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Philharmony June 2014 Vladimir Ashkenazy 今月のマエストロ ー ル ー 交響 文 青澤隆明

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(1)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014

Vladimir A

shkenazy

青澤隆明

交響

今月のマエストロ

ー ル

©Keith Saunders

(2)

的な音楽 だと えることにた いはないだろう。ピアニストとして の 的な完結を えて、指揮者と して大 な に 熱を げると きのアシュケナージは、さらにナイ ーヴで人 的に、つまりフラジャイ ルな も めて、 の心 を しているようにもみえる。 アシュケナージは 6 からピアノ を けてきたが、7、 のときに リショイ 場で演奏会を聴いて、 くからオーケストラの に 中 になっていたという。「音楽そのも の、音楽の にあるものはいつだっ て に らしい を えてくれ る。そして、 の 明とし て、音楽はきわめて でした。お そらく音楽なしでは は生きられな かった。 の にあり、 と存 の一 になっています。いわ るキ ャリアというものについては、 え たこともありません。人は成 のた めにではなく、 分が るものの ために生きるのですから。 なの は、 成は 分の力ではなく、 から えられたものだと思うこと。 そして、それを けずに いっ い かして、 分 にではなく、す べての人にとってのギフトにするこ と。そうできたときこそ、 分も せを感 られるのです」。  こうした真ん な思いは、オーケス トラで大勢の たちと音楽をとも  「100 パーセント完 な人 はい ません」と、ウラディーミル・アシ ュケナージは語るのだった。「ラフ マニノフといえども、もちろんい つも成 した作品ばかりではない」。 愛してやまない の のピア ノ作品 の完結 として、アシュ ケナージは未出 の曲を む ラフ マニノフ・レアリティーズ を発 し、 が編曲を がけた 曲も録 音に えていた。  アシュケナージはとかく 好き の演奏 で、その は ミスタ ー・コンプリート と呼びたくなる ほどの さだ。ラフマニノフの音 楽 時代の 作なども、きちんと り げずにはいられない。 的な ことをおいても、一人の作曲 の をふまえ、すべてを知りつくした いという い好 心と 熱に充ちて いる。つまりは、 人 的な を 目指すアシュケナージという 音 楽 の 愛が、 して 的に作 品を り げる 勢に 結している。  それは 2012 年 6 月、 交響 楽 の 3 つの定期公演を 力的に指 揮した の話で、アシュケナージは 月に 75 の 生 を えた。 愛するラフマニノフはピアノ協奏曲、 交響曲と 管弦楽曲をすべて録音 したとおり、指揮者アシュケナージ も作曲 の 、できるか りすべ ての作品を しようという意 込みは変わらない。 のいうように、 100 パーセントの人 などいないが、 アシュケナージを 100 パーセント人

(3)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014   国旅 も されない時代、ピア ノの国 コンクールから 国する 分のスーツケースはいつもオーケス トラのスコアでいっ いだったと、 アシュケナージは のことのよう に語る。それでも、 が指揮す ることなど、一 たりとも した ことはなかったという。モスクワ音 楽 の のロジェストヴェンスキ ーが えてくれようとしたが、 分 は聴くだけでいいと えた。アイス ランド交響楽 でバレン イムが指 揮し、アシュケナージがショパンを いた 、 のソリストが来られ なくなった代わりに、 が指揮して、 バレン イムがベートーヴェンの 《第 1 番》と《第 3 番》の協奏曲を いたのが まりだった。それから 少しずつ機会が増えていったそうだ。  そうした や人 えだろう、 指揮者としてのアシュケナージは、 いソリストたちにも かな を 的に し出ている。今 プ ログラムに、ラフマニノフの《第 3 番》で招くベフゾド・アブドゥライ モフも近年 演を る注目 であ る。 プログラムで中野 がグリ ーグの《ピアノ協奏曲》を、 プロ グラムでヴァイオリンのパトリツィ ア・コパチンスカヤがプロコフィエ フの《第 2 番》を くのも 的だ。   でみると、グラズノフ初期の 《交響詩「ステンカ・ラージン」》と に生み出すときに、さらに大らかな をみせることになるだろう。指 揮台に立つアシュケナージが つエ ネルギーは 熱と さに充ち、 と演奏 の心を とつにして、聴 き を 感 へ こうとする。指 揮する や、 う な 力を する 的なリーダーシップよりも、 むしろ大らかに演奏 や聴き の心 に えかけるヒューマンな熱 が 勢だろう。だから、変 に富む 生命のように音楽は流 的で、しか し 機的な であることは一 と してなく、演奏はつ に人 と感 の真実をみつめることに かってい く。   響との の 演もロシア、ド イツ、ハンガリーからの い選曲 で、これもアシュケナージの演奏 としての大きな心を としている。 20 年ほど の 心となってきた 指揮を 、 なレパートリーに んできた だが、たとえばシュー マンによる プログラムの まり に かれた《「マンフレッド」 曲》 から、この作曲 をいかに 愛して いるかがいきいきと、 やかに伝わ ってきた。語りたいことがたくさん あるから、音楽をやらずにはいられ ない。そういう少年のような 熱が、 開けっ げにオーケストラを伝って いくようだ。 響が生 の 熱に えるべく、 かな 感と熱意ある協 で音楽をかたちにして生命を く さまは、長年の が んだ の う果実にほかならなかった。

(4)

はアイスランド国 を た。  ピアノで した き 々から、 欧 へコンクールや演奏に出てはオ ーケストラのスコアを い ったと 語るが、ここ 20 年ほどは指揮者とし ての が大きい。ベルリン・ドイツ 交響楽 、チェコ・フィルハーモニー 管弦楽 の首席指揮者を 任。クリ ーヴランド管弦楽 、サンフランシ スコ交響楽 、ヘルシンキ・フィルハ ーモニー管弦楽 とも を く。   交響楽 とは 2004 年から 音楽監督、2007 年からは 指揮 者として な にある。2009 年から 2013 年はシドニー交響楽 の首席指揮者とアーティスティッ ク・アドヴァイザーを めた。アイ スランド交響楽 とフィルハーモニ ア管弦楽 の 指揮者、 ユー ス・オーケストラの音楽監督も 任 している。      ( 明)   響 指揮者ウラディーミル・ アシュケナージが 2012 年 6 月の定 期公演に いて、多彩な曲目を聴か せる。 プロはロシア、 プロでは 欧と英国、 プロはロシアとドイ ツの音楽でオーケストラの な を くのに え、ヴァイオリンの パトリツィア・コパチンスカヤ、ピ アノの中野 とベフゾド・アブド ゥライモフという 鋭を舞台へ招く。  アシュケナージは 1937 年、ロシ アの ーリキー生まれ。 からモ スクワ音楽 中 音楽 で んだ後、モスクワ音楽 に みレ フ・オ ーリンと リス・ ムリャ ンスキーに 。1955 年にショパ ン国 ピアノ・コンクールで第 2 位、 年にはエリーザベト 国 音楽 コンクールで 。1962 年にチャ イコフスキー国 コンクールで 。 年にイギリスに 、1972 年に ロフ どう していくかが楽しみだ。  「 はいつも 大な作曲 の 、 そして から けられたものを しようと思っています。そうして、 なんとか高まっていきたいと うの ですが、 の というのは決して たやすいものではありません。 た ちは人 に ないのですから」と、 アシュケナージは かに、しかしど こまでも めずに語るのだった。 (あおさわ・たかあきら 音楽 ) チャイコフスキーの人 作《くるみ り人形》を組んだ プログラムが ロシアの音楽、シベリウスの《組曲 「 人」》とエルガーの《交響曲第 1 番》を合わせた プログラムが 欧 とイギリスの作曲 で、 プログラ ムには 2012 年 6 月の《ツァラ トゥストラはこう語った》に いて、 熱を注 シュトラウスの《ア ルプス交響曲》を り げる。録音 や実演を て 知してきた作品 を、 の 響、 いソリストと

(5)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014

1784th Subscription Concert / NHK Hall 7th (Sat.) Jun, 6:00pm 8th (Sun.) Jun, 3:00pm 第 1784 回 NHKホール 6/7[土]開演 6:00pm 6/8[日]開演 3:00pm [指揮] ウラディーミル・アシュケナージ

[conductor]

Vladimir Ashkenazy

Program

A

グラズノフ 交響詩「ステンカ・ラージン」作品 13 (16 ) プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲 第 2 番 ト短調 作品 63(26 ) Ⅰ アレグロ・ デラート Ⅱ アンダンテ・アッサイ Ⅲ アレグロ、 ン・マルカート

Aleksandr Glazunov (1865-1936)

“Stenka Razin”, sym. poem op.13

Sergei Prokofiev (1891-1953)

Violin Concerto No.2 g minor op.63

Ⅰ Allegro moderato Ⅱ Andante assai Ⅲ Allegro, ben marcato

[コンサートマスター] [concertmaster]

Fuminori Shinozaki [ヴァイ リン]

ト ィア・ ス [

Patricia Kopatchinskaja

violin]

休憩 Intermission イ フス ー 作品 71 第 (40’) Ⅰ ( の山の の で) Ⅱ (クララと ) Ⅲ 曲(ディヴェルティスマン) ) チョコレート(ス インの り) ) コー ー(アラ アの り) ) (中国の り) ) トレ ーク(ロシアの り) e) し の り ) ジ ー さ とピエロ 花の ル ・ド・ド ー 奏(イントラーダ) タランテラ こ い の の り コーダ りの ル と大 (ア テ ー )

Peter Ilich Tchaikovsky (1840-1893)

“The Nutcracker”, ballet op.71 — Act II

Ⅰ Scene (In the magic castle on the sugar mountain) Ⅱ Scene (Clara and the prince)

Ⅲ Divertissement

a) Chocolate (Spanish dance) b) Coffee (Arabian dance) c) Tea (Chinese dance) d) Trepak (Russian dance) e) Dance of the reed-pipes f ) Mother Gigogne and the clowns

Waltz of the flowers

Pas de deux – Intrada – Tarantelle – Dance of the sugar-plum fairly – Coda

(6)

Program

A

Soloist

Patricia Kopatchinskaja

ーケストラなど オーケストラと の 演も 多い。   代曲にも 的に り組み、多 くの作品を初演している。  レコーディングでは、バルトーク の《ヴァイオリン協奏曲第 2 番》他 をペーテル・エトヴェシュ指揮フラ ンクフルト 交響楽 などと 演 した が、イギリスの「グラモ フォン・アワード 2013 レコード・オ ブ・ザ・イヤー」を している。   響とは 2004 年 来、2 度目の 演となる。     (飯尾洋一)  1977 年、音楽 の両 のもとモ ルドヴァに生まれる。ウィーン国立 音楽大 とベルン音楽 でヴァイオ リンと作曲を ぶ。2002 年には「ク レディ・スイス・グループ・ヤング・ア ーティスト 」を した。  2002 年 9 月のルツェルン音楽 でマリス・ヤンソンス指揮ウィー ン・フィルハーモニー管弦楽 と 演するなど、ザルツブルク音楽 や ウィーン といった 名音楽 より招かれるほか、フランス国立 管弦楽 、マーラー・チェンバー・オ B

(7)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 れる。 の には されたペル シャ が かれている。 に され らの最期を したラー ジンは、 なる ルガよ、お に は最も いものを げよう と い ち、ペルシャの を に投げ込む と、 に かって していっ た 」。  この作品はグラズノフ 20 の出 作であり、1 9 年のパリ で は の指揮で 欧に された。 は 的な 2 つの 題によるソ ナタ形式。《エイ・ウーフネム》に く第 1 題を短い 機に分 し て する には、 ロディンの 《交響曲第 2 番》との が く 感 られる一 、ペルシャ を す第 2 題には の の一 が 用いられており、その 能的な は、《ダッタン人の り(ポロヴ ェツ人の り)》や《シェエラザー ド》でお みのロシア的な 味の である。  この作品は 1 7 年に した ロディンに げられた。 ( )  ロシア人作曲 としては しく、 生涯に 1 曲もオペラを かなかった グラズノフ。 が 意としたのは 楽であり、 曲の交響曲と 7 曲の弦 楽 奏曲がドイツ的な 音楽で の代 作とすれば、 、 、 に んだ い 題をもつ多 の管弦楽曲は、3 曲のバレエ音楽と 並んで、チャイコフスキーと国 楽 の伝 を け つつ 練させた、 19 ロシア音楽最後の華である。   題に されたステンカ( 名ス テパン)・ラージン(1630 1671)は、 ドン・コサックの首 で 17 後 の の指 者である。1671 年 にモスクワで された後もその ぶりは のなかで語り がれ、 「 ルガの 」として知られる うた 《エイ・ウーフネム》として い がれた。  この交響詩には、この の に った作曲者 による詩的な 題が げられている。大意は 下の り。「 ルガの を って、 ろしいラージンとコサックの が

交響

作品

:1 3 1 5 年 :1 5 年、サンクトペテルブルクにて :フルート 3(ピッコロ 1)、オー エ 2、クラリネット 2、ファ ット 2、ホルン 4、トランペット 2、トロン ーン 3、テュー バ 1、ティンパニ 1、ハープ 1、シンバル、大 、タムタム、弦楽

Aleksandr Glazunov

1865-1936

(8)

Program

A

が 国 から していた であり、結果的にはそれが後の 会 リアリズム的な 式として されるのである。 なる 的な 力の 響ではないところに、この時 期のプロコフィエフの 式変 とソ 国の な わりがありそうだ。 1 アレグロ・モデラート ソ ナタ形式 4/4 。第 1 題 は に 5 で とまとまりをなす。 な第 2 題は とともに 調する で、 時期の《ロミオと ジュリエット》を う つさせる。 2 アンダンテ・アッサイ 三 形式 12/ 。 つた のない がの びやかに われ、「ベートーヴェン のアダージョの を している」 (ネスティエフ)と された。 アレグロ、ベン・マルカー ト ロンド形式 3/4 。初演 マド リードにあやかったカスタネットの 響きが を える。コーダは変 でスリリングにテンポを げてい くが、最後は調 ハズレの 音でユ ーモアたっ りに め られる。 ( )  ロシアが 命で していた 191 年という のタイミングで国 に 出しながら、スターリンによる が した 1936 年という最 の タイミングでソ に 国したプロコ フィエフ。 と にみちた の生 涯と 作のなかでも、 国 の時 期はとくに うしている。バレエの ご 者ディアギレフの (1929 年) や、《オペラ「 の 」》 演が ん (192 /1930 年)するなど、 でのプロコフィエフの 位は め て 定であった。 えて、「モダ ニスト」ストラヴィンスキーとの な は、プロコフィエフ 来の 的・ 的な音楽 の せとな った。 第にプロコフィエフの目は、 分を指 者として し、 や バレエの を 々に するソ へと けられていく。   最後の年に作曲された《ヴァ イオリン協奏曲第 2 番》は、 的 な と明 な 的形式が 立 つ作品であり、すでにソ 時代の作 を りしている。実 、音楽の 「 大なる さ」はプロコフィエフ

作品 6

:1935 年 :1935 年 12 月 1 、ロベール・ソータン の独奏、エンリケ・アル ス指揮、マドリード にて :フルート 2、オー エ 2、クラリネ ット 2、ファ ット 2、ホルン 2、トランペット 2、大 、 、トライアングル、シンバ ル、カスタネット、弦楽、ヴァイオリン・ソロ

Sergei Prokofiev

1891-1953

(9)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 あまり が らなかった。 ばか りが登場するうえ、第 2 幕は 曲 (ディヴェルティスマン)中心で 的な展開がなく、しかも台 には 人公クララがお の 国に った 後の結 が かれていない。ところ がチャイコフスキーは 2 か月 の欧 旅 をはさんで、 国後 1 か月 らずでバレエの下 きを えてしま う。それには い があった。  旅 中に目にしたパリの新 記 で、チャイコフスキーは実 アレク サンドラの を知る。 は くに くなった の代わりに を えてきた人 であり、 の はチャイコフスキーにとって第 の であった。 は にこうつ っ ている。「 の について える と、 い の記 のように を 感 る」。14 で最愛の を失った チャイコフスキーは、その い出を アレクサンドラの に 合わせた のである。バレエ第 2 幕の最初と 最後に、《悲愴》のような下 音 が れるのは ではない。この音 楽はアレクサンドラへの であり、 だった 年時代への思 を め ているのである。   下、あらす にしたがって、音 楽の を べていこう。 1 の の  クリスマスの 語のせいで、どう しても年 の けバレエと思わ れがちな《くるみ り人形》だが、 これは れもなくチャイコフスキー の 作であり、《スペードの 》 や《悲愴》と並んで、作曲者 年の 作 がしっかりと されている。 舞台なしの演奏会形式で、 っくり 音楽作品として聴いていただければ、 その さがおわかりいただけるだ ろう。  バレエの は、 作《 りの の 》と 、 場管 会の 任者フセヴォロジスキーに よるものである。フランス い の は、オペラとバレエを組み合わせ るパリ・オペラ の にしたがっ て、《 「イオランタ」》と《くる み り人形》を 2 立てにする を立てたのである。一 、チャイコ フスキーも 2 つの を いに い合 うものと えた。 者は目の な少 が愛の えで 力 での を り すのに して、後者は、 少 が人形への愛を して の らしさを知る。さらに《イオラ ンタ》の 曲が管楽 のみで、《く るみ り人形》の 曲は弦楽 中心、 というように音楽的にも をなして いるのである。  チャイコフスキーは 初バレエに

作品

(10)

Program

A

シ の ロシアの の りで 短いリズム音 が に り され、 最後は熱 的なプレスティッシモに する。 フルート による 題と 管中心の中 によ る三 形式。ロシア語による題名は 「 いの り」で、あし は いの に 来する。 ー ュ ロ ジ ーニュおばさん は大勢の たちと の中で やか に生 する。チャイコフスキーも き の かな を思い浮かべたこ とだろう。 4 のワル 管による 奏 とハープのカデンツァ、ホルン 4 による高 な 題 、 彩的で なワルツに して、中 で 々と われる悲 な が い。 5 パ・ ・ ー クライマック スの場 で下 音 を しながら 大に り がる。 ント ンテ と が き、 ー で結ばれる。 のワル テ ーズ パーティの 者 による 華なワルツで幕が られ ようとする 、オーケストラが オル ールのような音 で第 2 幕 の を し、 しい から めたあとの なく名残 しい 分 と に結ばれる。   ( ) で 人 こい が り し奏され、 ハープや 管楽 が しく彩る。こ の はバレエの最後に 的に される。 2 3 の フルートが音を かく むフラッタ ー奏 で やかな 彩を り出し、 やがて 々とした下 音 ( ) が れる。後 は、 がクララに われた を 明する場 で、第 1 幕のネズミ との いの音楽が される。こん い の の合 でいよいよ 曲(ディヴェルティ スマン)の開 である。 ート 独奏トランペットの かし い とクラリネットの の 組み合わせが い。 ー ー ) 作曲 イッポリト フ・イワーノフから えられたとい う の に く。 年のチャ イコフスキーが好んだ 管 音の い響きにタンブリンがエキゾチック な を える。 ファ ットのごつごつした 奏、 フルートの高音の 、すき を う弦楽 のピチカート の驚くべき 組み合わせで沸き立つティーポット が かれ、2 度目の り しではク ラリネットの分 音がレース のように わる。 ト パー :1 91 1 92 年 :1 92 年 12 月 6 (新 1 )、サンク トペテルブルクのマリインスキー 場にて :フルート 3(ピッコロ 1)、オー エ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、 バス・クラリネット 1、ファ ット 2、ホルン 4、 トランペット 2、トロン ーン 3、テューバ 1、 ティンパニ 1、大 、シンバル、カスタネッ ト、タンブリン、グロッケンシュピール、ト ライアングル、ハープ 2、チェレスタ 1、弦楽

(11)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014

1786th Subscription Concert / Suntory Hall 18th (Wed.) Jun, 7:00pm 19th (Thu.) Jun, 7:00pm 第 1786 回 ト ーホール 6/18[ ]開演 7:00pm 6/1 [ ]開演 7:00pm [コンサートマスター] [指揮] ウラディーミル・アシュケナージ

[conductor]

Vladimir Ashkenazy

[concertmaster] Masafumi Hori

Program

B

シベ ウス 曲 作品 14(15’) Ⅰ Ⅱ の Ⅲ れ ー ピアノ協奏曲 イ短調 作品 16(30’) Ⅰ アレグロ・ ルト・ デラート Ⅱ アダージョ Ⅲ アレグロ・ デラート・ ルト・エ・マルカ ート ク ジ・プレスト アンダンテ・ マエストーソ ル ー 交響曲 第 1 番 イ 調 作品 55(51’) Ⅰ アンダンテ、ノー ル ンテ・エ・ ン プリチェ アレグロ Ⅱ アレグロ・ ルト Ⅲ アダージョ レント アレグロ

演にはゲスト・ヴィ ラ 奏 としてウィルフリート・シ トレーレ( i rie tre e) が 出演い します。シ トレーレ はドイ のシ ト ット ルトとデト ルト 楽大学で学 、 ティ ール・ヴァル 室内 ー ストラを て、19 1 年に ルリン・フィル ー ー管弦楽団に入団。 19 4 年から 2 1 年まで 楽団のソロ・ヴィ ラ奏 を まし 。現在 ルリン 大学 。

Jean Sibelius (1865-1957)

“Rakastava”, suite for string orchestra op.14

Ⅰ The lover Ⅱ The lover,s walk Ⅲ The farewell

Edvard Grieg (1843-1907)

Piano Concerto a minor op.16

Ⅰ Allegro molto moderato Ⅱ Adagio

Ⅲ Allegro moderato molto e marcato – Quasi presto – Andante maestoso

Edward Elgar (1857-1934)

Symphony No.1 A flat major op.55

Ⅰ Andante. Nobilemente e semplice – Allegro Ⅱ Allegro molto Ⅲ Adagio Lento – Allegro 休憩 Intermission [ピアノ]

(12)

Program

B

Soloist

Shota Nakano

ピアノ 年 オペラシティ の 「 」などで意 的な公演を う。   き の 2000 年にマティアス・ バーメルト指揮、2001 年にシャル ル・デュトワ指揮の 響と 演した 実 も るが、今 は久々の 演に して定期公演初登場。 の と 明な音 をもち、多 なレパート リーから楽曲に したニュアンスを き出す が、大ピアニスト ウラ ディーミル・アシュケナージの指揮 のもとで奏でるグリーグの協奏曲に、 熱い が注がれる。 ( )  10 代から い な 能を発揮し てきた注目のピアニスト。19 4 年 つくば に生まれ、1996 年第 50 生音楽コンクール の で 国 1 位を 。中 後、ジュリアード音楽 プレ・カレ ッジに し、その後 音楽 で ぶ。これまでに、 指揮ウ ィーン・フィルハーモニー管弦楽 をは めとする 名指揮者やオーケ ストラと 多く 演。アメリカやフ ランスでリサイタルを開 するほか、 2004 年 の 音楽 、2006

(13)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 的 能 をあら る 度から き出 そうとした。今 演奏される弦楽合 奏 は 1911 年 から 1912 年初 に かけて編曲されたものである。この のシベリウスは う う うによる の を した後であり、 的な作 へと かっていた。楽曲 に う された音調は、そうし た作曲 の 独な を し出 しているのだろう。  《 人》は 3 つの 分で 成され、 第 1 曲 人 、第 2 曲 人のそ ぞろ歩き 、第 3 曲 れ の 題 がそれぞれ されている。弦楽の 感豊かな は、「 」と「 人」 の心の だを やかに している ようだ。 ない しさをたたえたこの 作品は多くの聴 を魅 したが、そ れに いたシベリウスは 1920 年 代にいたるまで、しばしば 作品の コンサート・プログラムに り入れ ている。         ( )  《 人》のタイトルで知られるジ ャン・シベリウスの弦楽合奏曲は、 1 94 年に 作された 合 曲がオ リジナルである。   時 2 の 年シベリウスが けたこの合 曲は、ヘルシンキ 生合 が した作曲コンクール へ するために生まれたものであ った。コンクールでシベリウス作品 はエミール・ ネッツの愛国的な合 曲に 2 となり、 や 音楽 たちのなかにはその 意な 結果に 念を く者もあったという。 たしかに 的に う たされてしまっ た ネッツ作品に して、 や においてはるかに 出していた《 人》の 的価 が、今 でもまっ たく失われることなく されてい る は 実だろう。  オリジナルの 合 曲の初演後、 シベリウスはこの曲をさま まな形 で 編し、作品が める豊かな音楽

Jean Sibelius

1865-1957

ウス

作品 4

:オリジナルの 合 は 1 94 年 に作曲。その後、 年に 合 と弦楽合奏、 1 9 1 99 年に 合 、1911 1912 年に 弦楽合奏による編曲が される :弦楽合奏曲の初演は 1912 年 3 月 29 、 シベリウス指揮ヘルシンキ フィルハーモニ ー管弦楽 :ティンパニ 1、トライアングル、弦 楽

(14)

Program

B

1917 年に出 された 第 4 であ る。それは 1907 年、つまり作曲者 の の年にグリーグ が生 最後 の を した と えられている。  この作品では、ピアノの名 でも あった作曲者の独 が存分に発揮 されているが、それと 時にきわめ てノルウェー的でもある。たとえば、 しいフィ ルドの を思わせる 第 1 楽 の 的なピアノ・ソ ロや、第 2 楽 のさわやかな 欧的 は、ま れもなくグリーグ独 のサウンドである。また、第 1 楽 の 題や第 3 楽 の にみら れる舞曲的 には、 国の や 舞 を心から愛してやまなかっ た作曲者の な心 があらわれて いるといえよう。そうしたさま ま な が みに交 し合いながら音 楽はドラマティックに展開していき、 楽曲の 結 で雄大なクライマック スが れる。      ( )  1 6 年に作曲されたエドヴァル ト・グリーグ 一のピアノ協奏曲は、 作曲者 25 の時の作品である。き わめて充実した協奏曲であり、今 に るまで 中で く愛され け てきた。 なロマンティシズムに あふれたこの曲は、しばしばシュー マンの《ピアノ協奏曲》と され る。 実、グリーグは 1 5 年にク ララ 人が演奏するシューマンの 《協奏曲》を聴き、「 れられない であった」と している。また 1 70 年、ローマでグリーグと 会 したリストが、グリーグの持 した 《ピアノ協奏曲》の を初 で いて、「これが真の 欧だ」と したエピソードも有名である。  初演時より大好 を したグリー グの《協奏曲》は、出 に して 度も 正の が えられた。これま で 5 の楽 が出 されてい るが、今 く用いられているのは

Edvard Grieg

1843-1907

作品 6

:1 6 年 :1 69 年 4 月 3 、ホルガー・シモン・パ ウリ指揮、エドムント・ノイペルトの独奏。コ ペンハー ンのカシノ大 場にて :フルート 2、オー エ 2、クラリネ ット 2、ファ ット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、トロン ーン 3、ティンパニ 1、弦楽、 ピアノ・ソロ

(15)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 ンからブラームスへの流れに なる 正 の交響曲となった。  ハンス・リヒター(1 43 1916) 指揮、ハレ管弦楽 によるマンチェ スターにおける初演は 的な成 をおさめ、この交響曲はその後 1 年 に英 国とドイツ を中心 に で 2 も演奏され、 にオーケストラのレパートリーに 定 していった。初演 のリハーサ ルに し感 したリヒターが「さあ、 みなさん、 代における最高の交響 曲を練 しまし う。最高の、とは 英国に っての意味ではありませ ん」と楽 たちに語りかけたように、 エルガーの《交響曲第 1 番》は、 け なしに 的に められた、英 国人が生んだ最初の交響曲となった のである。 1 アンダンテ、ノービルメ ンテ・エ・センプリチェ アレグロ 変 イ長調。ピアニッシモのティンパニ に いて に れる しげな変 イ長調の「高 で なモットー」 が 曲の 調を成す。このモットー は 曲の にさま まな形で れ、 に曲の を い こさせる。 はニ短調に 、 に変 する テンポと音 、くすんだ音 、 なオーケストレーションに「高 で なモットー」と 2 つの 題、多  1905 年バーミンガム大 に された音楽 の初代 として 招う いされたエドワード・エルガーは 「音楽の最高の形 は 題のない 音楽、すなわち交響曲である」と で語り、ブラームスの《交響曲 第 3 番》とモーツァルトの《交響曲 第 40 番》の な楽曲分 を っ ている。  エルガーが交響曲を し めた のは 1 9 年 だが、 的な り 組みは 1907 年からである。その 10 年の にエルガーは《変奏曲「 」》、 オラトリオ《ジェロンティウスの 》、《 たち》、《 の国》、 曲 《海の絵》、 曲《 々》、 曲《ロンドンの下 》、《 国で》 により国 的作曲 に り めてい た。ベートーヴェン 、音楽のヒ エラルキーの となった交響曲と いうジャンルで に 用する作品 をいまだ持たない英国では、エルガ ーの交響曲への期待は 大であった。 また独 音楽の伝 の中で 練 してきたエルガー にとっても、 交響曲の作曲は だった。 初は スーダンで したヴィクトリア 時代の国 的英雄チャールズ・ ー ドン (1 33 1 5)を題 に する もあったが、結 「 題の ない 音楽」というベートーヴェ

Edward Elgar

1857-1934

交響曲

作品

(16)

Program

B

場する。 4 レント アレグロ ニ短調。 ピアニッシッシモで 味に ん うす る弦楽 を に、短い では 「高 で なモットー」の 、 曲 の 題、「ロマンティコ」と 呼ばれる 機が 々に並べられる。 アレグロの では、せわしなく き る第 1 題、のびやかな第 2 題、 曲 の第 3 題を に、「ロ マンティコ」をは めとする多くの 生 題がめま るしく展開する。 第 2 題の の には、バスがブ ラームスの《交響曲第 3 番》の 楽 とまったく 一の を せる。 展開 の では第 3 題がハープ を って 的に われる。 しい が 開されるが、やがてそれを ち るように 管 がフォルティ ッシモで高らかに変イ長調の「高 で なモットー」を奏して 楽 が合流する う々うたる大 となる。エ ルガーはこの曲を く を「 愛 に ちた人 生 の い と、 未来への大いなる 望」と語ってい るが、それにふさわしい かしい 的なコーダである。 ( ) くの 題が 的に み合う、ラ プソディックな楽 である。ため をつくようなチェロとバスのピチカ ートで わる。 2 アレグロ・モルト へ短 調。 う う感に られる「スケルツォ 題」と 的な「 曲 題」 が交 する と、作曲者が「 に下りた時に こえる かのよう に」と語ったみ 々み しいトリオから成 る。 楽調の「 曲 題」は、 かつての「 ードン交響曲」の の名残であろう。音楽は「ば の れたレコード・プレーヤーのように」 々に んしていき、 れ目なく の楽 へ流れ込む。 アダージョ ニ長調。初演 者リヒターが「ベートーヴェンの 《第 9》の 楽 に する」と したアダージョ楽 である。 していく りある には、エル ガーが「わが 」と呼んだシュー マンの《交響曲第 2 番》の 響が てとれる。コーダには、 の を おしてロンドン初演に出席したエル ガーの アウグスト・イェーガー (1 60 1909)が「 国の近くにい る思いだ」と語った新たな が登 :1907 190 年 :190 年 12 月 3 、マンチェスター、フ リー・トレード・ホール、ハンス・リヒター指揮、 ハレ管弦楽 :フルート 3(ピッコロ 1)、オー エ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネッ ト 2、バス・クラリネット 1、ファ ット 2、コ ントラファ ット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロン ーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、 大 、 、シンバル、ハープ 2、弦楽

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Ph ilh arm on y Ju ne 2 014

1785th Subscription Concert / NHK Hall 13th (Fri.) Jun, 7:00pm 14th (Sat.) Jun, 3:00pm 第 1785 回 NHKホール 6/13[金]開演 7:00pm 6/14[土]開演 3:00pm [指揮] ウラディーミル・アシュケナージ

[conductor]

Vladimir Ashkenazy

Program

C

ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第 3 番 ニ短調 作品 30 (40’) Ⅰ アレグロ・マ・ノン・タント Ⅱ 間奏曲:アダージョ Ⅲ フィナーレ:アラ・ブレーヴェ R. シュトラウス アルプス交響曲 作品 64(50’) I 夜 II 日の出 III 登り道 IV 森に入る V 小川のほとりのさすらい VI 滝 VII 虹(幻影) VIII 花咲く牧場で IX 山の牧場で X 林の中で道に迷う XI 氷河で XII 危険な瞬間 XIII 山の頂で XIV 幻影 XV 霧がはいのぼる XVI 日がかげる

Sergei Rakhmaninov (1873-1943)

Piano Concerto No.3 d minor op.30

Ⅰ Allegro ma non tanto Ⅱ Intermezzo: Adagio Ⅲ Finale: Alla breve

Richard Strauss (1864-1949)

Eine Alpensinfonie op.64

I Nacht II Sonnenaufgang III Der Anstieg IV Eintritt in den Wald V Wanderung neben dem Bache VI Am Wasserfall

VII Erscheinung VIII Auf blumige Wiesen IX Auf der Alm

X Durch Dickicht und Gestrüpp auf Irrwegen

XI Auf dem Gletscher XII Gefahrvolle Augenblicke XIII Auf dem Gipfel XIV Vision

XV Nebel steigen auf

XVI Die Sonne verdüstert sich allmählich 休憩 Intermission [ピアノ] ベフゾド・アブドゥライモフ [ゲスト・コンサートマスター] 伊藤亮太郎◆ [piano]

Behzod Abduraimov

[guest concertmaster] Ryotaro Ito

(18)

Program

C

◆伊藤亮太郎  桐朋学園大学卒業。1992 年、第 1 回フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウス・コンクール 優勝。1994 年チャイコフスキー国際コンクールでディプロマ賞受賞。ロンドンに留学し、ロンドン、 アムステルダムなどでリサイタルを行う。これまでにソリストとしてローザンヌ室内管弦楽団、東京 交響楽団、札幌交響楽団と共演。現在札幌交響楽団コンサートマスター。 XVII エレジー XVIII 嵐の前の静けさ XIX 雷雨と嵐、下り坂 XX 日没 XXI 余韻 XXII 夜 XVII Elegie

XVIII Stille vor dem Sturm XIX Gewitter und Sturm, Abstieg XX Sonnenuntergang

XXI Ausklang XXII Nacht

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Ph ilh arm on y Ju ne 2 014

Soloist

Behzod Abduraimov

ピアノ

高い と の いた 定した を聴かせた。デュトワ、ジンマン、 ズーカーマンらの指揮者とも 演。  1990 年、ウズベキスタンの首 タシケント生まれ。ウスペンスキー 音楽 でタマーラ・ポポヴィチに 。 はパーク大 国 音楽セン ターにてスタニスラフ・ユデニチの もとで を む。   知のアシュケナージが 響で は 7 年ぶりに指揮するラフマニノフ 《ピアノ協奏曲第 3 番》で、 定期 公演に初登場を る。 ( 明)  2009 年、1 のとき、ロンドン国 ピアノ・コンクールで 、プロ コフィエフ《ピアノ協奏曲第 3 番》 で熱 を呼び こし、ロイヤル・フ ィルハーモニー管弦楽 、ロンド ン・フィルハーモニー管弦楽 に招 かれた。アシュケナージ指揮シドニ ー交響楽 と 演を る。2010 年、 ロンドンでのリサイタルも を け、リスト、プロコフィエフ、サ ン・サーンスで デビュー。  2012 年 にウルバンスキ指揮 交響楽 との 演で デビュー、 B /

(20)

Program

C

を えるのは、 なオーケスト ラに 々とたい するピアノ独奏であ り、 な 音の 、流 なア ルペッジョ、 なオクターヴ 、多 多彩な が りばめられ たこの独奏パートは、ラフマニノフ 的ピアニズムの 大成である。 1 アレグロ・マ・ノン・タント ニ短調 4/4 ソナタ形式。展開 後 から第 1 題 をピアノ独奏 だけで きだすカデンツァは 巻だ。 2 奏曲:アダージョ 3/4 。 的でノスタルジックな 題 と な変奏形式だが、最後の 題 の に第 1 楽 を するワル ツとなる。 フィナーレ:アラ・ブレー ヴェ ニ短調 2/2 ソナタ形式。 曲の 分を占める長大な楽 。と りわけ多彩な 題変 を せる展開 は、交響曲のスケルツォに す る。第 1 楽 題の を んで、 く に 題 を り 、最後 は第 2 題の雄大な によって め られる。 ( )  1909 年 10 月から 年 1 月にかけて、 ラフマニノフは大 な アメリカ 演奏旅 を った。新曲となる《ピ アノ協奏曲第 3 番》はその り と して作曲され、1909 年 11 月 2 に ニュー ークで初演された。もちろ ん独奏は である。 初、あま り 価の しくなかったこの曲の真 価を く けたのは、初演から 3 目となるグスタフ・マーラー指揮 ニュー ーク交響楽 ( ニュー ーク・フィルハーモニック)との 演であった。ラフマニノフは、マー ラーの指揮ぶりを、「ニキシュ(ベ ルリン・フィル初代音楽監督)に する 一の指揮者だ」と して いる。   作と されることも多い《第 3 番》だが、2 作を てる 年の 月は、 、ラフマニノフの作曲 式に大きな変 をもたらした。《交 響曲第 2 番》や《交響詩「 の 」》 の管弦楽での は、《協奏曲第 3 番》の 彩的な管弦楽 や、 題 による 楽 の け に結 実している。それにも増して い

Sergei Rakhmaninov

1873-1943

作品

:1909 年 :1909 年 11 月 2 、作曲者の独奏、ウ ォルター・ダムロシュ指揮のニュー ーク交響 楽 、ニュー ークにて :フルート 2、オー エ 2、クラリネ ット 2、ファ ット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、トロン ーン 3、テューバ 1、ティンパ ニ 1、 、シンバル、大 、弦楽、ピア ノ・ソロ

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Ph ilh arm on y Ju ne 2 014  1 95 年に作曲された《交響詩「ツ ァラトゥストラはこう語った」》で は、まさにそんな人 と とが 決し、結 の 大な力の に人 が する が かれている。 ハ調、人 ロ調で され、 時 としては 鋭的な 音 でぶつか り合う調 のきしみが、音楽的な 感を生み出す 力となった。  1902 年には の アンチ・キリ スト 、そして の悲 と いう名 で 4 楽 から成る交響曲 のスケッチが作られる。シュトラウ スがニーチェの中に み った 題 意 を音楽として する、いわば 《ツァラトゥストラはこう語った》 の 編であったが、1911 年からはこ の を き 形で、アルプスを する「 」へと は にシフトした。  「 」ではあるものの、こ こにも とりの登 者、というかた ちで「人 」が登場する。登 者が、 アルプスの 大な に れ、登 に挑み、 を めつつも に わ れて下 するという 1 を きな がら、その 後には、 の 大な 力に うことのできない人 という、 《ツァラトゥストラはこう語った》 と のテーマが え れする。   の では、 のし まを  リヒャルト・シュトラウスは、実 の を管弦楽で することに れてはいるが、その は 的 なものに ないという 価は、作 曲 の存命中から存 し、いまなお されているとは い い。だが、 今 巻の を き、 時最高の 人とも目されていたシュトラウス が、 だけに ん た作品ばかり を作ったと えるのは であろう。   年のシュトラウスは伝記作者に こう語っている。「 は 作の《ア ルプス交響曲》を アンチ・キリス ト と名 けたいと思っていた。す なわち、 かつ 大な への であるこの作曲を て、 の を し、 するために」と。 き のシュトラウスは 者フリ ードリヒ・ニーチェ、そして が がけた 名の に し、その思 を した に 者ともなった。 能を持た 人 が持てるものを た み、 めようとする人 の 。ニー チェは、 者を め、 者を ける キリスト の から発する人 の り を「 思 」と名 け、人 のさま まな 、すなわち 心 を う、 来の人 の り に す る思 として しく指 すると 時 に、そんな人 といえども ち でき の 大さを いた。

Richard Strauss

1864-1949

R.シュトラウス

アルプス交響曲 作品 64

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Program

C

られる。  これまで曲 は「 明け」「登 」「 」「下 」の 4 つの 分 (楽 )から成る「交響曲」と されるのが一 的だった。だが、登 者が にたどり いた 分を中 心とした(かなり ではある が) で 成された作品と え るほうがその実 に近いのではない か。  最後には、 と 題・ 変ロ短調が して わる。 来の 交響曲の形式とは一 を している はずのこの曲に「交響曲」という名 を えることによって、シュトラ ウスは聴き をは らかし、ニーチ ェが したような「 の を し、 」されることのない人 として したようにも思われる。  後の《 2600 年 曲》では、 音楽 成と調 がわずか 15 分 度の曲の中にコンパクトに め込 まれたことをみても、この形式にシ ュトラウスが込めた いの さを、 もっと真 に すべきであろう。 ( 大 ) するために、変ロ短調の音 が 下 しながら、その 成音がす べて弦楽 で らされる(いわ る トーンクラスターの最初期の 用例 か)。それに く 発的な の出 の (イ長調)は、あえて《ツァ ラトゥストラはこう語った》の とイメージを ることで、 題を う音楽であることを して いるかのようにも える。力 い 曲のような、チェロ、コントラバ スとハープで演奏される 登り のモティーフ(変ホ長調)と の出 の調 は い。この歩みは、 に入る でも、 を眺めても、 の中で に う でも、形を変 えて れ け、 の雄大さ、 ろ しさと、それに ん うされる登 者の が、シュトラウスが する 位 的な音楽によって、 時 的に かれる。 に って下 する は、 この登 音 が 形で れるとい う の かさ。そして、 の 大 な力を にした登 者が、 らの 力を らされ、うなだれる (やは りこのモティーフの変形)で曲が :1911 1915 年 :ベルリン、1915 年 10 月 2 、ドレス デン 場管弦楽 、リヒャルト・シュトラウ スの指揮による :フルート 4(ピッコロ 2)、オー エ 3(イングリッシュ・ホルン 1)、ヘッケルフォ ン 1、クラリネット 2、 クラリネット 1、C クラリネット 1(バス・クラリネット 1)、ファ ット 4(コントラファ ット 1)、ホルン (ワ ーグナー・テューバ 4)、トランペット 4、トロ ン ーン 4、テューバ 2、ティンパニ 2、大 、シンバル、タムタム、 、トライア ングル、ウィンドマシーン、グロッケンシュ ピール、サンダーシート、カウベル、ハープ 2、 チェレスタ 1、オルガン 1、弦楽、バンダ:ホ ルン 9、トランペット 2、トロン ーン 2

(23)

Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 はない。あの有名な《ピアノ協奏曲 第 2 番》もやはり の音から まる が、この曲の 題に してラフマニ ノフの だった作曲 ニコライ・ メトネルが べていることが い。 メトネルいわく、「これは最も や かなロシアの 題であるという を えるが、それはその 題の が ロシア的だからに他ならない。 ここには とつとして 的な もサラファン も も の しも もないのに、 の音が最初 から とつずつ るごとにロシアが すっくと立ち がるかのように感 るのだ」。  この「ロシアがすっくと立ち が る」という にう く人も多いに いない。 い音 を ったり来た りするあの 的な は、伝 的 なロシア正 の や の の きに ていると 時に、果てしな く がる の しいロシアの の とも に結びつくものだろ う。 の音とともに、このやや い を んだ がロシアの と を に浮かび がらせるのであ る。   く人 の《ピアノ協奏曲第 3 ロシ の  ラフマニノフの音楽にロシアの大 の いを感 る人は多いだろう。 的に 練された に かれな がらも、どこかロシアの さが うのだ。ラフマニノフ は作曲の に、 に 的であろうとしたこ とはないと べている。ただ 分の なかに こえる音楽を に の に きつけるだけだというのである。 そうであるならば、ラフマニノフの 心のなかで に響いていた音楽が そもそもロシア的だったということ だろう。それはもう少し 的にい うと、どういうものなのだろうか。  まず目立つのは、 の音である。 い からよく の の音を に していたラフマニノフは、多くの作 品のなかに のモティーフを登場さ せている。たとえば、《2 台ピアノの ための組曲第 1 番「 的絵 」》の 第 4 曲「 」 や《合 交響曲 「 」》のように、 の音が に出 て に響き る曲がある。その他、 それほど には出てこなくとも、 の音が顔を出す楽曲は に多い。  しかし、ラフマニノフの「ロシア 」は の音だけに されるわけで

シリーズ 名曲の深層を探る 第 18 回

ラフマニノフと祖国ロシア

高橋健一郎

*ロシアの女性が着る民族衣装

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名曲の深層を探る 番》もまた からロシアの 題が がる。この 題に してラフマニ ノフ は「 が うように を わせ、そしてこの をかき さ ないような な 奏を いだそう とした」と べ、それは や から 用したものではないとし ている。しかし、その もやはり いロシア や の の き を う つとさせ、《第 2 番》の 題に らずロシアの に かれている。 その によって浮かび がる もやはりロシアの に他ならない。 《第 2 協奏曲》で「ロシアがすっく と立ち がる」のだとすれば、《第 3 協奏曲》では「ロシアが果てしない 大 となって がっていく」とでも いえようか。  ラフマニノフは意 してロシアの を き出そうとしたのではな いのだろうが、その 作のインスピ レーションの にロシアの 、大 があったのは いない。その の とつは、モスクワから 450 ほどにあるタン フ のイ ヴァノフカ だった。ラフマニノフ は 年期からそこにしばしば し、 作曲にい しんだ。そこは高い も、 い も、大きな もない、ただ しい が がる であった。ラ フマニノフの音楽から されるの はそういうロシアの のようであ る。  このようにロシアの大 に し ていたラフマニノフだが、1917 年の ロシア 命で生 は一変する。その 年の12月、 命の を けるため、 欧での演奏を機に出国するのであ る。 の の  出国後、 を にかけた大 によって富も名 も き、スイスや ビバリーヒルズに を えたラフ マニノフの生 は、 的にはとて も華やかに える。しかしその華や かな成 とは に、 の は 生望 の念に ちていたようだ。  ラフマニノフはロシアを出た後、 しばらく作曲の が まり、 す る。演奏 に されたのも の とつだが、それだけではない。 あるときメトネルがラフマニノフに 作曲を 開してはどうかと いかけ た。ラフマニノフの えはこうだっ た。「どうやって作曲するんです もう 年もライ のささやきも の わめきも いていないのに」。 また、 国でラフマニノフはよく かしそうにイヴァノフカの思い出話 をしたという。インスピレーション の の とつだったロシアの の 思い出に がれていたのであろう。  こんなエピソードもある。1920 年 代にモスクワのある音楽 がパリの 楽 に立ち った時のこと。 そこにラフマニノフも来ており、2 人は しく会話を めた。ラフマニ ノフはモスクワのことをいろいろ きだそうとするうちに感 まり、 をあげて き出した。そして も そこそこに逃げるようにして を出

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Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 たちの大変な らしについて語った。  もちろんラフマニノフはロシアの 思い出の中に こもっていただけ ではない。ロシア出国後の後期作品 には、アメリカ から 響を け たと思われるジャズの などが え れするものもあり、ラフマニノ フが作曲 として新しいものを け 入れながら新たな を開いたこと がわかる。その をあまり 価すべきではない。  しかし、それでもラフマニノフの 中で 国ロシアは最期まで 的な 存 であり、インスピレーションの であり けた。 国の にあって 作曲の があまり まないながらも 1940 年に かれた 年の 作《交響 ていったという。ラフマニノフは ごろ感 をあまり に出すことがな かったというから、望 の念がいか に かったかわかるだろう。  だから、 国の でラフマニノフ は たちとの き合いをとても 大 にした。シャリアピンやメトネ ル、ホロヴィッツら 命 や、 国公演にやってくるソ の ら と会う機会があれば、 を み交わ し、ロシア語でロシアの思い出話に を かせながら楽しい時を ごし た。 っている 命者がいれば、 的な も しまなかった。メデ ィア いにもかかわらず、 命ロシ ア のメディアのインタビューには しばしば 、 の 命ロシア人 モスクワ芸術座のアメリカ公演(1923 年)の際に談笑するバス歌手シャリアピン(左)、俳優モスクヴィン(中央)、 ラフマニノフ(右)

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名曲の深層を探る 的舞曲》は、 き の《交響曲第 番》や《 つ う(スモレンスキーを 記念する べのミサ曲)》からの 用を むなど、人生の 決 として ロシアの思い出に げられた曲とな っている。  そして 1941 年 6 月 22 、 国が ナチス・ドイツ による にあい、 その後 々と を占 されていくと いうニュースが舞い込む。ラフマニ ノフにとってその たるやいかば かりか。その 後の 月 12 、 ラフマニノフはチャイコフスキーの 曲《 》をピアノ曲に編曲し ている。 していたチャイコフス キーと、 に しむ 国ロシアへ の だろうか。ときに しささ え感 るほどの しみと い しさ をたたえたこの曲がラフマニノフの となった。また、ラフマニノフは ピアニストとして 度か 演奏会 を開き、その をソ 大 に もした。  その後 1943 年 1 月、ラフマニノ フは に れ、ロサン ルスの に入 する。最期まで を にか けながら 3 月 2 、70 の 生 を目 にして 。1917 年にロシア を出て 来、結 度と 国を れ ることはなかったが、しかしラフマ ニノフは最後までロシアの作曲 だ った。 (たかはし・けんいちろう  札幌大学地域共創学群教授) ニューヨーク州ケンシコ墓地のラフマニノフの墓

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Ph ilh arm on y Ju ne 2 014 《ザ・グレート》のシューベルト・プ ロが披露される。下野竜也は、演奏 機会の少ないドヴォルザーク《交響 曲第 6 番》をメイン・プログラムに すえて、持ち味を発揮する。  11 月はレナード・スラットキンと ネルロ・サンティの両ベテランが招 かれる。来季のサンティはロッシー ニ、メンデルスゾーン、ベートーヴ ェン、レスピーギ他の管弦楽作品を とりあげる。オペラでなくとも、名 匠サンティの語り口の豊かさは十分 に伝わってくるはず。A プロのスラ ットキンは、近年録音でも力を入れ ていたラヴェルを中心としたプログ ラム。華やかな響きを楽しみたい。 記念碑的名作にデュトワが挑む  12 月は名誉音楽監督シャルル・デ ュトワが指揮台に立つ。大きな話題 を呼びそうなのが A プロのドビュッ シー《ペレアスとメリザンド》(演 奏会形式)。ステファヌ・デグー、ヴ ァンサン・ル・テクシエ他、充実した キャストで記念碑的名作に挑む。B プロではユジャ・ワンの独奏による ラヴェル《ピアノ協奏曲》他が演奏 される。こちらも聴き逃せない。  1 月はジャナンドレア・ノセダが 3 つのプログラムを振る。ベートーヴ ェン《交響曲第 5 番「運命」》(A プ ロ)、ムソルグスキー(ラヴェル編) 《組曲「展覧会の絵」》(C プロ)とい  オーケストラの新しいシーズン・ プログラムほど心を浮き立たせてく れるものはない。あたかも旅のプラ ンを練るかのごとく、眺めているだ けで期待感が高まってくる。  今年も 9 月より新たなシーズンが 幕を開ける。例年にも増して魅力的 なラインナップが並んだ 2014/15 シ ーズンを展望してみよう。 巨匠ブロムシュテットによる公演で 2014/15 シーズンが開幕  オープニングとなる 9 月は、名誉 指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット が A、B、C すべてのプログラムを指 揮する。チャイコフスキーとモーツ ァルトの後期三大交響曲をそれぞれ 1 曲ずつ組み合わせたプログラムは 大きな聴きものとなるだろう。「最も 心に残った N 響コンサート 2013」の 投票結果では、第 1 位から第 3 位ま でをブロムシュテット指揮の公演が 独占した。来季もまた心に残る名演 を聴かせてくれることだろう。  10 月はロジャー・ノリントンが A、 C プロ、下野竜也が B プロに登場す る。「ベートーヴェン・シリーズ」完 結編として、A プロでは《交響曲第 7 番》他が演奏される。ノリントン 流の機知に富み、驚きにあふれたベ ートーヴェンを堪たん能のうできることだ ろう。C プロではベートーヴェンか ら一歩時代を下って、《未完成》と

*2014/2015 シーズンの聴きどころ*

(28)

A

P

ro

gram

 4 月はともに 60 年代ドイツ生まれ の実力者、セバスティアン・ヴァイ グレとミヒャエル・ザンデルリング、 さらにロシアの名匠フェドセーエフ が登場し、それぞれ「お国もの」プ ログラムを聴かせる。  5 月は久々の登場となるユッカ・ペ ッカ・サラステがシベリウスを振る。 デーヴィッド・ジンマンはドイツ音 楽プロとフランス音楽プロをそれぞ れ用意する。ショーソン《愛と海の 詩》がとりあげられるのが嬉しい。  6 月は正指揮者の尾高忠明がラフ マニノフ《交響曲第 1 番》を指揮す る。初演での大失敗のエピソードが 有名な曲だが、作品の真価を知る好 機となるか。新星ステファヌ・ドゥ ネーヴとアンドリス・ポーガは N 響 定期初登場。欧州を席せつ巻けんするその勢 いを N 響に持ち込んでくれるだろう。  新鋭から巨匠まで、来季も多彩な 顔ぶれがそろった。オーケストラを 聴く醍だい醐ご味みを存分に味わいたい。 (飯尾洋一) った名曲中の名曲で、ノセダがどん な演奏を聴かせてくれるのか。熱の こもった演奏になることはまちがい ない。また B プロではカセルラ《交 響曲第 3 番》というノセダならでは のプログラムが組まれた。2012 年 2 月、カセルラ《交響曲第 2 番》で客 席が大きく沸いたことを思い出す。 次期首席指揮者の パーヴォ・ヤルヴィが 2 月に登場  2 月はいよいよ 2015 年 9 月に首席 指揮者に就任するパーヴォ・ヤルヴ ィが登場する。プログラムにはマー ラー《交響曲第 1 番「巨人」》、R. シ ュトラウス《交響詩「英雄の生涯」》、 ショスタコーヴィチ《交響曲第 5 番》 といった聴きごたえのある作品が選 ばれた。首席指揮者就任決定後の初 登場とあって注目度は高い。ソリス ト陣も一段と華やかで、チェロのア リサ・ワイラースタイン、ピアノのピ ョートル・アンデルジェフスキ、ヴァ イオリンの庄司紗矢香が舞台に立つ。

*9 月の定期公演*

◉ 9/10(水)7:00pm、9/11(木)7:00pm(Bプロ)サントリーホール 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット モーツァルト/交響曲 第 39 番 変ホ長調 K.543 チャイコフスキー/交響曲 第 4 番 へ短調 作品 36 ◉ 9/19(金)7:00pm、9/20(土)3:00pm(Cプロ)NHKホール 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット モーツァルト/交響曲 第 40 番 ト短調 K.550 チャイコフスキー/交響曲 第 5 番 ホ短調 作品 64 ◉ 9/27(土)6:00pm、9/28(日)3:00pm(Aプロ)NHKホール 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット モーツァルト/交響曲 第 41 番 ハ長調 K.551「ジュピター」 チャイコフスキー/交響曲 第 6 番 ロ短調 作品 74「悲愴」

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