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デューイ政治哲学研究序説 : 思想形成過程試論

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滋賀大学経済学部研究叢書第

1

9号

デューイ政治哲学研究序説

一一思想形成過程試論一一

小 西 中 和 著

(2)

滋賀大学経済学部研究叢書第

1

9号

デューイ政治哲学研究序説

一一思想形成過程試論一一

小 西 中 和 著

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最近のデューイ論のー側面一一一序にかえて・・・・ 第一章 哲学思想の形成・・・・・・・・・・・…・・...・・・・・・…... 9 I ドイツ観念論の影響..一一...…...…...…....11 1.哲学の方法としての論理学...•..••.••• •..• 11 2.哲学の方法としての心理学と視座の転換ー・・・・・・・・・・・…...38 3.観念化としての認識・・・・・・ …・・・…・・・・・…・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・…・・・・・…...61 II 道具主義哲学思想、への転回...…一一・・・・・・・・・・…一...72 1. 問題意識...一...一・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・ 72 2.論理学の再構成・・・・・一一..一一...一・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・…....一一..84 3.道具主義哲学思想の形成一...一-一・・…・・・・・・・・・・・・・・…...97 第二章 倫理学思想、の形成と展開...…....…・・・・113 I 形而上学的倫理学の探究とその限界・・・…...一-…...115 1.絶対者についての認識と道徳行為・・・・・・・…...115 2. スペンサ一的倫理学思想批判・・・・・・・・・・・・・・・…...一一...一一..118 3.プラ トン的倫理学思想批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー・一…………・・…...125 II 倫理学思想、の転回...128 1.形而上学的倫理学の放棄と道徳行為における信念の問題・・・・・・一一..128

2

.

道徳と科学の結合・・・…・・一一...一一・・・・・…ー・・…...136 III 倫理学への科学的方法の適用...一一...…...149 1.

I

科学的」 ということの意味…・・・・・・・・・・・一...…・ー・…・・・・・…...149

2

.

倫理学への科学的方法の適用に反対する見解...…・・・・・・・・・・・150 3.科学的判断の本性とは何か・・…・・・・・・ー・・・・ー・・・・…ー・…一一・・・…・・・一一..153

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4. 道徳的判断の本性一・・…一一…・ー…・・・…一-一・……・…・…・・・・…・・・・・・….158 5.倫理学への科学的方法の適用・………・………160 W デューイにおける「倫理的自然主義」とその意味…・・…ー…………一168 1.評価および価値命題の性格…・・…ー…・…一-…・・…・…・・・・・…ー・……・168 2.手段と目的の連続性..一………・ー……・…ー・…・・・………ー…・・ー……・171 3.デューイにおける「倫理的自然主義」の意味・・・・・……一....…・・・….178 4.

I

マルクス主義」批判一・…・・・・………・・・ー・・・・……・・・…...一…181 むすびにかえて・...194 あとがき...201

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最近のデューイ論の一側面一一序にかえて

ジョン・デューイ(1859-1952)の哲学についての尾大な研究史における近 年の際立った動向として、いわゆるポスト・モダニズムの哲学的潮流との結び つきが指摘されるように思われるO それは何よりもリチヤード・ローティの 「ネオ・プラグマテイズム」におけるデューイ思想、の新たな解釈によって代表 されるが、彼自身による「ポストー哲学」の試みは「プラグマテイズムの帰結」 であるとされ、とりわけ、デューイ的なプラグマテイズムの中にその鉱脈が探 られている。1) ローティの仕事は、単なるデューイ解釈をめぐっての議論にと どまらず、哲学のあり方についてのポスト・モダニズムの思想潮流に樟をさす 形でデリダ、フーコ一、ガダマ一、ハーパーマスといった大陸系の哲学者達と の対話と論争をも伴っており、その内容も複雑多岐にわたっているO その意味 で、デューイの思想を今日の観点から理解するのに格好の手掛りを与えてくれ るように思われるが、哲学プロパーの研究者ではない筆者がここでその内容を 全面的に検討することはできないし、またその必要もないであろうO ただ、本書のテーマとの関連で、ローティによるデューイ解釈をめぐる議論の 一端に若干ふれておくことにしたい。 ローティのデューイ解釈への批判的コメントとしてまずスリーパーのそれに 注目しよう。2)スリーパーによれば、ローティはデューイを、ヴィトゲンシュ タインやハイデガーと並んで、 1"

W

基礎づけ主義』哲学の時代の終鳶を助長す るもの」として評価するO そして、ローティは「プラグマテイズムの帰結とし て、我々は今や『ポストー哲学的』文化の時代にある」と考えるのである。こ れにたいして、スリーパーは、ローティがデューイのなかに一貫した「反基礎 づけ主義」を見出すのはよいが、 「その帰結についての彼の解釈」、特に「哲 学の将来と文化の中でのその役割」についての彼の理解には問題があると指摘 するO つまり、ローティはデューイの「反基礎づけ主義」の立場からいわゆる 「哲学の脱構築=解体」の方向を引き出すことによって、 「哲学の機能を文芸

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2 最近のデューイ論のー側面 批評と区別し難い点にまで希薄化し」、結局我々に「基礎づけられない社会的 希望」を残すのみではないのか、というのであるO もしそうだとすれば、ロー ティはデューイの本来の思想を見誤っていると言わなければならなL、。なぜな ら、スリーパーによれば、 「プラグマテイズム一一一少なくともデューイ的なそ れ一ーはそのこと以上のものを我々に提示しているようにみえるO それは文化 の崩壊にいかに『対応する』かということよりもむしろ、我々のまわりで表退 しつつある文化をいかに変革するかを我々に教えようとしていたように思われ る」からであるO プラグマテイズムにおける「反基礎づけ主義」の立場が帰結 することは「我々が形而上学や認識論を最終的に忘れることができる」という ことではなし、。その帰結として、 「我々がなすべきことはその古い学問分野に 新しい機能を与えることであって、それをまったく否定し去ることではない一 ーもちろん、新しい基礎づけを構築するというようなことではなくて、形而上 学や認識論がその古い基礎づけの責任から解放される時、それらが我々にたい して何をなしうるのかを発見することなのである

J

3)0 スリーパーによれば、 この課題こそはデューイがその生涯をかけて取り組んだものであり、その過程 において、彼は「社会変革の力としての哲学一般」という考え方を提示したの であるが、ローティの解釈はまさにデューイ哲学のかかる基本的性格を軽視し ているのである4)。 さて、ローティのデューイ解釈について一定の支持を示しながらも、その一 面性を指摘し、更にその社会的政治的イムプリケーションの次元にまで踏み込 んで批判を試みているのがパーンスタインの仕事であるO 彼によれば、デュー イの思想的生涯を特徴づけるものは「急進的改革と民主的共同社会へのコミッ トメント」であるが、 「ローティは『人間の諸問題』についての社会的政治的 批判においてデューイに従っていないJ5)0 換言すれば、ローティの言う「審 美的なプラグマテイズム」とデューイの基本的な問題関心の聞にズレが目立ち、 したがって、 「ローティの自由主義の防衛はほとんど現状の一一デューイが 『不適当でかつ命運の尽きた』と判断したようなタイプの自由主義の一一擁護 以上のものではないJ6)0 要するに、ローティの解釈はデューイ哲学の含む社 会的現実への批判とその改革への志向という根本的性格を暖昧にする意味を持つ

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ているのであるO だから、パーンスタインは、ローティとハーパーマスの対質 にふれて、 「実際のところ、ローティよりもハーパーマスのほうが精神におい てデューイに近いと私は思うO 社会的政治的な文脈において我々が具体的な 『人間の諸問題』に取り組みうるような哲学の再構成の目的であるとデューイ が考えたことをハーパーマスは追求している」と語っている7)。そして、彼は、

r

(ローティがたえず喚起する)プラグマテイズムの遺産が取り戻され、再活 性化されるのは、デューイが彼の歴史的文脈においてなしたことを一一共生的 なデモクラシーについてのプラグマティックに実現可能な理想を明確に語り、 織り上げ、そして正当化することを一一我々が自分たちの時代のために行なう 場合なのである」というデューイ解釈の基本的観点を提示するのである8)。 ローティにたいするこのようなスリーパーやパーンスタインの批判的コメン 卜は、それが彼のデューイ解釈の仕方に関するかぎりは当っているように筆者 には思われるが、ここで、重要な争点になっているのは現代における哲学の役 割をどのように考えるのかということであるO ローティはそのことにふれてス リーパーに次のように答えているo

r

デューイと同じく、スリーパーは哲学が 建設的な課題を持っていると考えている一ーその仕事はプラトンからカン卜に いたる伝統を批判するだけではなくて、それと同じ役割を果たすであろう何か をその代わりに措定することであると考えているのであるO 私は、現代の文化 はその役割を果たすべきものを一切必要としていない、と考えているJ9)。換 言すれば、ローティから見れば、デューイは「反基礎づけ主義」の立場を提示 することによって「ポストー哲学」の方向を含みながらも、なお「あらゆる種 類の存在が示す包括的な特性」を記述する「経験の形而上学」を構築するとい う考え方を持っていた。つまり、デューイにおけるその方向は不徹底であった というのであるO それは、彼が「文化の批判に『哲学的基礎』を与えるために は『経験の形而上学』と呼ばれる何かが必要だとするカントの影響下から」抜 け出しえていなかったからである刊ローティはかかるデューイの考え方を 「誤り」であるとして除去しようとするが、スリーパーはむしろそこにデュー イ哲学のポジティヴな契機を見出そうとするO だから、スリーパーの言うよう に、問題はデューイ哲学における「反基礎づけ主義」の意味をどのように理解

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4 最近のデューイ論のー側面 するかにかかってくるといってよ L、。 本論で明らかにするように、デューイは最初から「反基礎づけ主義

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の立場 に立っていたわけで、はない。むしろ逆に、彼は思想形成の初発においては「基 礎づけ主義」の立場を模索したのであり、やがてその限界性の自覚とともに、 「反基礎づけ主義」の立場へと移行したと理解されるO この移行がし、かなるプ ロセスにおいてなされたのかを検討することが本書での中心的テーマの一つで あるが、それは移行の結果生み出されたデ、ユーイの「実験主義」、 「道具主義」、 そして「自然主義」などと称される思想的立場をどのように評価するのかとい う問題の究明にとっても意味のある手続きであるように思われるO この問題については、フランクフルト学派の領袖のホルクハイマーがデュー イの「自然主義」の立場を理性の道具化であり、 「理性の腐触」を示すもので あるとしてきびしい否定的な評価を示したことが想起されるであろう11もかか るきびしい批判にたいして、デューイの側からどのような反論が可能であるの かということが、筆者のデューイ研究における問題関心の一つなのであるが、 この点から見れば、ローティのデューイ解釈は実はそのような否定的評価から デューイを救い出そうとする意味を持っていたと言うことができるO ホルクハイマーの考えによれば、プラグマテイズムは啓蒙の合理主義の必然、 的所産であり、しかも、理性がかつて持っていた「超越的性質と真理に対する 関係」を喪失し、支配の衝動の台頭を阻止しえない。だから、それは、 「自由 主義の制度や文化は、啓蒙主義がそれらに与えた哲学的正当化の破綻とともに、 命脈を断つべきである(あるいは断たざるをえない)J12)という現代社会のペ シミスティックな状況を生み出しかっそれに有効に対処しえないのだと理解さ れているO これにたいして、ローティは、自由主義の制度や文化は超越的な原理に基つ守 く哲学的な正当化を必要としないし、そして、 「デューイにおいて、真理への 意志とは、支配しようとする衝動ではなく、創造しようとする衝動、 「種々雑 多な欲求のあいだに有効な調和を達成」しようとする衝動であるJ13)と反論す るO だから、 「わたしには、ブ、ルジョア自由主義は我々がこれまでに到達した 人間的連帯の最高の例であり、デューイのプラグマテイズムはその最高の表明

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だと思われる

J

l4)とデューイを擁護するのであるO しかし、このようなテ、ューイ擁護のやり方に異論を唱えるのが先にふれたバー ンスタインの立場であるO 彼から見れば、ホルクハイマーやアドルノが現代社 会についての彼らのペシミスティックな展望に引きつけてデューイ思想を理解 するのにたいして、ローティはそれについての肯定的な見方すなわち現状の擁 護に基づいてテ、ューイを理解しようとしているのであって、それらはともにデ、ュー イのd思想についての一面的な把握にすぎないのである15

6

デューイ理解をめぐ るかかる交錯は、私見によれば、デューイ思想の評価が現代社会の問題状況に ついての認識と結びつかざるをえないということを示しているO デューイ批判 におけるホルクハイマーの問題関心に即して言えば、ここで問題となっている のは、マックス・ウェーパーの言う「世界の脱魔術化」が進行する中での啓蒙 的理性の行方をどのように考えるのかという課題に照らして、デューイの思想 の意味をいかに把握しうるかということである吟筆者の見るところでは、デ、ユー イの哲学はそれ自体まさしくそのような課題を探究する試みであったと言って よいように思われる17

6

換言すれば、それは啓蒙的理性にリードされる形で出 現した近代の制度と文化が陥りつつある陸路をいかに突破するのかという課題 を社会の現状への過度のペシミズムにもそしてまた過度のオプティミズムにも 陥ることなく追求することを意味していたので、あるO その意味で、パーンスタ インがデューイの思想的営為と同種のものををローティよりもむしろハーパー マスの中に見出そうとするのもこの点に関わっているといえようO なぜなら、 ハーパーマスは道具的理性の全面的支配という絶望的なパースペクティヴを提 示するホルクハイマーの立場を相対化しつつ、 「近代」を「未完のプロジェク ト」として捉えようとしていると考えられるからである18

6

もとより、パーン スタインにあっても、デューイとハーパーマスの類似性を語るのは彼らの思考 の結論についてではない。両者は近代における啓蒙的理性の行方をめぐるプロ ブレマティークに対するコミットメントの仕方において共通するものを持って いたというのである刊かくして、ローティやパーンスタインの議論はデュー イの哲学を、特殊アメリカ的なものとしてではなくて、現代社会の問題状況に いかに対応すべきかというすぐれて普遍史的な課題への探究を意味するものと

(11)

6 最近のデューイ論の側面 して研究する視点を従来よりもはるかに明確にしている点で注目に値するとい えよう20)0 本書はこうしたデューイ研究の新たな展開を念頭におきつつ、思想形成過程 における彼の思索の筋道をできるだけ詳細に辿ってみようとするものであるO まず第一章において、 「道具主義」ないし「実験主義」と称される彼の哲学思 想の立場が構築きれてくる事情を、換言すれば、彼における「反基礎づけ主義」 の立場が形成されるプロセスを検討してみるO 次に第二章において、デューイ の倫理学思想の展開のあとを辿ることによって、彼の「反基礎づけ主義」の立 場がいかなる意味を持っていたのか、そしてまた「価値の(あるいは最広義で の 善 ) の 根 源 を 経 験 の 内 に 見 出 そ う と す る 問 題J21)に 取 り 組 む と 言 わ れ る 彼 の 「倫理的自然主義」の立場はし、かなる意味を持っていたのかを検討する手掛か りをさぐることにしたいと,思うO 注 デューイの著作集からの引用注は次の記号の後に巻数と頁数を示し、原則として本 文中に記入することにするO 例えば、 (EW,1,5 )は初期著作集第1巻5頁を意味す る。なお、引用文中の、傍点はいずれの場合も断りなきかぎり原文におけるイタリッ クや大文字を示し、またカギ括弧内の補充は引用者によるものであるO E W 初期著作集 The Early Works (1882-1898)

M W 中期著作集 The Middle Works (1899-1924)

L W 後期著作集 The Later Works (1925-1953) 1)

r

わたしの考えでは、ジェームズとデューイとは分析哲学が歩んできた道のゴー ルで、待っているだけでなく、たとえばフーコーやドゥルーズが最近歩んでいる道の ゴールでも待っているのである

J

(Richard Rorty, Canseqe町es

0

/

Pragmatism(19 82),p.xv山室井尚・他訳『哲学の脱構築』、 17頁)0 Cf.do.,Philosothy and the Mirmr

0

/

Nαfure(1979),p. 381. 2) R. W .Sleeper, The Necessity

0

/

Pragmatism(1986).なおローティのデューイ 解釈についてふれた他の文献として管見の限りで次のようなものがある。 GarryB rodsky“R,oty' s Interpretation of Pragmatism>>, Transactirm 0/ the CharlesS.

(12)

7

Peirce Society, Vol.18(1982) .C.G.Prado“R,orty' s Pragmatism", Dialogue, Vo1. 22(1983) .]ames Campbell“R,orty' s Use of Dewey" ,S倒的。"ylJournal of Philos

othy, Vo1.22(1984) . Abraham Edel,“A Missing Dimension in Rorty' s Use of Pragmatism",Transaction of the Charles S.Peirce Society,Vo1.21(1985). ].]. McDermott“A Symposium on R, orty' s Conseqences of Pragmatism" ,ibid. R. W .Sleeper“R,orty' s Pragmatism" ,i bid . R .] . Bernstein, Philosothi,cα1 Profil es(1986) .do.“One Step Forward, , Two Step Backward Richard Rorty on Li bera1 Democracy and Philosophy", Political Theory, Vo1. 15 (1987). C. G. Prado, The Limits of Prα,gmatism(1987) .T.M.A1exander.John Dewey's Theory of Art,

Exterience,and Nature(1987). R.D.Boisvert,Dewey's Metathysics(1988). A.]. Damico, "The Politics After Deconstruction:Rorty, Dewey, Marx" ,in W.].Ga vin ed., Context overFi仰uiation(1988).].E.Tiles,Dewey(1988,1990). L.].Hick man.John Dewey's Pragmatic Technology(1990). D.].Wilson,Scie町 民Communit

y,and the Transformation of American PhilosothY,1860-1930(1990) .].Gouin1oc k“What i, s the Legacy of Instrumentalism? Rorty' s Interpretation of Dewe

y" .Journal of the History of PhilosothY,Vo1.28(1990). 3)以上の引用はSleeper[1986],op. cit. ,pp.1ー2. Cf.Prado[1987], op.cit., p.45-46,120-121. Tiles,op.cit.,pp.3-5. Hickman,op.cit.,p.189. 4) Cf.]ames Campbell,op.cit.,pp.182ー186. 5) Bernstein[1987], op. cit. ,p. 540, Bernstein[1986], op. cit. ,p. 89. 6) Bernstein[1987],op.cit.,p.541. 7) Bernstein[1986, o]p.cit. ,p.91. 8) Bernstein[1987, o]p.cit. ,p.560.かかるパーンスタインの批判にたいするロー ティの回答は、“Thugs and Theorists A Rep1y to Bernstein", Political Theory, V 01. 15 (1987)でなされているO 両者のこの論争については、川本隆史「民 主主義と《私たち》 ローティ=パーンスタイン論争の帰結」、 『現代思想~ 17-12 (1989年)が紹介している。 9) Ro口y,"Comments on Sleeper and Ede1", Transαction of the Charles S .Peirce Society, Vo1.21(1985),p.40. Cf. Wilson, op .cit.,p .192. 10) Rorty[1982],op.cit.,pp.85-87.室井・他訳 220-222頁。 11)Max Ho出he泊ler,Eclifrseof Reason(1947, 1974),pp.53-55.山口祐弘訳『理性の腐蝕』 65-67頁。

12) Rorty“The P, riority of Democracy to Philosophy", in M. D. Peterson and R. C. Vaughan ed, The Virgim'αState for Religz'ous Freedom(1988),p.259.富田恭 彦訳『連帯と自由の哲学~ 169頁。

(13)

8 最近のデューイ論のー側面

13) Rorty

982], op.cit. ,pp.206.室井・他訳 442頁。 do.,Contingency, irony, aruJsol idality(1989),pp.56ー57.

14) Rorty[1982], op. cit. ,p. 207.同訳 443頁。 do.,"Postmodernist Bourgeois Liberalism", The Jaurnal

0

1

Philosothy, Vo1.80(l983),p.588.

15) Bemstein[1987],op.cit. ,pp.541,556.

16) ibid.,p.552.D.Misgeld“Modernity ,, Democracy and S

ial Engineering", Fヤaxis Internatiωωl, Vol. 7(1987),p.268-270.]. T . Kloppenberg,Unc例αinVictory Social

DemαコracyaruJProgressivism in Euro抑anaruJAmerican Thaught, 1870-1920(198 6),pp.345ー347,393ー394. 17)デューイ哲学の中心的思想が「経験の美的次元についての探究」であると強調す ることによって、従来の道具主義的なデューイ理解を相対化し、しかもローテイを 批判しようとするものに、

T.

M. Alexanderがある (op.cit.,pp,13ー17)。 18)ハーパマス「神話と啓蒙の両義性」三島憲一・他訳『近代の哲学的ディスクルス 1 ~所収。同「近代一一未完成のプロジェクト J W 思想~ 696号。同、藤沢賢一郎 ・他訳『コミュニケーション的行為理論(中)~第 4 章。なお、 D.Misgeld, op ・ci t.,p.283は、 「アレントやガダマーに対してよりも社会的コミュニケーションと そして民主主義の理論家としてのデューイやミードに対するハーパマスのはるかな 親近性」を指摘している。 19) Bernstein[1986],op.cit. ,pp.16,91 20)にもかかわらず、 D.Misgeld, op. cit. ,pp, 273-275,280は、ローティやパーンス タインにおいてハーパマスと比べて道具主義的理性批判の問題意識が薄く、従っ て後期資本主義のアメリカ社会の現実への批判的洞察が弱L、と指摘している。彼 によれば、それはデューイ自身の思想の弱さでもある。

21)E.Flower and M.G.Murphey,A History

0

1

Philosothy in America(l979),p 867.

(14)

1

章哲学思想、の形成

本章はデューイの思想形成の初期における「哲学の課題と方法」の探究のあ とを辿ることによって、彼の哲学思想の特徴を明らかにする手掛かりを得ょう とするものである。 デューイは1859年10月20日にヴァモン卜州パーリントンで生まれ, ヴァモン卜大学を 1879年に卒業した。大学卒業後二年間のハイ・スクール 教師などを経験し、 1882年メリーランド州ボルティモアにあるジョンズ・ ホプキンズ大学院に入学して本格的な哲学の研究を始めた。 1884年哲学博 士の学位を受け、ミシガン大学に赴任した。 1888年ミネソタ大学に転じた 後、 1889年には再びミシガン大学にもどった。 1894年シカゴ大学へ転 じ、更に19 0 4年にコロンビア大学へ移った。 1930年コロンビア大学を 退職したが、その後も 1952年6月1日にニュー・ヨークで死去するまで現 役の学者としで活動した。約70年にも及ぶ研究生活のなかで、本章で検討の 対象とするのはその最初期の1882年頃から1892年頃にかけてのデュー イの思索の歩みについてであるO 彼の哲学思想のいわば原点として何があった のか、このことをさぐるのがここでのねらいであるO 生い立ちをはじめとするこの時期のデューイの生活史については、すでにい くつかの研究によって明らかにされているので、1)、それらに譲ることとし、こ こではとりあえず彼に哲学への関心を刺激したものについての彼自身の回想に 注目しておくことにしたい。デューイは思想形成期を回想して1930年に書い た自伝的エッセイ「絶対主義から実験主義へ

J

(“

FromAbsolutism to Experim-entalism勺の中で、おおよそ次のようなことを語っている2)。 彼はヴァモント大学時代に、

T.H

・ハックスリの著書を教科書とする生理 学の勉強のなかで、 「相互依存と相互連関的統一」の性質をもっ人間有機体の 像に出会った。その時、彼はそのような性質をもっ世界と人生についての全体 像への願望を感じ、これによって「哲学的関心の目覚め」を刺激されたのであ

(15)

10第1章 哲 学 思 想 の 形 成 るO そして、彼にこの願望を抱かせたものとして、ニュー・イングランドの文 化的遺産の影響によって与えられた「分裂と分離の感覚、つまり世界と自我、 肉体と精神、神と自然、の分裂によって生じる苦悩、抑圧感一一あるいはむしろ 内面的な亀裂感」が存在していた。それは彼の具体的な生において、 「伝統的 な宗教信条と彼自身が正直に抱きうる見解との対立」として現れ、 「つらい個 人的な危機の源泉」となっていた。しかし、デューイによれば、宗教的信仰の 問題に由来するこの対立がそのまま彼の「主要な哲学の問題」を構成したわけ ではなかった。というのは、彼にとって、すぐれて知的な関心事となっていた のは、多くの人々における宗教的問題とは異なって、 「社会的な関心と問題」 であったからであるO そして、この「社会的な関心と問題」は、彼が大学時代 に学んだ、コントの「非統合的な『個人主義』にもとづく西欧近代文化の解体 的性格についての彼の観念、有機的な社会生活の規制方法たるべき科学の総合 の思想」によって深く印象づけられたものであった。こうして、 「分裂と分離 の感覚」による内面的苦悩、その克服への欲求という、彼の具体的な生にかか わる問題は、人間の文化や制度のはらむ分裂とその固定化の傾向への着目とい う「社会的な問題と関心」に媒介され、したがって、 「相互依存と相互連関的 統一」の性格をもっ世界と人生についての全体像への願望となって、彼の「哲 学的関心のめざめ」を生み出したのであるO そして、彼によれば、このような 関心にアピールしたのがへーゲル的思想で、あった。 さて、以上のようなデューイの回想にしたがえば、彼の本格的な哲学的思索 は世界と人生についての統一的な像を獲得したいという願望をいかに哲学プロ ノミーの課題として主題化するのか、ということから始められたといってよいで あろうO 彼は自らの思考の歩みについて、多くの先行者の影響を時には矛盾す るかにさえみえるごとくに次々と受けることによって、 「不安定で、カメレオ ンのような」変化を伴っており、そこに一貫したノミターンを見出すことは困難 だと回想しているO たしかにそうであるかもしれないが、本章では、デューイ が思想形成の最初期において「哲学の課題と方法」をどのように考えていった のかという観点から彼の思索の筋道を辿ることに努めたし、。時には暖昧で、前 後撞着を示すかにさえ思われる表現によって、彼が何を考え、何を言わんとし

(16)

ていたのかを、さぐってみたいと思うのであるO したがって、デューイが誰に どのような影響を受けたのか、といった問題の哲学史的な検討については、筆 者の能力からしても当然、のことであるが、ここでは最小限必要と思われる以外 は言及を保留し、他の研究者の専門的業績にゆだねることをおことわりしてお きたし、3)。

I

ドイツ観念論の影響

1

.哲学の方法としての論理学

デューイはジョンズ・ホプキンズ大学院に入学する前に、 「唯物論の形而上 学的前提

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“(The Metaphsical Assumptions of Materialism勺および「スピ ノザの汎神論

J

“(The Pantheism of Spinoza")と題する二つの論文を書いてお り、これが公刊された彼の最初の著作となった。これらの論文について彼は先 の自伝的エッセイで次のように語っているO 「これらの論文は、想いおこしてみると、きわめて図式的でかつ形式的なもの であった。それらは直覚主義の言葉で表現されていた。その当時、私はへーゲ ルについて無知であった。私のより深い関心は未だ満たされておらず、そして その関心にみあうようなテーマを欠如していた。私が取りあげることのできた 問題は単に形式的な処理ができるようなものでしかなかったのである

J

(LW, 5,150)

かかるデューイの記述との関連で、二論文における彼の立場の理解をめぐっ て研究史上議論があるようだが4)、ここではそれに立ち入ることを避けて、デュー イの初発の関心がそれにみあうテーマを見出しえていなかった、とする点に注 目しておきたい。つまり、彼の指摘によれば、世界と人生についての統一的な 像への願望という哲学的関心にもとづく哲学の課題を明確に提示しえていなかっ たというわけであるO なるほどそうであるのかもしれないが、しかし、それら を丹念に読んでみると、哲学の課題についての彼の関心のありょうを窺うこと はできるように思われる。そして、そこにひそんでいる関心のありょうがデュー イの最初期の哲学的思索を支配していくように考えられるのであるO この点を

(17)

12第1章哲学思想、の形成 論文に即して検討することから議論を始めることにしようO (1)

r

唯物論の形而上学的前提

J

(1882年) この論文は、 「絶対的一元論」としての唯物論が形而上学的にみて実は二元 論を前提せざるをえないことを析出することによって、それが論理的矛盾を含 み、したがって自己破産的であることを示そうとしたものであるが、ここでは まず、デューイがそのような否定的結論を導くにもかかわらずに、なにゆえに 唯物論を検討の素材として取りあげたのか、ということについて考えてみたい。 というのは、そのことの中に哲学の課題への彼の関心のありょうが窺われるか もしれないと思われるからであるO デューイは論文の冒頭で、唯物論にかんする従来の議論の大部分が「その生 理学的かっ心理学的側面に限定されていた」のにたいして、 「その形而上学的 側面を議論することが本稿の目的である J(EW.1.3)と述べているO そして、我々 の認識を現象の把握に限定する他の哲学諸理論と対比して、唯物論の際立った 特徴が、 「単なる継起的な現象とは区別される存在ないし実体の認識」という 意味での「客観的実在の存在論的認識の可能性の確信を前提している」ことに ある、と指摘するとともに、彼は、前者の諸理論の例として、純粋に主観的な 観念論、ヒューム的懐疑論、パークレー的観念論、スペンサーの不可知論、そ して、カントの認識論をあげているO このようなデューイの問題提起の仕方からすれば、彼の唯物論批判は唯物論 のかかる特質、つまりそこでの「形而上学的前提」の存在を検出したうえで、 それが唯一の実体として物質を想定するにもかかわらず、そのことが成り立た ないことを論証しようとしたものであり、換言すれば、デューイの批判の要点 は、唯物論が実体についての「存在論的認識の可能性」を確信したこと自体を 否定したので、はなくて、それが想定する実体の内容を問題にしたのではないか と考えられるのであるO もしそうだとすれば、このことは、たとえ明示的に語 られていないとしても、デューイ自身が「現象の継起から超越しながら」しか もそれに「普遍的な統一性」を与えるような「客観的実在の存在論的認識の可 能性」、つまり絶対者の認識についての可能性という問題に関心を持っていた ことを示しているというぐあいに理解しうるのではないだろうか。ジョンズ・

(18)

ホプキンズ大学院に入学して後の彼の急速なへーゲ、ル主義への傾倒はこのこと を裏づけるようにも思われるのであるO このように考えてくると、この論文は、 「きわめて図式的で、かっ形式的なもの」というデューイ自身の回想にとどまら ない実質的な意味を含んでいるということができるであろうO この点をさらに 明らかにするために、今少し論文の内容に立ち入って検討してみようO まずデューイによれば、唯物論は次のようなものとして把握されているO 「それは物質とその諸力があらゆる現象を一一いわゆる物質世界の現象と、生 命、精神および社会のそれを一一適切に説明すると宣言する理論である。精神 の内容だけでなく、我々が精神とよぶもの自体までもが物質によって規定され ると主張するO したがって、我々はまず第ーにそれが絶対的に一元論的である ことに気づく。唯一の実体が存在する一一つまり物質である。精神のあらゆる 現象は本当は物質の現象であるO 知性は頭脳とそれに付属する神経器官の機能 である。それゆえに精神の法則は物質の法則である

J

(ibid.,4 )。 このように理解したうえで、デューイは、唯物論が絶対的一元論であるがゆ えに、その「形而上学的前提」として、唯一の実体としての物質についての認 識可能性を想定していると指摘し、しかも、そのような想定は成り立たないと するわけであるO で、は、唯物論のように、物質を唯一の実体として想定することは何ゆえに不 十分なのであろうか。それは、端的に言えば、 「客観的実在の存在論的認識の 可能性」を前提にするかぎり不可欠である実体としての精神を無視しているか らであるO しかし、唯物論がかかる精神を認めるならば、それは物質を唯一の 実体とする絶対的一元論としての唯物論の性格と矛盾せざるをえなくなるであ ろうO したがって唯物論は自己破産的だというわけであるO この点をデューイ は次のように述べている 「精神が物質の現象であることを証明するためには、唯物論は存在論的認識の一 一つまり、実在的存在の実在的認識の、可能性を前提せざるをえない、しかしそ の実在的認識のなかには認識する主体が必然的に含まれている。精神が現象であ ることを証明するために、精神が実体であることをひそかに想定せざるをえない のであるD これはまったく自己破産以外の何であろうか

J(

i bid.,6 ) 0

(19)

14 第1章 哲 学 思 想 の 形 成 こうして、唯物論は、絶対的一元論たろうとすることによって、物質に加え て精神を実体として想定するという二元論に陥らざるをえなくなるのであり、 このことだけでも唯物論の自己破産的性格は明らかとなるわけであるが、さら に、物質と精神の関係を問題にするとき、物質にたいする精神の根源性を認め ざるをえなくなり、唯物論の自己破産的性格が決定的なものとなる。すなわち、 「精神が物質の結果であることを証明するために、唯物論は精神の直覚的能力 を想定するか、あるいは、精神がそれ自体原因であることを認めざるをえない」

C

i

bid.,8)からであるO さて、デューイによる唯物論批判の内容はおおよそ以上のごとくであり、議 論の仕方もネガティヴな表現で終始しているのであるが、しかし、裏を返せば、 そこには哲学についての次のような考え方が含まれているように思われるO つ まり、哲学理論は、それが絶対的一元論であろうとするかぎり、換言すれば、 「客観的実在の存在論的認識の可能性」を、すなわち絶対者の認識についての 可能性を、前提しようとするかぎり、その「形而上学的前提」つまり唯一の実 体として、精神を想定しなければならなし、、ということであるO だとすれば、 彼が唯物論を批判的検討の対象として取りあげたことのなかに、哲学を絶対者 の認識についての可能性にかかわらしめて考えようとすると共に、その絶対者 は実体としての精神でなければならないとする問題関心がひそんでいた、とい うことをみてとることができるであろうO かくして、筆者としては、デューイ の最初の論文における哲学の課題についての関心のありかはそのようなもので あったとひとまず理解しておきたいと思うのであるO しかし、言うまでもなく、 デューイの関心のありょうはそれに尽きるものではなかった。つまり、絶対者 の認識についての可能性を前提し、実体としての精神を想定するだけで、哲学 の課題が終るとしていたわけで、はなかったのであるO そもそも唯物論が唯一の 実体として物質を想定したのは、それによって、 「あらゆる現象を適切に説明 する」、つまり、現象に「普遍的な統一性」を与えるためであった。したがっ て、精神を唯一の実体として想定する理論もまた、それによって、 「あらゆる 現象を適切に説明する」ことができなければならないのであるO このことを問 題にしているのが、ほぼ同時期に書かれた第二論文の「スピノザの汎神論」で

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あるように思われるO そこで、これを次に検討しようO (2) 1"スピノザの汎神論

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(1882年) デューイはこの論文の冒頭で哲学の課題について次のように語っている。 「哲学の課題は、我々が見出すがままの事物の、すなわち現実的なものの意味 を決定することであるO この事物は三つの項目に集約されるので、問題はこう なる、すなわち、思惟、自然、及び神の意味を、そしてその相互関係を決定す ることである。・・・哲学の課題は現実的なものの意味を決定することである から、その最終的なテストはその解答が現実的なものに一致しそしてそれを説 明する完全さにあるのでなければならない

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bid.,8)。 ここに示されている哲学の課題へのデューイの関心のありょうが先にみた第 一論文におけるそれと繋っていることは明らかであるO そのいずれにおいても、 哲学の課題は、絶対者の認識についての可能性を前提にして、それとの関連で すべての現象を説明し、また現実的なものの意味を決定することだ、という考 え方がとりあげられているからであるO そして特にこの論文では、スピノザの 汎神論が哲学の課題を十全に解決する理論たりえているかが検討されているが、 その理論の特徴はひとまず次のように把握されるO スピノザにとって、哲学の課題は「無限者のみを仮定することによって、無 限者とみえるがままの有限者を調和させることであり、あるいは、絶対者のみ を仮定することによって、絶対者とみえるがままの相対者の統一を示すことで ある

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bid. ,10)といってよし、。彼の汎神論は、 「神が絶対者となり、自然、と自 我はその現れにすぎない

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ということを論証することによって、かかる課題を 解決しようするものであった。つまり、その論証によって、 「思惟と存在が同 ーとなり、思惟の秩序は存在の秩序である」ということが示され、その結果、 「今や究極的な統一が獲得され、そして真の認識が可能であるようにみえる」

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bid. ,9)というわけであるO しかし、かかる解決は本当であろうか、それとも みせかけにすぎないのではないだろうか、このことを確かめることを通じて、 スピノザの汎神論が哲学の課題を十全に解決する理論たりえているかを検討す ることがこの論文の目的であった。 デューイによれば、スピノザは『エティカ』において、 「神の様態ないし偶

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16 第 1章 哲 学 思 想 の 形 成 有性としての有限なる事物の存在

J

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bid.,13)を示すことによって、その解決を 果たそうとしているが、それに十分に成功しているとは言い難し、。このことを 明らかにするために、デューイはまず、 『エティカ』の「第一部 神について」 におけるスピノザの定義と公理からは、 「有限なる事物は一切存在しない」

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bid.)という結論が生じざるをえないことを論証してみせるO デューイによる 推論を紹介することは省略するが、もしそうだとすれば、 「神の様態ないし偶 有性としての有限なる事物の存在」の証明というスピノザの意図はもはやここ でつまずくことになるであろうO 彼の論証の前提たる定義や公理そのものにお いて、 「有限なる事物の存在」が否定されるのだからであるO にもかかわらず、 彼がそれをなしとげているようにみえるのはなぜか。それは、彼が行論中の定 理 28で次のような考えをひそかに導入しているからであるO 「あらゆる個物、あるいは有限でかぎられた存在をもつあらゆるものは、自分 と同じように有限でかぎられた存在をもっ他の原因から、存在や作用へと決定 されることによって、はじめて存在することができるし、また作用へと決定さ れることができる。さらにこの原因も同じように有限でかぎられた存在をもっ 他の原因から、存在や作用へと決定されることなしには、存在することもでき ないし、また作用へと決定されることもできない。このようにして無限に進むJ5)。 しかしながら、デューイによれば、スピノザのかかるテーゼは、 「神の様態 ないし偶有性としての有限なる事物の存在」とし、ぅ仮説を論証するものではな い。というのは、有限なる事物の存在そのものは何ら説明されることなく、前 提されている、すなわち、それは、 「もし有限なる事物が存在するとすれば、 それらはそのように決定される、という条件付き判断

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(ibid. ,13)を語っている にすぎないからであるO そのテーゼにしたがえば、次のように推論されるO 「有限なる事物は、もしそれが存在するとすれば、他の有限なる事物に依存し なければならず、これは永遠に続かざるをえな L、。それゆえに、神は、無限な のであるから、決して有限なる事物の原因たりえない。しかし、神はあらゆる ものの原因であるから、有限なる事物はすべてまったく原因を持ちえない、つ まり存在をもつことができなくなるであろうO したがって、あの仮説は誤りだ ということになるわけである

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bid., 14)。スピノザの理論が有限者と無限者を

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調和させるようにみえたのは、彼がそもそも説明されるべきことがらを推論の過 程でひそかに導入していたからにすぎないのであるO かくしてデューイは言うO 「まことに、スピノザは二つの神をかくしもった手品師で、あるーーすなわち、 一方の神は完全に無限で絶対的な存在であり、他方のそれは我々にみえるがま まのあらゆる欠陥を伴う世界の単なる総計である。すべてのものの適切な原因 として神を示したり、真理を説明したり、道徳を教えこもうとしたりするとき は、彼の手品は前者の神を我々のまえにもたらす、そして、有限なる事物、変 化、誤謬、などが説明されなければならないときには、後者の神が現われるの である

J

(ibid., 17)。 しかし、このことは、唯一の無限者ないし絶対者のみを仮定することによっ て、有限者と無限者を調和させる、あるいは両者の統ーを示す、という彼のそ もそもの狙いと明らかに矛盾するものであるO それゆえに、スピノザの理論に おいて、哲学の課題の解決はまったく果たされていなし、、ということになるわ けであるO どうしてそのようなことになったのであろうか。 デューイによれば、 「かかる矛盾はスピノザのそれのごとき汎神論の体系で は生じざるをえない」と考えられているO その理由は「唯一の真の認識は直接 的知識であるとする認識観に、それがもとづいている」からであるO その見方 にもとづけば、 「絶対者はいかなる規定をも持ちあわせない、単なる存在、つ まり、抽象的普遍になる」、なぜなら、 「規定は否定を含む」にもかかわらず、 直接的知識はそのことを認めないからであるO だから、スピノザが「手品」を 使うことなく、本当に論理的に一貫するとすれば、彼の神はそのような絶対者 であり、したがって、その場合には、 「彼は個別具体的事物を説明できない」

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bid.)0 かかる事態を避けるために、彼は「手品」を使って何とか有限的事物 を説明しようとしたわけで、あるが、しかし、 「スピノザの認識観からするかぎ り、二つの要素は必然、的に矛盾せざるをえない

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bid.,18)とデューイは指摘す るのであるO デューイのかかる指摘は、彼の哲学思想の発展という観点からみて、きわめ て重要であるように思われるO というのも、後述するように、我々の認識のあ り方を直接的知識においてとらえようとする考え方を克服することが彼の中心

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18 第 1章 哲 学 思 想 の 形 成 的な課題の一つになってゆくからであるO デューイはスピノザ批判においてい わば哲学の方法の問題に直面していたということができるであろうO スピノザ 批判の根拠となっているデューイの立場の哲学史的位置づけをめぐっても研究 史において議論があるようであるが、それについても専門家に委ねることとし てここでは立ち入らない6)。 筆 者 と し て は 、 さ し あ た り デ ュ ー イ が ス ピ ノ ザ の 直接的知識としての認識観を問題にしていたことを確認するだけにとどめてお き

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こし、。 さて、デューイは論文の末尾でスピノザ的汎神論の問題性を次のように総括 するO 「それはすべての事物がその中にある絶対的に完全な存在の概念から出発しな ければならなし、。しかし、この理論は我々が見出すがままの事物を説明するこ とができなL、。この理論は、事物が現にみえるようなものである、ということ を否定しなければならず、事物を神的なものの中に高めるのでなければならな い。しかし、このような理論がすべてが破産せざるをえない岩がある。それは、 もしも事物がすべて神的であるとすれば、事物は他のいかなる仕方で我々にた いして現れるのか、という問題であるO スピノザはここで失敗したのである」 (ibid. ,18)

では、かかるスピノザ的理論に代わるべきものがありうるのであろうか。デ、ュー イはもう一つの「論理的な汎神論の体系が可能である」として次のように述べ ているO 「他の理論は、みえるがままの事物の概念から出発し、その事物を神の中へ高 めるのではなくて、神をそれらにおろすことによって、その汎神論をうみださ なければならない。かかる理論はもちろん絶対者、完全者、無限者の概念に決 して到達できない。厳密に言えば、それは汎神論ではまったくない。それは汎 世界論(Pancosmism)である。しかしこれは解決ではない。それは説明される べきすべてのことを前提しているにすぎないのである

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bid.)。 この汎世界論は、みえるがままの事物の概念から出発することによって、有 限なる個物に説明を与えることができ、スピノザ的な理論の欠陥を克服するか にみえるO しかし、デューイによれば、それもまた、彼の考える哲学の課題を

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解決するものではない。なぜなら、有限なる事物が、絶対者と切り離されてい るかぎり、それはみずからの有限性を何によって基礎づけられるのか、という 問題が生じてこざるをえないからであるO であるがゆえにこそ、デューイは、 「汎世界論は説明されるべきすべてのことを前提しているにすぎない」と指摘 するわけであるO さて、以上の検討から、筆者としては、デューイの回想にもかかわらず、最 初期の二論文において、彼は哲学の課題と方法についての問題の所在に関して それなりの認識を持っていたのではないかと考えてみたい。それは絶対者の認 識の可能性とそしてそれにもとづく有限なる事物の認識のあり方をどのように 考えるのかという問題であるO もちろん、デューイが、最初の二論文でそれに たいする彼自身の解答を示しえていたというわけでは決してない。それは、絶 対者と有限なる事物の相互の連関をどのように考えるのかが、まったく示され ていないことからも明らかであるO 彼の初期の思想形成の歩みがその解答を求 めての模索の過程であり、そのなかで問題の認識の仕方自体も変化してゆくと 考えられるのであるO デューイは、ジョンズ・ホプキンズ大学院で本格的に哲学の研究を始めてま もなく、 「認識と感覚の相対性」

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“Kno叩ow叫le吋dg酔eand the Relativity of F恥eeli加ngピ>> という論文を発表するO これは、彼が「スピノザの汎神論」の末尾で示した汎 世界論的なタイプの理論の苧む問題性をあらためて検討する意味を持っていた と思われるO そこで次にそれを素材として彼の思考の展開をさぐることにしよ うO (3)

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認識と感覚の相対性

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(1883年) デューイは、哲学がみえるがままの有限的諸事物から出発して、それらに適 切な説明を与えることを自らの課題だとすれば、それは「認識の相対性という 教義」をひとまず承認せざるをえないと考えるO したがって、その教義が、 「近代思想の最も特徴的な理論のひとつであり、実際に、多くの人々にとって、 あらゆる近代的知恵の総括であるようにみえる」のも、故ないことではない。 それは、 「我々は存在そのものBeingを認識することはできないのであって、 現象の継起に自らを限定しなければならない」とすることによって、 「過去の

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20第1章 哲 学 思 想 の 形 成 哲学思想、を恥辱にまみれさせてきたと想定されるすべての怠惰な思弁を終らせ、 真の認識の実り豊かな領域へ知的活動を赴かせるであろう

J

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bid. ,19)と考えら れているのであるO そこで、この「認識の相対性」をいかに基礎づけるかとい うことが問題になるO デューイによれば、かかる教義をみちびくものとして、従来「少なくとも四 のあり方」が存在してきたのであるが、進化論の発展に伴って、より強力な武 器をふるう学派が台頭してきた

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bid.,20)0 スペンサー的な理論の立場がそれ であるO この学派は、 「客観的存在を想定し、そして人間、およびおそらく彼 の知性や認識がその原初的な存在や諸力から発展してきたことを示すという確 固とした科学的理論の立場をとっており、したがって、一定の形式において、 あらゆる創造的で、かっ構成的な思惟を否定し、その結果、徹底的に感覚主義的 な理論である」とし、ぅ特徴を持っているO デューイは、この論文で、かかる立場からの認識の相対性理論を検討の姐上 にのせようとするのであるが、その際、次のような視角の限定を行なっているO 第一に、 「ここで相対的というのは、客観的に対立するものとしての主観的を、 存在論的に対立するものとしての現象的を、意味するO それは思惟の本質では なくて、その不完全さを表わす

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bid.,21)ということであるO したがって、デュー イのねらいは、 「主観に対する感覚の相対性という事実にもとづけられている かぎりでの認識の相対性理論を吟味する」ことだというわけであるO 第二に、 この理論は、 「我々が世界を認識するにし、たる方法に関する諸事実を記述する」 という意味での心理学的理論の側面を持っているのであるが、ここでそれを問 題にするのではない。認識が感覚から始まるということは「疑うべくもない

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からであるO 検討の対象となるのは、それがひとつの哲学たらんとするところ、 すなわち、 「存在そのものの認識可能性についての認識論的結論を、そして、 それゆえに、存在そのものの本性についての存在論的結論、つまり、それが思 惟に関連づけられないのだということを、与えようとする」側面であるO 換言 すれば、 「感覚の相対性理論の究極的な存在論的意味あいに光をあてたい」

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i

bid.,22)というわけであるO かかるデューイの限定の仕方のなかから、哲学 をなお絶対者についての認識の可能性とかかわらしめて考えようとする彼の関

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Iドイツ観念論の影響 21 心のありょうが窺われるとともに、他方で、哲学を心理学と区別して考えよう としている点が注目されるところであるO というのも、数年後には、彼は心理 学を哲学の方法として強調することになるからであるO さて、デューイによれば、 「感覚主義的な認識の相対性理論」の教義は、次 のように要約されるO 「すべての認識は感覚から生じる。感覚は外的な客体の存在によって制約され る、そして知覚主体がそれによって作用を及ぼされるあり方を表現し、外的客 体がそれ自体で何であるかを表現しなL、。すべての認識は感覚を通じて生じる、 そしてすべての感覚は相対的である

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bid. ,20-21)。 かかる主張から明らかなように、この教義は徹底して感覚主義的であり、 「ある形態においては、すべての創造的で、かっ建設的な思惟を否定するほどで ある」ことをその特徴としているO しかし、デューイはまさにその点を問題に するO つまり、この教義は、認識の相対性を感覚の相対性によって、基礎づけ ようとするのであるが、そもそも、感覚の相対性の把握は、徹底的に感覚主義 的な認識観と両立しうるのか、後者を前提にしてはたして前者が主張されうる のか、というわけであるO 結論を先取りして言えば、デューイはそれに否定的 であるO すなわち、彼によれば、 「我々の感覚が相対的であると知ることがで きるのは、認識のなかに感覚以外の要素が含まれているからである

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bid.,21)、 だから、思惟の要素を否定するような感覚主義的認識観は、感覚の相対性を、 したがってまた、認識の相対性を、基礎づけることができない、というのであ るO しかし、デューイのポジティヴな主張についてはまた後述することにして、 感覚主義的教義に対する彼の批判の仕方をみてみよう。 認識の相対性の理論は、 「非ー相対的なもの」、つまり絶対者の存在を前提 にしている、あるいは前提せざるをえない。なぜなら、絶対者への関連なくし てはそもそも相対的ということがありえないからであるO もしも、我々の現実 の感覚が相対的であるという場合に、それが関連づけられる非ー相対的な存在 がある、ということを仮定するのでなければ、感覚自体が究極的でかつ絶対的 なものとなり、したがって、感覚は相対的である、という仮説そのものと矛盾 することになってしまうであろうO デューイが検討の素材としてとりあげてい

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22第1章 哲 学 思 想 の 形 成 るスペンサーの理論においてもこのことは認められるといってよし、。そこで、は、 「我々自身にたいして相対的でない外的存在」、あるいは、我々の感覚を条件 づけるものとしての「外的客体の存在」が想定されているからであるO しかし、このように、 「感覚の相対性の認識は非一相対的な存在の認識を含 んでいる

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(ibid. ,22)ということが認められるとすれば、この非ー相対的な存在、 つまり絶対者の認識は、スペンサーが依拠している感覚主義的認識観とはたし て両立しうるのか、という問題が現れてくるのである。感覚主義によれば、す べての認識は感覚から生じるのであるから、絶対者の認識も感覚から生じると しなければならない。したがって、我々は絶対的存在についての感覚、つまり、 「絶対的感覚」とでもいうべきものを持たねばならなくなるO しかし、そもそ も感覚はすべて相対的であるというのがこの教義の考え方であったのだから、 「絶対的感覚」とは明らかに矛盾であるといわなければならない。このことは、 感覚主義的認識観を前提するかぎり、絶対者の認識を導くことは不可能である ことを意味しているO それゆえにまた、感覚の相対性を基礎づけることが困難 になるのであるO 両者をなんとか結びつけようとするスペンサーの試みは、結 局、循環論法を露呈することによって、 「事実上の失敗」に終っているO さて、次に検討されるべき問題は、絶対者が何であるかを知ることなくして、 感覚の相対性が証明されうるのか、ということであるO 相対的であるはずの感 覚によって、絶対者が何であるのかを認識するということは、前にもまして大 いなる矛盾であるO だから、スペンサーにとって、絶対者は「意識の外にあり、 意識から独立した、不可知なものである

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bid.,24)ということにならざるをえ ない。しかも、彼は、かかる不可知なる絶対者との関連で、感覚の相対性を基 礎づけようとするのであるO しかし、それははたして可能なのであろうか。 デューイは三つの理由をあげて、それは不可能であると指摘するO まず、絶 対者が何であるかわからない、つまり、それは不可知である、という場合には、 絶対者の存在そのものを知ることはできなし、。次に、我々の意識の外にあるも のの存在を認識し、しかも、それが絶対者である、ということを知ることは不 可能である。最後に、もし絶対者がまったく意識との関連の外にあるとすれば、 それが意識の内容と想定される感覚に関連づけられないのは確かだからであるO

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Iドイツ観念論の影響 23 したがって、感覚主義の立場を徹底しようとすれば、 「直接的に存在する感覚」 は決して絶対者に関連づけられなし、、つまり、それが相対的であることは決し て認識されないであろうO むしろ、 「それ自体が絶対的なものとなりそして絶 対的に認識されるようになる

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bid.,29、22)のであって、ここに感覚の絶対化 という思わざる事態が生じかねないのであるO では、スペンサー的理論に見出されるこのような欠陥はどうしたら克服され るのであろうか。デューイの考えでは、感覚主義の立場を放棄すること、すな わち、認識のなかに感覚以外の他の要素、つまり、思惟の働きを認める立場を とることであるo

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感覚としての感覚」、つまり、直接的存在としての感覚は 決して自らの相対性を示すことができなし、。そのためには、必ず絶対者に関連 づけられなければならなし、、あるいは、それに媒介される必要があるO しかし、 すでにみたように、感覚自体はこの絶対者への関連づけをなしえなし、。そこで、 デューイは、 「絶対的対象の存在とそしてその規定的諸関連の認識が感覚によっ て与えられないのだとすれば、それは自らの諸関連によってその対象を規定す る意識によって与えられる、としてもさしっかえない、 ・・・だから、その対 象は思惟する意識と関連しなければならない

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bid. ,32-33) というのであるO このように考えれば、感覚の相対性を主張する理論がクリアしなければなら ないにもかかわらず、スペンサ一的理論が解答しえなかった、二つの問題一一 感覚の相対的性格とは何に存するのか、そして絶対者との相互関連の本性とは 何であるのか一一に対応しうるであろう。かくしてデューイは自らの立場を次 のように主張するのであるO 「相対性が感覚的な対象と非一感覚的な対象の聞の特定の比のなかに存し、こ の両者は自己意識との関係によって構成される、とする我々の理論はそれ自体 十分に適切なものとなるように思われるO それによれば、相対性は神経組織と の関係ではなくて、意識との関係において存するのだから、認識の可能性が与 えられることになるO そして他方で、この自己意識は諸関係の根拠であり源泉 であるので、それらに従属するものではありえない。したがって、それはそれ 自体真の絶対者である。このことは、自己意識が関係を持たないものだという ことを意味しない、それはその対象を規定する諸条件によって制約されない、

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24第1章 哲 学 思 想 の 形 成 という意味である。こうして、我々は絶対者との相互関連を一切もたない相対 的なものを信じるという愚かさから救われるであろう

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(ibid.,33)0 かかる主張の意味を、 「唯物論の形而上学的前提」と「スピノザの汎神論」 の二論文との関連で考えてみると、次のように理解されるであろうO 先にもふ れたように、デューイは、感覚の相対性理論を心理学的理論としてみる場合、 その正しさは疑うべくもないと考えたのであるが、これは、スピノザ的な汎神 論に対置された汎世界論が、みえるがままの有限なる事物から出発すると考え るのと同じであるように思われるO というのは、心理学的理論として、それは、 認識が感覚から始まる、という事実を記述するものと考えられるからであるO そして、汎世界論は、絶対者に到達しえないがゆえに、みえるがままの事物の 有限的性格を、つまりその相対性を説明しえないで、それを前提してしまって いる、という限界を持っていたので、あるが、このことはまたスペンサー的な感 覚の相対性理論がはらむ不可知論的限界と同じことである。したがって、 「認 識と感覚の相対性」という論文は、汎世界論の立場の問題性を、スペンサー的 理論に即して、具体的に検討するという意味を持っていたと考えられるのであ るO では、スペンサ一的理論への批判にもとづいて、デューイがポジティヴな形 で提示した「真の絶対者」の概念は、スピノザ的なそれとどのような違いがあ るのであろうか。スピノザ的な考えによれば、 「絶対者はいかなる規定をも持 ちあわせない、単なる存在、つまり、抽象的普遍になる」ということであった。 だから、彼の哲学は、本来的には、 「個別具体的事物を説明できない」と批判 されたのである。これにたいして、デューイが提示する「真の絶対者」は「諸 関係の根拠でありかっ源泉で、あるような自己意識」であって、しかも「関連を 持たないもの」ではない。換言すれば、それは、 「それ自体究極的な存在とし て、諸対象を規定する思惟の構成力」として考えられるものであるO 絶対者は、 もはや、規定をもたない抽象的普遍にとどまるのではなくて、対象を規定する 力ないし働きとして把握されようとしているO かくして、デューイは、スピノ ザ的な汎神論とスペンサー的な汎世界論への両面批判を通じて、有限的ないし 相対的事物と相互関連を持ちうるような絶対者の概念をつかみ始めようとして

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いたということができょう7)。 し か し 、 こ の 論 文 で は ま だ 、 そ の 内 容 に つ い て は ま っ た く 展 開 さ れ て い な いO それを試みるのが、 「カントと哲学の方法」

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“Kant and Philosophic Method")であるO

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カントと哲学の方法

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(1884年) デューイは、この論文の官頭で、哲学の課題についてあらためて次のような 言明を行っているO 「その主体的側面において、諸個人に関するかぎり、哲学は、常識や特殊諸科 学が解決しえず、また解消しえない諸問題に人々が直面するときに、出現するo ものごとを深く追求すること、あれやこれやの科学からひき出される任意の見 解や意見に満足するのではなくて、それ自体において真であり、かつまた他の あらゆる真理を判断するのに役立つような原理をもつこと、の必要が感じられ ている

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(ibid.,34)。 哲学についてのかかる考え方は、表現の仕方こそ異なってはいるが、実質的には、 これまでのデューイのそれと基本的に同一であるといってよし、。つまり、哲学 の課題は「絶対的真理の発見」として理解されているのであるO そのような理 解をふまえて、 「絶対的真理の発見」のための「方法と基準」のあり方を、カ ントからへーゲ、ルへの哲学理論の展開に即して考察することがこの論文のテー マであった。このことは、デューイの最初期の思索において、かかる哲学の課 題との関連で方法の問題がいよいよ前面に押し出されてきつつあることを意味 していると考えられようO それゆえに、近代哲学史におけるカントの意義が次 のように説かれるのであるO 「近代哲学が、デカルトにおいて、すべてを疑う方法から始まり、それによって、 すべてを判断するものを見出そうとしたことは、偶然のことではない。そしてま た、近代哲学の樹立者である、カントが、同様の要求をもって彼の偉大な仕事を 開始し、そして、 『理性の仕事のなかで最も困難なものであるところの自己認識 に着手し、それ自体の永久不変の法則にしたがってあらゆる問題を決定するため の法廷を設立することを、理性に要請した』、ことは無意味ではない。したがっ て、この理性の自己認識こそは、カントが提起する方法と基準である

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bid.)。 さて、デューイは、カントの方法の中身を検討するに先立つて、それとの関

参照

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