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柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察

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柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察

加 藤 薫 ・川 村 兼 章

章章章章章章章録一二三四五六序第第第第第第附

戦前 制 作 の レ リー フ2点 に見 られ る特 徴

終 戦 か ら1952年(渡 仏)ま で の依 頼 制 作 彫 刻 レリー フ 1953年 か ら1960年 代 の エ ス キ ー ス につ い て

柳 原 の 依 頼 制 作 彫 刻 の 展 開 米 田学 長 の 胸 像

結 論

一 .写 真 二.資 料

序 章

2002年6月14日 に,本 論 文 監 修 者 加 藤 薫 と著 者 川村 兼 章 は,神 奈 川 大 学 横 浜 キ ャ ンパ ス1号 館 で彫 刻 家柳 原 義 達 作 《米 田 学 長 の 胸 像 》(図1)を 調査 した 。 川 村 は1996年4月 か ら2003年3月 まで の7年 間,柳 原 の ア トリエ で 助 手 を勤 め た経 験 か ら,柳 原 作 品 の全 て を把 握 して い る と考 え て い た が,《 米 田学 長 の胸 像 》 は知 ら なか っ た。 まず 最 初 に疑 問 に思 っ た の は 《米 田 学 長 の 胸 像 》 ほ どの 大 きな作 品 が,神 奈 川 大 学 の 中枢 で あ る1号 館 ロ ビー に鎮 座 し

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て い る に も関 わ らず,何 故 今 まで 芸術 関 係 者 にそ の 存 在 が 知 られ て い な か っ た の だ ろ うか,と い う点 で あ る 。 過 去 の 柳 原 の展 覧 会 に 《米 田 学 長 の胸 像 》 は 出 品 され た記 録 が 無 い 。 も し,柳 原 の 作 品 で ま だ そ の存 在 が 知 られ て い な い作 品 が あ る とす れ ば,お そ ら く 《米 田学 長 の 胸 像 》 の よ う に依 頼 され た 注 文 制 作 品 で あ ろ う。

柳 原 芸 術 の 中 で は 《犬 の 唄 》 シ リー ズ や 《道 標 》 シ リー ズ の よ う に,「 レ ジス タ ンス,自 分 自身 の 制 作 に対 す る抵 抗 精 神 」 とい う ひ とつ の テ ー マ を何 十 年 もひ たす ら追 求 して きた作 品 の 系 譜 が あ る。 注 文 制 作 の 作 品 に これ らシ

リー ズ作 品 と共 通 す る精 神 性 や 芸 術 性 を求 め るの も無 理 が あ る。 しか し,中 には 《鹿 島 さん の首 》(図2,1977年,ブ ロ ンズ,58.5×28×29crn,個 人蔵) の よ うに性 格 描 写 に優 れ,国 立 近代 美 術 館 に陳 列 され た作 品 もあ る。

柳 原 は東 京 美 術 学 校 学 生 時 代 か らす で に反 ア カデ ミ ック な表 現 方 法 を採 用 して い た。 柳 原 の作 品 は,モ デ ル に対 して 緊 張 感 を出 す た め に,体 の 理 想 的

1)

比 率 を 無 視 し,そ の た め グ ロ テ ス ク だ と仲 間 か ら評 さ れ て い た ら しい 。 しか し,表 面 的 に は きれ い で な く と も,量 塊 の 構築 に よ る 力 強 さ をs先 輩 彫 刻 家

2)

高 村 光 太 郎 も認 め た と柳 原 は 語 る。

本 稿 は柳 原 芸 術 の 中 で も,こ れ まで未 調査 で あ った 依 頼 制 作 作 品 の 一 部 に つ い ての 調 査 報 告で あ る 。調 査 の主 た る 目的 は,反 ア カ デ ミズ ム 具 象 彫 刻 の 旗 手 だ っ た柳 原 の 表 現 の軌 跡 を探 る こ とに あ っ た 。2001年,柳 原 の 自宅 の倉 庫 か ら数 点 の依 頼 制 作 用 石膏 彫 刻 が 見 つ か っ た の が きっ か け だ っ たが これ ら

の 石 膏 彫 刻 を手 が か りに して,《 米 田学 長 の胸 像 》 制 作 に至 る まで の経 緯 を 考 察 す る 。

本 章 の締 め く く り と して 柳 原 義 達 の 略 歴 を整 理 して お く。

略 歴

19103月21日 神 戸 市 に生 まれ る。

1931東 京 美 術 学 校 に入 学 。1936年 に東 京 美 術 学 校 を卒 業 。

1939新 制 作 派 協 会彫 刻 部 の創 立 に参 加 。(1951年 よ り新 制 作 協 会 とな る)

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1946佐 藤 忠 良 と共 に作 品 を預 け てい た先 の 火 災 で,そ れ以 前 の作 品 の大 部 分 を焼 失 す る。

1953渡 仏,グ ラ ン ド ・シ ョ ミエ ー ルで エ マ ニ ュエ ル ・オ リ コス トに 師事 す る。1957年 に帰 国 。

1958美 術 家 連 盟 理 事 と な る(1959年 まで)。 第1回 高 村 光 太 郎 賞 受 賞 。 第 3回 現 代 日本 美 術 展 で 優 秀 賞 受 賞 。

1965第1回 現 代 日本 彫 刻 展(宇 部)の …審査 選 考 委 員 とな る(以 後 毎 回)。

1968第1回 須 磨 離 宮 公 園 現代 彫 刻 展 の 審査 委 員 と な る。

1970日 本大 学 芸 術 学 部美 術 学 科 の 主任 教 授 とな る 。

1973第1回 彫 刻 の森 美術 館 大 賞 展 審査 委 員 と なる 。 第1回 長 野 市 野外 彫 刻 賞 受賞 。

1974柳 原 …義 達展 を開催(現 代 彫 刻 セ ン タ ー)。 第5回 中原 悌 二 朗 賞 を受 賞 。 1980日 本 大 学 を退 職 。

1983柳 原 義 達展 を開催(神 奈 川 県 立 近 代 美 術 館,兵 庫 県 立 近 代 美 術 館 ,大 原 美 術 館,北 海 道 立 旭 川 美術 館)。

1993柳 原 義 達 展 を 開催(東 京 国 立 近 代 美 術 館,京 都 国立 近 代 美術 館)。

1994第35回 毎 日芸術 賞 を受 賞 。

1995〜1996「 道 標 一 生 の あ か しを刻 む 柳 原 義 達 展 」(宮 城 県 美術 館,茨 城 県 近 代 美 術 館,佐 倉 市 立 美術 館,山 梨 県 立 美 術 館,三 重 県立 美術 館, 札 幌 芸 術 の森 美術 館,長 岡市 美 術 セ ン ター,神 戸 市 立 博 物 館)。

1996文 化 功 労 者 に顕 彰 され る 。

1999柳 原 義 達 デ ッサ ン展 を 開催(三 重 県 立 美 術 館,神 奈 川 県 立 近代 美 術 館)。

200212月 現 在 夫 婦 と も東 京 都 内 の老 人専 用 の施 設 で療 養 中。

柳 原 義 達 の 彫 刻 に 関 す る 一 考 察385

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第 一 章 戦 前 制 作 の レ リ ー フ2点 に 見 られ る特 徴

本 章 で は1940年 と推 定1940年 の レ リ ー フ作 品2点 の 特 徴 に つ い て,柳 原 夫 妻 か ら1940〜1952年 頃 の 制 作 状 況 を伺 っ た 内 容(2001年6月 の イ ン タ ビ ュ ー) を 参 照 しな が ら論 述 す る 。 な お,こ れ ら2点 は 柳 原 義 達 個 人 の 所 蔵 品 で あ り, 川 村 が 柳 原 の 自 宅 倉 庫 で 発 見 し た 未 公 開 作 品 で あ る 。

《皇 帝 ペ ン ギ ン の レ リ ー フ 》

1940年,石 膏,15.5×20×20cm, (図3)… 少 々 破 損 あ り

制 作 さ れ た 年 代 は,レ リ ー フ の 端 の 部 分 に"2600YOSHI‑‑TU

YANAGIHARA"と 書 い て あ る の で わ か っ た(一 一 の 部 分 は 破 損 で 解 読 不 能)。

ま た 現 存 す る 柳 原 作 品 の 中 で は 群 像 と し て 表 現 さ れ た 珍 しい 作 品 で あ る 。 ち な み に こ の 外 の 群 像 作 品 は,1963年 制 作 の レ リ ー フ 《三 人 の 顔 》,川 崎 市 の 旧 向 ヶ 丘 遊 園 に あ る1964年 作 《フ ラ ワ ー エ ン ジ ェ ル 》,神 戸 三 ノ 宮 駅 前 の 1966年 作 《愛 》及 び1979年 作 《三 美 神,す こ や か,い こ い 左,い こ い 右 》(阪 神 大 震 災 時 に 破 損 し未 修 復)の4点 しか な い 。 《皇 帝 ペ ンギ ン の レ リー フ》

作 品 は サ イ ン も現 存 す る レ リ ー フ 彫 刻 の な か で,お そ ら く:一 古 い もの で あ ろ う 。 つ ま り,皇 紀2600年=1940年,昭 和15年 の 制 作 だ と確 認 で き る 。

柳 原 の 戦 前 の 作 品 は,1946年 に 作 品 を 預 け て い た 家 の 火 災 で 《(仔)山 羊 》(1939年)と 《山 本 格 二 の 首 》(1940年)以 外,す べ て を消 失 す る と い う

3)

悲 劇 が あ っ た 。 しか し こ の 《皇 帝 ペ ン ギ ンの レ リ ー フ 》 は そ の サ イ ン に よ っ て,戦 前 の 作 品 と確 認 で き た 。 柳 原 は 若 い 時 か ら よ く美 術 学 校 の 隣 の 上 野 動

物 園 で デ ッサ ン を した 。 お そ ら く,モ デ ル と した 皇 帝 ペ ン ギ ン の 「皇 帝 」 の 名 称 を 昭 和 天 皇 の 隠 喩 と捉 え,皇 紀2600年 の 記 念 に 制 作 した もの と考 え ら れ

る 。 しか し,誰 が 何 の 目 的 で 発 注 した か は,柳 原 自 身 も忘 れ て い る 。

(5)

5)

柳 原 義 達 は 戦 前 に他 の ペ ンギ ン も制作 した と述 べ て い た。 しか し,他 の ペ ンギ ンの資 料 も作 品 も存 在 しな い。 また,こ の 《皇 帝 ペ ンギ ンの レ リー フ》

に は土 が付 い て お り,ま ね 型(土 を使 っ て原 型 か らブ ロ ンズ に鋳 す る 日本 古 来 か らの方 法)で ブ ロ ンズ に採 っ た痕 跡 で あ る 。 この痕 跡 か ら 《皇 帝 ペ ンギ ンの レ リー フ》 は,皇 紀2600年 を記 念 して美 術 愛 好 家 の 頒 布 会 の ため に5〜

10個 程 ブ ロ ンズ で製 作 され た作 品 の 原 型 と推 察 す る。 そ の根 拠 は 次 の2点 に 因 る。

(1)前 年 の1939年 に柳 原 は,高 村 光 太 郎 の 勧 め もあ っ て 第14回 国 画 会 に

6)

出 品 した 《(仔)山 羊 》を頒 布 会 に出 して い る。1940年 に柳 原 は 国 画 会 を脱 退 して い る とは い え,頒 布 会 を開 い てペ ンギ ンの レ リー フ を出 品 して い た と 推 察 出 来 る。

(2)柳 原 は1939年 に続 い て 皇 紀2600年=西 暦1940年 に 開催 され た 第5回 新 制 作 派協 会 展(東 京府 美 術 館)に お い て 《立 像 》 を発 表 して い る。 彫 刻 部 創 立 会 員 で あ る柳 原 は この ペ ンギ ンの レ リー フ を新 作 家 賞 受 賞 者 に記 念 品 と

して与 え て い た と推 察 で きる。

しか しこ れ らは あ くまで 推 察 で あ り,今 後 新 た に 《皇 帝 ペ ンギ ンの レ リー フ》 に関連 す る資 料 調 査 が 課 題 とな る。

《や た が ら す の レ リ ー一フ 》

制 作 年 代,不 詳 石 膏,20×15.8×13.8cm,(図4)

7)

柳 原 は 《や た が らす 》 が 戦 前 の 作 品 で あ る と述 べ て い る。 川村 は 《や た が らす 》 制作 の 背 景 に つ い て3つ の仮 説 を考 え た 。

(1)こ の レ リー フ は,皇 室 関 係 の 主 題 で あ る こ とか ら,上 述 の 《皇 帝 ペ ンギ ンの レ リー フ》 と同 じ1940年 頃 作 と推 測 で きる 。《や た が らす 》 の 背 景 に大 き な太 陽 を彫 りs神 武 天 皇 を象徴 させ て い る。 た だ し,石 膏 に はサ イ ン が な く,表 面 の 破 損 は少 ない 代 わ りに 《(仔)山 羊 》(1939年)や 《皇 帝 ペ ン

柳 原 義 達 の彫 刻 に 関 す る一 考 察387

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ギ ン の レ リ ー フ 》 に 比 べ 色 が 白 く,第1原 型 制 作 後,か ら型 取 り した 第2原 型 で あ ろ う。 お そ ら く最 初 の 原 型 は,か た ど りで す り減 っ た か,破 損 し消 滅

した 。 《や た が らす 》 は 皇 紀2600年 を 記 念 して 美 術 愛 好 家 の 頒 布 会 の た め に 5〜10個 程 ブ ロ ン ズ に抜 い て 製 作 さ れ て い た と推 察 す る 。

(2)1952年 に柳 原 は 東 京 駅 皇 室 専 用 特 別 室 の レ リ ー フ 《鹿 》 を制 作(現 在 も 同 所 に 現 存)し て い る 。(図5)《 や た が ら す 》 は,東 京 駅 皇 室 専 用 特 別 室 関 係 者 へ 頒 布 の た め に5〜10個 程 ブ ロ ン ズ で 製 作 さ れ て い た と推 察 で き る 。 つ ま り 《鹿 》 の 作 品 制 作 と 同 じ頃 の 作 品 ら しい 。

(3)1940年 代 か ら柳 原 の 作 品 の 石 膏 取 り を して い る松 平 造 形 研 究 所 々 長, 松 平 実 の 話 で は,1947,1948年 頃 に東 京 駅 の 丸 の 内 に 「と り」 の レ リ ー フ を

8)

作 っ た そ うで あ る 。

2000年12月25日(月 曜 日)の 朝 日新 聞 夕 刊 の1面 に,「 『見 よ,敗 戦 直 後 の 心 意 気 』 東 京 駅 の40mレ リー フ ・30年 ぶ りの 姿 」 と あ っ た 。 こ の レ リ ー フ は 丸 の 内 駅 舎 内 で1947年 〜1952年 ま で,進 駐 軍 の 待 合 室 に使 わ れ て い た 事 務 室 の 壁 に あ る 。 こ の 記 事 は松 平 の 話 と 同 じ東 京 駅 の 作 品 で,制 作 時 期 も ほ ぼ 同 じ で あ る 。 つ ま り松 平 の 語 る 《と り》 と は 《や た が らす 》 の こ とで あ る と推 察 で き る 。 東 京 駅 の 高 さ3.2m,総 延 長40mに 及 ん だ 横 長 レ リ ー フ は 丸 の 内 駅 舎 の 南 面 と東 面 に 取 り付 け ら れ て い た 。

終 戦 後,東 京 駅 の 三 等 待 合 室 に 進 駐 軍 のRTO(RailwayTransportation

Office)が 置 か れ た 。 し か し,そ の 部 屋 が 殺 風 景 だ と い う こ とか ら,建 築 家 の 中 村 順 平(1887年 生 ま れ 〜1977年 没:1920年 代 に 国 立 パ リ美 術 院 を卒 業 。 1957年 芸 術 院 賞 受 賞 。1975年 芸 術 院 会 員 。 黒 田 清 輝 と交 友 が あ っ た)に 対 し て,壁 面 を レ リ ー フ で 飾 る よ う にRTOが 命 じ た 。

中 村 の 指 揮 の 下 で 制 作 に あ た っ た の は,新 制 作 派 協 会 の 本 郷 新,田 畑 一 作, 後 に 行 動 展 を 率 い る 直 土 会(建 畠 覚 造 の 父 建 畠 大 夢 の 門 下 生 が 中 心 の 彫 刻 研 究 会:1940年 創 立 〜1943年 解 散)の 建 畠 覚 造,白 井 謙 次 郎,ほ か2名(姓 名 不 明)で あ っ た 。 柳 原 は 当 時,本 郷,田 畑 と 同 じ新 制 作 派 協 会 の 会 員 だ っ た

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の で,こ の 姓 名 不 明 者 の2名 の1人 が柳 原 だ っ た と推 察 で き る。 長 さ40mの レ リー フは 正 面 に 日本 地 図 を配 し,壁 面 に沿 っ て江 戸 に向 うみ か ん船,富 士 山,日 光,鎌 倉 の 流 鏑 馬,東 海 道 の松 並 木,奈 良東 大 寺 の 鐘,京 都 大 原 女, 宮 島,錦 帯 橋 な ど名 所 旧 跡 や風 俗 を表 現 して い る。 特 に0番 大 きい み か ん船 の レ リー フ部 分 は,新 生 日本 の船 出 で あ り復 興 の意 気 込 み を表 現 した と,建

g}

畠覚 造 は述 べ て い る。

東 京 駅 一 帯 を調 査 した川 村 は松 平 の 語 る 《と り》 の作 品 を発 見 で きなか っ た 。 ち なみ に建 畠 覚 造 にRTOの レ リー フ制 作 に参 加 して い たの か上 記 朝 日 新 聞 の 記 事 掲 載 以 降 に 聞 い た と こ ろ,覚 造 自身 は 参 加 して は い な い と述 べ

た 。

1940年 制 作 《や たが らす 》 の レ リー フ は,柳 原 の 最初 の カ ラス作 品 と され て い る 《愛 「仔 馬 の像 」》(1966年)や 『仔 馬 の背 中 に カ ラ スが 乗 っ て い る』

(1966年?)よ り古 い 鳥 の 造 形 表 現 で あ る。

第 二 章 終 戦 か ら1952年(渡 仏)ま で の 依 頼 制 作 彫 刻 レ リー フ

戦 時 中,柳 原 義 達,佐 藤 忠 良 の彫 刻 作 品 は杉 並 区 の あ る屋 敷 に保 管 され て い た。 そ の 家 主 は他 に も多 くの 若 手 芸 術 家 の 絵 画 や彫 刻 を預 か っ て い た 。 し か し,終 戦 の 翌 年 の1946年 に屋 敷 が 進駐 軍 に接 収 され る と聞 い た家 主 は,逆 上 し自 らの 家 を放 火 した。 絵 画 等 持 ち運 び 易 い もの は避 難 し無 事 だ っ たが, 柳 原,佐 藤 の 作 品 は 消 失 した 。 柳 原 が 自分 で 保 管 して い た 《(仔)山 羊 》,

《山 本 格 二 さん の 首 》,そ して今 回 の 調査 で 戦 前 作 と新 た に分 か っ た 《皇 帝 ペ ンギ ンの レ リー フ》,《や たが らす 》 以外,戦 前 の作 品 は み な焼 失 して し ま っ た 。

彫 刻 家 と して の み で 食 べ て ゆ くに は非 常 に困難 な終 戦 直 後,柳 原 は生 活 の た め に1948年 頃 か ら銀 座 のバ ラ ック建 て の レス トラ ンや ダ ンス ホ ー ル の装 飾 依 頼 に手 を貸 した 。 『道 標 一 生 の あ か しを刻 む 柳 原 義 達 展 』 の カ タロ グ の

柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察389

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中 で,木 田拓 也 が バ ラ ック建 造 物 の 装 飾 に つ い て 詳 し く述 べ て い るが,そ の 中 で,「 建 築 家 の 岡 田 哲 郎 氏 が 昭和23年 か ら銀 座 の 飲 食 店 の バ ラ ッ ク建 築 の 装 飾 を行 い,ほ とん どが 漆 喰 か セ メ ン トの よ う な もの で 作 られ て い た た め,

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大 部 分 が取 り壊 され 建 て替 え られ た の で 今 で は 目に す る こ とが で きな い」 と い う記 述 が あ る。 又,木 田 は次 の よ う に も述 べ て い る。

「銀 座 の バ ラ ッ ク に お い て,い ず れ も新 制 作 派協 会 の 会 員 で あ っ た 岡 田哲 郎 と猪 熊 弦 一 郎 と柳 原 義 達 が協 力 して0つ の 商 業 空 間 をつ く りあ げ て い た こ との背 景 に は,建 築 一絵 画 一彫 刻 の総 合 に よ る"人 間 と芸 術 の有 機 的 なつ な が り"を め ざ した一 つ の試 み とい う面 もあ っ た の か も しれ な い 。 しか し,こ れ まで見 て きた よ う なバ ラ ッ クの 装飾 活 動 に 対 して柳 原 は"結 局 は お 飾 りを させ られ た にす ぎなか っ た"と 捉 え て

11}

お り,本 来 の 制 作 とは切 り離 して考 えて い る」 とあ る。

木 田 は さ らに次 の よ うに述 べ て い る。

「関 東 大 震 災 後 の 銀 座 を舞 台 と して,今 和 次 郎 の 〈バ ラ ッ ク装 飾 社 〉 や 村 山 知 義 の 〈マ ヴ ォ 〉が 美 術 と社 会 の接 点 を建 築 に求 め,『 ア トリ エ か ら街 路 へ 』 を合 言 葉 にバ ラ ック建 築 の 装 飾 を行 っ て い た よ うにi 柳 原 の バ ラ ックの 装 飾 活 動 も彫 刻 と社 会 の接 点 をバ ラ ック建 築 に求 め た 一 つ の 試 み と位 置 付 け た い とこ ろ だ が,こ の 頃 につ くられ た バ ラ ッ クの 装 飾 に見 られ る レ リー フや彫 刻 は,柳 原 氏 の 作 品 と して は異 質 で

12)

あ り私 た ち を と ま どわ せ る」。

これ ら レ リー フや 小 彫 刻 の作 品群(1948年 か ら1952年 まで)は 柳 原 所 有 の 当 時 の記 録 用 写真 で しか見 る こ とが で きな い。 例 え ば レス トラ ン ・ポ ワ ソ ン

ドー ル の記 録 写真 を所 有 して い る。 この 写 真 を見 る限 り,柳 原 の バ ラ ッ ク建 築用 装 飾 彫 刻 レ リー フの作 風 は,平 面 的 な マ チ エ ー ル を切 り抜 い た よ うに構 成 され て い た と川 村 は判 断 す る。 これ らバ ラ ック建 築 用 装 飾 彫 刻 の レ リー フ は1952年 渡 仏 前 の作 品 の為 か,帰 国 後 の1960年 以 後 の作 品 の 重 量 感 や 緊 張 感 を持 っ た量 塊 で構 築 され た彫 刻 とは 明 らか に作 風 が違 う。1966年 以 降 に発 表

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さ れ る 《道 標 》 シ リ ー ズ に 比 べ る と,バ ラ ッ ク 建 築 用 装 飾 彫 刻 レ リ ー フ は, 量 塊 の 構 成 や 肉 付 け 方 と い い,軽 く流 れ る 感 じで ま る で 別 人 の 作 品 の よ う で あ る 。

バ ラ ッ ク建 築 物 で,柳 原 の 彫 刻 作 品 が 設 置 され て い た と確 認 さ れ た の は 以 下 の 場 所 で あ る 。

・ ボ ア ソ ン ドー ル(POISSOND'OR ,1949年 頃)

(設 計:岡 田 哲 郎,装 飾:柳 原 義 達(彫 刻)・ 猪 熊 弦 一 郎(壁 画),場 所:現 銀 座5‑7‑16〔 旧 銀 座5の2〕 ギ ンザ ト リ イ ビ ル,作 品 は 『建 築 文 化 』,1949年9月 号:ビ ル の 写 真 で 再 確 認 。 壁 面 にPOISSON

D'ORの 文 字 と猪 熊 の 壁 画 が 描 か れ て い る 。 柳 原 作 品 は 木 彫 金 色 彩 色 レ リ ー フ で 間 接 照 明 で 演 出 。)

・ コ ッ ク ドー ル(COQD'OR ,1949年 頃)

(設 計=岡 田 哲 郎,装 飾:柳 原 義 達(彫 刻)・ 猪 熊 弦 一 郎 ・脇 田 和(壁 画),場 所:現 銀 座5‑8〔 旧 銀 座5の1〕 コ ッ ク ドー ル ビ ル,作 品 は

『美 術 手 帳 』,1949年11月 号 掲 載 写 真 に て 再 確 認 。 当 時 と して は 贅 沢 な 濃 い 紫 色 と淡 い 紫 色 と 白 色 の ビ ル で,彫 刻 は 等 身 大 ほ ど の 《竪 琴 を ひ い て い る ム ー サ 》,《 角 笛 を 吹 い て 向 き合 っ て い る エ ン ゼ ル 》 の レ リ ー フが あ っ た と記 述 さ れ て い る が こ の 点 は 確 認 不 可 能 だ っ た 。)

・ ナ イ トク ラ ブ 銀 馬 車(1950年 頃)

(設 計:岡 田 哲 郎,装 飾=柳 原 義 達(彫 刻),場 所:現 銀 座6‑10‑16

〔旧 銀 座6の1〕 パ レ ギ ン ザ,作 品 は 『建 築 文 化 』,1950年12月 号 掲 載 写 真 に て 再 確 認 。 彫 刻 は2階 ナ イ トク ラ ブ 銀 馬 車 入 ロ ホ ー ル の と こ ろ に 手 を繋 い で ダ ン ス を して い る 女 性 像 レ リ ー フ 。 ダ ン ス ホ ー ル の 天 井 か ら ぶ ら 下 が っ て い る ミ ラ ー ボ ー ル の 光 を う ま く 室 内 に 拡 散 さ せ て 効 果 を 出 して い る 。)

・ 喫 茶 雅 叙 園(1951年)

(設 計:岡 田 哲 郎,装 飾:柳 原 義 達 ・舟 越 保 武 ・吉 田 芳 夫(彫 刻),荻 柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察391

(10)

太 郎(壁 画),場 所:現 新 宿 伊 勢 丹 向 か い の 丸 井 ビ ル 〔旧 新 宿 帝 都 座 の 地 下 〕,作 品 は 『建 築 文 化 』,1951年3月 号 掲 載 写 真 に て 再 確 認 。 縦 1.5m,幅2.5mの レ リー フ で あ る 。)

そ の 他,2001年6月 の 川 村 の イ ン タ ビ ュ ー に対 し て 柳 原 は,コ ー ジ ー コ ー ナ ー(1948年 。 現 在 も 同 じ場 所,銀 座6丁 目 瀧 山 町 ビ ル に鉄 筋 コ ン ク リ ー ト で 営 業)や,フ ラ ン ス 料 理 店 シ ド(現 在 も 銀 座 で 営 業 中 だ が 場 所 は 移 転),

13)

コ ッ ク ル ー ジ ュ(1949年 頃) ,エ ス ク ア イ ア の た め に も制 作 した と述 べ た 。 川 村 の 同 上 イ ン タ ビ ュ ー に 対 してi柳 原 は1948年 頃 〜1960年 の 作 品 写 真 を 見 な が ら,バ ラ ッ ク の 装 飾 だ か ら こ そ 永 久 に 保 存 さ れ る ブ ロ ン ズ の モ ニ ュ メ

14)

ン トや彫 刻 と違 って,大 胆 に,ま た即 興 的 に作 っ た と述 べ て い た。 そ して 大 胆 な即 興 的 作 品 ゆ え に,鑑 賞 者 に強 烈 な 印 象 を与 え,依 頼 主 の 期 待 した 宣 伝 効 果 に十分 応 え た と思 われ る。

柳 原 は そ の 依 頼 主 が描 い た イ メー ジ に迎 合 す る こ とな く,よ り実 験 的 にヘ ン リー ・ム ア風,バ ル タザ ー ル ・ロ ボ風,幾 何 学 的 抽 象 彫 刻 を取 り入 れ,環 境 に適 合 した 装 飾 彫 刻 を作 ろ う と して い る こ と も窺 わ れ る。 「結 局 は お 飾 り

もの」 と捉 え なが ら も,の ち に柳 原 彫 刻 の特 徴 とな る 「現 代 性 」(反 ア カ デ ミズ ム)が,装 飾 彫 刻 の レ リwフ に共 通 して い た。 また 一 方 で は,依 頼 制 作 彫 刻 の 商 業 性 も心 得 て い た よ うだ 。 作 品 と設 置 場 所 の 関 係 を考 え た イ メ ー

ジ ・キ ャ ラ ク ター とい う性 格 を出 して い る 。

1950年 代 か ら,安 い が 耐 久 性 に欠 け る石 膏 や 漆 喰 か ら,巨 大 で 丈 夫 な芸術 表 現 を可 能 にす る 白色 セ メ ン ト(小 野 田 セ メ ン トの協 力),ブ ロ ンズ に比 べ 錆 び難 く,軽 くて丈 夫 な ア ル ミニ ウ ム(新 日本 軽 金 属 の協 力 〉 と,彫 刻 を利 用 して 企 業 イ メ ー ジ を宣 伝 す る企 業 も出 て きた 。 依 頼 制 作 の 範 疇 に は入 ら

ない が 純 粋 な 自己 主 張 の み の 表 現 と も言 え な い の で 一応 確 認 して お く。

小 野 田 セ メ ン トが 後 援(材 料 費,輸 送 費,制 作 費 を負 担)し た,日 比 谷 公 園 で1951年 か ら1973年 に か けて 東 京 都 主催 で 開催 され て きた 「秋 の 野外 彫 刻 展 」(後 に 「野 外 創 作 彫 刻 展 」 に改 称)は 柳 原 の 他 に出 品者 は建 畠覚 造,板

(11)

垣 鷹 穂,中 川 為 延,山 本 稚 彦,笠 置 季 男,高 須 賀 桂,山 内 壮 夫 らが お り,柳 原 は こ れ が 縁 で1951年 設 立 さ れ た 「白 色 セ メ ン ト造 形 美 術 会 」 の 委 員 と もな

る 。 ち な み に 柳 原 は こ の 「野 外 創 作 彫 刻 展 」 に1952年,1953年,1958年,

15)

1960年 に 出 品 した。 上 記 「野 外 創 作 彫 刻 展 」 は企 業 宣 伝 とい う面 の 他 に次 の 2点 で画 期 的 で あ っ た 。 そ れ はモ ニ ュ メ ン トや 野外 彫 刻 の発 展 に多 大 な影 響 を与 え た こ とで あ る。 整 理 す る と,

(1)彫 刻 作 品 を発 表 す る場 と して,公 設 の屋 内公 募 展 会場 か ら,野 外 に 展 示 す る彫 刻 公 募 展 が 増 え,主 催 後 援 が 地 方 自治 体 や企 業 とな る新 しい シス テ ム の展 開 。

(2)欧 米 か らの情 報(1951年 に東 京 で 開催 され たサ ロ ン ・ド ・メエ 展 等) に よる ヘ ン リー ・ム ア ら欧 米 人 の彫 刻(内 部 か らの力 強 い 構 造 性 を持 ち,屋 外 に設 置 され る と環 境 と響 きあ う よ う な彫 刻)の 反 ア カ デ ミズ ム作 品 の 影

響 。

「屋 内 」 か ら 「屋 外 」 へ とい う彫 刻 の 反 ア カ デ ミズ ム の 流 れ を代 表 して, 柳 原 と同世 代 にあ た る イサ ム ・ノ グチ は 「彫 刻 家 が 『建 築 空 間 内 にお け る装 飾 的 置 物 と しての 彫 刻 』 か ら 『建 築 家 と彫 刻 家 が 一体 とな っ て都 市 計 画 な ど

と密 接 に 関係 して 一 つ の 社 会 空 間 を造 形 』 す る こ とを 目指 す 」 と述 べ て い 16)

る 。

柳 原 も ま た 「量 は 重 さ と し て で は な く,緊 張 感 と し て 解 釈 し な け れ ば な ら

17)

な い」 と強 く意 識 し,1953年 に渡 仏 す る まで の柳 原 自身 の 表 現 に対 して も疑 問 を感 じ,帰 国 後 の1960頃 の 《犬 の 唄 》 で 量 塊 の構 築 を表 現 した 。 ま た 「空 間 の拡 が りの 中で や って い く仕 事 と して は,や は り一番 大 切 な の は バ ラ ンス

18)

じ ゃ な い か,バ ラ ン ス が 生 命 を表 現 す る 」 と も語 る 。 つ ま り柳 原 は イ サ ム ・ ノ グ チ と は 別 の 理 論 で 屋 外 彫 刻 を 展 開 さ せ て い た 。 こ の 傾 向 は フ ラ ン ス か ら の 帰 国 後 に い っ そ う強 ま っ て い た 。

柳 原 義 達 の 彫 刻 に 関 す る 一 考 察393

(12)

第 三 章1953年 か ら1960年 代 の エ ス キ ー ス に つ い て

こ の 時 代 の 未 調 査 作 品 が2001年 に な っ て,川 村 に よ っ て 発 見 さ れ た 。 以 下 の エ ス キ ー ス(小 品)及 び レ リー フ で,い ず れ も1953年 か ら1960年 代 の 作 品 で あ る 。

① 仙 台 の ホ テ ル 装 飾 レ リ ー フ ・エ ス キ ー ス 。 ホ テ ル 名 は 不 明 だ が,柳 原

19)

夫 妻 は 川 村 の イ ン タ ビ ュ ー で 仙 台 の あ る ホ テ ル だ と述 べ た 。1953年 頃 の 作 品 で 石 膏 製,48×44×7cm。 サ イ ン無 し。(図8A,8B)

② 鬼 怒 川 温 泉 ホ テ ル の ロ ビ ー 《天 女 》 の た め の エ ス キ ー ス 。 ド レス メ ー カ ー 学 院 資 料 館 に こ の 《天 女 》 の エ ス キ ー ス を ブ ロ ンズ に 鋳 造 した 小 作 品 が2002年 現 在 も展 示 さ れ て い る 。1953年 以 前 制 作 の 石 膏 作 品 で58×

37×29cm。 サ イ ン無 し。(図9A,9B,9C)

③ 国 鉄 技 術 研 究 所 広 場 の た め の モ ニ ュ マ ン 《トリ》 の エ ス キ ー ス 。1960 年 製 作 の 石 膏 作 品 で36×12×10cm。Y.YANAGIHARAの サ イ ン 有 り。

(図10A,10B)

④ 《ハ ト》 の レ リ ー フ 。1960年 製 作 の 石 膏 作 品 で12×12×3cm。

Y.YANAの サ イ ン有 り。(図11)

⑤ トロ フ ィ ー の エ ス キ ー一ス 。1957年(以 前?)製 作 の 石 膏 作 品 で34.3×

15×14cm。YANAGIHARAの サ イ ン有 り。 一 部 破 損 。(図12)

柳 原 の 作 品 作 品 制 作 年 を特 定 す る た め に は,作 家 の サ イ ン に 注 目す る必 要 が あ る 。 柳 原 の サ イ ン は,戦 前 がYOSHITATUYANAGIHARAで あ り,実 作 品 は1点 残 存 して い る(《 皇 帝 ペ ン ギ ン》1940年,図3)。 戦 後 は 渡 仏 前

(1953年 以 前)がY.YANAGIHARAかYANAGIHARAで あ り,帰 国 後 はY.

YANAかY.YANAGUIHARAが 多 い 。

例 外 と して,1960年 作 の 旧 国 鉄 技 術 研 究 所 に あ る 広 場 の た め の モ ニ ュ マ ン 原 型 の エ ス キ ー ス(図10A)で,フ ラ ン ス か ら の 帰 国 後 な の にY.

(13)

YANAGIHARAで あ る 。 ま た ④ 《ハ ト》(図11)の レ リ ー フ は,同 じ1960年 作 な が ら帰 国 後 の 一 般 的 な サ イ ンのY.YANAに な っ て い る 。 こ の ③ ④ の 二 点 は,鳥 類 と い う共 通 点 も さ る こ と な が ら以 下 の 点 で 類 似 が 多 い 。

・共 に1960年 作 。

・エ ス キ ー ス(図10A) ,《 ハ ト》 の レ リ ー フ(図11)と も設 計 技 師 が 製 図 に使 う コ ンパ ス の よ う な も の が 彫 られ て い る 。

ハ トを モ チ ー フ に し た 彫 刻 で は1962年 の 作 品 が 最 初 だ が,レ リ ー フ と して は 上 記 ④ の 《ハ ト》 が 最 初 で は な い だ ろ うか 。 そ して,こ の レ リ ー フ も 当 時 の 国 鉄 に な ん ら か の 記 念 品 と し て 制 作 さ れ た とす る 証 拠 が あ る 。 柳 原 と 同 じ 新 制 作 協 会 会 員(建 築 部)で 同 じ時 期 にパ リ に 留 学 して い た 岡 田 哲 郎 が 国 鉄 の 建 築 技 師(東 京 駅 八 重 洲 口 な ど の 設 計 者)で あ っ た こ とか らi国 鉄 関 係 の 仕 事 は 岡 田 か ら の 紹 介 で 記 念 レ リ ー フ な ど の 注 文 が あ っ た 。 《ハ ト》 の レ リ

ー フ(図11)も お そ ら くそ の 記 念 の た め に 作 っ た ひ と つ で あ ろ う と柳 原 夫 妻

aa)

は 述 べ て い る。

戦 後,最 初 の 特 急 列 車 「平 和 」 が 「は と」 に な り,後 に 「つ ば め 」 「桜 」

「鴎 」 と復 活 す る が,「 は と」 は 戦 後 特 急 列 車 の 復 興 復 活 の 代 表 で あ る 。 《ハ ト》 の レ リ ー フ は 当 時 の 国 鉄 の 記 念 品 で あ る 。 鳥 を 主 題 に し た 彫 刻 家 と し て は,西 洋 で は ア ン ト ワ ー ヌ ・バ リ ー(1796年 生 〜1875年 没),フ ラ ン ソ ワ ・ ポ ン ポ ン(1855年 生 〜1933年 没),コ ン ス タ ンチ ン ・ブ ラ ン ク ー シ(1876年 生 〜1957年 没)な ど が お り,柳 原 は こ れ らの 彫 刻 家 の 作 品 を 熟 知 して い た 。

日本 で 鳥 を 主 題 に した 彫 刻 家 に は 高 村 光 太 郎 が お り,作 品 《文 鳥 》 が 有 名 で あ る 。 柳 原 も高 村 に私 淑 し 《蝉 》,《鰍 》,《野 兎 の 首 》 な ど の 動 物 彫 刻 か ら実

21)

在 感 や感 触 を勉 強 して い た と思 わ れ る。柳 原 は モ チ ー フ と して鳥 類 に無 限 の 可 能性 が あ る こ と を 日本 人 に して は珍 し く感 じて い た の で は ない だ ろ うか 。

柳 原 義 達 の彫 刻 に 関 す る一 考 察395

(14)

第 四章 柳原 の依頼制作彫刻 の展開

2001年10月31日,川 村 は(学 法)杉 野 学 園 ドレス メ ー カ ー学 院(東 京 都 品 川 区 上 大 崎4‑6‑19)を 訪 れ,柳 原 の レ リー フfモ ニ ュ メ ン ト群 を見 学 す る こ とが で きた 。 ドレス メー カ ー学 院 は柳 原 操 夫 人が1998年 まで奉 職 され た所 で もあ る。 《天 女 》(図9C),鬼 怒 川 温 泉 ホ テ ル の ロ ビー 用 《天 女 》 の エ ス キ ース(図9A)作 品 は杉 野 学 園 衣 装 博 物 館 の壁 面 に飾 られ て い た。 ま た 《バ

ッカス 》(図6)の 作 品 は杉 野 服 飾 大 学校 舎4階 の 階段 に あ っ た 。

杉 野 服 飾 大 学 は他 に,柳 原 作 品 の 依 頼 主 で あ り,当 学 園 の創 立 者 で あ る杉 野 芳 子(学 校 法 人創 立1926年)の 杉 の字 にあ やか って,杉 の木 目 を生 か した 躍 動 的 な女 性 像 が あ る。 パ リ留 学 帰 国後 の1957年 に最 初 に制 作 され た 《杉 の 精 》 の 連 作 と もい え る前 衛 的 で 有 機 的 デ サ イ ンで 制 作 され た作 品 《杉 の 木 の 服 装 》(図7A)が そ れ で あ る。 後 ろ に は本 物 の 杉 の葉 を鋳 造 しデ コ レー シ ョ ン して あ る。 フ ラ ンス帰 国後 の1957年 に神 奈 川 県 立 近代 美 術 館 の 「集 団58 野 外 彫 刻展 」 に出 品 した作 品 で もあ る。 柳 原 自身 は,こ の作 品 《杉 の 木 の服 装 》 につ い て次 の よ うに語 って い る。

「バ ラ ッ ク の装 飾 とあ っ て,い ず れ 年 月 が た つ と取 り壊 され る 運 命 と知 り なが ら制作 した 。建 築,絵 画,彫 刻 の総 合 に よ る 『人 間 と芸 術 の有 機 的 なつ なが り』を め ざ した 一 つ の 試 み と して,思 い切 った 表 現 をす る こ とが で きた 。

22)

ド レス メ カ ー 女 学 院 の 作 品 は 今 見 る と新 鮮 で 面 白 い 」。

鬼 怒 川 温 泉 ホ テ ル の 《天 女 》 エ ス キ ー ス(図9A)と 鬼 怒 川 温 泉 ホ テ ル

《大 天 女 》(図9B),及 び ド レ ス メ ー カ ー 女 学 院 の 《天 女 》(図9C)は, ブ ロ ンズ の 上 に金 箔 が お さ れ て い る 。 こ れ ら3点 の ブ ロ ンズ 像 の 他 に 金 箔 が お して あ る の は,1966年 の 《金 の 鳥 》 が 有 名 で あ る 。

《バ ッ カ ス 》(図6)の 石 膏 レ リ ー フ は 顔 面 に 破 損 部 分 が あ る が,形 式 や サ イ ンの タ イ プ も 戦 後 の レ リー フ の 中 で は 一 番 古 い 部 類 に属 す る で あ ろ う。 そ

(15)

れ は厚 肉 の レ リー フで あ る 。 デ フ ォ ル メ を 少 な く し,他 の レ リ ー フ群 に 比 べ 重 厚 な 感 じが す る 。 石 膏 の 質 や 色 か ら判 断 す る と,こ の 石 膏 だ け 他 の ド レ ス メ ー カ ー 女 学 院 所 蔵 の 《天 女 》 や 《天 女:杉 の 木 の 服 装 》 作 品 よ り古 い よ う で あ る 。 ま た レ リ ー フ の 下 に 葡 萄 を 蔓 と一 緒 に彫 刻 し,2人 の 捧 げ て い る の が 羊 で あ る 点 か ら判 断 す る と,こ の 子 供 た ち は バ ッ カ ス と思 わ れ る が 学 校 に は ふ さ わ しい モ チ ー フ で は な い 。 だ とす る と こ の バ ッ カ ス が 飾 ら れ る べ き所 は,学 校 よ り も,ワ イ ン な ど が 飲 め る レス トラ ン の 方 が 適 して い る 。 しか し ア ル コー ル 類 を供 す る 場 所 で あ っ た の な ら,ボ ア ソ ン ・ ドー ル の 《木 の 金 魚 の レ リ ー フ》 に 見 ら れ る よ う に よ り カ ジ ュ ア ル な 感 じで 表 現 さ れ て い る 筈 で あ る 。 した が っ て,こ の レ リ ー フ は 銀 座 の コ ッ ク ドー ル(COQD'OR)の 彫 刻 の 一 つ 《角 笛 を吹 い て 向 き合 っ て い る エ ン ゼ ル の レ リ ー フ》 の エ ス キ ー ス で あ る 可 能 性 も あ る 。 川 村 は 第 二 章 で 述 べ た よ う に こ の 作 品 の 実 物 も そ の 写 真 も今 だ 発 見 で き て い な い 。

コ ッ ク ドー ル の 《エ ン ゼ ル 》 に つ い て 木 田 拓 也 は 古 い 写 真 を み て い る が,

23)

画 質 が 悪 く,わ か り に くい と述 べ て い る 。 そ れ に もか か わ ら ず 木 田 は 《エ ン ゼ ル 》 が 主 題 だ と所 定 して い た 。川 村 は エ ン ゼ ル の ア トリ ビ ュ ー ト と し て は, 角 笛 が 相 応 し く な い と考 え る 。 角 笛 が 合 う の は む しろ バ ッ カ ス か パ ン神 で あ ろ う 。 しか し,パ ン神 で あ る の な ら ば 羊 の 足 に な っ て い る は ず だ が,こ こ で は 人 間 の 足 だ 。 だ か らバ ッ カ ス が 相 応 しい 。 こ の 《バ ッ カ ス 》 が た と え コ ッ

ク ドー ル の レ リ ー フ彫 刻 で な く と も,サ イ ン の 形 式 か ら見 て,制 作 年 は1949 年 〜1950年 の 問 と推 察 で き る 。こ の 《バ ッ カ ス 》 の 作 品 左 下 に は 刻 印 が あ る 。

こ の 作 品 の 発 注 元 を表 わ した 記 号 と も,柳 原 義 達 の 頭 文 字Y,Yを 上 と下 に デ ザ イ ン し た よ う に も見 え る 。

《バ ッ カ ス 》 の レ リ ー フ は 《天 女 》 作 品 群 と の 関 連 性 や 共 通 点 が 無 い 。 時 期 は 不 明 だ が,銀 座 の バ ラ ッ ク 建 築 が よ り恒 久 的 な 建 築 物 に 改 修 さ れ た 時 に, 何 ら か の 理 由 に よ り ド レ ス メ ー カ ー 女 学 院 に 引 き取 ら れ た と推 察 す る 。 ち な み に ド レス メ ー カ ー 女 学 院 で は,こ れ 以 上 破 損 が 進 行 しな い よ う に,彫 刻 修

柳原義達の彫刻に関する一考察397

(16)

復 で の 実 績 の あ る(有)ブ ロ ンズ ス タジ オ に補 修 依 頼 し,2002年11月 修 復 が 完 了 した。

第五章 米田学長の胸像

柳 原 は1953年 に小 野 田 セ メ ン トの斡旋 で 《伊 達 政 宗 立 像 》 の 制 作 を始 め た 。仙 台 市 内 の 野外 公 共 空 間 に置 か れ た この 彫 刻 作 品 は,白 色 セ メ ン トとい う新 しい 材 料 の お か げ もあ って 斬新 な デ ザ イ ンが 生 まれ た。 柳 原 は この 作 品 完 成 の 直 後 に渡 仏 し,1957年 に帰 国 す る。

神 奈 川 大 学 の 《米 田学 長 の胸 像 》(図1:1959年 作,高 さ85cm,幅58cm) は,渡 仏 前 と帰 国後 とい う違 い は あ るが 制 作 時期 が 近 い た め,小 野 田 セ メ ン

トの 斡 旋 で 制 作 した 《伊 達 政 宗 立 像 》 と共 通 した,強 い 実 在 感 を持 っ て い る。

《米 田学 長 の胸 像 》 は,柳 原 芸 術 を知 る上 にお い て 重 要 な ポ イ ン トとな る 点 も発 見 した。 そ れ は柳 原 の 語 る 「今 日の 自分 に対 して明 日生 きる ため に抵

24)

抗 す る 精 神 」,つ ま り常 に 自分 の作 品 に責 任 を も ち厳 し くす る こ とで あ る 。 そ の証 拠 に 《米 田学 長 の胸 像 》 は1959年 の公 表 時 は,右 肩 か ら胸 にか け て著 し く肉 塊 が 削 が れ て い た(資 料3)。 しか し,そ の 後 に納 品 さ れ た 最 終 作 品 は,右 肩 か ら胸 に か け て の 量 感 を左 側 と同 じに して い る(図1)。 こ れ は 1959年 に ブ ロ ンズ像 と して一 旦 完 成 させ 作 品写 真 を提 供 してか ら も,納 品 ま で に さ ら に改 良 した こ とが わ か っ た 。 《米 田学 長 の胸 像 》 には,ベ ス トの 表 現 を求 め て最 低2種(未 発 見 だが もっ とあ っ た か も知 れ な い)の バ ー ジ ョ ン が あ っ た こ とが確 認 され た 。 神 奈 川大 学 関 係 者 に は既 知 の もの だ っ た この柳 原 作 品 だが,不 思議 な こ と に美術 界 で は全 く知 られ て い な か っ た 。 大 学 とい う,自 己 完 結 した 組織 の 一 部 で あ る 同 窓 会 か らの注 文 依 頼 に よる 制作 とは言 え,日 本 の 彫 刻 世 界 に情 報 デ ー タが 発 信 され な か っ た事 は残 念 に思 う。(資 料1,2,4)し か しそ の 理 由 を探 る と,1960年 代 の学 園紛 争 で この作 品 が 古

(17)

い権 威 の 象徴 と して扱 わ れ,学 生 に破 壊 され る の を恐 れ て,米 田家 の元 に移 管 さ れ,秘 蔵 さ れ て し ま っ た か ら とい う,や む をえ な い 事 情 もあ っ た よ う だ。

神 奈 川 大 学 で は20世 紀 末 に対 震 を 目的 とす る横 浜 キ ャ ンパ ス の リニ ュ ー ア ル計 画 をス ター トさせ,2003年 には ほ ぼ完 逐 して い る。 この計 画 の 一 環 と し て建 て 直 され た現1号 館1階 エ ン トラ ンス ホ ー ル に 《米 田学 長 の胸 像 》 は戻

され,一 般公 開 され て い る。 但 し,こ の 胸 像 は1960年(昭 和35年)時 に完 成 品 と して紹 介 され た作 品(資 料3)と は別 バ ー ジ ョンの もの で あ る こ とに は 留 意 したい 。

最 後 に柳 原 と神 奈 川 県 の 関係 を考 察 して み る。 同 窓 会 の誰 が提 案 し,ど う い う経 過 とル ー トを経 て 柳 原 へ の 制 作 依 頼 に至 った か は,現 存 資料 で は十 分

に追 跡 で きな か った 。 しか し神 奈 川 県 内 で の柳 原 の 知 名 度 は か な り高 い もの が あ っ た よ うだ。 フ ラ ンス か ら帰 国 して 間 も ない1957年 に,柳 原 は神 奈 川 県 立 近 代 美 術 館 で 開催 さ れ た 「集 団58野 外 彫 刻 展 」 に,フ ラ ンス で 制 作 した

《黒 人 》,《 人 参(赤 毛 の 女)》 をは じめ,前 述 の 《杉 の 木 の服 装 》(図7A) を含 む 新 作5点 を出 品 した。 当 時 の 芸 術 界 にお い て フ ラ ンス帰 りの 柳 原 は注 目の 的 の1人 で あ っ た。 柳 原 は この 彫 刻 展 を通 じて評 論 家 土 方 定 一(当 時 の 神 奈 川 県 立 近 代 美 術 館 館 長)と 親 し くな った 。 以 後,柳 原 は神 奈 川 県 立 近 代 美 術 館 で,1959年 か ら1999年 まで に6回 作 品 を展 示 す る機 会 が あ り,同 美 術 館 買 い 上 げ と な っ た作 品 も多 い 。 また神 奈 川 県 文 化 賞 の記 念 品 と して 《道 標 鳩 》 を毎 回提 供 して い た。

この よ うな事 か ら,米 田学 長 の 認 知 度 も高 く,そ の結 果 と して,創 立30周 年 を記 念 して 同 窓 会 か ら柳 原 に 《米 田学 長 の胸 像 》 の制 作 の 依 頼 が きた の も 唐 突 で は な い 。 ち なみ に公 共 空 間 に置 か れ た他 の柳 原 作 品 の 所 在 地 を神 奈 川 県 内 で 探 して み る と,箱 根,平 塚,藤 沢,鎌 倉,横 浜,川 崎 と県 内各 地 に あ る。 神 奈 川 県 文 化 賞 の記 念 品 の 《道 標 》 を含 め る と,日 本 の 都 道 府 県 で柳 原 の公 共 作 品 が1番 多 くあ るの が 神 奈 川 県 で あ る 。 そ れ ゆ え民 間組 織 や個 人 か

柳原義達の彫刻に関する一考察399

(18)

ら依 頼 され た注 文 ベ ー ス の柳 原作 品 が 神 奈 川 県 に多 くあ っ て も不 思 議 で は な

いo

第六章 結 論

戦 後 の彫 刻 史 を知 る上 で,柳 原 は 必 ず 関 わ って くる重 要 人 物 で あ る 。柳 原 は渡 仏 中 はエ マ ニ ュ エ ル ・オ リ コス ト(ブ ー ル デ ル最 愛 の弟 子)に 師事 され た,日 本 にお い て数 少 ない フ ラ ンス 芸術 の正 統 な継 承 者 で あ る。 また ヨ ー ロ ッパ の 反 ア カ デ ミ ック な近代 彫 刻 理論 の 直 系 的 な教 育 方 法 で 多 くの 後 輩 を育 成 した 。柳 原 は,前 述 の イサ ム ・ノ グチ の建 築 と彫 刻 の一 体 論 に対 し,建 築 は機 能 第一 義 で あ り,彫 刻 は触 覚 的 空 間 を第一 義 と した もの で あ っ て,彫 刻 は 建 築 か ら独 立 して,触 覚 芸 術 と して の彫 刻 独 自の 美 を求 め な けれ ば な ら な

25)

い と考 え る よ うに な っ て い た。 そ して建 築 の 附 属 物 で な く,自 立 して景 観 に 詩 的 精 神 を与 え る空 間意 識 を生 み 出 す 彫 刻(例 え ば 《道 標 シ リー ズ 》)を 展 開 させ て い く。 作 品 《米 田学 長 の 胸 像 》 は柳 原 の マ ッス の 緊 張 や 大 胆 な構 成 を もつ 《犬 の 唄 》 や 《道 標 》 シ リー ズ作 品 に比 べ る と,一 見 別 人 の 製 作 した よ うな 作 品 だ が,取 り組 ん だ 姿 勢 は,柳 原 そ の もの で あ っ た 。 この 意 味 で

《米 田 学 長 の胸 像 》作 品 は 隠 され て い た名 品 と言 え,正 当 な評 価 が 与 え られ て しか るべ き と思 う し,さ ら な る研 究 調 査 が 求 め られ る。

1)酒 井 哲 朗 監 修 ・著,『 世 界 の な か に ひ と り立 つ も の 一 彫 刻 家 ・柳 原 義 達 』,

「道 標 一 生 の あ か し を 刻 む 柳 原 義 達 展 」 カ タ ロ グ 中 収 録,1995,p.20.

2)2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 夫 妻 へ の イ ン タ ビ ユ ー よ り 。

3)木 田 拓 也 著,『 柳 原 義 達 の 戦 後 の バ ラ ッ ク の 装 飾 』,「 道 標 一 生 の あ か し を 刻 む 柳 原 義 達 展 」 カ タ ロ グ 中 収 録,1995,p.30〜31.

4)2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 義 達 夫 妻 へ の イ ン タ ビ ュ ー よ り 。

(19)

5)川 村 は2002年 柳 原 宅 で1964年 《猫 》(ア ル ミ で 最 初 に 鋳 物 に し た 作 品 の 一 つ で

,現 在 千 葉 市 立 美 術 館 蔵)の モ デ ル と な っ た 猫,メ メ,キ ッ キ イ の い る 居 間 の ス ナ ッ プ 写 真 を 見 た 。 そ の 写 真 に は 柳 原 に よ る と 戦 前 制 作 と さ れ る

《キ リ ン 》(エ ス キ ー ス,石 膏,大 き さ 不 明)が 写 っ て い た 〔現 在 消 息 不 明 〕。

お そ ら く1956年 ま で 使 用 し て い た 赤 堤 の 木 造 ア ト リ エ 兼 住 居(1939年 築)を 現 在 の 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト建 築 に し た 新 築 直 後 の ス ナ ッ プ 写 真 と 推 察 す る 。 ペ

ン ギ ン に つ い て は 依 然 不 明 。

6)高 村 光 太 郎 の 勧 め た 頒 布 会 で 国 画 会 の 平 塚 運 一 氏 ら が7点 購 入 。 現 在7点 と も 消 息 不 明 。

7)《 や た が ら す 》 と は 「神 武 記 」 に よ る と 『神 武 天 皇 東 征 の 際,天 照 大 神 か ら 遣 わ さ れ て 熊 野 か ら 大 和 へ の 道 案 内 を し た と い う 太 陽 の 中 に い る と い う 三 本 足 の 赤 い 大 烏 』 で あ る 。2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 夫 妻 へ の イ ン タ ビ ュ ー

よ り 。

8)2001年6月 の 川 村 に よ る 松 平 造 形 研 究 所 々 長,松 平 実 へ の イ ン タ ビ ュ ー よ り 。

9)朝 日 新 聞 夕 刊1面,2000年12月25日(月),東 京 版.

10)木 田 拓 也,同 上,p.30.

11)木 田 拓 也,同 上,p.31.

12)木 田 拓 也,同 上,p.31.

13)2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 義 達 へ の イ ン タ ビ ュ ー よ り 。 14)同 上 。

15)柳 原 の 日 本 に お け る 野 外 彫 刻 レ リ ー フ で は,1950年 の 神 戸 博 覧 会 「日 本 貿 易 産 業 博 覧 会 」(設 計:山 口 文 象 建 築 事 務 所,装 飾:柳 原 義 達 ・佐 藤 忠 良 ・ 舟 越 保 武,場 所:王 子 公 園(神 戸),会 期:1950年3月15日 〜6月25日 。 出 典:『 建 築 文 化 』,1950年6月 号,『 三 彩 』,1983年5月 号 。)出 品 作 品(高 約5m,全 長 約65m)が 最 初 。 立 体 彫 刻 で は1950年11月 の 井 の 頭 公 園 の 林 間 彫 刻 展 出 品 作 品 展 が 最 初 。

16)野 生 司 義 章 著,「 イ サ ム ・ノ グ チ 人 と 作 品 」,『国 際 建 築 』,1950年9月 号, p.106.

17)難 波 田 龍 起,柳 原 義 達,須 田 寿,酒 井 忠 康 対 談 編 「座 談 会:時 の 手 ざ わ り 自 選 作 品 に よ る 三 人 展 」

,『 自 選 作 品 に よ る 難 波 田 龍 起 ・柳 原 義 達 ・須 田 寿 三 人 展 』 カ タ ロ グ 中 収 録,ギ ャ ル リ ー ・ と こ ろ,1989年,p.3.

18)2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 義 達 夫 妻 へ の イ ン タ ビ ュ ー よ り。

柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察401

(20)

19>同 上 。 20)同 上 。

21)金 原 宏 行 著,「 連 作 『道 標 』 に 見 る 柳 原 芸 術 の 達 成 」,『 道 標 一 生 の あ か し を 刻 む 柳 原 義 達 展 』 カ タ ロ グ 中 掲 載 論 文,P.39.

22)2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 義 達 夫 妻 へ の イ ン タ ビ ユ ー よ り。

23)木 田 拓 也,前 掲 書,p.31.

24)2001年6月 の 川 村 に よ る 柳 原 義 達 へ の イ ン タ ビ ユ ー よ り。

25>対 柳 原 義 達 ・弦 田 平 八 郎,「 我 が 造 形 へ の 道 標 」,『 三 彩 』,1983年5月 号,p.50.

こ の拙 論 を書 くに あ た り,作 品 や資 料 収 集 に柳 原 夫 妻,学 校 法 人杉 野 学 園 日本 大 学 芸 術 学 部 の 高 橋 幸 次 教 授 に ご協 力 戴 き感 謝 申 しあ げ る。 な お 上 程 さ れ た論 文 原 稿 の執 筆,写 真 資 料 収 集 は 川村 が 担 当 し,加 藤 薫 が 全 体 の 監 修 及 び神 奈 川 大 学 の資 料 収 集 作 業 を行 っ た。 神 奈 川 大 学 資 料 編 纂 室 の御 協 力 に も 感 謝 す る。2002年6月14日 に は川 村 ・加 藤 の 共 同調 査 も実 施 した 。本 論 文 第 五 章 《米 田学 長 の胸 像 》 は この 共 同調 査 の成 果 で あ る。 なお 文 中敬 称 は省 略

させ て い た だ い た。

(21)

403

.写

図1

柳 原 義 達 の 彫 刻 に関 す る一 考 察  

(22)

図2《 鹿 島 さ ん の 首 》1977年, 29cm,個 人 蔵

ブ ロ ン ズ,5a5×28×

く・

図3皇 帝 ペ ン ギ ン,1940年,石 膏,15.5×20×2cm サ イ ンYOSHI‑‑TUYANAGIHARA

難 譲 鎌 購

(23)

図4や た が ら す,制 作 年 不 明 、 石 膏, 20×15.8×13.8cm

図5東 京 駅 の レ リ ー フ 《鹿 》1952 年,ブ ロ ン ズ,154×174.4×

13.3cm

図6ド レ ス メ ー カ ー 学 院 の レ リ ー フ 《バ ッ カ ス 》,1953年 以 前 、 石 膏,63.5×73×8cm,

サ イ ンYANAGIHARA

柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察405

(24)

図7Aド レ ス メ ー カ ー 学 院 《杉 の 木 の 服 装 》 レ リ ー フ,1950年 代.,ブ ロ ン ズ, 50×100×14cm

ノ{

此^宝 ぐ覧

図7Bド レ ス メ ー カ ー 学 院 レ リ ー フ,1950 年 代7,石 膏,50×60×14cm

… 繍 藝薦 ・..̲.̲A臨

xい セ あノ

灘耀 難灘 懸

難羅 灘鍵 轡 肇

(25)

図8A仙 台 の ホ テ ル エ ス キ ー ス, 1950年 代,石 膏,48×44×

7cm

(藝囎

図8B仙 台 の ホ テ ル,X950年 代,白 色 セ メ ン トT 寸 法 不 明

i.

柳 原 義 達 の 彫 刻 に 関す る 一 考 察407

(26)

図9A鬼 怒 川 温 泉 ホ テ ル 《天 女 》,の 原 型 エ ス キ ー ス,ド レ ス メ ー カ ー 学 院 の 彫 刻 原 型,1953年 以 前,石 膏,48×44×7cm

灘霜醗

7  

図9B鬼 怒 川 温 泉 ホ テ ル 《大 天 女 》,1953年 以 前,ブ ロ

ンズ 大 き さ不 明

、郷/・

縫 繰

雛fド 嘉 腰

鞠鞭

}認 ギ 噸 孟 拐 〆袴,

β

養4

鞭 窪藩

図9Cド レ ス メ ー カ ー 学 院 《天 女 》エ ス キ ー ス,1953年 以 前,

フ ロ ン ズ,48×44×4cm

(27)

図10A国 鉄 技 術 研 究 所 広 場 の た め の モ ニ ュ マ ン 《 ト リ 》 エ ス キ ー ス , 1960年,石 膏,36×12×10cm,

サ イ ンY.YANAGIHARA

図10BlEl国 鉄 技 術 研 究 所 広 場 の モ ニ ュ メ ン ト 《 ト リ 》,1960 年,ブ ロ ン ズ,大 き さ 不 明

図11《 ハ ト 》 の レ リ ー フ,1960年4石 膏,

12×12×3cmサ イ ンY.YANA

柳 原 義 達 の 彫 刻 に関 す る 一考 察409

(28)

図12ト ロ フ ィ ー 原 型,1950年 代,石 膏,34.3×15×14cm

YANAGIHARAの サ イ ン 有 り

(29)

料 資

資料1

創 立 30 周 年

神 奈 川 大 学 同 窓 会 ( 宮 陵 会 ) で

は 今 秋 十 一 月 に 行 わ れ る 創 立 三 十

周 年 記 念 式 を 迎 え る に 当 つ て ︑ 予

ね て 同 憲 会 理 事 会 ︑ 全 国 支 部 長 会

議 等 で 検 討 の 結 果 ︑ つ ぎ の 記 念 行

事 を 行 う こ と に な つ た ︒

一 ︑ 米 田 学 長 に 対 し 創 立 功 労 者 米 田 学 長 に 胸 像

同 窓 会 で 記 念 事 業

と し て ま た 還 歴 祝 を 兼 ね 胸 像 を 蟹

一 ︑ 三 十 周 年 を 記 念 し て 同 窓 会

新 名 薄 を 発 行

一 ︑ 祝 賀 レ セ プ シ ヨ ン 開 催

一 ︑ 同 窓 会 館 建 設 へ の 企 画 着 手

昭 和34年(1959年)6月12日 神 奈 川 大 学 通 信 第42号3面

柳 原 義 達 の彫 刻 に関 す る一 考 察 411

(30)

同 窓 会 だ よ り

新 会 員 醐 千 余 名 入 会 三 月 二 十 五

日 ︑ こ れ ら 会 員 の 卒 業 と 本 会 へ の

入 会 を 記 念 し て ︑ 大 学 側 と 共 催 で

ビ ー ル パ ー テ ー を 開 催 し 前 途 を 祝

レ た ︒

新 役 璽 改 選 さ れ る 任 期 満 了 に 伴

糀 い 新 役 鼠 の 選 任 が 総 会 の 委 任 事 項 資 と し て 選 考 委 員 会 に 於 て ︑ 北 灘 道

の 土 肥 忠 男 氏 外 各 地 方 支 部 畏 三 十

二 名 ︑ 神 奈 川 県 庁 の 葛 駒 英 一 氏 外

二 職 域 支 部 長 と 本 部 推 薦 者 三 十 名

が 夫 々 斬 理 事 と し て 選 任 さ れ ︑ 十

九 名 が 儲 任 理 喜 及 び 監 事 に 決 足 し

た ︒ ( 特 に 今 回 は 機 ︑ 電 ︑ 工 繕 の

工 学 系 出 身 の 新 人 を 各 一 名 宛 選 出 し た )

旛 桑 資 金 の 寄 附 金 集 る 母 校 創 立

三 十 周 年 記 念 事 業 資 金 と し て 昨 夏

よ り 募 金 開 始 以 来 ︑ 五 月 末 現 在 百

十 二 万 円 也 に 達 し た ︒ 締 切 日 た る

七 月 宋 目 迄 に 未 応 募 諸 兄 の 御 賛 同

と お 払 込 み を 切 に お 願 い 致 し ま

す ︒ 戦 段 さ れ た 会 鼠 の 御 遺 族 よ り

の 応 募 に は 特 に 感 銘 深 き も の が あ

り ま す ︒

米 田 学 長 胸 像 贈 呈 間 近 し 同 悉 会

の 記 念 事 業 の 一 つ と し て 米 田 学 授

に 胸 像 を 贈 る 計 圃 を 進 め て い た が

製 作 者 柳 原 魑 達 氏 の 手 を 離 れ 鋳 造

の 出 来 上 る の を 待 つ 段 階 と な つ た

の で 不 日 ︑ 引 渡 し を 待 つ て 贈 昆 の

こ と と な る 予 是 で あ る ︒ 同 窓 会 艮 名 簿 発 刊 遅 る 記 念 醸 業

の 一 つ と し て の 会 員 名 簿 の 発 刊 は

諸 種 の 事 情 で 遅 延 に 遅 延 を 重 ね 甚

だ 申 訳 無 い 次 第 で こ の 紙 圃 を 借 り

て 深 く お 詫 び 致 し ま す ︒ 臼 下 校 正

も 終 り ︑ 本 年 春 の 卒 藁 生 も 追 加 集

録 し て 35 年 度 版 と し て 六 月 下 旬 に

は 愈 々 刊 行 で き る こ と と な り ま し

た o 爾 部 数 も 増 刷 し ま し た か ら 未

注 文 者 で 頒 布 希 望 の 方 は 頒 布 代 五

百 円 也 を 添 え て お 申 込 み 下 さ い ︒

昭 和35年(1960年)6月11日 神 奈 川 大 学 通 信 第47号3面

(31)

資料3

米 田 学 長 の 胸 像 完 成

同 憲 会 の 配 念 彫 業 と し て ︑ 昨

年 九 月 ︑ 彫 刻 家 柳 原 義 違 氏 に 製

作 を 依 頼 し て い た 米 田 学 長 の 胴

像 は ︑ こ の ほ ど 漸 く 完 成 し た ︒

高 さ 八 五 セ ン チ ︑ 幅 五 八 セ ン チ 総 ブ ロ ン ズ の 芸 術 的 香 D の 高

い 作 品 で ︑ 題 字 は 円 覚 寺 管 長

朝 比 奈 宗 源 師 に 依 頼 す る 予 定

で あ る ︒ ( 写 翼 は 米 田 学 長 の

胸 像 )

昭 和35年(1960年)7月25日 神 奈 川 大 学 通 信 第48号1面

柳 原義 達 の彫 刻 に関 す る 一考 察 413

(32)

資料4 難 灘 ・ 醐 一…

羅懸 磯 灘 騨 ・ 一

  騨 醐 説『 鰐' 蝋 ナ ㈹ 鑛 聯 ッ縷

騨職灘舞難簿1夢 饗 響 琴講il

欝 翫

∵ ッ 響 ふ ニダ 餐

謙黛 鋲ぜぐ∵

難 難覇篇菱 惣 ζ隷 ∴1写 謄蕪礁 繋 藤欝

記 念 祭 盛 大 に 終 る

第 三 十 二 回 本 学 創 立 記 念 祭 は ︑

去 る 十 一 月 一 ︑ 二 ︑ 三 ︑ の 三 日 間

に わ た り ︑ 盛 大 に 行 わ れ た ︒ 十 月 一二 十 一 日 の 前 夜 祭 ︑ 提 灯 行 列 を 皮

切 り に 一 日 午 前 十 時 か ら 大 講 堂 で

田 念 式 典 が 行 わ れ ︑ 同 時 に 同 窓 会

か ら 贈 ら れ た 米 田 学 長 胸 像 除 幕 式

も 行 わ れ た ︒ 趣 同 を こ ら し た 各 種

展 示 を は じ め ︑ 講 演 会 ︑ 音 楽 ︑ 演

劇 ︑ 映 画 ︑ 模 擬 裁 判 を は じ め 各 部

の 招 待 試 合 な ど 多 数 の 市 民 を 迎 え

て 学 園 は 終 日 賑 わ つ た ︒ ( 写 真 は

創 立 記 念 式 典 ) 湘 面

朋 別 熱 器 秘 繍

参照

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