ア メ リ カ の
5
週 間1
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(
帰 国報 告)
岩村
3月1口か ら4月6口まで5週 間 にわた りアメ リカ を旅行 したので,串務的 な報!uL, およこヾそれ に二二 三 の感想をま じえて記 してお きたい 。 3月 1「1東京 を出発 して, まず- ワイ'=寄 ったが, 当 口は健康 がす ぐれ なか ったので,予定 は して いた も のの,残念 なが ら- ワイ大学 に も, TlleEasLWest Centerを も訪れ なか った。 翌3月2日サ ンフ ランシス コ経由で重 はニ ュー-ヴ ンに赴 いた。 エール大学 で催 され たHRAF
の年次会 議 にHJl席 す るためであ る。列 席者 は多数 にの ぼ り, ど ッツバ ー グ 大学 のマ- ドック氏が 出席 したが, かれはHRAF
を現在 の形 態 にまで 発展 させ た 功労者であ る。 その中二,三 を報告 す るな らば,罪- に, ファイル の 中か らどの よ うに して 目的のス リップを取 出 して く るか とい った 煩 わ しい操作上 の 手 まを はぶ く ため に IBM の使用 を計画 して い る。 もっともそれ は, いぜ ん と して,技 術的 に難航 の模様 であ るけれ ども,数学 者 ,電子工学者 の協力 をえて研究 中であ るか ら,将来 は実現 され るだ ろう。 第二 に, ファイルのス リップの 数 は,夢路 この と ころ, だいたい 300万枚位 との ことで あ るが, 日本 の郡が まだ整 っていないので,増加 しよ うとい う案が あ る。 その時 は京大 も協力 しな けれ ばな らない と思 う。 この会議 で京大 のHRAF
代 表者 と し てわた くしか理事会 の メ ンバ ー に選 ばれ た。 途 中- -ヴ 7- ド大学 には, わた くしの専 門 に も関 係す るので立寄 った。 同大学 の東南 ア ジア研究 にかん して は,個
々の専 門家 はい るけれ ど も,組織 的 な研 究 の段 階 にはいた って いない と思 う。 3月15rlか ら3月2
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口までのニ ュー ヨー ク滞在期 FETl-] 中に, コロ ンビア大学 を訪 れ た。 ここで は東南 ア ジア ]) これ は, 当セ ンター所 長岩村 忍教授 が さる4)i 25円の研究例会 において, アメ リカ出張 につ いて 報告 され た内容を編集担 当者 水野 が要約 した もの で あ る。 なお,末尾 に全米 ア ジア研究者 会議 につ いて若干の説 明をつ け加 えた。 忍研究 にかんす る 委員会 (SoutheastAsian Studies Committee)を組織 してい る。 元来 コロ ンビア 大 学 で 札 所 らし
い
学部や セ ンターを 創設す るに さきだ ち,委貴会を組織 して,設置の当否,組織形態, また 研究路線 な どを検討 ・討議す る習慣が あ る。 それ だけに, SoutheastAsian StudiesCommitteeの存在 は当大学が遠 か らず東南 ア ジア研究 に本格的 に取 組む であ ろ うことを強 く感 じさせ られ るO委員の人 々と会 い
,
旧友 で もあ る若 い人類学者 マー フ ィー氏, またア ル タイ研究 の人 た ちとも懇談 した。 なおニ ュ- ヨー クに行 く前 に シラキ ューズ大学 に2
「l間滞在 Lボールズ, ク レー ダ-その他の人類学者 と 会 った。 コ-ネル大学 で は シャー プ, スキ ンナーその他 に会 った。 スキ ンナ-氏 は 「1比野教授 の班 であ る華僑研究 に注 目を寄せ て い る。 この班が華僑 の発展史を問題 と す る上 での資料, と くに刻銘 と家譜家乗 な どの史料 を 収 集 して い るの に特 に注 目 して いた。 そ して, この 目 的が単 に計画 の段 階に とどま らず,現実 化 して い る こ とを聞 くにおよび, スキ ンナ一一氏 は, ことさ らに大 き な関心 を寄せ た。 そ して京大 で収集 した関係資料 を見 たい こと, また両 大学 のあいだの資料交換 につ いて話 あ った。 スキ ンナー氏 は中国語がで き,革命 まで南 中 ljjで実態調査 に従事 した ことが あ る。 コ-ネルで は, 東南 アジア研究 の ランチオ ン ・ミー テ ィング に 出席 し,多 くの研究者 に会 った。 エール大学 にはHRAF
年次会議 の前 に4
日間滞在 した。 その ときセ ンターの留学生 と して在学 中の酒 井 君 に会 った。 現地 に早 く行 きたい強 い希望 を もって い るが, エ-ル大学 留学 は非常 に有益 であ るとい って い + -ノし_○ エール大学 で はベル ツ ァー, ベ ンダ両氏を訪れ た。 両氏 と も京大 の東南 ア ジア研究 セ ンターが 自然科学 部 門を も取入 れて い る ことに興 味 と関心 を いだ さ,社会 科学部 門 と自然科学部 門の協力 の必要性 に同調 してお り,京大 にお けるその協力 の状態 な どにかん して質問 - 137-東 南 ア ジ ア 研 究 を受 けた。 そ こで,今の よ うな協力体制 が将来 どの よ うに総合的 な, お互 に役立つ もの にな るか どうかわか らないけれ ど も,地域研究 に新 らしい方 向を見 出す た め に実験的 な試 み と して この方 向に推進 して い る次第 だ と答 えておいた。 ニ ュー ヨー クか らイ ンデ ィアナ大学 を訪 れ る途 中, ジ ョー ジア州 の ア トランタ大学 を訪 問 し,封建制皮の 大家 であ り, トイ ンビーの親友 で もあ るクール ボ ン氏 に会 った。 これ は東南 ア ジア研究 に直接関係が ないの で省 略す る。 ブル ー ミン トンには 3月23日か ら 26日まで滞在 し た。 その間, ず っと イ ンデ ィアナ大学 の 歓迎を受 け た。 それ は単 な る歓待 とい うよ りも, 同大学 の積極 的 な態度を示 す ものであ った。地域研究, ア ジア研究 の 人 々に会 いイ ンデ ィアナ大学 と京都大学 の協力 につ い て討議 した。 ここ 1年間の イ ンデ ィアナ大学 の発展ぶ りはめ ざま し く, それ は多 くの新 らしい研究計画や新 らしい建物 か らもうかがえ る。 そ して 同大学 はいまで は米国内の仝州立大学 中10指, いな5指 の うちにかぞ え られ るといわれて い る。 3月26日, ロスア ンジ ェルス にあ る カ リフ ォルニ ア大学 にはアメ リカ研究 の用件 で立寄 り,京大 アメ リ カ研究委員会 の要請 で打合せ を した。 最後
に
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2日か ら4月
4日にか けてサ ンフ ラン シス コで開催 され た算17回全米 アジア研究者会議 に出 席 し,
「ア ジアにお けるア ジア研究」とい うテーマのパ ネル ・デ ィスカ ッシ ョンの 日本 の部 を担 当 した。 この 討論会 は非 常な呼物 で,数100人 が 出席 して いた。 そ の他会議期 間中には,東南 ア ジア関係 の部会 に全部 出 席 した。 また この期 間中に多 くの人 々が京大東南 ア ジ ア研究 セ ンターの組織 , ことに社会科学 と自然科学 の 協力 の上 に立つ総合的研究 の組織 に深 い関心 を寄せ て い る ことを知 った し, またい ろい ろと質 問を受 けた。 つ ぎに東南 ア ジア研究 にかんす る部会,討論会 の内 容 を簡単 に報告 して お こう。2
日の午前 中は So
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氏 は昨年,全米 ア ジア研究者会議 の 会長 を勤 めたが,今年 はYal
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- 138-ア メ リカの5週 間 (帰 国報 告)
Sharp氏が議長 とな った。 問題がわれわれ セ ンター の研究課題 と同 じであ るだ けに, ことさら興 味深 か っ た。発 表者は4人 であ り, Wasington State Uni -versityの James W .Hamilton氏が,Kinship, BazarandMarket:The Current Development ofaJar Economy asan Aspectof Moderni -zationを,UniversityofMichiganのGuylNess 氏が Modernization and indigenous Political Controlofthe Bureaucracy in Malayslaを, University of California,Burkeleyの Joseph Fischerが Education and PoliticalChangein BurmaandlndonesiaをUniversityofVirginia の Richard∫.Coughlinが ReligiousLebelsand SociopliticalChange in SoutheastAsiaを発 表
した。 なかで も第3の Fischerの報告 は ビルマ, イ ン ドネ シア, タイの教育 にかんす る もので興味深 か っ た。 かれ は東南 ア ジアで教育関係 の実態調 査 を試 み た 人 であ り,特 にイ ン ドネ シアの教育 にかん して興 味 あ る問題 を 報告 した。 デ ィスカ ッサ ン トには Unive r-sityofCalifornia,LosAngelsのMichaelMoer
-man氏が な った。 以上 ,全米 ア ジア研究者会議 の内容 にふれ たが, そ れ か ら明 らかな どと く,東南 ア ジア研究 関係の もの は 数 も多 く,また内容 も豊富 であ る。 こう した点 はセ ン タ- と して も注 目すべ きと ころであ って,各専 門家が これ らの研 究者 と連絡を た もち,協力 しなが ら研究 を 進 めて行 かねばな らぬ と思 う。 なお, この会議 につ いて若干 の説 明をつ け くわえて お こう。会の正式名 は theAssociation forAsian Studiesというが, その前身 は Far Eastern As-sociationであ り,元来 は主 と して 日本や中国の研究 者のための協会 であ った。戦後東南 ア ジア地域研究の 軍要性 にかんがみ, この地域 を も加えて全米 ア ジア研 究者協会 が姑成 され,今 年はその
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年 目にあた る。 こ の変化 に ともない,機 関誌 TheFarEaster nQua-terlyもTheJournalofAsian Studiesと改め ら れた。 こうい った関係 を もつ ために, 日本や中国の部 会 も盛会であ り, それ にイ ン ドの部会, またア ジア全 体 に共通 したテーマの部会 も設 けられて いた。会議全 休 に通ず る中心的 なテーマは,や は り, ア ジアにおけ る近代化の問題 におかれてい る。) H本の部 では,明治後期か ら大正期 にわたる政義二政 治 の展開 ;口本社会の基本的特質な らびに変動期 にお け るその特質 の持続性 ;経済成長の社会的要因 と して の業績主義的志向,官僚制,制度的機構の特質 ;11本 と中共,台湾,北群 ,韓国,東南 ア ジア との関係 ;F1 本の大衆文学 な どにつ いて報 告 と討論が行 なわれ た。 中国の部会 にかん して は明朝 の形成 な らびに明朝政府 と西欧 との関係 ;中国経済史 と して宋代 における市場 と企業の構造,19世紀後半 における鉱 山業,家内企業 と しての木綿織物 の発達 ;中田共産党の史的発展 ;中 共 にあける社 会統制 ;現代 中国が直面 す る文 化的諸問 題 ;さらに漢
詩 な どの テーマで会議 が進 め られ た。 イ ン ドにかん して は地方 におけ るエ リ- トの拾頭 ;
19世紀 ベ ンガルの西欧思 想 に対 す る反応 ;イ ン ドにあ ける都市 化の諸問題 ヒン ドゥ数 の発展 ;イ ン ド宗教叙 情詩 な どをテ-マ と して取上 げていた。 これ らのほか に台湾 にかん して は社会的 ・経 済的変 化 と題 して,土 地制度改革,土地 利用,伝 統的価 値体系 と近代 化,山
生率 の変化な どの報告が あ った。 ア ジア共通の問題 と して は, イ ン ドネ シア とフ ィリ ピン, イ ン ド・パキスタン ・セイロン ・タイ,口
本 と 中田 な どにおける人 口動態 ;LF]田, フ ィリピン, イ ン ドネ シア, タイ, イ ン トにおける宿命論 ;自己規制 と 政治的能力,歴史 における個人な どを取 り上 げた報告 が あ った。そのほか イ ン ド,東南 ア ジア,日本,「刊司と ア フ リカとの関係 を論 じた興味深 い部会 も開かれ た。 以上 のように,全米 ア ジア研究者 会議 にはア ジアの 諸地域 を対 象 とす る学 者が集ま り, それ ぞれが 白己の 専門分野 をいか して, さま ざまな角度か ら聞題 を提起 し分析 してい る。包措
す る地域 は極東,∨東南 ア ジア, 商 ア ジアを含み, また研究者 の専 門分野 も多方面 にわ た るけれ ど も, ア ジアの 近代 化を一つ の 共通 の 問題 と して 会議が進 め られ た。 機 関誌 The Journalof Asian Studies もまた この線 にそ って編集 されている。