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新生ロシアの年代記作家として撮る
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アレクセイ・バラバーノフのフィルモグラフィ考察― 梶山祐治
《要旨》
ロシアが「東」と「西」への志向に引き裂かれてきたように、ソ連崩壊の年に長 編映画を撮り始めたアレクセイ・バラバーノフの作品では、西欧世界とロシア世 界の対照的なイメージが大きな意味を持っていた。年代記作家さながらに正確な 記録を遺したバラバーノフの映像では、上述のイメージが監督自身のロシアに対 する態度の変化や時代の特徴を反映している。しばしば物議をかもした登場人物 が発するナショナリストとして過激な発言は主に長編制作の前半部に見られ、そ れはナショナル・アイデンティティが不安定な段階における、「他者」への恐怖 心からくる反抗的な態度と見なすことができる。愛国的な言辞は創作活動のおよ そ真ん中の地点において影を潜め、入れ代わるように民族と宗教への関心が出現 してくる。本稿は、そうした変化のプロセスが個々の作品の内容と表現にどのよ うに関連しているのかを明らかにしている。
《キーワード》
アレクセイ・バラバーノフ、現代ロシア映画、ナショナリズム、ロシア正教会
1. バラバーノフのナショナリズム
ロシア映画史上最初にして最後とも言われるブロックバスター映画『ブラザー』(邦題
『ロシアン・ブラザー』、1997)の監督として知られるアレクセイ・オクチャブリノヴィ チ・バラバーノフ(1959-2013)は、様々なジャンルの映画を次々に撮り上げ、一般市民 の支持を広く集めていた。その「支持」の中には、愛国心が社会的に大きな役割を果たす この国でロシア至上主義的な発言をする登場人物たちが観客にもっぱら好意的に受け止
められていた、という側面もある。『ブラザー2』(2000)では、主人公の兄が命乞いをす るウクライナ人マフィアに向かって、「お前たち悪党にはまだセヴァストーポリのツケが
ある」(01:33:45-01:33:47)といって止めを刺す場面がある。このセリフが映画館で流れた
とき、観客は拍手喝采したと伝えられている。1 映画の公式サイトには監督のポリティカ ル・コレクトネスについての自説が掲載されており、作中で見られる黒人に対する差別的 な発言は問題ない、という意見も確認できる。2
この問題に関連して、近年刊行された詳細な伝記事実を含んだマリヤ・クフシノワのバ ラバーノフに関する著書には、妻ワシリエワの言葉を交えた記述がある。
監督は死ぬまでゼノフォビアの非難に対して、返事は彼でなく主人公たちがする、と 答えていた。人々は、しばしば何も具体的なことを念頭に置かず話すものである。
「(『ブラザー』の─筆者)主人公は田舎から出てきたことを忘れないでおきましょう
──とワシリエワは付け加えている──例えばアスターホフも田舎の出だけど、ユダヤ 人の存在を知らなかったのよ」。[…]ただリョーシャは、礼節をわきまえるべき場で は話されない、よくないと考えられていることについて話していました。彼はいつも あらゆることで本当のことを話していたんです[…]。3
奇しくもワシリエワと同一の趣旨の発言によって擁護しているのが、ほとんどすべてのバ ラバーノフ作品でプロデューサーを務めた盟友セルゲイ・セリヤーノフである。バラバー ノフのユダヤ人排斥主義を非難する人間は、「映画でしゃべっているのは作者でなく俳優 であることを忘れている」4 のだという。寡黙な作者をもっともよく知るふたりが代弁す るこの思考法はハリウッドでは決して通用しないものに思われ、欧米世界と異なるロシア の立ち位置を示しているかのようでさえある。
バラバーノフと切り離すことのできないこの問題は、より広い視野で見た方が冷静に考 えることができるかもしれない。ヤーナ・ハシャモワは、対話には他者が必要であるとす
1 Кувшинова М.Ю. Балабанов. СПб., 2015. С. 102-103.
2 Черные и Белые // Брат2: Фильм Алексея Балабанова [http://brat2.film.ru/b&w.asp] (2017年12月31 日閲覧). 以下、個別に注記のない限りURLの閲覧日はすべて同一。
3 Кувшинова.Балабанов. С. 100. アスターホフは、1969年ヴォロネジ州生まれの俳優。名セルゲイ。
4 Уайт Ф.Х. (ред.) Бриколаж режиссера Балабанова. Нижний Новгород. 2016. С. 229.
るミハイル・バフチンの理論を糸口とし、国内のナショナル・アイデンティティが未成熟 な時期に撮られたバラバーノフの映画は他者に攻撃的になることで自己の自信を取り戻 しているという観点から『ブラザー』、『ブラザー2』、そして『戦争』(邦題『チェチェン・
ウォー』、2002)に見られる「他者」への攻撃性を説明している。5 ここで挙げられた作 品は、いずれもバラバーノフの長編映画制作において前半部に位置付けられる作品である。
彼女の議論を踏まえれば、上記の3作品以降、ソ連崩壊から時を経て新生ロシアが威信を 取り戻していく時期に撮られた作品の中で「他者」への攻撃性が影を潜めていくことにつ いても納得される。
ではそれ以降の作品において作者の関心はどのように推移したのか、またフィルモグラ フィは──予期せぬ死によって突然完結したものとはいえ──どのように性格づけるこ とができるのだろうか。ドキュメンタリー1本を含む短編4作を撮った後、バラバーノフ の長編劇映画制作が1991年、すなわちソ連崩壊の年に始まっている、という事実は重視 していいだろう。それ以降の作家としての活動が、新生ロシアの歩みと自然に同調するこ とになったからである。まずは次章でバラバーノフの「他者」への攻撃性には個人的な経 験は関係しているのかについてもう少し焦点を当て、第3章で彼が長編を撮り始めた社会 の状況を確認したのち、第4章から具体的なテクスト分析を通して映画作家としての全体 像に迫っていきたい。生前には1冊も著されなかったバラバーノフについてのモノグラフ は、彼の死後に続々と刊行され出した。それらの批評において、時代の特徴が刻印された 彼の作品は「年代記」に喩えられることがある。本稿では、まだなお十分な注意が払われ ていない、彼が映画制作において特別力を注いでいた緻密な画面づくりに一貫して注意を 払い、映画作家が遺した年代記の中身を具体的に考察する。
2.バラバーノフの「西」体験
一般的なソ連人にとってはほとんど馴染みのなかった「西」にバラバーノフが親しんだ のは、家庭的な要因が大きかった。多忙だった両親に代わって彼の面倒を見たのは外国出
5 Yana Hashamova, Pride and Panic: Russian Imagination of the West in Post-Soviet Film (Bristol: Intellect Books, 2007), chap. 2.
張が多い女性で、バラバーノフは彼女の主張によって近所の外国語教育に熱心な学校の教 務部長から手ほどきを受けることになり、英語が不自由なく操れるまでになった。6 やが て彼はゴーリキー外国語教育大学(現ドブロリューボフ名称ニジニノヴゴロド国立言語大 学)に進学しイギリスのマンチェスターへ1セメスター留学するのだが、外国での生活は レコードの収集という趣味以外では十分な満足をもたらさなかった。クフシノワは、留学 生活におけるある種の孤独感とも読める、「ぼくは人々に興味が湧かなかったし、彼らと いるのは退屈だった。そこでは実際に面白い人間には出会わなかった」7 というバラバー ノフの言葉を伝えている。
映画監督となってからの西側諸国での思い出も、あまりよいものではなかった。長編第 2作『城』(1994)は、セリヤーノフとともに映画会社CTBを設立する前に製作されてい る。この映画はフランス資本で製作されたが、作品の内容に興味を持たないフランス人プ ロデューサーおよびバラバーノフが騙されたと主張するハンブルク映画基金のドイツ人 プロデューサーは、彼のヨーロッパに対する失望を深める。8 事情を知るセリヤーノフは 当時のことを比較的冷静に回顧して、フランス人プロデューサーを問題のない人間と呼ん でいる。しかし彼らの実務的な態度はバラバーノフに悪い印象を与え、彼のヨーロッパに 対する感情を難しくする結果になった。
エレーナ・プラホワは、バラバーノフがロッテルダムの映画祭に赴くためのビザが延長 できなかった際にオランダをファシスト国家と呼んだ事実を挙げ、続けて彼の民族ナショ ナリストとしてのエピソードを紹介している。
また『ブラザー』の後、「キノタヴル」での彼のクセノフォビアを暴き出したリベラ ル派たちのしつこい質問に答えて言っている。だって本当じゃないか、ロシア民族は ユダヤ人はあんまり……。ラジオ「スヴァボーダ」の特派員ピョートル・ワイリ(『城』
の深い崇拝者でもある)はロビーで監督の立場を明らかにしようとしたところ、答え は短く「ただぼくは祖国を愛している」と言っただけだった。9
6 Кувшинова. Балабанов. С. 29-30.
7 Там же. С. 37.
8 Там же. С. 65-66.
9 Плахова Е. Триер и Балабанов: провокация и реванш // Артамонов А., Степанов В. (сост.) Балабанов.
そしてプラホワは、ロシアでも人気のあるデンマークの映画監督ラース・フォン・トリア ーとバラバーノフを比較し、彼らがアメリカに対してとる反抗的な態度を共通点として挙 げている。
ふたりの芸術家が疑いなく一致している点とは、アメリカに対する独自の否定的な態 度である。彼らはともにアメリカに対し終わりを宣告しようとしている。ひとりが左 から憎み、もうひとりがむしろ右から憎んでいるのはいずれも同じことだ。憎しみと は、周知のように愛の裏返ったかたちである。そしてふたりが独自のアメリカを発明 していることも偶然ではない。トリアーは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と『マン ダレイ』を撮りながら、『ドッグヴィル』で海の向こうの神話となっている俳優を住 まわせ、ヨーロッパのなかにアメリカを建設し、描写する。バラバーノフはダニーラ・
ボグロフを海の向こうへ送り、『カーゴ200』ではロシアのフォークナーを提示する。10
左派に位置付けられるトリアーは、「機会の土地──アメリカ3部作」のうちすでに公開済 みの『ドッグヴィル』(2003)と『マンダレイ』(2005)で、それぞれ隣人の不寛容、奴隷 制度を問題にしている。飛行機恐怖症のトリアーはほとんどの作品撮影をデンマークある いはスウェーデンで行い、『ドッグヴィル』と『マンダレイ』で「左から憎み」、映し出さ れる「アメリカ」もヨーロッパで撮られたものである。はたしてバラバーノフが「右から 憎み」生み出した独自のアメリカとはどのような映像で具体化されているのだろうか。そ れはフィルモグラフィの前半に最初に目の敵にされる「他者」である。
3.新生ロシアと同調するフィルモグラフィ
ソ連崩壊時、この国では共産主義的なユートピアの不可能性が自明になり、社会主義的 な経済システムの破たんによって、国内は精神・物質の両面でどん底の状態に陥っていた。
Перекрестки: По материалам первых Балабановских чтений. СПб., 2017. С. 130. なお、キノタヴルは、
1990 年のポドリスクでの開催に始まり、1991 年以降現在に至るまで毎年ソチで開催されている映 画祭。
10 Там же. С. 131-134.
先行研究においてもこうした事情は考慮されており、アルセーニイ・スハヴェルホフはバ ラバーノフの作品では主人公が居場所を探していることが多い点を指摘し、そうした特徴 を「ロシア人に共通して見られる症候、ソ連という帝国の崩壊によってもたらされたもの、
心理学者や社会学者たちが「アイデンティティーの危機」と名付ける出来事と共鳴してい る」11 と説明している。例えば『幸せな日々』(1991)は主人公が誰にも邪魔されない場 所を求めてペテルブルクを彷徨う物語であるし、『城』の主人公は新しい赴任地で落ち着 くことをひたすら願う測量技師である。
ナショナル・アイデンティティが不安定な段階で希求される存在に「父なるもの」があ る。長編第3作『ブラザー』に登場するダニーラは、前2作の主人公同様居場所をもたな いながら過酷な環境を生き抜く逞しさを発揮し、演じたセルゲイ・ボドロフ Jr.は一躍時 代の寵児とって観客に熱狂的に迎えられた。鴻野わか菜は、新生ロシアが「父」なき世界 であること、この作品では実父や父親代わりの警察署長、すなわち「父なるもの」との訣 別が繰り返し描かれていることに着目する。『ブラザー』とは、「実力によって交代可能で ある兄弟間の闘争の物語であり、それは、富や才気次第でだれもが権力を手に入れること ができる新生ロシアの社会形態の陰画」12 なのだ。
こうした「父」の姿が見えない1990年代は、神話の創造が必要とされている点でスタ ーリン主義の1930年代に似ていると指摘しているのが、ビルギット・ボイマースである。
彼女は、「1930年代に父の形象に替わられていた兄弟の形象が、1990年代には、もはや何 の偶像でもモデルでもない兄弟の形象へと戻っていた」13 として、『ブラザー』が誕生し た時代的な土壌を明らかにしている。こうしたことを踏まえて最初の長編3作品を見ると、
社会状況の混乱を前にしてうろたえるしかなかった『幸せな日々』と『城』から、自らの 力で安定を手に入れるヒーローの出現(『ブラザー』)という、現実のロシアに即した歩み であることが改めて了解される。
11 Суховерхов А. Пространство подростка. Киноязык Алексея Балабанова // Искусство кино. № 1 (январь 2008) [http://kinoart.ru/archive/2008/01/n1-article11].
12 鴻野わか菜「父なき世界――フィルムのなかのロシア」野中進、三浦清美、ヴァレリー・グレチ コ、井上まどか編『ロシア文化の方舟』東洋書店、2011年、161頁。
13 Birgit Beumers, “To Moscow! To Moscow?” The Russian Hero and the Loss of the Center,” in Russia on Reels: The Russian Idea in Post-Soviet Cinema (KINO: The Russian Cinema Series) (London; New York: I.
B. Tauris & Company, 1999), pp. 86-87.
4.スクリーンへの「西」の浸入
ここからは個々の作品を具体的に分析していく。日本未公開の『目隠し鬼ごっこ』(2005) は1995年を舞台にし、バラバーノフの作品ではソ連崩壊の1991年にもっとも近い後の時 代を描いている。「90年代を生き延びた者たちへ」のキャッチコピーがつけられたこの映 画は、ソ連崩壊後の社会が急速に変化した4年間で、いかにアメリカ文化が浸透したかを 知ることができる。14
クフシノワが「西欧派とスラヴ派という、ふたつの数世紀にわたるロシアのアーキタイ プを代表している」15 と指摘しているように、主人公であるサイモンとセルゲイの殺し 屋2人組は一見してわかる対照的な造型をなされている。アメリカ文化にかぶれたサイモ ンはセミョーンというロシア人名を持ちながら英語名を名乗り、大柄で動作が愚鈍な与え る見かけに反して英語の勉強を趣味にしていて(後述の図4参照)ときどき唐突に簡単な 英語をしゃべる。例えば両者の対照性は、ソ連末期の1990年3月11日、初出店で歴史的 な大行列を作ったマクドナルドを巡る会話に端的に現れている。サイモンが「早くてうま
い」(40:41-40:42)と礼讃する一方、セルゲイはアメリカに本社を置く世界的チェーン店
にまったく無関心に、ピロシキへの愛着を口にするだけである。他にもサイモンのアメリ カ文化への傾倒は確認できるのだが、それについてはセルゲイという人物とともに次章で 振り返ることにし、先にフィルモグラフィを辿っておく。
ロシア国内で大ヒットして日本でも公開された『ブラザー』は製作年と同じ1997年を 舞台とし、『目隠し鬼ごっこ』の次に古いソ連崩壊後の時代を描いている。この映画の主 人公ダニーラは、アメリカに対する侮辱的な発言を頻繁に口にする。ロシアのロックに夢 中になっている彼は、1990 年代に世界中のチャートを席巻したドイツのダンスユニット
14 クフシノワは、観客動員数が伸びず批評家からも評価の低かった『目隠し鬼ごっこ』の主人公サ イモンの人形がインターネット上で人気商品となったことを紹介し、以前のソ連映画では起こり得 なかった現象だと指摘している(Кувшинова Н.Ю.Кино как визуальный код. СПб., 2014. С. 232-233)。
グッズ付き前売り券や来場者特典など、映画やアニメの登場人物にからめた過激な販売戦略が製作 資金回収の常套手段になっている日本を参照するとわかりやすいが、キャラクター商品は新生ロシ アならではの現象である。ただし現在でもロシアでこうした商習慣が一般的なわけではなく、『目 隠し鬼ごっこ』はあくまで意図せず人気となった稀有な一例である。
15 Кувшинова. Балабанов. С. 130.
であるE-Roticのテクノポップが大音量で流れるクラブでフランス人と会話する機会を得 ると、言葉が通じないにもかかわらず、相手に向かって「お前たちアメリカの音楽はくそ
だ」(57:09-57:12)と言い放つ。フランス人はダニーラの言葉を理解できぬまま、ただ音
楽を話題にしているのだと解して「(この音楽は)素晴らしいト レ ・ ビ ア ン
」(57:13-57:14)と返して いる。16 その後、懇意になった女性から相手がフランス人であることを教えられても、
ダニーらは「なんの違いがある?」(57:37)と答えて意に介さない。これらのセリフは、
ヨーロッパとアメリカが共にロシアとは異なる文化圏にあることを示す、意図的な混同で ある。またバラバーノフ作品では常に露悪的な外国人として登場するチェチェン人に対し、
この主人公も憎しみを隠すことはしない。
ところが彼の発するナショナリスト的なセリフとは裏腹に、この映画の画面は非ロシア すなわち外国製の「もの」で満たされている。例えば、田舎からペテルブルクへ出てきた ダニーラは兄から身なりを整えるよう言われ殺し屋へと変身するための第一歩として外 国製の服を身に纏うし、物欲のない彼が唯一大事にしているのが SONY製の CDプレー ヤーであり、親密になった女性にはPanasonicのビデオデッキをプレゼントとしている。
また、この映画でダニーラが外で食事をとる――正確には彼自身は何も食べず女友達にご 馳走する――唯一の店として後に『目隠し鬼ごっこ』で絶賛されるマクドナルドが登場し ている。ラストシーンでダニーラがヒッチハイクしたトラックのフロントガラスの左隅に は、SONYのロゴを確認することもできる。この映画で日本は高品質な電化製品を製造す る国として、ロシアと異なる資本主義諸国の列に加えられている。『ブラザー』に登場す る外国製の「もの」はダニーラの意思とは無関係に遍在し、映画は1997年当時のロシア をスクリーンに写し取って観客に提示する。
かつてのソ連映画のスクリーンに登場することのなかったこれらのロゴに対しては、主 にふたつの観点から注釈が可能である。第一に、かつてソ連映画では外国製品は高品質な ものの隠喩として機能していた。外国製の時計であれば、珍しさと同時に映画の中では正
16 長編第1作以前にロシアのロック・バンド関連の短編を3本撮っているバラバーノフが、作中で 使用する音楽に特別の注意を払っていたことはよく知られている。例えば、『ブラザー』でダニー ラがCDを探し回るノーチラス・ポンピリウスの新曲については先行研究で詳しく論じられている。
Beumers, “To Moscow! To Moscow?” The Russian Hero and the Loss of the Center,” p. 85; Susan Larsen,
“National Identity, Cultural Authority, and the Post-Soviet Blockbuster: Nikita Mikhalkov and Aleksei Balabanov,” Slavic Review 62, no. 3 (2003), pp. 505-506.
確な時間を示す。第二に、個別ブランドのロゴ自体が、服を扱う店なら服屋、靴を扱う店 なら靴屋という看板しか掲げなかったように、社会主義経済体制下のソ連では原則的に存 在しないものであり、変化した経済体制の証左となっている。この作品の登場人物間でや り取りされる裏金を含む紙幣がすべてアメリカ・ドルであることともに、その量はあたか もスクリーンを浸食しているかのようである。
続編の『ブラザー2』では、ダニーラの友人の兄弟であるアイスホッケー選手がアメリ カのプロリーグNHLへ移籍するが、給料を天引きされて正当な金額を受け取れない。こ の不正はアメリカ特有というわけでもなく、次章で内容を見る未完成に終わった作品『ア メリカ人』のシナリオで悪として描かれているのは、不正な株取引で利益を上げていたロ シア人である。しかし少なくとも『ブラザー2』において「バラバーノフが創造した独自 のアメリカ」とは、金銭に無欲な主人公ダニーラによってその拝金主義を咎められる存在 なのだ。演出面で面白いのが、ダニーラが敵のアメリカ人ギャングを次々と撃ち殺してい く一人称視点の前進移動場面(01:48:28-53)のシナリオに、「以降すべてはゲーム「DOOM」 のように」17という指示が書かれていることである。「DOOM」とはアメリカのid Software 社が1993年にシェアウェアとして開発したコンピューターゲームで、現在、世界中でプ レイされている人気の一人称視点シューティング、いわゆるFPS(First Person shooter)ブ ームの火つけ役となった先駆的な作品である。アメリカで誕生した暴力的な装置を乗っ取 ったロシア人が放つ弾丸は、FPSのデモプレイ動画さながら簡単に命中し流れ作業のよう に簡単にギャングたちは倒されていく。ボスの居所を吐く最後のひとりの傍らにあるテレ ビ画面では複数の男に陵辱される女性がロシア語で泣き叫んでおり、帝国主義的振る舞い をするアメリカから男性的な暴力を受けるロシアという被害者意識が、女性の身体を借り た映像として出現している。ダニーラは侵略されるロシアのイメージを打ち消すかのよう に、現金を差し出した男を撃つ代わりに一瞥したテレビを撃ち抜いて去っていく。
5.「東」と「西」を体現する主人公たち
17 Балабанов А.О.Груз 200 и другие киносценарии. СПб., 2007. С. 245. 『ブラザー』をはじめ、バラ バーノフはほとんどの作品で自らシナリオを執筆している。
よく知られているように、ヨーロッパでもアジアでもないロシアは近代化する過程でス ラヴ派と西欧派に分かれた議論が激しく交わされてきた。しばしば地政学の問題として取 り上げられるこの国独自の立場は、映画では「東」と「西」のイメージの応用として反映 されている。その嚆矢に位置付けられるレフ・クレショフ『ボリシェヴィキの国における ウェスト氏の異常な冒険』(1924)で、ボリシェヴィキによって創建されて間もない国を 訪問し観察者となる異国の人物が、西側からやって来た匿名のウェスト氏と名付けられて いるのは典型的な例である。東西間の緊張が特に高まった冷戦下のソ連を舞台にした映画 としては、フランス人監督レジス・ヴァルニエによる『Est-Ouest』(邦題『イースト/ウ エスト 遥かなる祖国』、1998)があり、特赦された亡命ロシア人の夫と一緒にソ連へやっ て来たフランス人女性マリーが帰国を望むものの容易には叶わず、祖国への思いを募らせ ていく様子を描いた。原題では鉄のカーテンで隔てられた東のロシアと西のヨーロッパと いう位置付けが、方位に端的に置き換えられている。18
バラバーノフの作品を見ると、ふたりで一組を成す主人公たちに「東」と「西」のイメ ージが決まって付与されている点は、見過ごすことのできない設定である。『ブラザー2』 でダニーラは、ロシア人ホッケー選手の給料を不当な契約によって自らの懐に入れていた アメリカ人を射殺する場面で、金が力だとするアメリカ的な価値観を否定し、正義こそが 力だと宣言する。19 その一方で、ダニーラとコンビを組んでいる拝金主義者の兄ヴィク トルは最後にアメリカに残る決意をし、兄弟は別々の道を選択する。このように、一方は ロシア的な価値観を体現し、他方は外国への憧れを表明することで、「東」と「西」とが 主人公たちの属性にも分けられている。
こうした「東」と「西」を分担する2人組の差異が、前章でも紹介した『目隠し鬼ごっ こ』ではより明瞭に描かれている。サイモンとセルゲイが乗り込むチンピラがアジトにし ている部屋の壁には、ボブ・マーリーや映画『ロッキー』のポスターが貼られており、所
18 ソ連映画で西側がどのように描かれてきたのかについては、ハシャモワの著書の第1章に詳しい。
Hashamova, Pride and Panic: Russian Imagination of the West in Post-Soviet Film, pp. 19-38.
19 スーザン・ラーセンは、この場面のダニーラの台詞がファンに熱狂的に支持され、しばしば国家 主義、反アメリカ的あるいは差別主義的な発言を伴うコメントが、公式サイトに書き込まれたとい う。Larsen, “National Identity, Cultural Authority, and the Post-Soviet Blockbuster: Nikita Mikhalkov and Aleksei Balabanov,” p. 510.
有者の外国文化への強い関心を証明している。セルゲイは部屋の一隅にレコードの山を見 つけると、自分は一切の興味を示さずサイモンに注意を促す。呼ばれたサイモンはビート ルズやエマーソン・レイク・アンド・パーマーのレコードが確認できる山の中からアメリ カのロックバンド、スパークスのレコードを見つけると声をあげて喜ぶ。ここでイギリス でなくあくまでアメリカのロックが敢えて峻別されているのかは判断できないが、重要な のはサイモンが洋楽のレコードに夢中になっている間、自然にその場を離れたセルゲイが ロシア正教の教会に向かって十字を切っているショットが 3 回挿入されていることであ る。並行にモンタージュされた映像が示すのは、その動作から異なる文化に惹かれている ことがわかる2人の対照性である。
『戦争』もまた、ふたりの主人公──ロシア人のイワンとイギリス人のジョンが登場す る作品である。鴻野が指摘するように、「イワンとジョンはどちらも洗礼者ヨハネにもと づいた名前であり、2人は分身のような存在」20 で、ロシア人とイギリス人という異色な 組み合わせの彼らは、自分たちが背景とするロシア世界と西欧世界を代表して振舞う。語 源的に同根なふたりの違いがひとりの人物の分身的な二面性として認識されており、その 相違は作品に頻出する英単語「shoot(撃つ/撮る)」が彼らの拠って立つ立場としばしば 呼応することで顕著に現れる。彼らはチェチェン人に一度捕まって解放された後、ジョン は残された婚約者を救う身代金を手に入れるためテレビ局と契約をかわすと、チェチェン に再潜入する際、ビデオカメラを持ち込んで撮影した映像を金銭に換える。ジョンが身代 金の工面に駆け回る間、故郷に戻ったイワンが教会に通うシーンが挿入されているのは2 人の対照性のために他ならない。映画の主題を戦争とメディアとの関係に見る乗松亨平い わく、イワン「だけは、戦争を「撮り」売買することとは無縁に、「撃つ」戦争、「本物」
の戦争を生きており、彼を主人公とするこの映画は、メディアの商品ではない戦争の「撃 つ」現場を映すかのよう」21 だ。命がけの行為でさえ金銭と等価交換が可能であるとい うソ連時代にはほとんど見られなかったアイデアは、イギリス人のジョンという存在によ ってこの映画に持ち込まれている。
20 鴻野わか菜「新生ロシア映画におけるチェチェンの表象」『千葉大学比較文化研究』第 2号(千 葉大学文学部国際言語文化学科比較文化講座、2014年)、118頁。
21 乗松亨平「真実は人の数だけある?――ロシア・メディアのなかのチェチェン戦争」野中進、三 浦清美、ヴァレリー・グレチコ、井上まどか編『ロシア文化の方舟』東洋書店、2011 年、287-288 頁。
2人の主人公の対照性は、19世紀末から20世紀初頭にかけての時代を舞台としている ため、一見あまり関係がないように思われる『フリークスも人間も』(1998)の中にも見 出すことができる。ハシャモワは、この作品の冒頭で西側からカメラとともにやって来た ヨハンがチェーホフ的な小市民一家に災厄をもたらすことを、写真技術ないしポルノの商 業性がロシアにもたらした脅威になぞらえている。22 「西」の脅威を主張するこの解釈 は、監督本人による、20 世紀に文明の発達は人間の精神生活をダメにしたという、以下 の発言によっても保証される。「今では人間は、何かもっと真面目な物事よりも電気や水 があるかを気にしている。これが20世紀だ。まったく文明が発明したものはみんな──ラ ジオ、テレビ、シネマトフラフ──は、厳密に言って何も良いものをもたらさなかった」23 というものである。この作品に関して本稿は、「東」と「西」の対照性を中心に整理する。
主人公である体のつながった双生児2人の性格がまず正反対であり、さらにこの双生児 とヒロインのリーザとは東と西への志向という点で分かれている。オープニングショット の写真から無声映画を模したシークエンスを経て始まる冒頭のトーキー部分において、リ ーザは最初のセリフで早々に自身の西への欲望を口にする。窓外の汽車を見下ろしながら
「行っ ちゃう わ」(04:21-22)と呟 いた リ ーザに 対して 父は「 パパ はお前 と行く よ」
(04:28-29)と答える。「西へ?」(04:31)と尋ねるリーザに父が「約束したじゃないか」
(04:34-35)と答えると、彼女が「そうね、パパ」(04:36)と嬉々として相槌を打つ。そ
の喜び溢れた様子から、私たちは彼女の西への特別な思いを感じ取る。
同時に、彼女がレコードに対して並々ならぬ執着を示していることも、この作品の主題 にとって重要である。父が斃れた後、監禁されたリーザにできるのは、「フレーム外から 汽笛の音が響く部屋でレコード盤に針をかけることだけで、まだ彼女を乗せはしない汽車 の車輪の代わりに、そのアナロジーであるレコード盤を回転させ続ける」24 からである。
この映画の最初のタイトルが「どうしても行くことができない Ехать никак нельзя」であ
22 Hashamova, Pride and Panic: Russian Imagination of the West in Post-Soviet Film, pp. 107-108.
23 Сергеева Т. Алексей Балабанов: «Про братьев и уродов» // Искусство кино. № 4 (апрель 2000) [http://kinoart.ru/archive/2000/04/n4-article17].
24 梶山祐治「列車と映画のフェティシズム ――アレクセイ・バラバーノフ「トロフィーム」『列車 の 到 着 』(1995 年 ) と 『 フ リ ー ク ス も 人 間 も 』(1998 年 )」『 チ ェ マ ダ ン 』No.6 [http://chemodan.jp/chemodan_no07_pc/index.html?article=38].
ったことについて、クフシノワは「どこへ? チェック柄のカバンを持って西へか?」25 と問うているが、この推測は正しく思われる。映画の最後で、自由を得た彼女はひたすら 焦がれていた列車で西へ向かう。リーザとともに監禁されていて脱出に成功した双生児が 向かうのは東で、そのイメージは一面が雪の中静かにたたずむ修道院の光景として提示さ れる。時代の特定が曖昧なこの作品でも伺うことができる「東」と「西」への志向は、か えってロシアにとって普遍的なものであるかのように提示される。
正確には「東」と「西」とは異なるやや変則的な組み合わせであるが、1984 年のソ連 時代を舞台とする『カーゴ200』(邦題『アフガン発・貨物200便』、2007)における兄弟 の例もまた注目に価する。この映画は、レニングラード大学で無神論を教える大学教授の アルチョーム(図1)とその弟で軍人のミハイル(図2)の会話シーンから始まり、バラ バーノフには珍しい頻繁な切り返しによって構成されている。冒頭の会話のシナリオには、
ミハイルがアルチョームに「今でも神を信じていないのか」26 と皮肉めいて尋ねると、
アルチョームは直接答えず微笑む、というやり取りがあったのだが、完成した映画にこの セリフはない。ところがこの場面をよく見ると、ミハイルの後頭部背後には教会が映り込 んでいるのが確認できる。会話が続く数分間、無神論者のアルチョームから切り返される 度、教会とミハイルが同一の画面内で調和し、彼が信心深い人間であることが純粋な視覚 的演出のみによって示される。
おそらくセリフによる説明が余計なものだと判断されたこととも無関係でない、この切 り返しが意図的な演出だと考えられるのは、『目隠し鬼ごっこ』にも同様の演出があるた め で あ る 。2 人 が 車 内 で 会 話 す る 、 同 じ く 切 り 返 し シ ョ ッ ト で 構 成 さ れ た シ ー ン
(55:29-56:28)で、セルゲイの方にカメラが向くたび、左隅の車窓の奥には教会が映り込
んでいる(図 3)。この後、窓の方を振り向いたセルゲイはヘロインを奪ったチンピラの 存在に気づき(このとき画面内の教会はやや拡大される)、彼らのアパートへ辿り着くと、
先述したサイモンが洋楽レコードを物色する間に挿入される、木枠が十字を成す窓奥に見 える教会を前にしてセルゲイが十字を切るショットによって、観客は彼が信心深い人間で あり、英語文化に憧れるサイモンとは対照を成していたことを知る(ふたつの類型的な両
25 Кувшинова. Балабанов. С. 92.
26 Балабанов. Груз 200 и другие киносценарии. С. 435.
主人公における、片方の正教徒への関心を示唆する挿入ショットは『戦争』にも存在した)。 また、図4で隣に座るサイモンが英語のコミックを手にしているのも、ふたりの対照性ゆ えであったことが判明する。
図1(00:52) 図2(00:49)
図3(56:21) 図4(55:51)
この文脈で参照されるべき作品として、2003 年に映像化が試みられ、ほとんど撮影さ れることなく終わった未完の映画『アメリカ人』がある。アメリカ人のニックは、ロシア 人の友人の勧めに従ってシベリアのアルミニウム工場の株を大量に購入し、一夜で 5500 万ドルを失うと、現地に飛んで、損失を取り戻すため奮闘する。言葉もわからない異国で 彼を助けるのがアリョーシャで、俳優には、『アメリカ人』撮影の前年である2002年製作 の『戦争』でロシア人イワンを演じたアレクセイ・チャードフが予定されていた。27 シ ナリオからは、『戦争』同様、『アメリカ人』でもロシア人と非ロシア人のコンビの活躍が 映像化される予定であったことが伺え、「東」と「西」のイメージを属性にもつ両主人公 がふたたび視覚的に体現されたはずであった。この映画は、ハリウッドから主役に招いた
27 Кувшинова. Балабанов. С. 128.
マイケル・ビーンがおこした酒乱トラブルのため製作中止に追い込まれた。
6.深化するロシアへの眼差し
ここまで検討してきたことを基に、改めてバラバーノフの映画制作がどのような過程で あったのかを整理する。
バラバーノフの最初の長編2作は、それぞれベケットとカフカの作品を原作としたアヴ ァンギャルド風の作品だった。学生時代からの友人でもある盟友セリヤーノフは、ラジオ 番組のインタヴューでバラバーノフを西欧主義者と呼んでいる。
アレクセイは言わば西欧主義者として出発しました。彼の初期の作品は、本当はベケ ットとカフカに着想を得たものです。それから……。これは彼が西欧のために映画を 撮ったことを意味はしませんが、そこからインスピレーションを得たのです。それか ら彼は何となく突然、あるいは突然ではないかもしれませんが、フォークナーにとっ ての「郵便切手」、「全生涯を書くためには、切手ほどの大きさの生まれた土地で十分 だ」という文句が指す、芸術家にとって正しい道を進んでいったように思われます。28
洋楽や洋画への視覚的言及も監督自身の嗜好と無関係ではないはずであり、実際、『目隠 し鬼ごっこ』でサイモンが手にする洋楽レコードは、監督が留学先のイギリスから持ち帰 ったものである。29 しかし現代を舞台に作品を撮りながらも、バラバーノフ作品に西側 の「もの」は以前のように目立った登場をしなくなる。それは市場経済が導入されて時が 経ち、当たり前に存在するようになった西側のものが大衆消費社会となった現代ロシアの 風景に馴染んで目を引く存在ではなくなった現実と対応している。
『ブラザー2』でアメリカとの問題を処理し、『戦争』でチェチェンとの関係を清算した バラバーノフは、やがて民族的な映画を撮りたいと口にし始める。2000 年代に入ってか
28 Медведев М. Алексей Балабанов — Кочегар российских мифов (интервью с Сергее Сельянов и Кириллом Разлоговым) // Финам FM (6 октября 2010) [http://stolica.fm/archive-view/3136/1/] (2015年6 月14日閲覧).
29 Кувшинова. Балабанов. С. 36.
らは、それ以前の作品とはだいぶ趣向が異なる、サハ共和国=ヤクーチアを舞台にした作 品『川』を撮っている。19 世紀末にこの地に流刑されたポーランド人で、現地の女性と 結婚し、同地にまつわる膨大な散文作品を遺したヴァツワフ・セロシェフスキ(1858-1945) の作品を下敷きにした『川』は、100年前のヤクート人の生活を幽玄な雰囲気のなか仔細 に描いたもので、全篇サハ語のセリフによって構成されている。バラバーノフの妻ナジェ ージダ・ワシーリエワは、「彼はいつも北をとても愛していました」30 と夫の北方への特 別な執着を伝えている。残念ながら、『川』は主演したヤクート人女優の事故死という監 督の心にも深い傷を負わせた痛ましい事件によって撮影は中途で終わる。31 2003年には、
前章で触れたように、バラバーノフはイルクーツクやノリリスクで撮影を試みた『アメリ カ人』が製作中止となり、監督と「西」との噛み合わない関係を象徴するエピソードがま たひとつ追加された。バラバーノフは『ボイラーマン』(2010)でもヤクート人を主人公 に設定しており、この作品で彼に粛清されるのが冷酷なロシア人マフィアである点に、『ブ ラザー』や『戦争』で目の敵にされていたチェチェン人とは違った北方の民族への愛着が 認められる。
スクリーンの中の過激な愛国的言辞が影を潜めていった晩年のフィルモグラフィにお いては、国内の少数派民族への関心と並んで、『戦争』と『目隠し鬼ごっこ』で主人公の 一方の正教への関心を示唆する挿入ショットという、文字通り挿話的な形でしか言及され なかった宗教的な話題が、その後の作品では物語の中心的プロットへと組み込まれること によって次第に前景化している。その後の作品『カーゴ200』の冒頭ではアルチョームと ミハイルの兄弟2人が、神の存在を巡り切り返しの技法によって対照されていた。無神論 者のアルチョームは、この映画の中心を成す猟奇的な殺人事件の傍観者となることで、大 学にも登壇できなくなるほどのショックを受ける。映画の最後で、アルチョームは救いを 求めて墓地の中にひっそり佇む教会を訪れ、洗礼を希望する。この作品の舞台である1984 年は、教会が表だって存在できない時代だったため、大通り沿いの教会はビルの裏側に貼 りついて目立たないようにしていた。この作品には、教会を改造したクラブに若者たちが
30 Там же. С. 40.
31 『川』は未完の作品とされているが、バラバーノフは映像を編集してコメンタリーを補って上映 できる形にし、2016年にロシア映画年を記念してモスクワの映画館「ピオネール」で開催された通 年企画「映画 50 本のロシア映画史」ではバラバーノフ作品で唯一選ばれ上映されている。映画館 公式HPを参照:[http://pioner-cinema.ru/ru/film/reka/]。
集って享楽的な夜を過ごす場面がある。無神論を是とするソ連時代に教会が置かれていた 立場を推し量ることができる貴重なショットであり(図 5)、アルチョームが訪れる教会 もまた墓地の中に隠れるようにして存在している(図 6)。バラバーノフはこうした時代 に大学で無神論を講ずる教授に洗礼を受けさせることで、宗教的な転向行為を衝撃的なか たちで描き出す。ちなみに大人になってから洗礼を受けたバラバーノフは、死後出会えな くなることを恐れ、共産主義者だった両親にも洗礼を施している。32
図5(07:38) 図6(01:20:58)
そして遺作『私も欲しい』(邦題『私も幸せが欲しい』、2012)では、主人公全員を「幸 せの鐘」があるという教会に向かわせ、最後には自作にほとんど出演することのなかった バラバーノフが自ら幸せを希求する監督役で登場し何度も「(幸せが)欲しい」と口にす る。こうして見ると、舞台が現代かソ連時代かを問わず、作中のバラバーノフと宗教との 関係は次第にその距離を縮めていったことがわかる。そしてロシアとは晩年のフィルモグ ラフィにおいて、前半における他者との関係で成り立つ自己ではなく、バラバーノフの純 粋に深化された内側への眼差しが注がれる存在として認めることができる。「東」と「西」
への分裂から西側への傾倒と反発を経て、宗教的なモチーフとともに、チェチェン人たち が住む南方とは異なる北への親近感を反映させるようになったバラバーノフは、新作の企 画を複数抱えたまま、2013年5月、心筋梗塞で亡くなった。
おわりに
32 Кувшинова. Балабанов. С. 166.
2014年2月から3月にかけて、ロシアはそれまでウクライナ領であったクリミア自治 共和国及びセヴァストーポリ特別市を、自国へ強引に編入しようとした。欧米諸国は世界 情勢に不安を与えたロシアの武力侵攻を非難し、同国に対して声明を出して制裁を敢行し た。ロシアは報復措置として諸外国に対し自国への輸出を禁じ、対抗策のなかには国内の マクドナルド4店舗を数カ月にわたって一時閉鎖する、というものもあった。ウクライナ も軍事大国を前にして微々たる抵抗とはいえ、ロシアに対し様々な手段を講じている。そ のうちの文化的な方策のひとつとして、2014 年8月からウクライナ国内におけるロシア 映画およびドラマの上映・放映禁止措置がとられている。2015 年2月には、ほとんどが 2014 年製作の新作を占める禁止リストに、アメリカ的な価値観がロシア的な価値観によ って否定される2000年製作の物語『ブラザー2』がバラバーノフの作品では唯一追加され た。33 本稿の冒頭でも触れたように、この作品にはウクライナ人を侮辱するセヴァスト ーポリに関する発言もあり、ロシア的価値観が全面的に肯定されているこの映画の主題は ウクライナにとって容認できない、というわけである。
映画は興行作品であり娯楽産業でもあるがゆえに社会的影響力が大きく、このように思 わぬ方向から話題になることがある。ソ連時代末期に短編作品を撮り始め、新生ロシアの 最初の20年間に劇映画作家として盛んに活動していたバラバーノフのフィルモグラフィ は社会風俗的な細部を盛り込みつつ、東と西に揺れるロシアを正確に記録し、その緻密に 作り込まれた映像は古びることなく歴史的に貴重な証言となっている。それは映画産業を 保護していたソ連という国家の崩壊以降、ただ手軽な映像作品が流通するようになった新 生ロシアの映画界をたくましく生き抜いた、単にナショナリスティックな言動で注目を集 めていただけではない、ひとりの映画作家の真摯な創作活動の痕跡である。
フィルモグラフィ 34
33 В Украине запретили к показу фильм «Брат-2».
[https://tvrain.ru/articles/v_ukraine_zapretili_k_pokazu_film_brat_2-382137/].
34 短編作品は斜体、日本で上映あるいはDVD発売された作品のタイトルは網かけで示す。
1987 以前は違う時代だった Раньше было другое время
1988 ぼくには友達がいない、あるいはワン・ステップ・ビヨンド У меня нет друга, или One step beyond
1989 ナースチャとエゴール Настя и Егор
1990 ロシアの空中飛行について О воздушном летании в России 1991 幸せな日々 Счастливые дни
1994 城 Замок
1995 トロフィーム Трофимъ
1997 ブラザー(邦題『ロシアン・ブラザー』) Брат 1998 フリークスも人間も Про уродов и людей 2000 ブラザー2 Брат2
2002 戦争(邦題『チェチェン・ウォー』) Война 2002 川 Река
2005 目隠し鬼ごっこ Жмурки 2006 痛くない Мне не больно
2007 カーゴ200(邦題『アフガン発・貨物200便』) Груз200 2008 モルヒネ Морфий
2010 ボイラーマン Кочегар
2012 私もほしい(邦題『私も幸せが欲しい』) Я тоже хочу
引用DVDリスト
Балабанов А.О. «Брат/Брат2». (DVD, Новый Диск, 2010).
Балабанов А.О. «Жмурки». (DVD, СОЮЗ Видео, 2005).
Балабанов А.О. «Морфий/Груз 200». (DVD, СОЮЗ Видео, 2010).
Лунгин П.С. и Балабанов А.О. «Олигарх/Про уродов и людей». (DVD, Новый Диск, 2010).
Shooting Post-Soviet Russia as a Chronicle Writer:
The Study of Aleksei Balabanov’s Filmography
KAJIYAMA Yuji
This paper examines how contrasting images of the Western world and an opposite one—Russia—played an important role in the films of Russian director Aleksei Balabanov.
He started shooting feature-length films in 1991 when the Soviet Union collapsed, and consequently, his filmmaking career matched the course of new Russian history that drastically changed. In Balabanov’s films, he chronicled post-Soviet Russia with images that reflected the director’s thoughts on the motherland and characteristics of the era. The characters’ extreme nationalistic dialogue in his films frequently drew criticism, but those lines are mainly in works from the first half of his career, and the fear that the country’s national identity was unstable probably created the director’s defiant attitude. Contrary to the hero’s patriotism in Brother (1997), the film is filled with foreign products that emerged only after 1991. Patriotic lines in Balabanov’s films started to disappear in the middle of his creative activities, and Russian Orthodox images, such as churches, began to appear. The author reveals how this process proceeded and the images that were of interest to the director during that time.
key words: Aleksei Balabanov, Russian New Cinema, Nationalism, Russian Orthodox Church