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歴史認識を巡るロシアの政治 : 対立と協力の交錯

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

歴史認識を巡るロシアの政治 : 対立と協力の交錯

西山, 美久

北海道大学国際連携機構 : 特任助教

https://doi.org/10.15017/4377853

出版情報:政治研究. 68, pp.23-57, 2021-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:

権利関係:

(2)

歴 史 認 識 を 巡 る ロ シ ア の 政 治

︱︱ 対立 と協 力の 交錯

︱︱

西 山 美 久

(3)

はじ めに 本稿 は︑ 過去 を巡 って 諸外 国と 対立 しつ つ︑ 自ら を正 当化 する プー チン 政権 の取 組み を検 討す るこ とで

︑歴 史認 識問 題に 関す るロ シア の立 場を 明ら かに する こと を目 的に して いる

︒と りわ け本 稿で は︑ 歴史 認識 を巡 るロ シア と欧 州の 対 立と とも に︑ 第三 国と の協 力を 通じ て自 らの 立場 を世 界に 発信 する 同政 権の 試み に注 目し たい

︒ プー チン 大統 領は

﹁ロ シア の力 の源 泉や その 未来 は歴 史認 識の 中に あ(

)

﹂と 述べ るだ けあ り︑ ロシ アの 歴史 的偉 業と され る大 祖国 戦争

︵ロ シア にお ける 独ソ 戦の 呼称

︒以 下︑ 本稿 では これ を用 いる

︶で の勝 利の 意義 を内 外で 積極 的に ア ピー ルし てい る︒ 特に 五月 九日 の戦 勝記 念日 は重 要で あり

︑政 権は 大規 模な 式典 を開 催し て国 民の 愛国 心を 鼓舞 して い る︒ その 際︑ プー チン をは じめ とす る政 権閣 僚等 は︑ ソ連 が多 大な 犠牲 を払 って ナチ ス・ ドイ ツを 撃破 し︑ 欧州 諸国 を 解放 する に至 った と喧 伝し てい る︒ 戦勝 はロ シア にと って の誇 りで あり

︑ナ ショ ナル

・ア イデ ンテ ィテ ィの 中核 をな す 神聖 な国 民的 物語 に他 なら ず︑ 戦勝 を絶 対視 する 大祖 国戦 争史 観は 国内 で幅 広く 支持 され てい

(

)

︒ その 関連 で︑ ロシ アで は現 在︑ 独裁 者と され るス ター リン やソ 連に 関す る評 価に 注目 が集 まっ てい る︒ この 点︑ プー チン は︑ スタ ーリ ンに よる 人権 弾圧 とい った 非人 道的 行為 を認 めつ つも

︑彼 の指 導に よっ て大 祖国 戦争 で勝 利し 得た と 主張 し︑ 功罪 両面 を取 り上 げる こと で一 方的 に断 罪す るこ とを 避け てい

(

)

︒ま た︑ ソ連 崩壊 につ いて

﹁二

〇世 紀最 大の 地政 学的 悲(

)

﹂と 言及 した こと もあ り︑ 大国 とし ての 地位 喪失 を嘆 いた

︒ その ため

︑戦 勝に おけ るソ 連の 役割 やそ の輝 かし い功 績が 否定 され ると

︑政 権閣 僚や 上下 両院 議長 を含 む議 会関 係者 の他

︑歴 史家 や政 治学 者等 が異 口同 音に

﹁歴 史の 歪曲

﹂だ と抗 議す

(

)

︒欧 州諸 国︑ 中で も旧 共産 主義 諸国 は戦 後自 国に 設置 され たソ 連兵 士を 模っ た銅 像を ソ連 によ る占 領の 象徴 だと 捉え

︑そ の移 設・ 撤去 を進 めて いる

︒例 えば

︑二

〇〇 七 年に エス トニ ア政 府が 首都 タリ ンに ある ソ連 兵士 の銅 像を まさ に占 領の 象徴 だと し郊 外に 移設 した とこ ろ︑ プー チン 大 統領 は当 該決 定の 取消 しを 求め るな ど同 政府 を厳 しく 非難 した

︒ま た︑ 欧州 議会 等の 国際 機関 がソ 連と ナチ ス・ ドイ ツ を同 列視 する 内容 を盛 り込 んだ 決議 を次 々に 採択 した こと に対 し︑ 同大 統領 等は 歴史 の歪 曲だ と批 判し た︒ この よう に

(4)

見る と︑ ロシ アと 欧州 に跨 る歴 史認 識問 題と は︑ 解放 と占 領と いう 相容 れな い見 方を 巡っ て展 開さ れて おり

︑ロ シア が 喧伝 する 大祖 国戦 争史 観と 密接 に関 わっ てい るこ とが 理解 でき よう

︒ もっ とも

︑ロ シア は歴 史認 識で 対立 ばか りし てい るの では ない

︒ド イツ がフ ラン スと 協力 して 共通 歴史 教科 書の 編纂 を進 めた よう

(

)

︑ロ シア も類 似の 取組 みを 近隣 諸国 との 間で 進め てい る︒ その 最初 のケ ース とし て注 目さ れる のが

︑一 九九 七年 に設 立さ れた

﹁ロ シア

・ド イツ 関係 現代 史共 同研 究委 員会

﹂で ある

︒こ れは

︑当 時の エリ ツィ ン大 統領 とコ ー ル首 相の 発案 で設 立が 決ま り︑ 両国 の専 門家 が定 期的 に研 究会 を開 催し たり

︑研 究成 果を 共同 で発 表し たり して いる

︒ 二〇 一九 年に は一 八世 紀か ら二

〇世 紀ま での 両国 関係 史を まと めた 共通 歴史 教科 書シ リー ズ全 三巻 が完 成し

︑大 祖国 戦 争史 観を 重視 する プー チン 大統 領や ラヴ ロフ 外相 が出 版記 念イ ベン トに 祝辞 を寄 せて おり

︑そ の意 味で 同委 員会 の活 動 内容 は注 目に 値し よう

︒ この 他︑ ロシ アは 第三 国と 協力 しな がら 自ら の立 場を 積極 的に 発信 して いる

︒詳 細は 本論 で言 及さ れる が︑ 例え ば近 年で は︑ イス ラエ ルと 中国 がそ の相 手と して 注目 され てい る︒ ロシ アは

︑ホ ロコ ース トの 記憶 を守 り続 ける 意義 を訴 え なが ら︑ 同時 にナ チス

・ド イツ を撃 退し たソ 連が 強制 収容 所も 解放 した と強 調す るこ とで イス ラエ ル側 の支 持を 取り 付 け︑ 大祖 国戦 争史 観を 喧伝 して いる

︒ま た︑ 露中 は政 治経 済分 野で の関 係強 化を 図り つつ

︑歴 史認 識問 題で も積 極的 に 協力 を進 めて いる

︒そ の証 左と して

︑両 国は 首脳 会談 や第 二次 世界 大戦 に関 する 共同 声明 等に おい て︑ 歴史 の見 直し に 抵抗 する こと を度 々確 認し てい る︒ この よう に見 ると

︑ロ シア は歴 史認 識で 孤立 して いる ので はな く︑ むし ろ他 国と 協 力し なが ら欧 州に 対抗 して いる 様子 が伺 えよ う︒ その ため

︑自 らを 正当 化す るた めに 国際 協力 を進 める ロシ アの 営み に も目 を配 る必 要が あろ う︒ 以上 の問 題意 識を 念頭 に置 き先 行研 究を 見て いく と︑ 主と して 歴史 認識 を巡 るロ シア と欧 州の 対立 に焦 点が 当て られ てお り︑ 具体 的に は欧 州諸 国に おけ るソ 連兵 士の 銅像 移設 や欧 州評 議会 等で の決 議採 択︑ そし てそ れら に対 する ロシ ア 側の 反応 等が 説明 され てい

(

)

︒ま た︑ ロシ アや 中東 欧諸 国に おけ るナ チズ ムと 社会 主義 の過 去を 巡る 葛藤 につ いて

︑各 国の 文脈 に基 づい て分 析し た論 文集 も発 表さ れ(

)

︒こ の他

︑諸 外国 との 軋轢 が顕 在化 する 中︑ プー チン 大統 領の 発言 や

(5)

具体 的事 例を 見る こと で︑ ロシ ア外 交に おけ る歴 史の 役割 を明 らか にし た研 究も 発表 され てい

(

)

︒そ のよ うな 中︑ 対立 では なく 協力 に着 目し

︑バ ルト 諸国 やド イツ 等と ロシ アの 間で 創設 され た﹁ 二国 間歴 史委 員会

﹂を 取り 上げ て﹁ 過去 を 共有 する

﹂国 境を 越え た取 組み も検 討さ れて い(10

)

︒二 国間 委員 会の 中で も︑ ロシ ア・ ドイ ツ関 係現 代史 共同 研究 委員 会 につ いて は︑ ロシ ア人 研究 者の 間で も注 目さ れて おり

︑そ の活 動内 容を まと めた 概説 資料 が多 数発 表さ れて い(11

)

︒ これ らの 先行 研究 から 学ぶ べき 点は 多い が︑ 本稿 の問 題意 識に 鑑み ると

︑い くつ かの 問題 点も 指摘 でき る︒ 多く の先 行研 究は ロシ アと 欧州 の対 立に 着目 して いる が︑ 実際 には ロシ アは イス ラエ ルや 中国 と協 力し なが ら自 らの 歴史 認識 を 正当 化し

︑世 界に 向け て発 信し てい る︒ また

︑外 交に おけ る歴 史の 役割 を検 討し た研 究も 発表 され たが

︑ま ずは 欧州 と の対 立を 踏ま えた 上で

︑ロ シア がこ れら 二ヵ 国と の協 力に 乗り 出し た背 景や 目的 を明 らか にす る必 要が あろ う︒ この 点︑ 国際 協力 の事 例と して 二国 間歴 史委 員会 に着 目し た研 究は 非常 に重 要で あり

︑本 稿を 執筆 する 上で 参考 にな る︒ とは い え︑ ロシ アと 近隣 諸国 の間 で創 設さ れた 二国 間委 員会 を説 明し なが らも

︑ロ シア

・ド イツ 二国 間歴 史委 員会 の活 動内 容 等に つい ては 詳細 に検 討さ れて おら ず︑ 大祖 国戦 争史 観を 重要 視す るプ ーチ ンや ラヴ ロフ が祝 辞を 寄せ た意 図が 明ら か にさ れた とは 言い 難い

︒ 以上 の目 的に 基づ き︑ 本稿 では

︑過 去を 巡る ロシ アと 諸外 国の 対立 及び 協力 関係 に着 目し

︑い かな る場 合に プー チン 政権 は他 者を 非難 し︑ いか なる 目的 で第 三国 との 協力 を進 めて いる のか を分 析し

︑歴 史認 識問 題に 対す る同 政権 の立 場 を明 らか にし たい

︒こ のよ うな 課題 に対 し︑ まず 第一 節で 戦勝 を巡 るロ シア の立 場を 確認 する とと もに

︑そ れに 対す る 欧州 の異 議申 立て を明 らか にし たい

︒第 二節 では

︑欧 州諸 国や 国際 機関 の反 論に 対す るロ シア 国内 の主 な反 応を 取り 上 げな がら

︑歴 史認 識問 題に 関す る同 政権 の基 本方 針を 確認 した い︒ その 上で 第三 節で は︑ 国民 的物 語で ある 大祖 国戦 争 史観 を正 当化 する ため

︑同 政権 が第 三国 との 間で 協力 を推 進す る点 に着 目し たい

︒具 体的 には

︑① ロシ ア・ ドイ ツ二 国 間歴 史委 員会 の活 動内 容の 他︑ その 活動 に祝 辞を 寄せ た政 権の 思惑

︑ま た② イス ラエ ル及 び中 国へ 接近 する 同政 権の 意 図を 分析 した い︒ 最後 に本 稿全 体を まと め︑ 今後 の課 題や 展望 を提 示し たい

(6)

第一 節 ロシ アの 歴史 認識 と諸 外国 第一 項 解放 の喧 伝 プー チン 大統 領は 毎年 五月 九日 にモ スク ワで 開催 され る戦 勝記 念式 典で

︑ソ 連は 多く の犠 牲を 払い なが らも ナチ ス・ ドイ ツを 撃破 し︑ 欧州 を解 放す るに 至っ たと 語っ てい る︒ この 種の 発言 をい くつ か取 り上 げて みる と︑ 例え ば二

〇〇 五 年に

﹁赤 軍は 欧州 を解 放す ると とも に︑ ベル リン での 戦い を制 して 勝利 を手 にし た﹂ と述

(12

)

︑二

〇一 三年 には

﹁ソ 連兵 は自 らの 命を 顧み るこ とな く︑ 祖国 の独 立と 自由 を守 りな がら

︑欧 州も 解放 し勝 利を 手に 入れ た︒ この 勝利 は歴 史に 永 遠に 残る

﹂と 語っ てい

(13

)

︒ま た戦 勝七

〇周 年に あた る二

〇一 五年 には

﹁ソ 連は 欧州 をナ チス

・ド イツ から 解放 した

﹂と 簡潔 に指 摘し

(14

)

︒ま た︑ プー チン は内 外政 の基 本方 針を 発表 する 年次 教書 演説 でも 同様 の発 言を して いる

︒例 えば 二〇 一四 年一 二月 に﹁ 来年 我々 は戦 勝七

〇周 年を 迎え る︒ 我が 軍は 敵を 破り

︑欧 州を 解放 した

﹂と 言明 する な(15

)

︑プ ーチ ン は欧 州解 放と いう 功績 を様 々な 場面 で高 らか に喧 伝し てい る︒ こう した 発言 はプ ーチ ンだ けに 限ら れな い︒ 例え ば︑ 二〇

〇八 年か ら二

〇一 二年 にか けて 大統 領を 務め たメ ドヴ ェー ジェ フも 戦勝 記念 式典 で解 放に 触れ てお り︑ 二〇

〇八 年に

﹁何 年経 とう が︑

⁝⁝ 欧州 解放 闘争 を忘 れる こと はな い﹂ と 強調 し(16

)

︒ま た︑ ロシ ア外 務省 が発 行す る外 交専 門誌 には 戦勝 記念 特集 が組 まれ てい る︒ 二〇 一五 年五 月号 には ラヴ ロ フ外 相の 祝辞 が掲 載さ れて おり

︑そ の中 で﹁ 我が 国は ナチ ス・ ドイ ツの 敗北 に大 きな 役割 を果 たす とと もに

︑欧 州と 世 界を ナチ ズム の脅 威か ら解 放し た﹂ とそ の意 義を 説い

(17

)

︒ この 種の 発言 は国 内の みな らず

︑プ ーチ ン等 が解 放地 を訪 問し た際 にも 見ら れた

︵解 放地 は表

①を 参照

︶︒ とり わけ

︑ 旧ソ 連の ベラ ルー シや ウク ライ ナで の解 放記 念行 事に 出席 した り︑ 祝電 も送 るこ とで 解放 の意 義を 強調 して い(18

)

︒そ の 他︑ 例え ば二

〇〇 六年 三月 二日 にプ ーチ ンは チェ コの 首都 プラ ハに ある ソヴ ィエ ト兵 が埋 葬さ れた 墓地 に献 花し

(19

)

︒二

〇〇 九年 一〇 月に は当 時の メド ヴェ ージ ェフ 大統 領が ベオ グラ ード 解放 六五 周年 記念 式典 に出 席し た際

︑芳 名録 に﹁ 欧 州の 自由 のた めに 犠牲 とな った 人々 が眠 るこ の地 を訪 れる と特 別な 気持 ちを 感じ るだ ろう

︒英 雄の 記憶 よ永 年な れ﹂ と

(7)

記帳 した 他︑ 式典 では

﹁本 日︑ 解放 者の 記念 墓地 に献 花し た︒ ベオ グラ ード 解放 のた めに 犠牲 とな った ソ連 兵の 記憶 を 守り 続け る貴 国に 感謝 した い︒

⁝⁝ 我々 は歴 史の 真実 を守 って いか なけ れば なら ない

﹂と 語っ

(20

)

︒ま たメ ドヴ ェー ジェ フは

︑二

〇一

〇年 四月 にス ロヴ ァキ アの 首都 ブラ チス ラヴ ァで 開催 され た解 放六 五周 年記 念式 典に も参 加し

︑﹁ スロ ヴァ キア 解放 に尽 力し たソ 連兵 約六 万人 が犠 牲と なっ た︒ これ によ りソ 連は 勝利 を手 にし

︑ス ロヴ ァキ アは 解放 され た︒

⁝⁝ 欧州 解放 にあ たり

︑我 が国 は約 一〇

〇万 人の 国民 を失 った

︒こ れは 多大 な犠 牲だ が︑ まさ にそ れゆ えに 今日 の欧 州は 自由 で︑ 美し く︑ 発展 して いる ので ある

︹ソ 連に よる 解放 が︺ 国籍 や居 住国 に関 係な く︑ 孫の 世代 にも 記憶 され 続け るよ うに 努力 する 必要 があ る﹂ と説 い(21

)

︒ 大統 領等 によ る発 言や 公的 行事 のみ な らず

︑ロ シア 国内 では 記念 硬貨 も製 造さ れた

︒二

〇一 六年 八月 にロ シア 中央 銀行 は︑ ソヴ ィエ ト軍 によ るナ チス

・ド イツ から の解 放を 記念 する 五ル ーブ ル硬 貨

︵日 本円 で約 七円

︶を 発行 する に至 った

︒ この 記念 硬貨 は表

①に ある 全都 市の 解放 を記 念し て作 成さ れた もの であ り︑ 発行 枚数 はそ れぞ れ二

〇〇 万枚 とさ れ(22

)

︒バ ルト 諸国 から 記念 硬貨 に対 して 批判 が寄

(表①)ソ連による解放地

(出典)Красная звезда, 10 ноября 1943 г.; 4 июля 1944 г.; 14 июля 1944 г.; 25 августа 1944 г.; 1 сентября 1944 г.; 23 сентября 1944 г.; 14 октября 1944 г.; 21 октября 1944 г.; 18 января 1945 г.; 14 фе враля 1945 г.; 5 апреля 1945 г.; 14 апреля 1945 г.; 4 мая 1945 г.;

10 мая 1945 г.

解放地 国名 解放日

1 キエフ ウクライナ 1943 年 11 月 6 日 2 ミンスク ベラルーシ 1944 年 7 月 3 日 3 ヴィリュニス リトアニア 1944 年 7 月 13 日 4 キシニョフ モルドヴァ 1944 年 8 月 24 日 5 ブカレスト ルーマニア 1944 年 8 月 31 日 6 タリン エストニア 1944 年 9 月 22 日 7 リガ ラトヴィア 1944 年 10 月 13 日 8 ベオグラード セルビア(旧ユーゴ) 1944 年 10 月 20 日 9 ワルシャワ ポーランド 1945 年 1 月 17 日 10 ブタペスト ルーマニア 1945 年 2 月 13 日 11 ブラチスラヴァ スロヴァキア 1945 年 4 月 4 日 12 ウィーン オーストリア 1945 年 4 月 13 日 13 ベルリン ドイツ 1945 年 5 月 2 日 14 プラハ チェコ 1945 年 5 月 9 日

(8)

せら れた が︑ 発行 元で ある ロシ ア中 央銀 行は

﹁戦 争終 結か ら国 際情 勢が 変化 した とし ても

︑︹ ソ連 の貢 献に よっ て得 られ た︺ 戦勝 に疑 問を 挟む 余地 は全 くな い︒ 記念 硬貨 はま さに この 点を 強調 して いる

﹂と のコ メン トを 発表 した

︒ この よう に︑ ロシ アは プー チン 大統 領を 中心 にし なが ら︑ ソ連 が欧 州各 都市 をナ チス

・ド イツ から 解放 した とす る歴 史認 識を 積極 的に 喧伝 して いる ので ある

︒ 第二 項 歴史 認識 を巡 る対 立の 表面 化 とは いえ

︑旧 共産 主義 諸国 を中 心に 欧州 では ロシ アの 歴史 認識 に異 が唱 えら れて おり

︑双 方の 対立 が目 立っ てい る︒ ここ では

︑い くつ かの 事例 を簡 単に 紹介 した い︒

︵一

︶エ スト ニア

・ポ ーラ ンド

・チ ェコ

銅 像を 巡る 対立 バル ト三 国の ひと つエ スト ニア は歴 史認 識を 巡り ロシ アと 対立 した

︒事 の発 端は

︑エ スト ニア 議会 が二

〇〇 六年 一一 月︑ ソヴ ィエ ト兵 士を 模っ た銅 像を 首都 タリ ンの 中心 部か ら郊 外の 軍事 墓地 へ移 設す るこ とを 審議 した こと にあ

(23

)

︒エ スト ニア はこ の銅 像を ソ連 によ る占 領の 象徴 だと 捉え てい るの に対 し︑ ロシ アは

﹁解 放兵 士の 記念 碑﹂ と呼 んで ファ シ ズム 闘争 のシ ンボ ルと 見て おり

︑両 者の 立場 が大 きく 異な って いた

︒現 地の ある 歴史 家は

﹁ソ 連兵 がタ リン を解 放し た とは 言い 難い

︒自 分の 父は ナチ ス占 領下 で投 獄さ れた

︒一 九四 四年 八月 一九 日に 釈放 され

︑八 月二 二日 にド イツ 軍は 撤 退し た︒ けれ ども

︑こ の日 にソ 連軍 が侵 攻し

︑父 は再 び投 獄さ れ(24

)

﹂と 語り ロシ アの 歴史 認識 に疑 問を 呈し た︒ 本件 は エス トニ ア国 内で も注 目さ れて いた よう であ り︑ 二〇

〇七 年三 月に 行わ れた 世論 調査 によ ると

︑四 四% が反 対︑ 賛成 は 若干 下回 り三 八% であ った

︒も っと も︑ 言語 別に 結果 を見 ると

︑ロ シア 系住 民の 間で は賛 成が 僅か 一〇

%で あっ たの に 対し

︑反 対は それ を大 きく 上回 る七 七% にも 達し てい

(25

)

︒そ のよ うな 中︑ エス トニ アの 国防 相は 三月

︑﹁ 銅像 は喪 に服 す 兵士 を現 して おり

︑勝 者で も侵 略者 でも ない

﹂と 移設 を正 当化 し(26

)

︒ア ンシ プ首 相は 四月 二五 日︑ 出演 した ラジ オ番 組 で移 設が 近く 行わ れる と明 かし たと こ(27

)

︑四 月二 七日 未明 に銅 像が 郊外 の軍 事墓 地に 移設 され

(28

)

︒ 記念 碑を 巡る 対立 はポ ーラ ンド との 間で も生 じて いる

︒二

〇〇 九年 八月 にポ ーラ ンド 紙の イン タヴ ュー に応 じた プー

(9)

チン は︑ 第二 次世 界大 戦の 原因 とし て独 ソ不 可侵 条約 が注 目さ れて いる が︑ ミュ ンヘ ン協 定の 存在 も大 事だ と説 き︑ ソ 連が 一方 的に 批判 され てい る現 状に 釘を 刺し

(29

)

︒同 年九 月に 同国 で開 催さ れた 開戦 七〇 周年 記念 式典 では

︑﹁ ソ連 はナ チズ ムへ の勝 利に 際し 多大 な犠 牲を 払っ た︒ この ポー ラン ドの 地に 六〇 万人 もの 同胞 が眠 って いる

︒戦 時下 での 犠牲 者 約五 五〇

〇万 人の うち

︑半 数以 上が ソ連 国民 であ った

︒我 々の 道義 的責 任は 勝利 の記 憶︑ 真の 同盟 の記 憶を 守っ てい く こと であ る︒

⁝⁝ ワル シャ ワ解 放に 尽力 した 人々 の偉 業は 不滅 であ る﹂ とロ シア の立 場を 披露 し(30

)

︒他 方︑ ポー ラン ド 首相 は﹁ 二つ の恐 ろし い全 体主 義国 家︹ であ るナ チス

・ド イツ とソ 連︺ が合 意し

︑そ の後 に戦 争の 運命 を決 めた

︒九 月 一日 にド イツ が︑ その 二週 間後 にソ 連が 東か ら侵 攻し てき た﹂ と語 り︑ 過去 を巡 る双 方の 対立 が明 らか にな っ(31

)

︒ そう した 中︑ 二〇 一七 年六 月に ポー ラン ド議 会が 全体 主義 に関 する プロ パガ ンダ を禁 止す る法 律を 採択 し︑ 赤軍 兵士 を模 った 銅像 等を 撤去 でき るよ うに し(32

)

︒ロ シア 外務 省が

﹁恥 ずべ き行 為﹂ と批 判す ると

︑ポ ーラ ンド 外務 省は

﹁本 法 はポ ーラ ンド とロ シア の両 国民 に多 くの 苦し みを 与え た全 体主 義の シン ボル を美 化す るこ とを 防ぐ もの であ る︒

⁝⁝ こ の地 で亡 くな った 赤軍 兵士 を冒 涜す るも ので はな い﹂ と反 論し

(33

)

︒ま た︑ 同国 内で はナ チス や共 産主 義の 犯罪 の調 査等 を主 な業 務に する

﹁国 民記 憶院

﹂が 中心 とな って 撤去 対象 とな る記 念碑 のリ スト アッ プが 進め られ

(34

)

︒二

〇一 八年 一〇 月に は同 国外 相が ロシ ア全 国紙

﹃コ メル サン ト﹄ のイ ンタ ヴュ ーに 応じ

︑﹁ ソ連 が︹ ポー ラン ドを ナチ ス・ ドイ ツか ら︺ 解放 した とし て︑ ロシ アは 我々 から の感 謝を 期待 して いる

︒確 かに ソ連 軍は ナチ ス・ ドイ ツを 破っ たけ れど も︑ 他方 で 彼ら はポ ーラ ンド を奴 隷化 する 道具 でも あっ た︒ スタ ーリ ン時 代に 多く の国 民が 逮捕 され た他

︑銃 殺も され た︒ 二〇 万 人に 及ぶ 国民 がワ ルシ ャワ 蜂起 で犠 牲と なっ たが

︑ソ ヴィ エト 軍は ヴィ スワ 川の 対岸 で見 てい るだ けで あっ た﹂ と語 り 記念 碑撤 去を 辞さ ない 構え を見 せ(35

)

︒﹃ イズ ヴェ スチ ャ﹄ 紙に よる と︑ ポー ラン ド国 内に ある 四二 七以 上の 記念 碑が 既に 撤去 され てお り︑ この 流れ を止 める のは 難し いと い(36

)

︒ チェ コで も記 念碑 が注 目さ れて いる

︒二

〇一 八年 五月

︑何 者か がプ ラハ の第 六地 区に ある ソ連 元帥 イワ ン・ コー ネフ を模 った 銅像 にペ ンキ をか ける 事案 が発 生し

︑ロ シア 外務 省は 犯人 の処 罰を チェ コに 求め る旨 の声 明を 発表 し(37

)

︒ロ シ ア側 の説 明に よる と︑ コー ネフ は第 一ウ クラ イナ 戦線 の司 令官 とし てプ ラハ 解放 に尽 力し た人 物で あ(38

)

︑解 放三 五周 年

(10)

に当 たる 一九 八〇 年に 銅像 が設 置さ れる に至 っ(39

)

︒大 祖国 戦争 の英 雄を 称え て設 置さ れた 銅像 であ るこ とか ら︑ ロシ ア 側は 当該 銅像 に注 意を 払っ てい る︒ そう した 中︑ プラ ハの 第六 地区 は二

〇一 九年 九月

︑コ ーネ フ像 を現 在の 場所 から 撤 去し て博 物館 に移 すと 発表 した

︒同 地区 長は

︑﹁ 多く の地 元住 民は 記念 碑に 反対 して いる

︒ロ シア やそ の同 調者 が満 足 する

﹃醜 いも の﹄ に耐 え続 ける つも りは ない

﹂と 語気 を強 めて 自身 の決 定を 正当 化し

(40

)

︒こ れに 対し

︑ミ ロシ ュ・ ゼマ ン大 統領 はロ シア の主 張に 倣う よう に︑

﹁我 々に とっ て恥 ずべ きこ とで ある

︒コ ーネ フ︹ 元帥

︺は プラ ハ解 放の ため に犠 牲と なっ た兵 士の シン ボル であ り︑ チェ コス ロヴ ァキ ア解 放の ため に犠 牲と なっ た赤 軍の シン ボル

﹂と 銅像 撤去 を批 判

(41

)

︑中 央と 地方 の判 断が 分か れる 事態 とな った

︒地 元の 判断 が注 目さ れる 中︑ 同地 区は 二〇 二〇 年四 月三 日に コー ネフ の銅 像を 撤去 し(42

)

︵二

︶ラ トヴ ィア

退 役軍 人を 巡る 対立 ラト ヴィ アに 住む 大祖 国戦 争の 退役 軍人 ヴァ シリ ー・ コー ノノ フは 一九 九八 年︑ 第二 次大 戦時 に同 国東 部の マル ィエ

・ バテ ィ村 で村 民襲 撃と 殺害 を行 った とし て逮 捕起 訴さ れた

︒そ の様 子は ラト ヴィ ア本 国の みな らず

︑ロ シア でも 詳細 に 報じ られ た︒ 裁判 が始 まる とコ ーノ ノフ は一 貫し て無 罪を 主張 した が︑ 二〇

〇〇 年一 月に ジェ ノサ イド 及び 人道 に対 す る罪 で有 罪が 言い 渡さ れ(43

)

︒判 決を 不服 とし た彼 は上 訴し

︑無 罪の 勝ち 取り を誓 った

︒こ れを 受け ロシ ア側 も直 ぐに 反 応を 示し

︑プ ーチ ン大 統領 は﹁ 退役 軍人 を守 るた めに あら ゆる こと を行 う﹂ と宣 言し てコ ーノ ノフ への 支援 を表 明し

(44

)

︒ 同大 統領 の決 断は 早く

︑有 罪判 決か ら三 ヶ月 後に は﹁ ファ シズ ムへ の勝 利に 貢献 した 兵士 に対 する 敬意 の表 れ﹂ だと し︑ ロシ ア国 籍を コー ノノ フに 付与 し(45

)

︒二

〇〇 二年 四月 には ロシ ア旅 券も 発給 し︑ ラト ヴィ アか らの 出国 を可 能に する な ど支 援を 継続 的に 行っ てき

(46

)

︒こ の他

︑ロ シア 各地 から 激励 も寄 せら

(47

)

︑国 をし て﹁ 英雄

﹂コ ーノ ノフ をサ ポー トす る 様子 が伺 える

︒ さて

︑二

〇〇 四年 にラ トヴ ィア 最高 裁判 所は 一年 八ヶ 月の 実刑 判決 を言 い渡 し(48

)

︒判 決を 不服 とし たコ ーノ ノフ はロ シア の支 援を 受け

︑無 罪獲 得の ため にス トラ スブ ール にあ る欧 州人 権裁 判所 へ申 立て たと ころ

︑審 理が 同裁 判所 小法 廷 で始 まっ た︒ 同小 法廷 は二

〇〇 八年 七月

︑ジ ェノ サイ ドや 人道 に対 する 罪で コー ノノ フを 有罪 とし た二

〇〇

〇年 の判 決

(11)

は人 権と 基本 的自 由の 保護 を定 めた 欧州 条約 第七 条に 違反 して いる との 理由 で無 罪を 言い 渡し

(49

)

︒と ころ が︑ ラト ヴィ ア政 府が 同判 決に 不服 を申 立て たた め︑ 同裁 判所 大法 廷で 最終 審理 がな され るこ とに なっ た︒ そし て︑ 同法 廷は 二〇 一

〇年 五月 に同 条約 第七 条に は違 反し ない との 判断 を示 し︑ 逆転 有罪 を言 い渡 した

︒判 事一 七名 のう ち︑ コー ノノ フの 無 罪を 支持 した のは 僅か 三名 であ っ(50

)

︒長 年に 及ぶ 裁判 闘争 で無 罪獲 得を 信じ 続け たコ ーノ ノフ は二

〇一 一年 三月 に八 九 歳で この 世を 去っ

(51

)

︒ 第三 項 欧州 国際 機関 の異 議申 立て 欧州 諸国 のみ なら ず︑ 欧州 議会 や欧 州安 全保 障機 構議 員会 議と いっ た国 際機 関も ロシ アの 歴史 認識 に対 して 異議 申立 てを 行っ てお り︑ 内外 の注 目を 集め てい る︒ 欧州 議会 は二

〇〇 五年 五月 一二 日に

﹁第 二次 世界 大戦 終結 六〇 周年 の欧 州 の未 来﹂ と題 する 決議 を採 択し

︑ナ チス

・ド イツ の降 伏に 触れ て第 二次 大戦 の終 結を 記念 しつ つ︑ 強制 収容 所の 犠牲 者 等を 追悼 した

︒と 同時 に︑

﹁終 戦後 に一 部の 国で はス ター リン 統治 下の ソ連 によ る新 たな 独裁 体制 が始 まっ た﹂ とし

︑ソ 連に よる 解放 では なく 占領 だと 厳し く非 難し

(52

)

︒皮 肉に も︑ 同決 議は ロシ アで 戦勝 六〇 周年 が祝 われ た後 に採 択さ れ︑ 全く 異な る評 価を 下し た︒ 欧州 議会 によ るソ 連批 判は これ だけ に留 まら ず︑ ロシ アを 刺激 し続 けた

︒同 議会 は二

〇〇 八年 九月 二三 日︑ 独ソ 不可 侵条 約が 締結 され た八 月二 三日 を﹁ スタ ーリ ニズ ムと ナチ ズム の犠 牲者 追悼 の日

﹂に する と発 表し た︒ 決議 を確 認す る と︑

﹁ス ター リニ ズム とナ チズ ムに よる 侵略 行為 の一 種と して 理解 され てい る国 外追 放︑ 殺人 及び 奴隷 化は

︑戦 争犯 罪及 び人 道に 対す る罪 に分 類さ れる

﹂と した 上で

︑﹁ ナチ ズム とス ター リニ ズム の復 権を 試み るあ らゆ る試 みを 阻止 しな けれ ばな ら﹂ ず︑

﹁国 外追 放者 や犠 牲者 の記 憶を 守る とと もに

︑民 主主 義を 強固 にし

︑平 和と 安定 を強 化す るた め﹂ には 決議 採択 が必 要だ った とし

(53

)

︒ま さに

︑ロ シア の大 祖国 戦争 史観 とは 全く こと なる 歴史 認識 が示 され たの であ る︒ 欧州 議会 は二

〇〇 九年 四月 二日 に﹁ 欧州 の良 心と 全体 主義

﹂な る決 議も 採択 し︑

﹁西 欧の 歴史 的経 験は ナチ ズム であ る のに 対し

︑中 東欧 はナ チズ ムと 共産 主義 の両 方を 経験 した

︒こ の二 重の 独裁 体制 の遺 産に つい て理 解を 深め る必 要が あ

(12)

る﹂ とし

︑ロ シア の立 場を 一蹴 した

︒ま た同 決議 は︑

﹁ナ チズ ム︑ スタ ーリ ニズ ム︑ ファ シス ト︑ 共産 主義 者に よる 犯罪 を徹 底的 に議 論し 共通 の見 解を 形成 しな い限 り︑ 欧州 は統 一し 得な い﹂ とし

︑先 の決 議と 同様 にソ 連体 制と ナチ ズム を 同列 視し

︑両 者を 非難 する スタ ンス を維 持し

(54

)

︒こ のよ うに

︑ロ シア が喧 伝す る歴 史認 識を 批判 する 欧州 のス タン スが 明ら かに なっ た︒ 二〇

〇九 年年 七月 一日 には 欧州 安全 保障 機構 議員 会議 にお いて

︑こ れま での 決議 に倣 うか のよ うに

︑ス ター リニ ズム とナ チズ ムを 同一 視す る内 容を 盛り 込ん だ﹁ 分断 され た欧 州の 統合

﹂と 題す る決 議案 につ いて 審議 がな され た︒ 当該 決 議案 の作 成に 携わ った ある 議員 は︑ 人道 に対 する 罪を 犯し たナ チス

・ド イツ とス ター リン 体制 下の ソ連 とい う二 つの 全 体主 義国 家に よっ て欧 州は 多大 な犠 牲を 払っ たと 指摘 し︑ 決議 採択 の意 義を 強調 し(55

)

︒七 月三 日に は採 決が 行わ れ︑ 決 議案 は賛 成多 数︵ 賛成 二一 三名

︑反 対八 名︶ で採 択さ れ(56

)

︒こ の決 議で は︑ まず 冒頭 で﹁ 欧州 は二

〇世 紀に おい て︑ ジェ ノサ イド

︑人 権と 自由 の侵 害︑ 戦争 犯罪 およ び人 道に 対す る罪 をも たら した ナチ スと スタ ーリ ニズ ムと いう 二つ の強 力 な全 体主 義体 制を 経験 した

﹂こ とを 確認 する とと もに

︑欧 州議 会に よる

﹁ス ター リニ ズム とナ チズ ムの 犠牲 者追 悼の 日﹂ の制 定に ても 触れ

︑そ の意 義を 強調 した

︒そ の上 で︑ 全体 主義 体制 の遺 産を 引き 続き 研究 して いく 重要 性を 説い

(57

)

︒同 決議 はこ のよ うな 内容 を盛 り込 んで おり

︑ロ シア が主 張す る大 祖国 戦争 史観 とは 程遠 い見 方を 示し たの であ る︒ さて

︑欧 州議 会は ロシ アの 歴史 認識 を批 判す るこ れま での 立場 を維 持し てお り︑ 二〇 一九 年九 月一 九日 に﹁ 欧州 の未 来に 向け た歴 史的 記憶 を守 る重 要性

﹂と 題す る新 たな 決議 を採 択し た︒ これ まで の決 議と 比較 する と︑ 同決 議の 内容 は かな り踏 み込 んだ もの であ り︑ メデ ィア から も注 目さ れた

︒同 決議 は︑

﹁二 つの 全体 主義 国家 によ って 欧州 と他 の国 々が 分断 され

︑結 果と して 第二 次世 界大 戦へ と突 き進 むこ とに なっ た﹂ にも 拘わ らず

︑﹁ ロシ アは

︑独 ソ不 可侵 条約 とそ の結 果に 対す る責 任を 否定 し︑ 第二 次世 界大 戦開 戦の 原因 はポ ーラ ンド

︑バ ルト 諸国 及び 西側 であ ると の見 解を 広め てい る﹂ と非 難し た︒ そし て︑

﹁現 在の ロシ ア指 導部 は歴 史的 事実 を歪 曲し ソヴ ィエ トの 全体 主義 体制 によ る犯 罪を 誤魔 化し て おり

︑欧 州議 会は これ を深 く憂 慮し てい る︒ かか る試 みは 欧州 分断 を目 的と して 行わ れて おり

︑民 主的 欧州 に対 する 情 報戦 の危 険な 要素 であ ると 考え てお り︑ 断固 とし て抵 抗す る﹂ とロ シア の立 場を 厳し く批 判し てい

(58

)

(13)

この 点︑ 歴史 認識 問題 を研 究す る欧 州大 学︵ サン クト ペテ ルブ ルク

︶教 授の アレ クセ イ・ ミレ ルは

︑欧 州諸 国の 立場 が時 とと もに 変化 して おり

︑そ れは 東欧 諸国 が欧 州連 合に 新た に加 盟し たこ とで

﹁二 つの 全体 主義 の歴 史﹂ が重 要視 さ れる よう にな り︑ つい には ナチ ズム と共 産主 義︵ ソ連

︶が 同一 視さ れる よう にな った と分 析し てい

(59

)

︒い ずれ にせ よ︑ 欧州 がソ 連に よる 欧州 解放 を否 定し てい るた め︑ ロシ アは 自ら の歴 史認 識を 正当 化す る対 策の 策定 に迫 られ た︒ 第二 節 ロシ アに よる 正当 化の 試み 第一 項 欧州 批判 の展 開 欧州 から の異 議申 立て に直 面し

︑ロ シア 国内 では 様々 な不 満が 表明 され た︒ ここ では 主な 発言 等を 見る こと で︑ 大ま かな 流れ を掴 むこ とに した い︒ エス トニ ア︑ ポー ラン ド及 びチ ェコ での 銅像 撤去 につ いて

︑ロ シア では 当該 決定 を非 難す る声 が多 数を 占め

︑自 国の 立場 を擁 護し た︒ 例え ば︑ ポー ラン ドが 進め る銅 像撤 去に つい て︑ ロシ ア上 院は

﹁歴 史歪 曲で あり

︑ソ 連の 貢献 によ り ポー ラン ドは 国家 とし て存 続し てい る点 を忘 れて はな らな い﹂ と不 快感 を露 わに し(60

)

︒現 地に 駐在 する ロシ ア大 使は こ うし た発 言を 意識 して

︑﹁ ポー ラン ド解 放闘 争で 犠牲 にな った 先人 達の 記憶 を冒 涜し てい る﹂ と主 張し

(61

)

︒こ れだ けで は なく

︑ロ シア 科学 アカ デミ ー世 界史 研究 所所 長の アレ クサ ンド ル・ チュ バリ ヤン は︑

﹁銅 像の 移設 や撤 去は 冒涜 に他 なら ない

︒︹ これ まで 銅像 撤去 など

︺誰 も思 い付 きも しな かっ た︒ これ は痛 みを 伴う もの であ り︑ 評価 する のは 非常 に難 しい

﹂ と語 っ(62

)

︒ま た︑ 遺族 も銅 像撤 去を 明確 に非 難し てお り︑ 例え ばコ ーネ フの 娘ナ タリ アは

﹁人 々が 記憶 する 歴史 的出 来 事を どの よう に守 って いく のか

︒プ ラハ 蜂起 やプ ラハ 解放 作戦 は今 後も 人々 に記 憶さ れて いく

︒当 然︑ これ らを 成し 遂 げた 英雄 も記 憶さ れる

︒銅 像を 撤去 する こと で︑ 何も 知ら ない 若者 等の 記憶 に影 響を 与え よう とし てい る︒ 当時 の出 来 事に 現在 の基 準を 当て はめ て歴 史を 解釈 する こと に意 味が ある のか

︒こ の銅 像は 一九 四五 年︹ の勝 利︺ を示 して おり

︑ その ため に設 置さ れた もの だ﹂ と胸 の内 を明 かし

(63

)

(14)

欧州 議会 等に よる 一連 の決 議採 択に つい ても ロシ ア側 は黙 って いな かっ た︒ 上下 両 院が

﹁欧 州を 解放 した 何百 万人 もの 犠牲 者の 記憶 を踏 みに じる 行為

﹂で あり

︑﹁ 勝者 を 侮辱 し︑ 犯罪 者と その 同調 者の 名誉 を回 復す る試 み﹂ かつ

﹁第 二次 世界 大戦 の結 果を 見直 す試 み﹂ に他 なら ない との 声明 を出 して 強く 非難 し(64

)

︒一 部に は自 らの 立場 を明 確に 表明 する 国会 議員 もい た︒ 例え ば︑ 下院 議員 のア レク セイ

・カ ザコ フは 社会 学系 の専 門誌 に寄 稿し

︑﹁

︹欧 州安 全保 障機 構議 員会 議の 決定 は︺ 大祖 国戦 争を 歪曲 し︑ ファ シズ ムへ の勝 利を 見直 す試 みで ある

︒彼 らは ロシ アに 対し て︑ 勝利 を悔 い改 め︑ この 勝利 によ って 中東 欧諸 国で 生じ た損 害を 補填 する よう 求め てい る︒ 言う まで もな く︑ これ は非 常に 危険 な試 みで ある

﹂と 説い

(65

)

︒ この よう な感 情は 一般 国民 にも 共有 され てい た︒ 欧州 安全 保障 機構 議員 会議 の決 議 採択 後に 政府 系機 関の 全ロ シア 世論 調査 セン ター が実 施し た調 査に よる と︑ 同決 議を 肯定 的に 捉え ると 答え たの は僅 か一 一% にす ぎず

︑五 三% もが 否定 的で あっ

(66

)

︒こ の 調査 結果 を取 り上 げた 全国 紙﹃ ロシ ア新 聞﹄ は︑

﹁歴 史歪 曲に 反対 する ロシ ア国 民﹂ と のタ イト ルで 報じ たほ ど(67

)

︒二

〇一 五年 の調 査で も八 三% もの 回答 者が 歴史 歪曲 に対 抗す べき とし

(68

)

︒ま た︑ 独立 系調 査機 関レ ヴァ ダ・ セン ター の調 査結 果で も︑ 多く の ロシ ア国 民が 政権 幹部 の発 言と 同じ よう に︑ 第二 次世 界大 戦の 結果 とし てナ チス

・ド イツ の撃 破と 欧州 諸国 の解 放を 列挙 して いた

︵表

②を 参照

︶︒ 政権 幹部 も欧 州の 立場 に不 満を 抱い てい た︒ 例え ば︑ 当時 のメ ドヴ ェー ジェ フ大 統 領は 二〇 一〇 年五 月に 国営 テレ ビの イン タヴ ュー でソ 連と ナチ ス・ ドイ ツを 同一 視す る欧 州の 立場 を否 定し た上 で︑

﹁悲 劇的 出来 事を 受け て形 成さ れた 秩序 を破 壊す べき では ない

︒自 らの ナシ ョナ ル・ アイ デン ティ ティ 構築 を進 めて いる 特定 国の 利益 のた

(表②)第二次世界大戦の結果とは何か

(出典)Общественное мнение2015. М.: Левада-Центр, 2016, С. 280.

2005 年 2008 年 2010 年 2013 年 2014 年 2015 年 ナチス・ドイツの撃破 68 % 74% 64% 69% 71% 70%

欧州諸国の解放 54% 52% 49% 54% 63% 54%

「社会主義ラーゲリ」の創設 16% 17% 11% 14% 12% 15%

スターリン体制の東欧諸国へ

の影響力拡大 7% 7% 4% 5% 4% 5%

(15)

めに

︹歴 史の

︺結 果を 変え るべ きで はな い﹂ と痛 烈に 批判 し(69

)

︒ま た︑ プー チン 大統 領も 二〇 一四 年一

〇月 にセ ルビ ア の﹃ ポリ ティ カ﹄ 紙の イン タヴ ュー に応 じた 際︑ 銅像 移設 や一 連の 決議 採択 を目 の当 たり にし てか

︑﹁ 欧州 の一 部の 国で は︑ ニュ ルン ベル ク裁 判で 作ら れた ナチ ズム

﹃ワ クチ ン﹄ の効 果が 薄れ てき てい るよ うだ

︒そ れは

︑︹ 例え ば︺ バル ト諸 国で ネオ ナチ ズム とし て顕 著に 現れ てい る︒

⁝⁝ 我々 の課 題は

︑ナ チズ ムの 英雄 化や 第二 次世 界大 戦の 結果 の見 直し に 断固 とし て反 対の 立場 を示 すこ とで あり

︑ま た人 種差 別︑ ゼノ フォ ビア

︑攻 撃的 ナシ ョナ リズ ム及 びシ ョー ヴィ ニズ ム に抗 する こと でも ある

︒⁝

⁝歴 史的 記憶 を守 って いく こと で︑ 欧州 全体 の平 和︑ 安定

︑幸 福に つな がる と思 って いる

﹂ と指 摘し

(70

)

︒ また

︑プ ーチ ンは 二〇 一九 年の 欧州 議会 決議 につ いて 容認 でき ない との 立場 を示 した 上で

︑次 のよ うに 語っ てソ 連を 擁護 した

︒﹁ 一九 三八 年の ミュ ンヘ ン協 定を 確認 して ほし い⁝

⁝︒ また

︑ソ 連は ドイ ツと 不可 侵条 約を 締結 した が︑ それ はド イツ と不 可侵 条約 を締 結し た最 後の 国で あっ た︒ 他国 はそ れま でに ドイ ツと 不可 侵条 約を 締結 して いた ので あり

︑ かか る状 況下 でソ 連は 何を すべ きだ った のか

︒孤 立す べき だっ たの だろ うか

︒⁝

⁝ソ 連は 秘密 議定 書に 基づ きポ ーラ ン ドに 進駐 した が︑ ポー ラン ド政 府が 軍や 国を 統制 でき なく なっ た後 であ る⁝

⁝ソ 連軍 はポ ーラ ンド を占 領し たの では な く︑ ナチ ス・ ドイ ツに よっ て占 領さ れた 地を 解放 し︑ そこ にソ 連軍 が入 って きた ので あ(71

)

﹂︒ この よう に︑ ロシ アで はプ ーチ ン大 統領 をは じめ

︑議 会関 係者 や有 識者 の他

︑一 般国 民も が同 様の 立場 を示 して おり

︑ 欧州 の異 議申 立て に対 し多 くの 不満 が表 明さ れた

︒大 祖国 戦争 史観 を絶 対視 する ロシ アと して は到 底容 認で きる もの で はな かっ たの であ る︒ 第二 項 基本 方針 の策 定 この よう に軋 轢が 顕著 にな りつ つあ る中

︑プ ーチ ン政 権は 不満 を表 明す るだ けで はな く︑ 国内 ムー ドを 考慮 して か︑ 歴史 認識 を巡 る基 本方 針に つい て早 い段 階か ら検 討を 始め てい た︒ ここ では その 方針 を簡 単に 確認 した い︒ まず 注目 され たの が︑ 外交 の指 針た る﹁ 外交 政策 の概 念﹂

︵以 下︑

﹁概 念﹂ と表 記︶ の改 定作 業で ある

︒二

〇〇

〇年 の

(16)

プー チン 政権 誕生 とと もに 策定 され た﹁ 概念

﹂で は歴 史認 識に つい て一 言も 触れ られ てい なか った

(72

)

︑エ スト ニア によ るソ 連兵 の銅 像移 設を 受け てか

︑早 くも 二〇

〇八 年の 改訂 版で

﹁ネ オフ ァシ ズム

︑あ らゆ る形 態の 人種 差別

︑攻 撃的 ナ ショ ナリ ズム

︑反 ユダ ヤ主 義︑ ゼノ フォ ビア

︑歴 史の 書き 換え

︑対 立を 目的 とし た歴 史の 利用

︑第 二次 世界 大戦 の結 果 の見 直し に断 固と して 反対 する

﹂と の文 言が 盛り 込ま れる に至 っ(73

)

︒ 二〇 一三 年一 二月 に採 択さ れた

﹁概 念﹂ では

︑﹁ 過激 主義

︑ネ オナ チズ ム︑ あら ゆる 形態 の人 種差 別︑ 攻撃 的ナ ショ ナ リズ ム︑ 反ユ ダヤ 主義

︑ゼ ノフ ォビ ア︑ 歴史 の書 き換 え︑ 国家 間対 立を 目的 とし た歴 史の 利用 及び 第二 次世 界大 戦の 結 果の 見直 しに 断固 とし て反 対す ると とも に︑ 歴史 に関 する 議論 の非 政治 化を 推進 し︑ 専門 家に その 議論 を委 ね(74

)

﹂と 定 めら れた

︒今 回︑ 新た に﹁ 歴史 の非 政治 化﹂ 等の 文言 が加 えら れる に至 り︑ 歴史 認識 を巡 る欧 州と の対 立が 念頭 にあ る よう だ︒ 二〇 一六 年に も﹁ 概念

﹂の 改定 が施 さて おり

︑そ の内 容を 確認 する と︑

﹁過 激主 義︑ ネオ ナチ ズム

︑人 種差 別︑ 過激 な ナシ ョナ リズ ム︑ 反ユ ダヤ 主義

︑ゼ ノフ ォビ ア︑ 歴史 の書 き換 え︑ 国家 間対 立を 目的 とし た歴 史の 利用 及び 第二 次世 界 大戦 の結 果の 見直 しに 断固 とし て反 対す ると とも に︑ 歴史 に関 する 議論 の非 政治 化を 促す

﹂と ある

︒一 部の 言い 回し に 若干 の変 更が 加え られ たが

︑二

〇一 三年 版の 内容 をほ ぼそ のま まの 形で 踏襲 して い(75

)

︒ま た︑

﹁概 念﹂ の二

〇一 三年 版及 び二

〇一 六年 版で はソ フト

・パ ワー にも 言及 され てお り︑ 政権 は文 化交 流等 を通 じた 情報 発信 も念 頭に 置き

︑大 祖国 戦 争史 観の 普及 を目 指し てい たと 思わ れる

︒ この 点プ ーチ ンは

︑歴 史認 識が 外交 問題 化し てい る点 を念 頭に 置い てか

︑二

〇一 二年 の段 階で

﹁ロ シア と変 わり ゆく 世界

﹂と 題す る論 文を 発表 し︑

﹁軍 事力 では なく

︑情 報や その 他の 影響 力を 用い て外 交政 策の 目標 を達 成さ せる 方法

﹂と して ソフ ト・ パワ ーに 言及 して い(76

)

︒ま た論 文発 表後 も︑ 各国 に駐 在す る大 使等 を集 めた 外務 本省 での 会合 にお いて

﹁ソ フト

・パ ワー のよ うな 新し い技 術を 活用 すべ きだ ろう

︒⁝

⁝海 外に おけ るロ シア のイ メー ジは 歪曲 され てお り︑ 実態 を反 映し てい ない

︒国 際問 題に おけ るロ シア の立 場が 一面 的に 報じ られ てい る︒

⁝⁝ 我々 に落 ち度 があ ると すれ ば︑ そ れは 自ら の立 場を 上手 く説 明し てい ない こと

﹂で あ(77

)

︑従 って

﹁西 側メ ディ アに よる 情報 独占 に積 極的 に対 抗す ると と

(17)

もに

︑あ らゆ る方 法を 用い て海 外に ある ロシ アメ ディ アを 支援 する 必要 があ る︒ 当然 のこ とな がら

︑ロ シア に関 する 虚 偽情 報や 歴史 の歪 曲を 容認 すべ きで ない

﹂と 訓示 し︑ ロシ アの 歴史 認識 を積 極的 に広 報す るよ う指 示を 出し

(78

)

︒ プー チン 政権 は外 交方 針の みな らず

︑安 全保 障分 野で も歴 史認 識が 重要 との 見方 を示 した

︒二

〇〇 九年 に策 定さ れた

﹁二

〇二

〇年 まで の国 家安 全保 障戦 略﹂ には

︑﹁ 文化 の領 域で 国家 安全 保障 に否 定的 な影 響を 与え てい るの は︑ ロシ ア史 に関 する 評価 の見 直し

︑世 界史 にお ける ロシ アの 役割 の見 直し

︑ま た無 秩序 や暴 力の 他︑ 人種 的︑ 民族 的お よび 宗教 的 不寛 容を 基本 とす る生 活様 式の 喧伝 であ

(79

)

﹂と あり

︑歴 史認 識が 自国 の安 全保 障に 何ら かの 影響 を与 える 要素 の一 つと して 注目 され てい た︒ 他方

︑二

〇一 五年 一二 月に 採択 され た﹁ 国家 安全 保障 戦略

﹂で は︑ 欧州 との 対立 を踏 まえ てか

︑歴 史認 識が 安全 保障 に与 える 影響 につ いて より 詳細 に記 述さ れた

︒特 に︑ 第二 章﹁ 現代 世界 にお ける ロシ ア﹂ の項 目で

︑﹁ 国民 意識 を操 作し たり 歴史 を歪 曲し たり する など

︑自 国の 地政 学的 目標 を達 成す るた めに 情報 通信 技術 を活 用し てい る一 部の 国に よっ て 世界 的な 情報 空間 での 対立 が高 まっ てお り︑ それ は国 際関 係に 影響 を与 えて いる

﹂と 明記 され てい る︒ その 上で

︑文 化 の領 域で 国家 安全 保障 を脅 かす 要素 とし て︑ 外国 の文 化や 情報 の拡 散以 外に も︑

﹁ロ シア 史や 世界 史を 歪曲 する 試み

﹂も 挙げ られ てい る︒ そし て︑ 安全 保障 を強 化す るに あた って は︑ 歴史 的記 念碑 とい った 文化 遺産 を守 って いく こと も重 要 だと され

︑過 去の 記憶 が重 要な 要素 の一 つに なっ てい

(80

)

︒な お︑ 二〇

〇〇 年の

﹁国 家安 全保 障戦 略﹂ では

﹁概 念﹂ と同 様に 歴史 認識 につ いて は一 言も 触れ られ てお ら(81

)

︑そ の意 味で ロシ アは 過去 を巡 る情 報戦 が繰 り広 げら れて いる との 立 場を 明確 にし たと 言え よう

︒ これ らの 基本 方針 を確 認す ると

︑ロ シア が歴 史認 識を 巡る 欧州 との 対立 を注 視し てい るこ とが 理解 でき よう

︒プ ーチ ン政 権は これ らの 基本 方針 を念 頭に 置き なが ら︑ 大祖 国戦 争史 観を 正当 化す るた めに 第三 国と の協 力を 推し 進め るの で ある

(18)

第三 節 協力 の模 索 第一 項 ロシ ア・ ドイ ツ関 係現 代史 共同 研究 委員 会 一九 九四 年五 月に エリ ツィ ン大 統領 とコ ール 首相 は歴 史研 究に 関す る共 同委 員会 を創 設す るこ とで 合意 した

︒こ れを 受け

︑一 九九 七年 八月 に政 府間 で共 同委 員会 設立 に関 する 書簡 が交 わさ れ︑ 二〇 世紀 の両 国関 係を 中心 に研 究す るこ と が確 認さ れ(82

)

︒委 員に は︑ 両国 から それ ぞれ 一二 名の 専門 家が 任期 五年 で選 出さ れ(83

)

︒共 同委 員長 とし て︑ ロシ ア側 か ら科 学ア カデ ミー 世界 史研 究所 長︵ 当時

︶で

︑﹁ ロシ アの 国益 を損 なう 歴史 歪曲 に抗 する 大統 領付 属委 員(84

)

﹂の 委員 も務 めた アレ クサ ンド ル・ チュ バリ ヤン が︑ ドイ ツ側 はホ ース ト・ メラ ーが 就任 し(85

)

︒こ うし て﹁ ロシ ア・ ドイ ツ関 係現 代 史研 究共 同委 員会

﹂が 創設 され た︒ 共同 委員 会は プー チン 政権 誕生 後も 活動 を続 けて おり

︑二

〇〇 五年 九月 にラ ヴロ フ外 相が 両国 関係 を深 化さ せる 組織 の一 つだ と指 摘し

(86

)

︒二

〇一

〇年 七月 には 当時 のメ ドヴ ェー ジェ フ大 統領 とメ ルケ ル首 相が 両国 間で の共 通歴 史教 科書 作成 に合 意す る(87

)

︑シ ュレ ーダ ー元 首相 も﹁

︹両 国の 専門 家に よる

︺教 科書 編纂 は非 常に 重要 だ﹂ とプ ロジ ェク トを 後押 しし

(88

)

︒そ の後 チュ バリ ヤン は︑

﹁一 八世 紀︑ 一九 世紀 及び 二〇 世紀 の両 国関 係を 扱っ た教 科書 三冊 を執 筆す る﹂ と具 体 的な 構想 を明 かし

(89

)

︒そ して

︑両 国首 脳に よる 合意 から 五年 を経 た二

〇一 五年 に﹃ ロシ アと ドイ ツ︱

︱集 団的 記憶 にお ける 共通 の歴 史 二〇 世紀

﹄が 刊行 され た︒ 本書 は共 通歴 史教 科書 の第 三巻 にあ たり

︑一 九一 七年 のロ シア 革命 から 一 九九 一年 のソ 連崩 壊ま でを カバ ーし てい る︒ 同教 科書 はロ シア 語版 とド イツ 語版 があ り︑ 両国 で出 版さ れた

︒ロ シア 語 版は モス クワ にあ る国 立ア カデ ミー 人文 大学 出版 会か ら千 部発 行さ れ(90

)

︒二

〇一 八年 七月 に一 八世 紀を 対象 にし た第 一 巻(91

)

︑二

〇一 九年 七月 には 未完 のま まで あっ た一 九世 紀を 扱っ た第 二巻 も出 版さ れ︑ 共通 歴史 教科 書全 三巻 がよ うや く 完成 した ので あ(92

)

︒ これ を受 け︑ 二〇 一九 年七 月に 出版 記念 会が モス クワ で開 催さ れ︑ 両国 の歴 史家

︑ロ シア 外務 省や ドイ ツ大 使館 の関 係者 等が 出席 した 他︑ プー チン 大統 領や ラヴ ロフ 外相 等の 祝辞 も寄 せら れた

︒プ ーチ ンは 祝辞 で教 科書 出版 の意 義を 述

参照

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