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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

アメリカ労使関係の変容とQWLの意義

今村, 寛治

Graduate School of Economics, Kyushu University

https://doi.org/10.11501/3065443

出版情報:Kyushu University, 1992, 博士(経済学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

(2)

多自 3 主主主 1 9 '7 0査手イ�こ主灸i三十三ιλ陛�O=>

フフメ リ メョ自 重力E寝屋主主業主主づラオヲ子

一業斤しし、フフイ吏関壬系システム

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本章では、 労使関係の変容が巌も端的に現われているアメリカ自動車産業を とりあげ、 変容の過程、 背景、 および今後の展望を考察する。

第1節 アメリカ自動車産業の国際競争力の低下と新労務管理戦略の展開

第二次大戦直後の爆発的な自動車需要を出発点とし、 50年代の寡占体制の強 化を通じて長年のあいだ莫大な収益をあげつづけてきたアメリカ自動車産業

も、 70年代後半以降、 未曾有の不況のなかにある。

乙のような状況を招いたのは、 直接には二度にわたる石油危機による消費者 の小型車志向の増大だが、 これに拍車をかけたのはアメリカ政府の燃費規制で ある。 75年に制定されたエネルギー節約法は、 78年から85年までのあいだに、

乗用車の平均燃費効率を約二倍に引き上げるごとを義務づけた1)。 アメリカの 各メーカーは、 この燃費規制に対応すべく800億ドルという巨額の投資2)を行 ない小型化路線への戦略転換を進めつつあったが、 その最中に第二次石油危機

4 5

(3)

3 )に遭遇し、 大型車の極度の売れ行き不振に見舞われたのである4)。 このよう なアメリカ自動車市場における小型車需要の増大とアメリカ自動車メーカーの 小型車供給能力の不足の間隙を埋めたのが、 高品質・低価格5)を誇る日本車で あった。 表3 (47ページ)から明らかなように、 円高によるあいつぐ値上げで 79年2月までは販売が頭打ちになっていた6)日本製小型車は、 80年には21.2%

とシェアを急激に伸ばした。

これによって、 GM、 フォード、 クライスラーらビッグスリーの業績は、 程 度の差はあれ79年から82年までの4年間低迷し(表4、 48ページ参照)、 その 問、 続発する工場閉鎖と大量レイオフのためにアメリカ自動車産業の雇用労働 者が激減する(表5、 49ページ参照)という深刻な事態が出来した。

以上のような危機的状況の下で、 ビッグスリーは、 新車開発、 設備更新、 老 朽工場の閉鎖、 新工場建設、 部品納入システムの改善、 生産工程の在庫ベらし

7 )など必死の企業努力を重ねたが、 労務管理の分野でも新たな戦略を展開して いるように思われる。

それは三つの部分から燐成されている。

第 aは、 コスト低減策としての賃金・付加給付(=労働コスト)の抑制であ

る。 表6 (50ページ)、 表7 (51ページ)に示されているように、 AIF (年次 賃金改善要因)、 COLA(生計費調整手当)による 一定の賃上げの確保、 それ に、 SUB (補完的失業手当)、 年金制度、 有給休日 ・休暇、 各種保険などに代 表される十I加給付の完備によって、 アメリカの自動車労働者は長年のあいだ国 内的にも国際的にも高い報酬を得てきた。

第二は、 生産性向上のためのQWLプログラムの導入である。

そして最後は、 賃金・付加給付の抑制とQWLプログラムの導入の代償とし ての雇用保障の充実である。

次節ではまず、 以上の新労務管理戦略のうち、 賃金・付加給付の抑制と雇用

保障の充実を見ていくことにしたい。 というのは、 これらの具体的な内容は、

通常数年ごとに改定されるビッグスリーとUAWの全国協約で決定されるから である。 その際、 ひとつにはクライスラーでは専ら労働コストの抑制が実施さ

4 6

(4)

表3 アメリカ市場における乗用車シェア推移

1975年 1979 1980 1981 1982 1983 1984

GM 43.5% 46.1 45.9 44.5 44.1 44.1 44.2

フォード 23.0 20.1 16.4 16.2 16.9 17.1 19.0

国 クライスラー 11. 6 8.8 7.4 8.6 8. 7 9.2 9.5 アメリカン ・ モータース 3. 7 1.5 1.7 1.6 1.4 2.1 1.8 産 米フォルクスワーゲン 1.6 2.0 1.9

車 米国産車計 81. 8 78.1 73.3 72. 7 71.1 72.5 74.5

トヨタ 3.2 4.8 6.5 6.8 6.6 6.1 5.4

日産 3.0 4.4 5.8 5.4 5.9 5. 7 4. 7

輸 ホンダ 1.2 3.3 4.2 4.3 4.6 3.8 3.6 マツダ 0.8 1.5 1.8 1.9 2.1 1.9 1.6

富士重工 0.5 1.2 1.6 1.8 1.9 1.7 1.5

一-一E----3・-.... o. 7 1.3 1.4 1.3 1.3 1.5 1.3

入 その他 0.2 0.2 0.2 0.3

日本車計 9.4 16.5 21. 2 21.8 22.6 20.9 18.3

車 フォルクスワーゲン 3. 7 1.6 1.5 1.6 1.4 1.4 1.7 その他 5.1 3.8 4.0 3.9 3.9 3.8 3.4

輸入車計 18.2 21. 9 26. 7 27.3 27.9 26.0 23.5

日産自動車株式会社編『自動車産業ハンドフ.ック 1987年版』紀伊国屋書店、 1987年、 280'"'-' 281ページより作成。 ただし、 アメリカホンダとNU削I製トヨタブランド車は米国産車から除外 した。

4 7

(5)

G M

売 上 高 利 益 売上高利益率

フォード

売 上 高

利 益 売協利益率

クライスラー

冗 上 高

利 益

売上高利益率

表4 1973-83年のビッグスリーの業績(売上高と手!溢)

(100万ドル)

1973年1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983

35798 31550 35725 47181 54961 63221 66311 54729 62791 60026 74582 2398 950 1253 2903 3338 3508 2893 (763) (333) 963 3730 6. 7克 3.0% 3.5% 6.2% 6.1% 5.5% 4.4% (1.4)% (0.5)% 1.6% 5.0%

23015 23621 24009 28840 37842 42784 43514 37086 38247 37067 44450 907 327 323 983 1673 1589 1169 (1543) (1060) (658) 1870 3.9完 1.4% 1.3% 3.4% 4.8% 3.7% 2.7克(4.2)%(2.8)% (1.8)% 4.2%

11667 10860 11598 15538 16708 13618 12002 9225 10822 10045 255 (52) (260) 423 163 (205) (1097) (1710) (476) 170a 2.2% (9.5) % (2.2) % 2. 7% 1. 0% (1. 5) % (10.9) % (18.5) % (4.3) % 1. 7%

(出所)ブルース. R .スコット、 ジョージ・C ・ロッジ編『日本の脅威、 アメリカの選択第2部』岡本 秀昭監訳、 光文社、 1987年、 17ページ。

(注)クライスラ一社の売り上げには、 同社防衛部門の充k高2億3, 900万ドルを含む。

1983年のGM、 フォード社の業績は同社の対外発表資料より転載、 なおクライスラーについては 不明。 ( )はマイナスを示す。

4 8

(6)

表5 アメリカ自t)庫産業の雇用労働者数の推移

1978年 1979 1980 1981 1982 増減率(78-82年)

GM 611000 618000 517000 522000 441000 -27.8%

フォード 256614 239475 179917 170806 155900 -39.2

クライスラー 131758 109306 76711 68696 58600 -55.5 アメリカン・モータース| 25000 25000 21000 21000 20000 -20.0 フォルクスワーゲン 6400 9100 10000 9900 9000 +40.6

計 1030772 1000881 804628 792402 684500 -33.6%

(出所)スコット、 ロッジ、 前掲書、 25ページ。

(7)

---・ー

表6 自動車組立工と民間耐可の生産労働者との時間賃金比較(1948-1980)

自動車組立工a 民間剖刊の生産労働者(平均) b 比率

1948 1. 58ドル 1. 23ドjレ 1. 29

1950 1. 58 1. 34 1.18

1955 2.01 1. 71 1.17

1960 2.46 2.09 1.18

1965 2.91 2.45 1.19

1970 4.25 3.22 1. 32

1975 6.44 4.54 1. 42

1Q80 10.33 6.66 1. 55

(出所) II.C.Katz, ShifLing Gears (以下Shi ft i ng Gears) ,The MIT Press,1985,p.22.

a. フォード社の組立工の時間賃金(COLAとAIFを含む) b. 非農業民間部門の生産労働者の平均時間賃金

5 0

(8)

表7 自動車産業の生産労働j者の時間あたり労働コスト(1975年と1981年)

1975 1981

米ドル 指数 米ドル 指数

(アメリカ=100) (アメリカ=100)

アメリカ 9.44 100 17.55 100

西ドイツ 7.68 81 12.89 73

スウェーデ、ン 7.44 79 11. 50 66

フランス 5.22 55 9.20 52

イタリア 5.10 54 7.86 45

イギリス 3.96 42 7.83 45

日本 3.56 38 7.74 44

(出所) shifting Gear丸p.52.

(注)乙れらの数値には、 賃金、 ボーナスだけでなく付航船付や後払い給付も含まれている。 また、

組立工以外の労働者も入っているがその範囲は各固まちまちである。

5 1

(9)

れたこと、 ふたつには全国協約の締結時期が相違していることから、 クライス ラーとGM ・ フォードは別個に論じるごとにする。

5 2

(10)

、..--

第2節 賃金・付加給付ーの抑制と雇用保障の充実

( 1 )クライスラーの場合8)

ビッグスリーのなかで最も早い時期に業績が悪化し、 当時倒産の危機に瀕し ていたクライスラーは、 78年10月、 フォードから解任されたばかりのアイア

コッカを社長に迎え(翌79年9月には会長に就任)、 経営体質の改善を目指し た。

クライスラーは手始めに、 四工場を閉鎖し、 不動産を処分、 さらには黒字で あった戦車部門を3億4,800万ドルでゼネラル ・ ダイナミックス社に売却した が9\ その -方で79年10月、 労働側に大幅な譲歩を迫る労働協約をUAWとの あいだで締結したのである。

この協約では、 2億300万ドルもの賃金・付加給付の譲歩が行なわれた。 あ らかじめ決定されていたCOLAとAIFの増加分の支払いが延期され、 個人別有給 休日は最初の1年間は廃止、 協約期間中では通常よりも6口少ない20日となっ た。 また、 組合の再鐙協力への見返りとして、 UAW会長であるフレーザーの 取締役会入りが決まった。

乙のあと80年1月には、 クライスラーに対する12億ドルにのぼる連邦政府の 融資が決定したが、 その後、 議会の要求に応じてUAWとクライスラーは再び 交渉のテーブルにつき、 同月の協約でさらに2億4,300万ドルの賃金・付加給 付の削減が実施された。 この2回目の譲歩では、 AIFの増加分の支払いが協約 期間の2年目にはさらに2ヶ月、 3年目にはさらに3.5ヶ月それぞれ延期され た。 これに加えて、 個人別有給休日は協約期間の総計で3口にまで減らされ た。 また、 政府融資の条件として従業員持ち株制が導入された10) 。 さ らに81 年1月協約では、 賃金・付加給付に関して1億5,600万ドルにおよぶ3回目の 譲歩が認められた。 乙の協約によって、 81・8 2両年のAIFが廃止され、 79年か ら本協約の満了までの期間のCOLAの支払いも取り止められた。

以上3回に波る譲歩の結果、 クライスラーの労働者の時間あたり労働コスト

5 3

(11)

----

は、 GMやフォードのそれよりも約2.5ドル低下したという11) 。

(2) G M、 フォードの場合12)

クライスラーよりも比較的業績の良かったGM、 フォードで、 労働側がコン セッション ・ パーゲニング(譲歩交渉)と呼ばれるほどの歴史的な譲歩を余儀 なくされたのは82年協約であった。

82年1月1 0日フォードは、 同年9月14口まで、効力をもっ労働協約の期限切れ を待たずにUAWとのあいだで改定交渉に入った。 新協約は2月15口に合意に 達し、 同月28日UAWのフォード組合員の73 %の賛成で批准された。 新協約は 3月1日から発効し、 8 4年 9月14日までの2年半施行されるごとになった。

新協約の特徴を -言で表現すれば、 労働コストの大幅な削減とその代償とし ての雇用保障の充実である。

まず、 労働コストの削減のためには以下の条項が実施される。

①旧協約で‘認められていた年3%の賃上げ(= AIF)の廃止。

②COLAの支払いを18ケ月延期する。

③個人別有給休日(82年では9口)を全廃し、 通常の休日の1口を削減す る。

④新規採用者の入社時の賃金を通常時間給の85%とし、 その後6ヶ月ごとに 5%ずつ増額する。 .

⑤税引前利益率が2.3%を越えた場合、 プロフィッ卜 ・ シェアリングを行な う。 ごれによって、 労働者の報酬が会社の業績と連動するごとになる。

フォードはこれらの諸施策により、 今後31ヶ月間に10億ドルの労働コストの

節約を可能にしたといわれているが、 これは、 時間あたり2ドルの賃率カット になり、 車1台あたり160ドルのコストダウンになるという13) 。

このような労働側の譲歩にたいして経営側は雇用保障で報いたが、 それは次 のような画期的な内容であった。

①生産量の減少や生産拠点の統合などの場合を除いて、 部品の外部調達を理

5 4

(12)

由とする工場閉鎖は、 今後2年間行なわない。

②試験的な「終身雇用J計画を2工場で実施する。 これは、 協約期間中、 現 在の労働力の80%の雇用を保障しようというものである。

③所得保障制度(Guaranteed Income Stream Benefit Program、 GISと略 称)の導入。 ごれによって15年以上の勤続年数をもっ労働者はレイオフさ れた場合、 通常の選職年齢までその労働者の巌後の年間賃金の50% (勤続 年数が1年噌すごとに 1 %ずつ増加する。 ただし、 最高75%まで)を永続 的に受給することができる。

④SUB基金への7,000万ドルの拠出。 との結果、 10年以上の勤続年数をもっ 労働者が104週間SUBを受給することができるようになった。

⑤失業者を含めて労働者の技能向上のために、 「従業員能力開発・訓練計 画」を実施する。

⑥経営の意思決定に従業員の声を反映させるために、 「労使成長協議会J (“Muiual Gråwih Forum " )を設立する。

フォードに引き続き、 GMも82年3月21口、 UAWとのあいだで新協約に関 する暫定合意に達した。 この協約は、 4月9日に批准され同月16日から発効し たが、 その内容は前月締結されたフォード-UAW協約と同様、 雇用保障とか らめた賃金・付加給付の抑制という労働側に大幅な譲歩を迫るものであった。

新協約は、 84年9片14日まで施行されるが、 2年半の有効期間中に、 GMの 労働コストの削減はおよそ25億ドルにのぼると推定されている14)

5 5

(13)

第3節 QWLプログラム

7 9年以降のアメリカ自動車産業の大不況のなかで、 再生へ向けてさまざまな 努力が試られたが、 前記の労働コス トの抑制と並行して実践に移されたの が、 QWLプログラムである。

ごれについては第6章で詳述するので、 とこでは、 QWLプログラムが、 そ れまで職場を支配していた硬直的な労使関係を打破し、 労働力の柔軟的・効率 的利用を目的とした生産性向上施策として導入されたという点を指摘するだけ にしておきたい。

しかし、 ひとくちにQWLプログラムといっても、 各メーカーの取り組みは ー様ではない。 GMとフォードではそれぞれrQWLJ、 r E 1 J (=Employee Involvement)の名称、で積極的に導入されたものの、 クライスラーやアメリカン

・ モータース15) は実施に消極的であった16) 。

これにはさまざまな理由があるが、 ひとつは、 両社がGM、 フォードよりも 極端に劣悪な財務状況に置かれてい た ので、 両社の経営者がフ。ログラムへの投 資を断念し、 再生のための戦略を別に求めたためである。 具体的には、 クライ スラーは会長であるアイアコッカの積極的な販売力に期待し、 アメリカン ・

モータースはルノーの資本参加に望みをつないだ17) 。

(14)

第4節 今後の展望

以上、 アメリカ自動車産業において近年盛んに進められている新しい労務管 理戦略を具体的に見てきた。

さて、 同産業で作業チームシステムの利用が増加すれば、 支部組合の役員の 地位も根本的に変わらざるをえない。 彼らは、 ごれまで協約の適用や管理にお いて重要な役割を果たしてきたが、 今後は作業チームの活動の監視に多くの時 間を費やすようになるであろう18) 。

実際、 GMのいくつかの工場では、 作業チームの監視を任務とする運営委員 会(6名の委員から構成されており、 計画委員会と呼ばれることもある)に組 合は2名の代表を送っている19) 。

それでは、 労働組合および労働者は、 QWLプログラムにたいしてどのよう な対応を見せているのであろうか。

ま ず 、 雇用確保を最優先課題と してい る全国組合レベルで は 、 概ね、

QWLプログラムに協力的な姿勢が見られる。 しかし、 83年冬、 フレーザー UAW会長の後任に、 プログラムに消極的な態度をとっているビーバー副会長 が選任されており20) 、 依然として批判勢力は存在していると見るべきであろ う。 ー方、 支部組合のなかには、 本来、 職場生活の質的改善を目指すものであ るはずのQWLプログラムが、 会社によって生産性向上施策として悪用されて いると主張するリーダーもいる211 0

また、 作業チームシステムの下で、 知識給の導入、 先任権の制限、 職務分類 の統合などによって既得権を奪われる22) 可能性が高い熟練労働者や高齢労働 者からの抵抗も相対的に強い。

現実に、 会社側が積極的に推進しようとしているチーム方式が、 組合によっ て間接的に拒否される事態が起きている。 ごの工場はカリフォルニア州にある GMの バンナイス工場で、 同工場の労働者は87年春に行なわれた選挙で、 職場 委員長に、 チーム方式を支持してきた現職のリチヤード ・ルパート氏に代わっ て、 これに反対するビート ・ベルトラン前同支部委員長を選出したという

(15)

23)

では、 これまでQWLプログラムを強力に推進してきた自動車産業における 協調的な労使関係は、 今後どのような展開を見せるのであろうか24) 。

アメリカの労使関係の今後の動向についての研究者の見解は、 大きく新段階 説と繰り返し説に分かれている。 前者は、 現在は従来の労使関係の基本的な性 格の変更・修正を伴う新しい労使関係システムへの移行期にあるとする考えで

あり、 後者は、 労使関係の基本的性格に変化はなく、 経済的環境が変化すれば 従来のパターンに復帰するという考えである。 将来どちらが支配的な潮流とな るか予測するには多くの指僚を必要とし、 また予測l自体がきわめて困難である と忠われるので、 ことでは、 それを占う重要な手がかりとなる82年以降の自動 車メーカー各社の労働協約を検討するにとどめておく。

79年10月、 80年 1月、 81年1月の3回におよぶ労働側の譲歩に象徴されるコ スト切り下げ策と、 80年に発売されたKカーの成功によって、 クライスラーの 財務状況は82年の秋には好転した25) 。

このような状況を反映して、 82年12月、 83年9月の2回の協約では、 AIF方 式による3%の賃上げ、 COLAの完全復活、 利潤分配布11の廃止など、 伝統的な協 約への回婦が見られた。 しかし、 次の85年10月協約では、 賃金・付加給付につ

いては、 ①3年間の協約期間中に賃金を5.2 5%ヲ|き上げる( 1年目、 3年目に それぞれ2 .2 5%、 3%引き上げるが、 2年目については1年目の賃上げ分と同

額を ー時金として支払う)、 ②利潤分配の代わりとして、 87・88両年に各5 0 0

ドルのボーナスを支給する、 ③労働側の譲歩の代償として 1年目に 2,12 0ドル 支払うなど、 ボーナス、 ー時金を広く活用してベース賃金の上昇を抑えてい る。 また他方で、 部品の外部調達やワークルールの変更を組合に認めさせてお り、 このことからすると、 コンセッションの程度が緩和されたとはいえ、 依然、

として協調的な労使関係は続いていると解釈すべきであろう26) 。

-方、 GMとフォー ドは、 84年9月、 同年10月に相次いでUAWとのあいだ で新協約を締結した27)

83年の当初から強力な景気回復と日本車の自主規制によってアメリカ車の売

5 8

(16)

り上げが上向き始め、 その結果、 同年にGMとフォードはそれぞれ37億ドル、

19億ドルの利益を計上した281 0 之のため今回の協約では、 前回の82年協約に 見られたような労働側の大幅な譲歩はいくぶん緩和された。 とはいえ基本的に はなお、 賃金抑制・雇用重視の傾向が続いている。

それでは、 簡単にその内容を見ていこう。

まず、 新協約の賃金・付加給付に関する取り決めであるが、 とれは伝統的な 賃金決定方式の完全復活を望む組合と、 労働コストの抑制を目指す会社とのあ いだの妥協の産物となった29) 。

①戦後長く伝統となっていた毎年3%のAIFは、 今回も復活されなかった。

そのかわり、 1年目の賃上げ率は、 組立工で1%、 熟練工で 3.5%、 平均 で2.25%となり、 また、 2年目、 3年目は年間賃金の2.25%に相当する

時金が支給される乙とに決定した。 とのような賃上げ率の労働者間格差や 一時金は、 賃金決定の蝉力化を可能にする。

②COLAは、 会社側の人�III高な切り下げ要求をはねのけて従来の給付率が維持さ れ、 実施期間の延山!も認められなかった。

③前回の協約で全廃された個人別有給休日は、 1口だけ復活した。

④前回の協約から導入されたプロフィット ・ シェアリングは、 算式の変更を 行なわず、 そのまま継続されることになった。 84年分の利潤分配額は、 労 働者一人当たり平均1, 000ドル程度と予想されている。

⑤新協約が批准された場合は、 労働者全員に-一律180ドルの特別ボーナスが

支給されることも決定した。

他方、 前回の協約から始まった雇用保障重視路線は、 今回さらに進展した。

前回の協約で創設された所得保障制度(G 1 S)は、 今回も存続されるごと になったが、 これに加えて巌も革新的な雇用保障策である「雇用機会パンクj

(Job Opportunity Bank)が設置された。 ごの制度によって、 1年以上の先任

権をもっすべての労働者は、 新技術の導入、 部品の外部調達、 生産性の向上な

ど 、 総 じ て企業の合理化施策によってレイオフされる場合、 「雇用機会バン ク」と呼ばれるプールに移され、 従来の賃金を全額保障されながら教育訓練や

5 9

(17)

配置転換を受けることになった。 ただし、 市場環境の変化に伴う生産量減や工 場閉鎖などによるレイオフは対象外である。

さらに、 先の87年協約30) でも、 交渉に臨むGM、 フォード両社の立場はか なり異っていた31) ものの、 前回同僚、 労働コストの抑制]32) 、 雇用保障の充 実、 QWLプログラムの推進33) という路線が継承された。

以上検討してきた82年以降の労働協約の内容から推察すると、 最終的な行路 は不明であるにしても、 QWLプログラムをその 4構成要素として組み入れて いる協調的労使関係は、 アメリカ自動車産業ではここ当分のあいだ続くと考え るのが妥当であろう。

ハURU

(18)

Z王

1 )下川浩 ♂『日経産業シリーズ 自動車』日本経済新聞社、 1985年、

66,...,_,67ページ。

2 )下川『自動車.!l 67ページ。

3)イラン政変の彰響で79年4月以降に発生したガソリンパニックによって、

アメリカ国内のガソリン価絡はガロン当たり60セント台から -挙に倍に値 上がりし1ドル20セントを越えてしまったという。 下川浩一『自動車産業 脱成熱時代』有斐閣選書R、 1985年、 72ページ。

4)下川『自動車産業脱成熟時代.!l 44'"'-'45ページ。

5 )日本とアメリカの小型車の製造コスト差は、 1980年前後で1,500ドルから

2,000ドル程度であったと推定される。 乙れについては、 以下の文献を参 照した。

森正勝、 油井直次「日米自動車メーカーの生産方式比較J Ir工場管理』

1982年7月号、 21ページ。

ブルース ・ R ・ スコット、 ジョージ ・ C ・ ロッジ編『日本の脅威、 アメリ カの選択第2部』岡本秀昭監訳、 光文社、 1987年、 14,...,_,15ページ。

A . アルトシュラ一、 D ・ ルース他『自動車の将来』中村英夫、 大山美人 他訳、 日本政送:H版協会、 1984年、 206'"'-'208ページ。

大島恵 , p ・ マクラッケン編『日米自動車摩操』日本経済新聞社、

1984年、 195,...,_,218 ページ。

6)下川『自動車産業脱成熟時代.!l 73ページ。

7)下川『自動車.!l 72,...,_,73ページ。

8) 79年10月、 80年1月、 81年1月のクライスラー-UAW協約に関しては以 下の文献を参照した。

H.C.Katz,Shifting Gears (以下Shifting Gear�) ,The MIT Press,1985,

pp. 54,...,_,55.

Monthly Labor Revie�, Vo1.102,No.12,1979,Vo1.103,No.3,1980の

6 1

(19)

“Deve10pments in Industria1 Relations" .

9 )リー ・ アイアコッカ『アイアコッカーわが闘魂の経営一』徳岡孝夫訳、

ダイヤモンド社、 1985年、 244'"'"'246ページ。

10)ごの制度によって、 クライスラーの発行株の17%が社員の持ち株になった という。 アイアコッカ、 前掲書、 306ページ。

11) 81年の自動車労働者の時間あたり労働コストは、 GMで20ドル、 フォード で21ドルであったという。 森、 油井、 前掲論文、 20ページ。

12) 82年GM 、 フォード-UAW協約の内容については以下の文献を参照し た。

島凹晴雄『フリーランチはもう食えない』日本評論社、 1984年、

129,..__,136ページ。

森、 油井、 前掲論文、 36,..".,37ページ。

岩田啓「米労組「賃金Jより「雇用Jを選択J [J日本労働協会雑誌』

第279号、 1982年、 62'"'"'63ページ。

Shifting Gears, pp. 55,..__,60.

Monthly Labor Review, Vol. 105, No. 4およびNo.5,1982の Deve10pments in Industrial Rel ations" .

13)森、 油井、 前掲論文、36 ページ。

14)岩田、 前掲論文、 63ページ。

15)アメリカン ・ モータースは、 87年8月5日クライスラーによって買収さ れ、 同社の下会社となった。 [J日本経済新聞.1l (夕刊) 1987年8月6日 付。

16) Shifting Gears, p. 168. とはいうものの、 プログラムが全く導入されなか ったわけではない。 例えばクライスラーでは、 79年に当時UAW会長であ ったフレイザーを取締役として招いたのを皮切りに、 80年には現場レベル での「参加Jとして品質向上プログラムが開始され、 さらに翌81年にはご

れらの中間レベルの「参加Jである労働者委員会の設立(全国および工 場)に関する合意が得られ、 これによって現場から取締役会まで全てのレ

6 2

(20)

ベルにおける「参加Jが実現したという。 秋元樹『デトロイト』日本評論 社、 1981年、 256'"""-'257 ページ。

17) Shifting Gears,p.168.

18) Ibid., p. 98.

19) Ibid. ,p.99, pp.158'"""-'159.

20) Ibid., pp. 172"'"'173.

21) Business Week,Sept. 10,1984,p. 55.

22) Shifting Gear�,p.97,pp.173"'"'174.

23) [í日経連タイムスJI 1987年6月18日付。

『日本経済新聞JI 1987年9月29日付。

24)アメリカの労使関係の今後の進路については以下の文献を参照した。

秋元捗l r我々は今どこにいるのか?-UAWを中心に-J rr社会政策学会 年報第29集先進国における労働運動』御茶の水書房、 1985年。

仁田道夫「労働組合に対する経営の挑戦-1980年代アメリカ労使関係の動 向-J [í日本労働協会雑誌』第325号、 1986年。

小林英夫f1960年代から現在にいたるアメリカ労働組合運動とその解釈 (下の下) -アメリカ労働史論の研究(13)一J Ií経済論集JI (関西大学) 第2 ・ 3 ・ 4号、 1986年。

25) Shjfting Gears,p.60.

26) 82年12月以降のクライスラ一一UAW協約については、 以下の文献を参照 した。

Monthly Labor Revie�,Vo1.106,No.2,1983,Vol. 106,No.10,1983,Vol.108,

No.12,1985の “Deve10pments in Industrial Re]ations"

Shifting Gears, pp. 60 '"""-'62.

浜田富士郎f1985年の主要交渉・主要協約J Ií日本労働協会雑誌』

第321号、 1986年、 63ページ。

27) 84年のGM、 フォード-UAW協約の内容については以下の文献を参照し た。

6 3

(21)

仁田道夫11984年GM-UAW協約J Ií日本労働協会雑誌』第310可、

1985年、 49'""-'53ページ。

Shifting Gears,pp. 174'""-'178.

Month1y Labor Revie�,Vo1. 107,No.12,1984の “Deve10pments in

Industrial Re1aLions>>

28) Shifting Gears, p.174.

29) Ibid. p.176.

30) 87年協約については以下の文献を参照した。

荻原進1<アメリカ>1987年自動車産業の協約更改交渉J Ií日本労働協会 雑誌』第343号、 1988年。

31) G M は84年の前回協約以降、 深刻な経営不振に陥り、 ごれを打開するた め、 ・部の工場閉鎖、 ホワイトカラー従業員の大量削減なと。思い切ったコ

スト削減計画を進めた。 一方のフォードはGMとは対照的に、 とのところ 業績は絶好調であり、 86年の税ヲ|き後利益は過去最高の33億ドルと、 62年 ぶりにGMを披いた。 Ií日経連タイムス.!1 1987年8月20日付ι

32) 87年協約では、 協約1年目に賃金を3%引き上げ、 2年目と3年目は賃金 の3%分を ー時金として支給することが決定されており、 上げl隔は前回よ

りやや上昇している。 If日経連タイムス.!1 1987年9月24口、 10月15日付。

33) U A Wは生産性向上のため、 各支部組合にたいしてワークルールの変更を 働きかけるごとを受け入れた。 If日経連タイムス.!1 1987年9月24口、

10月15日付。

6 4

(22)

多高4 イ云系充白勺rJ:.. 糸且百三rZ盟三ワイ吏巳司イ系 三/二zラ:""'L入。〉翠�:tê子とそケσ〉庄支1*1

1980年代以降、 伝統的な組合型労使関係システムにきわめて大きな変容をも たらしたのは、 労働市場と製品市場というこつの外部環境要因の変化で・あっ た。

第1節 労働市場の変化

図6 (66ページ)に示されるように、 第二次大戦後のアメリカでは、 労働組 合の組織率は -賞して低下傾向にある。 その原因としては、 まず、 労働市場に お ける産業別、 地域別、 職種別、 性別変動があげられよう。 すなわち、 第一に 製造業からサービス業への経済のシフト、 第二に北部および中西部から南部お よび西部への産業の地理的移動、 第三にホワイト ・ カラー労働者の増大、 そし て第四に労働力に占める女性の構成比の増大という諸変動が大々的に進行した 結果、 これまで組合が広く浸透していなかった分野での雇用が増大したのであ る1)。

しかし、 ファーパー(I{.S. Farber)によると、 このような構造的な変化は、 19 50年代半ばから78年までの組織率低下の原因の約40%を占めているにすぎない

6 5

(23)

50 45 ・・

40 35 30 25 20 15 10 5

1930 35

ょfJメ 以.之γ、

言iιx

川区 \ミ竺 ミ?り

之[.1;と

40 45 50 55 60 65 70 75 80 84

図6 非農業労働力の組合組織鞠佐移(193ト84年)

(出所) Transformalion,p.31.

6 6

(24)

とし、う2)。

というのは、 以下の計算による。 まず、 産業別変動、 すなわち製造業から サービス業への経済のシフトが起こらなかったと仮定すると、 1978年の組織率 は26.8%になっていたと推定される。 しかし、 周年の実際の組織率は25.1%な ので、 両者の差である26.8-25.1=1.7 %が産業別変動を原因とする組織率の 低下であると考えられる。 同様の計算を行なうと、 地域別・臓種別・性別変動 を原因とする組織率低下は、 それぞれ1.2%、 2.1%、 2.4%である。

さらに、 これら4つの要因の相関性を排除すると、 産業別変動は 1.0%、 地 域別変動jは1.2%、 職種別変動は1.2%、 性別変動は 0.5%の計3.9%とな る。 ー方、 1950年代半ばから78年までの組織率の低下は、 34.5-25.1= 9.4%

であるから、 構造的な変化が組織率低下の原因に占める比率は、 9.4%のうち の3.9%で約40%となるわけである310

それゆえ、 もうひとつの原因としては、 NLRBによる交渉代表選挙が新しい組 合員を獲得する手段として有効性を失ってきていることがあげられる。

フリーマン([L B. Freeman)によれば、 1950年代以米民間部門では、 代表選挙 を通じて組織される労働者数が減少しているという。 例えば、 1950年代中頃か ら60年代中頃まで、 代表選挙での組合の勝率は60%を越え、 総労働者の 0.5'""-' 0.75%を毎年組織していたが、 1980年代の初めには、 勝率は45%にまで落ち、

総労働者の0.14%を毎年組織するにすぎなくなった4 )。

そして、 このような代表選挙における組合の勝率低下をもたらした原因とし ては、 経営側の反組合的活動が40%、 未組織労働者の組織化のための組合の努 力不足が20%、 残りの40%は労働j市場における構造的変化を初めとするその他 の要素が占めるという510

また、 組織率低下の遠因としては、 タフト ・ ハートレ一法の制定以後、 代表 選挙の際の使用者側の言論の自由(free speech)が認められるようになったな

どの、 労働運動を取り巻く政治的環境の変化が指摘されている6)。

6 1

(25)

第2節 製品市場の変化

労働市場の変化と並んで、 伝統的な組合型労使関係システムの変容に大きな 影響を与えたのは、 製品市場の変化である。

表8 (69ページ)は、 1982年に9つの主要産業において締結された労働協約 に対して、 製品市場の変化、 すなわち外部環境の経済的圧力がどのような彫響 を及ぼしたかを分析したものである。

表に示されているように、 製品市場の変化は、 国際競争の激化、 国内の非組 合企業の競争力の増大、 それに1970年代の終わりから80年代の初めにかけての 規制緩和(deregu1ation)の三つに分けられる710

非組合企業に関しては後述するとして、 とこでは、 国際競争と規制緩和につ いて簡単に触れておこう。

1980年前後において国際競争の辰も激しい波にさらされたのは、 自動車産業 であろう8)。

アメリカの自動車市場は、 1970年代後半以降、 二度に渡る石油危機とそれに 伴う政府の燃費規制によって大型車の極度の売れ行き不振に見舞われた。 そし て、 乙の時期にシェアを20%にまで伸ばしたのが高品質・低価格を誇る日本車 であ った。 ごれとは対照的に、 アメリカ自動車産業のビッグスリーである GM、 フォード、 クライスラーの業績は、 1980年にGMが史上初めて赤字を計 上するなど低迷し絞け、 その問、 相次ぐ工場閉鎖と大量レイオフのために雇用 労働者が激減するという惨憶たる状況に見舞われた。

このような危機的事態の下で、 クライスラーは1979年、 GMとフォードでは 82年にそれぞれ、 雇}日保障を代償とした、 賃金・付加給付の抑制と労働力の柔 軟な配置を目的とするワークルールの変更という労働側に大幅な譲歩を迫る労 働協約が締結されたのである。

a方、 規制緩和9)とは、 1970年代中葉以降の失業の増大、 生活水準の低下、

高率のインフレーションなど多くの経済的困難を背策として、 金融、 交通、 運 輸、 電気通信に渡る広い領域で政府が行なっていた規制を撤廃あるいは緩和

.、

6 8

(26)

σコ C.D

表8 団体交渉の圧力、 過程、 結果(1982年)

外部環境の経済的圧力 交渉の過程 交渉の結果

国際 圏内の非 規制 交渉構 労使関係、ス 新しい形態の 賃金・付加 賃金規 ワーク 雇用 組合の管 労使 競争 組合企業 緩和 造の分 タッフの役 コミュニケー 給付レベル 準の変 ルール 保障 轄権に関 協力

産 業 との競争 権化 害Ij低下 ションや戦術 の譲歩 更a する事項

自動車 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。

鉄鋼 。 。 。 。 。 。 。

トラック輸送 。 。 。 。 。 。 。 。

航空輸送 。 。 。 。 。 。 。 。 。

ゴム 。 。 。 。 。 。

精肉 。 。 。 。 。 。

衣料 。 。 。

電機 。

石油精製 。

(出所) H. C. Katz, “Collective Bargaining in the 1982 Bargaining Round" ,T.A.Kochan(ed.) ,Challenges and Choices Facing American Labor (以下mallenges) ,The MIT Press,1985,p.216.

a : COLA方式を取り止め、手Ij�間分配制やその他の状況適応的な賃金制度の導入

(27)

し、 市場メカニズムを導入するごとによって、 いわゆる民間活力を発揮させよ うとする ー速の政策を指している。 交通運輸分野について言えば、 1978年の航 空輸送を手始めに、 80年のトラック輸送、 鉄道輸送、 引越輸送、 82年のパス輸

送、 海運と次々に実施された。 その内容は主に、 業者数と路線を制限していた 参入規制の緩和と運賃設定の自由化であった。

乙の結果、 シェア拡大のための運賃値下げ競争が激化した。 そして、 このよ

うな厳しい経営環境を勝ち抜くために経営側は大幅な賃金切り下げと合理化を 組合に要求し、 これに反対する労働側との間で労使紛争が頻発したのである。

例えば、 長距離パス業界の最大手であるグレイハウンド社の1983年秋のスト ライキ、 また航空業界では、 81年の低運賃を武器にしたビープル・エクスプレ ス社の新規参入、 83年秋から84年の初めにかけてのコンテイネンタル航空と

イースタン航空における労使紛争などがある。

さて、 これら9つの産業はそれぞれが被る経済的圧力の程度によって次の三 つのグループに分けられる。

第 -のグループに属するのは、 石油精製と電機である。 乙の二つの産業は、

1970年代は比較的良好な経済状態にあり、 また80年代の初めは不況に見舞われ

たものの他の産業ほど競争は激化しなかった。 それゆえ、 これらの産業では団 体交渉の過程や結果において大きな変化は見られない10) 。

第二のグループに属するのは、 自動車、 鉄鋼、 ゴム、 トラック輸送、 航空輸 送、 精肉である。 これらの産業は、 1970年代の終わりから80年代の初めにかけ て製品市場で激烈な競争に巻き込まれた。 そのため、 これらの産業は82年の団 体交渉でかなり人-きな変化を経験している11) 。

そして、 第三のグループに属するのは、 衣料である。 ごの産業は、 第二次大 戦以降絶えず激しい競争のなかにあるので、 団体交渉の内容は以前とそれほど 変わっていない12) 。

さらに、 詳しく見ていくと、 各産業が被った経済的圧力にもさまざまなタイ プが存在している。 例えば、 トラック輸送や航空輸送は、 園内の非組合企業と の競争と規制緩和の影響を受けているし、 一方、 自動車、 鉄鋼、 衣料などは国

7 0

(28)

際競争と国内の非組合企業との競争の影響が強い。 また、 電機と石油精製以外 の産業はすべて非組合の企業との競争にさらされているが、 そのなかでも、 ト ラック輸送、 航空輸送、 精肉では、 非組合の企業が一人前の競争相手にまで成 長しているのにたいし、 自動車や鉄鋼では、 非組合企業はいまだに自動車部品 や特殊鋼の生産分野で見られるに過ぎない13) 。

要するに、 ごの表から言えることは、 経済的な圧力が大きいほど、 交渉の過 程や結果における変化も大きいというごとである1... ) 。

7 1

(29)

第3節 「変容jをめぐる議論の検証-KKMに対する批判と反批判一

本稿でとりあげたKKMのTheTransformation of American lndustrial Relations (以下Transformation)は 1986年の出版以来、 大きな反響を呼ぴ、

同蓄に関する数多くの論文が書かれた。 その中の -つに、 JamesChelius and Jarnes Dworkin(eds.) ,Reflections on the Transformation of Industria1 Re1ation�,Scarecrow Press,1990 (以下Reflections )がある。 とれは、

1988年5月にアメリカの29名の労使関係研究者が一堂に会して行ったディス カッションをまとめたものである。

ここでは、 Ref1ectionsに収録されているKKMに対するブロック

(R. N. Block)の批判と、 同書の別章でKKM自らが述べた反批判を検討するこ

とにしたい。

ブロックとKKMの間で交わされている議論の中で最も重要なテーマは、

「変容J (“transformation" )という用語をめぐってのものである。

ブロックはまず、 Transformationに関して答えられなければならない真の問 題は、 KKMが示した現実が本当に労使関係、の変容を表わしているのかどうか ということであると提議する15) 。

彼によれば、 変容という用語は、 労使関係、が運営されるやり方(w ay)が根本 的に変わった時に使われるべきであるという。 ごの定義によれば、 アメリカの 労使関係の変容は、 1935年のワグナ一法の制定時に起きたといえる。 同法の制 定 以 前は、 労使関係はほぼ完全に 一方的であり(unil ateral)、 従業員参加のメ カニズムは存在しなかった。 同法を通じて労使関係に双方向性(bilateralism) を持たせようとする政府の勧奨は、 雇用関係の統制は労使間で共有しなければ ならないとする条件が当時存在したことを示すものであり、 労使関係の真の変

容を表わすものであったのである16) 。

これに対して、 KKMが指摘した1980年代の労使関係、におりる諸変化は、 ブ ロックによれば、 労使関係の変容ではなく、 1935年に確立した労使関係システ ム(以下、 ニュー・ディール・システム )の進展(evolution )にすぎない

1 2

(30)

17)

ブロックのこのような主張の背後には、 ニュー・ ディール・ システムに対す る彼の理解がある。 彼によれば、 このシステムの特質は、 使用者優位であると

いう18) 。 つまり、 企業の戦略レベルにおける労働組合と政府の存在はほとん どなきに等しく19) 、 K KM流に言えば、 企業の戦略的意思決定が独占的に経 営の統制下にあるのであり20) 、 「経営は行動し、 労働者と組合はそれに反応 するJという原則が貫徹しているのである。 そして、 このような特質を持つ ニュー ・ディール・システムが、 1980年代に規制緩和や海外からの競争などの 大きな環境変化に直面した時、 これに対して使用 者は、 労働組合の参加なしに (=使用者主導で)さま ざま な製品市場戦略(= K KMが指摘した1980年代の 労使関係における諸変化)を実施したのである21) 。

つまり、 ブロックによれば、 KKMが明らかにした1980年代の諸変化は、 19 35年に確立したニュー・ディール・システムの特質である使用者優位という枠 内で、 つまり使用者優位の下で行われたことなのだから、 変容ではなく、 進展 に過ぎないのである。 すなわち、 これらの諸変化は、 保護された製品市場から 競争的な製品市場へという変化に対するニュー ・ ディール・システムの適応だ というわけである22)

以上のようなブロックの指摘に対して、 K KMは、 乙のような批判に答える ためには、 我々の著書に戻らなければならない23) として、 次のように述べて いる。

「我々の著書は、 三層からなる枠組みを提示した。 ごの三層の中の一つで起き た変化(例えば、 譲歩交渉、 労働者参加の成長、 労使関係スタッフからライン 管理者への権力の移動など)は、 それを単独で考えると、 変容を形成しないで あろう。 そうではなく、 1980年代の労使関係は、 労使関係システムの戦略レベ ルと職場レベルへの活動の場所(locus of activity)の移動を含んでいる。 そ して、 これこそは、 アメリカ労使関係システムに起きたシステマティックな変 化なのであり、 変容として分類されるのである。 24) J

けっきょく、 1980年代のアメリカ労使関係における諸変化を変容と進展のど

7 3

(31)

ちらと考えるかは、 ニュー・ディール・ システムの本質をどのように捉えるか にかかっているように忠われる。 ブロックは、 ニュー・ディール・ システムの

本質を「使用者(経営占)主導的な労使関係jと理解し、 一方、 KKMは「団 体交渉レベルの重視Jであると理解しているために、 同じ現象(ごの場合は19 80年代のアメリカ労使関係における諸変化)を、 前者は進展、 後者は変容とそ

れぞれ解釈しているのである。

本縞のテーマであるQWLと関連させて両者の見解を検討すると、 従来の団 体交渉レベル重視の伝統的な労使関係が、 戦略レベルと職場レベルへと重点を 移した結果、 職場レベルでのQWLの活動が活発化した点を、 アメリカ労使関 係とそれを取り巻く環境という大きな枠組みの中で明確にしたKKMがまず評 価されるべきであろう。 しかし、 s方のブロックも、 労働組合や労働者の発言 がほとんど無視される形で、 1980年代のアメリカ労使関係の諸変革が経営側の 主導で進められるごとによって、 労働疎外の解消や労働の人間化という本来の

意味をQWLが失っていった過程を結果として示唆しているように思われ、 ご れも傾聴すべき見解であろう。

7 4

(32)

第4節 オスターマンの所論の検討

ーアメリカ労使関係の変容に関するひとつのモデルー

オスターマンは、 表9 (76ページ)に示されているように、 内部労働市場を インダストリアル・ モデル(industrial model)とサラリード・ モデル

(salaried model)の二つに 分類している。 内部労働市場とは、 彼の定義による と、 労働の利用を組織する管理上の手続きと規則(the administrative

procedures and rules that organize the utilization of labor)を意味する 25)

彼によると、 内部労働市場は次の四つのカテゴリーを持っている(表9参 照)。

第 ・のカテゴリーは、 職務分類と職務定義(job cJassification and job definition) である。 ごれは、 職務が広く決められているかそれとも狭く決め

られているか(すなわち、 職務に含まれるタスクが多いか少ないか)というご とと、 職務の定義が厳密かそれとも緩・いか(すなわち、 Aという職務を遂行す るひとりの人間がそれらのタスクだげを行なうのかそれともその人間が他の仕 事もするのか)ということに関する規則である26) 。

第二のカテゴリーは、 人員配置(deployment :これは昇進と配転を意味する ものと思われる)である。 ごれは、 従業員が組織のなかで職務から職務へどの ように移動するかということに関する規則である。 例えば、 ある状況では、 先 任権が空きのある職務への募集の権利(bidd ing righ ts)を決定するのにたいし て、 他の状況では、 人員を配置する方法に関する完全な裁量を経営側が保持し ていることがある27)

次に第三のカテゴリーは、 雇用保障である。 終身雇用保障を明白にあるいは 暗黙に(explicit or implicit)約束している企業もあるし、 他方で、 その日の 仕事に対する支払い以上の約束は何ら行なわない企業もある。 レイオフが先任 権と精密なおしのけ(job bumping)規則によって決まる場合もあるし、 また、

経営側が -方的に決める場合もある28) 。

7 5

(33)

聴続完分類と臓務定義

職務が広く決められている かそれとも狭く決められてい るかということと、 職務の定 義が厳密かそれとも緩いかと いうこと

表9 二つの内部労働市場モデル

インダストリアル・モデル

{

industrial回対el

)

仕事は、厳密に定義されか臓に 組織され、 それぞれの職務分類と 結ひ'ついている明確なワーク・ル ールと責任を伴っている。

(硬副ワ)

人員配置(昇進と配転)

I

昇進と機への移動は、先任権条項 従業員が組織の中で臓務か

!

と労働j者が移動に賛同するという ら職務へどのように移動する

|

条件によって市!IT浪されている。

かということに関する規則

I

(硬直的)

雇用保障

賃金規則

賃金が臓務と人間のどちら と結びついているかというこ と

公式の雇用保障は存在しない。経 営側'L�、い通りに労働力の大きさ を変える自由を持っていると理解 されている。 しかしながら、 レイ オフは、 一般的に先任権の逆順で 行われている。

(弾力的)

賃金は、職務と結びついている。

それゆえ、 個々の労働者の賃金は その労働j者の職務分類によって決 められる。

(硬直的)

サラリード・モデル (salaried削el

)

個々の労働者は職務定義を持って いるが、それは、法的あるいは慣 習的な強制力を持っていない。職 務定義は、監督者によって修正さ れることもあるし、また従業員が 必要に応じて新しし吋舌動を引き受 けることもある。 (弾力的)

インダストリアル・モデルを特徴 づける、 明確に定義された職務階 悌と昇進の順序が、サラリード・

モデルには欠けている。

(弾力的)

サラリード・モデルの暗黙の約束 は、企業はレイオフを避けるよう に努力するということである。

(硬副守)

賃金を決定する際に、個人的な考 慮の役割が大きい。

(弾力的)

適用される労働者 大多数のブルー・カラー労働j者

|

ホワイト・カラー労働者と一部の 大規模な労鰍目合対日織企業のブ ルー・カラー労働j者

P.Osterman,Employment Futures:Reorganization, Dislocation,and Public Policy,

Oxford University Press, 1988より作成。

7 6

(34)

そして第四のカテゴリーは、 賃金規則(wage rules)である。 賃金が聡務と人 間のどちらと結ひ'ついているかということが最大の区分になる。 前者では、 あ

る- -つの職務分類の中の全ての労働者は同じ賃金を受け取るのに対して、 後者

では、 個々の労働者が現在どのようなタスクに従事しているかに関係なく、 個 人的な属性(技能、 教育、 業績)と先任権の両方が賃金を決定する291 0

オスターマンによれば、 アメリカの企業は、 インダストリアル・モデルかサ ラリード ・ モデルのうちのどちらかの論理に従って、 伝統的に仕事を組織して きた30) 。

では、 インダストリアル・ モデルとサラリード ・ モデルというこの二つの内 部労働市場モデルは、 先に述べた内部労働市場の四つのカテゴリーに関してそ れぞれどのような特徴を持っているのであろうか(表9参照)。

まず、 インダストリアル・ モデルは、 第 'のカテゴリーである職務分類と職 務定義については、 仕事は、 厳密に定義された職務に組織され、 それぞれの職 務分類と結ひeついている明確なワークルールと責任をともなっている、 という 特徴を持っている31 ) 。

また、 第二 の賃金規則については、 賃金は駿務と結びついており、 それゆ え、 個々の労働者の賃金はその労働者の職務分類によって決められる32) 。

第三の人員配置については、 昇進と横への移動(lateral shifts)は、 先任権 条項と労働者が移動に賛同するという条件によって制限されている33) 。

そして第四の雇用保障については、 インダストリアル・モデルには、 公式の 雇用保障は存在しない。 経営側は思い通りに労働力の大きさを変える自由を 持っていると理解されている。 しかしながら、 レイオフは、 a般的に先任権の 逆順で行なわれる34) 。

インダストリアル・ モデルは、 ブルー・ カラー労働者の仕事を組織するやり 方であり、 大恐慌の時期(正確にはニュー・ディール期)の労働組合の組織化 の結果として、 ひとつの規準(norm)となり、 第二次大戦後の繁栄の時期に固定 化したものである35)

さて、 以上のような特徴を持つインダストリアル・ モデルは、 いくつかの点

7 7

(35)

で経営側と労働側の双方に魅力的であったから、 ひとつの制度として確立した わけである。 カッツ(Il.C. Katz)によると、 ごのモデル(彼は職務規制モデルと 呼んでいる)は、 経営側の特権と考えられている諸事項への組合や労働者の浸 透を抑制する役割を果たしてきた。 また、 労働者にとって乙のモデルは、 不安 定な環境に直面したときに雇用保障に関して圧倒的な価値をもった。 (つま り、 先任権の高い労働者の雇用は相対的に保障される。) 36)

他方、 サラリード・ モデルは次のような特徴を持っている。

まず、 第 ・のカテゴリーである職務分類と職務定義については、 個々の労働 者は職務定義を持っているが、 それは、 法的あるいは慣習的な強制力を持って いない。 また職務定義は、 監督者によって修正されることもあるし、 従業員が 必要に応じて新しい活動を引き受けることもある37)

第二の人員配置については、 インダストリアル・ モデルを特徴づけている、

明確に定義された職務階仰と昇進の順序が、 サラリード・ モデルには欠けてい る38) 。

第三の賃金規則については、 賃金を決定する際に、 個人的な考慮 (personalistic considerations)の役割が大きい39) 。

そして第四の雇用保障に関しては、 サラリード・ モデルには、 企業はレイオ フを避けるように努力するという暗黙の約束が存在している401 0

サラリード・ モデルは、 大半のホワイト・ カラー労働者の仕事を特徴づけて いる。 しかし、 ブルー・ カラー労働者にたいしてサラリード・ モデルを適用し ている少数のアメリカ企業が存在している。 IBM、Digital、Polaroid、Kodakなど がその例である。 つまり、 労働組合に組織されていない ー部の大規模な企業の

ブルー・ カラー労働者にも、 サラリード・ モデルは適用されているのである 41)

以上の比較から明らかなように、 インダストリアル・ モデルとサラリード・

モデルの相違点は、 両モデルが提供する柔軟性(flexibili ty) にある42) 。 つまり、 内部労働市場の四つのカテゴリーがそれぞれ硬直的かあるいは弾力 的かという点において二つのモデルは異なっているわけである。

(36)

..

例えンダストリアル ・ モデルでは、 企業は、 製品市場の状況の変化に 対応してその従業員数を自由に減らすことができるが、 その反面、 このモデル 特有の狭い職務分類のために、 技術の変化やその他の圧力に直面 し た時に仕事 組織を変更することが困難である43) 。

他方、 サラリード ・ モデルは、 職務の割り当てや職務定義において非常に大 きな柔軟性を提供するが、 その反面、 企業は容易に従業員数を減らすととがで きない441 0

結論を先に言うと、 オスターマンは、 今までインダストリアル・ モデルを適 用されてきたブルー ・ カラー労働者にサラリード ・ モデルを適用すべきである と主張しているのである。 ごれは、 彼が「企業が直面している問題を、 内部労 働市場の代替的モデル(alternalive modelslの選択として提議するごとが有益

である46) Jと述べていることから考えても明らかである。

オスタンによれば、 現在 、 ストリル ・ デルに対していく か の圧力が存在している。 その中で最も重要なものは、 多品種少量生産に対応し た柔軟な生産工程である。 そして、 これが、 伝統的な職務分類システムを廃止 し、 インダストリル・ モデルを広い職務情造と暗黙の職務保障を備えたより 柔軟なサラリード ・ モデルに作り変えようとする圧力になっているというので

ある46)

ま た、 インダストリル ・ デルに対する第の圧力は、 労働者の長期失業 の増大である。 かといえスターマンの問題意識あるいは動機は、

とちらの長期失業の克服にあるように思われる471 0

まり、 オスンは、 ①企業の観点からすると、 サラリード モデル は、 新しい技術の生産性を最大限し、 変化の激し い競争上の環境に対する適 切な反応を可能にする、 柔軟性とコミットメントを提供 し 、 ②労働者の観点か らすると、 サラリード ・ モデルの促供する雇用保障は高い価値をもっ、 という 理由から、 ブルー ・ カラー労働者へのサラリード・ モデルの適用を主張 し てい るのである。

さらに、 オスターマンは企業レベルにおいて雇用保障を実現するのが困難な

7 9

(37)

場合は、 それを支援する公共政策の必要性を主張している。 具体的に言えば、

訓練プログラムのための基金、 経営・労働・政府の関係強化、 訓練および雇用 サービスのスタッフの強化などによって、 労働者の再展開を容易にしようとい

うものである48)

以上、 簡単にオスターマンの見解を見てきた。 労使関係システム的アプロー チをとるKKMと異なり、 オスターマンは内部労働市場の視点から分析を試み ているが、 アメリカ労使関係を取り巻く環境、 例えば市場や技術などの変動に 対応して、 アメリカ労使関係が、 とれまでの硬直的な特性を改め、 柔軟なシス テムへの指向を見せてきている点に関しては両者に共通性が見られる。 そして まさにこの点ζそ、 アメリカ労使関係の変容の方向性を示すものといえるであ

ろう。

(38)

J壬

1 ) Transformation, p. 53.

2) II.S.Farber, “The ExtenL of Unionization in the United States " , T.A.Kochan(ed.) ,Chal1enges and Choices Facing American Labor

(以下Challengeê) ,The MIT Press,1985,p.22.

3) Ibid., pp. 16 '"'-'22.

4) R. B. Freeman, “Why Are Unions Faring Poor1y in NLRB Representation E1eciions?" ,Challenges, p. 45.

5) Ibid., p. 62.

6) T. A. K1ein and E. D. Wanger, “The Lega1 Setting for the Emergence of Union Avoidance SLrategy" ,Challenges, p. 80.

1) Co11ective Bargaining, p. 45.

8 )ごの時期のアメリカ自動車産業の動向については、 拙稿fQWLの変質 ーアメリカ自動車産業を中心に一J [í経済論究(九州大学大学院) .!I 第71号、 1988年を参照されたい。

9)規制緩和については、 以下の文献を参照した。

仁田道夫「デ・ レギュレーション下のアメリカ労使関係(上)ーグレイハ ウンドストライキ 83年秋- J [í日本労働協会雑誌』第311号、 1985年。

向上「デ・ レギュレーション下のアメリカ労使関係(下) -航空業界の激 動 83'"'-'84年一J [í日本労働協会雑誌』第 312号、 1985年。

野尻俊明『規制改革と競争政策ーアメリカ運輸事業のディレギュレーショ ンー』白桃書房、 1984年。

10) 11. C. KaLz, “Col1ective Bargaining in the 1982 Bargaining Round"

Challenges, p.214.

11) Ibid.,p.214.

12) Ibid.,p.215.

13) Ibid., p. 215.現在ではかなり様子が変わってきている。 自動車産業を例に

8 1

(39)

とると、 アメリカに進出した日本の自動車メーカーの現地生産工場の中に は、 有力な生産拠点としてノンユニオンで操業を続けているものがある。

ホンダのオハイオ州 メアリーズピル工場、 日産のテネシー州スマーナ工 場、 トヨタのケンタッキー州ジョージタウン工場がそれであり、 1990年の 時点でこの3工場の生産量は、 アメリカ国内の自動車生産台数の9.1%を 占めるまでになっている。 日産自動車株式会社編『自動車産業ハンドブッ ク1991年版』紀伊国屋書店、 1991年、 254"-' 257ページ。

14) Ibid.,p.217.

15) James Che1ius aIld James Dworkin(eds.),Ref1ections on the

Transformation of Industrial Relation�,Scarecrow Press,1990,p.19.

16) Ibid. ,pp.19 "-'20.

17) Ibid.,pp.42 �43.

18) Ibid. ,p.29.

19) Ibid.,p.33.

20) TransformaLion, p. 27.

21) Che1ius and Dworkin,op.cit. ,pp.28 "-'29.

22) Ibid. ,pp.42 "-'43.

23) Ibid.,p.190.

24) Ibid., p.190.

25) P.Osterman,Employment Futures:Reorganization, Dislocation,and Pub1ic Polic�,Oxford UniversiLy Press,1988,p.62.

ごの他、 オスターマンについては以下の文献を参照した。

P. Osterman, “Choice of Employment Systems in Internal Labor Markets .. ,1ndusLrial Relation�,Vol.26,No.1,1987.

P.OsLerman and T.A.Kochan, “Employment Security and Employment Policy:An Assesment of the Issues .. ,K.Abraham and R.McKersie (eds. ) , New Developments i(1 the Labor Market:Toward A New

Institutional Paradigm,The MIT Press,1990.

8 2

(40)

26) Ibid., p. 62.

27) Ibid. ,pp.62 �63.

28) Ibid.,p.63.

29) Ibid., p. 63.

30) Ibid.,p.64.

31) Ibid., p. 64.

32) Ibid., p. 64.

33) Ibid., p. 64.

34) Ibid., p. 64.

35) Ibid., p. 64.

36) Ibid. ,pp.64 �65.

37) lbid., p. 65.

38) Ibid. ,p.65.

39) Ibid., p. 65.

40) Ibid., p. 66.

41) Ibid. ,pp.66 �67.

42) Ibid., p. 67.

43) Ibid. ,p.67.

44) Ibid. ,p.67.

45) Ibid., p. 63.

46) Ibid. ,p.68.

47) S.N.Ilouseman, “ßook Review:Employment Futures:Reorganization,

Dislocation,and Public Policy >> ,1ndustrial and Labor Relations h己主!,Vol.43,No.l,1989,p.150.

48) Ibid. ,pp.90 �91. オスターマンは、 サラリード ・ モデルにおける雇用保 障の根拠として職務分類と職務定義、 および人員配置の柔軟性だけをあげ てい る。 しかし、 フ寸ルクスによると非組合大企業は雇用保障を実現する ために、 新規採用の凍結、 労働力の自然、減耗、 臨時従業員や元従業員のあ

8 3

(41)

る特定の時期だけの使用、 在庫のっくりだめ、 下請け業者の利用、 自発的 な欠勤、 休暇の積み上げ、 特別早期退職プログラム、 配置転換、司l線、 ワ ークシェアリングなど多くの妓法を実施しているのである。

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