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で哲学すること〉の〈意味〉について

著者 森村 修

出版者 法政大学国際文化学部

雑誌名 異文化. 論文編

巻 21

ページ 89‑132

発行年 2020‑04‑01

URL http://doi.org/10.15002/00023208

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1 .はじめに

ニーチェの問い

本稿の目的は、西田幾多郎の哲学について、彼の特異な文体と「文 字表記・書記文字(écriture)1」に着目することによって、〈日本語で 哲学する(philosophieren)こと〉の〈意味〉を明らかにすることに ある。というのも、筆者は、かつて文芸評論家の小林秀雄から奇怪な 日本語と揶揄された西田の文体を哲学的に分析することで、西田の哲 学思想と彼の文体との関係性を顕在化させることができると考えるか らだ。さらに、西田や彼の高弟である西谷啓治のテクストを西洋語に

「翻訳」する際に直面する問題を、「間文化性(interculturality)」な らびに「間文化的(intercultural)」という概念からアプローチする。

具体的にいえば、彼らの言語表現の特殊性を日本語文法論から考察す

1 本稿では、「グラマトロジー」という語を、デリダが『グラマトロジーについ て』(1967)で述べているように、「文字表記・書記文字(écriture)につい ての学(science)」として用いている(J. Derrida, De la Grammatologie, Les Éditions de Minuit, 1967, p. 13. 足立和浩訳『根元の彼方に─グラマトロジー について(上)』、現代思潮社、1976 年、p. 20.)。同書でデリダは、リトレ(Littré)

の定義を用いて、「グラマトロジー : 「文字(lettres)、字母(l’alphabet)、音 節区分(la syllabation)、読解(la lecture)及びエクリチュールについての 論説(traité)」と述べている(J. Derrida, ibid., p. 20.)。

西田幾多郎の「グラマトロジー」序説

〈日本語で哲学すること〉の〈意味〉について─

MORIMURA Osamu 森村 修

〔論文〕

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ることを意味する。

そもそも筆者がこのような課題を扱う背景には、ニーチェが『善悪 の彼岸』(1886)の中で述べた次の言葉がある。

「ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(Philosophen des ural- altaischen Sprachbereichs)(そこにおいては、主語概念が甚だし く発達していない(in dem der Subjekt-Begriff am schlechtesten entwickelt ist))が、インド・ゲルマン族や回教徒(Indogermanen oder Muselmänner)とは異なった風に『世界を』眺め、異なっ た道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう2」。

筆者は、ニーチェの重要な指摘を、浅利誠によってあらためて気づ かされた。浅利は次のようにいっている。

「『善悪の彼岸』の有名な一節のなかでドイツ人のニーチェが言っ ていることを日本人側から言ったら次のようになるはずである。

インド・ヨーロッパ系の屈折語で思考する西洋人が屈折語で思考 するという制約の下にあるように、日本人は、「ウラル・アルタ イ言語圏」に属する言語である膠着語で思考するという制約の下 にあることは避けえないと3」。

浅利の指摘が重要なのは、私たち日本人が日本語という言語を用い て思考することを自明のこととしていながら、自ら用いている日本語

2 F. Nietzsche, Nietzsche Werke: Kritische Gesamtausgqbe, Abt. 6, Bd. 2, Jenseits von Gut und Böse, Zur Genealogie der Moral (1886-1887), Herausgegeben von G. Colli und M. Montinqri, Walter de Gruyter & Co., 1996, S. 29. (F・ニーチェ『善悪の彼岸』木場深定訳、岩波文庫、1970 年、p.39)。

3 浅利誠『日本語と日本思想─本居宣長・西田幾多郎・三上章・柄谷行人』、

藤原書店、2008 年、p.14.

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という言語が、具体的に私たちの思考そのものにどのように関係して いるかということは問うてこなかったことを、今更ながら問い直して いるからだ。ある意味で、それほどまでに私たちは、自らの思考と、

自分が用いている日本語という言語との関係を問わずに哲学的に思考 してきた。

しかし、こうしたことは、おそらく私たち日本人に限った話ではな いだろう。ドイツ語圏の哲学者がドイツ語で思考し、フランス語圏の 思想家がフランス語で思想を語ることは自明の前提であり、私たち日 本語圏の人間だけの問題ではない。ニーチェがいうように、ドイツ語 で「philosophieren」といわれる事柄が日本語で〈哲学する〉ことと、

本当に同義であるかはなかなか問えるものでもない。そもそも両言語 に共通の「本当の意味」なるものがありうるのかどうかも定かではな い。

要するに、筆者が浅利の指摘を重視するのは、彼がニーチェに言及 することで顕在化した問題が、「翻訳」という場面に端的に現れてく ることにもとづいている。そこで筆者としては、ニーチェが提起した 問題を、〈日本語で哲学する〉ということとして受けとめるかたちで 考察したい。

具体的にいえば、筆者は、〈哲学する〉ことの意味や意義を考える にあたって、母語としての日本語と日本思想/日本哲学との関係、よ り正確にいえば、日本語の「漢字仮名交じり文」と日本思想/日本哲 学との関係を追究したいと考えている。

しかし本来ならば、明治期に輸入された(西洋)哲学・(西洋)思 想を受容するために、当時の日本の知識人たちが西洋語の哲学概念を 日本語へと「翻訳」した経緯を歴史的に3 3 3 3 考察する必要がある。しかし、

筆者にはその力量がないため、あくまで「翻訳」という問題を哲学的3 3 3

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3 考察するに留めたい4

それゆえ、筆者にとって、ニーチェの哲学的な含意が奈辺にあった かを問うことも、本稿の関心の外にある。筆者が問題にしたいのは、

私たち日本人が用いる、「ウラル・アルタイ言語圏」に属する「膠着語」

としての日本語を用いて〈哲学する〉とき、「屈折語」としてのインド・

ヨーロッパ語族を用いる「インド・ゲルマン族や回教徒」とは「異なっ た風に世界を眺め」、「異なった道」を歩んできたのか、あるいは未だ に「歩んでいる」のか、ということである。

また、もしも、ニーチェがいうように、「ウラル・アルタイ言語圏」

に属する日本語が、実際に「主語概念が甚だしく発達していない」と すれば、そのことがどのように思想に影響を与えるだろうかという問 いも検討に値する問いである。ちなみに筆者は、インド・ゲルマン語 族とウラル・アルタイ語族5の「主語概念」そのものが異なると考え ている。

以上の問題を踏まえた上で、本稿では、ニーチェの問いを出発点と しながら、異なる言語圏の哲学者の〈あいだ〉にいかなる対話が可能 かということを〈間文化的(intercultural)な翻訳〉の可能性として 考察する。

そのために第一に、S・ブリクの『比較哲学の終焉と比較思考の課

4 筆者は、「翻訳」についてその一部を、2015 年 3 月に行われた比較思想学会 のパネルディスカッション「今、比較思想の方法論を問う 第二回」の報告「思 想の翻訳と文字の問題」で取り上げている(森村修「思想の翻訳と文字の問題」、

比較思想学会編『比較思想研究』第 42 号、2015)。それゆえ本稿は、当該パ ネルの報告と一部重複している。

5 現在では、インド・ゲルマン語族というよりも、一般的にはインド・ヨーロッ パ語族と呼ばれており、またウラル語族とアルタイ語族は異なる語族

(language family)に属する。日本語は、朝鮮語と並んでアルタイ諸語に属 するという説もあるが、定説としては定着していない。また、日本語は語族 を構成するほど分布しておらず、孤立語として扱われる場合もある。特徴と しては、膠着語として、日本語と朝鮮語が近い関係にあることは指摘されて よい。

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6』(2009)を取り上げ、彼がそこで「間文化性」や「間文化的」と いう言葉についてどのように考えているのかを検討する。

第二に、ブリクの論考から、異なる言語圏に属する思想テクストを 翻訳するということの比較思想的な実践について考察する。その際に、

膠着語としての日本語が、どのように「主語概念が発達していない」

と言われるのかという問題を、日本語文法論の知見から、西田幾多郎 の文体と思想の関係を例にとって分析する。

第三に、西田や西谷啓治の文体を西洋語の文法から解釈することに よって、〈思想の翻訳〉ということが孕む問題点について考察する。

2 .比較的思考の可能性「翻訳」という問題

ちなみに「間文化的」あるいは「間文化性」という言葉が(西洋)

哲学界で用いられたのは、それほど古いわけではない。20 世紀末から 21 世紀初頭にかけて、ドイツ語圏を中心に「間文化哲学(Interkulturelle Philosophie, intercultural philosophy)」や「間文化現象学(Interkulturelle Phänomenologie)」といった学問領域が誕生し、徐々に世界中に浸透 した。

例えば日本では、谷徹らが中心となって「間文化現象学」が提唱さ れている7。また谷は、『間文化性の哲学』というテクストを編集して いる8。ただ付言しておけば、筆者は、「間文化性」概念について、谷 たちとは必ずしも一致した見解を持っているわけではない。

また、橋柃は、ヨーロッパにおける比較思想の現状を論じる際に、「間

6 S. Burik, The End of Comparative Philosophy and the Task of Comparative Thinking: Heidegger, Derrida, and Daoism, State University of New York Press, 2009.

7 『現代思想 特集─現象学の最前線 間文化性という視座』、青土社、2010 年 5 月号。

8 谷徹編『間文化性の哲学』、文理閣、2014 年。

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文化性」について触れている9。橋によれば、比較思想の新しい傾向 として、「二つの路線」がある。第一に、「間文化性」の思想、第二に、

「比較思想」という方法である。

彼によれば、「間文化性」の思想については、〔谷による〕現象学系 統の哲学が着手してきた分野であると総括される。ただ橋は、現象学 的な「間文化性の哲学」については、「〈間〉文化を標榜しながら事実 上はなお、欧州既存の伝統にしみこんだ思考路線でもって歴史や思考 を異にする他文化を規定し、自分側の基準に(無意識的にも)はめこ んでしまう」傾向にあるという。

また筆者にとって興味深いのは、橋は自分の考えと断わりながらも、

「文献文化のあるところ(例えば漢籍)とそれがないところとの間文 化思考を行うならば、まず〈口頭で立言すること〉と〈文字化して記 録すること〉、この二つの形態でなされた真実認識には決定的な差異 があるかどうか。そこから考察しなおさねばならないと考える10」と 述べていることだ。

これらの橋の問題提起と同様に、S・ブリクは、『比較哲学の終焉 と比較思考の課題』の中で、西洋哲学を中立的なモデルにする比較哲 学のあり方がもはや現代では通用しないことを明確に述べている。端 的にいえば、「間文化的」という術語を用いることで、西洋哲学と東 洋思想との〈あいだ〉を比較する、旧来の比較哲学(comparative philosophy)は終焉を迎え、新しい比較思考(comparative thinking)

の必要性が説かれている。

ブリクは、「ひとつの学として比較哲学は、純粋に中立的な視点の

9 橋柃「比較という方法」、岩波講座『哲学 14 哲学史の哲学』所収、岩波書店、

2009 年、pp.79-101 参照。

10 橋、同書、p.89。ただ、筆者としては、これらの問題点について、橋の見解 を検討する能力的な余裕がなく、橋の指摘にあるように、谷らの現象学的な「間 文化性の哲学」をめぐる問題を検討することができない。それゆえ本稿では、

あくまで橋の論文を紹介するにとどめることにしたい。

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不可能性を意識しながら、異なる諸文化の差異のあいだに自らを位置 づける。そしてその意味で私は間文化的3 3 3 3 という術語を用いる11」と述 べている。そして彼は「異なる文化のあいだに存在することが示唆す るのは、客観性についての西洋形而上学ではない。そうではなくて、

他者とは何かという問題に開かれているということであり、自分自身 にとって居心地のいい領域から外部へと進んで踏み出す意欲である12」 という。

しかしその一方で、彼自身もいうように、現実には〔西洋〕哲学の 中では「最も間文化的なやり取りが西洋の諸言語で『なされている

(“done”)』13」のであり、その意味で、E・サイードのいう「オリエン タリズム」の域を出ていない。異文化コミュニケーションの仕方やそ の学問研究では、かなりわずかになったとはいえ、実際に「オリエン タリズム」への傾向や偏愛がある。こうした傾向や偏愛に基づいて、

他文化についての誤解や誤表象(misrepresentation)が生ずる。

そこで彼は、「比較哲学を絶えず更新する対話(dialogue)として 理解することのうちには、言語が不可欠 = 決定的な要素(a crucial factor)であるということが含まれている。いかなる比較哲学的な企 ても、それが用いる言語に対しては慎重でなければならない14」という。

要するに、西洋哲学が用いる概念的な枠組みが西洋の諸言語の中に 埋め込まれているために、これらの西洋諸言語の内部では、この枠組 みを回避することが難しい。ブリクは、ここにある種の哲学的かつ政 治的な意味が伏在しているという。つまり、比較哲学者のブリクにとっ ても、また諸文化の差異に敏感であるべき間文化的な比較思考であっ ても、西洋哲学者たちには西洋の諸言語と概念を相対化することが困

11 S. Burik, ibid., p.2.

12 S. Burik, ibid., p.2.

13 S. Burik, ibid., p.3.

14 S. Burik, ibid., p.5.

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難な現状があるということだ。

それゆえブリクは、比較哲学のプロジェクトとして、言語を見る見 方が新しくならなければならないという。彼は、その先達としてハイ デガーとデリダを取り上げている。さらに、ブリクが挑発的なのは、

ハイデガー(ドイツ語使用者)とデリダ(フランス語使用者)という 西洋哲学者とともに、中国の老荘思想に触れることで、西洋諸言語と 西洋哲学的な観念との関係を相対化し、その関係を積極的に脱構築し ようとしていることだ。しかもブリクが提示しようとするのは、何ら3 3 かの政治的・言語学的・形而上学的偏見に囚われることない3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 、間文化3 3 3 的な比較思考3 3 3 3 3 3 なのである。彼の比較思考が望むのは、「異なる3 3 3 諸文化 の等価性3 3 3 (equivalence)を承認し促進」することによって、「他者性 や多様性を平等性(equality)と単一性/統一性の上に価値づける15」 ことである。そのために彼が採用するのが、ハイデガー、デリダ、老 荘思想との、「間文化的遭遇(intercultural encounters)に基づく比 較思考という試みである。

彼によれば、ハイデガー、デリダ、老荘思想のそれぞれは、言語に 対して先鋭な意識を持ち、言語の〈哲学〉を持っている。しかも諸文 化の〈あいだ〉に立とうとするブリクは、ハイデガーならドイツ語、

デリダならフランス語、老荘思想なら古典中国語(classical Chinese language)というように、それぞれの哲学思想が全く異なる言語で 思考し表現していることに着目する。

そして、ブリクは、例えばハイデガーの言葉に関する思考を英語に

「翻訳すること」が根本的に不可能であることを充分に理解しており、

15 Burik, ibid., p.5.(強調・ブリク)ブリクは、「等価性」と「平等性」とを区別 する。彼によれば、「等価性」は「それ自身の制限がないわけではないが、様々 な差異の尊重をより良く伝える」が、「平等性」は逆に、「平等にする(make equal)」ということで、差異を取り除くという意味も暗示させてしまう(Burik, ibid.)。

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自らの母語〔英語〕と異質な言語〔ドイツ語〕の障壁を認識してもい る。それにもかかわらず、彼は、それぞれの哲学思想を英語に「翻訳 すること」によって比較思考を実践できると考えている。というより も、彼にとっては、母語としての英語への「翻訳」という作業が、彼 のいう意味で比較思考を実践することなのだ。

もちろん、彼もいうように、ハイデガー哲学とデリダ哲学と老荘思 想の三者を、「思考の比較方法を用いて、客観的に見下ろすことがで きる、端から端まで中立的な鳥瞰的な見方など存在しない16」。少なく とも、ブリクが目指すのはそのような類の比較思考ではない。彼によ れば、「私たちが唯一可能なのは、比較哲学を行うこと(doing)によっ て、つまり複数の異なる思考方法を実際に交差(cross over)させる ことによって、比較哲学を学ぶことだけである17」。

ブリクが「翻訳」という、根本的な不可能性への挑戦を通じてもな お、比較思考を実践するのは、私たち読者に対して「警告を発する」

ことが目的だからだ。ブリクが異質な思考を同じ俎上に載せて議論す るのは、彼のいう新しい比較思考が「私たちが今日直面している諸問 題の理解を促進する18」ことに貢献するからにほかならない。しかも、

この世界をよりよく理解するためには、ハイデガーやデリダ、老荘思 想の思考が重要な寄与を果たすと考えているからである。

しかし「翻訳」に着目し、新しい比較哲学/比較思考を実践するこ とについては、ブリクだけが指摘しているわけではない。例えば、廣 澤隆之は、仏教学の分野における「翻訳」について、「翻訳 = 比較思 想という仮説」を提示している。

廣澤によれば、「翻訳」という作業は極めて主体的な思索の結果で ある。サンスクリットで書かれた仏教聖典を中国語に「翻訳」した初

16 Burik, ibid., 17 Burik, ibid., p.4.

18 Burik, ibid., p.5.

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期の訳教家たちは、「未だかつて明確な概念を中国文化圏において定 着させていない仏教術語を、理解できる中国語に翻訳するというきわ めて高度な思索を持ち続けなければ、あのような翻訳は可能ではな かったはずである。彼らは老荘思想に仏教思想と近似したものを読み とり、老荘思想の概念を縦横に利用して仏教仏典を『翻訳』した。ま さしく、初期の漢訳仏典はインド的思惟と老荘思想との、翻訳という 営みを通じた主体の、比較思想の表現であったとも考えられる19」。ま た廣澤は、サンスクリットやパーリ語から現代日本語に仏教術語に翻 訳することの困難さを指摘しながら、仏教学内部において、現代語へ の翻訳という比較思想的実践が停滞していることを反省的に批判す る。つまり、廣澤が指摘するのも、「翻訳する」ということがそのま ま比較思想の実践であるということだ。ここには、ブリクの比較思考 の考えと通じるものがある。

筆者にとってブリクや廣澤の指摘が重要なのは、比較思想や「間文 化哲学」を新たに問い直すためには、「翻訳」という問題を避けては 通れないということである。しかも「翻訳」という問題は、「間文化 哲学(Intercultural Philosophy)」という場面における哲学的実践と しても必要不可欠である。しかもこの問題は、「翻訳」そのもののあ り方を疑問に付すことと軌を一にする。

すなわち「翻訳とは何か」という問いが、「思想を比較するとはい かなることか」という問題を提起する。そして、「翻訳とは何か」と いう問題を検討することによって、異文化と触れ合う場面で必要な作 業と実践が伴うはずだ。すなわち、「翻訳」という問題は、誰がどの ような態度で、主体的に「翻訳」という「作業/実践(practice)」

を行うかという問題と不可分である。

19 廣澤隆之「仏教術語の概念について─比較思想における方法論をめぐって」、

智山伝法院『現代密教』16 号、2003 年、p.164。

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3 .ブリクの間文化的な「比較思考」の限界─日本哲学という問題 しかし、筆者としては、ブリクが「翻訳」という問題に直面しなが ら、間文化的な比較思考を実践することは評価できても、彼の翻訳論 そのものが比較思考の実践として有効かどうかは別問題だと考えてい る。筆者の最大の疑念は、ブリクは、古典中国語の漢字表記(表意文 字 ideogram)と、ブリク自身の英語や他のヨーロッパ諸語のアルファ ベット表記(表音文字 phonogram)の差異をどこまで認識している かわからないということに起因する20

筆者の理解では、表意文字の漢字を駆使する古代中国の思想と、ア ルファベットのような表音文字を用いる西洋現代哲学との〈あいだ〉

に、言語についての考え方、つまり〈言語思想〉あるいは〈ことばの 形而上学〉に根本的な差異がある。しかも重要なのは、両者の差異の 基礎には、言語表現としての「書記言語・文字言語」が関係している ということだ。筆者は、〈思想(思考)〉と〈文字表記〉とは密接に絡 み合っていると考えている。それゆえ、〈文字表記〉がそれぞれの〈思 想(思考)〉に影響を与えていないはずがない。

しかし、ブリクは、表意文字・表音文字という「書記言語・文字言語」 とその形 象(figure) に 対 す る 意 識 が 欠 け て い る。 彼 に と っ て、

「書記言語・文字言語」とは、単に思想を伝達するための〈無色透明 な媒体〉としてしか認識されていないように思われる。

さらにいえば、「漢字仮名交じり文」を用いる日本語による思考は、

西洋哲学とも中国思想とも異なる思考であることまで、ブリクの思考は 及んでいない。これは決定的な思考の欠落であるといってよい。「仮名」

という音声的(phonetic)な文字と、「漢字」という表意的(ideographic)

な文字とを混合させた「漢字仮名交じり文」を駆使する思想(思考)は、

表意的な「漢字」のみを用いる中国思想や、音声的なアルファベット記 20 Cf. Burik, ibid., p.141f.

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号のみを用いる西洋思想とも異なる思考である。

それゆえ筆者は、日本の思想(思考)を他の言語文化圏の哲学的思 考と比較検討するに際して、どのように「漢字仮名混じり文」を用い て「読み」「書き」「話す」ことが思想(思考)に影響されているかに まで踏み込んで考察する必要があると考える。

しかし、この点について、ブリクの日本哲学に関する認識には甚だ 問題がある。というのも筆者は、ブリクには日本哲学を理解する上で 根本的な限界があると考えているからだ。端的にいえば、彼は日本語 の哲学テクストを読むことができない。それが明白に表れているのは、

京都学派の思想を誤解している、より正確にいえば、理解できていな いという点にある。例えば、ブリクは、ハイデガー、デリダ、老荘思 想の三者のあいだに類似性と差異性を見出すときに、「Nothingness

〔無〕」の概念に着目する21。そのとき、彼は、同じく「無の哲学」の 系譜とも名づけられる京都学派にも言及しているが、京都学派による ハイデガー解釈は、ハイデガーがそれを破壊しようとした当の形而上 学(metaphysics)へと連れ戻すことになるという。

しかもブリクによれば、西田幾多郎や西谷啓治は、西洋的思考の対 立物として、「Absolute Nothingness〔絶対無〕」という観念を持ち出 し、西洋的思考の転倒を試みているが、結果的に、彼らが禅仏教の来 世的(other-worldly)理解を主張してしまうことによって、その転 倒も失敗に終わっている。というのも、彼は、西田や西谷が、ハイデ ガーのいう存在論的差異、存在や現存在のような存在論的な概念が現 世的(this-worldly)概念として機能していることに気づかなかった からだという。ブリクによれば、西田や西谷は、彼らの思考の宗教的 本性を主張する一方で、ハイデガーが本質的な宗教的経験への結びつ きを欠いていることを批判する。しかしブリクは、こうした批判もま 21 Cf. Burik, ibid.

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た存在と無を絶対化する見解を促進する誤った解釈に繋がるという22。 しかし、もしもブリクが考えているように、思考方法(= 考え方/

思考の道 way of thinking)が文化や言語に制約されているとするな らば、言語表記や発音が思考/思想に何らかの影響を与えていると考 えることができる。筆者がこのように考えるのは、井筒俊彦の指摘に、

その根拠がある。井筒はデリダの「書記言語・文字言語」論の末尾で 次のように述べていた。

「中国人の漢字意識ばかりでなく、漢字を摂取して、平仮名、片 仮名を加え、世界一複雑な文字システムといわれるものを作り出 した日本人の「書く」意識のなかから、デリダを超えて、新しい エクリチュール論が生まれなければならない、と、私は思うので ある23」。

井 筒 が 注 目 す る の は、 デ リ ダ が「 書 く 」 と い う こ と を

「書記言語・文字言語」という次元から哲学的に考察したことにある。

22 しかし、筆者は、ブリクは、京都学派の哲学を含めて、近代日本哲学につい て何も知らないのではないかとすら考えている。筆者から見たとき、西田と ハイデガーとの関係についてブリクの理解(誤解?)にも異議があるが、こ こでは触れることができない。そもそも筆者は、ハイデガーに限らず、デリ ダも含めて、西洋形而上学がユダヤ・キリスト教思想と密接に関わってきた 歴史がある以上、(ユダヤ・キリスト教的な)宗教的経験から全く影響がない とはいえないと考えている。また西田と西谷の哲学は、ハイデガー哲学解釈 のみならず、彼らの哲学的態度も含めて、ハイデガーの哲学を含む西洋哲学 とは根本的に異なると考えた方がよい。蛇足ながら付け加えておけば、ブリ クは、デリダを中国哲学に引きつけて解釈する立場も、デリダを西洋形而上 学へと回収する誤った解釈であると断じている(Cf. Burik, ibid., p.142ff.)。ブ リクは、ハイデガーやデリダ、老荘思想を、(非宗教的)非形而上学として考 えており、それら三者は西洋形而上学と切り離して解釈しようとしているが、

筆者から見たとき、相当に無理があるように思われる。

23 井筒俊彦「『書く』─デリダのエクリチュール論に因んで─」、『思想—構 造主義を超えて』所収、No.718、1984 年 4 月、岩波書店、p.18.

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筆者にとって重要なのは、第一に日本語を母語とする哲学者が自らの 哲学的な思索を行い、またそれを表現する際に、媒体としての「漢字 仮名交じり文」という「書記言語・文字言語」がどこまで思考を制約 するかということ、第二に、言語を思想表現の道具として、また思想

(思考)対象として哲学的思索を行う哲学者たちは、どこまで自覚的 に〈言語表記〉に関心があるのかということである。

「エクリチュールの学」としての「グラマトロジー」からいえば、

思想(思考)を表現するための〈文字〉が、表音文字なのか表意文字 なのかということ、そして、その言語を支配する文法構造がどこまで 思考を制約しているかということを問う必要がある。そしてこれらの 問いについて、国内外の哲学者たちは、どこまで意識的に思考し、〈哲 学している〉のだろうか24

そこで、以下では、言語構造や「書記言語・文字言語」に対して、 自覚的ではなかったにもかかわらず、言語と思考/思想が密接不可分 な関係にあると考えられる哲学者として西田幾多郎を取り上げたい。

そうすることで、彼の哲学と「グラマトロジー」との関係の必然性も また明らかになるだろう。ひとつの思想実践であることが明らかにな るだろう。これらのこと通じて、先に述べたニーチェの問いをあらた めて考えてみることにしたい。

4 .日本語文法学からみた西田哲学─本居宣長と時枝誠記の〈あいだ〉

も ち ろ ん 筆 者 は、 西 田 哲 学 を 彼 の 用 い る 特 異 な 日 本 語 や

24 かつて坂井秀寿はモンタギュー文法を日本語に適用した試みを実践していた

(坂井秀寿『日本語の文法と論理』、勁草書房、1979 年)。しかも特筆すべき なのは、坂井がすでに、日本語文法学にとっては異端の文法学者三上章に言 及していることだ。また、最近では、飯田隆が『日本語と論理─哲学者、

その謎に挑む』(NHK 出版新書、2019 年)で日本語の論理性について言語哲 学的に考察している。ただ、飯田の問題意識は、日本語の「文法表現」や文 法構造よりも、日本語の論理性にあるように思われる。

(16)

21

「書記言語・文字言語」との関係でのみ 3 3 理解しようとしているわけで はない。しかし、西田哲学の特異性は、彼の「書記言語・文字言語」 にその一端があるとは考えている。周知のように、西田の文章は悪文 として有名である。かつて小林秀雄は、「学者と官僚」(1939)という エッセイのなかで、次のように語っていた。

「西田氏は、たゞ自分の誠実といふものだけに頼つて自問自答せ ざるを得なかった。自問自答ばかりしてゐる誠実といふものが、

どの位惑はしに充ちたものかは、神様だけが知つてゐる。この他 人といふものの抵抗を感じ得ない西田氏の孤独が、氏の奇怪なシ ステム、日本語では書かれて居らず、勿論外国語でも書かれては ゐないという奇怪なシステムを創り上げて了つた25」。

西田の文体は、田邊元とは違った意味で晦渋である。そしてまた、

他の「京都学派」の弟子たちの文体から見てもかなり異質である26。 小林のいうように、西田は、「日本語」でもなく「外国語」でもない ような「奇怪な〔文字〕システム」でしか思考できなかった。しかし 筆者がここで指摘したいのは、小林のいうのとは逆に、西田の

「書記言語・文字言語」(「奇怪な〔文字〕システム」)こそ、西田哲学 だということである。つまり、西田哲学が京都学派の哲学者たちと異 質なもの(= 異質な思考)があるとすれば、西田が彼独自の文字シス

25 小林秀雄「学者と官僚」、『小林秀雄全集』第七巻、新潮社、1978 年、p.84.

26 もちろん、西田の文体の異質さは、明治の時代状況と西田の孤独な立場の相 関として獲得されたものであることは忘れるべきではない。決定的に重要な 要素としては、1880 年代(明治 20 年代)に小説を中心に始められた「言文 一致」運動がある。ただ本稿は、西田哲学を同時代史のなかに位置づけるこ とが主眼ではない。それゆえ、西田哲学と「言文一致」運動との関係、また 当時の時代背景や「翻訳の思想」との対質は別の機会に譲りたい。

(17)

テムで思考 = 表現したことにこそある27。もしくは、それ以外では西 田哲学は存在しえないといい換えてもよい。

ちなみに西田幾多郎の思想と日本語との関係については、すでに弟 子の下村寅太郎が触れている。下村は「西田哲学と日本語」(1963 年 5 月長野県教育会)という講演の中で、西田哲学と日本語の関係を簡 潔に説明している。下村はまず、私たちが日常的に用いている日本語 の構造が、西洋諸語といかに異なるかを指摘する。下村によれば、西 洋語の文法と日本語の文法の差異、端的にいえば、主語述語関係の有 無が西洋人と日本人の思考に異なる影響を与えている。

例えば、日本語の文章ではしばしば主語が省略されるし、実際に私 たちの話や文章に主語がない場合が非常に多い。しかし、それはあく まで主語と述語を根本形式とする西洋語の文法の立場からの解釈にす ぎない。つまり、日本語で主語がないと思われる場合でも、必ずしも 主語が省略されているのではなくて、主語と述語を根本形式としない だけである。下村によれば、日本語が主語の存在を必要としないのは、

それが日本語の特色だからである28。下村は次のように述べている。

「むしろ主語の存在を必要としない、そういう言語が日本語の特 色であるともいえる。日本語文法では昔から「は」と「が」の区 別が問題にされている。本居宣長も問題にしている。これは西洋 の文法では理解されない。それ故、西洋文法の立場からしばしば 二重主語といわれている。例えば「日本は山が多い」、「象は鼻が 長い」のように、「は」と「が」は二重の主語の助詞とされている。

27 筆者は、西田に限らず、近代日本思想の中で、西田と並んで「奇怪な〔文字〕

システム」を駆使して思考した思想家として、南方熊楠(1867-1941)を挙げ ておきたい。

28 下村寅太郎「西田哲学と日本語」、『下村寅太郎著作集 12 西田哲学と日本の 思想』所収、みすず書房、1990 年、pp.182-183 参照。

(18)

21

しかしこの「は」と「が」は果たして主語を現わす助詞であるか どうかは問題である29」。

日本語文法論から見たときに、下村の指摘は重要である。主語を規 定するのは、「は」と「が」という助詞である。しかし実際には、い わゆる主述関係を問題にする際に、「は」と「が」がどのような働き をするか、また「は」と「が」がいかなる助詞に属し、その性質は何 かについては、それほど明確なわけではない30。しかし、下村は文法 構造上の主語と助詞との関係には立ち入らず、彼のいう意味で「心理 学的立場」の説明に移行してしまう。その理由は、彼によれば、「文 法学的型式に囚われないで、心理学的立場から解釈されたものの方が、

我々にはより具体的で自然である31」からだ。

もちろん下村にしてみれば、文法構造の問題として助詞「は」・「が」

問題に拘泥するよりも、日本語として「自然」な表現として、「心理 学的立場」による日本語解釈の方が、西田哲学理解にとって有用であっ

29 下村、同書、pp.182-183.

30 主語と関わる助詞としての「は」と「が」の問題については、通常、「が」は 格助詞、「は」は係助詞と分類されている。しかし、日本語文法学の中で助詞 の分類について議論があることは忘れてはならない。ちなみに、この問題に ついては、浅利誠『日本語と日本思想』第3章「「は」と「格助詞」との境界 画定へ」、特に p.87 以下を参照せよ。同書は、日本思想と日本語の関係を、

日本語文法の観点から分析しようと試みている意味で、極めて意欲的である。

浅利は、フランスで日本語教員として日本語文法を外国人(主にフランス人)

に教育するという現場で、「母語〔日本語〕に対して超越論的でありえた」(浅 利、同書、p.11)。彼によれば、「母語を問うためには、問う者が、母語へと 外部から向き合う」必要があり、「それを可能にさせる基本的な条件」として

「母語と母語以外の言語とのズレを通して母語を問うこと」にあるという(浅 利、同書)。そして浅利は、この「ズレ」を共有する思想家として、本居宣長、

西田幾多郎、三上章と柄谷行人を挙げている。浅利のように、いわゆる日本 語文化圏とフランス文化圏の〈あいだ〉に立ちながら、母語としての日本語 を対象化しながら、日本の思想を解釈し、自らの思想紡ぐことも、比較思想

/比較思考の実践であるといえよう。

31 下村、同書、p.183.

(19)

32。というのも、下村にとっては、日本語と西田哲学との関係を論 ずることが講演の主眼であって、助詞「は」と「が」の問題は、あく まで西田哲学を語るための導入にすぎないからである。それでも下村 は、「自然」な日本語表現と西田哲学の文字システムとが、言語構造 の問題圏にではなく、心理学的な問題圏にあることを見ぬいている。

端的にいえば、下村は、西田哲学は、心理学的な立場から理解する 方が、形式的な文法構造から理解するよりも適切であると考えてい る33。しかも下村は、「心理学的」解釈の方が「日本語の『心理』に適っ ている」という。さらに続けて彼は、「これで十分に解釈され得るか はなお問題であるとしても、ここでは、少なくとも『は』と『が』を 必ずしも西洋の文法でいう主語の助詞と考える必然性はないことを注 意すればよい34」と述べている。下村から見たとき、日本語文法に即 して、また主語と助詞との関係に注目して西田の哲学思想を理解する のは一面的に過ぎないし、そもそも「自然」ではない。彼にしてみれ ば、西田哲学は、形式的な文法学的規則から説明するよりも、日本語 の表現として「心理学的に」解釈する方が「自然」なのだ。それなら ば、なぜ下村は西田哲学を「日本語」という言語から解釈しようと考 えたのか。筆者が問題にしたいのは、そのように思考した下村の真の 32 下村は、「心理学的立場」からの解釈として、佐久間鼎かなえ(1888-1970 ゲシュタ ルト心理学・言語学)と矢田部達郎(1893-1958 思考心理学、Y-G 性格検査の 考案者)の二人の説を引き合いに出している。下村によれば、佐久間は「は」

を課題の「場」の限定と解釈し、矢田部は「が」を特説の助詞として解釈す る(下村、前掲書、p.183)。

33 西田の判断論は、いわゆる「心理学主義」に依拠していると考えられる。つ まり、論理法則が思考法則と密接な関係にあると考えられているからだ。

34 下村、前掲書。しかし筆者としては、下村の指摘には見逃せない点がある。

というのも、下村が日本語における「主語廃止論」ともとれる発言をしてい るからだ。下村の講演当時、佐々木や、彼の弟子の言語学者・三上章(1903-1971)

によって、日本語の文章における主語の存在が疑問視されていた(佐々木鼎『日 本語の言語理論』(厚生閣出版、1959 年)、三上章『新訂・現代語法序説─

主語は必要か』(刀江書院、1959 年)など)。この点について、浅利は、三上 の中に本居宣長の言語思想を見出している(浅利、前掲書、pp. 52-53)。

(20)

21

狙いである。

それゆえ、筆者にとって見逃せないのは、下村が、「ここまでくると、

我々西田哲学を知る者には、直ちに西田哲学の『場所』の思想、『場 所の自己限定』という考え方を想起せざるを得ない。絶対無の自己限 定とか、場所の自己限定とかいう考え方は主語のない日本語と相対応 するものがある35」と語っていることだ。筆者は、「主語のない日本語」

と西田哲学の「場所」の思想が結びつくという、下村の指摘にこそ興 味がある。もちろん、下村は、西田の「場所の論理学36」が日本語分 析から出てきたのでも、日本語に対する反省から出てきたのではない と、注意深く釘を刺している。

それでも下村は、西田の「場所」の思想が「日本語で思惟している 我々の思惟の仕方〔= 思考方法・思考の道(way of thinking)〕その ものの論理の自覚37」に根ざすことも指摘するのである。それゆえ、

筆者としては、西田哲学、特に「場所」の思想は、日本語文法学の立 場から理解することにそれ相応の根拠があると考えている。より強く いえば、西田哲学は、哲学的普遍性を標榜しながらも、特殊的な日本 語の構造から切り離されえない。しかもそれだけでなく、西田哲学は、

「主語のない日本語」に制約された思考(思考方法)の産物でもある。

したがって、インド・ヨーロッパ語圏(ニーチェのいう「インド・

ゲルマン語圏」)の言語が必要とする主語・述語関係は、西田哲学を 解釈するにあたって必ずしも必要ではない。しかも、日本語の主語を 必要としないという性質が、西田の「場所の論理」と結びつくことを 考えるならば、日本語と西田の哲学的思考との関係もまた新しく問い 直すことができる。日本語文法論における助詞「は」・「が」の問題か

35 下村、前掲書、p. 183.

36 西田哲学の中にある「場所の論理」を明瞭の摘出したのは、『場所の論理学』

(1944)という著作を書いた務台理作(1890-1974)である。

37 下村、前掲書、p. 183.

(21)

ら、西田哲学を考察することは可能であり、そうする必要もある。

下村もいうように、日本語文法では、本居宣長(1730-1801)以来、

助詞「は」と「が」の区別が問題にされてきた。漢文訓読のヲコト点 に由来する「てにをは」は、日本文法論が形成されるにつれて様々に 解釈されてきた。本居宣長に始まり、富たになりあきら(1738-79)、鈴すずあきら

(1764-1837)などが「てにをは」を様々解釈してきた。しかし宣長にとっ ては、「てにをは」は、助詞という単なる一つの品詞ではない。時枝 誠もと

は、『國語學原論』(1941)の中で次のようにいっている。

「包むものと包まれるものとの関係は、別の言葉を以ていふなら ば、AB と CD は秩序を異にし、次元を異にしてゐるともいひ得 られるのである。これを譬えていふならば、風呂敷とその内容と の関係である。内容である甲乙丙は凡て皆一次元のものであるが、

これを包む風呂敷は、それらとは別の次元に属するものである。

詞辞の表すものが、異なつた次元に属するものであるといふこと は、先に述べた鈴木朗ママが既にこれをいつてゐる。鈴木朗ママの説は本 居宣長の考に出てゐるのであるが、それによれば、詞は玉であつ て、辞はこれを貫く緒であり、又詞は器物であつて、辞はこれを 使ふ処の手であるという風に述べられてゐる38」。

38 時枝誠記『國語學原論』、岩波書店、1941 年、p. 238. この点について、熊野 純彦もまた大著『本居宣長』(2018)の中で言及している。熊野は時枝が詞と 辞の次元の違いに触れていることを指摘している。熊野によれば、「時枝の見 るところ、本居宣長は『てにをは』のなかに重大な機能、つまり『文を統一体』

とするはたらきをみとめていた。つまり宣長は『てにをは』のうちにたんな る一品詞ではなく、他の品詞とのいわば『次元の相違』を見いだしたことに なる。宣長が『玉』と『緒』という比喩をつうじて語ったことがらを時枝と しては『詞』と『辞』との区別というかたちでとらえかえすことになった」

といい、時枝の『國語學原論』の引用箇所を参照するのである(熊野純彦『本 居宣長』、作品社、2019 年、p198.)。

(22)

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ここには、西田の「場所」の性質としての「包む・包まれる」とい う包摂関係が端的に表現されている。しかも、西田の「場所」の哲学 に重ねて、本居宣長の「詞と辞の区別」が述べられている点に注意し よう。前田英樹のことばでいえば、宣長の『詞ことばたまのお』(1785)にお いては、「てにをは」という「辞」は、「詞」(今日の日本語文法で言 えば、名詞・代名詞・動詞・形容詞・副詞など)という「玉」を貫く

「緒」であり、「言葉の断続に関わる法則そのもの」を意味している。

その意味で、「てにをは」のような「辞」という「『緒』がなければ、『詞』

は何ものも表わすことができない39」。

しかも重要なのは、柄谷行人によれば、宣長にとって「詞と辞の区 別」は、日本語文法の問題以前に、それ自体で、すでに「帝国の言語」

としての漢字・漢文の優位性を転倒させるための布石であり、ある種 の政治的な意図を持った分類である。柄谷行人は、次のようにいって いる。

「宣長は日本語の文を、漢字で表記させるような『詞』と、仮名 でしか表記できない『辞』に分けた。彼のメタファーによれば、

数珠玉のような詞をつなぐ糸が辞である。しかし、これはいうま でもなく、日本語のエクリチュール(漢字仮名交用)が、漢文を 訓で読むことから形成されることによっている。(中略)宣長が 示した構文論は、それ自体、『帝国』から来た文化─仏教や儒 教や道教といった概念(内容)よりも、概念にならないような情感・

情緒(もののあはれ)に価値をおく考えを裏づける。すなわち、

日本語論がナショナリズムと直結したのである40」。

39 前田英樹「時枝誠記の言語学」、時枝誠記『国語学原論(下)』所収、岩波文庫、

2007 年、p.296.

40 柄谷行人「ネーション = ステートと言語学」、『定本 柄谷行人集 4 ネーショ ンと美学』所収、岩波書店、p. 191.

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柄谷がいうことを踏まえるならば、私たちが、中国語による「漢文」

を「漢字仮名交用」による訓読によって理解することは、すでに漢文 を日本語で解釈することにつながっている。そこでは、平仮名でしか 表記できない「てにをは」としての「辞」が、漢字で表現される概念 としての「詞」を貫き、まとまりをつけている。結果的に日本語的に 理解された漢文の内容は、その内容のいかんにかかわらず、「概念に ならないような情感・情緒」を表現してしまう41

それゆえ、もはや「てにをは」の問題は、実際には日本語文法論の レベルで片付く問題ではない。「書記言語・文字言語」としての「漢 字仮名交じり文」全体を視野に入れて、日本語という言語の文法、さ らには本居宣長や鈴木朖などを含む国学などの研究にも触れる必要が ある。それだけでなく、日本語を用いて思考する際に、日本語表記が、

私たちの思考の方法に影響を与えるかを思想史的・哲学的に考察しな ければならない42

41 柄谷は、「漢字を訓で読む」ことについて次のようにいっている。「漢字を訓 で読むことは何を意味するか。第一に、それは外来的な漢字を内面化するこ とである。日本人は、もはや漢字を訓で読んでいるとは考えず、たんに日本 語を漢字で表現すると考えている。朝鮮ではそれと対照的である。漢字は音 としてのみ読まれるがゆえに、あくまでも外部的である。(中略)第二に、もっ と重要なことは、訓読みによって、漢字は日本語の内部に吸収されながら、

同時につねに外部的なものにとどまるということである」(柄谷行人「文字の 地政学」、『定本 柄谷行人集 4 ネーションと美学』所収、岩波書店、p.

228.)。

42 しかし、この問題は本居宣長研究に始まり、日本語文法論から国語学史/日 本語論、さらには比較言語学や比較言語形態学まで多岐にわたる分析を要す るため、これ以上触れることはできない。ただ、筆者としては、柄谷行人の 次のような指摘を抜きにして西田哲学・京都学派を含めて日本思想を考える ことはできないことは付言しておきたい。「重要なのは、時枝の主著『国語学 原論』(1941 年 12 月 10 日刊)が、太平洋戦争の開戦直後、まさに京都学派 の哲学者による座談会「世界史的立場と日本」や京都学派や日本浪曼派など による座談会「近代の超克」がなされたのとほぼ同時期に刊行されただけで なく、そうした理念を共有するものであったということである。京都学派の 哲学者たちが日本の帝国主義と戦争に哲学的な意味づけを与えたことはいう までもない。(中略)日本で知識人たちをひきつけたのは、西田幾多郎と京都

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しかしその一方で、西田哲学を含む日本思想が日本語文法学という 観点からも理解可能であることも事実である。下村の指摘にもあるよ うに、西田哲学の「場所の論理」が既に日本語文法の制約を受けてお り、日本語という言語の特殊性から切り離せないのであれば、西田哲 学解釈もまた別の相貌を見せるはずである。そして、こうした研究は 既に存在している。

5 .「場所」の文法学─〈ことば〉は空間を表象できるか?

中村雄二郎は、『西田幾多郎』(1983/2001)や『西田哲学の脱構築』

(1987)の中で、西田の「場所の論理」と時枝誠もとの日本語文法論と の比較を試みていた。中村は、時枝がソシュール言語学を批判的に検 討しながら、日本語文法を構築しようとしたことと、西田が自らの「場 所の論理」を「奇怪なシステム」で構築したことに平行性を見出す。

しかし、中村は両者を比較し、その類似性を指摘するにとどまり、西 田哲学の今日的な意義を見出す方向として、河合隼雄のユング心理学 や木村敏の「分裂病の現象学」へと展開する方途を辿ってしまう。そ れゆえ彼は、西田哲学を日本語文法の哲学的に分析する道から遠ざ かってしまった43

学派の哲学者たちの提供した論理である。それは、近代のネーション = ステー ト、資本主義、そしてソ連のような社会主義のすべてを超克するものである」

(柄谷行人「ネーション = ステートと言語学」、『定本 柄谷行人集 4 ネーショ ンと美学』、岩波書店、2004 年、pp. 202-203.)。

43 中村の西田哲学解釈について、柄谷はその非歴史性を批判する。柄谷によれば、

中村がいうように、西田哲学を「日本語の論理」で解釈可能であるとしても、

それは西田哲学が時枝の日本語文法論を準備したからこそ可能であって、そ の逆ではない。つまり柄谷は、時枝が西田に言及しなかったから、影響下に ないと考えるのは即断がすぎるという。さらに重要なのは、注 42 でも引用し たように、時枝が主著『國語学原論』を出版したのは、1941 年 12 月 10 日であっ て、それは、当時京都学派の座談会「世界史的立場と日本」や、京都学派や 日本浪曼派などによる座談会「近代の超克」がなされた時期と重なるし、西 田自身が『日本文化の問題』(1940)において、「無の場所」を皇室に重ねて語っ ているのもこの時期である。重要なのは、西田や時枝を思想的に語るときに、

(25)

それに対して、浅利誠は、中村の指摘を受けて、西田の「場所の論 理」と時枝文法論との関係をより詳細に検討している。浅利の指摘で 特筆すべきなのは、第一に、西田の「場所の論理」のモデルが包摂判 断に限定されているということ、第二に、三上章の助詞論の考察に基 づいて、西田の「に於いてある場所」という表現に含まれる「に於い て」が、格助詞「で」によって十分に理解可能となることを明らかに したことである。

浅利は西田の哲学、特に「場所」論文の中に、「辞」の問題、すな わち助詞の特性が現れていると考えている。浅利はフランスで日本語 教育を実践していく過程で、日本語文法を含め、日本哲学のテクスト を外国語に翻訳する場合に生ずる日本語文法の特異性に触れている。

浅利が注目する論文「場所」(1926)の中で、西田は次のようにいっ ている。

「我とは主語的統一ではなくして、述語的統一でなければならぬ、

一つの点ではなくして一つの円でなければならぬ、物ではなく場 所でなければならぬ。我が我を知ることができないのは述語が主 語となることができないのである44」。

浅利は、西田が「我」としての「場所」を円の形象で捉えているこ とについて、それは日本語の格助詞の特性を正確に把握していたから

ある意味での歴史性の消去、柄谷のことばを借りれば「非政治化・非歴史化」

がなされることの政治性をこそ問うべきである。しかし、本稿では、この問 題を取り上げることは差し控えたい。

44 西田幾多郎「場所」、新版『西田幾多郎全集』第三巻「働くものから見るもの へ」所収、岩波書店、2003 年、p.469. 浅利も指摘しているように、引用文の 最後の文について意味が通らない。浅利は「我が我を知ることができないの は述語が主語となることができないからである」、あるいは、「述語が主語と なることができないということである」と訂正すべきだと提案している(浅利、

前掲書、p. 69.)。

(26)

21

だという。「西田の円の形象は格助詞の「で」の形象によって方向づ けられていたと私は言いたい」。しかも浅利は、西田の「場所」が「我」

という意識として規定されていることに注目し、西田は、意識 = 場 所の特性として、「円が円で包まれる多重的包摂構造」を想定してい るだけでなく、そこに「鏡(反射 = 反省)の反射の像、鏡に映る像 の多重構造をモデルにして考えている45」という。

この点について、末木剛博は論理学的立場から西田を解釈しながら、

西田の「円」の表象を重視しながら自覚の体系の根本的特徴を指摘し ている。末木は西田哲学の全体を「自覚の体系」として位置づけ、初 期から晩年に至るまでの西田の哲学的営為を「自覚の体系」の深化・

進化として捉える。その際に末木は、西田の体系を「自己写像的な内 在論」であり、「自己の内に限りなく自己の似姿を描き入れてゆく入 籠式の内在論」であるという。そして末木は、西田の内在論を「一つ の無限大の円のなかに無数の同心円が描かれてゆく」「重層的内在 論46」と名づける。

ただ浅利の「鏡」のメタファーの妥当性を議論するには、その前提 として、末木がいうように、「自己写像」の問題を検討する必要がある。

西田は、その点についてすでに『思索と体験』の中で詳細に論じてい る。彼の「意識の自己写像性」は、デデキントの自然数論とロイスに よる「自己代表的体系(self-representative-system)に基づいている ことは忘れるべきではない。浅利の「鏡」の反射による「像の多重構 造」はメタファーの域を超えて、哲学的に理解されるべきである。

45 浅利、前掲書、p. 57. ちなみに浅利は、西田が「鏡の形象」を想定している と考えているが、その根拠として、彼は道元の『正法眼蔵』「古鏡」のイメー ジがあるという。

46 末木剛博『西田幾多郎 その哲学体系Ⅱ』、春秋社、1987 年、p. 44. また末木 は、「場所」概念について「場所とは『あらゆる個物を自己の内に於てあらし める能動的な諸々の述語の全体である』と定義しうる。これが西田固有の『場 所』の概念である」と述べている(末木、同書、p. 139.)。

(27)

いずれにせよ、ここでは西田の「場所」が、自覚の体系と不可分な 関係にあることが確認できればよい。重要なのは、西田の「場所」の 概念が、日本語との関係でどのように解釈できるかということにある。

まずは簡単に西田による「場所」概念の成立を見ておこう。

西田は、「場所」論文の中で、知識の立場から見て最も直接的で内 在的なものとして判断を挙げている。判断の中でも彼は、包摂判断を 最も根本的なものとして考えている。しかも彼によれば、包摂的関係 とは、一般なるものが特殊なるものを「包摂する」ことを意味する。

その際に包摂判断とは、特殊なるものを一般なるものが「包摂する」

ことであり、「包摂する」とは、特殊なるものを主語に、一般なるも のを述語とすることにほかならない47。その際に気をつけなければな らないのは、「包摂する」ということが単純に何らかの作用として捉 えられてはならないということである。つまり包摂的関係とは、いか なる時間的な関係も含まない関係だということである48

西田が繰り返し、時間的な要素を排除していることは注意してよい。

彼は、特殊と一般との関係は非時間的関係であって、ある種の〈空間 的関係〉にあると考えている。そして、西田は特殊の上に特殊を重ね、

一般の上に一般を重ねるという仕方で、特殊と一般の関係を論述しな がら、両者がどこまでも異なったものであり、両者は無限に同一にな らないことを指摘する。

しかし彼は、それまで「面」という言葉が使われていなかったのに、

「一般の面」と「特殊の面」という言葉を突然使い始める。一般と特 殊の両者が相異なり、同一にならないといった矢先に、両者の「面」

が合一し、「一般と特殊との間隙3 3 がなくなる時、特殊は互に矛盾的対 立に立つ、即ち矛盾的統一が成立する49」(強調・引用者)という。西

47 西田、同書、p. 464 参照。

48 西田、同書参照 49 西田、同書、p. 466.

(28)

21

田の思考の特異なところは、判断論の記述から、突然、空間的表象が 湧出することにある。西田にとっては、言語的な表象は、「面」や「間 隙」という言葉とともに、無意識的に図形的・空間的表象を伴って記 述される50。彼は続けて次のようにいう。

「一般と特殊とが合一になると云ふことは、単に両者が一となる のではない。両面は何処までも相異なつたものであつて、唯無限 に相接近して行くのである。斯くしてその極限に達するのである。

是に於て包摂的関係は所謂純粋作用の形を取る。かゝる場合、述 語面が主語面を離れて見られないから、私は之を無の場所といふ のである。主客合一の直観といふのは、此れの如きものでなけれ ばならぬ51」。

もはや単なる包摂判断の主語・述語に特殊と一般が振り分けられる のではない。ある〈空間的〉広がりを持った「主語面」「述語面」が 離れて見られないことを直観することによって、「無の場所」が成立 する。そして、それを「主客合一の直観」によって把握するのである。

西田にとって「場所」が空間的な表象を伴った記述しうるのも、浅 利によれば、日本語文法、特に格助詞の働きによると考えられる。ま ず浅利は、三上章の文法論を基礎に、格助詞「で」に場所格の性質を 見出すことからはじめる。浅利によれば、「で」は動作(場所)が円

50 末木は、特に「主語面」「述語面」について「『述語面』と言うのは『述語の 集合』の意と解してよい。したがって『場所』が述語面であるというのは、『場 所』は述語の集合であり、内包集合である、というに等しい。しかもそれは『包 容面』であると言われるが、これはあらゆる個物を内に含むものという意味 であり、したがって『場所』はあらゆる個物を内に含むあらゆる述語の集合 として無限大の内包集合「In (S ∞ )」に該当する、と解してよい」という(末 木、前掲書、p. 141.)。

51 西田、同書、p. 466.

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