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( 3 ) 地域の若者の地元志向

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(1)

14.1.3 若者の職業選択と創業意欲に関する諸課題

  近年、各地域において、企業家輩出を通じた産業活性化のための様々な仕組み作りが進 められている。その一方、多数の若手企業家が活躍する地方都市は必ずしも多くない。

  中高年企業家に比し成長意欲の強い若手企業家の輩出は、地域産業活性化のためには極 めて重要である。地域から企業家精神に富む若者を輩出する風土の醸成、並びにそのため のシステム構築が今求められている。

  本項においては、地域の若者を代表する存在として、地域の学校(高校・大学)に通う学生 達に焦点を絞り、その進路選択と創業意欲を調査し分析を行う。

  事例地域においては優れたシーズを保有する企業家は多数存在しているものの、その中 で若手企業家は一部に限られている。何故、地域に若手企業家の輩出が見られないのかと いう問題意識が本調査の原点となっている。ここでは、(1)調査の方法、(2)地域の若者の 創業意欲、(3)地域の若者の地元志向、(4)教育現場の状況、(5)調査結果のまとめ、につ いて順次論じていくこととする。

( 1 ) 調査の方法

  本研究においては、研究目的を達成するために、事例地域である群馬県太田地域内の4 高校、及び事例地域周辺に立地する国立大学工学部2校の学生を対象とする調査票留め置 き方式のアンケート調査を実施した。また、補完的に、調査対象各校の責任者(校長、教 頭、工学部長等)にヒアリング調査を行った。

  調査対象となる高校については、事例地域内の公立普通高校(太田高校、太田女子高校)、

公立実業高校(太田工業高校、太田商業高校)を選定した。調査対象となる大学については、

機械金属系製造業の一大集積地である事例地域との関連性を考慮し、首都圏北部地域を代 表する国立大学工学部(群馬大学、宇都宮大学)を選定した。

表14−6 調査対象、回収数、調査項目

調 査 対 象 回 収 数  調   査   項   目  1.太田高校・2年生   131(40.9%)

2.太田女子高校・2年生 148(46.3%) 3.太田工業高校・2年生 179(74.6%) 4.太田商業高校・2年生 271(96.8%)   (高校生小計) 729(65.0%) 5.群馬大学・工・3年生 196(27.4%) 6.宇都宮大・工・3年生 136(28.6%)   (大学生小計) 332(33.1%)   総 合 計 1,061(50.0%)

a.地域の若者

  学科、出身地、性別、続柄、

親職業、家族の影響力 b.進路選択

  希望就業地域、希望職業の有無、

  職業選択の方向性、就職観 c.創業意欲

  創業学習歴、ベンチャーの理解、

インターンシップ等の経験、創業観

  (1―2は2000年9月調査、3−6は2001年7−8月調査)

(2)

  大学生については、大学発ベンチャー輩出のポテンシャルが高いとみなされている、地 域の名門二大学から332名分、高校生については、首都圏北部地域の中心に位置する群 馬県太田市にある4公立高校から729名分、計1,061名分の回答を得た。

全ての大学・高校を網羅することは出来なかったが、各校のご協力のおかげで、1,0 00名を越える本格的なアンケート調査とすることが出来た。

本調査は、高校2年生、大学3年生を調査対象とし、進路を明確化すべき時期の学生の 意識に焦点を当てている。調査票の設問については、表14−6に示されている通り、「a.

地域の若者」の属性に関わる諸項目、及び彼らの「b.進路選択」及び「c.創業意欲」

に関する諸項目を設定している。

調査項目の選択に際しては、分析を通じて、創業意欲の高い若者の特徴、そうした若者 を地域に多数輩出する上での課題等を明らかにすることを目指した。

  (2)地域の若者の創業意欲

  地域に若手企業家を輩出するには、創業意欲の高い若者達が地域で活躍したいと考える かどうかに依存している。

図14−1  各校の創業志望者、安定志向者等の比率

  本調査においては、地域の若者達がどの様な職業選択を今考えているかを、「ア.公務員、

イ.大手民間企業社員、ウ.民間企業社員(企業規模にこだわらない)、エ.専門的資格を取

創業志望 専門自営 0% 安定志向

5%

10%

15%

20%

25%

30%

35%

40%

45%

(3)

未定、ケ.その他」の9つの選択肢の中から一つ選んでもらう形式で問うている。

各校の創業志望者(カを選択した者)と安定志向者(ア及びイを選択した者)、やや独立性の 高い職種として専門自営業志望者(エを選択した者)を比較分析すると、図14−1の通りで あった。公務員・大企業という安定志向の選択肢を選んだ学生に比し、創業志望の学生は、

各校共、少ないことが見て取れる。

  進学校である男子普通高校では、創業志望者は皆無に等しく安定志向者比率は最も高い。

  実業高校学生の安定志向者比率は相対的に低く、特に商業高校では「将来自分の店を持 ちたい」とする女子学生等が創業志望者となっている。

また、工業高校を中心に、高校生では希望職業が未定という回答が多い。

大学生では、民間企業(規模にはこだわらない)に勤務するという選択肢を選んだ者が最も 多く、安定志向者と拮抗している。

  一方、群馬大学工学部学生の72%、宇都宮大学工学部学生の66%が、別の設問で「公 的機関や大手企業に就職しても今後は終身雇用が保障されない」という認識を示しており、

寄らば大樹型の人生を送ることは徐々に困難となっていくと理解している学生は多い。

  親の事業の後継希望者は、工業高校学生では2%、宇都宮大学学生では1%いたものの、

普通高校学生、商業高校学生、群馬大学学生では0%であった。

  実業高校学生の親には自営業者・経営者が多数いるものの、ほとんどの学生は事業の後 継を希望していない。地域中小企業の将来像を理解する上で重要な事実である。

  また、図14−2に示される通り、高校生段階では進路選択に関して、母親の影響を強 く受け、大学生になると父親の影響が強くなってくる傾向も見られた。

図14−2 両親の影響力

父親に相談 母親に相談

0%

10%

20%

30%

40%

50%

60%

70%

構 80%

成 比

(4)

  女子高校生の約80%は母親が進路選択の相談相手である。

子供の低年齢時における母親の役割の重要性が示されている。

全回答者1,061名の中で創業志望者は僅か25名に限られていた。

地域において若手企業家輩出の仕組みを構築するためには、彼らの特徴を明らかにする ことは極めて重要である。そこで創業志望者の調査票を精査したところ、彼らには二つの 特徴があることが判明した。

一つは、創業志望者の約半数(12名/25名)は、親の職業が自営業者・経営者であると いうことである。

先に述べた通り、親の事業の後継を希望する学生は各校とも非常に少ない。その一方で、

創業意欲の高い学生は自営業者・経営者の家庭から輩出されやすい傾向がある。

  自営業者・経営者の家庭から企業家が輩出されやすい傾向については、早稲田大学アジ ア太平洋研究科の松田修一教授らの研究成果とも符合している。

創業志望者のもう一つの特徴とは、現時点でやりたい職業が明確化されているというこ とである。創業志望者の約90%(22名/25名)はやりたい職業が明確化されている。

  創業志望者が少ない理由の一つは、実は、やりたい職業が明確化されていない若者が多 いということでもある。

図14−3 やりたい仕事のある学生

本調査においては、現時点におけるやりたい職業の有無を質問している。

  調査結果によれば、図14−3に示されている通り、高校生・大学生を問わず、各校の 50−60%の学生が、現在やりたい職業があると回答している。

裏を返せば各校とも40−50%の学生がやりたい職業を見つけていない。

何をしたらよいか分からない学生が大量にいるという事実を直視する必要がある。

  創業志望者の40%弱を女性が占めている点にも注目する必要がある。

0%

10%

20%

30%

40%

50%

60%

群馬大学 宇都宮大学 太田高校 太田女子高校 太田工業高校 太田商業高校

(5)

専門的資格を取得し自営したいという比較的自立意欲が強い選択肢を選んだのも、女子 比率の高い女子普通高校と商業高校の学生に多い。

企業家輩出源として注目されている大学生については、熱意ある学生は一部にいるもの の、まだ十分な創業教育が提供されていない状況である。

  ベンチャーという言葉を「ア.良く知っているか、イ.聞いたことがある程度なのか、

ウ.知らないのか」について質問している。「良く知っている」を選択する場合には、知っ ているベンチャー企業名を2社記入してもらうという条件下で「良く知っている」と回答 したのは、群馬大学工学部学生の9%、宇都宮大学工学部学生の1%と少なかった。

両校共、約90%の学生は「聞いたことがある程度」の知識しか有していない。

図14−4 大学生の創業学習についての考え方

  図14−4に示されている通り、約半数の大学生が創業に関心はあるものの「学習機会 が不足している」と考えており、無関心の学生を人数で上回っている。

また、両校の学生共、インターンシップ等の経験を持つ学生は6%にすぎず、80%弱 の学生が「技術的知識が不要なアルバイトの経験しかない」と回答している。

既に創業のために行動を起こしている学生、情報収集している行動型肯定派学生は、両 大学で5%以下であった。

「興味はあるがどのように創業に向けて動き出せば良いか分からない」模索型肯定派学生 は、群馬大学学生の41%、宇都宮大学学生の48%に達する。

創業志望者もこの中に含まれており、この層を教育しモチベートすることは、企業家の 裾野を広げる上で重要なポイントと言える。

群馬大学 宇都宮大学 0%

10%

20%

30%

40%

50%

60%

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( 3 ) 地域の若者の地元志向

 

デルコンピュータやマイクロソフトの創業者達は、学生時代に創業し、その後中退を余 儀なくされるほど事業に成功していった。

  学生は大学発ベンチャーを輩出する上で重要な源泉の一つとみなされよう。

  地域には、学生の他に、企業内若手人材がスピンアウトするという若手企業家輩出ルー トもある。しかし、学生段階、あるいはそれ以前の段階で、ベースとなる創業意欲を持っ ていなければ、一旦企業に勤めてから早期に思い切ることは難しい。

「地域から若手企業家をいかに輩出するか」ということは、つまるところ「創業意欲のあ る人材が地域の高校や大学にどの程度いて」そして「そのうちどの程度の人材が地域で活 躍しようと希望しているのか」という問題と密接な関係にある。

学生達が学校の立地する地元地域で将来活躍したいと考えるかどうかは、地域産業の活 力を担う人材輩出という点で重要な問題である。そこで、本調査においては、「ア.学校の 立地する地元地域、イ.東京などの国内大都市、ウ.国際的に活躍、エ.その他地域」の 中で、活躍したい地域はどこかを質問している。

  若者が学校を卒業後、地元地域に残り活躍しようと考えるのか、それとも大都市、主と して 東京 に出ていくのかどうか。この点に焦点を置いて分析する。

  図14−5に示されている通り、学校によりかなり傾向が異なっている。

まず、目を引くのが男子普通高校生、女子普通高校生の大都市志向の強さである。

  50%前後の学生が大都市で活躍したいと回答している。

  地元に残りたいとしているのは男子普通高校学生の8%、女子普通高校学生の16%で あり、国際的に活躍したいと考えている学生よりも少ない。それに比し、商業高校の学生 は、43%が地元周辺で働きたいとしており、地元志向が強い。工業高校の学生も37%

が地元周辺で働きたいとしており、大都市志向(41%)と拮抗している。

明らかに、実業高校と普通高校では、地元志向の面で異なっている。

  大学生の場合は、高校生に比し出身地が多彩であることもあり、将来活躍したい場所は 分散している。地元(大学の立地する県内)志向、大都市志向、共に20%前後となっている。

各学校の地元志向者を精査したところ、「安定志向が強い」という特徴が見出された。

  地元志向者の中で、創業志望者は工業高校学生に僅か一名いるに止まっていた。

  各校における地元志向者の安定志向(公務員希望+大企業希望)は、非地元志向者に比し強 い。特に普通高校学生の地元志向者については、公務員志望者の占める割合が高く、定年 まで一つの組織で活躍したい意向も強い。つまり、「地元で働く」と言うことは、「県庁、

公立学校、市役所といった職場で定年まで働く」と言うことになるのである。

実業高校の地元志向者では、希望する職業が不明であるとする者が最も多く、安定志向 者と同程度の民間企業(規模にこだわらない)志望者がいる。そして、親の事業の後継希望者、

専門的自営業志望者も一部おり、結婚後は家庭生活を中心に据える意向が強い女子学生が 多い等の多様性が見られる。

(7)

図14−5  地元志向者と大都市志向者    

普通高校学生に比し、自立した人生を選択するようモチベートする余地は残されている。

特に、家庭生活を結婚後は重視する者の多い実業高校の女子学生達に、地域においてS OHO的な形態の企業家として自立していくという選択肢を示すことは有益である。

  両大学の学生の地元志向者については、安定志向は強いものの、就職した後に転職を通 じてスキルを向上させていきたいとする者が多い。

彼らは卒業し社会人となった後に、転職を通じて一定のスキルを蓄積する。

在学中のみならず、卒業後のスキル蓄積の過程でモチベートすることも企業家輩出には 有効であると考えられる。

(4)教育現場の状況

  ここでは、アンケート調査対象とした普通高校、実業高校、大学工学部の教育現場の状 況についてまとめることとする。

今回調査した男女の普通高校は、共に進学実績の高い名門校である。

  両校にヒアリングした限りにおいては、名門大学への進学実績を高めることが最重要な テーマであるのが現状である。

  全国的に進学校は「大学を出た後どのような人生を歩むか」という観点より、「いかに希 望の大学に入るか」という観点の方が強い。これは、顧客である学生とその親の期待に、

学校側も忠実に対応してきたということである。両校も、今後もしばらくはこうした傾向 が続く可能性は高い。

群馬大学 宇都宮大学 太田高校 太田女子高校 太田工業高校 太田商業高校

地元志向 大都市志向 0%

10%

20%

30%

40%

50%

構 60%

成 比

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  しかし、先生の側も「一流大学→一流企業」という人生航路が不安定化している実状は 理解していた。 大学卒業後 について考える時間をもっと作る必要があると感じているよ うであったが、創業教育まで飛躍することは難しいようだ。

  商業高校では、躾の教育、バーチャルな会社経営実習等、実践的なアプローチを採用し ている。進学を希望しない学生も多いと言うことで、より具体的なスキルを持つ学生を育 てたいという意向が強い。この点で普通高校とは学校の姿勢がかなり異なる。

一部の熱心な先生の主導により、既に企業家教育的な内容が多少なりとも盛り込まれて いるプログラムを実践しているのは注目に値する。

  工業高校には地元メーカーに勤務経験のある先生も在籍している。産業界の実状に明る く、その動向に非常に敏感であった。

  就職組の学生達は、昔は地域の大手企業の工場に多数採用されたが、このところそうし た大手企業の採用が減少している。地域の工業が衰退すると工業高校生の就職先が無くな るので、地域産業の活性化を意図する今回の調査にも関心を持っていた。最近は進学組も 増えてきたが、手に職を付けたいタイプの生徒も依然多いとのことであった。

  工業高校を出ていきなり創業というのは難しいだろうが、独立や親の工場の後継には経 営的な面も重要だという認識であった。

両校とも、少子化の中、定員も満たし、退学者もほとんどないという状況であった。

  群馬大学では、単位認定される創業系講座がないものの、地域共同研究センターでセミ ナーが行われている。大学の卒業生には、著名経営者である花王の丸田氏やサンリオの辻 氏がいるものの、あまり母校との連携はない。

  若手企業経営者が群馬大学から輩出されないが、地場のオーナー企業に勤めると使用人 として扱うので若手がトップに立つことは難しいという意見があった。スタッフと経営者 がパートナーというような社風の企業が増えると違ってくるだろうとのことであった。

  インターンシップは導入されているが、リエゾンオフィスがなく、若手の教官個人が窓 口となって多くの学生の世話を見ていた。事務量が大変であるとのことだった。

留学生にはハングリー精神のある学生がいるという意見も聞かれた。

  IT分野を担当する情報工学科は、数学科的な色彩があり、あまり創業につながる分野 の研究室はない。一方、機械システムの分野は設備投資が必要となり、学生が創業するの は難しい。大学発ベンチャーとしては、学生より教員の方から生まれる可能性の方が高い という意見が聞かれた。

  宇都宮大学も、著名なOB企業家はいないが、企業の内部で昇進しているOBは多い。

中堅の技術者を大企業に送り込むというパターンが長く続いてきた。

  地域共同研究センターでは、コンサルタントの横林氏を秋山センター長が招き、単位と なる「ベンチャー開発特論」を開講している。内容的には、全15回で、企業家精神、社 内ベンチャー、ベンチャーキャピタル、ケーススタディと体系的に構成されている。

地元企業から「IT系の良い先生が一人いる」との評判が聞かれたものの、学生のIT

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分野の創業事例はないとのこと。機械金属系の研究テーマについては、学生が修得しても、

創業して成功するのは難しいという意見が聞かれた。

( 5 ) 調査結果のまとめ

  本調査においては、以下の点が明らかとなった。

  1) 創業志望者は、全回答者1,061人中25名と少数派である。

2) 大学生になると、過半の学生が「公的機関や大手企業に就職しても今後は終身雇用が 保障されない」という認識を示している。

  3) 高校生段階では進路選択に関して、父親より母親の影響を強く受ける。子供の低年齢 時における母親の役割の重要性が示されている。

4) 創業志望者達には二つの特徴があることが判明した。

  一つは、創業志望者の約半数は、親の職業が自営業者・経営者であるということであ る。創業志望者のもう一つの特徴とは、現時点でやりたい職業が明確化されていると いうことである。創業志望者の約90%はやりたい職業が明確化されている。

  5) 親の事業の後継を希望する学生は各校とも非常に少ないが、創業意欲の高い学生は自 営業者・経営者の家庭から輩出されやすい傾向がある。

  6) 創業志望者が少ない理由の一つは、やりたい職業が明確化されていない若者が多いと いうことでもある。各校とも40−50%の学生がやりたい職業を見つけていない。

創業以前に、何をしたらよいか分からない学生が地域に大量にいるという事実を直視 する必要がある。

  7) 創業志望者の40%弱を女性が占めている点にも注目する必要がある。

8) 企業家輩出源として注目されている大学生については、熱意ある学生は一部にいるも

のの、まだ十分な創業教育が提供されていない状況である。

  9) 約半数の大学生が創業に関心はあるものの「学習機会が不足している」と考えており、

無関心の学生を人数で上回っている。インターンシップや技術的知識が必要なアルバ イトの経験が不足している。

  10)「興味はあるがどのように創業に向けて動き出せば良いか分からない」模索型肯定派

学生が多い。この層を教育しモチベートすることは、企業家の裾野を広げる上で重要 なポイントと言える。

11)普通高校生は、男女とも大都市志向が強く、50%前後の学生が大都市で活躍したい と回答している。地元に残りたいとしているのは一部である。それに比し、実業高校 の学生の多くは、地元周辺で働きたいとしている。

12)各学校の地元志向者には「安定志向が強い」という特徴が見出された。特に普通高校 学生の地元志向者については、その傾向が強い。

地元志向者の中で、創業志望者は工業高校学生に僅か一名いるに止まっていた。

  各校における地元志向者の安定志向は、非地元志向者に比し強い。

(10)

  13)実業高校の地元志向者では、希望する職業が不明であるとする者が最も多い。

  両大学の学生の地元志向者については、安定志向は強いものの、就職した後に転職を 通じてスキルを向上させていきたいとする者が多い。卒業後のスキル蓄積の過程でモ チベートすることも企業家輩出には有効であると考えられる。

  14)普通高校の先生達は、大学進学後の人生の重要性について理解しているが、現状では

創業教育までは手が回らないと言う状況であった。実業高校の先生達は、実践的なプ ログラムを試行錯誤しており、少なくとも経営的な知識は親の事業を後継する際にも 必要だとの意見が聞かれた。

  15)大学では、OBの企業家が後輩を引っ張るような構図が無い。ベンチャー講座やイン

ターンシップを行っているがそうした活動を支えるリエゾン機能が弱いと言う状況で ある。機械金属系の技術分野において学生が創業するのは困難であるという意見が聞 かれた。一方、学生が機械金属分野より創業しやすいと思われるIT分野では、数学 的な理論を教えるウェートが今のところ高い。

      

14.2 事例地域におけるコーディネート活動の実践

  本項においては、事例地域における筆者のコーディネート活動の実践について論じ、そ の実践を通じて得られた知見を論ずることとする。

  14.2.1項においては、筆者が運営してきた産学官交流組織「地域産業ネットワー ク学会」について、14.2.2については筆者の活動を基礎としてコンセプトが固めら れた産業クラスター組織「首都圏北部地域」について論じることとする。

14.2.1 地域産業ネットワーク学会

  本項においては、筆者が事例地域において運営してきた産学官交流組織である「地域産 業ネットワーク学会」について論じることとする。(1)設立の経緯、(2)地域ニーズ、(3) 発展経緯、(4)事例地域におけるコーディネート活動を通じて得られた知見、についてまと めることとする。

 

( 1 ) 設立の経緯

地域産業ネットワーク学会という組織は通常の学会とは異なる。

  学会のホームページを公開していると、「貴学会で論文を発表したいがどうすればよいの か」という問い合わせを頂くこともあったが、学術的貢献というより、泥臭い製造企業の 経営者達と共に地域が能力開発していくことを目指して設立されたのである。

  筆者は、「地域能力開発システム」という表現をしていたが、地域で問題意識を共有し、

既存の機関では出来ない地域産業のグレードアップへの貢献を目指していた。

東京の多摩地域に多摩学会という名前のコミュニティ組織があったが、大学教員が参画 しているが、学術的な色彩は弱いという点では共通していた。

(11)

多摩学会は、有識者の方々の多少スノッブな香りのするユニークな組織であったが、地 域産業ネットワーク学会は「泥臭さ」、「役に立つ」と言うところに主眼を置いた。

  一方、地域の製造企業の中で「腕に自信のある企業経営者」ばかりを会員として集めた ので、役に立たないものには見向きもされないという難しさがあった。

  通常の勉強会には忙しくて出てくることが出来ない経営者達である。

  グローバルな経営をしている企業、自社製品開発を行っている企業、その気になれば株 式公開出来る企業の経営者、そうした企業の次期経営者が中核となった。

  会費3万円を徴収したが、筆者の勤務する大学においては企業からお金を集める教員が 過去にいなかったため、最初はどの様に経理処理するかが決まらず周囲も戸惑った。

  また、そんなことをして何になると言う冷笑もあった。

  しかし、活動をはじめて二年目には、地域の主だった製造企業、太田市外の会員も集ま りだした。新聞やメディアに頻繁に活動が掲載されるようになり、大学内の見る目は徐々 に変化していった。

  しかし、立ち上げ時には、第一回目の研究会のゲストが土壇場で急用により日程変更す るトラブルがいきなりあった。

会合延期の通知を、各メンバーに送付するという煩雑な手続きに追われていると、当日 の挨拶を頼んでいた大学の上司から「しばらくおとなしくされた方がよろしいと思います」

というご丁寧な手紙を頂いた思い出がある。

  地域産業ネットワーク学会の立ち上げは、第13章において論じた、第一次調査に端を 発する。地域の太田商工会議所をまず訪問し、「一社一社の企業を訪問し意見交換をしたい」

と申し入れたところ、地元の大学との交流を活発化したいと考えていた商工会議所から快 諾が得られた。「意欲的と思われる製造企業」を数社紹介してもらい、商工会議所の総務課 長に訪問先へ電話を入れて頂いた。企業を回り、ヒアリング調査の過程で出会った経営者 と波長が合うと、その経営者に次の企業をご紹介頂くという日々が続いた。

  筆者は企業在籍時に、VE、製造系子会社の経営管理、納入価格の企画等を担務してい た関係で、買い叩く親企業の目線、収益を確保しようとする部品メーカーの考え方を両方 経験していた。特に筆者が企画屋として最初に担当したのが、先輩方のやりたがらない地 味な部品事業であった。

  電気部品で高収益製品を立ち上げ、OEM製品の価格を収益確保可能な水準に顧客との 駆け引きを通じて設定してきた筆者の発想は、地域の実力派の企業家達に歓迎された。

  第一次調査の報告会もかねて、1995年8月に太田商工会議所にて、太田市の協力も 得て、「地域産業の脱空洞化」をテーマにシンポジウムを開催した。

  そのシンポジウムの席上で、私も発起人の一人となり、地域産業ネットワーク学会を設 立することを決定し、同年11月に正式発足した。

  地域の若手実力派達、尊敬されている中核企業幹部、名門企業の後継者といったそうそ うたる経営者達が主旨に賛同してくださっていた。

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そこに市役所の意欲的スタッフ、理解力の優れた新聞記者も入会し、20名強の産学官 の会員が加入し学会は立ち上がっていった。

  地域の系列の頂点にある大手企業には後に会員として参加頂いたが、当初から、中堅か ら若手の地域の意欲的な人材のみで運営されていた。

  当時は、隣接する桐生市の群馬大学も今ほど産学連携に熱心ではなかった。筆者の在籍 する関東学園大学は市内唯一の大学であったがキャンパスに文科系学部しかなく、地域能 力開発のためのコンテンツは、組織に頼らず自前で揃える他無かった。

  頭脳立地法に基づく第三セクター企業、㈱ぐんま産業高度化センターは、当時はどの様 な方向性で地域貢献していくべきか試行錯誤していた。

地元電機メーカーから出向していた技術者、群馬県庁OBの幹部が賛同し、この第三セ クター企業も運営に協力するようになっていった。

( 2 ) 地域ニーズ

  組織のコンセプトは、地域能力開発システムであった。

  地域周辺の大学にコンテンツがなければ、筆者が目利きをして地域産業界に役立つ人や 企業を紹介してコーディネートしていく他はないだろうと考えた。その頃、太田地域は戦 後製造企業を興した企業家達から後継者世代への交代が少しずつ進んでいた。

  また、地域経済が依存している自動車産業、電機産業の空洞化リスクが高まりつつある ことを筆者は繰り返し訴えていた。同様に考える意欲的企業家達は、新分野進出、新顧客 の開拓、海外進出、自社製品開発といった手法を模索していた。新たな事業展開をサポー トし得るフレームワークを求める企業家が存在していたのである。

  商工会議所や市役所は、産業界全体への奉仕者としての側面あるため、一部の人しか理 解出来ないような企画は打ち出し難い。

  筆者も、第二商工会議所的な組織は決して作らず、むしろ商工会議所と連携し、商工会 議所の経営指導員達の手に余る「意欲的企業向けのメニュー」を補完的に構築していくと いうコンセプトを打ち出した。

  その結果、商工会議所の会議室、国際会議場の無料提供、市役所・高度化センタースタ ッフ達の労力提供・施設開放等、金のかからない協力関係が構築されていった。

  太田地域には、戦前の中島飛行機以来の技術的伝統を受け継いでいる企業が多い。

  戦後、焼け野原の中から、地域の企業家達はモノ作りで生活基盤を築く路を選んだ。

  その発展のプロセスでは、自分たちは製造に専念し、販売ルートは親企業に委ねる下請 け企業として我が国の成長と共に伸びていった。

  しかし、地域の大手企業の業績も常に良好なわけではない。大手親企業二社のうちの一 方が業績不振に陥ったことも過去にはあった。

  その時、意欲的な企業群は、100%下請けとして依存した営業形態であることのリス クを理解した。そして、新分野進出や自社製品開発等に挑みだした。

(13)

  筆者が企業を回り始めたのは、意欲的な企業の様々な取り組みがまさに本格化しようと していた時期であったのだ。地域産業ネットワーク学会は、こうした新しい努力をサポー トするネットワーキングとしての意味を持っていた。

  学会会員以外にパートナーとして支援してくださる方々も登録した。

  例えば、1997年にネティズン育成プログラムを実施した。

  これはインターネットを使いこなせる中小企業を地域に増加させようとするものである。

  このプログラムを推進するに当たり、まず企業家間の情報交流を高度化センターにホス トを置くパソコン通信GSKネットにより馴れてもらい、インターネット活用につなげて いった。このプログラムを進める一環として地域情報化の手引き「太田でネットやってみ んべえ」を作成し、それをツールに啓蒙活動を展開した。その作成に、地域のNTT群馬、

NTT太田支店、三洋電機ソフトウェア等のIT企業社員、地元有志をパートナーとして 完全地域仕様のツールを完成させた。

  これを太田商工会議所50周年記念マルチメディアフェスティバルでは市民や地域企業 に各ブースで無料配布した。

  パートナーには地域外の有識者もいる。地域内に不足するスキルを有する主に東京のプ ロを呼び込んでいこうとするものである。

  地域産業ネットワーク学会では、地域産業空洞化を回避するための最大のポイントは、

企業家の能力開発にあるという理念を持ち、多忙な経営者達が喜んで参加したくなるよう な場を作る努力を続けてきた。

  ここで問題となるのは、開催頻度の問題である。

  頻繁に仕掛けをしていくと、事務的な作業量が手弁当の限界を超えてしまう。

  一方、多忙な経営者達も、毎月一回の会合だと出られないという問題点を抱えていた。

  筆者と学会員達の双方の折り合いが、二ヶ月−三ヶ月に一度質の高い出会いの場を作る という頻度であった。また、商工会議所、機械金属協同組合等のイベントとなるべくタイ アップして、地域の他団体にコンテンツ提供すると同時に、多忙な企業家達が出席する場 を減らそうとした。

筆者にとり最大の悩みは、学会のバックオフィスが用意出来ないということであった。

  大学の事務職員が時々好意で手伝ってくれたり、市役所や商工会議所が手伝ったりと、

無償の善意に助けられた。筆者も会費は集めたが、個人としては一円も個人使用しておら ず、全額学会の運営に使用する方針とした。

  地方では情報は無料であり、どうせ無料なら、善意のネットワークにより運営しようと 考えたのである。大学側も社会的評判が高まると、好意的な対応へと転じ、様々な支援措 置を講ずるようになっていった。

( 3 ) 発展経緯

  地域産業ネットワーク学会の立ち上がり当初は、IT革命に対応するための情報リテラ

(14)

シー研究会、ネティズン育成プログラムからスタートした。

  情報リテラシー研究会とは、地域のIT企業と組み、最新のIT技術を地域企業が使い こなすための情報交換会となった。地域内の経営者の間では、ITに関する好き嫌いが分 かれていて、インターネットについてもすぐに活用した企業となかなか導入しない企業に 二極分化していた。地域内においては、むしろハイタッチな関係が重要である。

  学会では、情報技術オタクのような人を育てていくというより、広域的な交流の基礎に しようという観点で情報リテラシー研究会を開催した。

  その後、産業技術研究会、受託研究プロジェクト、NOC研究会と研究会が追加された。

  産業技術研究会は、地域外の優れた産業技術に関する紹介を行う研究会となった。

  テーマとなる産業技術を決め、見学会も織り交ぜ、キーマンをゲストに呼ぶという方法 で運営した。受託研究プロジェクトは、情報リテラシーに関する公的機関からの受託研究 を受けて行われたものである。

  この時期に、多忙な会員の時間節約を狙い、昼食時間を活用するビジネスランチという スタイルを試行錯誤していた。地域貢献のための公開研究会、すなわち非会員にも紹介を 行うシステムもスタートした。

  筆者が、太田地域外の群馬県内のベンチャーをヒアリングして仲良くなっていった時期 に、まずは公開研究会にお招きして、気に入っていただいた場合は正式の会員になってい ただくという方式とした。

  その結果、各自治体の商工会議所ベースの研究会と異なり、太田地域外の会員が増えて いった。商工会議所の会員は景気後退で減る中、地域産業ネットワーク学会は、地域内の 会員を増やすことはせず、地域外の同水準の企業を引き込む方式で会員を50社まで増や した。それらの中から、首都圏北部地域最大の産学連携組織であるNPO法人北関東産官 学研究会の創設者と私を引き合わせる企業経営者もいて、理事に迎えられることとなった。

  NOC研究会は、Network of Coordination、すなわち筆者が中小企業庁のNOC研究会 座長として日本中のビジネスコーディネータとの人脈を構築していた時期に、中小企業庁 のNOC研究会と並行して開催していった。

  腕の良いビジネスコーディネータ間のネットワークは、そのビジネスコーディネータ周 辺の良い人脈を共有することにつながるという信念に基づき、筆者が腕がよいと思った各 地域のビジネスコーディネータを地域に紹介するという研究会である。

  この研究会は、群馬県庁の意欲的スタッフも大いに関心を示し、毎回前橋から誰かが参 加しているという傾向につながった。近隣商工会の経営指導員の中でも熱心な方は、地元 企業を複数社つれて参加するようになっていった。

  筆者はこの雰囲気に手応えを感じ、全国組織であるビジネスコーディネータ協会を設立 した。毎年合宿を支部持ち回りで北海道から九州まで開催するなどしている。

  これは、中小企業庁のNOC研究会仲間と、筆者が中小企業事業団(現、中小企業総合事 業団)と組んで発掘した全国の有能なビジネスコーディネータをネットワークしている組織

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である。旬のビジネスコーディネータと地域の意欲的企業を接触させると何らかの接触の 利益が生じることを期待したものである。

  地域産業ネットワーク学会は、筆者が関東学園大学から埼玉大学に移籍した2003年 4月に、北関東産官学研究会と一体化する方針を打ち出し発展的に解消した。

  太田商工会議所を中心に両毛地域産業イノベーション協議会の立ち上げにも協力し、地 域産業ネットワーク学会は、その歴史的役割を終え、筆者の手弁当から組織的展開へとモ デルチェンジしていった。

( 4 ) 事例地域におけるコーディネート活動を通じて得られた知見

  地域産業ネットワーク学会の活動を通じて、様々な知見が得られた。

  日常的に、研究室に新製品を企業家が持って遊びに来てくる。一杯飲みに行こうと誘わ れ、そうした場で企業家が自分の考えを述べる。

企業家の多くは、結局は、何かを教えて欲しいと言うより、自分の考えを人に聞いても らい、自分で話をしながら考え頭を整理したいのである。

  そうした相談があった際に、筋が通っているかどうかを筆者なりにチェックし、他の価 値観が有る場合にはそれを提供する。必要と有れば、別の切り口のヒントにつながる人を 紹介し、そのお膳立てをする。

こうした流れが筆者の地域におけるコーディネート活動の基本であった。

  一方、「仕事が無くて困っているのでどこでも良いから取引先を紹介して欲しい」といっ た相談には応じることが難しい。このタイプの相談に真剣に対応するには、企業の基本的 な戦略に立ち入り自分が代わりの経営者になるだけの時間を割かなければならない。

  つまり、仕事がとれない原因を根本から調べ、将来にプラスになる仕事を試行錯誤しな がら見つけていかなければならないからである。

  地域産業ネットワーク学会の会員企業は、実力もプライドもあるためこの類の相談はし ない方々ばかりであった。勿論、学会員ではないが仲の良い企業の相談にも筆者は分け隔 てなく対応する。その意味では、年会費を支払うメリットは、研究会も地域に公開するこ とが多いので会員企業に取りあまりなかった。

日常的に経営者の経営に関する取り組みや金銭感覚に触れる。そうした交流を継続して いる企業との付き合いの中で、時々コーディネートをするという方式である。

  地域産業ネットワーク学会の各種研究会は、2−3ヶ月に一度の新しい発想を仕入れ、

普段合うことの出来ない人との出会いを提供するハレの場である。一方、日常的な個別の 相談がケの場となる。この組み合わせが重要なのである。

  都市化の経済、接触の利益といった知的集積を通じた効果を得るには、そのための場や ネットワークが必要となる。場(Field)のマネジメントとは、伊丹敬之(1998)によれば、人々 の自然な協働が場のプロセスから生まれるように状況設定することである。

  場の基本要素として、アジェンダ(情報は何に関するものか)、解釈コード(情報はどう解

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釈すべきか)、情報のキャリア(情報の媒体)、連帯欲求、を伊丹は挙げている。

4つの基本要素がどの様に共有されるかにより場は異なってくる。

結局、日常的な商工会議所等の付き合いの中で顔を合わせる機会があり、筆者が企業に 遊びに行ったり、地元の人脈を紹介してもらったりお世話になることがある。そうした関 係が伊丹の言うところの連帯欲求、解釈コードの基礎となる。

本当に困ったと言って相談にくる企業家などほとんどいないので、会話の中で筆者なり にアジェンダを設定し、対面の会話を情報キャリアとして、「お節介かもしれませんが」と 言って何らかの提案をするのである。

  場の創発のためには、創発のための基盤づくり、きっかけづくりが必要であると伊丹は 述べている。こうしたケの場を通じての基盤づくり、きっかけ作りが地域におけるコーデ ィネート活動の基礎となる。

  ビジネスコーディネータは、相手の立場に立ち考える部分と、第三者的な視点を併せ持 つ必要がある。地域内にて日常的に交流していると、企業家達と同じ情報、同じ目線を持 つことにはプラスとなる。

一方、地域にのめり込みすぎると、客観性を持つブレーンとしての価値は減じられる。

筆者は、地域外の良質のネットワークに参加すると同時に、地域外の企業や公的機関か らの仕事の依頼を引き受けて、切磋琢磨の中で自分なりの視野や人脈を広げていき、感銘 を受けた人をその都度地域につれて来て、企業家達に紹介していった。

  一方、地域外での切磋琢磨を通じて認められるほど、地域内における活動時間が相対的 に減少することに配慮する必要がある。

  地域産業ネットワーク学会の研究会は回数が限られている上、情報収集的な内容も多か ったが、それでも研究会の場を通じていくつかのマッチング事例があった。

  ニット産業をテーマにした研究会で、意欲的ニット製造企業と公的研究機関技術者が知 り合い、新製品開発・自社店舗における販売までつなげた。地域にニット関連企業は多数 有るが、研究会に本気で食いついてきた企業は1社だけ有った。この企業は、この研究会 を契機に学会会員となった。

  NOC研究会を契機として、筑波地域の研究所の試作需要を地域企業がつかんだ事例、

企業の適性に合致した公的補助金を交付された事例、福祉機器の共同開発に進んだ事例等 が出ている。また、関東経済産業局と組んで、精密機器、精密部品製造企業を山梨地域の 企業、広域多摩地域の企業との共同開発につなげた事例も出ている。

  北関東産官学研究会と組み、制御技術を求めていた企業を理工系の国立大学につないで 共同研究とした事例もある。ハレの場では、ネットワークを持つ他組織と組むことを通じ て、コーディネート事例が生まれやすくなる傾向がある。

  筆者の本来の持ち味は日常的な企業との相談を通じてのコーディネートだが、企業との 信頼関係上、守秘義務を含むため、これらの相談内容については公開できない。

  ただ、製造系・技術系の新製品開発等は中長期的な取り組みが必要であり、そのために

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は一時的ではない企業家との付き合いが重要となる。

  地域産業ネットワーク学会は、地方都市における人間関係、無償の奉仕、地域愛により 支えられた。

  筆者の勤務する関東学園大学は、個人としての活動は自由であるというスタンスを保ち 続けてくれたが、人的資源を配置することはしなかった。

  群馬高専は小島教授のファンクラブを群嶺テクノ懇話会という形にして、事務員をつけ た。関東学園大学では、伝統的に特定教員の発言権が拡大するような組織設立は好まない 傾向があり、その代わり自由に活動することを認めた。筆者のスタイルは、他地域のビジ ネスコーディネータから、個人技が強く出ている方式だと批評されることが多かったが、

特定組織の力に依存したくとも出来なかったのが実状であった。

  研究会の企画、ゲストの招聘、工場見学等の企画から交渉、それに招集等の事務負担は 筆者が多くをボランティア精神でこなした。市役所、商工会議所、高度化センターの協力 を得ながら継続してきた。Granovetter,M.S.(1973)は、弱連結から生まれるイノベーション の可能性について述べているが、筆者のコーディネート活動は、まさに弱連結からイノベ ーションを引き起こそうとする場作りが基礎となっていた。

  企業家等との緩やかなネットワーキング、すなわち弱連結に基づく産学官ネットワーク を運営する。そのネットワークに属する企業家は、有益な情報を得るとそれをヒントにそ れぞれがリーダーシップを持ち行動するのである。

Van Horn,R.I. & Harvey,M.G.(1998)は、大都市以外の地方に立地する企業家について、

地域で小さくて孤立した存在となると述べている。そこで、EVM(Entrepreneurial Virtual

Megafirm)という概念を提唱している。このモデルのロジックは、ネットワーク、リレーシ

ョンシップマネジメント、学習する組織、戦略的提携、仮想組織という構成要素を組み合 わせたものであるが、やや机上の空論の傾向がある。

確かにユニーク性の高い企業家は地方都市では浮いた存在となる可能性が高い。

そこをVan Horn,R.I.らは、バーチャルなインキュベーションプラットフォームとなる組

織を設立しようと提案しているのである。

筆者のイメージしているものは、ある時までは自由度がある弱連結で、それがリーダー シップを有する企業家による事業化フェーズに入った途端に、柔軟な専門化を前提とした 強連結に転ずるのである。

柔軟な専門化は、企業家同士の信頼関係があればこそ、取引費用が抑えられるのである。

能力開発意欲が強く、広域的競争力を持つ企業の弱連結こそが、企業家を浮いた存在と しない地方都市におけるインフラとなり得る。

公的機関がこうした意欲的企業家に純化したネットワークの事務局となることは困難で ある。それは一定水準以上の企業を選別することが批判を受けやすいからである。

  フェアなビジネスコーディネータの目利きを経た弱連結志向のネットワーキングは、地 域産業のソフトなインフラとなりうるのである。

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  筆者による地域産業ネットワーク学会の活動の成功イメージは、図14−6に示される 通りである。

図14−6 地域産業ネットワーク学会の成功イメージ

高品質な弱連結のコーディネートネットワークが日常的に機能している場を提供する。

意欲的な企業家が意思決定を下し弱連結から強連結に転じようとするときに、ハンズオ ン型のコーディネートを企業家と共に行う。企業家のリーダーシップによる事業化へのス ムーズな移行を支援する。

ハンズオン型のコーディネートを大都市のVCがリスクを取って行うのと、地方都市に おける意欲的企業へのコーディネートは性質が異なる。

強連結に転ずる時点で、企業家がリーダーシップを正しい方向に発揮できるように集中 支援する方式が、地方都市らしいトータルコーディネートの在り方と考えている。

地域産業ネットワーク学会に所属している企業の多くは、広域的競争力があり、太田地 域に立地することが生存の条件ではない。

Simon,A.(1955)は、企業家は事業アイデアを得た地域の近辺にとどまると述べている。

Watts,H.D.(1987)の分析によれば、企業家達は居住地域で単純に創業する場合が多く、

立地について必ずしも深く考えていないという。中島飛行機の解体後に地域で創業した企 業家達の多くは、今でも太田地域に立地している。

中島飛行機の遺産を負債とすることなく、地域産業をより深化・多様化させていくこと が太田地域における産業活性化の要点となるのである。

地域産業ネットワーク学会におけるコーディネート活動の要旨を再掲すると下記の通り に整理される。

<地域産業ネットワーク学会におけるコーディネート活動の要旨>

1) 泥臭い製造企業の経営者達と共に地域が能力開発していくことを目指して設立され たコーディネートネットワークである。地域で問題意識を共有し、既存の機関では出 来ない地域産業のグレードアップへの貢献を目指していた。

2) 1995年に活動をはじめて二年目には、地域の主だった製造企業、太田市外の企業

弱連結 転換 強連結 事業化

ハンズオフ型 コーディネート

企業家の 意思決定

ハンズオン型 コーディネート

企業家の リーダーシップ

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会員、自治体の意欲的スタッフ、意欲的新聞記者等が集まるようになった。

3) 運営方針は意欲的地元企業と筆者により決定する方式とし、地域の系列組織の頂点に ある大手企業には後に会員として参加頂いた。

4) 年会費3万円以外は全て無料とし、市役所、商工会議所、第三セクター企業との互助 的ネットワークにより運営した。

5) 意欲的企業家達は、新分野進出、新顧客の開拓、海外進出、自社製品開発といった新 たな事業展開をサポートし得るフレームワークを求めていた時期であった。

6) 学会会員以外にパートナーとして支援してくださる方々も登録した。地域内有志、東 京のプロ等である。

7) 当初は、IT革命に対応するための情報リテラシー研究会、ネティズン育成プログラ ムからスタートした。その後、産業技術研究会、受託研究プロジェクト、NOC研究 会と研究会が追加された。

8) 多忙な会員の時間節約を狙い、昼食時間を活用するビジネスランチというスタイルを 試行錯誤していた。地域貢献のための公開研究会、すなわち非会員にも情報提供や紹 介を行うシステムもスタートした。

9) 太田地域外の中小ベンチャー企業を、まずは公開研究会にお招きして、気に入ってい ただいた場合は正式の会員になっていただくという方式とした。その結果、各自治体 の商工会議所ベースの研究会と異なり、太田地域外の会員が増えていった。

10) 首都圏北部地域の最大の産学連携組織であるNPO法人北関東産官学研究会の創設 者と私を引き合わせる企業経営者もいて、理事に迎えられることとなった。

11) NOC研究会は、Network of Coordination、すなわち筆者が中小企業庁のNOC研 究会座長として日本中のビジネスコーディネータとの人脈を構築していた時期に、中 小企業庁のNOC研究会と並行して開催していった。良質の人脈を持つ各地域のビジ ネスコーディネータを地域に紹介するという研究会である。群馬県庁の意欲的スタッ フ、近隣商工会の意欲的経営指導員も参加するようになっていった。

12) 筆者はこの雰囲気に手応えを感じ、全国組織であるビジネスコーディネータ協会を設 立した。毎年合宿を支部持ち回りで北海道から九州まで開催するなどしている。

13) 地域産業ネットワーク学会は、筆者が関東学園大学から埼玉大学に移籍した2003 年4月に、北関東産官学研究会と一体化する方針を打ち出し発展的に解消した。太田 商工会議所を中心に両毛地域産業イノベーション協議会の立ち上げにも協力し、地域 産業ネットワーク学会は、その歴史的役割を終え、筆者の手弁当から組織的展開へと モデルチェンジしていった。

14) 定期的な研究会等は、二ヶ月−三ヶ月に一度質の高い出会いの場を作り、日常的な交 流の場で企業家の考えを人に聞き、何とか役に立とうと考える活動が地域における活 動の基本であった。

15) 地域産業ネットワーク学会の会員企業は、実力もプライドもあるため改まった相談は

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しない方々ばかりであった。企業訪問や、企業の方々の研究室訪問、夕方以降の飲み 会といった場で経営者の経営に関する取り組みや金銭感覚に触れている中で、時々お 節介をするという方式である。

16) 都市化の経済、接触の利益といった知的集積を通じた効果を得るには、そのための場 やネットワークが必要となる。場の創発のためには、日常的な活動を基盤とする創発 のための基盤づくり、きっかけづくりが必要である。

17) ビジネスコーディネータは、相手の立場に立ち考える部分と、第三者的な視点を併せ 持つ部分が必要である。コーディネータ自身が、地域外の良質のネットワークに参加 すると同時に、地域外の企業や公的機関からの仕事の依頼を引き受けて、切磋琢磨し ていなければ企業のニーズに応える腕を磨くことが出来ない。

18) 一方、切磋琢磨の中で認められるほど、地域内における活動時間が相対的に減少する ことに配慮する必要がある。

19) 地域産業ネットワーク学会の研究会は回数が限られている上、情報収集的な内容も多 かったが、研究会の場を通じていくつかのマッチング事例があった。ハレの場では、

ネットワークを持つ他組織と組むことを通じて、コーディネート事例が生まれやすく なる傾向がある。活動の基本はイベント型のマッチングではなく、日常的な企業との 相談を通じてのコーディネートであった。

20) 製造系・技術系の新製品開発等は長期的な取り組みが必要であり、そのためには一時 的ではない企業家との付き合いが重要となる。地域産業ネットワーク学会は、地方都 市における人間関係、無償の奉仕、地域愛により支えられた。

21) ネットワーキングや市民企業家論、IT技術を活用した地域振興を提唱する有識者は 机上の空論に陥りやすい。

22) 筆者のイメージしているものは、企業家の泥臭い現場ニーズに応えるビジネスコーデ ィネータが自由度のある弱連結を基盤として提供する。リーダーシップを有する企業 家が事業化フェーズに入った途端に、柔軟な専門化を前提とした強連結にスムーズに 転ずるという仕組みである。

23) 柔軟な専門化は、企業家同士の信頼関係があればこそ、取引費用が抑えられるのであ る。能力開発意欲が強く、広域的競争力を持つ企業の弱連結こそが、企業家を浮いた 存在としない地方都市におけるインフラとなり得る。

24) 公的機関は公平が要求されるため、意欲的企業家に純化した選別的ネットワークの事 務局となることは困難である。

25) 高品質な弱連結のコーディネートネットワークが日常的に機能している場を提供す る。意欲的な企業家が意思決定を下し弱連結から強連結に転じようとするときに、ハ ンズオン型のコーディネートを企業家と共に行う。企業家のリーダーシップによる事 業化へのスムーズな移行を支援する。こうしたソフトなインフラは地方都市の意欲的 企業家には支持される素地がある。

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26) ハンズオン型のコーディネートを大都市のVCがリスクを取って行うのと、地方都市 における意欲的企業へのコーディネートは性質が異なる。強連結に転ずる時点で、企 業家がリーダーシップを正しい方向に発揮できるように集中支援する方式が、地方都 市らしいトータルコーディネートの在り方と考えている。

27) 地域産業ネットワーク学会に所属している企業の多くは、広域的競争力があり、太田 地域に立地することが生存の条件ではない。中島飛行機の遺産を負債とすることなく、

地域産業をより深化・多様化させていくことが太田地域における産業活性化の要点と なるのである。

14.2.2 首都圏北部地域の産業クラスター組織

  地域産業ネットワーク学会が軌道に乗り、徐々に会員が増え広域化していくと手弁当の 限界が見え始めた。次のフレームワークへの脱皮として筆者が選択したのが、首都圏北部 地域の産業クラスター組織を立ち上げ、その流れの中で新しい地域産業活性化のための仕 組みを地域にもたらすことであった。

本項では、(1)首都圏北部地域の産業クラスター組織立ち上げへの参画、(2)基本コンセ プト確立、(3)今後の体制整備の方向性、について論じることとする。

( 1 ) 首都圏北部地域の産業クラスター組織立ち上げへの参画

  地域産業ネットワーク学会をある程度軌道に乗せた段階で、次のフェーズを睨んだ地域 産業活性化のためのシステム構築を視野に入れはじめた。

  市役所の人事異動、商工会議所会頭の交代等を契機に、地域内のコンセプトを共有する パートナーの行動原理が変質していくのを感じたからである。筆者が出会った頃の若手経 営者も親世代からの権限委譲が終わり、徐々に若手経営者ではなくなっていった。

  ネットワークの論理は年月を経ると見直しが必要となる。

  筆者の手弁当から、より公設民営型の仕組みへとグレードアップさせていくことを模索 するようになっていった。

  そのころ、群馬大学を中心に北関東産官学研究会(当時は任意団体、現在はNPO法人) が創設された。筆者は、この研究会の設立総会を拝見して、群馬大学カラーがあまりにも 強い上に、国立大学的プロトコルが全面に出ていたので、組む相手としては重すぎるとい う認識を最初は持った。

群馬大学と地域の大手企業経営者、群馬県の幹部が中心的存在であった。

そこに栃木県・群馬県の他理工系大学も加えていく姿勢は見えたが、基本は群馬大学の ための組織であり、群馬大学のためになるということは群馬県のためになるということで あるというロジックが色濃く出ていた。

  筆者の発想が「LINUX型」であるのに対して、この研究会は「WINDOWS型」、 すなわちオープンではない部分が多く、在野のフロントランナー達には馴染まない部分が

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大いにあった。北関東産官学研究会には、TAMAにおける古川会長のカリスマ性、中小 ベンチャー企業家群のイニシアティブが不在で、群馬大学教授の根津会長の人柄によりバ ランスがとれている組織構造であった。

  地域産業ネットワーク学会員のうち桐生市に立地する1社が、北関東産官学研究会の理 事に中小企業代表として入っており、筆者と根津会長をコーディネートした。

  それと並行して、産業クラスター政策の萌芽が関東経済産業局に見られた。

民間企業、大学、産業支援機関などが有機的に連携し、外部経営資源の補完を推進する とともに関連支援策の的確かつ迅速な投入を目的とする「広域関東バイタライゼーション プロジェクト」が平成10年度よりスタートしていた。

  関東経済産業局の管内地域で、新規産業創出・地域産業活性化のポテンシャルが高い4 地域(TAMA地域、中央自動車沿線地域、東葛・川口地域、三遠南信地域)をモデル地 域として指定していた。TAMAに個人会員として参加していた筆者は、この流れが北関 東に来ると予感していた。

  関東経済産業局が、バイタライゼーションプロジェクトを産業クラスター政策化し、指 定地域を増やそうとしていた頃、筆者は国民創業ベンチャーフォーラムの関東支部企画部 長をしていた。フォーラムを成功させるための相談回数も増え、関東経済産業局とのコミ ュニケーションが良くなっていた。筆者との波長が合う幹部がいたことも幸いした。

  そこで、地域産業ネットワーク学会の発展的解消を含めた協力を申し入れ、首都圏北部 地域の産業クラスター組織のコンセプト固め時にタイムリーに提案を行った。

  筆者から押さえるべきポイントとして、組織の形態は都合が悪ければ後で変えることが 出来るが、立ち上げ時に適切な人選をする必要があると提案した。

  結果的に、筆者の提案する人選をたたき台として、関東経済産業局がそれに肉付けをし て必要な人材を追加することとなった。

関東経済産業局は、TAMA立ち上げ時に主導的役割を果たし、実験的に様々な公的資 源を投入してきた。その功罪を勘案し、新たな産業クラスター組織立ち上げに際しては、

地域の意欲を助力するチープな手法を志向していた。

そして、地域産業ネットワーク学会のチープな運営コンセプトに着目し、それを広域化 するというイメージを当時の関東経済産業局の幹部が持った。

 

( 2 ) 基本コンセプト確立

  基本コンセプトを決める際に、まず重要となったのは地域範囲の決定である。

  実は、関東経済産業局は栃木県と群馬県の県境付近の両毛地域に産業活性化策を仕掛け ていこうと20年強も努力して来たが、上手く行かなかったという歴史を持っていた。

  両毛地域の問題点は、5市(太田市、桐生市、館林市、足利市、佐野市)の規模が人口10 万人前後でリーダー格の自治体が無く、最も工業が盛んな太田市においても産業政策立案 のスタッフが手薄であった。

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