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理論構遺

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(1)

枇 曾 政 策

の 理

論 構 遺

l

我 が 園 の 吐 曾 政 策 に 関 聯 し て

高 妻 靖 彦

ハ 一

︶ 1 

ひとは問題をそのときどきの時代の要求に従って問題とし解轄するのであるが︑前曾政策論に於いても吐舎政策概念を問題

とする場合経済の殻展段階の異なるに従って︑そのとき E 舎の経済枇合 D 嬰求の異たるに従って︑その問題︒捉へ方は異る︒

例をドイツに採って吐曾政策概念の麗還を瞥見してみよう λ 註 1 ﹀一枇舎政策は賃銀勢働者をその掛象とするものであり︑資本

主義経済に従属するものである︒従うてその概念麗還の歴史も亦資本主義経消の形成︒隆夫と共に始まると一五へる︒併し貰際

に所謂吐舎政策が問題となるのは産業資本の確立に於いてである︒ドイツに於ける枇曾政策概念塑謹の歴史を大別して弐の如

︿ 二

期 に

分 け

得 ょ

う 一

く30) 

設 −

何故 γ

イツに採りたかを大河内数段のき一回を借りて設明すれぽ︑即ち﹁枇舎政策上の貸践は︑資本主義経済の母図英吉利に於で最も順

調に︑また最も高度に設展したが︑そのた治の理論は︑

k

りわけ枇舎改良思想は︑却︒て﹁理屈好きの﹂溺滋に於て最も輝かしい夜

間出を途げた︒而志満議院︑その−資本主義的畿日出の特殊的制約の放に︑社曾改兵の必要主その様界とが最も短期間のうちに交鎖して現

段れ︑所謂枇曾改良主義忠穏なるものの運命を坦解する矯の此の上もない肥沃な土曜棋である︒﹂︵濁怒枇合政策思想史︑序︑ニ頁︶

第一期は十九世紀中葉以後のドイツ産業費本の窪願期より産業資本確立期日圏内市場確立期| i ︑凡そ一八七 O 年より九 O

(2)

年ーーまでである︒との期は串間的には︑ドイツ・マンチェスグl波に謝し勝利を占めた﹁倫理的﹂経済皐

H 講壇枇舎主義白支

配期である︒披等の位曾政策は階級協調論として現はれ︑その賢践者としてピスマルクそ持った@

第二期は九 O

年以後の猫占資本確立期より大載を経て現在までである︒乙の期は﹁技債値性﹂論守を経て詩壇批曾主義が嚢

誌に赴き︑大敢に至︒て完全に敗北し︑それに代るに枇曾政策 U 枇曾主義政策なる階級非協調論が支配的となったが︑世界的恐

慌によりとの論の誤謬が決定的に明らかにされるまで︒と D 論の賓践者としては大戦後政躍を掌握した世舎民主窯を持った︒

第一期 O

祉舎政策論は︑最も素朴なものではあるが正統源的見解とされてゐるものである︒その理論的代表者たるヲグナ

l v

ユモラーはそれぞれ些少の差異はるるにしても︑社曾政策を﹁倫理的﹂に提へたととに於ては一致してゐる︒然かもと白一期

にとそとの抵の問題担掘の方法に於ける最大の特徴がるる︒

︑ .

︑ ︐

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︑ ︐

︑ ︐

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︑ .

︑ .

︑ .

ワ グ

1

の古典的定義に依れば﹁一般に枇曾政策をぽ︑吾々は︑分配過程の領域に於ける諸弊害を立法行政の手段を以て克

︑ . ︑ .

︑ . ︑ .

︑ . 服ぜんとするところの園家の政策と解する︒﹂︿註ニヲグナーはとの定義のうちに階級協調策と共に彼の世曾政策の本質をなす 駐舎政策を分配政策と友す見解が明白にされてゐる︒との鮪シユモラーも同じである︒﹁駐曾改革とは何か・それは何を翁すペ

︑︑︑︑︑︑︑︑

きであるか︒その一般的目的は明瞭である︒すなはちそは枇曾的諸階扱聞の友誼的関係の再建︑経済的不正の排除︑または軽

︑ . ︑ ︐

︑ ︐ ︑ ︐

︑ . ︑ .

︑ . ︑ .

減分配的正義の原理への一大接近︑下居及中居階級の道義的並に物質的向上を保詮すると乙ろの進歩を促進すべき紅舎立法

の 創

設 に

あ る

︒ ﹂

︿ 註

二 ︶

彼 等

は 首

時 の

ド イ

D 資本主語吐舎の生み出した貧富の懸陪の蹟大化︑﹁健全な﹂中産階扱の浪落︑それ

に件ふ枇舎の安定の破壊の危険の事買を﹁諸弊害﹂とみたのでるるがこれらの﹁諸弊害﹂の依ってきたる根漉を生産過程に まで湖るととなく︑生産油程と切り離された流通過程でのみ問題とした︒とのととは彼等が巌密注意味でとれらの﹁輯弊害﹂

を ﹁

経 済

D 問題として迫求せ?に斗倫理﹂の中に解消させたととと深い関聯を持ってゐる︒而してとのやうた問題把握︒方

法問闇遁求む不徹底は︑彼等が資本主義的秩序を唯一の興へられた秩序︑詔はば自然的秩序として観念してゐたととと不可歓

31) 

(3)

の閥係にある︒彼等は﹁諸勢答﹂を

経済関係

︒上に議立するものと

観念

した園家による立法制定に依

Q

て﹁修正﹂し﹁

分配的

正 議

﹂ 資 を 現 せ ん と し た

位一

﹀・ 謡曲 伺宮 町

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内出

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﹁ 枇 合 政 策 盛

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︒ 傍 勘 引 用 者

乙 h で 注怠

べ す は き

︑たくれ

て出費したドイツ資本主読は産業資本の形成

期 に

早 ︿も努働

階 級 の 粧 品

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京接的批判に直翻せざ

るを得なかったと

包 乙

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る ︒

ハ 一

八 六

一 二

年 ラ サ

1

ル波の結成

一八六六年 ︑

アイゼナツハ減の

成 結

︒ ﹀ 乙 の 事 賓 は 講 笹 肱 合 主 義 者をして

︑ 資本主義駐

A

曹 の 惑 綾 の

敵を

枇合主義に見出し

︑ その最も頑強訟反劃者たら

し めたのであるが

︑ 乙の乙とは傍受の封

. 抗的関係を一つの

a 賓として 認

めたととを窓味し︑他阪との

郡 貨は産業資本の確立との閥聯に於いて際業平和の必.

MX bE

凶 強 要 し た ︒

ζ L

W 品

購獲枇合主義の客観的友存筏理由もあ

っ た の で あ る

︿ 註 一 ﹀ 彼 等自らは努賓の何れ

にも組

せざる超越的存在として その限

p に於いて資本

家階級

に も 反 鍛を感じ攻僚をも

しも凡のである︒而して努安を協調させるた

め に は︑資本主義枇舎の﹁諸

弊轡﹂を ﹁ 修正﹂し

﹁ 分 配 正

鵠 ﹂

貧 を .

硯ずべきで

あるといふ立掛から

その主舶を国家に求め︑そとから

. 上か ら

それを賓現 ぜんとしたのであり︑それを枇曾政策と名付けたの

で あふ.彼等が兵睡的方策を

︑ 努費何れにも嵐せざる一位舎の安金鱒として

の園家の中

堅と

しての小所有者

階級

の創定乃至維持に求めたのも

上の如き翻臨からすればまととに首然である

紘 一

︑ 風

間 中 入 十 二 氏 馨 ﹁ 岡 本 批 合 成 一 祭 典

﹂ 問

問 問

i 八 一

具 ︑

閥 七

三 一 丸

以 下

品 w m

彼等の論は有名なピスマルクの

﹁ 飴と鞭﹂の政策として賓接された︒ピスマルクに於ける﹁飴﹂とは

. 疾病保険法︵一八

一 二

︶ ︑

災 害

保 険 法 ︵

一 八

八 四 ︶

︑ 養 老 ︑ 疾 援 保 険 法 ハ 一

八八九 ︶等

々 で あ り

︑ ﹁

﹂ 鞭

と は 批合黛銀座法ハ

一 八 七 六

︶であ

る ︒ し

か し

かかる鞭も枇命民主誌の成長を阻止するととが出来

41

・産業資本の獅占資本への締化と共に

ユンケルたるピスマルクは政治

から 返却の余儀

な き に 至

っ た

32 ) 

(4)

要約すれば講壇枇曾主義者︒枇曾政策論は資本主義の機構との閥聯な︿把握され分配過程に於ける﹁諸勢害﹂の﹁修正﹂

といふ尻拭ひ的なものとして捉入︑以て階級協調の理想をはかるといふととを民的としてゐたが︑経情的には何等積極的な役 割をそれに課すると左たく︑生産政策としての枇曾政策は彼等にとっては思ひもかけぬものであった︒吐舎政策を﹁諸弊害﹂に 劃する尻拭ひ的慮置経済外的なものとしてゐるととは︑その主韓を﹁経済以よのもの﹂と観念してゐた闘家に求めた乙とに

も 照

醸 し

て ゐ

る ︒

設︑日本の批合政策挙者では︑森耕二郎教授が舵舎政策を分間政策之規定されてゐる︒﹁枇舎政策とは︑現今の資本家的生産関係を支持し

つL︑それが分配過程に於て特に生起するところのもろもろの弊害をは︑関家の犠カによヲて︑可及的に除去せんとするさ主ざまの

方策施設の謂である︒﹂ハ森耕二郎歎授著﹁一位舎政策要論﹂穴八頁﹀森致撲は枇令政策を図家機力による分臨政策と規定されつA

も ︑

委本的生産関係を支持する政策止朗自に規定されてゐる獄が︑古典的なワグナ

1

︑ジモモラ

1

の規定よ昔︑も前晶唱してゐるもの主され

4

士 フ

c  33 )  第二期は政治的にはピスマルグの失脚︑串間的には﹁波慣値性論﹂争と共に幕を事げられたのであるが︑その経済的・駐舎

的地盤は︑産業資本の調占費本への輔化︑囲内市場より海外市場進出の必然性である︒営時既に海外市場獲得進出は件闘資本 ハ特に英園資本﹀との激烈な競争なくしては行はれ特友かった︒との経済機構の護展は枇曾政策を今起と異ワた観鮪からみる ととを要請した︒第一期に於いてピスマルク的官僚のかげにたりユンケルといふ媒介物を経て封抗してゐた努費関係は︑ユン ケルに封する費本の勝利により直接に接関するやうになった︒とのととも嘗然枇曾政策に封ずる態度の麗轄を要求した︒

﹁浪慣値性﹂白主眼者は経済科壌に於ける﹁債値判断﹂の排斥主︑縫って﹁倫理的﹂なるととを排撃した

D で

あ る

A 詰

一 ﹀

彼等の勝利は融合政策論に於いても観念的基礎付けを慶する﹁純粋﹂の墜として D 枇合政策論を主張した︒例へばアモンに依

れぽ可一位曾政策とはその本質上︑特に枇舎の内的︑物質的連闘の保持︑並びに強化に役立︒ぺきところの政策的努力及び方策

の 謂

で あ

る ︒

﹂ ︵

註 二

︶ か

L る傾向は必然的に赴舎政策概念から具種的内容をい引き去り抽象化に華き・階級政策としての駐曾政

(5)

策を否定し超階級政策たるととを主躍するものである︒︵詰一一一︶﹁純粋﹂の壊としての駐合政策概念樹立の努力は︑営時内ドイ

ツ資本主義が英国資本主義との衝突の不可避を意識し︑そ O ためには持費協調を結謝的な俵件としてゐたととの反映であらう

との場合の持費協調は第一期に於ける現はれ方と異なり枇合政策概念︒拍家化となって現はれたのであるが.とれは勢資闘係

の緊迫化と国家白殺割の脂製化と共に︑世ム何回民主黛側よりの来るべき職宇への協力化をも民映するものと思はれる︒第一期に於

いては﹁諸弊害﹂の﹁修正﹂それ自身を﹁理想﹂とし︑吐命国政策自身も謂はば﹁理想﹂とされてゐたのであるが第二期に於

いては海外市場進出のための一一保件としての枇曾政策は﹁手段﹂とされるに至った@

註一︑マックス・ウ晶

1

1

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有名な左の言葉は乙のこを諮してゐる︒﹁経済科欝は何人にも何を銭すべきかを教へ得ない1︒それはた彼

k V

︑ ︑

︑ ︑

がなし得る

ζ

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︑及び

i l

事情に上つては

l i

彼が意志すると乙ろのものを敬へることが出来るだけゐる︒﹂ハマック?ウ

Z

パ1

著︑

戸田武雄課︑﹁批合科事と債値剣衝の諮問題﹂八頁︑傍鮎原著書︶

設二︑﹀・﹀

5 8 P

り由吋回目的見附

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岡 弘 ・

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森耕

二郎

教授

著﹁

枇九

日日

政策

要論

﹂穴

一一

一良

より

註一ニ︑立脚する立場は必しも同一ではないが枇舎政策を越階級的役もの

k

する事者に例へぼ称美未夫裁授︑河合祭治郎裁伎がある︒

﹁枇舎政策

k

は︑資本主義的批舎に於ける有産階級及び無産階級の針立によって生ずる︑搾取の鮭舎的努害bL排除せんがため

K

︑ 最

中誌の枇曾奉仕を保必ずる協働的本然一位舎建設の理想によりて指導せられ︑宿雨階級の針立を廃止することを目的として︑商家が週一水

のために行ふところの諸方策でるる︒﹂︵林夜来夫教授著︑﹁一批合政策新原型﹂=一二頁︶

︑ ︑

﹁私は一位舎政策の目的は︑批舎に扇ナるあらゆる成員が人絡の成長を録しろる抗合組般を構成するζとでるる主ずる﹂ハ河令祭治郎教

授著﹁枇合政策原理﹂宍頁﹀

(  34) 

﹁純粋﹂ゑ畢としての枇曾策策の概念は︑﹁倫理﹂といふ経済外のものが粧演の左かに入り込んでゐたのを排したといふ限り

に於いて︑その本質に一歩近づいた如くであるが︑質はそとから具樫性を抜きとって抽象化したととに於いて逆に一歩建白い

枇舎政策の本質への接近は他の面から.洛外市場進出のため外間資本との競争といふととから反省せしめられたといふ面か 之

(6)

︑ ︑

. ︑

︑ ︑

︑ ら生巴たゃうである・

2 口々は駐曾政策をぽ︑経済政策の中で特定の経済組織乃至はその部分の保持︑促進或は抑厭一をば目的乃

室結果として持つ所の諸方策と解する﹂︵註一﹀とゾムパルトは定義してしてゐる︒そ乙では枇曾政策は経済政策の一部たると とーと階級政策たるととが主臆されて本質へ一歩近づいてゐる︒併しグムパルトは賞際的には枇合政策を資本主義維持のため階

級協調策としてではなく一皐に究の枇舎へ

1 1

彼の言ふととろに従へば誼曾主義枇舎へ

l l

の促準のための非協調策にまで

躍進させた︒ソムバルトのか与る見解は大戦後資本が一時的に後退した枇曾民主語が政樫を掌撞ずる&共に﹁居横穴され 吐合政策を推撞せしめてゆくととがそのま主役等の理想とする枇舎を来すことであると主張されるに至った︒その代表者たる ハイマシは﹁融合政策とは資本主義門広於ける一舵曾的理想の制度的洗澱であるよ︵詩二﹀とその主著む中で述べてゐる︒彼の 設に依れば︑世曾政策は賢一本主義枇舎に於ける尉曾的﹁理念

L

の制度的沈澱であり︺努働運動がその﹁理念﹂の捨首者である

ならば︑枇合政策は資本制的批曾に於ける持働運動の﹁制度的沈澱﹂で φ り︑それは資本制的世合︒構成要素としての商とそ

の否定的な方面とのご面窓持つけれども︑本被何等の限界一を一持つものでたいといふのである︒果してんそうであらろか?

c  35)  駐 一

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・∞大河内一男敬授﹁概念 構成を混じて日品たる仕合政策の嬰選﹂終決勝論集第二容第一一抗五五頁より引用︒傍貼引用者

註 一 戸 ︑

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− H H

∞大前内一男数授﹁一此令政策の形而上轡﹂経済問情論集第七巻第五競

よ 事 引 用

一 一

頁 その後のドイヅの歴史がそれに暫して明快歌解容を興へてゐる︒一度舞壷裏に退いた資本は力を害へて安定期に入ると徐ろ

に舞聾に現はれた︒大戟によ b

一敗地にまみれたドイツ費本主義が過重及負婚の下院蓄積を霊ねてゆくためには︑いや障なしに

祉食政策のための費用を削減して海外 K 市場を求めてゆかなければならなかった λ 海外市場進出のためにとらはれた今一つの

・芳法は生産行程の合理化︑機蛾化︑所謂産業の合斑化とれである

J 叉事賞ドイツ資本主義はそれを歩一歩と賓践してい O

た の

であり!そむた診に枇舎政策は日つ一っと剥奪されてゆき︑ナチスの出現陀まで至りた︒ナチスの政構掌﹄艇と一共に下された一世

(7)

合民主黛解散をまつ迄も友く︑か L る現賓の前にはハイマンの希望に満ちた吐曾政策論は跡かたもな︿消え去らねばならなか

った︒ととろでハイマシ等白一位曾政策論は︑成種資本主義駐舎を自然秩序とは観念しなかったがその根本的誤謬は枇合構成の

質 D 問題を無闘した騎にある︒とのことも畢寛は枇合政策を資本制的耽曾 D 構成に関聯せしめ℃み・るとと没く︑換言すれば枇

合政策が資本主義枇舎の成立と共に生誕し︑その護展維持のための一保件たるととまで考究し一なかったととによる︒或は枇合

政策が資本主義批舎の維持といふ意闘に反して︑却ってその矛盾を益々棋大化し生産の駐曾化を進める結果に友るといふ面を

温大評慣した乙とによる︒ととに彼に於いては﹁限界﹂が問題にならなかった理由がある@

資本の攻勢と共に︑一方に於いてグムバルトに見出される見解の他の一面印ち枇舎政策を経済政策 D 一部としてみる見解が

優勢にたって来た︒一凪曾政策を経済政策 D 一部として︑生産政策︒一部としてみるととの裡に枇舎政策の本質へ近づく鍵が見

られる白でるるが︑と

aA

ではヘルタナーの新しい枇曾政策に就いての一言葉を載せるだりで他は省略する︒﹁:::枇曾政策をば経

済政策により裁断する事は︑今日に於ては従来よりも増して不可能であります︒現在の諸関係の許に於ては効果ある生産政策

及び誼貨政策乙そ一般に建行可能な遥かに優れた枇曾政策であります︒﹂ハ詰一﹀

註 一

︑ 大

河 内

一 男

教 授

﹁ 概

念 構

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一 通

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見 た

る 枇

舎 政

策 の

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﹂ 程

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論 集

第 二

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一 一

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一 一

頁 よ

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用 ︒

※ 以 上 段 主 と し て 以 下 の 著 書 論 文 に 擦 っ た も の で あ る ︒ 積 者 諸 君 の 参 照 さ れ む こ と を 希 望 す る ︒

大 河

内 一

男 教

授 ﹁

濁 遜

枇 合

政 策

思 想

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ハ 日

本 評

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同 上

﹁ 概

念 構

成 を

遁 じ

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枇 舎

政 策

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ハ 経

摘 開

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論 集

新 谷

第 九

波 及

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二 巻

第 一

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向 上

﹁ 枇

合 政

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済 閣

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集 ︑

第 七

巻 第

五 競

及 び

同 巻

第 十

u 向 上 潟 遜 批 舎 政 策 の 運 命 ハ 枇 合 政 策 時 報 ︑ 第 百 三 十 七 貌 ︶

(  36 ) 

ハ 一 一 ﹀

(8)

階級協調論としての枇合政策は︑祉合政策を経構外的なも D として捉へ階級非協調論としとの駐曾政策は︑経済機構稜展

に於ける質の問題を無闘した︒何れも吐曾政策を正しく資本主義機構に闘聯させて把揮してゐ・ない︒そのやうた祉曾政策の誤 まれる把握は.それぞれの経慣の殻展段階に照臆してみるとき︑それ相臆の枇曾的経済的根擦を有し且つ意味深いものである が.めれわれはそれらの見解の誤謬を訂正し護展させて︑正しい位舎政策論を樹立する必要がある︒

2  祉舎政策の本質への正しい洞察は︑先づ商品生産位曾たる資本主義枇舎に於いては﹁弊働力﹂も商品として賓賀されてゐる

といふ事置を事賓としてみるととの裡にある︒商品たる﹁務働力﹂ D 捨営者は第働者といふ人間でるり︑務働者は一面に於て

肉瞳的存在でるると同時に︑他国に於ては枇舎的存在でるるといふ二重的な存在である︒と

L に吐舎政策論の基本的た問題が

ある@との場合問題は﹁勢働力﹂の捨営者が不幸にも肉躍的批舎的存在であるといふ事買にあって︑人格の所有者たる人聞の

﹁持働力﹂が商品として賓賀されるととにあるのではない︒ひとは往 k にして後者から問題に入ってゆく D である︒枇曾政策

(  37)  に於ける正統祇的見解もとの賠から問題にしてゐたのであるが︑﹁努働力﹂が商品として賓賀されるといふ事賓の﹁倫理的﹂債

値判断からは枇合政策 D 何たるかを正しく理解するととは出来ない︒

商品たる﹁間労働力﹂の買ぴ乎はその﹁勢働力﹂を他の物的生産資本と結合さぜて生産に従事させんとする︒資本主義枇舎は 単に商品生産枇舎たるに止まら守︑利潤の獲得を無限の利潤誼求を至上理念とする枇舎である︒従って﹁弊働力﹂の買ひ手 は勢働力を単に生産に使用して物資を獲得せんとするものではなく︑そのことによって利潤の獲得を︑之れも皐なる利潤では なく飽くととなき利潤の獲得を自己目的としてゐる︒若し﹁持働力﹂たる商品が磨蹴の心配なく或は無限に廉慣に補充され得 るものたらば︑﹁弊働力﹂の買ひ乎は己れの思ふが憧に一日廿四時間でも出来得るも仏らば廿五時間でも絶間なく使用するであら

う@併し訟がら般にとって不幸たととに﹁勢働力 L

の捨営者が生きた一人間であるといふととである︒人闘を絶間訟︿サ四時間

(9)

持 働

に 従

事 さ

せ る

一 乙

と は

生 命

の 融

持 に

不 可

能 与

を あ

0

・叉人聞は無限一に存示してゐるもめでもない@との乙とから買円山手瓜﹁持

働力﹂新使用するのに何等かの限界に突きあたるのである︒先づ何よりも肉樟的︑生理的限界応︒けだし﹁持働力﹂の捨賞者

以作品伸一産を維持するといふだけでた︿.一日の静働の後翌日は叉新たな健全な務働力の保持者として勢働市場K現はれるに足る

が行わ時間 lj 主として食事と睡眠時

1 1

K ζ れは生産を横けてゆくの

i はどうしても一日の中から引き去らねばたらない︒

−−ヤム託生理的な絶射的危限界である︒持働力に劃する配慮として︑これだけは ε んな強慾な買び手にとって伎のため広不

可般的花必要なのである︒再言すれば﹁勢働刀﹄の買ひ手即ち資本家は﹁持働力﹂使用の限界を彼の遺徳的反省から得たもの

ではな︿︑生理的︑肉腫的た必要から限界を設けざるを縄なかったのである︒

﹁弊働力﹂使用の限認は生理的限界を問題にし℃もとれに止まるもので院ない︒しかも一闘の園時一経済の立地か

S

り す

れ ば

個々の﹁野一働力﹂が釘象陀友るのではたく﹁融持働力﹂である︒閤民経済が単純再生産をやってゆくと偲定 L

て も

・ 少

︸ く

と も

現在の範圏比於砂る﹁弊働力﹂は施調的に必要とされるのである︒

J

その限り民於いても事 κ 現在の持働力を保全するばかりで

なく死誠してゆ︿持働力の補充をするととは絶封的な必要操件である︒以上︒ ζ とか正しいとすれば︑引人め﹁一働力﹂指営

者 l

l 以後弊働者と書

4 1

ζ

と︑それ以上院勢働者が伎の家旗を養ぴ伎の後糟者を育て得るや B 持働者の再生産に配慮乞掛ふ

う に

ii

殺とその家族の再生産||考慮を梯ふことは生産上から合息的である

ζ

もとは明らかであらう@乙れ起は問題を車広量

的に考察したのであるが︑径一一産に必要た一定の技術といふ質の観鮎からみる友らば︑勢働力保全のための配慮はより合理的に

c  38 ) 

より複雑に左らざるを得︑ないであらう︒以上のやう及︑生産のための必要からする勢働力ぬ保全或は合理的な配慮を枇合政策

とするめであるが︑かやうな保全︑配慮は﹃﹁持働力﹂に罰する非合理的取扱ぴが資本一家的合理主義 O 精神&合致ぜぎるもので

あるとと除︑恰も農業 κ 於ける濫耕︑林業に於ける濫伐が合理的経融商宅はないと同畿であり・また﹁持働一いの保金が合理的

であるめは機械に劃する絶ーえざる掃除や註泌が合理的工場経畿であるのと同様︑である ι 砧ハ註二まいふ意味んに於ける保全であ

り 配

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(10)

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︑ 第

七 答

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穴 丸 宵 凡

単純再生産の場合でもそれが嗣曽に運行するためには以上のやうな配慮が必要とされるのであるが︑それは前越のやうに総

資本︑園民経捕の立場からである︒個別資本にとっては・彼の買った﹁附労働力﹂の生理的眼界を無硯しでも使用したいのであ

り 叉

往 −

R

低周もするのである・長時間に亘って使用すればするほど︑それだけ多くの債値従って叉利潤を得ることになるから

である︒叉相互の激烈な自由競手を必然とする費本主義一砿曾は相手に打負かされないためにも個別資本をして過持労働へと

温ひやる︒又治大な相割的渇剰人口が存在する場合資本は個々の﹁帥労働力﹂を喰ひっぶして新たなる補充を過剰人口氏求める︒

姻悩資本にとっては附労働力の保全は必がしも合理的配躍ではあり得ないしえそれを無硯せざるを得ない事情も存在する︒組

合理的配慮の必嬰はただ組資本の立場からのみ認識し得るのでるる︒現賓の国家の立場は綿資本の立場に必やしも等しいもの

ではないが︑﹁接備力の謹費﹂に劃する警告がしばしば閤家から載せられる O

は 故

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資本主義経済そのものでありその客閣は持働者階級である︒

J

とこるで資本の蓬勤法則は資本集中蓄積運動であり無院に蹟大再生産を蹟けんとするにある︒費本が順首た損大再生産そ行

ふためには︑﹁資本﹂と不可献の閥係にある﹁努働力﹂もそれに臨じて鏑大再生躍されてゆかねばならない︒﹁持働力﹂の蹟犬再

(  3 9  ) 

. 

生産は︑経済の蛍展段階に於て︑震耽耐の治かれやうは異るであらうが︑何れにせよ﹁帥労働力﹂の質量に劃する合理的配慮なえ

しては﹁費本﹂の模大再生産は鵬首に行はれ得ない︒何故友らば︑少数の劣謡な﹁般労働力﹂を以てしては資本は高度化せる鋪

太蒋生産を到底順営に行はれ得ないことは明らかである︒費本主義経済の初期の所謂本原的蓄積期に於ては︑白血友る﹁努働

力﹂を創出すると共に濁自な方法に依ってそれを近代的な﹁券働力﹂に積極的に陶冶訓練したのであるが︑かくて一度獲得し

た﹁持働力﹂は産業資本の確立期に入

大量 O h v しかも良質な﹁倣労働力﹂が要求されると共 K .最先きに﹁保全﹂される封象と

なったのでるる︒との場合童と共犯特に問題と友ったのは︑といふよりも一定︒量の増加が新たたる質を生むといふ胡係で特 κ 問題となり重要観されたのは︑熟練工である@それと共に熟練工と平準工との組合せの問題が重要とたり︑との持働力の組

(11)

織の問題は資本主義円高度化と共に毎々その重要怜そ加へてゐる︒

一代の﹁勢働力﹂の使用期間

i l

勢働年齢ーーを出来るだけ畏期にするととが合理的であるばかりでなく︑敢代に亘って︑

﹁勢働力﹂前損大され炉規模に於て穂積的に再生産されねばならねとしたら︑翌日にまで疲弊が恢復せ・?に持ち越されるやう た股態は︑健全た持働力を維持・創設するゆえんでないばかりでなく︑積極的に肉輯的存在以上の人間的存在を可能にする程

度には﹁保全﹂し友けれぼたらゑい︒と L

に生理的限界以上の﹁弊働時間制限﹂が生やる必然性がある︒だがそれは単なる持 働時間ばかりの問題ではなく又﹁柴養﹂の問題でもある︒乙主に﹁最低賃銀﹂の問題が生じる︒との爾者が弊働力保全策とし ての枇合政策の基本的な兵鶴来でるる︒との雨者は相闘聯せしめ守して論守るとと白出来ない問題である︒利潤温求を目的と する鰹捕に於いて﹁持働時間制限﹂のみによって寸最祇賃銀﹂を件はも仏ければ︑賃銀は粧前よりも低搭するし︑叉誕の場合に

は努働時聞は従前よりも延長されるであらう︒か L

るととは接働力保全の目的に医するとと明らかである︒経憤機構の高度

化と共に勢働力の質の問題が特に問題とたるのであるが l !熟練工の問題 l !とれもとの爾者の確保たくしては望み難い︒−

般の附労働者の生活水準の低いととろに︑綻って一般の捧働者の技術水準の低い創意性を献︿献態︒ととろに高度の技術水準 も又優持左熟練工も存在するととは不可能である︒それは何よりも一般傍働者に新た去る技術を畢び得る創意性を都民揮し得る 知識を吸牧し縛るやろな帳件が興へられるととが必要である︒そのやう友保件を創出する最少限の基本的のものとして以上二 つの労働力保全集たる﹁努働時間制限﹂と﹁最低賃銀制﹂は不可伎なものである︒︿

E いやうだがそれなくしては費本の蹟大

再生産従って又﹁生産力の摸充﹂は順嘗に議行し得たいのである︒勢働力保全策として

O 枇曾政策は以上の二つに盤きるもの

ではないが

g l s

例へば﹁熟練ヱ養成﹂問題︑﹁職業紹介所﹂の問題 ll 以上の二つが基本的たもの蹴他はと L

で は

省 略

す る

﹁努働保全策﹂としての祉曾政策は︑資本主義経済機構の生産面にその必然性を持つものではあるが︑現賓の枇曾政策・異に

於ては必しもか

aA

る﹁弊働力の保全策﹂を最少限の範固に於いてすら賓施されてゐるとは限らない︒特に治くれて世界資本主 義経慣に一環として参加した︑それだけに内部に前資本主義的関係を持つ岡︑換言すれば典型的・投資本主義経憤機構から語い

c  40 ) 

(12)

固に於いて特にそうである︒併しとのととを弊働力保全の経済的必然性を抹殺するものではない︒﹁葬働力﹂を個別資本の虐使

に放任してゐるととろに会いては︑何時かはその報ひを受け・なければ訟らない︒歴史はとのととを聾明してゐる@

世曾政策は持働者階級の要求たくしては成立 L たいと詑︿論者があるが︵註一﹀﹁弊働力保全策﹂としての枇舎政策はその

必然性を経糟機構の生産面そのもの A うちに有し︑しかも生産政策として総資本の立場からの政策である故に︑勢働者階般の

要求なくしてもそれ自身で成立し得る必然性を有してゐる︒

註一︑例へば風早八十二氏︑同氏審﹁日本枇合政策史﹂一一一 O 頁︑ごニ九頁参照

※﹁傍働力保全策﹂としての舵合政策といふ場合

ζ h

では﹁勢働力保全﹂の意味を狭義に解して用ひた︒次の間に於で温べる﹁産業平和

維 持 策 ﹂

k しでの批曾政策も庚義の意味では﹁努働力保全策﹂主も− X へるが︑この論文ではその意には用ひなかった︒

資本主義経済 D 成立はそれ自身の裡に持費関係をふくむものであり﹁勢働力﹂の貿び手としての﹁資本﹂と﹁附労働力﹂白費

(  41) 

り手として白﹁持働﹂との利害は一致し難い︒﹁勢働力保全策﹂は資本のための持働力に封ずる合理的問慮を目的とするとは去

へ︑しかも﹁弊働力﹂の捨営者の歴史的・枇曾的存在としてのそれに封してよりも︑むしろ自然的︑肉樫的存在への回慮であ

る と

は 一

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︑ ﹁

葬 働

力 ﹂

O 携営者が一身に自然的・肉臆的存在と歴史的・祉曾的存在とを捲ってゐる限り︑前者への配慮は後者

へ影響を及ぽさやにはたかない︒

もとより︑費本の成長そのものが間労働をも成長させるのであり︑持働者が工場といふ一つ D 枇舎化された場所で枇曾化され

た生産を行ふとと自身の中に︑彼等自身の歴史的枇舎的存在の意義を自畳ずる必然性を持ってゐるのであるが︑しかし︑そ

れを現賓化させるモメントとしての枇曾政策の役割は大きい︒

7

=ユフアクチユアより大工場制への稜展は︑叉道具による生

産より機械によるそれへの護展でもあるがそのととは今起第働手段 li 道具 l !の主人公だった持働者を今度は逆に弊働手

段||機械

llk

粧属するものに轄化させる過程でもあった︒機械の規律だった運動輯系に従って﹁僻労働力﹂も規律を要求さ

(13)

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た︒かかる物的踊係から必然的に僻労働力は陶冶鍛錬されてゆくが︑それを促進さぜるも O

は と

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労 働

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の配慮である︒勢働時聞の制限と統制︑始業︑休憩︑食事︑都議時間等花関する︷定の規定・集圏的持働の秩序を説す行震に 劃する罰則︑其他種々なる工場規則によって勢働者は益々規律化秩序化されてゆく︒とのととは費本の鎖大再生産を願書たら

しめる必至︒一倍件であるが︑他面それは

7 2

品フアクチユア期の一撲的形態の努働運動を大工業制への費展と共位計畜的形

態を採るに至らしめた要因でもある

Q

劣悪な持働保件の下に︑日れの肉腫的再生産をも満足に行ひ得ないやう怠欣態の下では

即ち健全なる勢働力を保持し持たいやうな扶態の下では E うして強大な資本に封抗出来るやうた耐久力 b る計蓋的な形態を

採り得ゃう︒そのやうな献態では自己申麗史的︑一世食的存在への自覚に到産する

ζ

とさへ莞束ないであらう︒

﹁務働力保全策﹂に依って健全た持働力を保持し得るやうにたった般労働者階級は︑自ら彼等の歴史的世曾的存在を.

び い

て はその任務意義を自発するに至る︒一度か年る自覚に一建した彼等が彼等調自の要求を掲げその達成に努力するに至るは嘗然で ある︒彼等の要求を放任すれば資本主義経憤秩序を撹蹴するに至る恐れが②る︒例へ境観するまでに歪らたいまでもその闇滑 なる運行はしばしば年議︑罷業等により一時的に阻止される︒かかる事態を招致するととな︿世帯前に鑑賞な蕗置を採ることが

資本にとって賢明とされる︒かかる庵置は一方に於て取締的方策を伴ふ O は無論であるが︑それのみでは充分でなく︑他万に

K 於て静一本は産業平和を維持するための方策を講・ずる︒言ふまでもなく︑との場合も祉合政策融資本の立場から行はれる︒不

況時と去へぎも利潤の低下は費本の最も忌避するととろとは去へ或る場合には一時的なる利潤の低下を忍んでも生産を績け

るととが究極に於 τ

は相封的に多い利潤を費らす従って資本の利益となる方法であるとともあり得るだらうし︑或る場合には

所調生産合理化︑持働強化︒方法により利潤の低下を防止することにより賃銀 O 引上げ或は据櫨を得策する場合もるるであら

う︒ととるで現賓にか L

る方策は個別資本にとっては他との競争の必要上行はれにくい︒中小資本にとっては特にそうであ る︒巨大資本はむしろ一他との献労働僚件の均一により己れの資本による競争力を増大化し︑他国では中小資本の陶汰をも行はな

んとする欲求を持ってゐる︒殺ってか L る相場合に於いても枇合政策は組資本の立場から注され︑然かもそれは E 犬な資本を利

(  42) 

(14)

ずる

ζ

と大なるも O がある・要するにか L る場合的産業平和維持︒た

bo

政策は狭義の﹁持働力保全策﹂ではないがより務展

した形態の枇曾政策と一民ひ得る︒産業平和維持のための駐曾政策は︑端制的な基本的なロ労働力保金策﹂・としての批舎政策

ω

上に附加されるものであ炉︑従

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9 て﹁負捨﹄となったとき先づ剥奪されてゆくのはか

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枇曾政策からで②る︒再言すれば﹁拙労働力保全﹂のための一位曾政策は乙 h では﹁産業平和維持﹂のための枇曾政策とたって︑

前者に附御されたのである︒﹁持働力保全﹂といふ直接的な生産政策の一部でるる枇合政策の本質は︑費本主義経済機構の護展

に位︒て︑﹁産業卒和の維持﹂といふ階級政策にまで饗畏して来たのであるが︑後者は前者を官官定ずる

w

曹のではなく︑むしろ前

者の一一暦白鷺展である︒而して枇曾政策の本質は資本主義維持といふよりもむしろ存層建展︒必至の−保件たると

ζ

ろにあ

る・との賄を無観したハイマシ等b理論はその後の歴史によって痛烈に批判され−のである

b

とれまで﹁勢働力保全策﹂﹁産業平和維持集﹂としての枇曾政策に就いて簡皐に越べた︒それ AI 自然的・肉閤的作在と枇曾

的躍奥的存在といふ勢働者階組︒面に割腹するものであるが労働者階級は又人間的︑精神的存在であるとしたらとの面に封 躍するものとしての枇曾政策がある︒と白立場も︑肉腫的存在としての弊働者階誠に劃する合理的な配慮な︿してはそれは 成立し縛ないのであるが︑と云って後者は前者と切り離され或は金︿結属してゐるのでは左く却って前者に影響するのでる る︒例へば前にも趨ベた如く技術水準︒向上は患なる﹁附労働力保全﹂を以てしては充分に望め得たいのである︒それは﹁持働 力﹂捨営者としての肉瞳的側面以上白人間的側面への配慮たくしては充足され友い︒何故

4

ならば︑技術水準の向上は員賓の意

味に於ける枇舎の知識文化水準の向上をまってのみ向上されるのであり︑知掛や文化が尉曾の一部にのみ偏在してゐるやう た般態からは望み縛−泣い︒とろした技術水準向上のための文化︑従ワてそのための紅曾政策といった意味からばかりでなく︑

文化捨営者としての弊働者階級に劃するものとして︑﹁文化政策としての枇命政策﹂は︑それ自身潤立した意義を持ってゐる@そ のためのミ品守ムた必要は﹁休養﹂である・﹁休養﹂は文化を嬬取し敬養を持ち得る基礎を先づ提供し︑ひいては文化創浩者と

しての野働者階級を勺︿ P

上げるだらう︒生産比従事してゐる階級が文化創謹者として立ち現はれたときに︑文化は始め℃国

c  4 3  ) 

(15)

民 O ものとなり﹁関民文化﹂となるでるらう︒換言すれば文化は一位曾化さ札るのでるる︒叉か

L る

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産 も

一 世

舎 化

さ れ

で あ ら う ︒ 以 上 甚 だ 粗 雑 で あ る が 附 言 し て も 百 く ︒

※ 

左の諸論文を参照されたい︒

大柄内一男敬授﹁批合政策の形而上肇﹂ハ経済事論集第七巻第十二銃︶

向上﹁枇曾政策論 K 於ける生産主分間﹂︵枇令政策時報第一一一八競u

関上﹁休養﹂の一位合的意義ハ教育第六巻第十獄﹀

︵一ニ︶

1  ハ一﹀に於いて今起の枇舎政策概念の費一患をドイツに例をとって瞥見し.︵二︶に於いて駐舎政策の本質を一般的に略述した︒

然らば︵二﹀に於いて詰ペた紅舎政策論は

r u u f

わが園にも埴期されるであらうか︒わが国の枇曾政策の歴史︑現賓はそれ j A

を許容さる L であらうか︒と

O

問題は枇曾政策論に於て何よりも重大た問題であり︑今迄簡単ながら述べて来たととは︑わが 閣の現賓を理解しそれを将来に向って正しく推進せしむるための重要たしかし一

O

k D 前提に調ぎゑい位であり︑もとより軽

に論断すぺき問題ではたいが︑最後にとの問題に舗れてみたいといふよりと白問題を理解するための前提としてわが間の駐曾

4A ) 

政策の歴史忙蝿れてみたい・

2  風平八十一一氏はその著﹁日本粧曾政策史﹂に於いて克明に

b が闘の枇舎政策の資本主義機構との闘聯の下に血越され︑あわ

せて祉舎政策に於ける﹁日本型﹂を鋳曲されてゐる︒同氏によるまでも在く・今迄のわが闘の祉舎政策の歴史は貧困の一語に

重きるととは誰人にも否定出来・ないであらう@犬鞍前までのわが闘は駐舎政策といふ段芝のものは何一ったいし︑工場法が賓

(16)

施された大正六年から同誌が改正された大正十五年までを︑辛じてそのさ L やかな開花期とするに過ぎない事費は飴りにさび

しい︒共後今支那事費までわが図︒経憤は枇曾政策を貫施する眠なく・ひたすら次から弐へと隆起する恐慌の克服に専心せ古

るを得ない朕態にあった︒か L る吐命日政策の貧困はどこにその要因を持つであらうか︒一足ふまでもなくわが資本主義機構の特

殊性に跨着せざるそ得ないのである︒ととで詳説するいとまはないが︑わが園 D 枇曾政策は車に貧困であるばかりでなく︑そ

のささやかな位舎政策も宜質に於いては豆常の枇曾政策と呼び難いものであり・多︿ D 場合慈恵政策が駐曾政策の代用物とし

て立ち現はれ︑ささやかなる枇舎政策の中にさへ慈恵的性質が蕩透してゐる﹁日本型﹂とも一五ふべき濁特な枇曾政策であると

いへょう︒その要因は深くわが園資本主義機鮮の裡にその成立過程の控に根ざしてゐる@乙のととは資本の再生産過程︒一般

法則とわが園のそれとのそれとの関聯に於て枇曾政策論を把握すべき ζ とを意味し﹁日本型﹂吐曾政策は批舎政策 D

一 般

的 類

型との閥騎に於てのみ把撞さるべきである︒との闘嚇友忘れるととは﹁日本型﹂批曾政策の正しい理解から離脱するととを意

味する︒慈悪政策は資本制に劃臆するずるものではな︿それ以前のものに封臨する政策で b る︒従って慈嘉を資本主義関係に

遁周ずるのには無理が伴はざるを得なかったのであるが無理をともかくも強行させた枇曾的経済的要因をわが闘の経済機

( 45 ) 

構 は

持 っ

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た ︒

正常た枇舎政策を持ち得︑なかったわが園は持働者階扱に﹁自主性﹂を興えることを極力避けその代りに一一聯 O 陶治的︑取

締 的 政 策 を 持 っ た ︒ 明 治 五 年 の 日 本 抗 法 に 始 ま り ︑ 保 安 保 例 ︿ 明 治 廿 年 ︶ 治 安 警 察 法 ハ 明 治 品 川 一 一 一 年 ︶ 治 安 維 持 法 ︿ 大 正 十 四 年 ︶

州 労

働 争

議 調

停 法

ハ 大

正 十

五 年

︶ 等

々 に

至 る

しかも︑或る時は農民 O 生活祇態を理由にし︑︵詰一﹀或る時は外間資本との競争

bE

理由にし︵註一一︶わが閣の海風良俗の

維持︒美名の下に︑正常な駐曾政策の賓施を否定し・慈悪政策で事足りると格始一貫して主張して来たのは査本の代表者建で

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た ︒

︑︑︑︑︑︑

註一︑東京紡績の鹿島高兵衛氏の嘗﹁又ヱ揚依例の制定を主張するものは多くは今日職ヱの食物思きを一

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ぜざるはなし︑されどB

(17)

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑も故郷に在りし時の生活と工場に曲作り

L

後の生活

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を比較せぎれば未だ表せ

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PL諮止べからず﹂ハ傍勤際文どほ町﹀﹁都曾ヱ易に於ける︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑職工の常食と其の職エが自同聞に在りし時の食物止を比較すれば工場に沫

P

時め方議かに上等なるは何人も認めざるを符ぎる

L

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曹 jit

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註コ︑下野紡縫専務回一村正寛氏﹁武力に於て一等国とたるにも︑十数億の困民の膏血と十数詩人の生命を犠牲に供したるにあらず帝︒宮カ︑︑︑︑︑︑︑︑︑に於ては欧米ニ一二隼図の下に位する我郎は︑殖産興業上に肉って︑幾多の犠牲な品切ふも闘民参って夜を以て

U

に縫ぎ鉾意努力大い

に奮闘せざるべからざる時にあらずや﹂

鈴州刷紡績批長日比谷卒左衛門氏﹁仮りに之丞紡績品作に見るも︑お下約一億図の資金主以で一億二千高周回生産を遂げ円

J

輪出は杜絶して輸入を見るに去らん−−− ︑︑︑︑︑︑︑ 戦支相償ふて輸出を見ワ

L

あり︑然るに総鈴的に夜業を禁止し若︿は時間の制限を随行するとせば︑生蔭額は減じて六千潟闘となり ︑︑︑︑︑︑ ︑半︿もh

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− ﹂ パ 紳

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孝一氏﹁日本工場法主努働同協議﹂大正入年刊︑問頁及七頁品世間︑

b が聞に於いて悲脇陣な持働者献態を目撃し最先きに﹁努働力保全﹂の必要を認め﹁工場法﹂の賓施中乞提唱した O は明治政府

である︒明治政府ば皐︿も明治十五年に農商務省をして吐舎政策

bE

立 法

| |

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ヱ場僚例

il

の立案に着手せしめ

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︑明治廿四年に

( 46) 

各 地

O 商業曾議所に﹁職工取締及保護に闘する件﹂として諮問案を提出し︑各府照警察命令を以 τ ﹁工場及び職工取締保護規

則﹂を公布せしめ︑廿九年に農商工高等曾議を開催し工場法一護布のために力を蓋し︑共後も同様な態度を持して来た︒その開

資本家は一貫して庶封の態度を持してゐた

dv

明治四十一年に及び止むなく豆大資本の代表者が工場法に賛同を一部 L 始め︑ハ註

己四十四年の議舎に於て工場法は協賛を得たのである・議舎の協賛を得た工場法は資本家側の要求︑注入れ︑その内容は原案一

之 り

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ll 例へぽ趨用工場に於いて︵使用持働者敢に就いて一五へば政府原案十瓦人以上が廿人に︶監督制度の不

備エ場法の基本たる勢働日制限と年齢制限に幾多の除外例の許容は貫質的にはそれを殆んと無効なら L

め た

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﹁ 工

法が貫施された D は大正六年に至︒てからのととである︒共後も一匹合的塵力の下に於いてとは一括ヘ︑政府は位曾政策のイ=ン

ヤデイヴを採って来た︒例へば健康保険法︵大正十二吉野働組合法案等そして今次の持働時間制限槙準賃銀法等々の諸枇合

政策

9

とのことは資本家側の態度 ξ 品以合ぜて充分記憶され

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E

大資本の代表者が工場訟に賛同したこ主は豆大資本が総資本の立場から労働力の問題逸見透し繰る立揚にゐる&いふζ止にその根

(18)

援を狩ツが︑それ正共に中小資本陶汰の一方法として紅舎政策を利用せんとしたことにもよる︒何敢ならば努働時間制限︑災害︑疾

病防止設備等は五大資本との競手にひたすら低賃銀主渇長柑労働時間を武器として辛じて樹へてゐた中小資本の競争能カを似る

ι

主に

なるからである︒併しながらロ本に於いでは怒大な零細マ品品フアタチユアの存在を止揚する役目配一位品目政策は演ずる乙とたく︑却

ってそ乙に於ける劣訟な労働傑件を八公認するやうな結果にな9

た ︒

しからば政府は E

のやう友見地から祉曾政策を提唱し続けて来たか︒それは単に僻労働者のミゼラプルた根態に同情してでは ない︒第一回農商工高等曾議長金子堅太郎氏の﹁私ハ徒ラニ慈善家ノ唱へ宗教家ノ稿ヘル工女工男ノ無制院ノ方トカ或ハ偏頗

︑︐︑︐︑.︑.︑︐︑︐︐︑.︑︐︑︐︐︑︐︑︐︑.︑.︑.︑.︑.︑︐

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アアル︑叉工業ヲ以テ立闇ノ基礎トスル一一アラザレパ日本ノ路来ハ成立タナイト一五フ論者デアル:::

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ルヱ女工男モ矢張リ人間デ︑ソ ν

グケノ空筑モ吸ハナケレパナラヌ︑又︑休ムコトモシナケレパナラヌ︑法相シ之ア一時ノ利益

︑ ︐ ︑ ︐

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旭川/

PT

紫ハ制民向日ヲ顧ミズシテヤツグナラづ五年カ十年ノ後

z つ日本ノ大事ナ工業ノ原動力タル工業ノ人種ガ弱ハクナ

ル︒必ズ十年ノ後

z

ハ嵯扶ヲ来シ頓挫ヲ来シハセヌカト思ヒマス︒﹂︵第一回商工高等合議速記銃二三ニ

l 二三四頁︶の言に

明らかなる如︿園防的見地と産業的見地の抱合的見地より守ある︒と主にわが閣の祉舎政策を貫く一特徴があると共に︑長

47 ) 

ぞ合理的危配慮を加へられると左なく放任せしめられてゐた努働力 D 欣態は︑国防的にも産業的にもそれ以上放任してゐくと

LC

を許されたい献態に立ち至った乙とを訴すものである︒何等の保護もなく放任されてゐた搾働者の朕態は︑郎ち農村氏於け

る相封的過剰人口白老大友存在に淵源を求めて無制限な樋長勢働時間で比類のないやうな低賃銀で﹁努働力﹂を濫費した結果 は︑何よりも園民鰭位の低下となって現はれ︑又そのやうな﹁弊働力﹂は必然的に技術水準の低下となり鰹慣機構が要求する 高度な技術水準に際ヒられ・なくなり︑その意味からも何時かは深刻た反省を要請されざるを得なかったのである︒工場法の賢 施はその反省︒一つの現はれであるがわが闘の工場法は﹁第働力保杢﹂の基本的な一般成年工の持働時間制限と最低賃銀制 を仲はざるととは勿論︑いかなる意味に於いても完全からは甚だ遠いものとして賢施されたので

b h

えその後反省白機曾は遁

怪止遅延を童心て今日にまで至ったのである︒元も園防的見地より軍部によりしばしば﹁園民躍位の低下し︸として劣悪左勢樹

(19)

保件に劃して警告は脇町せられて来たのであるが︑解決は今日まで延ばされてた︒︵註一﹀

註一︑例入ば昭和十二年に杉山陸相は閣議に於て次の如︿言つでゐる︒﹁農村の子弟は小祭校卒業主同時にその七割までは職を求めて都舎に

出稼に出で︑適齢になって崎村するので舵丁の漣絡および風犯は患ったよ

p

惑いようである︒これをこのま

A

放置する時は白々しき

問題とたるので︑政府主しては今後

k

も農村に仕磁を奥へてその子弟が都舎に走らないようにするのが肝要である︒﹂︵大阪毎日新聞

四月二十三日﹀

支那事費の勃穫ははしなくもとの問題に封する徹底的解決を要求するに至った︒との聖戦建行のために︑今迄放任され℃ゐた

﹁弊働力﹂は﹁園民館位の低下﹂となっ τ ︑直接閣防力の障害的要素となって現はれたばかり守たく︑今や生産力損充を必至

とする経情敢に於ても︑﹁人的資漉﹂としての持働者の持︒現在の技術水準では間に合はないととが明白に友った@と L

に 枇

政策は生産的政策として即ち生産升損充 l 主として軍需産業のーための﹁人的資源の調整確保﹂とし℃出現する根擦がある︒現

はるべくして現はれなかったわが闘の枇曾政策はとLにその基本的友形態で現はれるに至ったのである︒一咋年内務省は成年

男工に附する十二乃至十四時間制の題聴を設し︑わが閣の祉曾政策奥上に一大劃期を劃した・蛍該通牒はそれ自身長持働時間な

る上に種々なる除外例を認め︑われゐれの要望する合理的なものからは謹いのであるが︑今起の無制限僻労働時聞にともかくも

制限を興へた功績は大である︒併し弊働時間制限は最低賃銀法を伴はざる限り殆んど無意味に近い︒たどでさへ低賃銀である

我が闘の弊働者は持働時間の制院に依ワて賃銀の低下を来たすならば生活維持のために健康を膳損すること在意とせ歩自

ら長持働時聞を望む傾向がある O であるから λ 註一﹀最低賃銀法により生活を保謹しなければ折角の持働時間制限も事質上無

効に友る恐れが充分にある︒最低賃銀が標準賃銀法として今議曾に提出されると報ぜられてゐるのは賞然のとととは云へ慶賀

にたえない︒標準賃銀を各産業部内に亘って定めるのは.困難の多いこととは思ふが出束縛る限り合理的なものとして出現し

て ほ

し い

︒ ︿

註 二

(  48 ) 

註一︑座談合﹁工場従業員の保健問題﹂旋盤工

A

氏﹁今のお話しの工場では隻銀が安いので連動

l t

朝から晩ぶつ泡

L

で又晩まで︑一二十六

時間ぷつ績けて働︿ζ主を云ふハ引用者註

uli

しなければ食へない︒一箇月に五りは平均して惑勤をやワて居る︒所が七ワ入ワも

(20)

連動をする者は続方に良︿見られる︒!

l

中崎

ll

後で病畠抽象することは分つで居っても働かなければやって行けないから︑親方に

何か持って行つでも蓮勤さして賞はうといふ考を持って居る︒::

j

時報第二百三銃一一ムハ頁︶

i

−−﹂ハ社合政策

設ニ

w

各産業部門の努働時間出臨機賃銀の合理的な標準を定めるのは容易でない左想像されるが︑努働科患の側から科事的な具盤的

hu標準を

算出して欲しい︒この方面の研究が未開拓でまだ何等の客観的な標準が曲されてはない現在︑努働創単に期待される主ころ頗る十へな

るを感じる︒

この頃は︑風平八十二氏の審﹁日本一位曾政策史﹂に採るところ大である︒

※ 

3  現在生産力撲充と共にそれの一保件としての吐舎政策の捷充も必至とされてゐるが︑との場合の駐舎政策は明らかに生産政

策としてのそれである︒とのととは b

が園の現在たかれてゐる版態とわが闘の祉曾政策の歴史よりすれば営然のことである︒

今初めて﹁労働力保全﹂のための吐合政策の端初的にして基本的危政策たる﹁弊働時間制限﹂が制定され︑﹁最低賃銀制﹂が制定 されようとしてゐる︒もとより歴史が規定する制約から枇合政策のみが自由であるととは不可能であり生産力損充を真に国 るためには解決に迫まられてゐる問題は多々あり︑それら

D 解決と相候ってとそ枇舎政策の蹟充もたされるのであるが逆に

(  49)  吐曾政策揖充の努力はそれらの問題の解決に拍車乞かけるととにもなる︒そのためにも︑正営な意味での枇曾政策が登場せん

とする現在︑われわれに課せられた任務は登場する枇合政策を一歩でも合理的ならしめるととである︒現段階のわが園の駐曾 政策の課題は枇曾政策の限界の問題にあるのではなく︑少しでも合理的な枇曾政策を

l !先づ﹁持働力保全﹂策としての

i 1

賢施せしめることである︒とのととは単に闘民睦位を向上させ闘防能力を増進させ現下の生産力横充の必要を渦し以て聖戦

を謹行し得るよりよい保件を創出するばかりで左︿聖職の目的たる﹁東亜協同臨﹂の建設ひいては人類の謹歩護展にも資す

ること大であると確信する︒ハ昭和十四年一月稿︶

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