第1章 松本市を特徴付ける文化
1 歴史と景観
4
2 風土
6
3 民俗
8
4 イベント
12
第2章 基本方針改定の基本的な考え方と現状認識
1 市の施策体系の中での基本方針の位置付け
16
2 文化芸術の定義と基本方針の対象
16
3 文化芸術振興の意義と本市における文化芸術の捉え方
17
4 本市を取り巻く環境と文化芸術の現状認識
18
第3章 基本方針及び分野方針
1 基本方針
26
2 分野方針
26
3 基本的数値目標
27
第4章 基本的施策
Ⅰ 文化芸術振興施策の総合的な推進に関する方針
⑴ 総合的な政策・方針の立案
32
⑵ 協働・創造発信型事業、総合的な文化芸術振興施策の推進
32
⑶ 文化財の保存活用
34
⑷ 情報発信・各種制度等の窓口機能
34
⑸ 関係機関等のネットワーク化、連携
35
⑹ 評価基準の設定と評価、進行管理等
35
Ⅱ 文化芸術活動の環境の整備及び充実に関する方針
⑴ 活動環境の整備(拠点、機能充実・整備)
36
⑵ 活動機会の提供・充実(発表、鑑賞機会)
37
⑶ 各種文化芸術活動の促進及びそのための支援
38
Ⅲ 文化芸術を担う人材の養成及び確保に関する方針
⑴ 文化芸術に関心を高めるための子どもたちへの取組み
39
⑵ 若手芸術家等への支援、指導者育成
40
⑶ 文化芸術専門職の育成・資質向上
41
⑷ 文化ボランティアの育成
41
⑸ 顕彰
42
Ⅳ 文化芸術の振興に関する連携・交流・活用等重要な事項の方針
⑴ 観光・産業等の連携・振興
43
⑵ 地域活性化、まちづくりとの連携・振興
44
⑶ 文化芸術による交流促進
45
⑷ 「くらしの文化」の振興
46
⑸ 健康、医療、福祉分野等における文化芸術の活用
47
資料編
49
目次
松本市を特徴付ける文化
第1章
C h a p te r 1
1 歴史と景観
第
1
章
松
本
市
を
特
徴
付
け
る
文
化
H I S TO RY & L A N D S C A P E
H
IS
T
O
R
Y & L
A
N
D
S
C
A
P
E
松本市には、縄文時代中期以降の遺跡や古墳が確認されており、先人たちの営みが数多く残っています。しかし、明
治初年に行われた廃仏毀釈やその後の大火によって、残念ながら多くの文化財が失われました。特に江戸時代より古
い時期の建物の現存例が少ないのはこのためです。松本城も明治期には破却と破損の危機がありました。これを救った
のが、市川量造、小林有也といった先人たちとその呼びかけに応じた住民の力でした。
住民の力は、旧開智学校、旧山辺学校の建設、大正期の旧松本高等学校誘致運動へとつながりました。
松本市は、第2次世界大戦の戦火を受けていないことから、城下町の各所には、江戸時代初期にかたちづくられた鉤
の手、袋小路といった防御のための工夫が今もなお残っています。また、明治以降の近代化の流れの中で登場した和洋
折衷の擬洋風建築なども多く残り、独特の景観が形成されています。
針塚古墳
(弥生時代、里山辺) (3世紀末の前方後円墳で東日本でも古い古墳の一つ。並柳)弘法山古墳
明治9(1876)年建築の旧開智学校(国重要文化財、開智)
現在は女鳥羽川沿いから移築され、教育博物館として保存活用 明治19(1886)年建築の旧山辺学校 開智学校の「ギヤマン学校」に対し「障子学校」と呼ばれた。(県宝、里山辺)
大宮熱田神社
(本殿は室町時代末期、国重要文化財、梓川)
牛伏寺にある木造大威徳明王像
(平安時代、国重要文化財、内田)
信濃日光「若澤寺」の遺構 田村堂
(室町時代、国重要文化財、波田)
中山道の洗馬宿から分岐した善光寺
西街道にある会田宿の町並み(四賀)
中町通り(中央)
松本城下の親町の一つで江戸時代後期には酒造業、呉服等の問屋が 集まり繁栄した。明治21(1888)年の大火で大半が焼失した教訓から、 その後耐火性の高い土蔵造りの建物群が形成された。
旧松本高等学校(国重要文化財、県)
大正8(1919)年に設立された官立の旧制高等学校。現在はあがた の森文化会館として保存活用されている。
ナワテ通り(中央)
「縄のように細長い土手」を明治時代になって 堀を埋め立て、露店が並ぶ四柱神社の参道とし て原形がつくられた。現在の建物は、平成13 (2001)年に整備されたもの
上土通り(中央)
大正・昭和の擬洋風建築等の建物が多く残る。
道祖神(各地)
集落の護りとして男女一対の石造物が数多く 点在する。
旧長野地方裁判所松本支部庁舎(県宝、島立)
明治41(1908)年建築の明治期を代表する近代和風建築。旧憲法下 の法廷で現存する唯一の建物。松本市歴史の里で保存活用されている。
文禄(1593~1594)年間に建てられた松本城(国宝五城の一つ)
室町時代に大規模な造営が行われた殿村遺跡
1 歴史と景観
第
1
章
松
本
市
を
特
徴
付
け
る
文
化
松本市には、縄文時代中期以降の遺跡や古墳が確認されており、先人たちの営みが数多く残っています。しかし、明
治初年に行われた廃仏毀釈やその後の大火によって、残念ながら多くの文化財が失われました。特に江戸時代より古
い時期の建物の現存例が少ないのはこのためです。松本城も明治期には破却と破損の危機がありました。これを救った
のが、市川量造、小林有也といった先人たちとその呼びかけに応じた住民の力でした。
住民の力は、旧開智学校、旧山辺学校の建設、大正期の旧松本高等学校誘致運動へとつながりました。
松本市は、第2次世界大戦の戦火を受けていないことから、城下町の各所には、江戸時代初期にかたちづくられた鉤
の手、袋小路といった防御のための工夫が今もなお残っています。また、明治以降の近代化の流れの中で登場した和洋
折衷の擬洋風建築なども多く残り、独特の景観が形成されています。
針塚古墳
(弥生時代、里山辺) (3世紀末の前方後円墳で東日本でも古い古墳の一つ。並柳)弘法山古墳
明治9(1876)年建築の旧開智学校(国重要文化財、開智)
現在は女鳥羽川沿いから移築され、教育博物館として保存活用 明治19(1886)年建築の旧山辺学校 開智学校の「ギヤマン学校」に対し「障子学校」と呼ばれた。(県宝、里山辺)
大宮熱田神社
(本殿は室町時代末期、国重要文化財、梓川)
牛伏寺にある木造大威徳明王像
(平安時代、国重要文化財、内田)
信濃日光「若澤寺」の遺構 田村堂
(室町時代、国重要文化財、波田)
中山道の洗馬宿から分岐した善光寺
西街道にある会田宿の町並み(四賀)
中町通り(中央)
松本城下の親町の一つで江戸時代後期には酒造業、呉服等の問屋が 集まり繁栄した。明治21(1888)年の大火で大半が焼失した教訓から、 その後耐火性の高い土蔵造りの建物群が形成された。
旧松本高等学校(国重要文化財、県)
大正8(1919)年に設立された官立の旧制高等学校。現在はあがた の森文化会館として保存活用されている。
ナワテ通り(中央)
「縄のように細長い土手」を明治時代になって 堀を埋め立て、露店が並ぶ四柱神社の参道とし て原形がつくられた。現在の建物は、平成13 (2001)年に整備されたもの
上土通り(中央)
大正・昭和の擬洋風建築等の建物が多く残る。
道祖神(各地)
集落の護りとして男女一対の石造物が数多く 点在する。
旧長野地方裁判所松本支部庁舎(県宝、島立)
明治41(1908)年建築の明治期を代表する近代和風建築。旧憲法下 の法廷で現存する唯一の建物。松本市歴史の里で保存活用されている。
文禄(1593~1594)年間に建てられた松本城(国宝五城の一つ)
室町時代に大規模な造営が行われた殿村遺跡
2 風土
C
L I M AT E
CL
IM
A
T
E
松本市には、深田久弥の日本百名山が6座あります。北アルプスの南に広がるのが日本有数の山岳観光地の上高地。
更にその南には乗鞍岳と乗鞍高原が広がります。また、市域の東側には、なだらかな台上地形の美ヶ原高原が鎮座し、
雲上の自動車道ビーナスラインが霧ヶ峰へと続きます。
こうした山岳景観とその恵みの湧水や温泉が、他市にはない圧倒的な魅力となっています。また、一日の寒暖差が大
きく、年間を通して日照時間が長い気候と肥沃な土壌により、果樹等の栽培も盛んです。海に面していない風土は、独
特の食文化をかたちづくってきました。
松本城と北アルプス常念岳を望む。 星きらめく美しの塔(入山辺)
乗鞍岳と善五郎の滝(安曇) ツール・ド・美ヶ原高原自転車レース(6月下旬)
自動車道路の日本最高標高地点を走る乗鞍エコーライン。雪の壁を進む 春山バスも人気(4月下旬~6月、安曇)
山辺地区は、長野県のぶどう発祥地として知られ、特に「デラウェア」と「ナ イヤガラ」が有名
波田地区で生産されるすいかは、独特のシャリシャリ感があり、「波田(下
原)すいか」としてブランド化されている。 全国の味噌生産量の30%以上を占める長野県の中でも、松本は県内第一位の「信州味噌」の産地。昔ながらの製法で作られている。 Ⓒ三立醸造 柔らかさを出すために夏の暑い時期に行われる「松本一本ねぎ」の植替え 作業。松本地域にはこの他に5種類の「信州の伝統野菜」がある。
源智の井戸(中央)
周囲を山々に囲まれた複合扇状地の松本市街地は、豊富な地下水が至る 所に湧き出している。特に「源智の井戸」は、江戸時代、当国第一の名水と称 賛され歴代領主の保護を受けた。
白骨温泉公共野天風呂(安曇)
松本市内には、温泉が16カ所ある。白骨温泉は、鎌倉時代にすでに湧出し ていたと伝わり、乳白色で弱酸性の源泉かけ流しの秘湯として人気 天狗池に映える逆さ槍と槍ヶ岳(安曇)
テント花咲く涸沢カールのにぎわい(4月下旬、安曇)
日本有数の氷河圏谷涸沢は、標高3,000m級の山々に囲まれる岳人のメッ カ。紅葉の素晴らしさでも知られる。 Ⓒ三村隆彦
第
1
章
松
本
市
を
特
徴
付
け
る
文
2 風土
松本市には、深田久弥の日本百名山が6座あります。北アルプスの南に広がるのが日本有数の山岳観光地の上高地。
更にその南には乗鞍岳と乗鞍高原が広がります。また、市域の東側には、なだらかな台上地形の美ヶ原高原が鎮座し、
雲上の自動車道ビーナスラインが霧ヶ峰へと続きます。
こうした山岳景観とその恵みの湧水や温泉が、他市にはない圧倒的な魅力となっています。また、一日の寒暖差が大
きく、年間を通して日照時間が長い気候と肥沃な土壌により、果樹等の栽培も盛んです。海に面していない風土は、独
特の食文化をかたちづくってきました。
松本城と北アルプス常念岳を望む。 星きらめく美しの塔(入山辺)
乗鞍岳と善五郎の滝(安曇) ツール・ド・美ヶ原高原自転車レース(6月下旬)
自動車道路の日本最高標高地点を走る乗鞍エコーライン。雪の壁を進む 春山バスも人気(4月下旬~6月、安曇)
山辺地区は、長野県のぶどう発祥地として知られ、特に「デラウェア」と「ナ イヤガラ」が有名
波田地区で生産されるすいかは、独特のシャリシャリ感があり、「波田(下
原)すいか」としてブランド化されている。 全国の味噌生産量の30%以上を占める長野県の中でも、松本は県内第一位の「信州味噌」の産地。昔ながらの製法で作られている。 Ⓒ三立醸造 柔らかさを出すために夏の暑い時期に行われる「松本一本ねぎ」の植替え 作業。松本地域にはこの他に5種類の「信州の伝統野菜」がある。
源智の井戸(中央)
周囲を山々に囲まれた複合扇状地の松本市街地は、豊富な地下水が至る 所に湧き出している。特に「源智の井戸」は、江戸時代、当国第一の名水と称 賛され歴代領主の保護を受けた。
白骨温泉公共野天風呂(安曇)
松本市内には、温泉が16カ所ある。白骨温泉は、鎌倉時代にすでに湧出し ていたと伝わり、乳白色で弱酸性の源泉かけ流しの秘湯として人気 天狗池に映える逆さ槍と槍ヶ岳(安曇)
テント花咲く涸沢カールのにぎわい(4月下旬、安曇)
日本有数の氷河圏谷涸沢は、標高3,000m級の山々に囲まれる岳人のメッ カ。紅葉の素晴らしさでも知られる。 Ⓒ三村隆彦
第
1
章
松
本
市
を
特
徴
付
け
る
文
F OL K C U S T OMS
松本民芸家具
乾燥した空気と「民藝運動」の 影響を受け、美しく堅牢で使うほ どに味わい深い家具が生まれ た。
上波田阿弥陀堂「仁王尊股くぐり祭」(4月第3土日、波田)
県宝に指定されている「木造金剛力士像(仁王尊)」の股の間を子供がくぐ ると、麻疹が軽くすみ、丈夫に育つといわれる。
島立堀米の裸祭り(7月第1土日)
江戸時代中期の疫病流行からムラを守るために愛知の津島神社から津島 様をお迎えし、村境を練り歩いたのが始まり
縄張りのある風景
松本では、神社のお祭りの際に、氏子の家など神社周辺一帯に白い御幣を 垂らした縄を張り巡らす風習が今も残っており、他地域にはあまりみられな い特徴の一つ
松本てまり
江戸時代に流行った手まり が、参勤交代で各地の城下町に 伝わり、その技法が松本にも伝 えられたもの。木綿の白糸を巻い て彩り豊な色糸で絡げた美しい てまりが特徴
深志神社「天神祭」(7月24、25日)
商都松本を担った商人たちは皆、深志神社の氏子であり、江戸時代から町 毎に舞台をつくった。現在16台の舞台と神輿2基が保存され、天神祭で曳き まわしが行われる。
里山辺お船祭り(5月4,5日)
須々岐水神社のお祭り。各町会から9隻のお船が曳き出され、田植えの時 期、秋の豊作を祈願し行われる。市内には、他地区にもお船の舞台が残る。安 曇野市の穂高神社で行われる「お船祭り」は、北九州がルーツとされる安曇 族にちなむ祭りで、内陸部で海に縁のある祭りがあることは、こうした影響も 考えられるといわれる。
追倉の「お八日の綱引き」(2月8日、里山辺)
ムラで行われる道祖神のお祭り。疫病神を追い出すためにわらの作り物を 供え、念仏を唱えるなど、この日各地で行われる。入山辺、里山辺、両島等の8 地区の行事は、「松本のコトヨウカ行事」として国の選択無形民俗文化財に なっている。
月遅れのひな祭り(4月3日、各地)
松本では江戸中期に京都から伝わった押絵雛づくりが、文化・文政期から天 保期(1804~1844年)に武家の内職として始まった。昭和初期に技術が途 絶えたが、戦後その技法が復活され、現在では特に海外で人気が高い。今でも この時期になると、ひな人形の押絵雛をみることができる。 ©三村隆彦 松本あめ市(1月の第2日曜、中央)
上杉謙信の義塩伝説にちなむ伝統行事。商都松本のシンボル「牛つなぎ 石」を中心に1年間の商売の吉凶を占う。
三九郎(1月15日頃、各地)
小正月に行われる火祭りを中信地方では「三九郎」と呼び、1年間の無病 息災を願う。もともとはムラで行われていたお祭り
島内の鳥居火(4月14日~16日)
城山の西斜面で島内の大宮神社と武宮神社の春祭りに行われる伝統神 事。参加者がたいまつを持ち五穀豊穣や家内安全等の願いを込める。
3 民俗
FO L K C U S TO M S
現在、私たちの暮らしに受け継がれている伝承文化は、江戸時代の松本藩領だった頃に形成されたものが多く、その
ルーツを探ると、その多くが武家地から伝わったもの、町人地から伝わったもの、周辺集落(ムラ)から伝わったものに
大別できます。
また、かつて江戸や大坂で行われていたものが廃れず今もなお受け継がれているものや、当時から町人の力が強かっ
た松本城下の特性が色濃く残るもの、内陸地でありながら海に縁のある祭事が受け継がれているものなど、特徴的な
民俗が数多く残っています。こうした民俗に由来する伝統工芸も多く伝えられています。
1月
4月
5月
7月
2月
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松
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特
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松本民芸家具
乾燥した空気と「民藝運動」の 影響を受け、美しく堅牢で使うほ どに味わい深い家具が生まれ た。
上波田阿弥陀堂「仁王尊股くぐり祭」(4月第3土日、波田)
県宝に指定されている「木造金剛力士像(仁王尊)」の股の間を子供がくぐ ると、麻疹が軽くすみ、丈夫に育つといわれる。
島立堀米の裸祭り(7月第1土日)
江戸時代中期の疫病流行からムラを守るために愛知の津島神社から津島 様をお迎えし、村境を練り歩いたのが始まり
縄張りのある風景
松本では、神社のお祭りの際に、氏子の家など神社周辺一帯に白い御幣を 垂らした縄を張り巡らす風習が今も残っており、他地域にはあまりみられな い特徴の一つ
松本てまり
江戸時代に流行った手まり が、参勤交代で各地の城下町に 伝わり、その技法が松本にも伝 えられたもの。木綿の白糸を巻い て彩り豊な色糸で絡げた美しい てまりが特徴
深志神社「天神祭」(7月24、25日)
商都松本を担った商人たちは皆、深志神社の氏子であり、江戸時代から町 毎に舞台をつくった。現在16台の舞台と神輿2基が保存され、天神祭で曳き まわしが行われる。
里山辺お船祭り(5月4,5日)
須々岐水神社のお祭り。各町会から9隻のお船が曳き出され、田植えの時 期、秋の豊作を祈願し行われる。市内には、他地区にもお船の舞台が残る。安 曇野市の穂高神社で行われる「お船祭り」は、北九州がルーツとされる安曇 族にちなむ祭りで、内陸部で海に縁のある祭りがあることは、こうした影響も 考えられるといわれる。
追倉の「お八日の綱引き」(2月8日、里山辺)
ムラで行われる道祖神のお祭り。疫病神を追い出すためにわらの作り物を 供え、念仏を唱えるなど、この日各地で行われる。入山辺、里山辺、両島等の8 地区の行事は、「松本のコトヨウカ行事」として国の選択無形民俗文化財に なっている。
月遅れのひな祭り(4月3日、各地)
松本では江戸中期に京都から伝わった押絵雛づくりが、文化・文政期から天 保期(1804~1844年)に武家の内職として始まった。昭和初期に技術が途 絶えたが、戦後その技法が復活され、現在では特に海外で人気が高い。今でも この時期になると、ひな人形の押絵雛をみることができる。 ©三村隆彦 松本あめ市(1月の第2日曜、中央)
上杉謙信の義塩伝説にちなむ伝統行事。商都松本のシンボル「牛つなぎ 石」を中心に1年間の商売の吉凶を占う。
三九郎(1月15日頃、各地)
小正月に行われる火祭りを中信地方では「三九郎」と呼び、1年間の無病 息災を願う。もともとはムラで行われていたお祭り
島内の鳥居火(4月14日~16日)
城山の西斜面で島内の大宮神社と武宮神社の春祭りに行われる伝統神 事。参加者がたいまつを持ち五穀豊穣や家内安全等の願いを込める。
3 民俗
現在、私たちの暮らしに受け継がれている伝承文化は、江戸時代の松本藩領だった頃に形成されたものが多く、その
ルーツを探ると、その多くが武家地から伝わったもの、町人地から伝わったもの、周辺集落(ムラ)から伝わったものに
大別できます。
また、かつて江戸や大坂で行われていたものが廃れず今もなお受け継がれているものや、当時から町人の力が強かっ
た松本城下の特性が色濃く残るもの、内陸地でありながら海に縁のある祭事が受け継がれているものなど、特徴的な
民俗が数多く残っています。こうした民俗に由来する伝統工芸も多く伝えられています。
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を
特
徴
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化
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奈川獅子(9月第1土曜)
奈川寄合渡にある天宮大明神の秋祭りで行われる獅子舞
大正時代の初期に北陸富山から伝えられたという獅子舞で、人々を苦しめ た大獅子を仕留める舞が夜の境内で繰り広げられる。
島立沙田神社の御柱祭り(7年に1度、9月26日)
松本の御柱祭りで最も規模の大きい祭事。御柱は波田地区から見立てら れ、沙田神社の例大祭の9月26日には、御柱ごとに里曳きが行われる。
松本七夕人形飾り風景(8月上旬~お盆)
信州や越後では、江戸時代から七夕行事(月遅れの 8月)に、人形を軒先につるして飾る風習があった。松 本地方の七夕人形は、板製、紙製と様々で、板のものは 着物を着せて飾っていた。いずれも男女の顔が描かれ ているのが特徴。市立博物館が所有する七夕人形コレ クションは、国の重要有形民俗文化財に指定されてい る。 ©三村隆彦
浅間温泉たいまつ祭り(10月上旬)
日本三大奇祭の一つ。五穀豊穣と人々の安泰を願っ て行われる御射神社春宮の火祭りで、採り入れ後の麦 わらでつくったたいまつの煙に乗って、4㎞ほど奥の秋 宮に帰られるという奉納行事。たいまつは50本ほど。 長さ3m余、直径2m以上もある大きなものもあり、燃 え上がるたいまつを持ってかけ声をかけながら練り歩 く。
内田のササラ踊り(8月中旬)
内田地区が、はるか昔、官牧が置かれていた時代、 人々が育んだ献上馬を送り出す時の「身振りと手振り」 から踊りができたといわれる。後に牛伏寺の信仰と関 わりをもったとも。竹片を束ねたササラを擦りながら、 「内田小唄」に合わせて伝承されている盆踊り
ぼんぼんと青山様(8月上旬~お盆前)
武家地から始まったとされる伝統行事。12、3歳までの女児が数人ずつ手をつなぎ、小さい順に横に2、3列をなして唄を歌って歩く七夕踊りが「ぼんぼん」。 起源は不明だが、江戸や大坂でも行われていたものが廃れずに残ったもので、祖先の霊を誘うための行事といわれる。他の町会の行列と出会い、喧嘩になる と男の子たちが喧嘩を買って出たことから、明治時代になり「青山様」(杉の葉を盛った「青山仕立て」の神輿にその名は由来)が加わった。
稲核菜 菜洗いの共同作業(11月下旬~12月中旬、安曇)
飛騨地方から伝播した稲核地区固有となった菜。カ ブも漬物になるのが特徴で11月中旬に収穫される。菜 洗いはこの地区の晩秋の風物詩といえる。
ミキノクチ
年末に神棚に供える御神酒を入れた徳利にさして 飾る縁起物。江戸時代の末から松本地方で始まった 習俗で当時は武士の内職として行われていた。
9月
8月
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奈川獅子(9月第1土曜)
奈川寄合渡にある天宮大明神の秋祭りで行われる獅子舞
大正時代の初期に北陸富山から伝えられたという獅子舞で、人々を苦しめ た大獅子を仕留める舞が夜の境内で繰り広げられる。
島立沙田神社の御柱祭り(7年に1度、9月26日)
松本の御柱祭りで最も規模の大きい祭事。御柱は波田地区から見立てら れ、沙田神社の例大祭の9月26日には、御柱ごとに里曳きが行われる。
松本七夕人形飾り風景(8月上旬~お盆)
信州や越後では、江戸時代から七夕行事(月遅れの 8月)に、人形を軒先につるして飾る風習があった。松 本地方の七夕人形は、板製、紙製と様々で、板のものは 着物を着せて飾っていた。いずれも男女の顔が描かれ ているのが特徴。市立博物館が所有する七夕人形コレ クションは、国の重要有形民俗文化財に指定されてい る。 ©三村隆彦
浅間温泉たいまつ祭り(10月上旬)
日本三大奇祭の一つ。五穀豊穣と人々の安泰を願っ て行われる御射神社春宮の火祭りで、採り入れ後の麦 わらでつくったたいまつの煙に乗って、4㎞ほど奥の秋 宮に帰られるという奉納行事。たいまつは50本ほど。 長さ3m余、直径2m以上もある大きなものもあり、燃 え上がるたいまつを持ってかけ声をかけながら練り歩 く。
内田のササラ踊り(8月中旬)
内田地区が、はるか昔、官牧が置かれていた時代、 人々が育んだ献上馬を送り出す時の「身振りと手振り」 から踊りができたといわれる。後に牛伏寺の信仰と関 わりをもったとも。竹片を束ねたササラを擦りながら、 「内田小唄」に合わせて伝承されている盆踊り
ぼんぼんと青山様(8月上旬~お盆前)
武家地から始まったとされる伝統行事。12、3歳までの女児が数人ずつ手をつなぎ、小さい順に横に2、3列をなして唄を歌って歩く七夕踊りが「ぼんぼん」。 起源は不明だが、江戸や大坂でも行われていたものが廃れずに残ったもので、祖先の霊を誘うための行事といわれる。他の町会の行列と出会い、喧嘩になる と男の子たちが喧嘩を買って出たことから、明治時代になり「青山様」(杉の葉を盛った「青山仕立て」の神輿にその名は由来)が加わった。
稲核菜 菜洗いの共同作業(11月下旬~12月中旬、安曇)
飛騨地方から伝播した稲核地区固有となった菜。カ ブも漬物になるのが特徴で11月中旬に収穫される。菜 洗いはこの地区の晩秋の風物詩といえる。
ミキノクチ
年末に神棚に供える御神酒を入れた徳利にさして 飾る縁起物。江戸時代の末から松本地方で始まった 習俗で当時は武士の内職として行われていた。
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特
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化
平成4(1992)年の初回から毎年行われている教育プログラムの一つ、「子 どものための音楽会」(松本市総合体育館ほか、8~9月) ©山田 毅
梓川・波田地区で行われる松本水輪花火大会(7月下旬) @横山 智美
OMFのハイライト 小澤征爾総監督指揮によるサイトウ・キネン・オーケス
トラの演奏(キッセイ文化ホール、8~9月) ©山田 毅 OMFのオペラ公演(まつもと市民芸術館、8~9月) ©山田 毅 国内屈指の野外クラフトイベントに成長したクラフトフェアまつもと(あがたの森公園、5月下旬)
会場内の「縁日横丁」の様子。ホール内で飲食ができるのは信州・まつもと大 歌舞伎ならでは(まつもと市民芸術館、7月) @山田 毅
歌舞伎と交互に隔年実施されるまつもと街なか大道芸
(中心市街地、7月)
県内最大規模の夏祭り「松本ぼんぼん」(中心市街地、8月上旬)
千穐楽で盛り上がる信州・まつもと大歌舞伎の公演
(まつもと市民芸術館、7月) ©山田 毅
E
V
E
NT
4
イベント
E V E N T
松本市は、手仕事の職人が多く住む城下町として栄え、独自の文化を育んできました。
第2次世界大戦後は、
「民藝運動」が行われ、また、スズキ・メソードが発祥しました。
こうした土壌から、現在の松本市は、セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)、信州・まつもと大歌舞伎、工芸の五
月・クラフトフェアまつもと等の優れた文化芸術を国内外に発信するまちとして展開しています。
これらのイベントの多くが、ボランティアやサポーターに支えられている点も大きな特徴です。
四季折々に行われる多彩な文化芸術イベントが、まちに潤いと活気をもたらし、文化芸術が本市の魅力の一つになっ
ています。
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役者の松本入りを告げる信州・まつもと大歌舞伎「登城行列」
平成4(1992)年の初回から毎年行われている教育プログラムの一つ、「子 どものための音楽会」(松本市総合体育館ほか、8~9月) ©山田 毅
梓川・波田地区で行われる松本水輪花火大会(7月下旬) @横山 智美
OMFのハイライト 小澤征爾総監督指揮によるサイトウ・キネン・オーケス
トラの演奏(キッセイ文化ホール、8~9月) ©山田 毅 OMFのオペラ公演(まつもと市民芸術館、8~9月) ©山田 毅 国内屈指の野外クラフトイベントに成長したクラフトフェアまつもと(あがたの森公園、5月下旬)
会場内の「縁日横丁」の様子。ホール内で飲食ができるのは信州・まつもと大 歌舞伎ならでは(まつもと市民芸術館、7月) @山田 毅
歌舞伎と交互に隔年実施されるまつもと街なか大道芸
(中心市街地、7月)
県内最大規模の夏祭り「松本ぼんぼん」(中心市街地、8月上旬)
千穐楽で盛り上がる信州・まつもと大歌舞伎の公演
(まつもと市民芸術館、7月) ©山田 毅
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イベント
松本市は、手仕事の職人が多く住む城下町として栄え、独自の文化を育んできました。
第2次世界大戦後は、
「民藝運動」が行われ、また、スズキ・メソードが発祥しました。
こうした土壌から、現在の松本市は、セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)、信州・まつもと大歌舞伎、工芸の五
月・クラフトフェアまつもと等の優れた文化芸術を国内外に発信するまちとして展開しています。
これらのイベントの多くが、ボランティアやサポーターに支えられている点も大きな特徴です。
四季折々に行われる多彩な文化芸術イベントが、まちに潤いと活気をもたらし、文化芸術が本市の魅力の一つになっ
ています。
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役者の松本入りを告げる信州・まつもと大歌舞伎「登城行列」
かがり火が照らす幽玄の世界 国宝松本城「薪能」(国宝松本城本丸庭園、8月)
松本山雅FCを応援するサポーター。一体となった応援は、一つの文化と なっている。(アルウィン) ©松本山雅FC
寒い冬の気候を活かした野外氷彫イベント 国宝松本城氷彫フェスティバル
(松本城公園、1月) 公募展「老いるほど若くなる」の会場風景 70歳以上の高齢者公募展、小学生参画型企画展等、地域に根ざした特徴
的な企画展示も行われる松本市美術館
クラシック専用ホールとしてパイプオルガンが設置されている松本市音楽 文化ホールの自主公演
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