Frostの叙情詩における思想的背景の一考察
著者 駒村 利夫
雑誌名 主流
号 31
ページ 78‑91
発行年 1969‑10‑30
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016735
F r o s t の叙情詩における思想的背景の一考察
駒 村 利 夫
G印rgeW. NitchieはFrostの自然について次のようにいっている一一
In De Rerum Natura, Lucretius, acknowledging discipleship toEpicurus, envi同
sioned a world that was also impersonal, indifferent, and other. Like Frost's nature, that of Lucretius is a simplifier, and for a more explicit reason: nature, including man, is wholly a matt巴rof the fortuitous collisions and combinations of material atoms in a void
,
uncreated and devoid of meaning or motive. Out‑ side that flux, to be sure, the gods exist, but they neither created the universe nor concern themselves with it; they are compl巴tely,ontologically other.Oたしかに Lucretiusは,燕がどうして白鳥と,またどうして子山羊が馬と競走して 並ぶことができょうかと警えながら, Epicurusにギリシヤ民族の栄光をみているが,
自然に対する敬度とともに,そこに働く人間のはかない運命への同情を示したVir‑ gilは, 貧欲なアケロン}/[ (冥界〕の喧騒を足下にふみしいた詩人として, この Lucretiusを暗示し, Ovidも, Lucretiusの歌は宇宙が滅びる日に滅びるであろう といった. これらギリシヤ・ローマの詩人たちは, Frostの読書渉猟に含まれてお り
, なかでも自然の観察者としてだけではなく, Frostをして自然をじかに考えさ せた一人として第一に Lucretiusをあげなければなるまい Lucretiusは Demo司 critusの原子論を基礎に, Epicurusの倫理的学説を受けいれ, 人間のことをほと んど気にかけない自然に,空虚のなかを動く完全充実体としての無数の原子の存在 を考えたが Frostの詩の多くは, なんらかにむかつて, Lucretian vacuityとも いえる空虚のなかを動こうとしながら,ちょっと立ちどまっては思惟する人間の存 在をえがいているといえよう.すなわち, ThePasture"では, 泉をきれいにし ようと出かけるところで立ちどまって振り向く「わたしJ, Ros巴Pogonias"では,
その花が咲きみだれているあいだはだれも草を刈らないようにその場所を立ち去る まえに素朴な祈りを捧げる「わたしj, Stoppingby W oods on a Snowy Eve‑ ning"では,雪の降る森の美しさに援しながらも,そこを去らねばならないと考え る「わたしj, ToEarthward"では,若い頃を回想しながらいま喜びとするもの を切望する「わたしj, ComeIn"では,森の関のなかへ入り来たれ, と呼びか ける鶴の招きにも応じようとしない「わたし」の姿がそれぞれにえがかれている.
さらに, Mowing"で 比 「わたし」の大鎌が, これからつくる干し草を残して 嘱いている. これらはすべて Frostのすぐれた叙情詩であるが, こ の う ち か ら Stopping by W oods on a Snowy Evening" To Earthward"および Mow‑
ing"の三篇を中心に Frostの思想の源流をたずねてみることにしたい. けれど も,たましいが原子の単なる集塊であることを示した Democritus風の機械的決定 論を下すことは,たとえば Fireand Ice"にみられる仮定の意味がむげにはとら えられないように,ここでも当然無理であろう.なぜならばFrostのとまどいはp
人間の思惟の偶然性,なにげなく湧〈想いであり,ただちには割り切れない Hei‑ deggerのいう気がかりに近いとも考えられるからだ.
I
STOPPING BY WOODS ON A SNOWY EVENING
Whose woods thes巴areJ think 1 know.
His house is in the village though;
He wil1 not see me stopping here To watιh his woods fill up with snow.
My little horse must think itqueer To stop without a farmhouse near Between the woods and frozen lake The darkest evening of the year.
He gives his harness bells a shake To ask if th巴reis som巴mistak巴.
The only other sound's the sweep Of easy wind and downy flake.
The woods are lovely, dark and deep, But 1 have promises to keep, And miles to go before 1 sleep, And 凶 esto go b巳fore1 s
必.
さて2 水墨画のようなこの詩の,むなしさのなかに動くものは,降りつもってゆ く雪,馬具の鈴の音,やわらかな風,それに綿毛のような雪片の吹きつけであり,
森の所有者とか愛馬へのおもわくはみな「わたし」のはかない思惟でしかない.
W ordsworth, Shelley, Keatsに親しみながら, 彼らに徹しきれず, 静かにものお もう,そんな「わたし」を Frostは感じさせる.
r
わたし」はじっとして動かず,たたずみ,自己に立ちかえり,限前にあるものに比して自己のなすべきことはなに かを考える.Montaigneは, わたしの精神は感じやすし とかくよそに気をとら れるといったが,自然の辺部な一隅の森のそばにたたずむ「わたし」は,自己に立 ちかえるまではその森の美しさにみとれ,最後の二行がわずかに Pascalの,人間 は自然のうちでもっとも弱いひとくきの葦にすぎないけれども,しかしそれは考え る葦であって,われわれの尊厳はかかる思惟のうちに存するとした断章をおもわせ る.さらに,われわれが立ちあがらなければならないのは思惟からであって,われ われの満たすことのでき伝い空間や時聞からではないと Pascalはいったが, この 考える葦も,自分がひとくぎの葦でしかないということを忘れているあわれな存在 であることを「わたし」は逆説的に教える印象をあたえ,あたかも,陶淵切の,人
つい まさ
生は幻化に似て終には当に空無に帰すべしという詩句をふとおもわせるが9 からだ と精神との生命力はたがいに結合してこそ栄え,生命を楽しむものであり,からだ なくしては精神ひとりの本性は生命を支える運動をすることができないとする Lu司 cretiusの哲理を, 一見ひよわな考える葦に Frostは期待しているようである.
冒頭で触れた GeorgeW. Nitchieはまた Frostの白然観に本質的にたいせつな ものとして,倫理的あるいは形而上的な次元をとらえ, Emerson, Thoreauおよび BryantをFrostの先人とし, Frostを theLucretian.iVordsworthian kindそに 所属させているが, むしろ Frostにとって自然は一つの構えでしかなし おもう にそれは;Pascal的な 'uneimage de la grace'一一一「思寵の影像J‑ーであろ うし, Frostをいかなる状態においてもとどまらせることはできない,そんな陰を つくるものでしかなかろう.かかる陰に満足せず〉現にない状態をつねに求めると ころに Frostの, はかない考える葦である「わたし」の追求の姿がみられるので あって,次の詩句はややきざにこのことを強調しているようだ
His life is a pursuit of a pursuit forever. 1t is the future thatcreates his present. All is an interminable chain of longin品g.
Frostの思想の背景を成すものとして, まず, Lucretian・Pascalの脈絡を感じるの であるが,偶然に Bergsonも,成果もなく行動し,利益もなく戦うところの人類,
そして自然のたわまない法則によって事実の広大な渦巻きのなかに引き込まれてゆ く人類p この人類に対する痛ましい憐閥の情をとらえた詩人としてLucretiusをあ げたが, おそらく Frostも, LucretiusをB巴rgson風にとらえたことであろう.
その Lucretiusであるが,彼は万物が火からできているといった Heraclitusをし て,その暗い言苦手のゆえに明るいといって,なんくやせをつけたのである. しかし当 の Heraclitusの銭言風のことばについては, Lucretiusとは別の意味で, Frost
へ
のすくなからぬ影響が考えられるのである.それについてはさらに次章で触れなけ ればならないとおもう抗 Stoppingby Woods on a Snowy Evening"は,自 然にみとれながらp ふとわれにかえる瞬間,自分ひとりで自分の存在を選ばなけれ ばならない「わたし」をえがき,自然に比し「わたし」の存在はなんとあぶなつか
しゃ〈
しいことかをやさしく悟らせながらも,あたかも荘子が人聞の心をその熱きこと焦
つめた ぎようひょう
火 の ご と し そ の 寒 き こ そ 凝 泳 の ご と し と い い3 人間の心ほどとらえがたいもの はないと形容したのにも似て,人間性の強靭さをひたかくしにしている「わたし」
をえがいているといえよう. Stopping by W oods on a Snowy Evening"は, Desert Places"の「わたし」が自分のうちに持っている荒軍事の地におびえ,また Acquainted with th巴Night"の「わたし」が人間の疎外されたさびしさを夜に まぎらわすように,直接人間の思惟を語ることばこそないが,おのずから思惟を暗 示し,自然と対時しながら考える Fro$tの面目を伝えている.
II
TO EARTHW ARD
Love at the lips was touch As sweet as 1 could bear;
And once that seemed too much ; 1 lived on air
That crossed me from sweet things The丑owof ‑ was it musk From hidden grapevine springs Down hill at dusk?
1 had the swirl and ache From sprays of honeysuckle That when they'r巴gatheredshake Dew on the knuckle.
1 craved strong sweets, but those Seemed strong when 1 was young The petal of the rose
It was that stung.
Now no joy but lacks salt That is not dashed with pain And weariness and fault; 1 crave the stain
Of tears, the aftermark Of almost too much love, The sweet of bitter bark And burning clov巴.
When stiff and sore and scarred 1 take away my hand
From leaning on it hard In grass and sand,
The hurt is not enough:
1 long for weight and strength To fe巴1the earth as rough To al1 my length.9
さて,前半の四聯は時制が過去形であり,後半の四聯は現在形で書かれているが,
「わたし」は過去における「わたし」でもあり,過去における「わたしJでもない 現在にある.Heraclitusは,同じ河にわれわれは入ってゆくのでもあり,入ってゆ かないのでもあるといったが, ものが変化するといっているまに,当の「わたし」
自身も変化しているというのであろう.Frostの若い頃の,甘美なものへの渇望は,
たましいにとってのよろこびはうるおいを得ることだといった Heraclitusをおも わせ,痛みつつ,大地を粗野なものとして感じる切望は, 同じく Heraclitusの, 戦いは万物の父であり, 万物の王なのだとしたことばを暗示する. これは Hom巴r や Anaximanderのことばにも結びつくが, Lucretiusのそしりを受けながらp 万
物は火の代物であり,火は万物の代物であるとしたHeraclitusの思想は,Nietzsche にみられるほど極端ではないにしても,私は Frostにもその影響を感じるのだ.
Nietzsch巴のえがく Zarathustraはそのギ、リシヤ名がZoroasterであり,語源的に もGold‑Stern(黄金の星〉を意味し Frostの詩 Nothing Gold Can Stay"
Fire and Ice" Take Something Like a Star"も, Ni巴tzscheをおもわせる.
Nietzscheは,大地の心臓は黄金なり,病めるものら死滅してゆくものらは, 肉体 と大地を侮蔑したが,大いなるたましいのためには大地はいまなお塞がれてはおら ず,超人は大地の意義なのであるといった.さらにNietzscheは,なんじらは神を 創造しうべきや,しかあらざれば,すべて神について語ることを黙せ! 神は死せ りと語ったが Frostにも大地を志向するすぐれた詩がきわめて多く Nietzsche の, 1申は死せり!の悲壮感はないが, Frostの思想に, HeraclitusおよびNietzsche の系譜をたち切ることはできないとおもう. ToEarthward"第七聯は, Nietzsche の語った純真な子供の鼓れをおもわせるものがあり,さかのぼって, Heraclitusが 小児の遊戯だとした人生にも通じてゆく Frostは Birches"でも無邪気な遊び のなかに,愛にとってもっとも良い場所としての大地をえがいているが, Nietzsche
ι
大地に遊ぶ無垢な精神比創造する精神であり,みずからの鎌を研ぐことを知 るものであるといった.このことばは,次章で扱う Mowing"の大鎌にも似てい るが, Nietzscheの,神は死せり! の命題については, Frostから LouisUnter‑ mey'巴rに宛てた次の書簡にも, せ;:lに対する Frostの態度が, わずかに暗示されて いるにすぎない一一一1 wish 1 could promise to lie in th巴night And share in an orchard's arboreal plight When slowly (and nobody comes with a 1ight!) Its heart sinks lower under the sod;
But something has to be left to God.
「わたし」は白然のなかにとけ込もうとするが,すべてではなくとも,なにものか が神に残されているのだという Frostにとって,神の存在は不可解であり,だから
Frostの叙情詩における思想的背景の一考察
といって神が存在しないことも不可解なのであろう.だがすべて不可解なものは,
不可解にもかかわらず存在するといった Pascal的な神であろうかと,まず私はけ げんするが, Frostにとって, 神が Kierkegaardのいった幻影であって, この幻 影の神がしかも話しかけるしたら,
r
わたし」の愛など欲しくない,r
わたし」のあ やかりたいとおもうところにいなさいと神は語るであろうが,かかる不可解な幻影 の神が, Frostのこころの片隅にあるようにおもえる.しかしPascalが神をもっPもたないという点で,人間の浄福や人間の悲惨を語り, Kierkegaardが,人間とし て生活し, 人間として死んだキリストこそ神であるといった, このような明言を Frostにみることはできない. Nietzscheの神の死を告げる呼び声にも耽りえず3
Kierkegaardの到達した危機神学へのいざないにも応じきれず, ComeIn"の詩 境のように Frostは, Heideggerのいった世のなかで出会ういろいろの存在者の かたわらにあるといえよう.
だがFrostは, Kierkegaardの3 人聞が働く必要のないとき, そのことは人間 生活の不完全さとみなさなければならないといったことばは信じるであろうし3 あ
カ三な b えき
たかも江掩の,百年会ず役有りの感懐にみられる平穏無事な生活をねがう者の素朴 な信念もわかるであろう. さて Frostみずからがその影響を受けたという Wil‑
liam Jamesにとっても, いかに鋭い理論でも,無気力な意志がそれによって培わ れるならば, それは単なるもの笑いの的となったが, このような Jamesのいった 信ず、る意志は, Frostの詩にひそむ力強さにもなっており,大地を粗野なものとし て感じるための労役は,なにかまったく仮言的な,未完成の労役に終わる懸念をあ たえながらも, その行ないに, 世界のメンバーとしての白負と誇りを感じさせる Frostの思想、の背景から, Frostがいうように, James的なものを捨て去ることは できないし,さらに,あたかも道元の「滴露の天月J 行ないに大小はないーー をおもわせるようだ. Stopping by W oods on a Snowy Evening"には, 土地 の所有なと、本来だれにも属していないのだから雄々しく生きてゆくがよいといった Horaceの信条に符合するものがあったが, ToEarthward"の,特に最終聯に私 はふたたび,簡潔にのべたことばなら,人のこころはおとなしく受けいれる上,忠 実にそれらを守るものだといったHoraceのこころづかいを感じるのであり,この ようなことが, 深い思想がその詩にあるにもかかわらず, それほど Frostの生活
倫理をむずかしくさせていないのではなかろうとおもうのである.次の Once by the Paci五c"でFrostは
Someone had better be prepared for rage. There would be more than ocean‑water broken B白reGod's last Put outル L18htwas spokJ
といいながら,海をのぞみ,神の断定をあえて待たず,大地に立つ人間の生き方を 訴えている.たしかに Frostの大地への志向性は, Nietzscheをおもわせ,神を考 えさせたが, さらに Frostに近いものとして私は, われわれが知らずしてそれで あるところのものを地球のたましいは知っているとレたFechnerの神秘主義に一 瞬引きつけられるおもいだ.だがかかる神秘主義にも没入しきれず,生地はとかく 蔽われがちだといったHeraclitusのことばにたすけを求めるように,生活倫理をあ まり語ることもなく,実生活への意志,超人的な勇気,人間の働く必要性,ふとお もう神への畏敬を Frostはえがいている. だから Frostの大地への志向性は単な る土への愛着ではないとおもう.
III
MOWING
There was never a sound besid巴thewood but one, And that was my long scythe whispering to the ground. What was it it whispered? 1 knew not well myself; Perhaps it was something about the heat of the sun, Something
,
perhaps,
about the lack of sound‑And that was why it whispered and did not speak. lt was no dream of the gift of idle hours, Or easy gold at the hand of fay or elf:
Anything more than the truth would hav巴se巴medtoo weak
To the earnest love that laid the swale in rows
,
Not without feeble‑pointed spikes of flowers (Pale orchises)
,
and scared a bright green snake. The fact is the sweetest dream that labor knows.My Jong scyth巴whisperedand left the hay to make. 9
さて,第六行の Andthat was why it whispered and did not speak."と終 わりから三行目の Th巴factis the sweetest dream that labor knows."に, も っとも Frost的なものを感じるが,また草刈りの場面は, Heid巴ggerが憂愁の灼熱 の詩人として論究している Traklの, 遠く野づらに曝く刈り鎌のかなでるような 小協奏曲をおもわせる.FrostとTraklの二人の詩人から受ける印象は, もちろ ん,後者がより繊細であるという点でことなるところはあるが,両詩人とも刈り鎌 の曝きをいくつかの詩に用いている. また Traklの, 金いろの昼はいま燃えつき てゆくとか,エデンの幻が砂のなかに美しく沈んでゆくといった詩句は, Frostの Nothing Gold Can Stay"を, また Traklの VerganglicheGebilde gehen unter." (ものみなうつろに滅びゆく〉も, 前にあげた Untermeyer宛ての書簡に 通じるものを感じさせるのであるが, このような孤独感のなかにも, Traklは, パンと葡萄酒はつらい労苦をみのらせて甘く,孤独な人びとは喜びにひたってゆく とうたい, Frostの Th巴factis the sweetest dream that labor knows."をおも わせる.Frostは事実は夢である,労役が知るもっとも美しい夢であるというので あるが,一体Frostの詩には, Waiting‑ Afield at Dusk" A Dream Pang"
The Trial by Existence"のように夢に関する詩が多く, Frostの温かな詩想と もなっているが,Traklも,題名にも「夢」を多くつけており,ただ内容的に Trakl の詩は, 生の呉常な昂揚を呼ぶ夢のような印象をあたえる点で Frostとことなる し,その思想にも Frostほどの深みは感じられない.Frostの場合,あたかも荘子 が夢に胡蝶となり,その胡蝶の飛淘をこころゆくまで愉しみ,自分が胡!燥になって いることもおぼつかず,急に目ざめてわれにかえり,周の夢に胡蝶となれるか,
胡蝶の夢に周となれるかを知らずといった物化の陛界をみるように, MyButter‑ fly"で破れた麹を枯葉といっしょに軒下にみつけられる蝶と「わたしJ, The
Tuft of Flowers "で憩いの花を求めて飛びまわる蝶と「わたし」に私は.Bergson が, Plotinusの存在の生成論にならって共感的な一つの全体を考えたような unity を感じる. だが Frostの知る夢は労役の知る夢であり, またこの夢は単に現にあ るものの心理的な写しではなかろう.それは Jam凶の,蓋然性にもとづく行為の知 る夢であり,たとえ Jamesのプラグ、マチズムが一種の懐疑論にすぎないとか,世俗 的な有用性を真理に先立たせているとか,非難はあっても, Frostの思想の背景に プラグ、マチズムの真理観は認めざるをえないのであり, Frostの夢にプラク、マチズ ムを無視することはできないとおもう. すなわち, Mowing"の最終句 My long scythe whispered and left the hay to make."は, 労働の価値をうたった Whittierの一面に通じるものを感じさせるが, Frostの場合は, Whittierにある 社会改革を予想させるものがなしさらに,プラグマチズムを無視できないにして
も
, それを強く意識させることもない Frostの労役は, 笑うことも, 知恵を受け と
i
ことも,家を治めることも,またそれ以外の日常茶飯事を行なうことも同時でな ければならないし,と、んなことがあっても,まことの哲学からでてくることばを口 にすることを中止してはならぬといった Epicurusや,熱心は仕事の実りを増すと いった Hesiodにきわめて近い,本源的な意義をもっているといえよう.けれども Nothing Gold Can Stay" (特に次の三行〉は, かかる人間の尊厳にまるでとま どいかけるような幻覚をあたえる一一一So Eden sank to grief, So dawn goes down to day. Nothing gold can stay.
人間の白由も永遠の相の下にみるならは 枯れ校にすぎないといったSartreや, 没落を諮った H巴ideggerや Traklをおもわせながら, たしかに事実は the sweetest dream that labor knows"であって,その夢も黄金に似て,とどまるこ
とのできない,まだ生まれていない人類の始まりにも先んじているのであろう.
かかるイメージは,触れるものがみな黄金になってしまい,飢えをしのぐことさえ できず,豊かでありながら,悲惨になった Midas王をえがいた Ovidをおもいお
こさせもするが, Mowing"も,二十世紀の産業社会においては, ほとんど信じ ることもできないような古式な風景をえがいており, これは A Winter Eden"
Never Again 'Vould Birds' Song Be th巴Same" Flower‑Gathering"にもみ いだされるのであって, Frostの詩の原初的な親しみになっているといえよう.近 代の運命を, Marxが自己を疎外するものとして,また Nietzscheがニヒリズムと
してとらえたのとはことなり, Heid巴ggerは故郷喪失として自覚したが, Frostの Mowing押は, A Lone Striker"が Marxの影と Ni巴tzscheの虚無を感じさ せるのと対照的に, その孤独な罷業者に故郷への帰趨をうながすようだ. た と え Nothing gold can stay."とはいえ,牧草地が拡がり,泉が宿り, そこに大地が 陪くまどろみ,大空も露をしたたらせ,農家の屋根も雪に耐え,長い夜の嵐に対し て住居を守り,一つの屋根の下に3さまざまな年代の足跡を残している Heidegger のいう故郷の喪失を Frostは, Mowing"においてはみじんも感じさせない.さ らに, Heideggerの考える農家は,共同の食卓の奥まったところに神の座を設ける ことを忘れてはいないのであるが, Frostも, Heideggerと同じように,ある神が かり的なものを感じさせる. だが Frostの故郷ともいえるニューイングランドは 一つの地平圏でしかなく, Heideggerの故郷喪失といった絶望J惑をFrostにみるこ
とはできない.
ここで私は Aristotleの, 詩人を詩人たらしめる能力はなにかを教えたことば をおもわせる Frostみずから述べた詩論 TheConstant Symbol"の次の一節 に注目しなければならないとおもう
There are many other things 1 have found myself saying about poetry, but the chiefest of these is that it is metaphor, saying one thing and meaning another, saying one thing in terms of another, the pl巴asure of ulteriority. Poetry is
11j)
simply made of metaphor.
すぐれた個性が経てきた人生の試練のあとを辿ってみることはとても興味深いと Kierkegaardはいったが, Frostのすぐれた個性とは隠織であり,所詮,隠、再発を辿
ることになろうし, Frostの経験した試練のあとに私は, ギリシヤ・ローマの古典 と,第二次大戦後に名をあたえられた実存主義の系譜をみたが,しかも詩は試練の 要約であり, よくわからないこんがらかりに, あえて立ちむかう意志の姿である という Frostに, Lucretian abyssといえるような深淵を覗き, Nietzscheの綱渡 り芸人を感じ,遥かにHeideggerのいう詩の家を望むのである.しかし詩人Frost と哲学者Frostの立つ場所は Xenophanesが, 万物は大地から生まれ, また最 後に大地へかえるといった大地であろうし, また Heideggerのいう, 母の胸なる 大地を感じさせ Fechnerの語った神をおもわせもするが, 生活する叡智の詩人 Frostの姿がひときわ大きくあらわれるような気がする. Two Tramps in Mud Time"の次の詩句は2 多分に Epicurusを努霧させるが,実存主義にまま看取さ れる閉鎖性を脱皮し,実存主義をほとんど意識させない生地を現わしているといえ ないだろうか一一
My object in living is to unite My avocation and my vocation As my two eyes make one in sight. Only where love and need are one, And the work is play for mortal stakes, Is the deed ever really done
lU
For Heaven and the future's sakes.
注
1) GeorgeW. Nitchie, Human.1石zluesin the Poetry of Robert F子ost(Dur圃 ham, N. C.: Duke Univ巴rsityPress, 1960), p. 35.
2)
C
側 'Plete品 目nsof Robert Frost (New Y ork: Holt, Rinehart and Win.ston, 1949), p. 275.
3) George W. Nitchie, 0ρ. cit., p. 5.
4) In lhe Clearing by Robert Frost (New Y ork: Holt, Rinehart and Win.
ston
,
1962),
p. 27.5) Complete Poems, pp. 279‑80.
6) The Letters 01 Robert Frost to Louis V;刀termeyer (London: Jonathan Cape, 1964), p. 96. この詩は Good‑byeand Keep Cold"だが, 凸mplete Poemsに収められているものは数箇所これとことなる. 1920年1月24日, マサ
ーチュセッツ
I :
'Hアマースト発信の手紙である.7) C01ゅんtePoems, p. 314. 8) Ibid., p. 25.
9) Ibぱ, p. 272.
10) H. Cox & E. C. Lathem (eds.)
,
Selected Prose of Robert Frost (New Y ork: Holt, Rinehart and Winston, 1966), p. 24.11)αmplete Poems, p. 359.
付 記
Frostの実存主義的な観念へのあこがれを最初に私に教えたのは3 上野直蔵・小 川二郎著『ダイヤモンド・イングリッシュ・リーダズ 2J (増進蛍,昭和40年〕の
『教授資料』であった.