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Vol.65 , No.1(2016)038梶原 三恵子「古代インドにおける授与の諸儀礼と水」

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(1)

古代インドにおける授与の諸儀礼と水

梶 原 三 恵 子

古代インドにおいて水が誓約・契約と深く関わっていたことはかねてから論じ られている1).水が関与する誓約・契約には,誓い・呪詛・贈与・縁組・裁判等 が含まれる(阪本(後藤)2008: 57).本稿では授与(贈与・縁組等)の諸儀礼と水の 関わりを論じる.有名なのは,仏教資料(文献・美術)に一度ならず現れる「水瓶 を持ち,手に水を灌いで与える」場面であろう.ブラフマニズム・ヒンドゥイズ ム文献においては,この描写に対応するものに,『マヌ法典』(Manu)の「娘の授 与」に関する偈(Manu 3.35;後掲)がある.ただし Manu は水を「手に灌ぐ」とは 述べていない.授与の諸儀礼で水はどう用いられたのか.以下にグリヒヤスート ラ(GS),ダルマ文献,仏教文献を縦覧し,この点を検討する.

1.グリヒヤスートラにおける「授与」と「水」:(1)結婚式

ヴェーダ文献において,授与の諸儀礼に水が介在する場面が確認できるのは GS 以降である.GS で授与と水が関連する最大の儀礼は結婚式である.結婚に花嫁 を与える儀礼という面があることは R̥V 以来示唆される2).「娘の授与の儀 kanyādāna」は後のヒンドゥー社会で結婚式の中心的位置を占めるようになるが3) GS の段階ではまだ祭文も作法も一定していない4).以下の三様がみられる. (1)「与える」「受け取る」という語がスートラ本文ないし祭文に現れるという 形の言及(PGS 1.4.15: pitrā prattām ādāya gr̥hītvā niṣkrāmati「[娘の]父によって与えられた

[娘]を取り,つかんで,[新郎は]歩み出る」等5).水は言及されない. (2)KāṭhGS,MGS,VārGS は花嫁とその授与形式を,ブラフマンに属するもの (brahmadeyā,brāhma)と対価によるもの(śulkadeyā,śaulka)に分類する6).前者では 娘の父と求婚者7)が「私は与える」「私は受け取る」と会話し,後者では金きんを交 換する8).祭場には水と金を入れた壺を据える(KāṭhGS,MGS).授受が成立する と,水を娘に灌ぐ(MGS)9)か,水へのマントラを唱えて壺に触れる(KāṭhGS)10)

ghūmīu / pūttu leu pīhariṃ gaī gaṃga tīṇa avamāni dūmīya / vāta suṇī pāchau valai jāṃ navi dekhai gaṃga / cauvīsaṃ vāsaṃ rahai jimu raihīṇu aṇaṃgu // 1–23   6) carcarīrāsakaprakhye prabandhe prākṛte kila / vṛttipravṛttiṃ nādhatte prāyaḥ ko ’pi vicakṣaṇaḥ // 1 kintu kvacit kvacit kiñcad upadeśarasāyane / padaṃ durbodham ity eṣa nyāyo vyākhyāpariśramaḥ // 2 atra paddhaṭikābandhe mātrāḥ ṣodaśa pādagāḥ / ayaṃ sarveṣu rāgeṣu gīyate gītikovidaiḥ // 3    7) uciya thutti thuyapāḍha paḍhijjahiṃ / je siddhaṃtihiṃ sahu saṃdhijjahiṃ tālārāsu vi diṃti na rayaṇahiṃ / divasi vi lauḍārasu sahuṃ parisihiṃ // 36 dhammiya nāḍaya para naccijjahiṃ / bharahasagaranikkhamaṇa kahijjahiṃ cakkavaṭṭibalarāyaha cariyaiṃ / naccivi aṃti huṃti pavvaiyaiṃ // 37   

〈略号〉

BBR Bharateśvara Bāhubalirāsa. Ed. Satīś Ḍanāk. Ahmedabad: Adarsh Prakashan, 2009. ChA Chando’nuśāsana. Ed. Hari Damodar Velankar. Bombay: Bharatiya Vidya Bhavan, 1961. KK Kuvalayamālākahā. Ed. A. N. Upadhye. 2 vols. Bombay: Bharatiya Vidya Bhavan, 1959–

1970.

PPCR Paṃcapaṇdavacaritarāsu. In Gurjararāsāvalī, ed. B. K. Thakore, M. D. Desai, and M. C. Modi, 1–34. Baroda: Oriental Institute, 1956.

RR Revantagirirāsa. In Prāchīna Gurjara-Kāvyasangraha, ed. C. D. Dalal, 1–7. Baroda: Central Library, 1920.

SCh Svayambhūchanda. Ed. Hari Damodar Velankar. Jodhpur: Rajasthan Oriental Research Institute, 1962.

URR Upadeśarasāyanarāsa. In Three Apabhtraṁśa Works of Jinadattasūri, ed. Lalchandra Bhagwandas Gandhi, 28–65. Baroda: Oriental Institute, 1927.

〈参考文献〉

Bhayani, Harivallabh Chunilal. 1972. “On Some Specimens of Carcarī.” Sambodhi 1: 15–27. Shah, Parul. 1983. “The Rāsa-Dance of Gujarāta.” PhD diss., Maharaja Sayajirao Varoda

Universiy.

山畑倫志 2012「初期ラーソー文献の由来について」『印仏研』61 (1): 308–313.

(平成 28 年度科学研究費補助金若手 B[課題番号:16K16696]による研究成果の一部) 〈キーワード〉 ラーソー,ジャイナ教文学,アパブランシャ語,グジャラート語

(2)

を入門者の両掌に灌ぎこむと規定する18).師弟関係を水の流れで繫ぐという誓約 と,入門者を知識で「満たす」ことを象徴するとみられる.知識の授与も意識さ れていた可能性がある.ただし知識は師から弟子へ移行するのではなく,弟子を 満たした後も師の中に残るから19),通常の授与(譲渡)とはやや異なる20)

3.グリヒヤスートラにおける「授与」と「水」:(3)祖霊儀礼

祖霊儀礼にバラモンを招き,特定の種類の水を「水を先として」与えるという 規定が 2 学派の GS にみられる.GGS は Anvaṣṭakya 祭にバラモンたちを招き,祖 霊(父,祖父,曽祖父)の名を呼んでゴマ水を「水を先として」与えるとする:

GGS 4.2.35: udakapūrvaṃ tilodakaṃ dadāti pitur nāma gr̥hītvāsāv etat te tilodakaṃ ye cātra tvānu yāṁś ca tvam anu tasmai te svadheti「水を先としてゴマ水を与える.[まず]父の名を 呼び,『某よ,これは君のゴマ水である,そしてここで君についてくる者たち(子孫) と,君がついていく者たち(先祖)の21).そのような君に,スヴァダー』と[言って]」22) ĀśvGS 4.7.13 は Śrāddha 祭にバラモンたちを招き,三代の祖霊の名を呼んで賓客 接待の水(arghya)を「水を先として(appūrva-)」与えると規定する. 「水を先として」とは,先に普通の水を献じてから,ゴマ水や arghya 水を献じ ることと考えられる.通常,ゴマ水や arghya 水は受け取る者の手に与えるとされ るから23),それらに先立つ水も手に与える(灌ぐ)とみるのが自然である.

4.ダルマ文献における「授与」と「水」

ダルマ文献ではさらにさまざまな授与が「水を先として」与えるといわれる.

ĀpDhS 2.4.9.8: sarvāṇi udakapūrvāṇi dānāni「すべての施与は水を先とする」.

GautDhS 1.5.16–17 (5.18–19): svastivācya bhikṣādānam appūrvam / dadātiṣu caivaṃ dharmyeṣu 「[家長による]乞食物の施与は吉祥の言葉の後,水を先とする.ダルマにかなう[他の] 施与の場合も同様である」. ほかに Manu,『実利論』,叙事詩等で,養子や,客人への食物等を「水を先とし て / 水によって」与えることが,toyapūrva-,adbhir dā 等の表現で述べられる24)

5.仏教文献における「授与」と「水」:(1)寄進・布施

仏教文献の説話には,寄進・布施の際に水瓶を持つと描写するものがある25)

Vinaya I 39: atha kho rājā māgadho seniyo bimbisāro sovaṇṇamayaṃ bhiṅkāraṃ gahetvā bhagavato oṇojesi etāhaṃ bhante veḷuvanaṃ uyyānaṃ buddhapamukhassa bhikkhusaṅghassa MGS 1.8.3–11: . . . kāṃsyam akṣatodakena pūrayitvāvidhavāsmai prayacchati /3/ tatra hiraṇyam

/4/ . . . dadāmi pratigr̥hṇāmīti trir brahmadeyāpitā11) bhrātā vā dadyāt /6/ sahiraṇyān añjalīn

āvapati dhanāya tveti dātā putrebhyas tveti pratigrahītā tasmai pratyāvapati /7/ catur vyatihr̥tya dadāti /8/ . . . / khe rathasya . . . iti tenodakāṃsyena kanyām abhiṣiñcet /11//「…壺を殻付きの[穀 粒]と水で満たし,未亡人でない女性が彼(娘の父)に渡す./3/ そこ(壺の中)には金 がある./4/ …『私は与える』『私は受け取る』と三度[父と求婚者はやりとりする]. brahmadeyā の父か兄弟が与えるべきである./6/[śaulka 形式の場合は]与える者12)は両 掌一杯の金などを[相手の掌に]投げ入れる,『財産のために君を』と.『子孫たちのた めに君を』と,受け取る者は彼に投げ入れ返す./7/ 四回[金を]交換してから,[父は娘 を]与える./8/ … / …『戦車の轂穴に…』(R̥V 8.91.7)と[唱えて],その壺の水を娘に 灌ぐべきである /11/」. (3)娘の授与を「水を先として与える」「水によって与える」と表現する GS が ある.注目すべきは,これらの表現が特定の結婚形式に適用される点である. ĀśvGS は,娘を飾り「水を先として」与える形式を brāhma 婚とよぶ13)

ĀśvGS 1.6.1: alaṃkr̥tya kanyām udakapūrvāṃ dadyād. eṣa brāhmo vivāhaḥ. tasyāṃ jāto dvādaśāvarān dvādaśa parān punāty ubhayataḥ「娘を飾り立てて,水を先として[父は]与え るべきである.これが brāhma 婚である.[こうして結婚した]娘に生まれる息子は,両 家の 12 代の子孫および 12 代の祖先を清める」. ここに現れる udakapūrva-「水を先として」は,GS 以降,授与の際に水を与える ことを示す最も一般的なサンスクリット語となっていく.brāhma 婚をはじめとす るバラモン階級の娘の授与(結婚)に水を用いることは,比較的新しい GS のほ か,ダルマ文献,叙事詩にも言及される14).次の一節は特に有名である:

Manu 3.35: adbhir eva dvijāgryāṇāṃ kanyādānaṃ praśasyate / itareṣāṃ tu varṇānām itaretara-kāmyayā //「再生族の中の最上の者(バラモン)たちには,水のみによる娘の授与が良し

とされる.他の階級の[娘の授与]は相互の意志による」15)

約三分の一の GS が上記(2)(3)のように娘の授与の文脈で水に言及するが,

手に水を灌ぐと指示するものはない16).一部の補遺文献のみが灌手を示唆する.

ĀśvGP 1.22 (ĀnĀS 105, 159: 26–27): varasya pāṇau hiraṇyam upadhāya kalaśodakadhārām āsiñce[t]「[娘の父は]求婚者の掌に金を載せて,水壺から水の流れを灌ぎこむべきであ る」17)

2.グリヒヤスートラにおける「授与」と「水」:(2)入門式

(3)

を入門者の両掌に灌ぎこむと規定する18).師弟関係を水の流れで繫ぐという誓約 と,入門者を知識で「満たす」ことを象徴するとみられる.知識の授与も意識さ れていた可能性がある.ただし知識は師から弟子へ移行するのではなく,弟子を 満たした後も師の中に残るから19),通常の授与(譲渡)とはやや異なる20)

3.グリヒヤスートラにおける「授与」と「水」:(3)祖霊儀礼

祖霊儀礼にバラモンを招き,特定の種類の水を「水を先として」与えるという 規定が 2 学派の GS にみられる.GGS は Anvaṣṭakya 祭にバラモンたちを招き,祖 霊(父,祖父,曽祖父)の名を呼んでゴマ水を「水を先として」与えるとする:

GGS 4.2.35: udakapūrvaṃ tilodakaṃ dadāti pitur nāma gr̥hītvāsāv etat te tilodakaṃ ye cātra tvānu yāṁś ca tvam anu tasmai te svadheti「水を先としてゴマ水を与える.[まず]父の名を 呼び,『某よ,これは君のゴマ水である,そしてここで君についてくる者たち(子孫) と,君がついていく者たち(先祖)の21).そのような君に,スヴァダー』と[言って]」22) ĀśvGS 4.7.13 は Śrāddha 祭にバラモンたちを招き,三代の祖霊の名を呼んで賓客 接待の水(arghya)を「水を先として(appūrva-)」与えると規定する. 「水を先として」とは,先に普通の水を献じてから,ゴマ水や arghya 水を献じ ることと考えられる.通常,ゴマ水や arghya 水は受け取る者の手に与えるとされ るから23),それらに先立つ水も手に与える(灌ぐ)とみるのが自然である.

4.ダルマ文献における「授与」と「水」

ダルマ文献ではさらにさまざまな授与が「水を先として」与えるといわれる.

ĀpDhS 2.4.9.8: sarvāṇi udakapūrvāṇi dānāni「すべての施与は水を先とする」.

GautDhS 1.5.16–17 (5.18–19): svastivācya bhikṣādānam appūrvam / dadātiṣu caivaṃ dharmyeṣu 「[家長による]乞食物の施与は吉祥の言葉の後,水を先とする.ダルマにかなう[他の] 施与の場合も同様である」. ほかに Manu,『実利論』,叙事詩等で,養子や,客人への食物等を「水を先とし て / 水によって」与えることが,toyapūrva-,adbhir dā 等の表現で述べられる24)

5.仏教文献における「授与」と「水」:(1)寄進・布施

仏教文献の説話には,寄進・布施の際に水瓶を持つと描写するものがある25)

Vinaya I 39: atha kho rājā māgadho seniyo bimbisāro sovaṇṇamayaṃ bhiṅkāraṃ gahetvā bhagavato oṇojesi etāhaṃ bhante veḷuvanaṃ uyyānaṃ buddhapamukhassa bhikkhusaṅghassa MGS 1.8.3–11: . . . kāṃsyam akṣatodakena pūrayitvāvidhavāsmai prayacchati /3/ tatra hiraṇyam

/4/ . . . dadāmi pratigr̥hṇāmīti trir brahmadeyāpitā11) bhrātā vā dadyāt /6/ sahiraṇyān añjalīn

āvapati dhanāya tveti dātā putrebhyas tveti pratigrahītā tasmai pratyāvapati /7/ catur vyatihr̥tya dadāti /8/ . . . / khe rathasya . . . iti tenodakāṃsyena kanyām abhiṣiñcet /11//「…壺を殻付きの[穀 粒]と水で満たし,未亡人でない女性が彼(娘の父)に渡す./3/ そこ(壺の中)には金 がある./4/ …『私は与える』『私は受け取る』と三度[父と求婚者はやりとりする]. brahmadeyā の父か兄弟が与えるべきである./6/[śaulka 形式の場合は]与える者12)は両 掌一杯の金などを[相手の掌に]投げ入れる,『財産のために君を』と.『子孫たちのた めに君を』と,受け取る者は彼に投げ入れ返す./7/ 四回[金を]交換してから,[父は娘 を]与える./8/ … / …『戦車の轂穴に…』(R̥V 8.91.7)と[唱えて],その壺の水を娘に 灌ぐべきである /11/」. (3)娘の授与を「水を先として与える」「水によって与える」と表現する GS が ある.注目すべきは,これらの表現が特定の結婚形式に適用される点である. ĀśvGS は,娘を飾り「水を先として」与える形式を brāhma 婚とよぶ13)

ĀśvGS 1.6.1: alaṃkr̥tya kanyām udakapūrvāṃ dadyād. eṣa brāhmo vivāhaḥ. tasyāṃ jāto dvādaśāvarān dvādaśa parān punāty ubhayataḥ「娘を飾り立てて,水を先として[父は]与え るべきである.これが brāhma 婚である.[こうして結婚した]娘に生まれる息子は,両 家の 12 代の子孫および 12 代の祖先を清める」. ここに現れる udakapūrva-「水を先として」は,GS 以降,授与の際に水を与える ことを示す最も一般的なサンスクリット語となっていく.brāhma 婚をはじめとす るバラモン階級の娘の授与(結婚)に水を用いることは,比較的新しい GS のほ か,ダルマ文献,叙事詩にも言及される14).次の一節は特に有名である:

Manu 3.35: adbhir eva dvijāgryāṇāṃ kanyādānaṃ praśasyate / itareṣāṃ tu varṇānām itaretara-kāmyayā //「再生族の中の最上の者(バラモン)たちには,水のみによる娘の授与が良し

とされる.他の階級の[娘の授与]は相互の意志による」15)

約三分の一の GS が上記(2)(3)のように娘の授与の文脈で水に言及するが,

手に水を灌ぐと指示するものはない16).一部の補遺文献のみが灌手を示唆する.

ĀśvGP 1.22 (ĀnĀS 105, 159: 26–27): varasya pāṇau hiraṇyam upadhāya kalaśodakadhārām āsiñce[t]「[娘の父は]求婚者の掌に金を載せて,水壺から水の流れを灌ぎこむべきであ る」17)

2.グリヒヤスートラにおける「授与」と「水」:(2)入門式

(4)

*本稿には藤井正人,河﨑豊 両先生の懇切な助言を賜った.記して謝意を表す.  1)Cf. Oldenberg 1917: 519; Jolly 1896: 112–113; Hopkins 1932: 323–326; Lüders 1959: 668–

669; Gotō 2000: 159–160; 後藤 2008: 91–92; 阪本(後藤)2008; etc.

 2)R̥V 10.85.36d(結婚讃歌): máhyaṃ tvādur gā́rhapatyāya devā́ḥ 「神々は家長たること のために私に君を与えた」;cf. R̥V 10.85.41.  3)現代インドでは主に娘の父が新郎の手に水を灌ぐ.Cf. Kajihara, forthcoming.  4)辻 1975/1976: 306 参照.「新婦を新郎の手に渡す重要な儀式であるにもかかわらず, これを規定する GS は少い」(辻 1975/1976: 306)とはいえ,約半数の GS が何らかの形 で娘の授与に触れており,辻もそれらの個所を列挙している(ただし説明を省いてい る).本稿では以下に要点を述べる.詳細は Kajihara, forthcoming 参照.

 5)Cf. KauṣGS 1.8.13: ko ’dāt kasmā adāt—iti kanyām; BaudhGS 1.1.16–17. Cf. also MS 1.9.4: 133.13–135.2(pratigrahá 祭文);Oldenberg 1878: 128; 1886: 34–35.  6)KāṭhGS 15.1–5; 16.1–5; MGS 1.7.11–12; 1.8.1–11; VārGS 10.11–18.  7)花嫁を選び受け取る求婚者(vara)は新郎のほか彼の父か親族の場合がある.  8)vy-ati-hr̥(KāṭhGS 16.2; MGS 1.8.8).金は本来は対価・婚資(śulka)として娘の父に 与えられたとみられる.婚資の受領は非難されるが(BaudhDhS 1.11.21.2–3; Manu 3.51– 53; 9.98–100; etc.),一部で行われていた形跡が随所に窺える(MBh 5.113.21; cf. VāsDhS 1.35–37; Manu 8.204; 9.97; cf. 3.54).辻 1975/1976: 294–295 参照.  9)abhi-ṣic. MGS 1.8.11(下掲)と同じ祭文による花嫁の灌頂は VārGS 13.5–14.1 にも規 定されるが,後者は MGS とは異なり娘の授受(VārGS 10.11–18)の文脈ではない. 10)辻 1975/1976: 306 は,MGS と KāṭhGS とは「最後に新婦に灌水することを規定して いる」と述べるが,KāṭhGS には灌水の規定はない.壺に触れる儀については,cf. ŚāṅkhGS 1.6.2–6; KauṣGS 1.2.2–3(結婚に先立つ嫁選びの際に,男子側親族に花や水壺 udakumbha 等が与えられ,縁談が成立すると親族たちが金や花で満ちた器 pūrṇapātrī に 触れる.Lüders 1959: 668 はその器に水も満ちていたと推論している).

11) Caland 1897: 131, n. 3 は *brahmadeyāṃ pitā と読むことを提案している.

12)この「与える者」は金を与える求婚者を,次の「受け取る者」はそれを受け取る娘 の父をさす可能性がある.注 8 参照.Cf. Caland 1897: 132; Dresden 1941: 30. 13)複数の結婚形式の列挙は一部の GS から現れ,ダルマ文献で一般的になる.数,名 称,順序は文献により異なるが,ひろくみられるものに brāhma,daiva,prājāpatya, ārṣa,gāndharva,āsura,paiśāca,rākṣasa の 8 種がある(各々の定義は ĀśvGS 1.6.1–8; Manu 3.20–34 等を参照).前述の KāṭhGS,MGS,VārGS が規定する 2 種も参照. 14)VaikhGS 3.1: toyapradānapūrvakāḥ śastā brāhmaṇasya「水の授与を先とする[brāhma 婚

等の 4 形式]がバラモンに認められる」;3.2: udakena tāṃ dadyāt. tāṃ prajāpatiḥ striyām ity udakena harate「[父は]水によって彼女を与えるべきである.彼女を『プラジャー パティは女に』(TB 2.4.6.5–7)と[言って求婚者は]水によって取る」;ĀgGS 1.6.1: adbhir dattāṃ pratigr̥hṇāti「水によって与えられた[彼女を]受け取る」;VāsDhS 1.30 (udakapūrvaṃ dā);17.72(adbhir dā);MBh 13.44.3, 54(adbhir . . . pra-dā);etc. dammīti「そしてマガダの王セーニヤ・ビンビサーラは金の水瓶をつかんで世尊の[体の

一部(おそらく手)を]洗わせた26),『私は,御身よ,この Veḷuvana 荘園を,仏陀を先

頭とする比丘僧伽に施与します』と」.

一部の Jātaka,注釈類,漢訳仏典には「手に水を灌ぐ」という描写も現れる.

Jātaka I 85 (Nidānakathā): suvaṇṇabhiṃkārena . . . udakaṃ ādāya veḷuvanuyyānaṃ pariccajanto dasabalassa hatthe udakaṃ pātesi「金の水瓶で … 水を取って,Veḷuvana 荘園を施与しよう

と,十の力をもつ者(仏陀)の手に水を流し込んだ」27)

6.仏教文献における「授与」と「水」:(2)結婚

仏教文献にも水を用いる結婚儀礼への言及がみられる.描写は二種にわかれる.

(1)説話類には上述の布施の場面に近い表現の描写がみられる28)

Aṅguttara-Nikāya IV 210: atha khvāhaṃ bhante taṃ purisaṃ pakkosāpetvā vāmena hatthena pajāpatiṃ gahetvā dakkhiṇena hatthena bhiṅgāraṃ gahetva tassa purisassa oṇojesiṃ「そして御身 よ,私は[離縁した妻が望んだ]その男を呼び出し,左手で妻をつかみ,右手で水瓶を

つかんで,その男の[体の一部(おそらく手)を]洗わせた」29)

(2)律典は出家比丘が男女の媒介を行うことを禁じ(媒嫁戒),その文脈で結婚

の形態や妻の種類を列挙する30).その中に水が介在する結婚による妻が含まれ

る.この文脈での水の用法には,布施の説話類とは異なる独自の描写がみられる:

Vinaya III 139–140: dasa bhariyāyo . . . odapattakinī nāma udakapattaṃ āmasitvā vāseti 「妻には

十種ある.…『水の器に属する[妻]』とは水の器に触れてから住ませるものをいう」31)

7.むすび

授与の諸儀礼における水の用法は,本来は儀礼や学派によってある程度異なっ たとみられる.ただし,GS の新しい部分(8 種の結婚への言及や GS 末尾の祖霊儀礼) 以降,水が授与される物(人)を先導することを示す表現が定着していく(「水を 先として/水によって与える」).授与物を先導する水は,それが与えられる場所,す なわち受け取る者の手に灌がれる形に統一されていったと推測される. 仏教文献も水を伴う授与に言及する.説話類では,布施・寄進一般と,結婚に おける娘の授与は,「水瓶を持って」など共通の定型的表現で語られる.一方,律 典の媒嫁戒の文脈では,水を介する結婚の描写は必ずしも定型的表現によってい ない.一部の GS が保存しているような,さまざまな形態の,水による授与儀礼 の痕跡を示している可能性がある.

(5)

*本稿には藤井正人,河﨑豊 両先生の懇切な助言を賜った.記して謝意を表す.  1)Cf. Oldenberg 1917: 519; Jolly 1896: 112–113; Hopkins 1932: 323–326; Lüders 1959: 668–

669; Gotō 2000: 159–160; 後藤 2008: 91–92; 阪本(後藤)2008; etc.

 2)R̥V 10.85.36d(結婚讃歌): máhyaṃ tvādur gā́rhapatyāya devā́ḥ 「神々は家長たること のために私に君を与えた」;cf. R̥V 10.85.41.  3)現代インドでは主に娘の父が新郎の手に水を灌ぐ.Cf. Kajihara, forthcoming.  4)辻 1975/1976: 306 参照.「新婦を新郎の手に渡す重要な儀式であるにもかかわらず, これを規定する GS は少い」(辻 1975/1976: 306)とはいえ,約半数の GS が何らかの形 で娘の授与に触れており,辻もそれらの個所を列挙している(ただし説明を省いてい る).本稿では以下に要点を述べる.詳細は Kajihara, forthcoming 参照.

 5)Cf. KauṣGS 1.8.13: ko ’dāt kasmā adāt—iti kanyām; BaudhGS 1.1.16–17. Cf. also MS 1.9.4: 133.13–135.2(pratigrahá 祭文);Oldenberg 1878: 128; 1886: 34–35.  6)KāṭhGS 15.1–5; 16.1–5; MGS 1.7.11–12; 1.8.1–11; VārGS 10.11–18.  7)花嫁を選び受け取る求婚者(vara)は新郎のほか彼の父か親族の場合がある.  8)vy-ati-hr̥(KāṭhGS 16.2; MGS 1.8.8).金は本来は対価・婚資(śulka)として娘の父に 与えられたとみられる.婚資の受領は非難されるが(BaudhDhS 1.11.21.2–3; Manu 3.51– 53; 9.98–100; etc.),一部で行われていた形跡が随所に窺える(MBh 5.113.21; cf. VāsDhS 1.35–37; Manu 8.204; 9.97; cf. 3.54).辻 1975/1976: 294–295 参照.  9)abhi-ṣic. MGS 1.8.11(下掲)と同じ祭文による花嫁の灌頂は VārGS 13.5–14.1 にも規 定されるが,後者は MGS とは異なり娘の授受(VārGS 10.11–18)の文脈ではない. 10)辻 1975/1976: 306 は,MGS と KāṭhGS とは「最後に新婦に灌水することを規定して いる」と述べるが,KāṭhGS には灌水の規定はない.壺に触れる儀については,cf. ŚāṅkhGS 1.6.2–6; KauṣGS 1.2.2–3(結婚に先立つ嫁選びの際に,男子側親族に花や水壺 udakumbha 等が与えられ,縁談が成立すると親族たちが金や花で満ちた器 pūrṇapātrī に 触れる.Lüders 1959: 668 はその器に水も満ちていたと推論している).

11) Caland 1897: 131, n. 3 は *brahmadeyāṃ pitā と読むことを提案している.

12)この「与える者」は金を与える求婚者を,次の「受け取る者」はそれを受け取る娘 の父をさす可能性がある.注 8 参照.Cf. Caland 1897: 132; Dresden 1941: 30. 13)複数の結婚形式の列挙は一部の GS から現れ,ダルマ文献で一般的になる.数,名 称,順序は文献により異なるが,ひろくみられるものに brāhma,daiva,prājāpatya, ārṣa,gāndharva,āsura,paiśāca,rākṣasa の 8 種がある(各々の定義は ĀśvGS 1.6.1–8; Manu 3.20–34 等を参照).前述の KāṭhGS,MGS,VārGS が規定する 2 種も参照. 14)VaikhGS 3.1: toyapradānapūrvakāḥ śastā brāhmaṇasya「水の授与を先とする[brāhma 婚

等の 4 形式]がバラモンに認められる」;3.2: udakena tāṃ dadyāt. tāṃ prajāpatiḥ striyām ity udakena harate「[父は]水によって彼女を与えるべきである.彼女を『プラジャー パティは女に』(TB 2.4.6.5–7)と[言って求婚者は]水によって取る」;ĀgGS 1.6.1: adbhir dattāṃ pratigr̥hṇāti「水によって与えられた[彼女を]受け取る」;VāsDhS 1.30 (udakapūrvaṃ dā);17.72(adbhir dā);MBh 13.44.3, 54(adbhir . . . pra-dā);etc. dammīti「そしてマガダの王セーニヤ・ビンビサーラは金の水瓶をつかんで世尊の[体の

一部(おそらく手)を]洗わせた26),『私は,御身よ,この Veḷuvana 荘園を,仏陀を先

頭とする比丘僧伽に施与します』と」.

一部の Jātaka,注釈類,漢訳仏典には「手に水を灌ぐ」という描写も現れる.

Jātaka I 85 (Nidānakathā): suvaṇṇabhiṃkārena . . . udakaṃ ādāya veḷuvanuyyānaṃ pariccajanto dasabalassa hatthe udakaṃ pātesi「金の水瓶で … 水を取って,Veḷuvana 荘園を施与しよう

と,十の力をもつ者(仏陀)の手に水を流し込んだ」27)

6.仏教文献における「授与」と「水」:(2)結婚

仏教文献にも水を用いる結婚儀礼への言及がみられる.描写は二種にわかれる.

(1)説話類には上述の布施の場面に近い表現の描写がみられる28)

Aṅguttara-Nikāya IV 210: atha khvāhaṃ bhante taṃ purisaṃ pakkosāpetvā vāmena hatthena pajāpatiṃ gahetvā dakkhiṇena hatthena bhiṅgāraṃ gahetva tassa purisassa oṇojesiṃ「そして御身 よ,私は[離縁した妻が望んだ]その男を呼び出し,左手で妻をつかみ,右手で水瓶を

つかんで,その男の[体の一部(おそらく手)を]洗わせた」29)

(2)律典は出家比丘が男女の媒介を行うことを禁じ(媒嫁戒),その文脈で結婚

の形態や妻の種類を列挙する30).その中に水が介在する結婚による妻が含まれ

る.この文脈での水の用法には,布施の説話類とは異なる独自の描写がみられる:

Vinaya III 139–140: dasa bhariyāyo . . . odapattakinī nāma udakapattaṃ āmasitvā vāseti 「妻には

十種ある.…『水の器に属する[妻]』とは水の器に触れてから住ませるものをいう」31)

7.むすび

授与の諸儀礼における水の用法は,本来は儀礼や学派によってある程度異なっ たとみられる.ただし,GS の新しい部分(8 種の結婚への言及や GS 末尾の祖霊儀礼) 以降,水が授与される物(人)を先導することを示す表現が定着していく(「水を 先として/水によって与える」).授与物を先導する水は,それが与えられる場所,す なわち受け取る者の手に灌がれる形に統一されていったと推測される. 仏教文献も水を伴う授与に言及する.説話類では,布施・寄進一般と,結婚に おける娘の授与は,「水瓶を持って」など共通の定型的表現で語られる.一方,律 典の媒嫁戒の文脈では,水を介する結婚の描写は必ずしも定型的表現によってい ない.一部の GS が保存しているような,さまざまな形態の,水による授与儀礼 の痕跡を示している可能性がある.

(6)

29)See also AN IV 214. 離縁した妻を再婚させる場面.Cf.『郁伽長者経』T 1: 480a. 30)平川 1993: 421–436 参照.妻の種類については AN III 226–229 も参照.

31)Cf. Samantapāsādikā III 555 on Vinaya III 140: odapattakinī ti ubhinnaṃ ekissā udakapātiyā hatthe otāretvā idaṃ udakaṃ viya saṃsaṭṭhā abhejjā hothā ti vatvā pariggahitāya vohāranāmam etaṃ「odapattakinī とは,両者の手をひとつの水の器に入れさせ,『この水のように結び つき不可分なものたちとなれ』と言って受け取られた[妻]の慣習的名称である」; Cariyāpiṭaka 2.4.8 注釈(PTS 版 135–136):odapattakiyā ti udakapattaṃ āmasitvā gahita-bhariyā odapattikā nāma . . . sā pan’ assa brāhmaṇavivāhavasena mātāpitūhi sampaṭi-pāditā「odapattakiyā とは:水の器に触れてから受け取られた妻を odapattikā という.… バラモンの結婚の作法で父母によって与えられた[妻である]」(cf. 注 13–15);『十誦 律』(T 23: 18c):有七種婦.… 若人捉手以水灌掌与女作婦,是名水得;『根本説一切有 部毘奈耶』(T 23: 686b):有七種婦…水授婦者,謂不取財物女之父母以水彼女夫手中, 而告曰,我今此女与汝為妻,汝当善自防護勿令他人輒有欺犯,是名水授婦. 〈略号〉

ĀgGS = Āgniveśya-GS / ĀpDhS = Āpastamba-DhS / ĀśvGP = Āśvalāyana-Gr̥hya-Pariśiṣṭa. ĀnĀS 105 = in Āśvalāyanagr̥ hyasūtram, Ānandāśrama Sanskrit Series no. 105, 1936 / ĀśvGS = Āśvalāyana-GS / BaudhDhS = Baudhāyana-DhS / BhārGS = Bhāradvāja-GS / DhS = Dharmasūtra / GautDhS = Gautama-DhS / GGS = Gobhila-GS / GS = Gr̥hyasūtra / KāṭhGS = Kāṭhaka-GS / KauṣGS = Kauṣītaka-GS / KS = Kāṭhaka-Saṃhitā / Manu = Manu-Smr̥ti (Manu’s Code of Law, ed. Patrick Olivelle. Oxford: Oxford University Press, 2005) / MBh = Mahābhārata / MGS = Mānava-GS / MS = Maitrāyaṇī Saṃhitā / PGS = Pāraskara-GS / R̥V = R̥gveda / ŚāṅkhGS = Śāṅkhāyana-GS / Sn = Suttanipāta / Sv = The Gilgit Manuscript of the Saṅghabhedavastu, I, ed. Raniero Gnoli. Roma: Istituto italiano per il Medio ed Estremo Oriente, 1977 / T = 大正新脩大蔵経 / TB = Taittirīya-Brāhmaṇa / TS = Taittirīya-Saṃhitā / VaikhDhS, VaikhGS = Vaikhānasasmārtasūtram: Vaikhānasagṛhyasūtram and Vaikhānasadharmasūtram, ed. W. Caland. Calcutta: Asiatic Society of Bengal, 1927 / VārGS = Vārāha-GS / VāsDhS = Vāsiṣṭha-DhS / VS = Vājasaneyi-Saṃhitā / YājSm = Yājñavalkya-Smr̥ti 

〈参考文献〉

Aithal, K. P. 1963. “Āśvalāyanagṛhyapariśiṣṭa.” The Adyar Library Bulletin 27: 217–287. Caland, W[illem]. 1897. “Zur Exegese und Kritik der rituellen Sūtras III.” Zeitschrift der

Deutschen Morgenländischen Gesellschaft 51: 130–132.

―――, trans. 1929. Vaikhānasasmārtasūtram. Calcutta: Asiatic Society. Dresden, Mark Jan. 1941. Mānavagr̥ hyasūtra. Groningen: J. B. Wolters.

Gotō, Toshifumi. 2000. “Vasiṣṭha und Varuṇa in RV VII 88—Priesteramt des Vasiṣṭha und Suche nach seinem indoiranischen Hintergrund.” In Indoarisch, Iranisch und die Indogermanistik, ed. Bernhard Forssmann and Robert Plath, 147–161. Wiesbaden: Rechert Verlag.

15)Manu では,父が娘を与える形式(brāhma,daiva,ārṣa,prājāpatya,āsura)が水によ るとみられる.その他の形式(恋愛婚,強奪等)では娘の授与はない(3.27–34). 16)Oldenberg 1886: 166 は上掲 ĀśvGS 1.6.1 の udakapūrvām を “pouring out a libation of

water” と訳す.Caland 1929: 69 は上掲 VaikhGS 3.2 の udakena を “after having poured water into the hand of groom” と訳し,udakadhārāpurassaram「水の流れを先に行かせて」 という注釈を引用するが,手に灌ぐと訳す根拠は示していない. 17)Cf. Oldenberg 1886: 34;辻 1975/1976: 306. ĀśvGP(2 種有)については cf. Aithal 1963. 18)この儀礼行為は GS より前にはみられない.詳細は Kajihara 2014 参照. 19)Cf. Br̥had-Āraṇyaka-Upaniṣad 5.1.1; Thieme 2000: 382. 20)Cf. Kajihara 2014.「水を先として」等の表現は入門式にはみられない.BhārGS 1.15 (結婚式)では新郎の両掌から新婦の両掌へ水を灌ぎこむが,これは同派の入門式 (BhārGS 1.7)の引き写しである.新婦の父が新郎に灌がねば娘の授与にならない. 21)このマントラは多くのパラレルがある.E.g., TS 1.8.5.1b (Rājasūya, Pitr̥yajña); etc. 22)姉妹学派の Khādira-GS 3.5(Anvaṣṭakya)にはバラモンを招く規定はない. 23)Cf. ŚāṅkhGS 4.1.4 (Śrāddha): brāhmaṇānām pāṇiṣu ninayed 「[ゴマ水を]バラモンたち

の掌に灌ぐべきである」;VaikhGS 4.3 (Aṣṭakā): kare tilodakaṃ dattvā「手にゴマ水を与え て」;7.7 (Ekoddiṣṭa): pāṇau tilodakaṃ dattvā「掌にゴマ水を与えて」;7.8 (Sapiṇḍīkaraṇa); YājSm 1.231b (Śrāddha): hasteṣv arghyaṃ vinikṣipet「手に arghya を灌ぎ込むべきである」; ĀśvGS 1.24.13 (Madhuparka): arghyam añjalinā pratigr̥hya「arghya を両掌で受け取ってか ら」;cf. Āpastamba-GS 5.13.8; etc.

24)養子(Manu 9.168: adbhir dā; cf. 3.35; Kauṭilīya-Arthaśāstra 3.7.15);賓客への食物(MBh 13.107.89: toyapūrva-),etc.

25)Cf. 阪本(後藤)2008; 田辺 2013. 古い言及の例:Sn 455(偈の前の散文)≈ Saṃyutta-Nikāya I 167: vāmena hatthena havyasesaṃ gahetvā dakkhiṇena hatthena kamaṇḍaluṃ gahetvā yena bhagavā tenupasaṃkami「左手で[バラモンに施与すべき]供物の残りをつかみ, 右手で水壺をつかんで,世尊のいるところに近づいた」.

26)oṇojeti < ava-nij(caus.)「洗わせる」はパーリ聖典に 4 例(本箇所,AN IV2[oṇojesim,

下掲],Milindapañha 236.4–9[udakaṃ oṇojetvā]),いずれも授与の文脈で水瓶と共に用 いられる.AN IV 210(後掲)注釈:oṇojesin ti udakaṃ hatthe pātetvā adāsiṃ.

27)Cf.『四分律』(T 22: 798b):時瓶沙王,持金澡瓶水授如来令清浄…我今施如来;(T 22: 936c):捉金澡瓶授水与仏…今奉施世尊;Sv(Gnoli 1977: 166): sauvarṇaṃ bhr̥ṅgāraṃ gr̥hītvā . . . niryātayati;『根本説一切有部毘奈耶破僧事』(T 24: 138b):王取宝瓶灌世尊 掌,而白仏言,我毘婆迦蘭陀園奉施世尊,etc.

28)類例:Divyāvadāna 36: 522: tāṃ dārikāṃ sarvālaṃkāravibhūṣitāṃ kr̥tvā vāmena pāṇinā gr̥hītvā dakṣiṇena pāṇinā bhr̥ṅgārakam ādāya māṇavasya purataḥ sthitvā kathayati—imāṃ te ’haṃ māṇavaka duhitaram anuprayacchāmi bhāryārthāyeti「その(自分の)娘をあらゆる飾 りで荘厳し,[彼女を]左手でつかみ,右手で水瓶を取って,青年の前に立って言っ た,『この娘を,青年よ,私は君に妻として与えよう』と」;30: 460; Paramatthajotikā II 544;『仏本行経』(T 4: 63a):灌太子手,父母授女,為太子妃,etc.; cf. 田辺 2013; 濱本 2014.

(7)

29)See also AN IV 214. 離縁した妻を再婚させる場面.Cf.『郁伽長者経』T 1: 480a. 30)平川 1993: 421–436 参照.妻の種類については AN III 226–229 も参照.

31)Cf. Samantapāsādikā III 555 on Vinaya III 140: odapattakinī ti ubhinnaṃ ekissā udakapātiyā hatthe otāretvā idaṃ udakaṃ viya saṃsaṭṭhā abhejjā hothā ti vatvā pariggahitāya vohāranāmam etaṃ「odapattakinī とは,両者の手をひとつの水の器に入れさせ,『この水のように結び つき不可分なものたちとなれ』と言って受け取られた[妻]の慣習的名称である」; Cariyāpiṭaka 2.4.8 注釈(PTS 版 135–136):odapattakiyā ti udakapattaṃ āmasitvā gahita-bhariyā odapattikā nāma . . . sā pan’ assa brāhmaṇavivāhavasena mātāpitūhi sampaṭi-pāditā「odapattakiyā とは:水の器に触れてから受け取られた妻を odapattikā という.… バラモンの結婚の作法で父母によって与えられた[妻である]」(cf. 注 13–15);『十誦 律』(T 23: 18c):有七種婦.… 若人捉手以水灌掌与女作婦,是名水得;『根本説一切有 部毘奈耶』(T 23: 686b):有七種婦…水授婦者,謂不取財物女之父母以水彼女夫手中, 而告曰,我今此女与汝為妻,汝当善自防護勿令他人輒有欺犯,是名水授婦. 〈略号〉

ĀgGS = Āgniveśya-GS / ĀpDhS = Āpastamba-DhS / ĀśvGP = Āśvalāyana-Gr̥hya-Pariśiṣṭa. ĀnĀS 105 = in Āśvalāyanagr̥ hyasūtram, Ānandāśrama Sanskrit Series no. 105, 1936 / ĀśvGS = Āśvalāyana-GS / BaudhDhS = Baudhāyana-DhS / BhārGS = Bhāradvāja-GS / DhS = Dharmasūtra / GautDhS = Gautama-DhS / GGS = Gobhila-GS / GS = Gr̥hyasūtra / KāṭhGS = Kāṭhaka-GS / KauṣGS = Kauṣītaka-GS / KS = Kāṭhaka-Saṃhitā / Manu = Manu-Smr̥ti (Manu’s Code of Law, ed. Patrick Olivelle. Oxford: Oxford University Press, 2005) / MBh = Mahābhārata / MGS = Mānava-GS / MS = Maitrāyaṇī Saṃhitā / PGS = Pāraskara-GS / R̥V = R̥gveda / ŚāṅkhGS = Śāṅkhāyana-GS / Sn = Suttanipāta / Sv = The Gilgit Manuscript of the Saṅghabhedavastu, I, ed. Raniero Gnoli. Roma: Istituto italiano per il Medio ed Estremo Oriente, 1977 / T = 大正新脩大蔵経 / TB = Taittirīya-Brāhmaṇa / TS = Taittirīya-Saṃhitā / VaikhDhS, VaikhGS = Vaikhānasasmārtasūtram: Vaikhānasagṛhyasūtram and Vaikhānasadharmasūtram, ed. W. Caland. Calcutta: Asiatic Society of Bengal, 1927 / VārGS = Vārāha-GS / VāsDhS = Vāsiṣṭha-DhS / VS = Vājasaneyi-Saṃhitā / YājSm = Yājñavalkya-Smr̥ti 

〈参考文献〉

Aithal, K. P. 1963. “Āśvalāyanagṛhyapariśiṣṭa.” The Adyar Library Bulletin 27: 217–287. Caland, W[illem]. 1897. “Zur Exegese und Kritik der rituellen Sūtras III.” Zeitschrift der

Deutschen Morgenländischen Gesellschaft 51: 130–132.

―――, trans. 1929. Vaikhānasasmārtasūtram. Calcutta: Asiatic Society. Dresden, Mark Jan. 1941. Mānavagr̥ hyasūtra. Groningen: J. B. Wolters.

Gotō, Toshifumi. 2000. “Vasiṣṭha und Varuṇa in RV VII 88—Priesteramt des Vasiṣṭha und Suche nach seinem indoiranischen Hintergrund.” In Indoarisch, Iranisch und die Indogermanistik, ed. Bernhard Forssmann and Robert Plath, 147–161. Wiesbaden: Rechert Verlag.

15)Manu では,父が娘を与える形式(brāhma,daiva,ārṣa,prājāpatya,āsura)が水によ るとみられる.その他の形式(恋愛婚,強奪等)では娘の授与はない(3.27–34). 16)Oldenberg 1886: 166 は上掲 ĀśvGS 1.6.1 の udakapūrvām を “pouring out a libation of

water” と訳す.Caland 1929: 69 は上掲 VaikhGS 3.2 の udakena を “after having poured water into the hand of groom” と訳し,udakadhārāpurassaram「水の流れを先に行かせて」 という注釈を引用するが,手に灌ぐと訳す根拠は示していない. 17)Cf. Oldenberg 1886: 34;辻 1975/1976: 306. ĀśvGP(2 種有)については cf. Aithal 1963. 18)この儀礼行為は GS より前にはみられない.詳細は Kajihara 2014 参照. 19)Cf. Br̥had-Āraṇyaka-Upaniṣad 5.1.1; Thieme 2000: 382. 20)Cf. Kajihara 2014.「水を先として」等の表現は入門式にはみられない.BhārGS 1.15 (結婚式)では新郎の両掌から新婦の両掌へ水を灌ぎこむが,これは同派の入門式 (BhārGS 1.7)の引き写しである.新婦の父が新郎に灌がねば娘の授与にならない. 21)このマントラは多くのパラレルがある.E.g., TS 1.8.5.1b (Rājasūya, Pitr̥yajña); etc. 22)姉妹学派の Khādira-GS 3.5(Anvaṣṭakya)にはバラモンを招く規定はない. 23)Cf. ŚāṅkhGS 4.1.4 (Śrāddha): brāhmaṇānām pāṇiṣu ninayed 「[ゴマ水を]バラモンたち

の掌に灌ぐべきである」;VaikhGS 4.3 (Aṣṭakā): kare tilodakaṃ dattvā「手にゴマ水を与え て」;7.7 (Ekoddiṣṭa): pāṇau tilodakaṃ dattvā「掌にゴマ水を与えて」;7.8 (Sapiṇḍīkaraṇa); YājSm 1.231b (Śrāddha): hasteṣv arghyaṃ vinikṣipet「手に arghya を灌ぎ込むべきである」; ĀśvGS 1.24.13 (Madhuparka): arghyam añjalinā pratigr̥hya「arghya を両掌で受け取ってか ら」;cf. Āpastamba-GS 5.13.8; etc.

24)養子(Manu 9.168: adbhir dā; cf. 3.35; Kauṭilīya-Arthaśāstra 3.7.15);賓客への食物(MBh 13.107.89: toyapūrva-),etc.

25)Cf. 阪本(後藤)2008; 田辺 2013. 古い言及の例:Sn 455(偈の前の散文)≈ Saṃyutta-Nikāya I 167: vāmena hatthena havyasesaṃ gahetvā dakkhiṇena hatthena kamaṇḍaluṃ gahetvā yena bhagavā tenupasaṃkami「左手で[バラモンに施与すべき]供物の残りをつかみ, 右手で水壺をつかんで,世尊のいるところに近づいた」.

26)oṇojeti < ava-nij(caus.)「洗わせる」はパーリ聖典に 4 例(本箇所,AN IV2[oṇojesim,

下掲],Milindapañha 236.4–9[udakaṃ oṇojetvā]),いずれも授与の文脈で水瓶と共に用 いられる.AN IV 210(後掲)注釈:oṇojesin ti udakaṃ hatthe pātetvā adāsiṃ.

27)Cf.『四分律』(T 22: 798b):時瓶沙王,持金澡瓶水授如来令清浄…我今施如来;(T 22: 936c):捉金澡瓶授水与仏…今奉施世尊;Sv(Gnoli 1977: 166): sauvarṇaṃ bhr̥ṅgāraṃ gr̥hītvā . . . niryātayati;『根本説一切有部毘奈耶破僧事』(T 24: 138b):王取宝瓶灌世尊 掌,而白仏言,我毘婆迦蘭陀園奉施世尊,etc.

28)類例:Divyāvadāna 36: 522: tāṃ dārikāṃ sarvālaṃkāravibhūṣitāṃ kr̥tvā vāmena pāṇinā gr̥hītvā dakṣiṇena pāṇinā bhr̥ṅgārakam ādāya māṇavasya purataḥ sthitvā kathayati—imāṃ te ’haṃ māṇavaka duhitaram anuprayacchāmi bhāryārthāyeti「その(自分の)娘をあらゆる飾 りで荘厳し,[彼女を]左手でつかみ,右手で水瓶を取って,青年の前に立って言っ た,『この娘を,青年よ,私は君に妻として与えよう』と」;30: 460; Paramatthajotikā II 544;『仏本行経』(T 4: 63a):灌太子手,父母授女,為太子妃,etc.; cf. 田辺 2013; 濱本 2014.

(8)

後藤敏文 2008「古代インドの祭式概観――形式・構成・原理――」『総合人間学叢書』3, 東京外国語大学アジア・アフリカ研究所,57–102.

濱本彩萌 2014「ガンダーラ仏教図像にみられる儀礼表現の研究―― 「結婚式」 の場面を 中心として――」『龍谷大学大学院文学研究科紀要』36: 75–90.

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Thieme, Paul. 2000. “On the Khilakāṇḍa of the Śatapathabrāhmaṇa.” In Harānandalaharī: Volume in Honour of Professor Minoru Hara on His Seventieth Birthday, ed. Ryutaro Tsuchida and Albrecht Wezler, 375–385. Reinbek: Dr. Inge Wezler, Verlag für Orientalistische Fachpublikationen. 辻直四郎 1975/1976「古代インドの婚姻儀礼」『鈴木学術財団研究年報』12/13: 20–45 (辻直四郎『ヴェーダ学論集』岩波書店,1977,282–329 の再録から引用). (平成 28 年度科学研究費補助金 25284011 による研究成果の一部) 〈キーワード〉 結婚,布施,udakapūrva,kanyādāna (東京大学准教授,PhD)

参照

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