リスク社会のなかの「援助」
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(2) 釧路論集一北海道教育大学釧路校研究紀要一第37号(平成17年) KushiroRonshu,−JournalofHokkaidoUniversityofEducationat Kushiro−No.37(2005):81−87.. リスク社会のなかの「援助」 小 松 丈 晃 北海道教育大学教育学部釧路校. “Helfen”in der Risikogese11schaft TakeakiKoMATSU Department of SocialStudies Education,Kushiro Campus,Hokkaido University of Education. 要 旨. 福祉国家からリスク社会へという社会変動を論じるU.ベックらが主として問題にしていたものの一つに、 いわゆる「包摂と排除」の問いがある。これは、80年代当時のドイツにおいて、CDUによって「新しい社会 問題」と呼ばれ、SPDと緑の党によって「三分の二社会」と語られていた事態ともかかわっている。このよ うな状況の中で、人間がそのライフコースの中で遭遇する数々の「社会的リスク」に対する防御や補償を担 うべき審級としての社会的援助(soziale Hilfe)、社会福祉活動(Soziale Arbeit)あるいは(広い意味での) ソーシャルワーク、社会教育(Sozialpadagogik)といった制度もまた大きな変容を被っている。本稿では、 こうした「社会的リスク」を背景とした他者への援助・福祉を、N.ルーマンの社会システム理論、とりわけ その宗教論を辛がかりとして考察するものである。 ルーマンは、一つの機能システムからのある人間の排除が他の機能システムからの当該人間の排除を呼び 込むという、複数の機能システムの「否定的カップリング」という今日的現象の中で、援助の可能性を何処 に求められうるかを探っている。そのさい、彼が着目するのは宗教システムである。しかし、60年代以降の いわゆる「世俗化」テーゼを知る者にとってはこの立論はいささか無理があるようにも思える。だが、ルー マンは、機能システムの「機能(Funktion)」領域と「遂行(Leistung)」領域とを区別し、前者(宗教シス テムでいえば「教会(Kirche)」)の近年の相対的な弱体化は、後者(宗教システムでいえば「デイアコニー (Diakonie)」)の強化によって埋め合わせられているのだと考え、この「遂行」のレベルにこそ、「否定的カッ プリング」に対処しうる宗教システムの「新しいチャンス」を見いだそうとする。もっとも、規範のレベル にとどまらないその具体的現実化の方途の問題とともに、デイアコニーの宗教的性格の程度に由来する問題 は、依然として残されている。. されるものではなく、失業のリスクや、十分な就職への見. 1.システム論的視点からする排除. 込みをもはや提供することのできない職業教育課程を修了. するなどといった「社会的リスク」もまた含まれる。. 〔1〕リスク社会の中の「排除」. ドイツでは特にこの時期、一定の層の人々の労働市場か. ウルリッヒ・ベックによる「リスク社会」なる社会描写. (Beck1986=1998)は、チェルノブイリ原発事故をはじめ とした所謂「環境リスク」問題も然ることながら、80年代. らの離脱が恒常化し、所謂「労働社会(Arbeitsgesellschaft)」 におけるノーマルな雇用関係が望めなくなり、「三分の二社 会」(社会民主党、緑の党)(1)、「新しい貧困」あるいは「新. 中葉以降急激に増大しその後慢性的に10%弱を維持しつづ. けるようになる高失業率問題を前にしたドイツでは、おそ らくかなりの現実味をもったものであっただろう。もとも とリスク社会といわれるさいの「リスク」とは、社会教育論. しい社会問題」(CDU)といった語り口がドイツを支配する. ようになる。一定層の社会からの排除というこうした事態 は、ベックの産業社会からリスク社会へという主張、ある いは「個人化」テーゼの背景ともなっている。「個人化はこ のような 〈新しい貧困〉 の特徴と矛盾するわけではない。. の脈絡からT.ラウシェンバッハが述べているように. (Rauschenbach1999)、いわゆる環境リスクにのみ限定. 一81−.
(3) 小松 丈晃. ルーマンによれば、近代社会における排除は複数の機能シ ステムの「否定的カップリング」という形式をとる。つま り、ある一つの機能システムからの事実上の除外がその他. むしろ個人化というテーゼによってその特徴が説明される. のである」(Beck1986:144=1998:174)と述べるベック は、かつてとは異なり大量失業が、個人化という状況のも とでは個人的運命として把握されることになる、と述べる. の機能システムへの接近を不可能にしたり少なくともそれ. を制限するといった事態である(不法滞在の外国人は社会. (2) 0. じじつ、80年代半ばのドイツでは、環境政策と雇用政策、 社会政策を統合させる政策ミックスの必要性が主としてSPD. 的援助が受けられず、居住地も確保できず、子供の就学に も支障を来し、選挙権もない、等々)(Luhmann1997:630−. 陣営から主張されたり、あるいはエコロジー問題を基軸に. 631;1995:259)。こうした機能システムが否定的なかたち. しながら労働と社会・生活の全体の見直しを求める「エコ. 社会」論が現れたりと、必ずしも調和的関係にあるとは言. で結合(Koppelung)してしまう排除領域は、空間的にも 囲い込まれ(セグリゲーション)、上述した包摂とは逆の事. えない「環境政策」と「福祉政策」を結合させようという. 態、すなわち、個々の人格が社会的な(ということはコミュ. 動きが存在していたのであり、上述したベックの「リスク. ニケーションにさいして)顧慮を受けることができないと. 社会」論が広く受容されていったのはこのような潮流の中. いう事態が出来することになる。このことからルーマンは、. において、なのであった。. この包摂/排除という形式が、個々の機能システムがそれ. ベックとともに、そしてベックとは異なる社会システム 論的な視角から、ドイツにおけるリスク社会論に先鞭をつ けたニクラス・ルーマンもまた、こういった事情をおそら くは念頭におきながら、90年代噴から「包摂と排除」の問 題を、新たな仕方で語り始めている(3)。まずはルーマンのこ の点に関する叙述をあらためて確認しておこう。. 固有のコードに基づいて各人をそのコミュニケーションに. 関与させていく前の段階で、一種の濾過作用をもたらして いるところから、「包摂/排除という変数は、地球上の多く の地域においてまさに、〔合法/不法(法)、支払い/不支 払い(経済)等々といった各機能システムのコード(とい. う差異)の、もう一段上にある〕メタ一差異の役割をつとめ ようとしており、機能システムの諸コードを媒介しようと. している」とも述べる(Luhmann1997:632)。. 〔2〕包摂と排除 ルーマンによれはこれまで社会学における「包摂任nklusion)」. に関する論議(4)からすると、「〔近代〕社会は〔機能的分化に. 〔3〕「個人化」される排除. こうした排除が厄介な問題となるのは、近代社会におい ては、金成員の包摂を建前としそれを「理想化」している. よって〕すべての人間に対して包摂の諸可能性を用意して. きており、問題となるのはもっばら、いかにしてこうした 可能性が条件づけられよりよいものにしていくのか、とい. (ルーマンはこれを「全体主義的包摂論理」とも言い換え. ているが)がゆえに、排除が、社会構造的現象としては知. うことだけだ」という印象が与えられる(Luhmann1997:. 620;〔〕は引用者による補足、以下同様)。だが、特に. 覚されることがほとんどないから、である(Luhmann1997: 625)。つまり、包摂/排除という形式の内的側面(包摂) は指し示されるが、ゼマンテイク上は、この形式の外部、. パーソンズの場合に典型的なのだが、こうした包摂の概念. には、「ネガティブなケースについての十分な考慮が欠落し ている」(a.a.0.)。ネガティブなケース、つまり排除につ. すなわち「排除」は指し示されないままにとどまるのであ. る(a.a.0.)。要するに排除は、社会構造的問題としてでは なく、個々人の品行のゆえとか人生行路のある岐路での選 択の間違い、等々といった具合に、個々人の選択やモラル の問題として現出することになる。したがって、「全体主義 的な包摂論理の内部では、排除は、『残余』問題として」、 つまり、「排除が全体主義的な論理を問題化してしまわない ようにカテゴライズされるような、そういう残余問題とし. いての考察が、である。そこで−ルーマンのこうしたパー ソンズ評価の是非はともかく−この両者をともに考慮に. いれるために、彼は、包摂と排除を、一つの「区別」の二 つの側面として(したがってスペンサーーブラウンの用語に. 倣った意味での「形式(Fom)」(5)として)取り扱い、包 摂を次のように定義する。すなわち、包摂(「形式」の「内 的側面」)とは、個々の人格が社会的な顧慮を受けるチャン スである(a.a.0.)。一般に、機能的分化に伴って、個々人. て」特徴づけられるようにさせられている(Luhmann1997:. はみずからの関心や欲求に応じてすべての機能システムに. 626)。. 参加しうるようになると想定されており、個々の機能シス テムも、社会の金成員の包摂をいわば建前としており、ゼ マンテイク、つまり「社会の公式的な記憶」としては、こ. 教的寛容を南アフリカのオランダ・カルヴイニズムと対比. 確かに、近代においても、たとえば、合州国における宗 させた学位論文をパーソンズのもとに提出したジャン・J.ルー. うした(個々の機能システムごとに特有の)包摂の条件の. ブサーが指摘するように、このような包摂論理の例外はあ. みを、テーマ化している。. りうる(Luhmann1997:629)。南アフリカの人種イデオ. しかし言うまでもなく、近代社会において排除が事実と してありえないわけではない。「問題となるのは、排除がど ういう形式をとるのか」である(Luhmann1995:258f.)。. 支えられたオランダ系農民(ボーア人あるいはアフリカー. ロギーは、じつのところ、峻厳なカルヴイニズムの信仰に. ナー)が18世紀に移住し、次第に選民思想を先鋭化させて. −82−.
(4) リスク社会のなかの「援助」. いったことに端を発している。しかし今日では、こういっ れであるかのように感得され、世界的にみてみれば、「人権」 という前提の圧力のもとで、解決されてきているかのよう. もに援助の形式もまた変イヒする」というアイデアは、この ような出発点に基づくものである。その上で、ルーマンは この論文の中で、社会の進化を、氏族ごとに社会が分化し ている環節的な分化に依拠するアルカイック社会、身分等. にも思われる。だが、じつは、こうした「排除の問題は、. の相違により一種の「層」をなすように構成されている成. このことによって解決ずみのものとしてむしろ隠蔽されて. 層的に分化した「高文化社会」、そして、社会の各機能(政 治、経済、教育、医療等々)を排他的に担う諸機能システ ムから形成される、機能的に分化した近代社会、という三 段階図式で把握し、援助の形式を、それぞれ、(ある氏族に. た事例は宗教的な合意からいってもまた政治的にも時代遅. しまっている」(Luhmann1997:629)のではないか。こ れが、ルーマンの社会システム理論の視角からする「援助」. あるいは「福祉」論の出発点となる認識である。. 加入しているという条件のもとでの相互的な人格的援助の. 制度化としての)相互作用的な水準での「互酬性」に基づ. 2.援助の形式. ク・ベッカーの議論を参照しながら、このような相互強化. く援助、(個々人の「徳」として求められ道徳的なかたちで おこなわれる、社会の上層階層から下層階層への)社会 (Gesellschaft)の水準での慈善活動(Mildtatigkeit)、そ. しあって出来する排除問題に取り組む「新しい二次的な. して組織(『リスクの社会学』での表現でいえば「扶養国家. (sekundar)機能システム」、つまり社会的援助のシステ ムが形成されつつあるのではないか、という見通しを立て ている(Luhmann1997:633)。近年、ドイツの社会教育. (Vorsorgestaat)の組織」(Luhmann1991:113))のプ ログラムによる援助、として把握している。つまり、「援助」 の準拠すべきシステム類型が、相互作用→社会→組織へと 変化していくというわけである。ちなみに、ルーマンの社 会システム理論は、その場に居合わせる者同士の関係であ る「相互作用」、成員資格を厳密に限定することによって成 立する「組織」、そしてコミュニケーションがなされうる全 領域を言い表す「社会」を、社会システムの「三類型」と して把握するのだが、今述べた、援助の準拠するシステム の変化は、この「三類型」に倣ったものとなっているわけ. 排除という以上の事態に鑑みつつ、ルーマンは、デイル. 学(Sozialpadagogik)の分野あるいはソーシャルワークの 領域でルーマンのシステム理論に依拠した研究が急速に増. 加しているが、そこでの焦点はやはりこの包摂と排除の問 題である(6)。もっとも、「機能システム」と言うのであれば、 その二次的な機能システムの「コード」や「メディア」を. 厳密に特定していく作業が必要であり(7)、この議論抜きにし てこうした展望が直ちに首肯されうるというわけではない。 とはいえ、近代における「援助」のあり方についてルーマ. である。. ンがどのように考えているのかについては、ここで明確に. さて、近代的な組織による援助の特徴にかぎっていえば、 今日ある数々のソーシャルワーク等の組織は、二つの決定 過程の構造に依拠している。つまり①対人社会サービス従 事者という従業員(Personal)と②決定プログラムと、で ある。前者は対人サービス部門に従事する専門職の人格性 が個々の決定のための前提を供給するという事態を指し、 後者は、そうした人格性とは相対的に独立に、社会的援助 のための決定の「正しさ」を判断するためのルールが、個々. 確認しておく必要があるだろう。 ルーマンは、1973年に、当時のSPDのプラント政権によ る社会政策をおそらくは背景にしながら、「社会条件の変化 のもとでの援助の形式」なる論文を書き(Luhmann[1973]. 1975)、アルカイック社会から近代社会への変動の過程で援 助の形式がいかに変化してきているかを跡づけている。「援 助」は、しばしば、援助する者の「自発的」な、「自由」な 意思でなされるものであり、したがってあらかじめ「期待」 などすることができないものとして思念されがちであるが、 ルーマンによれば、こうした想定それ自体が、社会の一定. の決定のための前提を提供するという事態を指している. (Luhmann[1973]1975:142)。ルーマンによれば、社会 的援助を組織的に遂行するさいの重点は、次第に前者から 後者へと移行してきているのであるが、このことにより、 こうした組織的援助は、援助する者の人格や動機とは独立 に、援助を効果的にかつ信頼性をもって期待することがで きるという利点を有するようになる。 しかし他方で、そうした決定プログラムによる援助は、「固 有の逆機能的帰結」をももたらしうる。つまり、「プログラ ムの欠如は、さしあたりは、援助をおこなわないことの根 拠であり理由となる」ことである。要するに、プログラム 化されえない援助は、組織内部における撹乱の種となりう るのであり、援助の組織においては端的に回避される(8)。こ うしたルーマンの叙述は、いわゆる官僚制的弊害を指摘し たものであり、それ自体はいささか月並みな印象を与える. の発展段階において生じる表象である(Luhmann[1973] 1975:134)。ルーマンの議論の出発点は、逆に、「援助は、. それが期待されうる場合にのみ、またその場合にかぎって 成立するという洞察」である(a.a.0.)。つまり援助は、相 互的な期待の構造によって定義されまたコントロールされ. ることになるというわけである。援助がつねに援助者と被 援助者との関係の中で行われるものである以上、どういっ た援助が自分に対してなされうるのかという被援助者の側. での期待、またどういった援助がなされることを援助者は 期待しているのかについての援助者側での期待といったも. のがなければ援助は適切に行われえない。こういった相互 的期待の構造は当然可変的なものであり、「社会の変動とと. ー83−.
(5) 小松 丈晃. しかし、このような教会成員の減少は、宗教システムの遂 行領域、すなわちデイアコニーへの関与者の増加によって 埋め合わせられているのであり、世俗化が宗教の衰退をた だちに意味するわけではない。このことが、ルーマンによ. が、ここで目をとめておいていいと思われるのは、このプ. ログラム化された援助の逆機能を述べた部分でルーマンは、 「プログラムが欠如しているときにこそ援助をおこなうこ とにまさに特化している組織の場合には別だが」という留. 保条件を付していることである(Luhmann[1973]1975: 144)。そのさい、こうした組織としてルーマンが念頭に置. る「デイアコニー」と「教会」との区別(Luhmann1977: 110=1999:83;1977:261ff.=1999:194二Ff.)の論拠とも. て、上述した排除問題に鑑みつつ、「宗教の新しいチャンス」. なっているのである。また、信徒が自発的に形成した社会 福祉団体の活動が、次第に教会や司教区の範囲を超えて拡 大していき、その後、司教団との間に緊張関係をもたらす ようになり、両者の協調が大きな課題とならざるをえなく なったという、19世紀ドイツにおけるカリタス連合体の成 立の経緯も、機能分化にともなう宗教システムの内部分化. について論じており、この留保部分はこうした議論へと連. というルーマンの主張を説得力あるものにしているように. なる含みを有しているように思われる。. 思われる。 ちなみに、この「教会」と「デイアコニーー」との区別は、 ルーマン自身明示しているように、「礼拝(worship)」と「愛 や慈善」の脈絡との区別を、宗教システム自体の内部分化. いているのは、(ルーマンの師であるヘルムート・シェルス キーの「赤十字」論(Schelsky1965)にならって)赤十字. と、宗教的組織たる教会(Kirche)である。 じつは、晩年、ルーマンは遺稿となった『社会の宗教(Die. Religion der Gesellschaft)』(Luhmann2000)におい. 3.宗教の《チャンス》なのか? 〔1〕機能と遂行、教会とデイアコニー さて、上述したような(否定的カップリングによる)排 除は、福祉国家的な社会保障等による援助でも充分に対処 しきれるものではないのであり、問題は、こうした機能的. として論じたタルコット・パーソンズの考え方と対応して いる(10)。. ともあれ、教会という宗教システムにおける第一次的な (primar)領域の「相対的な弱さは、社会内的環境の部分. に分化した社会が季む「排除のリスク」を指摘するルーマ. システムに役立つより多くの社会行動主義〔=宗教システ. ンの視線の先に、この間題に対処しうる何らかの可能性が 果たして見えているのかどうか、である。この点を考える にあたってひとまず着目しておきたいのは、いま述べた、. ムの「遂行」領域、つまりデイアコニー〕によって埋め合 わせられる」(Luhmann1977:264)。ここでデイアコニー といった場合、具体的にはたとえば、ドイツやその近隣諸. 宗教の有する「チャンス」というルーマンの指摘である。. 国におけるキリスト教各派による福祉実践を念頭におけば. 次にこれを一瞥しておくことにしよう。. まず、ルーマンは1977年の『宗教の機能』において、世俗 化のもっとも重要な帰結とは、宗教システムが機能指向. いいであろう。ドイツの社会福祉は、周知の通り、公と民 間との分業によって成立しており、前者は主として社会保 障等貨幣的補償を中心に援助をおこない、後者が具体的な. (Funktionsorientierung)から遂行指向(Leistungsorientierung). サービスをおこなう。この具体的サービスは、次の6つの. へと移行していくことである、と述べていた点を、ここで. 大規模な全国的な民間社会福祉団体によっておこなわれて. 想起しておきたい(Luhmann1977:264=1999:194)。 ルーマンによれば、機能分化とともに宗教システムは3つ の領域に内部分化する。すなわち①全体社会(Gesellschaft) と当該機能システムとの関係である「機能(Funktion)」、. いる。①デイアコニー事業団(プロテスタント教会)、②カ リタス連合体(カトリック教会)、③労働者福祉団体(社会 民主党系)、④ドイツ赤十字社、⑤ユダヤ教社会福祉団体、 ⑥無宗派社会福祉連合の6つである。各種民間社会福祉施. ②当該機能システムとその他の機能システムとの関係であ. 設の多くが、このいずれかに所属している。. る「遂行(Leistung)」、そして③当該機能システムそれ自 体との関係である「再帰(Reflexion)」である。宗教シス テムでは、これら3領域に対応する役割を担っているのが、 ①「教会(Kirche)」、②「デイアコニー(社会奉仕)(Diakonie)」 (9)、③「神学(Theologie)」となる。ただし、ここでの「教 会」とは、宗教的(geistlich)コミュニケーション全般の ことを指すものとされており、したがって、組織化された 教会内部での儀式等に限定されるものではない。. 〔3〕排除と宗教システム. このような意味での、世俗化に伴う宗教システムの変化 については、遺稿『社会の宗教』(2000)においても同様の 認識が示されているが、ただしここでは、90年代以降の「包 摂/排除」に関するルーマン自身の認識の変化が色濃く反. 映されている。つまり、宗教システムは、社会の中で特別 な位置づけを有しているがゆえに、上述した否定的カップ リングによる排除という問題に対処しうるチャンスが生じ. ているというのである。彼の叙述を確認しておこう。「数多. 〔2〕世俗化. ところで、周知のとおり、とりわけ欧米において教会宗. くのその他の機能領域から[宗教が]撤退し、【F社会のコント ロール』を放棄し、政治的権力の正統化を放棄していると いう条件のもとでこそ、宗教にとってのチャンスが強まっ. 教への関与率が急速に減少していく60年代以降、いわゆる. 「世俗化」の過程について頻繁に論議されるようになった。. −84−.
(6) リスク社会のなかの「援助」. ていくという可能性を、考慮に入れなければならない」. う問いは、つねにクリスチャンとして援助組織に関わる構 成員を悩ませるものであり、じっさい、ドイツではカリタ. (Luhmann2000:145)。 では、政治システムや教育システム、経済システムには. ス連合体でもプロテスタント教会のデイアコニー事業団に. ない、宗教システムの社会の中での特別な位置とは何か。 それは、「その他の〔宗教システム以外の〕機能システムの 包摂/排除一規制との相互依存が、きわめて小さいこと」で. 保育所、高齢者介護ホーム、障害者入所施設、職業教育. ある。簡単に言えば、政治や経済、法、教育の場合には、. といった諸施設で各種事業に従事する職員の内訳を見てみ. 他のある機能システムからの排除は、当該システムからの. ると、1950年には聖職者の職員が全職員の過半数であった. 排除と連動しやすいけれども(これが上述した否定的カッ. ものが、1996年になるとわずか3.2%にまで減少している。. プリングということの内実であった)、宗教システムからの 排除とは必ずしも連動しない、ということである。貨幣が ない、十分な教育を受けていない、不法滞在である、等々. アコニー」をカトリック教会やプロテスタント教会が相変. おいても、その傘下にある病院、訪問看護ステーション、 (Ausbildung)のための専門単科大学を含む各種専門学校. このことから、こうした(ルーマンの言う意味での)「デイ. わらず担っていくべきなのかどうかという疑問も、こうし た施設従業員から提起されてきている(春日2003)。また 日本においても、宗教立ホスピスにおけるチャプレン(病 院付聖職者)によるスピリチュアルケアでは、それが宗教 的ケアと混同され、宗教色に偏ったケアが行われた結果、. といったことは、宗教においては端的に無視されうる。宗. 教システムは、こうした「下に向かってのスパイラル」に. 参加する必要がなく、他のシステムが排除しても依然とし て包摂を維持し続けることのできるシステムなのである(11)。. じっさい「宗教的組織は、その手段と動機とを、社会的 援助へと集中させることができる」のであって、貧者に対 する援助は長きにわたる伝統を有しているし、福祉国家的 施策に適合的なかたちで、また、社会サービスの領域にお いても、宗教は社会的援助に大きく貢献している(12)。「ここ. 後のスピリチュアルケアの発展に多大な困難がもたらされ. に、デイアコニーの問題、愛の活動主義、ソーシャルワー. 事情とあわせて検討されるべきものであろうと思われる。. たことが指摘されている。これも、逆のかたちでではある が、ここで述べている、「デイアコニー」の宗教性の問題と. 直結するものであろう(14)。「宗教のチャンス」というルーマ ンの指摘は、おそらくはこのような「デイアコニー」の諸. クの問題を見いだす」ことは可能だろう(Luhmann2000: 243)。つまり、ルーマンの認識では、宗教が社会にとって 注. の統合力を喪失していくことは機能分化の結果であり、こ. (1)社会が労働人口の三分の二で動かされており、残り. れがいわゆる従来宗教社会学において「世俗化」と呼ばれ. てきた現象なわけであるが、「しかし、このことだけですで. の三分の一に失業と貧困が集中し社会的に忘れ去られ. に、不利な事態や宗教の機能喪失を意味するわけではない」. 排除されている事態を言い表す概念だが、「三分の一」. という数字に関してはその後別の見方も出されている。 (2)もっとも、このことから、べックの個人化論はドイ ツの事情を念頭においたものであり、過度な一般化は. (Luhmann2000:305)のであって、むしろそうだからこ そ、宗教にとっての新しいチャンスが生じてきていると見 なければならないというのである。. できないのではないかとの異論もある。. (3)これについては、小松(2003)で補論として触れて. 〔4〕残された問題. もっとも、「宗教のチャンス」とはいっても、それは排除 が連動しないからという一点に支えられた主張であり、ルー マンも認めているとおり、排除されていることが宗教への. (4)とくにタルコット・パーソンズのシチズンシップ論. 包摂の特別な契機となるわけでは必ずしもない(Luhmann. (5)ルーマンは、数学者スペンサーーブラウンに倣って、. おいた。. を念頭に置いている。. 2000:305)。果たして宗教が、上述したような機能システ. の程度まで対処できるのかということについては、経験的. 「形式」を次のように説明する。「形式はもはや・・・ 何らかの形態(Gestalt)としてではなく、境界線とし て、〔すなわち〕どの側面が指し示されているのかを明 らかにすることを強いる、差異のマーキングとして、. に解明されるべき問いというほかはないだろう。. つまりは、その形式の二つの側面のうち、いまどちら. ムを横断して進捗する包摂/排除に対して(規範のレベル. (13)においてだけではなく)いかに対処しうるのか、またど. の側面に立っているのか、またそれに相応した次なる. またこれもキリスト教的デイアコニーの問題を考える上. で重要なことだが、かつてルーマンが『宗教の機能』の中. 作動にさいしてどこに〔=どちらの側面に〕アプロー. で述べていたデイアコニーの宗教的性格の「程度」という. チすべきかを明らかにすることを強いる、差異のマー キングとして、見なされなければならない」(Luhmann. 問題がある(Luhmann1977:264=1999:197)。デイア コニーはその名宛人の願望や規範に従う。「ところがこの条. 1997:60)。. (6)たとえば、Japp1986;Lussi1991;Baecker1994;. 件は、援助行為から、その宗教特有の性質を奪う」(a.a.0.)。. Staub−Bernasconi1995;Bommes&Scherr1996;. その援助のキリスト教に特有の性格はどこにあるのかとい. 一85−.
(7) 小松 文晃. Kleve1999;Merten2000等。. 部において、カリタス連合体は、一般的な社会福祉事. (7)こうした努力については、Merten2000を参照。 (8)ルーマンは1981年の福祉国家論(Luhmann1981: 110−111)において、福祉国家における官僚制の限界に ついて、次のように指摘している。確かに福祉国家は 法と貨幣をメディアとして使用することによって、政 治的決定にとって多大な利点を獲得している。しかし、 そこには重大な目的と手段との敵酷が見いだされる。 つまり福祉国家は職業教育、社会教育、リハビリテー ション、第二次社会化等、人格の構造変容に関わる領 域にまでその射程を広げてはいるものの、これらの領. 業よりもより特殊な分野、つまり、社会保障等から取 り残された人々を代弁しうる分野に力点をおくべきで あり、制度からこぼれ落ちた人々を受容することを使 命とすべきことが主張されている。カリタス連合体の. 新規範については、春日(1999,2001)を参照。 (14)このように、スピリチュアルケアを指向しながらも、 結果的に宗教的ケアとなってしまった足跡については、. たとえば、窪寺2000を参照。なお、この点については 東北大学の田代志門氏の助言を得た。. 域に必要な資源は対人サービス専門職による人格的関 文 献. わり、参加などといったものであり、これらは法と貨 幣によっては調達することができず、それゆえ中央で 成否を制御したりすることもほぼ不可能である、と。 このようなルーマンの福祉国家における官僚制批判は、. 馬場靖雄,2001,『ルーマンの社会理論』勤草書房. Baecker,D.,1994,“SozialeHilfe als Funktionssystem der Gesellschaft”,Jおitschrifij露rSozio10gie. 教育における「技術欠如」という指摘や彼の専門職論. 23(2):93−110.. と併せて検討を要する論点であろう。 (9)ただし、このデイアコニーは宗教システムとその他 の機能システム(社会システム)との関係だけでなく、 人格に対する関係、すなわち「魂への配慮(Seelsorge)」 もまた含まれているが(これは、人格が、宗教という. Beck,U.,1986,Risikqgesellschq玖Suhrkamp(=東・伊. 藤訳,1998,『危険社会』法政大学出版局). Bommes,M.,&A.Scherr,1996,“Exklusionsverme dung,Inklutionvermittlung und/oderExklu− Sionsverwaltung”,NbueP7uXis26:107−123. Japp,K.P.,1986ゝmePsychosoziah7Diensteoタganisiert. 社会システムの「環境」に位置するシステムであると. いうルーマンの概念構成のコロラリーだが)、しかし他 方、この同じデイアコニーの概念を、「魂への配慮」の 概念と区別するという脈絡でも使用してもおり、いさ さかの術語上の混乱が見られるようである。これにつ. u)e7den,Campus. Karle,Ⅰ.,2001,”Funktionale Differenzierung und. Exklusion als Herausforderungund Chance 飽rReligion und Kirche”,Soziale旦ysteme7:. いては、Starnitzke1996:187を参照。. 100−117.. (10)パーソンズのこの考え方については、Parsons1967 を参照。なお、一般に、ルーマンにおける「機能」と 「遂行」との決定的な違いについては、馬場2001:94− 101を参照。 (11)Ⅰ.カルレは、宗教システムに「包摂」される形式とし て、『宗教の機能』における「教会」と「デイアコニー」 の区別に対応して、宗教的コミュニケーションへの参 加と、デイアコニー的なあるいは「魂への配慮6eelsorgd」 による参加とを挙げている(Karle2001)。いずれも、. 春日静子,1999,「ドイツにおけるカリタス連合体の役割」 『基督教社会福祉学研究』32:142−−147. ,2001,「カリタスと社会福祉」『ソフィア』50(2): 108−256.. ,2003,「ドイツ・カリタス連合体の研究(Ⅰ)」『カ トリック社会福祉研究』3:103−12]し. Kleve,H..1999.mst))10dtl)・)t(− Sozial(t)・bcit:Ei)Z 斗・∫′ぐ〃Jぐ仙−(〃1イ/∫(、/∼(− − か川∫汗JJか/J心痛(ゾ化り・ βぐ/わTな(一 三J/タ− S()ヱ/(7んけみ(イ/∫〃壷5ぐ〃∫(、/呵几. Dr.Heinz Kersting.. 他のシステムからの排除にもかかわらず包摂を維持す. ることのできる形式であるという点では共通している。. 窪寺俊之,2000,「宗教的ケアと日本のホスピスー歴史的経. (12)上述したベッカーによる「機能システムとしての社. 過と評価−」『神学研究』47:125−】_53.. 会的援助システム」という見解に賛意を表するルーマ. 小松丈晃,2003,『リスク論のルーマン』勃草書房. ンは、このような点で、宗教システムがこうした「機. Luhmann,N.,[1973]1975,“Formen des Helfensim 〉〉 Wandelgesellschaftlicher Bedjingungen,. 能システムとしての社会的援助」の重要な一部をなし. ているのではないかと述べている(Luhmann2000: 305[Anm.49])。 (13)カトリック系のカリタス連合体は、1997年に入って. ders.,Soziol(智ischeA玖作Idrung2,134−149. ,1977,Funktion dbrRelなion,Suhrkamp(=. 1999,土方・三瓶訳『宗教社会学一宗教の機能』. 将来的ビジョンとして「カリタス規範」を制定してい. 新泉社). るが、この新しい規範として強調されているのは、ま さに上述した排除の問題である。この「規範」の第四. .1981,P()J/〟∫(、/J(?r力〃〃・ん?わJJ住も力帥/け′5∫ね(7′,. 01zog.. −86−.
(8) リスク社会のなかの「援助」. ,1991,Soziologie des Risikos,Walter de Gruyter. ,1995,〟Inklusion und Exklusion”,ders・, 50ZわJ(官吏5CゐβA玖蕗接γ〝タ智6,237−264.. ,1997,か哀β Gβ5βJJscカ所 dβγ Gβ∫βJねcゐq玖. Suhrkamp.. ,2000,刀鹿.馳海面紹 d物 Gβ∫β偽cカ年玖 Suhrkamp. Lussi,P.,1991,めstemischeSozialarbeit,Haupt・ Merten,R.,2000,“Soziale Arbeit als autonomes Fuktionssystem. der. modernen. Gesellschaft?:Argumente fiir eine 〉〉. konstruktive Perspektive,ders.,hrsg.,. ぺlイ川J仙・りJ・ん・∫りこ山ん・J・、IJ●/}−イト▲\1′′′・▲lJJ∫′丁/二(−. und ve7inderie lh7qt)ektiven,Leske & Budrich,177−205.. 岡田英己子,「20世紀末のドイツ社会福祉思想の新潮流一新 しい社会(福祉)運動との関連−」『社会事業史研. 究』27:11−26.. Parsons.T.,1967,“Christianity and the Modern IndustrialSociety”,ders.,Socio10gica1771eO7T andMbdern Socie秒,The Free Press,385L421.. Rauschenbach,T.,1999,Das sozia砂ddagogische ル/げ/川川/(・J・/:▲l川J小川 ニ′げ E′′/雨・■〃/廿里. soziah7rArbeitin derMbderne,Juventa.. Schelsky,H.,1965,“Freiwillige Hilfein der biirokratischen Gesellschaft”,ders.,A好der Suche nach mrklichkeit,Eugen Diederichs, 294−304.. Starnitzke,D.,1996,Diakonie als soziales 勤stem, Kohlhammer.. Staub−Bernasconi,S.,1995,勘Stemeiheorie,SOZiale P和∂お∽β〟〝d50Z才αおAγ∂gグ才:わ血沈紬加わ徹れ. internationaろHaupt.. ー87−.
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