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Powered by TCPDF ( Title 第十七世紀前半に於ける英国東印度会社の状態 Sub Title Author 野村, 兼太郎 Publisher 慶應義塾理財学会 Publication year 1927 Jtitle 三田学会雑誌 (Keio jou

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Title 第十七世紀前半に於ける英国東印度会社の状態 Sub Title

Author 野村, 兼太郎

Publisher 慶應義塾理財学会

Publication year 1927

Jtitle 三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.21, No.10 (1927. 10) ,p.1353(77)- 1391(115)

Abstract Notes

Genre Journal Article

URL https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-1927100

1-0077

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# ニ 十 一 卷 ( ご 二 五 ニ ) 休 乘 銀 行 1 ± 關 す . る 法 律 _ 題 . .四 破 產 . 考 .カ 友 拂 ノ 停 J I: 费 ハ 破 產 ノ 巾 立 ア 第 十 ! 七 六 次 ^ 後 又 ハ 共 前 三 十 日 內 ,一 爲 シ 少 擔 保 ノ : 供 與 又 ハ 债 務 ノ 消 減 」 1 關 ス 少 行 爲 ニ 其 方 法 .若 ハ 時 期 ヵ 破 產 渚 ノ 翁 務 ニ 廁 セ サ W モ ノ ,ン 运 デ 々 破 m ノ m 務 M セ ス 乂 I 1 1 I I I 1 於 r V-I: i:; f 涔 1 ! ン、 タ 第 十 七 世 紀 前 半 1於: け る 英 國 東 印 度 會 社 の 狀 態 野 ^ *兼 ぐ 太 厨 : . 7 こ の . 篇 は ー 六 〇 . 5 ょリ 「 六 若 郎 1-繁 英 隠 東 印 度 會 社 初 期 の 策 洋 、 # に 印 度 に 於 け る 狀 態 を 記 述 す る こ ミ 4>目 的 ^ . する。 奢 し て w , H . M o r e l a n d , F r o m A f to A u l z e b v * 1 9 2 3 , L o n do n. ; Ba l. Kr is hn a, R o m m e l Re la ti on s be tw ee n In di a a n d l l g d X I L o n d o n 及 び w . B-M l , 2 T h e Ch ro ni cl es of th e Ea st In di a C o m p a n y tr ad in g ton fr 9 2 6 , O x f o r d : . 記 述を 補 綴 し た も の で ぁ り 、 馨 「近仙® 」 の同 會 社 U 關 す る 部 分 の 布 衍 及 び 評 定 試 み れ !! 北 ま る 。 以 上 三 姚 の 引5 简 所 ^ 1々 記 す る こ^ は 、 踏 ど 全.體 . |:! 4リ 、 ぁ ま り に 煩 雜.に 過 ぎ る か ら' ;れ ^ 货 4 しわ 0 ’ 偏 1 1 潘 の寬 容を 祈る .: j . ; ; へ H . . I : : 拉 ち に 史 © 東 间 度 會 .1 1 の 來 ^ に於ける活 1/を 記 述 す る に 先 立 .つ て 、 一' 般 讀 者 0 r2 に 、 少し ぐ當か ':. の狀態を略述し て ® き た い .ど思ふ 。 筋 十 五 世 紀 後 O t t o m a n 帝 國 が . A l e x a n d r i a 並 び に L e v a n t 沿 岸 地 方 を 占 領 し た 、 め に 、 西 歐羅 巴 諸國 は 紅 海を 經 て東 洋 :に 至 :る 途 を妨 げ ら れ、 さ ら に T r e b i z o n d び Co ns ta n ti n op l e 陷 落 は 陸 路 隊 商 に ^ る も の を も 失ふ に 至つ た 。 かくして t' liiM は 一 大 變 磡 を 悲 起 し た の で ぁ つ た " L e v a n t 地 方 に 於 け る グ ラ セ ン 人 の 勢 力 も 、黑 海 地 方 二 々 J る 遨 雲 徒 の 勢 力 も " す V て土 耳古 人 に依 つ て掠 肷 され > . 交 通質 S 著 じ ぐ 危 險 S つ た 。 一 方 l a y 第 二 十 1 卷 2 三 5 0 第 十 七 世 舶 前 中 :1-於 矽 る 英 國 來 印 度 會 社 の 眈 _ 0 S 七 b

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浒 U 十 1 饴 ( 1 三 茈 四 0 谘 屮 七 世 紺 前 伞 ^ 於 げ ん 英 _ 苽 印 塊 會 社 の 狀 璐 第 十 雛 七 八 の絹贤 易 Q •中 絶 は 大 な る 利 益 を 失 ふ ビ 典 に 、 他 方 傲 洋 の .番 科 _ 入 0 途 絕 は 中 世 の 食 卓 を 著 'し く 下 落 せ し め 、 無 味 な も 0 £ し た の で あ つ た 。 か く の 如 会 經 濟 上 又 社 會 上 多 ^ 办 損 失 を 寒 つ た 歐 灘 巴 人 は 、 加ふ る に * * よりの異 1«趣 ま 、 印 度 愤 愉 の 念 ^'' 賢 險 的 好 谦 心 に 依 0 て .刺戟 され、 こ 、 に 海 上 {1' 於 け る 發 展 を » み も や .5 にな つた のであ る 。 歐 洲 の 商 業 國 圾 0, , 英 國 ミ 佛 蘭 西 ど は 近 海 0;航 ,行に 止 .まぅ " V , ン ザ 同 盟や 伊太 利都 市は舊 來の 隊商や 紅 海. 方 而 ゆ 囘 復 に 腐 心 し てゐ f2。從 つ で大 洋航 海を 開 始 した 敢 爲 .: の ,國 民 :は 西 班 牙 V」 葡 萄 牙 ヒ であつた。 西 班 牙 王 室 ♦か 一 四 ^ 一 一 # ゼ ノ ァ 人 コ 口 ン ス に 船 舶 , 資 金 、船 員 を 給 與 し て 、 印度 發 見 の西方航路をな さしめ 、新 大 陵 を 發 見 し た こ ビ は 、 ( A Ca st il la y p>卜 。 § i く 。 ョ g o.。 di 6 co lo n) 一 般周 知 の事 實 で あ る 彳 か ぐ て 新 大 陸 は 三 世 紀 に 耳 つ て 西 班 牙 に ど . 0て * も 產 物 の 多 い 寶 庳 S な つ た 。 然 し さ ら に 西 方 に 航 行 し 、 Ph il ip pi ne s に 至 る や 一 四 九 一 一 一 年 法 皇 A l e x a n d e r ' [it に 依 つ て 罾 せ ら れた低界兩分の .法臬 令 に 依 ク 、 來 印 度 方 面 の 贸 易 に は あ ま b II與 し な い こ ど に な つ た 。 ( 著 ご 近 世 商 業 史 」 五 六 I 七 頁 :) へ ■: ノ . ' 之 に 反 し 葡 萄 牙 は 南 方 に 志 し 、 次 第 に 成 功 し (1 46 2 Si er ra Le on e, I4 7I tl le Eq ua to r, 1 4 004 th e C o n g o ) : 終 に 一 四 八 七 年 喜 3 ; 峰 に 到 達 し た 。 十年 後 、 一 四九七年 、 1 0 0 da 0 1 は そ の 尖 端 を 廻 ■ V 、 印 度 浮 を 横 切 \ , P H C U t k 到 著し、 多 く の 絹 、 繡 子 、 肉 1 宼 > 丁 香 、 生 姜 " 及 び 印 度 の 美 術 エ 藝 品 等 を 本 國 G s b o n : に 雜 ら し た 。嚇 萄 牙 A は この 航 海 に ® だ § : で あ つ て > 直 ち に 相 次 い で 印 度 に航 行し 、 質 易 を 開 始 し た 。 そ の 商 館 を 一 五 〇 ー 年 に は co ch in ^ C a H c u t に 、 I に は c o o m D a に 、 一 五 1 0 年 に は 0-o aに 、 一 五 一 ー 年 {:.は 皆 1 3 . § . に » 設 し /2. . : 0 ー 五 一 三 一 力 ん 1 五 ^ 1 七 年 に 力 け て 延 背 耍 & を 有 す る 商 酿 が 印 度 並 び に s p 〖c e Islands 等 の 貿 具 に 敦 も ^ 合 の ょ い 地 點 に 建 造 さ れ た V I 五 一 七 年 一 隊 の s ® f o a l に 派 遺 さ れ 、 そ の 後 十 五 年 g に 支 那 沿 岸 、 遠 く 北 g l に 茧 る ま で 、 諸 所 に 商 館 を 建 設 し た 。 こ れ 等 の 商 館 に 屢 々 往 來 し た 菊 菊 來 人 は 當 時 歐 羅 巴 國 民 の 問 . に 共 通 で あ つ た 海 g 的 梢 神 を 發 抓 し た 、 め に 、 一: 五 四 五 年 ビ ー 五 四 九 年 G 間 に 支 那 人 の 攻 擊 を 受 け , 多 ぐ の S 殺 害 さ れ 、船 舶 は 辑 か .れ 、 商 S S さ れ た 。 然 し 一 . 五 五 七 .年 に は M a c a o に 定 住 す る こ ど を 許 可 さ れ た 。 ( M a c a o 宛 住 に ®]し て は 多 く の 異 論 が あ る が 、 他 日 に 留 保 す る V ) . 東 洋 の 產 物 が 隊 商 に 依 つ て 陸 路 か ら ^ ^ 0 ^ . -程 度 の 楚 こ そ あ れ 、 v e n o* e : G e a o a , P i s a 等 が 質 為 の 中 心 地 セ あ つ た が 、 こ 办 新 航 路 の 發 見 ヒ 共 に 、 菊 I は そ の す ベ て I 身 を 5 に 收 め ん S し た ◊ 故 に 諸 所 に 要 塞 を I , す I 第 十 六 世 紀 I 顷 以 前 に こ の 目 的 を 貨 徹 し て ゐ た 。 こ れ 等 の ® 所 は 次 ぎ ,の g つ で あ る 。 西 部 。 o n z ( 1 5 1 5 ) 波 斯 ■ の 入 口 。 B a b . el -Ma n de b . C I 5 I 3 ) 紅 海 の 入 口 。 東 部 。 M a l a c c a (1 5I I ) M a l a c c a ^ w g M ^ 。 f a m ( I 5 8 ) : s u n d a . 海 . の ® 所 。 か ぐ の * ^ き 狀 1 の 下 に 於して « 萄 牙 の 酋 府 L r cro n は 柬 印 度の 香 料 、 そ の 他 の 產 :物の集 散地 v な . 第 一 I t i 卷 C I 三 瓦 £ 饿 十 七 他 紀 前 半 1 ! : 於 け る 英 ' 國 旗 印 度 會 § 眺 態 . 0 1 ま し

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笫 T'l 1 卷 ( 1 三 五 六 ) 笫 十 七 也 紐 前 ^ レ 於 け る 英 圃 來 印 度 會 社 の 狀 態 第 十 號 八 Q っ ^ 0.. . ' . 一 五 八 0 年 葡 萄 牙 ぽ 西 班 牙 に 併 合 さ れ 、 . .卜 客 0 : 1の 市 場 は M a d r i d の 王 室 の支 配 下に 立 つた の で、 西 班 牙 ビ 相 敵 視 し て ゐ た 和 蘭 及 び 英 國 の 商 入 は 最 単 葡 韵 牙 入 ビ 自 出 に 取 引 す る こ ビ が 出 來 な く な つ た 。 英 國 人 又 は 和 蘭 人 が 香 料 や 絹 を 勝 求 せ ん ビ 欲 す れ ば 、、 中 立 國 の 手 を 經 て 高 價 な 代 金 を 拂 は な け れ ば な ら な い 。 .さ も な け れ .ば 威 接 印 度 ヒ 取 引 し な け れ ば な ら な か つ た 。 和蘭は 第十 六世組に於いて 澈 速に 發 展 し 、十 五 年 ^ 立 た ぬ 內 に 、 柬 洋 に 船 舶 を 派 ^ し 、 | 五九六年: に は す で に B l a m か ら 菊 萄 牙 人 を 驅 逐 し ゐる。 ム 五 九 八 年 に 八 艘 の 船 舶 を 送 ゾ 、 その後 # 年 航 行 し 、 有 利 な る 贸 易 に 從 辦 し '/2 ° ー 六 〇 ニ年 和翻 來印度 會社 が設 立され 、 六 西 六 十 萬 ギ 〃 デ ン の 資 本 を 擁 し 、 同华十 丑艘 の g 船 i l d 等 ) 又 一 說 に 依 れ ば 顰 年 十 四 艘 の 商 船 を 派 遺 し た 。 こ の 船 隊 は M o l q u e 及 び G o a を攻 職し て 擊 退さ れ .たが ' T i d o r e 及 び l o y n a : からは 葡萄牙 人 を驅 逐 し、 住 段 保 議 め た め に B a n d a に 耍 塞 を 建 造 し た 。 そ , の永久的商 ® は c a l o-ut , Ka na au r, Ba nt am , A m び o y n a に 立 て ら : れ 、 和 蘭 の 商 業 は 次 第 に 確 實 な る 立 脚 地 を 獷 得 す る に 至 っ た 。 さらに極* に 於 い て も 一 六 三九 年頃 :ま で に 和 蘭 は ロ 本 に 於 け る 唯 1 の 歐 洲 の 贸 易 國 ど な つ た 。 : 「 六 四 一 年 葡 萄 牙 人 を # ^ し て Ma la cc a を 占 領 .し 、 又 ー 六 五 八 :年 に は ニ 十 年 に :旦 る 葡 萄 牙 人 € の戰爭の後、 c e y o-n .島 の 全 .部を統治し、 一 六 六 0 年 に は cop k e I S I g d s の 貧 凝 を 殆 r そ の 手 に 收 め た 。 It支 那 に 對し て は立 脚 地を 得 るこ ビ に成 功 し な か つ た ? か ぐ 葡 萄 牙 人 を 漸 次 .|: 排 除 し た 和 蘭 人 は 西 班 牙 人 > 」 も 戰 つ て ゐ た が 、 こ れ 等 は « 商 權 に 對 す _ る 戰 ' に I 層 熱 心 に 從 事 せ し む I 管 な つ た 。 西 班 牙 は H ハ C I に 和 菅 崖 I 十 年 I 休 I 帝 の は 著 で 童 が 、 印 度 S ぃ ては こ れ I u ;3 」 f 彥 に 製 力 を f 來 た が 彼 等 の 獲 得 し た 地 s f は 羞 上 有 用 な 土 地 で ぁ つ c 、 f i _ s l ノ な か つ た 。 ,こ f 領 土 獲 S な か つ ^ い こ £ “ 又 和 f 同 様 に 的 f 建 設 し た が 〜 の 多 ぐ は 和 腹 ? 相 並 ん で 存 在 し て ゐ た 。 然 し 次 第 I . 1 ! 世 が 和 蘭 を 拂 し 、 西 班 牙 に 同 f 有 つ や 、 :,^ I W ^ ^ D ; ° . s : : ^ r l s I Iに 於 け る 蘭 八 の 英 | _ 件 は 兩 國 の 兩 h し u I の 沙 將 シ I は 鲁 利 海 峡 Q 英 s i 掃 し た に 對 し 、 c b a r f 一 他 の 親 f f 、 着 於 .ぃ 5 5 し め 、 そ I 民 地 I I 成 せ し む る に き い こ の g u y i f 、 印 l l l l l f 、 I I I 、 和 關 が 、 ,支 f 裏 贸 f f I は 一 六 o i l つ た 。 5 の 船 舶 を c l n こ 送 つ た て ea ca o. I l 8 $ f f I s 許 I れ I s ” 一 S 拿 の f M l i s f I て f I f , ’ 支 那 1 1 本 s 月 i t u u 5 ( 一 三 五 ® : : 第 十 七 l l m l 慶 會 珐 缝 第 . ■. V 一

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鄉 1一 十 5 ( 一 三 :本 八 ) 第 -f* -li t紐 前 半 :! 於 げ る .英 .國 來 印 塊 會 社 0 狀 輯 _ 笫 十 勰 八 ニ が十 五 の ® 舶 を 以 つ 9 M I O を 攻纖 し た が 、 擊 退 夺 れ , :大 將 自 身 を 始 0 彳 殆 r n 音 名 の 將 士 を 失 つ た 。 そ こ で 艦 隊 は 膨 湖 ( 泛 | 040 〕 諸 島 を * 領 し 、 恐 . ら く 支 那 人 が M a l g ヒ 呼 ぶ ど こ ろ に 港 を雄造し, 支 那 船に 依 つ, て 齎 さ . れ た . 支 那 產 物 の 取 別 中 心 地 ^ な し た ド : 1 六 4 四年和蘭が澎湖諸島を 放 棄 し た 理 由 は | 0 7 の 支 那 人 0 攻 擊 で あ り 、: 他 ;の 一 つ は # 灣 . に退 け ば 年 和 に . 贸 易 を 行 ふ € 云 冬 約 束 に 基 い た の で あ る 。 そ こ で 彼 等 は 臺 陳 に A n p i n g 港 を 建 旨 し た 。 これ 後の臺 灣府で あり 、 n i の領土 くなつ た後 は臺 南 W 呼 ば れ で ゐ る 。 そ :の 後 一 :六 六 一 ^ 鄭 成 功 ^-; ; れ :を 掠 取す るま で 和蘭 の 支 配 . 下 に あ つ た :0 ( 前 ©; 著 參 眠 > ;-. : ン : 人 ニ . : : 以上英國が 東印度 質易 に從事 するま で > . 及 び そ の 初 期 の * 易 狀 態 瘍 略 を 述 べ た か ら 、 次 ぎ に 印 : 度 に於 け る 英 國 來 印 度 會 祉 の 活 動 .を 述 V る前 に印度の質易狀態を '知 る 必 要 栌 あ る 。 如 ち 第 十 七 世 紀 へ初期 に於い て 印度 の 商業 ;は 如 何 な る 狀 態 に あ つ .た か :を 明 か に ;せ ん ど す る ,に “ 。 初 ■ に あ つ て は 印 度 の 商 品 は 歐 洲 に 於 :い て 決 :し て 大 な 厶 髂 耍 が あ つ た ゎ け で は な い o 蠢 な る 直 接 の 贸 易 品 は Ma la ba r 「 ,の 胡 椒 で あ つ た " 歐 羅 巴 は 必 f し も M a l a b a r の 胡 椒 で な ぐ VJ も 、 胡 椒 で あ b さへ す れ ば ょ か つ た : : の ♦た が 、 そ れ が 特 に M a l a b a r '-. 限 ら れの は 當時 ® 萄 牙 が こ の 地 方 に 優 越 な る 地 位 を 占 め て ゐ た が ら I - . . . . . . . . で あ る :。 印 度 藍 は 地 中 海 沿 岸 の 諸 國 で 使 用 さ 权 た が 、 西 部 歐 羅 巴 に 於 い て は 僅 か な 部 分 に 過 ぎ す 、 綿 製 品 も 小 賣 さ れ た 程 度 で 、 そ の 他 の 商 品 も 时 様 で あ つ だ 。 他 方 印 度 に 於 け る 歐 _ 品の 髂耍はさら に 少 ® ; ^、 E 耍な も の で は な か つ た 。 之 を耍 す る 印 度 ど 西 部 歐 雜 & ど :は .相 2 [: の 必 耍 を 务 い . £ #勝 |:> 領 I I P I I II J S1 l « G f t 及 び 東 : 部 海 岸 の 織 物 業 を 支 持 し て 々 2 ノ 、 ' r > り ! 、 、 I f 5 0 1 0 : 商 業 に S つ て 必 類 も I あ つ た 。 : 、 , P ル S I S 洋 に 於 け る 利 益 S い :el s 外 國 贸 き 最 I し い I は 貴 金 蒙 吸 入 に S た 。 こ 1 の 1 ^ J i _ _ 時 § 政 治 I 度 へ I I 念 し 奮 t 今 け ? I i 篇 s 「 I f f せ ん s i l l す f , 甚 し I ! て 輸 I 商 品 に 對 す | 要 は I 無 f I ざ で れ て i 過 J ^ s r 鮮 パ _ S I_ M P I 11 I : r 一 一i i ( 一 ミ I I I 半 I I 崖 I I バ M ら , i I _ : 妒 ” 簡

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第 11 . I . ( 1 三 六 0 > 第 十 七 仳 鋳 半 に 於 け る 英 國 來 印 度 會 社 'の .狀 態 . 第 千 ’號 八 .四 量で、 そ の 外 に は :珍 し い の .で 購 入 さ れ 'る 聱 鑛品 , .雜 品 が あ :る :ば . か :-C V で あ ^ 重 な .る も 0 で あ つ たが 、 こ、 に 注 意 す ベ き は そ れ 等 .の中 歐洲 品 « 甚 だ :少 な か つ た こ S で あ る 。 水銀 の 一 部 は L i s b o n か ら 、 又 紅 海 方 面 を 經 て 供 給 さ れ た が 、支 那 か ら も 來 た 。 鉛 は 歐 洲 が ら 輸 入 さ れ 、 I I その外 珊瑚、 毛 布 優 等 品 、 絹 、 天 « « 、 その 他の織物、葡 萄 酒 及 び 酒 鑛 、 硝 子 ど 鏡 、 i p 萄 牙 人 用 の 食 " ,ns . -その 他雜 品 が歐 » か 、ら 來 た 'が 、 M に 於 い て 到 底 他 細 ^ か .:ら _ 入 さ れ る も の . .に .及 ば な が つ た 。 こ の に於いて歐 羅巴 の g A は先づ困 * を f て ゐ た 。 輪 出 に 蹦 し て は # 殊の 港は 特 殊 の 商 品 を 有 す :る が 、 印 度 全 體 ミ し て 見 れ ば 、綿製 品が最 も著 しい も の で あ る 。 特 殊 の 港に 就 い: て 云 へ ば M a l a b a r の ,諸 港 は 胡 椒 の 輸 出 が 最 も 多 最 で 、 他 は 甚だ 少 摄で f \ C a m b a y 及 び を の 附 近 の « は 藍 及 び そ の 他 多 ぐ の 商 品 を 出 し 、 米 年 砂 糖 ど は B s g a i か ら t 出 さ ^ r 。 そ の 他 そ れ ぞ れ 特 徵 は あ る r 'v g a l a b a r B e n g a l を 除 い T 他 の ,す ベて の贸 爲の '基 お は 綿 製 品 で あ つ た 。 今 こ れ 等 の 種 類 を 一 々 述 べ る こ ど は 、 そ の 名 因 :の多稱多様な る點. から 云 つ て も : 不 可 能 な こ W で あ る ,か ら ;. 、 に は 生 な る ニ 三 の 品 0 に :就 い て 少 し く 詳 述 し 、 以 つ て そ の 一 般 を * ふ の 資 ビ な さ ぅ ^ 思 ふ 。 :'先 づ : 「 & や ら こ 」 , :^« き や ら こ は 殆 W 印 度 の す べ て の 地 方 で 產 出 さ れ 、 始めは印 度 人 ,0 使 用 に 供 し た も !0であ つ た が、 他 方 多 量 に輸 出 .さ れ て ゐ た 。胆細 商 方而 . に . 於 .け る そ の 輸 出 ほ 古 ' い も ので あつた が、 第 十 六 他 紀 に 葡 萄 牙 人 は ら に 西 部 M i lt s 利 如 及 び . ブ ラ ジ ル に M Ji た 。 然 し ; , の べ 市 f の f 要 は 略 々 似 f で I た く 云 ふ の は 、 ブ ラ :ジ M く ? か 善 参 I I に對して 輸 f れ た I I 常 o f 布 | せ 象 、 | で | I I 1 1 I I ' し も す ん 」 S 帶 地 I 物 に 適 し J た か ら 、 管 し て 波 折 、 m ■ ミ く ! 牙人! I 」 の 食 I I S 利 加 に 發 f せ 、 む “ ) ^ ; 1 | ゎ て ゐ 今 ; : : f で 印 度 に s f 提 供 し た か 鋳 で I F t ?l n > r l これ ? I ^ ^ u -i t , . . レ ,.:/, r k 及を 箱 て 供 f れた もの に代 つたに 過 , ; て 著 し か つ た 。 . . 丨 i す ぅ ん の l i t 方 的 で 、 I 及 び D I に 於 ぃ へ 力 ぐ の t 海 器 歐 洲 諸 . 國 4 時 に 英 、 躕 雨 國 の 來 坑 . f . . . I p r ? ^ ^ . > ^ r-/ 」 こ の 外 に K I ど か 裏 、 こ 商 人 I f i f 」 | , 少 I I で ぁ つ 塞 I る 。 從 > み に 局 限 す る も 楚 支 へ .な い ぐ ら ゐ で あ る 。 ゾ * 火 f こ ォ を 泡 上 の も の 一 か ぐ 第 十 七 S 初 f 於 ぃ て 印 f s g 中 心 市 f して 、 I I ] ! . 'に i i s 異に す I 々 な :I 民 I 合し てゐ た が、 I 著 し 、 : ; ^ ^ s l f 支 那 I . 辰 I I つ I I 晕 家 は £ ぃ て I は こ 分 m ニ 十 一 卷 ( ー 三 六 ^ . 4 ,ぜ ? f ^方 .レ て «-貨に 對し ニ .分 、 , 1 . : 切 I 牛 ij .於 'け る 英 國 東 抑 度 會 社 0 背 -r 八 3£

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第 二 十 一 绝 C I 三 六 ,1 1 ) . 第 十 七 世 姑 前 牛 !! け る 英 國 朿 印 '響 社 :の ,狀 擷 第 十 狨 八 六 商 ロ E に 對 し ー 一 分 五 屈 、 食 料 品 ,に 對 し 三 分 で あ つ .た ど .の こ €■で ■ある o 然 る に ご れ ^ 著 し い 對照 をな す ものは ® 萄 牙 の 勢 力 に 依 つ て 蜂 ® に な つ て 來 た O S 及 び c o c h i p , 於 け る ;制 限 で あ る 。 ff i に 高 い 膦 税 を 課 す る .の み な ら ず 、 宗敎; の 自 * さ へ も 奪 つ ^ の :である。 : ミ か 、 る狀態にあ づた 印 ^ に 歐 洲 各國 が 侵入 し 來 た, り 、各 自 .そ の 商 業 的 發 展 を 試 み た の で あ つ た が 、 往 々 に .し て そ れ 等 の 國 々 の 活 動 に 肢 惑 さ れ 、 印 度 人 自 體 の 商 業 的 活 動 を 輕 視 す る 傾 向 が あ る か ら 、 こ 、 に 簡 單 に 印 度 商 人 の r に就 いて 述べ、 ; 他 方 又 當 時 の :印 度 の 文 明狀 態を 知 る一 端 ビ もな さ んと ^ ふので ある 。 « 、 駆 、 英 の 諸 國 .民 は ^ 實 歐 洲 に 對 す る 印 度 資 易 を 獨 占 し て は ゐ た が 、 印 度 の .1| 場 は 前 に も 述 べ た や ぅ に 必 す し も 歐 洲 贸 易 :に 依 つ て 支 配 さ ,れ て は ゐ た の で は な か つ た , 加 ふ る に # ' ! li 會 社 間 の # は 一 層 そ の 勢 力 ^ 微 :弱 な も の に し た 。 英 國 衆 印 度 會 社 .e 和前東 印度會 社ビ の爭 は 印度 人 には利益 を與へ たが 、 兩 國 に 對 し て は 著 し い 損 害 で あ つ た 。他 方 又 印 度に も 多く の 勢力 あ る 商人 が 存 從 し て ゐ た 。 そ れ 等 ;の中 でも * に 有 名 な る 港 は 第 十 七 世 紀 初 期 に 於 い て は の 商 人 王 た る Vi rj i V o r a であ る。 彼 は ょ か れ 惡 ,か れ 鬼 に 列 世 界 第 一 の 赏 豪 V 稱 せら れ て ゐ た .。 . 彼の名が文 書に .現 れ た の は , 一 六 ,I 九 :年 で 、 そ .の以後 屢 々印 度 の ,贸易 圓 係 の 文 # 中に舉げられてゐ .る 。 通 常 S u r a t の 卸 市 場 に 於 い :て 寶 貢 .されふ 商 品, 金 、 銀 、 鈴 、 珊瑚、 象 牙 、 香 料 、 阿 >1、棉花 等 の 取 引 に 彼 の 名 の 見 え な い こ ど は な か つ た 。 彼 の 取 引 は 著 し ぐ 大 规 模 で 、 そのま 吧する 紐合 は五 ト 跑 か ら 百 离 r u p e e s の 全 ® 荷を何時で 'も 1 入 す ,令 5 」 .が 出 :* た ヒ I. K ふ .こ V , あ ,る o かぐの如: き f 入 ; I r l s s l s l , 級 : : ' ; :: : • 船 ^ : 理 1 し 、 I に I r 及 び I I 等 一 た S T f I爵 人 に 5 5 介 ? Q I -^ 手 販 費 I I I た 。 i 產 四 年 S は S I S ^ t I K J つ 2 は勿 論で あ るが 、 :完 , て I I デ j の I 力 力 、 I 趟に 對し て 不服 二 會 社 は 偷 敦 こ t て :, V 」 然 ャ 彼 の 勢 力 ^ つ た 。 .そ の 後 : 广 ^ i o p 反 f & を な し た I 云 へ 、 彼 に 對 じ 幾 多 の I を . 提 出 d し ヵ も こ の こ ^ は 彼 を 猜 め る に 足 ら ず 、 ; ノ i し ナ : v e ある。 j ク f i . u を 副 通 し な い 奚 つ て 怒 つ •? の こ ミ 洛 し V ir jf V o r a の 免 ぐ 勢 力 あ る 者 で も ^ rj m^ : 、 二 げ れ ば 3I? - Vノ の . 7L和 を s r 翻 視 す る ,こ ? は 出 來 な か つ た 。 1 例 を 擧 H I に依つて强 I f し s f れ た こ , , s f r l し V S I 力 I し 、 言 に 於 い I 極 I f れ i i f i f l l i ハ 六 I 彼 “ ; ^ 羣 I 盤 S I I I 半 i l i i 叢 第 ^ T 丹 . ’ノ T",

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:笫 ー 一十 1 卷 c I 三 六 四 ) 笫 十 七 世 紀 前 伞 !! 於 け る 英 國 诳 卻 旗 脅 社 の 狀 態 筇 十 ! ! 八 八 - の 取 引を 破壊す る . ^ 云 ふ 訴が : 穸 客 ぽ に 到 達 し :た .0彼 が ^ のぐら ゐね 財 產を 所 有し . て ゐ たか 、. 今 日 明瞭で は: ないが 、 大 凡 八 0 1^ 遺 € 0 5 ビ 云 は れ て ゐ る 。 恐 、 b ぐ 彼 は こ の 程 度 . の ,信用を一般に有して ゐ た の で あ ら ぅ 。 J 體 ミ 备 < 0 ロ 出 の ^ ぅな地 位にめつた者が . 歐 _ の商 人 に對 し 如 何な る 態度 を 猓つ た かは 蓋 し 典 味 あ る 間 題 で あ 、ら ぅ 。 然 し こ れ 等 の 點 を 明 瞭 に す る の は 中 々 困 雛 な こ ^ であ る 。唯 少 ぐ S も 英 國 に 關する限りに於い: て は 、 喜 ん で 金 融 を な し " ,少 し も 阻 窖 し た や ぅ に 思 は れ な い 。 すで に述べ たる如 く 當 峙 印度 の 商品 を S A す る . 上 に は 多 « の金銀を 必 5?ミした 。然 る :^* 國に於いてはマアヵンチリ . ズ ム :の 恩 :撤遍 ぐ 、 貴金餛の, 外 國 . に 出 づ る こ ど を 好 ま な か つ た U 從 つ T 東 印 度 に於 け る諸 會 社は 他 の 方 法 で 金 銀 を 調 達 す る こ :ど . 於 _ で あ つ 巧 こ の 點 は 3 ! に 於 い て も 同 樣 で 、 Vi rj i V o r a は 最 も ょ く こ .の .必 耍 に 應 じ た 者 で あ ;つ た 。彼 が 當 時 有 し て ゐ た 勢 力 を 以 つ て す れ ば > かくの如 き金 融を 阻 ihす る こ ビ は 容 易 で あ つ ^ にも拘ら ず、 彼 は 英 國 の 會 MI: に 洱 三 多 額 の 用 立 を し て ゐ る 。 こ れ は 必 ず しも 彼の S 焚 的 精 神 に 出 づ 」 も の で •はなく、 全 ぐ 企 業 的 精 神 か ら な し た 行 爲 で あ つ た 。 一 定 の 利子 : を徴 集 し " 市 場 の 狀況 に 依つ ..ては 利率を 引上 げ、 »]日 は 過 酷 , な ぐ ら ゐ , 嚴 ■ で あ つ た 。 唯 歐 羅 巴 商 人 の惯 値を 知り、 英 國 商 A50 ゐ た 、 .め に cn ^ に 於 い て ょ り 多 ぐ の 金 を 儲 け # る こ ど を 知 つ て ゐ た の . で あ つ た ) こ 、 に 常 時 € 貸 借 に 就 い て # ,(1 興 味 め る こ ど は 檐 保 を 耍 求 し な か つ た こ ^ である 。即 ち かくの 如き要求が無 '益 な も の で あ 又 英 國 人 ♦か寶 れな かつ た 商 品以 外 に ® 保 VJ すベ き何 もの を も 所 抱 し て ゐ な か つ た こ € を 示 す も の で あ る 。 St 岸 A lr 於 い て Vi rj i v o r a に 相 #-す る も の は M a l a y s であつた。 本 店 は p & c a t •:あ , c s t s , 方 N e g a p a f a m あ た ら ま で 關 係 を 持 つ て ゐ た 。 M a l a y a 自身 は一 六 三 :四 印 に 死 ん でゐ る が 、 布 寶 i l , 戚 の 者 が _ 承 し 、 死 後 十 數 年 は M a l a y a の 名 稱 を 以 つ て 取 引 し て ゐ た ? 然 . し M a ' f の 辦 業 に 關 し ; て は 今 H 殆 ざ :知 ら れ て ゐ な い 。 « 生ミ して 船 舶業 を 營ん で ゐ た 」 何 故 こ の 一 家 の 仕 辦 が 明 か に . さ :れ : な い か ? 云ふに " そ の 當 時 印 度 南 部 の 複 雜 な る 政 治 狀 態 ^ 相 浞 :淆 さ れ て ゐ た か ら ,である 0 然し 要す . ぃるに歐洲の商人が來徉方而に 活動を 開始 した當 時に於 いて 、 印 度 @ 體 の 商 業 的 活 磡 は 決 し て 陘 '1す ベさ もの で は な か つ だ の で あ る 。 か ぐの 如 き 狀態 の . 下 に あ つ て 、 英 國 束 印 度 會 社 は 和 蘭 ビ 競 爭 し 、 如 何 な る 活 動 を な し た £ 6 か ? 以 下 述 V ん ど す る 第 十 七 世 紀 初 期 は 英 國 東 印 度 會 ® の 最 も ® 腐 せ る 論 で ぁ る 。 そ れ だ け 一 方 ょ 見 る ゼ 英 國 人 の 不 撓 :不 屈 の 精 神 を _ ひ 祷 :て興味ある時 «]な の で あ る 0 四 ゾ : . : , w f l女 i 土 及 び J l e s : | 世 時 代 の 英 國 人 は 甚 だ 大 膽 で あ 办 、 向 ふ 見 す で は * つ た が 、 英 f : し て は 極 め . て臆 病で . あ つ . て 、 願圍 の 近 . 海 以 外 に 於 い て は 自 己 :の 勢 力 を :信 : じ な か つ た 。 然 し 次 第 に 發 展 せ ん ビ す る 氣 運 は す で に 生 じ て ゐ .た。 H a w k p' s, Dr ak e, Ra le jg h, Gi lb er t 等の 胃險 的肮 海 は . E H ? b . e t h に 行 は れ た °. |五 九 六 年 に は Si r Ro be rt D u d l e y を社長ビ す る 一 會 社 が 女 王 の 磐 翰 を 寺 た せ て i ニ 胜 の 谢 ¥ を 支 别 に 派 .逍 し 介 が 、 そ の 後 齋 ^ し :て 消 息が 知 れ 0:, い 。神宗 の 時代 に 支那 が 英國 か ら 使 を 受 け た S 云 ふ 記 敘 が 从 い ポ こ ろ を 見 る ビ 、 何處かで難破: し た も 0 で あ ら ぅ 。 然 し 觅 に 妁 こ れ 等 . 0 1 (1 の 後 、 英 國 は 一 六 〇 0 年 士 ー 月 三 十 」 日 、 第十六世紀の .最 終 日 に . / E l i z a b e t h 王 の 特許 に 依つ 第 U 十 I. 饴 C 1 三 六 :S 笫 十 七 世 紀 前 平 !1 於 け る 英 國 :衆 :印 蕃 社 め :狀 態 郯 十 號 八 九

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笫 ニ 屮 丄 卷 ( 一 . 三 六 : . 六 ) 第 十 七 世 祁 前 中 1 1 於 け :る 菌 . 束 印 度 脅 社 の 狀 態 : m 十 狨 九

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て東印 度方面 の贸 易を 目的 ミす る 一 會社 が 設 * さ : れ た :。 , 即 ち ^ M # 印度 # 鱗 が そ れ で あ る 。 委しく . ' . . . 云 へ ば 、 : T h e G .o . <J e m o r a n d Me rc ha nt s of JL On d o. n tr ad in g in to t h e w a s t In di es ^ で あ る 0» ? | # い ら M a g e l l a n . 峡 に 至 る :間 の 質 爲 獨 占 權 を 十 五 年 間 許 可 さ れ だ の で あ つ た 。 以 下 祺 に 東 印 度 會 « 1: ビ 云 ふ 時 に は こ の 英 國 m 印 度 會 社 を 指 す 。 一:: 偷 敦 の 甯 裕 な る 商 人 達 が 前 記 :の 特 許狀 に 基き 、 最 初 0 慕 集 を な し た 結 果 、 五海七 千 ! ! 西 七 十 三 # の 應 募 を ‘将 " こ れ を 以 つ て 第 | 囘の航海 を企 て、 さ ら に 追 加 墓 集 を な し た 結 * 、 全 部 で 十 ニ 與 八 千 八 评 ニ十 三破になぅ、 第 ! i; 航 海 を 行 な つ た : 」 の 嬾 » 金額に 就いて .は 興 諭 が あ る 。 上 記 の 數 字 棄 印 度 會 t tの 會 計 係 を し て ゐ た S a m b r c o k e の報 吿 で 、 K r i s h s の 引 用 す る ビ こ ろ で あ る 。 與 論 の 方 は 寧ろ通 說 .で 、 第 一 囘 七 海 ニ 千 破 、 第 ニ 囘 六 十 海 四 商 四 十 ニ » マ」 算 定 .さ れ 、 Ma cp he rs on , (A nn al s of c o m m e r c e . ) M a c g r e g o r ' ( c o r n m e r d a l st at is ti cs ') Mi ro ur nv (o rI en ta I c o m m e r c e ) Wi ss et , ( A O O B I p s d i u of Ea st I n d f A g r s ) .そ の 他 大 部 分 の 者 が こ の 說 で あ る 。 拙 著 r 近 世 商 業 * 」 に 於 い て も .ごれ に從つ た > 然 し 前 記 0 如き 實 .際 の 當 辦 洛 の 報 吿 の 方 が 巫 當 き 見 る の が .妥 當 で あ ら •ぅ C この ニつの 航海 は 1 : つ に し : て » 定 さ れ , 東 方 の 商 品 を 刺 益 i し て 分 . 配 し ' ft 、 その 純利调は九割 五 分 ビ 箅 定 さ れ て ゐ る 。 以 T 約 十 囘 の 航 海 が 行 は れ れ が > ,」 れ 等 は そ れ ぞ れ 個 々 別 々 に資 金が蠤 集 さ れ 、 利 澗 の 分 配 も 一 航 海 每 に 獨 立 し た も の で あ つ た 。 か く の 如 き 方 法 が か ゝ る 比 較 的 永 續 g ^ g を 要 求 す る 事 業 に V J つて 不便 極 るも の で あ つ た こ ど は 运 ふ ま で も な い 0 單 に 不 便 な ば か 办 で は な ぐ 、 徒 ら に 多 < の 赞 相 を 耍 し 、 5 ら に 仲 問 の 間 に 利 潤 分 配 か ら 爭 へ も 生 じ :、 朿 印 度 贸 易 の 發 達 を f t 寄 す I

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1 I る こ く 少 な く な か つ :た : 0 將 來 ‘か ぐの 如 き弊 寄 を救 濟 す る目 的 を以 つ て、 一 六 一 三 年 こ れ 等 の腎 險 的 商人 連 .の |1| ]に 合 資 0 0:』 け :で | ) の 方 法 .が 棵 用 さ .れ た :° 十 5 八 千 六 |-| 九 十 一 破 の 靡 寒 を 得 、 股 株 に 對 し て 八 割 七 分 :五 厘 1 の 利 益を * げ る こ ど が 出 來 た 。ベ こ の 期 間 が 四 年 で 終 了 し た の で 、 1 六 一 七 年 に 第 二 の 株 式 藤 集 が 狩 は れ , ■殆 V J W六 十 海破 の: 亙 _ の 應 募を 鬼 .た。 一 丄 ハ 二 七 ,年 か ら ニ 六 二 八 年 ま .での十二年 間: に 小 れ ( p p' na nc es 〕 以外 に五 十 七 艘 ニ 寓 六 千 六 西 九 十 噸 .を 以 て 、 商 品 yz 幣 ど を f B十 四 萬 五 千 四 ぃ-r r 四 十 | 一 碗 を 送 つ た 。 然るに, 印度 に 於いて ,ニ 十 八 海 九千 六 0 四十三破を生じた .に 過 ぎ な か つ た 。 即 ち 1 六 ニ /\年 に は 株 式 慕 集 に 失 敗 し V S u r a t 及 び p s : : a に 對 す る # 別 の 航 海 に 對 し て # 別 の 藤 集 を な し 、 ニ 囘 の 航 海 に 對 、 それ ぞ れ十 三萬磅 、 及び 十 五 翦 碲 の 應 慕 :を 得 た 。 こ れ 等 の 特 殊 航 海 に 於 ぃ て は 車 額 の .利満分 配をなしたに, 拘 ら ず " .第 二 囘 の 株 式 應 寡 者 に 對 し て は 、 そ の 全 據 金 额 に 對 し I. 割 一 一 分 五 . M の 配當 を な し た に 過 ^ な か つ た 0 第 三 [6の合資は第ニ囘の殘 « ? 新 墓 .に 依 る も の ど 合 せ て | ^1 十 ニ 萬 七 评 « の 資 本 を 以 つ て fr れ .た 。 前 间 ょ > も 少 、 ぐ 成 賴 ょ :ぐ : ^ 0 1§ -及 び - J e w e l -の二 船 舶を失 ひ、 又高 利の金で質為した の で 多 ぐ の # 用 を :要 し た ,^ も拘 らず 。十一 年間 の投資 に .:對 し 三 割 五 分 の 利 益 :を 獲 # し た 0 然 し 今 後 ■ 來 印度 質 易 の 復 活 に 對 し て ,は十 分でなぐ、 一 般 に 何 等 か の 方 法 を 案 # f ば 、 到 成 活 動 を ® 待 し .母 な し の で 、單 | 航 海 の 備 度 を 復 活 し た U 普 通 こ れ を T h e Fi rs t G s e r a l V o y a g e ど 於 ん だ る ト 海 ^ 下 潘 の資 本 の 靡募 を 得て 、 一 六 四 二 年 ( は 一 六 四 【 年 奚 ふ 。 何 れ が :是 な る: や を 知 ら 中 ) に 始 め た 。 第 二 十 s C 1 H 六 七 ) : 第 十 七 世 紀 前 半 に 於 け る 英 國 柬 印 探 會 社 0 狀 態 笫 ナ 號 I 一

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$ 1 十 .'5 c r l H ハ , 八 〕 : . 笫 十 七 世 紺 前 半 1 1於 け 乃 英 國 來 即 度 會.社 の 狀 .態 .饿 屮 號 九 一 一 第三间 株主に 對 .し て 《本 國 :に於 けるす べ ての 使 用 に就 い ..て 一 分 , 印 度 'に 於 け る 商館 、 倉 庫 、 小船 n の 篇 に 就 い そ 六 分 突 拂 ふ こ .ビ に し た 。 ::こ の 航 海 莫 ぃ に 成 功 し て ? 士 一 割 一 分 の 利 潤 を 擧 げ ,る こ ど が出 來 た。 こ の # 殊 の 航 海 の 後 に 第 四 .囘 の 合 資 が 行 は れ た 气 名 義 だ け の 資 本 、十 | 千 五 展 十 磅 を 将 た に 過 ぎ す ^ 1 ® ^ k ^ > v 0 , 利 益 を 得 ら れ な か つ た ? ( 拙 著 0 九 三 茛 に .於 :い :て 、 「 單二航海の制度に _ 歸 し .た が 適 當 の .資本を得ら 一 : f々 ^ た し 〜 述べた 砂は; " 言 : «が不十分 で、 P 謬 で あ る 。 r m I 航 海 の 制 度 い ム § s :5 したが、 ! ! .資 .の 方 .は 適 當 な 資 本 ,を , 得 、 ら れ な か つ た 。 」 ビ 訂 疋 し ,, て 置 く 。 ノ ; :. W 政 的 困 難 を 除 去 す る m i g を 以 つ t |六 四 七 年 ( は 一 六 四 六 年 ふ ) 柳 込 濟 資 本 十 九 离 二 千 八 ^ 破 で '' 、 第 1 l fBj 0 m l K ® s s e r a l v o y a g e ) を 荇 な つ た 。 .こ の 株 主 も 前 記 の も の ど 同 様 に 、 合資 の 株 主 に 對 し 、本 國 に 就 ぃ て 一 分 、 .印 度 に 就 ぃ て 六 分 .を 支 .拂 ふ こ ど に 同 意 し ^ 。 他 に は 可 等 の . .出 限 な ぐ 終 に 十 七 割 三 分 2£ $ 云 ふ 多 く の 利 益 .を 獲 得 す る こ ど が 出 來 た 。之に 反 し て第 四 囘合 資 め 方 は 多 ぐ の 困 雛 に 依 :つ .て 大 な る 打 擊 を 受 け た 。 今 そ の ® 難 の 重 な る も の を 列 擧 す る X 、 英 國 に 於 け る 肉 謝 ,市場 の 不最 氣 、船 舶 i1 # 喪 失 、 印 度 及 び 英 國 に 於 け る 高 利 の 支 拂 、 國家 に對する硫黄の 永 ®偾 務 及 び C o u r t e e n . 社 ど の 競 '爭 ( こ れ に 就 い て は 後 に 少 し く 詳 述 す る 。 ) 等 で あ る 。 こ れ 等 ク M . ^ v の p -r株 は 著 し い 打 擊 を 受 け た の で 、 聯 合 合 資 ( u B.t e d J o B-t s t o c k ) の 名 * の に 新 ,:朱 ^ を 募 集 し た 。 聯 合 合 ' 分 ビ 云 ふ の は 、 從 歌 艰 印 度 會 社 以 外 に ゐ づ た 商 人 を も 包 括 し た か ら で あ る 、 そ 一 の 結 .果 ニ 十 萬 磅 の 新 聰 » を 得 :て 、 一 六 五 三 年 の 夏 ま で 繼 續 し て ゐ た が 、 そ の 間 に こ の 資 金 も 親 き て しま .つ た 。 一 六 .瓦 :三 年 以 後 普 通 0 合資の 方は 少し も .贸 易 を 行 « ず 、 そ の ,財產を 聯合 合資の方へ移し た の で 、 束 炸 贸 易 に 腳 す る 鶉 務 は 後 者 'の :株主 に 移 讓 さ れ た . 當 時 .な :ほ :存 花 し て ゐ •た .第 三 囘 合 資 'に 對 し て '«1 六 五 三 年 に ニ 割 暴 0 配 當を 受 け、 又 同 年 に ニ 六 五 四 # のマ割 六分ニ 厘 五毛 の 利潤 :.が 生 す べ き 不 卿 細 の 配 當 を 得 た ^ 、 第 脚 囘 合 資 は そ の 資 本 に 對 し 何 等 .の 配 當 を も し な か つ た 。 m iLq foi # ^ 及 び 聯 合 合 資 の 利 潤 に 關 し ヤ は 何 等 の 記 錄 も な ぃ 0 こ れ等 の 不最 氣 は 英 國 ビ 和 11 _の g 雷 終 結 に .際 し 、 ft 開 始 さ れ た 取 維 質 易 に依 つて 一 層 著し く され .た 」 J sfJ は :明 か .である。 # し 一 六 五 ®申 に は 和 蘭 か 、 ら ' 東 印 度 會 社 の 損 寄 賠 償 VJ て 八 萬 五 千 磅 、 及 び 彼 等 の 後 繼 者 に 賣 渡 し た 來 徉 に 於 け る 財 摩 め 代 價 S し て ニ 莴 磅 が こ れ 等 の 1 1 つ の 株 主 .に 與 へ ら れ た 。 五 ' : . , . -. , : ': 以 上 前 略 な が ら 今 問 題 C し て ゐ る 時 ' ®に :於 け る 東 印 度 會 社 そ の も の S 變遵: に 就 い て 述 べ た 。 そ こ .で次 ぎに實際の狀況を觀察して .見 ょ .ぅ 。 和 蘭も 英國 .も最初 番 料 を得 ん ^ :な め ' J a v a に 出 か け た の :は , 和 蘭 人 L s-s c h o t e n : 報 # に 间 島 :は : 求 だ * 萄牙 人に 依つ て 支 :配き れ てゐ な か: つ た .? あ つ た から で あ る 。 即 ち ® 洋 貿 易 の ®}權 者 .どの衝突 を避 'け ん が /2め 'で あ つ た , 最 初 の 十 年 間 英 國 の 商 業 は f M びそ の附 近で あ つ て、 最 初 は B a t a v i a 次 い で . B a n t a m が そ の 中 心 地 で あ つ た 。 '一 六 〇 一 年 か ら 一 六 一 〇 年 ま で の 輸 出 總 额 は 次 ぎ 0 如 ,ぐ で あ る -. 、 . C 1 ) 金 銀 : 一 ー 九 、 ニ 0 ニ 磅 : 邻 二 十 I f ( 一 三 六 ^ 邻 十 七 i , IE 前 华 に 於 对 る 灰 _ 來 印 康 會 社 0 狀 聯 第 卞 號 九 ミ

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f ニ 十 一 . ( ー 三 七 9 筋 .十 七 世 紡 前 半 1-於 げ る 英 國 束 印 馨 :社 め 狀 憩 0 £ 九 四 . ( ニ ) 商 品 類 S . ' 3 ハ 七 三 磅 合 : 計 :'. : : . V マ 七 〇 、 八 七 $ 磅 . . , .從 づ :て こ の時 « に 於 ゅる 金 銀 類注 .商品ヒ の比 例 は略 々 ニに 對 す么 : ー. で沁 つた 0 : * . 輸 久 0 .額 は ! :然しな; い が 、 Mi lb ur n: .算 定 » 約 西 蘅 磅 は 著 し < :誇 太 に 過 V る も の で ' •あらぅ 。 § 、萬 .磅 ビ す れ ば 最 初 の /\.航 海 に 使 用 さ れ た 資 本 额 の 芄 十 八 倍 ミ な K f 熝 募 さ れ " 投 資 •.さ .れ :た 貨 : ! :. . 幣 额 の 二 十 ニ 倍 の 賣 上 が な け れ ば な ら な :い :。 i co 間 の . I 航 海 :Q : 利 満 中 最 高 :Q . の : は : ! ? M で 、 又 パ s u a : 及 : び : 會 社 0 1 六 ..ニ .〇 辱 ど / ' 六 ニ ニ , 年 -に :於 け . る :評 ® は であ る。 故 に ー 年 總 收 入 は ,十 莴 磅 ど 見 る の が » も 妥 當 で あ ら ぅ ノ 同 じ 時 期 に 支 拂 は れ た 祖 稅 糊 は 九 : 翦 七 千 九 评 五 十 磅 ヤ ' 」 年苹均 九千 七 西九 十 五 .磅 に な る 。 換 言 す れ ば 印 度 に 送 ら れ た 貨 幣 额 の 八 割 ニ分は 税金だ け で國 家 に歸 :つ て 來 ,るこせになる。 「 最 初 の 十 年 間 の 賀 易 の 性 寶 " 輸 出 の 分 量 " 價 ‘格等 を最も ょ く示 す も のは .第 :三 .囘 航 海 の 三 艘 , の 貨 物 : の送 狀 で あ る 。 # は こ れ等 は . . H :n> c t o r . 號 の 船 * I t t i H a w k b s の .努 力 :に 依 ,つ て 1 六 〇 八 年 Su ra t : : に 上 陸 M o g u l 帝 國 ヒ の 最 初 の 通 商 を 開 ,い .た も の w し て 記憶 さるべ き, も の で あ る 。 三艘 の總 噸 數は :' ':; ぺ ,冶 計 千 '-£|五 十 噸 で 、 :こ れ の 雞 造 及 び 艤 裝 に 耍 ^ I 蔣 九 千 九 窗 十 三 磅 で あ つ た 。職荷 は .鐵 " 鉛 ,錫、 及び 羊毛製 品等 で: 、 .その價 格六 千 磅 であ :つ た 。そ 0 復航に齎らし た貨物 は: 胡 椒 、 肉萁 蔻 類 : ; ( m a c e 及 び n u t m e g s ) 沓 , 等 . M o l u c c a 諸 島 の 產 物 で , そ の 旅 额 は 大 略 . 11 萬破で あつたノこの. 航 海 の原 應 慕 資 本 は 五 离 3 千五 辟 磅 で、 そ の 相 潤率 .は :ニ ,十 1 1 . | 割 四 分 に ::上 0,, .た , 赏 時 に 於 衫 , る そ 0 猶 著 な -る利 益の一例を擧げる f 一 六 〇九 年 に印 度 に於 い て こ 千 四 十 八 磅 に 過 ぎ な か つ た 丁 费 が ^ 0 で 5 ,萬 六 千 ニ 西 八 十 七 磅 に 賣 れ た が 如 き で ぁ る 。 y 英 國 の 東 洋 贸 哀 ば 一 六 一 : マ 年 か ら1 六 ニ 〇 年 0 間 に 款 速 に 發 展 し だ 。 一 六1 一 年 S 一 六 I ニ .年 .の " 間 に 個 々 の 四 つ の 航 海 が 五 艘 の 船 舶 、 總 資 本 約 八 與 三 千 破 を 以 つ て 行 は れ た P, そ の 中 か ら 印 度 べ 貨 :幣 ー 與 八 千 ニ 十 五 磅 、 商 品 ニ :莴 六 西 五 十 磅 を 送 つ $ 故 に 以 上 柬 印 度 # 社 の 寧 } 刺 度 に 依 る 最 初 .の 十 -* 麻 海 は ニ 十 六 艘 の » 舶 を 以 つ て 行 は れ だ こ ど に な る 。 一 六 〇Q 年 か ら 一 六 一ニ年 まで 俠 用 され . 「 た 十 ニ 闾 の 航 海 .の ® 用 ば 四 十 六 :萬 四 千 ニ 评 八 十.四 :磙 .で 、 そ の .中 _ニ 十 莴 五 窗 .四 十 磅 " 即 ち 四 割 三 分 :が ぃ 印 度 :へ 商 品 又 は 貨 幣 で 送 附 さ れ" 縛 餘 は 船 舶 の 購 入 、 艢 裝 > ,食 料 及 び 商 飾 の * 持 等 に 使 用 さ れ た 。 使 用 さ れ た 全 資 本 額 に 對 し 十 ニ 航 海.の 平 均 利 濶 は + 1ー: 函 八 分 .: で 於 つ た 。 , * 別 ' に 多 く の 利 潤 を 得 な は 第 三 囘 空 一 十 三 剖 四 分 , 第 七 囘 の ニ 十 ー 削 八 分 で ぁ つ .た : 。 . 丨 一 六 一 三 年 に は 前 節 に 述 べ た や ぅ に 、 合 資 制 度 に .依 る 第 1 '囘 .で ぁ つ た 。第 ' -* 囘 の 合 資 は 一 六 I 三 年 か ら I 六 一 六 年 に 至 务 間 四 航 海 を 行 ひ’ 總 資 本 额 :四 十 ニ 萬 九.千 磷 の 中 , 十 j 莴 ー : : 千 四 西 九 十 九 破 は 货 幣 " 七 黹 八 千 十 七 磅 は@ 品 で 印 度 に 送 ら れ> 1:.| 七 與 ー ー 千 五 & 脚 十 四 磅 は 船 舶 及 び 食 料 に 使 用 さ ft 。. 船 舶 數 は 1 一 十 九 艘 で " 船 舶 」 隻 0 猶 荷 九 千 磅 が 英 國 で 八 蔣 硤 に :服 寶 ^- た :が " そ れ で も 全 體 0 利 _ は 四航海 に .於 ぃ て 八 御 七 分 31凰 以 上 1 4は 上 ら な か つ た 。 派遛 % れ.た -十 九 膽 の 中 、 , . 無 事 歸 英 卞 た も の は 十 四 艘 に ,過 ぎ す 、 :他 は 趣 失 又 は 拿 捕 'さ れ 、 若 し く は 和 蘭 や ® 荷 牙 に 對 扰 す 印 度 に 留 保 さ れ て ゐ た 。 § 1 5 ( I 三 七 I V 第 十 七 世 紀 前 半 に 於 け る 英 國 柬 印 度 會 社 の 狀 -態 ■ ナ 號 九 五

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第 二 十 i 卷 a 三 七 ニ ) 第 . 十 七 世 紀 前 半 に 於 け る 態 國 艰 雄 鹿 脅 社 .の 狀 糖 第 t 號 t 取炸 貿易 .に 就 い て は Si r D u d l e y D l g g e s は そ の 小 册 子 : Tr ad es In cr ea se ." に 於 、, て 次 ぎ の 如 .く 述 べ て ゐ る 。 一 年 に 輸 f れ る 苘 品 幕 び 货 幣 の 餐 鑛 ば 3 S ハ 3 i ’ 暴 、 し ? 胡 椒 ’、 丁 香 、 ぬ 宽 蔑 の 國 肉 消 @ に 於 い て 國 民 は 年 々 七 海 磅 : の ,節 約 .VJ: .气 V そ の '上印度 品 .の : 出 に : 依 ^ て E 额 0 利 : 益 を 狻 得 し だ :。 例 , へ ば 一 六 . ー ':四年に於ぃて藍、 き や ら . こ , 变那« , 安 息 # , . 羅 木 等 大 陸 に 多 ぐ » ; : 出 さ れ た も ‘ の 以 外 に 、 一 一 十 1 ® 八 千 磅 の # 料 .が 輸 出 さ ,れ /2。 こ 0 直接の利, # 以 _外 .に '‘さ ら に 國 王 の _ 秘 收 入 、 楫輸 出の際 船 舶及 び 水夫 の 展用 等 を 如ふ ^ ば :、 そ の 利 益 0 大 ,でぁ づ た こ ど は 明 か .でめ ら 5 0 東印度 會社が 議會 ..に 提 出 し た ,「 一 六 〇 Q 年 の 一 そ の 最 初 か ら 、 .一 六 ニ 「 年 十 ニ 月 ニ 十 九 四 に 至 る ま で の ft 狀 惩 」 中 に , > 彼 等 が 英 王 國 、 . D o w n s , 和 蘭 及 び る の 他 の 地 方 か ら 送 出 し た も の は 、 外國貨 M 幣の 形 で 六 十 一 ■ ー 千 六 踩 八 十 j 0 9 一 年 平 均 一 ー 萬 九 节 ー 一 lrr . 1十 .五磅に過ぎ ず、 又 そ の 他 王 國 内 0 . ,羊 毛 製 品 、 鉛、 鐵 、 .錫 、 そ の 他 英 國 品 及 び 外 國 品 を 三 十 一 萬 九 .千 一 1 W十一磅 •、 一 年平 均 一 萬 五 .千 1 一 . | |.: |磅撤 出し た M を 述 べ 允 : 0. 即 ち ■こ ® . 一 一 十 一 年 晦 の へ 總 輸 出 额 .は 九 十 三 興 1 |千 八 踩 九 十 ー ー 磅 で 、 そ の 貨 , . : 幣 ^ :商 品 ぢ の 沏 合 は 大 體 -: ビ : 1 ^ の 比 .で ぁ つ .た 。 : . こ 、 に : 興 味 ぁ 總 額 九 十 三 ® 1 千 /\辟 九 十 ニ 磙 の 中 > 東雄の產# に投 せ られ た額 は僅 かに , 三 十 七 萬 五 千 ニ |-1 八 :+八 磅 に 過 ぎ な い こ 迄 で ぁ る 0 し か も そ れ ^ 英 « に 齎 .: さ れ る 气 11 慕 四 千 六 : ; :评磅 に 寶 却 さ れ 、 英 國 か 厶 印 度 に 送 づ だ 貨 幣 及 び 商 品 の 價 格 0 ニ 倍以 上ビ なぅ, .M價 の 五 倍 を 超 :過 : した 。 來 印 度 會 社 及 び そ の 危 險 な る 航 海 .の 全 费 用 3 並 び に 舭 舶 の 沈 沒 及 び # 捕 に 依 つ て 生 じ た 損 失 _ « そ 0 ー 年 の 雜 收 入 九 路 五 千 四 ?| 十 七 修 を ^ って塡補 .さ れ た “ か 、 る E 大 な る 拟 失 を 以 っ ,て ,し て. ^ 飞 、 な ほ 印 度 株 の 應 .墓 者 に 大 な る 配 常 々 與 ,ふ る旨 を 宣言 す ゐ こビ •か出來た 。 從つて 1 ぶ 1 身は 英国 人 間 に 人 氣 が あ つ た 。 故 に 朿 印 度 會 社 が す で に 歸 航 し た 航 海 の 株 は 2L 半 以 J:に な つ た ビ 述 べ て ゐ るのも 噓では なか つた のであ る。 : : !上述の 」 l irl 莴 磅 餘 の 計 算 は | 「 六 ニ 一 年 ナ 一 月 ま で に 輸 入 品 の 販 賣 に 依 <つ て 得 た .もの で あ つ て 、 な ほ印度 に送 つ た 九 ± ニ 离 磅 ^ 依る巨 额の貯藏が _ .つ て ゐた 。 又 一 一 十 五 艘 の 船 舶 は 印 度 に あ る か 、若 し ぐ は來 洋 の產 .物を被 載: し て そ の 歸 逾 に あ つ た か & 电 か ぐ し て 得 、b る 、 ® 印 度 會 社 の 利 益 ど云 ふ も せ は -^に六 瓦农 ^ に 達 し た ら ぅ 。 こ の 評 價 は M u n の s § c § o f Tr ad e fr om En gi an d & t o th e Ea st M s に 依 つ て も 確 め ら れ る 。 そ の 數 字 は こ 、で は 省 略 し て 置 く 。 一 六 一 一 年 か ら ニ 一 年 に 至 . る間ど一六〇 〇 年 か ら | :0 に 罕 ー る 間 C を 比 較 す れ ば 、 « 易が 如何 に急 速 に進 步 した か を知 る こ ど が 出 來 る 。. 即ち 次 ぎの 如 ;く で 办 る 。 : 1 六 〇 0 ず ニ 六 1 '〇 年 . , 一 六 一 1 年 丄 六 ニ 一 年 地 金 銀 ニ 九 、 ニ 0 ニ « 四 九 四 、 六五 九磅 商 ロ HI, 五 」 、六 七 三破 ニ 六 七 、五 三 八 破 計 一「 七 〇 ズ 七 五 « 七六 | 1 >九 七 ® _ 大 體 id’於 い て 四 倍 乃 至 五 倍 に な つ て ゐ る 。 以 つ て 貿 易 の 發 達 の 程 度 を 推 測 す る こ ど が 出 來 る ^ 热 ふ ' : : . さらに東洋輸入 贸易の 容最 及 .び 性 質 の 變 化 し . て 來 た こ ^ に 就 . い て は > 一 .六 一 四 : 年 及 び j 六 ニ 一 年 第 二 十 ー 卷 ( 一 三 七 三 .) ;,: 浓 十 七 也 观 前 华 に 於 对 石 英 國 凍 印 揀 脅 社 の 狀 態 第 4* 淑 沁 セ

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i! 第 ニ 十 一 猞 a 三 七 四 ) : 竿 七 他 紀 前 带 Li け 石 英 國 東 印 響 社 の :狀 態 : 笫 十 戍 九 人 の ® 入 貨 物 の 'ニ個 の假 送狀に 依, って明かで ある 。き や ら こ の 賀 易 は 最 も 速 か に jiぐな っ で 。 L 、 一 四 年 に は 一 萬 ニ 千 五 西 反 に 過 ぎ な か っ た の が > 後 の 年 に は 十 二 萬 三 千 反 以 上 に な っ て ゐ る o 同 様 t 前 の年 には 商品の 全: 憤 格 :が ー 藍 千 破 晶 さ れ て あ る の が 、 .一 六 一 九 年 に は 七 十 ニ 萬 ニ 西 四 十 四 m a l d l e s . m a i d l を ^,心ハ J す れ ば 三 萬 六 千 破 に な っ て ゐ る 。 即 ち 一 六 :I . 四年 の倍 以上 ど な . CV 、 さ ら に ー 六 一 〇 年 S 比 較 す れ ば 三 倍 に 增 加 し て ゐ る 。 ひ u r a t に 於 け る 來 问 及 會 社 の 活 動 狀 態 を 知 ら ん ど す る に は 、 Su ra t く B a n t a m そ の 他 印 度 ^ 外 の 地 に 於 げる 彼 等の ^ 何ビ の ^ ^ 5入 に 就 い て 考 齋 し な け れ ば な ら な い 。 | 六 一 九 年 に # ft け の 、 即 ち 會 社 ジ •使 用 人 が 彼 等 自 身 の 勘 矩 で 行 な っ た 巨 額 ■の取引は 除い て、 j ニ 跑 九 千 九 西 一 王 ニ 破 で あ っ た◊ 內 , は 次 ぎ の 如 ぐ で め る ' . :. C I 〕 南 伴 方 面 べ の 賴 荷 、

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價 格 、 一 ニ 〇 ^ 3£ ー m a m u d i e s . ( 內 容 。 織物 類 、 拙花、 ^ 類 b 金 物 " 英 國 產 鐡 、, 玩 具 * 小 刀 、 國 王 用 の 黄 銅 砲 、 及 び 衣 .服 ) , 0 1、 紅 海 方 ^ へ の 賴 荷 。 : : : : 價 格 。 六 六 、 一 六 三 m a m u d i e s , ( 内 容 。 き や ら こ 、 印度 藍、 键 1 : -料 , 煙 苺 、 遠 服 鏡 、 , 小 刀 、廣 布 , 0 M , 鳥 銃 、 〕 ( 三 ) ^ 睃 へ の 1 何 。 : : : 價 格 。七 ニ 〇 、 ニ 四 三 3 | 1 1 蒙 . ( 容 。 布 ^ 、 血 玉 髓 * 印度藍、 同 粉 末 、 鐘 。 皮 紙 ノ 羊 皮 紙 、 滞刚、 謹 染 料 、 ff金 、 蠟 、 種々 なる 實 石 ) .:ム ち こ ク r i な グ " 、と £ ^ に 英 0 ど G r jl^ の K の取引のみなら す、 姐 細 1 [[ 1 の 南 部 や 两 部 に も取 細 1|1? の J ^ l l . . . . — ,—j ! i . . . . . . ! ^ ^ . i f 1 .

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他 の 商 品 s す る 十 i l 印 度 ? 直 接 , さ れ る I I I ! す .る -V 0 戶 ル ヵ 、ら 英 國 に 輸 入 さ れ た 主 な る 商 爪 J e t s J ? s e | 昼 to P 3 5 „ 1 : i s i i f 印 皮 ミ 於 け る I の 相 I 、 a as to b l Tr ea su re in to th is K i n g d o m e :' ; T h e Re as on s to p s v e th at th e E, I: tr ad e i s ;. 呼 ぷ 文 書 の 中 に 現 れ で ゐ ,て : : 胡 椒 " ニ 、 五 〇 〇 d 〇 o 封 度 丁 香 、 Nu tm eg s. Ma ce s. 藍 , 支 那 絹 , き -や ら こ 、 I 0 S 0 0 i 五〇 、 〇 o!o 同 五 〇 、 〇 〇 〇 .伺 ニ 〇 C T G o〇 同 , I 〇 七 M 四 〇 间 印度に於け る價格 ニ 片 ( M 0 は ニ 片 半 ノ . 九 片 ' 三片 ( ^ 目 は 四 ^ ) _八 片 三片 ( M u n は 一 四 片 ) 七 志 七 志 ブ 計 難 に ,依 .る ど 、 . 五 〇 " 〇 o 〇 反 . ( 六 1 1 四 .年に 東 印 度 # 社 が 難 # に 提 出 し た 追 に も拘 ら ず * 贸 易 は 急 速 に 發 M し たら し い。 U 、 ニ 、; .U , :' : ! J . , 第 ニ ナ 5 ( 霧 I l f 英 “ : ^ | 1 ニ I 月 i 英 國 に 於 け る 價 格 .. 1 0片 -六 志 . 六 志 六 :!!:: ( M u n は ニ 志 六 片 ) .六 志 、 ' .五 .志 _ ニ 0 志 ” 、 ニ 0 志 六 ニ I 年 以 降の ㈣ 年即に 、 和蘭の 迦 .第 十 號

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S 十 I # C I 三 , 七 六 ) . . .第 十 七 世 紀 前 半 1- け る 英 國 朿 印 蜜 社 の 狀 f 第 十 绒 , 1 0 0 : 日 去 で の .地 金 銀 .の 輸 出 は ニ 十 六 萬 四 千 五 百 十 六 磅 , 一 年 :牛 均 六 萬 六 千 ? 十 九 磅 に 達 し た 。 同 じ 時 ' 期 の 輸 入 品 .は 百 二 十 五 萬 :五 千 四 西 四 十 四 破(印 度 , に 於 :い て 和 蘭 か ら 蒙 つ .た 損 失 の 賭 償 撤 を も 含 む) : に '販 .賣 さ れ 、 I 年 平 均 三 .十 1 萬 三 千 八 西 六 十 1 磅 < な る 。換 言 す れ ば こ れ 等 .:の 四 年 間 の 平 均 は 一 六 〇 Q 年 か ら 一 六 ニ 0 年 に 至 る ニ 十 一 年 間 の 年 均 ょ ぅ も 輸 出 に 於 い て は 五 割 の 增 加 に 過 ぎ な い が 、 輸 入 に 於 い て は 高 價 な 商 品 を 積 載 し て 數 艘 の 船 舶 が 歸 航 し た 、めに 、 急 激 に 三 士 一 割 九 分 の 增 加 を 鬼 た 。, 當 時 柬 印 度 會 社 は そ の 外 に 印 度 に 一 一 十 四 の 船 舶 f f も 八、 九 十 萬 :#:の 價 値 あ る 商 品 S を 所 .有 し H ゐ た 。當 時 東 印 度 會 社 が 國 家 に 與 へ た 貢 献 も 少 な く な い 。 や が て 英 國 の 海 跟 カ を 養 成 し た .も の ど '見 ら れ る 一 萬 噸 の 船 舶 を 所 有 し 、 一 一 千 五 百 の 水 夫 を 使 用 し た 。 そ の 外 多 ぐ のH E を 使 用 し た 。 さ & に 今 迄 土 耳 古 や リ ス ボ ン で 支 拂 つ て ゐ た 四 分 の , 一 め . 價 格 で 柬 印 度 の 產 物 ;を供 給 し 、 胡 椒だ け で J 年 に 二 十 萬 磅 を 輸 入 し 、 ,:そ . Q 十 分 の 九 を 輸 出 し た 。 將 來 'は 國 王 の關税 :.に每年五萬磅を支拂ふやぅ に な .る ^ 見 ら れ た 。 : . ■ _ 以上 の 敍 .述 は東 洋 贸 為 ,の 重架 さ を少 し ぐ 誇 張 し て ゐ る が 、 東 印 度 會 « がその難船又は 競帮 國の 傘 ' .拙に 依, る 大 な る 損 失 に も '拘 ら す " 景 氣 の ょ い 狀 態 にあ つ た こビ :は 疑 な .い 。 な ほ 輸 入 品 に 就 い て .は 、 こ れ 等 の 四 「 年 間 に 派 逍 さ れ た 1 r 十 六 艘 の 中 十 一 1艘 が 齎 ら し た も の を 見 ..る ビ 、胡 椒 " 丁香 、肉 蓝 蔻 類 、 :ei j度藍 、 きや らこ v 藥 品 " , 支 那 及 び 波 斯 絹 で あ つ . た , 最 後 の 絹 は 一 六 -:一一 1® の兩 年に 輸入さ れ た 'も の .だ けで、 英 國 に 於 い て 十 九 萵 磅 の 額 に 達 し た 。 こ れ 等 の 輸 入 品 の # 三 分 の 一 が I に 於 い て 禪找 され、殘 阶 は 大 陸 に 輸 出 さ れ た 。 こ れ 等 :の .商 '0 の 價 .ば 依 然 利 益 の .多 ぃ .も の で ぁ っ た が 、 度 に 於 け る 原 慣 の 2:: に版 賣さ れたが 、 今は 約 .四 倍 ぐ ら ゐ ,で あ っ た 0 .一' 六 一 『 四 年 か ら J : 六 一 I: 九 年 に 庚 る 六 年 間 自 ら 印 度 .に あ ぅ し 、 Ri ch ar d W y i d e に 依 ^ ば 叩 ^ に ^ 、ナ る 來 印 度 & 社 の 收 支 の 主 .な , る も の は-> ^ 」 を 表 未 す れ ば 大 體 次 ぎ の 如 ぐ で あ る 。 二 六 ニ '^丨九年 に於 け る. 來 印 度 會 社 の 質 易 ; ( n 英 國 Su ra t: 送 ら れ :だ る 貨 幣 及 び 商 品 . 三 七 2£ 七 五 五 磅 ( 一 1 }東 方 0 .商 做 ょ .り :洽 ^ : に 送 ら れ た る 貨 幣 及 び 商 品 四 ||| 、 九 八 0 破 ;:: , ' s l に於い て^ 用し 得 ら れ し 資 本 總 额 脚 一 九 、 七 | | |五 磅 : X I ) 右 0 中 ょ り 貨 紙 及 .び商 品 に .て 他 に :送 ら れ し :分 ‘ : .' . c a . ) 波 斯 、 -: : 1ぐ 五 .九 、 四 1 . 1琴 全 體 の 一 割 四 分 : f . ミ : .:. :踉 九 、 1 | 七 磅 ■ : ; 同 」 .一 割 一 分 ® ® , u c c y M & a . . 1 三 、 四 九 5: • 同 四 分 . § S I ' の 税 關 に 支 拂 S るもの 、 . 三 ニ 、 八 ニ 三 磅 , 全體 「 の | 贫 0 分 :の 三 < 三 > 、 英 國 に 於 け る 投 資 に 對t る 控 除 、 • 一 三 七 " 九 九 一 磅 ’ 同 三 割 ニ 分 す 四 分 の 三 • ( ) . 東 : 洋 に 於 け .る 諸 费 用 、. H H A i四 九 五 磅 、 同 三 割 : 以 上 に 依 っ て 見 る も 來 印 度 會 祉 の 全 事 業 の 中 心 は S u r a t に あ っ た V 云 .ってょ い。 ぎ 锋 商 館 の 總 督 は 他 の X 國人 の 商 & を 營 /> ゐ .た地 方の商務をすべて管理 'して ゐた 。 上揭 .の * ぐ 南 洋 方 面 、 支 .廣 尿び 紅 海 方 而 の .貴 易 は :、 英本 國か ら 虛接 ’ B a l m .に ;送 ら れ た も の 、 舛 に 、 S u r a t - 於 い て 響 t.f . :第 . U 十 I.. 怨へ一三 七, 七 ) . ,紙 1:;七 .他 紀 前 中 1; け ー る 英 國 :來 叫 度 會 社 0 ’狀 態 筋 '十 破 5 」

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费 ニ 1 1 卷 u 三 七 八 :> 第 十 七 世 紐 前 平 U 於 け 各 英 國 來 印 度 脅 瓯 の 狀 第 十 潔 一 o i i ■ る全資 本クニ韵九分五迪ヵ # 宛 て ら れ 、 又 そ ®.三 .割 が 印 度 It げ る .設 立 物 維 持 • 約 八 分 が ' »1 «'に ハ 消 費 さ 扣 た 0 で あ る 如 & , "英 國行 の 印度 .品 購 入 に 投 > ら ^ でぁ っ た ? 1’ ず : B a n l M o ch a , P e rs i a 等 S W された印度品、 他 方 に ‘こ れ 等 の 一 ニ 地 方 に 於 け :る 商俯 維 持 .に 毀 さ る 、 貨 被 を 考 慮 し て 、. 當 時 に あ つ て は 東 印 度 會 社 の 輸 出 の g 分 の 三 は 印 度 本 土 に 於 い て ? 5 S つ て よ い で あ 、 ら ., フ 。 S I に 於 け :る英 國質 易 の 範 圍 は 大 體 に 於 い て そ こ で 支 拂 は れ .た .購 稅 .に .依 :つ そ 郭 價 す る こ ビ が 出 I O 關 稅 率 は 輸 出 入 共 平 均 ー 一 分 S で あ つ た ? 、 前述 の ? I 定 し て 、 こ の S ® こ I . . し た 貨 物 及 び 地 金 銀 は 約 1 宇 .ー 萬 1: | 九 西 1 1. 十破 I る 。 即 ち 當 時 英 國 .が f t に 於 い T I C , ゐ た 貴 易 額 は 少 ぐ ど も 一 年 ニ 十 二 萬 ? 見 做 されょ ぅ: 。 そ こ で 以 上 一 六 〇 :一 年 以 後 ,十年每 の 全 輸 出を 比 較 し て 見 I 、 最 初 の 十 年 は 十 七 萬 ニ 千 破 、次 ぎ の 十 年 間 が 七 十 六 馨 、 こ の 十 年 間 、 ® ち I:, ニ一年 から 三〇 年 の 間 は 西 六 衡 四 千 破 で あ つ て 、 第 二 期 ょ -0 .む 四 .割 .0 增 加 .で あ る 。 ;;■ 輸 入 ■ 價格に 就いて H る場合に 0 . , あ る 場 合 に .展 賣 慣 路 が 記 載 し て あ る た め に 精 確 : な ,」 か ,解 ら な い 。 .然 し 輸 入 品 は 大 體 英 國 に 於 い て は 少 な < 6も 旅 偵 の ゴ 一 倍 又 は 四 在 に な つ 2 し 、 ) : 又 ニ 十 守 間 の 輸 出 辟 十 九 萬 七 于 磅 か » 入 三 百 ニ 十 六 萬 破 を 生 じ た こ ど か ら 推 定 す る ど 、 一 し 、 ニ 一 V ::か ら r 六 三 〇 年 の 間 に 服 賣 儐 格 一 1 H五 十 落 磅 を 生 6 た ど 見 ら れ :る 。 t し この 一 丄こ ニ 年 以 後 東 印 度 會 » は 前 述 の 如 .ぐ 頗 る 逆 境 に 陷 入 つ た . 。 極 々 な . る ^ 因 が _ げ ら 1 .和 腹 人 め I 傘 補 、 同 f 同國 人 に 對 抗 す る た め .、約 ( -丨 .こ にu j j j , ミ : : I f i • I I 則 士 U ノ 諸 王 ど の 戰 S た め 贸 易 の 亂 脈 ~ I の 雜 多 の 督 が 相 重 な っ V 度 M L fr B M q l f f t い | _ し 春 I 。 i f w せ ん " す る 悲 し い 相 f へ I れ た ぐ S て こ の は : ^^^ し た ^ ぐ 六 ご 八 冷 株 式 論 に 失 敗 し た の で ぁ っ た 。 同 じ 年 S 印 度 會 社 f 爾 「 一 六 三 〇 年 以 後 に 於 い て は 事 ® は 益 々 惡 く な 气 業 務 も 次 第 に 衰 徼 し た 。 そ の 最 大 な る す f 攀 I 气 そ の 印 度 に 於 け る 掠 奪 、 従 .? I に 於 け る 賓 の 涂 V 及 王 力 f f f が に I け た こ 士 は 甚 し ぐ 東印度會社の 靡 I 加 し た 。 0 O C I I I I ふ の は 一 六 一 ニ 五 年 に E n f on P I の 權 勢 に 依 : っ て 特 許 狀 を 獲 得 し 、 s f i f 奴 s d t で g l n W O I そ の 他 の 人 々 が 東 印 度 S に 從 事 し た 觸 體 で ぁ っ た 。 f 度 I を I I し め た 他 の 一 っ は 印 I 於 け る 频 着 る 饑 儘 | っ た 。 ゐ ^ 。 s c /r L 甚 こ れ 等 の 時 S I 書 に 鏡 傅 の 慘 澹 た る 情 況 の 馨 に 滿 ち P 次 I t T 1 死 す I ■ 人、 從來數千人 の人 口の I た 所 に 人 影 I f 得 ず 、 往 來 こ i f 〜 こ れ を 埋 葬 す 4 も な か っ た 荟 ふ 。 こ の 慘 劇 の 裏 者 I 細 f 第 i : l i ( I 七 九 ) 第 十 七 世 紀 前 半 に 於 け る 英 阐 來 印 肥 會 社 の 狀 態 第 ., 處 一 i .

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第 二 十 5 ( I 三 八 〇 ) 第 .十 七 世 .紀 锨 中 U 於 け み 英 國 來 印 度 會 :社 の 狀 ■ 第 十 鱗 一 O 0 錄 を 尋 し て ゐ る 。 ( ® 參 照 ) か、 る狀態 にあ って印度品の ® 格 は 倍 加 し 、 之に 反 して 英 國 > その他 の歐 洲品 が著 じ ぐ 下 落 し た の は 當 然 で あ っ て 、 從 :っ て ® 印 度 會 社 の 如 き も そ の 打 擊 を 蒙 っ た o ,へ然しか、 る狀態 にあつたにも拘らす > 東 印 度 # 社 が な ほ 事 業 を 繼 續 し 得 た の は 、 多 少 こ 、 に こ れ 等 の 狀 態 を 緩 和 し 得 る 事 情 が あ づ た か ら で あ ら ヶ 。 即 ち 來印 度會 社 .が :印度 0 沿 :岸資 易に 成功 し たこ 气 波 斯 絹 の 贸 為 に 著 し き 改 善 を 見 た こ ^ 、 o o m b r o o p il税が 緩和さ れ: た こ ビ 、 on . 黄 B e n g a l 及 び ; S b d .ど の 新 し い 商 業 關 係 の 開 始 に 依 っ て 安 價 な 商 品 を 購 求 し 得 た ,S , 和 蘭 ^ ® 荷 牙 の 戰 淨 及 ガ . ^ハ 三 .四 年 の ' G o a の會 議 が 從來 > >れ 等 の 國 民 .の 手 に あ っ た .貴 易 の 夫 部 分 を 英 阈 人 の 手 に :移 す に :衷 っ 衣 こ % 等は ® 印度 翁社 に多 少の '利益を與へ たの、 で あ っ た 。: 1 六 三 0 年 代 に 於 け る 英 國 の 輸 入 额 は 資 料 な き た め 、 精 確 に は 解 ら な い 0 輸 入 贸 恩 :の 性 質 に は 大 し た '#化 はな く 、 唯 ;p e -s. v C Q r o m a n d d , 及 び B s g a i か ,ら の 輸 .入 量 が 僧 加 し た ぐ ら ゐ で あ つ た 。 こ •0. '-» |間 に 於 け 石 東 印 度 會 社 の 輸 出 额 は h i O B 0 O の資 料 に * けば 、 七 十一 翦 七 千磅 以上 に達し て ゐ る パ 伹 し こ の 期 問 に 就 :い :て ニ 0 , . の 資 料 が 缺 け て ゐ る 。 即ち 一六三 四 年に .印 度に 送 っ た 商 品 の 價 格 か # .っ て ゐ な い 。 又 船邮 六 艘の a f佩の 記 錄 が な い 。 以 上 缺 陷 を 認 め 、 さ ら に c o u r t e s . 會 社 の 十 一 一 • • » 以上の輸出商品 及 .が * 幣 を 加 算 す ヘ る 1 六 1 1 0年 代 の 十 年 間 に 英 國 か ら 輸 出 さ れ た 總 額 は 恐 ら { 九 卄 ^ « を 出 «- /:らぅ。 m 印皮 #-社 ‘の 事 業 の 衰 へ た こ ど は 一 六 一 1 0年 代 に は | 年 平 均 十 萬 ® で あ っ た もの か 、 七 與 五 午 » (:減 少 し た の を 見 て も 解 .る 。 そ の 上 又 前 述 の 如 く 、 co ur te ea s As so ci at io n の 海 賊 ' 盼 行 爲 , 競 爭 等 に 依 っ て 多 大 ,の 損 害 を 蒙 0 た . の で ぁ ;っ た 。 , , ' M ハ 四 〇 年 代 r なって、 さ ら に又 新 し い困 猶 が惹 起 した 。和蘭ビ « 葡 牙 ビ の 毕 和 條 約 が 締 結 さ れ 、 相 互 の 敵 意 が 終 り を 语 げ た 結 來 、 .英 國 は 葡 萄 牙 の 諸 港 に 來 涕 品 を 供 給 す る 必 耍 が な く な { 、 I ® に, 間 の S も 著 し i 少 し 新 し ぐ 競 f な け れ ば な ら な ぐ な っ た 。 次 ぎ に C o r o m a n d e l 沿 摩 の 贸 易 が v _ l a r 國 王 ^ その賦 .下 萆 の 爭 、次 い :で 间 國 主 ? # . 1 及 び G O I C O n d a h の 近 國 ど 找 S が : . ' !れ た 、 め に ’殆 ざ 駄 目 に な ? し ま っ た 。 0 0 P 0 る 還 に 加 .ふ i 儸 Q 慘 狀 を 以 っ T し た の で 、 ; ? ■- 業 も 還 も 當 lli の 印 役 に 於 い て は 著 し ぐ 衰 微 し た 。 次い で 英 國 肉 に .於 け も 內 亂 に 甚 ぐ 變 動 が 生 じ た : 」 > の こど は 當然 311 印 度 會 «|: の 贸 易 に 有 害 な ら ざ る を 得 な か っ た 0 先 .づ | 大 , !1 擊 は ^ 1 し 2 : 波 斯 f の 質 :興 に 與 へ ら 办 た 。 共 和 鐵 の 質 實 嚴 酷 : ;^ る風は洗媒された王 f は 興 ? 、 媚 の 靈 を 續 「 沙 せ し め た 0 又 國 王 I 首 ど 5 震 蕊 K G o m b r o o n i l l れ あ っ た 。 又 和蘭 船が 胡叔 ' を 猜 載 せ る 英 船 を 傘 補 し 、 英 國 人 は 叛 逆 溃 に し て 國 王 を 有 せ 畜 云 ぶ 理 由 を 以 っ 弋 何 等 の ぽ ^ を も :ナ さ プ 力 つ f . 一 プ 四 ニ 年 1 4 六 ^ pi ど の 典 國 人 に lil す る 和 蘭 の ‘報 吿 に 依 る も • 彼等が商賣上大し た こ I な さ な か っ た こ 1 不 し て ゐ る 。 こ の 時 代 は 和 麗 通 で あ っ て . ® I も p T I に . 於 け る J 牙人 は寺 の 鼠. の や ぅ に 哀 れ な も の で あ っ た I は れ て ? 。 又 英 國 の 寶 S し < 衮 微 し た の .:.で 、 一. 六四 六年 に 和_ 人 は 英 國 人 が 商 賣 を 續 け て や る の :か 如 何 か ど 怪 し ん だ < 1 で あ っ b J 六因ニ 年一 月 .の あ る英 國商 « Q 報 吿 は . ょ ぐ こ の 狀 態 を 示 し て ゐ . る 。 (E ng li sh . Fa ct or ie s, vo l. 16 42 丨 45 . p ' 2 2 0 又丁 抹 は 云 ふ に 足 ‘ら ず 。 實 に 和 蘭 の 天 下 で め っ ^ のであ る。 c i 度 0 獲 が 如 何 な る も の で あ つ 忘 I し S く こ ミ i T I の 狀 態 I 解 I 上 § な こ で あ る 萬 ふ か ら * 货 1 1 .11 饴 . ( 一 三 八 」 ) 第 十 七 # 紀 前 平 U 於 け る 英 國 來 印 度 會 社 の 肤 ■ 0 J 一 o £

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