﹂のもちまえの意義としての﹁性﹂と同一文中に用いられている乙とに何の矛盾もなくなる乙と

から

︑ 乙乙での礼論が︑人の﹁性﹂の内実を天与の感官及びその機能とする見解に立っているとみなせるであろう︒

さて︑検討を先に進めよう︒

(10)

続い

て︑

乙のように人間本具の感官に対する刺激の実体が︑量的な節度を失すると︑その受用体である感官の機能

が失われて︑疾病あるいはその他の生存の危機に瀕する︒よって﹁為礼以奉之﹂ぜねばならないとされている︒とこ

ろで乙の﹁奉﹂という字は︑﹃説文﹄は﹁承﹂の義に解し︑﹃爾雅﹄釈言は﹁献﹂と解しているが︑加藤常賢氏の﹃漢

字の起原﹄︵八六一頁︶に︑両手を恭しくささげる意を含むとしてあるように︑乙の﹁奉﹂とは︑権威ある神格︑人

格に対処する動作・行為の雅言というべきものである︒そうすると﹁為礼以奉之﹂という行為には︑いずれかにその

ような意義が見出さるべきで︑会築に﹁五味五色五声︑皆天地所生︒聖人裁成輔相︑以成其義市使不淫也︑故日奉﹂

と述べられているのは大むね正しい見解であろう︒つまり︑﹁為礼以奉之﹂という行為は︑﹁五味﹂等に向けられた︑

人聞に﹁性﹂を失わしめぬための調整であり︑その﹁五行﹂の形成は︑先に検討しておいたように天の所為であっ

た︒従って︑礼によるその調整は︑会築のいうように天の働きを﹁裁成輔相﹂する行為であったのであり︑そ乙に天

という神格的権威への対処という意義が存しているのである︒

おおよそ︑このような意義を﹁為礼以奉之﹂の一句に見出すととができると思われるが︑ただ︑会第が︑﹁為礼以

奉之﹂の主体を﹁聖人﹂としているのは︑なお検討の余地がある︒しかしとの問題は次の第四段落との関わりでみる

必要

があ

るの

で今

はふ

れな

い︒

左伝の礼ζl関する一考察

さて︑続いて第三段落後半部には︑﹁為礼以奉之﹂の具体例として︑﹁五味﹂に対して︑六畜・五牲・三犠︑﹁五色﹂

に対して︑九文・六采・五章︑﹁五声﹂に対して︑六律・七音・八風・九歌が挙げられているが︑これらの具体的内

容の検討は︑あまりに煩績になるので省略し︑と乙では︑﹁性﹂即ち感官の機能のもつ不備︑つまり︑何らの抑制も

ないときにその機能の調和を乱す不完全さを補う手段が︑寡欲あるいは無欲などと︑感官即ち﹁性﹂そのものを規制

するのではなく︑それが感官に対応する刺激の外在的実体に向けられているのであり︑従って乙の礼論においては

つまりは欲望がひとまず︑生存のための機能として品同定され︑その上で礼による欲望の

﹁性

﹂即

ち感

官の

はた

らき

一八

(11)

7 t

r k

 

﹄ ︐ ︐ ︐

︐ ︐ ︐

調整が主張されているという点を︑乙の具体例によって確認するに止める︒

同 為君臣上下︑以則地義︒為夫婦外内︑以経二物︒為父子兄弟姑姉甥輿昏措姻姫︑以象天明︒為政事庸力行務︑以 従四時︒為刑罰威獄︑使民畏忌︑以類其震曜殺裁︒為温慈恵和︑以放天之生殖長育︒

乙の段落は︑人倫︑政治制度としての礼が︑各々天文・地理・四時その他の︑天のはたらきとしてある自然の理法 に法象している乙と︑及びそれらが人聞を自然の理法に則らせる手段であるととを論じたもののようである︒

初めの﹁為君臣上下以則地義﹂の句︑及び一句おいて﹁為父子兄弟:::以象天明﹂の句は︑入閣の社会生活におけ る上下の関係や︑族内生活における親姻の関係が︑それ自体︑地理︑天文という自然の理法に法象したものである乙 とをいうものであるが︑また乙のような人倫の関係がそのように自然の理法に法象したものであるならば︑その人倫 関係の中にある人間も︑自然の理法に則っているのであり︑第二段落に述べられていた﹁則天之明︑園地之性﹂とい うその自然必然的生存の条件をみたす乙とになる︒従って乙れらの句は︑人倫の礼の存在は︑それ自体が自然の理法 に則っていることと同時に︑それが人間存在を自然の理法の下にあるというその自然必然の生存条件をみたさしめる 手段であるという意義を有することを主張しているものとみなさなければならないと考えられる︒

ところで以上の二句の間にある﹁為夫婦外内︑以経二物﹂という一句は︑杜預の注には﹁夫治外︑婦治内︑各治其 物也﹂とあるが︑おそらくは︑夫が族の対外的関係の中心となり︑婦がその族の内的関係の中心となって︑内と外と

﹁ニ物﹂すなわち天地の間にある二元的対峠性という自然の理法に従うというような乙とであ

の弁

別を

明確

にし

て︑

ろう

後半部は︑前半が人倫関係の礼に関するものであったのに対し︑政治制度としての礼に関するものであるが︑前半 ︒

(12)

の人倫関係の礼の検討において︑その礼の人間界における意義にニ層性が見出せたように︑と乙でも︑例えば﹁為政

事庸力行務以従四時﹂の一句において︑まず﹁政事庸力行務﹂等の政治が﹁以従四時﹂︑即ち自然の理法に従ったも

のであると同時に︑それが人聞を自然の理法に則らしめる手段であるというととのこ層の意義を見出すととができる

であろう︒要するに第四段落後半は︑賞罰を含む政治の諸制度が︑礼として自然の理法に則ったものであり︑その運

用︑即ち為政は︑人聞をその生存上の自然必然的条件を満たしめるζと︑即ち自然の理法に則らしめる乙とを目的と

しである乙とを論じたものというζ

とが

でき

る︒

ところで︑第三段落から第四段落にかけて︑﹁為礼以奉之﹂あるいは﹁為君臣上下︑以則地義﹂などの形式で︑礼

を為して︑天地あるいはその属性に法象したり︑あるいはそれに調整を加える乙とが述べられていたが︑ここにいう

礼を﹁為﹂す主体は誰であろうか︒会築では先に引用しておいたように︑﹁五行﹂の調整を﹁聖人﹂の天地のはたら

きに対する﹁裁成輔相﹂として︑とれらの﹁為﹂の主体を﹁聖人﹂とみている︒︵因みに会鐘はととでの﹁為﹂全般

に関して﹁凡句首言為者︑皆謂聖人制札以裁成輔相之事﹂と明言してもいる︒︶とすれば︑

ζ ζ

での

﹁礼

﹂の

起源

は聖

左伝の礼に関する一考察

人の作為にあるのであり︑有子の礼楽聖人制作説と一致する乙とになるが︑それはともかくとして︑なるほど︑第三

l

四段落を通じて並列されている﹁為||以:::﹂の形式は︑礼の創設に関するととと捉えた場合が最も文脈上明解

となり︑会築に言うようにζれは礼の聖人制作をいうものであろう︒ところで﹃左伝﹄昭公二十六年には︑斉の要嬰

の乙とばとして次のように礼の起源が説かれているが︑乙の所説乙そとこでの﹁為﹂の意義をよく説明していると思

われ

る︒

礼之可以為国也久失︑与天地並

O

−i

−−

先王

所菓

於天

地以

為其

民也

︒是

以先

王上

之︒

との記載よりすると︑礼は本来天地の存在の初めより︑自然の理法としであったのであり︑それを先王乃ち聖人

が︑その理法より菓受したもの︑換言すれば︑自然の理法を抽象して︑人間界に形式化したものということになろう

一八

(13)

一 九 O

が︑問題の礼論においても︑礼は﹁天経地義﹂であり︑自然の理法そのものであった︒その意味では礼は﹁為﹂され

る以前より自然の理法として存していたのであり︑その上でなお﹁為﹂されるのであれば︑その﹁為﹂とはとの昭公

二十六年の嵐官嬰の言のように︑聖人が自然の理法より菓受して︑人間界に形式化するととというととになろう︒

さて︑以上の検討より︑問題の礼論においても礼が聖人に作為されたものであるという見方が存しているとみなさ

れ︑有子の礼論と基本的に一致しているようである︒なお︑両者における聖人の作為の意義に関する検討は後に行う

ので乙とではふれず︑論を次段落の検討へ進めよう︒

民有好悪喜怒哀楽λ生子六気︒是故審則宜類︑以制六志︒哀有央泣︑楽有歌舞︑喜有施舎︑怒有戦闘︒害生於

好︑怒生於悪︑是故審行信令︑禍福賞罰︑以制死生︒生︑好物也︑死︑悪物也︒好物︑楽也︑悪物︑哀也︒哀楽

不失︑乃能協子天地之性︒是以長久︒

ζの段落は人間の感情と礼の関係について論じたものである︒はじめの﹁民有好悪喜怒哀楽︑生子六気﹂という一

文によれば︑人間の感情は︑第二段落で﹁︵民︶生其六気﹂とあったように︑その原形質たる﹁六気﹂の作用の結果

とい

うい

とに

なる

が︑

ζ乙での﹁気﹂と感情の関係を具体的に捉えるため︑以下の﹃左伝﹄中の説話を見ておとう︒

荘公十九年︑周の王子額は叛乱によって王位を窺ったが︑翌二十年︑彼はその傘下の五人の大夫を享し︑舞楽に興

じた︒とれを聞いた鄭伯は︑王位を好すというこの上ない禍いの直中で︑舞楽に興じるのは︑憂を楽しむものである

とし

哀楽失時︑挟特必至︒ ︑

という乙とを根拠に︑王子額らの将来の憂を予言している︒果たして彼らはその翌年殺されるととになるが︑ζ

(14)

いう﹁哀楽失時︑仙抗答必至﹂という一文に︑所調同類相引の論理を見る乙とができるようである︒この同類相引とは

﹃有

子﹄

勧学

篇の

物類之起︑必有所始︑栄辱之来︑必象其徳0

・肉

腐出

虫︑

魚枯

生費

︑怠

慢忘

身︑

禍災

乃作

︒:

::

物各

従其

類也

︒ という一文に明解に一不されている自然界の存在物が個々の属性の共通性︑即ち﹁類﹂の下に相引集合するという一種

の自

然観

であ

った

が︑

ここに﹁哀楽失時︑狭鈴必至﹂というのは︑上掲勧学篇中の﹁怠慢忘身︑禍災乃作﹂という一

コ及楽失時﹂した心の状態がそれに﹁類﹂を同じくする狭径を相引するという考え方を前提し句と一致するもので︑

てい

ると

みな

され

る︒

また次に昭公二十五年︑魯の叔孫賠は宋に赴き︑宋君一見公の享宴をうけ︑飲酒歓談したが︑その末に何のためか互

に流沸してしまった︒これを見た宋の楽耐が次のように二人の死を予言している︒

今蕊君与叔孫緒其皆死乎︒吾聞之︑哀楽而楽哀︑皆喪心也︒心之精爽是魂瞬︑魂暁去之︑何以能久︒

乙の予言通り︑乙の後︑宋の元公は自然な老衰によって︑叔孫措は魯の内乱の中で亙祝に己の死を祈らせるという

このように﹁魂瞬﹂の喪失という同一の契機によって︑自然死と自殺と異った原因の死が予言

形で自殺しているが︑

左伝の札lと関する一考察

され得るのはやはり同類相引の論理によるものであろう︒またここで同類相引の論理によって︑二人が死を招引した のは︑感情の混乱による﹁魂暁﹂という体中の清爽なる気の喪失であったが︑これらの説話をも考慮に入れて︑今問 題にしている﹁民有好悪喜怒哀楽︑生千六気︑是故審則宜類︑以制六志﹂の一文を解釈しなおしてみると︑感情は体 中の気の作用によるものであるから︑気の混乱は同時に感情の混乱でもあるが︑乙の時混乱した気は同類相引によっ ぬ て

と 禍

い やう 死

の 招も を

と 引 考 す

え る官 。

れ よ

る一つ叩 て

﹁審則宜類﹂という作為・礼によって気及びその作用たる感情の調整を計らねばなら

さて︑第五段の検討を進めよう︒つづく︑﹁哀有突泣︑楽有歌舞︑喜有施舎︑怒有戦闘﹂以下の文章は甚だ難解で︑

(15)

九 その真意をつかみにくいのであるが︑まずこの一文は︑先の荘公二十年の﹁哀楽不時︑挟径必至﹂にみるような体中 の気の混乱による感情の混乱が同類相引によって禍︑死を招引するという考え方の存在からすると︑気︑感情の混乱 を防ぐための行動様式として列挙されたものとみられる︒つまり︑前文の﹁審則宜類﹂の具体的内容であろう︒とこ ろでこ乙では六志のうち好・悪に対応するものが挙げられず︑それらが﹁喜生於好︑怒生於悪﹂と︑喜・怒を発する 更に根本的な感情として別格視されている︒また後に﹁好物︑楽也︑悪物︑哀也﹂と︑楽・哀がそれぞれ好ましい対象︑

厭わしい対象に起こるものとされているところからみれば︑好・悪はまた楽・哀を発する根本的な感情とみなされて いる乙とがわかる︒とのように人閣の感情︑六志のうち好・悪は他の四者を発する︑より深層の根本的な感情とされ ているから︑感情の混乱に起因する禍・死も︑好・悪の感情の混乱がその出発点となる︒これらの句の間にある﹁是 故審行信令︑禍福賞罰︑以制死生﹂とは︑この根本的な好・悪の感情に訴えて﹁禍福賞罰﹂を施し︑審かなる規範を 履行せしめ︑信ある命令に従わせ︑感情の混乱より招来される禍・死を防がしめるというのであろう︒

かくして人聞は︑先の﹁審則宜類﹂によって︑その体中の気を調整する乙とを通じて︑また﹁審行信令﹂によって

直接的に感情を終え︑それによって﹁哀楽不失﹂︑

た類物相引によって生を招引し︑生成という天地のもちまえに協和する︒よって︑その人聞は長久になる︒おおよそ

つまり感情の混乱がなくなり︑その感情の調和が︑気を媒介とし

以上が第五段落の趣旨と考えられる︒

さて以上︑甚だ繁蹟になったが︑

一 応 ︑

﹁天経地義﹂なる礼論の検討を終えた︒こ乙で以上の検討のあとを整理し

てお

乙う

であ

った

︒ 礼は﹁天経地義民行﹂︑すなわち︑天文・地理に顕現されている自然の理法が人間界の規範として具現された形式

一方人聞は︑自然の理法に則らねばならぬ存在であり︑故にその生存のためには︑

ζの天の理法の人間界

(16)

における具現形式たる礼を︑自然必然的に履行していかなければならない︒更に具体的には︑人聞は天の生じた﹁六 気﹂をその原形質とし︑天与の感官の機能︵﹁性﹂︶によって︑同じく﹁六気﹂より構成される﹁五行﹂をその生存

乙の﹁五行﹂の受用に節度がなくなるとき︑人聞は﹁性﹂の機能を乱して生存のために受用していくものであるが︑

の危機に瀕せねばならない︒よって︑聖人は﹁五行﹂の受用を調整するための礼を作った︒また︑聖人は君臣︑夫

婦︑六親の制などの人倫の礼や種々の政治制度を︑自然の理法を抽象して人間界K形式化することによって作り︑

z

れによって人聞を自然の理法に則らせるようにした︒との中で︑礼が︑天の所産たる﹁六気﹂

助ける機能を有している点で︑聖人の礼の作為には︑天のはたらきの裁成輔相という意義を看取することができる︒

﹁五

行﹂

のは

たら

きを

更に人聞はその形質要素たる﹁六気﹂の作用によってお乙る六種の感情をもつが︑その感情の混乱︑すなわち︑体 中の気の混乱は︑同類相引によって禍や死を招引する可能性をもっていた︒よって︑感情の発動体たる体中の気を調 整するための礼が作られ︑また︑六種の感情の中でも最も根本的な感情である好・悪を賞罰で指導して感情の調整を はかる政治の制度がつくられ︑かくて人聞は乙の礼によってその生を遂げる乙とができるようになったのである︒な

お︑ここで︑感情は天の所産たる﹁六気﹂によるのであり︑乙こでの礼は無制約の時に混乱するという気の機能の不

備を補うものである︒従ってここでも礼の機能は天のはたらきを裁成輔相するものであるとみることができる︒

左伝の礼!C関する一考察

おお

よそ

おおむね礼の起源を説くものであるとみられる以上のようにまとめられる

﹁天

経地

義﹂

なる

礼論

は︑

が︑乙の礼起源論は︑人間のもちまえたる感官の機能や感情が無制約時に人閣の生存を危機に瀕せしむる可能性をも っということを礼の必要性の根拠としている点︑有子の性悪説にもとづく礼論に論理的に近似していると考えられ

る︒

そ乙

で︑

次章

では

乙の﹁天経地義﹂なる礼起源論と有子の礼起源論とを比較して︑前者の礼の意義を更に明確

にし

てみ

たい

一九

(17)

九四

有子は周知のように礼の起源を︑人間の欲望の放怒による﹁群﹂

よって︑利益分配の適宜性をはかることを目的とした聖人の作為に求めた︵礼論篇︶わけだが︑乙の礼起源論には二 つの人間観的前提があった︒まず人聞が生存上﹁群﹂をなさなければならない存在であること︑及びその生得的所

−社会の混乱を︑貴賎上下の別という礼の機能に

与︑すなわち﹁性﹂の内実を情欲とする点である︒かかる情欲を持った人聞が﹁群﹂をなして生存していく︒もしそ の情欲が何の抑制も受けない時︑﹁群﹂の秩序が混乱し︑人聞はその生存の危機に瀕する︒故に聖人は分をその機能 とする礼を作為し︑かかる混乱を防ぎ︑人聞が自らの生存を全うし︑その欲望を充足するようにしたというのが萄子 の礼の起源論の構造であった︒乙の場合︑礼は﹁天人の分﹂に立った聖人の︑生得的所与たる﹁性﹂に対置される後 天的修為﹁偽﹂によって生ずるのであり︑従って︑礼の価値的根拠は︑聖人にあるのであって︑天にあるのではない

とするのが従来の見解であった︒

乙の有子の礼起源論と先に見た﹃左伝﹄のそれとの構造を比較すると次のような相違点︑類似点に気づかれる︒

まず︑相違点として︑有子の礼論が︑﹁群﹂・社会における人間論において礼の起源を説き︑

﹁群﹂・社会の秩序維

﹃左伝﹄の方が天との関わりにおける人間論において︑礼の起源を説

持のためにその必要性を説いているのに対し︑

き︑人聞の長久なることのためにその必要性を説いているという︑

理論展開の場の相違が挙げられる︒

次に︑有子の礼が︑天人の分に立つ聖人の﹁偽﹂になるのであり︑天にその価値的根拠をもつのではないのに対

﹃左伝﹄の礼は﹁天経地義﹂であり︑自然の理法であり︑その価値的根拠は︑その理法を成立せしめている天に あるといえ︑乙の点の天人の分と天人の一致という両者の天人関係の捉え方の相違をひとまず指摘できる︒

類似点としては︑人間の生得的所与が︑機能的不備をもつものとされ︑そのままでは自らの存在を全からしめえな し

(18)

いとして︑内的天の不備を指摘する点である︒ただし︑その生得的所与に関しては︑それを表わす﹁性﹂の概念には

いささかの相違がある︒萄子の﹁性﹂は︑性悪篇・正名篇によれば︑感官・感情をその内実とするものであったが︑

﹃左伝﹄の﹁性﹂は︑五味・五色・五声等との対応で表現され︑また別の箇所で感情が﹁生子六気﹂とされていた︒

乙の場合︑人聞は﹁六気﹂に生じ︑同じ﹁六気﹂の作用として感情はあるのだから︑感情も生得的所与とみなせるの

であるが︑しかし︑﹁性﹂はあくまで︑五味・五色・五戸との対応においてしか表現されていないから︑

﹃左

伝﹄

﹁性﹂の内実は︑感官であり︑感情は﹁性﹂に含まれぬものとみられる︒このように﹃左伝﹄と萄子には︑

﹁性

﹂の

把え方の相違があるが︑しかし︑それは範曙の多寡という相違であり︑質的な相違ではないといえるだろう︒

さて

﹃左

伝﹄

と有

子の

礼起

源論

にお

ける

相違

点・

類似

点は

ひとまず以上のようにまとめることができるのであ

これには今一度吟味をしておかなければならないことがある︒それは︑萄子の﹁天人の分﹂や﹁性偽の分﹂に

対する評価の問題である︒従来︑天人の分については︑天を自然現象とみ︑天人を断絶させ人間の天に対する独自 る

が︑

性を強調したものと評価され︑萄子の思想の科学性︑唯物性の具有という評価の根拠とされてきた︒そして︑

の分﹂が人聞の内部に向かったものが﹁性偽の分﹂とみられてきた︒しかし︑萄子の﹁天人の分﹂をこのように評価

すると︑直ちに︑不苛篇の﹁君子養心莫善於誠︒:::誠心守仁則形︑形則神︑神則能化失︒誠心行義則理︒理則明︑

﹁天

左伝の礼lζ関する一考察

明則能変失︒変化代興︑謂之天徳﹂という︑中庸の所説とも似た天人一致思想の存在との矛盾が指摘されなければな

らな

かっ

た︒

乙の矛盾をめぐって︑様々に論じられてきたが︑最近︑松田弘氏は︑有子における天人関係は一貫して天人一致と

把握すべき乙とを詳細に論じられた︒すなわち︑氏はまず天論篇の天が︑陰陽四時の運行変化として表現されている

ことから︑乙乙での天が自然現象の意義しかないと把握されてきた従来の見方を批判し︑実は﹃荘子﹄斉物論篇にお

いて︑荘子が自然現象を成り立たせている形而上的実在を真宰としながら︑それは現象そのものの中にのみ示現され

一九

(19)

一九 六 る実在としたのと同様の論理に立つものであり︑こ

ζでの天は自然現象を意味すると同時に︑それを成り立たしめて

いる原因︑はたらきとして︑その形而上的実在としての意義が前提されていること︑また︑感情・感官・心が天情・

天宮・天君とされるのは︑従来のように自然の感情・感官・心と解釈すべきではなく︑そのような形而上的実在たる 天の働きが人聞に賦与されていることをいうもので︑

乙れは正に人間の実践の当為の根拠を天にもとづけているもの であることを論じた上で︑所謂﹁天人の分﹂も︑あくまで天人関係の呪術的把握を批判するものにすぎない乙との検 討を通じて︑有子の天人関係の把握の仕方はやはり天人一致であったことを論証し︑天論篇と不有篇との天人観の矛

盾を

解消

され

た︒

また﹁性偽の分﹂についても︑信賞必罰の統治手段としての有効性を認め︑その上で礼治を統治の切り札として要 請する有子の政治論からの論理的帰結によって︑﹁偽﹂の内的根拠を不聞に付したものと指摘されている︒すなわち︑

有子は︑政治の効率性︑合理性という見地から︑彼の当時隆勢であった秦の信賞必罰の統治手段としての有効性を認 め︑その信賞必罰の統治の可能根拠が︑

それを欲しあるいは避けんとする人間の情欲にあるという認識に立ち︑その 上で一貫して情欲のみが﹁性﹂︑即ち生得的所与の内実であるとすることにより︑外的強制による乙の情欲の抑制の 限界を強調し︑以て外的強制たる信賞必罰の限界を指摘した︒そして︑それに替わる情欲の抑制手段として︑人間の 自主的な情欲の規制を目的とする礼による教化・化育の有効性を強調した︒こうして︑﹁性﹂の内実を情欲に限定す るととによって︑人間の自主的実践の強調︑礼治の必要性を強調した有子は︑自主的実践︑﹁偽﹂の内的根拠を﹁性﹂

に求

める

こと

がで

きな

くな

った

ため

︑ 乙れを後天的修為と規定し︑その内的根拠を不聞に付したのである︒乙れが

﹁性偽の分﹂の内実である︒しかし︑﹁性偽の分﹂の論において不聞に付されている﹁偽﹂の内的根拠は︑正名篇では

﹁性之好悪喜怒哀楽︑謂之情︑情然而心為之択︑調之慮︑心慮而能為之動︑調之偽﹂と︑正に心に求められている︒

しかもこの心は﹁天情︵H情欲H生得的所与︶﹂と並置して︑﹁天君﹂と称される︵天論篇︶のであるから︑

これ

を萄

(20)

子が生得的なものとみている乙とは疑いなく︑論理的には﹁性﹂の範鴎に入る︒しかし︑そのように主張されないの は︑先に見たように︑その信賞必罰を肯定し︑かっその限界を指摘した上で︑最終的に統治の切り札として︑礼治を

要請するその独特の統治論によるものである︒

以上の松田氏の見解に従えば︑これまで問題にされてきた天論篇と不荷篇の天人観の矛盾も解消し︑孔・孟より有

子を経て︑漢代に至る儒教思想における天人観も︑断絶ではなく︑一つの流れとして把握することが可能となり︑氏

の見解は甚だ妥当なものと評価される︒

さて︑右の松田氏の見解によって︑有子の天人観は︑﹁天人の分﹂ではなく︑あくまで天人一致であったことが明

らかとなり︑礼を﹁天経地義﹂とする﹃左伝﹄の礼論の天人観と布子のそれは質的に同一のものであったことにな

る︒乙の両者の天人観の一致を更に明確に跡づけるため︑少しく﹃布子﹄天論篇の記事を追ってみよう︒

まず

天職既立︑天功既成︑形具市神生云云︒

とあることから︑有子においても人聞は天のはたらきの結果として生ずるものとみられているといえるが︑

と乙

にい

う﹁

天功

﹂と

はま

た︑

左伝の礼IC::関する一考察

列星随旋︑日月屍招︑四時代御︑陰陽大化︑風雨博施︒万物各得其和以生︑各得其養以成︒不見其事而見其功︑

夫是之調神︒皆知其所以成︑英知其無形︑夫是謂天功︒

﹁無形﹂なる天の﹁神﹂なる作用による日月・四時・陰陽・風雨等の秩序ある自然の現象であり︑そ

の成果として成る﹁万物﹂の生成化育であった︒言い換えれば︑人間はこの一文での﹁万物﹂に含まれるものであ

る︒そして︑その﹁万物﹂は秩序ある自然の現象︑即ち自然の理法によって生成化育されているのであるから︑ と

ある

よう

に︑

物﹂の一たる人間もまた自然の理法によって生成化育されていることになる︒すると乙こには︑

﹃左

伝﹄

の﹁

︵民

一九

(21)

一九 八

則天之明︑園地之性﹂と表現されていた人間観と同じものが前提されているといえよう︒要するに︑萄子も﹃左伝﹄

同様︑人聞が自然の理法に則って存在するものと認識しているとみなせるのであるが︑ところで布子における政治と

l

聖人清其天君︑正其天宮︑備其天養︑順其天政︑養其天情︑以全其天功︒

とある乙とよりすれば︑天が与えた人間の人間たる所以に従って︑即ち自然の理法に従って﹁天功﹂を人間界に全う

するととに外ならないといえるだろう︒

このように萄子において︑政治とは人聞を人間たらしめている天の作用︑即ち自然の理法に従い︑その作用を人間

界に具現︑全うすることであった︒そして一方で萄子は統治の最高手段として礼を強調するのであるから︑自然の理

法に従い︑天の作用を人間界に全うする所以が礼であったととがわかるが︑乙の乙とから︑有子における礼も︑自然

の理法を人間界に形式化したものであるζとが予想される︒次の資料はとれを確認せしむるものであろう︒すなわ

ち︑有子は礼論篇において︑喪礼に三年から九月までの段階差が設けられている乙との理由を論じた上で︑

上取象於天︑下取象於地︑中取則於人︒人所以群居一之理尽失︒故三年之喪︑人道之至文者也︒夫是之調至隆︑

是百

王之

所問

︑古

今之

所一

也︒

と述べている︒乙れは喪礼が︑﹁所以群居和一之理﹂すなわち有子自身の礼論において最も重要な礼の機能であった

﹁分﹂を完成する最も基本的な礼であるが故に︑﹁百王之所問︑古今之所この﹁人道之至文者﹂︑即ちあらゆる礼の

中で超歴史的に最も重要なものであるとするものであるが︑その最も基本的で重要な礼が︑

地︑中取則於人﹂と︑人情にかなったものであると同時に天地自然の理法に法象したものとされている︒

﹁上

取象

於天

︑下

取象

乙のように︑萄子の礼論において最も基本的かっ重要なものが自然の理法に則って作られたものであれば︑他の諸

礼もそれに準ずるものとみなしてよいだろう︒

(22)

さて︑以上の検討によって︑有子の礼が︑自然の理法の下に存在する人聞を︑その理法の下にあらしめるために︑

聖人が自然の理法を抽象して形式化したものであったと理解され︑それは正に︑人聞を﹁則天之明︑困地之性﹂るも

のん

γ υ

この人間の生存の条件を満たすために聖人に作為された﹁天経人義﹂なるものであった﹃左伝﹄の礼と基本

的に一致するものであったとみる乙とができるであろう︒

こうしてみてくると︑礼論篇における有子の礼起源説は︑以上に見たような天人観及び礼の根拠の把握の下に︑自 然の理法の下にあるべき人聞が︑その理法に則り得ない可能性をもつが故に︑それを理法の中に引き戻すという過程 において論ぜられていたととが明らかになる︒すなわち︑天より与えられた天官・天情︑すなわち︑情欲を内実とす

る﹁

性﹂

は︑

﹁聖人清其天君︑正其天官︑備其天養︑順其天政︑養其天情︑云云﹂とあったように︑その機能が自然

の理法の下に正しく作用している時は︑﹁天養﹂を受け︑生を享楽する主体であったが︑人聞が﹁群﹂の中に置かれ た時︑その﹁性﹂の内実が情欲なるが故に︑混乱闘争を惹起する主体でもあった︒乙乙に人間存在が自然の理法に背 く契機があった︒そ乙で︑乙の契機をなくし︑常に﹁性﹂が自然の理法の下に機能する乙とを目的として作為された ものが︑自然の理法より抽象された礼であった︒礼論篇における有子の礼起源論は︑彼の天人観及び礼の根拠の前提

を考慮に入れると︑以上のように理解され︑それが人間の自然の理法より外れる契機をなくすという過程において論

左伝の礼ζl関する一考察

ぜられていたことが明らかになる︒そして︑

こ乙

での

論理

と︑

﹁性

﹂の

内実

を感

官と

して

それが﹁五行﹂を受用し

生存を維持する天与の機能をもつものとして︑﹁五行﹂の無制約の受用が天与の機能を阻害する︒また︑

﹁六

気﹂

を 媒介とした天与の感情は︑その調和が保たれているとき類物相引によって生を招引するが︑混乱する時は︑禍・死を

招引する︒よってこれらの幣害をなくし︑自然の理法の下に感官・感情を機能させるためのものとして︑﹁天経地義﹂

なる礼の必要性を説いた﹃左伝﹄の論理とは︑﹁礼﹂の機能を自然の理法の人間界における全き展開の助成と捉える 点で︑基本的に一致しているといえるのである︒要するに︑﹃左伝﹄と萄子の礼起源論は︑人間の自然の理法の下に

九九

(23)

OO

存し

得な

い契

機を

﹃左伝﹄が感官と﹁五行﹂︑感情と﹁六気﹂との関係でとらえていたのに対し︑有子が﹁群﹂に

おける人間と人間との関係に捉えたという違い︑及び﹁性﹂の範鴎の多寡の違いがあるのみで︑その礼論の前提であ

る天人観及び礼の価値的根拠の把え方は両者一致するものであったという乙とができる︒

なお︑以上のように﹃左伝﹄と萄子の礼は︑基本的に一致する天人観およびその根拠のもとづけ方の下にあったの

であるが︑と乙で両者の礼の意義について今一つ見ておかねばならぬととがある︒というのは︑先に見た松田氏の指

摘によれば︑人間の情欲の存在を根拠としてなされる信賞必罰による統治は︑乙とどとく人間の情欲を抑制すること

ができないから︑それに優位する情欲の抑制手段として︑人聞の自主的情欲抑制を目的とする礼治が主張された︒従

って︑有子においては︑礼と法とは一線を画すものである︒乙れに対し︑﹃左伝﹄は︑前章第四段落に﹁為刑罰威

獄︑使民畏忌︑以類其震曜殺載︑為温慈恵和︑以数天之生殖長育﹂と︑また第五段落に﹁是故審行信令︑禍福賞罰︑

以制死生﹂とあったように︑賞罰もそれ自体自然の理法に則り︑人聞を則らせるものであり︑そ乙に人間の長生を計

るものでなければならぬという限定を与えてはいるが︑礼と法との区別は明確ではなく︑むしろ法も礼の一部と考え

られているといえる︒ところで前章で検討した昭公二十五年の文言は︑鄭の子大叔の普の組簡子の聞いに対する返答

であったが︑乙の文言の後に次のような彼らの問答が続いている︒

簡子目︑甚哉礼之大也︒対日︑礼上下之紀︑天地之経緯也︒是以先王尚之︑故人之能自曲直以赴礼者︑謂之成

人︑大不亦宜乎︒簡子日︑敏也請終身守此言也︒

ζの中の子大叔の﹁故人之能自曲直以赴礼者調之成人﹂によれば︑外的強制によって礼に向かう立場と同時に︑自

主的契機によって礼を履行する﹁成人﹂の立場があるζとが明確に自覚されているといえる︒

以上を要するに︑萄子ではその履行の契機によって︑礼と法が区別されているのに対し︑﹃左伝﹄ではその履行の

契機にかかわらず︑自然の理法より形式化され︑人聞をその理法に則らしむる規範はすべて礼の範曙にあるという相

(24)

違が

指摘

でき

る︒

さて︑本章の検討は﹃左伝﹄と萄子の礼起源論における礼の意義の比較を中心に行ってきたが︑

その結果をまとめ

ると

以下

のよ

うに

なる

﹃左伝﹄も萄子も︑人聞が自然の理法の下の存在であるが︑同時にその理法より外れる契機をもっという天人観を

その理法より外れる契機をなくし︑常に理法の下に存せしめるために︑自然の理法を抽象して聖人によっ

前提

とし

︑ て作られた規範を礼とするのであり︑

乙の点両者は全く一致していた︒しかし︑次の三点に相違があった︒まず︑人 聞が自然の理法より外れる契機を﹃左伝﹄は︑﹁五行﹂﹁六気﹂と感官と感情の関係において︑有子が﹁性﹂の情欲な る乙とを根拠に﹁群﹂における人間関係において把えているとと︒第二に萄子がその履行の契機によって礼と法とを 分かつのに対し︑﹃左伝﹄の礼が︑履行の契機の如何にかかわらず︑自然の理法より抽象し︑人聞をその理法の下に 存せしむる規範はすべて礼であり︑法も礼の中に含まれるものであった︒第三に﹁性﹂の範鴎が︑﹃左伝﹄では感官 であり︑感情はその中に含まれなかったのに対し︑有子は双方ともに﹁性﹂の中に含まれるという﹁性﹂の組鴎の相

違で

ある

左伝の礼l乙関する一考察

小論は︑諸家によって﹃左伝﹄の一書中最も高度な形而上学的思弁性を具有するものとされ︑また﹃左伝﹄

一書

の 礼思想を象徴するものとされる昭公二十五年の礼論の内容の精確な把握を求めて検討を進めてきたが︑以上の結論を もってひとまず小論を閉じたい︒

これまで﹃左伝﹄のこの礼論は︑有子の﹁天人の分﹂にもとづく礼論と一線を画するものとみられるか︑あるいは 特に詳しい論証を経ず萄子の礼論に近似するものとされてきたが︑小論の検討によって︑両者は基本的理論構造にお いては同様の礼論であった乙とが論証しえたと考える︒今後︑先にまとめた三点の相違点を手掛りとして︑その相違

(25)

O

点の由って起った所以の考察を通じて︑また道家等の他の思潮との交流関係の考察を交えて︑

﹃左伝﹄の乙の礼論の

思想史的意義を考えてみたい︒

i 山本閏済氏﹁左伝に現れたる政治思想﹂人文研究三l 間津田左右吉著﹃左伝の思想史的研究﹄四九七|四九八頁 問板野長八氏﹁左伝の作成﹂史学研究一二七・一二八 凶貝塚茂樹氏﹁威儀||周代貴族生活の理念とその儒教化||﹂史林三十二|一 間なお︑ここに﹁民﹂というのは︑会築に﹁民調人也﹂とあるように︑人間一般を指すものとみてさしっかえなかろう︒﹁民﹂

の一般的用例では︑支配機構外の被支配者を指すが︑ここでの礼論は︑後に論ずるように︑聖人の礼の作為について述べたもの である︒つまり︑乙の﹁民﹂は要人との対応でその作為の客体として用いられているとみなされるから︑人間一般を指すものと

矧ここで﹁二物﹂を

ζ

物生︑有両有三有五有陪武︑故天有三辰︑地有五行︑体有左右︑云云

ここでは︑﹁物﹂は常にっこ・っこ・﹁五﹂等の数値的関係の中にある乙とが説かれ︑その中で﹁物﹂の﹁一この関係の 具体例として︑身体における左右の対象性・対時性をあげている︒よってとこでの﹁二物﹂も︑そのような存在の対象性・対崎

刷侍斯年氏﹃性命古訓耕証﹄上巻第五章

m

森三樹三郎氏﹃上古より漢代に至る性命観の展開﹄第三掌

間次の文は昭公元年の晋の平公の病の原因を述べた子産の言である︒

君子有四時︑朝以聴政︑昼以訪問︑タ以修令︑夜以安身︒於是乎節宜其気︑勿使有所墾閉激底︑以露其体︑蕊心不爽而昏乱

百度

ここでは︑礼によって体中の気を節宣することで︑体の疲弊をとり︑心を清爽ならしむることとされているが︑本論所引の附公

(26)

二十五年の文では︑その心の清爽なるものを﹁魂抽出としていた︒乙の両者を併せ考えると﹁魂瞬﹂とは体中の︑ある状態の気

を指すものと﹃左伝﹄では考えられているとみてさしっかえなかろう︒間前注附に引いた子産の語は︑との礼によって休中の気を調整し︑以て感情︿心意﹀を調整するというととの具体例といえる︒

凶萄子の﹁性﹂の概念に関して︑感官・感情の他に心をその範鳴に入れるべきか否かの論議があるが︑萄子自身のことばよって

心が﹁性﹂に含められることはないから︑ととでは心は﹁性﹂に含まれぬものと捉えておく︒回松閏弘氏﹁萄子における儒家的理念と天の思想的位置﹂筑波大学哲学・思想系論集1間同氏﹁布子における儒家的理念と天の思想的位置八序説

V

﹂倫理思想研究1

︵題

目の

よう

に後

掲の

論文

が先

に発

表さ

れた

もの

であ

る︒

行論

の都

合上

︑逆

の紹

介と

なっ

た︒

凶なお︑従来の説では︑有名な性悪篇の

聖人積思慮習偽故︑以生礼義起法度︒然則礼義法度者是生於聖人之偽

の一文によって︑礼は全く聖人の人為的作為になるが放に︑その価値根拠も人の側にあるものとされるか︑然らざる場合でも︑礼の価値根拠の基づけ方の人為性が高く評価されてきた︒しかし︑とのととばは︑礼が﹁性﹂より出忍か﹁偽﹂より出るかとい

う問題で発せられているため︑特に﹁偽﹂が強調されたのであり︑このととばから︑ととでの有子の礼も自然の理法に則ってい

るとする見解を妨げる根拠を導きうるものではなく︑反って聖人の﹁偽﹂によってなる礼が自然の理法に法象したものであると

乙ろから︑その礼の窮極的価値根拠は︑その法象の対象たる自然の理法の背後の天に基づくものとすべきとととなり︑一般的に

偽の価値的根拠が天にあるとする前述の松田氏の見解を支持するとととなるのである︒

左伝の礼lζ関する一考察

O

参照

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