弘
法
大
師
の
列
教
諭
相 官 山 専 門 田 中 校 教 授芙
蓉
良
)
眠
序
論
私はとの論述に於て、弘法大師の判教に就て内容的細論的研究を試みんとするものではなく、概括的に弘法大 師判教の特徴を把握し判教の最後的第一義的目的を究めんとするものである。弘法大師の判教は大師営時に存在 した華巌・天台・三論・法相等の各宗の判教とは種々た意味に於て全くその趣旨左具にして居るにもかもおわら や、古来主として所謂額密封排’と言ふ判教の表面的意味のみが高揚せられた結果大師の判教的に表現せられた大 理想が設却せられて居る怨みがある。それ故に今は率直に大師の判教設立の動機とその特徴とに就て検討して大 師判教の大理想を明瞭にしたいと思ふ。 凡そ大師の判教的思想は大師の著の至る所に鷲見ずる事が出来るけれ共、特に判教諭と見るべさものは排頴密 二教諭二巻・十住心論十巻・秘蔵賓錦三者である。との中耕顕密二教諭は一切悌教を顕教と密教とのこ教に分類 する判教で、大師の立場から言へば大師営時存在した華巌天合法相三論の諸宗左悉く額教とし、大師立教の異言 宗を密教と名けられたものである。又十位心論・秘競費舗に顕れた判教思想は平安朝初期に存在した内外一切の I 弘法大仰の到教諭日 本 偽 数 挙 協 合 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 2 教法問ち儒教道教伸数等の教法をその浅深に従って十種に分類し前九を顕教とし第十を密教師ち真言宗教法正せ られた判教である o 真言宗の判教はその立教の営初大師に依って大成せられ、雑然と輪入せられた内外一切の教法が批判統一せら れその封立的宗義論争が解消ぜられたから、大師以後の悌教は漸次密教化し悌教本来の面白を護揮し、盈茶羅宗 の立場から各自各宗の宣揚に精進する事と友ったから大師以後の真言宗は専らその賢践部門たる事相方面の普及 設展に集中せらる L 事となった。然るに錦倉初期に入ると法然・柴西・親鷺・道元・日蓮等の諸師に依って新悌 教唱導せらる a A や必然的に大師判教並にその敦皐に封する再認識が要求せられた結果、事相中心の員言密教がと れを轄機として教相復興へと進み幾多の皐匠輩出し、盛に組糧論章の注煙害が作られた事は飴りにも有名た事で あ る 。 然し乍らとの時代の教相皐は租轄の末註がその中心を成し、大師の教閥単をその時代に活用する迄に至らやノ、随 って新興悌教に劃しても極めて泊極的態度を持し僅に員言教阜の復興に依ってとれに相封したと言ふのがその員 相である。それ故に大師の判敦思想の研買に就て見るも大師の判教の異精神を把握してその時の新伸教乞批判統 一すると言ふ態度では無く専ら一大師判教の文 K 何 A の 注 躍 に 始 経 し 華 天 雨 一 一 来 以 下 の 奮 仰 教 の 批 判 に 依 っ て 良 一 口 口 密教の宣揚に努力したに過ぎなかった。従って華天雨一一束等の奮伸教に封する態度も宗祖はその昔時の華天雨一 乗等を批判統一して文字通り悌教の統一的稜民に寄興せられたがとの時代の研究とたるみ﹂却てとれ等奮悌教との 封立的立場のみが高揚せられて、その統一的方面は極めて微温的であった。然し乍らとの時代の組轄の研究末程が 其の後の教相の礎石とたり叉今日の研究もとれ等の末躍が中心を成して居る事賢より見る時との時代の教相諸家
の功績を忘れる事は出来ない。 鎌倉期教相復興期に営り大師の判教を取り扱ふに官り大師の判教を横・堅二種に分類し酔顕密二教諭に顕れた 額密二教の判教を横の判教と名け、十住心論・秘蔵賢錦等に明す十住心判教を竪の判教と名けるやうに怒り以後 一般に真言判数に横・堅二種の判教ありと言はれるやうにたった。との額密二教・十位心の判教を横竪ご種の判 教と名けたのは恐らく頼論師︵一 MM 駄 ︶ で
b
らう、即ち頼論師のご教諭指光紗︵暗唱乙に ﹁ 先 師 一 E 。 九 大 師 立 教 有 − 一 二 門 刊 二 教 十 住 心 也 。 是 則 約 ニ 積 堅 二 義 日 判 ユ 諸 教 − 也 。 ﹂ と言ふ。先師とは俊晴師を指すものであるが文献に顕れたものとしては南公のとの設が最も古いものと思ふ。そ の後宥快・呆賓諸氏等に依って横堅判教の名稿が用ひられ今日では一般遇用語と友って居るから、今もとの積竪 二種の判教に亙ヲて従来あまり注意せられなかヲた方面を観察して、大師判教設立の動機とその特徴とに就て考 察し、大師立教の異精紳を把握し将来への一指針を示したいと思ふ。二、剣敬設立の動機
大師が所謂横竪ご門の判教を設立し真言密教を宣揚せんとせられた動機に就ては色 K の角度からとれそ考察す る事が出来る。而して従来の教相家の一致する見解は、大師以前には密教の判敢に関する経論として大日経・四時 摩詞初論・菩提心論・大日経疏等を師事げる事が出来るけれども、とれ等は何れも断片的に額密二教の差別演深を 明すと臨も未だ四家大衆等に見るやう怒専門的判教書と言ふととは出来たいから、とれ等各宗の判教に匹敵する やうな判教の必要を痛感せられ党結果横堅一一種の判教を設立せられたと見て居る。 3 弘法大師の列教諭日 本 偽 数 挙 協 ム 町 同 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 四 4 然しながら大師の判教は軍に自己の倖承せられた真言密教確立と言ふやうな小一果的立場からの判較では無く平 安初期に於ける思想的封立、その混乱等を極救し解治せしめんが矯めにその統一原理として密教を採用し、その 営時存在した内外一切の思想を批判抱擁して悌陀方便の大理想を顕示し、各自の偏執を去って、各
7 F
﹂ の 大 道 を 精進し、以て長茶羅世界を宜現せしめんが矯めに所謂横堅二円の判教を設立せられたと見るのが、最も受賞であ る と 思 ふ 。 大師時代に於ては一方に所謂大串を中心とする儒教の問中者と南部諸大寺左中心とする悌教徒との封立があり、 他方悌教内に於ても奈良時代前後して法相・三論・倶合・成茸・律・華巌等の諸宗が度来したけれども所謂直器 時代でとれ等諸宗の批判的研究若しくは綜合的統一的研究行はれや寧ろ封立的研究がその主流をたして居ったか ら一味和合を理想とする悌敦点圏は論争常なく全く思想混鼠時代を現出して居った。市してとの問題は日本悌教 史並に思想史の問題としてかなり興味ある問題と思ふけれ共今贋くとれ等の問題に偶れる事は出来危いけれども 大師の判教諭に顕れたとれ等の問題に就て見るに、大師が秘碕賢舗中倉に於て儒教皐者の代表として憂国の公子 を出し、悌敦皐徒の代表として玄関法師左とれに配し、十四段の問答論争を放さしめ給ふより見るも、との時代 との問題がか友り問題視せられて居った事置を知る事が出来る。叉大師が入悌道の始め三教指蹄を作って緯李孔 三教の優劣を示し給ふのも批判に伴ふ統一原理の指示がその目的であった事を知るべきでその反面との時代がと れ等思想の混乱期であった事を知る事が出来る。又大師が天長五年綜事種智院を創立して韓李孔三教の壁修を勤 め給ふのも置にとの三教一融和の精神に基くものである o 印ち綜華麗智院式︵雌一謀議主︶に 前来車帝建 v寺置 v院仰 v之 弘 v道。雄 v然 見 詞 方 抱 偏 翫 コ 伸 一 経 刊 根 序 茂 廉 宰 耽 ニ 外 書 一 刊 至 v岩 三 ニ 敬 之 策 五 明 之 簡 − 翠泥 不 v 遇。堕建コ綜事種智院 4 普 寂 ニ 三 教 − 招 ニ 諸 能 者 三 一 ー 左越べ給ふ。天長五年と言へば恐らく大師が十住心判教伝制定せられた直後の事でとの十住心判教の理想の賓践 としてとの綜塞種智院を創設し給ふと見るべきあ一る。 更に平安初期に於ける悌教内の封立に就て見るに、奈良時代の伸教は次官﹂弐ぎに倖来する伸教の直躍的研究を 特徴とするもので内面的には思想的封立がかたり濃厚であったが各宗粂撃の風儀に依って宗々の封立はさまで表 面化し放かった。然し‘たがら平安新伸教もんる天台宗の興起を合機として新奮の封立、奮奮の封立が漸次表面化 し、宗粗大師の時代はその封立の頂賄であったゃうである。即ちとの時代とたると年分度者に︷一万別を生やるやう になった、即ち延暦二十年四月の勅令には年分度者に法相・三論の別左明にせしめ給ふ。とれが如何たる原因に 依るかは明瞭で泣いが延暦二十一年正月の勅令に法相・三論雨宗の論争に闘するものがあるから恐らくは雨宗の 思想的封立がその原因であると見る事が出来る。従って延暦二十二年になると法相三論雨宗の年分度者を各一点五 名と定め給ひ、延暦二十五年には華巌・天台・律の三宗に各々二人、三論・法相二宗に各 k 三名の年分度者を定 め給ふ。との事は更に宗々封立に拍車を掛ける結果と友り、惇教大師が天台宗を停へ所謂法華一一束の義左建て三 一一橋置を決判し給ふや、法相宗との間に思想的封立を来した。伎の筑波の徳一が悌性紗・慧目視足論三巻・中謹 義鏡三容等を作って三乗員賢一一東方便等の義を立て、天台教義 b L 排議し、とれに封して停教大師は弘仁八年には 照樫賓鏡一巻を作って徳一の悌性紗の義に答へ、弘仁九年には守護園界章九容を作って慧日初足論等の難に答へ られて居る。更に停教大師が弘仁十年三月一乗戒壇建立の勅許を請ひ給ふや、奈良伸教との聞に亦復封立左生 5 じ、借綱護命等は上表文を奉ってとれに反封し、南部戒壇院東大寺の景深も亦迷方一不玉論を作って大衆戒壇設立 弘法大師の列教諭 五
日 本 偽 数 革 協 合 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 一 六 6 との時停教大師は額戒論三巻を作ってとれに封抗し給ふ等宗祖大師営時の悌教界は文字通り封立混 乱の極に達して居った。大師はとの思想混胤期に鹿して、はるかに伸教の大理想を思弘、決然立ってとの思想統 一の大業を成就せんとせられたものである。即ち大師の入唐の動機として惇へられる久米塔下に於ける、不二法 門としての大日経の観得も、その営時の悌教界を静観する時官然起る純真な欲求であり、その結果統一原理を大 日経の中に護見せられた事を物語るものである。叉大師が排額密二教諭各上に 偉 v額 法 将 舎 ニ 深 義 − 而 従 v演 。 遺 ニ 秘 旨 一 而 未 v思。師師伏唐随 v口 謹 v心。弟弟積習随 v宗成 v 談 。 未 v逗 v訪 エ 損 v己 餌 刊 争 ニ 寡 益 y我鋒 4 に 反 封 し た 、 と述べ給ふのは正しくその首時各宗の賓棋を示し給ふものであり又性霊集省第九︵一志一一一四むに 惇 法 聖 者 非 エ 不 v知 v秘 市 博 世 間 制 。 知 市 相 譲 良 有 v以 也 。 末 開 申 不 v知 − 一 此 趣 4 人 人 以 ニ 自 問 ア 魚 v 是。家家以 v 末 v 知潟 v非 。 教 是 迷 方 示 南 。 開 − 一 示 衆 生 迷 街 叫 欲 v詮 ニ 悌 智 日 不 v可 ニ 局 執 刊 一 歩 即 憩 誰 見 一 一 賀 城 刊 と述べて各宗の封立の原因が局執にある事を明し、其の結果は祉舎的に思想的混胤を招くのみならや、自己の理 想の成就も畳束友い事を示し給ふものである。従って瞬間制密二教がか L る随宗成談の局執を遮遣して更に一歩高 い悌の理想に時一せしめんが矯めの著作である事も自ら首肯せられる事と思ふ。
三、大師剣教の特徴
大師の判教は上越の如くその営時の宗々の封立、思想的混乱を解消ぜんとするのが目的であるから草怒る経典 の 文 K 何 K を問題とせ守、能設の教主の意柴と行者の住心とを判教の基本的性格とせられて居るから、宗祖判教の特徴として次の三鮎を事げる事が出来る。 一、横の判教は能設の教主を以て額密二教を分類し給ふ事。竪の判教は行者の住心を以て十位の差別を示し給 ふ 事 。 二、経律論所設の法門を所判の基本とせや四家大衆等の諸宗の宗義を所判の基本とたし給ふ事。 三、毘の判教の中
K
世間三ケの住心を建立し給ふ事。 其の他内容的に見れば種 K の特徴を敢へる事が出来るけれども、今はその官時存在した各宗の判教と比較して宗 祖の判教が持つ基本的特徴として前記コ一項目に就て概説して見たいと思ふ。 ー、横の判教は能設の教主左以て額密二教を分類し給ふ事、竪の判教は住心を以て十住の差別を一示し給ふ 事 。 大師判教の第一の特徴売る能設の教主、行者性心を以て判教の基本とたし給ふ事に就て見るに、大師営時の判 教は何れも印度支那等に於て成立した判教そのま L の翻罷相承の判教であり、三論の二蹴三轄法論の判穀、天台 の五時八数等何れも伸所設の法門を内容的時間的或は説法に於ける根機の関係等に依って分類したもので伸身論 の護展に伴ひ多少伸身論的規範を持つものもあるけれども何れも所設の教法を基本として分類したものであるけ れども宗祖の判教は能設の悌身・行者の住心乞基本として分類したものであるから其慮に宗祖判教の根本的持徴 を見る事が出来る。とれを分り安くナる矯めに宗祖大師の般若心経秘鍵に額はれた二一の文を抄すれば 夫働法非 v謹心中剖近。真如非 v外 升 v身何求。迷悟在 v我則護心部到。明暗非 v他 則 信 修 忽 設 。 と述べて悌法を自心に求むべき事を述べ給ふは正しく行者の住心を根本とする宗祖の悌教観の営然の陣結であ 7 弘法大師の剣教諭 七日 本 偽 数 挙 協 舎 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ I¥. 8 る。叉般若心経は額敦経典か密教経典かとの疑問に劃して、 醤王之目燭 v詮皆薬解費之人礎石見 v置。知興 v不 v知何誰罪過 と述べ給日又 額密在 v人聾宇部非 と述べ給ふ。とれ叉伸所設の法門の一々には悌の理想の全障が顕れて居るから、所設の法門を偏に顕教だとか密 教だとか決定する事は不可能であって、とれが顕教とたり密教となるのはとれを理解する人の住心にある事を述 べ給ふものである。叉宗祖大師は排額密二教諭巻上に 韓 教 事 一 束 夏 目 白 v徴至 v著。漠明魚 v始周天魚 v後其中間所−一翻停一皆是酔秘。玄宗代宗之時金智賢智之日密教欝起 盛談 4一 蹴 趣 4 と述べ給ふ。とれは唐の玄宗代宗以前にも所謂雑部密教経典は翻倖せられて居るけれども未だ密教の奥旨を知ら たい以前のとれ等経典は所謂顕教としての密教経典であって、密教としての経典で・ないから﹁皆是顕教﹂と述べ給 ふものでちる、叉同論に 諸経論中往往有=斯義刊雌 v然 文 随 ニ 執 見 − 隠 。 義 逐 ニ 機 根 日 現 而 巴 。 壁 一 如 ニ 天 鬼 見 別 人 烏 明 暗 4 と述べ給ふ。とれ叉所設の法門に封ナる見解の不同は行人の住心に依る事を明し給ふものである。又性霊祭巻第
十 ︵
一 詔
一
P 四 二 ・ ︶ に 倖 数 大 師 が 理 趣 四 時 銅 山 の 借 賢 を 求 め ら れ た 時 と れ に 封 ず る 返 信 を 出 し て 居 る 即 ち 、 書信至深慰ニ下情﹁雲寒、伏惟止観座主、法友勝 v常、食道易 v量、貧道具=闇梨﹁契積有ニ年歳叫常思隈漆之芳 輿 ニ 松 栢 − 一 小 y凋 。 乳 水 棲 持 = 芝 蘭 − 摘 香 。 告 ニ 止 観 m m 翼 円 高 義 ニ こ 益 上 刊 鴎 ニ 定 器 一 回 臨 開 ﹁ 建 跨 ニ 一 ニ 界 之 外 刊 分 ニ 多 賀 座 ﹁弘 ニ 樺 曾 法 4 此心此契誰忘誰忍、雄 v然 、 顕 教 一 一 来 非 v公 不 v傍。秘密悌騒唯我所 v誓。彼此守 v法 不 v達 二 談 話 4 不 謂 之 志 何 日 忘 央 。 忽 開 = 封 械 日 間 ︽ 盟 百 v覚 ニ 理 趣 韓 刊 雌 v然、疑理趣多端。所求理趣指ニ何名相 4 夫理趣之道、程経之 文、天所 v不 v能 γ覆、地所 v不 v能 v載。塵利之塁、河海之水誰能敢得 v藍 エ 其 一 − 何 一 泊 之 義 日 乎 。 白 v 非 コ 如 来 心 地 之 力 、 大 士 如 空 心 ﹁ 量 能 信 解 受 持 乎 。 余 雌 ニ 一 小 敏 ﹁ 略 示 ニ 大 師 之 訓 旨 − 葉 子 正 ニ 汝 智 心 − 浮 ユ 汝 戯 論 ﹁ 諒 ユ 理 趣 之 何 義、密教之逗留 4 夫理趣妙何無量無擾不可議。揖 v賢従 v略、奔 v末 師 v本、且有二三種 4 一可聞理趣。二可見理 趣。三可念理趣。君求三可問理趣者、可 v問者則汝聾密是也、汝口中一言説部是也。更不 v須 v求 ニ 他 日 中 4 若 覚 ユ 可 見 理 趣 − 者 、 可 v見者色。故四大等師是也。更不 γ須 r覚 − 他 身 謹 刊 若 索 ニ 一 吋 念 理 趣 − 4 4 汝一念心中本来具有。更不 v須 索 ニ 他 心 中 刊 一 百 一 百 井 一 連 ペ 給 ふ 。 と れ も 叉 理 趣 耀 等 の 密 教 K 義は行者所具の三密を基本とするものであるからたど理趣轄等の所設の 法門だけを基本として所謂顕教的見方をしたのでは何等意味をたさないものであるからその借覧を拒絶せられた ものである。市もその拒絶理由として自心の三密の自覧左詳詳と設を給のも大師のとの判教的立場を一示し給ふも の で あ る 。 次に正しく横の判教たる顕密二教の判教が能設の教主を中心とする事に就て見るに、排額密二教諭巻上の最初 に 夫 悌 有 ニ 三 身 ニ 教 則 二 種 。 躍 化 開 設 名 目 ニ 額 較 刊 一 言 顕 略 一 退 v機。法併談話謂ニ之密蔵 4 言 秘 奥 富 説 。 と述べ給ふが如く、法・報・躍或は法・臆・化三身の中法身は密教を設を、臆身又は報身は地上の菩薩の霜めに 一乗数左設を、化身又は臆身は外語凡夫聾株二一束等の矯めに三乗教を設さ給ふと見るのが宗祖大師判教的立場で 9 弘法大師の列教諭 九
日 本 係 数 単 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 問
。
10 ある。従って額密二教判教の中心課題は宗組大師営時存在した四家大乗敦等に於て法身は説法せやと言ひ、法身 の世界は無色無形であると一言ふのに封して、との法白河が説法する事を明瞭ならしむるにあるから、宗祖大師の排 顕密二教はとの法身説法の論詮が中心問題として取り扱はれ所謂六経三論に依ってとれを明にせられたものであ る 。 とれ等論説の中特に注意し‘なければたらぬものは樟摩詞初論第五容の五重の問答の一段を引詮して果分不ご摩 詞初の法を以て密教とし、不二摩詞初の諸悌を以て法身とたし給ふ事である。即ち程摩詞初論には因果合して三 十三ケの法門を建立し、その中三十二種を因分とし不二摩詞初の一を果分とし、因分三十二種は機の浅深不同に 依るもので綿ては果分不二摩詞桁に統掃せられる事を明して居るから、封立論争常たを子安初期の一切悌教h z
統 揖せんが矯めに、との不二摩詞初の法門を高調せられた事である。即ち排額密二教諭巻上に 時日己上五重問答甚有三深意刊細心研嘉則能諾 v極。一一深義不 v能 v染 v紙審市思 v 之 。 と述べ給ふ。とれはとの五重の問答が軍怒る額密封排の一面を額はすばかりで無く、その会韓を不二摩詞初に統 掃する一面ある事を述べ給ふものである。又との三身二教の判教に就て特に注意を要する貼は三身思想に封ずる 額密二教の見解の不同に就てどある。即ち宗祖大師は畔額密二教論者下に於て大日経第六各百字果相臆品の文を 引 い て 、 此文明下大日傘三身遁ヱ諸世界日作コ悌事日亦如申穆迦三身的緯迦三身大日三身各各不問。臆 v営 v知 v之 と回押し給ふが如く、顕教三身は程迦三身左中心とするものであり。密教の三身は大日三身を中心とするものであ る。換言すれば顕教の三身は機見の不同に約する三身であり、密教の三身は悌それ白山田︵顕教に所謂無色無形無説法と帯する法身︶の内容若しくは韓用としての三身である。従ってとの大日三身を韓迦三身と比較すると因果 の相違がある。との因果諸備の得不に就て韓論第一容に得不問答の一段を設けて員生二門因分の諸悌は不二果分 の三諸備に揖得せらる L 事を明して居るから、宗祖はとの文を排顕密二教諭巻上に引用して結局に於て韓迦三身 は大日三身に揖得せらる L 事を明して、大・種別障の所に韓迦三身を悌そのものの立場から見れば大日三身の顕 現なる事を顕して、顕教内の種々怒る封立はとの大日三身の同盟国に依って解消する事を示されて居る。 とれを要するに、能設の教主の相遣に依って額密二教左封排する事は従来の伸敦内の封立の上に更に封立を増 加したもの L やうに思はれるけれどもその質密教的立場を明にする事に依って併設杢憧の最高理想を示し、とれ に依ってその時代の悌設内に於ける封立を解治せられたものである。宗祖大師が排額密二教諭巻上に 問 日 古 停 法 者 債 遺 ニ 論 点 平 日 唱 ニ 敷 六 宗 日 間 二 演 三 頭 刊 軸 剰 コ 買 度 − 人 僅 ニ 傘 箭 4 何 持 騒 ニ 斯 篇 刊 利 益 如 何 。 答 多 有 コ 殻 揮 − 所 以 躍 v纂。先匠所 v偉 皆 是 問 問 教 。 是 密 騒 人 未 − 一 多 解 刊 是 故 h 一 、 ニ 釣 経 論 入 口 魚 二 手 鏡 刊 と述べ給ふ。とれは顕教の人 K が密教を知らざるが故に徒らに封立論争を惑にして居るからとれを解消せんが潟 めに密醸の本義を示し給ふ事を誼べられたもので文中﹁利益如何﹂の聞を出し給ふ事に注意ずべきである。更に法 身設法の論詮経過等に就ても一陸連べ・なければならぬが今は判教の内容を解説する事が目的でないからとれを省 略 す る 。 弐に竪の判教たる十位心法門はその名の示すが如く、行者の住心左以て悌教初め一切の宗教を分類したもので か L る範曜から悌教を分類したのは大師判教以前にとれを見る事は出来ないから、とれが正しく宗祖判教の特徴 と一言ふ事が出来る。従ってとの十住心判教を見るに首つては、との住心の義を明瞭にし−なければならぬ。 ζ の 住 11 弘法大師の列教諭 四
日 本 偽 数 担 増 協 A 官 官 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 四 12 心の語は恐らく大目撃包第一住心品の住心より取り給ふものであるが大日経疏︵玖廷七・︶にほとの住心の義を 躍 し て 、 入真言門住心品者。党本具有コご題刊初云ニ惰匡一言行品 4 弐言ニ入異言門住心口出嬬謂入住之義以 v粂 ニ 修 行 語 − 故 離 ニ 煩 文 一 但 著 二 支 ︵ 一
4E
言 焚 日 ニ 漫 但 揮4
即是員語如語不妾不異之一官。龍樹緯論。謂之秘密説。奮謹一式 y目 。 非 ユ 正翻日也。此品続二論経之大意刊所 v謂衆生白心印是一切智智。如賓了知名常二切智者 4 目 見 故 此 教 諸 菩 薩 。 員 語 矯 γ門 。 自 心 強 ニ 菩 提 叶 印 心 具 ニ 寓 行 刊 見 ニ 心E
等 畳 芸 品 ニ 心 大 浬 繋 刊 護 司 起 心 方 便 4 巌司浮心悌国刊従 v因至 v果 皆 以 ニ 無 所 住 − 而 住 ニ 其 心 刊 故 日 一 一 入 真 言 門 性 心 品 目 也 。 と述べて居る。又住心とは心寵生の弐第の義で、大日経疏ノ巻第一︵日程九・︶にとの,次第の義主押して、 此中弐第者。党菅有二不住義精進義遍行義 4 謂初強心欲 v入 ニ 草 口 薩 位 − 故 於 ニ 此 真 言 法 要 4 方便修行得 v 至 ニ 初 地 イ 爾 時 以 ニ 無 所 白 − 進 心 不 v 息矯満ニ第二地−故。復依ニ真言法要−方便修行得至第三地。爾時以ニ無所住−進心不 v 息箆 満 コ 第 四 地 故 。 復 依 ニ 員 一 言 法 要 一 方 便 修 行 得 v入二五地ア如是次第乃至満足十地。 と一言ふ。とれ等の躍に明かたるが如く住心とは初護心より悌某国瀦に至る迄進趣止まぢる設展的動的住心であ る。住心と言ふ言葉そのものは櫨積的静的心境乞指すものであるが櫨続的静的心境の所に護展的動的心境が存在 するから、とれを﹁因より呆に至るまで無所住を以て其の心に住す﹂と耀し又﹁その時無所住を以て進心息まや﹂と 躍したものである。障ってとの住心の内容を分類すると、大日経の中心思想であり、菩提心論の根本左友す、一向 志求一切智 k の心、即ちひたすらに理想を求むる心と、必営普度法界衆生の心と一言はれる、大悲利他の心と、静 散蹴諮心住凡車不二の心と言はれる安住心との三つを兵有するものであり、又大日経一部乃至一切蔵経の根本思想と言はれる菩提心矯困、大悲錆根、方便究寛の三何の内容を有するものである。との事は先引大日経疏に依れ ば 、 入 真 言 門 住 心 口 問 の 口 問 題 は 真 言 行 口 聞 と 真 言 住 心 品 と の こ 題 の 義 を 有 す る 冒 と す る 鮪 よ り 見 る も 明 か で あ る 。 と れ を要するに次第の義に不住義、精進の義、遍行の義等がある如く、行とは吾吾の歩行に就て見るも明かなるが如 く、最初の一歩を大地に安住させるのは次の一歩を進めんが矯めの行震で士一の場所に止位する意味でない鮪より 考ふれば大簡に於て不住而佐の義、無所住而住義も良解出来る事と思ふ。従って秘賠責輪各上には 牧 組 求 ユ 伽 党 − 幾 郵 到 “ 一 本 床 刊 加 来 明 設 v此 十 種 入 − 金 場 4 と述べて因より果に至る無所住の住心に十種ある事を述べとの十種の住心を判教の基本とせられて居る。即ちと の無所住の住心とは且誕生本兵菩提心の展開であり、十種の住心はその展開の弐第を十種に分類したものであるが との菩提心開明の相が頂度、悌が一明裁生左して菩提を成せしめんが詩めに設かれた額密一切法教と一致するか らとれを以て一切悌教を撮墨し、その開明の共第に従って十重の浅深を額し給ふものである。 かくの如く大師の判教は能設の教主或は行者の心品轄昇の住心を基本として備所設の法門を批判統一し給ふも のである。市も能設の教主とは本具菩提心左開顕した悌に外ならたいから、吾 h A 且 誕 生 が 個 人 的 自 我 を 精 算 す る 第 九住心迄が所謂遮情の法門と言はれる顕教に相官し、本兵菩提心乞開顕した第十住心は全く能設の教主たる備に 還同した表徳の密教に営る。九その悌所設の法門に種々の差別浅深あるととは機根の差別に依ると考へるととは 支那伸敦判教の共通的理念であるが、その反面には必十品誕生の心品轄昇、機根の成熟と畳一日ふ事が考へられて居る から大師はとの心口問韓日升・人格向上と言ふ事置を根操として一切悌教左分類せられたものである o 菩提心論に 諸伸慈悲従 v員 起 v用 救 司 揖 衆 生 刊 臨 v病 血 ︵ v護 施 ニ 諸 法 門 4 随 ニ 其 煩 悩 − 封 ユ 治 迷 津 ゴ 過 v 杭達二於彼岸 4 法巴臆 v拾 無 ニ 13 弘法大師の剣教諭 四
日 本 偽 数 民 平 協 合 百 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 四 四 14 自 性 一 故 。 と誠一ペて居る。とれは悌所設の法門は舶杭であり醤襲の如きもので所謂人格向上の短めの教法であるととを述べ たものである。大日経疏に﹁因より果に至る迄無所住乞以て而もその心に住す﹂と言ふのは所設の法門舶杭と知 り、良薬と信じ各各その三味に住して理想へ健康へと準趣強展するととを意味するものであるから、との住心左 基本として初めて所設の法教の異債が護揮せられるものである。換言すれば所謂人法一致の所に偶数の民債が護 揚せられるものである。宗祖大師が般若心経秘鍵に、 若 以 惣 義 皆 具 二 人 法 品 開 刊 斯 則 大 般 若 波 羅 蜜 多 菩 薩 之 名 印 是 人 。 此 菩 薩 具 ニ 法 長 茶 羅 臼 県 言 三 摩 地 門 司 一 K 字 師 法 。 此 一 − R 名 皆 以 世 間 演 名 表 法 性 深 競 即 日 記 職 。 と躍し給ふが如く、法の存する所必守人あり、人の存する所必や法あり、人法は一設である。此昆に真言行人の 住心を以て悌所設の法門を批判せられた根撲がある。 との住心と所設の法、剖ち人と法との一致を認識せや徒らに所設の法門のみを問題とする時は子安朝初期のや 一切法教は悉く浮菩提心一分一分の轄明の境 界を額し、皆悉くとの海菩提心真言法門に統揖せられるものである。とれを大師は般若心経秘鍵に﹁額密は人に あり聾十は即ち非たり﹂と述べ給ひ、又十住心論容十︵設か︶ 経 一 式 。 云 何 菩 提 謂 如 v賢 知 = 白 心 刊 此 是 一 何 合 ニ 無 且 意 義 4 竪 額 ニ 十 住 之 浅 深 4 横 示 コ 塵 敷 之 庚 多 。 と轄し給ふ。以上に依って大師が能設の教主、民言行人の佐心。乞以て一切僻教を比判し、とれに依って併教思想 うた各宗の封立を生十るけれども、 一 度 人 法 の 一 致 を 白 馬 比 す れ ば 、 の統一を園り悌教の異債を護揚せんとせられた意固左知るべきである。
2 、経律論所設の法門を所判の基本とせ示、四家大乗等の諸宗の宗義を所判の封象と友し給ふとと。 凡そ悌教各宗の判教を見るに悌所設の法門を所判の封象として、その槽貰・大小・浅深等を判定し、悌出世の 本懐を頴して居るが大師の判教は前謹の如く大師昔時の思想界の統一がその主目的であり悌教の異債を護揚ずる 事が最後の理想であるから宗我に執はれて封立論争するその営時の四家大一束の教義を直接所判の封象とし、経律 論所設の法門は所謂意味多含で一隅を以て論十べからざるものであるからとれを封象とせられたかっ売事は大師 のとの立場を額はすものとして特に注意したければならぬ。 とれを先づ横の判教たる排額密二教諭に就て見るに、華巌法門の批判に営ては華巌経を批判の封象とせ示、賢 首大師の華巌五穀章の文を引いて華巌宗の法門が別教一乗の中の因分普賢の境界法門たる事を明にし、天台法門 の批判に嘗つては法華経等を批判の封象とせや天台大師の瞳詞止観の文に依り随智設の三諦は結局果分不可設の 分粛売る事を明にし、法相法門の批判に営つては慈思大師の大乗法苑義林章容第二の一一諦義に明す四重二諦の文 を引いて勝義勝義諦は果分不可設の分粛売る事を明し、最後に三論法門の批判に宮つては智度論省第五に明ず八 不の文並に清排論師の般若燈論倉第十五の文を引いて悌の境界は一切の戯論を離る L が故に因人慮知の境に非ら まる事を説く事左明にし、とれ等賢首・天台・慈恩・龍樹等が穂して果分不可設と説くのは因人の凡夫に約すが 故でとれ等先徳は自己信仰の最後の理想としてかくの如く述べたもので無い事を明にし給ふ。卸ち排額密二教諭 巻 上 に 、 15 地 論 韓 論 稽 三 其 離 ニ 機 根 刊 唯 識 中 観 歎 ニ 言 断 心 誠 4 如 是 絶 離 並 約 二 四 位 − 談 非 v謂 ニ 果 人 目 也 。 と一言ふ。との文は十地論の著者世親菩薩、四押摩詞初論の著者龍樹菩薩、成唯識論の著者護法菩薩、中論の著者龍 弘法大師の列教諭 四 五
日 本 偽 数 単 協 合 同 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 四 ノ、 16 樹菩薩等が盛に悌の世界は機棋を離れ言設を離れ心棋の相を離る等と説くのは﹁並に因佳に約して談十﹂るものに して呆人に劃してかくの如く説くもので無いととを顕したもので世親・龍樹・護法等は果人の法門を知らないの では無いが暫く因位に約してかくの如く説いたと見るのが宗祖の立場である。即ち大師が性霊集巻第九に 停 法 者 非 ユ 不 v知 v秘而倖 v 頼。知市相譲良有 v以 也 。 左越べ給ふのもとの立場を示し給ふものである。叉馬鳴菩薩が起信論に於て、 是故一切法従 v本 巴 来 離 エ 言 説 相 離 名 字 相 離 心 縁 相 畢 寛 平 等 一 首 一 云 と言ふのを龍樹菩薩は耀摩詞初論各第二に於て、 如 v是 五 中 前 四 一 言 説 虚 妾 説 故 不 v能 v談 v翼後一言設如置設故得 v談 ニ 真 理 刊 馬 鳴 菩 薩 操 エ 前 四 日 故 作 ニ 如 v 是 説 − 離 言 説 相 云 一 疋 と述べて居る、との文は明に馬鳴菩薩果人の設を知ると雌も暫く五種言設の中の前四妄言設に約して起信論等に ﹁離言説相等﹄と述べ給ふ事を指摘したもので正しく大師の今の立場を裏書きするものである。 然るに各宗の末閥単世親龍樹等のとの立場左知らや各 K 租典の一言文に忠買にしてその背景をたず果人の設を知ら たいから今各宗の宗義を批判して各宗 k 皐者をして大師のとの立場を知らしめ進んで密教に入り悌教の真面白を 護揮せしめんとせられたものである。 次に秘臓賓錦に於ても第六位心より第九住心に至る四個住心は所謂四家大乗の法門を捕し給ふと睡も各宗所依 の経典を所判の封象とせや専らその宗義乞批判の封象とせられて居る事は額密二教諭の立場と同一である。 即ち第六住心に於ては法相宗の教義の大要乞述べ終って﹁此北宗大綱蓋如 γ是 ﹂ ? と 述 べ 給 ひ 、 第 七 位 心 に 於 て は 三
論 宗 の 宗 義 を 奉 げ た 後 コ 一 一 論 家 奉 ニ 此 八 不 − 以 得 ニ 究 極 中 道 4 故吉諸法師二諦・方言・悌性等章盛談ニ此義ごと述べ 給ひ、叉第八住心に於ては﹁大随天台山園清寺智者禅師依ニ此門一修ニ止観−得ニ法華三昧刊剖以ニ法華中論智度−矯ユ 所依一楠二家義ごと述べ給ぴ、第九性心に於ても、﹁杜順和尚依ニ此法門一浩ニ五教華厳三昧法界観等 4 弟子智慌相 槙 4 智巌弟子法戴法師叉買ニ五教一作=旨蹄綱目及疏 4 印此華最宗之法門一一義章。﹂と述べ給ふ。 かくの如く横堅一判教共に四家大乗の教相を批判の封象とたし給ふ事はその官時の思想統一的立場を額はすもの として特に注意したければ友らぬ。 3 、竪の判教の中に世間三個の住心在建立し給ふとと、 凡そ併教の判教は悌所設の法門を中心とするものであるから、設び世間三個の性心を悌教の判教中に入れるに しても所謂悌教としての人天乗を意味するもので無ければ友らぬけれども大師の世間コ一個の性心は一面悌教的人 天乗左捕すると同時に他商需教・印度教等の悌教以外の宗教を撮して居られるからとの世間三個の住心の建立か 宗組判教の特徴として教へられる弐第である。然らば何故に伸教の判教に一向行悪行の凡夫︵第一住心︶需教︵第 二住心︶印度教︵第三住心︶を加へ給ふやと言ふに、大師営時の一般思想界の封立特に世間思想封悌教の封立を解 消ぜんとせられたものである。 即ち宗祖が第一一住心臭生誠一羊心を建立し給ふ所以は、所謂一向行悪行の凡夫と睡も各々に大菩提心を具有する が故に凡夫の賓相はそのま L 悌である。然るにその官時の悌教以外の思想を奉ずる人 K はとの凡夫に劃して換言 すれば吾 k 人聞に封して種 k 異たった見解を有するが故にその妄見を是正せんが矯めである。国ち秘蔵賓錦各上 17 に 弘法大師の剣教諭 四 七
日 本 偽 敬 挙 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 四 F
、
18 有 一 宮 人 死 蹄 v無更不 v受 v生。如 v是 之 歎 名 ユ 断 見 4 有 一 広 人 常 活 v人畜常矯 v畜貴賎常定貧富恒分。如是之歎名エ常見 4 或 持 エ 牛 狗 戒 − 或 投 ニ 死 恒 河 4 如 是 之 歎 日 ニ 邪 見 − 邪 見 外 道 主 ︵ 敢 無 量 。 不 v知 ニ 出 要 − 組 司 習 妾 見 7 如是等類皆悉題羊心 左越べ給ふ。とれ伸教の因果思想を知らや、所謂断・常・邪見の考へを持ち理想たき生活をたす人 K の非を悟ら しめんとせられたものである。 共に第三位心を建立し給ふ所以は大師営時最も盛に行はれた需教思想と悌教の人乗との融合を示さんとせられ たものである。即ち秘蔵賓鎗翁上に 言 五 常 者 仁 義 瞳 智 信 。 仁 名 ニ 一 小 殺 等 一 恕 v己施 v物。義則不盗等積而能施。躍日不邪等五躍有 v 序 。 決能理。信不妄之稿言市必行。能行ニ此五一則四序玉燭。五歳金鏡。園行 y之則天下昇平。家行 v之則路不 v拾 v 遣。奉 v名額 v先之妙術。保 v園安 v身 之 美 風 。 外 続 三 寸 九 常 叶 内 名 コ 五 戒 4 名異義融。行同議別 O L −−述べ給ふ。とれは悌教の五戒と需教の五常とは名は異るけれどもその顕はす意味は同一であり、又その行相は 同一であるけれども唯異る所は利盆が別であり雨者全く異る事を述べたものである。而して此鹿に利益別と言ふ 智是不乱等審 のは需教等は仁義躍智信等を設︿と臨もその根本はあ一くまで自己中心主義であるから一無我を基調とする悌教とは その結果に於て全く異る事を明したものである。かくの如く需教と悌教との融舎を顛はずと同時にその猷黙を指 摘して彼等に悌教思想を認識せしめんとせられちんものである。 共に第三位心建立の理由は印度教並に需教等は主としてその理想郷を天道に求めて居るけれども自己中心我中 心の思想にては結局に於て理想郷建設も無意義である事左示されたものである o 秘蔵費鋪巻上に 問 護 戒 生 天 有 幾 種 。 生 天 有 四 種 一 外 道 如 何 設 。 一 一 一 一 乗 亦 生 ユ 天 上 刊 三 大 一 束 菩 薩 必 需 ニ 十 天 王 同 日 夜 。 四 臨 化 諸 悌 菩薩 化 司 作 天 王 4 と述べ給ふ中正しく世間三ケ住心の第三住心は第一の外道の天を理想とするもので印度教儒教等の天を理想とす るものを言ふ。此れに封ずる大師の立場は第二位心と同じく合遣の二義を以てとれを轄し給ふ。即ち秘蔵賓錦巻 上 に 、 諸外道等所行皆是悌法欺。答此有ニ二種二合二達。合者契玄口如来所設−故。達者連ニ乗悌設−故。難 v云 三 克 是 悌 説 日 然 無 始 時 来 展 轄 相 承 建 ニ 牛 八 本 国 日 刊 或 随 ニ 自 見 − 持 ニ 牛 狗 等 戒 日 以 求 ユ 生 夫 4 如 v是 之 類 並 失 − 一 本 旨 4 と言ふ。との樺に依れば組て理想を求め向上を志求する事は、各自に本具する博菩提心の活動怒るが故にとの意 味に於て人乗よりも一段と高い天一飛を求むる事は悌教の理想に契ひとれを悌設と見る事が出来るけれども、同じ く天上を求むと躍も悌教の無我観を知らや、断・常・邪見等を基本として欣求する生天は悌設に契合したい事を 明し給ふものである。而して大師首時如何怒る生天思想が有って悌教と封立して居ったかは明瞭で無いが儒教等 に天道設を放すものがるり、印度外道等に闘する記録も宗組大師営時多分に存在して居ったからとれ等に劃する 思想的立場を明にし、海菩提心の展開として見る限り世間教の一切が悌教と融合する事乞明にし、悌教封外教の 封立を解消し給ふものでるる。
目、結
論
以上の論述に於て私は大師判教の目的が平安朝初期に於ける悌教内外の思想的封立の解消にあった事を述べた 19 が、此の大師の立場から見る時鎌倉期異言教相復興の時 ζ の大師の異精神護揮せられ所謂新密教判教が再組織せ 弘法大師の列教諭 四 九日 本 係 数 血 中 協 舎 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 五 0 20 られたとすれば少なくとも現代偽教は一理想に鶴一して各々に護展したであらうけれ共新悌教に目を蔽ひ只管大 師判教の判文に忠賓にし子安初期の悌教批判に始終した矯め切角大師滅後真言化し悌教の異精神把握に再出穫し が一悌教も再び封立抗争の悌教界を形成するに至つ売がとれを再び大師の立場に還元せしめる事が新真言教畢の使 命であり悌教界に輿へられた重大責務である。教理の浅深にあら守して住心の浅深であり自身の三密に悌教を樟 得する事が伸教の根本間顕である事を白直覧する時各宗の封立は解消し、所謂憂茶羅田作を顕現するものである。且 叉大師判教の吾等に教ゆる所は複雑多岐に至る現代思想界を伸教理念に依って融合統一する事である。との事業 とそ悌教徒全韓が内観自省し協力一致し売後に来る重大使命であり大師判教の再組織はとれに依って完成する事 と 思 ふ 。 ー ll 昭和十六年二月十五日||