社会科学部は、2016 年度、創設 50 周年を迎えます。これを記念する一連の企画 の第一弾として、2015 年 11 月、シンポジウム「社会科学部の理念と歩み」が開催 されました。これまで担ってきた社会科学部の使命を再確認し、これからどこに向 かうべきかを、学生の皆さんとともに考えたいという主旨で企画しました。第 1 部 では、社会科学部の発展に多大な貢献をされた 3 人の名誉教授をお招きし、「社会 科学部の理念と歩み」について、それぞれのお考えを話していただきました。これ を受け、第 2 部では、若手現役教員 3 人を加えたパネルディスカッションを行い、
社会科学部の今後の展開について議論していただきました。会場には学生約 200 名、卒業生 20 数名が訪れ、立ち見が出るほどの盛況でした。普段、ほとんどの学 生は、社会科学部の理念に関心を払うことなどあまりないでしょうが、初めてそう した問題意識をもって学部と向かい合う機会を与えられたことを新鮮な感覚で受け 止めた様子で、終了後の感想も好評でした。
本資料は、このシンポジウムに参加できなかった方々のために、また、創設 50 周年記念事業の記録として、基調講演等を収録したものです。残念ながら、紙幅の 関係で、パネルディスカッション部分はほとんど割愛せざるを得ませんでしたが、
「社会科学部の理念と歩み」を再考し、将来を構想するための契機として、多くの 方々のお役に立つことができれば幸いです。
早稲田大学社会科学部創設 50 周年記念プレイベント
シンポジウム「社会科学部の理念と歩み」
早稲田大学社会科学部創設50周年記念事業実行委員会 委員長
輪 湖 博
第 1 部 基調講演
早田 時間になりましたので、社会科学部創 設50周年記念シンポジウムを始めたいと思い ます。司会の早田宰と申します。どうぞよろし くお願いいたします。
それでは、基調講演に先立ちまして、西原博
史社会科学総合学術院長よりご挨拶をいただき ます。よろしくお願いいたします。
開会の辞:西原博史社会科学総合学術院長 ご紹介いただきました西原でございます。本 日は足元の悪い中、社会科学部創設50周年記 念シンポジウム第一弾にお越しいただきまして
早稲田大学社会科学部創設 50 周年記念プレイベント
シンポジウム「社会科学部の理念と歩み」
日時:2015年11月25日(水) 13:00〜16:15 場所:早稲田大学国際会議場第2会議室
第 1 部 基調講演 13:00〜14:30 開会の辞
西原 博史(社会科学総合学術院長、教授)
基調講演
東條 隆進(早稲田大学名誉教授)
「社会科学総合の基礎学問としての『経済社会学』について」
田村 正勝(早稲田大学名誉教授)
「社会科学総合学術院の2本柱─総合的教育・研究と門戸開放制度」
常田 稔(早稲田大学名誉教授)
「落第生の社会科学」
第1部コメント
古賀勝次郎(教授、社会科学学会委員・シンポジウム担当)
第 2 部 パネルディスカッション 14:45〜16:15
「社会科学の研究・教育の今後〜学際的・臨床的・国際的アプローチ」
司会
早田 宰(教授・居住環境論)
登壇者
横野 恵(准教授・医事法)
北村 能寛(教授・国際金融論)
池谷 知明(教授・政治学)
東條 隆進(早稲田大学名誉教授)
田村 正勝(早稲田大学名誉教授)
常田 稔(早稲田大学名誉教授)
閉会の辞
劉 傑(教授、創設50周年記念事業実行委員会・シンポジウム分科会世話人)
に出向いたときに、「ところで君、社会科学っ て何ですか?」という質問に対して、「えっ、
えー、あ、はい、えーと」というふうにいった ん言い淀むのと同じように、実は我々教職員の 側も、新しいことを何か考えるにあたって常に
「ところで社会科学ってそもそも何だ」という ところに立ち戻ることを宿命づけられていると ころがございます。
自分の学問分野が何なのかを考えなくて良い のかもしれない他の学部の姿を見るにつけ、一 瞬羨ましいと思うことが無くはなかったのです けれど、現代のような時代の変革期の中に身を 置いてみますと、自分のアイデンティティにつ いて常にある種革命的な精神を持ち続け、捉え 直し続けることができる、その中で日本の今 の、そして世界の今の諸問題の中で、社会科学 部として果たせる役割、そして社会科学として 打ち出していくものの姿を考え続けることがで きる、ということが、現在、そして多分将来の 社会科学部が発展を続けるための非常に重要な キーになってくるものだと考えております。
そういう意味でも、もともと社会に開かれた 社会科学総合の場という形で始まりました社会 科学部は、今後も発展を遂げていくことになり ます。最近の言葉遣いを用いますと、学際的、
臨床的、そして国際的な社会科学の研究・教育 の場という姿を、はっきりと打ち出そうとして いるのが今の姿であります。来年、研究発信の ための組織としての研究所を併設できる見通し が立っております。その名称につきましても、
先日の教授会におきまして議論しましたとこ ろ、「先端社会科学研究所」という名称で先端 研究の姿を目指すというところに合意が出来上 がっているところでございます。この先端的社 会科学、すなわち臨床的、学際的、そして国際 的な社会科学を研究・教育していく場として、
これからも社会科学部に対する世界からの熱い 期待というものがますます高まっていくだろう と自認しております。
そうした中で、今日、50周年イベントの第 一弾といたしまして、来し方を振り返り、行く 末を展望するという形で、これまで社会科学部 の理念を中心となって作ってくださった先生方 にもう一度ご登壇いただいて、我々のこれまで の姿、そしてこれから目指すべきものを皆様と 誠にありがとうございます。ここにお集まりの
皆様のお力添えにより、そして社会科学部を支 えてきた先輩教職員、過去および現在の学生の 皆様、そして多くの社会科学部関係者の皆様の お力添えにより、本日ここに社会科学部創設 50周年記念シンポジウム第一弾、シンポジウ ム「社会科学部の理念と歩み」を開催するに至 りましたことを大変嬉しく思っております。ご 支援に心からお礼を申し上げたいところでござ いまして、皆様のお力添えがなければ、こうし て晴れの50周年の舞台を迎えることはできな かったと考えております。
社会科学部は今から49年と7ヶ月前、1966 年4月に開講いたしました。名目上は第二政治 経済学部、第二法学部、第二商学部を統合する という形ではありましたけれども、学内他学部 からの転籍、あるいは他大学から移って来てい ただいた先生方を中心としまして、まったく新
たなfacultyに基づく新たな社会科学、という
理念を目指した学部として産声をあげたわけで ございます。そしてその世代を引き継いで、今 日お集まりの講演をお願いする先生方の世代に なりますと、研究者生活に入った瞬間から、自 分は社会科学部の人間として、社会科学全般の 中における自分の学問分野の意義と役割という ことを考え続けながら、社会科学部を育て、発 展させるという時代を迎え、そして現在に至る わけです。第一世代が作り上げていった社会科 学の総合化理念を受け継ぎまして、そこに、骨 格であった理念に対して血と肉を授け、そして 現在の形に育ててきたと理解しております。
一口に50年と申しましても、専用校舎も専 用研究室も何もないままでスタートしまして、
正直いつ潰されてもおかしくない学部という位 置づけの中に始まりましたこの学部が、先ほど 申しましたような理念の血肉化ということを通 じて、幾度かの危機を乗り越え、現在、誰もが 知る早稲田の社会科学部、というところまで発 展させていただいたことに関しましては、まさ に社会科学部の先輩方のお力が偏に効いてい る、と理解しております。
このようななかで、私どもは常に「社会科学 ってなあーに?」ということに向き合い続けて 今日まで至っております。これは学生の皆さん が、例えば就職を目指してどこかの会社の面接
Social Sciences」を大学の学部の名称にしたの は早稲田大学が最初でした。その中で、「経済 社会学 Economic Sociology」という講座が開設 されました。「社会科学 Social Science, Social Sciences」は、 Political Economy の拡張した 学問として成立しました。17世紀、イギリス で開始した市民社会の形成過程で成立した学問 体系でありました。社会科学は市民社会の条件 を探求する学問となったのです。
社会科学は世界の歴史を踏まえないといけま せ ん け れ ど も、 Pre-modern と、 そ し て
Post-modern、その間にある Modern 、こ の3つの時代を結ぶコア概念こそが、私は、
Civil Society あるいは Société Civile であ ると理解しています。
しかし、1868年、徳川幕藩体制から権力の 座を奪った明治国家体制は、「脱亜入欧」のス ローガンのもと、富国強兵を国家理念にしまし た。「良い社会とは何か?」 What is the good
society? という問いは立てられませんでした。
ヨーロッパでは、良い社会とは「市民社会 Civil Society, Société Civile」であるということであ りましたが、この理念は日本では存在しようが ありませんでした。
本来、早稲田大学にこそ、日本に市民社会を 建設するべき使命がありました。ようやく社会 科学部が設置されたのは、1966年になってか らでありました。こうして社会科学部に設置さ れた「経済社会学」という講座が、イギリスに 開始した「市民社会」の研究を開始し、日本に おける「封建体制から市民社会へ」と向かうべ き方向を探求することになりました。封建体制 から資本主義へではなく、封建体制から市民社 会への道の探求であります。伝統的な経済学 は、ほぼ例外なしに、近代経済学も、あるいは マルクス経済学も、あるいはドイツ歴史学派も 含めて、封建体制から資本主義へ、あるいは封 建体制から市場経済へというレールを設置し て、そのレールの上で経済学を構成するという 方法を取ってきました。しかし、私は、経済社 会学の研究から、それは成り立たない、つま り、 Pre-modern の封建体制から Modern の世界へ展開する、そこには、啓蒙の時代が来 るわけでございますけれども、これは市民社会 以外に存在しない、ということを発見したわけ 一緒にじっくり考えることができる機会をもつ
ことを大変嬉しく思っております。これからの シンポジウム、実り多いものとなると思います けれども、皆様方のご清聴をお願いいたしまし て、ごあいさつとさせていただきます。どうも ありがとうございました。
早田 学術院長、ありがとうございました。
ではシンポジウムを進行をさせていただきま す。
こちらが今回のシンポジウムのポスターにな っております。3人の先生のお顔と─習った という方もいらっしゃるかも知れませんが─
真ん中に「社」というマークがございます。こ ちらは社会科学部の、学生服に付いていた襟章 でございます。今の学生さんには入学式の時に もう配っていないと思うのですが、昔は、私ど もが入った頃には配っていて、入学式でもらっ た覚えがあります。まだ持っていらっしゃる方 も居ますでしょうかね。その頃の気持ちをちょ っと思い出してですね、学部創設期の話からス タートしたいと思います。
今日は、名誉教授の3人の先生をお招きして います。まず最初は、社会科学部の経済社会学 の基礎を作られました東條先生にご講演をいた だきたいと思います。先生よろしくお願いいた します。
基調講演 1:東條隆進(早稲田大学名誉教 授)「社会科学総合の基礎学問としての『経 済社会学』について」
東條でございます。話が散漫にならないよう に、お手元にお配りしている原稿を読むとこか ら出発したいと思います。
私は1992年から2013年まで、学部で経済社 会学と経済思想史の講義を担当しました。経済 思想史は経済学部の主要な科目「経済学史」に 属していたから苦労はありませんでした。しか し、「経済社会学」は主要大学の経済学部や社 会学部の講座にはなかったから、講義者には緊 張を要求される講座でありました。経済学は経 済学部の講座、社会学は社会学部の講座でし た。しかし、経済社会学は我が「社会科学部」
にしか設置され得ない科目でした。
日 本 の 大 学 で、「 社 会 科 学Social Science,
らざるを得ない。だから、民主主義というもの を直接のスローガンにするということは、私は 不可能だ、むしろ、市民社会の在り方として民 主主義というものを考えるべきだ、ということ を、私は「私の経済社会学」で研究し続けたわ けでございます。
良い社会、市民社会を建設する中でのみ良い 企業は育つ。戦前の日本の富国強兵を建設する 時の財閥の巨大な力、この企業体制が現在も続 いておりますけれども、しかしそれは、やはり 市民社会、日本が市民社会を形成していくとい うその理念が無かったために、この財閥という 経済体制が出来てしまった、と私は理解してお りまして、財閥体制が今も克服されたとは思っ ていません。
ところが、イギリスにおける市民社会の形成 は、「リヴァイアサン Leviathan」という主権国 家の形成と両輪であった。トーマス・ホッブズ が最初に書いた本は、 De Cive 『市民論』で ございます。『市民社会論』、これはラテン語で 書かれた本です。フランスでは、トーマス・ホ ッブズは、 De Cive の著作者として有名でご ざいますが、彼が英語版を出すときに『リヴァ イアサン』 Leviathan というタイトルとしま した。したがいまして、私たちは、トーマス・
ホッブズというと『リヴァイアサン』の著者と いうふうに考えておりますが、しかしフランス を中心とするヨーロッパの学会におきまして は、トーマス・ホッブズは De Cive 『市民社 会論』の著者として名を残しているわけでござ います。しかし私は、そのトーマス・ホッブズ が De Cive を Leviathan にせざるを得な かった、そこに近代社会の一つの矛盾点という ものを考えるわけでございます。
市民社会は、近代主権国家建設という使命の 中でのみ存在根拠が与えられてしまった。そし てその中で、まずイギリスに1780年代から綿 織物工業を中心とする産業革命が勃発するわけ でございます。そして1850年代に、鉄道革命 を中心とした産業革命がドイツに展開するわけ です。その後1890年代からアメリカにおいて、
フォード式生産方式を中心とする産業革命が遂 行されます。私は、1950年代からの日本の高 度成長は、第1のイギリス、第2のドイツ、第 3のアメリカに続く第4のコンドラチェフ波動 でございます。
問題は、「市民社会」は普通 bürgerliche Gesellschaft と い う 言 葉 が、 あ る い は
Bourgeoisie という言葉が使われております
けれども、フランスにおいて Bourgeois と いう言葉はほとんど使われておりません。むし
ろ、 Citoyen というものが中核概念です。ケ
ネ ー の Tableau économique 『 経 済 表 』 も
Citoyen の経済学です。そして、ジャン=ジ
ャック・ルソーの Du Contrat Social 『社会契 約論』も、これは Citoyen de Geneve の精神 で書かれています。
では、なぜ、 Citoyen が Bourgeois に なってしまったのかというと、私は、フランス 革命を捉えるときに、ドイツ哲学が、カントあ るいはヘーゲルが共に、フランス革命を理性の 時代への移行と考えた、ということがありま す。そして、その最大の業績は、ヘーゲルの
『法の哲学』です。つまり、家族の分裂体とし ての市民社会、欲求の体系としての市民社会、
その市民社会が、人倫の体系、ジットリッヒ Sittlich な体系としての国家 Staat に収斂 されなければだめだ、というのがヘーゲルの
『法の哲学』の要でございますが、そこでヘー ゲルが考えた「欲求の体系」として、これを
Bourgeois として押さえた。そして、それを
そのままマルクスが提唱した。マルクスは、フ ランス語版の Das Kapital 『資本論』におき ましては、 Citoyen という言葉を使っており ますが、ドイツ語の彼の仕事においてはすべて
Bourgeois という言葉が土台にきているわけ
でございます。そのことが、市民社会という、
「封建体制から市民社会へ」という学術概念が 展開されることを妨げたと思っています。
良い社会は、「福祉国家、民主主義、市場
(企業)経済の調律」として成立します。それ も市民社会の展開過程においてのみである。福 祉国家も民主主義も企業主義も、市民社会とい う社会的苗床においてのみ成長し得るというこ とを、経済社会学が学問的に根拠づけしようと したわけでございます。市民社会の成熟なしに 福祉国家を目指せば独裁国家にならざるを得な い。官僚帝国主義の、ちょうど日本の現代の状 態にならざるを得ない。市民社会の成長なしに 民主主義を追求すると、政治的アナーキーにな
に、漢文文字で『早 稻 田』と書いたんで す。 Oh! 种植早稻的水田:Zaǒ dào tián、中 国語で早稲田大学は Zaǒ dào tián Dà xúe で す。そして、彼らがケンブリッジの教授たちに 紹介してくれたときに、「Waseda University は、アジアにおけるケンブリッジだ!!」という ことを言ってくれたわけです。それ以来、ケン ブリッジの教授たちの目はいっぺんに変わりま したね。
私は、ケンブリッジで『早稲田はアジアのケ ンブリッジだ』と言ってくれたその研究者たち を育てたのは李大釗(リ・タイショウ)だと思 っています。私は、1913年に北洋政法専門学 校から東京専門学校(早稲田大学)に留学して 参りました李大釗のお蔭だと思っております。
李大釗は、日本の対中国14ヶ条、このことに 怒りを覚え、そして袁世凱との戦いのために北 京に帰って、北京大学の教授になるわけでござ います。そしてその時に、図書館長も兼任して いたわけでありますけれども、ちょうどそこに 毛沢東、若き毛沢東がその北京大学の図書館員 として来たわけでございます。そしてそこで、
李大釗はこの毛沢東と一緒に、これからの中国 の在り方というものを研究した、と言われてお ります。こういうことを考えたときに、私は、
やはり早稲田大学は日中の両方の母校であるべ きだ、というふうに理解しているわけでござい ます。そして早稲田大学は、アジア市民社会を 形成していく発信基地になるべきだ、と考えて いるわけでございます。
もし早稲田がその運命を歩まなかったなら ば、早稲田の未来はないと思います。私は、総 長にも申し上げたのでありますが、国立大学と 私立大学というネーミングはやめるべきだ。む しろ、アジア市民社会の大学だ、というふうに 言うべきだ、と申し上げ、進言したことがござ いますけれども、今の日本の、この東大を中心 とする官僚体系で日本が進んだら、これは早晩 破滅する、と思っております。しかし、まだ日 本には、その受け皿になる大学はありません。
私は良い大学が存在する中においてのみ、良い 社会が形成されるというふうに思っておりま す。この使命を、大いなる使命を、早稲田大学 が担って行きたいものだと思っております。
ありがとうございました。
として展開されたと思っています。シュンペー ターが、50年周期の経済波動を、科学技術を 中心とする産業革命をコンドラチェフ波動とし て、資本主義過程として捉えて展開しました。
私は、第4のコンドラチェフ波動を、日本の 1950年代、新幹線、トヨタ、繊維産業、その 全てにわたる産業革命として位置づけていま す。そして1990年代にその産業革命が日本に おいて終息した。したがいまして、「失われた 10年」、あるいは「失われた20年」として 1990年代以後の日本経済を位置づけるのは間 違いだと思っております。
こういう中で、主権国家・市民社会・産業革 命は、国際通商体制・国際通貨体制の確立を必 要とする。この国際通商体制・国際通貨体制に とって市民社会の拡張を、 Transnational あ るいは International な体制が Civil Society あるいは Société Civile というものを、絶対 に必要とする、ということが明らかになりまし た。
2度の世界大戦を経験してからフランスとド イツを中心にしてEUが形成されましたけれど も、私はこれを、 European-Citoyen 、あるい は European-Société Civile というふうに考え ています。だからEUが成功したと私は理解し ています。EUは、私は解体しないと思ってい ます。どんな問題が起こったとしても、解体し ないと思っております。それは、ヨーロッパに 通奏低音として流れているものが、やっぱり Civil Society あるいは Société Civile として の社会の在り方である、と理解しているからで す。
私は、アジアも市民社会に向かわざるを得な い、と思っております。アジアは、市民社会形 成の成功によってのみ歴史を生き延びることが 出来る、と考えています。
私は2002年にケンブッリジ大学のぺンブル ック・カレッジにヴィジティング・フェローと して参りましたけれども、そこに、中国から多 くの留学生、研究者が来ておりました。そして その若い研究者と話したときに、 Where are
you from? 「お前、どこから来たんだ?」「日
本 か ら、Japanで す。」「 大 学 は ど こ か?」
Waseda University 、 What? 、 Waseda
University 。全然わからない。それで、机の上
そこで教授会で色々話し合いをしたところ、意 見が分かれました。本当に勤労学生に門戸を閉 じてしまって良いのか。昼間だけの学部になる ということで、社会の需要を満たすことができ るかどうか。また所沢に行けば勤労学生は通う ことが難しくなる。こういうことが問題にな り、様々な議論をしました。そして、ちょうど 社学が25周年を迎える頃までに「決着をつけ よう」ということになりました。
(2)門戸開放学部および大学院と自己推薦入試 制度
その結果、第一に、ここに残って昼夜開講の 学部にし、昼間と夜と両方の講義をして、門戸 開放をする。第二に、大学の入試改革をする。
それはどういうことかと言うと、本学部だけで はなく、段々受験が難しくなり、学生が画一的 になってきた。東京周辺の、予備校に通える学 生たちしか集まらなくなってきた。本来の早稲 田の「全国津々浦々から集まる」という状況で はなくなってきた。そこで我が学部は率先し て、「それでは、どこの県からも一人以上必ず 学生が来るような、本来の姿に戻そうじゃない か」ということで、「全国自己推薦入試制度」
を導入しました。
言うまでもなく従来も推薦入試制度はありま したが、これは指定校があって、指定校の方で
「この学生を」と推薦するという制度で、自己 推薦とは違います。私は入学したい、私の特徴 はここにあります、特技はここにあります、と いうことで自分が自己推薦する、そういう方法 を取り入れました。
そこでレジュメの片括弧の3に書きましたよ うに、結局、学部は夜間学部から「昼夜開講学 部」へ、そして現在のような昼間学部へ、とこ ういうことになりました。
それからもう一つは、先ほど申しましたよう に「昼夜開講」の延長として「夜間大学院」を 創設することにしました。これで勤労学生を受 け入れて、レジュメの下にちょっと細かい字で 書きましたが、「地球規模の課題を、社会科学 の新しい総合的学術的な視点で解決できる研究 者」を養成すると同時に「高度な専門的知識を 有する実務家」を養成する「大学院」を創設す ることになりました。それからさらに、大学院 が「昼夜開講制」をとることで、実務に携わる 早田 東條先生、ありがとうございました。
経済学の背後にある社会の広がり、豊かさを感 じるようなご講演でございました。ありがとう ございました。
続きまして、社会科学方法論ですね、皆さん も田村先生の講義で課題になっていました1万 字のレポートを書いたことがあるかと思います けれども、田村正勝先生にご講演をいただきま す。「社会科学総合学術院の2本柱─総合的教 育・研究と門戸開放制度」についてでございま す。先生、よろしくお願いいたします。
基調講演 2:田村正勝(早稲田大学名誉教 授)「社会科学総合学術院の 2 本柱─総合的 教育・研究と門戸開放制度」
(一)門戸開放制度
(1)社会科学部の創設
各学部にあった第二学部(夜間学部)の需要 も段々少なくなってきたので、大学として、従 来どおりの各学部の夜間学部は必要ないという ことで、大学全体でこれを一つにまとめること にした。これを受けて創設されたのが社会科学 部でしたから、本学部は当初、夜間学部として 出発しました。
こうした経緯から本学部には、政経、商学、
法学その他様々な専門の教員が集まっていたゆ え、もともと総合的な「インターディシプリン な学部」になるという基礎がありました。した がって最初から二つの柱を創りました。一つ は、全ての人に門戸開放された学部として、ど んな人でもここで勉強できるようにする。もう 一つは、学問の総合化を目指す学部とする。こ の2本柱が、創設の当初から考えられてきまし た。
まず門戸開放の件についてですが、勤労学生 がそれほど多くないが、彼らが学ぶことができ る夜間学部として、最初22時05分まで授業を しました。しかしながら、社会科学部の中でも
「いやもう勤労学生のために夜間学部として進 むことには意味がない」という議論も出てきま した。
ちょうどその頃、大学が100周年記念で所沢 に新しいキャンパスを創る。ついては大学の本 部から、「社会科学部は所沢に行って、昼間学 部に変わってくれ」という要請がありました。
それからsophiaは智慧ですが、これは真理に 基づいてより良い社会、より良い生き方をする ための「実践知」です。この両方が繋がったも のが本来のフィロソフィーでした。
しかし学問が探求されるにつれて、これらが バラバラになってしまった。そこでこの学部の 総合性は、学問をインターディシプリンにする と同時に、実践を伴うところの、つまりレジュ メに書きましたように、「学際性と実践性のフ ィードバック」ということが是非とも必要だ と、こういう形で新しい出発をしようというこ とになりました。
その第一点としてレジュメの一番下のとお り、学部カリキュラムに「社会科学総合研究」
を入れました。それは公害問題、福祉社会問 題、生命・倫理問題その他の諸問題を、複数の 先生で様々な角度からアプローチするというカ リキュラムです。
さて、ここまで大まかに2本柱について述べ ましたが、次に教育・研究総合に関して幾分か 詳しく申しますと、先ずこれまでの近代の学問 は、何が問題で、それをどのように修正すべき なのかということです。そのためには近代の学 問の特質を知る必要があります。
(2)近代合理主義に基づく社会と学問の特質 今日の時代は、学問にかぎらず社会一般にお いて「近代合理主義」が貫徹する時代です。マ ックス・ウェーバーは、この点をネガティブな 意味で強調した。つまりこのように合理主義が 貫徹すると、人々は「精神なき専門人」あるい は「心情なき享楽人」になってしまうが、これ は避けられないと喝破しました。実際に今日の 社会や我々は、そうした傾向にあると思われま す。実は学問もそのような合理主義に徹してき たわけですね。
では合理主義に徹した学問というのは何か。
それは我々の認識能力の中で「悟性(ラチオ ratio)」による認識を最大限に重視する学問で す。我々は物事を認識する場合に、一つは感 覚、つまり「感性(センススsensus)」に拠り ます。たとえば、水に手を入れて「冷たい」
と、これを認識します。もう一つは悟性による 認識ですが、悟性は分析機能ですから、徹底的 に分けていって水をH2Oと認識する。これが ラチオの認識。
社会人を始めとして外国人留学生を積極的に迎 え入れる、このような形で門戸開放をしたのが 我が学術院です。
(二)総合的教育と研究─学際性と実践性
(1)社会科学の展開─哲学からの分流と「社会 科学総合」
本学部創設のもう一つの柱は、「総合的な教 育・研究」ということですが、従来の社会科学 が様々な諸科学に枝分かれし、そのために科学 が現実の諸現象から乖離してきた。したがって 社会諸科学を勉強しても、現実の問題に対応出 来なくなりました。それは当然ですね。
現実の社会現象には純粋な現象はないからで す。どんな社会現象も、一定の方向から見れば 経済現象、別の方向から見れば法律現象、さら に違った角度から見れば政治現象などというも のです。要するに、純粋な経済現象、純粋な法 律現象、純粋な政治現象などという社会現象は ありません。ところが学問の方は次第に枝分か れして純粋な科学になってきた。しかし、それ に何の意味があるのだろうか。これが社会科学 の重要な問題となってきました。
そこで本学部には様々な専門の教員がいるか ら、社会科学の総合化を図ろうということで、
これが教育の柱になったわけです。それが「イ ンターディシプリン(inter-discipline)」あるい は「トランスディシプリン(trans-discipline)」
です。インターディシプリンは学際的研究です が、トランスディシプリンというのは、例えば 経済学なら経済学を徹底的に追求していけば、
自ずと法学へも、あるいは政治学にもトランス するはずだと、そういう意味でトランスディシ プリンです。これらの学問の方が、純粋な一つ の科学よりは、現実に対応しうる実践的な学問 となります。こういう考え方でインターディシ プリンとトランスディシプリンが重視されるよ うになってきました。
ところで社会諸科学は、もともとイギリスの 道徳哲学、ドイツの法哲学、フランスの社会哲 学から枝分かれしてきた科学です。そこで社会 諸科学を総合するならば、もう一度その哲学を 考え直すということになるわけです。ではこの 哲学とは何か。レジュメに書きましたように、
フィロソフィー(philosophy)のphiloというの は「愛求」、真理を探求するということです。
るなどの認識行為、それから所は「所見」で、
見られ認識される対象。この双方が依存しあっ て、見るという行為と見られる対象が一体とな って像が結ばれる。これが我々の認識であり、
これを「能所不二」と言います。
たとえば春霞がたなびいた山や川を見た時 に、非常にチアフルな気持ちで見る場合、たと えば「ああ、社会科学部に受かった」と嬉しい 気持ちで見ると、それが「山河微笑(みしょ う)」に見える。そういう霞たなびく山や川が 自分に微笑みかけているように見える。逆に非 常に辛い、最愛の人と別れた状況で同じ山や川 を見ると「山河慟哭」、山や川が泣きじゃくっ ているように見える。これが認識というものだ というのが仏教の認識です。
けれども科学ではそれは非科学的だというこ とになるわけですが、生活の上でどちらが重要 か。どちらも重要ですが、科学はこの能所不二 の認識を否定する。これは大きな問題です。
科学的真理の相対性─パラダイム転換 では科学の認識はすべて正しいのか、絶対的 に正しいのかという問題もあります。なぜなら 科学は一定の「枠組み(パラダイム)」の中で 組み立てられます。いま、鉄と綿を落とせば、
ギリシャの昔でも今日でも鉄が速く落ち、綿の 方が遅く落ちる。これは何故か。ギリシャの自 然哲学では、それは全ての物体には帰るべき故 郷があるが、綿の故郷は地上だからゆっくり帰 っても間に合う。鉄の故郷は極めて遠いから、
急いで帰らなければ間に合わないと説明した。
見事な説明です。これで人々は納得してい た。それはギリシャのパラダイムは「故郷」で 出来ていたからです。ちなみに鉄は、地球の
「コア」のニッケルと鉄からなる「(NiFe)核」
に由来し、たしかに最も遠い。
それはともかく、現代科学ではパラダイムが 全く異なるからこの説明は受け入れられない。
つまり、科学というのは、このようにAとい うパラダイムでは「A′」が正しい。Bという パラダイムでは「B′」が正しく、いずれかが 絶対だとは言えない。レジュメに挙げた次のよ うな魚類学者の例のとおりです。
物理学者のアーサー・エディントン(A.
Eddington)の『物理学の哲学』(Philosophy of Physical Science)は、この点を象徴的に述べて しかしもう一つ、我々には「総合的な直観」
による認識、つまり「理性(インテレクトゥス intellectus)」による認識があります。たとえ ば、秋に桐の葉が一枚パラパラと落ちたら、
「ああ、もう秋だな」と総合的・直観的に認識 しますね。「葉が何パーセント落ちたから秋だ」
なんて数えなくて直観的に理解します。我々は このように三つの認識能力で物事を考えている はずです。
ところが近代合理主義の科学は、「水に手を 入れて冷たい」というのは非科学的、非合理で あり、また「葉っぱが落ちたら秋だ」というの も非合理だと決めつけて、H2Oや落ち葉のパー セントによるのが正しい認識だとする。このよ うな近代の合理主義の認識に基づいて「科学技 術」が生まれてきました。
さらに言うならば、合理的な認識では第一 に、認識対象を合理主義に基づいて徹底的に客 体化する。つまり「認識主体」と「認識対象」
とを完全に切り離して認識する。自分との関わ りを切って客観的に認識する。したがって、水 に手を入れて冷たいという認識は客観性に欠け る、と否定される。
合理的認識は第二に、対象を徹底的に分け て、これ以上分けられない(インディバイド in-divide)ところまで分ける。こうして個体
(individual)認識が形成される。そして第三に 個体どうしが、どのような関係となっているの か、数量的にどのように結びついているかを分 析し、第四にその結果を、たとえばH2Oと簡 明な数式で表す。これは社会が対象ならば、社 会を徹底的に分けて、個人をとり出し、それら の個人どうしが数量的にどのような関係で結び 付いているのか認識する。近代合理主義に基づ く認識は、したがって数量化による定式化に他 ならない。この認識は自然科学ばかりでなく社 会科学でも同じです。
(3)近代合理主義に基づく科学の問題性 生活実感の「能所不二」の軽視
こういう認識は、しかし多くの問題を含んで います。まず一つは、レジュメに書きましたよ うに「能所不二」の認識の欠如です。つまり 我々の生活において、本当にそんなふうに合理 的に認識するだろうか。能所不二は仏教の言葉 だが、能は「能見」であり、認識する主体の見
う。これが「科学の合成の誤謬」です。
それに気付いたのがボールディング(K.
Boulding)で、科学が枝分れしてそれぞれが合 理性を追求していくと、「宇宙船地球号の沈没」
という事態となると警告しました。これは、今 日の「自然環境問題」などを見れば明らかで す。経済学や経営学および技術論がそれぞれに 合理性・効率化の視点から「最適化」を図った 結果が、決定的な自然破壊をもたらしている。
そこでボールディングは「悪魔は部分の最適 化」と喝破したのです。このような見解をも考 慮して、我が学部は、社会科学の総合というこ とを考えてきたわけです。
二項対立・二分法思考
近代の学問の出発点、科学の出発点はデカル トの『方法論序説』だと言えますが、デカルト は世界を「物の世界(延長実体res extensa)」
と「心の世界(思惟実体res cogitans)」の二つ に分けた。そして物の世界には厳密な数学の原 理が妥当するから、ここでは科学が成立しう る。しかし心の世界は厳密な数学の原理が妥当 しないから、ここでは科学が成立しない。つま り物の世界にしか科学は成り立たないとしまし た。
ところで皆さんは、ちょっと忘れているかも しれないけれども、実は1960年代、私が学生 の頃、パリはカルチエ・ラタンから学生運動が 世界中に広がったが、早稲田も大いに盛り上が った。その時のカルチエ・ラタンのスローガン は「ルネ・デカルトを殺せ!」というスローガ ンです。つまり、デカルトゆえに「自然科学の 偏った発展」「産学協同」になってしまったが、
これは学の独立に反し、真の学問ではないとい うことでした。
それはともかく、心と物の二分化を何とか統 合しようと、カントはじめ様々な考察が工夫さ れたが、なかなか成功しない。カントは『純粋 理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』によ る統合を試みたが必ずしも成功していない。さ らにヘーゲルは「絶対精神」によって、心の世 界から一元化を図る。またマルクスは「唯物史 観」によって、物の世界から全てを一元化しよ うとする。これらの思索を経て結局、デカルト の「二つの世界」がさらに一般化され、「二分 法」もしくは「二項対立」思考による認識が広 います。いわく「魚類学者が魚を定義しようと
して毎日、網の目5センチの投網で魚を捕って いた。そして『魚はすべてエラがあり5センチ 以上』だと定義した」と。
これは可笑しいですね。3センチの目の網で 捕れば3センチ以上です。そのように、科学と いうのは無手勝流ではない。この投網と同じよ うに、必ず一定のパラダイムの中で捉えてい る。そのパラダイムの中の真理でしかありえな い。絶対ということはない。けれども、そのパ ラダイムに入らないものは真理ではないとさ れ、それは例外的な「揺らぎ」とされる。
ところが揺らぎの方がもっと大事なこともあ ります。たとえば古典物理学は「絶対空間・絶 対時間」を前提にしたパラダイムでした。しか しこれでは説明のつかない揺らぎ現象が明らか となり、これを説明するために、アインシュタ インやハイゼンベルクが「古典物理学とは異な ったより広範囲なパラダイム」を明らかにし た。このようにパラダイムは転換する。それゆ え一定の真理が、絶対的だとは言えないので す。
そこで「パラダイムが変わることによって真 理も変わり、パラダイムが転換しながら学問が 展開してきた」というクーンの「パラダイム転 換 論 」(T. S. Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions, Univ. of Chicago Press, 1962) が、
次第に一般的に支持されるようになりました。
合成の誤謬
これらの見解からも明らかなとおり、近代合 理主義に基づいて枝分かれしてきた社会科学の 限界、とりわけ科学の現実からの乖離が明白と なってきた。そこで社会科学の現実からの乖離 を修正し、現実にマッチした学問にするために
「社会科学の総合」を目指した日本で最初の学 部が、我が社会科学部です。その後、東大、阪 大、広島大とかその他で似たような学部を創設 したが、我々はその先鞭をつけたわけです。
さて、近代合理主義に基づいた科学には、レ ジュメの片括弧の5のように「合成の誤謬」と いう問題もあります。悟性に基づいて学問が枝 分れし、それらの各学問分野が厳密に追求さ れ、その学問における最適化が追求される。そ の結果、これらが総合されると全体も最適とな るかと言うと、逆に正反対の結果に陥ってしま
ステム論は整合的ゆえに、それらの矛盾を十分 には把握できない。
そこで、これを批判したドイツのフランクフ ルト学派は、「そんな形式的な総合をしても実 際の問題には切り込めない」と主張しました。
そして「否定の弁証法」を展開し、「社会の相 互否定的な全体」を先取りして、ここからすべ ての現象を認識すべきだという。どういうこと か。
要するに「個人」は社会的な規制から解放さ れて、なるべく自由に生きたい。他方で「社 会」は、自由の放置による「社会秩序の破壊」
を回避しなければならない。そのように個と全 体が常に相互否定的であり、この「相互否定的 な全体」から全ての社会現象が生じているとフ ランクフルト学派は主張し、この相互否定的な 全体から全てを解釈すべきだという。
この切り込みは確かに鋭いし、現実の問題を 認識することが出来る。しかしシステム論のよ うに全体を鳥瞰することはできない。したがっ て、いくら批判力に優れているとしても、そこ から建設的な何かが出てくるかというと、この 点では疑問です。要するにシステム論だけでも 不十分、否定の弁証法だけでも不十分ですか ら、これらが相互に補い合うことが重要です。
(2)外観的考察と内観的考察
このような社会科学の方法にさらに付け加え ると、グローバル化の時代ですから、社会科学 部も力を入れているとおり「地域研究」も大切 です。その地域研究においては、レジュメのと おり「外観的考察」と「内観的考察」の双方が 大切です。どういうことか。たとえば現在アジ アは非常に経済発展している。世界全体の
GDPの40〜50パーセントがアジアで占めら
れ、この点ではアジアが世界の中核である。シ ステム論的に全体を「外観的」に世界の中で位 置づけて考察をすると、このようにアジアは素 晴らしい。
しかし経済成長が素晴らしくとも、経済成長 の中でどんどん大気汚染が広まって、小児喘息 で苦しんでいる子供、それを見ている親御さん も少なくはない。それを放っておいて良いの か。システム論的に全体を「外観的」に考察を すると同時に、そこで実際に生活している人の 目線に近付いて、そこに何があるか、そこにど まっています。
我々はその二分法に従って、レジュメに書い たように「善か悪か」「精神か肉体か」「左翼か 右翼か」「個か全体か」「現実か幻想か」などキ リがない二分法思考を展開します。このような 見方に基づいて、近代的な科学が成立してき た。しかし、これも問題です。
アーノルド・トインビー(A. Toynbee)は、
これに関して次のように述べます。「物事を厳 密に認識しようとすれば、我々はそのような二 分法、二項対立思考を避けて通るわけにいかな い。しかし、その二項対立思考で得た真理は、
人間が対象を勝手に分け刻んで作った真理だか ら、これを額面通り受け取ることはできない」
と。
まさにその通り。本学部がやろうとしている ことは、この問題意識と同じです。厳密な認識 のためには分けなければならない。厳密に分け ることが大切ゆえ徹底的に分ける。しかしその 認識をそのまま信じたなら、それこそ宇宙船地 球号は沈没してしまう。
レジュメの5ページのとおり、そういう二分 法から「経済主義」のイデオロギーが出てき、
あるいは「自由主義体制」とか「社会主義体 制」といった体制イデオロギーが出てきたが、
いずれの体制でも社会は維持できないことは既 に明らかになっている。こうした二分法を克服 するためにも、社会科学の総合化を図ることが 不可欠となっています。
(三)社会科学の総合化─狭義の学問から広義の 学問へ
(1)システム論と否定の弁証法
この社会科学の総合化の一つは、現実から乖 離した科学を現実に近付けるために、政治学・
経済学・法学・商学・社会学などを、それぞれ システムとして捉え、それらを結合する。そし て、これにより対象を捉えるというシステム論 的思考です。これが、とくに60年代以降から 広まってきた。
たしかに全体を認識するには、それは有効な 方法です。けれどもシステム論というからに は、その結合されたパラダイムは整合的でなけ ればならない。ところが現実の現象は矛盾をい っぱい孕んでいる。背理こそ真理と言われるよ うに、現実は矛盾に満ちている。しかしこのシ
それと同じように、この「普遍的な理念」
も、これを完全な形で言明することはできな い。たとえば「秋来ぬと 目にはさやかに見え ねども 風の音にぞ おどろかれぬる」と詠う とおり、秋は存在するが、その全姿が現れるこ とはない。秋になれば歌謡曲にもあったよう に、枯葉が小枝と分かれるが、それは植物の生 理現象です。また秋になれば「天高く馬肥ゆる 秋」と言われるが、それは動物の生理現象であ る。秋になれば「幾分ともメランコリックな気 分になる」が、それは心理現象です。このよう に「秋」という現象を網羅的に言語にすること はできない。
普遍的理念と倫理道徳
さて「普遍的な理念」もこれと同じように、
すべての諸現象がこの理念と関係しているが、
この理念のすべてを表すような具体的現象はな い。普遍的理念は存在するが、その具体的な表 れは個別的であり、普遍的理念そのものではな い。
そこでレジュメには、プロチノス(Plotin, Plotinus)の「至る所に在るが、どこにも無い」
という言葉を出しました。私の言葉で言うと
「在りて在らぬもの」と言うことになります。
普遍的理念とは、このようなものですが、しか し、これでは「普遍的な理念に基づいた学問の 総合」は不可能です。
そこで敢えて「社会諸科学の普遍的な理念の ポイント」を言説化すると、それは次のような
「倫理道徳」と言えます。
人種や文化や信条や宗教の相違を越えた、人 類にとって共通な「自然を含むところの『生の 条件』と『痛みの回避』を最重視する倫理道徳 観」がこれである。この理念に自分の学問が根 差しているかどうか、常にそうした反省をする ことが重要です。そういう形で「社会科学の総 合化」を考えていくことが大事なのです。ちな みにリベラル・アイロニストを自称するローテ ィは、これと同様な視点から「地域共同体の拡 大 の 可 能 性 」 を 説 く(R. Rorty, Contingency, Irony, and Solidarity, Cambridge Univ. Press, 1989)。
もちろんそのために個々の断片的な学問は駄 目で、必要ないと言うわけではありませんが、
それを広い視点から徹底させ、徹底的に悟性で んな矛盾が見えるかという「内観的考察」も不
可欠です。これは、いわば「相互否定的弁証 法」の立場であり、レジュメに書いたように、
「水俣的構造の凝視」ということです。
水俣に先進的な「チッソ水俣工場」が進出し て、地域住民は皆その恩恵でより豊かになって 喜んだ。しかしそこから有機水銀が海に垂れ流 しされ、水俣病が発生して重大な問題となっ た。この例からも明らかなように、システム論 的な全体を把握する外観的考察と、否定の弁証 法的なその現実の問題をきちんと見る内観的考 察と、この両方がどうしても必要です。こうい う総合化を本学部は目指してきたし、これから も目指すべきだと思います。
(3)普遍的理念と広義の学問 普遍的理念の性格
このように見てくると、社会科学のパラダイ ムが重要なことが理解できます。先述のとお り、Aというパラダイムでは「A′」というのが 真理、Bというパラダイムでは「B′」が真理、
Cというパラダイムでは「C′」が真理である。
けれども、その全てのパラダイムに通底するよ うな「普遍的な真理」に根ざし、これを追求す る学問はないのか。この点についてヤスパース
(K. Jaspers)は「従来の枝分かれした学問は
『狭義の学問』であり、これは断片的体系にす ぎないが、これに対して『広義の学問』が不可 欠だ」と主張しました。
この広義の学問は、全てのパラダイムに通底 する理念を求めて、それに根ざす学問であると 主張した。さらに、断片的な学問は価値につい ては何も言えないと言う。たしかに一定のパラ ダイムに基づいた因果論だけでは「価値観」は 出てこないし、それゆえ「自己の陶冶」などの 重要な問題についての教育もできない。それゆ えヤスパースも、パラダイム全体に共通な普遍 的な原理に基づいた「広義の学問」を主張した のです。
しかし普遍的な理念は非常に難しい。それは レジュメの図にあるように、全てのパラダイム に共通した普遍的理念です。それは何か。それ は確かに存在するが、これを言語化することは 非常に難しい。たとえば「神とはしかじかだ」
と定義したならば、それは神の無限性を否定す ることになり、神の正しい定義ではない。
います。常田先生のご講演には「落第生の社会 科学」というちょっと面白いタイトルが付けら れておりまして、楽しみでございます。よろし くお願いいたします。
基調講演 3:常田稔(早稲田大学名誉教授)
「落第生の社会科学」
東條先生、田村先生は、いわば社会科学の王 道を歩まれた先生方で、社会科学の優等生であ ります。それに対して、私は、社会科学の落第 生でありまして、39年間社会科学部で飯を食 わせていただきましたが、毎年毎年、今年こそ はクビになるんじゃないか、アウトになるんじ ゃないかという恐怖感のもとに落第に落第を重 ねて、やっと去年3月に卒業、退職いたしまし て……。
それで本日は、落第生の社会科学、あるいは 落第生から見た社会科学についてお話ししたい と思います。
まず、落第生である私ですが、実は、私の専 門はマネジメント・サイエンス、経営科学とい われている分野であります。これは、マネジメ ントを自然科学の方法によって研究するという 分野でありまして、マネジメントというのは、
人間集団の中で集団目的を達成するための意思 決定であるといわれています。したがいまし て、企業に限らず社会のあらゆる集団、大学で も病院でも自治体でも政府でも、あるいはヤク ザでも、集団としての意思決定、破門にするか 絶縁にするかというような意思決定を迫られる ことがある。だから、マネジメントは、企業経 営に限らず、どのような社会の集団にも普遍的 に存在するものなのであります。
そうすると、私の研究対象は社会科学の中に あります。一方、研究方法は自然科学の中にあ ります。すると、社会科学の優等生は次のよう におっしゃいます。「社会科学の対象を自然科 学の方法で研究するなんて、なんか胡散臭い」
と。「だから、お前は社会科学の落第生である」
(と、きっと心の中で思っておられます)。
それは、まったくその通りです。
が、……。落第生というものは昔から、私が 子供のころの昔から、小さい声でつぶやく。私 も小さい声でつぶやきます。「実は、私は集団 のマネジメントとしての意思決定なんかに興味 突き進んでいく。たとえば経済理論を学んだ
ら、それを現実の経済現象の中で徹底的に検証 していく。その結果、初めに述べたごとく
「trans-discipline」となり、さらにはこのような 普遍的な理念にもとづく学問となっていきま す。
(4)理論・政策・歴史の総合的な考察
最後にもう一つの総合化ですが、それは理論 と実践と歴史の総合化ということです。つま り、いま社会がAからBまで動いた。そうす るとBの地点に立って、一体AからBにどう して動いたのかと、それを因果論的に説明する のが「理論」です。
そしてこの理論を応用して、次にBからB′
へ進めるために「政策」を作成し実行する。と ころが実際にはB′に行かないでBからCへ行 ってしまった。そうするとCの地点に立って、
一体なぜBからB′を目指したのにCに到達し
たのだろうかと、これを因果論的に説明する
「理論」が再び探求されます。そしてこれに基 づき政策が作成され実践されます。
そのような理論と政策のトライアル・アン ド・エラーのプロセスが、直線的もしくは平面 的ではない歴史を形成していくが、この「ジグ ザグの歴史プロセス」は必然的です。なぜなら 実践を導く政策は理論に基づいており、理論は 過去のファクツを因果論的に説明するが、将来 のファクツを捉えていない。けれども政策は将 来に向けられ、ここには過去のファクツと相違 する要素が入り込むからです。
こうした点から明らかなように、「理論」と
「政策・実践」と「歴史」を一体的に把握する ところの「総合的な考察」が大切です。このプ ロセスは個人のパーソナル・ヒストリーでも同 様です。トライアル・アンド・エラーで失敗し て修正して、また失敗して反省し、実践を繰り 返すのが人生でしょう。したがって、このよう な社会科学の全体の追求が重要なのです。
ご清聴ありがとうございました。
早田 田村先生ありがとうございました。総 合と門戸開放という2つの柱の意味が少しまた わかったような気がします。
それでは、本日は3人の名誉教授の先生をお 招きしておりますが、3人目は常田先生でござ
会的に価値があるのか? いや、そもそも梶田 先生には価値観というものがあるのだろうか?
こういう疑問が生じてしまうわけです。
ここで、落第生の私は言い返します。「梶田 先生の研究に社会的な価値があろうが無かろう が、梶田先生に価値観が無い筈がない。なんと なれば、梶田先生は人間なんだから。人間は誰 しも価値観を持っている。ただ、梶田先生の価 値観があなたに見えないだけの話なんだ」と。
あるいは「梶田先生はそれを見せないだけの話 なんだ」と。
なぜか?
それは、自然科学という学問が完全に価値自 由の、価値フリーの学問だからです。自然科学 は、価値からまったく離れて研究を進めること ができる学問です。したがって、自然科学者は 研究の中で自己の価値観を表明する必要はまっ たくありません。
では、なぜ自然科学が完全に価値自由である のかというと、自然科学は事実のみを研究の対 象にしているからです。先ほど田村先生がおっ しゃったように、科学的認識というのは事実の みを対象化しているから、対象化、分割、数量 化、定式化が可能になってくる。したがって、
そこにおいては、自然科学者は価値判断をする 必要はありません。つまり、自然科学というも のは事実命題のみによって理論を構築できる、
アル論なのであります。
では、社会科学はどうでしょうか?
社会科学者は研究のどこかで自分の価値判断 をしなければならない。社会科学者は自己の価 値観をどこかで表明しなければならないので す。
なぜか?
それは、社会科学では、「社会は、人間は、
いかにあるべきか、何をなすべきか」を常に意 識し考えなければいけない、そしてそれを表明 しなければならないのです。
では、あるべきかなすべきかの、「あるべき こと」と「なすべきこと」は何でしょうか?
これは、事実ではありません。これは、当為で す。そうすると、当為を対象にする以上、社会 科学は完全に価値自由であることはでき得ませ ん。社会科学は当為命題によって理論を構築す る必要があります。つまり、ベキ論です。
は無い。人間の個としての意思決定に興味があ るのだ」と。そうすると社会科学の優等生は、
「ますます胡散臭い」と責め立ててくるわけで あります。
では、意思決定の理論としてはどんなものが あるかと申しますと、これには2つあります。
1つは規範的意思決定理論と呼ばれているもの で、これは、謂わば意思決定のベキ論です。こ の理論はマネジメントに役立ちます。つまり、
優等生の学問になりえます。しかし、それは私 には興味が無い。もう1つは、記述的意思決定 理論というもので、こちらは意思決定のアル論 でありまして、私はこちらの方に興味がありま す。すなわち、私は、人間は個としてどのよう に意思決定しているのか、そしてそれは何故 か、という人間の意思決定のありのままの姿を 知りたいのです。
すると、社会科学の優等生は次のようにおっ しゃいます。「そんなことを知って何になるん だ?」と。「それは社会の役に立つのか?」と。
落第生の私は次のように答えるしかない。「知 らない。もしかしたら、何かの役に立つかもし れませんね」と。
すると、社会科学の優等生は、落第生の私を 次のように糾弾します。「そんな研究をしたっ て何の価値も無いじゃないか」と。
落第生の私から見ると、どうも多くの、いや ほとんどの社会科学系の人々には、「社会に役 立つ学問こそが真に価値のある学問である」と いう信念あるいは信仰みたいなものがある。あ るいは、強迫観念みたいなものがある。私には そう見えます。
さらに社会科学の優等生は畳み掛けて言いま す。「大村智先生を御覧なさい。先生は、とに かく科学者は人々の役に立つことを研究しなき ゃダメだ、という価値観の下に研究を進めて、
数々の発見をし、そこから開発されたイベルメ クチンはアジア、アフリカの何億人もの人の命 を救った。実に社会に役立つよい研究だ。先生 がノーベル賞をもらうのは当然だ」と。
ここで、社会科学の優等生は、「ん?」と詰 まる。困惑が生じる。
「同じノーベル賞の梶田隆章先生は……?」。
ニュートリノに質量があることが分かって、そ れが何の役に立つのか? 梶田先生の発見は社
出す。そこで私が事実でそれに応戦すると、
「いや常田さん、そんなこと言ったって自治体 はこうあるべきなんですよ」と当為を以て応え る。そこで当為で議論しようとすると、「私は、
23年自治省にいましたがね。市役所なんての はこうですよ」と事実を持ってくる。事実を持 ち出すと当為で応じ、当為を持ち出すと事実で 応える。このオヤジには勝てないと思いました ね。これ、無敵の社会科学。
一方、汚い社会科学は、1つの研究の中に事 実と当為をゴチャゴチャにする。あるいは、著 述の1つの文の頭を当為で始めて終わりを事実 で締めくくるか、事実で始めて当為で締めくく る。これは、汚らしい社会科学です。
どちらも似非社会科学です。本当の社会科学 というのは、実に壮麗なものなのです。
で、ここで突然話が変わります。数字、社会 科学、自然科学という話に変わります。
どういう話かといいますと、ある大学院での 入学試験での話です。この大学院は400点満点 で試験をして、300点以上が合格と決まってい ました。ある年、299点の受験生がいました。
「1点低いだけだから、この受験生も合格にし たらどうですか」という提案がありました。こ の提案に対して、A教授は「賛成だ。299点と 300点、変わりゃしない」と言いました。それ に対して、B教授が「何を言ってるのか。300 点以上が合格と決まっている以上、299点は不 合格だ」と。A教授は「1点ぐらいは誤差の内 よ」と。B教授は「1点の本質的な意味をお前 は理解できないのか」と。喧々諤々の議論にな りました。ちなみに、A教授は自然科学系の、
B教授は社会科学系の人でした。
この議論は、自然科学系のアル論対社会科学 系のベキ論と、そういうふうに見ることもでき ますが、もう一つの見方として、数字というも のに対する自然科学系の人間と社会科学系の人 間の根本的な認識の相違にある、と私は思いま す。自然科学系の人間は、数字を相対的な関係 のうちでしか見ませんから、299点と300点は 1点しか違わないと認識する。それに対して、
社会科学系の方は、数字はそれぞれが一つ一つ 意味を持つ個物と見る。299点は不合格という 意味を持つ個物、300点は合格という意味を持 つ、そういうふうな個物とみなします。ですか 必要があるというのは、これで十分だという
ことにはなりません。当為命題だけで社会科学 は成立するでしょうか? いや、事実も前提に しなければ社会科学は成立しないのです。
なぜか?
社会科学は、科学である以上、事実の観察か ら出発する。事実から出発しなければ科学では ない。そうすると、社会科学は事実と当為の両 方を取り扱わなければならないんです。
マックス・ウェーバーという偉い先生がいら して、「社会科学も価値フリーであれ」とおっ しゃったそうですが、私はウェーバーの著作な んて1ページどころか1行も読んだことが無 い。だから分からないんですが、私の想像する には、ウェーバー先生が「価値フリーであれ」
と言うのは、「事実認識のときに価値フリーで あれ」という意味ではないでしょうか。「価値 判断をするときに価値フリーであれ」とは言っ てない。すなわち、「事実認識と価値判断を峻 別せよ」と言ってるのが、社会科学における価 値自由の意味だと思うのです。
すると、自然科学と社会科学は何なんでしょ う? 両者はどうなるんでしょう?
私が思うには、自然科学は氷山です。水面の 下に当為がある。そして、それは見えない。見 えなくてもよい。科学者だって、価値観、哲学 というものは水面の下に隠し持っている。それ でいい。で、水面の上に事実があって、その上 だけで成立するのが自然科学です。
一方、社会科学はお城です。確固とした石垣 としての事実があり、その上に壮麗な天守閣が 当為として建築される。その全体が社会科学で す。事実と当為の両方が見えるのです。
自然科学というのは氷山だから、何年か経て ば溶けて消えてしまう。私の研究は2年くらい は誰かが引用してくれましたが、3年経ったら 誰も引用しなくなってしまいました。けれど も、東條先生とか田村先生のご業績は何百年も 生き残る城砦なんです。これが社会科学です。
そのように、社会科学は壮麗なものなんです。
しかし、中には「無敵の社会科学」と「汚い 社会科学」があります。それは何か?
私はかつて、自治省から天下って学者になっ たと称する人と議論したことがありますが、彼 は「自治体はこうなってる」という事実を持ち