ヘーゲルの『法哲学』 : その成立の背景(2):「イエスの生涯」
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(2) ヘーゲルの『法哲学』. ――. その成立の背景(2):「イエスの生涯」 下城. 一. Eine Untersuchung der Rechtsphilosophie Hegels ――. Über die Hintergründe des Zustandekommen der Rechtsphilosophie Hegels (2) :Das Leben Jesu. 近代自然科学の勃興を端緒にヨーロッパ全土を席巻した啓蒙主義の怒涛は、フランス革命を惹き 起こす一方ロマン主義的反動へと発展し、後進国ドイツに、ゲーテ、カント、シラー、フィヒテを 輩出しつつ、キリスト教擁護の極から民族自立の怒号に至る思想の激流を現出することになった。 その最前線に学んだ若きへーゲルは、しかし、そうした学問世界の動乱にもまして、幼少期よりその 家庭に漂っていたヴュルテンベルクの民主主義の現実を直視する極めて鋭い観察眼を醸成していた。 若き思索が夢見た、現実世界への真理の美的顕現の理想も、その現実認識の鋭敏さと強さによって 繰り返し現実へと引き戻され、理想を現実に向けて把握しなおす哲学の彫琢へと収斂されていく。 その行程における最大の哲学上のドラマはやはり、イエスにカントの定言命法を語らせる極めて ス カ ン デ ロン. 実験的な試み. ――. へーゲル研究史上の未だ「躓きの 石 」であり続けている. ―― 「イエスの. 生涯」とその背景をなすカント超越論哲学との対質である。何故へーゲルは、反動啓蒙主義的なロ マン主義やキリスト教の洗礼を受けながら、対極の、もはや乗り越えたはずの啓蒙主義的カント哲 学との再対決に再三再四繰り返し取り組むのであろうか。その哲学的目算は何か。本稿は、へーゲ ルのカント哲学との本格的対質の哲学的動機に焦点を当てる。 遡れば、へーゲル、ヘルダーリン、シェリング等、テュービンゲンの少壮学徒達の関心を先ず集 めたのは、カント超越論哲学を基に理想美への無限の接近を追求したシラーの美学であった。だが それは、そのカント的な約束された理想実現の遠い未来性ゆえになお彼らを満足させることなく、 代わって彼らがその若き性急さのゆえに求めた夢は、純粋な理想を如何なる妥協もゆるさず眼前の 現在において実現すること、すなわち感性美(ギリシア)と理性(近代)とのこの現在にける直接 の融合であった。この純粋な夢を、へーゲルは生涯抱き続ける。 美こそが真理のこの世界への奇跡的顕現であるとして、その稀有の融合を芸術の内に見出す美学 にその思想的生涯を賭したのは、テュービンゲンの同窓にしてともにフランス革命に熱狂した詩人 ヘルダーリンである。だがへーゲルは、その鋭敏すぎる観察眼から、同窓ヘルダーリンの芸術的探 求の苦闘に一旦は自身の思索を重ねつつも、否応なく目の前のドイツ近代の市民社会の現実に、す なわち、ばらばらの個人による統制なき経済活動に狂奔する、無残に引き裂かれた「分裂せる国民」 に注目せずにはいられず、この無残な現実の只中では、もはや直接的な感性と理性との再融合の夢 は、理念の媒介を欠いたそのままでは現実化すべくもない幻に過ぎないことを見て取らずにはいな かった。 ギリシア的感性美と現実との融合という若き純粋な理想を手放さないへーゲルになお残された可 能性は、カント哲学によって分離された理念と感性の関係の哲学的再検討を通じて、「分裂せる近 代」という現実をそのまま引き受けながら、カントが無限の道徳的実践によってのみ達成されると.
(3) 46. 下城 一. したその無限のかなたの理性と感性との再融合の可能性を、この現実の只中で実現し得る新たな論 理の可能性の探求以外にありえなかったと言ってよい。 へーゲルは、そのような経緯で若き日の美学への夢を断ち、民衆宗教樹立の夢を断念して、なお、 その夢の最後の可能性として、カント実践哲学を通じた理性的道徳法則の感性世界への再融合の可 能性を追求していく。それが、テュービンゲン神学校卒業後の、ベルン時代のきわめて実験的な草 稿「イエスの生涯」である。本稿は、その解明を主題とする。へーゲルのその若かき純粋な夢が、 砕かれつつも、後年どのような形でへーゲルの哲学体系に結実していくか、そのドラマを追う。. 第一章 第三節. 初期へーゲルの思想形成過程 ロマン派的芸術観とヘーゲル. 先ずもって、チュービンゲン神学校の少壮学徒達に、カント として発展的に継承しつつあったフィヒテの哲学 であろうか。 「. ――. ――. 並びにそれをさらに自我論. は、どのようなものとして映じていたの. …暫く前からまたカントの研究に取り組んでいる」1と伝える 95 年1月付けのへー. ゲルのシェリング宛書簡の前後に、どのような思想的状況が見出されうるか、それを明らかにして おかなければならない。 「分裂する国民」2を結果する啓蒙主義的近代への反動として、自民族のルーツをギリシアに求め る古代回帰の思潮が所謂「古代・近代論争」へと窮っていくなかで3、ヘルダーリンを中心とするチ ュービンゲンの少壮学徒達の関心は、その流れを汲む時代の最先端の初期ロマン派の動向に集中し ていた。 身分を越えた男女の愛を描きヨーロッパの大ベストセラーとなったルソーの『新エロイーズ』 (1761)を発端に、ゲーテの『若きウエルテルの悩み』(1774)や、ヤコービ等によって推進されてい ったロマン主義は、旧時代の逼迫を打破し、新しい社会の創造を熱望する怒涛となってヨーロッパ を席巻していた。フランス革命を一方の頂点としつつ、しかし他方その後の恐怖政治を結果する理 性に対する不信も頭をもたげつつあるなかで、その最初期においてまだ彼らの関心は、真理の感性 界への全的顕現の時代と信じられたギリシアを範に、啓蒙的近代に抗する新社会創造のための「新 しい神話」の追求に向けられていた。 啓蒙と反啓蒙のメルクマールである理性と感性の区分はそのままに、超越論的理性の自由に基づ いて啓蒙的理性を擁護し、他方、感性を物自体的なものとして認識の不可欠の要素とみなし、その 両立を実現したのはカント哲学である。だが、そのカント哲学にあって、理性と感性との再融合は、 道徳的実践を通じて歴史の無限のかなたに追及されるべき理念的目標にとどまっていた。 カント超越論哲学に依拠しながら、感性と理性の再融合を現実の美的形象の内に見出し、それを 自然(古代ギリシア)と文化(近代)の和解に重ねて、その時代の「新しい神話」の創造を目指し たのはシラーの美学である。 バ ウ ム ガ ル テ ン の 定 義 に よ れ ば 美 と は 、「 感 覚 的 認 識 の 完 全 性 」( perfectio cognitionis sensitivae)を意味するとされ、謂わば、真理の感性的な全的顕現を指す4。シラーは、『人間の美的 教育論』(1795)に於いて、国家と教会、法律と倫理、労働と享受のように、分裂した近代において 「断片」化した人間の「全体性」を回復できるのは、「遊戯衝動」に基づいた、どんな実在をも表象 しない純粋な「美的仮象」以外にないと主張した5。 しかしシラーは、感性と理性の区分の論理をカント哲学に依拠していたため、その「全体性」の回.
(4) 47. ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 復、すなわち感性と理性の再融合の実際の実現を現在のうちに見出し得ずにいた。「しかしまたその ような美的仮象の国家は存在するのか。そしてどこにそのような国家は見出されるのか」、そうした カント超越論哲学固有の論理的アポリアを、シラーもまた回避できずにいたのである6。 『素朴的な詩と情感的な詩について』(1795)でもシラーは、全一的な自然の描写が可能であった「素 朴的」 (naiv)な時代に比して、近代は文化によって自然から引き離された時代であるとして、近代の 詩は「情感的」(sentimentalisch)に「理想」を描写するしかないという7。シラーのいう「理想」は カント的な. ――. 現実の歴史のうちでは達成不能な、無限の接近のみを可能とする. ――. もの. であるがゆえに、その達成は「絶対的なものの描出」(Darstellung des Absoluten)を意味する「情 感的」な詩をこととする近代人の、歴史において前進する主体性を信じるよりないと言われざるを えない8。 歴史における「人間の神への移り行き」(Übertritt des Menschen in den Gott)を目指したシラ ーのこの理性と感性の再融合の美学的試みに対し、後年ヘーゲルは『美学講義』で次のような評価 を与えている。「シラーには、カントの主観性と思惟の抽象を突破して、それを超えて統一と和解と を思惟によって新なるものとして捉え、芸術的に実現しようとする試みを敢行したと言う大きな功 績が承認されねばならない」(Ästh.Ⅰ,89)。だが、それが遂に「不断の努力」にとどまり、シェリ ングやヘーゲル自身の絶対的観念論によって乗り越えられねばならないものであったことをヘーゲ ルは付記している(Ibid.)。 一方、その分裂せる理性と感性との現在における再融合を、美的形象の内に見出そうとする美学 的試みを極限まで推し進めたのはヘルダーリンであった。 テュービンゲン神学校でシェリング、ヘーゲルと同室であり、ヘーゲルと同年齢のヘルダーリン もまた、カント哲学から出発する。神学校卒業後、シラーの斡旋で家庭教師の職にあったヘルダー リンは、イェナでフィヒテの講義に触れ、カント哲学をシラー、フィヒテ、プラトンを通じて乗り 越えようと企図していた。 『ヒューぺリオン』を準備する断片でヘルダーリンは、生を過去のギリシアにその理想を見出す ことのできる自然の「純粋な単純さ」と、近代後の未来の「完成された教養」との間にあるものと し、「現存在の苦痛のすべて」は、かつてホメロスの世界に見出されていた「一つであったものから の分離」によるもので、それゆえ人生の意義は「同胞達との交わり」「大いなる再会」にあるとする (Sta.3 ,164ff.)。目指されるのは理想の「天上的な存在」、「愛の巫女」であり、青年ヒューぺリオ ンもまた、その「純粋な聖なる単純さ」を求めて、「あらゆる分離したものの偉大な合一」のために、 「一層緊密に合一するための分離」である人生を「完成した教養」を目指して歩むとされる(StA.3, 180f.)。 そうしたなか、1795年1月25日付ヘーゲル宛書簡でヘルダーリンは、直前に読んだヤコービ『ス ピノザ書簡』(1785)をもとに、スピノザの同一哲学のアポリア 出すための差異の確保の問題. ――. ――. 同一なものから世界を導き. を解決すべく、フィヒテ『全知識学の基礎』 (1794/5)の「自. 我と非‐我の相互限定」の思想に注目する9。世界の存在を、総て「自我」の運動から説明しようと するフィヒテの「絶対的自我の哲学」は、しかしその「自我」の外に、その運動の障害となる「非 ‐我」の契機がない限り、それから区別される「自我」となれず、意識=世界を持てない。 ギリシア的な始原の自然の単純性と、現在が回帰していくべき全一的な合一性の内に、理性と感 性との全一な合一を構想していたヘルダーリンにとっては、このことは、フィヒテ的な自我の同一.
(5) 48. 下城 一. 性原理の困難である以上に、自らが信じるギリシア的な自然の美的全一性の時代が、何故没落して 存在せず、世界から分離して意識が生まれ、この分裂の近代に至らねばならなかった理由は何かと いう、この世界の起源、すなわち意識の起源の説明が必要であることを意味するものであった。 既にここに、理性と感性との二元分離から出発し、その再融合を歴史の無限のかなたのものとす るカント的要請論に換るものとして、理性と感性の分離の原理それ自体をこの世界の内に求め、こ の世界における分離と関係、並びに再融合を現在のうちで可能化としようとする一元論的世界観へ の転轍が志向され始めていると言える。真理はもはや、歴史の彼方にあって無限の接近を要するも のではなく、この世界にあってその姿を直接捉えることのできる何かでなければならない。 D.ヘンリッヒによってその意義をドイツ観念論の概念史における一大画期として称揚された断 片「判断と存在」(1795)で、ヘルダーリンはドイツ語の「判断」(urtheilung)という語が「原‐ 分割」(Ur-Theilung) と分解されることに注目して次のように言う10。 「原分割の概念には既に客観と主観との相互関係の概念が存しており、客観と主観とがその部 分であるような全体の必然的前提が存する」(StA 4,1.216f.) 見られるとおり、ヘルダーリンは、この世界に於ける、世界(客観)と自我(主観)の分離、す なわち意識=自我の生成の原理を、意識が行うその都度の「判断」(原-分割)に求め、この世界の 総てをそこから説明可能であるとしている。 この時期、同室のジンクレアの影響も忖度されるこうした判断論=意識生成論により11、ヘルダ ーリンは、フィヒテの絶対的自我哲学をスピノザの一元論に結び付けたシェリングの同一哲学に先 んじて、いち早く、カント‐フィヒテ的な主観‐客観二元分離的世界観を論理的に脱していたとい うことができる。 しかしながらヘルダーリンは、実際にはこうした「意識」の「判断」としてのありようそれ自体 に注目するのではなく 途であるが. ――. ――. それがへーゲルが後に起源論の因果論的本質の批判を介して採った. 判断の前提に、そこから世界が分離=生成し、「対立」「抗争」(Widerstreit). による展開を経て再び自然と再融合し、「合一」(Vereinigung)へと至る、根底的な「一性」 (Einigkeit)の存在を確信して、それを「美としてそれが存在する。 …美が女王であるような新 しい国がわれわれを待っている」(StA. 3.236f.)と主張する。その把握の能力が「知的直観」、す なわち「美的感覚」である(Vgl.StA 6,1.202f.)。 自身の恋愛体験とも重ねながらヘルダーリンは、『ヒューぺリオン』第一巻第二編(1796)で、美 の化身として形象化したディオティーマについて次のように書く。 「私はそれを見た。わたしの魂が捜し求めていた唯一のものを。そして我々が星々の彼方へと 遠ざけ、我々が時の終わりまで引き伸ばすような完成、それをそのときわたしはまさに目の当た りに見た。最高のもの、それは現にあった。人間本性と諸物とのこの領域にそれは現にあった。 私は最早それがどこにあるかとは問わない。それは世界の中にあった(Es war in der Welt.)」 (StA 3. 52) ヨハネ福音書(Joh. 1. 10)を下敷きに描かれたとされるこの叙述において、天上的なものの本.
(6) ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 49. 質として、「聖なる単純さ」「完成」「調和」をその形態の特質として持つ理想の女性ディオティーマ の姿は、最早、シラー・カントが目指した「時の終わりまで引き伸ばすような完成」としての「人 間の神への移行」を表すのではなく、「人間となった絶対者」としての、美のこの世界への今このと きの顕現を表しているのに他ならない12。 だが、断片「判断と存在」で論理的に達成された、この世界の只中における理性と感性の分離と 融合を、果たして自身の偶然の恋愛体験をモデルに、眼前での真理顕現の体験として、美学という 学問形式で取り上げることは、歴史上の感性的な真理の形態化の取り扱いとして充分な想定と言え たであろうか。ヘルダーリンを、その恋愛の顛末とその後の生涯とともに見守ったシェリングやへ ーゲル達の思想にとってそれは、美学を巡り、その極北まで進む一つの悲痛な思考実験として映じ ていたに違いない。 自身の恋愛体験を実証に、あまりにも無防備に、絶対者の側からのこの世界への歴史的一回起的 な偶然的とも言うべき奇跡的顕現として美的に表象されたヘルダーリンの理性と感性との再融合の 形式は、この世の常とも言うべき不幸な別離にしたたかに思い知らされることにより、改めて、絶 対者の歴史のうちへの顕現のあり方とこの現実の、顕現の必然性の問題も含めた関係性の問題を、 歴史という悲劇の問題としてなお解明されるべき課題としてヘルダーリンに痛感させることになっ た。 反復可能な普遍性を条件とする思想形式を超え、言語をも超えて美的に表象される「無限に一な るもの」(StA 3, 81)とされた絶対者は、今やそのうちに、詩人がこれまで避けてきた俗世の「低 俗なもの」一切をも含む、「生ける全体」(StA 6,1.309ff.)へと、変容を余儀なくさせられざるを えなかった。 「最高の力は、それが顕われ出るとき、同時にまた最も慎み深いものであるということ、神 的なものは、それが出現するとき、不可避的にある悲哀と謙譲を伴なうということ、このこと に人は、いつになったら気付くのであろうか」(StA 6,1.294) 今や、生の全体の諸区別、諸対立の中で、絶対者を言葉により区別し、描きとることがヘルダー リンの最高の課題となる。だが、それはもはや、かつての栄光に満ちた光り輝く美的顕現としてで はなく、悲劇的な詩のうちに、「反対の仕方で」(per contrarium)、隠喩として語られる絶対者像で ある。「形象は感覚を形式的にも素材的にも否認しなければならない。素材は感覚のより大胆なより 疎遠な譬喩や実例とならなければならず、形式はより多く対立と分離の性格を担わなければならな い」(StA 4,1.150)。 絶対者が世界に顕現する必然性と世界との関係性とを巡ってヘルダーリンは、再度、神話的形象 の模索へと進み、その思想は宗教論的色彩を深めていく。新たに、その思想的深化のもとに描き出 される絶対者の顕現形式は、社会のために犠牲の道を選んだ. ――. イエスを髣髴とさせる. ――. 自死へと向かうエンペドクレスの姿をその「しるし」(Zeichen) として指し示される絶対者像であ る。それは、しかし、最早、歴史上の一回起的な美的表象の問題というよりも、宗教論上の、歴史 哲学的問題というべき内容である。 「悲劇的、劇的な詩のうちで表現されるものは最深の内奥性(Innigkeit)である。悲劇的頌.
(7) 50. 下城 一. 歌はまたその内奥のものを極めて実定的な諸区別のうちで、現実的な諸対立のうちで描出する。 悲劇的な詩はより深い内奥性、より無限な神的なものを表現するので、それを描出においてよ り一層包み隠し、それをより強力な諸区別において表現する」(StA 4, 1.150) ヘルダーリンによる、こうした、この世界の内での感性と理性の再融合を探る美学的試みは、啓 蒙と反啓蒙の思想的嵐の最前線にあってカント超越論哲学の乗り越えを課題としていたテュービン ゲンの思想動向を最もよく映し出す一つの時代の鏡であった。 美学の可能性に生涯をかけたヘルダーリンの、それ自体悲劇的な思考実験は、へーゲルの思想形 成にもまた深甚な影響を与えずにはいなかった。当時のへーゲルにとっても、芸術は、哲学が矛盾 の解消であり和解に他ならない真理に対して「思惟による洞察」を与えるにとどまるのに対し、真 理を感性的に形態化して直観に提示するもの、であった(Ⅰ 81f.)。 へーゲルの筆とされる『ドイツ観念論最古の体系的プログラム』(1796/97)13が、その時代にお ける「新しい神話の必要」を掲げているのは、明らかに、ヘルダーリンを筆頭とするテュービンゲ ンの思想的反映である。 「我々は新しい神話(eine neue Mythologie)を持たなければならないだろう。しかし、この 神話は諸々のイデーに奉仕しなければならない。それは理性の神話(Mythologie der Vernuft) とならなければならない」 実践的に要請される形而上学を「倫理学」とし、道徳的存在者としての世界を考察する「自然学」 、 並びに政治、経済、芸術、宗教、哲学の一切をプラトン的な「美のイデー」に合一するその体系に 於いて、しかし既に、地上の文化的営みの一切が目指すべきとされた体系の最高点としての「諸イ デー」が、「理性の神話」と言い換えられている点は留目に値する。 ギムナジウム時代に、時代のロマン派的空気を呼吸するへーゲルが、 「美しき構想(宗教・芸術)」 による民族精神の涵養を構想していたことは、先に触れておいた。だが、早くからヴュルテンベル グの実情に関して深い現実認識を有していたへーゲルが、既に86年にはその日記に、民族精神の涵 養に、現実には「教養層」と「一般民衆」とを区別する必要があり、教養層の啓蒙は芸術で事足り るにしても、民衆の啓蒙は「時代の宗教」が担わざるを得ないとみなしていたことにもまた留意を 求めておいた. ――. 「. …従って、一般民衆の啓蒙は時代の宗教に求められるべきである(それ. は学問芸術の方向にではなく、むしろ技術や便利さの方向に展開するであろう)」14. ――. 。すな. わち、へーゲルの鋭すぎる観察眼は、ヴュルテンベルグの現実の民衆が、美的感性だけで導かれ得 るものではなく、その教導に経済や政治の力学が不可欠であることを、夙に見て取っていたのであ る。 1801年の『差異』論文ではへーゲルは、シェリングの同一哲学に依拠しつつ体系の頂点に「絶対 者の自己構成」を据え、「芸術の哲学」と「宗教の哲学」を通じて体系の始原である純粋なイデーに 帰還する体系を構想するが、1803年の断片6では、その関心がなお民族精神の神話と芸術における 美としての形態化に向けられ、とりわけその形態化が、「人倫的意識の全体性」 「普遍的な人間性」 を包括するべく神々の系列・多神教を要し、それぞれの神々が絶対的自由の内に自己形態化しなが ら、その個体性・限定性のゆえに対立する矛盾を自ら抱懐するものとしてあらねばならないという.
(8) ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 51. 論理的必然性を追及している15(GW.5 375)。この点でへーゲルは、排他的なユダヤ教を、人倫的に 「最も悪い民族」とみなしているが、それはフランクフルト期以来の一貫したユダヤ=キリスト教 観である(GW.5,377)。 先回りして言えば、へーゲルは、真理の現代への顕現の可能性の形式として、藝術が果たしうる 機能については、その思想形成の最初期を除いて既に両義的であったと言える。 先に引いた『体系プログラム』と同様の体系構想について述べた、1802/3年の宗教哲学に関する 草稿でへーゲルは、宗教の三段階を区別し、第一の自然宗教としてギリシア宗教を、第二にキリス ト教、第三に新しい宗教として「民族宗教」を掲げるが、既にそのギリシア宗教は、美しい真理の 美的顕現の可能性とともに歴史の中で没落し、反復不能のものと捉えられている16。 「この美わしい神々の世界はそれを生気付けた精神とともに没落せざるを得ず、単に一つの「回 想」(ein Angedenken)としてだけ留まり得るに過ぎない」(Ros.136) また、第三の宗教として構想されている「民族宗教」については、先に引いた『体系プログラム』 同様、それが芸術の形式にとどまるのでなく、イデーの形式として、哲学によって準備されると主 張される。 「この再構成された宗教によって、自然宗教(ギリシア宗教)のうちでのみ存在できる精神 の観念性の形式つまり芸術に、必然的に他の側面、つまり思惟の形式のもとでの精神の観念性 が付加された。そして民族宗教は、思弁の最高の諸々のイデーを単に神話としてではなく、諸々 のイデーの形式において言表して含むのでなければならない」(Ros.139) 見られるとおり、へーゲルは、真理の感性的具現の時代であったギリシアの栄光が、この世界に 於いては、最早再顕現し得ない過去のものであることを明瞭に自覚している。そしてまた、キリス ト教も、そのもたらす「聖化」が自然の外から齎されるものである点で否定される。むしろ、真理 をこの世界の只中において再顕現する機能は、思惟の形式の内に探られるべきである。「二千年間世 界とその形式のあらゆる形式を支配してきた対立の持つ全エネルギーを、自らの内に含むと同時に その対立を超えて高まるこの認識、この認識はただ哲学だけが与えうる」(Ros.141) へーゲルがこうした認識に達するひとつの根拠としては、この草稿が、ギムナジウム卒業後、一 貫して取り組まれていたヴュルテンベルグの国家体制並びに市民社会の現実を問題にする思索の結 果として、先に触れた『ドイツ憲法論』(1801)に続く、『人倫の体系』(1802/3)の続稿として、フ ランクフルト期の、スチュアートやA・スミスといった国民経済学の研究を踏まえている点を指摘 できるだろう。すなわちへーゲルは、既に、その時代の市民社会の必然性と矛盾についての充分な 洞察を得ていた。最早、近代は芸術を必要とはしていない。「我々の時代でのように、明らかに生き た世界が芸術作品を自らの内に形成しない場合、芸術家はその空想を過去の世界へ移し置かなけれ ばならない。彼はみずから一つの世界を夢見なければならない。しかし、その作品にはそれが夢想 でしかないという、生き生きしていないという、それが過去のものでしかないという性格が端的に 刻印されている」(Ros.181)。 その視点から、先にあげた「断片6」では、ロマン主義的芸術観の特質の一つとして、「体系プロ.
(9) 52. 下城 一. グラム」ではシェリングと並んで受容していた「天才」概念が、その非社会性・非協働性のゆえに 改めて退けられている。「芸術家は、いわばその足場が見えない仕方でイデーとして眼前にあるよう な、石のアーチを建設する労働者達の間にいるものである。おのおのが一つの石を置く。芸術家も 同じである。石を置く最後のものであるということは、彼に偶然起こるに過ぎない」(Ros.180)。 へーゲルは、「近代の市民社会的な「機械体制」や「工場体制」、「近代的な国家組織」が「分裂」 の状態にあり、緊密な生の諸連関を前提とする「叙事詩」にはそれは不向きな時代であるとしてい る(Äst.Ⅲ 339ff.)。確かに、神が精神であることを啓示している芸術はひとつの真理の顕現にほか ならない。しかし、その意味では「芸術は、その真理に於いてはむしろ宗教である」(GW.8,279)。 というのも、絶対精神の顕現形式としては、感性的形態化は、その個体性という本質において限定 的でしかない。生の諸連関の全体を絶対精神として顕現するには、思惟の形式としての諸概念の十 全な連関形式によるしかない、とへーゲルは言う。 近代に於ける芸術の失効を、そのようにあくまで論理的に論証するへーゲルだが、しかしへーゲ ルは、そうした論理的思弁からだけ、芸術の可能性を否認したわけではない。へーゲルには、芸術 が、確かに時代に飛び越されてしまったことを見て取らずにはいられない痛切な現実認識力が備わ っていた。 ヘーゲルが芸術作品に対する実に繊細な鑑賞眼を持っていたことは、後年の美学講義で披瀝され た作品鑑賞を通じていくらでも確認可能だが、とりわけ「はかなさに対する芸術の勝利」と評され たオランダ静物画を見るヘーゲルの眼力はそのひとつの典型である。 「色彩の斑点は、いずれもそれ自身だけでは鈍い灰色で、多少の白みや青みや黄みを帯びてい るに過ぎないが、少し距離をおいてみると、それぞれが交響して、実物の首飾りに固有の美し く和やかな光沢が浮き出てくる」(Äst.Ⅱ 228) 「芸術を待たずして、日常充分に見知っているものたち」の一瞬の移ろいを逃さず、それを「ふ と煌めくコップや皿などのある静物」として描き出すオランダ絵画へのヘーゲルの着目は、しかし 同時にまた、その焦点が、芸術作品それ自体から、そこに描きこまれた人間達の生活そのものの細 部へとずれていかずにはいない性質のものである。 「古典的芸術がその理想を実現するには、ただ実 体的な内容の形態化を本質とするのに対し、この段階〔古典芸術の解消段階であるロマン主義芸術 の段階〕では、転変常なき自然の流動する諸現象. ――. 水の流れや滝、泡立つ海の波、ふと煌め. くコップや皿などのある静物や、また精神的現実のごく特殊な状況における外面形態. ――. 明か. りのもとで針に糸を通す婦人、ただならない気配漲る盗賊たちの根城、たちまち消え去る一瞬の挙 動、農夫の哄笑や嘲笑などが、オスターデ、テニールス、ステーンといった名人達によって、画面 に描きとめられ、鑑賞に供される。それは、無常の変化に対する芸術の勝利であり、はかなく、一 瞬に去りゆくものの実体的なものからの支配権の奪還である」(Äst.Ⅱ 227) こうしたへーゲルの芸術の枠を越える繊細な観察眼は、あらゆる対象に発揮されるが、とりわけ シェークスピアを巡る論評ともなると、その縦横無尽の観察眼は真骨頂に達する。へーゲルは言う。 「こうして我々は、例えばシェイクスピアに、. …最高の諸領域や最も重要な諸関心とならんで、. 極めて些細な、副次的なものを、同じように見出す。例えば『ハムレット』では、宮廷の場面と並 んで歩哨たちが、 『ロメオとジュリエット』では下僕が、その他の劇では、さらに加えて道化師、な.
(10) 53. ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. らず者や、日常生活のありとあらゆる卑俗猥雑なもの、居酒屋、馬丁、尿瓶や蚤などが書き込まれ ている。それは調度、宗教的領域に取材したロマン派的芸術が、キリスト生誕の図や諸王礼拝の図 に牛やロバ、秣桶や藁を書き添えずには済まされないのと同様である。万事こうであって、 「卑しき ものは高められるべし」という言葉は、芸術においても満たされているといえる」(Äst.Ⅱ 221) ヘーゲルのこの鋭い現実洞察力が、最終的にはしかし、芸術という領域そのもののこの時代にお ける限界を見抜き、分裂せる時代の現実それ自体を把握する方向へとヘーゲルの思考を向きなおら せずにはいない。 「我々は、ギリシアの神々の彫像をなおも非常に卓越していると思い、父なる神、キリスト、 マリアをなおも非常に威厳に満たされた形で描出されていると見るかもしれない。. ――. し. かし、それは何の役にも立たない。我々は最早その前に跪かない」(Äst.Ⅰ142) 近代という時代は最早、「芸術の諸作品を神的と敬ったり、それらをあがめたりすることのできる 段階を飛び越えている」(Äst.Ⅰ24)。最早、明らかに芸術は、ギリシア時代にそうであったように、 時代の只中への真理の顕現を可能にする形式としては失効している。「芸術制作とその作品に固有 の仕方は我々の最高の要求を最早満たさない」。「これらのあらゆる関係に於いて、芸術はその最高 の使命の側面に従えば、我々にとって過去のものである」。「思想と反省が美しい芸術を飛び越えた」 (Äst.Ⅰ24f.)。ヘーゲルは、深いため息とともにそう結論付けないわけにはいない。 この鋭すぎる、さりながら如何ともしがたい現実認識が、ヘーゲルに、ヘルダーリンの、美学に 賭けた痛ましいほどの絶望的な思想的探求の途とは別の途を選ばせる。ヘーゲルは、現実を美学の ために見るのではなく、体系を現実に合わせて変更する途を選ぶのである。 「イデーの感性的な輝き現われ」(das sinnliche Scheinen der Idee)として、ヘルダーリン達と ともに、真理に等しいものとして夢見られた美と、その感性的形態化としての芸術は、ヘーゲルの 思想形成過程における体系構想の度重なる試行錯誤のなかで、その頂点の座を哲学に譲る。1805/6 年の『精神哲学』では、芸術は、宗教、哲学から区別され、その本質である「直接性」すなわち「直 観」が、「有限性の媒体」にとどまって「無限なものを捉えることはできない」と批判され、最早、 媒介を本質とする精神には不適切な形式とみなされて、その失効を宣告される(GW8,279)。 芸術の、現代における終焉について、ヘーゲルは『精神現象学』で次のように言う。 「神々の諸々の永遠の掟に対する信頼は、特殊なものを教えてくれた神託と同じように黙り 込んでいる。今や彫像は生気づける魂の逃げ去った屍、賛歌も信仰の逃げ去ったただの言葉で ある、神々の祭壇には精神的な食べ物や飲み物はなく、人々が催す競技や祝祭からは、意識に は自分と実在との喜ばしい統一は戻ってこない。かつては神々と人間たちとを打って一丸とす ることから精神には自己自身の確信が生じたが、ミューズの諸々の作品にはこのような精神の 力も欠けている。. …こうして、運命は我々に、あの芸術の諸々の作品によっては、それらの. 芸術作品が花咲き実った人倫的な生の春と夏とを与えない。単にこの現実を包み込んだ回想 (Erinnerung)を与えるに過ぎない。それゆえにこれらの芸術作品を享受する我々の行いは、 その行いを満たす完全な真理を我々の意識にもたらすような宗教儀式的(gottesdienstlich)な ものではなく、外面的なものである」 (Phän.Ⅲ 523f.).
(11) 54. 下城 一. 問題はしかし、ヘルダーリンを旗手とするロマン主義的な芸術志向の思潮の中で出発しながら、 その鋭すぎる現実洞察力によって、芸術と訣別せざるをえなかったヘーゲルが、現代への真理顕現 の可能性を巡って、早期から、芸術ではなく、イデー、すなわち乗り越えられるべき目標であった カント超越論哲学と同じ「理性」の形式にそれを求めねばならないと考えた、その理由である。時 代の思潮であった芸術に決別し、ヘーゲルをして敢然と哲学に向かわしめた、その積極的理由は何 であったか。とりわけ、真理の最高の形態として、カントを超えて「イデーの哲学」 ・ 「理性の哲学」 ――. すなわち諸イデーの思惟の形式における十全な展開の必要. ――. を説くに至るヘーゲルが、. 一体、カントの超越論哲学的な、無限の接近の可能性しか許されない理念論と、どのように対質し、 それを乗り越えたのであったか、それが問題である。 第四節. カント哲学とイエスの生涯. 以上見てきたとおり、へーゲルは、その思想形成過程の当初において、ヘルダーリン等と同じ思 想圏に属し、芸術を、真理の感性的な形態化として、体系の頂点に位置づけていた。それが徐々に、 芸術は最早「過去のもの」と貶下され、代わって理性の哲学が、体系の頂点を占めるに至る。その 経緯に於いて、へーゲルにそのような変更を余儀なくさせたのは何であったか。芸術の思想化に取 り組みつつも、鋭い現実認識を如何ともし難かったヘーゲルの思想進化の延長上に、宗教と理性の 融合を夢見た、「イエスの生涯」が浮上する。 へーゲルが、後年の『美学講義』(ハイデルベルグ:1818、ベルリン:1820/21、1823、1826、1828/29) で、オリエント時代、ギリシア時代に続くキリスト教ロマン主義的近代において、最も高い評価を 与える芸術のジャンルは、先に引いた静物画やシェイクスピアの散文と並ぶ、詩・ポエジーである。 ポエジーについて、しかし既にヘーゲルは、それが「最も精神的」な芸術であるその本質から「精 神の和解された感性的具象化という要素」を超え、 「思惟の散文」へと超出して「芸術そのものを飛 び越える危険を蔵している」と見なしている(Äst.Ⅰ122f.)。 叙事詩(Epos)、抒情詩(Lyrik)、劇詩(Drama)に三分される詩の形式のうち、まず叙事詩に ついて、へーゲルは次のように言う。 「叙事詩が背景とする生の状態の全体にとって最も適切なありようは、その状態が諸々の個 体にとって現存する現実という形式を取ってはいるものの、なおも諸々の個体と生の状態の全 体が根源的生命性というありかたできわめて緊密な諸連関を保っているということに存する」 (Ⅲ 339)。 すなわち、叙事詩は、「根源的生命性」という「緊密な諸連関」が保たれた上での、その顕現とし ての感性的形態を描写するものであり、それが可能だった時代はギリシア時代、つまり既に「過去」 のものとされるのが叙事詩である。 それに対し、ギリシアの栄光が没落して後の、キリスト教ロマン主義の時代である近代の抒情詩 は、「ポエジーの主観的形式」として個別的であり、根源的な「民族精神の全体性」をそれは表現し ない、と批判される。ここまでは、ギリシアを理想の時代とし、新たに創設されるべき民族宗教の モデルとしてその賛美を惜しまない初期へーゲルのお定まりの構図である。 がしかし、一方、その抒情詩は、その形式的普遍性から「国民的発展のほとんどあらゆる時代に.
(12) 55. ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 成立し得るという利点を持っている」として一転、逆転して評価され、その点、生の諸関係が完成 されて既に一つの秩序を持ち、「各々の個体が権利を授けられている近代」に適合的である(Äst. Ⅲ 419,431f.)と肯定されるに至る。すなわち抒情詩が、真理の形態化である芸術に属しながら、 それがその内奥の精神を指し示す普遍的形式であるところから、それは、ギリシア芸術の没落の後 の近代にあって、なお評価され得るに足る芸術形式とされるのである。ギリシア芸術を過去の没落 した栄光とみなすヘーゲルの芸術観に対してこれは、芸術の形式面だけでなく、古代と近代という 時代そのものの評価の逆転を窺わせる内容として興味深い点である。 更にその上で、ポエジー並びに芸術一般の最高段階とされる劇詩は、行為を実体的なもの(ギリ シア的精神)と主観的なもの(近代的主観性)との綜合として表し、叙事詩の客観性と抒情詩の主 観性の綜合として、すなわち個体の内面性を客観的に顕現せしめるものとして表現する芸術形式と され、その説明において次のように言われる。 「真実に実体的なものこそ現実に達しなければならない。. …それは和解である。そのうち. では一定の目的と諸々の個体とが毀損されず、対立することなく、調和的に活動する。それゆ えに悲劇の結末で止揚されるのはただ単に一面的な特殊性であって、それはこの調和には適合 し得なかったものである」(Äst.Ⅲ 524) 見られるとおり、芸術の最高点においてなお否定されざるを得ないのは、その感性的形態化ゆえ の不可避の「一面的特殊性」、すなわち真理の感性的形態化としての芸術の本質そのものである。ヘ ーゲルは言う、「芸術は、その真理においてはむしろ宗教である」(GW.8,280ff. 1804/5. Philosophi. des Geistes)。ヘーゲルにとって問題は最早、芸術それ自体の帰趨にあるのではなく、それを越え て、あくまで、真理のこの世界への十全たる顕現を可能にする形式の探求こそが求められている。 カント超越論哲学が、真理の顕現を彼岸的理念として、それへの接近に無限の距離を要すると規定 して以来、カントの到達点を出発点とする新たな哲学の世代の、それが共通の課題であった。 翻って宗教は、その点、芸術と違い、その顕現形態のうちに「神は精神である」ことを明るみに 出している点で評価され得るとヘーゲルは言う(ibid.)。「精神の現在」(Gegemwart)を現すもの としてキリスト教も、フランクフルト期までの初期の批判から逆転して、「絶対的宗教」として評価 される。ただ、その「絶対的宗教」でさえも、その表象性ゆえに. ――. もなう歴史的形態化によってそれがそれぞれの特殊性を免れ難い点で. すなわち顕現の形式にと ――. 体系の頂点の座を哲. 学に譲らざるを得ない。 最終的に「絶対的学」としての「哲学」は、内容的には宗教と同じものを扱いながら、しかし、 それを「概念の形式」、すなわち「媒介の形式」として現し、真理のこの現在への顕現、すなわち「精 神の顕現」を、この世界における「和解」として、「この世界の彼岸」にではなく「此岸」において 捉える形式であるとヘーゲルは言う。 「〔和解は〕ここでは別の自然ではない。非現在的な統一ではない。その享受や定在が彼岸や 将来にあるような和解ではない。そうではなくここで (GW.8,286). ――. ここで自我は絶対者を認識する」.
(13) 56. 下城 一. 見られるとおり、真理の顕現を、ただ無限の接近のみが可能とされるような彼岸にではなく、眼 前の現在(Gegennwart)に求めるという、カント超越論哲学に対する批判が、問題の核心である。 真理の顕現を、彼岸にではなく此岸で可能にする形式の追求こそは、宗教や芸術等の様々な人間 の生の形式を通じてへーゲルが、一貫して目指してきたことであり、先の芸術の可能性についての 思想的追及に於いても、芸術という形式的枠組みそれ自体を突破してしまうようなしかたで目指さ れてきたことである。 そうした此岸的現実それ自体に肉迫する姿勢から、美的形象それ自体の客体化・自律化に注目し、 当時はまだその評価の観点が確立されていなかったゲーテの『西東詩集』をいち早く正当に評価し 得る視点に達していたへーゲルは言う。 「一般に、我々が、この種の類似した作品のうちで前にしているのは、主観的な憧憬、恋慕、熱 望ではなく、諸対象そのものを前にした純然たる喜び、創造力の尽きることなき楽しみ. …である」. (Äst.Ⅱ 242) 見られるとおり、へーゲルの観察眼は、作品をそれ自体としてその意味から自律させ、形象それ 自体の自立的戯れを説くに至っている。最早その筆致は、カント的超越論哲学の批判を越え、現代 芸術論に通じる、形象それ自体の自律論である。 先に見た、オランダ静物画の賞賛の箇所でも次のように言われていた。「輝き現れそのものが美か らいわば単独に固定される。そして外的な諸対象の輝き現れはそれ自身のうちで深化していくが、 芸術はそのような輝き現れの持つあらゆる秘密を描写することにかけての堪能さとなる」。「色彩の 魔術と色彩の魔力の秘密によってきわめて奇抜な効果を成就するこの堪能さが、今や自律的な妥当 性を得る。. …これはいわば客体的な音楽、色彩の響きである」(Äst.Ⅱ,228). とは言え問題は、カント的な彼岸的理性概念から、へーゲル的な此岸的理性概念への転換を可能 にする論理の獲得である。真理のこの世界への顕在化(Gegenwart)、「世界精神」の把握(Äst.Ⅲ 356)、を可能にする理性形式への転換をへーゲルは如何にして成し遂げたのか。その検証が、なお 必要である。 既に、1796年の『体系プログラム』でへーゲルは、美しい真理の顕現が、イデーによるものでな ければならず、それが理性の哲学でなければならないことを仄めかしていた。へーゲルの鋭敏すぎ る現実観察眼が、到底、近代の分裂せる現実そのままを無条件に肯定し、美化しうるとは考えさせ なかったであろうことは忖度に難くない。だがしかし、それを端緒としたとしても、周囲でその乗 り越えが不可欠とされ、実践理性による道徳的実践だけではこの世界での真理の顕現を達成できな いとの批判が常識化していたカントの理性哲学に、へーゲルはこのとき何故改めて向き直り、その どこに評価し得る点がなおあると考えて、再対決を試みたのであったか。感性的形態化ゆえの特殊 性に囚われてしまう芸術ではなく、そうした偶然的なものから自由な「理性」の概念は、とは言え しかし、カント的な彼岸の真理を目指す厳格な実践理性概念から、どのように改鋳されて此岸への 思惟・概念形式に於ける真理顕現を可能とする理性概念に転換され得たのであったのか。それが問 題である。 1793年、へーゲルは牧師補の資格を得てテュービンゲン神学校を卒業し、スイス・ベルンのシュ.
(14) ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 57. タイガー家の家庭教師職に就く。斡旋したのは、1793年に『カリアス書簡』で美を「現象のうちの 自由」と規定し、その具体例として、理性と感性が調和し、義務が自然的傾向と一致するような「美 しき魂」を挙げたシラーである。ヘルダーリンもこのときへーゲルと交互にシラーの推挽で家庭教 師職についていたことは先に触れた通りである。 同年、シェリングは、第一作「神話、歴史的伝説及び最古の哲学説について」を書き、ヘルダー リンは、カント『判断力批判』、シラー、スピノザ、プラトンを読み、翌94年『断片ヒューぺリオン』 をシラーの雑誌、 『新タリア』に発表している。 94年4月にはフィヒテが『知識学すなわちいわゆる哲学の概念について』を公刊、5月ラインホル トの後任としてイェナ大学に着任、また『全知識学の基礎』第一部講義用原稿を印刷配布。11月に はイェナにヘルダーリンが移り、フィヒテに感激する。同年シェリングは、フィヒテ自我哲学に全 面的に依拠しながらスピノザの一元論哲学を取り入れた『哲学一般の形式の可能性について』を公 刊し、へーゲルに送る。またシェリングは、95年『哲学の原理としての自我について、あるいは人 間の知における無制約者について』を公刊し、同年、シラーは、『人間の美的教育論』 『素朴的な詩 と情感的な詩』を公刊、ヘルダーリンは『ヒューペリオン』韻文稿を執筆している。 1794年から95年にかけてのこの間、ともに卒業したヘルダーリンからへーゲル宛の手紙が4通、 へーゲルからヘルダーリン宛が4通、なお2年の大学生活を残すシェリングからへーゲル宛の手紙が 3通、へーゲルからシェリング宛が4通知られており、へーゲル・ヘルダーリンのテュービンゲン神 学校卒業後も、彼らになお活発な思想的交流があったことが知られている。 へーゲルは、家庭教師先であるベルン・シュタイガー家の書庫を丹念に調べ上げ、『カル親書』訳 の匿名出版を嚆矢とする政治論文を準備しながら、一方17、テュービンゲン以来のカント『実践理 性批判』の研究を継続して続け18、95年に護教論的な論文「イエスの生涯」とキリスト教批判の論 文「キリスト教の実定性」とを連続して執筆している。 イエスにカントの定言命法を語らせるという特異な構想をもつ草稿「イエスの生涯」は、全体的 にはへーゲルがイエスの事跡を、逐一聖書の出展を明示しつつ、その出生から死までを叙述したへ ーゲル自身による「福音書」と言われてきたものであり、従来、その余りの護教論的内容からへー ゲル研究者の間でも取り扱いに苦慮されてきた草稿である。この時期の草稿としては珍しく完成体 であるにも拘らず、しかしそれは、それゆえルカーチがその意義を疑問視し、ズールカンプ社版へ ーゲル全集第一巻にも収録されなかったと言ういわくを持つ19。とは言え、既にここまで見てきた とおり、実に鋭敏な現実に対する観察力を有していたへーゲルが、今更、無批判な自家版「福音書」 を構想するとは到底考えられず、そこに、このときなお、それを以ってキリスト教を擁護するに足 るとへーゲルが考えた、その定言命法の導入に籠められた思想的真意がなお手付かずのまま残され ていると考える方が自然である。 そもそも、聖書を措いてイエス伝を書こうとする試みは当時のキリスト教的伝統に於いて当然一 般的ではなく、当時匿名で出版され物議を醸していたライマールスの自然神学的「イエス伝」 ―. すなわち科学的立場からの聖書批判. ――. ―. 20. がその嚆矢とされている 。へーゲルの「イエス. の生涯」は、それに次ぐ、近代で二番目の試みとされるが、ライマールス同様理性的立場からのイ エスの事跡の伝記的再構成でそれはありながら、逆に護教論的に構成されているのは、ひとえにそ の定言命法の導入の成否にかかっている考えられる。.
(15) 58. 下城 一. それに対して連続して執筆された「実定性」論文のほうは、ここまで見てきた思想展開を承け、 真理の美的顕現を軸とした美学思想の展開を基に、かつて構想された美的宗教、すなわちギリシア 的民族宗教が、フランス革命の恐怖政治への転落等の歴史的現実に照らして最早実際上実現され難 いことを確信した上で、原理的に、感性的形態を通じた真理の顕現の歴史的特殊性の問題、すなわ ち「実定性」の問題を軸として、宗教全般を批判的に再検討するものである。 その点からすれば「イエスの生涯」も、イエスを通じて表れる真理の感性的顕現・感性的形態化 に伴わざるを得ない歴史的特殊性が、「実定性」批判の視点から批判される点では、実定性論文と同 趣の構制といえる。しかし、真理の顕現形式についての実験的試みという別の文脈で見直してみる とき、「イエスの生涯」と「キリスト教の実定性」は、キリスト教に対する批判と擁護に相分かれて、 これまで指摘されてこなかった重要な相違を呈する。すなわち敢えて、イエスにカントの定言命法 を語らせることで、美学的顕現形式以上の別種の真理の顕現形態として、キリスト教を再検討する 実験的試みとして「イエスの生涯」を考えることが可能なのである。ヘーゲルがここでイエスに依 拠して導入したカントの定言命法は、カントによって、内容に関わるものとされた超越論的論理学 からの導入であり、後の、概念の媒介形式の内に真理の顕現を見るへーゲル論理学の核心に通じる 道がここで拓かれたと言うことができるのである。 とともに、ロマン主義的な美学追求の思潮に於いては、あれほど批判される一方であったカント 超越論哲学を、このとき敢えて、定言命法をイエスに語らせるという構制で、へーゲルが試そうと した、そのこれまでの経緯の解明も必要である。このときへーゲルが、カントの超越論的理性にな お期待することができたのは、芸術を通じて真理の感性的顕現を模索する、これまでの思考とどう 繋がるのか。省みれば、へーゲルはテュービンゲン神学校時代に、その師シュトールの超自然学的 神学に接し、神学的真理を物自体的なものと見做し、啓示を通じてのその顕現をカントの超越論的 演繹論に依拠して可能であるとする構想に、夙に接していたことが想起される21。 改めて、1795年1月のシェリング宛の書簡を引用しておく。 「イエスの生涯」の執筆は同年5月か ら7月末、「キリスト教の実定性」の執筆は、続けて同年11月を中心とする。 「. …暫く前からまたカントの研究に取り組んでいる。(中略) …時間が得られれば、道徳的信仰. の確立によって正当化された神の理念を用いて、それを逆にどの程度まで、例えば世界の目的関係 性の解明に用いてよいのか、目的関係を道徳的神学から物理的神学にまで及ぼし、そこを支配する もとのなしうるのかどうか…、これこそ摂理の理念、奇跡、ないしはフィヒテのように啓示の理念 の解明に当たってそもそもの我々の採るべき途だと思われるのだ。…」22 見られるとおり、へーゲルがカント哲学に期待しているのは、実践理性の展開が完成されること によってもたらされる「道徳的信仰」の「確立」と、そこから逆転して、絶対者の世界への顕現と しての「世界の目的関係性」 、すなわち諸イデーの関係性の解明、その主観的側面(「道徳的神学」) と客観的側面(「物理的神学」)の媒介的綜合=綜合的媒介の解明と、その顕現形式の解明、すなわ ち「啓示の理念」の解明である。 折りしもフィヒテの『啓示論』第二版が公刊され、道徳法則が理性的に期待できない段階では、 啓示による感性的訴えかけが必要であるとするフィヒテによって23、カント哲学の発展的継承=継 承的発展が着実に進められつつあった。へーゲルもそうした当時の思潮に即して、カント実践哲学.
(16) ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 59. の更なる継承的発展を目論んでいたのである。最早へーゲルも、決してカント超越論哲学そのまま を肯定するのではなく、それを原理的に否定しつつも、その延長上で、その発展的継承がなお必要 であると考えているのである。 1795年4月16日付のシェリング宛書簡でへーゲルは、「私はカントの体系及びそれの最高の完成 からドイツに於ける革命を期待している」と書き、カントの体系が、なおそれ以上の完成を必要と し、その試みの一例として、目下のフィヒテ的な「絶対的自我としての神のイデー」の追求を挙げ ている。しかし、とは言え、そのカント超越論哲学におけるどのような点が、へーゲル自身にとっ ての、継承可能な点とみなされていたのか、それが問題である。 「イエスの生涯」は、次のように書き出される。 「如何なる制限も不可能な純粋な理性は神そのものである。だから世界の計画は、理性によって 立てられている(ヨハネ第一章)。確かに理性はしばしば曇らされるが、しかしそれがすっかりかき 消されたことは一度もなかった。闇の中にあってさえ、理性のほのかな光は、常に、保たれている」 (GW1.207) 「理性」が「神性そのもの」とされているのは、それが如何なる制限も免れ、いかなる感性的世 界の特殊性も免れているからである。それゆえ、その理性である諸イデーの連関、諸概念の媒介と して、世界の可能性としての神の計画がある。そしてその理性は、不断に顕現している。 当然ながら、イエスの事跡については聖書があり、格段にそれとは別にイエス伝を書く必要のな かった当時のキリスト教的伝統に於いて、敢えて、キリストの事跡をそのまま辿りながら、その出 典を逐一示しつつ、「イエスの生涯」を最後まで書き上げるへーゲルの真意としては、ライマールス という前例を別として、その総てを自身の思想から再構成する並大抵ではない野心と、その可能性 に向けての目算があったと考えて然るべきである。 へーゲルが敢えて実験的試みとして「イエスの生涯」を執筆した理由が何であったかは、しかし、 従来、簡単に、牧師補の資格を得たへーゲルが(1793年9月)、福音書の分散するイエスの事跡をこ の機に取りまとめたもの等と素朴に理解されてきた24。しかし、言うまでもなく、時はへーゲル自 身認める啓蒙の近代であり、最早自然宗教は、カント道徳哲学的な理性宗教にとって替わられたと いうのが時代の常識である。まして、カントの超越論哲学でさえも、その無限の接近を要する真理 要請論のあり方から、文字通り、そのままでは支持され得ず、その乗り越えこそ必要というのが、 へーゲルを取り囲むテュービンゲンの趨勢である。 「イエスの生涯」は、内容的には、指摘されてきたとおり25、その前後に取り組まれていたカン トの実践理性の研究を基とする、へーゲルによるイエス像のカント超越論哲学的な翻案である。だ が、だからといって、それを以って、へーゲルがカントの超越論哲学それ自体を、そのまま肯定的 に受け取っていたと見てよいかは、なお慎重な考察を要する。 へーゲルが冒頭、ヨハネ伝の翻案の上に強調した理性は、万人に普遍的な啓蒙的理性である。へ ーゲルは言う。 「. ――. 理性の形成こそ、真実と安心との源泉であり、この源泉を、ヨハネは、自分ひと. りが謂わば独占的に、あるいは稀有なものとして所有していると、主張したのではない。すべ.
(17) 60. 下城 一. て の 人 間 が 自 分 自 身 の う ち に こ の 源 泉 を 開示できるのだと、説いたのである. ――. 」. (GW1.207) 啓蒙主義的な理性の普遍性から、自らの宗教しか認めないユダヤ教の偏狭さが否定される。原理 的にはそれは、ユダヤ教という歴史上の一感性的形態で顕現した宗教的真理の特殊性の問題、すな わち歴史に於ける「実定性」の問題として、続稿「キリスト教の実定性」での理論的批判へと繋が っていくが、改めてそれを真理の顕現形式の側面からみれば、ここではたらいているへーゲルの問 題関心は、美学に対して向けられていた真理の顕現形式の問題と同じ位相にある。 啓蒙的普遍的理性を映しこまれたイエスが従う真理は、カントの超越論哲学に依拠した実践理性 に基づく道徳法則である。人間の価値は、歴史的・実定的な出自や、欲望や、地位によるのではなく、 「真の自己の内に」、「単なる楽しみ以上の目的、昔の栄光の回復よりもすぐれた期待に気付く」こ とによって認められるのでなければならない。「自分はアブラハムの血を引く者であるから神意に かなうので悔い改める必要はないと思っているユダヤ人は、間違っている」(GW1.208) 荒野の試練の場面を借りて、へーゲルは、イエスを次のように描く。 「. …彼〔イエス〕は、ためらうことなく、それらの願望をいつか我が物にしようとの思いを. はねつけ、決然として、自分の心に銘記されているもの. ――. 永遠なる道徳法則のみ. ――. そ. れのみに永遠に忠実であり続けよう、そして、この永遠なる道徳法則以外の何かに影響されるこ となど、断じて、ありえない聖なる意志を持つ存在を、崇めようとしたのである」 (GW1.210) だがしかし、既に、繰り返し確認してきたとおり、テュービンゲン神学校以来、時代の先端を行 く美学を通じて真理顕現の可能性を追求してきたへーゲル周辺の思想状況において、カント超越論 哲学は、その理念の彼岸性の点で繰り返し批判されてきたものである。また、その実践理性による 経験の可能性の側面も、シラーにより繰り返し追及され、頓挫を余儀なくされていた26。にもかか わらず、このときへーゲルは、大勢のカント超越論哲学批判に抗して、カント的な実践理性に基づ く道徳法則の要請論に敢えて依拠するのである。そのどこに、あらたな真理顕現の形式としての可 能性を見出し得ると見て、へーゲルは、改めてカントの超越論哲学を自身の思想体系の根幹に据え ようとしているのであろうか、それが問題である。 そこでへーゲルが試みようとしていることが何であるのかは、次の引用がそれを明瞭に物語って いる。 「あらゆる天を支配したまう、人の子らの父なる神よ、ただひとり聖なるものであるあなた が、私達の心に浮かぶ像(理想. ――. へーゲル自身により抹消)であり、その像に私達は近. づこうと努めるのですが、それは、あなたの国、あらゆる理性的存在がそこではただ律法のみ を自分の行為の規則にするあなたの国が、いつか来るように、と願うからです。. ――. この. 理念こそ、あらゆる愛着心が、自然の叫びさえもが、次々に服従させられていくのです」 (GW1.219) 見られるとおり、へーゲルは、カント超越論哲学を批判的に乗り越えようとする当時の思潮に明.
(18) ヘーゲルの『法哲学』 ―― その成立の背景(2) : 「イエスの生涯」. 61. きらかに与しながら、無限の接近を許すだけのカントの要請論のキーコンセプト・「理想」(Idee) では、はっきり不十分と見てそれを抹消している。それは、此岸に映じることのできる、芸術の対 象と同じ「像」(Bild)でなければならない。この抹消・改訂から、へーゲルの、執筆時の問題意識が 何を志向するものあったかは十二分に窺い知れるといえよう。 それゆえ「イエスの生涯」は、その平板なキリストの事跡の羅列を介しながら、当時趨勢の、真 理の顕現形式の可能性を美学的感性的形態化に探る試みの、へーゲル的な宗教論的変奏である。そ の点それは、へーゲルの当時の問題意識を充分反映して書かれた草稿に違いなく、その上で、その 特異な構想. ――. 定言命法の導入. ――. になお隠されたへーゲルの真意が何であったかを解明. することこそが必要なのである。 美学に於ける感性的形態化に比されるべき「像」は、しかし、それが感性的形態を取った途端、 その歴史的な特殊性、すなわち「実定性」を批判されざるをえなくなる。歴史的特殊性が否定され て初めてその普遍性が達成される道徳法則の原理的理由から、イエス自ら自身の生を否定する場面 が繰り返し引用される。ユダヤ人達のメシア待望論が、感性的なものへのこだわりと読み替えられ て批判される。 「あなたは、なんと、いまだに感性的(sinnlich)な考え方をしていることだろう。あなた 方は、今までに、義務への尊敬の念を与え、義務のために、愛着心の要求や生命愛にすら打ち 勝つ、神的な力を、知らないとは」(GW1.234) 「感性的なもの」が、道徳法則の顕現形式、すなわち真理の顕現形式としては、その不可避に纏わ ざるを得ない歴史的特殊性=「実定性」の故に批判される。イエスが語る道徳法則でさえその実定 化を免れないのは、それがイエスというメシアから語られたこととして権威付けされてしまうから である27。それゆえイエスは、各人の道徳的義務を、イエスという歴史上の一特殊性のためにでは なく、道徳法則それ自体に向かわせるという、超越論的実践理性論の原理的理由から、自ら自身の 生命を否定しなければならない。「自分の命への執着のないものは、自分のよりよき自我に誠実であ り続け、その自我を自然の拘束から救い出す」 (Ibid.)。「義務のために、この生を犠牲になしえな い者は. ――. まさにそのことによって、この生に値しないものになってしまう」(GW1.251)。. 「イエスは、いたるところ友をともない、手本を示したり、訓えによって、友の心から、ユダヤ 的な偏見とユダヤ的な選民の自負、という狭量な精神を追い出し、自分の精神を彼らにふんだんに 注ぎいれようとしたが、そのイエスの精神とは、特別の民族とか既成の制度とかと結びついていな い徳にのみ、価値を認める精神であった」(GW1.210) 感性的な形態、すなわち歴史的な特殊性の一切が否定されて、それらから自由な精神、すなわち 理性の自律的な自主性が、イエスにより人々の心に流し込まれねばならない。 この文脈からは、社会的な「外面的な結びつき」もまた、総てがそのカントの真理要請論的立場 から否定されねばならず、現実の国家、社会、教会もことごとく否定されることになる。 「外面的な人間の結びつきに. ――. 例えば国家という外面的な形式に、社会に、教会の公的.
(19) 62. 下城 一. な規約のもとに. ――. 神の国を見ようなどと、望んではいけない」(GW1.251). 「このような徒党の内に、あるいは、ある人物の名前とその人物への信仰にかけて誓う連帯の 内に、神の計画の完成があるなどと、信じてはいけない。神の計画は、一つの民族、一つの信仰 に限定されず、非党派的な愛で全人類を包含している。名前や言葉による勤行ではなく、理性と 徳の勤行が全地上で認められ、行われるときこそ、あなたがたは、神の計画が完成したといえる だろう」(GW1.262f.) しかし、すぐに想起されるように、真理の感性的形態化を探る美学的試みに於いては、むしろそ うした現実的形態こそカント的な真理の要請論を超えるものとして、真理の顕現形式と期待され、 また、既に見た通り、そうした人間関係の細部にこそ、へーゲルの現実認識が活きるのであった。 このとき、へーゲルの念頭には、明らかに、感性的形態化に真理の顕現形式を見出そうとする美学 的試みとは、方向を異にした、別種の真理顕現形式に対する志向がある。それが、定言命法の導入 である。 ひとまずここでまとめておくと、 「イエスの生涯」で、イエスの口を借りてへーゲルが真理の形式 として描き出すのは、あらゆる地上的制約から自由な理性と道徳法則、すなわちカント超越論哲学 な実践理性論である。へーゲルは言う。 「もし、あなたがたが、あたながたの宗規と既成の掟を、人間に与えられている最高の法則 だと思っているなら. ――. あなた方は、人間の価値と、人間の内にある、神の概念と神の意. 思の認識とを自分自身から汲み込むという能力を、誤解しているのだ。 この能力を尊重しない人は、神を崇めていないのである。――. ――. 自らの内なる. 人間がその自我と呼びうるも. の、そして、人間が墓に入れられ腐敗してもなお崇高であって、それ自体、人間の当然受ける べき報いを決定するであろうものは、それ自体で自分の方向を定めることができる。――その ものは、理性としてあらわになってくるが、その理性の立法は、もはや理性以外の何ものにも 依存しない」 (GW1.223) 「 ――. ――. 私は、ただ、自分の心、自分の良心の、偽りのない声だけを、頼りとしている。. この声を聞くこと、ただそのことだけを、私は、自分の生徒達に要求しているのだ。こ. の内なる法則こそ、自由の法則であり、自分自身によって与えられた法則としてのこの法則に、 人間は、自由意志に基づいて、従うのである。この法則は、永遠である。この法則の中には、 不死の感情がある。. …あなた方は奴隷である。なぜなら、あなた方は、外からあなた方に課. せられている律法、だから、いろいろな愛着心に奉仕することから、あなた方を、あなた方自 身への尊敬の念によって、引き離す力のない律法という軛を、負っているのである」(GW1.234) へーゲルの繊細な描写力が、1800年の就職テーゼ「矛盾は真理の規則」(GW5.227)を彷彿とす る、この地上のあらゆる制約を免れた「理性の法則」に対する「自由な隷属」 (GW1.250)を描き出 す。既にここに、その真理顕現形式の限界が突破されつつあるということもできようが、とは言え 問題は、その理性と道徳法則の顕現形式である。 「(賢明であるための普遍的な規則は、あなた方が人々からして欲しいと思っている行為を、.
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