国 際 化 時 代 に 期 待 さ れ る 外 国 語 教 育 水 野 暗 光
国際化時代に期待 される外国語教育 (水野晴光)
外国語を学ぶとは'何を学ぶことであろうか。外国語を教えるとは'何を教えることであろうか。「放きを温ね'
新しきを知る」と論語にあるが'二十一世紀に期待される外国語教育は如何にあるべきかを考えるために'これまで
の外国語教育がどのようになされてきたかを'改めて概観することはあながち無駄ではあるまい。
そこでまず'欧米の外国語教育の歩みを概観し、これまでの外国語教育における問題点を明らかにしてみたい。
次に'二十一世紀の国際環境はどのようなものになるか'またそのような状況で我々は日本人として如何に行動す
べきであろうかなどの問題をのべてみたい。
最後に'それではこれからの国際化時代に日本の外国語教育は'どのように改革されるべきかといった問題につい
て'私なりの提案をしてみたい。
一欧米における外国語教育の変遷
1古代・中世
マッケイ(1九六五)によれば'古代においては'外国語の学習は存在したものの、外国語教育はなかったとされる。
すなわち'古代の外国語の学習はきわめて原始的な段階にとどまり'正確な発音や正しい文章を書‑レベルにまで到
達することは'望むべ‑もなかったのである。
外国語教育の第一歩は'ギリシア人の家庭教師によって踏みだされた。ローマの貴族の家庭では'ギリシア人の奴
隷を家庭教師として雇った。ローマ人の貴族の息子たちは'この家庭教師と'幼少のころからギリシア語で会話をす
405
ることを通して'ギリシア語を第二の母語とするまでに習熟した。その結果'彼らはギリシア文化の教養を身につけ
ることができたといわれる。
ローマ帝国の興隆とともに'それまでイタリアの一方言にすぎなかったラテン語が'公用語として広‑用いられる
ようになった。このラテン語は'キ‑ス‑教がローマ帝国の公認宗教になると'カーリック教会に採用され'やがて
世界的な学術用語としての地位を占めるに至るが、ローマ帝国が崩壊すると'それまでの帝国の領土内に小さな国々
が勃興したため'各地域のラテン語は変化して'イタリア語'フランス語'スペイン語などに生まれ変わっていった
のである。
中世においては'ラテン語は実際の会話では使用されなくなってしまったが'文字言語としてのラテン語は残った。
それはラテン語がそれまでの人類の文化遺産をとどめていたからである。すなわち死語と化したラテン語は'中世ヨ
ーロッパの各地の教会や学校で教えられることになった。教師はラテン語で書かれたテキス‑を読んで'ひとつの語'
ひとつの文を母国語におきかえて'意味を理解させようとしたといわれる。
ところで'幼児の母国語の習得方法になぞらえて外国語を教えるべきであるとするアプローチを'ナチュラル・メ
ソッド(自然主義教授法)という。ギリシア人の奴隷による'ローマの貴族の子弟に対するギリシア語教育は、ナチュラ
ル・メソッドで行われていたわけである。他方、テキス‑の文字を読み'それを学習者の母国語に訳すアプローチは'
訳読式教授法と呼ばれる。この教授法は'語形変化や文の構造などに関する文法の説明に重点がおかれるようになる。
中世ヨーロッパの各地で行われたラテン語教育は、模倣と暗記による文法重視の'訳読式教授法であった。
2近世
ヨーロッパはその後ルネッサンス期を迎える.この頃になると、古典ラテン語に対する研究が促進されるとともに'
母国語に対する認識が高まった。そのため'ラテン語に対する研究は次第に形式化した。またその教授法も、複雅な
国際化時代に期待 される外国語教育 (水野晴光)
文法の規則を教えることが知的訓練となり'精神の陶冶にも役立つと考えられた。このようなラテン語の教授法は現
代外国語教育にも受け継がれ'現代語が死語と化したラテン語と同等に扱われることになった。
他方'語形変化や屈折に基づく文法・訳読式教授法(グラマー・ーランスレーション・メソッド)に対して'初めから文
法の規則を教え込むことを避けるべきだとするアプローチが現われた。すなわち'モラビア(現在のチェコスロバキアの
一部)のコメニウス(一五九二
‑
一六七〇 )
は、実際に即してその文法の規則を体得させるようにすべきで、語はその指示する対象(物)と直接に結びつけて帰納的に教えるほうがよいと主張した。またドイツのバセド‑(一七二三
‑
一七九〇 )
は、言語教育は読むことよりも'まず話すことから行われるべきで'文法などは言語教育がかなり進んだ段階になる
まで教えるべきでないと主張した。コメニウスの主張するアプローチは'のちに直接教授法(ダイレク‑・メソッド)と
呼ばれ'バセドIの立場に立つアプローチは'口頭式教授法(オーラル・メソッド)といわれるに至る。
3近代
十九世紀の間'ヨーロッパを支配した外国語教授法は'文法・訳読法であった。このアプローチは'ア‑ン'オレ
ンドルフ'プロッツ等によって強力に推し進められた。その後十九世紀後半から、文法・訳読法に対する反発がヨー
ロッパの各地から沸きあがった。フランス人グワンは'幼児の母国語習得の過程を観察して'心理学的教授法(サイ
コロジカル・メソッド)を考案した。彼は新し‑生まれた心理学の連想の原理を応用して'外国語は連続的に行われる
人間の動作を実演することによって'教えるべきであると主張した。またイギリスのスウィ1‑'ドイツのフィーエ
ール'デンマークのイエスベルセン等は、音声学の知識を外国語教育に取り入れ、外国語は母国語を交えず'話し言
葉を中心に教えるべきで、文法にふりまわされてほならないと主張した。この教授法はフォネティック・メソッドと
呼ばれる。アメリカではベルリッツが自然主義教授法(ナチ三フル・メソッド)を実践して'大きな成功を収めた。彼は
ルソーの白然主義やぺスタロッチの直観教育に感銘Lt外国語は母国語を一切使用しないで、音声をその概念(物)に
407
直接結びつけるように教えるべきであると考えた。これら1連の改革的教授法は'その当初はいずれも排他的に自説
を主張して譲らなかった.しかしこれらの教授法は互に重なり合う部分が多‑、二十世紀初頭には次第に妥協的なも
のとなり'文法・訳読法に対立するものとして広義の直接教授法(ダイレター・メソッド)の中に包含され、ヨーロッパ
では外国語教育の公認教授法として一九二
〇
年代までその全盛を極めたのである。アメリカでは'マ‑セルが文法や翻訳を排斥してへ読書を中心とした教授法を考案し、のちのリーディング・メソッドに少なからぬ影響を与えた。
4現代
イギリスのパーマー(一八七七
‑
一九四九)は'一九二〇
年代に外国語教育に関する書物を次々と出版して、耳と口の練習を強調した口頭教授法(オーラル・メソッド)を提唱した。彼はダイレク‑系の詔メソッドの長所を取り入れ'より
体系的で折衷法的な原理をうち立てた。すなわち教育学的にはぺスタロッテの直観教育の理論、心理学的にはグワン
の観念連合や発達心理学'言語心理学の理論'言語学的にはソシュールの言語観やスウィ1‑やイエスベルセンの言
語理論に基づくものであった。
アメリカでは'一九二
〇
年代'ダイレク‑・メソッドが行きづまり'折衷法(エクレクティック・メソッド)の時代に入っていった。ところで'一向に効果の上がらない外国語教育に対して、一九
〇
一年に十二人委員会報告書が提出され、アメリカで実際に有用で習得可能な能力は読書力であるとする結論が出た。さらに一九二九年に'現代語教育に関す
る報告書(コールマン・レポ‑上が出されたが'そこでもアメリカで実践可能な方法としてリーディング・メソッドが
推奨され、この傾向は第二次大戦まで続いた。
一九三九年'第二次大戦の勃発と共に'駐留地の米軍は現地の言語を短期間に習得する必要に直面した。そこでボ
ア‑ズやサビア'ブルームフィールド等の文化人類学者や構造言語学者の協力のもとに'ネイティブスピーカーと視
聴覚メディアを駆使した集中訓練によるプログラムが実施され'短期間で驚異的な成果を収めたといわれる。この方
国際化時代 に期待 され る外国語教育 (水野晴光)
法は'ア‑、、、‑・メソッド(あるいはAsTP)と呼ばれる。
第二次大戦後は、、、、シガン大学のフリーズが行動主義心理学と構造言語学の理論に基づ‑教授法を確立した。すな
わち'音声体系と文法体系を習得するまで、すべて口頭(オーラル)で反復練習を行うところから、オーラル・アプロ
ーチといわれる。この方法は一九六
〇
年代まで全盛をきわめ'世界の外国語教育に大きな影響を与えた。他方'ハーバード大学のリチャードは'オグデンが一九三
〇
年に発表したベーシック・イングリッシュに基づいて、場面の中で直接的に学習する方法を開発した。これはGDM(別名ハーバード・メソッド)といわれ'ベーシック・イングリッシュ
で厳密に段階づけられた文を'場面(絵)と共に提示するという点で'最も理論的で体系的なダイレク‑系メソッドと
いえよう。
フランスでは一九五
〇
年代に'外国人にフランス語を教えるための視聴覚的教授法が開発された。これは絵とフィルム・ス‑リップとテープを利用して'言語と意味の連合を強化し、質問に対して反射的に応答できるよう訓練する
もので、サン・クルー・メソッド(別名クレディフ)と呼ばれる。
第二次大戦後のこれら1連の教授法は'いずれも日常使用する言語を、視聴覚メディアを用いて自動的に発話でき
るよ‑にすることを目標にしているという点で、オーディオ・リンガル・アプローチ(ダイレク‑系メソッドの総称)の
一種と考えられる。
一九六
〇
年代末に変形文法の創始者チョムスキーが'オーディオ・リンガル・アプローチの基礎理論である構造言語学の妥当性を批判し'一九六
〇
年代には、キャロルやオーズベル等の心理学者が'オーラル・アプローチの心理学的基盤を批判した。そこでチョムスキーの変形文法理論や'認知心理学に基づ‑認知記号学習理論が台頭した。この
教授法は'学習の目的や目標を自覚させ、重要なボイン‑には意識的に注意させ'学習者のもっている知識や先行経
験を、最大限に活用しょ‑とするものである。すなわち'機械的な反復練習を排除し'意味のある場面で理解に基づ
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‑学習を重視する。また入門期より'音声と文字を同時に提示し'文法は分析的に理解させるというアプローチであ
る。
1九七
〇
年代に入ると認知理論に基づ‑新しい教授法が次々に現われた。これらの教授法は、聴解練習を中心とする聴解系メソッドと'学習者の精神の活性化をはかる精神力学系メソッドとに大別される。前者にはコンプリへンシ
ョン・アプローチや‑1タル・フィジカル・レスポンス・アプローチやOHRメソッドがある。後者にはサイレン
‑・ウェイやサジェス‑ぺディアやカウンセリング・ラーニング・メソッドやドラマ・メソッドがある。
ロシア系アメリカ人ボス‑フスキーは、言語のルールを内面化させるためには、聴解練習を口頭練習に優先させる
べきであると主張した。そこで彼はテレビ画面に絵を提示して、スピーカーの音声と結びつける理解中心のコンプリ
へンション・アプローチを提唱した。
・、、ズリー大学のウイニッツもボス‑フスキーと同様に'口頭練習よりも聴解練習を優先させる教授法を開発した。
それはテレビ画面のかわりに絵を使用したプログラム・テキス‑をもとに'録音テープを聴きながら学習をすすめる
もので'OHR(最適な習慣強化)メソッドといわれる。
アッシャーは、幼児の言語習得の観察から'発話(スピーキング)の前に聴解(リスニング)を'しかも行動と結びつけ
て行えば学習は効果的であるという仮説を設定し、聞いた言葉を身体全体で反応する方法を考案し、‑1タル・フィ
ジカル・レスポンス・アプローチと命名した。これによって彼は'外国語教育における聴解と動作の重要性を認識さ
せたことは注目すべきである。
ガッテ‑ニョは'乳児の母国語学習の観察からその心理学的側面に着目して'サイレン‑・ウェイの教授原理を導
き出した。彼によれば'外国語学習は本来'模倣やドリルではな‑'試行錯誤や洞察による修正や発見を通してなさ
れる。そのよ‑な知性が十分作用するとき'学習者がそれまでに経験したすべてのものに基づいて'外国語学習はな
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される。従って'教師の務めは'学習者の意識を目覚めさせ'自発的に学習しうるようにしむけることである。なぜ
ならば学習者は自ら誤りを発見し'正しい答えを兄いだすからである。ガッテ‑ニョほ、沈黙を教授法の最も重要な
要素として採用している。学習者を沈黙させ'注意を集中させると'一度の音声提示でもよく記憶されるからである。
逆に教師がしゃべりすぎれば'彼らの学習活動を阻害する。また教師が助力を与えすぎれば,彼らの自立的学習が遅
れると考えた。最後に'サイレン‑・ウェイは教授・学習の基本として、生徒一人一人に絶対的な信頼を置き,教師
と生徒'生徒相互の人間関係を円満にすることを重視している。
シカゴのロヨラ大学の心理学者カーランは、コミュニティーに作用する集団力学に着目して、学習者中心の教授法
を開発した。カーランは'外国語学習を単にコ、、、ユニケ‑ション技能の獲得とは考えず'ヒューマニズムの精神に基
づ‑全人的な過程と考え、学習者の精神的側面や'情緒的側面を重視し'カウンセリングの理論や技術を外国語学習
に応用した。それ故この方法は'カウンセリング・ラーニング・メソッド(別名コ、、、ユニティー・ランゲージ.ラーニン
グ)と言われる。この教授法では'特に教師と生徒'生徒同士の一体化(コ,、、ユニティー化)による信頼関係の回復,棉
互依存'不安と緊張の解消'安定した所属感を最も重視する。サイレン‑・ウェイにもみられるこのような側面は,
教授・学習を促進する基本条件であろう。
ブルガリアの精神病理学者ロザノフは、暗示によって学習者から不安や緊張を取り除き,精神を集中させて学習を
促進させる外国語教授法をあみだした。これは暗示的教授法(サジェス‑ぺディア)といわれる。ロザノフは,学習者の
情緒的要因を重視し、人間の精神から不安やス‑レス'不適切な規範を取り除けば'学習は飛躍的に促進すると考え
た。そこで彼は、学習者を快適な雰囲気の中に置き'母国語で話しかけて暗示をかけ、次に外国語で物語形式の対話
文(ダイア。グ)を聞かせるという方法を用いて'短期間で驚異的な成果をあげたといわれる。
ハヮイ大学のバイアは'会話(対話)学習を中心にドラマ(演劇)を行わせて英語を教えるドラマ・メソッド(別名バイ
411
ア・メソッド)を開発した。彼は'学習者の緊張や不安を取り除‑ために'反復練習や暗記・暗唱を退けた。バイアは
まず'学習者をコ、、、ユニケ‑ション活動に参加させて動機づけ、学習者が自分の役になりきるように‑1ク・アン
ド・リッスン・カードを持たせて演じさせることにより'創造的な言語活動が促進されると考えた。確かにドラマに
は'従来の教授法のもつ有効な要素が多‑見られる。すなわち'場面中心教授法'ダイレク‑・メソッド'‑1タ
ル・フィジカル・レスポンス・アプローチなどである。外国語教育におけるドラマの重要性を'世界的に再認識させ
たバイア・メソッドの意義は大きい。
以上一九七
〇
年代以降に開発された教授法は'それまでの言語形式中心、音声言語強調'暗記学習から、意味中心'学習者中心'問題解決学習へと大き‑方向転換したといえる.と‑にアメリカでは'一九八
〇
年代以降'聴解(リスニング・コンプリへンション)を優先させる理解中心教授法が盛んに行われている。
ところで'日本における外国語教育の始まりは、七世紀のころからといわれる。すなわち'聖徳太子以来、漢学'
蘭学、英学の時代を通じて'わが国の祖先は「原典を正確に読む」ことを通して'外国の知識や文化を吸収し、幅広
い教養を身につけることにつとめてきた。
江戸時代以前は、中国の原書を読み下して'その内容を的確に把握する漢学の素養が重視され、和魂漢才が強調さ
れた。この傾向は幕末期の蘭学においても同工異曲であった。すなわち'渡辺華山や高野長英らの蘭学者は、オラン
ダ語の原書を日本語の構文に置きかえることによって、当時の国際情勢や西洋の科学技術をとり入れることに努めた。
さらに明治から昭和初期の英学時代も、読解力の養成に焦点が置かれ、ひたすらヨーロッパの香り高い先進文化を、
翻訳を通して吸収することに心血を注いだのである。
このようなわけで'明治以降'欧米のさまざまな外国語教授法が日本に紹介され'東京開成学校(東京大学の前身)
や札幌農学校では'英米人の教師が'英語のテキストを用いて英語で講義をしたが'日清戦争以後'日本人教師が英
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語を教えるようになると'漢文訳読式の変則英語となり'英米人教師による正則英語はどれも定着しなかった。
ところで'明治から大正時代に'日本人が考案した教授法がい‑つかあった.すなわち'Ⅲ中浜万次郎(1八五九)
の訳読法'
闇
南日恒太郎(一九〇
五)の英文解釈法、㈲村田祐治(1九三)の直読直解法'㈲浦口文治(一九1八)のグルーブ・メソッド等である。これらはいずれも英語を日本語に置きかえる訳読法の一種であり'欧米から紹介された外
国語教授法のうち、日本に定着した唯1の教授法も文法・訳読法であった。
一九二
〇
年以降は'英語教育に対する革新的な考え方が次第に盛り上がって'音声を強調する直接法的教授法の知識が'パーマのオーラル・メソッドによって普及し始めたが、日本人教師が苦手とするダイレク‑系(直接式)の教授
法であったため'十分浸透しないまま、英語教育の暗黒時代となり太平洋戦争を迎えることになった。
戦後は、アメリカの占領下で'英語教育が再びせきを切ったかのごとく復活した。そしてフリーズのオーラル・ア
プローチが'日本英語教育研究会(ELEC)を通して紹介された。なかでも'その手法の一つであるパターン・プラ
クティス(口頭による文型練習)は'視聴覚メディアの導入と共に'中学レベルでかなり定着し'その後の教科書や指導
手順をも方向づけるほどの大きな影響力をもった。
一九七
〇
年代になると'変形文法や認知心理学の台頭によって'構造言語学や行動心理学に基礎をおいていたオーラル・アプローチは、批判の的となった。そこで教授法の関心は次第に認知論的な新しい教授法に移っていったが,
大学などの高等教育機関では'古‑からの漢文教育の流れを‑む訳読式教授法が'圧倒的に優勢であった。
これまでは'このような訳読式教授法も確かに当時の国際情勢と、文化的に低位にあった日本の国情のしからしめ
るものであった.しかもその結果'翻訳を通して輸入された先進文化の知識は'日本人の勤勉な国民性に裏うちされ
て'日本の近代化に多大な貢献をしたことは香めない。
以上これまでの外国語教育の流れ遼概観し賓わけであるが'これからの国際化時代に期待される外国語教育のあり
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方をさぐる前に'二十一世紀の国際環境を展望し'日本人として心がけるべきことなどを次に考えてみょう。
二二十一世紀の国際環境と日本の使命
近年'わが国を取りま‑国際情勢は'以前と比べて著し‑変化した。と‑にオイル・ショック以降の企業の海外進
出'開放経済の到来、諸制度の自由化の進行に伴い'わが国の工業原料と食糧の海外依存度は、年々増々高‑なりつ
つある.また'国際間の交通所要時間も著し‑短縮され'多‑の日本人にとって'外国に行‑ことは日常茶飯事にな
っている。
一九五六年は'日本が国連加盟を承認された年であるが'当時アメリカは'大陸間電話回線サービスを開始し'ソ
連はスプ1‑ニクを打ち上げた。その後アメ‑カはアポロ計画で月面着陸に成功し、アポロ・ソユーズ共同宇宙飛行
計画(AsTP)では、宇宙開発で米ソの協力が実現し、世界的な衛星通信時代を迎えている。
カナダの哲学者マクルーハンが'二十年前にいみじ‑も指摘したように'われわれは現在'情報が光速で飛び交う
地球村にいる。ネイスビッツによれば'現在アメリカ労働人口の六
〇 %
以上が情報関連産業に従事しており'専門職に従事する者のほとんどが'情報産業労働者であるとい‑。このような情報化社会では'人と人との取り引きが幾何
級数的に増大することになる。その結果'以前にも増して基礎的な読み書きの技術が必要になると述べている。
産業界では'ロボットやマイコンの使用によるオー‑メ‑ション化の波が押し寄せている。このようなハイテク技
術は家庭にどんどん入りつつあり'コンピューターやファクシ、、、リは'二十一世紀までに家庭の常備品になるといわ
れている。
このようなハイテク技術の普及は'家庭における女性の役割の軽減に伴う余暇時間の増大を促す。これとあいまっ
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て、諸制度の自由化の波は'女性の社会進出を一層促進するであろう。その結果二一十一世紀に社会の各分野で活躍
する女性人口の増大は'目を見はるものがあると思われる。
他方'このようなハイテク化の時代における人間の労働は'必然的に知識集約的・創造的なものにならざるを得な
い。すなわちアイディア時代の到来である。そこで経営者は'熟慮熟考が今以上に問われるようになるであろう。
現在予測されているこのような変革の波がもたらす二十一世紀の世界は'どのようなものであろうか。最近のジャ
ーナリズムの論調から引き出される結論は'次のようなものである。
「今や世界経済の比重は'次第に大西洋地域から太平洋地域へと移行しっつある。二十一世紀の世界経済の推進力
となるのは'コンピューター'エレクトロニクス'電気通信'バイオテクノロジー'レーザー技術、宇宙・海底開発
などのハイテク(先端技術)産業が推進する「新産業革命」である。しかし西欧は、この新産業革命の波に乗り切れな
いでいる。なぜなら、ヨーロッパ諸国にはもはや先端技術を開発したいという意欲も気力もな‑'労働市場の硬直性
や'現状を維持できれば十分とする保守的メンタリティーのため'技術や経済が停滞するからである。さらにソ連も'
経済改革ができないまま'二流の経済国に甘んじることになると思われる。二十一世紀には石油代替エネルギーの開
発が進むため'中東では石油のだぶつきから'長期地盤沈下を避けることは難し‑'アフリカも依然として低迷しっ
づけることになる。他方'メキシコは米国経済の刺激を受けて有力な工業国に'またブラジルは南米経済圏の中心国
として発展する。しかし'アルゼンチンその他多‑の中南米諸国は'政治的不安定が続くこともあって'その経済は
低迷したままであろう。
これに対して'二十一世紀の世界文明の中心地域は'北太平洋圏になるであろう。とりわけ東アジア圏は'太平洋
時代の主役として活躍する。中でも'日本とアメリカは'経済・技術の先進国として'太平洋圏の緊密なパー‑ナ‑
となり'さまざまな分野で協力し合っているであろう。と‑に日本は'先端技術によってエネルギー・食糧・資源の
415
制約から解放され、空と海からの攻撃に対する防衛網を完備して'最も進んだ情報化社会になると考えられる。」
地位が上がれば責任はより重‑なるのが世の習いであり'金持ちはただ金持ちであるという事実からして'貧乏人
の生活に対して意見を求められるものである。さらに、金持ちはえてして人の悪口の的になりかねない。またどのよ
うな状況であれ'一国が利益を独占することなどゆるされるはずがない。今後日本は'経済・技術の面のみならず'
政治・文化のあらゆる面において、世界のリーダーとして期待されることは間違いない。
それでは、日本が二十一世紀の国際社会の中で'生かし生かされるために'われわれ日本人はどのようなことを心
がけるべきであろうか。
その二日本が世界の指導国として国際間の調整役を求められた場合'われわれ日本人が果すべき第一の使命は'
日本は軍事に一切かかわるべきではないということであろう。アメリカは第二次大戦後'世界の警察官として東南ア
ジアに軍事的援助を提供してきたが、アメリカは何かにつけて悪玉に仕立てあげられ'嫌われてきた。高度経済成長
を遂げた日本は'今や世界から憧憶と同時に、警戒の眼をもって'注視されていることを忘れてはならない.世界の
人々はいつなんどき'日本の排他的あるいは攻撃的ともいえる経済行動を、かつての太平洋戦争における日本軍の行
動にオーバーラップさせるかもしれないのである。ひとたび日本が軍事行動を起こせば'世界に根強‑ゆきわたって
いる日本人の「残忍性」が'日本人に対する好感情を一遍に帳消しにしてしまうであろ‑。万一そのよ‑な事態にな
ったら'日本は孤立化し'極めで悲惨な状態になることは避けられない。日本がこれから先'生き残れるかどうかは'
貿易にかかっている。それゆえ'日本は米・ソ両陣営に軍事・政治面で介入せず'経済立国でゆ‑べきである。孫子
の書にも'「百戦百勝は'善の善なる者に非ず.戦わずして人の兵を屈するは、善の菩なる者なり」とあるとおりで
ある。
その二'次に日本は'世界の紛争を調停し'問題をかかえている国々を助けて'彼らの問題に損得抜きで協力して
国際化時代 に期待 され る外国語教育 (水野晴光)
やることである。その際'善悪の判断をよ‑みきわめて、公正平等に行わなければならない。もしわれわれが'人潔
社会を未来あるものに発展させることを望むならば、この世界から大戦争を恒久的に阻止する機関を作ることが至上
命令である。そしてこのような機関になり‑るものは、世界連邦であろう(バートランド・ラッセル)0
その三'日本は今後、諸外国との交流のあり方を改善する必要がある。国連における日本の立場にもみられるよう
に'アメリカだけの支持を取りつけることは容易であるが'アジア諸国のそれは、非常に難しいといわれる。もし日
本が率先してアジア諸国のためにリーダーシップを発揮すれば'大国も日本に同意を示さざるを得なくなるであろう。
従って、これからの日本の進むべき方向は'むしろ有力国の是認よりも'より多‑の小国の支持を取りつけることに
ある。
その四'日本は世界秩序を維持する責任がある。現在のようにグローバル・エコノ,、、Iの時代には'拡大する経済
的な相互依存に抵抗しないで'むしろそれを快‑受け入れてやるべきである。しかし一方'相互依存関係の深まりと
共に生まれる相克と対立に、うま‑対処してゆ‑ことも日本に課せられた使命であろう。
その五'日本は開発途上国の資源開発や'技術指導の援助にあたる必要がある。特に二十一世紀は'新産業革命の
速度が早‑、「繁栄する国」と'「凋落する国」の較差が現在よりも広がるおそれがあるので'それだけ摩擦が生じや
すい。日本は'経済・技術大国として、貧しい国の経済を援助しなければならない。ただし'その援助もかつて東南
アジア諸国で不評をかったようなヒモつきであってはならない。必要とする国に'見返りをあてにしないで'積極的
に援助するだけの度量の大きさを'日本は持たなければならない。
その六'Ei本はもっと善隣友好を図って'人間的・文化的交流を発展させなければならない。日本人は概して'東
南アジアに対する知識が不十分で'そのうえ東南アジアの社会や文化を理解すべきだとも信じていないといわれる。
また、日本の知識人や教養ある人々は'東南アジアとの交流をほとんどもっていないと旦言われている。このように
417
日本人が外国の事情を知らないことが'日本人への批判となってはねかえっている。換言すれば'我々は未だ精神的
に島国根性を脱しきれず'兵の国際人になっていないことを意味する。日本は現在のような物質的財産や経済力だけ
では'必ずや近い将来孤立して行きづまってしまうであろう。経済の発展は'「豊かな人類」を築‑ことにその目的
を見出さなければならない。従って'日本は兵の友好関係を維持し'共に文化的発展を望む地域として'欧米諸国以
外の人々の社会や文化に対する認識を深めるべきである。
その七'日本と諸外国との交流のあり方を改善する必要がある。四面環海という地理的条件と'言語によって仕切
られている世界地図は'日本を孤立化させてきたが'現在に至っても我々はその孤立を押し通し'他民族に対抗的で
あるといわれる。そのような閉鎖性を打破して'相手の意向と自己の言行との間に調和を考える人間関係を、確立し
なければならない。相手の美点を見出してやれば'人は喜ぶものである。そのためには'相手をよ‑理解してやらな
ければならない。また'いずれの国民も祖国の風土に対する愛着と'自己の文化に対して誇りをもっている。我々は'
そのよ‑な相手の自尊心を傷つけるようなことがあってはならない。
その八、我々は'個人として忍耐強‑相手を説得するだけの技量を身につける必要がある。1般に日本人は'全員
の合意による決定を望み'個人的な対立を避ける傾向がある。そして欧米人の好む注意深い論理的な議論を好まない。
しかし'全てのものを公にさらけ出してしまう情報化の時代には'根回しや腹芸はもはや役に立たない。
その九'我々は、個性をみが‑必要がある。自己の性能の良い点'欠点を知ることによってのみ向上心がおこり'
努力の意欲が生まれる。個性の根本はプライドである。「女の‑せに」といった紋切り型の考え方を改め'「やってみ
ればできる。できないところは勉強し'努力すればよい」となによりも自分の性能の自覚と開発を心がけるべきであ
ろう。
その十'我々は'日本人の長所を保持しなければならない。日本人の中には、自分をエコノ、、、ック・、アニマルとか
国際化時代に期待 される外国語教育 (水野晴光)
「ものまねネコ」といって卑下する者がいるという。しかし、勤勉さは決して悪いものではない。その他、好奇心'
礼儀正しさ'技術やサービスの完壁さへの執着'品質への関心と注意深い配慮など、これらは日本人の誇るべき長所
である。誇り高い人間は'尊敬されこそすれ嫌われることはない。これらの資質を大切にしたいものである。
三国際化時代における外国語教育
今日'技術革新は加速度的にその勢いを増し'世界の国々は全地球的に相互依存の度を強めている。世はまさにハ
イタッチ'ハイテクノロジーの高度情報化社会に突入している。
これからの時代の変化に対応するために、高度化、個性化、国際化を図ることは'日本の高等教育機関の急務であ
る。すなわち、「新しい国際化」の時代には、新しい状況に即座に対応できる能力を磨‑ことが'何にもまして優先
されねばならない。これまでがそうであったように'既存の知識を追いかけているような教育であってほならないの
である。
外国語教育に的を絞れば'これまでの文法訳読式教授法で培われたような'吸収型の文化的教養の必要性は現在ほ
とんどないといってよい。実際に'英語以外に日本がアメリカから学ぶ必要があると感じている日本人は'今日はほ
とんどいないのである。これからの日本が必要としているものは'異文化間のコミュニケーション手段としての外国
語の素養であり'国際的な直接交渉の場面で'的確な情報交換を可能にする発信型の実践的実技である。
それでは二十一世紀の国際化時代に期待される外国語教育を展開するためには'どのような改革が必要であろうか。
ひと‑ちに外国語教育の改革といっても'それは教育のあり方から様々な制度的技術的な問題まで'多岐にわたる。
しかしここでは'当面緊急を要する八つの側面に焦点を絞って'本論文の結びとしたい。
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川教育目標の改善
これまでの日本は、アジア・アフリカ等の開発途上国に対する理解に欠けるところがあった。しかし今後は、西欧
先進諸国に偏ちない国際交流を推し進めなければならない。そのためには、バランスのとれた国際感覚と、グローバ
ルな物の見方を備えた人材の養成が不可欠である。換言すれば'幅広い人類愛と二者択一的でない多値的な物の見方
を養成すると共に'日本人としてのアイデンティティーを確立させる必要がある。その手段として'個性を尊重した
説得力のある発信型の外国語運用能力を養成するべきであろう。
ところで、一九八六年にlACETが行った調査によれば、大学の一般英語の目的として、「英語によるコ、、、ユニケ
‑ション」をあげている学生が六〇%'「国際人の養成」を含めると九〇%にものぼる.ところが'大学の英語教員
の場合(1九八二年'IACEIE・1)は'一般英語の目的として'「英語によるコミュニケーション」は四七%'「国際人の
養成」は一八%弱しかいないが、「教養を高める」ことを目的とする教師が五二%もいる。国際化の進展している今
日'我々がこのような時代錯誤の現状認識をしているとするならば'二十一世紀の国際社会の中で、日本に対する理
解と友好を促進する気運をつ‑り上げることは、極めて難しいといわねばなるまい。
榔大学人試問題の改善
現在の日本の中学・高校の授業は、そのほとんどが大学入学試験でより多‑の得点をあげるために行われていると
いっても言い過ぎではあるまい。しかし'一九八二年のーACETの調査では'大学の英語教師で'大学人試問題に
おける中学・高校の授業への影響を自覚している教員は極めて少な‑'解答者のわずか四%にも満たない。
日本における英語教育の不能率が手ひど‑批判されて久しいが'英語教育を改善する最も効果的な手段の一つはI
大学人試問題から長文の英文和訳問題を撤廃するか'配点を大幅に少な‑して'その分だけヒアリングテス‑の得点
を考慮することである。もっと庵ヒアリングテス‑の実施は'条件の平等化を図る上で設備が不十分であるとする意
国際化時代に期待 される外国語教育 (水野晴光)
兄もあるが、かすがい思案とならぬように'ときには近きを捨てて'遠きを謀る覚悟も必要であろう。
英語の入試問題作成に、外人教師の参加が全‑ないと答えた教員が'一九八二年の1ACETの調査では四〇%弱
にも達した。テストの妥当性を考えるならば、ネイティブスピーカーの果す役割をもっと見直すべきではなかろうか。
共通l次テス‑を'私立大学でも入試の1部として利用することを'前向きに検討したいとする教員は'先のIA
cETの調査で五三%であった。文部省が'ヒアリングテス‑だけを独立させて大学人学資格試験として実施し'各
大学がその得点を合香の参考資料として用いるだけでも、日本の英語教育の流れを大き‑変えることになろう。
情報処理のスピードも大切な能力である。アメリカのsAT(大学進学通性試験)のような'一般教養的知識を英語で
チェックするテス‑問題も検討すべきであろう。また長文読解問題も英文和訳など要求しないで客観テス‑形式にし
て'その内容把握力をみるものにするとか'読解力の優れた測定法といわれるクローズ・テス‑の導入などは今後検
討されるべきであろう。
㈱教育制度の改革
1九八八年の1ACETの調査によれば'早期英語教育を'約七九%の父母が望んでいる.神経言語学でも'八歳
を第二言語習得の臨界期としており'九歳以後は自然な言語習得が困難になるという。さらに'異文化に対して寛容
な小学校低学年から外国語を導入することは'わが国の国際理解教育を進める上からも'真剣に検討されるべきであ
ろう。
中学校では'ヒアリングを指導要領の最重点項目に置‑べきであろう。入門期に聴解能力を高めることの重要性は'
ラド‑(一九六四)やリバーズ(一九六四)をはじめ'最近ではボス‑フスキー(一九七四)などの聴解系メソッドで強調さ
れている。大学入試にヒアリングテス‑が導入されれば'中学・高校の英語の授業でも'ヒアリングに重点が置かれ
ることになろ‑。現在の指導要領のよ‑に'あまり盛り沢山なことを要求しないで'中学段階では'ライティングは
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手紙の宛名が書ける程度でもよしとすべきであろ‑。高校では'クラスサイズを現在の二分の1に縮小して能力別編
成をしたい。高校生は中学生より能力差が目立って‑る。日本では能力別クラス編成は'差別教育であるといって好
まれない。しかし能力差の大きい生徒に'同じベースで同じ教材を用いて教えることが'真の平等とはいえない。能
力の低い者は低いなりに'能力の高い者は高いなりに'適切な指導を受けることが、人間尊重の民主教育であろう。
国際理解を深め、広い視野を身につけさせるためには、高校・大学のカリキュラムに海外交換留学制度を取り入れ
るべきである。この制度を定着させるためには'相互の教育機関における単位の互換制度が'実現しなければならな
い。と‑に'大学の外国語教育のレベルアップには'その履修年限を教養課程二年間だけのものに終らせず'三‑四
年でも履修できる道をひら‑ことが望ましい。また'専門コースの授業やテキスIは、日本語だけでな‑外国語も併
用すべきであろう。
㈲
教員人事の改革1九八二年の1ACETの調査では'大学の一般英語の総コマ数に占める外国人教師(非常勤を含む)の授業コマ数
の比率が'三〇%以上あると答えたものが四%弱であった。日本の大学英語教育のほとんどが'外国人教員抜きで行
われていることの何よりの左証である。有資格の外国人教員は、入試問題作成の他にも'授業のモチベーションを高
めたり'国際理解を深めるうえでも有益である。これまでは'外国人教師は経費がかかりすぎるとい‑面もあったで
あろうが'日本が経済大国となった現在'円とドルの此率は大幅に縮まっている。この際'外国人の給与の見直しを
して'日本人と均等にすべきであろう。
外国人教師を英米人と限定しないで'東南アジア・アフリカなどから教師を採用することも検討されてよいであろ
‑。また'海外交換教員制度などを'海外の諸大学と結ぶことができれば'学術・文化の交流とバランスのとれた国
際感覚を身につけるうえでも有効であろう。
国際化時代 に期待 される外国語教育 (水野晴光)
さらに日本の外国語教育担当者に'海外研修の機会を拡げることも必要であろ‑。一九八八年のーACETの調査
によれば'中学では七七%'高校では八二%強もの教員が'海外研修を希望している。教員研修のあり方も'これま
でのよ‑な理論中心のものから'実践的技能を中心としたものに改める必要があろう.
㈲授業メディアの改革
現在'中学・高校の授業における視聴覚メディアの主役は、テープレコーダーである。一九八八年のーACETの
調査では'中学校で九五%強'高校で九七%弱の教師がテープレコーダーを使用している.大学でも九三%の教師が
利用しているよ‑である(1九八三年、1ACET調査)。しかし、VTRやテレビの使用は'いずれも三〇%以下であ
る。コンピューターの利用は'せいぜい二・五%である。視覚と聴覚の同時提示による学習効果は'レアリティ‑
(現実性)と学習意欲を高める‑えで'きわめて有効である。今後'先端技術の進歩により、これらのメディアは多機
能化'軽量化の方向に進むことは間違いない。それに伴い'これらのメディアを使いこなせる教師の需要は'増しこ
そすれ減ることはないであろう。
㈲指導計画の改善
これからの語学の授業は'コ,、、ユニケーションを中心に場面と意味を重視する必要がある。ペンシルバニア大学の
バード・ウイステルは、コ、、、ユニケ‑ションにおける非言語的要素の役割は七〇%を占めるとのべている。エチケッ
Iや相手の表情を理解させることも'外国語教育の重要な指導項目であるはずである。
外国語の中でも英語は'イギリス・アメリカ以外にカナダ・オースーラリアなどでも母国語として話されており'
世界全体では'約三億人以上の人々によって話されている。また世界の科学文献の二分の一は英語で書かれており、
国内向けも国外向けも合わせて世界の放送の六〇%、郵便物の七〇%は英語を利用している。つまり'この地球上に
は現在さまざまな英語が用いられている。従って'クィーンズイングリッシュなどの差別感を抱かせる呼び名は好ま
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しくない。これからは'世界のどこの国の人ともつき合える国際英語を教えるべきであろう。
外国語は易し‑教えれば易し‑身につけられるが、難し‑教えれば身につけるのも難し‑なるものである。従って'
中学校の授業では'語嚢をベーシック・イングリッシュに絞り'ヒアリングに重点を置いたほうがよい。と‑に英語
から日本語に入った外国語の発音を正すことが大切である。高校では慣用的な言い回しに習熟させ'英文日記を毎日
つけさせるように指導したい。
授業の中で教師がどの程度英語を使用しているかを1ACETの調査でみると'積極的に英語を使用している教師
は'中学校では二一%'高校では二%'大学では二七%以下であった。授業の中での英語の使用は個人差が大きい
が'海外研修その他で教師が積極的に研修を積み、授業でもっと英語を使うようにしたい。
外国語の授業はえてして教師がしゃべりすぎる傾向がある。授業はあ‑までも学習者が中心でなければならない。
また学生に言語活動をさせる場合でも'エラーを犯すことをおそれさせないように配慮することも'大切な教師の心
得であろう。
さらに'学生の英語力は国語力と無関係ではない。日本語で自分の考えをまとめ'それを適切に表現できるように
することも重要である。
これからの外国語の授業に'VTRやコンピューターの利用は欠かせない。教師はこれらのメディアの挽作を'是
非マスターしたい。国際理解を深め'生徒の学習意欲を高めるうえでも'中学二高校の授業では'海外の学生とのテ
ープ通信や文通を奨励したい。また'VTRの交換ができれば一層よい。
m学習者の質的転換
近年わが国の国際化に伴い'海外との交流が急速に拡大し'海外から日本人子女約1万人が毎年帰国する.彼らは
異国の文化'生活習慣'行動様式'思考パターンの実体と本質を見定め'日常の生活の中で適切に対応できる習慣や
国際化時代に期待 される外国語教育 (水野晴光)
精神力をもっている.しかし'帰国子女の受入れ態勢には'幾つかの問題がある。と‑に学力の差や'新学年開始期
のくい違いや'せっかく獲得した語学力が'日本の大学入試では生かせないといった問題がある。今後'帰国子女に
教育制度上の門戸をもっと広げるならば'外国語教育においてもよい刺激となり'国際性豊かな日本人の育成にもプ
ラスするところが多いと思われる。
また'交換留学生の受入れ態勢を整えることも大切である.これまでは'欧米系の学生に偏る傾向があったようで
あるが'非欧米の学生も同じ此率で受け入れる必要がある.このような動きにともなって'必ず対応を迫られるのは
日本語の教育態勢であるが'これからは'教員各自が外国人に日本語を教えられるだけの見識をそなえたい。
㈲評価方法の改善
教育は本来'継続的な目的追求活動である。教育を効果的に進めてい‑ためには、その判断の基礎となるデータを
入手しなければならない。そこで評価活動がスター‑することになる。ところで、学力評価には三つの機能がある。
すなわち、入学者や組分けなどに関する「選別機能」'学習や指導を診断したり、授業の改善に役立てる「診療機能」'
学習目標の到達度をみる「評定機能」である。
大学における一般英語の授業は、評価の点で大変問題がある。1ACETの調査で見る限り'大学の一般英語の教
員の八八%が'期末テス‑だけで評価を出すよ‑である。もしこれが一般的な事実だとすれば'大学の一般英語には
評価の「診療機能」が欠落しているとみなければならない。そのためいつまでたっても授業の改善が行われないこと
になる。外国語教育の改革を実践するためには'教師は少な‑とも学期末テス‑の得点にもとづ‑評定(総括的評価)
だけでなく授業の診断や改善のためのチェック(形成的評価)を少な‑とも毎学期行いたい。そうした教師の個人的
な努力が集結してゆけば'改革の実現は決して困難ではないであろう0
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参考文献
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〇 )
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ネイスビッツ他者竹村健1訳(1九八六)﹃ニューメガトレンド﹄三笠書房
比嘉正範(一九八六)「英語教育の効率を考える」﹃英語展望﹄87号英語教育協議会
マーシャル・マクルーハン他(一九六八)﹃地球村の戦争と平和﹄バンタンブックス
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